また今夜も

眠れなさそうです。布団に入ってはみたものの全く眠くない。仕方がないから一応本を手に取る。
あるいは、続きのドラフトを書き進める。
一人寝の寒い夜。慣れ親しんだはずなのに、なれるわけもないこの広い部屋。
ある意味、世の中から完全に隔絶されて、私の願いはかなったのかもしれない。

東大時代の青春を描く 獄中から異例のマンガ連載

ホリエモン
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111126-00000001-mantan-ent

堀江受刑者は長野刑務所に収監されているが、編集担当者とマンガ家の本そういちさんが現地に赴いて打ち合わせし、獄中からのマンガ連載をスタートさせる。

 そんなことができるのか。獄中も悪くない。



獄中記 (岩波現代文庫)

獄中記 (岩波現代文庫)

JR池袋駅の利用者は絶対に行くべき! ホームでしか買えない「ホットドッグ」が激ウマ

http://rocketnews24.com/2011/11/25/156208/

JR池袋駅の3・4番線ホームでしか購入できない、「激ウマすぎる!」とグルメたちが絶賛しているホットドッグの店があるのをご存じだろうか? このお店は『HOT DOG59』という店名で営業しており、支店がないので「JR池袋駅のホームでしか購入できないホットドッグ」として絶大な人気を得ているのだ。

 埼京線のホームだ! 知らなかった。。。



 で、続報。「JR池袋駅の噂のホットドッグ店に行列ができていた! 店員「通常の3倍以上のお客さんです」」(link)

今夜の音楽

Smash (Reis)

Smash (Reis)

 はまっています。3 枚目です。

Greatest Hits

Greatest Hits

 4 枚目。

私はどういうふうになりたいのか、ということについて (1)

 私が望む「幸せ」ってなんだろう。私はどうなりたいのだろう。不惑を過ぎて、今さらそんなことを考えていてどうする、まだわかんないのか、って突っ込まれそうですが、わからないのだから仕方がない、惑い続けている。
 書きながら考えていこう。



 そもそも私は研究がしたかったわけでもないし、サイエンスがしたかったわけでもない。10 台のころに望んでいたのはただ単に、「この田舎を出ていきたい」ということだけでした。田舎の閉塞感が好きになれなかったし、いわゆる「監視されてる感」にも息が詰まった。人づきあいが嫌いだったんですね(今もそうだけど。。。)。だから、「都会」に出て、二人で(もちろん、三人以上でもいいのだけど)ひっそり生活をしたいと願っていた。
 それもあって地元の高校には行かずに隣県の私学に進学したのだ。
 いろいろあって大学院修士課程を 1 年で中退した時、もちろん、製薬会社に就職するつもりもなかった。プログラムを組むのは得意だったから当時住んでいた近くのソフトハウスに就職しようとした。2 社、面接に行った。どちらも従業員 10 名以下の小さな会社だった。なぜここに就職したいと思うのか、としつこく聞かれた。明確な理由などなかった。その業種以外、自分にできることはないと思っていた。当然の流れとして、2 社とも縁がなかった。そうか、となんとなく納得してアルバイト情報誌をめくり、すぐ近くの工場のライン作業員のバイト口を見つけた。面接に行ったら(当然?)即採用だった。嬉しかった。これで生活していける、と。
 しかし、その当時、そう、その時点で、私は「二人」の生活を始めるつもりだったのだが、結果として、実はその時点ではその「相手」はもう私のもとを去っていたのだ。それに私は気づいていなかった。現実を知るのはその半年ほど先のことなのです。

 話を戻します。その頃私は何がしたかったのか。田舎を離れる夢はかなっていた。周囲に、自分のことを知る人は誰もいない。気楽だった。
 だけれども同時に、私は「愛」を求めていた。ないものをねだっていた、と言うに近い。20 何年間、私は一人だった。何と書けばいいのだろう、あいまいに、あるいは、ある意味で露骨に書くならば、私のことを好きだという異性はそれまで一人もいませんでした。いや、その後だってまだしばらくそういう状態は続きました。最終的に、31 年間、だった。
 さて、31 年たって、ようやく私のことを「好き」と言う人が現れた。お互いにそう想う人がようやく現れたのです。

 続く。

今朝読んでいた本

日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)

日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)

 深夜から今朝にかけて眠れずにこの本を読んでいた。奇妙な理屈が書いてあるところもあるけれど、全般的に同意。これくらいの気概で国を愛するべきでしょう。
 例えば、こんな記述。

 では、ホモ・サピエンスが誕生する前はどうだったのだろう。これには二つの考え方があり、ダーウィンの進化論を肯定するか、否定するかに分かれる。進化論自体が人間の起源を説明する一つの学説に過ぎず、学会は肯定論と否定論に分かれ、学問的な決着に至っていない。それどころか、むしろ進化論に対しては根強い批判がある。

 で、否定するなら、人を造ったのは神であり、あるいは、天孫降臨を事実とする。

筆者は個人的に、天孫降臨が事実であるならば、いろいろな物事の辻褄が合うと考えている。

とさえ言う。そりゃあ、ダーウィンの説を「証明」することは不可能でしょうけど。
 こんなことばかり書いてあるとするとこれは完全な「とんでも」本になってしまうわけですが、幸い、そんなことはない。まっとうな愛国書でもある。