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2009-01-31
ハーレム系作品史補章 1992 『天地無用』は誰のもの? (3/3) 承前
本エントリは、
『ハーレム系作品史補章 1992『天地無用』は誰のもの? (1/3)』
『ハーレム系作品史補章 1992『天地無用』は誰のもの? (2/3)』
の続きの話です。
まずはそちらからお読みください。
TV版『新・天地無用!』(97年。いわゆる関島版天地 清音刑事登場)
ここまで、毛色の違いこそあれ、全てそこそこ以上の実績を残してきた『天地』のメディアミックスの、初めての失敗作が、このTV版『新・天地無用』。
シリーズ構成をつとめた関島眞頼は、『てやんでえ』『テッカマンブレード』『セイバーJ』などの構成をやった、ねぎし同様「あかほりさとるの盟友」というべき人物なんだけど、『新・天地』『ロスユニ』『オーフェン』『ヤマモトヨーコ』と、富士見ファンタジアの主力〜中堅上位作品のメディアミックスを次々コカしたという恐るべき実績を持っている。『ロスユニ』は作画側問題とはいえ、残り3作は「なにがしたいのか理解に苦しむ」設定改変が行われており、構成である彼の罪過は重い。度重なるメディアミックスの失敗は、ライトノベルの「富士見の時代」を崩壊させる一因でもあった。
いったいなんの必要があってか、天地が神主修行のため東京に行く。そんで、神代佐久耶なるアニメオリジナルの新ヒロインと恋をする。天地がそんなタマか? 『天地』はそんな作品か? 魎呼のわがままや阿重霞のプッツンも佐久耶の引き立て役みたいな扱いになってるし、コメディパートも「とりあえず北川いじめておけという三流KanonSS」のように信幸おじさんを迫害してみたりと寒い。
佐久耶ってコは実は、幽戯という魔性の者の影であり――はいはいそのネタ、長谷川さんは“60分の映画で”まとめてみせましたね。
一途な阿重霞とか、ラストでがんばってハッピーエンドに持ち込もうとする天地とか、部分的にはキャラ扱いに見るべきとこもあるが、総合的にみれば駄作である。
作画も女性陣の顔がへんに丸っこくなってて、この時期のテレ東6時代の常としてときどきひどく荒れる。
小説『真・天地無用!魎皇鬼』(97-99年。原案:梶島、執筆:黒田)
梶島版天地の過去話。宇宙海賊だった頃の魎呼とか、皇子さまだった頃のじっちゃんとか、アカデミー時代の鷲羽ちゃんとかの話。本サイトはハーレムモノ紹介サイトなので、細かくは触れない。『天地』の“世界設定”としては重要なんだろうけど、『天地』の“作品世界”的には背景でしかない話だと思う。
TV版『天地無用! GXP』(02年。原案:梶島、構成:黒田、監督:ナベシン 主人公違い)
黒田ひとりでも危なっかしいのに、監督にワタナベシンイチを加えてしまった、とんでもないコンビによるアクション・コメディ(なのかな?)。
世界設定は梶島版で、主人公は天地の後輩で不幸属性持ちの山田西南。主人公違いなので詳細は論じないでおくが、帰るべきホームが常に存在する柾木家の『天地』に対して、宇宙を飛び回り続けてる、えらくせわしない作品。樹雷皇家がどうの、ギャラクシーポリスがどうのと、十分な説明なく過大な情報とキャラクター数が投入されるので、たぶんに置いてきぼり感が。最後は重婚エンドになるわけだが、いったいどうしてそういう風に落ち着くのか私は説明できません。
情報量過大で説明すっ飛ばすのは、型月作品だのギアスだのという事例を考えると、黒田・ナベシンの個人的暴走ではなく「00年代」のトレンドなのかもしれない。そんなトレンド、私は嫌いだ。
OVA版『天地無用! 魎皇鬼』第3期(03-05年。原案:梶島。脚本:黒田。清音刑事登場せず)
かれこれ8年ぶりのOVA天地。しかし作品世界内では、魎呼が天地の高校や瀬戸大橋を吹き飛ばしてから数ヵ月後。
原作者(オリジナル)の『天地』が復活したということで見てみると、これがどうにも「私の知っている『天地』」とは違うんですよ。
実は、天地には姉がいたんだそうな。実は、信幸おじさんも樹雷の血を傍系で継いでて、実は、百数十歳なんだそうだ。しかも再婚するのだとか。10年越しでそんな“実は”を持ってこられても。
神木ノイケとかいう新ヒロインが出てくる。んで、天地の看病なんてお約束イベントを持っていく。ポッと出の新キャラがヒロイン面して魎呼たちと張り合うためには、相当気合入れて足場を作らなきゃいけないだろうに、そういう努力が感じられない。いましたね、こういうコ、たしか神代佐久耶さんとかいう名前だったと思いますが。Amazonのレビューで「ソツのない才色兼備の監視者役なら真備清音でいいじゃん」的な意見を見る。まあ納得、清音刑事なら魅力的だし、天地ファンとは長い付き合いだし。
樹雷関係の偉い人やら女神さまやらがちょっかいをかけてくるが、いったいなにを考えているのか作中では説明されない。この置いてきぼり感もありました、そう、黒田・ナベシン好き放題。んで、女神がどうの時空がどうのと、規模ばかりでかくて中身の無い話をしておしまい。最後は主人公最強宇宙パワーで片付くのは1期・2期からそうだったけどさー。
今までの『天地』各シリーズの、悪いところをばかりを集めてしまった感じ。
長谷川の書いた「ヒロインの心情」、奥田の描いた「柾木家という家族」、ねぎしの示した「信幸の視線」、ファンが10年育ててきた「ヒロインたちへの思い入れ」、『天地』の作品世界はOVAの頃よりずっと豊かになっているのに、原作者の梶島がそれについていけてないで、独りよがりなことばかりやっている。
こういう事例を見ると、ほんと、作品は作者の私有物ではないと思う。
作画も1期のシーンを回想として使いまわした分の方がいいとか泣けてくる(10年前だぞ)。
“おしまい”
ドラマCDとかOVA特別編とか劇場版第3作とかほかにも天地関連作品はあるんだけど、そこまで付き合ってられないので省略します。
サミーや真・天地やGXPを除いた「柾木天地の物語」を一覧にまとめてみると以下のようになります。
| 付表:『天地無用』メディアミックス表(天地主役のもののみ) | |||||
| 時期 | メディア | 関係者 | 清音刑事 | ||
| 梶島版天地1期 | 92-93年 | OVA | 原案:梶島、脚本:長谷川 | × | 元祖ハーレムアニメ |
| 長谷川版天地 | 94-99年 | 小説 | 作者:長谷川 | ○ | 恋する乙女たちと悩める天地 |
| 奥田版天地 | 93-06年 | 漫画 | 作者:奥田 | × | にぎやかな柾木ファミリー |
| 梶島版天地2期 | 94-95年 | OVA | 原案:梶島、脚本:黒田 | × | 1期の正当後継者 |
| ねぎし版天地 | 95年 | TVアニメ | 監督:ねぎし | ○ | チープ路線のよくできた凡作 |
| 劇場版 IN LOVE | 96年 | アニメ映画 | 監督:ねぎし | ○ | 天地の父と母の話 |
| 劇場版 真夏のイヴ | 97年 | アニメ映画 | 脚本:長谷川 | ○ | 劇場版は切ないなあ |
| 関島版新・天地 | 97年 | TVアニメ | 構成:関島 | ○ | 富士見系原作連続強殺事件 |
| 梶島版天地3期 | 03-05年 | OVA | 原案:梶島、脚本:黒田 | × | いっそなければよかったのに |
OVAスタートから劇場版2本まで、梶島、長谷川、黒田、奥田、ねぎしと、『天地』に関わった人たちは、それぞれの長所を活かして、みな「よくできた凡作」以上のものを作ることに成功しました。メディアミックスの大成功例といっていいでしょう。
『天地無用』は誰のもの? というタイトルをつけましたが、各メディアの製作者に視聴者まで加えた「みんなのもの」と答えるのが、私の考える【正解】です。
ところが、97年あたりで、なぜか突然「魔法が解けて」しまう。新天地の失敗、小説版サミーの黒田の暴走、別に『天地』である必然性がない劇場版第3作(監督:ねぎし)。『天地無用』という作品は、92年に始まって、97年には実質的に終わってしまっていたのです。
「角川系メディアミックス」と「ハーレム系作品」の模範となる先例を残して。
えー、3ヶ月以上かけて、少年時代の思い出のひとつを回想・清算し、とくめーさんはすっかり満足してしまいました。10年も前の作品の、こんだけ長い文章に付き合ってくださった方が、どれだけいるかわかりませんが、なにかご意見、ご感想、ご質問があれば、コメント欄までどうぞ。なんなら「読みました」とだけでも。
あー、次は時系列投げ捨てて、美少女文庫か二次元文庫かMF文庫Jの話をすることになるんじゃないかな。まだ決定ではありませんが。
追記:次は新世紀エヴァンゲリオンの話になりました。時系列でいけるだけいきます。







読ませていただきました。
おそらくは結構な数がいるであろう「どれだけ」のうちの一人です。
作品や背景に疎い私にもとても読みやすかったです。
三ヶ月以上もの準備お疲れ様です。それだけの量と歴史のある作品なのですね。
以前から長く続いた作品が始まりのあり方から歪み、ぼろぼろになっていくことをおっしゃられていましたが、やはり綺麗に終わることは簡単なことでは無いということでしょうか。
それらクライマックス症候群も一種の作品の私物化なのでしょうが、作品が沢山の送り手たちと沢山の受け手たちの間にあることを自覚し続けることは、我々受け手にとってもなかなか難しいことだと感じます。
作品にどう対するかの最後の決定権とその責任は受け手側一人一人にあるのでしょうし。
…こんな偉い場所に見栄を張って生意気書いちゃっていいのかしらと怯えつつ投稿ボタンを押してみます。
しかし、ハーレムものとしての影響は、類似作などの間接的なルートを通って、確実に自分のところに到達しているような気がします。
どうにもこの方向性の作品は軽視されやすいので、概略をネット上に残しておくことに意味はあったんじゃないかと思います。
長く続いた作品の、受け手も含めた「関係者」の間に生じる軋みは、受け止めきれる範囲なら「新しい発見」となり、断裂が激しくなれば哀しい破綻になる。作者の意図をどこまで受け入れていけるか、受け入れられないとなったときにどういう対応を取るか、ネットという双方向的媒体がある現在では、micinさんがいうように、受け手にとっても難しく、また重要なことだと思います。
「天地が大好きで阿重霞と始終ケンカしてる乱暴でわがままで情に篤い宇宙海賊」というあたりの線が守られてれば、人工生命体でもそうでもなくても、魎呼は魎呼だし、自分を慕ってくれる美女美少女たちのために天地が剣を取るなら、敵が何者か宇宙パワーがどんな仕組みかなんて、たいした問題ではない。このあたり、後の角川のメディアミックス、エヴァやギアスのバージョン違いなんて話にも繋がっていくのです。
間接的な影響は、ハーレムもののスタイルのことも含めて、たぶんいろんな形で届いていると思います。そして困ったことに、皆さん、それを知らないか忘れてしまっています。
何人かの人にでもそれをわかってもらえたなら、ハーレム系作品の専門家として、(元)『天地』ファンとして、長文を書いた甲斐があるというものです。
個人的には長谷川天地が一番好きでしたね、綺麗に纏まってて個人的には。
また寄らせてもらいます。
天地、懐かしいですよねえ。ハーレムをテーマに懐かしの90年代について振り返ってみるという方向性に自分がおじさんになったことを感じないでもありません。
TV版の内容はほぼ綺麗に頭の中から消えていますが、私はどちらかというと梶尾版の方が好きです。でもGXPはナベシン嫌いなので微妙です。
といいますか、現状まだ続いているのが梶尾版のGXPの小説なので、最近はそっちばかり読んでいるので、頭が梶尾版中心になっているんでしょうね。
10年越しのそんな“実は”についても、小説版GXPで色々理由付け……後付説明というか、もはや言い訳くさいですけどされていましたので、三期の10年越しの”実は”も割と抵抗なく受け入れられました。
私の場合は長谷川版・ねぎし版の影響を強く受けてるせいか、信幸おじさんなんてのは「ふつーの人」が天地の父として征木家を支えてるからカッコいいと思うんですよ。寿命数百年の半樹雷人ならがっかり。姉や妹なんてのは幼馴染同様、一緒に過ごした日々というのが核になる属性で、これも後付で出てくるには非常に相性よくないキャラですし。どうにも梶島版3期はいろいろ地に足がついてないイメージがあるんです。
それを受け入れられるかどうかというのは、原作者ならなにやってもいいのか、という話になって、このハーレム系作品史の企画の裏テーマみたいなものとも関わってくるはずなので、その辺は「続き」の話で語れたらいいかなと思います。
俺のアニメ好きは天地無用からだった気がします。
論もとても納得できるものでした。すばらしいと思います。
そしていまだに、特異点である清音という存在に、魅力を感じますね。
こんなに引き裂かれたキャラ、あんまりいないですよね。