2012-05-24

サン・ラーは幼少の頃の名前、親が付けた名前を「ハーマン・プール・ブラント」といった。その後、1952年にイリノイ州で正式に「Le Sonny'r Ra」に改めた。サン・ラーとは実務的な略式名であり、サン・ラーは「サン・ラーは人でなく事業名だ」とも言っている。ジェイムス・フレイザー卿の金枝篇には「なぜならラーには沢山の名前があったが、神と人間に関わる全ての力を彼に与えたその偉大な名前は彼以外の誰にも知られていなかった」との一説があるという。ジョン・F・スウェッド著の「サン・ラー伝」には、サン・ラーの言葉遊びや言い換え詞の吟味への関心執着や、アフリカ系アメリカ人の儀式的改名について丁寧な考察が加えられている。サン・ラー自身の言葉としては、改名についての質問に、「まず人には他人から与えられる常用の名前がある。しかし人には自分がしたいこと自分がやっていることを表す名前が必要だ」と答えている。サン・ラーと命名の問題は彼の「アーケストラ」が持つ沢山の名前においても同様であろう。
《わたしには沢山の名前がある。私をミスター・ラーと呼ぶ人もいれば、ミスター・リーと呼ぶ人もいるし、ミスター・ミステリーと呼ぶ人もいる......》
彼の名前の起源は神秘的であるし、その説明は不可解だったりこじつけめいていたり奇異に思えるかもしれない。しかし、彼はSun ra以外ではありえない生き方をしたし、私たちは最早彼のことをSun ra以外の何者としても想像できない。Sun raの名前の由来とその意味を吟味することは、彼の残した演奏群を聴き、或は、太陽を見上げてサン・ラーを思うのと同様に、気楽で果てしない営みである。
2012-05-23 ジョン・ギルモアとサン・ラー

サン・ラーアーケストラの大番頭ジョン・ギルモアは、素晴らしいドキュメンタリー映画『ジョイフルノイズ』の中で、「全米屈指のサックス奏者のあなたが、なぜこんなにも長年の間、サン・ラーととともに活動をしているのか?」と問われて、次のように語っている。
「より高い次元の音楽を僕に教えてくれたからだよ。 チャーリー・パーカーやセロニアス・モンクも偉大だけれど、彼ら以上の人間がいるとは思わなかったよ!
「彼と会ってから、まず半年ほど彼とやってみた。クラリネットをやっていたから楽譜は難なく読めたが、彼の曲は読めても理解できない曲だった。
「何も理解できないまま半年が過ぎ
「ある晩、急に聴こえたんだ!
「それは、半年間、毎晩練習していた“サターン”の演奏中だった
「はっきり音が聞こえたんだ
「“なんてこった!モンクの上をいってるぞ”と思ったね
「モンクやミンガスを超える曲を書くなんてありえない
「でも彼は書けた
「だから僕は一緒にやってみようと思ったんだ」
僕自身、ある晩、イヤーフォンをして「パーフェクトマン」を聴いていたときに、ふいに“わかった”という経験からサン・ラにのめり込み始めた(それ以前は、よくわからなかった)ので、ギルモアの証言に、確かにそうだった! と、膝を打ったのです。
ここで言及される“サターン”はこれ↓
2012-05-15 あと6日

金環日食まで、あと6日。
http://tenki.jpでは毎日、21日の午前中の天気予報を発表しているとか。今日(15日)発表の東京付近予想天気は「晴れ」!
2012-05-07

2012-04-03 書かない

『書かない』
作詞/しけたべまや
作曲/G76
狂ったように
さんざめく
花びら 舞っている
嵐のような 風
間違いみたいな
砂吹雪
誰かと誰か 好きになったりなられたり
愛と自分をかっこよく叫ぶ うた
興味ない
糾弾しても
守ろうとしても
積極は自分を反省しているような
弱いうたしか 書かない
世界は愛と憎悪
ちぎれた薔薇はどっち?
宇宙に漂う 音は
きっと均一で
無音に聴こえる 爆発音
だからどうだ
制御できないものほど面白い
目的のないもの
意思と反した落ち込みを
みつめたい
弱いうたしか 書かない
ただ散っていくような
桜の
軌跡みたいな
制御できないものほど面白い
桜を見ているおれがいて
弱いうたしか 信じない
弱いうたしか 書かない
以上。
毎年書いている、桜をテーマにした詩の、今年パージョン。
市販の桜ソングに対して。
2012-04-02

先日出かけたのは、「五代目小さんを偲ぶ落語会」。
弟子の柳家さん喬、孫の柳家花緑、六代目柳家小さんの三人会だった。
演目は、
六代目は、「ちりとてちん」。
さん喬は、「幾代餅」。
それぞれ、五代目の得意のネタ。それをリスペクトをこめて演るという趣向の会だった。
花緑の「高砂や」は、祖父ゆずりの顔芸もふくめながら、安定して演じていた。ただ、若いなりにガチャガチャして、まとまりがなかった気もしたが、実力があるところは存分に感じた。
さん喬の「幾代餅」はさすが。
最初の身分違いの花魁に恋をする部分は爆笑を招き、後半、しっとりと聴かせる演じ方。
江戸時代に絶対的にあった身分不相応を扱った噺はこれ以外にもあるのだが、さん喬はとりたててそこを強調して演じ、ドラマを作り出す。
押し付けがましくなくも、そっとストーリーに寄り添った演り方で、好感がもてるのだった。
(したけべまや)






