企業法務戦士の雑感 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2017-10-14

[][]「高品質」神話の果てに。

連休中日に公表する、という王道の広報戦略で、ハレーションをできるだけ小さくしようとした努力もむなしく、燎原の炎のように燃え広がる一途になってしまっている神戸製鋼所の「品質データ改ざん」問題。

これまでの断片的なプレス発表や報道だけでは、全容をはかり知ることはできないし、そのうちに、第三者委員会の報告書等で原因究明も図られるだろうから、この件に特化して、軽々しく語ることは今は難しい。

ただ、日本の製造業の生産現場の生の姿に触れることも多い身としては、既に一部で語られているように、これを「神戸製鋼所」という会社特有の問題として片づけることには、大いに疑問を感じている。

これまで日本のメディアも有識者も、政治家も役人も、時には産業界の人間でさえ、「日本の工業製品は『品質』では世界のどこにも負けない」という神話を信じてきた。そして、今や生産規模では日本を追い越し、あるいは肉薄している新興国も「価格は安いが、品質はまだまだ」と嘲笑されることが多かった。

だが、ここ数年、日本のメーカーが直面しているのは、「価格では到底勝負できないから、品質を売りにするしかない」という現実。そして、その「品質」ですら、もはや前世紀やミレニアム前後の時代と同じレベルを保つことが難しくなっている、という現実だったのではなかろうか。

高コストを嫌う発注者から、利益が出るかどうかのギリギリの部分まで価格を削られ*1、それでいて、スペック的にはずば抜けたレベルで仕事を引き受ける。一方で、現場は、作業員の質・量の低下により、机上で示された納期や品質数値のレベルを保つこと自体、決して容易なことではなくなりつつある。

そういった悪いスパイラルに陥った結果が、まさに今回の問題、と考えると、どこの会社にも同様のリスクはあるというほかない。

そして、そのうちに他の分野でも半製品メーカーや、部品・素材メーカーから「調べてみたら実は・・・」という話が出てこないか、戦々恐々といったところだろう。

そして、今回の一件は、どんなに高度な開発力があっても、長年蓄積された生産管理ノウハウがあっても、結局、最終的に出荷する製品を作る過程をきちんとコントロールできなければ、製品の品質が保てない、という当たり前のことを世に晒してしまうことになった。

ここから、どこまで問題が拡大していくのかは分からないのだけれど、今必要なのは、日本の会社が「優れた品質」という自縛を解き放つこと、そして、既に「技術でも負けている」という現実を直視して、勢いのある国々から謙虚に学ぶこと。

巷ではいまだに根強い「技術を盗まれないように営業秘密保護法制を強化する」という発想が、もはや時代遅れのものになってしまっている、ということに良識ある人々が気付いた時、ようやく復活に向けた道程が始まる、と自分は思っている。

*1:それでも、新興国メーカーに比べれば一回り上の価格だったりもするのだが・・・。

2017-09-27

[][]制度創設3年目の吉報?

2015年4月に鳴り物入りで始まった「新しい商標」制度だが、これまで度々、本ブログ上でもブーイングを浴びせてきたとおり*1、これまでの特許庁の審査運用は実に不愉快なものだった。

今年の3月1日には、申し訳なさそうに、経済産業省「色彩のみからなる商標について初の登録を行います」というプレスリリース*2を出したものの、認められたのはトンボ鉛筆とセブンイレブン・ジャパンの、「これで取れなきゃ誰がとれるの?」という感じの2件のみ。

そして、9月26日付の日経紙朝刊に掲載された以下の記事は、より怒りを増幅させるものとなった。

特許庁は歌詞のない曲の商標登録を初めて認める。大幸薬品と独BMW、米インテルの3社が出願していた商標を登録する。CMなどで長年使われており、広く認知されていると判断した。」(日本経済新聞2017年9月26日付朝刊・第5面)

特許庁は、その日のうちに「音楽的要素のみからなる音商標について初の登録を行いました」というプレスリリース*3を出したのだが、大幸薬品と米インテルはまだ分かるとしても、マドプロルートで出されていたBMWの登録まで認めてしまった(国際登録1177675)のは、おいおい、という感じである。

制度導入直前の熱気に押され、歌詞を付けずに音楽的要素だけで商標を出願した会社は他にも多数あるのに、どこよりも先んじて「聞いたことはあるが、どこの会社のCMで流れていた曲か分からない」レベルの商標の登録を認める、というのは、いかなる了見なのか・・・。

同じプレスリリースの下の方には、これまでの新しい商標に関する出願・登録数も掲載されているのだが、色彩商標は509件出願されている中、依然としてたった2件の登録しか認められていない。

自分は、「単純な色彩や音だけでは商標としての出所識別機能を発揮しえないから、原則として登録を認めない」という特許庁の審査運用を否定するつもりはないし、それ自体は一応の理屈が通った話だとは思っている。

ただ、その原則を貫こうとするのであれば、制度創設前のあのPRはなんだったのか。

そして、これだけ時間をかけてもなお、多くの商標で登録するか否かの判断が留保されている、という現実*4を前にしてしまうと、結局は、斜陽の商標部門に瞬間的なスポットライトを当てるための「特売セール」に過ぎなかったのか、と、嫌みの一つや二つは言いたくなる。

現在行われている審査の結果、大量の屍が生まれてそのまま不服審判にまでもつれ込むのか、それともある程度まで整った段階で一気に査定祭りの春が訪れるのか。

今は全く予想もつかない状況ではあるのだけれど、どこかでもう少し納得感のある線引きがなされることを、自分は願ってやまない。

*1http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20151201/1449416848の記事などを参照。

*2http://www.meti.go.jp/press/2016/03/20170301003/20170301003.html

*3https://www.jpo.go.jp/seido/s_shouhyou/otoshouhyou-hatsutouroku.htm

*4:しかも、異動で審査官が変わるたびに教示する内容が変わったり、明らかに制度の本質にそぐわない教示をして、余計に出願人をイラつかせる、という現実

2017-09-25

[][]またしても“AI煽り”

最近、そうでなくてもこの手の記事が多くて辟易しているところに掲載された、またか、という感じの記事。

人工知能(AI)の利用が広がるにつれ、弁護士や弁理士など企業法務に関わる士(サムライ)業が「定型的な独占業務はAIに取って代わられかねない」と危機感を強めている。起業して新事業を始めたり、いち早くAIを取り入れたりするなど、業務の見直しに取り組む動きも出始めた。」

「法律系サムライ業の代表ともいえる弁護士といえども、AIの影響からは逃れられそうにない。米国では訴訟での証拠収集や不祥事調査でAIが使われ始め、弁護士がAIを補助者として利用する事務所も登場した。」(日本経済新聞2017年9月25日付朝刊・第13面)

先端技術志向の強い人々が夢を語ること自体は否定しないし、そういう夢を持つ人々を盛り上げるために、多少色を付けた報道があってもいい、と個人的には思っている。

だが、実際に試験導入され、目の前で動き始めた「AI」と、メディアで語られ、煽られる「未来の姿」との間には、あまりにギャップがあり過ぎて、昨今の論調には、80年代のSFよりも現実感がない。

そして、日々の足元の仕事に目を移せば、定型性のかけらもない有象無象の相談事とかトラブルに取り囲まれ、間断なきビジネスジャッジを求められるわけで、AIでも何でも、手を借りられるなら借りたいけど、とてもとても・・・という状況である。

もちろん、企業の中で仕事をする人にも、外で“サムライ”を演じている人々にも、柔軟性のない定型的なアウトプットの出力が生業となってしまっている人は少なからずいるから、“進化型AI”の完成を待つまでもなく、自動化・システム化の波に飲まれてしまう層は必ず出てくるだろう。

一方で、人の手に、あるいは人の頭に代わるツールが出て来て、それまでやって来たことが置き換えられるたびに、浮いた労力を注ぎ込んでさらにプラスの価値を生み出せるのが知的労働者の特権だから、“サムライ”という職業の中の人をひとくくりにして、同じ理屈を当てはめようとするのは賢い論理とは思えない*1

ツールを使いこなしてさらに高みに上る人もいれば、そうでない人もいる。

それだけのことなんだから騒ぐなよ(笑)っていうのが、いつも思うこと。

あと、これだけ通信手段が発展して、あらゆるドキュメントをデジタルで作成できるような時代になっても、いまだに「手書き」文化も、「手紙」文化も根強く残っているわけで、社会全体が時代の先端に追いつくまでには膨大な時間がかかる、という現実もある。

自分の周りの狭い世界だけ見回して妄想を膨らませている人を、近頃、同業者の中にも見かけるようになってしまったのは、いささか残念なことではあるのだが、今必要なのは、現実を素直に眺める目と、地に足の着いた議論。そして、いつの時代にも変わらない仕事の本質を日々自覚し、見つめ直すことではなかろうか。

メディアが「AI時代の到来」を表層的な視点で取り上げれば取り上げるほど、そう思えてしまうのである。

*1弁護士の場合、仕事の中身以前に、法廷で訴訟代理ができるのが「人間」だけで、いかに優れた人工知能が開発されても、それは“補助者”として活用できるに過ぎない、という極めて大きな“参入障壁”があるだけに、なおさら職業としての地位が盤石、というところはあるのだが、それを捨象してもなお、である。

2017-08-23

[][]企業内弁護士の「人材不足」問題

今週月曜の日経新聞の法務面に掲載された「インハウス(企業内)弁護士」に関する記事*1がじわじわと波紋を広げているようだ。

自分も記事の紹介から伝わってくる情報に断片的に接し、若干気がかりな記述はありそうだな、と思っていたのだが、改めて記事を読んでみた時に一番違和感を抱いたのは、やはり次のような論旨で問題が語られているところだろう。

「こうした需要増に、人材供給は追いついていないのが現状だ。」

(中略)

一因には、司法試験合格者数の減少がある。司法試験合格者が司法修習を終えた後の就職先をジュリナビが調べたところ、08年以降、法律事務所に所属するのは毎年1400〜1700人程度。これに対し司法試験合格者は14年から2千人を割り込み、16年は1583人に落ち込んだ。」(日本経済新聞2017年8月21日付朝刊・第13面、強調筆者)

おそらく、「司法試験合格者3000人」主義から未だに脱却できていない何者かが語ったコメントが下敷きになった分析なのだろうが、世の中は「事務所に就職できないから企業へ」というマインドで動いている修習生ばかりではないし、最近は多くの企業が修習前や修習初期から採用に食指を伸ばしているから、就職活動の順番も、事務所→企業、ということには必ずしもなっていない。

要は「有名企業のインハウスになれなかったからやむなく事務所に入った」という修習生も今では相応のボリュームになっているわけで、結果的に“余った人”が少ないからと言って、それを企業サイドから見た「人材不足」の理由、とするのは、いささか無理があるように思う*2

そもそも、合格者が2000人前後で推移していた時代が、企業の中からの視点で見て「人材が豊富」と言えるような状況だったわけでもない。

会社の顧問弁護士の経験はあっても会社の中で働いたことがない人、会社の中で少し働いたことはあっても「法務」という立場で働いたことのない人に、「企業の法務部門に求められる人物像」を説明して理解してもらうのは絶望的なくらいに骨が折れる作業だし、それゆえに、分かり合えていない層の人々からは、「就職に苦労している弁護士がこんなにたくさんいるのに、『人材不足』とは何事だ」という声も上がってしまうのであるが、長く会社の中にいる者として、おおざっぱに言わせていただくなら、

「法律知識」がいくらあってもそれだけでは仕事にならないし、法曹の世界では高い評価につながりやすい「法的思考力」とか「法的分析力」をいかに備えていたとしても、それが社内で仕事をする上での決定打となるわけではない。

というのが全ての出発点で、それを理解していただかないことには、永久に議論が噛み合うことはないだろう*3

それなりに歴史のある事業部門を抱える会社の中で、「法務」という部門はいわば鬼っ子のような存在なのであって、「一定の敬意は払われるが、その存在が常に尊重されるわけではない」というマインドで動いている組織は未だに多い・・・、というか、大手企業の法務部門の多くは、そういう立場に置かれている、と言っても過言ではない*4

そのような環境の下で求められるのは、

6割くらいは筋の悪い方向に押し切られて譲歩しても、残りの2割で「おっ」と思わせて踏みとどまらせ、最後の2割のところで『法務の立場でそうさせたい方向』に持っていけるスキル

に他ならないわけで、企業の中で「法務」担当者としての役割を全う譲るべきところは我慢する「忍耐力」、相手の関心を引き付ける「機転」とか「説得力」、そして、自ら描いたシナリオに沿って社内外の関係者を誘導する「演出力」「駆け引き力」&「決め切る(決めさせる)力」といった要素が、法曹としての一般的な能力以前に欠かせないのである*5

そして、今も昔も、「法曹」というカテゴリーの中にいる人々の中で、そのような資質をふんだんに発揮できている人(あるいは、将来そういう資質を発揮できるという潜在能力を感じさせる人)は、決して多いとは言えず*6、それゆえ、いくら弁護士の絶対数が増えても、求められている人物像に一致する弁護士はそう簡単には増えず、『人材不足』という印象だけが強く残ることになる*7

さらに言えば、社会人経験のない司法修習生であれば、同世代の社員と比べたスタートの遅れを取り戻せるだけの「柔軟性」が求められるし*8、事務所での職務経験がある弁護士ともなれば、それまでの仕事のやり方をガラッと変えられるだけの「可塑性」という条件がさらに課されることにもなる。

こうなると、司法試験の合格者が2000人になろうが、3000人になろうが、それよりもっと多くなろうが、採用する側から見たときの『人材不足』の認識は一向に解消されない、ということが、容易に想像できることだろう。

もちろん、今高い評価を受けている法務担当者だって、最初から要求される能力を全て備えていたわけではないはずだし、「法務」現役を自負する人々の中で、そういった能力を全て完璧に備えている、と胸を張れる者は決して多くはない(自分ももちろん胸を張って言えるわけではない)はず。

ただ、入社の時点で全てを兼ね備えていなくても、その先に成長カーブを描いて、理想とされる形に近付けるかどうか、という点に関しては、今の若い世代の有資格者から、そこまでの資質とか、それを補うだけのひたむきさ、といったものが感じられにくい傾向があるのも事実で*9、法曹資格を持たない同世代の叩き上げ若手法務担当者や、他の職種から転進してきた新卒生え抜き入社組と比較して大きく見劣りすることも、決して珍しいことではない。

データ上は既に社内弁護士の「頭打ち」感も指摘される中で、原因を「司法試験合格者数」に見出そうとした今回の記事の背景に、誰かのなにがしかの思惑が働いているのかどうか、自分は知る由もないのだが(笑)、司法制度改革からはや10年以上の歳月が流れ、「とにかく弁護士を取っておけば安心」という時代では既になくなっている(その意味で、法務の現場にいる者からすれば、当該記事時代がアウトデートな視点に立脚しているように見える)、ということは、最後に指摘しておかねばならないだろう。

これから「会社の中」を目指そうとする人たちにとっても、今様々な会社の中で「法務」という弱い部門の屋台骨を支えている人たちにとっても、この先の10年が不幸な時代にならないように。そして、採用する側もされる側も、ムードや「弁護士」という未だ根強く残るブランドに流されて、重大な選択を誤ることのないように・・・。

それだけである。

*1日本経済新聞2017年8月21日付朝刊・第13面。

*2:そもそも、「新卒」という立場で有資格者を採用する企業は決して主流ではない(統計を見たわけではないが、経験弁護士の中途採用で対応している会社の方が絶対数としては遥かに多いと思われる)ということにも留意が必要だろう。また、合格者数が絞られ、“美しいスペック”の司法修習生や経験弁護士の就職状況が比較的好転したことで、送られてくる履歴書の中に、大手企業が好むタイプのものが減った、という状況はあるのかもしれないが、「ハイスペックの履歴書の枚数の多さ」が、「人材の豊富さ」に直結しない、というのは後述の説明を読んでいただければ分かることだろう。

*3:その意味で、日経紙の21日付の記事の中で、あたかも「企業側」の発言であるかのように取り上げられているいくつかのコメントは、現実の感覚とはちょっとずれていて、それがなおさら誤解や批判を招く原因になっていることは否めないように思う。

*4:それでも「敬意」を払われるだけまだましで、一片の敬意も払われず、ルーティンワーク(例えば契約書のレビュー等)以外に役割を与えられていない、という法務部門だって、決して少数ではないはずである。

*5:特に最後の「決める力」「決めさせる力」は、中途半端に“企業法務”系の事務所にいた弁護士ほど失っているものではないかと思うわけで(クライアントに「後は決めてください」と投げることも多いから)、同じ「企業法務」だと思って会社の中に入ってきた弁護士の多くが戸惑うところでもあるのではないかと推察している。また、限られた情報だけで瞬時に判断する、といった対応も不得手にしている弁護士は多いが、会社内の法務担当者に「じっくり調べます」というような余裕が常に与えられるわけではない。

*6:経験弁護士でこういった資質を全て備えている人がいたら、間違いなく事務所の中でも、独立してもかなりの確率で成功できるだろうから、そもそも企業内弁護士の求職市場には流れてこないし、新卒の修習生にしても状況は似たようなものだろうと思っている。

*7:もし、ここ数年で変わったことがあるとしたら、最初は「とにかく数が欲しい」という思いで、来るものは拒まず、状態で有資格者を採用していた会社が、いろいろと苦い経験を経て、採用者のスペックを引き上げてきている(結果的に求めているような人材は『不足』している、という実感をより抱きやすくなる)といったことくらいだろう。

*8:だからといって、司法研修所で企業内での就職を意識したカリキュラムを組む必要はないし、そこまでやるようになってはいけない、と自分は思っているのではあるが。

*9:法曹という職業の人気が失われつつある時代に、法曹養成過程に足を踏み入れ、散々後ろ向きなノイズに晒されてきたせいなのだろうか・・・と同情せざるを得ない面もあるのだけど。

2017-08-11

[]つかの間の休みがくれたささやかなヒント〜債権法改正施行を見据えて

「8月11日=山の日」ということで、突如として何の根拠もない祝日がカレンダーに登場したのは去年のことだったか*1

今年は、土日と合わせて3連休、ということになったのは良いのだが、これまで夏季期間は比較的フレキシブルに休暇を取れる文化が定着しかけていたのに、今年に関しては、周囲を見回す限り、この3連休に絡めて有給を取得するのがデフォルトのようになってしまっていて、いつも空気を読まずに適当に休暇を入れる身としては、いささか肩身が狭い。

とはいえ、シーズンにかかわらず、日々の仕事に追われているうちに矢のように時が過ぎてしまう生活をしている中では*2、こういう突発的な休暇が強制的に入ってくることによってできることもそれなりにあるわけで、しばらく溜め込んでいた雑誌記事のスクラップも、珍しく少しは目を通すことができた。

そんな中、一番面白かった記事が、今年のNBL7月1日号に掲載されていた債権法改正に関する座談会である*3

何と言ってもこのメンバー、債権法改正の議論が本格的に始まった7〜8年前から、縁あって議論を追いかけてきた者としては、実に“しびれる”組み合わせである。

そして、参加者(特に現役の法務省メンバー)の立場上*4、ここで語られていることの多くは「民法(債権法)改正検討委員会」以来の議論、法案作成経緯の回顧にとどまっており、改正法の個別の中身に踏み込んだ解説が加えられているわけではないのだが、それでも節々に、今後の解釈の流れを決定づけるような“立法者意思”が垣間見える、というのが面白いところではある。

特に、興味深いのは、「定型約款」に関するくだりなので、今さらではあるが紹介しておくと、そもそも、「コンセンサスが形成できない論点は落としていく」という方針になっていたにもかかわらず、『定型約款』に関する規定が最後に残った理由については、

「やはりいまこの時期に民法(債権法)の大きな改正をするにあたって、今日の取引社会で広く活用されている『約款』に関する規定が全くない状態のままにするというのでは、私にはあまりにも重要なものが抜け落ちた改正になってしまうのではないかという意識がありました。」(12頁、強調筆者、以下同じ。)

と、筒井氏が当時の法務省事務方の空気感をストレートに表現しているし*5、村松氏は、これに先立つ発言の中で、

「調整が他方面との関係で一番難航した論点は何かといえば、やはり『定型約款』であったと思います。(略)そして、そのような多方面からの要請を何とか調整していこうとしたため、部会での審議の過程で、提案されている規律の内容が大きく変わっていったわけですが、賛成されていた方々だけでなく、反対されていた方々の皆さんのご協力を得て、最終的に合意を形成することができる案にたどり着けたわけで、いま考えましても、ありがたいことであったと感じています。」(11頁)

と、この規定自体が、「多方面(ここで挙げられているのは経済界、弁護士会・消費者団体、内閣法制局)との調整」を経てできあがった“妥協の産物”であることを示唆している。

そして、その「妥協」の中身に関しては、筒井氏が、以下のとおり、簡潔だが明瞭に語っておられる。

「中間試案までの議論の中で、消費者保護という観点を前面に出して約款の内容規制を行う政策的な規定を設けるというのでは、合意形成がきわめて難しいだろうと考えました。このため、中間試案の段階から、そういった消費者保護という観点を前面に出すのではなくて、今日の取引社会の安定に資するような基本的なルールを定めるといったラインで、中間試案の取りまとめを行ったものと記憶しています。」

「その後も、経済界からの懸念は依然として大変強かったと思いますが、取引社会にとって役に立つ、経済界にとっても役に立つ改正にということで、議論をしてきました。その中では、約款の組入れや、約款の変更などに関する規定を設けることに関しては、経済界の内部でも異なる意見があって、成案を得るということが最終段階まできわめて難しかった。」

「そういった調整の成果として、最終的に『約款』に関する規定が残ることとなり、それについては消費者サイドの方々からも、こういった基本的なルールの枠組みが用意されることは、消費者保護の今後の進展という観点からも大いに意義があると評価をしていただいて、全体として賛成が得られたという経緯だったと思います。」(以上12頁)

最後の「消費者サイド」からの見方については、内田名誉教授があえて「協力」の大きさを強調し、

「消費者サイドから法制審に加わっている委員が、ここで民法を改正することが、長い目で見て消費者法、特に消費者契約法の将来の改正にどのような意味があるかという大きな政策的な視点に立って改正の方向を支持してくれたということは、非常に大きかったという印象を持っています。」(13頁)

とコメントしているのが少々気になるところだし*6、現に内閣府消費者委員会において進められている消費者契約法改正の議論の中でも、「約款の事前開示」という論点を、民法の改正後の規定と絡めて取り上げる提案(「消費者契約法において、事業者は、合理的な方法で、消費者が、契約締結前に、契約条項(新民法 548 条の2以下の『定型約款』を含む)を予め認識できるよう努めなければならない(努めるものとする)。」)が早々と登場している(今回は専門調査会内でコンセンサスが得られなかったようで、「消費者に対する契約条項の開示の実態を更に把握することなどを経た上で、今後の課題として、必要に応じ検討を行うべきである。」と結論先送りになっているが・・・)*7

とはいえ、今回の『定型約款』に関する規定が、上記のような壮大な“妥協”の産物である以上、そこに、巷のメディア等で軽々しく語られるような「消費者保護」的な意味合いを過度に込めて解釈するのは、やはり不適切な解釈姿勢というほかない。

前記座談会記事の中でも、最後の章で、「今後の課題」として、

「巷間いろいろな媒体で改正の内容についての解説が出ていますが、必ずしも立法の趣旨を正確に捉えていないものもあり、そういった情報をもとに実務界では、やや過剰な対応をしようとしているところも見受けられなくはないように思います。ですから、なるべく早くオフィシャルな解説が出て、立法趣旨が正しく伝わるような形で広報活動をしていただければという期待を申し上げたいと思います。」(15頁・内田発言)

「これまでの民事立法でもそうですが、法律ができると、突然、改正法の『解説』をする書物が続々出てきてしまう。それによって誤解が生まれたり偏見が拡大したりということもあるので、ぜひ立案担当者による解説を早急に出していただきたいと思います。(略)決定版を1個つくろうとするために時間をかけるよりは、、多分読者対象もさまざまに広がりますから、何通りかのものをつくっていただいて、さらにそれをめぐって学界、実務界がしっかり地に足の着いた議論を展開していくことを期待したいと思っています。」(16〜17頁・鎌田発言)

「確かに改正の内容について、『ものすごく大きく変わるぞ、だから契約書などを大きく変えなければいけない』などと不安をあおるというのは、商売のタネをつくるみたいなところもあるのかもしれませんが、ちょっと過剰な反応もなくはないように思います。その辺、正確な立法趣旨の周知徹底をぜひお願いしたいと思います。」(17頁・内田発言)

と、今世に出ている解説への批判が出るわ出るわ・・・*8

「公式解説」の出版元となることが予想される会社が出している雑誌に掲載された座談会だけに、多少は前宣的な要素があることも否めないが(笑)、議論と調整に長い時間を費やした分、それに値するような安定的な法解釈が早期に確立されてほしい、というのは、当時かかわった全ての人々に共通する思いであるはず。

そして、一実務家としては、慌てず騒がず、だが着実にやるべきことをやって、という姿勢こそが、今求められていることなのだと、改めて感じた次第である。

*1:ゆえに、残念ながら自分が愛用している「5年ダイアリー」には、この日が休日として記載されていない。

*2:そして、まとまった休暇を取ったらとったで、生き急ぐように世界中をほっつき回っている状況の中では・・・

*3:鎌田薫=内田貴[司会]=筒井健夫=村松秀樹「民法(債権法)改正案が成立して」NBL1101号4頁(2017年)

*4:検討が始まったときに民事局参事官だった筒井氏は今や法務省の大臣官房審議官だし、村松氏も現職が民事局参事官という立場だけに、法案が成立したからといって、公式解説を出す前に法案の中身に立ち入ったコメントを軽々しくすることはできない、という事情はあると思われる。

*5:この後に「私が単にそう思っていただけではなく、規定を設けることへの懸念を表明されていた方も含めて、議論に参加された皆さんの間で、広く共有されていたのではないかという気がしております。」(12頁)とまで続けているのは、さすがにおいおい、と突っ込みを入れたくもなるが。

*6:もっとも、このコメント自体は、『定型約款』の規定についてのみ向けられたものではない。

*7:「消費者契約法専門調査会報告書」平成29年8月消費者委員会消費者契約法専門調査会・16頁参照。

*8:ここで発言者の念頭に置かれているのは、おそらく「債務不履行」周りの学者、実務家の解説の方ではないかと思うが、個人的にはそれに限らず、だと思っている。

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