深町秋生の序二段日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-02-21 これが本当の社会の木鐸

[] を含むブックマーク

自分探しが止まらない (SB新書)

自分探しが止まらない (SB新書)

カルト資本主義 (文春文庫)

カルト資本主義 (文春文庫)


速水健朗さんの「自分探しが止まらない」を読んだ。


読み終えたあとに感じたのは恐怖だった。この感覚は斎藤貴男の傑作ルポ「カルト資本主義」でも感じたが、現代日本に覆う得体の知れないものの正体に肉迫しているように思える。凡庸な表現になるが、これこそが警鐘を鳴らしてくれる「社会の木鐸」というやつなのだろう。


ただ違和感を覚えたのは帯だ。バックパック背負った若者とゴス娘のヘタウマイラストがあって、「こんな若者にはもううんざり」と挑発的な文句が並んでいる。これはベストセラー新書の「他人を見下す若者たち」とかにならったものなのかは知らないが(こっちの著者名も速水だ)、本の内容と乖離した帯は、宣伝になるどころか上滑りするだけではないかと思う。あれは「こんな若者につけこむ輩にはもううんざり」とすべきだったのだ。でもこれじゃあまり宣伝にはならないのか。


http://d.hatena.ne.jp/S2D2/20080203/p1(帯はこちらを参照していただきたい。Same Shit Different Day)


実際、速水さんの「こんな若者」を見る目は帯の文句と違って温かい。自分自身が「こんな若者」と似たような立場にいると、共感さえ表明している。(でもたぶんそれは嘘だろう)私もその気持ちはわからなくもない。なにしろ私達の少年期であった80年代があまりにひどかったからだ。まあどの時代の人間も一回り上の世代が目の上のたんこぶで、一番憎たらしく思ってしまうのだが。


バブル期の大量消費社会の到来というやつで、今でもそうだけれど、雑誌に載っているブランド品や高級時計を身にまとうことが己の価値を高めると本気で信じているような馬鹿たれを大量に生み出した。団塊ジュニア世代はそうした行為にぬぐいがたい疑問を抱いていたと思う。「お金がそんなに大事なのか!」と。「やりたいことを目指せ!」「人生はお金じゃない」おりしも84年の中曽根内閣が打ち出した個性尊重の教育政策もいよいよ花開こうという時代だ。「これからは個性が大事」と。でも本当の暗黒時代はそれからだった。


ここから私の話になるが、現代の企業は労働者に個性など求めてはいない。いつの時代でもそうだったかもしれないが、今はそれが徹底されている。サラリーマンをやっているとよくわかる。今の企業はどこも即戦力を求めている。しかもできれば安価でだ。


即戦力というと、何か特別な才能が必要かといえばそうでもない。まあ頑健な身体と人並みの根性があればいいという感じだ。どんな労働者も即戦力として使えるように、企業が場を提供してくれるからだ。そのために企業は徹底したマニュアル化と仕事の簡略化を推し進めた。ファミレスサイゼリアなんかがいい例だ。パートが店長をも勤め、キッチンには包丁すら置かなくて済むようになった。誰が辞めて、誰が新しく入ろうが、製品の質を維持し続ける仕組みを設けること。これが現代の企業経営者に化せられた使命なのだ。たとえば「この機械は源さんしか動かせねえっぺ。ちょっとしたコツがいるんだ」とかそういう職人気質は経営者の敵であり、そんな性質を今でも抱えている企業負け犬である。そんな労働者にスペシャルな技能など求めなくとも済むような体質を確立することが急務だったのだ。


教育がなくても、日本語が喋れなくても、世間知らずの田舎者でも働ける仕組みを確立すること。誰でも働けるように。そのお膳立てとしてゆとり教育があった。あれは、本書でも「カルト資本主義」(「機会不平等」のほうだったかも)でも書かれているとおり、一握りのエリートと、それ以外とを選別する新自由主義政策だった。三浦朱門の言葉を借りれば「出来ん者は出来んままで結構、エリート以外は実直な精神だけ持っててくれればいい」「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」というやつだ。最低な言葉だ。


即戦力とは言い換えれば、それ以上ステップアップすることなどなにもないことを意味する。NHKの番組「ワーキングプア」で少しでも給料を上げようと、何か資格を取っていた女性がいた。それで上がった時給は10円程度だったと思う。「別にそんなことしてもらわんでも結構。余計なことを」と企業側の本音が額面に表れていた。


ぶち当たる壁もなければ、成長する機会も与えられない。もちろん給料も安い。それでは労働者側のモチベーションなど維持しようがない……ということで、活躍したのが本書の後半でもたっぷり語られている「こんな若者につけこむ輩」たちである。「人生はお金じゃない」とか「夢を追おうぜ」などとのたまう悪党(私の主観)たちだ。


店員を「教育」して時給800円で働かせる居酒屋。(居酒屋でこの数字はかなりありえない。東京バーミヤンの時給が950〜1300円)同じく徹底した店員教育で知られる和民。(社長政府の教育改革に参加したのはご存知のとおり。ここも時給が低いことで有名)もっとも有名な「自分探し」人間中田英寿が、引退後にCM契約を結んだのがキャノンとトヨタ(労働者を使い捨て扱いするということで、今最もネットで忌み嫌われている2大企業)というのは悪い冗談のようだ。


本書を読んで強く感じたのは「自分探し」とは国策が生んだ副産物だということだ。先日私がエントリで語った話と重複するが「個性が大事」とか「あなたが大事。あなたが主役」といった教育を施しておきながら、社会にでれば部品扱いが待っている。その矛盾に耐えかねて現実逃避や、「おれのなかにはもっとこう……たぐいまれな潜在能力があるはずだ! あってくれ! 引き出してくれ!」と願う人間が多く生まれるのは必然だろう。


私はお金が好きな個人主義者だ。速水さんもたぶんそうだ。ブログのプロフィールに「ビバ拝金」とか書いてあったし。(とはいえこの韜晦男の言葉はどこまでが本気でどこまでがネタなのかがわからないのだが)一つ上のバブル世代の連中の大量消費生活にはうんざりさせられたものの、それでも拝金主義に走らざるを得なかったのが、同じ団塊ジュニア世代の「お金よりもっと大切なものがあるじゃないか……」というとっぽい思想にほとほとうんざりさせられたからだ。お金はいつも正直で清廉だ。「おれと一緒に夢を追おうぜ。世界はもっとよくなるぜ」といった煽動には「で? それでお前はおれをいくらで働かせるつもりだ」と問い返せばおのずと本音がにじみ出る。「これを飲めばきれいになる。これを使えば環境にもやさしい」にも「で? いくらでお前は売りつけるつもりだ」と問い返せばやはり本音が透けてみえるようになる。シェークスピアじゃないが「きれいはきたない。きたないはきれい」だ。


本書ではそうした80年代のフリーター賛美。90年代のゆとり教育、そして00年代の新しい悪魔的なシステムの到来を、膨大な資料とともに記している。語り口は柔らかいが、根源にあるのはこうしたシステムへの強い怒りだろう。どこかの有名書評ブログでは、著者に一方的な説教をかましていたが、それは的外れというものだ。この人はどことなく一力茶屋で遊びほうける大石内蔵助に似ている。ふらふらしているようで(本人もエージェントやブローカーのようなあやしげな微笑みを絶やさないし)、実は自己啓発や自分探しを生んだ正体に対してしっかり討ち入りをしかけている。おそろしいほど精妙な仕事で。


下の二冊と一緒に読むとさらにいいかもしれない。お勧め。


下流喰い―消費者金融の実態 (ちくま新書)

下流喰い―消費者金融の実態 (ちくま新書)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

77437743 2008/02/22 13:36 ゆとり教育をこの文脈の中に捉えようとするのは実際は少し的外れですね。
細かいところを言うとゆとり教育の実施は00年代であるし。

道徳の教科化なんかを唱えている人々の動きこそ、その文脈の中に捉えるべきであるのですが。

S田S田 2008/02/22 20:13 シーシュポスの労働がデフォでは。何の罰ですかね。
RED門さんは東大の赤門から頂戴した名前だそうで…なんとも…
かつてさくらももこが人気絶頂だった頃。ネタの大前提が『20世紀少年』のともだちプロデュースみたいなもんですからね。
ネットやれないテレビ爺婆は今だこういう現実を知らずに自民支持ですから。
わたしの妹みたいな婦女子はハチクロ生活保守ですし。結局期待されるのは今も昔も野郎の義侠でつか…。
しかし今や暴力も宗教も使えませんから、自壊した後の建設を考えた方がいいかもです。

FUKAMACHIFUKAMACHI 2008/02/24 09:31 >7743さん
むしろ私は本質だと思って書きました。ゆとり教育は別に02年に突然スタートしたわけではないと思ってます。80年代後半から段階的に行われたものであって、00年〜01年ぐらいにはこの教育政策に対する批判本も数多く出てます。ゆとり教育の理想は共感できるんですが、現実の冷酷なシステムに利用された面も間違いなくあると思います。

>s田さん
やはり義侠とか侠気とかは一番大切ですね。ハチクロ生活保守っていやだなあ。どんなのか知らないけれど。なんとなく。

Connection: close