2007-01-11 若い人たちへの年賀状(を勝手に改訂)
■[豚野郎ども]

金属バット殺人事件 (双葉文庫―日本推理作家協会賞受賞作全集)
- 作者: 佐瀬稔
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http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/seiron/34073/
今さらあの品格爺様をけなしたところで、肥溜めに向かって「てめえはクソだ」となじるくらい意味がないと思ってスルーしていたけれど、やっぱりこういうせんずり文章を見るとムカムカしてしょうがないので内容を勝手にいじってみた。ふざけやがって。いつかきっと、でかいと勘違いしているてめえのナニを切り取って口に突っ込んで黙らせてやる。
若い人たちへのの年賀状(勝手に改訂)
≪してはいけないこと≫
新年おめでとうございます。君にとって、日本そして世界にとって、今年が昨年より少しでもよい年になるように祈っております。といっても、少しでもよい年にするのは実は大変なことです。
君の生まれたころに比べ、わが国の治安は比較にならないほど悪くなっているとよく言われますが、今は学園紛争も暴動もハイジャックも爆弾テロもなく、危険な繁華街もどんどん消え、飲酒運転も激減しているというのに、テレビばかり見ている頭の悪い大人が治安悪化と勝手に嘆いて君の存在と社会を否定します。見知らぬ土地で起きた事件に勝手にびびって、世界で飛び抜けてよかった治安がここ10年ほどで一気に崩されてしまいましたとやすやすと断言してきます。
道徳心の方も大分低下したと老人達は道徳と憎悪を履き違えたまま語ります。君が生まれたころは、援助交際も電車内での化粧もなかったかもしれませんが、愛人バンクという売春クラブが流行ってましたし、電車はヤンキー集団が一両丸ごと占領していたりして、化粧どころか一般人は乗ることさえできませんでした。70年代の新宿などの繁華街はトルエンと睡眠薬ばかりやってるラリ公ばかりで、80年代はバブル経済の恩恵を受けた景気のいいヤクザが町を堂々と闊歩してました。タクシーの運ちゃんまでもが勘違いして、乗車拒否などやりたい放題でした。他人の迷惑にならないことなら何をしてもよい、などと考える人は今も昔もそんなにいないと思いますが、昔は丸の内を爆弾で吹っ飛ばしたり、イスラエルで自動小銃を乱射して何十人も射殺してました。それに比べれば、ホリエモンみたいな小悪党が決算ごまかすとか、計画性のない勢いだけの殺人とか鼻くそみたいな犯罪ばかりで今は全然つまんないというのが本音です。
道徳心の低さは昔と今もどっこいどっこいです。金融がらみで、法律に触れないことなら何をしてもよい、という大人はいつの時代にもいます。戦前にだって山ほどいました。戦争成金などは灯りを得るためにお札を燃やすなんて風刺画にされるくらい景気がよかったし、反対勢力の共産党の幹部にだって、ソ連の金で芸者とどんちゃん騒ぎをして捕まるお調子者や、痴情のもつれで仲間を売ったりと醜悪な話はいくらでもあります。昔も今もみんなお金が大好きだし、下半身関係のゆるい話はいくらでもあるので、都合のいいことを語る老人の言葉を疑いましょう。人の心は金で買える、と公言するような人間すら出て、新時代の旗手として喝采(かっさい)を浴びたと老人達はホリエモンや村上ファンドなんてつまんないものを槍玉に挙げて、わあわあとやかましいのですが、「おれ達はやりたいことをやる!」と若者が好き勝手に暴れたり、セックスしたり、金持ちのボンボンとして青春を謳歌したり、遊び半分で障害者をリンチして殺したりする小説を書いた人が今ではスパルタ教育を訴え、偉そうに都知事として君臨しているのを考えれば、世の中というものが実に適当に動いているのだということがわかると思います。法律には「嘘をついてはいけません」「卑怯(ひきょう)なことをしてはいけません」「年寄りや身体の不自由な人をいたわりなさい」「目上の人にきちんと挨拶(あいさつ)しなさい」などと書いてありません。「人ごみで咳(せき)やくしゃみをする時は口と鼻を覆いなさい」とも「満員電車で脚を組んだり足を投げ出してはいけません」もありません。すべては道徳なのですが、その人生の先輩達もそうした道徳を大して守ってはいないうえに、団塊世代などはそうした道徳を堂々と否定して警官ぶん殴って、大学の授業をめちゃくちゃにして、同棲してセックスばかりしていたクチなので適当に聞き逃しておくのが得策でしょう。
≪心情なんかで腹はふくれない≫
法律とは網のようなもので、どんなに網目を細かくしても必ず隙間があります。だから道徳があるのです。六法全書が厚く弁護士の多い国は恥ずべき国家であり、法律は最小限で、人々が道徳や倫理により自らの行動を自己規制する国が高尚な国なのです。わが国はもともとそのような国だったのです……という大嘘は絶対に信じないようにしましょう。昔のわが国というと、やたらと武士の倫理観を持ち出す人がいますが、どうして武士なるごくわずかの支配階層のことばかり取り上げるのかが不思議です。当時の国民の大半は百姓でした。その百姓は年貢と五人組という極端に抑圧された掟に縛られて過ごして食うや食わずの生活を強いられました。明治になっても状況は変わりはありません。大正になって、デモクラシーが芽生えましたが治安維持法、そして昭和になってからは国家総動員法という超すごい法律もあったので、そう言う意味ではわが国が高尚だった時期など一度としてあったのか疑問です。これを鵜呑みにしても、身につくのは奴隷根性だけなので、その穴だらけな論理には常に反論するように心がけたいものです。
君の生まれる前も学校でのいじめはありました。昔も今もこれからも、いじめたがる者といじめられやすい者はいるのです。世界中どこも同じです。けれどしかたのないことだとは思いません。君の生まれたころ、いじめによる自殺はもうがんがんありました。80年には受験ノイローゼによる両親をバットで叩き殺し、20年前の86年に「このままじゃ生き地獄になっちゃうよ」という遺書を残して少年が自殺して、今と同じようにいじめ問題が起きたのですが老人達はもう忘れたようです。戦前、いじめで自殺する子供は学校では皆無だったなんて気分で物を言うのも大概にしろと言いたいのですが、学校で仮に自殺がなかったとしても、日本の軍隊のいじめのむごたらしさは想像を絶するものでした。徴兵を逃れるために醤油を飲んで身体をわざと壊したり、古参兵のいじめに耐えかねて狂ったり、自殺したり、事故と称する何かで死んだりと、今の学校よりも超ハードで陰惨でした。いじめがあっても怒りにかられた一過性のもので、ねちねち続ける者に対しては必ず「もうそれ位でいいじゃないか」の声が上がるということは全然なくて、戦後は内ゲバで頭を割られて群馬の山に埋められたり、戦前は上官に気に入られなかっただけで最前線に送られて死の行進をさせられたり、炭鉱や遊郭から逃げ出そうものなら半殺しにされたり、昼夜問わずにぶっ続けで工場で働かされ、結核にかかって汚い女工部屋で血を吐いて死んだり、農作物の取れない東北ではがんがん間引きや姥捨てをしてました。こういうのはいじめとは確かに言わないのかも知れませんが、「三丁目の夕日」やラーメン博物館並みの安いノスタルジックな気分に浸って、ブッシュ政権並みに都合のいい真実を作り上げる老人達には言葉ではなくて拳で答えてあげましょう。
君の生まれたころ、リストラに脅かされながら働くような人はほとんどいませんでした。会社への忠誠心とそれに引き換えに終身雇用というものがあって、皆が頑張り繁栄を築いていたから、それに嫉妬(しっと)した世界から働き蜂(ばち)とかワーカホリックとか言われ続けていたのは事実です。日本人は忠誠心や帰属意識、恩義などの心情で(気の毒なほど)奮い立つ民族です。ここ10年余り、市場原理とかでこのような日本人の特性を忘れ、株主中心主義とか成果主義など論理一本槍(やり)の改革がなされてきましたから、経済回復さえままならないからといって、忠誠心だの帰属意識だのといったお題目に従うことは新自由主義者どもを付け上がらせるばかりだし、夢だの誇りだのという腹の膨れない観念しか今の政府や会社は与えてくれないので、そうした説教には「がたがた言わずに金をよこせ」と答えるようにしましょう。「振り込んで」でもいいんじゃないですか。
何もかもうまくいかなくなった。日本人が祖国への誇りや自信を失ったから自分たちの誇るべき特性や伝統を忘れ、他国のものを気軽にまねてしまう。などと老人は嘆きがちですが、他国のものを気軽にまねをして日本独自のものに作り変えるのが日本人の真の誇るべき特性です。そもそも今の老人だって漢文なんか書けないでしょう。口語体の文章に慣れ親しんで、150年前程度の文章なんて読み書きすらできないくせにでかい面をしているのです。
君は学校で、戦前は侵略ばかりしていた恥ずかしい国だった、江戸時代は封建制の下で人々は抑圧されたからもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと、と習ってきましたね。正解でもあり、誤りでもあります。祖国を恥じることが知的態度というのは確かに勘違いですが、むやみやたらと賞賛するほど立派なものばかりでもありません。歴史に恥ずべき部分があるのは、どの人間もどの国も同じです。だから「自分達はこんなに素晴らしい」とナルシシズムにひたる人間も充分に気持ちが悪いのでバランス取りに気をつけたいものです。
100年間世界一の経済繁栄を続けても祖国への真の誇りや自信は生まれてきません。テレビを消して読書に向かうことです。日本の生んだ物語、名作、詩歌などに触れるのと同じくらいにアメリカやヨーロッパやアジアやイスラム圏の物語、名作、詩歌も素晴らしいものです。英国に留学した夏目漱石や、イヤミ氏みたいにフランスびいきの永井荷風は美しい漢文の書き手でもありました。外国を知っているからこそ日本の美しさには敏感だったと言えます。先人や国に対して、敬意と誇りを抱くことは大切ですが、自分で自分を素晴らしいと自画自賛を惜しまない連中を軽蔑するだけの主体性を身につけていただきたいものです。君たちの父母や祖父母の果たせなかった珠玉のような国家の再生は、君たちの双肩にかかっているのですと言うわりには、いつまで経っても隠居せずにやかましくがなる元気のいい老人達をまずは黙らせてから話は始まるのです。
(ふじわら まさひこ=お茶の水女子大学教授より、「てめえ達ばかり愉しんで、ろくな世の中を残さなかった爺達をぶん殴ってふん縛って今を愉しめ!」と説法するのさかあきゆき=作家みたいな度量の大きい先人ばかりだと世の中もう少し楽になるのだけれど)









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以前から深町さんの日記は読ませてもらってましたが、今回も本質を見極めたような文章で心が打たれます。
今の日本も汚い事(雇用問題など)から目を背けて、結局放置プレイですよね。
美しい国ってなんなんでしょう。
前々から思っていましたが、大石英司さんや深町秋生さんみたく世の本質を見極める視点を持ちたいです。
それにしても昭和って、今より遥かにおどろおどろしいというかドロドロしてる犯罪が沢山あったんですね・・・。
確かに今の大学生は70年代に比べて大人しいものなぁ。
君の生まれたころ、リストラに脅かされながら働くような人はほとんどいませんでした。しかし、終身雇用と引き換えに企業は従業員にどこまでも忠誠心を求め、「就職」はむしろ「就社」と呼ぶにふさわしい状況
でした。皆が頑張り繁栄を築いていたといえば聞こえはいいのですが、世界から働き蜂とかワーカホリックとか言われ続けていたように、男性は「企業戦士」であることを求められ、会社に全エネルギーを注ぐ働き方が普通とされました。
企業戦士という生き方を成り立たせるため、家事・育児・介護などを一手に引き受ける「専業主婦」が作り出されました。早朝出勤・深夜帰宅により家族との会話を奪われ、残業と休日出勤で去勢された夫はもはや家庭内に存在しないも同然でした。「企業戦士−専業主婦」システムは妻から夫を奪ったばかりでなく、仕事を通じた自己実現の機会も奪いました。男女雇用機会均等法はあれど、男性のように「専業主婦」(妻)というサポーターを持たない女性は企業に一人前の戦力とみなされることはなかったのです。
企業の繁栄と引き換えに家庭は荒廃・崩壊し、機能不全家庭で育った子どもたちは成長した後も苦しみ続けました。耐え忍んできた妻たちは今、熟年離婚のタイミングを計っています。定年し仕事を取り上げられた元企業戦士たちは、たとえ十分な蓄えがあったとしても、趣味もなく地域に知り合いもいないので、一日をどう過ごしたらいいのかわかりません。それでも、命があっただけ幸運だということもできます。過労死する企業戦士も後を絶たなかったからです。君たちの世代の多くが、父親の轍を踏みたくないと「就社」を拒否する心情はもっともなことです。
あと年末おつかれ様でした!楽しかったです!
ご丁寧にありがとうございます。このエントリは昔をすっかり否定する内容になってしまいましたが、よかったものもたくさんあるし、昔のそうした善悪を超越したエネルギーそのものは大好きです。しかしどうにも薄っぺらいノスタルジーに浸って今の人間を否定する先人には嫌悪感しか思えないのです。70年代の学生は実は尊敬してますしね。おれもやりたかったですよ。ゲバ棒持って暴れたりするの。
>ロザリンド氏
うまいね。江戸初期の島原とか戦国時代の比叡山もいい感じに地獄してて最高です。米軍のナパーム弾で、いっそのこと石器時代にもどしてくれないかなあ。
>カニ番長さん
その終身雇用が崩壊して、今がよくなったということもないのでそこらへんは難しいところですね。今の新自由主義経済にもうんざりですが、昔の企業戦士のように働けるかというと私は正直できないです……まあつまりわがままで怠け者で自分勝手なだけなのですが。
>slasher先生。
大変愉しかったです! 年末! フセインも勝手に処刑しやがって。どいつもこいつも勝手にやりやがって、ふざけるなと言いたいです。あと……買ってしまいましたよ、デッドライジング……人間やめる日は近いです。
> r-westさん。
あ、トラバできるんですね。あとでしておこうと思います。ありがとうございます!
「電車の中で赤ちゃんに授乳する若い母親」という
美しい伝統を復活すべきだと思います。
それと「援助交際」という言葉は、少なくとも
昭和28年には存在したようです。「囲われていない妾(めかけ)」という意味で。
http://www.andrew.ac.jp/sociology/teachers/harada/students/0sr1124.html
どうも「めかけ」という伝統ある日本語を
藤原先生はお忘れのようです。品格がたりませんね(@∀@)
若者にも、老人にも、それぞれが慣れ親しみ、適応してきた社会がありますから、
そこに帰属していたいという気持ちを持つのは当然の事と思います。
とはいえ、変革する社会に着いていけなくなった老人が、「昔へ戻れ、還れ」と
いくら権力や感傷を示して叫ぼうとも、的外れと思います。
昔はよかった、と懐かしむ人、昭和の混沌とした雰囲気を味わいたい方、是非競輪場へ足をお運びいただきたいです。大レースなどではなく、平場で。タイムスリップできます。住之江競艇場、そしてその帰りにバスにのってみるのも同じ趣きを味わえます。それこそ、品格といいたいような、とにかく、格、の違いを実感する世界です。自分はまだまだ小さい!とか、世界が違うわ!とか、色々それぞれの感受性によって違う感想があるでしょうが、とにかく、「格」がある雰囲気です。
先生の山谷のレポート、興味深く拝見いたしました。そして、勝手ながら、是非、鉄火場にも足をお運びになって、レポートして頂けたらなぁと思いました。
昔の思い出はだんだん角が取れて、甘く美化されていくようです。私も30過ぎて、その感覚がわからなくもないのですが、人は自分が過ごした時期を特別なものと思いたがる習性があるようです。
>l-_-loOさん
そうですね。世代間の価値観の違いや争いは人類の宿命でしょう。昔に戻るべきところもあるのかもしれませんが、あの教授が本当にどうしようもないのは、発言や文章に理性というものがすっぽり抜け落ちていて、ただとんこつラーメンみたいなギラギラとした欲望だけが渦巻いているようなところにあります。理系の学者のくせに論理もへったくれもないし。
>heさん
や、どうも。そうなんですよ。ぼくは博打の経験がほとんどないので、逆にギャンブラーに対してコンプレックスを抱いてるし、競輪場にはまだまだ昭和が残っていると聞きます。帰りのバスってところが渋いですね。さすがです。
遅ればせながらご著書を拝読し、このブログに辿り着いてから、ストーカーかってくらいにじっくり楽しく読まさせていただいてます。
この、あまりに見事なテキストを読んで、感動のあまり、(ご覧いただけないかもですが)半年前の記事へコメントさせていただきました。
藤原先生のメッセージを読み解くに、私世代(20代後半)のおばかな若者が小さな経済活動に参加する頃には既に消費税があったのも、バブルが崩壊した青春を過ごさなければならなかったのも、就職氷河期でなりたくもない派遣社員になっちゃう若者が多いのも、みーーーんな私たち若年層のせいとおっしゃりたいようですね。
話が飛びますが、今回の参院選、深町さんの予測通り、ヤンキー先生政界にうって出るようで、慧眼恐れ入ります。
今後も楽しく拝見させていただきます。