浪費と消費

若い哲学の先生:國分功一郎氏のファンです。ここ2年ほど、いろんな新聞や雑誌でお見かけするようになりました。
ファンといっても、ご専門の思想学分野の書き仕事へは、とても素養と思考力が付いていけません・・・。

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学

こちらの本は、万人向けの内容で解りやすく書いてあり、オススメです。書店のフェアに取り上げられるなど、よく読まれているようです。
 
この本のなかに浪費と消費について語られている部分があります。
「浪費」は、人が歴史上ずっとしてきた。必要以上にものを受け取ること。豊かさの条件。満足をもたらす。・・・つまり、「浪費」はどこかで限界になりストップする。
「消費」は、記号化した意味と観念を受け取ること。消費は満足をもたらさないので、限界がなく、止まらない。
 
これは、ポードリヤールという人が定義した内容で。タネ本はこちら。
消費社会の神話と構造 普及版

消費社会の神話と構造 普及版

シニカルな論調がたのしく、意外にもさくさく読みました。
 
上の「浪費」と「消費」の考え方は、いろいろなものへ広げて考えるとおもしろいです。
例えば、食べ物について。
例えば、ファッションについて。装飾が生まれる由来など。
 
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社長がこだわっている、「役に立たない」「ナンセンス」という価値観は、上記の「浪費」に絡んでいるのではないかと、ふと思いました。
役に立つもの・必要なもの。それらから一段上層に浮いたものを供給する。
 
あれ、でも、明和電機ファンになるということは。
浪費なんだろうか?
それとも消費なんだろうか?