物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2015-04-26

逆ハーレム・乙女ゲームの悪役に転生してしまったという物語類型の終着点はどこにあるのか?

ジュディハピ!〈3〉


ふと気になって、検索したんだけど、あれ『ジュデイハピ!』の人、新刊出てるんだねー。これ、もうウェブの方は掲載していないんだっけか。凄い読み直したかったんだけど。。。


けどなぁ、僕は数が読みたいと思う人なんで、読んだことある書籍を、1冊1000円を超える金額で提示されるとさすがに、そうとう好きでも手を出せないんだよなー。もちろんほんとうに思い入れがある作品は、リゼロのようになんでも購入しちゃう(=お布施、一票)んだけど、ちょっとこれは買えないよなーって。僕はこの、絵をつけて一冊1000円以上ぐらいの価格帯にしている本の売り方って、市場として形成できているのか?と一度プロの人に聞いてみたい気がするなー。自分だったら、買えない…。買わないではなくて、買えない。。。やりたいことたくさんあるうちの一つだから、価格がフィツトしていないと、やはり優先順位がると思うんだよなー。なので、マーケットの裾野は絶対に広がらないはずなんで、どこをどう取りたくやっているのかが、僕には全く分からない。。。でも結構書籍化されていますよね、、、どうなんだろう凄いしんどそうな市場に見えるんだが…。エンターブレインのものはほとんど、あのログホラですら掲載したものはそのままなんで、あの売り方はわかる気がするんだよね。ただその代わり、売れるものを凄く厳選している気がする。どっちにせよ、僕にはなんか、よーわからんん市場です。まぁ、好きな本が商業化されたり、絵師さん付きでリメイクされるのは、ファンとしてはそりゃーうれしいんだけどね。

ジュディハピ!〈2〉


さてさて、なぜ『ジュディハピ』が気になったかというと、風邪で寝込んでて(寝込んでないじゃんとか言わないで!)精神がもうろうとしていたので、苦しくて『謙虚、堅実をモットーに生きております!』を読み直しちゃったんですよね。かなり速読でしたが。凄い量です(苦笑)。やっぱ面白いはこれ。でも、これも、途中から更新ペースが鈍って、話が進んでなくなっちゃっているんですよね。というのは、この逆ハー、乙女ゲームの悪役に転生してしまったという物語類型でちゃんと終わらせているメジャー作品がいまだないんですよね。


謙虚、堅実をモットーに生きております! ひよこのケーキ著

http://ncode.syosetu.com/n4029bs/


たとえば、この乙女ゲー世界へ転生する系統は、『謙虚、堅実をモットーに生きております!』は、少女漫画の主人公の意地悪をする典型的な悪役お嬢様、吉祥院麗華の視点に生まれ変わったという物語です。ようは、通常にみられる少女漫画のパターンの第三者、それもいじめをする敵の視点に入ってしまったというメタ的視点を料理しているわけです。『攻略なんぞされてたまるか!』は、ベーシックな奴ですね。前世に男だった人が、どうもギャルゲーの女の子の視点に入り込んでしまった、という。ただ、この子は、女の子としての人生が楽しくなってしまったようで(笑)、まったくゲームの主人公としてのメタ的視点を失って自分磨きに精を出す日常になってしまって、、、、という(笑)、そんで『ジュディハピ』は、乙女ゲーの世界に閉じ込められている主人公(これも第三者)が、あれ、、、なんかこの世界繰り返していないか?と気づき、すべての男を攻略する乙女ゲーの主人公の姿に戦慄して、この世界から抜け出せないか?と考え始めるメタ的な視点を構造脱出劇にした物語ですね。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131110/p1


この作品もそうなんですが、ジュディハピ!で初めて読んだ時も感じたんですが、これって典型的なループというかゲームの世界からの脱出劇なんですよね。けど、僕が見ている作品の中で、この問題点を鮮やかに解決して終わらせたものが一つもない。というか終わっているのすらほとんどない気がします。始まりや過程は凄く面白いんですが、まだ最終地点を鮮やかに見せた人はいないんですよね。なので、ここ書けば、絶対面白いし売れると思うんだよなー。


というのはね、先日下記の作品を読んだんです。これ、完結しているんですよね。


乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった… 作者:山口悟


頭を石にぶつけた拍子に前世の記憶を取り戻した。私、カタリナ・クラエス公爵令嬢八歳。

高熱にうなされ、王子様の婚約者に決まり、ここが前世でやっていた乙女ゲームの世界であることに気付いた。

そして自分が主人公と攻略対象との恋路の邪魔をする悪役令嬢になってしまっていることに…

主人公がハッピーエンドを迎えれば身一つで国外追放、バッドエンドならば攻略対象に殺されるって…

…私にハッピーなエンドなくない!?バッドオンリーなんですけど!?

なんとか破滅エンドを回避して、穏やかな老後を迎えたい!!

http://ncode.syosetu.com/n5040ce/



そして、まさにこの類型の物語の指し示すノーマルエンドが完璧に示されている。中規模の作品ですが、凄い面白いので、この類型が好きな人にはお勧めです。んでね、ネタバレなんですが、どういう風に終わるか?というと、転生したカタリナ・クラエス公爵令嬢(乙女ゲーの悪役)が、悪役にならないように頑張って生きているうちに、攻略対象の王子たちやその相手役のヒロインズをみんな骨抜きにしちゃうんですね。骨抜きって、あまりにクラエスちゃんがいい人すぎて、みんな籠絡されて惚れこんじゃうんですよ。これは構造的に言えば、本来は乙女ゲーの中にある物語的なマクロな内在ロジック(=主軸のドラマトゥルギー)によって、クラエス嬢(=悪役のわき役)を貶めていこうとするエピソード構造がセットされているの、それをキャラクターが自覚しているが故にメタ的に回避の積み上げを行っていくというものですよね。これって、この作品を読んでわかったんですが、どうしても、みんな大好き!のノーマルエンドになりやすいんですね。それは、主人公が悪役の脇役で皆に嫌われて破滅するという主軸のドラマトゥルギーが設定るために、その対置として、メタ的に主人公が自覚して行うのは「皆に嫌われないようにしよう」という行動になるからです。誰かを好きになって、その人を落としたい!という目的が発生するよりは、どちらかというと、保身で自己防御を選択するストーリーがメインなんですよね。その最もシンプルな型を、この『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』で見た気がします。短く鮮やかに終わらせてくれたので、それが際立ってはっきり見えました。


この類型、、、、逆ハーレム・乙女ゲームの悪役に転生してしまったという物語類型には、様々な可能性があります。まだ終わっていないのですが、一番複雑な構造を示しているのは最初期の『ジュディハピ!』ですよね。これは設定がものすごく複雑で見事でした。なので、解決の片鱗というか兆しもいろいろ作中に出ていましたが、、、まだ終わっていないので、その先が僕にはわかりませんし、やはり初期の作品なので、僕は途中から複雑になりすぎて、失速感がありました。そこが面白い!ともいえるので、完結まで見てみないとそれを、中だるみのステージのためなのか、本当に複雑つまらなくなっているのかは評価できないのですが、、、。たとえば、『ジュディハピ!』は、主人公が、悪役の仇でも、ゲームの主人公でもないモブあって、そのモブ(わき役)が、ずっと繰り返される逆ハーの世界に違和感と気持ち悪さを感じて、脱出しようと試みるというすり小説のような脱出劇がその根幹にありました。誰か、物凄い悪い奴がこの世界をループさせているので、そいつに見つからない!というスリル感は素晴らしいものがありました。また、ループの謎を解くという世界の謎解きもスリリングでした。単純になぜ転生したかわからないけど、それは前提、ではなくて、ループした理由が明らかに物語にセットされていて謎解きの対象となっていました。また、その大きな物語のマクロ構造をすり抜けながら、各キャラクターたちと本来関係のない、脇役が、関係性を積み上げるという背徳感というか、出し抜いてやったぜ感も、たまらないものがありました(笑)。けど、まだ予感だけで、この作品完結していないので、これがどこに向かうのかが何とも言えません。そもそも、この物語類型は、ほんとうにおもしろいもので、もっと様々なものが出てもいいのでしょうが、、、なんか、いい作品を見ないんですよねー。


終わらない物語はだめな物語だと僕は思うので、『ジュディハピ!』は、失速したなーと思うので、残念です。この類型のフロントランナーでしたが、、、、。『謙虚、堅実をモットーに生きております!』も更新スピード落ちていますよね、、、これって、勢いがないと書けないと思うので、残念だなーと思うのです。勢いを失うというのは、最新話ぐらいまで来ると、もうこの世界で吉祥院麗華を悪役におとしめるのは、構造的に難しいですよね。それくらい子供時代から吉祥院麗華は物語のエピソードを積み上げてきました。そしてもうすぐ卒業です。そうなると、もうこれって、上記の『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』のノーマルエンドしか普通に考えて、物語は向かわないと思うんですよ。だって、主人公を落とす若葉ちゃんは、麗華ともう親友の域の友人じゃないですか。ならば、若葉ちゃんが、皇帝を選ぼうがどうしようが、麗華自身の進退にはもう影響ががないはずです。もうそこが見えているならば、そこに向かってきっぱり物語を終わらすべきなんだと思うんですよ。それ以外の伏線がないので、もう終わりが見えていると思うんです。けれども、そうじゃないもうひとひねり!をするならば、こっから作者が凄い密度で伏線含めて考えて走らないといけないはず、、、できないわけではありませんが、、この物語はよくできているし、可能性もあるので、、、でも勢いが必要ですよね。今の更新頻度のテンションだと、たぶん無理じゃないのかなーとっておもったんですよ。人気や作品のレベルからいってこの系統の現在の頂点ってこの作品なので、ということは。この類型の物語まだ金鉱が埋まったまま、全然前に進んでいないってことなんだと思います。一番構造的に良かった『ジュディハピ!』が止まったてるからでもあります。



なので、この先が見たいです。。。。もし、これ以外にこの系統の面白いものがあるようでしたら、ぜひとも読者さん、twitterで教えてくださいー。超みたいです。



最後のいつものしめですが、吉祥院麗華さん、僕の中ではいつも食蜂操祈さんの外見です。


とある魔術の禁書目録外伝 とある科学の超電磁砲 (9) (電撃コミックス)

2015-04-24

どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか?という問いからちょっと考えてみる

無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜 2 (MFコミックス フラッパーシリーズ)


先日、無職転生が、最終回を迎えました。感無量です。ずっとずっと追っていたものなので、いやー感無量です。リアルタイム性っていうのは、この深い感慨と、終わった時の喪失感がたまりませんよねー。こればかりは、最前線で、リアルタイムで追っていないと味わえない、なにがしかのものだと思うのです。なろう的にもダントツの長期一位の作品が、こうして長き果てに完結するというのは、特にえたるものが常套化している昨今、いやー凄いことだと思います。Webサイト「小説家になろう」にて2008年から『魔法科高校の劣等生』が連載していたこととか、もうなんちゅーか歴史ですよね。まぁ、そんなこと知っていて、リアルタイムで経験していたからって何か、意味があるのか?お金になるのか?といえば、そんなことはないのかもしれないですが、やっぱ歴史をリアルタイムで抑えているのは、この領域で生きる!と決めた人にとっては、うれしいことです(笑)。


それと漫画の2巻が出ましたね。凄い長い物語なので、どこまで漫画化できるのかわからないのですが、これフジカワユカさんはまりですねー。主人公のキモオタニートのおっさんは、もうそれだけでかなりグロテスクで下品で気持ち悪い設定なんですが、きっとこれを、男性漫画家の視点で書いたら、ちょっと感情移入が厳しいぐらいな感じになったんだと思うんですよ。小説も、あれは小説で画像がないから上品に抑えられて医らのであって、設定的には難しいものだったと思うんですよ。でも、フジカワユカさん、、、いや名前では判断付かないかもですが、この人女性ですよね?。とっても上品にしあがっていて、見ていて物凄く心地よいです。漫画もめっちゃくちゃ上手いですし。エピソードの拾い方が秀逸。これ、漫画だけ見ても、十分わかると思うんですよね。素晴らしい出来です。特に、エリスの家庭教師編は、僕は大好きだったので、凄いグッときます。エリスめっちゃかわいいしー。ツンデレ類型のいい物語っすよね!。野生の獣をてなづけるのって、好きです。それ「デレ」は金で買えない!など、あまりにわかっている作者の名言は、ほんとうにいいっす。


『無職転生 - 異世界行ったら本気だす -』  理不尽な孫の手著 異世界転生の日常やり直しセラピー類型の、その先へ

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131105/p1

なので、日常をやり直す、というポイントにドラマトゥルギーの起伏をつけるとしたら一つか論理的には思い当たりません。それは、前世で失敗した人生の失敗をどれだけ噛みしめるか、ということです。それなくして、人生をやり直しても、それは安全な繭の中にいるだけの妄想でしかありえず、どこかで行き詰ってしまうからです。しかし、それはすなわち、この『人生をやり直す』=高見から失敗しない方法をすでに知っている高みからの視点の放棄、ということでもあります。とてもなろう的フォーマットでは、矛盾しているし、そもそも選べない選択肢なので、相当の傑作にしか選べない道筋です。


さて、、、、終わってみて、、、、はーーーと感慨深かったのは、やっぱりこのへんのクリエイターのテーマって、重なるものがあるんだなーっていう感じでした。孫の手さんが、そういう意識で書いていたのかはわからないのですが、僕は見ていて思い返すと、やっぱりこの物語って、ラジオで当時云っていた「どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか」ってテーマに重なるよなーって思うんですよ。青井硝子さんが、このことをおっしゃっていて、そうかーみんな気にするんだなーってなんか実感したんですよね。


これは、『無職転生』全編読めば、みんな感じると思うんですよね。ルーデウスくんの存在って、たぶんこの無職転生の世界の物語的に言うと、「どうでもいいこと」だったんだろうとおもうんですよ。ただ単に偶然で間違って、この世界に転生しただけで、選ばれているわけでも、主人公ですらなかった。明らかにそういう描写ですよね、この無職転生の物語のマクロ的な位置づけでは。けれども、僕の上記の思ったことで、


日常をやり直す、というポイントにドラマトゥルギーの起伏をつけるとしたら一つか論理的には思い当たりません。それは、前世で失敗した人生の失敗をどれだけ噛みしめるか、ということです。


このへんを転生系、人生やり直しのチート系の物語で、ここをポイントに置くというのは、当時の記事を読んでいただければわかると思うのですが、やっぱり、人はだれでも堕ちる可能性がある、けれども落ちたそこから救済されるにはどうすればよかったのか?を思考実験することになると思うんですよね。無職転生は、セラピー系の物語が人生やり直しの転生系には多いよね、とある種批判を込めて言われることへの、構造的なアンサーになっていて、それでぼくは上記の記事を書いたんですよね。いいなーって。なにがいいかって、もし、ボタンの掛け違え(偶然)があったとしたら、なにがかわったのか???ということです。きっかけはどっちの流れに物事が進むのかの小さな差ですが、ルーデウスがその後転生で間違えなくて人生を「全うすること」ができたのかを考えれば?、わかると思うんですよ。彼は要所要所の人生のポイントで、様々な「決断」をするんですが、それがすべて過去の反省が反映しているんですね。異世界行ったら「本気」を出す、、、というように、その本気は、最初のころはとても小さく、それが人生の年齢が減るごとに重く難しくなっていきますが、その決断の積み重ねが、彼の次の重い決断を支え、正しく導くことになっていきます。人生というのはこういうものですよね。そして、いったんプラスの方向へ積み重ねのクンフーのフィードバックが、はじまると、それはもう余人には到達できないような深さ重さになっていきます。なので、途中から見ると、もしくはかなり積み重なってしまった後の姿を見ると「そんなことおれには出来っこねぇ」的に感じるでしょう。でも、人生全体を通すと、偶然に始まり、小さな積み重ねが大きくなっていくことになります。もちろん、ルーデウスは、かなり最初の時点から、素晴らしい両親に、魔法の才能に問チート的には恵まれていたかもしれません。でも、あの程度はチートでは僕はないと思うんですよね。結局、その程度のものを生かすも殺すも、その時々の小さな判断の積み重ねだったからです。


無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜 6 (MFブックス)



これって、転生前の惨めなニートとの対比だと、凄い鮮やかに感じると思うんですよ。



そして、これって、結局、その人の人生の差は、その人が積み重ねる小さな判断の差が大きく積み重なっているんだ、ということが実感できる物語になっています。僕はそう感じました。もちろん、正のフィードバックに入るか、それとも負のフィードバックに入るかは、偶然に支配されますし、自覚亡き幼少期に訪れるものなので、そこが苦しい!おかしい!不公平だ、と駄々をこねて文句をいうこともいえると思うんですよ、この説得のパターンでは。そこは、やはり偶然でどうしようもない。結局は、本人の自覚の問題だというのは、同じクズな人生を送ったルーデウスの前世が、それほど性格は変わらないのに、自覚を持ったことによって、様々な人生の困難に打ち勝っていく、受け入れていく姿を見れば、、、また、幼少期からフルセットで見せられると、僕は、ああ、これは普通の人にだって難しいことではないって思えました。ようは、自覚の有無で、こんなにも人生は変わるんだ!!!って僕は凄い切実に思いました。構造的には、偶然の連鎖から抜けられないのでチートな物語だという批判はかわせませんが、このルーデウス君の全編の人生のクロニクルを読んで、しょせんチートだろ!という人は、僕は素直さが足りないと思うのです。


というのは、父の死や、心が折れそうな英雄との絶望的な戦いの中で、彼は何度も心が折れかかりながら、鼻水を垂らしながら、何とかそれを乗り越えていきます。勝負所で、すべて逃げていないですよね。勝負所とは、勝負に勝つことではないと思うんです。父の死を受け入れる時、たとえ物凄い強い敵と戦っていて勝てないことがわかった時、、、それでも人生の分岐点で、ここで逃げたらたぶん人生が終わってしまうだろう、、、自分の好きな人の期待に応えられないだろう、、自分の大事なものを守れないだろう、とするならば、ここは勝ち負けには関係なく殉じなければいけない!と腹をくくるシーンがたくさんこの作品には出てきます。僕は、そのルーデウスくんの生き様に、ぐっときます。その彼の悩みと決断は、彼のものであり、本物であり、そしてチート設定によってもたらされたものではないと僕は思うからです。そこには自由意思があって、けっして、単純にチートだから正しい選択ができたというようなご都合主義ではない物語の内在性が僕には感じられます。難しくいっていますが、自分が感情移入して、自分の身になってみれば、この決断って、才能があったり、能力があったり、恵まれていたとしても、簡単にできるものではないよな、って思うんです。物事の決断の時は、万人に訪れます。そのマクロの裁きを受けるときに、結局は、人ひとりとしての裸の魂の決断が要求されると思うんです。小さな嫉妬を脇にやって自分を捨てられるか、とか。怖くて泣きそうなときにも、自分の大切なものを考えて、自分を捨てられるか?とか、、、。決断の時は、だれもが徒手空拳でなんのチート的なものがないところで、試練が試されます。それに小さく、小さく答えていくときに、それが積み重なって、大きな力となっていき人生の物語を紡いでいくのだと思います。


そして、この無職転生の物語は、先ほど書いたように、ルーデウスの人生は、どうでもいい無駄な偶然でした。しかし、彼がただ、彼の人生を、ちゃんと生きる、、、それを成し遂げたことによって、彼自身の人生は特に変わるわけではなかったのですが、後のこの世界全体のマクロに影響世を与え、ヒトガミの支配する世界の仕組みを打ち破ることになるわけじゃないですか。ルーデウスは、英雄でもなければ、この物語の本当の主人公でもない脇役でした。けれど、この物語は、「それ」がなければ、この物語の本筋の物語が、本筋として成立しないわけです。世界ってこうだよな、と僕は思うのです。そして、自分の人生をまっとうに生きるということは、こういうことなんだって思うんですよ。たとえ英雄じゃなくとも、主人公じゃなくとも、自分を全うして生きることは、僕は素晴らしいことだと思いました。いや本当に素晴らしい物語でした。ちなみに、この英雄になれなくても、主人公になれなくても、人生を精いっぱい自分を主人公として生きようとするとどういうご褒美があるか?って話なんだと思うんですよねー。素晴らしい人生でしょう?。物語的には、マクロ的には成し遂げた結果も見れないし、意外にしょぼい(くみえる)ルーデウス君の人生ですが、本人全く大満足で、なにひとつ愚痴がないでしょう、最後の最後の人生で。素晴らしいなった!って思いました。



「どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか」この問いに即して言うのならば、やはりこれは自助努力系の答えなのですが、救えないということはない、自分が一歩踏み出せば、ボタンのかけ違いをこのように変えることができるのだ、という話だと思うんですよ。物語としては、最高級の、素晴らしい物語で、僕には納得性も物凄いあると思います。けれども、抽象的に言えば、やはり本人の努力によります、という答えと変わりません。そこは、典型的といえば典型的な王道の答えで、その他はないのか?とは思うんですよ。


えっと、まーそれと、このテーマって、いろいろ意識されているのだなって思うんですよ。


『異自然世界の非常食』 青井 硝子著 めっちゃグロテスクで目が離せません(笑)。これ、凄いSFですね。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150418/p1


ここでも書いたんですが、この方ははっきり意識して書かれているようですが、僕は、この問いかけから来る物語構造やキャラクターの在り方はとても似ていると思うんですよね。もちろん設定が全然違うので、全く違う物語になりますが、、、、引きこもりで社会に順応出来ない主人公が、異世界に飛ばされてもう一度人生をやり直すという設定は、とてもパターンでしょう?。これが、主人公の成長物語になるだけではなく、書き手のルサンチマンへのセラピーになるというのも、構造的です。そして「そこ」が受けるし共感される、入り口になるというのも、とてもエンターテイメント的です。




これ、まぁtwitterで公開されているので引用してもいいかって思うので引用するんですが(笑)、僕は、『異自然世界の非常食』読んでいて、感心したんですが、、、、なんでそこでもうひと踏ん張りしないかな!と思うような転機が訪れるときに、そん時に「こそ」ベットにこもって主人公は引きこもるんですね(苦笑)。


僕は、まだうまく文脈に位置づけられないんですが、たしかに、本当に人生失敗してしまった時とか、自分の気力を根こそぎ壊される時ってのは、あるもんなんですよ。。。。僕は運よく生き残っているし、人生にも失敗しませんでしたが、長く生きていればそういう時はあるものです。それが人間だと思うんです。そして、そういう時に、「がんばれ!!!、おまえならできる!!!」とかいうポジティヴな励ましって、物凄く有害なんですよね。ね??ね???そう思いません。いまでもぼくは、自分が打ちひしがれている時に、大丈夫だよ!とか言われるの嫌いです。だって、何を根拠にそんなこと言うのだ!!!と怒り狂いそうになりますもん。何度か記事に書いているんですが、ポジティヴな意思とか励ましって、たいてい有害だよなって僕は思っています。論理的には、長いスパンで考えると、そんなに間違っていないし、正しいのですが・・・・これ、言われると腹が立ちません???(笑)。僕は、ドーピング自己決断ナポレオンヒル的勝つこと至上主義思考停止脊髄反射(テキトーです、いま考えた)とか、よく呼んで蔑んでいます。だいたい、本当の励ましって、その場にいてくれるだけでいいことも多いし、、、、もっと行くと、とにかく一人にしてほしいって感じになるんですよね。なので、ぼくは一人でこもってアニメ見るか寝ます。いま風邪でボロボロなので、部屋に引きこもって、ふて寝しながらなろう読んでいました(笑)。そうすると、少しづつ心が復活する気がするんですよね。


なので、僕、この主人公のこの行動は、見境なしにコントロールできないでやっているので、ああ人生失敗するだろうなぁ、、、とは思いますが、人としてはとても共感します(笑)。別に僕も変わりません。ただ、どこで引きこもって内発性をカットして心をバリヤーするかと、逃げてはいけないとき、とのうまく組み合わせているだけです。このような自己コントロールは、そうとう大人になっていろいろな体験をしないと、なかなかできるものではありません。20代ぐらいまでは不可能だといってもいいと思います。だから人生が、いろいろ波乱万丈に動くんですよ、若い時は。

異自然世界の非常食 1


えっと、僕は上記の記事で、この問いに対して生態系の一部として、ヒューマニズムを放棄することで打開策を見つけちゃうというSF的ドラマトゥルギーの構造を見ました。また、どうもセラピーとしては、内発性のカット!!!(これ物凄い有用な概念で、大発見です!!僕的に)という概念をお話していて見つけ出しました。


実は、、、、この「どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか」ってテーマってのは、僕はとても興味深い展開を見せている気がするんですよ、、、、ってのは、僕の心の中で(笑)。


ってどういことかというと、LDさんとのラジオを聞いてくれている人は、数年前に、僕がこのテーマに結論を出したのを覚えていると思うんですよね。今年のラジオでもいっていると思うんですが、それは、少なくと現代(2010年代)の「救いようのないもの」を考えたときに、もう社会的には切り捨てられるだけで、もうまったく省みられないので語るだけ無駄だ、と。自分で自分を助けるしかないのだから、無駄な語る暇があれば、どうやってそこから抜け出すかを考えるだけです、と。ようは、社会、マクロの側に「その層」を助ける動機や理由はなくなってしまっているので、マクロ的な構造変化が訪れない限りそこは確実に無視されるであろうという分析をしたんですね。


この結論は、いまも全く変わりませんし、まさにその通りだなと自分でも確信しています。時代はまさに、そうなっています。


そんで、、、いま、風邪でボロボロで引きこもっていたので本を読める!と思って、下記の大前研一さんの本を読んでいたんですが、、、、


稼ぐ力: 自分の仕事に「名札」と「値札」をつけられるか (小学館文庫)


・・・・・なにも疲れ切って凹んでいる時に読みやすいからといって、こんな、よけい凹むような成長至上主義な本読むなよおれ、、、とか思うんですが(笑)、たぶん、反対のものがほしくなっちゃうんですよね、僕って。難儀な性格です・・・・。そんでね、この本を読んでいると、もう、、、自分みたいなパンピーは生き残るのに、家族を守るのに必死にならなきゃ生きていけないな、、、って心胆寒くなったんですよ。もうガグブルですよ。別に韜晦ではなく、本当にマジで、怖くなりました。こんなんできねーよって、、、。なんかねー、、結果だけ見ると、僕もいまけっこういい身分な気がするんですが、自分が凄いとはどうしても思えないんですよねー。風邪ひいて熱出すと、こうやってひきこもってなろうとか読み続けちゃうし(苦笑)。なんか、いつもなんか起きたらやばいんじゃねぇ?みたいな感じがするんですよねー。やっぱり普通の人は、コツコツ頑張らないとやばいって、凄い思ったんですよ。それくらいしかできねーもん。そしてね、、、、僕ぐらいそれなりに頑張って生きている人間が、それでも世界って怖い!、がんばらなくちゃって!!!心底頑張るんですよ、たぶん。そりゃーね、、、内発性カットしている人とか、勝てるわけないと思うんですよね(笑)。そんで、こういう次元で世界のマクロを眺めると、そりゃー内発性なくて社会に参加動機ない人間を、社会が助ける方向にはそんなに動かないよなって思うんですよ。なので、上記の僕の、もう切り捨てられるしかないという結論は正しい分析だと思うんです。


・・・・・・・・でもね、これ面白いことに、そうして腑に落ちて、納得したんですが、、、、納得して腑に落ちた後、、、少したって、もうこんな設定自体も忘れ去って、どうでもいいことだって、切り捨てきった後に、、、、あれ、、、なんか、ここ重要な気がするぞ???って思い始めたんですね。最近。言っていることが伝わるでしょうか?。つまりですね、ある種の区切りがついて、もうそういう事実が世界には端的にあるんだな、グランドルールなんだなと思って、それが心に定着して少し経ったときに、もしかして、その先があるんじゃないのか?って思えてきたんですね。そんで、クリエイターの友人たちと話してると、みんながみんな切り捨て説にはほぼ賛成するんですけど、同時に、でも何とか救えないか?って話になるんですよ。これ僕も不思議で、、、このわかるよ!!・・・・けど、、、という論理展開はなぜ起きるんだろう?って思っていたんです。社会的に意味がないので、たぶん物語のテーマにならないのはわかっているんですよ、けど、そこが重要という、ダブルバインドな意見。これはなんだろうって?。



これって、たぶん、いったん、こういして納得して、もうその話は終わったので、この話はどうにもならないのだ!という絶望を感じないと、この話ったダメなんじゃないかって僕は思うんですよ、最近。実はこのへんの心理の動きは、昨今(今2015年)の物語の最前線と凄くリンクしていて、僕はいくつか具体例が思いうかぶのですが、その説明は今度に譲りましょう。ただ、これは重要なポイントだと僕は思っているのですが、、、この「どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか」という設定の問いには、甘えがあるようなんですよ。そして、甘えがあるうちは、この問いはほとんど無残に切り捨てられるようなんですよね。世界には、限界があって、予算があるわけで、何でも救えるわけではないからです。ようは、この問いには、どっかに救済があるんじゃないか?、誰かが助けてくれるんじゃないか?という甘えがあるようなんです。その甘えは、一切切り捨てられる問題設定なんですね、これ。


たとえば、青井さんの作品は、生態系の下位に自分を位置づけちゃうってのは、もう人間として救済されるのをあきらめちゃっているってことなんですよ。だって、寄生蜂に食べられて苗床になってもいいって受け入れは、もう人間的な救済をあきらめているでしょう?(苦笑)。そして、この物語もそうですが、物語は「そこ」から始まるのですよ!。どうもこの問題設定には、甘さがあって、そこを乗り越えたところでしか、次のドラマトゥルギーが発生しないようなんですね。なので物語作るときに、この絶望をどう描くかは、橋渡しには必須になってくるような感じがします。また、最近の最前線の物語は、もうこの絶望は前提として、進むものも多いような気がします。言い換えれば、この問題設定は、既にもうかなり古くなっているんだと思います。ニートとか、そういう社会的弱者をどうのこうのとかいう話が、既に社会のマクロの変化で違うステージになってしまっているように。



そんなことを思った今日この頃でした・・・・・・全然風邪が治らなくて、のどが痛いです(涙)。



と言いつつ、こんな記事書いている、僕はアホです。わかっているんです(苦笑)。。。。。

2015-04-18

『異自然世界の非常食』 青井 硝子著 めっちゃグロテスクで目が離せません(笑)。これ、凄いSFですね。

異自然世界の非常食 1

http://ncode.syosetu.com/n0340bw/

第一部第一印象、グロすぎます。読んでいて、読むのがしんどく感じるグロテスクさは久しぶりです。って、凄い感心しました、この昨今のウェルメイドで気持ちよくなるのが至上目的の物語類型の中で、こんだけ気持ち悪いというか少なくとも僕はずっとなんか言い知れない嫌悪感を感じながら、、、、それでも読むの止められないですもん。・・・これは!、物語だ!!!と、ぐっときました。いやほんと、スゴイよまじで、この作品。いやまだ読み終わっていないし、意図も読み解けていないけど、物凄い吸引力があって読み続けています。ちょっと寝不足で人いですよ、、、、(涙)。最初の「掴み」・・・非常食さんを食べようとしてだんだんコミュニケーションをとっていくのもエピソード的に凄いいいんですが、、、これ、シリーズ全部通してこの壮大な物語の意図をぜひとも見てみたいと思わせる重さです。いやほんと、いまでも見てて嫌悪感というか、、、、なんというか、見ていられない、と思わせる拒絶感が続いているんですが、それでもやめられないですもん。もう少し文章がすっきりして、入りやすかったらと思う部分もないでもないが、しかし、それが魅力でもあるだろうし、、、悩ましいところだなぁ、この時点では評価できないや。ただ物語としては一級品ですよ、これ。繰り返すけれども、受け手にウェルメイドなのが当然の中で、これだけマイルドに攻撃性の毒を持たせながら、ライトノベルというか、、、というかSFだな、的に読ませるのって、うまいもの。第一部?は、ゾンビものの『ワールドウォーZ』とか『28日後...』『アイ・アム・レジェンド』とかずっとそれのイメージを感じているんだよね。いや、別にゾンビものん作品じゃないんですよ?、なのにあれとかを見ている時のぞくっとする嫌悪というか恐怖というか、そういうのがベースに凄く流れている感じが知るんだよね。単純に、異世界に飛ばされた人が淡々と生活しているだけなんだけれども、、、、。

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いまのとろこ第三章の228まで読みました。実質2日で読んでいるには、いい量でしょう?。睡眠時間削っていますよ。休日近かったのにできた技ですね。眠いのを振りしぼって読みました。まだうまくて読め(解析)ていないんだけれども、、、これめちゃグロテスク。それで重厚なSF。どうも僕は、強烈に、『SWANSONG』を連想しているらしいというところまでわかってきた。それで、、、最近この主人公の性格がやっとなんとなくわかってきたんですが、こいつ、マジに壊れてやがる、、、。。。第一部の終わりは、『SWANSONG』くを強く連想したよ。同じってわけでもないんだけれども、あとは、清水玲子さんの『竜の眠る星』『秘密』も同時に連想したなー。この物語のグロテスクさ、何か重さっていうのはこの究極、主人公の感性にあるんじゃないかって気がします。そこで、先日のTwitterの青井硝子さんが言っていたセリフがあって、、、、


おお!その通りだ!この物語のテーマそれだ!!!と物凄いびっくりしました。なぜびっくりしたのかっていると、


「どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか」


というのが、やっぱり僕は批評的な人なんで、具体的なものがあまり想像できていなかったんですが、この言葉は僕が社会科学(文系)の人だからかもしれませんが、経済的にこぼれ落ちる層と、内発性がない人の層を、どう取り扱うのか?というような多分に社会工学的、経済政策的な発想が、強烈にあったんですが、、、、いやー物語を作る人は、やっぱり違うなーって思うんですよ。


この作品は主人公は、どっかの小屋でニート?というかコミュ障で人と交わらずに自足というわけでもないでしょうか、人里離れて暮らしている世捨て人のような人なんですね。これって、全編読めばわかりますが、基本的に生きる気力が非常に薄い、内発性、動機がほとんと人です。僕は、もうこの性格だけで、そうとうなんというか自分が「そうはありたくない!」と思うタイプの生き方なので、生理的に受け付けないんですが、、、ただこの主人公、とても魅力的な感じがするんですよね。そこが不思議なバランスで、、、この人は山で浮浪者、、、ではないですね、定住生活をしているわけですから、なんというか、とても生活感というが現実感が溢れるんですよ。細かい描写が、これって経験していないと(少なくとも想像力で書いたら抜けるであろう)わからないであろう細かい描写が入って、、、、作者の人って何して生活しているんだろう、、、この不思議な現実化の距離って普通に生活しているとでない感じな気がするんだけれども、、、まぁ、それはおいておいて、この物語は異世界転生というか、異世界に行った人の物語なので、その地球じゃない異なる世界で、具体的にどう生きていくか?ということ、そのノウハウがそのままフロンティアでのハウツー的な面白さにつながるんですよね。この主人公、たぶん、めっちゃくちゃ頭が良いんですが、生きて食べていく、、、それもかなり積極的にこもって社会には出ない方向での努力というか知識が凄い感じがするんですよね。それだけ頭キれるなら、もっと違う方向に、、、と思ってしまうのは、僕と「人間のありかた」が違うタイプなんだろうなーって思う。そんで、大事なところでの気力というか欲がほとんどない。えっ、そこで動機が切れるというような感じであきらめて、引きこもる。。。。


あーこれってサバイバルでビルドゥングスロマンの成長物語になるには、全部内発性がなくてドラマトゥルギーがカットされているなーって、しみじみ感じるんですよ。


ああ、そうか、そういう「生き方」なのかーって、。けっこう生活力ある人なので、それが悪いか?といわれると、まったく悪くないし、いやいや、一人でこういう風に、具体的な生活の手ごたえを楽しむのって、ありじゃねぇ???っごついビシビシ感じるんですよ。


この金や社会性が全くない状況下で、具体的で力強い生活力と、徹底したい場所はここ(引きこもった小屋の中)感覚って、、、うん、これはこれで安定していてとても成熟しているいい形じゃね?とか思ってしまうんですよね。非常食さんとエンドレスにプリキュアシリーズを延々と見ているシーンとか、内発性がない分だけ、ルサンチマンも感じないので、ああ、これはこれで穏やかな時間の過ごし方で、、、、自分がリタイヤした時に目指している生活ジャン!これ的な感じを受けましたねー。いやなんちゅーか、内発性がないんだけれども、、、、この主人公、強烈なルサンチマンも特にないのね。なので、好きかというとあれだけど、、、なんというか、そういうものだよなと思わせる感覚がある。。。なにも否定しようがない、、、だって、誰にも迷惑をかけずに自分の場所を安定的に構築しているんだもの。主人公に不思議な魅力を感じます。


でもね、、、、そうはいっても、マクロというか、、、、この異世界には、マクロというよりは、この生態系みたいなものがあって、要は主人公たちを超える上位の基準があって、普通の物語マクロ(政治、経済)なんですが、、、ここでは生態系ですね。でね、この生態系なるものと、この内発性がない主人公とのかかわりが、、、、グロテスクだな、、、、+物凄い魅力的だな、、、、+見事なSFだなーーーとかそういう風に思うんですよ。


先にも書きましたが、清水玲子さんの『竜の眠る星』『秘密』なんかを強烈に思い出すんですが、主人公が、あまりに自分から積極的に動いて世界を変えようという気がないことと、たぶん内発性がほとんどないので、何でも受け入れていっちゃうんですね。このあたりがテーマの、救いようのないもの、をすごく連想させるんですが、、、この人って、たぶん、生きていることもすぐあきらめちゃう人なんだろうというのがよくわかるんですよ。生活力溢れる割には、根本的には、生きる動機が薄い。なので、生態系の一部に自分がおとしめられたり組み込まれても、割とさらっと受け入れちゃうんですね。ヒューマニズム(人間性)が破壊されているところに生きているグロテスク感が溢れていて、えっ、それ受け入れちゃうの?という描写が続きすぎて、僕はぐろくてぐろくて、げんなりしていました。だって、自分の死後餌にする寄生蜂に卵を頭に産み付けられて、話がまっそんなもんかーと進んでしまうのは、いや、そりゃなくね???って思うんですよ。しかも、このクリーチャーに対して明らかな同胞意識、家族意識持っているし、主人公、、、、いや、それって、生態系的に、絶対に同胞になれないから、、、だって食う食われる関係だし、、、、と思って凄い違和感が溢れるんです、、、、、。


これ、清水玲子さんを評価するときにいつも書くんですが、社会性や社会のありようようも、生物や生態系としてのありようの方が美しく上位だと感じている人のようなんですね、清水さん。これ、内発性から生まれる社会性、コミュニケーション性をどう評価するか?という時の、究極の答えの一つなんですよ、実は。社会性を完全に否定しちゃえるじゃないですか。もう少し具体的に言うと、好きになった相手が、自分の苗床にして食べちゃうことで、愛を示す(それって愛なのか?)生き物の生態系があったとしたら、まー愛されちゃって、愛しているなら、うまく綺麗に食べられてあげないとおかしいよね、、、みたいになってしまって、、、、いやいや、、、人間食べるのは殺人でしょ!、それは愛じゃなくて本能でしょう!というのの、基準値の違いというのが、ヒューマニズム(人間至上主義)で他の存在は人間存在の下位にあるというのが、ふつうは何も言わずにセットしてあるはずなんですよね。



けど、この主人公、それが外れているんだもん。たぶん内発性が弱すぎるので、そこまで主張する気(主張とはすなわち自分の意志によって世界の方を変えたりすること)はないんで、全部受け入れる形に「流されていって」しまうんでしょう。またこの「流され過ぎる」のも僕は気に食わない、、、、異世界のフロンティアで生活しているんだから、それだけ知識と技術と行動力があって、なんで、積極的に動かないのか!!!!とじりじりしてしまうのですが、、、、でも、主人公、ほとんどどう考えても君の身内じゃねーだろそれ系の食物連鎖のつながりがある存在にシンパシーが寄って、話が進む。しかも、流されているだけなので、よけい壮大に大失敗というかひどいことになるだけだったりする(笑)。



これね、、、、僕まさに、「どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか」というテーマだよなーって思うんです。凄いって思いました。



言い換えればね、、、救いようのない人って、ようは、ここでは動機や内発性がなくて社会的なものの中に居場所を見つけられない人は、社会からはじかれてしまいます。そうしたはじかれた人は社会全体の発展性や生産性に寄与しないので、社会的に無価値になりますよね。また社会性を求めないこと、、、、内発性がないことは、その人自身に積極的に生きる意思がかけていることでもあるんですよ(消極的にはあるかもしれないですが)、、、だとすると、そんな人を救うにはどうれば?っていっても、すげー難しいんですよね。この社会は自助努力しない人には、リターンを与えない設計に制度設計されているので、何もしたくないといわれれば、何も権利はないになってしまうんですよね。仮に、何もしたくないような無気力が、ある程度、社会やマクロのせいだとしても。そうすると、どうする?って話になるんですが、、、、たいていここは、やる気が足りないんだ!!!と動機をたたいて伸ばそうとするスポ婚根性論や、勝つこと至上主義の話になります。けどねーーー内発性のエネルギーの話って、それがある人は、たたけば伸びるんだけど、、、、もともとない人ってのもいるんですよ。そこを叩くのは、もういじめを通り越して地獄としか言いようがない意味のない行為であって、いやーそれ見てらんない、という感じになってしまいます(今の世の中って、ここだと思います)。


ただね、こういう人をどうやって救えばいいのか?といえば、もう上で結論が出ているんですが、社会とのリンクポイントが動機・内発性という接着剤なので、それがない人は、社会の側から救われることはありえないんだと思うんですよ。それって、ほんとかわからないですが、僕には思いつかない。今のところ。


じゃあそういう人がどうなるのか?救えるのか?価値があるのか?



と問われると、社会サイドにいる人の典型的な意見は、無価値なので切り捨てるべし(右翼、動機至上主義派!)になるか、人権は守るべきで政府とか偉い人金持ちが何とかしろ!的な無責任無限他人責任論(左翼、人権至上義者)みたいな対立になるんですね。これ、よくみます。けど、どっちも気持ち悪いんですよね、、、、無価値切り捨てって、、、現実それしかできないしそういう制度設計になっているとはいえ、それをやるのは憐憫の情(アダムスミス的な共感性でもいい)として人間的なるものとして、社会の在り方)社会は繋がっていて総体で意味を発揮する)という部分を壊しちゃうので、だめでしょう、いいきっちゃ。と思うし。かといって、何もしない存在に、社会側が譲歩して身を切り刻んで助ける理由も全くないよね、、、それでも守れは、それはあきらかにおかしい。人権なんてフィクションであるのだから、線引きがどうしても必要。予算というものや限界が、人類にもあるんだから。それに、少なくとも生物としておかしいじゃん、それと思う。どっちも、うーん、という感じなんですよね。



これってなんで結論が出ずに悶々とするかっていうと、社会性・・・・・ヒューマニズム(人間本位主義)の視点から世界を眺めているからなんだと思うんです。



いや、それ飛び越えればいいじゃん!。どのみち社会性がないのは、脱社会的な存在なんで、社会性のグランドルールはすべて適用しないで行こうぜ!ってのが、SFの一つの導き出した答えなんだと思うんですよ。それを豊かに展開するときに、ヒューマニズム的ではない、共生の在り方って何?って問うべきなんですよ。



・・・・・って、この物語の主人公じゃん(笑)。



そんで、、、、この後この物語2章以降、大きな「この世界の秘密」に沿ってSF的な展開を見せていて、それはそれで素晴らしいのだけれ度も、それはまた書きたいですね、もっと読んだら。でもまずは、この主人公の非常食さんとの共生生活って、凄いグロテスクなんだけど、、、グロなのは当たり前で、ヒューマニズムの前提や人間の本能都的な食物連鎖のバランスの鎖につながれることの拒否(食物連鎖の下位になりたくない)とかの部分が、主人公、いろいろ、意思的にではなく流されているだけなんだけど、あっさり乗り越えているからなんだと思うんですよ。社会性の話に行かなければ、自意識(ナルシシズムの解体)の話に行かないんだ!というのも大発見でした。

22XX (白泉社文庫)


そして、、、、こういう異物が入ると、生態系はめちゃくちゃに変化して行きます。そこには、救うなどという話ではなく、何か大きな変化がこの世界の中に訪れます、、、、それはいいか悪いかはすごく悩むところではあるが、、、、善悪の基準で考える向こう側の話なんで、そもそも生態系の話は、、、、あっと善悪の基準というのは完全にヒューマニズムですからね、、、、この大きな変化ちゅーのは、少なくとも、物語る価値のあるドラマトゥルギーだと思うんですよね。これを救済と呼ぶかはともかく、意味も価値もある物語ですよね。内発性はなくとも、社会の底辺からはじかれても、生態系の一部になるのは、何か別の大きなものとのつながりですよね?とか、、、そんなことを読んでいて徒然おもっています。面白いです。素晴らしい作品です。伊勢饂飩教ビバ!。社会の物語ではなく、生態系の物語に飛躍するのは、まさにSFの全体と個のずらしの見事な物語類型だと思います。いやー素晴らしい。


ちなみに、まだ読み終わっていないし、分析もできていないんで、評価しづらいんですが、リアルタイムの感覚的には、★5から★4の間くらいですねー。面白いです。なろうの文脈で、こんなので生まれるんだーと感心しました。いや異世界ってフォーマットは同じですがね、、、つくづく著者の才能なんだなーて感心します。


SWAN SONG 廉価版

2015-04-16

これ、めっちゃすき!

ラララ1巻 (デジタル版ヤングガンガンコミックス)


うわーーーこれおもしろいなー。金田一さんって、ほんとうにマンガがうまい。石村さん、めっちゃかわいーーーー。僕は年上属性に巨乳属性もないんだけれども、いやはやまいったわ。かわいすぎるでしょ、これ。というか、、、、この夫婦関係、主人公のライバルが言う通り、、理想の夫婦関係でしょう。いつでも、お互いが離れることができる、けど離れないというのがほんとうに相手が必要なことであり、、、というのは僕も理想だと思います。でもまぁ、この作品通り、文字通り(笑)ってのは、コメディになってしまいますが(笑)。


いつものごとくストレスが故に、kindleでの一気大人買いをまたしてもしてしまって。。。。奥さんも自分お好きな漫画買っているので、二人して相当金額使っていて、、、いやはや、さすがに、やばいなと思いつつも、、、その分ストレスがあるんだろうなぁ、、、と、なんかやめなきゃいけないんだけど、やめられないって感じです。まぁ、その分稼いでいるので、まぁ、ダメってことはないのかもしれないんですが、、、うーん、うーん、、、と思いつつ、また買ってしまう今日この頃です。でも、kindleは、アマゾンがつぶれない限りずっと手元に残るし散逸しないし!とかいろいろ自分を納得させようとしている今日この頃のペトロニウスです。とはいえ、これそろそろおくさんにも怒られそうです、、、、。

なんでもって、『ニコイチ』がどうしても読みたくなって一気に買って一晩で・・・・読んだのですが、勢い余って、そのまま新しく出ていたこの『ラララ』も読んでだら、も〜面白くて面白くて。思わず奥さんにも読ませたら、これが結構ヒットだったみたいで、うちの嫁さんと僕は趣味がほとんど合わないので(笑)、こういう風に同じものが好きといってくれると、めっちゃ顔がニヤニヤしちゃいます。んんでもって、奥さんが「この作者って、言いたいけど言えなくて!!!というシュチュエーションばかりだね」といっているのを聞いて、おおっ!そういえばっ!ってびっくりしました。するどい。『ゆうべはお楽しみでしたね』もまさにそうですよね。


ゆうべはお楽しみでしたね(1) (ヤングガンガンコミックス)


あまり関連はないんですが、前回のラジオとかで話したことを下記の記事で海燕さんがまとめたうえに、それをさらに展開していて、この記事、僕的にものごっつびっくりするほど面白かったんですが、、、、金田一さんも、僕的には好きで好きでたまらないんですが、、、ただ、何が面白いのか?っていうのがよくわからない作品なんですよね。『結界師』とかは、そもそも物語的に(僕の主軸の泥マトゥルギーを軸にいいたいことのメッセージから評価する)おかしいと思っている違和感があったので、今回ので凄い読み解けたのですが、、、、金田一さんって、そもそも僕、違和感全くないんですよね。けど僕の評価軸だと、なにがいいか?って言われても、ようわからん、、、、めっちゃくちゃ好きで、何度も読み返している大ファンな人なんですが、、、、これもきっともっと勉強していくというか考えていけば、言葉にできるときが来るのかもしれないなーって、、、なんか、今回の4月のラジオの定石外しというテクニカルワードからよしながふみさんや田辺イエロウさんの読み解き方を理解できたのは、ほんとうに面白かった。やっぱり考え続けたりしていくと、こういう何かがひらかれる瞬間い出会えるから、やめられないです。


スタジオジブリの宮崎アニメはなぜ面白くも辛いのか。

ゆるオタ残念教養講座

http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar771197


さて、海燕さんの記事、今の自分の文脈にどんぴしゃりなんで、ほんと面白かったんです、、、、そこで、海燕さんもいっているんですが、『結界師』の定跡外しのパターンの(ところで、定跡、定石どっちが正しいんだろう?)ところで、これらの系統の物語の読み方をどうよ生むのか?どう評価するのかで、今までわからなかったことが一気に蒙が開かれたように、なるほどそう読むものだったのか!!!と感心したといっているですが、僕も同じように、なんか読み方がアップグレードしたみたいな感覚があって、前回のラジオは、凄い秀逸だったなーと思っています。そのあとの表現と脚本の話は、おおっ!と凄い納得でした。川上さんの本も読まねばなりませんね。この海燕さの記事、素晴らしいですよ!!!僕読んでいて感動しました。


さてさて、、、定石ハズなどの4月のラジオは、メモに取ってある分をまとめなければいけないのですが、なかなか気力と時間がなくて、、、、。とはいえ、前回の話は、定石外しというテクニカルワードを説明したにすぎなくて、実は、そもそも話したかった、善悪二元論の超克、そして自意識(ナルシシズム)の告発と解体の系列の中での、ハーレムメイカー、日常系、無菌系、バトルロワイヤルなどの80年代からの物語の類型の展開を説明して、最新の概念であるセカイ系とそのアンチテーゼである新世界系の類型を説明するという野心の分では、全然進んでいないんですよね。こっちは、LDさんが常々言っているように、そもそも、いまはセカイ系の再評価と具体例の確認(いましています)をしないと、新世界とセカイ系が実は対立構造のものなのでは!というぼくらの気づきが論証とまで行かなくとも、もう少し説得性を持てないので、、、ああ、、、このへんも、もっと考える時間がほしいです。。。。やっぱり日本にいたときに比べると仕事量と責任が全然違うし、、、、やっぱり新世界に異世界転生(笑)なので、、、日常がいろいろ新しいことがいっぱいで、ポジティヴにもネガティヴにも、、、、なかなか考えたり、もっとない目も見たいですが、そういう時間はじわじわ減っていますね。ブログも本当に殴り書きになってしまっていて、、、、まぁ、そもそも物語三昧のクオリティは、あんまりかわりませんが、、、(苦笑)。


あっと、これも文脈に関係ないんですが、LDさんの話を聞くと、もうガンダムビルファイターズ、これ、見なければなりませんね。哲学さんにも、Gのレコンキスタを、定石外しの文脈を語るなら、見ないといけません!と力説されています。。。。。って、もう時間ないんだよーーーー(涙)。やることありすぎて、泣きそうです、、、、といって、疲れたとふて寝してしまうので、、、なかなか効率よく生きられない自分が、悲しいです。。。体力がないんだよなーーーもう40ってのもあるけど、、、、。大学時代までは鍛えていたんですが、、、、20-30代で、使い果たしました。まぁその間に死ななかっただけ、ましだと思うべきですね、、、。


ガンダムビルドファイターズ 1 [DVD]


そんで、津田さんにtwiiterで教えてもらったんですが、



こんなお話が!!!!。仕事で今日大変で打ちひしがれていたんですが、、、、おお、こんなこと言ってくれる人がいたりするならば、おれも今日も頑張れるとか思いました。なろうは、敷居さんたちや伯爵とかなり初期の段階で紹介していたので、こういう風に言ってくれる人たくさんいるんですよね。凄いうれしいです。いま思うと、なろうの商業作品への怒涛のラッシュとか凄いですよねー。敷居さんたちと本を作った時には、まだほとんどなかったのに、、、。時代は本当に動くものです。


まだ読んでいないんですが、さっそく読みます!!


http://ncode.syosetu.com/n0340bw/

異自然世界の非常食 1




http://ncode.syosetu.com/n6750cg/


それと、大場鳩太郎さんの『迷宮都市のアンティークショップ』も読みました!!!。いちゃーいっすねー。この人、短編向きな作風だよな、、、と思いつつ読んでいたら、どんどんその断片がつながっていって、おお、いっていた通りの物語の作り方だ!!と感心しました。続き楽しみにしています。ちゅーか、甲冑が地味に萌えてきました(笑)。全身甲冑さん。いいっす(笑)。僕こういう知的な感じの店長さんと、脳筋(ってわけでもないでしょうが)系のヒロインとの関係って、スゴイ好きです。ちゅーか、なんというか、短編がうまい人は小説がきれいというかうまい人が多いんですが、難解で読みずらくなる傾向もあるんですが、すっきりと読みやすくて、やーさすが商業になるだけあるなーと感心しました。これ、毎回鑑定という短編にするのって頭ひねらないといけないので、大変だと思うんですよねーーーしかも、断片が、後半で統合されていかないと物語のダイナミズムが失われて読む気失せるんで、、、いやーいい物語です。読み応えあってすごい楽しいです。これも知らなかったら見つけられなかったと思うので、とても見つけられてうれしいっす。

迷宮都市のアンティークショップ (ファミ通文庫)


今日は、いろいろ、ついでなので、これも紹介。『ダンジョン飯』!!!!。これまじで、めっちゃくちゃ面白かったです。やばいです。続きが読みたくて死にそうです。これも何が面白か!っていうと文脈読みには引っかからないし、うまくいえないんですが、、、、もう、もう、、、、もう何回読んだかわからないくらい大好きです。めちゃくちゃ笑えます。もう物語「読み」とかそういう話じゃなくて、とにかく好きなんす!って感じです。


ダンジョン飯 1巻 (ビームコミックス)



そうそう、最近描きたいけど、描くパワーがなくて書けていないんですが、リゼロもすげっすよ。最新の話、やばいっすよ。さすがっす。しかも、、、、もう6巻かよ。。。すげぇよ(笑)。。。あっという間に時間が過ぎ去って、凄いたくさんいろいろなものが増えていきます。いやー時間っつごいです。



Re:ゼロから始める異世界生活6 (MF文庫J)

2015-04-14

ルビオ上院議員の横顔―米大統領選出馬


ヒラリーさんとほぼ同時ぐらいに、マルコ・ルビオ米共和党上院議員も共和党の候補として、立候補している。僕もまったく素人というか、基礎知識があるわけではないので、こつこつニュースの記事を見ながら、来年の大統領選挙の見方を自分なりに固めて行くことにしようと思います。まずはね、この人。

政治的な立場で最も知られているのは何か

 ルビオ氏は、おそらく彼自身大半の保守派が忘れてほしいと望んでいると思われる問題の政治的な立場で最も良く知られている。それは、移民規制の大幅見直しだ。彼は不法入国の移民に対し市民権を付与する道を開くことを支持しており、多くの保守派活動家の怒りを買っている。それ以外のほとんどの問題では正統的な保守派路線に従っており、外交政策ではタカ派の立場をとっている。


ルビオ上院議員の横顔―米大統領選出馬

http://jp.wsj.com/news/articles/SB12553795185919473670004580579194293983572?reflink=fb


あのね、どうもアメリカでは、移民を受け入れるかどうか?って、凄いポイントなようなのね。なにいってるの?アメリカは移民国家じゃないか?と思うかもしれないけれども、移民をいれるのは前提なんだけど(それが他の先進国とはまったく違うこの国特有の性格)、いくつかのポイントがあって、既にたくさん入ってきてしまっている不法移民を認めてちゃんとしたアメリカ国民にするべきかどうか?、移民をガンガン入れれば人不足になっている景気のいい州はいいけれども、そうでないところは大打撃、、、など、各州によってもかなり立場が違うんですよね。


基本的には、共和党は、移民の大幅な受け入れや規制緩和には反対だし、ましてや保守派の人々、ティーパーティーなどは、冗談じゃない!といっている。にもかかわらず、共和党の大統領候補の彼は、移民の規制緩和が持論なんですね。バリバリの保守派の出身であるにもかかわらず。これは、彼がフロリダで地歩を固めてきたキューバ系の移民の親を持つというところにとてもポイントがある。アメリカの国民の比率は近年、物凄い勢いでヒスパニックが増加しています。特に南のフロリダやカリフォルニアは凄い。その中で、彼の票田は、そのヒスパニックなんですね。規制を緩和すればするほどヒスパニックが増えて、彼の地歩は固まるんですよ。


しかしながら、この辺が、難しいのは、ヒスパニックの移民を受け入れて票田にしたいのは、基本的に民主党なんですね。オバマ大統領も、なるべく移民の規制を緩和したい方向で議会や共和党とも対立しています。ましてやティーパーティー形の保守派なんか、オバマは気が狂っているぐらいのことことをいいまわっている。これは、民主党が、リベラル路線を打ち出して、新移民を増やし、自分たちを支持する中間所得層を拡大していこうとする大方針と一致するからですね。共和党のレッドステイツは、白人のどちらかというと低所得層の心をつかまなきゃいけないので(保守派も)、新移民が来れば没落するのがわかっている層を守ろうとする力学が働くわけです。アメリカには、「移民して来た順番によって既得権益がある」ことを、どれくらいのレベルで守るのか?ということと、新しく来る層をどういう風に国内に位置づけるかが、とても争っているようなんですね。たとえば、東アジアの出身の日本、中国、韓国人は、めっちゃ所得が高くて勤勉なんで、むしろこうした移民は、必ずしもアメリカ社会の底辺からエントリーしないで、いきなり上の方に入ってきたりします。こういうは、もちろんたくさん来てほしいけど(国が豊かになるから)、来すぎると政治的には微妙になります。既得権益の構成が変わるからですね。


とかとか、そういうことを考えるときに、このルビオさんって人って、とても面白い人なんですね。超ねじれている(笑)。


この人の動向は、この移民問題の特にヒスパニック移民に関しての大きな政策的な分岐について理解するときに追うと、面白い人のようです。まぁ、僕も聞きかじり何で、ほんとかどうかは信じないでくださいー。いま勉強中なので。

Hillary Clinton Makes it Official: 'I'm Running for President'

ついに立候補。オバマの選挙の時にはいられなかったが、女性大統領の選出という歴史的な時に、アメリカにいることができて本当にうれしい。まぁ、まだ決まったわけではないですが(笑)。アメリカ大統領選挙をまじかで見るのは、夢だったんですよねー。


"I'm running for president.Americans have fought their way back from tough economic times, but the deck is still stacked in favor of those at the top. Everyday Americans need a champion, and I want to be that champion so you can do more than just get by. You can get ahead and stay ahead. Because when families are strong, America is strong." "So I'm hitting the road to earn your vote. Because it's your time and I hope you'll join me on this journey."  


個人的には、Everyday Americansという表現が、興味深かった。普通のアメリカ人、という意味だが、この文脈からは、やはり、中産階級の復活を読み取りたいところ。この前ドイツのヒトラー政権が生まれた経緯に対の本を読んでいて、インフレが中産階級に直撃して弱体化したが故に、極端な政権への支持を生んだというのを読んだが、ヨーロッパやアメリカでは、中産階級の弱体化が、ナチス政権を生んだという文脈がはっきりある感じがするんですよね。また、そこまで遡らなくとも、やはり民主党の大きな政府の傾向は、ここを軸に訴えたいのだろうねぇ。しかし、12年同じ党が政権を継続するってのは、なかなか過去のアメリカでも少なく、なかなか前途は多難な感じがする。とはいえ、確かに、女性初の大統領というのは、凄いスター性のある物語ではあると思う、、、さてどうなるのだろう。本当に楽しみだ。ちなみに、championは、NHKは「闘いを導いてくれる人」で、ロイターは、「擁護者」と訳しているらしい。本来の意味的には、たくさんの人々の代表者となること、のような感じらしい。


https://www.readyforhillary.com/splash/hillary


Hard Choices

2015-04-09

[2015年4月物語三昧ラジオ]4月12日(日)JSTの13−14時頃 

【漫研ラジオ】

http://www.ustream.tv/channel/manken

久々に、LDさんと話していることのまとめができているので、体調さえ良ければ(笑)、今回のラジオは結構最近のまとめでいろいろちゃんと説明になりそうです。新世界の話や、定跡はずし、突然死手法の意味、死亡フラグ回避、ネガティブ・ドラマツゥルギーとしての主人公視点と主軸の乖離、主軸のドラマトゥルギーによって物語のテーマ性を評価することなどなど結構、新しい概念も登場します。。。あとで、画像を上げておくつもりですが、できれば、この概念を説明するのに、課題図書として『結界師』を全部読むのはできればしてほしいですが、なんとか、目を通しておいてほしいです。少しでも見ておけば、説明がわかりやすくなると思います。あとは、アニメの『マクロスフロンティア』『化物語』『ガンダムビルトファイターズ』、漫画では、『微糖ロリポップ』『恋愛ラボ』、小説では『妹さえいればいい』この辺が、読んでいるとわかりやすくイメージできると思います。まぁ、僕のブログに随時あがっているので、読んでいる人は読んでいるような気がしますが、、、。けど、定跡はずしという、新しい概念を説明するには、『結界師』は必須なので、できれば目を通しておいてほしいです。このことを理解するのに、僕もかなりかかったくらいなので。ちなみにこれらの、まとめは、大きな流れでの、脱英雄譚のソリューションをどう考えるのか、ハーレムメイカーの着地点がどうして男女同数の対等恋愛になって、王道に回帰する傾向が見えるか?、いやいや、『妹さえいればいい』のようなフラットの方向なのか?などなど、これまでの海燕さん、LDさんらと語ってきたこととも大きくつながるので、、、、、このラジオを聴こうと思うぐらいの人は、橙乃ままれさんの『まおゆう』と赤松健さんの『魔法先生ネギま!』『UQ HOLDER!』あたりは、話の基盤となるやつなんで、読んでおいてほしいです。『ガッチャマンクラウズ』とかもですねー。。。。。って、いい始めるときりがないんですが、少なくともまおゆうとねぎまは、読んでいないと話がさっぱりなので、これは必須ですね。

結界師 35 (少年サンデーコミックス)

2015-04-08

『見えないアメリカ』 渡辺将人著 選挙を通してみるアメリカの多様性と統合

見えないアメリカ (講談社現代新書)

非常に面白かった。アメリカ合衆国を見るにあたって、最近の選挙を見ると大きな疑問が出てくる。


ブルーステイツとレッドステイツと呼ばれるように、民主党が基盤とする北部と共和党が基盤とする南部の分裂がアメリカではよく騒がれる。アメリカはそもそもがさまざまな移民の集合体であることもあるが、とにかく国内での分裂傾向が深刻な国家だ。2014年の8月に起きたミズーリ州ファーガソンの白人警官ダレン・ウィルソンによる黒人青年マイケル・ブラウン氏射殺事件の不起訴による深刻な人種対立が、2015年の2月の今もぶすぶすとくすぶっているけれども、とにかくアメリカの国内でも対立軸というのは本当に物騒で激しい。プロライフ派とプロチョイス派の対立では、堕胎を行う病院い爆弾が投げ込まりたりもする。この辺りは、特異に「アメリカ的文脈」なので、日本ではニュースには取り上げられにくいし、取り上げられても背景の説明や構造の分析がほとんどできない日本のテレビ、マスコミではそもそも報道する力がないだろうし、仮にしたとしても、人種対立やアメリカの文脈がわからない日本人の一般にはさっぱり実感がない話だろう。なので、表層的にこの国はバラバラで対立しているという抽象化された上澄みだけが流布されてイメージとして残る。特にマスコミがちゃんと背景を分析して伝えないので、それに比べて日本は安全とか和の精神がといったお題目というか信仰のような嘘が流布されて残るだけになる。それにはほんと困ったものだと、いつも思うが…。こういったアメリカ国内の対立は、本当に激しい。その中でも、この保守とリベラルの対立の深刻さがよく話題に上る。


なんちゃってアメリカウォツチャーとしての解釈の大前提として、アメリカという国は強烈な統合と分裂への行ったり来たりの振子のような形でまとまっている運動体である、という視点で僕は見ているので、この類の、やれアメリカはバラバラになるとか、いやアメリカは一枚岩で世界支配をしている帝国だのという、片方に偏った言説は、そもそもアメリカを論じる上で最もやってはいけない視点であるということを、僕は大学で学びました。アメリカがアメリカである所以とその強みは、そのありえないほどの多様性を囲い込みながら統合の原理が強烈に働いていることだからです。なので、偏った部分の濃い部分があるからといって、「そこだけ」を見ると、非常にアメリカ理解はおかしなものになります。アメリカを見る、分析するとき最もやってしまいやすい罠だと思われます。特に、通常ありえないような反対意見が同時に統合されて存在するのは、歴史の長い国においてはありがたいので、日本のような対立軸が弱い国においては、アメリカ理解が非常に歪みやすい。


分裂している傾向に注目するのはいいとして、では、その中身は何なのか?ということは当然知りたいわけですし、同時に、ずっと当たり前すぎてなかなか理解するチャンスがなかったのですが、大きな疑問がありました。それは、そもそも、僕が大学でアメリカを勉強した時に、当然のことながらアメリカの運命を決めた南北戦争を学んだのですが、その時の大前提として、北部=共和党 VS 南部=民主党という対立構造であったはずです。アメリカにおいてこの図式はそもそも基本構造のようなものであって、南部と民主党は切っても切り離せないはずだったと思ういます。それは、映画『リンカーン』を見ても、はっきりわかります。リンカーン(1809-1865)は、当然ながら共和党の大統領です。


リンカーン [Blu-ray]


なのに46代大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュ(George Walker Bush 2001年-2009年)と民主党のジョン・フォーブズ・ケリー(John Forbes Kerry)2004年やアル・ゴア(Al Gore)2000年の時の選挙での分裂の様子は、とてもよく覚えているのですが、あのあたりから(そういえばあのころ仕事が忙しくて勉強とか全くしなくなっていたよなぁ・・・・)????って思っていたんですが、民主党が北部を基盤にしていて、南部はすべて共和党なんですよね。


つまり、アメリカは南北戦争のころと現代では、二大政党の基盤が全く逆になっているんですよ。ちなみに現在は、民主党の強い都会型・工業地帯の州を「ブルー・ステイツ」、共和党の強い非都会型・農業地帯の州を「レッド・ステイツ」と呼ばれています。現象としては、いろいろ説明が付与されるんですが、どういう過程でそうなっていったのか、とかそういうことが全然わからなくて、なんで?ってずっと思っていました。その疑問がこの本で、ようやく解けました。共和党が、南部の宗教右翼やプアホワイト、白人労働者のハートをがっちり握っているのはよくいわれるのですが(ブッシュ大統領を支えた層の一つですね)、なんでそうなったのかが不思議でした。そもそも南部は、民主党の牙城だったはずなのに。このあたりの部分は、現代アメリカを読み解くにあたって必須のものなので、ただ単に分かった!だけではなく、暗記して、詳細に理解して、反芻して、ちゃんと自分の腑に落としていきたいと思いました。


America at Home


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話は、2007年にアメリカで話題になったIkeaがスポンサーになった『America At Home』の写真集から始まります。全米50州の普通の家庭にアマチュアカメラマンが入りこんで撮影するという企画です。ここで著者が強調していること、そして多分アメリカ人自身がこれを見て感じたであろうことは、多様性です。ちょっとHPのサンプルを見ているだけでも、その多様さに驚かされます。


しかしながら、著者が言うように、この多様性は、たとえば日本人がアメリカに来て郊外の裕福な中産階級の住宅地に住んでいては、まったく実感することができません。アメリカは、とりわけこうしたゾーニング的な、住む場所からライフスタイルの在り方が異なると、その他の生き方がほとんど見えなくなっています。もちろん、あまりに多様すぎることや階級の差が大きいことから、少しでも見ないで済むように設計されているといっても過言ではないのかもしれません。現代で出てきたゲーティツド・コミュニティ(入口に監視員がいて大きな壁や仕切りで囲まれた住宅地。フィリピンなどで駐在員や富裕層のために作られたセキュリティ重視のよく見られる形態の住宅地)などもそうした意識が濃厚に出ています。ちなみに何も考えず当たり前だと思っていましたが、僕自身も郊外、特にエグザーブ(郊外のさらに外側に位置する郊外)のGated Communityに住んでいます。そこに住んで、州間高速道路(FreeWay)でダウンタウンに車で通勤する生活は、まさにこの多様性から切り離された無菌的な中産階級の生活をしているわけです。オフィスと高級住宅地のゲートコミュニティに住んでいては、もちろんのことこの多様性に触れる機会が極端に少なくなるわけです。


これは公共財の富裕層による非共有という国家としての分裂を招く重要な問題点なので、これからの人類社会を考えるときに重要な現象です。僕も何気に住宅を選ぶときに、何の疑問もなく自分の子供の教育(ダウンタウン周辺はスクールレイティングで1や2(十段階評価)の危険でレベルの低いパブリックスクールのみで、アホみたいに高いPrivateにいくか、そうでなければ富裕層が集中する高級住宅地に行かなければ子供の教育レベルが一気に下がってしまうのです)や公園(まさに公共財!)などの環境などを考慮して、条件を考えて疑問もなく選びましたが、、、所得によってこれは相当、階層化を招いていることなんだ、自然にゾーニングされているんだ、とこの本を読んで衝撃を受けました。本を読むまでまったく気づかなかったもの。

Fortress America: Gated Communities in the United States  ゲーテッド・コミュニティ―米国の要塞都市


著者は、この米国の多様性が、透明化されていないことから、気づくことがとても外からの観察者には難しいとしています。それは、僕も同感です。いま、American Idole 14の各州や都市でのオーディションを毎週見ているのですが(現在これを書いているのは2015年2月)、審査員のHarry Connick, Jr.の出身地のニューオーリンズに行ったときには、これ本当にアメリカか?というような違いを感じましたし、英語も、彼が地元の人同士でしゃべるともうさっぱりわからない。わからないのが当たり前な証拠に、ときどき字幕が出るくらいですから。英語なのに。視聴者もわからないだろうという前提なんですね(苦笑)。アメリカは、日本から見たら「一つのアメリカ」と見えやすいが、多様性が非常に強烈な国だということを、意識してその違いを知らないと、まったくアメリカを見ていないでアメリカの話をするという羽目になってしまうんだなとしみじみ思います。全米各地を回るこのオーディション番組ですが、アメリカの地域の「強烈な違い」がわかってくると、この多様性の中から選択肢を絞り込んでいく行為そのものが、アメリカの荒っぽい民主主義なのだということが実感されてきます。


さてさて、話を本に戻しましょう。アメリカを学ぶときの重要な問いというか理解するための重要な視点の一つに、「アメリカ人とは何か?」という問いがあります。これは、問えばわかるのですが、アメリカ人というのは、移民の集まりなので、その背景に必ず民族的な人種的なバックボーンがついてまわるため「真のアメリカ人とは何か?」というのは、よくわからなくなってしまうのですね。なので、アメリカ人には、ドイツ系アメリカ人とか日系アメリカ人だとか、つねに「〜系」がつくのです。アメリカを学ぶときはこのことを常に前提に考えてアメリカ人を語らないとだめだ、という最初の基礎中の基礎です。もう少し抽象的に言えば、アイデンティティが常い揺れ動いて曖昧なのが、アメリカ人なのです。この曖昧なものをどうかっちり定義するか、というのが、アメリカ人になるということであるわけです。いいかえれば、自意識の自覚を、自己定義しなければならないんですね。しかし、必ずアメリカではない出身の国や文化が背後について回るので、アメリカ人という定義が曖昧で、何をもって自分が何者をかといえるのか?がよくわからなくなってしまうというスパイラルがあります。大学で最初の課題著書が与えられたときは、本間長世(アメリカ研究の第一世代)さんの『思想としてのアメリカ』を読まされたのを覚えています。アメリカにおいて、アメリカ人であるということは、実はこの「自分が何者なのかを問い続ける」という自意識の揺れ動きがあるということをアメリカ観察の基礎に置かないとだめだということですね。


渡辺将人さんはこのポイントに対して、「保守」と「リベラル」という意識で説明しようとしますが、こういった自意識はアメリカ人の心の奥底にしまい込まれているので、普段生きている場面では見ることが全くできないといいます。そして、ここが僕には今まで読んできたアメリカに関する著作の中では独創的なポイントだと思うのですが、じゃあどうやってその奥底に隠れているものを引きずり出してみることができるか?といえば、それは選挙に置いて赤裸々に噴出してくるので、選挙の過程を見ていくことが、アメリカの隠れている多様性を可視化するチャンスなのだ、と主張するわけです。これは、なるほど!でした。彼自身が、ヒラリー・クリントン上院選挙事務所本部、米大統領選挙アル・ゴア=ジョー・リーバーマン陣営ニューヨーク支部アウトリーチ局(アジア系統括責任者)を経験しているので、その具体的経験から偶然(僕にはそう見える)ここにいきついたのでしょうが、なるほどとうなりました。政治家がどのように票を獲得しなければならないのかについての最新の情報を更新するときに、アメリカの流動する極端な多様性を目に見える形であぶりだしていくことになり、選挙結果でそれがはっきりと可視化されます。ここのポイントに注目したこと、またこれを実際に実務として経験したことが彼の著作の面白いポイントだと僕は思います。

現代アメリカ選挙の集票過程 アウトリーチ戦略と政治意識の変容

この後の過程は、アメリカは二大政党制で、「リベラル」と「保守」にきれいに分かれているのだけれども、本当にそんなにきれいに分かれるのか?ということを出発点として話が進んでいきます。この辺りは読まないとわかりにくいので詳細は省くとして、実際には、こんなきれいには分けられないねじれがたくさん存在しています。ここでは大きく4つの次元にわけて、保守でも理念的に保守な人々と、草の根保守ともいうべき、生活それ自体が保守というカテゴリーにはまる人々がいて、リベラルでも同じで、理念的にリベラルな人々とライフスタイルそのものがリベラルな人がいる。そうすると、生活自体は、ほとんど草の根保守的なクアーズを飲んで中西部の田舎にいてというような保守そのものの生活をしていながら民主党支持でリベラルということもありえるわけです。もちろん逆もまたしかりです。選択肢がないのでブッシュに投票したとしても、ブッシュそれ自体の外交がグローバリストな視点は強烈に反対という共和党員で且つ保守という人もたくさんいるわけです。


ではなんで、このようなねじれが存在していても、リベラルと保守、民主党と共和党というシンプルな集約が可能になってしまうのか、という問いに対して、2つの段階的なこの時点での答えを渡辺さんは提示しているように僕には思えました。


一つは、メディアの存在。ともすれば、理念的なものにシフトして、かつ現在の状況ではほとんどがリベラルの牙城になってしまっているメディアにおいて、それでもなおかつ、先ほど上げ4つの次元において、現実のライフスタイルにおいて、政治的なものや理念的なものに興味を持たない人々を、吸い上げて参加させていく機能を、曲がりなりにもその一端を担う努力と過程がメディアの歴史みられること。ここで本来ならば、バラバラになってしまいやすい理念と現場の接続が、メディアを通して、行われている。オペラ・ウィンフリーがこのもっとも最高の成功例と描かれていて、やっとなるほど!!と思いましたよ。なぜ彼女がそんなに尊敬されているのか。


もう一つは、これは非常に抽象的な理論なので、本当にそうかはまだ僕にはよくわからなかったが、アメリカがなぜ民主党と共和党というあまり差異がないものに対して、きれいに分けることができて、その求心力が衰えないのか?という設問に対して、アメリカには封建主義が存在しなかったので、革命と共産主義が存在しないからだ、という答えは、なるほどとおもえた。ようは、日本の左翼を見ればいいのだが、常に現在ある政治体制に対する不満は、「もう一つの政治体制(=オルタナティブなもの)」が魅力を放つ構造になって、保守と革新(共産主義・革命)という構造を生み出す。けれどもアメリカでは、封建主義がなかったので、それに対抗するべきな革命思想が共感も実感も生まなかった、というのだ。なので、通常の国が持つ対立軸を持たなかった、ということです。この辺は、非常に通説っぽいのだが、僕は読んだことがなかったので、勉強をしてみないとだめだな、と思いますが、とにもかくにもこれはなるほどとおもわせる視点でした。まぁ、もっと調べて意味ないと、どうなの?とは思いますが。


とはいえ、最後の最後に自分の選挙体験から考察された少々ルポタージュ的な「いまの切り取り」から、最後は学問の通説の説明に飛躍してしまうところは、結論として弱い感じがしました。最初から学問の知見からの積み上げロジック展開ならともかく、どっちかというと体験記的な書き方があるところが強みなので、もう少しねって結論に到達してほしいと思いました。まぁ、そもそも知識がないぼくには面白かったですけどね。この人を本はできる限りこつこつ読みたいなと思わせるほど、本当に面白かったです。