企業法務戦士の雑感 このページをアンテナに追加 RSSフィード

この日記のはてなブックマーク数

2016-12-27

[][][]「刺客」のいない寂しさ〜ブックガイド2017

Business Law Journal誌の年末目玉企画、「法務のためのブックガイド2017」を特集に掲げるBLJの2017年2月号が今年も刊行された。

例年なら大手を振って絶賛購入を勧めるところなのだが、今年はちょっと様相が異なる。

というのも、昨年、一昨年と、バランスのとれた見事な鑑識眼と風刺の効いたコメントで、この企画の「要」となる活躍をされていたronnor氏の書評が掲載されていないからだ。

ronnor氏は、昨年のこの企画以降、四半期に一度法律書を総ざらいレビューする、ということで、既に定期連載の執筆陣に名前を連ねておられるから、編集部としても、あえて連載のスケジュールからずれる今回の特集に原稿を載せる必要性を感じなかったのかもしれないが、BLJの読者は定期購読者だけではない

毎年、この企画だけを楽しみにBLJ誌を購入している読者もいることを考えると、これまでの連載のダイジェスト版でもよいからronnor氏の評価をここに織り交ぜてほしかった、というのが率直な感想である。

なお、各記事で取り上げられている推薦図書について言うと、今年は「企業法務関係者が興味を持ちそうな法改正等の動き」が少なかったこともあってか全体的に盛り上がりに欠けていることは否めないだろう*1

また、数年前には実務向け法律書の世界で、「革命」とも言えるような斬新な視点や構成の書籍が世に出されて、強烈なインパクトを与えてくれたこともあったのだが、そういうコンセプトの書籍が最近では珍しくなくなってきたこともあり、そうなると“中身”の方にどうしてもシビアな目が向いてしまう。

ということで、法律雑誌やセミナー等でタイムリーな情報を入手することが以前よりも容易になってきている現状では、“帯に短し、襷に長し”ということになってしまいがちな「書籍」をプッシュするのはどうしても難しい状況ではあるのだが、もはやネタが尽きた、と思われていた邦画界で今年200億の大ヒット作が生まれたのと同じように、良質のコンテンツを提供し続けていれば、ちょっとしたしたきっかけで大爆発することもある・・・そう信じて、法律書の出版関係者の皆様にはもう少し踏ん張っていただきたいな、と思う次第である。

*1:これはあくまでネタの問題で、改正個人情報保護法の施行や、債権法改正の成立を控えた来年以降は、もう少し企画的にも内容的にも充実した書籍が出てくるはずだが。

2016-11-06

[][][]「知的財産推進計画2016」を真面目に読み解こうとしたジュリストの特集企画より。

最近、ジュリスト誌で年2回特集企画が組まれることも珍しくなくなったのが知的財産法分野。

特集が定番化した頃は、年1回でもちょっとした感動を覚えながらページを開いていたことを考えると、随分贅沢な時代になったものだなぁ、と感慨深いのだが、それはあくまで読者側の目線での話なわけで、企画、執筆を担当される先生方にとっては、また違うご苦労もあることだろう。

そんな中、ジュリスト11月号で、

『知的財産推進計画2016』及びこれに先立つ検討委員会報告書を受け、デジタル・ネットワーク化への対応、知財紛争処理システムの機能強化をめぐる諸課題を展望するとともに、近時の特許関係裁判例が実務に与えるインパクトを分析する」(小泉直樹「特集にあたって」ジュリスト1499号14頁(2016年))

という特集が組まれた。

ジュリスト 2016年 11 月号 [雑誌]

ジュリスト 2016年 11 月号 [雑誌]

「知財推進計画」自体が毎年総花的な中身になっていることもあって、この特集の下で執筆された論稿も、著作権法から特許法まで、実体法の解釈論から訴訟手続、さらには制度政策論に至るまで多岐にわたるものとなっているのだが、特に16頁〜48頁までの論稿は、現在行われている政策論議の方向性の一端を示すものとして、専門外の読者にとっても有益なものであるように思われる*1

個人的には、これらの論稿一つひとつに、突っ込んでいきたいところではあるのだが、それをやり始めるときりがないので、ここでは、本企画の趣旨に照らして、もっともうまく纏めておられるなぁ、と感心させられた論稿を一つだけご紹介しておくことにしたい。

金子剛大=小坂準記「柔軟性のある権利制限規定の導入とイノベーションに与える影響」*2

TMI総合法律事務所所属の金子、小坂両弁護士のお名前を見ると、5年前のL&T誌(52号)に掲載された「まねきTV・ロクラク2事件最高裁判決にみるコンテンツビジネスの諸問題」という論稿が今でも鮮明に思い出される。あの論稿は、二大最高裁判決の解説にとどまることなく、当時まだ司法判断が下されていなかった自炊代行の分野にまで切り込んで大胆な試論を展開した秀逸なもので、本ブログでもたびたび引用させていただいたりもしたのだが、今回ジュリストに掲載された論稿も、コンパクトながら一癖も二癖もある内容になっており(特に脚注!)、現在の単線的な議論に一石を投じるものとなっているように思われる。

例えば、書き出しからして、

知的財産戦略本部『知的財産推進計画2016』(平成28年5月。以下『知財計画2016』という)は、この『柔軟性のある権利制限規定』の導入を視野に必要な措置を講じるべき、と明記している。しかしながら、その正体は定かではない。

イノベーションを促進するための『柔軟性のある権利制限規定』とは一体何者なのであろうか。」(16頁、強調筆者、以下同じ。)

となかなか強烈な書きぶりで、続く「文化庁における検討状況」の叙述等においても、知財推進計画で「事実上『柔軟性のある権利制限規定』を含む著作権法改正案を次期通常国会に提出すること」が求められている状況ながら、現時点で改正の手法が何ら決まっていない、ということを繰り返し指摘している。

そして、米国におけるフェアユースの実情の紹介と分析に一定の紙幅を割いた上で、最後に記された「おわりに−『柔軟性のある権利制限規定』がイノベーションに与える影響に関する若干の考察」(22頁)という章でも、

フェアユース規定を導入すればすぐにイノベーションの創出が実現されるかといえば、事はそれほど単純ではない。フェアユース導入派も指摘する通り、仮に事後規制型の権利制限の最たるものであるフェアユースが導入されたとしても、これを活用する企業や国民の意識、これをサポートする弁護士、さらに条文の解釈を行う裁判官の意識が変わらなければ、イノベーションの創出は達成しえない。」(22頁)

といったように、現在の政策論議の方向性に多くの疑義を投げかけている。

ここで伏線になっているのは、米国連邦最高裁がフェアユースの認定にあたって「変容的利用(Transformative use)」のパラダイムを採用し、裁判例の趨勢が「利用目的」(フェアユースの第1要素) による判断にシフトしたことが、結果的に「新技術の開発や新サービスの展開にポジティブな影響を与えている」という前段の記述なのだが、その上で、

「事後規制型の『柔軟性のある権利制限規定』が導入されたとして、日本の裁判所が同様の法創造機能を発揮できるかは定かでない。」(23頁)

米国裁判所の判断は)「日本の著作権法でいうところの個別の権利制限規定を裁判所が創出していったに等しく、裁判所の法創造機能が存分に発揮されてきたといえる。翻って、日本の裁判所が同様の機能を果たしうるのか、あるいはそこまでの法創造機能を期待されているのかは、疑問の余地がないわけではない。」(23頁・脚注30))

と指摘するくだりなどは、懐疑ムードにあふれているというほかない*3

本稿には、

「『柔軟性のある権利制限規定』として選択肢に挙げられている手法は、いずれも司法による事後規制型の手法であり、アメリカ型のフェアユースとその点で共通している。そのような事後規制型の『柔軟性のある権利制限規定』が導入された場合、アメリカのようにイノベーションの創出に少なからず貢献することが『期待』されるだろう。」(22頁)

といったコメントもあり、「知財推進計画2016」が描く方向性を完全に否定しているわけではないのだが*4、“期待”というフレーズにわざわざカギカッコを付けているところに、本稿の懐疑的な姿勢が垣間見えるし、本稿が「イノベーションの創出」を正面から権利制限の目的として掲げることについて否定的な立場を取っている*5、ということにも留意する必要があるだろう。

本稿を執筆された金子、小坂の両弁護士が、現行著作権法の権利制限のあり方について、現在どのようなご意見をお持ちなのか、ということは、本稿を一読しただけでは明らかにならないが、少なくとも「イノベーションの促進、創出」という政策目的一辺倒で「柔軟性のある権利制限規定」の議論を進めることについては明確に警鐘を鳴らしている、というのが自分の理解である。

そして、本稿で描かれている“プリティウーマンのパロディの適法性判断、という文脈から発展した法理が結果として米国のイノベーション促進に寄与することになった”というストーリーをうまく政策議論に落とし込むことが(言いかえると、あくまで「著作権法の目的」という本質に立ち返り、それをより実現するための手段」として、新たな権利制限規定のあり方を位置づけることが)、膠着状態にある現状を打開するヒントになるように思えてならないのである*6

*1:リーチサイトに対する規制について、法律上、具体的な要件を立てる際にもたらされる問題点の検討を十分行わないまま、「みなし侵害」化を支持する論稿(中川達也「リーチサイトを通じた侵害コンテンツへの誘導行為への対応」ジュリスト1499号24頁(2016年))など、必ずしもすべての論稿の結論、内容を支持できるわけではないが、今このタイミングで載せる価値はあると思っている。

*2ジュリスト1499号16頁以下(2016年)

*3:本稿ではそこまで書かれていないが、自分は、この種のパラダイムシフト裁判所によって成し遂げるならば、現在の著作権法の規定の下でも、「イノベーションを促進」する柔軟な判断を下すことは十分に可能だと思っているし、本稿が別途指摘している「『まず自己がフェアと考える行動をし、それに異議ある者が現れた場合には法廷で決着をつける』という意識の企業や国民への浸透」についても同様に考えている。もちろん、法改正のシグナル効果によって、裁判所や、企業・国民の意識が切り替わる、ということは多少はあり得るかもしれないが、そのために「法改正」という多大な労力をかけることにどれだけの意味があるのか、という点については大いに疑問が残るところである。

*4:その辺に本稿に対するもどかしさ、分かりにくさを感じる向きもあるかもしれないが、この点については著者の思慮深さの現れ、ということで、好意的に評価しておくことにしたい。

*5:17頁・脚注4参照。

*6:そして、本稿の筆者の両弁護士には、より自由なメディアで本稿の“行間”についても語っていただきたいものだと思わずにはいられない。

2016-09-26

[][][]ファンでなくとも胸が熱くなる渾身の特集。

別にファンだったわけじゃないけど、チームのこれまでの歴史とか、チーム愛溢れる様々なエピソードに接すると、何となく一緒に喜びたくなってしまうのが、今年の広島東洋カープの優勝劇。

そして、そんな世の中のムードを巧みに捉えた渾身の特集をNumber誌が組んだ。

題して「カープの魂。」

表紙からして黒田博樹投手と新井貴浩選手というチーム最大の功労者2人のツーショットだから、これはもう買わねば・・・という気持ちにさせてくれる。

そして、“カープ愛”を存分に感じさせる2人の対談記事の後に、レジェンド2人を語る若手選手たちのコメントが続き、

「大ベテランの方が2人いても、仲が良くないってこともありえますよね。でも黒田さんと新井さん、すごく仲がいいじゃないですか。そうなると全体的に輪ができるというか、一体化するのかなって」(38頁)

という、投打融合した今年のチームの全てを物語る野村祐輔投手のコメントが事実上の締めに。

新井選手に対しては、かつて在籍していたチームのファンとして、申し訳なさと、少々の妬ましさをずっと感じ続けていた今シーズンだったが、満面の笑みで紙面に登場している姿を見ると、これも幸福な巡りあわせだったのだろう、と思わずにはいられない。

そして、この号の様々な記事の中でも、自分が一番感じ入ったのは、映画監督の西川美和氏の「どうして広島東洋カープは、こんなにも人生そっくりなんだろう。」というコラムエッセイである(16〜17頁)。

その後、25年にわたって“最後の優勝”という記念碑的な年になるとも思わずに、1991年のシーズンを頬杖ついて眺めていた、というエピソードに始まり、「物語が結ばれる」はずだった昨年、あっけなくシーズンが幕を閉じた生々しい記憶。快進撃を続けた今シーズンも、長年の「諦める癖」ゆえに、「劣勢になればテレビを消す。ラジオも消す。」「『自分が観てるとやられる』と非科学的に自らを責めたりもして来た」。

決して強くないチームを応援し続けてきたファンにしか理解できないちょっとしたエピソードの数々に自分は深く共感し、

「『物語』は、在るものでも、出来るものでもない。必ず人がつむぐものだ。神様は、降りて来てくれたりしない。人間が手を引っ張って、連れてくるものだ。」

「神は、彼らが自分で連れて来たのだ。」(以上17頁)

という締めの言葉に、思わず涙した。

この先の「日本一」の前には、クライマックスシリーズ、という落とし穴もあるし、立ちはだかるパ・リーグの壁もある。

2003年のタイガースがそうだったように、長く待たされたファンの、リーグ優勝での歓喜が大きければ大きいほど、“燃え尽き感”が先にやってきて、ポストシーズンを乗り切れないことだってある。

それでも、今、まさにこの時に盛り上がれるカープのファンを心から羨ましく思うし、だからこそ、もう少し“夢”の時間が続いてほしいと思うのである。

なお、もう一つ、「メークドラマ“悲劇”をこえて。」という1996年シーズンを回顧する記事にも懐かしさを感じた。

自分にとっては、年号とともに、贔屓チームのラインナップやペナントレース中のエピソードがすぐに蘇ってくる最後の時代。

エースが紀藤投手だったこととか、あの金本選手が当時は7番を打っていたこととか、贔屓チームではなかったがゆえに、今初めて思い出したことも多かったのだが、それでも記憶はここ数年のペナントレースに関するそれ、よりもよっぽど鮮明、ということだけは最後に申し上げておきたい。

2016-09-03

[][][]3度の大震災を経て積み重ねられた知恵

先月末に発行されたジュリスト9月号の特集は「震災と企業法務」。

東の方に住んでいる者にとっては未だに震災といえば「東日本大震災」の印象が強く刻み込まれていることもあって、表紙を見た時にはなぜ今?と一瞬思ってしまったのだが、すぐに、熊本がマグニチュード7.3の地震に襲われたのは今年の4月のことだったな、と思い出し、また今まさに北東北以北を直撃している豪雨災害等にも思いを馳せて、毎年取り上げられても良いテーマだな、と思い直す。

そして、この特集の記事の中でも、「鼎談」のコーナーが特によかった*1

ジュリスト 2016年 09 月号 [雑誌]

ジュリスト 2016年 09 月号 [雑誌]

メンバーは、森・濱田松本の松井秀樹弁護士を司会として、中野明安弁護士、津久井進弁護士、という「災害対策といえば」という先生方が名を連ねる。

そして、語られる内容も、災害に対応した法制度から、BCP、そして、そこで法務部門がどういう役割を果たすべきか、というところまで、具体的なエピソードを交えながら広い範囲までカバーされている。

また、ターゲットの読者層を意識してか、「企業の立場からどう対処するか」という切り口が徹底されていることにも好感が持てる。

例えば、法制度に関して、津久井弁護士が、災害法制のバランスの悪さを指摘し、

「個人と企業などの法人に分けると、個人に対する救済の仕組みはそれなりに充実しつつありますが、企業に対する支援策は、20年前とそんなに変わらないイメージです。」(13頁、強調筆者。以下同じ。)

と、企業が被災から立ち直ろうとする場面での“三重苦”(民、法人、復興といういずれの見地からも支援が薄い、という点で)を指摘すれば、中野弁護士も続けて、

「企業は支援側に回れ、というのが、実は今の日本の法体系だと思います。」(14頁)

*2

そのような流れで展開される“自衛策”としてのBCP策定の話の中では、やはり「BCPの策定と法務部門の役割」(20頁〜)という章が圧巻である。

「私はいつも、災害時に業務を中断する、迅速に避難するために何か法務的な手当てはないかを考える部門が法務部だと説明をしておりますし、その場合に具体的にはどのような対応、業務を中断しようと思ったときにどのような対応を取引先にお願いすればいいのか、どういうことを言って責任を免除してもらうのがいいのかということについて、法務部としてはアイディアを出して、営業部門にそれをきちんと伝えるとか、そういう役割を担っているのではないかと思っています。」(20頁)

と中野弁護士が具体的な契約条項や「法律的に耐えられない」災害マニュアル対策の例を挙げながら語れば、津久井弁護士も、いわゆる“防災専門家”を少々皮肉りつつ、

「災害が起こったときに『超法規的な対応が必要だ』とすぐ言われるのですが、超法規的と言うからには、標準の法規がどうなっているかの理解がないと、どこからが超法規なのかということで結局迷ってしまうわけですから、法務の専門家が計画時に立ち会わないと、実のあるものにはなりません。」(22頁)

と「法務」の意義を説く。

中野弁護士が具体的に提示されている「基本取引約定書に入れるべきルール案」そのものには自分は全面的に賛同するものではないが*3、単に「不可抗力条項」があるから良いというものではない、という点については強く同意するし、事業部門だけで練られた「計画」の怖さも重々分かっているだけに(笑)、非常に有益だな、と思ったくだりであった。

また、「災害時における個人情報の取扱い」(22頁以下)の章では、東日本大震災後の対応が「本人の同意なく目的外利用や第三者提供ができる」典型的場面だったにもかかわらず、躊躇した自治体等も多かったこと、災害対策基本法の改正等、さらに立法的な手立てが講じられたにもかかわらず、熊本地震の対応においても「相変わらず個人情報への過剰反応がみられ」ること(津久井弁護士発言・23頁)などが指摘されていて、興味深く読んだ。

特に、

「個人情報保護違反のリスクばかりが声高に強調され、保護さえしておけば賠償責任を負わないで済むという感覚に慣れてしまっていると、いざそれを外部提供しなければいけない場面が来たときにできなくなってしまう。」

「開示しないことによって、もし命が危うくなったら、損害賠償責任を負う可能性があるということですね。」(以上23頁、津久井弁護士発言)

といったコメントは、多くの方々に読んでいただきたいものだと思う。

この後にも、民間事業者による一時滞在施設の提供への協力は、施設だけでなく『オペレーションする社員も一緒に提供する』ことである、という指摘(24頁、中野弁護士)があったり、救援物資の輸送に関して、緊急事態条項以前に「きちんと委託して活動する仕組み」を作ることが重要、という指摘(28頁、津久井弁護士)など、うなづかされ、気づかされるコメントが満載で、実に読み応えのある記事であった。

もしかしたら、今絶賛公開中の「シン・ゴジラ」を見てからこの特集を読んだ方が、より味わい深かったのかもしれないが、とにもかくにも素晴らしい企画、ということで、ジュリスト9月号、強くお勧めしておきたい。

*1:松井秀樹=中野明安=津久井進「鼎談 震災と企業の対応−防災・BCPを中心に」ジュリスト1497号12頁(2016年)。

*2:何と実も蓋もない・・・と思うが、実際、これこそが、この5年間で多くの企業が直面してきた現実だと思う。

*3:中野弁護士は災害時の「判断基準」そのものを契約書に盛り込むことの理を説かれているが、定型的な内容で取り交わされることが多いこの種の契約に、個々の場面を想定した「判断基準」を盛り込むのは現実には難しく、むしろ、災害発生時に柔軟な解決を可能とする協議条項等に委ねる方が現実的ではないかと思う。

2016-08-30

[][][]その場にいた者にしか分からないこともある。

時が流れるのは早いもので、4年に一度のスポーツイベントに湧いた8月ももうすぐ終わりそうな状況だが、微かにその余韻が残っている中、Numberの「特別増刊号」が発売された。

ASIN:B01KX6FC7Q:detail

期待を裏切らない渾身の記事が詰め込まれた一冊で、おそらく全てのメダル獲得競技・種目が取り上げられているのではないかと思う。

大会の直後に出た号、しかも、史上最多のメダル獲得実績を残した大会だった、ということもあり、大会の“主役”に光を当てた記事を載せるだけで手いっぱい、ということになっていることは否めないが、そこはやむを得ないところだろう*1

個人的には、競技そのものを取りあげた記事以上に、現地で五輪に触れた方々が書かれた“リオの裏側”のコラムにも興味を惹かれるところが多かった。

例えば、松本宣昭氏が書かれた「リオって本当に危ないですか?」というコラム(60頁)では、「プレスセンターの中では危険な噂が頻繁に飛び交っていた」というところから切り出しつつも、現地に滞在する中で「1週間も経つと、リオって、本当に報道されているほど治安が悪いんだろうかと思うようになった」状況が描写されており、現地在住の日本人のコメント等も引きつつ、最後は、

「『治安が悪い』と言われる国を訪れる際に、最大限の警戒をするのは当然だが、メディアで報じられることが、その国の本当の姿であるとは限らない。過度に『治安の悪さ』を強調してきた僕らメディア側にも、反省すべきところがあると思う。」(強調筆者、以下同じ)

とまとめられている。

実際、自分が知る限りの数少ない“リオ経験者”は、口を揃えて日本での報道と現地の様子のギャップを指摘していたし、自分自身、他の国や地域では散々似たような経験をしてきたから、こういうメディア関係者の悔悟的な記事を読むとホッとするところはある。

また、この一年くらいNumber誌に連載コラムを書かれている横浜DeNAベイスターズの池田純社長が、1週間五輪の視察に行った経験を踏まえて書いた記事も圧巻で(2ページにわたる大作である/66〜67頁)、スポーツビジネスのど真ん中におられる方らしい鋭い視線が随所にちりばめられていた。

「オリンピックだというのに国外からの観光客は意外なほど少なく、目につく外国人の多くは競技団体や選手のスポンサー企業の関係者と思しき人たち。世界的なPR戦略が脆弱で、局所的な治安の悪さの情報が国外で垂れ流されている状況が放置されてしまっているのかなという印象を受けました。」

何十年かに一度の自国開催のオリンピックが特別な価値のあるものとしての空気を醸成していないことに驚きを覚えました

といったあたりは、今回の五輪特有の話かな、と思いながら読めるのだが、話が「グッズ」や「テロ対策」に進むにつれ、“4年後大丈夫か?”という思いが強くなり、さらに、以下のくだりでその思いは頂点に達する。

「現地で国を背負って戦っている選手たちを目の前に見ながら、図らずも抱いてしまった思いを端的に表現すれば、『オリンピックとは本質的には誰のためのものなのか?』の一言です。(中略)。何を重視するかによって取るべき戦略もまったく変わるはずなのに、リオは、『開催すること』が目的になってしまっていたように思います。だとすると、その結果としての『クオリティ』に不足を感じたというのが私の正直な感想です。」

日本選手団の好成績を背景に、礼賛の声で満ちていた日本のメディアでは大会中目にすることが少なかった手厳しいコメント。

そして、これまでの準備の過程から、既に悪しき権威主義がチラホラ顔を覗かせているこの日本、東京で、4年後同じような感想を抱く人が出てこない保証は全くない。

メディアの報道は勝ち負けや選手の言動に集中しがちですが、構造的・ビジネス的な問題を指摘するような報道もなされないと、改善の機運も生まれません。日本人選手の活躍による盛り上がりに水を差すようですが、あえて現地で感じた率直な思いを書かせていただいたのはそうした理由からです。」

という池田氏の問題提起がこれからのあっという間の4年間に生かされることを自分は願ってやまないし、この一コラムに目を通すためだけでも、今号を手に取る意義はあるのではないか、と思うところである*2

*1:“影”の部分は、むしろ時間を置いて振り返られるからこそ、しっとりと胸に染み込むものでもある。それが1年後なのか2年後なのか、それとも4年後が終わったさらにその先なのか、は分からないけれど。

*2:五輪総集編のNumberPLUSも間もなく発売されるようであるが・・・。

カスタム検索