2016年11月01日のツイート

コップの水が溢れたら

ここ3年間、評価が下がりっぱなしなので、斜に構えて上司の話を拝聴した。


上司「評価というのは、一つ一つの積み重ね。総合的な結果なんだ」
私「そうですか」
上司「例えば、空のコップがあるとする。そこから水が溢れてきたら+評価だ。
   お前の手元にはわずかな水しかない。さあ、どうする?」
私「小便を入れますね」


上司の切れたのは、本当に愉快なことであった。
何が『仏』のような上司だ。
単なる『餓鬼』ではないか。


伊丹十三監督の代表作『マルサの女』に登場する『コップの水の話』を援用したのだろうが
かの例えが秀逸なのは、金と水をリンクさせるような演技、そして解釈の余地があったからに他ならない。
熟慮に熟慮を重ね、工夫に工夫を重ね、そしてようやく仕上がった『コップの水の話』なのである。


その場の思いつきの例え話ほど、滑稽で醜悪なものはない。
しかも根拠付けに有名な例を持ち出すなど、持っての他。
それこそ、「私は馬鹿でございます」と自らを呼称しているに他ならない。


こんな人間がマネジメント職というのは、世の中とは複雑なものである。