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2010-08-31 90年代ゲーム機戦争
ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (1)
2010年です。ゼロ年代が終わりました。やったーっ!!
にも関わらず、とくめーはいまだ90年代に引っかかってます。90年代のオタク文化に関しては、「ちゃんと語られていないこと」「忘れられてしまっていること」があまりに多いんですよ。ハガレン以前の少年ガンガンについてもそうですし、そのガンガン作品やランスシリーズ、スレイヤーズなどのラノベといった“90年代RPGパロディブーム”などについても、ゼロ年代FTパロ(ゼロ魔・ネ実組)と合わせて、いつかちゃんと語りたいところです。
ゼロ年代の十年間で、80年代サブカル文化に関する記録や研究がいろいろ出てるんで、90年代については10年代の十年間で回顧されると思うのですが、「90年代はエヴァとセカイ系の時代だった」みたいな語られ方はいい加減勘弁してほしいものです。
近年のオタク文化をエヴァを起点に語るとき、エヴァ以前――90年代前半のことは視点から抜け落ちてしまいます。エヴァの影響を受けた自意識を持て余すオタクと製作者ばかりを追いかけると、そんな自意識にとらわれずフィクションを満喫していたオタクの姿は見えません。
当ブログの不定期連載企画、「ハーレム系作品史」は、そういう「語られなかった方のオタク史」を記す企画です(最近になってそう決めた)。青少年(含む大きなお友達)の悩める自意識ではなく、青少年(含む大きなお友達)の溢れる妄想を描いた作品群。
これからの示す記事のテーマが、90年代の語られざる大作『サクラ大戦』。
『サクラ大戦』自体と、それを構成する諸々の要素には、「評論家の語らない90年代」がたっぷり詰まっています。「ハーレム系作品史」と関係ない内容も含まれていますが、切るの、やめました。これがとくめーの全力全壊。「語られなかった方のオタク史」「エヴァの時代でない90年代」について、いやというほど語ってみせます。
では、まず、個別の作品論の前提となる、ハードウェアと関係者についてです。
ハードウェア:セガサターン&ドリームキャスト
現在、事実上ゲームセンターの開発・経営会社と化しているセガは、その昔、家庭用ゲーム機の開発・販売も行っていました(若い人たちにはここから説明しなきゃいけないんだよなあ)。スーパーファミコン(90年・任天堂)の影に隠れたメガドライブ(88年)や、ゲームボーイ(89年・任天堂)の影に隠れたゲームギア(90年)など、家庭用機への参入以来ずーっと「永遠の二番手」だったセガの家庭用ゲーム機にも、ただ一度だけ、ゲーム機戦争で勝利しうる機会が存在しました。
90's前半。スーパーファミコンによって圧倒的なシェアを誇っていた任天堂は独占的な地位に奢り、高圧的なサードパーティ戦略と、ソフト価格の高騰(末期には1万円を越える定価も珍しくなかった)により、ソフト会社・消費者双方から信頼を失っていきます。任天堂とソニーが共同開発するはずだったスーパーファミコン後継機“プレイステーション”の開発は、方針・利害が折り合わず頓挫。
スーパーファミコン後継機の地位は、ソニー単独開発による“プレイステーション”(94年)と、セガの次世代機“セガサターン”(94年)の間で争われます。ともにCD−ROMソフトの32bit機。ゲームセンター系の強力な自社開発力・コネクションを持つセガが勝利するという見方もありました。事実、当時としては斬新だったフルポリゴン3D格闘ゲーム『バーチャファイター』(93年、SS版94年)、アーケードゲーム史に残る傑作『バーチャロン』(95年、SS版96年)など、アーケード発のセガ作品は、それだけで需要を喚起できるレベルのものでした。
対して、ゲーム業界外からの参入であるソニーは、徹底した大小問わぬサードパーティへの支援・優遇を行った……行わざるをえなかったといった方が近いでしょう。「小」のわかりやすい例は、熊本の下請けゲームメーカーだったアルファ・システム(ソニーの下で『俺の屍を越えてゆけ』(99年)『高機動幻想ガンパレード・マーチ』(99年)などを成功させる)、「大」の代表例は、スクウェア一本釣り(96年)。結局、RPGの両巨頭を手中に収めたのが決め手でした。技術の不足をレベル上げや攻略本で補って「万人がクリアできる」RPGこそが、国内ゲーム市場の雌雄を決する決勝点。近年でも、「大作RPGのシリーズだけはやる」みたいな層が存在し、DQIXとかFFXIIIとか何百万本も売れてるわけで。葉・鍵・月が「オタクの一般教養」となりえたのも、プレイヤースキルを問わないADVという形式が前提条件。
セガ、あるいはセガと関係の深いアーケード系のメーカーのシューティングや格ゲーなどは、プレイヤースキルの反映が大きく、ヘビーゲーマー層以外への訴求力は弱い(両ジャンルとも既存ユーザー偏重の製品開発でご新規さんにそっぽを向かれ衰退。STGの失敗は94年の東亜プラン倒産・格ゲーの失敗は01年のSNK倒産により象徴される)。
ソニーとセガの対決は、セガ劣勢のままPS2対ドリームキャストという新ハードに引き継がれ、追い込まれたセガがライトゲーマーを取り込むために仕掛けたメディアミックス企画が『シェンムー』(99年・未完)。……ええ、セガさんは、コンシューマー機というものがとことん理解できてなかったようです。
そんなセガ陣営でゲーセン系のゲーマー以外から支持を受けた数少ないソフトといえば、今回取り上げる『サクラ大戦』シリーズと、チュンソフト『街』(98)くらい。ま、この2作も、支持したのは「かなり特殊な層」といえるのですが――
ちなみに。セガはコンシューマー機から撤退したのち、アーケードゲームの開発と店舗運営を基幹業務としています。
現在のゲームセンターの主流は、昔ながらのクレーンゲームやスロットなどと、TCGなど他媒体の手法を流用した(ネットワーク)対戦ゲーム。セガ開発のものとしては、『三国志大戦』が成功作として挙げられます。プレイヤーの個別管理、ネットを介した同レベルプレイヤー同士の対戦、勝ち抜けではない1コイン1プレイ方式により、STG・格ゲー衰退の原因となった「中級プレイヤーによる筐体の占拠や初心者の排斥」を回避でき、またカードのコレクションのようなプレイヤースキルに依らない楽しみ方もあることが勝因といえるでしょう。ネット対戦ではないものの「甲虫王者ムシキング」もほぼ同様の構図で論じることができます。
つまるところ間口戦略こそがジャンルの興廃を決めるのです。セガは、そしてアーケードゲーム業界は、ようやく正解にたどり着きました。
(この辺のゲーセン論は、ハーレム系作品史でアイマス論をやるなら、きちんと詰める必要がありそうです)
この辺のゲーム機戦争の話が、ハーレム系作品史とどういう形で関わってくるかというと――
セガが『サクラ大戦』なんて企画ぶちあげたのはゲーム機戦争で、従来のセガファン以外の層を取り込むためでしたし、ソニーのPSも『ToHeart』や『Kanon』などのエロゲを、エロシーン抹消して受け入れてますよね。
美少女ゲーム的方法論が一般化していくにあたって、エロが嫌いな任天堂がコケて、セガもソニーもソフトの好き嫌いを言っていられなかった当時の状況は、非常に好都合だったのです。






犬マユ(Vジャン)石塚にレンタヒーローで「価値あるムダをありがとう」とか言われたり、シーマンとか、間口はあれでもマニアックにウケ……それじゃ全体で勝てないって話でしたか。ガンパレが万人向けとは間違っても言えませんが、そういう傑作を容れる余裕を大作RPGが結果的に作ってくれてると。
嗚呼しかしそうか……当時はそんなものだと思っていたのだけれど、FF56聖剣23ロマサガ3クロノトリガーとか、発売時あんな値段だったのはおかしかったのか……。PSはサガフロから始めたけれど、大体半分くらいの値段……ハードはその三倍くらいしたけど。
ADV形式でペイライン数千本でも成立しちゃうエロゲとは事情が違うわけで。
→んで、そういう状況下で腐ってた開発チームに片っ端から声をかけ支援したのがソニー、と。
次に、サターン。
スーファミ時代にPCエンジンが担ってたエロ担当枠は、セガハードが引き継ぐような形になってました。同級生なんて実際にPC→PCエンジン→サターンって移植してますし。ただ、セガハードに移植されたエロゲって、エルフとかF&Cとか御三家世代・プレ葉鍵世代で、この辺にもちょっと遅れてる感じが。
ソニーとセガと両方出たゲームっつーたら、多いのはやっぱ格ゲーじゃないでしょうか。アーケードメーカーとして、セガに義理もあれば応援したい心情もあるけど、やっぱりPSの大きな商圏は惜しいみたいな。
シーマン…ありましたね。セガもソニーもどっちも前衛的な意欲作は出してるし、コアゲーマー向けではむしろセガが勝ってたくらいなんだけど、結局、「エンタメの王道あってこその、コアや前衛」だという現実です。
これはゲームでもアニメでもラノベでも同じこと。みなさん、忘れがちですね。
これはちょっと違和感がありますな。
任天堂=ファミリー狙いという発想から、こういうイメージで決めつけてしまいがちですが。
かつて同級生2は実はなんとスーファミにも移植されていたんですよ。それもPS版よりずっとオリジナル寄りの出来栄えで。
実際エロが嫌いなのはクール好きのSONYです。件の同級生2も全機種中最大の規制改変ぶりでした。
後SONYハードでは「To Heart」は別格にして、多くのエロゲ移植作は「エロゲ移植」と公言することはおろか、タイトルすら変更を強制されています。
そしてこの傾向は今も続いています。
ついにDSでは「魔女神判」など驚くような露骨なエロタイトルがでました。
一方SONYは「パンチラ」とか「同タイトル移植」程度は解禁になりましたが、箸の上げ下ろしにも厳しいソニーチェックの下では、こんなタイトル通りようもありません。
これに続き一時期コンシューマーではSONYハードには及びもつかないようなエロタイトルが企画され、実際続々発売されました(なんとwiiでさえ!)
この時再認識しました。案外任天堂はエロに寛容だと。そしてちょっと調べるとそれは結構昔からだったと。
単に任天堂にはサードが参入するハードル自体が高いので、ファミリーイメージと相まって「エロに最高に厳しい」との虚像が出来てしまったようで。
実際は出来さえ良ければ結構大らかだったと。むしろエロを過剰に嫌ったのはイメージ低下を気にするSONYの方だったと。
記事の内容、これを体験してきている、または理解をしているかでレベルがわかるというか。私自身20代半ばな年齢ではありますが当時の父親の影響をモロに受け無知ながら考察していたものです。ここ最近は同年代の方とコミュで話すと体験や理解されていない人が多いよなぁと思います。にわかが多いよなぁとか思ってしまったり。
とても勉強させていただける記事だと勝手ではありますが思いました。
また読ませて頂きます。
いよいよ待ってましたの『サクラ大戦』。
やはりこの作品となると主題歌「ゲキテイ!」の旋律が真っ先に出てきますね。
アレンジは数えきれないくらいにありますが、自分的にはTV版が一番好きです。
ただ、エロに厳しいのではなく、エロの有無に関わらず弱小メーカーに厳しいのだという解釈は、それはそれで納得いく話で。
で、ソニーは、うん、実にエロに厳しい会社ですね。
セガやXboxといったそっち方面に寛大なハードとの対抗がなければもっと厳しい規制が敷かれていたかと。
PSで出たのはONEでしたね。うっかりうっかりです。
ともあれ。消費者側にとっては散々に見える「ゲーム機戦争」環境ですが、任天堂にせよソニーにせよ、トップ企業の横暴を許さないという点では良く働き、美少女ゲームはその恩恵を受けている、という論の核心は間違ってないということで。
格ゲー強いセガか、RPGの強いソニーか。そしてソニーを選んだ人が多かったから、現代がある、と。
そう、仰るとおり、「90年代」についてはこういう「当たり前の話」が、けっこー忘れられてしまってるんですよねえ。
北米でのソニック人気、アクションに強いハード設計などの要因で、GENESIS(海外版メガドライブ)がSNES(スーファミ)に互角以上の勝負(GENESISの北米での販売台数2000万台以上)を繰り広げていました。
SEGASATURNはその高コストな設計(原因は最強の2Dハードとして設計していたのに、PS1の3D性能の高さにびびって3D機能を後付けしたため)により赤字販売を余儀なくされ、セガのハード撤退の主要因となりました。売れば売るほど赤字。
しかも最大市場である北米市場でSEGASATURNがまったく売れなかったため(原因としてSEGA OF AMERICAが周辺機器『スーパー32X』で最も普及したハードであるGENESISを引っ張ろうとしたから、などとも、セガ本社の「ソニックは16bitまででSEGASATURNは新しいキャラを打ち立てる」という方針のせいとも思われますが……)
SEGASATURNは国内で550万台とセガとしては国内最高の販売台数で一見好調に見えますが、世界的に見るとDreamcastやマークIII以下の低調な販売台数なんですよね。
SEGASATURNを違った形で出せていれば(メガドラやDCのようなコストを考えた設計ならば。北米市場で売れていれば)セガがあそこまで追い詰められることは無かったと思われます。
事実、N64は北米でPS1と伍して売れており、任天堂はSFC時代よりもN64時代の方が会社の業績は良かったわけですから。
日本のコンシューマ市場(RPG超重要!とか)だけでなく、北米のコンシューマ市場(自社のソニックがどんだけ北米で決定的なコンテンツだったか…というよりゲーム媒体における“キャラクター”の重要性)も理解できてなかったんでしょう。
サターンの高価格高コスト、ドリキャスの生産が追いつかないという、仕様設計の迷走というか過剰品質症候群は、ほかでもないソニーが後に繰り返すことになります。