大倉 冨美雄 の デザインエッセイ 〜OK Design〜

2018-04-23 消滅か更生か このエントリーを含むブックマーク

一体、どう納得したのか。

我ながら不思議な気持ちだ。

十分、覚悟したはずなのに。

親から引き継いだ家と土地を売却することになり、明日、決済日だというのに、心が揺れている。


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もともと自分の設計した家ではない。昭和初期の古民家である。

でも高校時代に、プランを立て親の了解を得たかどうかも分からずに、大工の協力もあり、やりたい放題の大改修をしたが、結果的に大正解。玄関からの40儖幣紊両紊り框を生かし、増築した8畳の和風洋間を中段に設け、徐々に和室に上がれるようにした。トイレは通路の外側に設け、音が響かないようにし、この通路で自分の勉強部屋を通して家の中が廻れるようにした。アルミサッシがはやり出していたのに、気にいっていた古い複雑な既存木建具を全部生かした。平屋を活かし、拡張した縁側やトイレや通路にトップライトを設けた。「なぎ」という北限の、珍しい樹木の列は一切切らずに逃げた。自分も設置に加担した石畳の前庭に、父親が3つも石灯篭を備えた裏庭がつく。庭が好きでよく整備していた。

和の空間を把握した時代だった。

親もこれでいいと言い、この時から自分の建築設計能力に、関心とある種の自信を持つことになった。

なぜ、ストレートに建築科に進まなかったのか。

周りに情報をくれる人が、誰もいなかった。わずかな情報は建築雑誌。ところが丹下と川添の日本伝統論争などが大きな話題で、これが建築家なら僕なんかとてもできない、と思い込ませた。しかもまちで偶然会った建築家と称するおじさんに、「どう勉強するのですか?」と聞いたら、「数学をやっておけ」だって。5教科8科目の受験コースに居ながら、数1が苦手で、このため東大は無理(もちろんストレートでは)と言われていたことも手伝った。地方高校の理系知識の弱い美術部の部長だったような生徒が東大工学部受験? それは無理でしょ。

もっとも今では周囲を見渡して、自分の才能を大切にして道を探し、勝手に人生を制限してはいけない、と実感するとともに、いかに環境情報や人脈が人生の進路に影響するかを実感している。


横道にそれたが、こうして、出たり入ったり60年も関わった家となると、単純な愛着問題ではない。

この家に住み、アトリエギャラリーにするつもりだったのだ。

なぜ、売却を覚悟したのか。直近にカネが必要だったわけではないのに。しかも小田原品川から新幹線で31分だ。朝夕の静けさは例えようもない。いろいろな小鳥が来てさえずり渡る。

振り返ってみると、経済的な時代観が黒雲のように広がってきたことが大きいということが判る。それに、結果的に10年近くもお婆ちゃんに貸したことも問題だった。最後に家人の問題だ。


こんなこと書いている余裕はないだろう?、というのが背中に掛かる圧力だが、定まらない心情がどうしても書く方に気持ちを揺さぶる。気休めの自己弁護かもしれないが。

社会的な観点からの経済的理由という、もっともな言い分から始める前に、まず言えそうなのが、自分の感性の劣化とでもいうものか。若ければ、あれをこうして、これをああしてと思うだけでやれそうな気がするのだろうが、もう先が無いとなると、感覚や気持ちでは動けなくなる。美しいから、懐かしいからと言って、それをサポートする体力はなくなる。それで結局、維持経費が出るかどうかのカネの問題になっていく。カネは問題ないから気持ちの進む方にせよ、と自分に言い聞かせたところで、感性確保のために現状維持する覚悟になれないのだ。どうしても、今後と、自分の死後のことまで考えると、誰もサポートしてくれない未来が見えてしまう。

ヒトもモノも確実に劣化する。3分で出来たようなことが10分は掛かる。でも手伝いがいても、本当の決断は自分でしか出来ない(我々の職業が持つ、こだわりの面倒くささが関わっている面もあるのだろうが)。家もどんどんボロボロになる。それを維持するのに日常のメンテナンスが欠かせない。おまけに木造の室内は常時、磨いたり、拭いたりしなければ美しさが保てない。美しく保つための庭木の手入れだけで、年間30〜50万円は掛かる。入居したお婆ちゃんとの最初の約束では、庭木はともかくも、家は美しく保ってくれるものと思っていたが違った。

窓ガラスは拭いたことがなく、キッチン・トイレを含めたカウンター類を磨いた様子もなく、障子の張替えもしなかった。虫が出ると殺虫剤を播き散らし、相談もなく猫を飼っていたようで、野良猫の出入りを許していたようだ。捨てなかった買い物の袋や段ボールもあちこちに詰め込まれていた。

この10年余りで見るも無残な古民家になっていたのだ。でもお婆ちゃんを攻め、責任をなすることはできない。彼女は彼女なりに必死に孤独を生きてきたのだろうから。

(お婆ちゃんに貸していたことについては、小田原市の幹部職員との縁があり、当方もNPO法人「日本デザイン協会」のイベント会場として活用するということで、特殊な契約をしていた。でもこの事業が滞るにつれ訪ねにくくなり、近年は連絡すると出なかったり、「明日は病院で、昼間は居ません」などと逃げられていた。事業としては最初の頃、何回かイベントを行っており、どこかの時点でこの成果をまとめておきたいと思っている)。

この家も、こうなってくると感性で美しい家を保存、などという勇気もくじけてくる。



それを決定づけたのが、人口減少による地方の疲弊化と、それに伴う不動産価値の下落。小田原までもか、と思われるだろうが、確実に地方劣化の影響は受けている。

ギャラリー以外にも、観光としての古民家、シェアハウス民泊……みんな考えた。

結論はどれも費用体効果が合わないか、設定条件の読みが浅そうということ。例えば民泊にすれば、自分が管理しない限り管理人任せとなり、いい加減になりそう。付近は静かな住宅地だからイタリア人と限定したって、夜中、出入りしてうるさいかもしれない。火事の心配も尽きない。

深い袋小路だし、環境的にも決定的な「売り」がない。3000万掛けて新築リニューアルする。で、どうするという答えが出なかった(設計して建てるだけでよければ今でもやりたいが)。そこに住むということを考えていたが、現状はまだ東京で駆け回っており(笑)、引退して毎日、絵でも描いているという自分が想定できないのだ。居なくても維持管理費は掛かる。ギャラリーにでもするなら、予約制にしても管理人も必要かもしれない。でも誰が来てくれるのか。一時は市が管理に協力してくれるかもしれないとも思ったが、そんなはずはなかった。

そうこうしているうちにどんどん、時がたって行ったのだ。

つまり老化と劣化は必然に迫ってきた。

家内は当然、「あなたが(全部を)設計したのでもないのに何の価値があるの? 床の間の造りも格がないし、建物の素材も安ものだし…」「売値はどんどん下がるわよ。動けなくなったらどうするの」「別居する気なら別だけど(と言ったように思っているが)(私の住む)この(東京のあなたの造った)家はどうなるの? エレベーターも無いし、階段が上がれなくなったらどうしてくれるの?」というような、どこにでもあるような話題になってくる。至極、客観的で正当な意見だと言うしかない。

息子は平然と、「父さんが死んだら、あの家売るよ」

片付け中に見に来させたが、愛着など全く無いようだった。それは住んだこともないのだから無理もない。もっとも「ギャラリーにする」と言っていた頃には、「自分の家具作品などを、展示というより日常のインテリアとして使ってもらうような展示がいいよ」などと言ってはくれたが。これで継続の可能性無し。

収入に大きな希望が持てなくなった今、自分の反発力や覇気が掻き消されていくような寂しさを、甘受したくなくとも受け入れざるを得なくなる。

ここにあるのは、やっぱりカネと名誉(聞こえはいいが正確には売名力)なのだ。それでも死と永遠には対抗できない。

今になって、心を豊かにしてくれた同胞を失うような気持ちだが、いつかは来る消滅を覚悟しなければならない。

悲しいが、古いもの、過去の想いに囚われては雁字搦めとなり、身動きが出来ない。

平穏を祈って、シンプルな生活を目指そうと願う。
















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2018-04-18 遺言 このエントリーを含むブックマーク

異端の解剖学者だったことが納得できる



ここで言う「遺言」は、養老孟司の近著のことである。

人間や動物を解剖するところから考えを組み立ててきた系譜が徐々に理解できる気がしてきた。

分野が違うので、含めて言う言葉の範囲に幾分ずれが感じられるが、それを越えると大筋、何が言いたいのか判ってきた。それは僕が言いたいことと至近の距離にあるように思える。

武蔵野美大の森山明子さん(教授)が、過日のトーク・イベントで語ってくれたことの中に、養老孟司の出版物について何冊か紹介していたが、読んでないものが多い。もちろん、ミリオンセラーだった「バカの壁」は知っている。

養老は自分のことを、学者としては落第だったと言っている(自分でそう思い込んでいる、ということのようだ)が、当今の、学者として認められるための社会構造そのものに異論を突きつけるところに遺言発言のエネルギーを感じているようだ。

どういうことかと言うと、「意識」への過剰な信頼が現代人を創っているということ。人間の「意識」の形成とそれへの帰依については、虫から、犬からチンパンジーまで出して比較し、論じている。

その視点からは、太古の昔から現代にまで及ぶ人間史が感じられ、財務官僚の辞任や安倍内閣の退陣問題など、どうでもよくなってしまう。

(この記事に関わる内容は、去る3月25日の当ブログ、「現代人特有の憂愁か」に繋がるところがあり、そちらに戻っても記述している)






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2018-04-14 驚きの連続—−行政対応の妙な速さ このエントリーを含むブックマーク

未接続の環状4号線計画動き出す   ●4/18 追記


今日、「(港区白金台2、3丁目まちづくり協議会」が発足。東京建築士会の澤田初穂さんからの招待連絡で急遽出席した。彼は理事に選任された。

ポイントは環状4号線建設計画がどんどん動き始めており、それへの対応が急務で設立されたようなもの。具体的にはJR 品川新駅を越えて目黒通りとぶつかるところまでの計画で、その先は俗称プラチナ通りに流れ込む。

でも、参加者60人いても皆さん、おとなしい。実感がないのかも。不動産価値の上昇を期待している人もいるだろう。でも、出来てしまってびっくり、というほどの変わりようだろう。

幅員25mの4車線道路の計画が3月30日に決定したという。

後追い報告である。これまで「勉強会」という私設組織で対応してきたこともあるのだろうが、「どうなりますか」という、お伺い口調でしか対応していない。

コンサルタントが3人出席していたが、区から紹介されていて、一回の会議出席で2.5万円の謝礼だという。会場からの問い詰めに、「我々は区のために働いているのでなく、皆さん区民に情報提供し、意見をまとめるために尽力している」と説明していた。

●日本のハブ空港や、ハブ港湾は、今や決定的に遅れを取っているのは明らかで、この「劣情」が国やゼネコンを動かしていることは十分感じられる。


何が地域の居住者にとって問題なのか。この地域に住んでいないと判らないことだが、ここは都心に残されたわずかな自然の宝庫なのだ。

例えば下の写真の場所が、あっという間に25m幅の幹線道路になってしまう。品川ふ頭方面からダイレクトに繋がれるので、猛烈な交通ラッシュとなろう。なんと左側は幼稚園で右側は区の公園だ。午後など子供たちであふれている。左の奥にある巨木は明治のものらしい。

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(下の写真)ここは江戸時代から武蔵野の水源を引いてきて水車などもあった水路の遺構が見える場所である。ここもあっという間だ。どちらも近自著「クリエイティブ・アーツ・コア」でも紹介している。

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周辺からの希望を聞いて、澤田さんは地下道を、そしてせめては2車線だけでも、と提案してきたが都の反応は鈍いものらしい。

これは「資産価値」なのだ。何を焦っているのか。

意のある方はご協力ください。

意見メール送信先:hiro44akimoto@gmail.com

(108-0071 港区白金台3-9-9  「白金台2・3丁目街づくり協議会」事務局 秋元宏 宛)








8478 17:35

2018-04-07 こんなもの見ちゃうとね このエントリーを含むブックマーク

引き続き実家の処理


あー、困った!

今、親の実家の売却をしていると書いたが(*)、まさしくその火中にある。(*3月25日付:「現代特有の憂愁か」。1月25日付:「人生のある節目に立ち会った」もご参照を)

片付けても片付けても家財の整理が終わらない。立ち退き日が迫っている。

親に対しては長男として、自分の私生活については個人として、自分でしか出来ない片付けがあるということは今回、つくづく思い「絞め」られた。それが膨大なのだ。

想い出しても父親とのコミュニケーションは非常に少なかった。その分、残された日記、写真記録、思い出の品にそれぞれコメントが付けられ、息子、子孫が読んでくれて引き継いでくれるように、などと書いてあると、一時的にしろ,片付けがストップしてしまう。

これも書いたように、歴史が変わりモノを残しておけばいいという時代ではなくなりつつある。親にはまことに申し訳ないが、深めた交友を示す多くの写真も代が変われば何の感動も呼ばない。親父の観光写真や、会社の記念写真などいくら見てもどうしようもない。自分が見てこうなのだから、息子の代ではもっと無関心だろう。

今、振り返り、写真などを見ていると、親の気持ちは判る。そしてそれを乗り越えた、と自分に言い聞かせてみても、それでどうなる? 自分にしかわからず、他の誰が人の父親の想い出を語ろうとか、知りたいと言うのだろう?

何せ20冊を越える写真集の保存する余裕がない。かと言ってデジタルデータ化に時間と経費を掛けたところで、後で見ることがあるのだろうか。


理由の一つである自分のことでも、大学に入学して東京に住むようになる前までと、ミラノに行く前、帰ってきてから結婚後の何年か、自宅を建てて引越しをした時、というように、大きく見ても人生で4回以上は転機があったにも関わらず、その度ごとに自分の荷物を整理せず、いくらか余裕のあった実家に持ち込んでパックのまま、しゃあしゃあとしていたことが大きい。それがもう一つの片付けの邪魔だ。

だから、思いもよらないことが起こる。

例えば、集めた写真をいい加減に詰めたボックスからパラッと出てきた一枚が下のものだ。

忘れていた画像と、忘れられないあの時期 !

この写真はミラノに住み始めた年だったか、イタリア語講座に通っていた時のもの(1972年)。左の気取って見える自分の隣が先生。名前は忘れたが、お母さんのような表情(典型的なイタリアン・ママとしての)は今でも覚えている。当時、この教室のオリエンタルは1人だけだった。今なら中国人でいっぱいかも。

こんなものを見てしまうと、もうどんどん時間が過ぎていく。 そし て、これが捨てられない。


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こちらは一緒に出てきたもの。ローマのサン・ピエトロ広場で。同じ頃か。写真は汚れている。


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(記録はどちらもiPadによるメモ撮りの為、ゆがみ、印画紙の反射、ブレがある)






明日10日(火)はこの実家(小田原)に行き、最後の一泊をする。

父親が残した写真集はいくらかはデジタル・データとして撮影するが、大部分は破棄せざるを得ない。膨大な日記などの読みにくい文章の記録も残すにしても、ある程度は飾り人形などと共に「お焚上げ」を願って、神社に届けるしかなさそうだ。











327768 23/20

2018-03-25 現代特有の憂愁か このエントリーを含むブックマーク

デザインの解体に想う      ●4/13 追記

●●4/19 追記    ●●●4/22 追記




共通の価値認識の喪失と自己認知への異常な要求



何やら小難しい言い出しで恥ずかしいが、最近思っていることの底流は、敢えて言うならこんな言葉になりそうだ。そしてそれはデザイン-アートの根本問題への言及となる。


過日、家内の実家の片付けのことを書いたが、今度は自分の実家の片付けが進んでいる。これが一段と難しい。そこで自覚された主要な問題意識が、「共通の価値認識の喪失」ということ。

一方、「自己認知への異常な要求」とは、主にネット社会になっての問題だが、いわゆるインフルエンザー(影響力のある人)をどう考えるかということだ。

そして両方は、現代特有な人間心理で繋がっていると思えることだ。

その根底にあるのは言いようのない孤独であり寂しさである。


デザインは、皆んなで汗をかき、共通の目標に向かって努力することに何の疑問もない時代に大枠がまとめられた概念だと言えよう。

それが今、大きく揺らいでいるのだ。

●面白いのは、僕が日本を出る前までに続いていた高度成長期が陰りを見せ始め、それへの危惧や反省が10年後の帰国後(1980年:昭和55)に噴出していて、今見ても興味深いいろいろの本(つまり考えや提案)が出ていたことだ。

今こうして親の家に放り込まれていた自分が集めた本などを整理していると、1993年(平成5)のバブル崩壊から数えて20年後の2013年(平成25) までとも言われる「何もしなかった日本の20年」を越えて、あの80年代は丁度今に問題を抱えたまま繋がているように思えてきたのだ。

80年代に出されていた考えは、まさにバブル期を越えて持ちこたえた「共通の価値認識の喪失」による危機感や、そこからの対応策の提案だった。どういうことかというと、自分を捨て、経済成長一本のために一致して人生を賭ける、という価値観の行き詰まりに、新しい代案が示せないまま時が過ぎていく苛立ちを表わしていたり、そこからの日本人の本質を問うものの、具体的な社会システムの提案にまでは至らない状態を表わしていたということだ。

それが今も問われているのだ。

●●●丁度、ここにきて、ネット社会の到来により、松下幸之助が説いた「水道哲学(モノがあふれ、どこからでも欲しいだけ出てくるのが求める幸せの世界)」に代表されてきたようなモノの時代がとっくに消え、欲しいものが「幸せ」という抽象的なものと「カネ」という具体的なものだけに置き換わってしまい、それが情報で振り回される時代になった。、求める幸せレベルが上がった結果、モノがあっても幸せにはなれず、幸せはむしろカネで買える。より楽しいこと、自己満足の度合いの多くはカネが解決する時代になってしまった。社会システムの整備が追い付かぬまま、そのカネはどんなに働いても格差の解消にならず、真面目な貧乏人はますます貧しくなる。こうしてまっすます自分を見失う体制になっていく。

若者はますます目の前の幸せにしがみついていくように見える。


「自己認知への異常な要求」については、ネット異存による思い込みと、その底にある不安につながっている。ちょうど養老孟司が次のように言っている。

●●「ヒトは必ず死ぬ。それに気づいたヒトの意識は、それに反抗して、死なないものを創りたいのかもしれない。

コンピュータの中に現在の自分の記憶を含めた機能をすべて埋め込む。そうすれば、そこに自分が引っ越して、永久に生きることができる」(「遺言」新潮新書142p)

この言葉の中に、ここで(このブログ記事で)言いたい全体を包括する話題が入っているように思える。それを引き出すのがこれからの作業だ。

この文章の後には「でもその「私」とは、そもそもなにものか。・・・」と続く。

(さらに後述する)









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