Hatena::ブログ(Diary)

銀色の道 / Queering Asia このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2012-01-24 ブログはじめました このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

2012-01-22 束の間の休息 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

f:id:GENYA:20120120185159j:image:w450


 インドとベトナム、約二週間の旅から帰国しました。関空から大阪駅までの道中、バスの中で更新しています


 やっとかえってきた。長かった。充実していたし忘れられない旅になったけれど、さすがに疲れた。インドとベトナムをいっしょに行くなんてあまりにタフすぎる旅程なのだ。って予定を組んだのは僕じしんなんだけども。

 …そして、ちょうど二週間後には北京ゆきの飛行機に乗っているところだろうか。息つく間もなく、今度は二年か三年か、すべてが僕の目標どおりにいけば計三年の北京留学になる予定だ。日本を離れる期間としてはマレーシア勤務時代よりも長くなるかもしれない。

 インドとベトナムという混沌とした世界から帰還を遂げたいまも、それでも僕の胸は傷んだままだ。こんな状態ではたして、と思ったりもするけれど、前に進むしかない。もっとつよくなって、タフになって、いつか日本に帰ってくるのだ。


 きょうは、ひとまず束の間の休息。飛行機では一睡もできなかったからゆっくり眠れるといいな。

 おやすみなさい。

美明美明 2012/01/24 16:25 お帰りなさい。
もう疲れは取れました?

ここしばらくの間、人の言葉に惑わされることが多くて、度々落ち込んでいたんですが、それを夫に愚痴ったところ、とどめを刺されてしまいました。
夫は、私の気持ちをわかってくれていると思っていただけにとてもショックでした。
久しぶりに大泣きしたら、慌ててフォローしていましたが、夫の言動で、やっぱり私のやってることって自己満足で無駄な事なのかな?と、本当に悲しくなってしまって。
ちょうどその時にげんやさんのインドでの更新を読んで、少し気分が浮上しました。
先の事をもう少し考えながら、私もがんばろうと改めて思えたので、良かったです。
でも、もう夫に愚痴るのだけはやめようと思いました...

げんやさんの後悔が、どういう行動についてなのかはわかりませんが、しなければよかったと自分の行動を悔やむより、人を傷つけたという痛みを忘れないということが、相手に対する何よりの謝罪になるのかな、と思います。
私にも、死んでくれればいいのにと心の底から思うほど憎んだ相手がいますが、もしその相手が私を傷つけたことに対して、げんやさんのように心を痛めてくれていたとしたら、当時の私も相手のことを少しは許せたような気がするし...自分の傷も、もう少し浅かったような気がします。
全く的を外していたら、ごめんなさい。
でも、傷は癒えるものだと思います。
人それぞれかかる時間は違うと思いますが...

IEからだと、コメントが書き込めませんでした。
なんででしょう??

GENYAGENYA 2012/01/24 22:12 ただいま!
帰国してから日が経つに連れて疲れが増しているような気がしたりしなかったり…。

そっか。たしかに恋人のように近しいひとほどわかってくれないと感じたときのきつさって、そうあるものじゃないですよね。これもどういう種類のものかわからないので何とも言えないですが、それでも僕のインド日記がちょっとでも助けになってよかったです。このブログはずっと放置してきたのでもはや誰が読んでくださたているかわからないこともあり、なおさらうれしいです。ありがとうございます。

そうですね。僕の後悔は美明さんがおっしゃるものに近いのかもしれません。僕はアホな人間だから、もし人生をやり直せるとしてもおなじことを選んでしまうのかもしれない。いまは、ほんとうに自信がもてないんです。でもじぶんでも信じられないくらいひどいことをしてしまったんだということだけはきっと忘れられないだろうし、忘れたくないと思います。

コメントありがとうございました。

でもIEからは無理でしたか?なんでかなあ…。そんな設定はしていないからはてなブログの問題だと思うんですけれど。はっきりお答えできなくてごめんなさい!
またよければ試してみてください〜(ありがとう!

2012-01-20 愛憎は表裏一体だから このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

f:id:GENYA:20120118174200j:image:w500


 インド最終日は、地図を片手に地下鉄に乗ってデリーの街をさんざん歩きまわった。

 オールドデリーOld Delhiと呼ばれる、低所得者が暮らす区画を歩いたり地下鉄に乗車していると、あきらかに外国人とわかる姿をしているひとが僕のほかにはいないから目立つのなんのって。鞄を前に抱きながら「デリーに住んでますけど何か?」というそぶりをみせて何食わぬ顔をしていたけれど、それでもまわりからみればぎこちなかっただろうなと思う。


 今回の二週間におよぶ旅路はベトナムとインドの二カ所だった。

 ベトナムには去る11月にハノイを訪れ、二度と行かなくてもいいやと思っていた。

 インドは、それまでのインド人との嫌な経験ばかりが思い出されて、死ぬまでに一度も行くまいと考えていた。

 それでも、それくらいつよく憎しみを抱くということは関心が深いことの合わせ鏡だと思ったから行ってみることに決めたのだった。


 行ってみて、よかったと思う。

 月に一度はホーチミンに行きたい!と思うくらい好きにはなれなかったけれど、今度は愛するひとといっしょに来てもいいな、と思う程度には愛が芽生えた。

 インドにかんしては、僕の想像力が太平洋に浮かぶ蟻ん子くらいちっぽけなことを思い知らされるくらい懐の広い国であることがわかった。つぎは一ヶ月くらい行ければいいと思う。


 そして、これまで興味があまり持てなかったインド史やヒンドゥー教についてもっと知りたいと思うようになった。帰国したら、それぞれについてAmazonで購入した本が5冊ばかり届いているはずだからさっそく知識を貯えていくつもりだ。こうやって知識や見聞が広がっていくのはとてもいいことだ。からだの内がわから知識を欲するような感覚。わるくない。


 さて、ホーチミンでの最後の二日はプールサイドでゆっくり過ごそうかしら?

2012-01-18 アユールヴェーダ筆下ろし このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

f:id:GENYA:20120118162349j:image:w400


 インドにいったらやってみたかったことのひとつとして、アユールヴェーダがあったのでやってきました。以下、筆下ろし体験記です。

 せっかく本場にきたのだから、ということで、五つ星ホテルでやってもらうことにしたのです。アユールヴェーダ。マッサージ


 まず受付を済ませたら、更衣室に連れていかれました。そこにはあらゆる世話をしてくれるインド男子がひとりいて、タオルをもってきたりハンガーを貸してくれたりいろいろ手伝ってくれるのです。そこで衣類を脱いだら、渡されたパンティを穿きました。あの高級スパなんかに置かれている、すけそうに薄っぺらいパンティです。穿くと股間のあたりがすうすうするやつ。

 パンティいっちょうになった裸の上からバスローブ羽織ると、個室に連れていかれて説法を受けました。「アユールヴェーダのまえには瞑想をして精神をやわらげる必要があるんです」と言われて、瞑想を約15分。


 瞑想を終えたら部屋を移ります。完全個室の、超豪華、というか洗練されたエキゾティックな広い部屋。そこには僕と同い年くらいと思われるインド男子が僕を待ち受けていました。驚くべきことに、彼はとてもハンサムでした。もちろんインドにもハンサムな男の子はたくさんいるんです。けれど見ているだけで胸が脈打つような、つまり僕がぐっとくるような美形のインド人は初体験でした。ときめきながらも、いやな予感です。

 ちらちらと彼の顔をみあげてはそわそわしはじめた僕に「お客さまいかがなさいましたか?」と、彼は訛りのつよい英語で、しかし上品に聞いてきます。「大丈夫。アユールヴェーダがはじめてだから緊張してるだけ。気にしないで」と僕。

 それで彼は、僕が上から羽織っていたバスローブを、まるで英国紳士処女の服を脱がせるような繊細な手つきで脱がしてくれ、パンティ一枚になった僕の足をそおっと撫でるようにぬるま湯で洗いはじめました。ますますいやな予感がする僕です。

 「さあ、お客さまこちらへ」と言われてベッドのうえにうつ伏せになろうとする僕に「仰向けでございます」と彼。ヤバいです。なんてったってこんなエキゾティックな個室に超美形のインド男子とパンティ一枚で仰向けに横たわろうとしている僕ですからね。

 「は、はい」と、どんな高級レストランにひとりでいてもたじろぐことのない僕ですが、このときばかりは声が上ずったりして挙動不審なようすをあからさまにしてしまいます。

 とにかく落ち着け、落ち着くんだと言い聞かせながら上向けに横たわると(しつこいけれどパンティ一枚)、「それでは始めさせていただきます」と言う彼の、ひんやり冷たい指先が温かみを含んだねっとりした油をともなって僕のからだを足先から首までたんねんに撫ではじめるのです。「大丈夫。これはただのアユールヴェーダなんだから」と、僕はぼくに言い聞かせます。

 ところが、彼の指先が僕の左半身のくるぶしから胸の上部まで勢いよく流れはじめると、困ったことに、左に向いて横たわっている僕の陰部っていうか性器にその指がささあっと当たりはじめたのです。「大丈夫。これはただのアユールヴェーだなんだ。マッサージの一環で彼の手がたまたま当たっているだけなんだ。気にするな」

 けれども彼の指先が僕の全身を上下するたび、何度もなんども当たってしまいます。気がついたら僕の性器はいささか元気になりはじめているではないですか。

 焦った僕が「なにかとてつもなく萎えるようなことを考えなきゃ。そうだ、西安@中国の新幹線の駅にあった世界もっとも汚ない(と思われる)便所を思い出すんだ」とか頭のなかで考えているうちに、けれど僕の半勃起は僕の意思を超越して完全に独立した存在になってしまったように萎えてはくれません。そして、指先がくるぶしから胸にいたるまでのあいだにいささか固い突起物にあたることをさすがの彼も訝しく思ったのかどうか知りませんが、とにかくそれいらい、彼の指はあからさまに僕の股間のあたりを避けるようになったのです。


 やれやれ。いったい僕はなんだってインドの五つ星ホテルでアユールヴェーダをやりながら勃起しているんだろう? 童貞でもなければ19歳でもなく、もう29歳なのだ。

 そんなことを考えているあいだに、ちょー美形男子による指先のすてきなレッスンは終わりを迎え、僕の広い額を集中的に狙った油攻めが始まり、「お客さま終わりましたでございます」と声をかけられるころにはすっかり眠りの底に落ちていた僕だったのでした。

2012-01-17 29歳、インドで考えたこと このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

f:id:GENYA:20120117141542j:image


 インド三日目。

 朝4時半起床。ホテルスタッフに事前に頼んでおいた朝食弁当をロビーで受け取りタクシーでニューデリー駅へ向かう。5時半着。

 ひとごみをかき分け、行列をすっ飛ばして6時15分発の特急列車に乗る。タージマハルのあるアグラ駅まではいちにち一本しかないという。

 8時40分アグラ駅到着。次からつぎへと湧いてくる呼び込みをすべて無視してタクシーへ。アグラ城の壮大な建築と繊細な意匠に心打たれたのち、タージマハルで感極まった。


 ひとりで旅をすることの良さはじぶんと向き合う時間たっぷりあることだ。

 ホーチミンを旅しているあいだ、あるいはインドにきてからもなお大きな後悔が頭から消えることはなかった。どうしてあんなひどいことをしてしまったんだろう。もっとつのうまいやりようがあったんじゃないか。昨年末からずっと悩みつづけてきたことから、日本を出れば解放されるんじゃないかという期待も少しばかりあったけれど、じぶんと対話をする時間が増えれば増えるほど底の見えない後悔はむしろ深まるばかりだった。

 けれどもホーチミンでいくつかの出会いがあり、インドで脳髄を揺さぶられるような体験を重ねていくうちに、後悔は僕の心を巣食ったまま消えてはくれないけれど、それとはべつに、今後どうやって生きていくべきかという目標課題をいくらかは具体的な道のりに落とし込んで考えられるようになった。つまり五十代に至るまでのキャリアアップ(というか、どういう仕事に取り組んで生計を立てていくか)について、ようやく道筋を立てて想像することができるようになったのだ。


 前職を退職し、日本に帰国してから半年が経った。そのあいだにいくつか金にならない仕事をやったりした。台湾やタイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、インドに旅に出たりした。人生を変えるような出会いがあった。

 熟考を重ねた結果、僕にはひとつの会社で勤め上げるライフスタイルがあわないことがわかった。二十代前半の頃からなんとなく予想はついていたけれどようやく確信をもつに至った。

 三十代のあいだは、前半の1、2年を中国で過ごしたのち(そのあいだは勉学と体力の充実に専念する)、十年くらいかけてやり遂げてみたいと思う仕事がみつかった。具体的には書かないけれど、よく考えてみればそれは十代の頃から興味をもっていたことに直結するような仕事だった。

 四十代になれば、3〜5年くらいの時間軸で中国や日本などいくつかの国で働いてみたい。これについても具体的な仕事像が浮かんでいる。

 そして五十代のあいだに早期定年を選択して、金にならない活動(たとえばNPO)に従事する。

 わるくない。とてもわるくない。


 けれど、そういう人生設計が(多くのひとが選ぶという意味で)一般的な道筋から外れることはたしかである。(すでに逸れちゃってるけれど…) だから具体的なイメージをひとつずつ実現してゆくことは想像いじょうにたいへんなんだろうと思う。じっさいに父親なんかからは「29にもなってふらふらして」とか「結婚もしないで」とか言われるようになってきたし。

 でもね、僕は僕の道をゆけばいいと思うんだ。周囲のひとにはかんたんには理解してもらえないかもしれないけれど、思うように生きて、きちんと足跡をのこしながらやっていく。じぶんで道をつくっていく。うまくいくかわからないけれど、そうやって生きてみる。できるところまでやってみる。

 二十代最後一年は、だから、これまでたどってきた道のりを足跡として具体的に見えるかたちに記録すること、過去をふり返りながらじぶんと対話をつづけること、そこから将来の展望を見つめていくこと。これらを課題とすることに決めた。

 Starting from here.


 *

 そして28歳のおわりにのこしてきた後悔を、ていねいに、僕なりに消化すること。あるいはこれがもっともむずかしいかもしれない。けれどこれと向き合わないことには僕の人生はまえには進まない。

 **

 29歳、タージマハルで考えたこと。