深町秋生の序二段日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-07-28 声援を送られる三沢、暴動が起きる猪木 このエントリーを含むブックマーク

三沢光晴DVD-BOX~緑の方舟~(6枚組)

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アントニオ猪木名勝負十番I [DVD]

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あれから約一ヶ月。ようやく三沢の死というものを受け入れることができた。


死の翌日には日テレの朝番組が大々的に取り上げていた。バックドロップをくらって動けなくなった模様が放映されていて、動揺する選手たちや悲鳴をあげる広島のお客さんたちの姿もたっぷり映っていて衝撃的だった。


ノアと三沢プロレスとは、寡黙に粛々と肉体の限界に迫るというストイックなスタイルだった。他団体の小川直也のようなパフォーマーとからんだときには心底うんざりするような顔を見せ、長年のパートナーで後輩だった川田と久々にドームマッチを実現するも、試合後にマイクで川田が「またやりましょう」といったようなごく穏当なアピールをしたが、それに対しても激怒したと言われ、そうしたプロレス特有のはったりを嫌っていた。


しかしその一方でマンネリにもつながり、いつまでも主役は身体がガタついている小橋であり、社長業で忙しい腹のつきでた三沢だった。若き天才丸藤からベルトを三沢が奪い、数ヵ月後に再戦となって、また丸藤を破ってベルトを防衛という流れがあったのだが、「若い芽摘んでどうすんだ……」と正直なところ私は呆れてしまった。


天龍が抜けた穴を埋めるために、ジャンボ鶴田と熾烈な世代間闘争を繰り広げてのし上がった若き三沢は、皮肉にも自分が年を重ねてからは世代間闘争を許さなかった……許さなかったのか、それとも老いも若きも仲がいいからか、とにかく「老人は去れ!」「なんだと小僧のくせに!」という一番盛り上がるストーリーが発生しなかった。また三沢三国志でいうなら劉備のような義に生きる人だったようで、リストラを断行したい背広組とそれに抗う選手側との間で調整するのに骨を折りつづけたといわれている。三沢の死後にさっそく幹部の百田が退職(背広組との対立が理由らしいが)したわけだが、非情になれなかったのが三沢の長所であり、短所でもあったように思える。


リング上でぐったりする三沢を見て思ったのは、83年の猪木ベロ出し失神事件だった。新日本プロレスが総力あげてこしらえたタイトルIWGPとそのリーグ戦である。自分の団体が作ったアレなのだから初代IWGPチャンピオンになるのは当然猪木と思われたが、ハルク・ホーガンアックスボンバーをエプロンでくらい、場外に転がって失神した。諸説はあるが、アクシデントではなく、猪木の策略だったと思われる。


(海賊とか巌流島といった)はったりを駆使する無類のハプニング好きだった猪木の目的とは、とにかく自分の名前を一般のメディアにまで轟かすことだった。そのためならまだハンセンより実力が劣ると見られた当時のホーガンの技に失神しようが、タイトルの箔付けに失敗しようが知ったことではなかった。


気の毒なのは周りである。くらわせたホーガンは「どうだ、やったぜ!」とアピールするものの、その表情は冷たく強張っていた。猪木の周りに集まった選手たちはおろおろするばかり。観客のなかには「猪木が死んだ」とショックを受けたものもおり、その模様はニュース番組でも報道されるなど、一般社会まで仰天させた。だが当時のブッカーだったレスラー界の常識人である坂口は、猪木の勝手な行動についていけず、「人間不信」と記した書置きを残して失踪するなど、団体内の人間関係は崩壊へと突き進んだ。猪木が団体の収益を個人事業に回していたこともあり、失神事件の2ヶ月後にはクーデターが勃発。山本小鉄ら一部重役陣から退陣要求がだされた。(テレ朝が「でも猪木追放したら番組になんない」と鶴の一声が起きて未遂に終わった)そして人気絶頂だったタイガーマスクは引退を表明した。


そんな火種がぶすぶすしているうちに、第二回のIWGPリーグ戦が開催された。猪木対ホーガンリマッチが決定。「なんぼなんでもこれは猪木が制するだろう」とファンは国技館につめかけたが、甘い考えでしかなかった。たった一年の間にホーガン世界ヒーローになっていたのも大きい。「イチバン」のホーガンが負け役を引き受けなかったからといった諸説があるが、とにかく場外乱闘での両者リングアウトというオチがついた。フラストレーションがぐいぐい高まっていく観客。「そんなんで納得できるか!」と殺気あふれる大怒号が起きた。


その声に押されるようにして試合はどういうわけか判定をくつがえして続行。「両選手は試合続行を希望してます!」という審判団のマイクが入るが、ホーガンは本気で嫌がっているようだった。(ダチョウの至芸「聞いてないよ!」って感じだ)ヤケクソ気味にアックスボンバーを連発するホーガン。「すわ、また失神か!」と盛り上がるなかでどういうわけか長州が乱入。猪木とホーガンにラリアットを食らわせ、ぐったりするホーガンに猪木がフォール(追記:リングアウトでした……)。客に一酸化炭素中毒を強いるような不完全燃焼試合を起こした。おさまらなかったのは観客たちである。「ふざけんじゃねえ!」と国技館をぼこぼこに壊し、看板をたたき折り、消化器で白煙をあげた。最悪の汚れ役を引き受けた長州は六本木にある行きつけのバーで、大荒れ状態のままひとりヤケ酒をあおったという。その4ヵ月後、彼もまた新日本プロレスを離脱する。


全日本プロレスから離脱した三沢のもとには、「あの人になら」とあれよあれよと大量の選手がついていったと言われる。義の人三沢がいなくなったことで、今後ノアがどうなるか心配である。


一方、猪木は築き上げた人間関係を破壊せずにはいられない性質を持ち合わせていた。プロレスがおもしろいのは、社会の善悪や倫理が通用しないことである。慕ってきた人間を奪い、裏切り、ときには観客をもあざむく猪木の狂気にファンは気持ちいいほど幻惑された。漢王朝復興のために尽くした劉備が曹操に勝てないまま道半ばで倒れた物語を思い出す。なんにしろ三沢師匠である馬場と並ぶ伝説のレスラーとなった。一方、猪木は今日も元気にパチンコの営業でがっちり稼ぎながら生きている。マルハン!!


2009-07-24 TBSの自己実現。(相手を殺して)明日にきらめけ。 このエントリーを含むブックマーク

誰も書かなかったアムウェイ―アムウェイ・ビジネスへの疑問

誰も書かなかったアムウェイ―アムウェイ・ビジネスへの疑問

地獄のマルチ商法 (桃園文庫)

地獄のマルチ商法 (桃園文庫)


先日のTBSK−1MAX」を見て、たぶん来年あたりから一気に興業がやばくなるだろうなと思った。今日はスポーツテレビについて。


中量級選手による立ち技格闘技のイベントだが、それを魔裟斗ひとりがひたすら支えてきたのだと改めて実感させられる。それにしても川尻との対決は、試合内容こそはひどいものだったけれど(水に飛びこんだ牛をワニが食らうようなものだった)観客の興奮はケタ違いだった。魔裟斗といういかにもな名前にあのホストっぽいマスクということで、敬遠する人も少なくないが、練習魔と強心臓で頑固な格闘技ファンをも唸らせていた。


しかし興業自体はつまるところひたすら魔裟斗頼りで、興奮がケタ違いだったということは、それ以外はさしてエキサイティングしていなかったという証拠でもあった。そのあたりは当然、K−1側も意識していたようで、TBS総合格闘技の英雄である山本KIDを拝借してきたが、その結果、韓国ムエタイ男に失神KOさせられるというむごいオチが待っていた。スタッフは頭を抱えたことだろう。受身が取れずに首がぐにゃりと曲がったまま倒れたKIDに、わざわざ「立ってくれなきゃ困るんだよ!」と言わんばかりに(まるで梶原一騎プロレス漫画に出てくる悪徳レフェリーのような)、テンカウントを取るところが印象的だった。


そんな魔裟斗も今年で引退するわけだが、それ以後の興業ははたしてどうなるだろうか。今からどきどきである。次世代の選手が健闘はしているものの、ゼニが取れるファイターになっているかといえば、まだその域には達していないと率直に思う。


今までテレビでは他の選手の攻防を映さずに、魔裟斗やKIDの過去の試合ばかり流していた。その弊害がいよいよ噴出してくるだろうと思う。その場の視聴率しか考えず、まるで焼畑農業のように推し進めていったTBSリングものの宿命であるように思える。たとえばKIDの負けを「試合勘を取り戻せていないようですね〜」などと谷川氏は解説していたが、単純に対戦相手の韓国ファイターが強かったという話だろう。しかしろくに対戦相手を紹介もしない(三冠ムエタイチャンプというあやしげな肩書きが与えられていたが、なんの三冠なんだかさっぱりわからない)ので、英雄KIDがどっかの馬の骨にのされたようにしか見えず、KIDがまるでその程度のやつにやられる三流のように映ってしまうのだ。フジ系のK−1ヘビー級アンディ・フグピーター・アーツといった外国人選手のプロデュースに成功したのだから、イケメン揃いの中量級外国人だってプッシュすれば国民的な人気を獲得する可能性だってあっただろうに、あくまで「魔裟斗の前に立ちはだかる強豪外国人」という役割しか与えられなかった。まるで力道山ボスだったころの日本プロレスみたいな売り出し方だ。


TBSという放送局は人間対人間という「闘い」をほとんど描こうとはしなかった。夢をかなえるか、かなえないか。サクセスするかしないかというあくまで「自己実現」の場として描いてきたと思う。魔裟斗がいるK−1中量級はまだマシなほうだ。図式としては魔裟斗対強豪外人、魔裟斗対ポスト魔裟斗という形であり、つねに魔裟斗の引き立て役として消費される運命にあったが、ライバルという役割ぐらいは与えられていた。


だが亀田ファミリーのときはそれさえなかった。TBS全体が前のめりになってプロデュースし、「亀田家」はよくも悪くも日本中の注目を集めるにまでいたったが、その巨大な名声に比べて対戦相手に関してはえらく不透明だった。戦跡や年齢すらあやしく、わかっているのは国籍ぐらい。タクシーの運ちゃんだったとか屋台引いていたとか、その後コクのある情報が入ってきては、すれっからしの格闘ファンをよろこばせていた。もうこれにいっては「亀田東南アジアの某選手」という図式で、相手不詳のファイトが提供されていた。じっさい次男の大毅クンが早めにどかどかパンチを入れてKOすると、もう相手の選手はお役ごめんとばかりに一切映ることはない。亀田家が夢にときめいて、明日にきらめくかどうかが重要なのだ。


しかしTBSが総力を合わせてプロデュースするほどの実力があったかどうかはあやしいものだった。長男にはそれなりの実力がともなっていたけれど、国民的な注目を浴びるほどのものではなかった。その差をなんとかしようとあがき、ごまかし、元ミニマム級チャンプランダエダと対戦することで破綻が訪れ、社会面の記事になるような大騒動を生んだ。次男にいたってはパニックに陥って内藤レスリングばりのタックルをきめて視聴者の怒りを買った。


先日「ROOKIES」の映画版を見た。まあこれがまたひどいわけだったのだが、そのあたりはもう省略していいだろう。どうひどかったかは今月の映画秘宝宇多丸氏のシネマハスラーを参照していただきたい。あの映画版は、亀田家プロデュースに失敗したTBSの捲土重来といえる。あの映画でもやはり闘いはなく、あるのはアメリカンウェイな自己啓発だけだった。闘いを描くことが目的ではないため、敵が何者であるかもろくに語られず、粛々と進行しなければならない高校野球という場で、教師が長々とタイムを取って生徒たちに説教をかまし、堂々と遅延行為を行いつつ、「布団売るぞ! 洗剤売るぞ!」というマルチ商法の集会みたいに自分たちがひたすら盛り上がっていたが、このあたりは亀田家で用いられた方程式とまったく同じだ。映画では野球の魅力がこれっぽっちも描かれなかったけれど、亀田家を取り上げたときもボクシングという競技をまともに描いてはいなかった。野球でもボクシングでも、試合というのは相手の夢を砕くことなのだが、そうした悲劇性を消し、ときにはルールさえ無視して「夢をかなえる自分たち」という不気味な物語をつむぎつづけていた。自分たちが盛り上がるためなら他人や法律などシカトしてもかまわないというカルト宗教みたいな臭いがした。ここで大事なのは「説教する」「みんなで大声をあげる」「勝利に号泣する」なのであって、つまるところ競技はなんだっていいのだ。


これは戦時の大本営発表とよく似ている。戦っている相手を人間として描かない。昔は敵を鬼畜と称した。人間のものではない異形のものとして扱えば、相手の夢や命を粉砕しても心が痛まない。亀田や「ROOKIES」の相手は、よくわからないゴーストだった。「これほど教育上、悪影響を与える映画もねえなあ」と私は思ったのだが、まあこの厳しい世のなかでは、人の夢を砕いておきながらもなんら痛みを感じないくらいの無神経さが必要なのかもしれない。そういった意味では教育上、正しいのかとも思い返したりもした。家に帰って「ブリー」「グランド・セフト・オート」をやって精神のバランスを保ったけれど。(相手を殺して)明日にきらめけ。


グランド・セフト・オートIV【CEROレーティング「Z」】 - PS3

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BULLY(ブリー)

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2009-07-20 度胸の分かれ目。絶妙バーガー全額返金。 このエントリーを含むブックマーク

天食

天食

野武士のグルメ

野武士のグルメ


ロッテリアが仰天の企画を打ち出した。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090715-00000009-oric-entロッテリア「おいしくなかったら全額返金」)

http://news.livedoor.com/article/detail/4254290/livedoor ニュース - 「絶妙バーガー」に「絶妙戦略」 ロッテリア「返金OK」が話題)


あらゆるテレビニュースショーが取り上げていた。口に合わなきゃ返金に応じますというやつ。半分以上食べていなければOKらしい。


当然思うのは、本当に「返金してくれ!」なんて突き返すやつなんているんだろうかという疑問である。まあ、そういう豪の者も世のなかにはいると思うけれど、これは「うまいか、まずいか。さあどうだ」という話ではなく、「返すか、返さないか。さあどうだ」という舌よりも度胸をためすイベントではないかと思った。むろんロッテリアだって、そのあたりは折り込み済みだろう。返すやつは当然出てくるだろうが、こうしてテレビに大々的に取り上げてもらうことを考えれば安いものかもしれない。


しかし返された残飯はまさか再調理するわけにもいかんだろうし、この企画自体「残飯生み出しイベント」というか「食い残し助長イベント」としか思えないのだが、視聴者にはやたらと道徳やモラルをACをつうじて要求するくせに、こういう企業側のモラルを少しも考えないで無邪気に宣伝するのがセーブ・ザ・フューチャーというものなのであろう。


まあとってつけたようなエコ話は置いておくとして、私には絶対に無理だ。返金。こうした食べ物系の度胸というものがからっきしない。人間、要所要所で度胸が求められるもので、私はエロ方面の度胸は身につけた。十代のころはレンタルビデオ店でAVひとつ借りるにも度胸が求められたけれど、今では秋葉原路上で裏DVDのカタログをしげしげと見つめ、昔のように風俗店の前をうろうろ迷ったりもしなくなった。二十代前半のころはよく歌舞伎町バターになるような勢いでぐるぐる回ったりしたけれど。あとその昔、聖コスプレ学園というアニメ系イメクラが東池袋の普通のマンションで経営していたころ、歩道に面したインターホンをぽちっと押して、「遊びにきたよ」なんて言わなければならず(しかも人通りがけっこうある道っぱた)えらく往生したけれど、そういう経験をすると人間たくましくなるようです。


だが食べ物系は一貫して避けてきたので全然ダメだ。たとえばデパ地下スーパーの試食がダメ。このあたりは東海林さだお泉昌之新刊「天食」(どうどうと試食ばかりしていたら、テレビのリポーターに突撃取材されるという最悪のオチ)でもやっていたが、基本的に男は試食が苦手だ。なんとなく一度つまんでしまったら「一宿一飯の義理」じゃないけれど、買わなきゃ申し訳が立たないように思われて、「うん、今度ね」などと言って軽やかに立ち去るおばさんとかのたくましさが本気でうらやましく思える。


ダイエット器具とかのテレビショッピングで「不満だったら返品可!」と謳っているのがあって、当然商品にも自信があるのだろうが、たぶんわざわざ返品するやつはそんなにいないだろうと思う。通販のように顔を合わせずにやり取りする業界ですらそうなのだから、他の客がうろうろするなか、カウンターに向かって「返金しろ!」と食いかけのハンバーガーを突きだせる勇者はどれほどいるだろうか。中高生のいじめとかで見られるかもしれない。罰ゲームとして「おら、返金してこいよ」「ひい、そんなのできないよ」とかそういう光景


昔、友人の作家がサイン会のために地方書店へ赴いたところ、名物書店員さんが「おもしろくなかったら、返金に応じます!」などと強気すぎる販売を行っていて、当の作者である友人は「そ、そんなこと言って大丈夫なんですか」と語りかけたところ、書店員さんは胸を張って「大丈夫。わざわざそんなことするやついませんから」と答えたという。まあそんなものであろう。


とはいえこの返品勇者。きっと東京は少ないかもしれないが、大阪となるとちょっと割合がちがうような気がする。東京は見栄の文化というやつで、たとえ味がまずくとも雰囲気や場所や値段でコロっとだまされたり、そうした行為を野暮の極みとして蔑む風潮がある(だから代官山とか青山には講釈垂れのクソマズ店がいまだにゴロゴロしている)が、含羞や恥じらいという言葉から数光年離れている関西方面のおばちゃんならホントに突き返しそうな気がする。東日本に住む人間の偏見だけれど。


ファストフード店でもついに開始というわけだが、映画もそのうちやるかもしれない。半分まで見てつまんなかったら返金に応じるという感じ。これはあると助かるな。明日にきらめけ!


あとむろん風俗。いくらべっぴんでもサービスダメすぎて涙をのんだことが幾度あったことか。まずはお前を半分だけ食べさせてくれ。判断はそれからだ! なんつって。うぇっへへへ。われながらひどいオチである。


関連サイト

http://d.hatena.ne.jp/S2D2/20090719/p1(黒人が母娘を姦る! - Same Shit Different Day)

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yukawanet.com/archives/1158612.htmlはてなブックマーク - | ^^ |秒刊SUNDAY|実際に絶妙バーガを返却し、ただ飯が食えるか確かめてきた!)←すでに炎上している様子。まるで水車に立ち向かうドンキホーテのようなあじわい。


僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 (集英社文庫)

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孤独のグルメ 【新装版】

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2009-07-17 石原裕次郎23回忌と法事エンターテイメント このエントリーを含むブックマーク

西部警察スペシャル [DVD]

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血と抗争 山口組三代目 (講談社+α文庫)

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もう一週間以上経ってしまったけれど、おもしろかったのはテレ朝でやっていた「石原裕次郎23回忌法要in国立競技場」だった。


国立競技場にどでかい寺を建立!」という、わざわざ爆破させるためにでっかい建物をおっ建てる西部警察イズムというか、石原プロモーション特有の「わざわざ感」が見られて満足であった。


駆けつけた十万人の観客が、故人をしのんだわけだが、まあ音楽フェスでもこれみよがしにアーティストのTシャツを着ているやつが、あんがい有名なシングル曲しか聴いてなかったりするものだけれど、「裕ちゃん……かっこよかったよなあ」なんて言ってるお年寄りたちだって、どれだけファンであったかは疑問である。お年寄りだって、なにかをダシにしてみんなつながりたいのであろう。ミクシィみたいに。彼が生きていたころといえば、むしろアンチ石原ファンのほうが多かったような気がするけど(「西部警察」のあのガソリンの量をまちがえたような爆破はむろん好きだったが、所轄署の一課長にすぎない石原をまるで天皇みたいに部下たちがあがめたてまつるところは、小学生の目から見ても実に気持ちが悪かった)、そういうことを一切なくして、「みんな好きだった国民的スターの裕ちゃん」と神格化させることに成功していた。山口組三代目と濃厚な関係にあった美空ひばりも、生きていたころは紅白から追い出されたり、警察に公演をぶっつぶされたりといろいろあったけれど、そういうことはもう誰も触れなくなってしまった。


しかし先日のイベントはかなり画期的といえる。法事がイベントとして成立するというのはバラエティの新機軸ではないかと思う。葬式は当然、シャレにならないにしても、法事だったら娯楽にしてもいいだろうというすがすがしい割り切りが見られた。何十人ものお坊さんがうねうねと歩きながらお経を唱えるところがキモおもしろかった。


こんな石原家のプライベートをわざわざイベントにしてしまうあたり、ちょっと鼻白むところはある。しかしこういうむきだしのプライベートといえば、ひとむかし前までは結婚式が定番だった。最近だと柔道田村亮子プロ野球の谷、藤原紀香と陣内智則(離婚したけど)の結婚式などが有名だろうか。「わしたちの結婚、どうでえ、豪勢なもんじゃろうが!」というギラギラ感、成り上がり感をプロデュースするのが結婚イベントの正しい姿だったと思うが、これからのプライベート娯楽の王道は、そんな成功の臭いをぷんぷん漂わせる生者の結婚ではなく、死者の法事というものにシフトしていくのではないかと思う。


法事がエンターテイメントとして成立する背景には高齢化社会があるわけだが、あれだけ多くの観客を集めるということは、視聴者が死者にたっぷりと思いを寄せている証拠でもある。23年前も前に他界したにもかかわらず。かえって長い年月を経ているために、その思いは古酒のように熟成さえしているようだ。夏の音楽フェスは生者のライブを媒介として、みんなとつながってる感をかもしだして客を集めるが、今回は死者を媒介にすることで連帯感を創出している。見ている私だっていちころだ。「うんうん、裕ちゃん、偉大だったよなあ」って。全然知らないのに。まあ神妙に手を合わせていた徳重聡だって似たようなもんだろう。


石原裕次郎という伝説のスターだからこそ、あれだけの集客力を誇ったのも事実だろうが、そのあたりは生者のプロデュースによってどうとでもなる。むしろ都合の悪い話を思いきりよくカットし、美点はいくら誇張しても誇張しすぎることはない。死者を褒め称えるという行為は、基本的には誰も止めたりはしないので(対象物がヒットラーでもないかぎり)、盛りたてるほうも自由に腕をふるうことができる。褒められるほうは抗議もしないし、はにかんだりもしない。


最近のテレビ映画はこうした死者プロデュースがさかんだ。清張や黒澤といった死者巨匠のリメイク。死んだ有名俳優が主演のリメイク、先日の平塚八兵衛のような伝説的死者のドラマ。今を生きている人間に注目するよりも、この世にはいない過去の人間を取り上げつづけるというのが、日本の娯楽のメインストリームとなっていくだろう。前からずっとそうだったけれど。官僚たちの夏


法事という、本来は辛気臭いプライベートイベントを、みんなで楽しむ一大エンターテイメントに変えた力は大きい。これは参加する人間のほうも、すでに法事というイベントがどんなものであるかをそれなりに知っているから成立するのだろう。つまり年齢を重ねているということだが、高齢者のほうが数とゼニを保有している現代日本では、これからもこうした老人エクスプロイテーション日本中の津々浦々で開催されては、Tシャツや焼酎写真集が作られることだろう。老いのメディアというべきテレビともっとも相性がいいのではないかと思う。赤坂サカスや日テレ汐留はなんだか若々しい造りだけれど、今のうちに巣鴨色を取り入れたほうがいいのにと勝手なことを思ったりもした。「皇潤」を持ってにっこり笑う島田洋七を置いておくとか。がばい。


毎度底意地の悪い書き方をしているが、あと二十年も経てば私もそうなるだろう。それが老いというものなのかもしれない。そのころには猪木の法事なんてのもたぶん行われていて、「うん、うん。猪木はすごいレスラーだったなあ。ファンだったよ」なんて涙を流しながら線香をあげているにちがいない。全日派だったくせに。むろん恥じらいはない。


関連サイト


http://blog.smatch.jp/sinsan/archive/493おくりびとブーム-辛酸なめ子の女一人マンション

http://news.goo.ne.jp/article/ft/business/ft-20090309-01.html(イノセントな昔を懐かしむ日本――フィナンシャル・タイムズ(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース)

http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20090323(若者なんか知りまへん)


非常識

非常識

松本清張傑作短篇コレクション〈上〉 (文春文庫)

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2009-07-15 今週の格闘技。UFC、K−1、ボクシング このエントリーを含むブックマーク

WWE ブロック・レスナー・ザ・ペイン [DVD]

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魔王  秋山成勲 二つの祖国を持つ男 (kamipro books)

魔王 秋山成勲 二つの祖国を持つ男 (kamipro books)


うーむ、今週は格闘技がおもしろすぎて困る。仕事できないじゃないか。ふつうに感想。


いい意味でも悪い意味でもショックの連続で、格闘技が持つドキドキの興奮と意外性にじたばたしている。


日曜はWOWOWで総合格闘技メインストリームUFCを見る。最近になってWOWOWが復活放送に踏み切ったのだが、その判断は正しかったといえるのではないか。(視聴者獲得につながってるといいけど)ヌル王秋山の復活というイベントも、まあ微妙な判定勝ちだったわけだが、憎らしいくらいのハートの強さを見せつけ、ファンもアンチもなんにしても注目せずにはいられない存在感を見せつけていた。しかしチャンピオンの顔ぶれが、無駄に個性のあるやつばかりでおもしろい。


http://omasuki.blog122.fc2.com/blog-entry-562.html(OMASUKI FIGHT ブロック・レスナー衝撃のヒールターン【UFC100レビュー】)


ヘッドロックしながらボコボコに殴るという、不良番長や工事現場の土方の喧嘩みたいなやり方で色男フランク・ミアの顔面を潰していたヘビー級チャンプブロック・レスナーがすばらしすぎた。マイク・アピールではなぜか大ブーイング(WWEでの辞め方がよくなかったからか)をされてキレ気味に、


「ブーイング、いいねえ、もっと来いよ!ミアのケツにくさびを打ち込んでやった。一年前に言ったとおりだろ。くさびであのSOBの頭を殴ってやったんだ! バドワイザーはオレ様に一銭もくれなかったから、家に帰ってクアーズライトを飲むよ。嫁さんの上に乗っかってね!」


(OMASUKIさんから引用)などとどういうわけかスポンサーを揶揄して、すぐに謝罪に追いこまれるところが、本当は不器用かつマジメなレスナーらしかった。衝撃度はでかいが、見ている全員が熱狂を忘れて「それ普通に言っちゃダメだろ」とドン引きしていた。プロレス時代でもすごい身体能力を披露していたが、絶望的に演技とアピールが下手くそだったっけ。


聖書に出てくるサムソンやゴリアテを想わせる愛すべきバカ巨人という感じのヘビー級チャンプレスナーに対し、もはやコミック「バキ」世界から抜け出たような完璧超人ぶりを見せるウェルター級のジョルジュ・サン・ピエール(GSP)の教科書ファイトにうっとり。相手のパンチをかいくぐってひょいっとタックルをかまし、ドシーンときれいにテイクダウンを何度もきめるところは芸術的ですらあった。また選手層が厚い激戦区ライトヘビー級を制したマチダ・リョートの静かなたたずまいは、アメリカ人が抱く勝手なオリエンタリズムをよく満たしていると思う。ファイトスタイルがもろ空手なのも日本人としてはうれしいところ。


復活した最近のUFCを最初に見たときは、ハゲ頭の筋骨隆々の外人ばかりで誰が誰だか区別がつかなかったが、最近は無駄に個性があふれてるやつばかりでじつに楽しい。


K−1MAXに関しては後日記したいが、KOされた山本KIDは衝撃であった。マットに頭から落ちて、首がぐにゃりと曲がったときは戦慄を覚えたけれど、普段は早めに試合を止めるくせに、こんなときだけのんびり10カウントを数えるTBS名物迷ジャッジにずっこけそうになってしまった。「数えてる場合か!」と。立ち上がってもらわにゃ困るというK−1の苦しい事情がよく表れたシーンであったと思う。あとメインキャスターを勤めた佐々木希嬢のボキャブラリーの貧困ぶりもぎょっとした。「すごい」「頑張れ」「いけいけ」と、すごい美人だけれど大塚赤羽あたりの安キャバみたいな雰囲気をかもしていて好感がもてた。そういった意味では優等生的コメントをすらすら述べていた藤原紀香はやっぱり頭がいいのだろう。バーニング! あと辰吉の弟子なる渡辺というボクサーアルティメットDQNぶりというか、エグザイルの新メンバーかと思ったが、ボクサー出身らしい速いパンチと、偏差値の低いアピールぶりはテレビ放送ぎりぎりのヤバさが漂ってきていて、磨けば光るアンチヒーロー性を秘めていたと思う。


昨日の日テレにおけるボクシング中継もおもしろかった。粟生は悲しい敗退だった。パンチがあまり出なかったが、出なかったというよりも、出させてもらえなかったという印象。最後までリズムを構築させてもらえなかったという意味では完敗だった。しかしV9を達成した長谷川穂積には言葉がない。あっという間の1R秒殺だったわけだが、相手のパンチを誘うようにして、右フックで相手をぶち倒すところは、先日タフなイギリス野郎を屠ったパッキャオの勝ち方とよく似ていたと思う。ボクシング大国アメリカ中南米系の選手になかなか日本人は歯が立たないけれど、ひとりだけ規格外のパワーを見せつける長谷川は、長い日本ボクシング史のなかでもとびきりの最強選手だろう。フィリピンの大英雄パッキャオや、KO率100パーセントの怪物バレロといった世界の大物と肩を並べることができるのではないか。もう狭い日本を出て、ラスベガスでやってくれと祈りたくなった。長谷川亀田3兄弟というマッチメイクはどうか。猪木対国際プロレス軍団みたいな。まあとうぜん冗談だとしても、なんか二人ぐらいならいっぺんに相手にできるんじゃないかと本気で思わせるような魔人的強さであった。



2009-07-11 天使映画というジャンル。最強の暴力映画「ヱヴァンゲリヲン破」 このエントリーを含むブックマーク

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 通常版 [DVD]

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スマイルBEST ゾンビ 米国劇場公開版 [DVD]

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「いやあ、見たなあ! エヴァを!」


というすがすがしい気持ちになった。友人知人たちのなかには「2回見た」「いや、おれは3回」と興奮しすぎるにもほどがある中坊たちが続出したのを受けて、のろのろと出かけていったのだ。とはいえ「序」すら見ていなかったので、金曜ロードショーで前作「序」(しかし日テレエヴァを見るというのも奇妙な感覚だ)を確認した。


「序」は困ったことにおもしろくはなかった。テレビシリーズのダイジェストみたいで、改めて作る意図さえわからなかった。思えば「エヴァ」というのはDV夫のようなものである。むかしはとってもすばらしい人で、あたしにはすごくやさしかったの。だけどあの人もだんだんおかしくなって、殴る蹴るは当たり前。お金を奪い取るわ、意味のわからない理屈を唱えてからんでくるわで大変だった。「今度こそきちんとやるから。やり直そう」などと何度も甘い言葉をささやいて、けっきょくは「気持ち悪い」なんて言い放ってあたしの首をしめたのよ。あんまりよ! あんまりよ! あんまりだ、この野郎!!


というような歴史もあって、もう「エヴァ」とは関わりたくないというのが本音であった。だけど今回の「ヱヴァ破」を見て、すなおに「ああ、昔はDVとかいっぱいされたし、これからだってするかもしれないけど、やっぱりあのおとーちゃんは日本一の旦那さんだったんや……」と、ころっとやられてしまった。まあちょろいもんである。そしてなんであれほど「エヴァ」というアニメにはまったのかが、ようやく十年以上も経ってからわかったような気がした。


正直なところ、あまりキャラクターに関心がない。たぶん昔からなかったんだと思う。とはいえ今回のキャラクターたちの自立した精神性や、閉鎖的な自己愛に凝り固まっていたシンジ君が、すなおに他者に対して愛をぶつける姿に拙者濡れもうした、という感じだろうか。エモーショナルにタフな野郎精神を獲得するところは大いに盛り上がる。過去と比べて精神のベクトルがほとんど正反対に向いていることを考えると、「ついてゆけぬ……」と絶望する人も山ほどいるだろうが、きわめて男性的な作品に仕上がっているように思えた。男の欲望をこれほど刺激するものもないかもしれない。


「女性の視点が大事」とか「成功の鍵は女性客にあり」といったようなメッセージが連呼される時代において、これはたいへんめずらしいことだ。癒し、難病、妊婦ヌードとかに私は心底うんざりしているのだが、そんなところへ「破壊、殺戮、全裸、ゆれるオッパイ、グロ、ロボ、軍事」が、大名舟盛りでやってくるのだからこたえられない。そしてドーンとふんどしを締めた九州男児のように屹立する我らが……まあ、このあたりは劇場で確認してほしい。


さて「エヴァ」で私がもっとも繰り返して見たのは戦略自衛隊という殺戮組織が、ネルフ職員に火炎放射を浴びせ、ホールドアップするか弱き人間を無慈悲に射殺するところだった。私は破壊とか殺戮が三度のメシより好きなのだけれど、今回の「破」は、本当によくこたえてくれたと喝采を浴びせたくなった。それほど景気よくあらゆるものを破壊する。ロボットファイトと呼ぶにはあまりにグロテスクかつ凄惨、怪獣と呼ぶには破壊規模が大きすぎるこの映画。改めてしみじみ思ったのは、これはもうロボットアニメではなく、怪獣映画でもなく、もはやこの世のものではない人間の上位に位置する天使たちのファイトを描いた天使映画ともいうべき新しいジャンルの作品ではないかという点。


よく考えればエヴァには、人間が塵同然の扱いを受けるというマゾヒスティックな快楽があった。旧約聖書のなかで大好きなシーンのひとつに、神様が背徳都市ソドムゴモラをドカンと吹っ飛ばすところがあるけれど、大変景気のいい破壊があってこそのエヴァではないかと思う。使徒が攻撃をくわえると、大破とか中破とかそんなレベルではおさまらない。数万度の熱線を浴びせられて「蒸発」してしまう。人類が必死こいて作った第三新東京市という要塞は、ひょっとすると怪獣ぐらいは倒せるかもしれない。膨大な量の砲台とミサイル発射台が備わり、ビルはにょきにょきと収納可能で、軍事的な役割を果たすが、それだけ頑張ってみせても使徒の前には障子戸ぐらいの防御力しかない。


そんな絶対性を帯びた使徒に、唯一勝てるのは人型兵器であるエヴァだけれど、このエヴァにしても人類にはコントロール不能だ。思いっきり制御不能で暴れまわり、人類の頭脳の象徴ともいうべきエリート科学者であるリツコ博士が「なんてこと!」「これが……本当のエヴァ」などと鼻をくじかれるところが毎度毎度の見所といえる。人類がなんだかよくわからない天使どもに、いいように蹂躙されるという、日本人好みのするマゾヒスティックエンターテイメントだと思った。前の映画でも鳥葬とかあって、ぐちゃぐちゃについばまれたりしていたのも最高だったけれど、一箇所に閉じこもって、わけのわからないものと戦い、やられたときは血のような液体が景気よく飛散し、骨や内臓が飛び出すという意味ではロメロの「ゾンビ」に似ている。人類の欲望が寄せ集まったショッピングモールという場所にこもって圧倒的な火力でドカンドカンやるという感じ。


ヱヴァ破」からは、80年代アニメに横溢していた豪腕パワーを感じた。「東京」が景気よく破壊されるところは大友の「AKIRA」のようであり、圧倒的な終末感は宮崎の「ナウシカ」を思い起こさせる。(ついでにラストは「ラピュタ」のよう)戦争日常を対比させながら、人々の営みと美しい都市を描くさまは押井の「パトレイバー」のようでもあった。日本アニメ巨人たちの長所を欲張りに取りこんだように思える。


顔が赤らむような弱点もいやになるくらいあるけれど(ジョニー・トー映画並みとは言わないが、もっとみんな寡黙になってほしい。全員がアキバやコミケで見かける多弁なオタクみたいだ)、何度も見たくなる映画である。私も、もう一度くらいは見るだろう。「エヴァ」というと、どうしても理屈っぽさや、意味ありげな単語や伏線に翻弄されがちだけれど、クローネンバーグの作品みたいに、あんまり人には大きな声ではいえない「破壊」という欲望に応えすぎた最強無比の暴力映画昇華しているように思えた。


関連サイト

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-486f.htmlたけくまメモ : 「ヱヴァ」は品川駅を出発しました(ネタバレなし))

http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20090628/1246100310(【ネタバレ有り】「ヱヴァ破」の目指した破壊と再生はどこにいくのか? - たまごまごごはん

http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20080115(究極のニッポン映画武士道残酷物語」)


エレクション~黒社会~ [DVD]

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スケバン 女番長 [DVD]

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直撃!地獄拳 [DVD]

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2009-07-08 高品質と不安定。Perfume「トライアングル」 このエントリーを含むブックマーク

トライアングル(初回限定盤)

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トライアングル(通常盤)

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さてついに待ち焦がれていたニューアルバムトライアングル」である。今日が発売日だが、早めに手に入った。


しかしまず話しておかなければならないのは前月のフライデー報道である。それとロッキングオンジャパンにおけるあ〜ちゃんの発言も世間を動揺させたようで、「Perfume最大の危機到来か!」とファンをやきもきさせていた異様な時期であったと思う。


フライデー報道でとくにびっくりしたのは、二週目にかしゆか嬢までフライデーされたところ。最初にのっちが報道された時点では「まあ、のっちならありえるかな。隙が大きそうだし」みたいに余裕をかましていたところがあったのだけれど、二週目となるとちょっと顔色を失ってしまった。これは9・11ショックと似た衝撃で、ツインタワーに一機目が突っこんだのを「うわあ、すげー事故だなあ」とはしゃいで見ていたら、なんともう一機が突っこんでいくではないか! という感じである。しかし今、考えるとかなりチャイルディッシュなテロだったなあと。


あのテロもその日は「全米の飛行機、十二機と連絡が取れず!」なんてデマ情報も錯綜していたし、ペンタゴンにもぶちかましたことを考えるとやはり「さ、三回目もあるのか……」などと、すっかりおびえてしまっていた。その昔、子供のころに頭を銃剣でバックリ裂かれた豊田商事永野会長の死体写真を「フォーカス」で見て、「ぎゃー!」と叫んだものだけれど、写真週刊誌にショックを覚えたのはあれ以来かもしれない。


とはいえもうそんなのはどうでもいい。もうこの「トライアングル」さえあれば。ま、そんなこともあったよなあ。まったく。フライデーの野郎どもめ。はははは。なんて豪快に笑い飛ばせるほどの高品質でありました。すでにリリースされたシングル曲自体が名曲ぞろいで、それが寄せ集まって収録されているだけでも壮観なのだが、今回のアルバム用の新曲がまたいい。とくにお気に入りなのはピノとのタイアップ曲である「Night Flight」。YMO時代の高橋ユキヒロ作曲みたいなテクノサウンドが、それこそ写真週刊誌が獣のように暴れまわっていた80年代的な気分に持っていく。また同じく80年代のディスコでかかっていたようなトラディショナルな感じのアイドルソング「I Still Love U」、それとフェラーリにとち狂ってたころのジャミロクワイみたいなラウンジ風サウンドが心地いい「Zero Gravity」、オートチューンで加工しまくったハモリコーラスが美しい、中田暴君の本領発揮といえる「The Best Thing」がとくに心に残った。前作「GAME」の低音ばきばきのエレクトロから、懐かしささえ漂う有機的な人間くさい音に移行していると思う。ロボットと人間がデュエットをするというコンセプトの名盤Toshiyuki Yasudaの「WITH ROBO*BRAZILEIRA」を思い出した。人工的なのに温かみがあるというか。あと砂原良徳のコンセプトと似ているとも。


プロデューサーである中田ヤスタカ音楽はみんな聞いているつもりだが、やっぱりPerfumeとタッグを組んだヤスタカさんが一番好きだ。ただの主観でしかないが、Perfumeとの仕事でもっとも能力を発揮しているのではないかとさえ思う。本来やりたい音楽は自分のユニットであるcapsuleでやっていると言われているが、ピチカートファイブっぽい甘いポップ路線からスタートして、それからゴリゴリのエレクトロに変わっていったところを見ると、この人の才能というのはつねに模倣と流行によって成立しているのではないかと思う。よく世のなかでは「己をつらぬけ。世間に迎合するな」なんていうのがさも美徳のように語られるが、世間に迎合すればするほどいいサウンドを作ってしまうという、酔拳マスターのような人なのではないだろうか。模倣や流行の後追いとなれば、たいていはエピゴーネンと言われて質が落ちるはずで、最初は彼もそんな言葉を山ほど投げつけられだだろうけど、その長い音楽職人生活のなかで、つねにオリジナルと同等の、あるいはそれを上回る鋼のようなリミックス技術(自分の曲をガンガンリミックスするし)を身につけたのではないだろうかと思う。タモリの名言「やる気のある奴は、去れ」みたいな逆説である。とはいえ模倣や流行が中心にあれど、やっぱり「あ、これ中田の曲だろ」とわかるバランス感覚にすぐれたオリジナリティが持ち味なのではないかと。


先月はPerfumeやファンにとっては災禍としかいいようのないつらい時期ではあったけれど、それだってまあある種の原点回帰ではないかと思う。武道館代々木体育館という巨大会場でのライブも成功し、ツアーのチケットも即完売。今や国民的人気を有したビッグユニットに成長したが、ちょっとさみしさを感じなくもなかったのだ。もともと「事務所からいつ切られるかわからない」「はじめてのアルバムベスト盤。ひょっとしてこれで終わりではないか」という不安や憂い、不安定さ。いつのまにかそうした要素が大ヒットとともに消え、安定した実力派のエンターテイナーに変わったという感じだろうか。もうファンはそれほど頑張る必要はないというか。だが先月の騒動と今回の相変わらずハイレベルなアルバムは「うわ、これはまずい。これはすごい。なにかおれたちにできることは」などという不安と動揺含みの衝動というものをよみがえらせてくれたのだった。


WITH ROBO*BRAZILEIRA

WITH ROBO*BRAZILEIRA

TAKE OFF AND LANDING

TAKE OFF AND LANDING

2009-07-05 日本家族の崩壊モデル。ザ・ノンフィクション「漂流家族」 このエントリーを含むブックマーク

闇金ウシジマくん 1 (ビッグコミックス)

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しみったれ家族 平成新貧乏の正体

しみったれ家族 平成新貧乏の正体


これはやばいなあ。現代日本の家族の闇を描いた衝撃作だろう。フジテレビがひっそり流すザ・ノンフィクション「漂流家族 竹下家の9年間」である。


いろんなところで反響があるようで、id:tada-woさんから録画DVDを借りて見たのだが、絶句してしまった。彼のブログから引用する。非常にうまくまとまっている。


http://d.hatena.ne.jp/tada-wo/20090616/1245138703(因果鉄道999・埼玉-北海道(前編) - アマルフィ 日和)



埼玉県に住む竹下一家。家族構成は父母と6人姉妹(全員、女の子)の8人家族。彼らは心機一転として、北海道の浜頓別(はまとんべつ)という田舎町で行われる、街の活性化を目的とした本州からの移住計画に参加(いわゆる田舎で暮らそう、というやつ)。この計画は、移住して三年の間に、浜頓別に家を建てて定住することが条件で、その間の住居は地元自治体が世話をしてくれる、というものでした。

ところがこれを阻むのが、竹下家の両親の、常軌を逸した無計画ぶり。この両親、大した蓄えがあるわけでもないのに、とにかく散財しまくり。やたらとデカい車をローンで買うわ、冬の間の娯楽と称してテレビパソコンを買うわ、タバコはカートン買いでバカバカ吸うわ、んでもって口癖が、”まあ、なるようにしかならんよね”という、完全無欠の明日なきテキトーぶり。万事がこの調子だから、三年経っても家を建てるための貯蓄なんかできやしない。同時期に移住してきた他の家族は、すでに家を建てたり、建てる目処がついていたり。このままじゃ家を建てずに町から出ていくハメになってしまう。どうする?ということで出た結論が、日頃お世話になっているご近所さんを保証人にたてて、2000万円の住宅ローンを組むというもの。そのご近所さんである桜庭さんは、牛舎の改築のため既に1億ちかい借金がある身ながら、町の活性化のためならばと、快く保証人を引き受けてくれました。まさに生き仏…。


だがまったく無計画のくせにプライドは山より高い父親は、やがて産業廃棄物処理の現場責任者になるものの、トラブルばかり起こしては仕事を辞職。夫婦ともどもローンでがんじがらめのくせに度し難い買い物中毒を見せ、人のいい保証人をキレさせ、ありとあらゆる泥をまきちらしながら埼玉に戻るというのが前編。へたなホラー映画よりもずっとおそろしいのが、竹下夫婦の常軌を逸した強烈なエゴだろう。自分たちにはひたすら甘く、物質主義の塊であり、病的と思えるほどの楽観主義である。


http://d.hatena.ne.jp/tada-wo/20090618/1245313092(因果鉄道999・埼玉-北海道(後編) - アマルフィ 日和)



翌日からは、一家総出で職探し。新居の家賃とマイホーム、車のローン、合わせて月に27万にもなるので、お父さんとお母さんはもちろん、中卒以降の娘たちも頑張って稼がなければ(ちなみに北海道で高校進学した二人の娘は休学しているが、後に退学)。結果、いろいろ妥協をしつつも、お父さんは土木関係の会社に就職が決まり、お母さんや娘たちもパートやバイトが決まった。ただ長女だけは仕事がなかなか決まらない。理由は、北海道での就職経験があるためか、お父さんが正社員採用以外は認めないから。焦る長女に煽るお父さん、口論も多くなった。


埼玉に戻ってきて数ヶ月が過ぎ、6月に入った。梅雨入りで雨の日が多く、現場仕事のお父さんは休みの日が続く。お給料が日割り制の身としては、正直きびしい。さらに北海道の田舎町とくらべて、埼玉は物質的な誘惑に満ちた環境で、気がつけば外食の回数も増えていた。女の子とはいえ、食べ盛りの子供が6人(焼き肉屋でモリモリ食べる姿が圧巻)で、しかも食事のあとはみんなでカラオケに行くのだから、一回で軽く二万円はかかる。そんな折、またしてもお父さんが会社を辞めた。例によって、会社での待遇と自分のプライドとの、折り合いがつかなかったため。一家の収入は激減した。


そしてさらなる新事実が。なんと埼玉に来てから、一度もマイホームのローンを払っていないというのだ。銀行からの催促は、すべて無視。それは当然、保証人である北海道の桜庭さんの耳にも入った。桜庭さん、急いで竹下家と連絡を取ろうとするが、一向に繋がらないため、とりあえず一ヶ月分のローンを立て替え、竹下家に直接足を運ぶことにした。


桜庭さんの突然の訪問に、動揺する竹下夫婦。ローンの支払いの滞納や今後について厳しく問う桜庭さんだが、返ってきたのは ”支払いができる状態ではないが、家は手放したくない”という言葉。ある程度、予想していたとはいえ、あまりの身勝手さに堪忍袋の尾が切れた桜庭さん。夫婦をひたすら罵倒し、”自分の親からのものだと思え!”とお父さんの頭に力いっぱいゲンコツを叩き込む。結局、年を越したら支払うという、あまり信用できない約束をして、その場は収まった。ちなみに桜庭さんとの話し合いの間、ずっとマスクをしていたお母さん、都合が悪い話を向けられると、わざとらしく咳込む姿が印象的だった。


まあここまで善人を食らいつくす因果鉄道的家族も珍しいけれど、そこから現代日本の闇というものが見えてきて、それがあまりにむきだしのために、とってもいやーな気持ちにさせられる。竹下夫婦は平成元年というバブル期絶頂時代に結婚スナックで意気投合)している。家を建てればなんとかなる。車がほしい。パソコンがほしい。北海道では室内にこもることが多いからとテレビステレオを買い、家を建てれば家具を新調する。深刻なローン地獄に陥っているにもかかわらず、他の親族が登場しそうな気配もまるでない(たぶん、過去にいろいろあったのだろうと思われる)。


いきなり中国人の国民性の話をするけれど、本来かの地の人々は国家というものを信頼せず、地縁・職縁・血縁をことのほか重んじると言われている。現代日本でも核家族化に歯止めがかかり、派遣労働の是非が問われるようになっているが、竹下家は本来人間が生き残るために必要だったはずの、そうした縁なるものを全部破壊して回っている。そういうことをしても生きていけるという勘違いを生んだのが戦後の時代だったと思うが、90年代からの田舎暮らしブームに乗って、なんの地縁もない北海道の極寒の地にひょいとやって来ては、さんざん迷惑とローンを残して埼玉へと戻っていくところがいかにもな感じに見えた。


しかし竹下夫婦がすごいのは、信念や宗教や哲学というものが最後までからっきし見えてこないところ。唯一、なにかがあるとすれば、それは「消費」だけなのだ。たぶんこのあたりが番組を見た人間を驚愕させるポイントだと思う。狂信的キリスト教原理主義者を映した「ジーザスキャンプ」を見たときと似たようなショックを覚えた。狂信的消費原理主義者の生態を見たというか。単に無計画や怠けの物語ではない突き抜けた感じがじつにいまわしい。埼玉に戻って家族が総動員で働いて月50万円を稼いでも、母親は家計簿をつけず、家族全員で「自分にご褒美」とばかりに焼肉を頬張り(モリモリという擬音がこれほど似合う画もないだろう)、カラオケで盛り上がって、家のローンを一回も払わずに消費してしまう。それ以外にはなにもなく、平気で保証人を裏切り、埼玉でも近隣住人から文句を浴びせられ、職場ではことごとく対立する。北海道から埼玉へと戻ってきても、どういうわけか家財道具をみんな北海道に置きっぱなしにし、埼玉で改めて一から家財道具を買いそろえるあたりがタブー感に満ちていてとてもよかった。視聴者が全員ツッコミを入れたくなるだろうが、それを止めることはできない。なぜならそれが彼らの宗教的儀式なのだ。


埼玉のせまっ苦しい家のなかで、だいぶ体格のいい8人家族がぎゅうぎゅう詰めになって暮らしているにもかかわらず、番組中、やたらときゃんきゃんと犬の鳴き声がする。ナレーターも触れずにいたのだけれど、借金地獄にもかかわらず犬まで飼っていたのだ。しかも室内には猫もうろうろ。けっきょく仕事を転々としてばかりの父親はそのくせえらそうに娘達を叱咤する。番組内では親子の絆をむりやりとりつくろった感じで終わるが、たぶんその絆ももう終わりだろう。あの夫婦の徹底した消費信仰は、やがて唯一残された親子の縁をも食らい尽くすだろう。ラストで母親は失踪しちゃうし。


ラストのほうでは、自堕落に喧嘩をする夫婦を娘たちが逆に叱り飛ばしているが、あれが唯一の救いだろう。消費することでしか自己を確立する手段がないバブル世代のツケを、子供たちがけなげに払うところがきわめて現代日本らしい感じがした。もっともっと放送されるべきすばらしい番組である。根本敬大統領の「内田」研究に匹敵する黒い内容でした。


関連サイト

http://blog.livedoor.jp/hirotsugu1069/archives/51214303.html(須山浩継伯爵の身勝手日記:ザ・ノンフィクション 漂流家族〜「これで終わりかい!」と思っていたら・・・)

http://blog.livedoor.jp/hirotsugu1069/archives/51222310.html(須山浩継伯爵の身勝手日記:ザ・ノンフィクション 漂流家族 埼玉編〜タバコと思ったらアヘンだった)

http://tv.yahoo.co.jp/review/138148/ザ・ノンフィクション・漂流家族 - みんなの感想 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表])

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0614/245609.htm?g=01(漂流家族を見た方! : 生活・身近な話題 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE)


因果鉄道の旅―根本敬の人間紀行 (ワニの本)

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電気菩薩―豚小屋発犬小屋行きの因果宇宙オデッセイ〈上〉

電気菩薩―豚小屋発犬小屋行きの因果宇宙オデッセイ〈上〉

2009-07-02 マイケル・ジャクソン。黒人エンターテイナー特盛物語 このエントリーを含むブックマーク

キング・オブ・ポップ-ジャパン・エディション

キング・オブ・ポップ-ジャパン・エディション


MJが死んだときはびっくりした。そういうものだ。


まああれだけのことをやって、50歳まで生きられたこと自体、奇跡のようなものだったのだろうか。彼の姿を見るたびに感じるある種のタブー感というか、アンチエイジングという言葉では片づかない居心地の悪さがつねにつきまとっていた。「少年でありたい」という前のめりなスタイルも、なんだか神に対するどでかい挑戦という感じにさえ見えた。


もはや同じ人類とは思えず、霊長類ヒト科というよりも霊長類マイケル科という新しい生物のようにさえ思えたのだけれど、彼にまつわる悲劇のストーリー自体は、それほど珍しくないように思えた。じつに黒人エンターテイナーらしい物語だったなあと。


黒人がアメリカでスターになるには、言うまでもなくハードな道を進まざるを得なくなる。多くのエンターテイナーが波乱万丈すぎる人生をすごしてきた。それこそちょっと前まではあからさまな人種差別の問題がからんでいた。富を手にすれば、今度はその富自体に滅ぼされる。たいていどのスターも4つの要素で苦しんでいたと思う。金、暴力、ドラッグ人種差別である。


マイケルと同時期に子供のころからショウビズ界でのし上がったホイットニー・ヒューストンも、80年代にヒットを連発し、映画ボディガード」(出来はクソバカだったとはいえ)で大儲けしたけれど、かいしょなしの夫ボビー・ブラウンから暴力を受け、勝新みたいに大麻を隠し持っていたところをハワイで御用となり、その後もコカイン中毒になって数年もリハビリをせざるを得なくなり、その名声は地に落ちてしまった。同じく夫からむごたらしい暴力を受けていたティナ・ターナーも、映画マッドマックスサンダードーム」で華麗に復活した思ったら、自宅に信濃町方面の巨大な仏壇があって、日本のファンたちを驚愕させた。ナンミョーホーレンゲキョー。


ドラッグアルコールにメロメロだったジャズチャーリー・パーカーのころからひたすら「黒人スターとはいかに浮き沈みの激しすぎる人生を歩まされるか」を見せつけた歴史だったと思う。もちろんちゃんと天寿をまっとうしたスターだっていたわけだが、長生きしたサミー・デイヴィス・ジュニアにしても、フランク・シナトラという超こわいマフィアの幹部に随分とかわいがられていたわけだが、このあたりはエルロイ小説に詳しい。


黒人スターの暴力といえば、2pacとノトーリアスによる東西大物ラッパーの殺し合いが頭に浮かぶ。とくに2pacの場合、ラスベガスマイク・タイソンの試合を見た帰りに車ごと蜂の巣にされるという映画的にもほどがある死に方をしている。映画的というかテレビ的だったのは、なんといっても女房殺しとカーチェイスで全米を湧かせたO・J・シンプソンだろう。マーク・ゲラゴス(のちにMJやカズ・ミウラも依頼したスター弁護士)のような大物を雇って刑事裁判では無罪を勝ち取ったものの、破産状態に追い込まれた。


さらにカーチェイスといえば、ジェームス・ブラウンも負けてはいなかった。女房への暴力と金銭トラブル、それにおまわりとのカーチェイス(マシンガン持参)という意味では黒人エンターテイナーのわかりやすい見本といえる。しかしJBが天寿をまっとうできたのに対し、同じソウルの大物マーヴィン・ゲイは父親に射殺された。最近では「アメリカアイドル」のジェニファー・ハドソンも母と兄が射殺されて全米にショックを与えた。


そうした波乱万丈を強いられるショウビズ業界において、マイケル物語は似たようなものであっても、当社比数十倍のゴジラサイズだったように思える。父親からの虐待、膨大な富にむらがるろくでなしの取り巻き、整形手術にともなうドラッグ禍。マイケル人種差別で苦しんだにちがいないが、なによりも黒人であることをあれほど嫌がった人間もいないだろう。「肌の色なんか関係ないじゃないか!」といっけんまっとうなメッセージを流してはいたが、あれほど肌の色に固執した人間も歴史上いないと思う。


MJほどつっこみどころ満載の男もいなかった。「MJを追いつめたマスゴミ死ね」という意見は生きていたころから山ほど目にしてきたが、100万トンの蜂蜜を用意して蜂や虫をおびき寄せるようなもので、千客万来にもほどがある引き寄せ方をしていたと思う。そもそも身体が白くなっていくのは病気だと言っていたわりには、90年代の白マイケルはそんな自分の姿がうれしくて仕方がないようだった。


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「You Are Not Alone」におけるマイケルはギンギンだ。井手らっきょも真っ青の脱ぎっぷり。「どうっすか! この白さ!」と誇示するように見せていたが、当時それをMTVで見て心底あきれ返ったのを覚えている。けれど本人的にはもっとも幸せだった時期ではないかと思う。


テレビではもっぱら80年代のマイケルが映されているが、やっぱり感動的なのは、私的三大ひんしゅくPVであるこの「You Are Not Alone」、マイケルがウォーッと地面を叩くと、戦争環境破壊で荒れた地球が緑豊かな世界に戻っていくという、ケタはずれの自己神格化を見せつけた「Earth Song」(大川隆法なんてマイケルの前では限りなく小物だ)、たくさんの子供たちが大名舟盛りで空を舞う「childhood」あたりが真の傑作といえる。


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MJがイノセントな人物であったのはまちがいないだろうが、無害で安全なPL法的存在であったかといえばそんなことはなく、祈祷師をやとってスピルバーグにブードゥーの呪いをかけた(映画「フック」の主役に選んでくれなかったかららしい。これがホントのピーターパンシンドローム)とか。このあたりの暗い狂気のパワーが、生まれながらにしてハードウェイを選択せざるを得ない黒人エンターテイナーの本質のように思える。


80年代の泡(バブルス)のような好景気の時代に地球サイズのスターとなり、この09年の景気どん底の時代にその人生を終える。甘く夢のようなポップなファンタジーはもう終わりだと宣告するかのような人生の区切り方。いちいちやることが劇的すぎたMJらしい幕引きのように思えてならない。


関連サイト

http://nakayama.tailwind.bz/?eid=991300(幽玄会社中山商店 | 気分が良くない)


Loyal to the Game

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