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とくめー雑記(ハーレム万歳) このページをアンテナに追加

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2010-09-01 広井王子とあかほりさとる

ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (2) 承前

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このエントリは、『ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (1)』の続きです。

まずはそちらからお読みください。




プロデューサー(ゲームマスター):広井王子


現代オタク論の基本文献として、私が真っ先に思い浮かべるのは大塚英志『物語消費論』『キャラクター小説の作り方』です。岡田斗司夫唐沢俊一など古参オタクの本も歴史史料としては重要ですが、情報を集めること自体が目的になってしまう第一世代オタクの視点では「現代」は読み解けない。集めた情報に対して、独自の解釈・考察を加え、さらに再構成まで行う、いまの消費者の有り様を本格的に論じたのは大塚が嚆矢。

大塚の初期の物語論をまとめた『定本・物語消費論』の中で、最も多く触れられている80年代の「作品」は、『ガンダム』や『キャプテン翼』ではなく、なんと「ビックリマンチョコ」。最近またコンビニで見かけるようになった、例のシール付ウェハースウェハース目当てに購入される商品でないのは自明(美味いけど)。大塚がいうには、アレの売り物はシールですらないそうで。シールにはキャラクターとともに断片的な情報が書いてある。個々のシールの情報をつなぎあわせていくと、断片的な〈小さな物語〉、さらにはビックリマン世界という〈大きな物語〉……〈世界観〉が浮かび上がってくる。消費者が求めているのは、この〈大きな物語〉なのだそうです。

この〈大きな物語〉は、もはや著作権者の私的所有物ではありません。一度、〈世界観〉を理解してしまえば、それに則った〈小さな物語〉は原作者以外にも作れてしまう。その例として、大塚が挙げたのが「翼」同人誌、当とくめー雑記で触れたのがエヴァと二次創作の事例

この構図は、製作側にとって、原作いらなくね? という危険性だけでなく、新しい物語の作り方の可能性を秘めています。優れた〈世界観〉を作り上げ管理していくには一流の才能か奇跡的な僥倖が必要ですが、その舞台の上で〈小さな物語〉を作るのに特殊な資質はいりません(アマチュアでも成功例が多数あるくらいなのだから)。むしろ脚本・演出の専門家に任せた方が良い作品ができる場合も多く、また、“そこそこ”の人材が真面目に取り組むことで本来の実力より上質な作品を作ることができたりします。

大塚によれば、91年時点で、日本の〈物語ソフト〉ビジネスで、資金管理でも製作実務でもない世界観の管理運営を行う〈ゲームマスター〉といえるのは、『ヤマト』の西崎Pと『ガンダム』の富野監督くらいだそうで。'10年時点でとくめーが挙げられるのも、アリスソフトTADA部長と、レッドカンパニー広井王子、それにナムコの坂上陽三くらい(わ、全部美少女系じゃないか。あと作家など実際の製作者を兼ねてるのが数名)

やっと広井王子の名前が出てきました。『サクラ大戦』シリーズでの広井王子の役割がまさにこれ。〈ゲームマスター〉=〈世界観〉の管理者。脚本とかキャラクターデザインとか直接見える役割じゃないんで、これ理解してもらわないと、なにがすごいのか伝えられません。広井の「小説」は陳腐だし、「世界設定」も凡庸といっていい。ただそのありがちな世界観が企画の隅々までぴしっと広がると、「凡庸」が「王道」になるのです。

 

広井王子は、もともとゲーム開発者ではありませんでした。「ビックリマン」に続くロッテ食玩企画「ネクロスの要塞」が、独立したクリエイターとしての初仕事。

wikipediaの説明を見ての通り、ありがちファンタジー設定のごった煮です。「ベタなくらいの世界設定」は、広井王子の作品作りの一貫した特徴となっています。

このネクロスの要塞、商業的に成功したかは甚だ怪しいこんな証言があるのですが、これがガシャポンという競合規格を持つサンライズの目に止まったようです。

80年代のサンライズには高い年齢層の視聴者を志向して作品を作ってしまう傾向があり、『Zガンダム』(85-86)が『ガンダムZZ』(86-87)になってしまうような「リアルロボット路線の限界」からオリジナル企画が行き詰まりを迎えていました。

外注の広井王子に任されたのは、純粋な子供向けを志向した新企画。その番組の名が魔神英雄伝ワタル(88-89)。主人公は小学4年生の戦部ワタル。CV:田中真弓で、「口癖は○○だぜ!」。SDガンダム(いやむしろ騎士ガンダムか?)を思わせる三頭身顔つきロボット龍神丸」に搭乗、毎週敵と倒しながら、RPGのような階層構造の世界を進んでいく。うわー、こてこてだー。もちろん意図的にそうしてるのです。

こだわった点は「敵が最後まで分かっている」と「ゲーム的である」だそうで、敵ボスの名前はドアクダー。“シリーズ構成”として実際の脚本を管理する小山高生(『タイムボカン』シリーズを長年取り仕切ってきた大御所。『ワタル』以降も、90年代のメディアミックス企画で若手脚本家たちの監修・指導を行う。『スレイヤーズアニメ3作のうちTRYの脚本が悪いのは小山が抜けたせいともいわれる)ともども、“子供向け”路線の徹底に尽力したことがうかがえます。

なにしろ、脚本には井上敏樹の名前が。小山さんちゃんと首根っこ押さえといて! ほかの脚本家は、平野靖士(このあと勇者シリーズ第一作・第二作のシリーズ構成)、川崎ヒロユキ勇者シリーズ第五作・第六作のシリーズ構成)など。総監督の井内秀治は今後の『ワタル』のシリーズ展開を仕切ったあと、『ヤマトタケル』(94)でも総監督をやってる。キャラデザ芦田豊雄東映動画で『ガリバーボーイ』(95)の監督。メカデザの中沢数宣は『リューナイト』(94-95)でもメカデザを。

90's前半の子供向けロボットアニメの大半に、『ワタル』シリーズの関係者――いわば“小山・広井学校”卒業生が関わっています。方向性でも『ワタル』の踏襲は多くみられ、それは90年に始まった勇者シリーズもまた例外ではありません。

ワタルの企画自体、アニメ3期(88-89,90-91,97-98)のロングシリーズとなったし、広井王子は『ワタル』1期の次の『グランゾート』(89-90)の企画も任されてます。


アニメの次に広井が関わった企画が、ハドソンのゲーム天外魔境(1:89年,2:92年)。私はプレイしてないので、一般論の部分でだけ語りましょう。

天外魔境』のハードはCD-ROM^2っていうNECのマイナー機で、その特徴は名前の通り、CD-ROM形式のソフト。ROMカセット(→スーファミに対するCD-ROMの長所は多くのデータ(特に音声データ)を入れられること。『天外魔境』シリーズではこの長所が最大限に活かされています。なんと、1では坂本龍一、2では久石譲をゲーム音楽に起用し、また声優によるボイスやムービーまで導入されています。89年の作品で、ですよ。

世界設定はコテコテ和風世界で、マップはアブラハム・オルテリウスの世界地図に描かれた日本――ジパングを模している。主人公たちはその「ジパング」をとてとて歩きながら各地のイベントを進めていく。ここで注目してほしいのが“主人公”、この頃RPGの主人公は名前なし特徴なしが一般的で、名前が決まっていてムービーもあって声つきで喋るなんて当時の常識からは思いっきり外れていましたDQ・FFを例に挙げれば、同時期のDQ3:88年,FF3:90年は主人公どころか味方キャラの名前すら無い)。ゲーム業界外の広井王子の企画だけに、方法論がゲームの範囲を越えています。そして、実際にシナリオをまとめたのは、90'sを代表するゲームデザイナーの一人となる、桝田省治

この『天外魔境』の企画は、CD-ROM^2を買うようなコアゲーマーからは高い評価を受けるものの、ハードのマイナーさゆえにDQ・FFのような万人の知るタイトルにはなりそこね、NECの撤退で三作目がお流れとなり、他ハードから出した関連作もパッとせず――という残念な展開をたどります。

今回の話の主題である『サクラ大戦』で、再び広井王子はマイナー機の救世主となることを期待され、またしてもハードの事情に振り回されることに。



ともあれ。広井王子の作品作りのスタイルは、この『天外魔境』の頃から変わっていないようです。『サクラ大戦』でも踏襲される「和風テイストを多用したベタな世界設定」「最高の人材と資源の惜しみない投入」

サクラ大戦』以降、広井王子がこれといった成功作を生み出せていないのもまた、このスタイルからくる当然の帰結です。エヴァブーム以降のオタク業界ではベタなアプローチより奇才と奇策が持て囃され、作品数の爆発的増大に伴なう粗製乱造傾向は妥協のない人材と資源の投入を不可能としているからです。

最近では、「AKB48」の舞台を成功させるも、スタッフの経験の乏しさと意識の低さにプッツンだとか。(→参照) 大変ですね。


脚本:あかほりさとる

あかほりさとるについては、書くべきことがいっぱいありすぎてどうしようかと長いこと悩んでいたら、その間に『オタク成金』なんつー自伝的なインタビュー本を出してくれました。これをとくめー流に補足していく感じで、『サクラ大戦』にいたるまでの彼の来歴をたどってみます。

前提として。意外に思われるかもしれませんが、あかほりさとる物語論の基礎をしっかり学んでる作家です。『ワタル』の構成として名前が出た小山高生、彼の脚本教室の卒業生。井上敏樹川崎ヒロユキの兄弟弟子です。一流の師匠について、ちゃんとした技術を身につけているので、書き飛ばしても大きな破綻をきたさない。

初仕事は『天空戦記シュラト』(89-90)。ちょうど『ワタル』の広井と同じ企画原案ポジ。当時は80年代伝奇ブームの流れで企画が始まり、あかほりは「大学で密教やってますから!」と立候補、密教インド神話で世界設定を。80年代伝奇の美形ヒーローの流れを汲んでる作品なので、『絶望先生』では藤吉さんがシュラトのやおい本を書いてるなんてネタが出てくる。

ところが、この頃('90年前後)は高年齢層向け地上波アニメの不遇時代。オモチャ出せ、設定わかりやすくしろと横槍が入って展開はグダグダに。資金繰りや工程が厳しかったらしく(スポンサーの露骨な介入も経済状況の悪さの傍証)作画も相当に悲惨なことに。

んで、彼は「設定なんか凝ってもダメだ!」という結論にたどり着く。

次のお仕事が、「タイムボカン」シリーズを思わせる『キャッ党忍伝てやんでえ』(90-91)と、『ワタル』スタイル踏襲の『NG騎士ラムネ&40』(90-91)。この2作見てると、あかほりはほんと「小山高生の弟子」だと思う。あと、あかほりアニメの仕事ってーと、スパロボにも参戦した『テッカマンブレード』(92-93)なんてシリアス路線の大作も。

けれど。あかほりを『オタク成金』の帯にある「1990年代アニメ界でコムロと呼ばれた男(笑)」にしたのは、アニメの脚本より、ライトノベルのお仕事でした。

著作権制度ってのは不思議なもので、会社内で原案出して脚本書いても給料+ちょっとしたボーナスが貰えるだけなのに、小説家漫画家が「原作者」として作品に関わると印税著作権料がどんどん入ってくる。『スレイヤーズ』の神坂一はそれで長者番付に。忘れてる人が多いけど、90年代のラノベブームも規模的には大したもの。ゼロ年代になって、レーベルや刊行点数が増えたわりに市場は大きくなってない。1作あたりに均せば90年代の方がずっと売れてたはず。実は電撃文庫の売上1位はいまだにあかほりなんだそうです。

『シュラト』のノベライズから始まって、スニーカーの『MAZE爆熱時空』、電撃の『爆れつハンター』、富士見の『セイバーマリオネットJ』と、いずれもアニメ化して関連商法も大成功。今やエッセイストとして名を知られる、スニーカーや電撃でのあかほりの同僚、中村うさぎの初期エッセイでは、その金満生活について何度も何度も毒づかれてます。

個々の作品解説まではやりませんが、彼がなぜ90年代前半の勝利者となり、21世紀を待たずして過去の人になったのかはまとめておく必要があるでしょう。


繰り返します。あかほりは『タイムボカン』の小山高生の弟子です。

目立つ修飾を引っ剥ぐといちばん底に残るのは、ベタベタな設定で繰り広げられる冒険活劇&コメディの王道。その基盤の上に、パロネタや、美少女・お色気要素が乗っている。だから、あかほり作品は二つの楽しみ方ができるのです。

低年齢層の読者・視聴者には「お色気要素を含むベタな冒険活劇」として――

経験を積んだオタクには「ネタ満載でニヤニヤできるオタク志向のB級作品」として――

こういうベタとネタの二重構造で、幅広い客層を対象にした商売を行うことができるわけです。

小説なんか読まない客層に取っても、流して読みたいオタクに取っても、あかほりの「あまりに軽い文体」は好都合。

例の『オタク成金』の書評で、あかほりの想定している客層を示す、いい表現がありました。「活字の本といえば、子供の時に『ズッコケ三人組』とか『かいけつゾロリ』しか読んだことがない、というような漫画読みの中高生」

私の認識では、その表現でもまだ甘いっていうか、あかほりの読者の下限は『ズッコケ三人組』や『かいけつゾロリ』を卒業したばかりの小学生まで入るかと。

美少女いっぱいだからオタク向けだろ? という考え方は浅はかです。天下の少年ジャンプにだって、古くは『まじかるタルるートくん』や『地獄先生ぬーべー』、最近では『ToLoveる』と、やたら女の子の服が破れる漫画が常に1〜2作は載っているでしょう。「お色気枠」や「ラブコメ枠」は、少年誌の正当な伝統。古い世代の人に、山田風太郎永井豪菊地秀行についてきくと、「あれはエロかった」って話になります。声を大にして言いましょう。エッチな話はみんな好きなんです。そこを認めず潔癖ぶってエロを低俗扱いするのは、中二病の症状のひとつというべきです。

(ただし、エッチな"だけ"のお話となると、客層は一気に狭まるのですが――)


90年代末、あかほりの没落の原因も、この商法が通用しなくなったことで説明できます。当人は「飽きられた」としか言ってないんですが、容赦なく分析してしまいましょう。

原因その1。あかほりの基本スタイルである「王道冒険活劇」、これが90年代後半の一時期やたら不遇だった。少年誌上に置いて「王道」を貫いてきたジャンプは後退の一途を辿り、98年をもって勇者シリーズが終了する。アニメ業界(とくにオタク向けアニメ)では、エヴァの影響などから、製作者が王道に背を向けブンガク始めちゃう。

原因その2。あかほり作品の舞台となっていた「コテコテな設定の異世界」、これもまた不遇だった。90年代前半〜中頃のファンタジーブームが終息に向かい、学園モノの美少女ゲームや、『ブギーポップは笑わない』に代表される電撃路線の台頭で、「異世界」よりも「この世界と地続きの話」の方が好まれるようになった。実に皮肉な話です。美少女ゲーム的方法論の一般化には、今回紹介する『サクラ大戦』が大きく貢献してます。また、『ブギーポップ』は第4回電撃ゲーム小説大賞受賞作。電撃が予算も手間も掛かる小説賞を4回も行えた(そして第1回の高畑京一郎、第2回の古橋秀之、第3回の川上稔と、メディアミックスに不向きで財政貢献度低そうな実力派ばかり選ぶことができた)のは、あかほりさとる中村うさぎ深沢美潮といった安定した売上が期待できるエンタメ作家がいたから。

原因その3。美少女ゲームによって確立された「萌え」の流れ。あかほり作品における美少女要素ってのは、わりと直接的なお色気ネタなんですが、美少女ゲームの台頭以降、「美少女と過ごす日常」だとか「何気ない好意のあらわれ」だとか、日常性・精神性が重視されるようになるんです。あかほりの書く美少女像は、古くなった。エルフあかほりが組んだ『らいむいろ戦奇譚』、これも笑える話です。エルフあかほりってのは、いわば、葉鍵に駆逐された「90年代前半の美少女観」の双璧なんですから。


そんなこんなで、あかほりさとるという作家の旬は90年代で終わってしまいました。

しかし、あかほり的なものが完全に否定されたかというと、必ずしもそうとはいえません。

たとえば、あかほり企画屋・商売人の部分は赤松健などが踏襲しています(赤松があかほりだとすれば、久米田康治中村うさぎの役でハマリすぎ)

また、「あまりに軽い文体」を採用し、若年読者にはベタに、オタクにはネタとして読まれるというライトノベルのあり方は、ヤマグチノボル阿智太郎おかゆまさきといった電撃文庫やMF文庫Jの一部作家陣に見てとることができます。

あかほり的なスタイルは、別の作家の手によって21世紀的な形にリファインされ、いまだに生き延びているわけです。


今回語る『サクラ大戦』は、96年、あかほりさとるドンペリあおって絶好調、没落など予想もできなかった時期の作品です。

ここで説明した、王道、コテコテ、お色気という「あかほりさとる的な作風」は、『サクラ大戦』にもまた濃密にあらわれています。


次は藤島康介と田中公平。声優話はごめんなさいパスです。


(1) ハードウェア:セガサターン&ドリームキャスト

(2) プロデューサー(ゲームマスター):広井王子 脚本:あかほりさとる

陣 2010/09/04 17:26
 あかほり氏については、『セイバーマリオネット』シリーズなんかが結構気に入ってましたね。

 あの実に生理的に「異常」な世界設定もあって。

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