企業法務戦士の雑感 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2018-03-14

[][]全てはその一矢、のために。

最近、ちょっと前までなら、「あり得ない」と言われてしまうようなタイプの組織不祥事がとみに顕在化しているような気がする。

ここ数年ずっと世を騒がせてきた某大手メーカーの件しかり、今まさにクライマックスを迎えつつある森友問題しかり。

公益通報した社内弁護士にコテコテの不利益処分をした結果、「訴訟」という伝家の宝刀を抜かれてしまった某精密機器メーカーの事例なども世に晒されているし、某住宅メーカーの社長、会長解任ドタバタ劇にしても、原因となった土地売買問題自体がこの規模の会社なら通常考えにくいレベルの話の上、その後の取締役会で「出来事」が起きた後の処理も不可思議である。

隠したところでいずれバレてしまうような“弥縫策”に走ったがゆえにかえって墓穴を掘ってしまった、というのは、かつては組織の末端にいる人々の失敗パターンだと思われていたし、今でもそういう人々が時々やらかすある種の伝統芸であることは否定しない。

ただ、最近の組織不祥事の中には、同じようなことを大きな組織の上級幹部が、場合によってはそのトップ自身が指示してやってしまう、というものも現実に見られるわけで、後から見れば、誰もが「何でそんなことを?」と思うようなことを「偉い人の指示だから」ということで誰も止められず、そして、その結果、どんどん問題となる作為・不作為がエスカレートしていって、やがて爆発・噴出し、万事休す・・・ということになることも多い。

一度、法を逸脱した作為に身を染めてしまうと、後で我に返って「こんなことをしてはいかん」と思ったところで、自分自身が既に加害者、不法行為者になってしまっているから、それが足かせになって軌道修正ができなくなる。スタンスを180度切り替えて、アホな指示を出した上司、トップを告発しようものなら、自分がしっぽ切りで生贄にされるだけ、だから、結局ズルズルと違法行為の隠ぺいに加担させられてしまう・・・。

森友事件などはそんなパターンの典型だといえるだろう。

こういった現象を、「今までだって多くの企業で起きていたこと」と開き直り、「社会の透明性が高くなったために、今までなら水面下で揉み消されていたものが目に見えるようになった証左だ」といえば、多少聞こえが良いのかもしれないが、意地悪な見方をすれば、かつて、社内外で「実力者」と呼ばれた人たちが絶妙のさじ加減で道を踏み外さずにギリギリのところで守っていたものが、跡を継ぐ人々の能力不足で露骨な違法・脱法行為に転化してしまっただけなんじゃないか、と思うところもある。

で、翻って、このような現象を別の角度から眺めたらどうなるか。

自分は「法務」というのは、たとえ上司の命令だろうが、極端な話、社長から直接下りてきた命令だろうが、“法”という武器を手に正面から向き合い、会社が誤った方向に行きそうになったら必死の覚悟で止める、ということが要求される仕事だと思っていて、それを体を張ってできる奴しか、「法務」人を名乗ってはいけないと思っている。その意味で、日本的な「忖度」は決して歓迎されないし、ましてや目をつむって違法行為の片棒を担ぐことなど到底許されることではない。

そして、組織全体が目に見える形で正義に反する方向に向かっている場合などは、まさに「法務」というセクションにいる者すべてが、職を賭してでも楔を打って、それを止めるために覚悟を決めなければいけない、と自分は思っている。

もちろん、悲しいことに、組織の中核にいる人たちの価値観が歪み、文字通り「会社が一体となって」(苦笑)法を犯す方向に向かっているような環境では、法務部門が横から口だしをする機会など、与えられもしないことがほとんど。そして、そんな状況でいくら格好つけて「職を賭してでも」といったところで、通常の日本の組織ではそのカードが一度しか切ることができないものである以上*1、ことの解決にはつながらないし、そういう状況に立ち会えば立ち会うほど、空しさしかこみ上げてこないことも多々あるのだけれど・・・。。


結局のところ、どんな組織でも「正規の意思決定のプロセス」というものが確立されている以上、そこに"横ヤリ”を入れることにはかなりの労力を要する。

ましてや、役員室の中で起こっているような出来事に対し、いきなりそこに飛び込んで行って意見を述べることなど「打ち首」を覚悟しなければできるものではない。

だから、上に掲げたような理想をいつでもどこでも実践できる、と信じるのは一種のお花畑信仰に過ぎないし、それにもかかわらず24時間365日、「法務」に関わる人々にそういった理想通りの生き様を求めるのは、安全な場所にいる空想主義者の単なる無責任な言説でしかないのは確かだ。

ただ、どんな醜悪な状況に陥っている組織でも、(その組織が完全な反社会的勢力でないのであれば)そのプロセスの中で、一度や二度は、社外の弁護士の助言を得ることも含めて、「法務」という職能に頼らざるを得ない時は必ず来る。

そして、そういったタイミングで「法務」としての見解を求められた時に、「違法なものは違法」と(時には社外専門家の言葉も借りて)ビシッと言い切ることができれば、ちょっとでも何かを動かすこと、変えることができるかもしれない・・・。

遅かれ早かれ、自分が組織を離れる時は来るわけで、そうなったらいくらでも今見聞きしたことを公にすることはできる。

また、そこまで行く前に良心の呵責に耐えきれなくなったら、社内通報*2でも社外通報でも、あらゆる手段を使って矢を放つことはあり得るのかもしれない。

だがその前に、目の前にボールが転がってくることを辛抱強く待つこと、そして、一度でもボールが転がってきたら、迷うことなくそれをゴールの中に叩きこむこと。

それこそが、今、自分の立場でやらなければいけないことだし、それが、正攻法で結果を残してこそ、という自分の美学に最も近い形でもある。

果たして、全ての真相が明らかになり、関わった者たちが断罪されるようになった時に、自分がどこで何をしているかは分からないけれど、今は精一杯の準備をして、いざという時に一発で形勢を逆転させられるような作戦を日々練ることが求められているのだ、と言い聞かせながら、もうしばらく今いる場所で、生きてみようと思っている。

*1:辞めてしまえばそれまでで、それ以上に組織内にコミットすることは不可能である。

*2:組織全体が狂った方向に向かっている時には、事実上ほとんど意味をなさないものなのも確かだが・・・。

2018-02-15

[][]歪んだ集団心理の真ん中で「法令遵守」を叫ぶことの苦しさ。

一週目にして早くもメダルラッシュの様相を見せている平昌五輪。

本来であれば、のんびり観戦記でも書きたいところなのだけど、残念ながらここ数日、そんな気が湧いてこないほどいろいろとざわついている。

ついこの前まで“他人事”のように見ていた某O社の話が急に身近なことのように思えてしまうような状況、といえば、概ね察しはつく人もいるかもしれない。

職業上の倫理観と現実のはざまで、忸怩たる思いを抱えながら、行ったり来たりしている感じである。

これまで様々な不祥事事案とか、「経営の失敗」事例に接するたびに抱いていたある種の仮説が、ものの見事に当てはまる、ということが分かったのは、一種の収穫。

だが、できればそういう場面に当事者として立ち会いたくはなかった。

今、改めて感じていることは、「平時」に百度百度「コンプライアンス」を唱えることよりも、興奮状態に陥った組織の中で最低限の「法令遵守」を貫くことの方が、ずっと大事だし、難しい、ということ。そして、それをしようと思ったら、自分だけでなく、自分の身近な人々の血が流れることも覚悟しなければいけない、ということ、である。

人生における様々な物事の優先順位の中で、ここに全てを賭ける価値があるかどうか、ということへの逡巡が、自分の動きを鈍くしているところもあるのだけど、これから一晩、二晩、思いを重ねて、冷静に思考を磨き上げた末にたどり着いた結論が、その先の一歩につながるのだろう、と思っているところである。

2017-12-26

[][]「経験」と「想像力」の間にあるもの。

年末、それも平成30年を目前に控えた年の瀬、ということもあって、どこのメディアでも比較的骨太な特集記事を見かけることが多いのだが、そんな中、日経朝刊に塩野七生氏の1面ぶち抜きインタビュー記事が掲載された。

彼女の著作を全て読んだわけではないが、いくつかの著作とインタビュー等での言動を見る限りでは、彼女の歴史観、価値観は自分のそれとはかなり乖離しているし、今回の記事の主要な部分も含めて、“マッチョなおばあちゃん”以上の印象は抱いていない*1

ただ、今回の記事の中の以下のくだりには、ちょっと引き付けられるところはあった。

「総司令官の戦略、戦術の成功はしょせんは兵士たちの働きにかかる。総司令官が一介の兵士たちのことを一番分かるのは経験したからではない。彼らには想像力がある。経験しないと分からない人は想像力がない。よく下積みをやらなければ下積みの気持ちは分からないと言う。それはトップクラスには当てはまらない」(日本経済新聞2017年12月26日付朝刊・第6面、強調筆者)

誤解を避けるために言うと、自分は「下積み」的な経験を全くせずに、本当の意味での「司令官」になれる人間なんていないし、そうなれると思っている人がいるならただの勘違いだと思っている*2


塩野氏は、上のくだりに続くエピソードとして、

「戦後復興に携わった下河辺淳さんが国土事務次官を辞める時、松下電器産業(現パナソニック)の松下幸之助さんに『ぜひウチに来てくれ』と言われた。でもその時に『工場からやってくれ』と条件を出されたからやめた方がいいと考えたといいます」

「松下幸之助さんは経営者として相当にバランスの取れた男です。しかし彼にも下積みをやらないと下積みのことは分からないという考えがあったのではないか。下河辺さんに言わせれば『それくらいの想像力がなくて国土計画なんてやっちゃいられない』と」(同上)

という話を紹介しているが、(そもそも「工場から」というのが「下積み」なのかどうかはさておき)工場の現場を知らずに、製造業の会社を動かすことなんてできないのだから、真偽はともかく、この話のとおりなら、下河辺氏の姿勢に賛成できるところは全くない*3

ただ、これだけ変化の激しい時代に、すべてを「経験しなければわからない」というスタンスでやろうとすると、人生にどれだけの時間があっても足りない、というのもまた事実である。

自分も、これまで「営業の現場」「交渉の現場」から叩き上げて今の仕事をやっているわけだし、結果的には「現場」の経験が恐ろしいほどいろんなところで生かせたからこそ、社内でも社外でもそれなりの地位にいられるのだけど、「法務」にしても「知財」にしてもカバーする領域はあまりに広く、その中身の変化も早すぎるから、長く続ければ続けるほど、本当の意味で「現場」を経験している領域は狭くなっていく。

そうなってくると、後は「想像力」でカバーするしかないわけで、それは、「事業部門」と「管理部門」という関係においてもそうだし、他の「管理部門」(財務とか人事とか)との関係においてもそうである*4

もちろん、勝手に頭の中で想像するだけでは全く意味がないから、徹底的なヒアリングとか、視察とか、時にはものの本に頼りつつ、経験則に当てはめていくことになるのだけれど、いずれにしても、会社の中である程度の立場になってくると、

「経験したことがないのでわかりません」

といったヒヨッた対応をすることは許されなくなるわけで*5、経験のよりどころがなくても、自分の職能と所管分野に引き付けて、何とか有益なコメントを捻り出さないといけない。

ゆえに、「トップクラスになるためには『想像力』が必要だし、それを備えてこそトップクラスの人材になれる」という意味では、塩野氏のコメントには頷かされるところが多かった。

そして、この話は、決して「組織」の中だけの話ではないよな、ということも、感じた次第である。

*1:元々、自分の場合アナーキスティックな傾向が強くて、特に、国家とか大企業に「優れたリーダー」なんて全く必要ない、と思っているクチだから(「優れたリーダー」が必要なのは、小さい組織を大きくするところまでで、その後は凡庸な人間が上で治めた方が、自由な気風の下で改革が加速する、という発想)、相容れるはずもない(笑)。

*2:日本の会社の「下積み」文化に問題があるとしたら、「『下積み』時代のどのような経験が、その人が本来担うべきポジションに行ったときに役立つか」という分析が十分なされないまま、「とりあえず経験しとけ」的な一種の「精神論」でことが進んでいるところ、だろう(将来のその人のキャリア設計に応じて、「下積み」にも有益なものとそうでないものがあることは否定できない。本当にトップレベルの人材はどんなに意味が乏しいように見える「下積み」も将来の武器に変えてしまうのだが・・・)。

*3:例えば、弁護士を中途採用する場合、いきなり本社の法務部門のようなところに配属するケースが多いのだが、社内での相談対応で相手とのコミュニケーションを取ることさえロクロクできていない人が多い(企業系法律事務所における弁護士・クライアント間のやり取りと、会社の中でも法務部門・相談部署間のやり取りは、正直言ってコミュニケーションのレベルが数ランク違うから、法律事務所時代のやり方をそのまま持ち込んでしまった結果、「相手が持ってきた情報以外は何も引き出せない」「相手が求めていることの裏も把握できない」という『Eランク人材』に陥ってしまっているケースは決して少なくないように思われる)現状を見てしまうと、接客営業等の現場でいかに相手の心をつかむか、といったトレーニングを1〜2年やってもらってから配属した方がよっぽど良いのではないか、と思わずにはいられない。

*4:個人的には、他の管理部門の話は、どんなに専門的な領域の話だったとしても勘所は比較的掴みやすいのだけど、事業そのものの話は、相当高いレベルの想像力を働かせないとキャッチアップできない、という気がしている。

*5:正確に言うと、そういう答えをしている限り、「教科書の知識しか持たない専門家」以上の評価は得られないから、自ずから会社の大きな意思決定に関与する機会は奪われることになる。もちろん「専門家」のポジションに留まることに快感を抱ける人はそれでもよいのかもしれないが、そういうポジションに留まっている限り、普通の会社ではいずれ居場所はなくなる。

2017-12-18

[][]マンネリ化した余興とそれに踊らされる人たち?

毎年、法務面にこの特集が載ると、今年も終わりだなぁ、と思う。

「日本経済新聞社が実施した第13回「企業法務・弁護士調査」で、回答企業のほぼ半数が、弁護士を社員などとして雇う「インハウス(企業内)弁護士」を3年以内に増やす予定であることが分かった。法務部門自体も、一般社員の増員も含め7割弱の企業が拡充するという。企業統治の重要性の高まりやM&A(合併・買収)の増加などを背景に、法務対応を重視する企業が増えている。」(日本経済新聞2017年12月18日付朝刊・第13面)

ここで「本題」とされているテーマについては、さして言及するようなこともない。

アンケートの対象は主要520社、うち195社が回答、といっても、顔ぶれを見れば、先進的大企業から、なぜここが?というような顔ぶれまで様々。

全体としてみれば、まだまだこれから法務部門を作っていかないといけない、という会社が多いから、そういうところで「7割弱」という数字にはなっているが、これまで法務業界を引っ張ってきた会社の法務部門では、既にピークアウトと言えるような現象が起きているのも、我々は目撃しているわけで、「法務部門が担う役割の増加」という一昔前の分析コメントに大きな意味があるとは到底思えない。

また、「複雑で専門性も高い課題に対処するため、弁護士の知見を生かしたい」から「インハウス弁護士を増やす」という回答をした会社もあるようなのだけど、そんな課題に即戦力で対応できる弁護士なんて、世の中にそうそういるものではない、ということも、企業の現場は学んでいる。

純粋に(法曹以外の)「法学部卒」と言われる人たちが減少していることが、「穴埋めとしての弁護士」の採用数を押し上げている面もあるし、最初の一人、二人は弁護士という「ブランド」に騙されて採用してしまう会社もまだまだ多いのだけど、やがて時が経つにつれ、「弁護士」という資格・肩書きを持っているからといって、全ての人が法律問題にセンス良く対応できるわけではないこと、そして、そんな資格・肩書きは、社会人として仕事をする上での能力を全く担保していない、ということに気付いてしまうので、これも減ることはないにしても爆発的に増えることはもはやないだろう。

結局今年も、期待に違わず“3年遅れの統計”感は、最後まで拭えなかったように思うし、アンケートの対象となった企業の中の人であればこの企画の記事を読んで右往左往することも決してないだろう、と思う*1

そして、その後に来るのは、今年も「企業が選ぶ弁護士ランキング」

<企業法務分野>

1.中村直人(中村・角田・松本)16票

2.太田洋(西村あさひ)13票

3.野村晋右(野村綜合)11票

4.柳田一宏(柳田国際)10票

5.菊地伸(森・濱田松本)9票

5.石綿学(森・濱田松本)9票

若干の順位の変動はあったものの、中村直人弁護士のトップは不動。

先日、『クボリ伝』という本の中に、「人気弁護士ランキング」の表が1995年の第1回からしばらくの間*2の分までずっと掲載されているのを見て、ちょっと懐かしい気持ちになったものだが、それと同時に自分が一番驚いたのは、あの時代、まだ30歳代だった中村弁護士が、ランキングの常連として、既に君臨していた、ということ。

それだけ、「企業法務系弁護士」を取り巻く環境もこの20年の間に変わったのだと思うけど、今、同じ世代であんなに名の売れた弁護士なんて、ほとんどいないわけで、個人的にはちょっと寂しい気持ちになる。

いつかは世代交代が進むのだろうけど、その頃には、この特集も、さらには、「新聞」の存在そのものがどうなっていることやら・・・。

いずれにしても今は、“夜明け前”。

そんなふうに感じさせてくれた結果だったのである。

*1:その意味でこの企画は完全なる「余興」。アンケートの対象にならなかった一部の会社の人が、ワイワイ騒いでいると聞いたが、「本題」にしても、「人気ランキング」にしても、所詮余興にすぎない企画への対応に、忙しい対象企業の人間が無駄な労力を割く、と邪推するのは大いなる勘違いなのである。

*2:要するに久保利弁護士が上位に名を連ねていた期間

2017-10-24

[][]そしてまた、盛り上がらなかった国民審査。

公示日直前くらいまでは、「久々に盛り上がるかな」という期待を一瞬抱かせてくれていた衆院選も、結果的には元最大野党だった議員さんたちが大量に「ただの人」になる、という結果を招いただけだった。

今回の敗因として、「排除します」発言がやたらクローズアップされているのだが、本当に問題だったのは、政策志向も思想信条も異なる人たちが「小池百合子」というブランドに擦り寄ってしまったことの方で、この点については、24日付日経紙座談会の土居丈朗慶大教授の以下のコメントに尽きていると思う。

「小池氏は改革保守と言うが、彼女が保守として経済政策で立てる隙間は、政府の関与を抑えて市場に委ねる「小さな政府」寄りにあった。安倍首相は小泉内閣で育てられた人だが新自由主義は標榜しておらず、より「大きな政府」に近づいている。だから小池氏には日本維新の会のような小さな政府に近い位置をとる方が自然で、保守層の中にもそこに強い支持を持っている人はいた。だが(大きな政府寄りの)民進党とまず合流を決めたことで、保守かリベラルかさっぱりわからなくなった。」(日本経済新聞2017年10月24日付朝刊・第7面)

ここでは「維新の会」が例に挙げられているが、個人的には初期の「みんなの党」の公約に近いモノを掲げて戦えばいい勝負になっただろうし、実際、立候補者の中にも、みんなの党や維新の会の系譜を受け継いでいる人たちは多かった。にもかかわらず、そこに、ついこの前まで「社会保障を手厚く」と言っていた人々が合流した結果、候補者のラインナップを見ても、もはや支離滅裂*1

結果的に重視されたのは「継続性」で、何も変えていない自民党・公明党連合と、それまでの看板を貫いた立憲民主党・共産党連合が「勝ち組」になったのは必然だったといえる。

ゴタゴタの末、一番割を食ったのは、今回、世の中を変えよう、人生を変えよう、と思い立って立候補し、“小池チルドレン”になり損ねてしまった人々だろうけど、その志が本物ならば、2020年くらいまでは心を折らずに風雪に耐えてください、と思わずにはいられない。

さて、前振りが長くなったが、最高裁裁判官国民審査の結果も出た。

「一人一票」問題もあって、以前に比べると比較的盛り上がることも多いこの話題だが、開票後はあまりにひっそりとしか結果が取り上げられないこともあって、「全員信任だよね?」「当たり前じゃん」「つまんないね〜」というしょうもない会話で終わってしまうことがほとんどである。

そして、今回の国民審査は、衆院選に輪をかけて平凡な結果に終わった*2

<罷免を求める票数と不信任投票率>

小池 裕 4,688,017(8.6%)

戸倉三郎 4,303,842(7.9%)

山口 厚 4,348,553(7.9%)

菅野博之 4,394,903(8.0%)

大谷直人 4,358,118(8.0%)

木澤克之 4,395,199(8.0%)

林 景一 4,089,702(7.5%)

2016年参院選の大法廷判決で「多数意見は・・・違憲状態を脱したと評価するが,私は,一人一票の原則及び投票価値の平等原則に照らした場合,・・・そこまでの評価を明言することにはためらいがあるため,多数意見に完全には与することができない。」と、ささやかな抵抗を見せた*3、林景一裁判官の罷免票が少ないことと、職業裁判官の立場から保守色の強い意見(特に厚木基地騒音事件など)を書かれている小池裕裁判官の罷免表が相対的に多いのは予想通りだったが*4、それでも票差としては60万票程度で、そんなに有意な差が付いているわけではない。

そして、全体的に、不信任投票率は過去2回と比較しても下がっている。

おそらく、投票前のエントリー*5でも書いたように、どの裁判官も就任から日が浅い上に、個別意見の実績も乏しく、「×」を付けるだけの判断材料が乏しかった、というのが一番の理由だろうけど*6、“禊”を済ませた各裁判官たちが書き出した個別意見を見て、数年後に後悔する人が出なければよいなぁ、というのが率直な感想である*7

*1:一通り立候補者のリストを見て、「なぜこの人が、ここで、この党から出ているんだ?」という突っ込みが、各県ごとに入るような選挙はなかなかあるものではない。

*2:ソースは、日本経済新聞2017年10月24日付朝刊・第46面。

*3:なおこのくだりをもって林裁判官が「違憲状態」との判断を示した、と紹介するサイト等が多かったが、過去の「違憲状態」判決、ないし個別意見と比較すると明らかにトーンが一段柔らかになっているため、そこまで言い切らない方が良いのではないか、と個人的には思うところである。

*4:もっとも小池裁判官の場合、一番最初に名前が来ている、ということが災いした可能性もある。

*5http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20171019/1508435887

*6:一応、真面目に考えて印をつける人が、有効投票者の中に1〜2割いるんじゃないか、という想定の下での話。

*7:就任に際して一悶着あった山口厚裁判官も罷免票はそんなに多くなかった。以前、同様に「どの枠?」という点で微妙な存在だった岡部喜代子裁判官が、2012年の国民審査で最多の罷免票を投じられたことを考えると意外な気もするが、それだけ、久々の「リアル学者裁判官」に寄せられる期待が大きい、ということなのかもしれない。

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