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2009-05-05

[][]最高裁判例アーカイブ(H21.4.18〜H21.4.30)

4月は後半に入っても、注目を集める判決が多かったように思う。


細かい検討はさておくとして、とりあえず簡単にご紹介することとしたい。


最一小判平成21年4月23日(H20(オ)1298)、所有権移転登記手続等請求事件*1

本件に関して最高裁が判断を下したのは、建物の区分所有等に関する法律(「区分所有法」)70条が憲法29条に違反するかどうか、という一点について、であった。


区分所有法70条は、

「団地内の各建物ごとに,区分所有者及び議決権の各3分の2以上の賛成があれば,団地内区分所有者で構成される団地内の土地,建物等の管理を行う団体又は団地管理組合法人の集会において,団地内区分所有者及び議決権の各5分の4以上の多数で団地内全建物の一括建替えをする旨の建替え決議をすることができる」

旨を定めるものであるが、これに対して上告人が「区分所有法70条によれば,団地内全建物一括建替えにおいては,各建物について,当該建物の区分所有者ではない他の建物の区分所有者の意思が反映されて当該建物の建替え決議がされることになり,建替えに参加しない少数者の権利が侵害され,更にその保護のための措置も採られていない」と憲法29条違反を主張したため、上告審で審理されることになったのである。


結論:上告棄却

「区分所有建物について,老朽化等によって建替えの必要が生じたような場合に,大多数の区分所有者が建替えの意思を有していても一部の区分所有者が反対すれば建替えができないということになると,良好かつ安全な住環境の確保や敷地の有効活用の支障となるばかりか,一部の区分所有者の区分所有権の行使によって,大多数の区分所有者の区分所有権の合理的な行使が妨げられることになるから,1棟建替えの場合に区分所有者及び議決権の各5分の4以上の多数で建替え決議ができる旨定めた区分所有法62条1項は,区分所有権の上記性質にかんがみて,十分な合理性を有するものというべきである。そして,同法70条1項は,団地内の各建物の区分所有者及び議決権の各3分の2以上の賛成があれば,団地内区分所有者及び議決権の各5分の4以上の多数の賛成で団地内全建物一括建替えの決議ができるものとしているが,団地内全建物一括建替えは,団地全体として計画的に良好かつ安全な住環境を確保し,その敷地全体の効率的かつ一体的な利用を図ろうとするものであるところ,区分所有権の上記性質にかんがみると,団地全体では同法62条1項の議決要件と同一の議決要件を定め,各建物単位では区分所有者の数及び議決権数の過半数を相当超える議決要件を定めているのであり,同法70条1項の定めは,なお合理性を失うものではないというべきである。また,団地内全建物一括建替えの場合,1棟建替えの場合と同じく,上記のとおり,建替えに参加しない区分所有者は,売渡請求権の行使を受けることにより,区分所有権及び敷地利用権を時価で売り渡すこととされているのであり(同法70条4項,63条4項),その経済的損失については相応の手当がされているというべきである。」

「そうすると,規制の目的,必要性,内容,その規制によって制限される財産権の種類,性質及び制限の程度等を比較考量して判断すれば,区分所有法70条は,憲法29条に違反するものではない。」

区分所有法に関しては、いまだに一部で批判的な意見もあるようだが、「他の区分所有権の行使との調整が不可欠」という区分所有権の“内在的制約”の存在を前提に合憲判断を下した上記判決の論旨は、概ね穏当なものと思われる(なお、判決においては最大判平成14年2月13日(民集56巻2号331頁)*2が引用された)。




最一小判平成21年4月23日(H19(受)2069)、弁護士報酬請求事件*3

本件は、宇治市の住民である上告人らが,地方自治法(平成14年改正前)242条の2第1項4号に基づき被上告人に代位して提起した住民訴訟(以下「別件訴訟」という。)において一部勝訴したことから,同条7項(現・12項)に基づき,被上告人に対し,別件訴訟において訴訟委任をした弁護士に支払うべき報酬額の範囲内で相当と認められる額として1500万円の支払を請求した事案である。


結論:破棄自判


補足意見:宮川光治判事

意見:涌井紀夫判事


別件訴訟では、平成18年1月31日に業者側の控訴が棄却されて総額1億3358万8991円の請求認容判決が確定しており、本件訴訟の第1審口頭弁論終結時点で、すでに9436万6347円が回収済みとなっていたのであるが、本件訴訟の原審では、旧4号住民訴訟の目的が「住民全体の利益のために普通地方公共団体の財務会計上の行為を正すことにあって,訴えを提起した者又は普通地方公共団体の個人的な権利利益の保護救済を図るためにあるのではない」ことから、弁護士報酬算定の基礎となる経済的利益を「算定不能」とし、判決の認容額,回収額を「従たる要素」として「加味」しても基準報酬額は「300万円」の範囲でしか認められない、という判断がなされていた。


これに対し、最高裁は、

「法242条の2の定める住民訴訟は,住民が,自己の個人的な権利利益の保護救済を求めて提起するものではなく,地方財務行政の適正な運営を確保することを目的として,自己を含む住民全体の利益のために,いわば公益の代表者として提起するものであり,これに勝訴すると,結果として普通地方公共団体の財務会計上の違法な行為又は怠る事実が防止され又は是正されることになる

という点と、

「この訴訟において住民が勝訴したときは,そこで求められた是正等の措置が本来普通地方公共団体の自ら行うべき事務であったことが明らかとなり,かつ,これにより普通地方公共団体が現実に経済的利益を受けることになるのであるから,住民がそのために費やした費用をすべて負担しなければならないとすることは,衡平の理念に照らし適当とはいい難い。」

という点を強調した上で、

「法242条の2第7項の以上のような立法趣旨に照らすと,同項にいう「相当と認められる額」とは,旧4号住民訴訟において住民から訴訟委任を受けた弁護士が当該訴訟のために行った活動の対価として必要かつ十分な程度として社会通念上適正妥当と認められる額をいい,その具体的な額は,当該訴訟における事案の難易,弁護士が要した労力の程度及び時間,認容された額,判決の結果普通地方公共団体が回収した額,住民訴訟の性格その他諸般の事情を総合的に勘案して定められるべきものと解するのが相当である。」

「前記事実関係によれば,別件訴訟の判決認容額は1億3000万円を超え,判決の結果被上告人は約9500万円を既に回収しているというのであるから,被上告人は現実にこれだけの経済的利益を受けているのであり,別件訴訟に関する「相当と認められる額」を定めるに当たっては,これら認容額及び回収額は重要な考慮要素となる。住民訴訟の目的,性質を考慮したとしても,上記の考慮要素をもって,原審のように,一般的に,従たる要素として他の要素に加味する程度にとどめるのが相当であるということはできない。一方,原審は,別件訴訟の事案が特に易しいものであったとか,別件受任弁護士らが訴訟追行に当たり要した労力の程度及び時間がかなり小さなものであったなど,「相当と認められる額」を大きく減ずべき事情については何ら認定説示しておらず,むしろ,別件受任弁護士らは訴訟追行に当たり相当の労力を要したことが推認されるなどと説示しているのである。そうすると,原審は,一つの重要な考慮要素と認められる前記認容額及び回収額についてほとんど考慮することなく別件訴訟に関する「相当と認められる額」を認定したものであり,他に原審の認定した額を「相当と認められる額」とすべき合理的根拠を示していないから,その判断は,法242条の2第7項の解釈適用を誤ったものといわざるを得ない。」

と述べ、本件第一審判決の認定に従って、「900万円」の範囲で上告人(原告)の請求を認めた。


そして、原審でも住民訴訟の特殊性を示す最高裁判例として引用された最一小判昭和53年3月30日*4との関係については、宮川光治判事が補足意見の中でフォローしている。


個人的には、あくまで住民訴訟における弁護士報酬額を「非経済的な利益の内容や程度に対応するもの」としてとらえる涌井紀夫判事の「意見」にも傾聴に値するところはあると思うのであるが*5、ここは問題点の指摘のみにとどめておくことにしたい。


最二小判平成21年4月24日(H20(受)224)、損害賠償請求事件*6

仮処分命令における被保全権利が,本案訴訟の判決において,当該仮処分命令の発令時から存在しなかったものと判断され,このことが事情の変更に当たるとして当該仮処分命令を取り消す旨の決定が確定した場合」に,当該仮処分命令を受けた債務者が,その保全執行としてされた間接強制決定に基づき取り立てられた金銭について,債権者に対する不当利得返還請求をすることができるかどうか、というのが争点になった事件(細かい事案の概要については不明であるが・・・)。


結論:上告棄却

「間接強制は,債務の履行をしない債務者に対し,一定の額の金銭(以下「間接強制金」という。)を支払うよう命ずることにより,債務の履行を確保しようとするものであって,債務名義に表示された債務の履行を確保するための手段である。そうすると,保全執行の債務名義となった仮処分命令における保全すべき権利が,本案訴訟の判決において当該仮処分命令の発令時から存在しなかったものと判断され,これが事情の変更に当たるとして当該仮処分命令を取り消す旨の決定が確定した場合には,当該仮処分命令に基づく間接強制決定は,履行を確保すべき債務が存しないのに発せられたものであったことが明らかであるから,債権者に交付された間接強制金は法律上の原因を欠いた不当利得に当たるものというべきである。」


最三小判平成21年4月28日(H20(受)981)、損害賠償請求事件*7

悪ふざけをした公立小学校2年生の児童に対して、それまで面識のなかった同校の教員が「胸元の洋服を右手でつかんで壁に押し当て,大声で「もう,すんなよ。」と叱った」ところ、本件行為が学校教育法11条但し書きで全面的に禁止される「体罰」にあたるものとして違法となり、児童側の国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求が認められるのではないか、という点が問題となった事例である。


結論:破棄自判

「前記事実関係によれば,被上告人は,休み時間に,だだをこねる他の児童をなだめていたAの背中に覆いかぶさるようにしてその肩をもむなどしていたが,通り掛かった女子数人を他の男子と共に蹴るという悪ふざけをした上,これを注意して職員室に向かおうとしたAのでん部付近を2回にわたって蹴って逃げ出した。そこで,Aは,被上告人を追い掛けて捕まえ,その胸元を右手でつかんで壁に押し当て,大声で「もう,すんなよ。」と叱った(本件行為)というのである。そうすると,Aの本件行為は,児童の身体に対する有形力の行使ではあるが,他人を蹴るという被上告人の一連の悪ふざけについて,これからはそのような悪ふざけをしないように被上告人を指導するために行われたものであり,悪ふざけの罰として被上告人に肉体的苦痛を与えるために行われたものではないことが明らかである。Aは,自分自身も被上告人による悪ふざけの対象となったことに立腹して本件行為を行っており,本件行為にやや穏当を欠くところがなかったとはいえないとしても,本件行為は,その目的,態様,継続時間等から判断して,教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱するものではなく,学校教育法11条ただし書にいう体罰に該当するものではないというべきである。したがって,Aのした本件行為に違法性は認められない。」

新聞等でも話題になっていた事件であるが、少なくとも本判決に記載された認定事実をもとにする限り、これを「違法」として損害賠償請求を認めるのはあまりにナンセンスというべきだろう*8


実際には、もっと激しい何らかの有形力の行使があったのかもしれないし、その意味で、単に事実審での原告側の主張立証よりも被告側の主張立証の方が巧みだった、というだけなのかもしれないが、少なくともここに出てきている認定事実を見る限り、原告側に共感し得る余地はないように思う。


なお、「体罰に該当しない」=「国家賠償法上の違法性なし」という構成になっているように読める本判決の論理立てについては、議論の余地があるのかもしれない。



最三小判平成21年4月28日(H20(行ヒ)97)、損害賠償代位等請求事件*9

尼崎市発注のごみ焼却施設をめぐる談合により、市が損害を被ったにもかかわらず,尼崎市長が被上告人らに対する不法行為に基づく損害賠償請求権の行使を違法に怠っていると主張して,住民が平成14年改正前地方自治法242条の2第1項4号に基づき,市に代位して,怠る事実に係る相手方である被上告人らに対し,損害賠償を求めた事案。


第一審では住民側の請求が一部認容されたが、原審(控訴審)では、被上告人らによる公取委の審決取消訴訟(別件訴訟)が係属中であったことから、「市長において,別件審決の確定を待って,独禁法25条に基づく損害賠償請求権ないし不法行為に基づく損害賠償請求権を行使することを選択し,原審口頭弁論終結時まで,被上告人らに対し,不法行為に基づく損害賠償請求権を行使しなかったとしても,それは客観的に存在する債権を理由もなく放置したり免除したりするものではなく,その判断には合理性があるというべきであるから,当該債権の不行使を違法な怠る事実と認めることはできない。」として、原告の請求が棄却されていた。


結論:破棄差戻

独禁法違反の行為によって自己の法的利益を害された者は,当該行為が民法上の不法行為に該当する限り,公取委による審決の有無にかかわらず,不法行為に基づく損害賠償請求権を行使することを妨げられないのであり(最高裁昭和60年(オ)第933号,第1162号平成元年12月8日第二小法廷判決・民集43巻11号1259頁参照)*10,審決が確定するまで同請求権を行使しないこととすると,地方公共団体が被った損害の回復が遅れることとなる上,同請求権につき民法724条所定の消滅時効が完成するなどのおそれもあるから,仮に,独禁法違反の事実を認める審決がされ,将来的にその審決が確定した場合には独禁法25条に基づく損害賠償請求権を行使することが可能になる(そして,同請求権を行使する場合,不法行為に基づく損害賠償請求権を行使する場合と比べ,主張,立証の負担が軽減される)としても,そのことだけでは,当然に不法行為に基づく損害賠償請求権を行使しないことを正当化する理由となるものではないというべきである。」

「被上告人らによる不法行為の成立を認定するに足りる証拠資料の有無等につき本件訴訟に提出された証拠の内容,別件審決の存在・内容等を具体的に検討することなく,かつ,前記のような理由のほかに不法行為に基づく損害賠償請求権の不行使を正当とするような事情が存在することについて首肯すべき説示をすることなく,同請求権の不行使が違法な怠る事実に当たらないとした原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。」

これって特許法でいうところの“ダブル・トラック”現象と同じだよなぁ・・・というのが率直な印象である。しかも特許法と違って、審決に対する判断と、不法行為に基づく別訴での判断を同じ裁判所で統一して行う仕組みになっていないから、なおさら悩ましい。


独禁法上の損害賠償請求権と不法行為に基づく損害賠償請求権が両立するのは事実だとしても、審決の妥当性について争われているさなかに、別の裁判所で平行して同じ共同行為の違法性について判断する、というのは、個人的にはかなりリスキーなことなのではないか、と思うのであるが、最高裁はそのあたりをどのように考えたのだろう?


今の最高裁なら、「(被上告人らが)談合で市に損害を与えたのはわかりきっているんだから、住民側に余計な手間をかけさせるな」的な政策的配慮で判決を書いても不思議ではないのだが、自分としては、原審の謙抑的な姿勢の方が良いのではないか、と思ったりもしている。


最三小判平成21年4月28日(H20(受)804)、損害賠償請求事件*11

殺人事件被害者遺族による、不法行為から20年経過後の損害賠償請求が認められるかどうか、が問題となった事例である。


結論:上告棄却


意見:田原睦夫判事


 → 追ってコメント予定。

*1:甲斐中辰夫裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090423151822.pdf、原審・大阪高判平成20年5月19日・H19(ネ)3386

*2:旧証取法164条1項の違憲性が争われた事件。http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/78DB9B722EC07EC849256DC700268041.pdf

*3:金築誠志裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090423153236.pdf、原審・大阪高判平成19年9月28日・H19(ネ)1438

*4:住民訴訟の一律訴額の妥当性が争われた事件。http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/D12529091CD2DEC649256A8500312064.pdf

*5:なお、涌井判事も、本件で原審が認定した報酬額はあまりに過小にすぎる、として本判決の結論自体は支持している。

*6竹崎博允裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090424132048.pdf、原審・福岡高判平成19年10月31日・H18(ネ)887

*7:近藤崇晴裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090501112210.pdf、原審・福岡高判平成20年2月26日、H19(ネ)547

*8:この事実認定の下で計21万もの賠償請求を認めた高裁のセンスがよく分からない・・・。

*9:田原睦夫裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090428114532.pdf、原審・大阪高判平成19年11月30日・H18(行コ)134

*10http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/67B5128FD3639B8C49256AEE00059320.pdf

*11:那須弘平裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090428130810.pdf、原審・東京高判平成20年1月31日・H18(ネ)5133

2009-04-18

[][]最高裁判例アーカイブ(H21.4.1〜H21.4.17)

あくまで自分の心覚え、用ではあるが、簡単にまとめてみた。

最二小判平成21年4月17日*1・住民票不記載処分取消等請求事件*2

「嫡出子又は嫡出でない子」の記載欄を空欄にし、かつ届出義務者ではない子の父を届出人として提出された出席届が不受理となった後に、上告人父母が子を住民票に記載するよう区長に求めたところ、記載しない旨の応答があったため、提訴したもの。


一審では、区長に上告人子に係る住民票の作成を命ずる判決を言い渡したこともあって、注目されていた事案であった。


結論:一部破棄自判、一部上告棄却


意見:今井功判事


→ 追ってコメント予定


最二小判平成21年4月17日*3・約束手形金,不当利得返還等請求事件*4

訴外A社が、有していた唯一の財産である過払金返還請求権を上告人Y1に取締役会決議を経ることなく譲渡したこと(Y1はAの事情につき悪意)は有効か、というのが、もっとも主要な争点になっている事件である。


結論:上告人Y1の敗訴部分について破棄差戻(Y2の敗訴部分について破棄自判)

株式会社代表取締役取締役会の決議を経ないで重要な業務執行に該当する取引をした場合,取締役会の決議を経ていないことを理由とする同取引の無効は,原則として会社のみが主張することができ,会社以外の者は,当該会社の取締役会が上記無効を主張する旨の決議をしているなどの特段の事情がない限り,これを主張することはできないと解するのが相当である。」

「これを本件についてみるに,前記事実関係によれば,本件債権譲渡はAの重要な財産の処分に該当するが,Aの取締役会が本件債権譲渡の無効を主張する旨の決議をしているなどの特段の事情はうかがわれない。そうすると,本件債権譲渡の対象とされた本件過払金返還請求権の債務者である被上告人は,上告人Y1に対し,Aの取締役会の決議を経ていないことを理由とする本件債権譲渡の無効を主張することはできないというべきである。」

この辺はいかにも試験に出てきそうな(笑)判旨である。


本人側が無効の主張をしていなければ、第三者がそれを主張することも認められない、という考え方は、他の意思表示の瑕疵類型でも見かけるところだから、結論自体にそんなに違和感はないのであるが、これまでどういう議論がされていたのか、は一度見ておく価値があるのかもしれない。


最二小判平成21年4月17日*5株主総会等決議不存在確認請求事件*6

被上告人会社を解任された取締役(上告人)が、解任及び新取締役選任を内容とする株主総会決議及び新たに選任された取締役らによって開催された取締役会における代表取締役選任決議の不存在確認を求めた事案で、第1審係属中に被上告人が破産手続開始の決定を受けた場合に、訴えの利益が認められるか、が争点となった。


結論:破棄差戻

民法653条は,委任者が破産手続開始の決定を受けたことを委任の終了事由として規定するが,これは,破産手続開始により委任者が自らすることができなくなった財産の管理又は処分に関する行為は,受任者もまたこれをすることができないため,委任者の財産に関する行為を内容とする通常の委任は目的を達し得ず終了することによるものと解される。会社が破産手続開始の決定を受けた場合,破産財団についての管理処分権限は破産管財人に帰属するが,役員の選任又は解任のような破産財団に関する管理処分権限と無関係な会社組織に係る行為等は,破産管財人の権限に属するものではなく,破産者たる会社が自ら行うことができるというべきである。そうすると,同条の趣旨に照らし,会社につき破産手続開始の決定がされても直ちには会社と取締役又は監査役との委任関係は終了するものではないから,破産手続開始当時の取締役らは,破産手続開始によりその地位を当然には失わず,会社組織に係る行為等については取締役らとしての権限を行使し得ると解するのが相当である(最高裁平成12年(受)第56号同16年6月10日第一小法廷判決・民集58巻5号1178頁参照)*7。」

「したがって,株式会社取締役又は監査役の解任又は選任を内容とする株主総会決議不存在確認の訴えの係属中に当該株式会社が破産手続開始の決定を受けても,上記訴訟についての訴えの利益は当然には消滅しないと解すべきである。」

上記判決が引用している最一小判平成16年6月10日の事案は、

「破産した有限会社代表取締役が自ら火災保険がかかっていた建物に放火した場合に、「取締役の故意による事故招致」として保険会社の免責条項に基づく免責の主張が認められるか」

というのが争点になっていた事案だったため、「破産会社であっても取締役取締役」という論旨をすんなりと受け入れやすかったのだが、本判決は、その射程を会社関係訴訟の「訴えの利益」の有無、という問題にまで広げた・・・? という点で興味深いものがある。


破産管財人の現実的な守備範囲等を考えると、実務的にはそんなに違和感はないようにも思えるのだが。


最三小判平成21年4月14日*8・強制わいせつ被告事件*9

いわゆる「痴漢冤罪」事件の大逆転判決である。


結論:破棄自判(被告人無罪)


補足意見:那須弘平判事、近藤崇晴判事

反対意見:堀籠幸男判事、田原睦夫判事


→ 追ってコメント予定。


最三小判平成21年4月14日*10・貸金請求本訴,損害賠償等請求反訴事件*11

本訴は、上告人(貸金業者)が,借主である被上告人Y1及びその連帯保証人である被上告人Y2に対して貸金の返済を求めたところ、被上告人Y1が,弁済によって過払金が生じているとして,上告人に対してその返還を求める反訴を提起した、というものであった。


そして、原審は、Y1の元利金の支払期日(平成13年1月5日)経過後も上告人が弁済を受け続けていたことから、上告人が期限の利益の喪失を宥恕して再度期限の利益を与えた、と解し、利息制限法1条1項所定の利率により充当計算して、被上告人Y1の過払金返還請求を認めていた。


結論: 破棄差戻。

「記録によれば,上告人は,上記期限の利益の喪失後は,本件貸付けに係る債務の弁済を受けるたびに,受領した金員を「利息」ではなく「損害金」へ充当した旨記載した領収書兼利用明細書を交付していたから,上告人に期限の利益の喪失を宥恕し,再度期限の利益を付与する意思はなかったと主張していること(以下,この主張を「上告人の反対主張」という。),上告人は,これに沿う証拠として,上記期限の利益の喪失後に受領した金員の充当内容が記載された領収書兼利用明細書と題する書面を多数提出していること,これらの書面のうち,平成13年1月9日付けの書面及び受領金額が2737円と記載された同年2月6日付けの書面には,受領した金員を上記期限の利益を喪失した日までに発生した利息に充当した旨の記載がされているが,受領金額が8万6883円と記載された同日付けの書面及びこれより後の日付の各書面には,受領した金員を上記期限の利益を喪失した日の翌日以降に発生した損害金又は残元本に充当した旨の記載がされていること,この記載は,残元本全額に対する遅延損害金が発生していることを前提としたものであることが明らかである。」

上告人が,上記期限の利益の喪失後は,被上告人Y1に対し,上記のような,期限の利益を喪失したことを前提とする記載がされた書面を交付していたとすれば,上告人が別途同書面の記載内容とは異なる内容の請求をしていたなどの特段の事情のない限り,上告人が同書面の記載内容と矛盾する宥恕や期限の利益の再度付与の意思表示をしたとは認められないというべきである。そして,上告人が残元利金の一括支払を請求していないなどの原審が指摘する上記4(3)の事情は,上記特段の事情に当たるものではない。」

「しかるに,原審は,上告人の反対主張について審理することなく,上告人が被上告人Y1に対し,上記期限の利益の喪失を宥恕し,再度期限の利益を付与したと判断しているのであるから,この原審の判断には,審理不尽の結果,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。」

この種の訴訟で、つい最近まで最高裁が借り手側を保護する判決を連発していたのは記憶に新しいところだが、さすがに、上記のような事情の下で、損害金への充当を一切認めないのはナンセンスというべきで、“借り手保護の行き過ぎ”にブレーキをかけた、という点において、評価できる判決だと思われる。

*1:平成20(行ヒ)35、今井功裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090417193516.pdf

*2:原審・東京高判平成19年11月5日、平成19(行コ)229

*3:平成19(受)1219、古田佑紀裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090417163145.pdf

*4:原審・東京高判平成19年4月25日、平成19(ネ)377

*5:平成20(受)951、中川了滋裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090417162419.pdf

*6:原審・仙台高判平成20年2月27日、平成19(ネ)524

*7http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/C657FA877BCB0DA249256FBE00267B17.pdf

*8:平成19(あ)1785、田原睦夫裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090414170745.pdf

*9:原審・東京高判平成19年8月23日、平成18(う)2995

*10:H19(受)996、藤田宙靖裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090414114031.pdf

*11:原審・東京高判平成19年3月8日、H18(ネ)4441

2008-04-05

[][]最高裁法廷意見の分析(第23回)〜「免訴」の意味

メディア等でも高い注目を集めていた横浜事件再審をめぐる上告審判決。


結論としては上告棄却となっているが、判決においては、刑事訴訟における再審の意義、及び「免訴」の意義について、最高裁の考え方の一端が示されており、参考になる面が大きいと思われるので、以下ご紹介することにしたい。


最二小判平成20年3月14日(H19(れ)1)*1

本件は、

「第二次世界大戦下,言論・出版関係者数十名が,治安維持法違反の被疑事実で検挙され,うち多くの者が,同法違反の罪により起訴されて,昭和20年9月までの間に有罪判決を受けたという,いわゆる「横浜事件」に関する再審事件」

である。


終戦直後、形式的にまだ「生きていた」治安維持法によって有罪判決(懲役2年、執行猶予3年)を受けた被告人ら(故人)は、その遺族らの請求によって再審の機会が与えられることになったのだが、再審第一審の横浜地裁、控訴審東京高裁ともに、「免訴判決」を下したため、「実体的審理による無罪判決」を求めて上訴した、というのがここまでのあらすじ。


「無罪判決」でも「免訴判決」でも、被告人が有罪に処せられないという点に変わりはないのだが、被告人側が求めていたのが、「あくまで実体的審理を経た上での無罪判決」だったのに対し、裁判所側が、「訴訟条件を満たしていない→ゆえに実体的審理にも入らない」というスタンスを貫いたために、争いは最高裁までもつれこむことになってしまった。


そして、

(1)「無この救済という再審制度の趣旨に照らし、再審の審判においては、実体的審理、判断が優先されるべきである」

(2)「被告人の側には第一審判決の誤りを是正して無罪を求める上訴の利益がある」

という2点について、最高裁の判断が求められることになったのである。


最高裁の多数意見は、上記(1)の争点について、

「再審制度がいわゆる非常救済制度であり,再審開始決定が確定した後の事件の審判手続(以下「再審の審判手続」という。)が,通常の刑事事件における審判手続(以下「通常の審判手続」という。)と,種々の面で差異があるとしても,同制度は,所定の事由が認められる場合に,当該審級の審判を改めて行うものであって,その審判は再審が開始された理由に拘束されるものではないことなどに照らすと,その審判手続は,原則として,通常の審判手続によるべきものと解されるところ,本件に適用される旧刑訴法等の諸規定が,再審の審判手続において,免訴事由が存する場合に,免訴に関する規定の適用を排除して実体判決をすることを予定しているとは解されない。これを,本件に即していえば,原確定判決後に刑の廃止又は大赦が行われた場合に,旧刑訴法363条2号及び3号の適用がな

いということはできない。したがって,被告人5名を免訴した本件第1審判決は正当である。」(4頁)

という判断を下した上で、(2)の争点についても、

「そして,通常の審判手続において,免訴判決に対し被告人が無罪を主張して上訴できないことは,当裁判所の確定した判例であるところ(前記昭和23年5月26日大法廷判決,最高裁昭和28年(あ)第4933号同29年11月10日大法廷判決・刑集8巻11号1816頁,最高裁昭和29年(あ)第3924号同30年12月14日大法廷判決・刑集9巻13号2775頁参照),再審の審判

手続につき,これと別異に解すべき理由はないから,再審の審判手続においても,免訴判決に対し被告人が無罪を主張して上訴することはできないと解するのが相当である。」

(4-5頁)

として、従来の刑事訴訟における判例を踏襲し、被告人側の主張を完全に退けている。



裁判の建前上は、「訴訟条件を満たしていなければ、審理を行うこと自体できない」と考えるのが筋であるから、免訴事由(治安維持法の廃止や大赦)によって公訴権が消滅していれば免訴判決を出すしかない、という地裁判決が理屈の上では正しいと言えるし、免訴判決に対する上訴ができない、という判断についても、これまでの判例に照らせば違和感はない。


ゆえに、このままあっさりと終わっても不思議ではない判決なのであるが、「あくまで無罪判決を!」と主張していた被告人側に配慮してか、本判決には、今井功判事(裁判官出身)、古田佑紀判事(検察官出身)の裁判官の補足意見が付されている。


今井功裁判官・補足意見

今井判事の指摘は、もっぱら、

「再審の審判手続において免訴事由が存在する場合の実体的審理、判断の可否」

に向けられている。


被告人側は、

「被告人は有罪の確定判決によって様々な不利益を受けているのであるから、無この救済という再審制度の趣旨に照らし、再審の審判手続において、無罪判決という有罪の確定判決を否定する判決を得なければ、有罪の確定判決により被った不利益を解消することはできない」(5-6頁)

と主張していた。


元々「免訴」という手続きは、実体的審理に時間をかけることなく、速やかに被告人を手続負担から解放する、ということに主眼を置いたものであるから、有罪判決確定から60年以上経過した今になって「免訴」判決をしたところで、本来の制度趣旨は達成されない。


それならいっそのこと、「きちんと審理を行って、被告人の名誉を完全に回復してくれ!」という発想になっても不思議ではないわけで、上記の主張もそのような考え方に基づくものとして出されているようである。


そこで、このような被告人の主張に対してどう応答するか、が注目されたのであるが、今井判事は、

「再審は,有罪の確定判決に対し,有罪の言渡しを受けた者に有利であるような証拠が新たに発見された場合等に,改めて審理をし直し,裁判をする制度であり,再審が開始され,再審の審判手続における裁判が確定したときには,先にされた有罪の確定判決は,完全にその効力を失うことは異論を見ないところである。そして,免訴判決は,有罪無罪の実体判決をする訴訟条件がないことを理由とする形式裁判であり,免訴事由が存在するときには,さらに実体についての審理判断をすることなく,その時点で審理を打ち切ることが被告人の利益にもなるのであって,このことは再審の審判手続においても通常の審判手続と変わることはない。本件のように有罪の確定判決を受け,死亡した被告人にとっては,審理打切りによる利益はほとんどないということができるであろう。しかし,再審の審判手続において免訴事由が存在する場合の実体的審理,裁判の可否については,本件のような再審事由の場合のみでなく,他の再審事由により開始された場合も含めた再審の審判手続全般を通じて考察しなければならず,再審の審判手続においても審理打切りによる被告人の利益は存在するものと解される。そして,再審の審判手続において免訴判決がされることによって,有罪の確定判決がその効力を完全に失う結果,これによる被告人の不利益は,法律上は完全に回復されることとなる。」(6頁)

「もちろん有罪の確定判決があったという事実自体は,再審の審判手続における免訴判決があったからといって,覆しようのないことであるが,このことは仮に再審の審判手続において弁護人の主張するような無罪判決があったとしても同様である。再審制度は,有罪の確定判決の誤りを正し,これによって様々な不利益を受けた被告人を救済するものであるが,それは,有罪の確定判決の効力を失わせることによって実現されるにとどまるといわなければならない。」(6-7頁)

という回答を残した。


いわれて見ればもちろんその通りなわけで、「再審」が行われるのは本件のような特殊な事案ばかりではないし*2、被告人の救済が「法律上の」ものでしかないのは、免訴だろうが無罪判決だろうが変わりはない。


もちろん、「活動」の観点からすれば、「免訴を勝ち取った!」というより、「無罪が証明された!」という方がすっきりするのだろうが、裁判所がそこまで配慮しなければいけないのか?といえば疑問もあるところだから、結論としてはこれでよかったのだろうと思う。


今井判事は、上記の説示に続いて刑事補償の観点からも、無罪判決と免訴判決に違いがないことを説明している。

「刑事補償法25条において,免訴の裁判を受けた者は,もし免訴の裁判をすべき事由がなかったならば無罪の判決を受けるべきものと認められる充分な事由があるときは,無罪判決を受けた者と同様の刑事補償を請求することができるものとするとともに,補償決定の公示の規定も定め,免訴判決を受けた被告人に対する刑事補償や名誉の回復について一定の配慮をしているところ,再審の審判手続において免訴判決があった場合にも同条が適用される(本件の場合にも同条が適用されるものと解されることは,古田裁判官の補足意見のとおりである。)ことからすれば,明文の規定がないにもかかわらず,他の再審事由による再審と取扱いを異にして免訴の規定の適用を排除すべき理由に乏しいものといわざるを得ない。」(7頁)


このような考え方に対して、被告人側からの反論も当然予想されるところではあるが、少なくとも本判決に対する「補足」としては、十分な説明になっているといえるのではないか、というのが筆者の感想である。


なお、本エントリーでは割愛するが、上記「刑事補償の可否」の論点については、刑事補償法附則(新法施行に伴う経過措置)の解釈について、古田佑紀裁判官の更なる補足意見が付されており、こちらも参考になるだろう。


裁判に何を求めるか、は人それぞれであるが、本判決は、「無この被告人の救済」のために、司法府にできることとその限界を示した、という点で興味深いものであるように思われる。

*1:第三小法廷・今井功裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080317084856.pdf

*2:長期間収監されている死刑囚に対して再審開始決定がなされたような場合であれば、免訴でもいいから早く解放してやれ、という要望は当然出てくることだろう。

2008-04-04

[][]最高裁法廷意見の分析(第22回)〜少年達の葛藤

ここ数年、最高裁不法行為の成否をめぐる判決が積極的に出されるようになっている。


憲法論が争点になる場合と違って、大抵は法令違反を主張する上告受理申立事案だし、判断プロセスとしても事実関係の再レビューが中心になるから、あえて判決まで書かずに申し立てを退けても良いのでは?と思ったりもするのだが、そこであえて事例判決を積み重ねて、判例の射程を明確化しようとするのが、今の最高裁の考え方なのだろう。


以下で取り上げる判決もそのような流れの中に位置づけられるように思われる。


最一小判平成20年2月28日(H19(受)611号)*1

事案の概要は、

平成13年3月31日、当時16歳のAが、B(当時15歳)及びC(当時17歳)から暴行を受けて死亡したことについて、Aの母である上告人が、暴行の行われている現場に居合わせた被上告人Y1、Y2、Y3(いずれも当時15歳)及びその親権者に注意義務違反があると主張して、不法行為に基づく損害賠償(慰謝料3000万円等)を求める

ものである。


判決の中で詳細に取り上げられている原審認定の事実関係は、

平成13年3月31日昼頃 訴外Bが訴外Cに対し、Aを呼び出して痛めつけることを提案

同日午後2時54分頃  Aに対する暴行行為開始

同日午後3時30分頃  Y2がBから現場に呼ばれる

同日午後4時過ぎ頃  Y1、Y3が現場に到着する

→ Bが更なる暴行行為を行い、Aの後頭部が強打された。

→ Y1が「目がやばい。」と言い、Bの暴行行為を制止

→ Y1らは、Cの指示によりAの意識を回復させるために水をかける、給食搬入台の壁にもたれかけさせる等の行為を行った。

→ Y1は救急車を呼ぶことを提案したが、Cがこれを拒否した。Y1らは、Aが死ぬかもしれないと認識していたが、通報することによりB、Cから仕返しをされることを恐れ、通報の措置を執らなかった。

といったもので、このような状況の下で、被上告人らに

(1)本件暴行を制止すべき法的義務

(2)Aを救護するための措置を執るべき法的義務

が認められるかが争点になったのであるが、本判決の多数意見は、以下のように述べていずれの義務も否定した。

(1)本件暴行を制止すべき法的義務等について

「前記事実関係によれば,被上告人少年らは,本件暴行が行われていることや,加害少年らが本件暴行に及んだ経緯を知らずに加害少年らに呼び出されて本件場所に赴いたものであって,暴行の実行行為や共謀に加わっていないのみならず,積極的に本件暴行を助長するような言動も何ら行っていないことが明らかである。また,前記事実関係により明らかな加害少年ら,A,被上告人少年らそれぞれの間の関係,被上告人少年らの年齢,本件暴行に至る経緯,本件暴行の経過等(以下,これらを併せて「少年らの関係等」という。)にかんがみると,被上告人少年らが加害少年らに対して恐れを抱くのも無理からぬものがあり,被上告人Y3が本件発言をしたことや,被上告人少年らが本件暴行の間その現場に居続けたことについて,被上告人Y3や被上告人少年らを非難することはできないものというべきである。そして,前記事実関係によれば,本件発言が本件暴行を助長したとは認められないとする原審の認定や,Bが本件暴行を抑制することができなかったのは,Cや被上告人少年らの前で,自らを強く見せて格好をつけようという思いがあったからであるとしても,被上告人少年らに本件暴行の現場に居ることがBの暴行をあおることになるという認識があったとは認められないとする原審の認定は,いずれも是認し得るものである。したがって,被上告人少年らにおいて,本件暴行を制止すべき法的義務や本件暴行を抑制するため本件現場から立ち去るべき法的義務を負っていたということはできない。」

(10-11頁)

(2)Aを救護するための措置を執るべき法的義務について

「前記事実関係によれば,被上告人Y1は,Aの様子を見て,救急車を呼ぶことを提案したが,Cは本件事件が警察に発覚することを恐れてこれを拒否し,結局,被上告人少年らは,後日加害少年らから仕返しをされることを恐れ,救急車も呼ばず,第三者に通報することもしなかったというのであるが,上記のとおり被上告人少年らには本件暴行を制止すべき法的義務等は認められないのであり,被上告人少年らは,事情を知らずに本件場所に赴いたにすぎないことや,上記の少年らの関係等にもかんがみると,被上告人少年らにAが死ぬかもしれないという認識があったとしても,そのことから直ちに,被上告人少年らに加害少年らからの仕返しの恐れを克服してAを救護するための措置を執るべき法的義務があったとまではいえない。また,前記事実関係によれば,被上告人少年らは,本件暴行後に,Cの指示により,Aの体を移動させ,給食搬入台の壁にもたれかけさせて座らせた(以下「本件移動行為」という。)というのであるが,これも加害少年らに対する恐れからしたことであることは明らかであるし,前記事実関係から明らかな本件場所の状況等に照らすと,本件移動行為によってAの発見及び救護が格別困難になったということはできず,同人の生命に対する危険が増大したとは認められないとの原審の認定は是認し得るものであるから,本件移動行為によって被上告人少年らにAを救護するための措置を執るべき法的義務が発生したということもできない。さらに,原審は,被上告人少年らがAに水を掛けたことによって同人の生命に対する危険が増大したということはないとの認定をしているが,この認定に疑いを生じさせるような事情も存しない。したがって,被上告人少年らにおいて,救急車を呼んだり,第三者に通報するなど,Aを救護するための措置を執るべき法的義務を負っていたとまでいうことはできない。」(11-12頁)

このように、多数意見は原審における認定判断をほぼそのまま踏襲して結論を導いたものである。


だが、これに対して、反対意見を唱えたのが、ご存知、泉徳治(裁判官出身)、横尾和子(行政官出身)の両裁判官であった。


横尾和子、泉徳治裁判官・反対意見

両裁判官は、

「私たちは,被上告人Y1,同Y2及び同Y3は,Aが一刻も早く医療機関に搬送されて救急医療を受けられるようにするため,同人の受傷を消防署等に通報すべき義務があったにもかかわらず,通報を怠ったもので,不法行為責任を負うから,同不法行為責任を否定した原判決を破棄し,本件を原審に差し戻すべきであると考える。」(12頁)

とする。


そして、その理由としては、

「被上告人少年らは,本件場所に居ることによって,BのAに対する暴行を激化させてその受傷の程度を重大なものとし,気絶状態のAが外部から発見されにくくする隠ぺい工作にも加担しているところ,被上告人少年らのこのような行為は,Aの身体生命に対する危険を増大させるものである。被上告人少年らは,Aの身体生命に対する危険を増大させる行為を行ったことの責任として,危険の進行を食い止め,危険からの救出を図るべきで,Aが一刻も早く救急医療を受けられるように,Aの受傷を消防署,警察署,Aの保護者等に通報する義務を負うものというべきである。この通報義務は,私法秩序の一部をなすものとして法による強制が要請される条理に基づく作為義務である。なお,原審は,被上告人少年らには,本件場所に居ることがBを精神的にあおりその暴行を激化させていることの認識がなかったと認定しているが,被上告人少年らは,上記のような事態を認識することが可能であった上,外部から発見されにくくするための隠ぺい工作にも加担しているのであるから,上記通報義務を免れるものではない。」(14頁)

と述べ、「条理」による作為義務として被上告人少年らが通報義務を負う、という結論を導き出している。


また、多数意見が強調していた「仕返しのおそれ」については、

「後日の仕返しに対しては警察等の保護を得て対応することを期待すべきである上、被上告人少年らは、個別に、匿名で、消防署等への通報を行うことが可能であったから、通報を法的に期待することができないものと解するのは相当でない。」(15頁)

として、義務違反を否定する事情としては考慮していない。


このように、本判決は小法廷で「3対2」という、一般的な民事不法行為事例としては珍しく意見が分かれる展開となったのである。


雑感

我が子を卑怯な暴行で失った親(上告人)としては、「その場にいたのに何で止めてくれなかったのか。否、止められなかったとしても、せめて救急車を呼んでくれれば」という思いは当然あっただろう。


被害者となったAには、「交通事故による傷害の後遺症として、左上肢及び左下肢の機能障害があり」、「暴力を受けてもほとんど抵抗することができない状態」だったという。


このような状態で一方的に暴行を加える、というのは、如何なる理由があっても許されない不正義な行為であり、そのような行為に対して見てみぬふりをした被上告人らの行動も、十分非難に値するのは間違いない。


だが・・・


自分が15歳の少年だったとして、本件の状況の下で、果たして反対意見が指摘するような「適切な通報義務」を果たすことができるのだろうか?


「Aが暴行により死亡した」という結果から、「こうしておけばよかったのに」という後付けの理屈をひねり出すことはいくらでもできる。


だが、現に目の前で起きていたおぞましい出来事と、そこにいた「怖い加害者」を前にして、少年達が適切な行動をとることを期待できたのか。


そして、適切な対応をとる法的義務が存在することを前提に、被上告人(ないしその親権者)に損害賠償義務を負わせることが妥当なのか。


これは、本件に限らず、医療事故その他の不法行為事件全てを裁く上で直面せざるを得ない難題だと思う。


個人的には、被上告人の法的責任を否定した多数意見の方に馴染むものがあるのだが、いずれを選ぶかは、読者の判断にお任せしたい*2

*1:第一小法廷・横尾和子裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080228162346.pdf

*2:なお、法的見地から言えば、被上告人らの義務の存在を否定するのであれば、「被上告人らの行為によってAの生命に対する危険が増大したわけではない」という点をより強調すべきであり、「仕返しを恐れて」という事情は、本来義務違反を否定する事情として用いるべきだろう、といった突っ込みができるような気もするのだが、この辺も今後の評釈等での解明に期待したい。

2008-02-20

[][][]最高裁法廷意見の分析(第21回)〜わいせつと芸術の間

「メイプルソープ」写真集の輸入禁制品(「風俗を害すべき書籍、図画」)該当性をめぐる最高裁判決が、随所で好意的に取り上げられている。


これまでの判例に照らしてみれば、「処分取消請求を認めた」という本判決の結論が画期的なものであることに疑いの余地はないのかもしれない。


だが、よく読むと多数意見の論旨の中には、「危うい」と感じてしまうような価値判断も潜んでいるように思われる。


以下では、本小法廷で唯一の反対意見を書いた、堀籠幸男判事(裁判官出身)のご意見にも耳を傾けつつ、この「画期的な」判決を分析していくことにしたい。


最三小判平成20年2月19日(H15(行ツ)第157号)*1

本件は、上告人が米国から帰国する際に、携行していた写真集「MAPLETHORPE」*2について、成田税関による「関税定率法21条1項4号所定の輸入禁制品に該当する旨の通知」を受けたため、上告人が憲法違反及び通知処分の違法を主張して提訴したものである。


判決によると、問題の写真(20枚)は、

「いずれも男性性器を直接的、具体的に写し、これを画面の中央に目立つように配置した白黒(モノクローム)の写真」(3頁)

であったとのことだが、第一審の東京地裁が「わいせつ性」を否定して処分取消と70万円の国家賠償責任を認めた一方で、控訴審東京高裁)は請求を全て棄却したため、勝負は最高裁にもつれ込むことになった。


最高裁第三小法廷は、最大判昭和59年12月12日(税関検査事件)を引用して関税定率法21条1項4号に基づく輸入規制の合憲性を肯定した上で、通知処分の違法性について、以下のような判断を行っている。

「前記事実関係によれば,本件各写真は,いずれも男性性器を直接的,具体的に写し,これを画面の中央に目立つように配置したものであるというのであり,当該描写の手法,当該描写が画面全体に占める比重,画面の構成などからして,いずれも性器そのものを強調し,その描写に重きを置くものとみざるを得ないというべきである。」

「しかしながら,前記事実関係によれば,メイプルソープは,肉体,性,裸体という人間の存在の根元にかかわる事象をテーマとする作品を発表し,写真による現代美術の第一人者として美術評論家から高い評価を得ていたというのであり,本件写真集は,写真芸術ないし現代美術に高い関心を有する者による購読,鑑賞を想定して,上記のような写真芸術家の主要な作品を1冊の本に収録し,その写真芸術の全体像を概観するという芸術的観点から編集し,構成したものである点に意義を有するものと認められ,本件各写真もそのような観点からその主要な作品と位置付けられた上でこれに収録されたものとみることができる。」

「また,前記事実関係によれば,本件写真集は,ポートレイト,花,静物,男性及び女性のヌード等の写真を幅広く収録するものであり,全体で384頁に及ぶ本件写真集のうち本件各写真(そのうち2点は他の写真の縮小版である。)が掲載されているのは19頁にすぎないというのであるから,本件写真集全体に対して本件各写真の占める比重は相当に低いものというべきであり,しかも,本件各写真は,白黒(モノクローム)の写真であり,性交等の状況を直接的に表現したものでもない。」

「以上のような本件写真集における芸術性など性的刺激を緩和させる要素の存在,本件各写真の本件写真集全体に占める比重,その表現手法等の観点から写真集を全体としてみたときには,本件写真集が主として見る者の好色的興味に訴えるものと認めることは困難といわざるを得ない。」

(4-5頁、強調筆者)

そしてこの結果、小法廷は、

「これらの諸点を総合すれば,本件写真集は,本件通知処分当時における一般社会の健全な社会通念に照らして,関税定率法21条1項4号にいう「風俗を害すべき書籍,図画」等に該当するものとは認められないというべきである。」(5-6頁)

という結論に至ったのである。


また、メイプルソープ写真集に関しては、「本件各写真のうち5点と同一の写真を掲載した写真集(メイプルソープの回顧展における展示作品を収録したカタログ)」が関税定率法上の「風俗を害すべき書籍、図画」に該当する、とした判決(最三小判平成11年2月23日)もあったところであるが、本判決では、

「上記の事案は、本件写真集とは構成等を異にするカタログを対象とするものであり、対象となる処分がされた時点も異なるのであって、本件写真集についての上記判断は、上記第三小法廷判決に抵触するものではないというべきである。」(6頁)

と整理して、本件における処分取消という結論を肯定している。


さすがに、国家賠償法上の損害賠償請求については、

「本件各写真の内容が前記認定のとおりであること,本件各写真の一部と同一の写真を掲載した写真集につき前記第三小法廷判決が上記のとおり判断していること等にかんがみれば,被上告人税関支署長において,本件写真集が本件通知処分当時の社会通念に照らして「風俗を害すべき書籍,図画」等に該当すると判断したことにも相応の理由がないとまではいい難く,本件通知処分をしたことが職務上通常尽くすべき注意義務を怠ったものということはできないから,本件通知処分をしたことは,国家賠償法1条1項の適用上,違法の評価を受けるものではないと解するのが相当である。」(6頁、強調筆者)

と、高裁に続いて請求が退けられたのだが、上告人にとっては、税関における「風俗を害すべき書籍、図画」認定を覆したことだけで、十分な意義が認められるから(しかも争われていたのは、一度最高裁で禁制品としての処分が確定した写真を含む写真集である)、「画期的」という評価をしたくなるのも頷けるところであろう。


だが、本判決の判旨を普遍的な基準として位置付けようとすると、多少危うい部分もあるのではないかというのが筆者が抱いた印象であり、それは、堀籠判事の反対意見と比較する中でより明確になっているように思われる。


堀籠幸男裁判官・反対意見

堀籠判事は、以下のような論旨により、多数意見と正反対の結論を導いた。


堀籠判事は、まず最大判昭和59年12月12日をベースに、

「関税定率法21条1項4号にいう「風俗を害すべき書籍、図画」等とは、・・・わいせつな書籍、図画等を指すものと解されており、また、「わいせつ」とは、「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」をいうとするのが確立した判例である。」(7頁)

と、基本的な定義を確認した上で、「わいせつ」性の判断について、

「ある物がわいせつであるかどうかの判断は,社会通念の変化により変化するものであることは認めなければならないが,写真がわいせつであるかどうかについては,少なくとも,男女を問わず,性器が露骨に,直接的に,具体的に画面の中央に大きく配置されている場合には,その写真がわいせつ物に当たることは,刑事裁判実務において確立された運用というべきであり,本件20葉の写真がわいせつ性を有することは,否定することができないと考える。」(8頁、強調筆者)

という意見を述べ、最大判昭和32年3月13日(チャタレー事件)が示した「わいせつ性の存否の判断の仕方」や「芸術作品とわいせつ性との関係」に関する判断、すなわち、

「猥褻性の存否は純客観的に、つまり作品自体からして判断されなければならず、作者の主観的意図によって影響さるべきものではない」(8頁)

「本書が全体として芸術的、思想的作品であり、その故に英文学界において相当の高い評価を受けているのは上述のごとくである。本書の芸術性はその全部についてばかりでなく、検察官が指摘した12箇所に及ぶ性的描写の部分についても認め得られないではない。しかし芸術性と猥褻性とは別異の次元に属する概念であり、両立し得ないものではない。」(8-9頁)

という判旨の趣旨に、本件多数意見が反しているのではないか、という指摘を行っている*3


実際には、本判決の多数意見では、「芸術的観点」と並んで、写真集全体において当該写真が占める比重や実際の使われ方(見せ方)にも十分重きを置いているように思われるから*4

「多数意見は、本件写真集の芸術性を重く見過ぎたものであり、前記大法廷判決の趣旨を逸脱し、判断の仕方に問題があるといわざるを得ない。」(9頁)

という堀籠判事の反対意見は、若干言い過ぎのような気がしないでもない。


だが、それを差し引いても、上記意見には尊重すべきものがあるといえる。



あえて述べるまでもなく、「芸術的」か否か、というのは極めて主観的、かつ曖昧な概念である。


本件は、メイプルソープ氏のような、ある程度評価が確立した芸術家の写真だったために、上記のような結論があっさりと導かれているのだが、これが無名の前衛芸術家、あるいは趣味で写真を撮っている人の作品だったとしたら、同じ結論が果たして導かれたのだろうか?


「芸術性」という要素を「わいせつ性」の判断に持ち込むことは合理的な発想のように見えるが、そこには、判断者の“感覚”に振り回されてしまう懸念がどうしてもついて回る。


その点、堀籠判事が主張されるような「純客観的」基準の方が、(それによって得られる結論の当否はともかくとして)「判断の安定性」という点から見れば、まだ優れている面もあるように思えるわけで、このような“杓子定規”な判断を乗り越えて、総合衡量によって「わいせつ」性を判断するのであれば、より緻密で予測可能性の高い規範が提示される必要があるように思えてならない*5



なお、筆者個人としては、「わいせつ」かどうかを、税関や警察・検察が判断して規制する、というのは極めてナンセンスな話で、こういった問題は、(将来的には)あくまで「それによって正常な性的羞恥心を害される者」と、「『わいせつ』物を提供する者」との間の利益衡量問題としてのみ整理するのが妥当だと考えているのだが、このような極論を取らないまでも、

「我が国において出版されていた写真集について、あえて輸入禁制品に該当する旨の通知を行った」

本件の税関の処分のセンスのなさは、ちょっといかがなものかと思う。


判決の中ではわずか4行で片付けられているのだが、

「我が国において既に頒布され、販売されているわいせつ表現物を税関検査による輸入規制の対象とすることが憲法21条1項の規定に違反するものではないことも、上記大法廷判決の趣旨に徴して明らかである。」(3頁)

という結論の妥当性こそが、本来問われるべきだったように思えてならない。


ちなみに、新聞等の報道によれば、本件上告人は、本判決を受けて、現在若干の在庫が残っている本件写真集を販売する意向のようである。


本件で問題になっていた写真等が最高裁のHPにアップされる可能性は極めて低いと思われるから、どうしても写真を自分の目で確かめたい、という方には、↓をお勧めすることにしたい(少々値が張るが・・・)。


Mapplethorpe

Mapplethorpe

*1:第三小法廷・那須弘平裁判長、http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080219115355.pdf

*2:写真による現代美術の第一人者として知られるメイプルソープ氏に初期から後期までの主要な作品を編集したもの(日本語翻訳版)。上告人が取締役を務める有限会社Aが平成6年11月1日に出版したものであり、ハードカバーによる装丁で384頁、重量4kgにもなる豪華な写真集であった。平成12年3月31日までの間に計937冊販売。

*3:堀籠判事は、他にも、過去のメイプルソープ写真集輸入禁止処分事件(別件)における結論と本判決との不整合についても指摘している。

*4:特に本件では、問題になった写真が多数の写真の中のほんの一部であることが、結論に大きく影響を与えたように思われる。

*5:一般的な取引法の世界とは異なり、基本的人権に対する制約が争われる場面では、制約の強弱・広狭が問題にされることはあっても、「判断の安定性」の要請が前面に出てくることはあまりないのだが、実際には。当該禁制品の出版や流通等に多くの人がかかわることになるのだから、「判断の安定性」も看過されてはならない要素ではないかと思われる(若干行政寄りの発想なのかもしれないが)。

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