スタンダードナンバー3曲

 スタンダードナンバーと呼ばれる曲の多くは前世紀前半生まれであり、多くの場合、原曲というかオリジナルチューンをリアルタイムで聴いていたよ、という人は既にこの世に存在しない。もっと言えば「このチューンこそが正しい××である」なんてものは存在しない。曲自体があってないようなもの…は言い過ぎかも知れないが、「最早別の曲」みたいな演奏は、ごく普通の話だ。
 気が向いた折に、例によって本文より長い註を書き足していこうと思う。

Frank Sinatra "The Song is You"
https://www.youtube.com/watch?v=ziFF-ZlZ8Ug


Charlie Parker 4 "The Song is You"
https://www.youtube.com/watch?v=qguTzqpgwhE


Julie Andrews "My Favorite Things"
https://www.youtube.com/watch?v=0IagRZBvLtw


John Coltrane 4 "My Favorite Things"
https://www.youtube.com/watch?v=1kPXw6YaCEY


Kaye Ballard "In Other Words"
https://www.youtube.com/watch?v=mcwlGjDNkkw


Julie London "Fly me to the moon"
https://www.youtube.com/watch?v=eQPiV_cauyI


Hampton Hawes 3 "Fly Me To The Moon"
https://www.youtube.com/watch?v=8m9Nkix69b0

著作権切れのアノニマスなメロディから

 より自由なはず(と思ってしまいがちな)のオリジナル曲よりも、むしろ「お約束」のスタンダートが、その人のグルーヴを引き出すのはなぜか? 端折って言えば、それはスタンダードナンバーとは、「詠み人知らず」のアノニマスなメロディにほかならないということ。
 もう一段端折って。「ジャズの10月革命」の中心人物の一人でもあったミルフォード・グレイヴスさんが、9月4日京都でのライヴの際に語り、共演者の土取利行さんが通訳してくれた言葉。
「ビ・バップもフリージャズも同じ一つの流れ、つまりどちらも歌であるということです」

初めて名古屋でジャズを聴く

 名古屋にジャズクラブなんてないだろう。ブルーノートがあるのは知っているが、そういった世界チェーンではない独立系と言うか名古屋コーチン的地ジャズのお店は皆無だろう。若干差別的に、そう思っていた。あるんですよそれが、てんで連れて行ってもらった所、聞けば地元では老舗と呼ばれているらしい。
 自分が入店したのは、1ステージ目の終了間際だった。しかし、、、、やってる曲がジャズじゃない! ゆるゆるとコロナビールなど飲みつつ待つうちに2ステージ目スタート。ん? またジャズじゃない。が土曜日の夜らしい曲だし良しとする。
 2曲目より歌のおねいさん登場。スタンダード大会となる。素朴と言うかとても伸びやかな歌唱に、ほっこりと気持ち良くなってくる。
 で、ポップな日本語の曲が始まったところで、自分の身体の動きが止まった。ミディアムテンポのエイトビートだったから? 間もなくディストリビュートされるプロダクトの一部コンテンツだったから? アドリブパートがなく一期一会の事件性に乏しかったから? 自身の身体性に根差す極めて具体的な体験を、乱暴に四捨五入したような歌詞のせい? 何とでも言えるがそれはそれ。
 再びスタンダードナンバーでアンコールまで心地よいグルーヴが続いてくれた。

ヌイトの天球の儀式

1)
東面して立ち、以下の手順で「光の十字」を形成する。
頭上に白く輝く球体をイメージ。球体の中に手を伸ばし、光の筋を額まで引き下ろして言う。
「神は我が上に」
光の筋を身体の中央のラインに沿って引き下ろし、垂直の柱を形成。生殖器に触れて言う。
「神は我が下に」
右肩に触れて言う。
「神は我が右手に」
身体を横切って光の筋を描き水平の帯を形成。左肩に触れて言う。
「神は我が左手に」
胸の上で両腕を交差させ(右腕を上に)そして言う。
「神は我が内に」
頭上に両腕を伸ばし外側に広げてV字を形成し、そして言う。
「神なし、我あり」
以上の要領で「光の十字」を形成。

2)
東へ進み正面の宙に大きく正位置の五芒星を描く。次に入場者のサインで立ち、両腕を前に伸ばし、左足を少し踏み出す。
両手からの力流が五芒星に伝わるさまをイメージし、言葉を振動させる。
THERION‐セリオン‐」

腕を戻し沈黙のサインを形成(親指を唇に押しあて、両足を揃える)
左に向きを変え、反時計回りに移動し、以上の手順を同様に繰り返しつつ北、西。南の各方位に五芒星を描く。
北にて五芒星を描いた際、次の言葉を振動させる。
「NUIT‐ヌイト‐」

西にて、次の言葉を。
「BABALON‐ババロン‐」

南にて、次の言葉を。
「HADIT‐ハディート‐」

3)
円の中央に戻って再び東面し、両腕を広げて言う。
「我が前に地の力、
 我が後ろに水の力、
 我が右手に火の力、
 我が左手に風の力」
北に両足、南に両手の姿勢をとった女神ヌイトの身体が術者の頭上を覆い、魔法円を星の光で満たすさまを視覚化。次の言葉をもって召喚する。
「我が周りにヌイトの星たちは燃え盛り、
 我が裡にハディートの星が燃え上がる」

4)
「光の十字」形成(最初のパート)を繰り返す。


(Rodney Orphews”ABRAHADABRA”より、C.S.訳 ※ノンブルはC.S.)
 

現代魔女術ワークグループ「ウフィカ」讃


Majo , Now & Here. Jomonian Witchcraft WorkGroup “UPHYCA” rise from Japan.







― 沈黙の音を聴け! 無限の外へ出よ! 知らない歌を歌え!(某セレマイト)








Hang on to yourself.



東洋の魔女「ウフィカ考」みたいなことを書こうと思いつつ10月を迎え、ついでに新月に酩酊。この際、文化史的な考察と存在意義、誕生の必然性などについてはBangi Vanz Abdul氏による論考http://23youbi.seesaa.net/archives/201310-1.htmlを参照いただくとして、僕の方では(自分が女の子でないのをやや残念に思いつつ)単純に賛同の意を表明したいと思う。
自分は、狭義の定義ではウィッチクラフトの実践者ではない。似たようなことはやってるんですがね。それだけに、「ウフィカ」にかこつけて自分が言いたいことを言ってるだけじゃないか、と思われる向きがあるやも知れませんが、そこはまあ何卒。オカルティストは大らかでないとあきません。




【自己参入について】「魔女に頼む」より「魔女になる」を選ぶこと。
ウフィカ(アイヌ語で「燃やす」の意)は、リアル会いの参入儀式を必須とするカブンではなく、自己参入儀式を経たソロ魔女をグループの一員として迎えるワークグループである。メディア環境をはじめとする諸条件が整った今だからこそ、可能になったアイデアだ。しかし自分は、それ以前に、主催者そして「魔女になろう」という当事者一人ひとりの意志と、自然で柔軟な姿勢に着目したい。これは、テイのいい大義名分を捏造した上でやっと動き出せる自分を思うと、相当に羨ましい部分であり、同時に、時代を象徴する必然的な傾向と思えるからだ。
プロの占い師にみてもらうのもいいけど、自分でタロットカードと対話するうち、自分の内側/外側の今まで気づかなかった領域に踏み込んでいた。チャネラーって凄いなと思っていたが、やってみたら自分にもできた…。もちろん、それなりのガイドが必要なことは言うまでもないが、周囲を見渡せば、そこかしこの微妙な領域にDIYの流れを感じることができるだろう。伝統的なカブンや流派の役割を否定するつもりは毛頭ない。ただ、伝統や正統性に対する偏執的なこだわりにはぞっとしないものがある(ここだけの話だが、個人的な経験に照らすと、“正しい”“ちゃんとした”を連発する手合いには、あまり面白くない人が多い気がするし、そのような性癖自体、当人の不安の証左と考えられる)。
書籍の中に見る60〜70年代の“西洋の”魔女たちは、みな性差の問題に敏感であり、露骨にポリティカルな言動をとった人も、そうでない人も、結果的に、合意現実の一部としての「社会的性差」の概念を解体変容させる勢力だった。一方、ウフィカの探求、と言うよりそこへ向う態度は、明らかに次のフェイズへ移行済み。今まさに自分は、日本におけるポスト・ネオペイガニズムの動向を目撃しているという訳。


【過去への想像力】自分が生まれるずーっと前の世界を思うこと。
 逆説的だが、“いまここ”を体感/体現するには、自らが設定あるいは服従する“いまここ”の枠組みから出て、一時的メタナラティブ(事情で“大きな物語”を禁句にしている為カタカナで失敬)を創造する必要がある。早い話、想像力の射程は長くとった方が面白いし、より効果的だということ。ウフィカは、伸びやかに「縄文」まで達する。この点については、併せてもう一つの重要な意義を指摘しておきたい。
残念ながら、キリスト教文化圏で創作された参入儀式が、日本人参入者にもたらす衝撃は、その成り立ち上、ある部分でどうしても、やや“考えビックリ”にならざるを得ない面がある。その意味で、日本発のリージョナル・デザインは待望されて久しいものだった(筈だ)。しかも、それは、決して閉塞指向のデザインではない。メンバー一人ひとりの意識の古層にある「それ」が、ユニバーサルなキーワードである「火」を介して、遠く異なる文化圏の呪術的・宗教的伝統のエッセンスにリンクするのである。トートタロットに馴染んでいる人なら、アテュ(大アルカナ)の20「AEON/永劫」のカードに描かれた「火による刷新」を思い起こされることだろう。あるいは僕の趣味ではそうなるということ。


【未来への想像力】自分が死んだずーっと後の世界を思うこと。
 自分が地上から消えた後の世界に、思いを巡らせること。と言っても、子や孫の代といった近未来の話ではない。人類そのものが、今とはまったく異なる存在様式にまで進化を遂げているかも知れない、リニアな“クロノス時間”で計ろうものなら頭がクラクラするほど遠い先の未来。そこでは、既に“わたし”などという小さな枠組み自体、溶けてなくなっているかも知れない。少なくとも、今と同じ意味ではあり得ないだろう。
 …といったことを、単なる思考実験ではなく、体感を伴う実践として行うデザインとノウハウ。一部好事家だけのナードな秘密領域に押し込めておくのは、いかにももったいない気がするのは自分だけだろうか。
願わくは、皆さんが持てる限りの想像力をブーストし、辿り着いたその先に、純粋な「笑い」のあらんことを(無責任に断言すると、そこで悲しくなったとしたら、たぶん何かが間違っている。んだと思いますよ)。
武運長久を祈る。




Love is not loving.

接点は見出される

 武道、ヨガ、身体を駆使して表現するアート、もちろんMagick・・・中でも、ヨガがメジャーになったことは大きい。そこには、アストラルの領域とフィジカルの接点を見つけるノウハウが確実に含まれるからだ。ノウハウの普及と言うよりも、見つける機会の増加、そして実際に見つける人が続出しているという事実。自分は、そこでわざわざ漢字の「魔術」を強調する必要は感じない*1。祝スターゲイト開通あるいは僕たちのユリーカ! それで充分。

*1:【Thelemafesta3(茨城)】Magickは日本でも当たり前に行われいるが、この夏、Magickをキーとする開かれた交流の場が設けられる。ワークショップや公開儀式はもちろん、BBQも・・・。ともかく、この夏7月14日〜16日の3日間、OTOのNihil Lodge主催で「セレマフェスタ3」が開催されます。昨今のリアル魔術師がどんな人たちか実際に会って話してみるには、このイベントへの参加が手っ取り早いと思われます。外部からの参加、1日だけの参加もOKとのことなので、興味のある方はお気軽にお問い合わせを。→facebookページ https://www.facebook.com/events/311175362304468/ Nihil Lodge, OTO http://www.otojapan.org/nihil/index.php FSRのブログ→http://d.hatena.ne.jp/HierosPhoenix/ 尚、6月24日現在筆者が入手している情報、おおよそのスケジュールは以下の通り:◇7/14(土)ワークショップ×2/BBQ(夜)◇15(日)ワークショップ×2(または3)/グノーシスのミサ(夜)◇16(月)ヨガ/ワークショップ×1〜昼食後解散 以上。 ※【Impressions of Gnostic Mass】http://www.youtube.com/watch?v=yk2ccxPnVKU&feature=results_main&playnext=1&list=PL1D75F4FF8AE9FD85 リンク先の動画はImpressions、イメージです。使用されている素材も、Nihil Lodgeのミサではありません ※JapanFSRのワークショップ"The Star of BABALON, A Mystery of 7 times "は15日午前中の予定です