企業法務戦士の雑感 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2018-09-17

[][]3年の時を経て現実となった「色彩商標」への懸念。

今日の法務面に、何となく懐かしささえ感じる記事が載った。

「2015年の改正商標法施行で「音」や「動き」など新しいタイプの商標登録が可能になってから3年たった。いずれも審査の基準は高いが、特にハードルが高くなっているのが「色彩」だ。1つの色(単色)での登録はいまだにゼロだ。同じような色に複数の申請も出ており、登録実現には消費者の認知度を高める取り組みが欠かせない。」(日本経済新聞2018年9月17日付朝刊・第11面、強調筆者、以下同じ。)

制度開始から3年あまりで、登録に至ったのはわずかに4件。既に500件以上も出願されているにもかかわらず、だ。

ブログでは「新しいタイプの商標」が導入された平成27年施行の商標法改正前からこの問題を取り上げているのだが、施行後、同じ法務面に掲載された心ない特許庁担当官のコメントと記者の“感想文”に悪態を付いたのはもう3年近く前のことになる*1

そして、驚くべきことに、あの頃から状況はまるで変わっていない。

今日の記事でも、欧州のルブタンの話とか、いくつかの色彩商標出願企業の担当者の声をひとしきり掲載した上で、「そんなことは言われんでも分かっとる」という類のコメントを丁寧に載せている。

「ただ色彩は身の回りにあふれている。強い効力を持つ商標権を特定の企業に認めてしまうと、他社の商品で使えなくなったり、新サービスの足かせになったりするなど影響が大きい。特許庁は商標認定には「極めて高い著名性が欠かせない」(商標課)とする。色と商品やサービスの関係が幅広く認知される必要があるというわけだ。」

「新井悟弁理士は「制度導入から間もない日本では特許庁が登録基準作りに慎重になっている」との見方を示し、「それだけに企業は出願した色が有名であることなどの細かな証明が求められる」と話す。出願企業からも「どうやって認知度を調査するか検討している」との声が出始めた。」(同上)

2015年の制度開始に合わせて出願した企業の担当者の多くは、少なくとも半年以上は前から資料を集め、説明会に出て、手探りながらも方針を立てて新しい制度に挑もうとした者たちだ。だから、出願した色彩商標、特に単色の商標が早いものがちですんなりと登録されるなんてことは誰も期待していなかったし、当然ながら著名性を立証するための準備もしていた。

だが、同年暮れから2016年にかけて、一斉に拒絶理由通知が出た後の特許庁の対応の融通の利かなさぶり、トンチンカンぶりは、多くの実務家の想像を遥かに超えていた。

例えば、メーカーであれば自社製品のパッケージに、サービス系の会社であれば店舗や広告等に長年、かつ大量に使い続けている色彩を出願する場合、その製品なり、展開している店舗やサービスなりが市場で高いシェアを占め、多くの人の目に触れているのであれば、それだけで使用による識別力取得を立証するには十分な材料になるはずである。

ところが、特許庁の言い分は、「ロゴマーク等の他の商標と一緒に使用していたらダメ」と、かつて立体商標の世界で裁判所に否定された理屈だったり、似たような色*2を使っている会社がある、と、商標的使用でも何でもない、たまたま見つけたデザインカラーの広告媒体等を拾ってきたり、というものだから、どうにも噛み合わない。

挙句の果てには、「識別力を客観的に示す材料を持ってこい」と、アンケート調査の活用まで押しつけてくる。

調査会社は大喜びだろうが、そのために多額の費用を出さないといけない出願人にとってはたまったものではない。

何よりも、企業側の担当者にとって一番困るのは、会社のCI戦略や大々的なマーケティング戦略に則り、文字通り何年もかけて「企業ブランド」を守るために育て、使い続けてきた色彩とその意味を、「自分たちの作った審査基準を形式的に適用することしかできない」特許庁の審査官が一向に理解しようとしてくれないことにある。

自分だけでなく多くの企業の商標に関わる人々は、自社の色彩商標が登録されたからと言って、類似の色を使っている会社に片っ端から権利行使する、なんてことは考えていないし、登録された色彩商標の権利範囲自体、たかが知れている(基本的には狭い)、と思っている者がほとんどである*3

広告、ブランドの専門書で、ブランドとしての力を発揮している「色彩」の例が紹介されることは多いが、そういう例も場面も当然ながら限られているし、世の中に氾濫する多くの色彩は、「商標」としての機能とは無関係に単なるデザイン、装飾の一部として使われているものに過ぎない。

だから、(これは色彩商標に限った話ではないが)権利行使場面の判断基準まできちんと頭に入れて対応するのであれば、色彩商標が登録されたからといってそれが直ちに様々な商業活動の足かせになる、ということにはならないし、真に企業のCIが揺るがされるような悪質な第三者が現れた時に初めて抜く(そうでもない限り、極力抜きたくない)“伝家の宝刀”くらいの認識でいれば十分なのである*4

それなのに、あたかも「自分たちが認めたら絶対的な権利になってしまうから、そう簡単には登録させない」とばかりに特許庁が意固地になって対応するものだから、審査コストもそれに対応する出願人のコストも飛躍的に増していき、ストレスの種もどんどん増える。

そして、今思えば遥か昔、6年前に危惧していたこ*5が、今まさに現実の問題となってしまっていることに暗澹たる思いしか湧かない*6

「色彩商標」などというものは、登録審査時点で識別力を厳格に審査する日本の商標制度には本来整合しない制度、しかし、いったん制度ができてしまえば、企業としてはそれに乗っからざるを得ないし、それに対して、特許庁がこれまで通りの商標の建前論を振りかざせばとんでもない軋轢が生まれる・・・。

ちょっと事情と法律が分かっている人なら誰にでも想像が付くストーリーが見事に展開されている中で、それでもなお、特許庁が自らの建前論に縛られたガチガチの審査運用しかできないのであれば、一向に状況が改善することはないだろう。

どこかの会社が思い切って審決取消訴訟まで持ちこんで、知財高裁にさばけた判断を出してもらえば、また状況が好転することがあるのかもしれないが、そこまで行く前に何とかしろよ、というのが、一実務家としての切なる願いである。

なお、ここまで書けば、日経紙の記者が今日付けの前記コラムで呟いた以下のフレーズが、いかにピント外れか、ということも分かるはず。

「企業と色の関係性をどう消費者にアピールするか――。企業にとって、認知度を高めるマーケティング戦略もカギとなりそうだ。」(同上)

多くの企業は「マーケティング戦略」の結果、積み上げた信用(色彩と会社の商品・サービスとの結びつき)を元に商標出願を行っているのであって、商標登録のためにマーケティング戦略を・・・などというのは、ピンボケにもほどがある。

もちろん、これまでのマーケティング戦略の成果を定量化して特許庁の審査官に示す、という戦略が現状必要になっていることは否定しないが、企業にそこまでの手間をかけさせないと登録査定一つ出せない審査官の技量(ブランド戦略に関する知識欠如)の方が問題なわけで、特許庁サイドのコメントを無批判に載せ続けて「企業側に」宿題を課そうとする記事のスタンスにも、また大いに問題がある、と思うのである。

*1http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20151201/1449416848参照。

*2:素人目に見ても(同系色だが)明らかに違う色、というケースも多いが。

*3:新しいタイプの商標の導入に合わせて「商標的使用」の法理が明文で規定された今となってはなおさらである。

*4:ちなみに、今回の記事で取り上げられている「ルブタン」をはじめ、欧州で登録されている色彩商標の例が取り上げられることも多いのだが、欧州域内の原則実体無審査の制度の下で、異議を受けずに登録されている商標がいかにたくさん存在するからといって、それらを全て権利行使可能な代物と捉えることは相当でない(「ルブタン」の話は当の欧州域内でも大ニュースなのであって、この話がこんなに話題になる、ということは、それだけ権利行使が認められる機会が少ないことの裏返しだと自分は思っている)。もちろん日本でも、審査を受けて登録されれば、いつでもどこでも誰にでも商標権を行使できる、という制度にはなっていないのだから、効力が狭いという点では何ら変わりはない。

*5http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20121126/1354466589参照。

*6:拠って立つ基盤が全く異なる欧米の制度を「国際調和」の名の下に日本に持ちこんだらどうなるか、を証明してくれた、という点では意味があるのかもしれないが・・・。

2018-08-17

[][]懲りない特許庁の「意匠制度見直し」への執念。

5月末に「有識者研究会の報告書」なるものに接して、本ブログでもかなり痛烈な批判をしたつもりだったのだが*1、当事者はまだまだ本気でこの施策を進めるつもりらしい。

特許庁が2019年の通常国会への提出を目指す意匠法改正案の全容が分かった。保護期間を5年延ばして25年にするほか、保護の対象にウェブサイトレイアウトや建築物の内外装などを加える。企業が継続して使うデザインも保護しやすくする。技術に大きな差がない商品やサービスはデザインが売れ行きを左右する傾向が強まっているため、権利保護を強める。」(日本経済新聞2018年8月17日付朝刊・第1面)

このアドバルーン記事が殊更に滑稽なのは、ちょうど今月の初めくらいに、当の特許庁自身が、「意匠制度の見直しの検討課題に対する提案募集について」という意見募集を開始し(https://www.jpo.go.jp/iken/180807_isho_seido.htm)、まさに今、意見受付期間中(期間は9月21日まで)、というステータスの中で出てきたものだからだ。

もちろん、この意見募集に際して示されている質問項目の書き方や、添付されている産業構造審議会知的財産分科会意匠制度小委員会の資料*2を見れば、事務方がこの記事に書かれているようなドラスティックな法改正を志向しているのだろうな、ということは、この種のプロセスに対する心得のある者が見ればすぐにわかる。

とはいえ、審議会の議論の終盤に差し掛かった時期ならともかく、まさに国民に向けて「意見募集を始めた」というタイミングでこういう記事を飛ばすというのは、いくら「今やわが世の春」な経産省系の役所だからといっても、決して看過できることではない。

そして、添付されている意匠制度小委員会の資料からしてもミスリードのオンパレードで、おそらく第1回の小委員会の場でも、知見のある委員の方々から相応の突っ込みがあったと思われるにもかかわらず、議事要旨を公開する前に*3パブコメにかけてしまう、という思慮のなさときたら・・・。

内容以前にプロセスがめちゃくちゃなのだから、全くお話しにならない状況である。

なお、多少なりとも実務をかじってきた者として、公表されている資料の内容に細かい突っ込みをしようと思えばキリがないくらい出てくるのだが、やはり一番指摘しないといけないのは、

・諸外国との比較で、あたかも日本では画像デザイン(現在意匠登録できない態様のもの)や建築物の外観デザイン、内装デザインといったものが全く法的保護の対象になっていないように誤解させる記載*4

他の知的財産法(特に著作権法不正競争防止法)による保護の範囲を殊更に限定的に見せようとする記載*5

といったものであろう。

特許庁が所管する意匠制度の下では登録できないものであっても、他の知的財産諸法をうまく使えば、露骨なフリーライド事例のほとんどに有効な対処をすることが可能だし、逆に自由な創作活動を制約するような過剰な権利行使を防ぐためにバランスを取る、という点でも、著作権法不正競争防止法はこれまで非常に良い働きをしてきた*6

ゆえに、行政の肥大化にブレーキをかけるのが喫緊の課題となっている今の日本で、これらの分野に関して、わざわざ余計な行政コストを発生させる「意匠権の保護対象拡大」という施策を取ることの合理性が自分には全く理解できないし、これまで著作権法不正競争防止法が(そしてこれらを解釈する裁判所が)「権利者」の権利行使を拒んで来たようなところにまで、意匠法で新たな「権利行使」の可能性を生み出そうとするのであれば、それは創作へのインセンティブ拡大、イノベーションの促進といった社会の一大目標に真っ向から挑戦することに他ならないから、なおさら合理的な説明は困難だと自分は思っている。

今は、あと一ヶ月以上も残されている意見募集期間の中で、「デザインの創作とそれをめぐる係争の実務を知る者の意見」がきちんと集まること、そして、その結果が、事務方に「このタイミングで法改正があたかも「既定路線」であるかのような記事を飛ばしたこと」を後悔させるようなものになることを、ただただ願うのみである。

*1http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20180529/1527915117

*2https://www.jpo.go.jp/iken/pdf/180807_isho_seido/01.pdf

*3:この記事を書いている現時点において、各委員の発言の詳細は公表されていない。https://www.jpo.go.jp/shiryou/toushin/shingikai/isyounew_06giji.htm参照。

*4:小委員会資料14〜18頁、24頁、25頁。

*5:同19頁、26頁。

*6:見かけ上は「権利」になっていても、実際にそれを行使するためのハードルが非常に高い諸外国に比べれば、日本の方が遥かに権利者を救済しやすい制度になっているといえるし、逆に“デザイントロール”的な動きをさせない、という点でも、日本の制度には一日の長があると思われる。

2018-06-23

[][] 決断しないことがもたらす危機。

今年に入って、大規模な海賊版サイトの摘発があったことを契機に、悪質なサイトへの「サイトブロッキング」をめぐる議論が一気に盛り上がっている。

遂に、政府も知的財産戦略本部にタスクフォースを立ち上げ、法制化に向けた議論を開始するようなのだが・・・。

「漫画などの海賊版を無断掲載するサイトがインターネット上で横行している問題で、政府の知的財産戦略本部(本部長・安倍晋三首相)の有識者会議が22日、法規制の検討に着手した。海外ではサイトへの接続を遮断(ブロッキング)する法律やルールがあるが、日本にはない。著作権侵害を防ぐための対策作りでは一致したが、ブロッキングに向けた法整備については出席者から慎重な意見も出た。」(日本経済新聞2018年6月23日付朝刊・第7面)

座長には、中村伊知哉教授、村井純教授というビッグネームを並べ、「知的財産戦略本部 検証・評価・企画委員会 インターネット上の海賊版対策に関する検討会議(タスクフォース)」という長いタイトルの会議体を作って気合いを見せているものの、著作権法の専門家から、憲法学者、民事訴訟法学者、そしてプロバイダー業界の利益代表から消費者団体の関係者まで、20名もの委員でテーブルを囲んでどこまで建設的な議論ができるのか・・・*1

そう簡単に話がまとまるとは思えない。


自分は、そもそもの話として、「悪質な海賊版サイト」への対策を議論する際に、「表現の自由」という憲法上極めて高度な価値を有する人権を反射的に論点として掲げるのはあまりにナイーブに過ぎると思っているし、そういう戦術を取ることが、かえって人権の価値を貶めるリスクにも目を向けるべきではないかと思っている。

世界中のどこを見回しても、「第三者が創作した著作物のデッドコピーを営利目的で公表する自由」とか「そこにアクセスする自由」を享受することが、オリジナルの著作物を創作した者の利益に常に優越する、とカテゴリカルに認めるような国は存在しない。

もちろん、サイトブロッキングという手法や、ブロッキングの対象となる範囲、判断基準といったテクニカルな話については、当然議論もあるところだが、多くの国では、「表現の自由」や「通信の秘密」といった原理原則を超えて悪質サイトへの直接的なアクセス制限を許容している、という実態もある。

現在、サイトブロッキングに反対の声を上げている業界や実務家の中には、「法律」で決まるならそれに従う、というスタンスの方もそれなりにいるのだろう。

だが、憲法上の価値の侵害を恐れる人々が、国家の権力作用である「立法」にアクセス可否の判断を委ねる、というのは本来おかしな話なわけで、特に、日本のように条文の一言一句に過度に律儀で、解釈によって危ない橋を渡ることに極めて慎重な文化が染みついている国で、「法律」によってサイトブロッキングという手法を導入することには、個人的にかなりの不安を抱いている。

「著作権侵害」という概念の曖昧さゆえに、本来規制対象とすべきではない風刺の利いたパロディサイト等にまでサイトブロッキングの魔の手が及ぶリスクはないのか、条文をこねくり回すだけでそういった過剰規制を防ぐことができるのか等々、考えれば考えるほど悩ましい。

本来であれば、こういった「悪質な海賊版サイト」への対応は、プロバイダー業者の自主的な措置に委ねる方が、理に叶った落ち着きどころを見つけられるはず。また、プロバイダー業者と海賊版サイト運営者、ユーザーとの関係は、あくまで私人間の関係に過ぎないから、憲法上の人権条項が直接適用されるリスクも極めて低い*2

それにもかかわらず、なぜプロバイダー事業者は、一部の会社を除いて自らアクセス遮断の是非を判断せずにいるのか?

この種の議論が出るたびに、プロバイダー事業者サイドから繰り返される単調な主張を眺めていると、自らが当事者となって権利者と、違法サイト運営者、一般ユーザーとの調整を行う面倒くささを回避するための方便として、憲法解釈論の衣をかぶった“建前論”を並べているだけではないか、とうがった見方をしてみたくもなるわけで・・・。

何も権利者の言いなりになる必要はない。政府が「緊急対策」を打ちだしたからといってそれに唯々諾々と従う必要もない。

真に表現の価値を重んじるのであれば、憲法上の人権保障という観点も踏まえてもなお、看過できないほど創作者の利益が害されている場合に限ってアクセスを遮断する、という客観的な利益衡量に基づく(常識にかなった)判断をすることがプロバイダーに求められる役割であり、それを自ら行ってこそ、通信事業者としての独立性も担保される。

そのような所為を回避して、事実上国家に判断を丸投げするのは、自分で自分の首を絞める行為に他ならないと思うのであるが・・・。

これからの議論がどう転ぶにしても、今直面している問題が、これまでプロ責法に守られ、自らリスクを負うことを極力回避してきたプロバイダーのあり方を考え直すきっかけになることは避けられないし、そうなってこそ議論する意味がある、自分はそう信じている。

*1:構成員についてはhttps://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/tyousakai/kensho_hyoka_kikaku/2018/kaizoku/dai1/siryou1-1.pdf参照。

*2:電気通信事業法上の規定に関しては、若干の改正が必要になってくる可能性もあるが、既存の規制の例外を作るだけだから、一からルールを設けようとするよりは負担も少ない。

2018-06-01

[][][] 「世界のコレエダ」が発した警句。

先日のカンヌ映画祭で、遂に最高賞を受賞した是枝裕和監督。

テレビの世界からキラリと光る作品を送り出し、そこから銀幕へと活動の軸足を延ばしていった(それゆえ、物語の“見せ場”を心得ていて、見る者を飽きさせない)、という点では、かつて自分が熱狂した岩井俊二監督とバックグラウンドが共通しているし、それでいて家族の姿を、そして社会に焦点を当てている、というところは日本の伝統的な映画界の潮流にも通じるところが多い、ということで、ここ数年では自分の中でも断トツの存在だっただけに*1、この偉業は素直に嬉しい。

そんな是枝監督が、日経紙文化面のロングインタビューの中で、以下のようなコメントを残している。

「映画にはビジネスや芸能など色々な要素がわい雑に入り込んでいて、だからこそ面白い。でも欧州の映画祭で向こうの映画人と話していて感じる映画の豊かさを、日本で感じるのは難しい。日本に帰ると、カンヌをワイドショーのネタとしてしか考えていない人がいますよね……。映画を語る言葉が成熟していない。」

「若い作家を育てるにはちゃんと文化助成の予算を確保すべきだ。ただ映画が国に何をしてくれるかという発想でしか文化を捉えられない人たちが中心にいる今のこの国の状況では、国益にかなう作品に金を出すという発想にしかならない。日本のコンテンツを外国に売り込むという発想しかない。それでは意味がない。」(日本経済新聞2018年6月1日付朝刊・第40面)

前半は、他の映画関係者のコメントでもよく見かける類のコメントだが、強烈なのは後半のそれ。

そして、これがまさに、自分のここ数年来のモヤモヤ感にストレートに嵌るものであった。

今の政権が掲げる「コンテンツ立国」という看板とその裏に透けて見える発想の浅薄さ*2、そして、商業性と文化性という映画の二大要素を両立させ自らの腕で世界への道を切り開いた現代日本のマイスター自身が、今の政策に対して批判の目を向けている、という事実は重い。

もしかしたら、「予算を確保するためには、同床異夢、こじつけでも『国のため』を掲げるしかないではないか」という反論もあり得るのかもしれないが、「国策」になった瞬間に文化というものは彩を失い、地に堕ちた存在になるのは、これまでの歴史が証明しているとおり。

是枝監督は、

「業界全体で若手を育てるため、フランスのように興行収入の何パーセントかを製作の助成に回してほしい。それをやらないと文化としての映画はどんどん細くなる。移民も含めたフランスの映画人がすごいと思うのは、自分たちが映画文化を担うというプライドと気概が明快にあることだ。アジアの若い作家がフランスの資金を獲得しようとするのも、フランスの制度がオープンだからだ。」

という提案をしつつ、最後には、

「日本の国内マーケットは細くなるし、多様性も欠けている。自覚的な作り手は海外に出て行くと思う。そうすることで、若い人の未来像も多様化していくのかなと思う。」

と「国」としてのマーケットに関しては、極めて悲観的な見通しを示しているのだが、その背景には、「国策で育てられた虚構のマーケットよりも、日本の外で日本にルーツを持つ真の文化人が育つこと」への期待が込められているような気もして・・・。

いろいろと考えさせられるところが多い、そんなインタビューコメントであった。

*1:特にお気に入りは「海街Diary」。国際線の機内で何度となくリピートした。

*2:かつて、http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20150621/1435468778のエントリーで穏やかに批判したとおり、自分は、安倍政権になってからの官邸&経産省主導の知財政策はことごとく的を外していると思っているし、その間に、世界の中での日本の文化的な立ち地位が揺らいでいることにも強い危惧を抱いている。

2018-05-29

[][]「デザイン経営」という言葉の空虚さ。

今月半ばに日経新聞が「店舗デザインも保護 意匠権特許庁方針」という見出しの記事*1を飛ばして以来、「有識者研究会」って何だ?一体何が起きるのか?と戦々恐々で眺めていたのだが、24日になって、それらしき報告書が経済産業省のホームページにアップされた。

産業競争力とデザインを考える研究会-報告書

http://www.meti.go.jp/report/whitepaper/data/20180523001.html

これなら見たことがある。

ちょうど一年前、以下のような記事が日経新聞に載った。

「経済産業省はデザインで産業競争力を高める総合対策を打ち出す。デザイン振興を進める国家戦略を制定するほか、ブランドの象徴となるデザインを一括で保護するような意匠法の改正などを検討する。米アップルや英ダイソンなど、デザインで製品の魅力を高める企業が日本には少ないとみて、日本企業のブランド向上を後押しする。」

「5日に「産業競争力とデザインを考える研究会」の初会合を開く。2018年3月までに具体策を盛り込んだ報告書をまとめ、戦略制定や19年の法改正を視野に入れる。」(日本経済新聞2017年7月5日付朝刊・第5面、強調筆者、以下同じ。)

2018年3月、という時期は少しずれたようだが、これと対になるような記事も、5月22日の日経電子版に載っている。

特許庁は21日、庁内の有識者研究会で、デザインを生かした経営の推進に向けた報告書をまとめた。米アップルや英ダイソンなど、海外勢による「デザイン重視」の製品開発が技術革新や企業競争力の向上につながっていると指摘。日本企業に対してもデザインに関する知見が豊富な人材を積極登用するなど、経営層の意識変革を求めた。」

同庁は報告書で意匠法改正についても提起した。2019年通常国会にも同法改正案を提出し、製品を売るためのデザイン性に優れた店舗の外観や内装についても保護対象に加える方針だ。従来はクルマや家電など主に製品のデザインを意匠権として保護していた。」(https://www.nikkei.com/article/DGKKZO30763090R20C18A5EE8000/

「経営層の意識変革」どうこう、といった話はまぁどうでもよい。

概要ペーパー(http://www.meti.go.jp/report/whitepaper/data/pdf/20180523001_04.pdf)等、今回リリースされた資料には、

「デザインは、企業が大切にしている価値や、それを実現しようとする意志を表現する営みであり、他の企業では代替できないと顧客が思うブランド価値とイノベーションを実現する力になる。このようなデザインを活用した経営手法を「デザイン経営」と呼び、

それを推進することが研究会からの提言である。」

というフレーズが繰り返し出てくるが、これまでの「ブランド経営」的な発想の焼き直しに過ぎないし、比較対象となっている海外企業には、デザイン以前に機能だったり、売るためのビジネスモデルで負けている、という現実に目を背けるものでしかない。

別冊として添付されている「デザイン経営」の先行事例にしても(http://www.meti.go.jp/report/whitepaper/data/pdf/20180523001_03.pdf)、読み物としては面白いが、それ以上でもそれ以下でもない。

製品の優れたデザインが、市場に大きなインパクトをもたらした例が多々あることは否定しないが、長年ビジネスの世界に身を置いている人間には、それが必ずしも「事業戦略の最上流からデザインが関与」した結果ではない、ということも身に染みて分かるわけで*2、ビジネス、経営の素人である特許庁の事務局がいくら拳を振り回したところで、心に響く答えは生まれない。

何よりも自分が一番違和感を抱いているのが、「デザイン経営」というフレーズの合間合間に出てくる「意匠法の改正」という、実にチープな政策提言である。

数年前、産業界の反対を押し切って、画面デザインの意匠権での保護を正面から認める方向に舵を切った。国際出願のポータルになれるようにするための手続きも整えた。それでも、ここ数年、全く意匠出願件数は横ばいで*3、メーカーの国際競争力が回復した、という話も聞かない。元々、やろうと思えば、不正競争防止法でも、著作権でも、立体商標制度でもデザインを守れるこの国で、意匠権の存在意義は今やほとんど消滅しているのだが、それだと意匠課が困るから・・・ということなのか、再び、「意匠法」という化石を持ち出してくる特許庁の面の皮の厚さは、発表資料のデザインをいかにおしゃれにしたところで、隠しきれるものではないように思う。

「産業競争⼒の強化に資する今後の意匠制度の在り⽅」(http://www.meti.go.jp/report/whitepaper/data/pdf/20180523001_02.pdf)という資料に記された意匠法改正の“野望”は極めて多岐にわたる。

「例えば、画像デザイン等、新技術の特性を活かした新たな製品やサービスのために創作されたデザインを適切に保護できるよう、意匠法における意匠の定義を⾒直すなど、意匠法の保護対象について検討を進めるべきではないか。」(2頁左)

「⼀部の空間デザイン(筆者注:ここに建築物の内外装も含まれるようである)を適切に保護できるよう、意匠法の保護対象の範囲について検討を進めるべきではないか。」(2頁右)

「⼀貫したデザインコンセプトによって創作された後発のデザインについて、最初に出願されたデザインが公開された後であっても意匠登録をすることができるよう、諸外国に先駆けて検討を⾏ってはどうか。」(3頁左)

「デザインによるブランド形成、及びブランドの維持に資するよう、意匠権の存続期間について検討を⾏うべきではないか。」(3頁右)

⼀つの出願に複数の意匠を含むことができるよう、組物の意匠の規定との調整をはかりつつ検討を⾏うべきではないか。」(4頁)

「願書の「意匠に係る物品」の欄の記載の要件について、検討を⾏うべきではないか。」(6頁左)

「国際意匠登録制度や外国の意匠登録制度との調和を意識しつつ、図⾯要件の緩和について、部分意匠の取り扱いも含めて検討を進めるべきではないか。」(6頁右)

この中でありがたい改正があるとしたら、6面図提出原則の見直しくらいか。他の「提言」は保護範囲を広げたり、権利を強化したり、と、ろくなものではない。そうでなくても権利関係(デザイナー、施工者、物件のオーナーから資金を拠出した店子まで、関係者は極めて多い)かをめぐって紛糾しやすい建物・店舗の外観を「意匠権」の保護対象などにしたら、混乱が生じるのは目に見えている。

自分は、実質早い者勝ちで登録できてしまう上に、それに依拠していようがいまいが権利行使できてしまうこの種の権利は、創造を妨げるだけで有害無益なものだと思っている。特に、日本企業よりも、かつてはライバルだった中・韓企業の方が大量出願する余力を持っている今となればなおさらだ。

だからこそ、日本の知的財産権保護法の体系と、その現場レベルでの実務、さらには日本の産業界が置かれている現状を深く理解し、ポジショントークを廃して冷静に議論できる人に、この種の政策議論をしていただきたいと思っている。

そうでなければ、制度をいじればいじるほど、コストがかさみ、新たな創造を妨げるフラストレーションの多い世界になってしまうから。

次のステージでは、本物の有識者の叡智に期待したい。

*1日本経済新聞2018年5月20日朝刊・第1面。https://www.nikkei.com/article/DGKKZO30735930Z10C18A5MM8000/

*2:ネーミングにしてもデザインにしても、ヒットするかどうかは、たぶんに偶然に左右される。一発当たったために、二匹目のどじょうを狙ってブランド、デザイン部門を強化したものの、コストを嵩上げするだけに終わってしまった、という例も多く聞くところだし、そういった事例まで含めて分析対象としなければ、フェアな報告書とは到底いえない。

*3:法改正で上乗せになった件数を除くと、実質的には大幅減である。

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