民法714条の監督者責任をめぐる最高裁判決を過大評価することへのささやかな疑問

「子供が引き起こした事故で、親の監督責任が免除される基準を始めて示した」*1とされる最高裁判決が、大きな話題になっている。

どこにでもありそうな一般民事事件、であるにもかかわらず、判決日が指定された時点で日経新聞が報じるなど*2、元々話題性が強かったこの事件だが、「子供が起こした事故について親の責任を否定した」という判決結果のインパクトもあってか、Twitter等でも一般の方から法律実務家まで、様々な視点からのつぶやきが飛び交っていた。

自分も、元々不法行為の分野については、少々こだわりがあるので、この報道に接して、公表されている第一審からの判決文を改めて読み直してみたのだが、読み終えて、確かにこの事案においては、最高裁の判断はごくごく妥当なものだなぁ、という感想を抱いている。

ただ、この判決を、報道でコメントされているような、

「同様のケースでは親がほぼ例外なく賠償責任を負ってきたが、こうした流れが変わりそうだ」
日本経済新聞2015年4月10日付朝刊・第39面)

という類のものと捉えることには少々疑問もあるので、以下、ざっとコメントしておくことにしたい*3

最一小判平成27年4月9日(H24(受)第1948号)*4

本件は、「自動二輪車を運転して小学校の校庭横の道路を進行していたB(当時85歳)が,その校庭から転がり出てきたサッカーボールを避けようとして転倒して負傷し,その後死亡したことにつき,同人の権利義務を承継した被上告人らが,上記サッカーボールを蹴ったC(当時11歳)の父母である上告人らに対し,民法709条又は714条1項に基づく損害賠償を請求する事案」であり、新聞等でも概ね似たような表現で報じられている。

なので、自分もそれを前提に判決文を読み始めたのだが、判決理由の中で比較的詳細に記されていた「前提となる事実関係」は、自分が想像していたものとはだいぶ異なるものであった。

「本件小学校は,放課後,児童らに対して校庭(以下「本件校庭」という。)を開放していた。本件校庭の南端近くには,ゴールネットが張られたサッカーゴール(以下「本件ゴール」という。)が設置されていた。本件ゴールの後方約10mの場所には門扉の高さ約1.3mの門(以下「南門」という。)があり,その左右には本件校庭の南端に沿って高さ約1.2mのネットフェンスが設置されていた。また,本件校庭の南側には幅約1.8mの側溝を隔てて道路(以下「本件道路」という。)があり,南門と本件道路との間には橋が架けられていた。本件小学校の周辺には田畑も存在し,本件道路の交通量は少なかった。」
「Cは,平成16年2月25日の放課後,本件校庭において,友人らと共にサッカーボールを用いてフリーキックの練習をしていた。Cが,同日午後5時16分頃,本件ゴールに向かってボールを蹴ったところ,そのボールは,本件校庭から南門の門扉の上を越えて橋の上を転がり,本件道路上に出た。折から自動二輪車を運転して本件道路を西方向に進行してきたB(大正7年3月生まれ)は,そのボールを避けようとして転倒した(以下,この事故を「本件事故」という。)。」(2頁、強調筆者、以下同じ。)

最初この事件の報道に接した時、自分は、“道路に転がってきたボールが原因で事故が起きて紛争になった”ということは、おそらく“本来ボール遊びをすべきでないところで遊んでいた”のだろう(子供が道路脇でストリートサッカーをしていたところ、ボールがそれて車道に転がって行ってしまった、といった類の事故なのだろう)、と勝手に思い込んでいたし、多くの人も同様に感じたのではないだろうか。

だが、本件はそういう類の事故ではない。

小学校の校庭に「サッカーゴール」が設置されていれば、そこに向けてボールを蹴るのは、老若男女に共通した行動だろうし、その学校に通う児童であればなおさら当たり前の話である。そして、一度でもサッカーボールに触れたことがある人なら、ゴールに向けて蹴ったボールが、常にその中に吸い込まれるわけではないことも当然理解できることだろう。

最高裁の判決では、「満11歳の男子児童であるCが本件ゴールに向けてサッカーボールを蹴ったことは,ボールが本件道路に転がり出る可能性があり,本件道路を通行する第三者との関係では危険性を有する行為であった」ということを前提としたうえで、

「Cは,友人らと共に,放課後,児童らのために開放されていた本件校庭において,使用可能な状態で設置されていた本件ゴールに向けてフリーキックの練習をしていたのであり,このようなCの行為自体は,本件ゴールの後方に本件道路があることを考慮に入れても,本件校庭の日常的な使用方法として通常の行為である。また,本件ゴールにはゴールネットが張られ,その後方約10mの場所には本件校庭の南端に沿って南門及びネットフェンスが設置され,これらと本件道路との間には幅約1.8mの側溝があったのであり,本件ゴールに向けてボールを蹴ったとしても,ボールが本件道路上に出ることが常態であったものとはみられない。本件事故は,Cが本件ゴールに向けてサッカーボールを蹴ったところ,ボールが南門の門扉の上を越えて南門の前に架けられた橋の上を転がり,本件道路上に出たことにより,折から同所を進行していたBがこれを避けようとして生じたものであって,Cが,殊更に本件道路に向けてボールを蹴ったなどの事情もうかがわれない。」(3〜4頁)

とかなり丁寧な認定がなされているのだが、校庭で行っていた“普通の子供のサッカーの練習”で、「危険性」云々も含めてここまで言わないといけないのか、と思ってしまうくらい、児童の行為は常識的なものだった、と言える*5

だとすれば、不運にも本件のように、“偶然道路にボールが転がってしまっていった”からと言って、発生した結果の不法行為責任を誰かに負わせる、ということ自体、理屈に合わないことだと言わざるを得ない。

最高裁は、上記のような児童(被監督者)の行為の認定に続けて、「親権者の監督義務」違反の有無に関する判断、として、以下のように述べる。

責任能力のない未成年者の親権者は,その直接的な監視下にない子の行動について,人身に危険が及ばないよう注意して行動するよう日頃から指導監督する義務があると解されるが,本件ゴールに向けたフリーキックの練習は,上記各事実に照らすと,通常は人身に危険が及ぶような行為であるとはいえない。また,親権者の直接的な監視下にない子の行動についての日頃の指導監督は,ある程度一般的なものとならざるを得ないから,通常は人身に危険が及ぶものとはみられない行為によってたまたま人身に損害を生じさせた場合は,当該行為について具体的に予見可能であるなど特別の事情が認められない限り,子に対する監督義務を尽くしていなかったとすべきではない。
「Cの父母である上告人らは,危険な行為に及ばないよう日頃からCに通常のしつけをしていたというのであり,Cの本件における行為について具体的に予見可能であったなどの特別の事情があったこともうかがわれない。そうすると,本件の事実関係に照らせば,上告人らは,民法714条1項の監督義務者としての義務を怠らなかったというべきである。」
(4頁)

この部分こそが、大きく報道され、話題になっている説示なのだが、既に述べたとおり、上記のような「子の行動」に関する事情は、「監督義務違反の有無」という文脈で考慮される以前に、「児童による原因行為と事故による損害発生との間の相当因果関係の有無」という文脈で、まず考慮されるべきことだったのではなかろうか。

最高裁判決の枠組みが上記のようなものとなった背景には、控訴審で敗訴した親権者(被告、控訴人、上告受理申立人)側が上告受理申立を行う上で、より最高裁に受理されやすい争点を勝負の土俵に設定した*6ことに起因する面が大きいのではないか、と自分は推察している。

そして、上記のような、本件の“筋の悪さ”を踏まえるならば、今回最高裁が示した「親権者の監督義務を限定する解釈」が、過去に親権者の監督義務違反が肯定された事案の結論を変えるほどインパクトのあるものだとは、自分には到底思えないのである。

なお、先に紹介したとおり、日経紙の記事には、「同様のケースでは親がほぼ例外なく賠償責任を負ってきた」という記述があるのだが、民法714条1項は、

前二条の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。

という規定となっており、本判決以前から、ただし書きに基づいて「義務を怠らなかった」ことを監督義務者側で主張立証すれば、賠償責任を負わない余地はあった、ということに留意する必要がある。

そして、下級審においても、子供の自転車事故について親が監督者責任が問われた事例(福岡地判平成26年3月6日、平成24年(ワ)第2490号)において、

「被告は,本件自転車の鍵を管理することに重きを置いており,Bに対する教育的措置としては,交通ルールを守って走行するようにという抽象的なものに止まっていたことが窺われる。しかも,上記認定のとおり,Bが一度無断で本件自転車を運転した後も,鍵の保管方法を変えておらず,より具体的な教育的措置をとってもいない。許可なしでの乗車を禁止するルールの再確認も一定の意味はあるが,具体的な教育的措置に代わるものとは言えない。そうすると,被告は,教育的措置の面でも,本件自転車の鍵の管理の面でも監督義務を果たしたと認めることはできない。」

という判断が示されているなど、監督義務の懈怠の有無について、具体的な主張立証を踏まえて判断しようとする事例は、僅かながら存在していた(その意味で、今回の最高裁判決のような考え方は、唐突に出てきたものではない)ということは、一応書き残しておきたい*7

なぜ、本件がここまでこじれてしまったのか?

さて、最高裁判決について自分が抱いた感想は、以上述べてきたところに尽きるのだが、本件を下級審判決から読み解いていくと、いろいろと不可解なことが多いことに気付く。

例えば、第一審判決(大阪地判平成23年6月27日、平成19年(ワ)第1804号)では、本件事故の原因とされた児童の行為の危険性の有無や、監督義務違反の有無について、あまり主張立証がなされなかったようで、判決での判断も、

「本件事故当時、被告Xがフリーキックの練習を行っていた場所と位置は、ボールの蹴り方次第では、ボールが本件校庭内からこれに接する本件道路上まで飛び出し、同道路を通行する二輪車等の車両に直接当て、又はこれを回避するために車両に急制動等の急な運転動作を余儀なくさせることによって、これを転倒させる等の事故を発生させる危険性があり、このような危険性を予見することは、十分に可能であったといえる。したがって、このような場所では、そもそもボールを本件道路に向けて蹴るなどの行為を行うべきではなかったにもかかわらず、被告Xは、漫然と、ボールを本件道路に向けて蹴ったため、当該ボールを本件校庭内から本件道路上に飛び出させたのであるから、このことにつき、過失があるというべきである」

と、事実審の認定としては、いともあっさりした(しかも後から振り返れば実に不可解な)ものとなってしまっている。

従来の一般的な理解では「免責」される可能性が乏しかった監督義務違反の有無についてはともかく、行為の危険性(ひいては損害との相当因果関係)については、被告側からもう少し主張されても良かったのではないだろうか*8

本件では、行為の危険性云々以前に、ボールが転がって自動二輪車に乗っていた男性が転倒した、という事実と、その後、その男性が認知症に陥り、最終的に嚥下障害まで発症させて死に至った、ということとの因果関係にも争う余地が多々あったように思えるだけに*9、被告側としては、その点に関する主張立証に集中したかったのかもしれないが、第一審でアバウトな事実認定に基づいて、「校庭でゴールに向けてサッカーボールを蹴った行為の違法性」が肯定されてしまったことが、後々まで「親権者敗訴」の結論を引きずる結果につながったことは否めないように思う*10

また、第一審で、原告側は、親権者だけでなく、児童本人も被告として民法709条に基づく訴えを提起している*11一方で、本来、親権者以上に責任があると思われる学校側(公立小学校なので「市」)は訴えの対象としていない*12

最高裁判決でも前提とされている「サッカーゴール」と校庭の「門扉」、「道路」等の位置関係を踏まえ、「ゴールに向かってボールを蹴る行為」の危険性を主張するくらいなら、それ以前に、そもそも「そんな危険な場所にサッカーゴールを設置した学校の責任」も追及されて然るべきであるはずだが、本件訴訟で、それが争点となった形跡はない。

どういう方針で訴訟を追行するかは、あくまで、その時その時に、当事者代理人が認識し得た事実や依頼者の意向等を踏まえて行われるもので、後になってから“鵜の目鷹の目”的に粗さがしをするのは良いことではないと思うのだが、控訴審までは「勝訴判決」を得ながら、最後の最後に引っくり返されてしまった原告(被控訴人、被上告人)側の気持ちを考えると、もう少し早い段階から、議論を尽くせなかったのかなぁ・・・という思いは、どうしても残ってしまうのである。

*1:日本経済新聞2015年4月10日付朝刊第39面より。

*2:日本経済新聞2015年3月20日付夕刊。

*3:なお、簡単に本件に関わる法律構成を説明すると、本件で問題になっているのは、「事故の原因となった行為(不法行為)を行った本人に責任能力がない場合における民法714条に基づく責任(責任無能力者の監督者の責任)」である。本人に責任能力がある場合でも、親権者等の監督義務違反と発生した結果との間に因果関係が認められる、として監督者の賠償責任(民法709条に基づく責任)が肯定される場合があるが、本件は、そのような場合とは異なる。

*4:第一小法廷・山浦善樹裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/032/085032_hanrei.pdf

*5:唯一引っかかる点があるとすれば、本件事故の原因となったのが「フリーキックの練習」だった、ということで、特にキャプテン翼世代の自分らにとって、フリーキックの練習と言えば、“枠の外に向けて蹴り出されたボールが華麗な軌跡を描いてゴールに飛び込む”バナナシュートやドライブシュート(もどき)を繰り返す、という少々危なっかしいものだったから、通常のサッカーの練習よりはリスクが高いのではないかな、と思ってしまうのだが、第一審から上告審に至るまでそのような観点からの指摘はなされていない。

*6:「原因行為と損害発生との相当因果関係」という土俵でいくら争ったところで、それは事実審における認定判断の問題に過ぎないから、最高裁に判断を覆してもらうためのハードルは高い。それに比べると、まだ最上級審の判断が示されていなかった「親権者の監督義務違反の有無」という争点の方が、最高裁に“結論見直し”の機会を与えるには、よりふさわしかった、ということなのだと思う。

*7:もちろん、公刊されている裁判例のほとんどは、親の監督者責任を肯定しているのだが、下級審の判決を個別に見ていくと「そもそも監督義務違反の有無について主張立証がなされていない」ケースが多い(「免責が容易には認められない」という一般的な理解もあって、あえて争点にすることが避けられていた面はあるのだろう)。また、実務上は、責任無能力者の行為と損害との間に相当因果関係が認められるようなケースでも、行為自体が行為者の属性に照らして仕方ないと思わせるようなもので、かつ、損害が自力で回復可能なレベルのものであれば、“親に帰責するのは酷”という判断の下、監督義務者への責任追及が回避されることも多い。

*8:最高裁判決においても前提とされている「サッカーゴール」の設置状況等については、控訴審になって初めて判決の中で登場してくる。

*9:第一審も控訴審も、「本件事故後、被害者の生活状況が一変」したこと等を強調して、事故と死亡結果との因果関係を肯定しているのだが、個人的にはかなり違和感があった。

*10:控訴審判決(大阪高平成24年6月7日、平成23年(ネ)第2294号ほか)では、控訴人(被告)の主張に応じる形で、児童が負う注意義務の内容を「校庭からボールが飛び出す危険のある場所で、逸れれば校庭外に飛び出す方向へ、逸れるおそれがある態様でボールを蹴ってはならない注意義務を負っていた」と、かなり絞り込んでいるが、地裁の結論を覆すことを躊躇したのか、この義務内容に照らした児童の行為の検討を十分に行わないまま、違法性を認めてしまっており、地裁判決以上に「『違法』との結論ありき」という雰囲気が色濃くなってしまっている。

*11:結論としては、責任能力が否定されて請求棄却となり、その部分については控訴されないまま確定している。

*12:市は利害関係人として第一審では補助参加しているが、原告は市の主張を積極的には争わなかったようである。

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