企業法務戦士の雑感 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2016-12-30

[][]「君の名は。」ブームに思うこと。

製造業は軒並み業績下降、小売・サービス業もインバウンド効果がはげ落ちて想定外の不振、と、2016年は景気的には今一つの一年だったような気がするが、そんな中、映画業界だけは特異な盛り上がりを見せていた。

「2016年の国内の映画興行収入は15年比6%増の2300億円前後になったもようだ。過去最高を6年ぶりに更新する。東宝のアニメ映画「君の名は。」が210億円を超えたほか、人気SF映画「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」や「シン・ゴジラ」などヒット作品が相次いだ。」(日本経済新聞2016年12月29日付朝刊・第2面)

「スター・ウォーズ」は、元々一部のマニアのためだけの作品だと思っているから全く観る気が起きなかったし、「シン・ゴジラ」も一応観たものの、“一見リアル風でありながら内容はナンセンスそのもの”という感想しか抱けなかったのでここで論評するつもりはないのだが、「君の名は。」だけはやはり別格。

最初に観た時の衝撃があまりに大きすぎて、同じ映画を見るためにロードショー期間中に2度映画館に足を運ぶ、という禁忌*1まで犯してしまう羽目になった。

いろいろ聞いてみると、同じように「複数回足を運んだ」パターンが多いのは事実で、「210億円」という興行成績の割には意外と見ている人の層が薄いような気もするのだが、冬休みや年末年始休暇に入ってから、「バスに乗り遅れるな」的なノリで慌てて足を運ぶ人もいるだろうから、最終的には、興行成績とともに、(正味の)観客数ももう一伸びするんじゃないかと思っている。

(以下、ネタバレ注意)


「君の名は。」が上手だったのはやっぱり事前の宣伝戦略で、告知を見たら、普通の人は、おそらくコメディ系のラブストーリーのアニメなんだろうな、ということくらいしか想像できない。新海誠監督の他の作品を知っている人でも、それに加えて、“すれ違い系もやもや”の話なんだろうな、と思うくらいだろう。

それを、2時間の作品の後の一時間で見事なまでに裏切ったところに、この作品の凄さがあった。

・喜劇調の流れを一瞬で断ち切る「被災地との遭遇」のシーンのインパクト。

・二度目の祭りの日、彗星が落ちてくる瞬間は、最大の悲劇のはずなのに、あまりの映像の美しさに思わず目が釘付けになってしまう。

・そして、真面目にストーリーを考えればありえないはずの最後の邂逅・・・(説明不要)。

後ろの2つは、音楽のかぶせ方が、また憎ったらしいくらいうまい*2

自分も含め、封切り直後に観に行った観客の多くは、「ちょっと絵がきれいで、胸がキュンキュンするアニメを観られればいいな」くらいの軽い気持ちで映画館に足を運んでいるから、予想していなかったディープな展開に面喰い、一方で、そこから張り巡らされた伏線が次々と回収されていくプロセスと、これでもか、というくらいに感情の込められた美しい映像と音楽に酔いしれる*3

今の時代、“前評判”とは全く異なる感想を抱いた観衆が最初にすることと言えば、“感動のアップロード”であり、それが次々と伝播された結果が積もり積もって、「210億円」という数字につながった。


ネットを見回すと、ストーリー上の細かい“謎解き”に嵌っている人も結構多いようで、それはそれで自分も嫌いではないのだが*4、個人的には、あまりそっちの方に気を取られてしまうと面白さが半減するのがこの映画だと思っている*5

映画が人気になると良く出てくる類の講釈や哲学的分析も、よほどそういうのが好きな人以外はスルーしてよい。

純粋に映像を眺めて、耳を澄まして音楽を聴いて、感性に訴えかけてくるものを素直に味わう、それだけでチケット代以上の価値がある作品なのだから*6

もちろん、どこまで感性で受け止められるか、は、それまでの人生の中で経験したことともリンクするので、全ての人と同じ感覚を共有できるとは限らないのだけれど、少なくとも「ポスト3・11」を現地でリアルに体感した人なら、きっと同じ感覚を味わっていただけるはずである*7


・・・ということで、この先、この映画を観る人がどれだけ増えたとしても、この映画の評価が揺らぐことはあり得ない、と自分は信じているのであるが、唯一心配なのは、「210億円+α」という数字が、これまでクリーンヒットを積み重ねてきた新海監督の何か、を変えてしまわないか、ということだけで、今は、新海組が“ジブリ”にならないことを心の底から祈るのみである。

*1:「見に行く約束を複数の人としてしまったためやむなく2回行った」という特殊な場面を除き、未だかつてそんな経験はしたことがなかった。

*2:もっとも、自分はRADWIMPSの音楽が巷で言われるほど凄いとも、この映画に100%マッチしているとも思っていなくて、映画とのマッチング、という点では、過去の新海作品の山崎まさよしとか、秦基博の曲の方が遥かに良いと思っているのだが、そこは“作る順番”の問題なのかもしれない。

*3:新海監督の作品らしく、余韻の持たせ方もいつもながらに上手だから、映画館を出てもインパクトが持続する。

*4:実際、監督自身もディテールまでかなりこだわって作っておられるようだから。

*5:これはこの作品に限らず、新海監督の作品全般の鑑賞姿勢に通じる話だと思うだが、特に本作品の場合、突き詰めると、ストーリーの粗が結構気になってきたりもするものだから・・・(笑))。

*6:“聖地巡礼”も大いに結構ではあるが、わざわざ電車代払って飛騨や諏訪湖に行くくらいなら、自分はもう一度、大きなスクリーンで同じ映画を見る方を選択するだろう。

*7:自分の場合、「奇跡が起きても、超越的な自然法則が引き起こす結末だけは変わらなかった」というところも含めて、恐ろしいほど心に響くものがあった。瓦礫の山や、あったはずの何もかもが消えてしまった光景を前に、「何をどう頑張ったところで、どうしようもできなかっただろう」と思わざるを得なかった「3・11」直後の絶望感がひしひしと蘇る瞬間でもあった。

2014-08-12

[][]「グッド・ウィル・ハンティング」をもう一度。

最近、日本でも海の向こうでも、自分が一昔前に映画に熱狂していた時代の名優たちの訃報を、しばしば見かけるようになってきている(それだけ、自分も歳を取ったということなのだろう)のだが、今朝のニュースは、特にショックが大きかった。

「米映画『グッドモーニング、ベトナム』(1987年)や『いまを生きる』(89年)などで知られる米人気俳優、ロビン・ウィリアムズ氏が11日、カリフォルニア州サンフランシスコ近郊の自宅で死亡しているのが見つかった。自殺とみられる。63歳だった。」(日本経済新聞2014年8月12日付け夕刊・第13面)

ロビン・ウィリアムズ氏が、毎年のようにアカデミー主演男優賞に名を連ねていたのは、自分も周囲もちょうど多感な時期で、そんな中、映画や演劇の世界にどっぷり浸かったコミュニティにいた者にとって、彼の存在には特別な意味があった。

(自分はあまり好きではなかったのだが)「今を生きる」に触発されて演劇の世界にぶっ飛んでいった者もいれば、「レナードの朝」を見て、医業の道を志した者もいた。

今日のニュースの中では、ロビン・ウィリアムズ氏の“コメディアン”としての側面にスポットを当てて、その多才さを称えるトーンのものも多かったのだが*1、少なくとも90年代の日本の青少年にとっての彼は、見事な台詞回しで、決してストレートではない、一癖も二癖もある難しい役柄を、それでも“ヒーロー”として堂々と演じ切る「本格派俳優そのもの」だった、と言ってよいだろう。

それくらいの重みは、間違いなくあった。

ちなみに、自分の中で一番印象に残っているのは、そこから少し時代が下った90年代末期の「グッド・ウィル・ハンティング」のショーン・マグワイアとしての演技である。

グッド・ウィル・ハンティング [DVD]

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これまでの人生ベスト20に入るくらい好きな映画だから、というのもあるのだけど*2、それ以上に、あんな禅問答のような(でも言葉としてはとても鋭い)セリフでのやり取りを、全く違和感を抱かせずに自然にやってのけてしまう・・・というところに、ロビン・ウィリアムズ氏の真骨頂ともいえる独特の持ち味が存分に発揮されていたように思う。「アカデミー助演男優賞」と聞いて納得の名演技・・・。

冷静に考えると、あの映画以降で、ロビン・ウィリアムズ、という俳優の存在を意識することはほとんどなかったし、「グッド・ウィル・ハンティング」の記憶自体、最近では少し薄れかけていたことは否定できない。

だが、あれから10年以上の歳月が流れ、突然の「訃報」を目にしたとき、どうしても、90年代の、自分自身決して楽ではなかった時代の記憶を蘇らせずにはいられなかった。

そして、ショーン・マグワイアとして、あれほどの老成した演技を見せていた彼が、あれから10年以上経っても、まだ「63歳」という若さだった、という事実を知って、驚きを禁じ得なかった自分もまたいる。

これから普通に歳を取ったとしても、あと10年もしないうちに、あれくらいの“味”を、自分が醸しだせるようなになるなんて到底思えないわけで、その意味でも、この世界は惜しい人を亡くしてしまったのだなぁ・・・ということを、つくづく感じてしまうのである。

できることなら、「グッド・ウィル・ハンティング」をもう一度見返してみたい。

今は、そんな気持ちで満ちている。

*1オバマ大統領のコメントが、米国人にとっての「ロビン・ウィリアムズ」という存在を端的に現していたのではないかと思う。

*2:初めてレンタルして見た時に、ちょうど自分が、とんがり過ぎて行き場を見失って社会的引きこもり状態(苦笑)に陥っていた、というのもあって、研ぎ澄まされたウィルとショーンの会話に、ちょっとした戦慄を覚えたものだった。

2012-10-20

[][][]「青島刑事」の15年に思うこと。

最近、映画館にめっきり足を運ばなくなって久しかったのだが、オールドファンとしてはさすがに見逃すわけにはいかないだろう、ということで、「踊る大捜査線」のFINALを見に行ってきた。

以前、どこかで触れたことがあるかもしれないが、自分は、このシリーズが本当の意味で「見るに値した」のは、ドラマシリーズの時までで、それ以降に世に出された特番やら、MOVIEシリーズやらについては、「純粋なドラマ系エンターテインメント作品」としては、残念ながら高い評価は到底付けられないだろう、と思っている*1

取り上げられる事件の筋にイマイチ迫真性がなく、解決に向けての“落としどころ”にも共感できない、そして、描かれている人物像の輪郭も何となくぼやけている・・・*2

もちろん、あのドラマを、本放送、再放送、DVD*3と何度も繰り返し見ていた人間にとっては、やたら細かいところまで凝っているセットの遊び心だったり、シリーズをまたがって張られている伏線*4といったものを味わう楽しみはあるのだけれど、結局それだけで、第2弾のMOVIEやそのスピンオフ作品が驚異的な興行収入を挙げれば挙げるほど、作品自体の評価が下がる、という悪循環。

新しい役者を揃え、満を持して送り出した第3弾が思いのほかコケた時点で、2年後の打ち切りはほぼ見えていた、といっても過言ではない状況ではあった*5

それでも自分が、あえて映画館に足を運んだのは、あのドラマの中の、ちょっとした仕掛け(気の利いたセリフやらシーンやら)の一つひとつが、当時の自分にとっては、すごく大きく響いて、印象に残るものだったから。

そして、ちょうど自分自身の人生の転換期に重なっていたあの頃から15年経った、という重さを、大きなスクリーンに出てくる、当時からの登場人物の姿を見ながら感じたかったから、ということに尽きるのかもしれない。

別に、当時から、あのドラマを見たから、といって、「警察官になろうか」と思うほど自分は単純な人間ではなかったし*6、あそこに描かれていた「正しいことをしたければ偉くなれ」的な世界観に共感するつもりも毛頭なかったのだけれど、警察以外の組織に置換すれば、何となくありそうな“リアリティ”が、当時、世の中に出ることに迷いがあった自分の背中を押してくれたのも事実なわけで・・・。


あれから15年。

「青島刑事」が相応の歳をとって、役職に就いているのと同じように、自分を取り巻く環境も、大きく変わるには十分過ぎるほどの時間が流れたのだなぁ・・・ということを感じざるを得ない日常の中、ドラマの中の刑事のようにリミットを超えて走り回るわけにもいかない今の環境に、フラストレーションは溜まる一方。

だから、スクリーンの中のキャラクターを見たところで、“懐メロ”以上の感慨を抱くことはないだろう、と思っていたのだけれど、今回の作品は、ストーリーがぶっ飛び過ぎていて*7、そっちに思考を巡らす必要が全くなかった分、かえってスッキリした(笑)。

オープニングのタイトルロールから、ラストのシーンまで、これはきっと、「どうせこれで終わりなんだから*8、原点に戻って走り回れ!」っていうメッセージなんだ、と(制作サイドの意図など構わず)勝手に解釈して、まぁ、やるしかないんだろう、と*9

幕が落ちたって、ひとつのシリーズが終わるだけで、そこから先は、また新しいシリーズが始まる・・・

たとえ根っこにあるのがやけっぱちだとしても、そんな気持ちで過ごすことが最高の良薬なのだ、と今は信じている*10

踊る大捜査線(1) [DVD]

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*1:強いて言えば、MOVIEの第1弾までは、何とか「全く『踊る』への郷愁がない人にも勧められる」レベルだったというべきだろうか。あれも、見た当時は「うーん???」という印象の方が強かったのだけど。

*2:特に、室井こと柳葉敏郎を「現場に理解があるいい人」というキャラクターに固定してしまったのが、ドラマ以降の「踊る」シリーズを薄っぺらいものにしてしまった最大の原因だと思う。ドラマシリーズでは随所に見られた、「理解はするが一線は譲れない」が故の緊張感が、MOVIE以降は完全に失われてしまった。個人的には、組織の一員としての嫌な一面を見せつつも、ところどころで人間味を忘れていない新城管理官(筧利夫)だの一倉管理官(小木茂光)だのの方が、よっぽど共感できるキャラだった。

*3:・・・というか、当時はVHSを擦り切れるくらいの勢いで見てたけど・・。

*4:もっとも、ドラマが終わって以降は、先々のシリーズまで伏線を張っている、というより、アドリブに合わせて無理やり設定を作った、というパターンの方が多くなってしまって、ドラマの時の巧妙な仕掛けとは全く別物になってしまっているのだが、それでも、オールドファンには嬉しい&優しい仕掛けだった。

*5:いかにドラマとはいえ、どんなに時間が流れても、同じ署内で同じメンバー構成・・・というのは、さすがに無理があるわけで、そこでキャストを入れ替えたのに反応がイマイチだった、という事実は、制作サイドにシリーズ打ち切りを決断させるには十分過ぎる動機になっただろうと思う。個人的には、15年近く経って“脇役”が違和感なくできるようになった内田有紀の配役などは、最高にはまっていたと思うから(歳月を感じさせる熟成した演技の落ち着きと歳月を感じさせないキュートさが、役のポジション的にはバッチリ、だった)、他の新しいキャスト陣と合わせて、もう少し見てみたかったなぁ・・・という思いもあったのだけど。

*6:余談だが、「踊る」を見て警察官なり警察官僚なりを目指した、という人間を、自分は複数知っている(笑)。さらに余談だが、「検察官志望」を前面に出していた人間の中には「HERO」を見て憧れたとかなんとか言ってた人間が結構いた(爆)。

*7:というか、あれは“インスパイア”以外の何物でもない、と思った。いっそのこと、小栗旬の役を堺雅人あたりにすり替えて、深津絵里に猫のTシャツでも着せた方がよかったのではないかなぁ・・・(苦笑)。“インスパイア”はこのシリーズの常套手段、かつエンタメ性を高めている重要な要素とはいえ(そもそも始まりは『セブン』だからw)、今回はいつもにまして、オリジナリティを無視した“やり過ぎ感”が強かったような気がする。

*8:まぁ、最後の最後まで行ってもあの展開、というところを見ると、製作側もまだシリーズ継続に未練を残しているのかなぁ、と思わざるを得なかったのだが、そこは目をつむるということで。

*9:青島刑事に限らず、どのキャラクターにも好き勝手やらせてたなぁ、というのが、「FINAL」のストーリーに対する数少ない感想である。初回登場の時とは全然違うキャラになって終わってしまった人もいたけれどwww

*10:なお、エンドロールを見て、「中西係長」(恩田刑事の上司役)として長くこのシリーズで活躍されてきた小林すすむ氏が逝去されていたことを知った。クランクアップ直後に急逝された、ということで、長年テレビで、スクリーンで、この方の演技を見てきた者としては、何とも言葉にできないものがある。ご冥福を心よりお祈り申し上げたい。

2011-12-10

[][]「ステキな金縛り」に見る刑事訴訟の本質

前宣伝の頃からずっと見たいと思っていた三谷幸喜脚本・監督の「ステキな金縛り」を、ようやく見に行くことができた。

「ステキな金縛り」オリジナル・サウンドトラック

「ステキな金縛り」オリジナル・サウンドトラック

その感想・・・。

とにかく深津絵里の演技が「凄い」の一言に尽きる。

自分より上の世代の、もうベテランといえる域に差し掛かりつつある女優さんが、“新人のひたむきな可愛さ”を完璧に表現している・・・というのはもう奇蹟に近いわけで*1、あの演技力に142分間触れるだけでも、シアターに行く価値は十分あるのではないかと思う。

三谷氏の作品に関しては、あれだけ豪華なキャストを揃えてガンガン前宣伝かければ、興行収入稼げるのも当たり前だろう・・・という皮肉もチラホラ聞こえてくるところだが、単なる“名前”だけじゃなくて、演劇向きの渋い演技力のある人を集めて、適材適所でうまく割り振っているからこそ(そして、要所要所で、三谷劇団出身の名優が隠し味を利かせているからこそ)、完成度が高い作品に仕上がっているのであって、この辺の手法は素直に称賛せざるを得ない*2


で、基本的にコメディ路線の映画であるにもかかわらず、タイトルを何となく真面目風に付けたココロはどこにあるかといえば・・・(以下、少々ネタバレっぽい記述もあるのでご注意あれ。)


この国の刑事裁判が、否認事件であっても、客観的に見れば、「被告人が有罪」というバイアスがかかった状況でスタートしている、ということは否めない現実である*3

大きな事件であれば、裁判が始まる前に“大獲り物”が行われ、連日連夜、事件と被疑者に関する報道がなされているわけだし、その後も状況に大きな変化がなく公判にまで至ったとなれば、大抵の一般人は捜査当局の「自信」を感じとって、「こいつはたぶんやっているんだろうなぁ」という印象をもって、審理を見つめることになるはず。

自白事件でも、状況は同じで、事前の報道や、捜査当局、検察官が築き上げた「こいつはもうどうしようもない奴だ」というストーリーを前提に印象が形成されていく・・・

かかわるのが「人間」である以上、それはある意味仕方のないことだろう。


こういう状況の下で、捜査当局が望む犯罪を成立させない、あるいは情状を軽くする方向での事実や証拠を、被告人側から引き出し、集めているのは弁護人だけだ。

そして、多くの場合、弁護人が持っているそういった材料は、裁判が始まるまで、表に出されることはない。

有能な検察官なら、捜査資料を精査していたり、起訴前勾留期間中あるいは第1回公判期日前の弁護人とのやり取りの中で、何となく感づいているかもしれないが、起訴する以上は、そういったところには目を瞑るのが、有能さゆえの流儀だろうし、裁判官、裁判員に至っては、裁判に至って初めて、それまで「見えていなかった」ものを、「見せられる」機会に直面することになる・・・。


このように考えてくると、日常的な刑事訴訟の中で、弁護人が被告人のために一生懸命立証しようとしている「事実」というのは、この映画の中で、深津絵里演じる弁護士が、被告人の無罪を立証するために法廷に担ぎ出した、

「普通の人には見えない「幽霊」」

と同じようなものではないだろうか・・・と思えてならない。

見えている人には、はっきり見えている。

見えていても、見えていないふりをしようとする人がいる。

そして、最後は裁く人がそれを見ようとするかどうか、によって結論が変わってくる。

もちろん、「裁く人」に、それを見ようと思わせるように頑張るのは弁護人の仕事で、映画に出てきた裁判長のような、寛容さと好奇心に満ちた人が法廷を仕切っていれば弁護人もやりやすいのだけど、現実には、「幽霊」的なる弁護人側の立証活動に対して寛容さを示さない人も多い。

そんなわけで、フィクション&コメディながら、様々な意味で象徴的な話だなぁ・・・と思いながら、一連のシーンを眺めていた*4

なお、この映画の本当のキモは、「落ち武者」ではない最後のオチ*5の方で、この“逆転の発想”には「お見事」というほかないのだけれど、ここからはさすがに実務への示唆は出てこないかなぁ・・・(笑)*6


元々、「司法モノ」を多く取り上げながらもディテールにはあまりこだわっていない(ように見受けられる)三谷監督作品。今回も、これまで以上にディテールは捨象されているが、それゆえ、割り切って楽しめるし、普遍的な示唆もかえって伝わってくる・・・

そんな作品になっているだけに、“プロ”にこそ見て欲しい映画だと思う次第である。

*1:普通、年齢的に無理がある役をやると、少々イタさがあるものだけど、それを微塵も感じさせないというのも凄い。

*2:個人的には篠原涼子と唐沢寿明の使い方が贅沢過ぎて、思わず笑ってしまったのだけれど・・・。

*3:もちろん、あらゆる予断を排除し、推定無罪の原則に基づいて裁判を遂行する、というのが大原則ではあるのだが、刑事訴訟にかかわるのが「人間」である以上、建前通りに事が進まないのは、ある意味必然といえる。

*4:下手なノンフィクション風の映画で価値観を押し付けられるより、感じられるものは多かったような気がする。三谷監督ご自身がどこまで意識してこういう設定を作ったのか、ということまでは分からないけど。

*5:おそらく、この映画の構想の出発点となったのであろう見事なオチ。

*6:ただ、一つの立証主題にこだわり過ぎて、もっと重要なところを見落とさないように・・・という警鐘だと考えれば、それはそれで示唆的といえるのかもしれない(終盤の接見のシーンを見て思ったこと)。

2011-08-20

[][]タイトルに偽りが・・・

久しぶりに休日の予定が空いたので、今さらではあるが、意外に評判のいい「アンダルシア女神の報復」を観てきた。

あくまで「映画」というよりは、2時間仕立てのドラマ、というのが前々から分かっている作品だけに、取り立ててどうこう言うのは大人げないと思うのだが*1、一つだけ突っ込みを入れるとすれば、

「アンダルシアあまり出てこないよね。この映画」

って、とこだろうか(笑)。

核心となる事件の舞台はアンゴラだし、主人公たちが華々しく躍動するのはバルセロナの街中・・・ということで、肝心の「アンダルシア」のシーンにはあまりインパクトを感じなかったのだけど*2、それでもタイトルに「アンダルシア」を使ったのは、興行面でのインパクトを狙ったのか、それとも身入りの多いツアー旅行に誘客したいスポンサー(?)の思惑なのか・・・。

そんな、中身と関係のないところで、いろいろと面白さを感じた映画であった。


ちなみに、“偽り”と言えば、「主演」の肩書が付いていた俳優よりも、伊藤英明とか、特別出演の福山雅治の方が印象に残る演技をしていた(苦笑)というのも、一応挙げとく必要があるかもしれない。40歳過ぎてからの役作りは難しいんだろうなぁ、とは思うのだけれど、同世代の福山と並んでも色褪せて見えてしまう、というのは、ちょっと気の毒な感じがしてならなかった。

主観と客観のギャップ、というべきなのか。人生って難しい、とつくづく思う*3

*1:「映画だ」と思ってみれば、いろいろ突っ込みどころはあるけど、長編のテレビドラマだと思って見れば、ストーリー的にもキャスティング的にもかなりクオリティが高い・・・という作品は良くあるし、この作品もまさにその類のものなので。

*2:心理描写を一生懸命やっている場面は、ほとんどホテルのセットの中の撮影だったりもする。

*3:なお、個人的には、キャストに名前が入っているにもかかわらず、戸田恵梨香の出番が思いのほか少なかったのは残念なことこの上なかった、というのもありw。まぁその辺は続編に期待するか。

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