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2018-06-08

[][]「非正規格差」訴訟がもたらす日本の雇用の未来

ここ数年、人事労務業界に大きな話題を振りまいてきた「非正規格差」訴訟で、先週、遂に最高裁労働契約法20条に関する解釈、判断を示した。

「正社員と非正規社員の待遇格差を巡る2件の訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(山本庸幸裁判長)は1日、定年退職後の再雇用などで待遇に差が出ること自体は不合理ではないと判断した。その上で各賃金項目の趣旨を個別に検討し、両訴訟で一部手当の不支給は「不合理で違法」として損害賠償を命じた。労働契約法20条は正社員と非正規社員の不合理な待遇格差を禁じており、同条の解釈を巡る最高裁の判断は初めて。」(日本経済新聞2018年6月2日付朝刊・第1面)

当時の世相を反映して、労働契約法に以下の条文が追加されたのは、平成25年のこと。

(期間の定めがあることによる不合理な労働条件の禁止)

第二十条 有期労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件が、期間の定めがあることにより同一の使用者と期間の定めのない労働契約を締結している労働者の労働契約の内容である労働条件と相違する場合においては、当該労働条件の相違は、労働者の業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度(以下この条において「職務の内容」という。)、当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情を考慮して、不合理と認められるものであってはならない。(強調筆者、以下同じ)

あれから約5年、この日の2判決は、様々な解釈が飛び交った労働契約法第20条をめぐる攻防の一つの到達点、ということになる。

日経紙をはじめ、各メディアでも最高裁判決の要旨を取りあげて、かなり詳細にこの2判決を取りあげている。

とはいえ、やはり、若干ミスリードのように思える紹介のされ方をされている箇所も散見されるので、備忘も兼ねて残しておくことにしたい。

最二小判平成30年6月1日(H28(受)第2099号、第2100号)*1

労契法20条訴訟の「代名詞」としてここ数年労働判例雑誌の話題を独占し、今後も「リーディングケース」と位置付けられるのは間違いないのが、このハマキョウレックスの事件である。

原告側の請求は、無事故手当,作業手当,給食手当,住宅手当,皆勤手当,通勤手当,家族手当といった手当の格差のみならず、賞与,定期昇給及び退職金にまで及び、救済手段も、主位的請求として「本件賃金等に関し,正社員と同一の権利を有する地位にあることの確認」(地位確認請求)+差額賃金請求、予備的請求として差額に相当する損害の賠償請求、とフルコースで立てている、いわば「労働契約法第20条でどこまでできるか?」を試すような事例であった。

最高裁は、高裁判決と同様に、地位確認請求と差額賃金請求については、

労働契約法20条が有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違は「不合理と認められるものであってはならない」と規定していることや,その趣旨が有期契約労働者の公正な処遇を図ることにあること等に照らせば,同条の規定は私法上の効力を有するものと解するのが相当であり,有期労働契約のうち同条に違反する労働条件の相違を設ける部分は無効となるものと解される。もっとも,同条は,有期契約労働者について無期契約労働者との職務の内容等の違いに応じた均衡のとれた処遇を求める規定であり,文言上も,両者の労働条件の相違が同条に違反する場合に,当該有期契約労働者の労働条件が比較の対象である無期契約労働者の労働条件と同一のものとなる旨を定めていない。そうすると,有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が同条に違反する場合であっても,同条の効力により当該有期契約労働者の労働条件が比較の対象である無期契約労働者の労働条件と同一のものとなるものではないと解するのが相当である。」(5〜6頁)

と、いずれも退けており、この点に関しては、厚生労働省が法改正時に示唆したエキセントリックな解釈論*2最高裁が改めて明確に否定した、というくらいの意義しかない*3

一方、損害賠償請求に関しては、いろいろと興味深い論旨が散見される。

まず、労働契約法20条の立法趣旨を、

「同条は,有期契約労働者については,無期労働契約を締結している労働者(以下「無期契約労働者」という。)と比較して合理的な労働条件の決定が行われにくく,両者の労働条件の格差が問題となっていたこと等を踏まえ,有期契約労働者の公正な処遇を図るため,その労働条件につき,期間の定めがあることにより不合理なものとすることを禁止したものである。そして,同条は,有期契約労働者と無期契約労働者との間で労働条件に相違があり得ることを前提に,職務の内容,当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情(以下「職務の内容等」という。)を考慮して,その相違が不合理と認められるものであってはならないとするものであり,職務の内容等の違いに応じた均衡のとれた処遇を求める規定であると解される。」(5頁)

とし、「有期契約労働者と無期契約労働者との間で労働条件に相違があり得ることを前提に」というフレーズを盛り込んだこと、そして、これを受けて、

労働契約法20条は,有期契約労働者と無期契約労働者の労働条件が期間の定めがあることにより相違していることを前提としているから,両者の労働条件が相違しているというだけで同条を適用することはできない。一方,期間の定めがあることと労働条件が相違していることとの関連性の程度は,労働条件の相違が不合理と認められるものに当たるか否かの判断に当たって考慮すれば足りるものということができる。」(6頁)

と述べていること。

この太字部分は本件でも別事件でも繰り返し強調されており、特に別事件の方では結論にかなり大きなインパクトを与えているだけに、当たり前のことのようで、ここで明記された意義は大きいといえるだろう。

そして、最高裁は、続けて、これまで争われてきた労働契約法20条の各要件について以下のような解釈を示している。

「同条にいう「期間の定めがあることにより」とは,有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が期間の定めの有無に関連して生じたものであることをいうものと解するのが相当である。」

「同条にいう「不合理と認められるもの」とは,有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理であると評価することができるものであることをいうと解するのが相当である。」(以上7頁)

初めての判断ということを意識したからなのか、個人的にはやや日本語を丁寧に書きすぎている、という印象があるし、「期間の定めがあることにより」については、あてはめ*4がかなり拍子抜けの印象だが、その後に述べられた不合理性の立証責任に関する説示*5と合わせて、今後、繰り返し引用されることになるのは間違いない。

キモとなる不合理性の判断については、「皆勤手当」に関する部分*6を除いて原審の判断を追認する形となっており、最高裁が認容した、ということ以上のインパクトはないのだが、本件の第一審判決で原告の請求がことごとく退けられていたことを考えると、使用者側にとって衝撃の結果となったことは確かだと思う。

最二小判平成30年6月1日(H29(受)第442号)*7

実務的なインパクトがより大きくなりそうなのが、こちらの長澤運輸の事件の方で、政策的に積極的な高年齢者継続雇用の慫慂が求められている中で、最高裁がどのような落としどころを示すか、ということが関係者の最大の関心事であった。

結論としては、一部の正社員に限った手当について「不合理」とされたものの、「違い」を認めた高裁判断の根底は揺らいでいないから、企業側の人事担当者の多くはホッと胸をなでおろしたところだろうが、メディアが強調するほど「格差」が全面的に肯定されているわけでもなく、それだけに受け止め方はより難しい。

以下、少し長くなるが、判決のキモの部分を引用しておく。

「被上告人における嘱託乗務員及び正社員は,その業務の内容及び当該業務に伴う責任の程度に違いはなく,業務の都合により配置転換等を命じられることがある点でも違いはないから,両者は,職務の内容並びに当該職務の内容及び配置の変更の範囲(以下,併せて「職務内容及び変更範囲」という。)において相違はないということができる。しかしながら,労働者の賃金に関する労働条件は,労働者の職務内容及び変更範囲により一義的に定まるものではなく,使用者は,雇用及び人事に関する経営判断の観点から,労働者の職務内容及び変更範囲にとどまらない様々な事情を考慮して,労働者の賃金に関する労働条件を検討するものということができる。また,労働者の賃金に関する労働条件の在り方については,基本的には,団体交渉等による労使自治に委ねられるべき部分が大きいということもできる。そして,労働契約法20条は,有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理と認められるものであるか否かを判断する際に考慮する事情として,「その他の事情」を挙げているところ,その内容を職務内容及び変更範囲に関連する事情に限定すべき理由は見当たらない。したがって,有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理と認められるものであるか否かを判断する際に考慮されることとなる事情は,労働者の職務内容及び変更範囲並びにこれらに関連する事情に限定されるものではないというべきである。」(9頁)

「被上告人における嘱託乗務員は,被上告人を定年退職した後に,有期労働契約により再雇用された者である。定年制は,使用者が,その雇用する労働者の長期雇用や年功的処遇を前提としながら,人事の刷新等により組織運営の適正化を図るとともに,賃金コストを一定限度に抑制するための制度ということができるところ,定年制の下における無期契約労働者の賃金体系は,当該労働者を定年退職するまで長期間雇用することを前提に定められたものであることが少なくないと解される。これに対し,使用者が定年退職者を有期労働契約により再雇用する場合,当該者を長期間雇用することは通常予定されていない。また,定年退職後に再雇用される有期契約労働者は,定年退職するまでの間,無期契約労働者として賃金の支給を受けてきた者であり,一定の要件を満たせば老齢厚生年金の支給を受けることも予定されている。そして,このような事情は,定年退職後に再雇用される有期契約労働者の賃金体系の在り方を検討するに当たって,その基礎になるものであるということができる。そうすると,有期契約労働者が定年退職後に再雇用された者であることは,当該有期契約労働者と無期契約労働者との労働条件の相違が不合理と認められるものであるか否かの判断において,労働契約法20条にいう「その他の事情」として考慮されることとなる事情に当たると解するのが相当である。」(10頁)

以上のような論旨により、「正社員」と「定年後に再雇用された者」との間に労働条件の一定の違いが生じ得ることを前提に、賃金項目の趣旨を個別に考慮した結果、最高裁は「精勤手当」とそれをベースにした「超勤手当(時間外手当)」の部分についてのみ、新たに不合理性を認めた。

結果的に使用者側の持ち出しが増える形になっているものの、異なる2つの賃金体系を精緻に分析した上で、基本的な部分では両者の“併存”を認めた、というのが結論だから、筆者としてはそんなに大きな違和感はない。

判決でも認定されているように、業務の内容も責任も、再雇用前と全く同じであるにもかかわらず、賃金だけが引き下げられるのはおかしい、という感情論が消えることはしばらくないのだろうが、そこだけを強調してしまうと、「継続雇用する時は賃金に相応しい単純労働しか与えない」という運用にもなりかねないわけで、そうなると「賃金が下がっても良いから、これまでと同じ仕事をしたい」というニーズには全く添えない、ということにもなってしまう*8

両判決が今後の雇用に与えるインパクトについて

さて、この2つの最高裁判決が出たことで、今後どうなるか、ということだが、両判決の論旨に沿って労働契約法20条が威力を発揮することが労働側の人々が主張するような「非正規労働者の待遇向上」につながるか、といえば、個人的には大いに疑問がある。

例えば、既に一部の企業の動きとして報じられているように、「手当」格差の問題は、これまで慣例的に付されていた「正社員の(無駄な)手当」を削減する、という方向で解決が図られており、労働契約法20条に基づく損害賠償請求は、一時的な救済にはつながっても、非正規労働者の労働条件を押し上げる方向には必ずしも機能しない。

もちろん、これだけ労働現場で「人手不足」が叫ばれている中、労働条件を引き上げないことにはそもそも人を揃えられない、という現実があるし、現に短期的な基本給ベースで見れば、同世代の正社員の賃金よりも、有期雇用社員の賃金の方が上回っている、という業種も最近では決して稀ではなくなっているから、結果的に、“派遣切り”の時代に問題視されていた状況はかなり改善されてきているのだが*9、パッチワーク的な労働政策が乱発された結果、割を食っている正社員中間層もいることは忘れてほしくないところ。

個人的には、いずれもう少し時が経てば、「正規」と「非正規」の雇用市場におけるポジションが逆転する可能性は高いと思っているし*10、その方が世の中の進歩にもつながると思っているのだけど、そこにたどり着くまでの苦しみを誰が(どの世代が)味わうか、ということは、常に心に留めておきたいと思っているところである。

*1:第二小法廷・山本庸幸裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/784/087784_hanrei.pdf

*2:無効とされた労働条件の部分について、「基本的には」無期契約労働者と同じ労働条件が認められる、という類の見解(http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/keiyaku/kaisei/dl/pamphlet07.pdf)。

*3労働契約といっても契約であることに変わりはない以上、勝手に補充的効力で条件設定がされてしまうような解釈はなるべく慎むべき、というのが自分の考えである。

*4:「本件諸手当に係る労働条件の相違は,契約社員と正社員とでそれぞれ異なる就業規則が適用されることにより生じているものであることに鑑みれば,当該相違は期間の定めの有無に関連して生じたものであるということができる。したがって,契約社員と正社員の本件諸手当に係る労働条件は,同条にいう期間の定めがあることにより相違している場合に当たるということができる。」というくだり。

*5:「両者の労働条件の相違が不合理であるか否かの判断は規範的評価を伴うものであるから,当該相違が不合理であるとの評価を基礎付ける事実については当該相違が同条に違反することを主張する者が,当該相違が不合理であるとの評価を妨げる事実については当該相違が同条に違反することを争う者が,それぞれ主張立証責任を負うものと解される。」(7〜8頁)

*6:ここは、そもそも「手当」の位置づけに関する評価の違いに起因する判断変更だと思われ、金額(月1万円)的なインパクトは決して小さくないが、最高裁判決で示された事実に基づく限り「不合理」という評価も至極妥当なものと思われる。

*7:第二小法廷・山本庸幸裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/785/087785_hanrei.pdf

*8:もちろん、「これまでと同じ賃金でこれまでと同じ仕事ができる」なら、それにこしたことはないのだが、どんな会社でもかけられる人件費には限界がある以上、上に手厚くすれば必ず若年層にしわ寄せが及ぶ。それを度外視して高年齢雇用者の保護だけを叫ぶのは、バランスを失した議論だと思う。

*9:そして「人手不足」が、今後10年〜20年改善される余地のない問題であることを考えると、この傾向が進むことはあっても逆戻りすることは考え難いのが今の日本の状況である。

*10:不安定な会社で満足の行くキャリアも形成できないまま低待遇にあえぐ「正規」社員と、若いうちから好労働条件の職場を渡り歩いて一財を築く「非正規」社員・・・。

2018-02-02

[][]またしてもオリンパス。

ここ数年、社長解任劇に始まって、不正会計事件、内部通報者報復事件、と、コーポレート・ガバナンス、あるいはリスク対応、コンプライアンス対応の観点から、「やってはいけない」事例を世の中に繰り返し提供してくれているのがオリンパス、という会社である。

中の人たちの感覚が皆歪んでいる、というわけではないのだろうが、これだけ繰り返すと(そして、そのたびに、メディアの憶測報道ベースではない、第三者委員会報告書や判決文で適示される事実を目にするたびに)、ちょっとどこか“違う”価値観で動いている会社なんじゃないか、と思わずにはいられない。

そして、またしても・・・という記事が今週、出た。

「精密機器メーカー、オリンパスがまた内部告発で揺れている。中国現地法人で不明朗支出を追及した幹部が1日付で異動した。この人事をめぐり、同僚の社員弁護士公益通報者保護法違反のおそれを指摘するメールを社内の多数に送り、メールを禁じられた。そのため、この弁護士は会社を相手取って東京地裁訴訟を起こした。」(朝日新聞デジタル2018年1月29日7時10分)*1

事柄の詳細については、引用元の朝日新聞のサイトに詳しく書かれているし、その後FACTAにも記事がアップされた*2

ことの発端になっている、「オリンパスの中国法人がエージェント、コンサルタントに支払った対価が賄賂に当たるかどうか」という点については、オリンパスが以前、米国南米の医療従事者へのリベートに関してDOJと和解合意している過去*3を考慮しても、今でている情報だけでは何とも判断し難い*4

また、「独自に調査に動いた中国法人の法務本部長が異動させられた」という点についても、浜田正晴氏の一件*5と重ねあわせて、どうしても“クロ”の心証に傾きがちなのだが、これも「不当な目的あり」というためには、情報が少なすぎる。

ただ、そういった前提事実の真偽を差し置いても、「社内弁護士のメール送受信を全面的に禁止する」というのは(これも事実なのだとすれば)さすがにやり過ぎ、と言わざるを得ないし、そこまで露骨なことをやってしまうと、「そういう会社なんだ」とバイアスのかかった目で見られてしまうことは否めないわけで・・・*6

また、「弁護士職務基本規程」は、第51条で、社内弁護士に対し、「組織内弁護士は、その担当する職務に関し、その組織に属する者が業務上法令に違反する行為を行い、又は行おうとしていることを知ったときは、その者、自らが所属する部署の長又はその組織の長、取締役会若しくは理事会その他の上級機関に対する説明又は勧告その他のその組織内における適切な措置を採らなければならない」という義務を課している。

「適切な措置」として、社外取締役にダイレクトでメールすることまで求められる、と言われてしまうと個人的にはちょっと困ってしまうが、とにかく何かしら問題意識を共有しなければいけない、という意識で動くこと自体は、決して批判されることではないわけで*7、そういう意味でも「メール送受信禁止」というのは、ちょっと理解しがたいところがある。

社内弁護士、という立場で在職中(?)の会社を訴えることの是非*8は議論のあるところだろうし、それ以上に、これだけ情報が外に出てしまっていることがどうなのか(朝日新聞の記事は、明らかに提訴の事実を知り、訴状の内容を見て書かれているものだと思われるが、その中には当然会社の機密事項も含まれているはずである)、という問題もある*9

だが、それ以上に、報じられているオリンパスの対応には疑問を感じるところが多いし、1月31日に公表された、紋切り型の「公式見解」*10を読むと、余計にその思いを強くする*11

先行した朝日新聞の報道に対し、かつての「オリンパス事件」の時は、真っ先に切りこんでいった日経新聞が、会社がプレスした事実を淡々と報じるにとどめている*12のが、何となく面白いコントラストになっているのだが、いずれにしてもすんなりとは終わりそうにない話だな、と個人的には思っているところである。

*1https://www.asahi.com/articles/ASL1W46N5L1WULZU001.html

*2https://facta.co.jp/blog/archives/20180131001372.html、元々は2年前にFACTAが取り上げた贈賄「疑惑」に端を発している話のようである。

*3https://www.olympus.co.jp/ir/data/announcement/pdf/td160302.pdf

*4:支払った「4億円」という金額が事実だとすれば、さすがにちょっと高いな、という印象はあるが、全くやましいところのない契約でも海外のコンサル、というのは基本的に「高い」ものなので、この情報だけでは“疑惑”の域は出ないだろうと思う。

*5http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20120807/1344664923http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20120904/1347082801参照。

*6:今回の訴えが、仮処分申立ではなく、損害賠償請求の本訴であることを考慮すると、メール使用禁止の処分自体は既に解けているのかもしれないが。

*7:そういう動きをされるのが嫌なのであれば、社内弁護士など雇わなければよい、というだけの話である。弁護士でなくても、それ以上の能力を持つ優秀な法務担当者は世の中に多数いるのだから。

*8:これ自体は自分も全く否定するものではないし、同じ立場に置かれたら、そんなに躊躇せずに同様の行動は起こすと思う(もちろん、受けた不利益の程度感にもよるけど)。究極の場面では、会社の事情ではなく自らの職業的正義感、倫理観の下で動かないといけないのが、「弁護士」として仕事をやる上での“さだめ”ではないかと思っている。

*9:もちろん、前提となる社内通報手続とそれに対する会社の対応がどうだったか、ということとも関係してくる話ではあるのだが、弁護士としての守秘義務の兼ね合いで、個人的には気になるところではある(「解説 弁護士職務基本規程第3版 151頁参照)。

*10https://www.olympus.co.jp/news/2018/contents/nr00716/nr00716_00000.pdf

*11:メールのやり取り抜きで仕事をすることなど不可能な今の時代に、「再三の注意にもかかわらず、当社の規程に反して社内メールを不適切に利用したため」という説明だけで、メール全面利用禁止を正当化することは不可能だと思う。その辺のセンスがこのリリースには決定的に欠けている。

*12日本経済新聞2018年2月1日付朝刊・第19面。

2017-07-28

[][]プレミアム感のない金曜日とホワイトカラー・エグゼンプション

2月に始まったときはそれなりに話題になっていたものの、「月末最後の金曜日」をターゲットにする、という、企業の中で働く人々の空気を全く読まない施策だったために、もはや誰の脳裏にも残っていない「プレミアム・フライデー」*1

当然のことながら、目の前に山積みになった仕事をほかして15時、16時に上がろうものなら、依頼者が困る、そして、何よりも翌日以降、自分の首を絞める、ということで、今月も全くプレミアム感のない月末の金曜日だった。

で、そんな中、ここ数日報道されている「ホワイトカラー・エグゼンプション」をめぐる迷走ぶりにも、どうしても思いが向かってしまうわけで・・・。

このブログを開設当初から読んでいただいている方であれば、御存じかもしれないが、自分は元々、「労働時間規制」に対しては極めて懐疑的な感情を抱いている。

善良な会社であればあるほど、「良く働く社員」の頭を押さえつける風潮があるのが今の日本社会なわけで、特に月末、残業時間が三六協定の上限時間に接近してくると、労働時間を管理する部署からしつこく「働かせるな」というアラートが飛んでくる。

自分も、まだ残業手当をもらえる身分だった頃は、月の半ばくらいから、人事部−自部署の(直属の上司以外の)管理職連中から、残業時間についてネチネチ言われるたびに苛立ちを感じていたし、結局、板挟みになってしまう直属の上司を慮って、実労働時間を適当に丸めて申告することも日常茶飯事。

「それだったら、いっそのことドカンと給料もらう代わりに、労働時間規制を青天井にしてくれよ」

と日々思っていたのが、30代に差し掛かるかかからないか、くらいの頃だった。

時が流れ、名実ともに管理監督者となって久しい今の自分にとって、現在国会に上程されている「労働基準法等の一部を改正する法律案」が成立しようがしまいが、大して影響はない*2

ただ、あの頃と変わらない(時にはそれを凌駕する)時間を仕事に費やしていながら、報酬が費やした時間に比例した、あるいは、費やした時間の総量に対応したものになっていない、という不満は常に抱えているわけで、この手の議論をするたびに念仏のように唱えられる美辞麗句には正直辟易している*3

第41条の2 賃金、労働時間その他の当該事業場における労働条件に関する事項を調査審議し、事業主に対し当該事項について意見を述べることを目的とする委員会(使用者及び当該事業場の労働者を代表する者を構成員とするものに限る。)が設置された事業場において、当該委員会がその委員の5分の4以上の多数による議決により次に掲げる事項に関する決議をし、かつ、使用者が、厚生労働省令で定めるところにより当該決議を行政官庁に届け出た場合において、第2号に掲げる労働者の範囲に属する労働者(以下この項において「対象労働者」という。)であつて書面その他の厚生労働省令で定める方法によりその同意を得たものを当該事業場における第1号に掲げる業務に就かせたときは、この章で定める労働時間、休憩、休日及び深夜の割増賃金に関する規定は、対象労働者については適用しない。ただし、第3号又は第4号に規定する措置を使用者が講じていない場合は、この限りでない。

 一 高度の専門的知識等を必要とし、その性質上従事した時間と従事して得た成果との関連性が通常高くないと認められるものとして厚生労働省令で定める業務のうち、労働者に就かせることとする業務(以下この項において「対象業務」という。)

 二 この項の規定により労働する期間において次のいずれにも該当する労働者であつて、対象業務に就かせようとするものの範囲

  イ 使用者との間の書面その他の厚生労働省令で定める方法による合意に基づき職務が明確に定められていること。

  ロ 労働契約により使用者から支払われると見込まれる賃金の額を1年間当たりの賃金の額に換算した額が基準年間平均給与額(厚生労働省において作成する毎月勤労統計における毎月きまつて支給する給与の額を基礎として厚生労働省令で定めるところにより算定した労働者一人当たりの給与の平均額をいう。)の3倍の額を相当程度上回る水準として厚生労働省令で定める額以上であること。

(第3号以下は省略、強調筆者)

労働基準法に↑の一条文が加われば、少なくとも「高度プロフェッショナル」と定義される範囲の人材にとっての労働時間の概念は大きく変わることになるだろう。

ただ、時間の縛りから解放される代償として、少なからず失われるモチベーションもある、ということは、心にとめておく必要はあるように思う*4。制度適用の結果、定額給与が大幅に増えたとしても、嬉しいのはその瞬間だけで、次に襲ってくるのは、「膨大な仕事を前にしてどれだけ貴重な時間を費やしても、大して仕事をしていない周囲の同僚とほとんど変わらない給与しかもらえない」ことへの空しさだったりもする*5

そして、今の法案の内容を見る限り、対象となる人々は、労働時間規制の軛からは解放されるものの、使用者の細々とした指揮命令権からは明示的には解放されていない、ということにも注意が必要かな、と*6

いずれにしても、贅沢な金曜日を味わう代わりに果たした役割の分はきちんと報酬に反映されないと、やってられない人生、になってしまうわけで、秋から本気で議論を始める気があるのなら、その辺にも目を向けてほしいな、と思うところである(全く期待はしていないが)。

*1:個人的には、頭でっかちで掛け声ばかりが先行するこの4年ちょっとの日本を、最も象徴しているような施策じゃないか、と思っているところ(笑)。

*2:強いて言えば、自分の頃と比べても格段に厳しくなった「働かせるな」風潮の中、管理職として引き受けている「残業させられない部下の分の仕事」が少し減る、くらいだろうか。もっとも、自分の負担を減らすために部下を酷使する、というのは全くもって信条に反するので、仮に自分のチームのスタッフに新制度が適用されるようになったとしても、そういう方向に向かわせることはないだろう、と思っている。

*3:よく「仕事の効率を高めれば、残業しなくても同じ質の仕事ができる」などということを言っている輩は多いが、そういう連中は、大概アウトプットに求められる「質」の基準を最低限のところに引き下げることで、自分の論理を正当化しているところがあるように思う。特に専門性の強い仕事になればなるほど、リサーチやディスカッションに要した時間は、そのまま仕事の「質」に反映されてくるわけで、だからこそ多くの国の専門家の世界に「タイムチャージ」という文化が浸透している、ということも看過すべきではない。

*4:そもそも「性質上従事した時間と従事して得た成果との関連性が通常高くないと認められる」「高度の専門的知識等を必要と」する業務がどれだけ世の中にあるのか、ということも、長年「専門的知識を必要と」される業務に従事する者としては強く疑問を抱いているところである。知識と経験に裏打ちされた瞬間的な判断だけで片付く仕事も多々あることは否定しないが、それだけで日々を過ごしていたら、成果の質がそれ以上に向上することはないし、自身の知識・経験も劣化するだけである。

*5:もちろん、成果に応じたインセンティブの比重を大きくすれば、結果的に報われることにはなるのだが、今の日本の会社でそこまで大胆な手が打てるところは、決して多くはないはずだ。

*6:組織の中で働く以上、指揮命令権から完全に解放せよ、というのはさすがに無理があるのだが、部署への配属と担当ジョブの割り当て&懲戒権以外は行使させない(要は、縦のラインからは、いつ何時仕事をするかも含めて、仕事の進め方には一切介入させない、ということ)、といった規定を明文で突っ込む、ということも、考えてよいのではないか、と個人的には思うところ。

2017-06-17

[][]あれから10年、「労働契約法」が進む道。

今に始まったことではないが、時が経つのは随分と早いものだと思う。

そして、今さら読んだジュリスト6月号の特集が「労働契約法の10年とこれから」というタイトルになっているのを見て、その思いはなおさら強くなった。

ジュリスト 2017年 06月号 [雑誌]

ジュリスト 2017年 06月号 [雑誌]

この世界から離れて久しいとはいえ、元々この分野は、自分のキャリアの出発点と切っても切り離せない。

だから、10年前、もめにもめていた国会でこの法案が審議されていた頃*1も、果たしてどういう形で法案が成立するのか気が気でなかったし、遡ればその前の研究会や労政審の議論から、ずっと注視していたところはあったように思う*2

だから、ドタバタの中で可決され、翌年に施行されたこの法律が、政権転換期をまたいで早10年も生き続けている、と聞くと、何ともいえない感慨が湧いてくる。

この法律ができた時に条文を見た自分の感想は、冒頭の座談会*3で、荒木教授が当時を振り返って言及されている「判例法理を足しも引きもせず」というキーワードそのものだったし、その後、有期労働契約保護の観点から18条〜20条という異色の規定が導入されてもなお、この法律の条文だけで複雑怪奇な労働法学・判例の全体像を明らかにすることは到底できていないだろう、と思っている。

だが、本特集でも紹介されているとおり、最近の労働条件切り下げをめぐる判例にしても、正規社員と非正規社員の均等待遇をめぐって近年多数世に出されている下級審裁判例にしても、労働契約法の条文を出発点として議論がなされているように見受けられる状況にあることを考えると、やはり、労使双方の立場から議論を始める上での出発点を作った、という点で、この立法の意義は大きかった、ということなのだろう。


ちなみに、自分は、「判例に判例を重ねる」的なアプローチの下で、解雇権濫用法理やら、就業規則変更法理やら、といった諸法理を叩きこまれた世代で、かつ、もう何年もこの世界から距離を置いている人間だから、「労働契約法に条文がある」という現実すら時々忘れがちになるし、労働契約法制定・施行後、特にここ数年の裁判例の蓄積を的確にフォローできている自信など全くない。

ただ、10年前と比べても労働契約の中の集団的規範的要素がかなり薄まってきている、という現実を目の前にして、「労働契約法」というこのシンプルな法律を(立法者の意図さえも超えて)フル活用し、「労働契約」の分野に新たな地平を切り拓きたい、という欲求は今でも心の内にある。

そして、昔、自分が書いた記事を読み返す中で、法制定後間もない時期にNBLに掲載された野川忍教授の以下の“未来予測”を現実のものとするために、爪を研がねば、という思いを改めて強くした次第である*4

「労働者の処遇にかかる事項は可能な限り書面化することにより、近い将来に、一人ひとりの労働者と使用者とによる「労働契約書」を日本の雇用社会全体に普及させる方向を目指す必要があろう。それがグローバルスタンダードである。」

「また、就業規則による集団的管理のカバリッジをできるだけ限定して、個別労働契約による透明で明確なルールを拡大する努力も不可欠である。

使用者も、「人事権」という茫漠とした包括的権限から脱却し、個々の労働者との間の権利義務関係を踏まえた明確で適切な対処が求められるようになろう。

(野川忍「これからの労働契約労働契約法制定後の展望」NBL872号27頁(2008年)より、強調筆者。)

*1:まだ「野党」に元気があった頃。

*2http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20070109/1168367275のエントリーなど参照。

*3:岩村正彦=荒木尚志=木下潮音=水口洋介「労働契約法の10年を振り返って」ジュリスト1507号14頁(2017年)。

*4http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20080107/1199643329。残念ながら、日本の多くの「大企業」は、まだまだ野川教授が唱えられた理想には程遠い状況にあるし、自分も含めて「包括的人事権」の網からは完全に逃れられてはいないのだけれど、だからこそ、会社の内からでも外からでも挑戦して叩き壊す価値のあるものだ、と自分は確信してやまない。

2015-10-26

[][]この道はいつか来た道。

“8月就活”の狂騒曲の余韻も未だ残っている中、朝令暮改とはまさにこのこと、と言わんばかりの記事が日経新聞の1面を飾っている。

「経団連は今年から導入した大学生の就職活動のルールをもう一度見直し、面接など企業による選考の解禁時期を8月から前倒しする。今より2カ月早め、6月を新たな解禁時期とする方向で調整し、現在の大学3年生が対象の来年の採用から適用する。」(日本経済新聞2015年10月26日付朝刊・第1面)

このブログでは、以前から就職解禁時期を後ろずらしさせようとする動きに疑問を投げかけていたし*1、まさかの「8月解禁」が現実のものとなってしまった今年は、昔を振り返りながら、いろいろと批判記事を書いたものだった*2

今年の就活スケジュールがいかに不合理なものだったか、ということに鑑みると、「過ちを改めるにしくはなし」という言葉どおり、さっさと変えるにこしたことはない。

だが、問題は改めた後の「6月」という時期にある。

日経紙の記事では、「6月」案の難点として、

「株主総会前の企業に負担増を強いる」

「梅雨の時期の就活を余儀なくされる」

といった尤もらしい理由が書かれているが(前記3面)、こんなものは些細な理屈に過ぎない*3

自分が就職活動をしたのは、ちょうどこれくらいの時期に就活のヤマ場が来る時代だったからよく覚えているのだが、4年生の夏学期が始まって、講義もゼミもちょうど一番面白くなってくるのがこの時期なのに、学校に行けない・・・という嘆きが、自分の周りにはあふれていた*4

その後、長い時間をかけて、徐々に面接のピークの時期が繰り上がっていった背景に、早めに良い学生を確保したい、という企業側の思惑だけでなく、春休み前後の早い時期にさっさと就職を決めたい、という学生側のニーズも存在していたことは間違いない。


記事によると、今年から会社説明会の日程が3月になったことで、「4月や5月だと会社説明会から選考までの期間が短い」ことが、「6月選考」の理由となっているそうなのだが、「説明会」で会社の情報収集をした経験のない我々の世代の人間にとってみれば、なぜ、説明会から面接開始までそんなに長い期間を設ける必要があるのか、さっぱり分からない。

今の時代、情報収集なんてインターネット上にいくらでも転がっているし*5、大学に入ってから大学3年の終わりまで、たっぷり3年間あるのだから、その間にインターンにいったり、現役社員を捕まえたりして、より生に近い情報を得ることも十分できるはずだ。

だから、自分は“原点”に回帰して、再び4月(3月でもよい)に面接開始時期を戻す、ということで、何ら問題ないと自分は思っている。

今になって、「経団連は従来のやり方を続けるよう主張していた」という裏話を持ち出してしまう経団連にどこまでの力があるのか半信半疑なのではあるが、全ては学生のため、ということで、どうせ頑張るなら「6月」などと中途半端なことを言わず、一気に「4月」まで解禁時期を繰り上げて、官邸と戦ってくれることを今は願うのみである。

*1http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20130315/1363802095

*2http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20150626/1436072815http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20150824/1440786323

*3:実務サイドとしては、「株主総会前」という時期は確かに嫌なものだが、採用担当や助っ人に入る社内各部署の社員の多くは「株主総会」によって、日常の仕事に影響が出るような役割は与えられていないことが多いだろうし(総会担当者や法務担当者はもちろん採用に協力するどころではなくなるが・・・。)

*4:自分は元々講義を受けに学校に行くのは、片手で数えられるくらいの日数しかなかったし、ゼミも一度も取らずに卒業したから、この辺はあまり関係なかったのだけれど。

*5:「会社説明会」に行くと、何となく情報を得たような気分になるが、実際にそこで話されていることの多くは、会社のHPに掲載されている“公式のリクルート用コメント”とそんなに大差はない。

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