2011-03-27 震災後の仙台を歩く

- 出版社/メーカー: 洋泉社
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仙台のワッシュ君(id:washburn1975)に会ってきた。
「高速道路も通ったし、ガスコンロか灯油を持ってこうか?」と言ったら、「電気も水道も復旧したし、うちは灯油を使ってないんですけど、とりあえず映画秘宝読みたいです」
という答えが返ってきたので、今月の秘宝やマンガを持って仙台に行ってきた。
仙台空港近くを通る仙台東部道路を通った。仙台平野の沿岸部を走る高速道路だが、巨大津波がこの道路にまで届いたらしく、道路周辺の田んぼや家は泥と瓦礫と化していた。東部道路自体も、あちこちに凸凹ができている。
ワッシュ君が「あの道路周辺はこの世の地獄です」と言ったが、本当に地獄だった。田んぼにはひっくり返った車や漁船、ねじれた自販機が転がり、油にまみれた粘つく泥が瓦礫と一緒にすべてを埋めつくしていた。
名取インターチェンジ周辺は瓦礫と泥の山に埋もれていた。それでもETCを出ると「割引1000円」という表示。「ああ、そうか土曜日か……」と、そこだけは新しいテクノロジーによる日常がもたらされていた。どうにも複雑な気分になる。
仙台周辺の某所の駐車場でワッシュ君と会った。いろいろなブツを渡しつつ、再会を喜び合った。彼は言った。「ひどいもんでしょう。せっかく遠くから来てくださったので、今の仙台を見てってください」
ガソリン事情が極端に悪いなかで、彼の車で仙台を案内してもらった。
仙台は「杜の都」と呼ばれているが、じつは「和製ロサンゼルス」というべき巨大な郊外都市でもある。のっぺりとした仙台平野を走る国道には、ありとあらゆる巨大なロードショップが軒をつらね、土曜の夜ともなれば、暴走族が景気よくかっとばすドンキ的な街だった。
その仙台ロードサイドの象徴ともいえる「イオンモール名取エアリ」にまずは案内してもらった。山形や福島からも客が来る東北最大のジャスコで、一種の観光地と化しているところでもある。土曜ともなれば、広大な駐車場が満杯になるほどの施設であるが、今日はガラガラ。というよりも、入場制限をしていた。大半の店は休業だった。
名取エアリの目の前は、JRの仙台空港アクセス線の駅だが、電車は不通なので、駅はシンと静まりかえっている。
上の写真は、その名取エアリの近くにある、やはりイオン系のスーパー。そこは駐車場にて商売に励んでいた。初老の店員が半ばヤケクソ気味に「おいしい弁当! 卵もあるよ!」と声を張り上げていた。地震後3〜4日ぐらいは、山形でも見られた光景であるが、2週間経ってもこれかと驚いてしまった。
そのスーパーの横を走る国道4号線を撮った。いい天気だったけれど、海風がやけにきつい。身体が吹き飛ばされそうだ。「今日の海風はきついね」とワッシュ君に言うと、彼が答えた。「さえぎってくれるものは、みんな津波で消えましたからね」
写真には、二件のボウリング場の看板が小さく写っている。奥のボウリング場は廃墟だったらしいのだが、現在は名取市の死体安置場として使われている。
名取を北上して、仙台港近くの多賀城市に入る。このあたりの国道45号線も、「眠りを知らないロードサイド」だったが、国道自体にも容赦なく津波が襲ったらしく、ひしゃげた車や、廃墟と化したロードショップがずらっと並んでいた。
津波がひどく残酷なのは、ゼロとイチしかないところだろう。襲われた地域は、爆弾でも落としたように徹底的に破壊されているが、襲われていない地域は、外見だけを見れば、明日からでも営業ができそうなくらいに正常さを保っている。(もっともライフラインも物流もずたずたなので、あくまで正常なのは外見だけだろうが)天国と地獄の境目が、不条理なくらいにはっきりと表れる。
もちろん津波に襲われていなくとも、ガソリン不足や物資不足は深刻だ。山形もいろいろと不足しているが、やはりレベルが違う。ガソリンスタンドが閉店しているにもかかわらず、すでに道路の路肩には車が長蛇の列。なんでも、翌日の給油のために、前日の昼から車を並べているらしい。整理券を配っているところもあるが、給油自体は二日先だったりするという。「東北地方にもガソリンが今週末には行き渡る」と国や自治体が言っていたけれど、私の地元にも、この街にも、燃料は依然として届いていない。
ほとんどすべてのコンビニや、一部の閉店したファストフード店が、なぜか窓にベタベタと新聞紙やボール紙を隙間なく貼っている。「あれなんなの?」とワッシュ君に訊いた。「盗難をふせぐためらしいです。店内を見られないようにしないと、泥棒に狙われるんで」
それは、私の地元にはない光景だった。中をのぞかれないようにびっしりと貼られたスポーツ紙に、この街の切実さや深刻さが見えたような気がした。
「でもね、ナイフを持った外国人とか、そんなのどこにもいないですよ」とも彼は言った。「この街に来てもいないやつが、知ったかぶりしてデマ流すのを見ていると本当に腹が立つ。なにが『知り合いから聞いた話だけど』だ」とも。そうした真偽不明な情報を、嬉々として流す芸能人のブログがいくつかあった。
とはいえ治安状況なんてよそ者にはわからない。いや、本当は地元民にだってわかりはしないだろう。ただ、いい加減なデマがしたり顔で出回るのはわかるような気もした。昼間はともかく、夜は気軽に出歩けないような欠乏感や緊張が街を覆っている。とくに長蛇の列のスタンド周辺は、苛立ちの空気が充満していた。
最後に仙台の中心地を歩いた。地震から二週間が経ったが、藤崎や三越、フォーラスといった百貨店や商業施設は未だに休業(営業時間を短縮して営んでいるところもある)。多くの人でアーケードは賑わっていたが、商店街の四分の三ぐらいは、営業していなかった。駅前まで続くクリスロード商店街には「私たちは負けない!」という看板が掲げられていた。
パチンコ店のほとんどが休業に追い込まれていたが、商店街でひとつだけ営業してる店を発見した。「トイレ開放中」というメッセージが、被災地の街らしいとも思った。ちなみにコンビニでは「商品は売り切れ。水を提供しています」という貼り紙を何枚も見た。
クリスロードの名物、三瀧山不動院にお参り。いろいろと祈った。
東北最大の呑ん兵衛ストリート・国分町は思ったよりも元気だった。居酒屋の呼び込みも大勢いる。一杯やりたいところだったが、都市ガスが機能していないらしく、中心地のホテルは営業していないところがいくつかあった。楽天トラベルで「仙台」と検索すると、ほとんど部屋が空いていない。宿を必要とする人がたくさんいるのだろう。酒はぐっと我慢して帰ることにした。
本当は「景気よく友人にでかい顔して大盤振る舞い」(今日は、彼が案内してくれた激安ラーメン店で、400円のラーメンをおごっただけだった)と行きたかったが、街のほうが、まだまだ一日一日をやり過ごすのが精いっぱいという印象。歩き疲れて喫茶店にでも行こうと思ったが、ガスが通っていないので、ほとんどの店が休業。珍しく開いている店は多くの人で混雑していた。そしてミスタードーナツには行列が。窓には「おひとり様5個まで」というお知らせ。懸命に「日常」を取り戻そうとする風景を、あちこちで目撃した。
商店街で若者らが必死に募金活動をしていた。募金をしたら、なぜか歯磨き粉をくれた。ワッシュ君から「お返しに」と、「水曜どうでしょう」のDVDをたくさん借りてしまった。
それらの借りを返すためにも、また近々訪れようと思う。
写真は泉区の鯛焼き屋「白いたいやき本舗 藤家」のラーメン。いつもは500円だが、もやしが手に入らなかったので、100円割引だった。分厚いチャーシューが乗っていて美味。
参考サイト
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20101117(戦慄の鯛焼きラーメン - 男の魂に火をつけろ!)































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