blog こばくち日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

このブログはフィクションです。実在の人物・団体・競走馬とは一切関係がありません。

2010-05-04(火) もろきゅう

[]マイナス、あるで(笑い)

映画を観にいくついでに外向で馬券を買ってみた。

f:id:Fudiwarai:20100504182200j:image

ホンマは明日の肉感競馬を買いに行っただけなんよ。

そしたら南関重賞をやってるというからなあ。オッズをみると4番人気が10倍ぐらいの4混(最終的には3強)。

そら買うやろ。

携帯でnankankeiba.comをチェックすると、4番人気はどうやら岩手の馬らしい。即消し。

残った3頭でゴーよ。6通りぐらい元の取れない組み合わせもあるけど、まあそこは気にしない。気にしていたら万馬券なんか獲れない(ワイド買えよってこと)。

この間、検討時間5分弱。

結果。

5番人気の14が勝って、2着3着は5、8。当たりよ。配当? そんなもん、お前…(笑い)。1,510円。

せめて6(4着)が絡んでいてくれれば5,600円ぐらいの配当になっとったんやけどなあ。逆に3着にも6が来とったらもっと酷い目に、な。

そのうちプラスになるって。インスタント馬券としては、ようできとると自分でも思う。

[]普段観んようなもんを(ry

そろそろ大型連休恒例になりつつあるこの「普段観んようなもんを観てもうた」。

今日は家で映画館でと2本立て。

まず映画館で、とりあえず観てきましたというのだめ

まあ何というか、ここで終わってよかったねというのが率直な感想。テレビシリーズが一番面白かったな。

原作も無理やり終わらした感が強かったけど、ラストまでの展開が一直線すぎて何だかなあ。

音響のよさを度外視したらDVDでもよかったんちゃうんぐらいの感じ。

他の人らはどうなんかね?

何となく笑いの起きるシーンも少なかったし、シリアスに運ぶには無理のある作品やし。もっと笑いに走ってもええんちゃうんぐらい思ったりする。


家帰ってメシ食いながら録画しておいた「ラウンド・ミッドナイト」を観る。

筋とか設定とかはウィキでもどうぞ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88

こまけぇこたぁいいんだよ。

カレー食いながらノホホンと観ておったのだが、途中で「これは2chステレオで聴くのはもったいない」と思い、さっさとメシは片付けてサークルサラウンドに切り替えて観てたんよ。

いや、反則やなあ。これは。

登場人物がみんなグレートなジャズメンなんやもん。

ピアノをみるとハービー・ハンコックが弾いてるし、ジョン・マクラフリンやらロン・カーター(そういや昨日、ライブを観てきましたよ)やらが脇を固めている。どこのマイルスバンドやねん。

そして、主人公はデクスター・ゴードン

おいおい。

そら演奏シーン、めちゃくちゃ凄いわな。思わず身を乗り出してしまう。

ストーリーとか、どうでもええ。ツッコミ始めたらキリのない展開。でも、これはアレよ。音楽映画としたら、先ののだめとは天と地の差よ。のだめで言うたらセンパイの吹き替え小澤征爾クラス(を若くした)のがやって、ピアノ吹き替えアルゲリッチ(顔は似てるがアンジェラ・アキは不可)がやるようなもんよ。

どうせストーリーなんか無視するんやったら、豪華メンバーによる演奏やわな。そっちの方が見どころ、というか聴きどころがある。

ところで、エンドロールをみていると、さりげなく「ボビー・ハッチャソン」とか書いてあってワロタ。

[]リニューアルしまうま

忙しさに取り紛れてすっかり休眠状態のフヂワライノオトをリニューアルした。

http://fudiwarai.blog82.fc2.com/

投稿へ向けて、「3連複3頭ボックス軸」馬券専用のサイトにしてみたんよ。

重賞以外は、平場でも特別レースでも、多分、先にパンクするやろうからやめとく(笑い)。そっちは今までどおりワイドによるストック式で。長い目で見たらこっちの方が堅実やもんなあ。

ただ、予定どおりに偶然に、どこかのG1とかで炸裂するに違いない(もう遅いという説もあるが)。

[]江藤淳コレクション2 エセー

GW来日前に読み終わっていたのを忘れていた。

なかなか面白かった。ゆえに最近まれにみるスピード読了

江藤淳ルーツを探る、というのか。いいよな、探るだけ価値あるねんもん。元海軍将校とか出てきたりなあ。ウチなんか探ってもせいぜいド百姓しか出てこおへんよ(笑い)。

しかし、自分の、日本の、落ち着くべきところはどこなんよという、今で言うなら「自分探し」ではないけど、位置を定めるのは評論家仕事である。プライヴェートな話であるのに、国家単位歴史から俯瞰して位置を探りつつ、また自らの足も使って細部まで調べる。そうしてはじめて定められるというのか。

何気なしに書いている文章の奥底にはそんな歴史の堆積物が詰まっているんかって。

そういうのを自分の中に取り込んで、うまく消化していって、見直してみたら、確かに最近の流行りの本って薄っぺらいよなあ。物事の表面だけしか見てないし、単に事件が解決したらそれで満足というレベルの話でしかないもん。例えば殺人事件を扱ったとして、犯人の生まれてからの経歴とか人間関係ぐらいまでやもん。その奥底に潜んでいる人間本質であるとか、国や地域の特性であるとか、そういったバックボーンは一切考えられず、あくまで個人主義。悪い意味での個人主義自分が今存在しているのは、今まさに自分の生きてきた過去があったから。それだけ。そうじゃない。自分存在する前に、遥かに連なる親族がいて、彼らの生きてきた環境があって、そこから伝えられてきた家風であるとか、時代の影響を受けた先祖生き方、生きた場所。そういう土台が地下に埋まっている。そこから考えて、じゃあ、その登場人物はどのように行動する? そんなところまで考えて作られてないやろうし、大体、年間に何本も小説大量生産できるということ自体、そんなん考えている余裕なんかありませんという証拠でもあるだろう。

物質大量生産はええよ。世の中のニーズを満たすように供給する。それはもう経済原理にかなったこと。しかし、文化大量生産。これはいかんよ。大量に作れば作るほど、中身のない同じような内容のものばかりであふれる。均一化するようなもんでもなし。いや、むしろ均一化とは反対の方向に向かうべきはずの、向かわなければ意味のないはずのものではないのか。

そんなことを考えたりした。