企業法務戦士の雑感 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2017-07-23

[][]悪しきスパイラル

ここのところ、月末でも何でも、つぶやき系の記事を書くたびにつらい、つらい、と言ってるような気がするが、この1,2カ月は特に・・・である。

何がつらいかと言えば、一番は、やはり「インプット」の時間がほとんど取れないこと。

「法務」といえば、曲がりなりにも「知識」が一つの武器になる仕事だから、良質なアウトプットを生み出すためには、日頃から知識を適度にインプットして頭の中で整理しておく、という準備が欠かせない。

そして、元々は、平日、日中からゴールデンタイム(苦笑)にかけての仕事がどんなに忙しくても、プライムタイムなり、休みの日なりに、情報を仕入れ、知識を蓄積する、という時間をなるべく取るようにする、というのが、長年積み重ねてきた自分のスタイルだった。

それがどうだ。

ここ数か月、定期購読している法律雑誌は袋に入ったまま。

その時々のニュースから拾った一次資料はプリントアウトしたまま「古紙」の域に近づいているし、最新の裁判例のサイトにはかれこれ半年近くアクセスできていない。

これまでは、そういう状況でも、社外の会合に顔を出した時に親切な人が要約解説してくれたり、SNSで何となく状況を把握したり、ということで何とかしのいできたのだが、昨年くらいから社外の会合に顔を出す機会も極端に減っているし*1、各SNS情報源にアクセスするのも、良くて週に1回、酷い時は1カ月くらいアクセスが途絶えてアラートが来たりもする・・・。

本業でのアウトプットに集中する、というのを心の中で言い訳にして、ブログでのアウトプットがおざなりになって久しい中、仕事でのアウトプットすら覚束なくなってしまうのでは・・・という恐怖感が常に隣り合わせになりつつある。

既に自分の仕事にフルキャパを投入している中で、さらにあれこれ手を出して心身に変調をきたすくらいなら、辛うじて確保したすき間時間は休養に充てよう(そして、その次には仕事から縁遠い「趣味」で頭を切り替えよう)、という発想の切り替えが、今の状況を生み出している最大の原因だったりもするので、おかげさまで見た目ハードな状況の中でも、心身の安定は保てているのだけれど、やっぱりこのままではいかんよね・・・という思いは募るわけで。

これまでに蓄積した知識の“貯金”と、それなりの経験ゆえの直感で何とか切り抜けている今の状況から、一歩でも抜け出すために何ができるか、ということを、ちょっとでも考える時間を確保する、というのが目下の最大の課題だけに、さてこの夏どうするか・・・。

以上、仕事の波に切れ間が訪れることを期待しつつ7月最後の週に飛び込んでいく、しがない企業法務戦士の午前2時過ぎのつぶやき。

いつか、このスパイラルから抜け出せる日が来ると信じてやまない。

*1:そもそもプライベート色の強い会合の予定を入れたくても、ほとんど先の予定が立たない、というのが実情である。

2017-06-18

[][][]総会シーズンの真っただ中で、空を仰いでため息をつく。

今年に限った話ではないが、6月も中盤に差し掛かると、4月-3月を一区切りとする日本企業の多くは、否応なしに「株主総会」というフレーズを意識せざるを得なくなる。

そして、この季節は、どこまで実際に総会の運営にかかわっているかにかかわらず、連動した役員人事やら何やらで、どことなくそわそわする人間が多くなる湿っぽいシーズンでもある。

これまでこのブログでも、明に暗に触れてきたとおり、現場でビジネスを回して支えてナンボ、という信条の下で生きている者にとっては、

株主総会なんて、ただの儀式」

に過ぎない。

だが、会社の内にも、そんな「儀式」に過剰に神経を尖らせる人々は決して少なくないし、外に目を向ければ、ここ数年増殖一途の“コーポレート・ガバナンス厨”の輩たちが、上から目線で「儀式」にことさらに意味を持たせようとする。

すっかり“厨”のスポークスマンになってしまった感のある日経新聞などは、「株主提案の増加」を好意的なトーンで取り上げ、最近では「相談役・顧問制度」に疑問を唱える株主提案にスポットライトを当ててみたり、と、話題作りに必死なのだが、当の大手製薬会社株主提案をよく読めば(&セットで提案されている議案と並べて読めば)、提案の背景に建前論と異なる理由や思惑があることは明白なわけで、そういった部分を捨象して、あたかも高尚な企業統治体制の議論に持ち込もうとするメディアには正直辟易する。

また、本来は資産運用の一手段として株式を保有しているに過ぎない機関投資家に対して、“熟慮して議決権行使をせよ”というプレッシャーをかける昨今の風潮にも解せないところは多い。

自分はひねくれ者だから、一個人投資家の立場で議決権行使しようと思ったときに、デフォルトが「会社提案賛成、株主提案反対」となっているのを見てしまうと、思わず、一つや二つは逆の投票行動をしたくなってしまうし、現に自分の中で基準を立てて、ヒットした場合には“会社が嫌がる”方向での議決権行使をすることもあるのだけれど、それが対象企業の統治体制に何らかのインパクトを与えることまで望んでいるわけではないし、ましてや、企業のパフォーマンス向上に寄与するなどと考えたことすらない。

企業の業績を左右するのは、専ら客観的な市場環境と現場での一つひとつの地道な取引の積み重ね、そしてちょっとした「運」であって、上のレベルでの経営判断がああだったからこうなった、というのは、ほとんど後付けの理屈に過ぎない。仮に「上の判断」が命運を分けるようなことがあったとしても、それは「執行」レベルでの話。

だから総会で雛壇に並ぶ取締役に対しては、通り一遍の「説明義務」を果たさせ、万が一の場合には一身をもって「責任」を取る役回りを果たさせればそれで十分なのであって、それを超えて何かにコミットさせようとするのは大いなる無駄だし、投資目的で株式を保有する株主予定調和を超えた行動を求めるのは、もっと無駄なことだと思うわけである*1

年々、役所も含めた「声の大きい人々」と、実際に企業の活動を支える現場の感覚との乖離が大きくなっている現状、そして、コポガバをネタにして私企業の箸の上げ下ろしにまで“口先介入”しようとする、世界でもあまり類を見ないムードが日増しに強まっている現状を前に、今は溜息しか出てこないのだけれど、「いつかブームは去る」と念じつつこの佳境を乗り切ろう・・・そんな気持ちでやっている。

*1:そもそも、投資家には、株式を好きな時に売却する自由が与えられているわけだから、賢明な投資家であれば、効果の薄い「株主としてのアクション」に労力をつぎ込む前に、企業のパフォーマンスの良し悪しを見抜いてポートフォリオを組み替える、というのが常識的に求められる行動であるはずだ。

2017-05-06

[]長すぎる休暇と、その後に来る憂鬱。

今年の4〜5月の連休は、曜日配列に恵まれたこともあって、2日有給休暇を消化するだけで、さほど無理もせずに「9連休」がとれる文字通り“黄金週間”となった。

これだけあちこちで「働き方改革」なるものが口うるさく言われるようになってくると、休暇を取らないことの方に罪悪感が生じるような雰囲気にもなってくるし、会社のカレンダーの中で仕事をする、という経験ができるのも今のうちだから・・・ということで、自分も堂々と公式のスケジュール表を1週間全てブランクにする、ということを10年ぶりくらいにやってみたわけだが、終わりかけになってくると、それが良いことだったのかどうか、いろいろと悩ましい感覚に襲われる。

ちょっとした旅行にも行ったし、しばらく寝かせていた本とか雑誌とか判決原文とか、その他もろもろの個人的趣味で集めた資料にに目を通す余裕も多少はあった*1

ただ、連続して休みを取るうちにどうしても緊張感は薄れてくるから、同じオフタイムの行動でも、仕事の合間で片づけている時に比べると、効率もだんだん落ちてくる。

そして、休みが明けて、緩んだペースをいつも通りのレベルにまで戻すために要する労力を考えると、休みが長くなればなるほど、心のどこかに気持ち悪さは残る*2

結論としては、ちょっとした気分転換をするには長すぎるし、かといって、いろんなものをリセットするには短い、ということで、今一つ充実感を味わえないまま休みの終わりを迎えようとしている。

もしかしたら、「休む」ということへの渇望感を抱き続けているくらいが、ちょうど良いのかもしれないけれど。

なお、GW中に読んだ中で、一瞬おっ、と思ったのが、ジュリストの4月号の特集。

ジュリスト 2017年 04 月号 [雑誌]

ジュリスト 2017年 04 月号 [雑誌]

各論のテーマが面白いかどうかはともかく、「商標」がこの一般法律雑誌の中で特集で前面に出てきた、というところに面白さを感じた次第である。

*1:中には、2年越しでようやく読み終わりかけた新書本を機中のポケットに置き忘れる、という残念な出来事もあったりはしたのだが・・・。

*2:それもあって、結局、連休後半に差し掛かった頃にこっそりオフィスに出かけて休み明けの仕込みをする、といういつもと似たようなこともやる羽目になったり。

2017-03-11

[][]今年もまた、刻まれた「3・11」の節目。

飛ぶように過ぎていく日々の時間の中で、今年もまた、「大震災から6年」という節目の日が刻まれた。

今振り返れば、2011年のあの頃だって、決して時間の流れはゆっくりではなかったと思うのだけれど、今の時間の流れはあの頃の比ではなく、特にここ数年は異常なスピードで時間が流れて行ってしまうから、「・・・から3年」とか「4年」とか、といったニュースを聞いて様々な思いに浸っていたのが、つい昨日のことのように感じられてしまう。

それでもカレンダーを見れば、確かに今年は2017年。時は確実に過ぎている。

この6年の間、震災直後に閖上から仙台、塩釜エリアに入ったのを皮切りに、東松島、石巻、南三陸、北三陸、那珂、そして、福島浜通りエリア*1まで、「被災地」と呼ばれているエリアには、ほぼくまなく足を運んだ。

だから、「災後」の報道に触れ、それぞれの地で進んでいる“復興”の姿を目にするたびに、目に焼き付いたかつての光景とそこにいた人々の姿と声がラップする。

至るところ瓦礫だらけで時間が止まったままだった場所がきれいに片づけられ、整地された高台エリアに復興住宅が林立する様子を見て安堵感を抱く一方で、新しい街づくりが進めば進むほど“震災前”の街の姿が決して元に戻ることはない、ということもはっきりしてきて、どうしても身を削られるような感覚に襲われてしまう。

2011年以降、それなりに関わりを持ってきたとはいえ、あくまで「部外者」の一人に過ぎない自分が、かの地に根差して生き続ける人々の感情を忖度することなどできるはずもない。

ただ、テレビの映像が、「3・11後」を生きる前向きな人々の姿を映せば映すほど、あの日を境に交差し、すれ違った様々な運命にも思いを馳せざるを得ないわけで・・・。

いわゆる「7回忌」を過ぎ、来年以降、全国メディアにとっての節目の年の重みがさらに下がっていくことも予想される中で、もう一度、自分にできることを考え直さないといけない、そんな時に差し掛かっている気がするのである。

*1:残念ながら立入制限がかかっている一部の区域にはまだ足を踏み入れることができていないが。

2017-01-01

[]もう一度、戦う準備を。

泣いても笑っても、時間は刻一刻と過ぎていき、新しい一日、そして新しい一年は巡ってくる。

かれこれ10年近く続けているルーティンを無事終え、街中を歩いても、テレビのチャンネルを回してもどことなく漂ってくる緩んだ空気にかったるさを感じながら、残り少ない休暇を惜しむ・・・それが元旦。

年の初めに目標を立てて、その実現に向けて真摯に取り組む、なんてことは、とっくの昔にやめてしまっている*1自分が、1月1日に何を語っても説得力はないのだけど、今思っていることがあるとすれば、それは、もう一度感性を研ぎ澄まして「戦う」準備をすること、だろうか。

元々、紛争事案には事欠かない環境で「法務」というポジションに飛び込み、はったりになけなしのロジックを混ぜながら腕を磨いてきた、というのが自分の原点だったわけだが、長い歳月の中で、その後の「予防法務」ブームだとか、「コンプライアンス」ブームといった波に巻き込まれ、知らず知らずのうちに、“お利口さん”な方向に舵を切ってしまっていたところはあったような気がする*2

いつの間にか、「就職活動の時から『法務部門』という選択肢が存在した世代」が過半を占めるようになった組織の中で、喧嘩の仕方を知らない世代の言動を何となくそのまま受け入れそうになって、ギリギリのところでふと違和感に気付く、という状況では、とてもじゃないが本当の危機は乗り切れない。

長年、知識以上に大事にしてきた「直感」(勝負勘)をこれ以上鈍らせないように、もう一度、自分の目と足で様々な事例を拾い上げ、街中の雑踏の中の声に耳をそばだて、感性を磨き続ける。それだけは、日々忘れずに意識していきたいと思っている。

もちろん、会社全体で腰が据わっていなければ喧嘩はできないし、一人でどうあがいたところで、悪い意味でのドン・キホーテになってしまうから事はそう簡単ではないのだけれど、

「リスクがありそうだから、ここは慎重に。」などと、本物のリスクが顕在化する数百メートル手前のタイミングでバッテンサインを出すようなことはなるべくしないように、そして、相手が競合企業だろうが、当局だろうが、ネット上の見えない群衆だろうが、

「こちらに理がある限りは、筋を曲げない」

ということをギリギリまで貫けるように・・・。

それをやり切れれば、今の仕事にそこはかとなく感じている絶望感も、少しは変わってくるような気がするから。

*1:そもそも、短い休みの間の計画さえ、まともに立てない行き当たりばったりな人生である。

*2:もちろん、局地局地では、シビアな戦いをしないといけない場面はあったし、場数も経験値もそれなりに踏んではいるのだけど、全般的なマインドという点ではだいぶ鈍くなっていることは否定できない。あと、自分のステータスが上がるにつれて、元々は会社の外だけではなく中にもいた「敵」の存在が小さくなっていった、ということの影響も多少はある。

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