面白いゲームは定量的に計測できるのか

全国100万の(多すぎ)ゲームクリエイターの夢です。
作っているうちにわかんなくなるんですよね。これって面白いのかどうか。これが測れればどれだけ楽かと。

アプローチとしてはいろいろあって、

  • 生体観測法
  • 観察法
  • 試験紙法
  • 内観法

最後の内観法は「面白かったですか?」と被験者に聞く方法です。もう、明らかに観察者にスキルを要求する無理のある方法です。とはいえ、ゲームは割とそれ以前の人生の文脈に位置づけられる芸術なので、それを遊んだときのプレイヤーの状態にばっちり影響を受けるんですよね。わかりやすいところではそこまでの人生で得た知識とか、表から見えづらいところでは直前の気分まで。
いくらナチュラルな気分で遊べと相手に言ったところで、ねぇ。そりゃ、私はゲームに対して失礼という意識があるので現世の汚れや気分を一度リセットしてからじゃないとプレイできませんが、そんなかしこまった方向に世界が流れている訳ではないのは衆目の一致するとおり。
やっぱり、観察法(プレイ中の動作をいろいろログを取る)か試験紙法かなぁ。


そういえば、ゲームだけではなくたとえば物語芸術に対する研究って無いのかな。映画とか小説とか。絵画や音楽でもいいな。きっと何らかのルールはあると思うし、それを検出する方法もあると思うんだけど。

海外貢献をどの程度考えてるのか

放送大学は大学です。当たり前ですが。
なので、カルチャーセンターのように使うことはできませんし、小学生が見てすぐに役立つことも少ないと思います。
でも、衛星放送経由で日本の放送を見ている大陸系の人たちが(見られるよね?)、どの程度役に立っているのかは判らないですよね。政治的なところとは無関係な、そうだなー、生物学とかそんなところを必死に覚えた日本語で毎週追いかけている台湾の人なんてのを想像するとちょっと楽しくなってきます。
海外の放送大学(Open universityというらしい)とは交流あるらしいんだけど。


今度やる放送大学神奈川キャンパスの学園祭、フェスタ・ヨコハマでフォスタープランのビデオ上映があるという話なので、それにかけて学長に聞いてみようかなぁ。懇親会に来るよね?

  • ToDo

例のOLPC小説の企画書を書く。
……小説かい(^^;)。その上、放送大学出てこないよ、この小説。一応作内の大学は東京大学を想定していました。国立大学は海外の一個人に援助できないかな?