企業法務戦士の雑感 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2012-11-17

[][][]突然の“解散”の余波。

今週、世の中を揺るがせた野田首相の「解散宣言」。

結局、予定通り、16日にめでたく“解散!”と相成ったわけだが、この急な展開が、違憲訴訟の世界にも予期せぬ事態をもたらしつつある。

「12月16日投開票の衆院選の定数配分を巡り、「1票の格差」の是正を求めてきた山口邦明弁護士のグループは16日、国を相手取り、総選挙の差し止めなどを求める訴訟東京地裁に起こした。原告側は「投票価値の平等が害されたまま投票を行い、国民に重大な損害が生じることは明らか」と主張している。」(日本経済新聞2012年11月17日付朝刊・第38面)

確かに、昨年3月に最高裁大法廷で「違憲状態」との判断を下されながら、この臨時国会の最後の最後になってようやく「0増5減」法案を可決する、という、という国会の動きには解せないものがあるし、それゆえ、総選挙後には多くの選挙区選挙無効請求訴訟を提起する、という「予告」も早くから出されていたところではある。

だが、これまでに報じられていたのは、あくまで「解散差止め請求はせず定数訴訟を起こす」という限度での動きだったはず*1

山口弁護士らのグループは、

「天皇の国事行為である『衆院選の公示』への『内閣の助言と承認』を行政処分ととらえ、行政事件訴訟法に基づいて差し止めを請求」(同上)

し、さらに、「仮の差し止め」まで求めて、早期に裁判所の判断を迫る姿勢を見せているようだが*2、そもそも、「内閣の助言と承認」に行政処分性が認められるのか、あるいは、今回原告となる人々(一有権者)が、選挙そのものの実施とはだいぶ遠いところにある「内閣の助言と承認」の差し止めについて「法律上の利益を有する」者と認められるのか、という点からいって怪しいし*3、また、仮にこの要件をクリアできるとしても、

行政事件訴訟

第37条の4 差止めの訴えは、一定の処分又は裁決がされることにより重大な損害を生ずるおそれがある場合に限り、提起することができる。ただし、その損害を避けるため他に適当な方法があるときは、この限りでない。

2 裁判所は、前項に規定する重大な損害を生ずるか否かを判断するに当たつては、損害の回復の困難の程度を考慮するものとし、損害の性質及び程度並びに処分又は裁決の内容及び性質をも勘案するものとする。

といった要件をクリアできるか、と考えると、かなり心もとない状況ということになろう*4

当然のことながら、衆議院の解散は、憲法上の原理に根差した高度の政治行為である*5。そして、ひとたび解散がなされた以上、衆議院選挙を然るべき期間内に行わない限り、憲法違反になってしまうから*6、今回問題とされている「衆院選公示のための内閣の助言と承認」も、そのような憲法上の要請に基づく行為に過ぎない。

その一方で、有権者が被る具体的な「損害」とは何か、といったことや、選挙後には、選挙無効訴訟により選挙の有効性を争う、という方法もある、といったことを考えると、憲法上不可避的に行われる「処分」を、ここで差し止めるのは事実上不可能で、どんなに裁判所をせかそうと、却下判決・決定の連発を招くだけ・・・という結果は、容易に想像がつくところである*7


若干気になることがあるとすれば、今回の総選挙と同時に、平成21年総選挙以降に最高裁判事となった裁判官国民審査が行われる、ということくらいで、今回の差し止め訴訟に対する最高裁の判断がそれ以前に下されるようなことになると、毎度おなじみの「一人一票実現国民会議」のキャンペーン*8との関係で、各裁判官にとっては気の毒な事態になることもないとは言えない。

地裁高裁までは早々に却下判決、そして、最高裁では、最高裁判事に余分なストレスをかけない(?)という観点からも、“時間切れ”*9、あるいは、“門前払い”ないし“形式的却下決定”という処理になるような気もするのであるが、その辺も含めてちょっと目が離せない状況が、続くことになるのかもしれないなぁ、と思うところである。

*1:あくまで升永弁護士らの動き(山口弁護士のグループとは別)を報じる記事ではあるが、http://www.nikkei.com/article/DGKDZO47494450Q2A021C1NN9000/参照(有料会員限定)。

*2:「総選挙の実施」自体は行政処分には当たりえないので、上記のような法律構成にしたものと思われる。

*3衆議院解散前に議員が自らの地位を守るために、7条3号に係る内閣の助言と承認の差し止めを求める、というのであれば、まだ「法律上の利益」が認められるような気がしないでもないけれど・・・。

*4:ちなみに、仮の差し止めについては、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるときは、することができない。」(第37条の5・第3項)という要件をクリアすることまで求められる。

*5:今回のような内閣総理大臣主導の解散の場合、憲法上の根拠規定等については長年の議論もあるところだが、首相が解散権を行使すること自体が違憲だ、とする極論を真顔で唱える者は、ほぼ皆無だと言ってよい状況だと思われる。

*6:解散から40日以内に総選挙を行うのは、憲法54条1項に基づく“憲法上の”要請である。

*7:なお、今年10月に参議院選挙の「違憲状態」判決が出た直後の日経紙の社説には、「最高裁が「違憲状態」と断じた定数配分のまま次の衆院選を実施するのは憲法三権分立を無視する暴挙で、国政への有権者の信頼を損なう」といったくだりもあり(日本経済新聞2012年10月18日付朝刊・第2面)、この辺に触発された動き、ということもあるのかもしれないが、「定数配分が違憲状態」という判断を司法が下していたとしても、それは、過去に行われた選挙に対する判断に過ぎないのだから、その後、違憲状態のまま衆議院を解散し、総選挙を行ったところで、そのこと自体が「三権分立を無視する」ということにはならないだろう。あくまで、実施された選挙について、裁判所が事後的に違憲判断を下す蓋然性が高まる、というだけである。もちろん、後々無効判断が下された場合には、そのような状況で無謀にも選挙を行ったことへの政治責任は問われるだろうし、無効となってもなお、選挙により構成された議会を維持しようとすれば、「三権分立無視」のそしりは免れ得ないだろうが。

*8HPで確認したところ、まだ本格的なキャンペーンは行われていないようにも見える。http://www.ippyo.org/index.php

*9:今の法律構成なら、最上級審の判断が出る前に公示日を迎えてしまえば訴えの利益なし、という決着になってしまうはずだ。

2011-03-08

[][][]プロ野球の応援をする権利?

1ヶ月遅れで最高裁HPの下級審裁判例集で取り上げられた判決がなかなか面白いので、ここで紹介しておくことにしたい。

先日の「ファウルボール負傷事件」*1に続き、最近、“プロ野球の法律問題”づいているところであるが、本件は「観戦する権利」をめぐって争われている点で、より特徴的な事件だといえる。

名古屋高判平成23年2月17日(H22(ネ)229号)*2

判決に記載された「請求(控訴)の趣旨」は、非常に複雑な書き方になっているのであるが、おおざっぱに言うと、

・「原告らの構成員が別紙目録記載の方法で(いわゆる「応援団方式」で)*3応援を行うことの妨害禁止(中止や退場を求め、あるいは退場させ、又は今後の入場を禁止することを告知するなどの行為の禁止)

・「被告らの原告らに対する試合等の入場券販売拒否及び管理区域入場禁止の意思表示の無効確認」

・「原告らが球場に入場し、観戦することに対する妨害禁止」

・「原告らが行った特別応援許可更新申請に対する通知の撤回」

・「原告らに対する各22万円の損害賠償」

といった内容が、原告らの請求の中身、ということになる。

名古屋」が舞台となっていることからも分かるように、原告らは「中日ドラゴンズ」の応援団。

そして、平成20年度において、原告らが被告(日本野球機構プロ野球12球団)により、「応援団方式」による応援申請を不許可とされたため、人格的権利の侵害及び独禁法2条9項5号の「不公正な取引方法」該当性(優越的地位の濫用)を根拠に、原告らは上記請求を行ったのであった。

地裁判決に顕れている事実によれば、被告(日本野球機構プロ野球12球団)側は、暴力団排除条項に則って応援許可を認めなかったようであるが、原告らはその点(暴力団関係者との密接な関係の有無)も含めて争い、その結果、原審である名古屋地判平成22年1月28日(H20(ワ)3188号)は、球場で応援をする権利が「人格権ないし法律上保護された利益」であること自体は否定しつつも、

「被告12球団及び被告Y2は,公共的な性格を有するプロ野球の主催者として,円滑な試合進行と観客の安全かつ平穏な試合観戦の確保を目的として本件約款及び本件許可規程を定め,これらをホームページ等で公表しているのであるから,これらの定めに従ってプロ野球を運営すべきであり,プロ野球を支える全国のプロ野球ファンにおいても,そのように運営されることが合理的に期待されているというべきである。そして,販売拒否対象者の指定は,球場での観戦自体を制限するものであるから,応援団方式による応援のように,他の観客に迷惑をかけ球場における秩序を乱す危険性を内在する行為を制限する場面とは異なり,その制限についてはより慎重にすべきであり,本件約款の定める販売拒否対象者指定の要件を欠くにもかかわらず,その指定を行うことは,入場券の販売に関し主催者が裁量権を有することを考慮しても,その裁量権の範囲を逸脱するものとして,許されないというべきである。」

原告X1が設立されてからその団員が試合観戦の際に本件約款に違反する等の問題行動をした事実を認めることはできず,販売拒否対象原告らにつき本件約款11条所定の販売拒否対象者指定の要件に該当する事実を認めることはできないから,被告12球団及び被告Y2が販売拒否対象原告らに対してした本件販売拒否対象者指定は,本件約款の定める販売拒否対象者指定の要件を欠くものであって,その裁量権の範囲を逸脱するものといわざるを得ない。したがって,本件販売拒否対象者指定は,権利濫用として違法であり,無効なものというべきである」

として、原告らの請求を一部認容したため(一部の原告に対する意思表示の無効確認及び各1万1000円の損害賠償)、控訴審の判断がより注目されることになったのである。

控訴審判決の判断

原審は、「販売拒否対象者指定の無効確認」に確認の利益がある、という前提の下、被告が販売拒否対象者指定の理由とした「原告らの特別応援許可申請書への虚偽記載」が、約款上の拒否対象者指定事由(約款11条1項、「観客が,主催者又は主催者以外の者の主催する試合において,持込禁止物を持ち込んだ場合,禁止行為に違反した場合,禁止された応援行為を行った場合,その他本約款に違反した場合において,主催者が当該行為を悪質であると判断するとき,主催者は,当該違反者を第3条の販売拒否対象者として指定する。」)に該当しないと判断し、「裁量権逸脱の違法あり」と結論付けた。

しかし、控訴審は、まず最初から一審原告の出鼻をくじくような判示をしている。

すなわち、

「販売拒否対象者指定は,単に,将来,販売拒否対象1審原告らから,個々の試合の主催者である1審被告12球団及び1審被告Y2に対し,入場券の購入の申込みがされても,同1審被告らは承諾せず,同1審原告らの入場を拒否するとの方針を採用し,そのことを事前に伝達したものに過ぎず,それ自体が直接的に法律効果の発生に向けられた行為ということはできない。」

「また,仮に,販売拒否対象者指定が無効である旨宣言したとしても,それによって,1審被告12球団及び1審被告Y2に対し,当然に入場券の販売に関する契約(以下「観戦契約」という。)の締結義務が課されるわけではなく,まして,観戦契約の成立が擬制されるわけでもない。」(10頁)

と述べて、確認の訴えの利益を否定し、この部分の請求を却下したのである。

これは、原審が、

「仮に本件販売拒否対象者指定の無効が確認されれば,販売拒否対象原告らは,その他の販売拒否事由及び入場拒否事由に該当しない限り,一般の観客と同じように入場券を購入して球場に入場し,退場させられることなく試合観戦をすることができるようになることが合理的に期待できるから,本件販売拒否対象者指定の無効確認を求めることは,上記の紛争を解決するための有効,適切な方法であるということができる。」

と述べたこととは対照的であり、ここからして逆転の予感は漂っていた。

次に、本案の争点について。

控訴審は「プロ野球」の定義に言及しつつ、憲法上の権利利益を前面に出す原告の主張を以下のように退けた。

プロ野球は,他のプロスポーツと同様に,主催者の主催の下にそのスポーツを職業とする選手が球場で試合を行い,観客は入場料を支払って球場に入場しその試合を観戦することにより成り立つ私的自治の分野の事柄であって憲法22条,29条等の規定に基礎を置く経済活動の自由(営業の自由),契約自由の原則にかんがみると,試合の開催やその内容・態様,観戦契約の締結などを義務付けたり,規制したりする法令がない以上,試合を行うか否か,行う場合には,これをどのように行うか,どのようなイメージのスポーツを目指すか,いかなる範囲の人々に観戦を提供するか,観客席の雰囲気をどのようなものにし,どのように観戦環境を調整するかなど,その開催・運営に関する事項は,専ら主催者がその裁量によって決定することができるものであるし,主催者と観客との法律関係は,基本的に契約自由の原則によって規律されるものというべきであり,このことは,プロスポーツの試合において,観客が単なる興行の客体にとどまらず,試合の雰囲気を形成する一翼を担う部分があることによって,左右されるものではないというべきである。」(11頁)

この点については、さすがに「憲法上の権利利益」というのは、ちょっと振りかぶり過ぎだと思われるし、原審判決も同じ結論を出していることから、一審原告らも過大な期待はしていなかったところだと思われる。

だが、次の点については、原審と控訴審の判断が大きく分かれ、結果として一審原告らが一敗地にまみれることになった。

名古屋高裁は、

「応援団方式による応援は,観客が個々人でする応援とは異なり,トランペット等の楽器を用いたり,応援旗等の他の観客の観戦に支障を及ぼすおそれのある物を使用したり,観客を組織化し又は観客の応援を統率して行われるものであって,その応援方法によっては,試合の円滑な進行を妨げたり,他の観客の平穏・安全な観戦に支障を生じさせることがあり得るものであるから,応援団方式による応援を認めるか否か,その際にどのような条件を付するかなどについては,本来的に主催者が自由に決定できるものというべきである。のみならず,前記のとおり,そもそも,主催者は,どのようなイメージのスポーツを目指すか,観客席の雰囲気をどのようなものにし,どのように観戦環境を調整するかなど,その運営に関する事項をすべてその裁量によって決定することができるというべきであるから(略),当該団体について球場の秩序を乱す具体的な危険が認められなくとも,主催者が応援団方式による応援を許容するのにふさわしくないと判断した場合には,これを不許可とすることは」当然に許されてしかるべき」(13頁)

とした上で、プロ野球の主催者である1審被告12球団及び1審被告Y2が特別応援許可をする義務を負う場合があるということはできないし,同1審被告らが本件応援不許可を決め,1審被告Y2及び1審被告Y1が1審団体原告らにこれを通知したことが,1審個人原告らに対する不法行為を構成するということもできない、と言い切ったのである*4

地裁段階から高裁に至るまでの原告らの主張は、

プロ野球は「日本人の日々の生活にすっかり溶け込んで,かけがえのない文化」となっており,そこでの高揚感,幸福感は,古今東西,人間の本質(闘争本能)に根ざすものである。特に野球ファンの青少年にとってプロ野球選手は憧れであり,夢であって,人生の目標にすらなるほど深く人格に影響を与え得るものである。

球場における野球観戦は,目の前で自らが応援する球団所属の選手の,まさにプロの技を堪能し,ファンが一体となって自らが応援する球団を応援して,球場全体で試合の動向に喜び,ため息を漏らすなど,その臨場感,高揚感は,テレビ視聴等による楽しみ方の比ではなく,単に野球を楽しむこととは別の内実を持った独自の権利利益である。入場券を購入して野球観戦する者は,そのほとんどが特定球団のファンとして入場するものであり,その球団を球場で応援することはその本質的,根源的な欲求である

c応援団方式による応援は,野球が我が国にもたらされてしばらくの後に生まれ,これまで洗練され発展してきたもので,本件約款及び本件許可規程制定以前より我が国おいて野球観戦における一つの文化を形成している。

d上記aないしcの事情を背景として組織される応援団を運営する者又はそれに参加する者にとって,応援団方式による応援をすることはかけがえのない自己表現あるいは自己実現の場となり,貴重な社会活動あるいは人格形成の場でもあり,生活の不可欠の一部を構成し生きがいとなっており,憲法13条に基づく幸福追求権の一内容をなす人格権ないし法律上保護された利益であるというべきである。

野球好きにしてみれば多少なりとも理解できるものであるし(若干大げさかな・・・という気もするのだけれど(笑))、前記のとおり、原審判決も「プロ野球(観戦)」の「公共的な性格」を前面に出すことによって、一審原告らの請求を一部認めている。

しかし、高裁はそのような「性格」に言及することなく、運営側の裁量権を比較的広く認める規範を打ちたてた。

そして、「応援団の代表者が過去に3度罰金刑の処分を受けていたにもかかわらず、それをあえて登録時に告知しなかった」という「虚偽記載」の事実をもって不許可事由とした一審被告側の判断を支持したのである。

この点については、いろいろと議論の余地もあるところだろう。

一審原告らのHPを見ても(http://cdouendanrengou.sakura.ne.jp/)、「球場で応援すること」に対する強いこだわりが伝わってくるし、実際、控訴審での全面敗訴判決にもめげず、一審原告らは最高裁での再逆転に希望を託すようである。

「不許可」という処分を受けるからには、それなりの背景があったのだろう、というのは、何となく推察できるところであるが、かといって、約款の規定にストレートにあてはめられない事由によって、球場での応援・観戦に制約を加えることが妥当なのかどうか。

最高裁が判決を書いてくれることを期待するのは、ちょっと贅沢過ぎるかも知れないが、個人的にはこの行く末には注目しておきたいところである。

*1http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20110302/1299262243

*2:民事第4部・渡辺修明裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110308102934.pdf

*3:アップされた控訴審判決では省略されているが、地裁判決の目録には、「(1)トランペット,太鼓,カネ,笛その他の楽器又はこれに類する物を使用した応援、(2)団体原告目録記載の原告らそれぞれにつき別紙写真目録記載の応援旗,横断幕等を使用した応援、(3)観客を組織化し又は観客の応援を統率して行われる集団による応援」といった記載がある。

*4:もちろん、拒絶することが公序良俗に違反するような場合は別論、としている。

2011-03-01

[] 参院選「一票の格差」訴訟・第1ラウンドの衝撃

ここ1、2年ブームが続いている「一票の格差」訴訟

09年衆院選の方は、最高裁大法廷の判決を待つばかりとなったが、その間に、昨年7月の参院選をめぐる訴訟も各高裁・支部での判断が出そろった。

「昨年7月の参院選(選挙区)で最大5倍の「1票の格差」が生じたのは憲法違反として、金沢市の男性が選挙無効を求めた訴訟の判決で名古屋高裁金沢支部の山本博裁判長は28日、「違憲の問題が生じる程度の著しい不平等状態が生じていた」と指摘した。

驚くべきことに、昨年7月参院選をめぐる各高裁の判断においては、全て「不平等状態」の存在が指摘されている(あくまで升永英俊弁護士らが関与している訴訟に限られるようであるが)。

衆議院以上に大きい「最大5倍」という格差の存在が、高裁裁判官を“一言居士”にさせたのはもちろんだとしても、升永英俊弁護士らのこれまでの執拗なまでの運動が、裁判所の判断に少なからず影響を与えていることも否定できないのではなかろうか。


ちなみに、昨今の国会情勢を見ると、衆議院についてはいつ解散になっても不思議ではないような状況で、歴史的な大法廷判決(?)を待たずに解散になってしまう可能性も皆無ではない(その場合、訴えの利益がない、として、せっかくここまで進んできた裁判が決着を見ずに“消えて”しまうこともありうる)。

それだけに、今回の参院選の格差訴訟の大法廷審理の行方には注目されるところなのであるが(こちらはよほどのことがない限り、判決が出される前に、訴えの利益が消滅することは考えにくい)、果たしてどうなることやら・・・

2010-09-16

[][]「14人の大法廷」がもたらすもの

先日大法廷回付が明らかになった「一票の格差」訴訟だが*1、出だしから波乱の兆候を見せている。

「昨年8月の衆院選での1票の格差が違憲かどうかを巡り、最高裁大法廷で審理される9件の訴訟のうち、一審が高松高裁だった1件について、裁判長を務めるはずだった竹崎博允最高裁長官が審理から外れることになった。被告の香川県選挙管理委員会の竹崎克彦委員長(百十四銀行会長)が長官の実兄のため。」(日本経済新聞2010年9月16日付朝刊・第38面)

裁判官の回避に関する規定(民事訴訟規則第12条)は、

裁判官は、法第23条(裁判官の除斥)第1項又は第24条(裁判官の忌避)第1項に規定する場合には、監督権を有する裁判所の許可を得て、回避することができる。」

と定めている。そして、第23条第1項の除斥事由として、

2.裁判官が当事者の4親等内の血族、3親等内の姻族若しくは同居の親族であるとき、又はあったとき。

というのがあるから(2号)、これに鑑みて竹崎長官は自ら回避した、というのが空気を読んだ解釈、ということになりそうだ。


「当事者」といっても、主体はあくまで「香川県選挙管理委員会」であり、長官の実兄はあくまでその代表者(委員長)という存在に過ぎないのであるから、規定の趣旨からして、これを除斥事由にあたると解する必要はない、という見解も示されているようだし*2、そうだとすれば忌避申し立てが認められるような状況でもないから、そこまで神経質にならなくても、と思うのであるが、如何せん原告側にも強力な代理人が揃っているだけに、少しでも付け込まれる要素を減らしたかった、ということなのだろう。


で、興味深いのは、これにより、原審・高松高裁の事件について、どのような判断が下されることになるのか、ということ。


「4増4減」の定数配分変更が行われた直後の参議院選挙でさえ、反対意見を書いた裁判官が5名、多数意見に対して懐疑的な補足意見を書いた裁判官が4名、というのが昨年の大法廷における状況だった*3


そして、今回は参議院のような特殊性を勘案しづらく、かつ、4年間丸々区割り改正等の動きがなかった状況の下で行われた衆議院選挙の有効性が争われている訴訟である。


下級審で次々と違憲判断が下され、竹崎長官が回避した「原審・高松高裁」の事件でも「違憲状態」との判断が下されている中で、これまで反対意見にも、懐疑的補足意見にも与することなく、淡々と多数意見を支持してきた竹崎長官の「1票」がなくなる、ということが、「14人の大法廷」の判断にどのような影響を与えるのか?


今回も、裁判官1人の差で多数意見と反対意見の比率が変わるような微妙な状況にはならないと思うし、そもそも結論として選挙そのものが無効となるような事態は到底考えにくいのだが、それでも、示される結果がよりショッキングに映るものになる可能性はある。


いずれ出される判決に向けて、これで、今後の動きからますます目が離せなくなったのは間違いない。

2010-09-09

[]「1票の格差」ついに最終ラウンドへ。

昨年の衆院選以来、各高裁で合憲/違憲の判断が下されるたびにフォローを続けてきた、「一票の格差」訴訟だが*1、ついに最終ラウンドに突入しようとしている。

「「1票の格差」が最大2.30倍だった昨年8月の衆院選違憲だとして、弁護士らが全国で選挙の無効を求めた訴訟で、最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は8日、上告中の9件の審理を大法廷(裁判長・竹崎博允長官)に回付した。」(日本経済新聞2010年9月9日付朝刊・第38面)

高裁段階では、ダイレクトに選挙を無効とする判決こそなかったものの、違憲が合憲か、という点でいえば(「違憲状態」としたものも合わせると)、違憲の判断を示したものの方が圧倒的に多い。


そして、問題となっている2009年の衆院選が、05年総選挙以降ほとんど区割りに手がつけられない状態で行われた、という事実や、昨年以降「国民会議」が、司法府にかけ続けてきた“プレッシャー”の大きさを考えると、小選挙区比例代表並立制導入後初の違憲判断が下されることになったとしても、まったく不思議ではないだろう。


今の政治情勢を考えると、大法廷の判決が下される前に、“09年選挙によって構成された衆議院”自体が消滅してしまっているのではないか・・・、と思ったりもするのであるが、果たしてどうなるか。


既に今年の参院選の選挙無効訴訟も動き出しているようであるし、この手の運動がとめどなく続いていくこと自体は間違いないだろう、と思うのであるが・・・。

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