企業法務戦士の雑感 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2018-06-23

[][] 決断しないことがもたらす危機。

今年に入って、大規模な海賊版サイトの摘発があったことを契機に、悪質なサイトへの「サイトブロッキング」をめぐる議論が一気に盛り上がっている。

遂に、政府知的財産戦略本部にタスクフォースを立ち上げ、法制化に向けた議論を開始するようなのだが・・・。

「漫画などの海賊版を無断掲載するサイトがインターネット上で横行している問題で、政府知的財産戦略本部(本部長・安倍晋三首相)の有識者会議が22日、法規制の検討に着手した。海外ではサイトへの接続を遮断(ブロッキング)する法律やルールがあるが、日本にはない。著作権侵害を防ぐための対策作りでは一致したが、ブロッキングに向けた法整備については出席者から慎重な意見も出た。」(日本経済新聞2018年6月23日付朝刊・第7面)

座長には、中村伊知哉教授、村井純教授というビッグネームを並べ、「知的財産戦略本部 検証・評価・企画委員会 インターネット上の海賊版対策に関する検討会議(タスクフォース)」という長いタイトルの会議体を作って気合いを見せているものの、著作権法の専門家から、憲法学者、民事訴訟法学者、そしてプロバイダー業界の利益代表から消費者団体の関係者まで、20名もの委員でテーブルを囲んでどこまで建設的な議論ができるのか・・・*1

そう簡単に話がまとまるとは思えない。


自分は、そもそもの話として、「悪質な海賊版サイト」への対策を議論する際に、「表現の自由」という憲法上極めて高度な価値を有する人権を反射的に論点として掲げるのはあまりにナイーブに過ぎると思っているし、そういう戦術を取ることが、かえって人権の価値を貶めるリスクにも目を向けるべきではないかと思っている。

世界中のどこを見回しても、「第三者が創作した著作物のデッドコピーを営利目的で公表する自由」とか「そこにアクセスする自由」を享受することが、オリジナルの著作物を創作した者の利益に常に優越する、とカテゴリカルに認めるような国は存在しない。

もちろん、サイトブロッキングという手法や、ブロッキングの対象となる範囲、判断基準といったテクニカルな話については、当然議論もあるところだが、多くの国では、「表現の自由」や「通信の秘密」といった原理原則を超えて悪質サイトへの直接的なアクセス制限を許容している、という実態もある。

現在、サイトブロッキングに反対の声を上げている業界や実務家の中には、「法律」で決まるならそれに従う、というスタンスの方もそれなりにいるのだろう。

だが、憲法上の価値の侵害を恐れる人々が、国家の権力作用である「立法」にアクセス可否の判断を委ねる、というのは本来おかしな話なわけで、特に、日本のように条文の一言一句に過度に律儀で、解釈によって危ない橋を渡ることに極めて慎重な文化が染みついている国で、「法律」によってサイトブロッキングという手法を導入することには、個人的にかなりの不安を抱いている。

著作権侵害」という概念の曖昧さゆえに、本来規制対象とすべきではない風刺の利いたパロディサイト等にまでサイトブロッキングの魔の手が及ぶリスクはないのか、条文をこねくり回すだけでそういった過剰規制を防ぐことができるのか等々、考えれば考えるほど悩ましい。

本来であれば、こういった「悪質な海賊版サイト」への対応は、プロバイダー業者の自主的な措置に委ねる方が、理に叶った落ち着きどころを見つけられるはず。また、プロバイダー業者と海賊版サイト運営者、ユーザーとの関係は、あくまで私人間の関係に過ぎないから、憲法上の人権条項が直接適用されるリスクも極めて低い*2

それにもかかわらず、なぜプロバイダー事業者は、一部の会社を除いて自らアクセス遮断の是非を判断せずにいるのか?

この種の議論が出るたびに、プロバイダー事業者サイドから繰り返される単調な主張を眺めていると、自らが当事者となって権利者と、違法サイト運営者、一般ユーザーとの調整を行う面倒くささを回避するための方便として、憲法解釈論の衣をかぶった“建前論”を並べているだけではないか、とうがった見方をしてみたくもなるわけで・・・。

何も権利者の言いなりになる必要はない。政府が「緊急対策」を打ちだしたからといってそれに唯々諾々と従う必要もない。

真に表現の価値を重んじるのであれば、憲法上の人権保障という観点も踏まえてもなお、看過できないほど創作者の利益が害されている場合に限ってアクセスを遮断する、という客観的な利益衡量に基づく(常識にかなった)判断をすることがプロバイダーに求められる役割であり、それを自ら行ってこそ、通信事業者としての独立性も担保される。

そのような所為を回避して、事実上国家に判断を丸投げするのは、自分で自分の首を絞める行為に他ならないと思うのであるが・・・。

これからの議論がどう転ぶにしても、今直面している問題が、これまでプロ責法に守られ、自らリスクを負うことを極力回避してきたプロバイダーのあり方を考え直すきっかけになることは避けられないし、そうなってこそ議論する意味がある、自分はそう信じている。

*1:構成員についてはhttps://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/tyousakai/kensho_hyoka_kikaku/2018/kaizoku/dai1/siryou1-1.pdf参照。

*2電気通信事業法上の規定に関しては、若干の改正が必要になってくる可能性もあるが、既存の規制の例外を作るだけだから、一からルールを設けようとするよりは負担も少ない。

2018-06-14

[]自ら堀った墓穴〜Airbnb大量キャンセル問題をめぐって

民泊新法の施行が目前に迫る中、今月に入ってから民泊をめぐるニュースが俄然躍り出すようになった。

「一般住宅に旅行者を有料で泊める民泊の仲介世界最大手、米エアビーアンドビーが許認可などがない日本国内の施設の掲載をやめたことが4日、分かった。エアビーのサイトで現在検索できる施設は約1万3800件と今春時点から8割弱減った。15日の住宅宿泊事業法(民泊新法)の施行で求められる対策を前倒ししたとみられる。違法営業の恐れがある施設が減り、民泊市場が適正化される一歩になりそうだ。」(日本経済新聞2018年6月4日付)

「民泊を解禁する住宅宿泊事業法(民泊新法)の施行まで8日であと1週間。自治体が独自の規制を導入することなどを背景に、解禁後に違法になる物件が大量にあることが分かってきた。仲介最大手の米エアビーアンドビーは7日、解禁後にこうした物件に泊まる予定だった人の予約を取り消し、宿泊代金を返金するなどの措置をとると発表した。」(日本経済新聞2018年6月8日付朝刊・第3面)

「民泊仲介世界最大手の米エアビーアンドビーが、許認可などがない国内の民泊施設で15日以降の予約を取り消した影響が広がっている。訪日客や家主は突然のキャンセルに戸惑う。観光庁がエアビーに聞き取ったところ、6月15日以降の予約は30日までで4万件、年末までで15万件。全てが取り消されるわけではないが月内だけでも3万件超の解約の恐れがある。」(日本経済新聞2018年6月9日付朝刊・第7面)

一連の議論の中で「違法」とされてしまった物件の掲載中止に始まり、観光庁の一方的な通知で予約のキャンセルにまで至り、もはや完全に混乱の域に達している“民泊”業界。

そして、こういった経緯を踏まえ、Airbnbの公共政策責任者のコメントも配信されている。

観光庁の求めに応じた今回のキャンセル措置について「悪影響を懸念しており心苦しい」とした上で、観光庁の判断を「理解しがたい」とも述べた。さらに「全てのゲストにできる限りの支援をしたい」と表明した。」(日本経済新聞2018年6月13日付・第17面)

国交省観光庁サイドは、8日時点での登録件数が3000件に達した、というアピールもしているが、そんなものは焼け石に水に過ぎない。

これまで「優良物件」として人気を博していた物件のオーナーが、国の規制&それに輪をかけて締め付けてくる自治体の規制に値を上げて“廃業”した、というニュースもチラホラ報じられているし、仮に明日以降、多少登録物件が増えたとしても、「大量キャンセル」が発生したという事実は、もう取り消すことはできないのである。

このブログで以前から繰り返し言ってきたように、「民泊」が観光業界、旅館・ホテル業界に与えるインパクトは、実のところそんなに大きなものではない。

Airbnbに「1万件以上の物件」が掲載されていたといっても、部屋数にしてみれば、その1万件+αのレベルに過ぎないわけだし、そもそも高級ホテルに泊まって日本にお金を落としてくれるビジターの層と、「民泊」を活用するビジターの層は大きく異なるから、実のところ、メジャーなホテル・旅館の業界を民泊が食い荒らすような関係には到底なっていなかった。

だが、「日本政府の方針で予定していた旅行が台無しになった」という風評は、「民泊」を使うことを予定していた人だけでなく、「単に日本に旅行に行こうとしていた人」にも確実に伝播するわけで、そういうミソの付いた国に積極的に行きたがる者は皆無といってよいだろう。

だから、観光庁がアホな運用をすればするほど、“観光立国”の看板が壊れていく、というジレンマに陥っていくことは避けられない・・・。

ということで、今は「被害者」*1としてAirbnbが取り上げられる機会も多くなってきているのだが、このような帰結に至る原因を作ったのは、「民泊を正面から認めよ」とばかりにロビイングを繰り返した彼ら自身、ということもあって、何とも空しい気持ちになる。

おそらく、このまま行けば日本国内の「民泊」はいずれ終焉を迎えることになろだろう。

新法下で、手続を済ませた“プロ”のオーナーがどれだけ部屋を貸し出したとしても、水面下のネットワークで裾野を広げてきたあの日々は戻らないわけで、元々のこのビジネスの理想からはどんどん遠くなる。

時が経つとともにこの問題がどう解決されていくのか、という点については自分も予測できるところではないが、少なくとも今はこの件を「ロビイング」の大失敗例と位置づけるのが、妥当ではないかと思うのである。

*1:もちろん、本当の被害者は楽しみにしていた日本滞在が強制的にキャンセルされてしまったAirbnbユーザーだし、良識的な対応を続けてきた「無許可民泊」のオーナーに他ならないのだけれど・・・。

2018-06-08

[][]「非正規格差」訴訟がもたらす日本の雇用の未来

ここ数年、人事労務業界に大きな話題を振りまいてきた「非正規格差」訴訟で、先週、遂に最高裁が労働契約法20条に関する解釈、判断を示した。

「正社員と非正規社員の待遇格差を巡る2件の訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(山本庸幸裁判長)は1日、定年退職後の再雇用などで待遇に差が出ること自体は不合理ではないと判断した。その上で各賃金項目の趣旨を個別に検討し、両訴訟で一部手当の不支給は「不合理で違法」として損害賠償を命じた。労働契約法20条は正社員と非正規社員の不合理な待遇格差を禁じており、同条の解釈を巡る最高裁の判断は初めて。」(日本経済新聞2018年6月2日付朝刊・第1面)

当時の世相を反映して、労働契約法に以下の条文が追加されたのは、平成25年のこと。

(期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止)

第二十条 有期労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件が、期間の定めがあることにより同一の使用者と期間の定めのない労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件と相違する場合においては、当該労働条件の相違は、労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下この条において「職務の内容」という。)、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるものであってはならない。(強調筆者、以下同じ)

あれから約5年、この日の2判決は、様々な解釈が飛び交った労働契約法第20条をめぐる攻防の一つの到達点、ということになる。

日経紙をはじめ、各メディアでも最高裁判決の要旨を取りあげて、かなり詳細にこの2判決を取りあげている。

とはいえ、やはり、若干ミスリードのように思える紹介のされ方をされている箇所も散見されるので、備忘も兼ねて残しておくことにしたい。

最二小判平成30年6月1日(H28(受)第2099号、第2100号)*1

労契法20条訴訟の「代名詞」としてここ数年労働判例雑誌の話題を独占し、今後も「リーディングケース」と位置付けられるのは間違いないのが、このハマキョウレックスの事件である。

原告側の請求は、無事故手当,作業手当,給食手当,住宅手当,皆勤手当,通勤手当,家族手当といった手当の格差のみならず、賞与,定期昇給及び退職金にまで及び、救済手段も、主位的請求として「本件賃金等に関し,正社員と同一の権利を有する地位にあることの確認」(地位確認請求)+差額賃金請求、予備的請求として差額に相当する損害の賠償請求、とフルコースで立てている、いわば「労働契約法第20条でどこまでできるか?」を試すような事例であった。

最高裁は、高裁判決と同様に、地位確認請求と差額賃金請求については、

「労働契約法20条が有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違は「不合理と認められるものであってはならない」と規定していることや,その趣旨が有期契約労働者の公正な処遇を図ることにあること等に照らせば,同条の規定は私法上の効力を有するものと解するのが相当であり,有期労働契約のうち同条に違反する労働条件の相違を設ける部分は無効となるものと解される。もっとも,同条は,有期契約労働者について無期契約労働者との職務の内容等の違いに応じた均衡のとれた処遇を求める規定であり,文言上も,両者の労働条件の相違が同条に違反する場合に,当該有期契約労働者の労働条件が比較の対象である無期契約労働者の労働条件と同一のものとなる旨を定めていない。そうすると,有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が同条に違反する場合であっても,同条の効力により当該有期契約労働者の労働条件が比較の対象である無期契約労働者の労働条件と同一のものとなるものではないと解するのが相当である。」(5〜6頁)

と、いずれも退けており、この点に関しては、厚生労働省が法改正時に示唆したエキセントリックな解釈論*2を最高裁が改めて明確に否定した、というくらいの意義しかない*3

一方、損害賠償請求に関しては、いろいろと興味深い論旨が散見される。

まず、労働契約法20条の立法趣旨を、

「同条は,有期契約労働者については,無期労働契約を締結している労働者(以下「無期契約労働者」という。)と比較して合理的な労働条件の決定が行われにくく,両者の労働条件の格差が問題となっていたこと等を踏まえ,有期契約労働者の公正な処遇を図るため,その労働条件につき,期間の定めがあることにより不合理なものとすることを禁止したものである。そして,同条は,有期契約労働者と無期契約労働者との間で労働条件に相違があり得ることを前提に,職務の内容,当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情(以下「職務の内容等」という。)を考慮して,その相違が不合理と認められるものであってはならないとするものであり,職務の内容等の違いに応じた均衡のとれた処遇を求める規定であると解される。」(5頁)

とし、「有期契約労働者と無期契約労働者との間で労働条件に相違があり得ることを前提に」というフレーズを盛り込んだこと、そして、これを受けて、

「労働契約法20条は,有期契約労働者と無期契約労働者の労働条件が期間の定めがあることにより相違していることを前提としているから,両者の労働条件が相違しているというだけで同条を適用することはできない。一方,期間の定めがあることと労働条件が相違していることとの関連性の程度は,労働条件の相違が不合理と認められるものに当たるか否かの判断に当たって考慮すれば足りるものということができる。」(6頁)

と述べていること。

この太字部分は本件でも別事件でも繰り返し強調されており、特に別事件の方では結論にかなり大きなインパクトを与えているだけに、当たり前のことのようで、ここで明記された意義は大きいといえるだろう。

そして、最高裁は、続けて、これまで争われてきた労働契約法20条の各要件について以下のような解釈を示している。

「同条にいう「期間の定めがあることにより」とは,有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が期間の定めの有無に関連して生じたものであることをいうものと解するのが相当である。」

「同条にいう「不合理と認められるもの」とは,有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理であると評価することができるものであることをいうと解するのが相当である。」(以上7頁)

初めての判断ということを意識したからなのか、個人的にはやや日本語を丁寧に書きすぎている、という印象があるし、「期間の定めがあることにより」については、あてはめ*4がかなり拍子抜けの印象だが、その後に述べられた不合理性の立証責任に関する説示*5と合わせて、今後、繰り返し引用されることになるのは間違いない。

キモとなる不合理性の判断については、「皆勤手当」に関する部分*6を除いて原審の判断を追認する形となっており、最高裁が認容した、ということ以上のインパクトはないのだが、本件の第一審判決で原告の請求がことごとく退けられていたことを考えると、使用者側にとって衝撃の結果となったことは確かだと思う。

最二小判平成30年6月1日(H29(受)第442号)*7

実務的なインパクトがより大きくなりそうなのが、こちらの長澤運輸の事件の方で、政策的に積極的な高年齢者継続雇用の慫慂が求められている中で、最高裁がどのような落としどころを示すか、ということが関係者の最大の関心事であった。

結論としては、一部の正社員に限った手当について「不合理」とされたものの、「違い」を認めた高裁判断の根底は揺らいでいないから、企業側の人事担当者の多くはホッと胸をなでおろしたところだろうが、メディアが強調するほど「格差」が全面的に肯定されているわけでもなく、それだけに受け止め方はより難しい。

以下、少し長くなるが、判決のキモの部分を引用しておく。

「被上告人における嘱託乗務員及び正社員は,その業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度に違いはなく,業務の都合により配置転換等を命じられることがある点でも違いはないから,両者は,職務の内容並びに当該職務の内容及び配置の変更の範囲(以下,併せて「職務内容及び変更範囲」という。)において相違はないということができる。しかしながら,労働者の賃金に関する労働条件は,労働者の職務内容及び変更範囲により一義的に定まるものではなく,使用者は,雇用及び人事に関する経営判断の観点から,労働者の職務内容及び変更範囲にとどまらない様々な事情を考慮して,労働者の賃金に関する労働条件を検討するものということができる。また,労働者の賃金に関する労働条件の在り方については,基本的には,団体交渉等による労使自治に委ねられるべき部分が大きいということもできる。そして,労働契約法20条は,有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理と認められるものであるか否かを判断する際に考慮する事情として,「その他の事情」を挙げているところ,その内容を職務内容及び変更範囲に関連する事情に限定すべき理由は見当たらない。したがって,有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理と認められるものであるか否かを判断する際に考慮されることとなる事情は,労働者の職務内容及び変更範囲並びにこれらに関連する事情に限定されるものではないというべきである。」(9頁)

「被上告人における嘱託乗務員は,被上告人を定年退職した後に,有期労働契約により再雇用された者である。定年制は,使用者が,その雇用する労働者の長期雇用や年功的処遇を前提としながら,人事の刷新等により組織運営の適正化を図るとともに,賃金コストを一定限度に抑制するための制度ということができるところ,定年制の下における無期契約労働者の賃金体系は,当該労働者を定年退職するまで長期間雇用することを前提に定められたものであることが少なくないと解される。これに対し,使用者が定年退職者を有期労働契約により再雇用する場合,当該者を長期間雇用することは通常予定されていない。また,定年退職後に再雇用される有期契約労働者は,定年退職するまでの間,無期契約労働者として賃金の支給を受けてきた者であり,一定の要件を満たせば老齢厚生年金の支給を受けることも予定されている。そして,このような事情は,定年退職後に再雇用される有期契約労働者の賃金体系の在り方を検討するに当たって,その基礎になるものであるということができる。そうすると,有期契約労働者が定年退職後に再雇用された者であることは,当該有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理と認められるものであるか否かの判断において,労働契約法20条にいう「その他の事情」として考慮されることとなる事情に当たると解するのが相当である。」(10頁)

以上のような論旨により、「正社員」と「定年後に再雇用された者」との間に労働条件の一定の違いが生じ得ることを前提に、賃金項目の趣旨を個別に考慮した結果、最高裁は「精勤手当」とそれをベースにした「超勤手当(時間外手当)」の部分についてのみ、新たに不合理性を認めた。

結果的に使用者側の持ち出しが増える形になっているものの、異なる2つの賃金体系を精緻に分析した上で、基本的な部分では両者の“併存”を認めた、というのが結論だから、筆者としてはそんなに大きな違和感はない。

判決でも認定されているように、業務の内容も責任も、再雇用前と全く同じであるにもかかわらず、賃金だけが引き下げられるのはおかしい、という感情論が消えることはしばらくないのだろうが、そこだけを強調してしまうと、「継続雇用する時は賃金に相応しい単純労働しか与えない」という運用にもなりかねないわけで、そうなると「賃金が下がっても良いから、これまでと同じ仕事をしたい」というニーズには全く添えない、ということにもなってしまう*8

両判決が今後の雇用に与えるインパクトについて

さて、この2つの最高裁判決が出たことで、今後どうなるか、ということだが、両判決の論旨に沿って労働契約法20条が威力を発揮することが労働側の人々が主張するような「非正規労働者の待遇向上」につながるか、といえば、個人的には大いに疑問がある。

例えば、既に一部の企業の動きとして報じられているように、「手当」格差の問題は、これまで慣例的に付されていた「正社員の(無駄な)手当」を削減する、という方向で解決が図られており、労働契約法20条に基づく損害賠償請求は、一時的な救済にはつながっても、非正規労働者の労働条件を押し上げる方向には必ずしも機能しない。

もちろん、これだけ労働現場で「人手不足」が叫ばれている中、労働条件を引き上げないことにはそもそも人を揃えられない、という現実があるし、現に短期的な基本給ベースで見れば、同世代の正社員の賃金よりも、有期雇用社員の賃金の方が上回っている、という業種も最近では決して稀ではなくなっているから、結果的に、“派遣切り”の時代に問題視されていた状況はかなり改善されてきているのだが*9、パッチワーク的な労働政策が乱発された結果、割を食っている正社員中間層もいることは忘れてほしくないところ。

個人的には、いずれもう少し時が経てば、「正規」と「非正規」の雇用市場におけるポジションが逆転する可能性は高いと思っているし*10、その方が世の中の進歩にもつながると思っているのだけど、そこにたどり着くまでの苦しみを誰が(どの世代が)味わうか、ということは、常に心に留めておきたいと思っているところである。

*1:第二小法廷・山本庸幸裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/784/087784_hanrei.pdf

*2:無効とされた労働条件の部分について、「基本的には」無期契約労働者と同じ労働条件が認められる、という類の見解(http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/keiyaku/kaisei/dl/pamphlet07.pdf)。

*3:労働契約といっても契約であることに変わりはない以上、勝手に補充的効力で条件設定がされてしまうような解釈はなるべく慎むべき、というのが自分の考えである。

*4:「本件諸手当に係る労働条件の相違は,契約社員と正社員とでそれぞれ異なる就業規則が適用されることにより生じているものであることに鑑みれば,当該相違は期間の定めの有無に関連して生じたものであるということができる。したがって,契約社員と正社員の本件諸手当に係る労働条件は,同条にいう期間の定めがあることにより相違している場合に当たるということができる。」というくだり。

*5:「両者の労働条件の相違が不合理であるか否かの判断は規範的評価を伴うものであるから,当該相違が不合理であるとの評価を基礎付ける事実については当該相違が同条に違反することを主張する者が,当該相違が不合理であるとの評価を妨げる事実については当該相違が同条に違反することを争う者が,それぞれ主張立証責任を負うものと解される。」(7〜8頁)

*6:ここは、そもそも「手当」の位置づけに関する評価の違いに起因する判断変更だと思われ、金額(月1万円)的なインパクトは決して小さくないが、最高裁判決で示された事実に基づく限り「不合理」という評価も至極妥当なものと思われる。

*7:第二小法廷・山本庸幸裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/785/087785_hanrei.pdf

*8:もちろん、「これまでと同じ賃金でこれまでと同じ仕事ができる」なら、それにこしたことはないのだが、どんな会社でもかけられる人件費には限界がある以上、上に手厚くすれば必ず若年層にしわ寄せが及ぶ。それを度外視して高年齢雇用者の保護だけを叫ぶのは、バランスを失した議論だと思う。

*9:そして「人手不足」が、今後10年〜20年改善される余地のない問題であることを考えると、この傾向が進むことはあっても逆戻りすることは考え難いのが今の日本の状況である。

*10:不安定な会社で満足の行くキャリアも形成できないまま低待遇にあえぐ「正規」社員と、若いうちから好労働条件の職場を渡り歩いて一財を築く「非正規」社員・・・。

2018-05-29

[][]「デザイン経営」という言葉の空虚さ。

今月半ばに日経新聞が「店舗デザインも保護 意匠権で特許庁方針」という見出しの記事*1を飛ばして以来、「有識者研究会」って何だ?一体何が起きるのか?と戦々恐々で眺めていたのだが、24日になって、それらしき報告書が経済産業省のホームページにアップされた。

産業競争力とデザインを考える研究会-報告書

http://www.meti.go.jp/report/whitepaper/data/20180523001.html

これなら見たことがある。

ちょうど一年前、以下のような記事が日経新聞に載った。

「経済産業省はデザインで産業競争力を高める総合対策を打ち出す。デザイン振興を進める国家戦略を制定するほか、ブランドの象徴となるデザインを一括で保護するような意匠法の改正などを検討する。米アップルや英ダイソンなど、デザインで製品の魅力を高める企業が日本には少ないとみて、日本企業のブランド向上を後押しする。」

「5日に「産業競争力とデザインを考える研究会」の初会合を開く。2018年3月までに具体策を盛り込んだ報告書をまとめ、戦略制定や19年の法改正を視野に入れる。」(日本経済新聞2017年7月5日付朝刊・第5面、強調筆者、以下同じ。)

2018年3月、という時期は少しずれたようだが、これと対になるような記事も、5月22日の日経電子版に載っている。

「特許庁は21日、庁内の有識者研究会で、デザインを生かした経営の推進に向けた報告書をまとめた。米アップルや英ダイソンなど、海外勢による「デザイン重視」の製品開発が技術革新や企業競争力の向上につながっていると指摘。日本企業に対してもデザインに関する知見が豊富な人材を積極登用するなど、経営層の意識変革を求めた。」

同庁は報告書で意匠法改正についても提起した。2019年通常国会にも同法改正案を提出し、製品を売るためのデザイン性に優れた店舗の外観や内装についても保護対象に加える方針だ。従来はクルマや家電など主に製品のデザインを意匠権として保護していた。」(https://www.nikkei.com/article/DGKKZO30763090R20C18A5EE8000/

「経営層の意識変革」どうこう、といった話はまぁどうでもよい。

概要ペーパー(http://www.meti.go.jp/report/whitepaper/data/pdf/20180523001_04.pdf)等、今回リリースされた資料には、

「デザインは、企業が大切にしている価値や、それを実現しようとする意志を表現する営みであり、他の企業では代替できないと顧客が思うブランド価値とイノベーションを実現する力になる。このようなデザインを活用した経営手法を「デザイン経営」と呼び、

それを推進することが研究会からの提言である。」

というフレーズが繰り返し出てくるが、これまでの「ブランド経営」的な発想の焼き直しに過ぎないし、比較対象となっている海外企業には、デザイン以前に機能だったり、売るためのビジネスモデルで負けている、という現実に目を背けるものでしかない。

別冊として添付されている「デザイン経営」の先行事例にしても(http://www.meti.go.jp/report/whitepaper/data/pdf/20180523001_03.pdf)、読み物としては面白いが、それ以上でもそれ以下でもない。

製品の優れたデザインが、市場に大きなインパクトをもたらした例が多々あることは否定しないが、長年ビジネスの世界に身を置いている人間には、それが必ずしも「事業戦略の最上流からデザインが関与」した結果ではない、ということも身に染みて分かるわけで*2、ビジネス、経営の素人である特許庁の事務局がいくら拳を振り回したところで、心に響く答えは生まれない。

何よりも自分が一番違和感を抱いているのが、「デザイン経営」というフレーズの合間合間に出てくる「意匠法の改正」という、実にチープな政策提言である。

数年前、産業界の反対を押し切って、画面デザインの意匠権での保護を正面から認める方向に舵を切った。国際出願のポータルになれるようにするための手続きも整えた。それでも、ここ数年、全く意匠出願件数は横ばいで*3、メーカーの国際競争力が回復した、という話も聞かない。元々、やろうと思えば、不正競争防止法でも、著作権でも、立体商標制度でもデザインを守れるこの国で、意匠権の存在意義は今やほとんど消滅しているのだが、それだと意匠課が困るから・・・ということなのか、再び、「意匠法」という化石を持ち出してくる特許庁の面の皮の厚さは、発表資料のデザインをいかにおしゃれにしたところで、隠しきれるものではないように思う。

「産業競争⼒の強化に資する今後の意匠制度の在り⽅」(http://www.meti.go.jp/report/whitepaper/data/pdf/20180523001_02.pdf)という資料に記された意匠法改正の“野望”は極めて多岐にわたる。

「例えば、画像デザイン等、新技術の特性を活かした新たな製品やサービスのために創作されたデザインを適切に保護できるよう、意匠法における意匠の定義を⾒直すなど、意匠法の保護対象について検討を進めるべきではないか。」(2頁左)

「⼀部の空間デザイン(筆者注:ここに建築物の内外装も含まれるようである)を適切に保護できるよう、意匠法の保護対象の範囲について検討を進めるべきではないか。」(2頁右)

「⼀貫したデザインコンセプトによって創作された後発のデザインについて、最初に出願されたデザインが公開された後であっても意匠登録をすることができるよう、諸外国に先駆けて検討を⾏ってはどうか。」(3頁左)

「デザインによるブランド形成、及びブランドの維持に資するよう、意匠権の存続期間について検討を⾏うべきではないか。」(3頁右)

⼀つの出願に複数の意匠を含むことができるよう、組物の意匠の規定との調整をはかりつつ検討を⾏うべきではないか。」(4頁)

「願書の「意匠に係る物品」の欄の記載の要件について、検討を⾏うべきではないか。」(6頁左)

「国際意匠登録制度や外国の意匠登録制度との調和を意識しつつ、図⾯要件の緩和について、部分意匠の取り扱いも含めて検討を進めるべきではないか。」(6頁右)

この中でありがたい改正があるとしたら、6面図提出原則の見直しくらいか。他の「提言」は保護範囲を広げたり、権利を強化したり、と、ろくなものではない。そうでなくても権利関係(デザイナー、施工者、物件のオーナーから資金を拠出した店子まで、関係者は極めて多い)かをめぐって紛糾しやすい建物・店舗の外観を「意匠権」の保護対象などにしたら、混乱が生じるのは目に見えている。

自分は、実質早い者勝ちで登録できてしまう上に、それに依拠していようがいまいが権利行使できてしまうこの種の権利は、創造を妨げるだけで有害無益なものだと思っている。特に、日本企業よりも、かつてはライバルだった中・韓企業の方が大量出願する余力を持っている今となればなおさらだ。

だからこそ、日本の知的財産権保護法の体系と、その現場レベルでの実務、さらには日本の産業界が置かれている現状を深く理解し、ポジショントークを廃して冷静に議論できる人に、この種の政策議論をしていただきたいと思っている。

そうでなければ、制度をいじればいじるほど、コストがかさみ、新たな創造を妨げるフラストレーションの多い世界になってしまうから。

次のステージでは、本物の有識者の叡智に期待したい。

*1日本経済新聞2018年5月20日朝刊・第1面。https://www.nikkei.com/article/DGKKZO30735930Z10C18A5MM8000/

*2:ネーミングにしてもデザインにしても、ヒットするかどうかは、たぶんに偶然に左右される。一発当たったために、二匹目のどじょうを狙ってブランド、デザイン部門を強化したものの、コストを嵩上げするだけに終わってしまった、という例も多く聞くところだし、そういった事例まで含めて分析対象としなければ、フェアな報告書とは到底いえない。

*3:法改正で上乗せになった件数を除くと、実質的には大幅減である。

2018-05-26

[][]ありがちなニッポンの反応〜GDPR“プチ”祭りに思う。

年が明けた頃はまだ知る人ぞ知る、の域を出ていなかった欧州発の「GDPR」だが、ここに来て俄然盛り上がってきた。

これまでもちょこちょこと軽いジャブを打っていた日経紙は、24日の朝刊で何と1面にデカデカと「EUデータ新規制 国内企業8割が対応未了」という見出しの記事を掲載。

良く中身を読むと、GDPR(というか欧州の法律にすべからく共通する)ルールの不明確さが強調されていたり*1、「どこまで対応しようとしているかきちんと説明できれば、いきなり多額の制裁金を科せられる可能性は低い」というIIJのビジネスリスクコンサルティング本部長のコメントが紹介されていたり、と、一方的に対応の遅れを非難するような記事ではさすがにないのだが、それでも、

「流出問題の大きさなどによっては制裁を回避できるとは言い切れない。専門家は「できる限り早く体制を整備すべき」と口をそろえている。」(日本経済新聞2018年5月24日付朝刊・第15面)

と、最後はやっぱり煽っている・・・(苦笑)。

自分は、この問題に関しては、

「EU域内に限定した話だと思っていた」

とか、

「GoogleやFacebookのような一部の巨大インターネット企業に向けられた法律だと思っていた」

といった(記事の中では、一種Disられている)感覚の方が正しいと思っていて、欧州向けの通販サイトや情報サービスサイトを持っていない会社がわざわざコンサルに大金を講じて対策を依頼するのは愚の骨頂だし、仮に欧州向けのサイトや、欧州域内の事業拠点を持っている会社であったとしても、取得した個人情報を取引の処理以上の目的に使用せず、システム上も一通りのセキュリティ対策が講じられているのであれば、基本的にはこれまで通りの対応で何ら問題ないと思っている。

そもそも、Personal Dataの取扱いなんて、当の欧州の中ですら、米国発のインターネット企業を目の敵にする一部の市民運動家以外は、さしたる関心を持っていない分野の話*2。1年くらい前に、現地の法律事務所に別件ついでに感触を聞いてみた時も、反応はびっくりするくらい冷静だった。

今回の件に限らないが、情報源が限られている“海外発”の概念とか法律が出てくると、ごく一部の“有識者”がしゃしゃり出て、自分のポジションから好き勝手煽る、そして、それを真に受けたメディアがそれを拡散して、本来であれば全く縁のないような人まで騒ぎ出す、というスパイラルが始めることがこの日本という国では実に多い。

そして、今回のGDPRの件にしても、そのうち「全てのWebサイトにCookieを通じた情報取得の同意画面ポップアップを設定しないといけない」*3とか、「EU域内から日本にやってきた外国人から個人情報を取得する時は、他の国の人の分とは異なる厳格な同意フォーマットにサインさせないといけない」*4とか、挙句の果てには「欧州に出張して名刺交換するときは、相手から個人情報取得の同意書面をもらわないといけない」*5とかいった話まで出てくるのではないか、と、ワクワク(?)しているのだが、果たしてどうなるか。

あまりに複雑かつニッチな分野ゆえに現在は“プチ”に留まっている祭りが、何かの弾みで大きなお祭りにならないことを、自分は心の底から願っている。

*1:なお、記事の中では、GDPRを「日本の規則と比べものにならないほど細かく、複雑」と評しているが、本文にはほとんど書かれていないことを複数のガイドラインで規定し、かつそのガイドラインも一読しただけではよく分からない、という意味での規制体系の「複雑」さはその通りだとしても、「細かい」というのはミスリードのような気がする。少なくとも日本の規制当局のガイドラインの方がよほど細かく、融通が利かない(それに比べればGDPR自体は、規制というには非常にアバウトなものだ)と自分は思っている。

*2:当事者である著名なインターネット企業に対しては、発効初日から早々に訴訟提起の動きも出ているようだが、そこまでされるほど欧州で名の通ったインターネットビジネス事業者は、日本企業の中にはほぼ皆無、というのが現実である。

*3:少なくとも日本語のサイトにこのような対策を講じる必要はないし、英語サイトでも欧州からのアクセスがほとんどないようなサイトについてまで対策を講じる必要は全くない、と思っている(下手に見慣れないポップアップ画面など設けた日には、あちこちから苦情が殺到しても不思議ではない。

*4:これは「域外適用」の考え方についての誤解で、あくまでGDPRは「EU域内にいる者」を対象にサービスを提供する場合の個人情報の取扱いに網をかける法律だから、日本に入国した後に自社のサービスに接するEU在住者への特別な対策は本来不要である。

*5:全世界的に煽り的な営業をしているコンサルや一部の法律事務所ですら名刺交換については事実上スルーしているように見える。当地の実務家の感覚によれば、「そんなこと法律に書くまでもない常識でしょ」ということらしいが、いずれにしても、「例外規定がない限りクロ」という日本のコンプラ頭で海外の法令を読み解いて対策を講じようとするのは、労多くして実りなし、である。

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