2011-03-16 今もこれからも、すてきないい町

三陸の旅を終えて以来、虚脱状態が続いている。
山形が停電から復旧し、テレビやネットで情報を追い続けていたが、この世のものとは思えない津波の映像に震え、ぶらぶら歩いていた釜石の商店街が波に呑みこまれ、あとはもうひたすら恐ろしかった。
地震当日の午前中は、宮城県松島のカフェで原稿を書いていた。午後に山形で用があり、久々に帰郷したところで地震に遭った。その用事がなければ、「いいところだな」と、太平洋岸の町をうろついていたと思う。
最近は、ずっと旅をしていた。
三陸をうろつく前の週は、福島の郡山やいわき市に。海を見ていると、原稿執筆のモチベーションが維持できるという理由で、今年の冬は沖縄や福島、仙台、三陸をぶらつきながら、わりとストイックに原稿に向かっていた。旅をしながら、同時にカンヅメでもあったのだ。
プライベートな空間では原稿がまったく書けないので(個室に入るとロクなことをしない)、家には帰らず、いろんな土地のカフェやファストフード店、ホテルのラウンジといった公共スペースでひたすら書いていた。
海が好きだった。別に泳いだり、釣りをするわけでもない。ただぼんやりと海や港を眺めるだけで満足だった。三陸は理想ともいえる土地で、モクモクと白煙を上げながら操業する新日鉄釜石の無骨な巨大工場や、まったりとした空気が流れる商店街。新鮮な魚や貝を安価に売る町の魚屋を見ながら、商店街の小さなモスバーガーで原稿を書いた。地震の前日のことだ。
釜石を出てからは、リアス式海岸沿いにある国道45号線のうねうねした道を走った。海辺に点在する大船渡の集落と浜辺を見ながら宮城をどんどん南下。故郷とそっくりな気仙沼のロードサイドな風景に苦笑し、石巻の三陸道に乗って突っ走る。夜は松島の高台にあるリゾートホテルに泊まった。シーズンオフの平日だから客は少なく、仙台のビジネスホテルより料金が安かった。朝食もそのホテルでとった。冬の松島の港を一望できた。
今回の旅の最大の収穫は、締めくくりに訪れたカフェだった。偶然、松島海岸のインターを目指して、山道を走っていたら、カフェの看板が目に入った。
http://iigusuru.exblog.jp/11683708/(センダイポデロサ日記 : カフェ・ロワン@松島)
暴力小説とか書いているわりには、シャーデーやスウィング・アウト・シスターの音楽が似合いそうなカフェが好きだ。松島の遊覧船とノリの養殖場を山の上からぼんやり眺め、コーヒーを飲みながら執筆に勤しんだ。執筆はいつだって苦しいけれど、三陸を訪れてからは、わりとすらすらと書けていた。流れているボサノバ音楽がじつにマイルド。「これはいい。また来よう。初夏がいい」と心に決めて、宮城県を後にした。
さて長々と旅の記録を記した。しかしこれはただの前ふりにすぎない。
宮城を去った三時間後にこの大震災だ。テレビで見るかぎり、目撃した風景はすっかり変わってしまった。これは本当にショックだった。あの津波映像を見るたびに、自分ひとりがさっさと敵前逃亡をしてしまったような、苦しい罪悪感に襲われていた。
舞い戻ってボランティア活動をすべきかと考えた。瓦礫撤去とか人命救助とか。でもそんなの、一度だってしたことがない。
したことがなくてもなにかしたい。そういう感情にずっと突き動かされていた。今になって考えると、純粋に人助けがしたいという感情よりも、この自分の罪悪感をどうにかしたいという感情のほうが強かったと思う。これらのエントリを読んでいるうちに頭が冷えた。
http://chodo.posterous.com/45938410(被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ〜僕の浅はかな経験談〜 - chodo's posterous)
http://gigazine.net/news/20110312_how_to_help_your_loved_ones_from_afar/(遠くからでもできること、すべきでないこと、被災地の人々に迷惑をかけず助けとなるための行動法まとめ - GIGAZINE)
闇雲に被災地に行ったところで、どうしようもない。やはり募金と節電だろうなと納得したが、もっとなにかないかと考えていた。
やがて思い出したのは95年のことだった。私が大学生のときだ。1月に阪神淡路大震災という大災害が起き、そのときもテレビや新聞はしばらくずっと神戸を報道し続けた。しかしその二ヶ月後の3月に、オウムによる地下鉄サリン事件という、これまた戦後史に残る強烈な大事件が起きた。そして一連のオウム騒動に日本中の目は、すっかり奪われてしまった。松本サリン事件や弁護士一家殺人。報道陣の前で、オウムの幹部がヤクザに刺されて絶命。その後も恐ろしいリンチや拉致殺害が発覚し、悪の教祖が逮捕され……。まるで毎日が劇場のようだった。
3月以降はオウム一色だった。「神戸の災害は大変だけど、もう過去のもの。きっと地元の人々は復興に向けて頑張っているだろう。それにしてもオウムは悪い連中だ。オウムの悪行をもっと知りたい」当時の3月以降の空気はそんな感じだった。神戸の苦闘はそれからずっと続いていたというのに。
たとえば、神戸の仮設住宅生活者や復興住宅生活者は、災害から10年の間に数百人と孤独死で亡くなっている。災害によって生活を破壊され、見知らぬ住人たちとコミュニケーションを築けず、アルコール依存症に陥ったり、自殺したり。そんな状況を知ったのは最近で、「そんなひどいことになっていたのか」と驚いた。つまりそれほど無関心だったのだ。
もうあの無関心だけは繰り返したくはない。「被災地に飛んでいきたい」という激烈な熱情よりも、ずっと静かに関心を持ち続ける。そう心構えを切り替えた。救助のスペシャリストでもない私ができるのは、三年、五年と忘れずにいる継続力だ。
活動はわりと地味だ。募金をし、被災地に復興のきざしが見えたらそこへ行き、その土地のファンになる。イベントが催されたらそれを楽しみ、地元産の酒や食品を購入し、宿に泊まり、そしてその土地のニュースを日ごろから読む。このネット時代なら、いくらだって情報は手に入る。根気がいるけれど、誰にでもできる活動だ。
「もっともっと地震の情報を!」と貪るように情報入手に励んだが、時間が経てばその逆で、いくら情報を配信しても、人々のほうが耳を傾けなくなる。そういう残酷な時間がいずれやって来るだろう。メディアのほうもやがては新しい話題に飛びつくだろう。
けれど私には、旅の思い出がある。山と海の間にたたずむ静かなリアス式海岸の集落、芭蕉が称えた松の木の島。近代的な仙台空港のロビーや、仙台港のぴかぴかのショッピングモールが目に焼きついている。どれも好きな風景だった。その風景にまた触れたくて、これから何度も足を運ぶだろうと思う。
今は声もでないくらいに破壊されてしまった。長い時間がかかるだろうが、きっと復興するだろうと信じている。しかし町の復興というのは、地元の人々だけで成し遂げられるものでもない。「頑張れ」とエールを送るのもいいが、私のようなよそ者も、その土地の復興の行方を担っているのだという自覚ぐらいは持とうと思う。
http://www.iwatetabi.jp/page/link/rule.html(写真は、岩手県観光ポータルサイト「いわての旅」より。写真素材は、岩手県の観光振興に寄与する目的で使用する場合に限り使用できるとのことで引用)
写真は上から釜石市の根浜海岸。陸前高田市広田町。大槌町蓬莱島。宮古市浄土ヶ浜。
東北3県のアンテナショップ。お買いものはこちらで。
http://www.iwate-ginpla.net/(いわて銀河プラザ(銀プラ) - 岩手県のアンテナショップ)
http://cocomiyagi.jp/(宮城ふるさとプラザ[COCO MIYAGI] | 宮城県のアンテナショップ)
http://www.tif.ne.jp/jp/sp/yaesu/(福島県八重洲観光交流館)














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