物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2015-08-25

ちょっち感動しました。

本好きの下剋上〜司書になるためには手段を選んでいられません〜 第一部「兵士の娘III」


閑話 ある冬の日の決意

http://ncode.syosetu.com/n4830bu/458/


カミルの視点のお話。。。。なんか、凄い、、、、新しい世代を感じて、、、、なんか涙出てきた。。。


なんだろう、ほんとこの作品好きだ。。。なんか、胸に来る。。。。

そりゃ、いわれるよなぁ。


暴言か正論か、トランプ氏が日米同盟の片務性を非難 3万人の聴衆に訴えた「米国を守らない日本」の特殊性

2015.8.25(火) 古森 義久

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44613


日米安全保障条約って、片務性の問題点は、究極問われるのはそこだと思うので、いわれるのはいいことだと僕は思う。だって、真実だもん。アメリカにとっても日本は同盟国であって、こんな暴論はよほどの状況がないとなかなか言わないと思うのだけれども、でも、揉めれば出てくる感情論だし、そういうのがつきつけられるというのは、やっぱりいいことだろうと思う。真実はいつもしんどいけれども、最も大事なのは真実だと思うしね。


それにしても、常識で考えて、既存のオバマ大統領や、大統領候補のジェブブッシュやヒラリークリントンへの批判というかかませ犬としてのポジションだと思うのだけれども、あのテレビ討論の暴言を見ても支持率が下がらないことを見ると、根強い支持というか基盤があるみたいで、なかなか目が離せません。


2015-08-18

『異自然世界の非常食 2』 青井 硝子著  社会に参加する動機がなければ、自然に帰ればいいじゃないか!って、そっちの方がどう考えても厳しい選択しかも(苦笑)

異自然世界の非常食 2


『異自然世界の非常食』 青井 硝子著 めっちゃグロテスクで目が離せません(笑)。これ、凄いSFですね。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150418/p1


これ、これまでこのブログの思考の過程では、袋小路に陥っていた問いに対する一つの鮮やかな可能性を突き進んでいるので、、、、僕的な定義でいうと、文学(可能性の分岐の系を見極め踏破しようする物語)なのかもなぁ、でも、これ文学じゃないよなぁ、、、文学の定義を少し考えなければなぁ。えっと、


「どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか」


って問いを立てたとき、救済があるというのは、自分で変わっていける(=成長)力がある、この場合の力とは動機が持てることが、その出発点の条件でした。なので、議論がどうやって動機=内発性を持てばいいのか?ということをしていました。物語の主人公になる条件は、その物語を支配する動機の軸を持つことというぼくの発想からすると当然の話でした。しかし、そもそも、内発性を持てない人ってのはある割合でいるらしい。その場合、この問い自体が、それらの人々を切り捨てるこういうのなるのでは?という方向に話が行きました。ただし、このある割合というのは、社会的にはほとんど無視できるぐらい特例の比率であって、たぶん想像上の仮定である可能性が高く、ほとんどいないのではないか?とも考えられています。というのは、これは言い張っているだけで、見方によるからです。絶望しているといっている人のほとんどが、努力も何もしていないし、そのための手段もある場合がほとんどで、甘えているだけだからです。そもそも、声を上げれる時点で、この層には該当しません。そんな甘っちょろい状況を想定して今いませんので。


ただし、時代のシンパシーが、こうした動機が壊れた存在に仮託をしている時期が、1990−2010年ぐらいまでの続いていました。それは、たぶん日本の高度成長期というある種の全体のルールが壊れていく時期で、アノミーが社会的に発生している、いいかえれば、自分の存在に自信を持つのが非常に難しい厳しい時期だったからなんだろうと思います。まぁこの厳しさというのも相対的で、徳川幕府から明治維新のころの社会の大変動やアノミーだって相当厳しいわけで、まぁ、けっこう世代のズレこそはありますが、みんな結構しんどい時代を生きるもんなんですよ。あまり疑問を持たないでみんなが幸せになった高度成長期ですら、物凄い過剰人口世代の大競争で、楽だったかといえば、この時代の人はいかに自分たちの世代が苦しかったかを力説しますよね(笑)。まぁ、そういうものなんですよ、いつの時代も年寄りは、今の若者はと後続世代を批判し自分ノスタルジーに浸る。若者は、おれたちは特別だといいたがる。一度しかない人生、次の世代や前の世代を経験できるわけではないので、世代論で、いいわけをこじつけても本当は意味がないんですよ。歴史を読めば、そういうのはよくわかるようになります。ようはいつの時代にも、その時代なりの厳しさがあるわけで、比較で話をしても仕方が無いんですよ。現実は、生きるの大変、ということです。


えっと、とはいえね、社会のほんの少しの層に、強烈な虚無、ニヒリズム、要は価値を価値として認識できない層、というかロールモデルがあって、世界を滅ぼしたい(=世界の意味が無い)という価値否定にコミットして生きています。これへのフォロワーは、常に時代の状況で増えたり減ったりしています。このフォロワーの大きさが、成長していく物語へのシンパシーと否定に関連していると僕はおもっています。成長する物語というのは、価値へのコミットですから。ちなみに、物語において、この価値否定、世界への虚無、ニヒリズムというのが、実は、最も巨大なラスボスであり続けているのではないか、というのが最近の僕の仮説です。


そして、過去の議論では、社会のこれからのマクロで判断すると、ニヒリズムに陥っている人の行くべき方向性というのは、自滅するだけです、と僕は判断しました。それは、社会が余裕がない限りは、社会の生産に寄与するコミットをしない層を、飼っておく余裕は社会にはないからです。人権が常に、それが守られるのは、それを守れる武力と富がある時だけに限ったことである事実を歴史で見れば、それは当然のマクロ的帰結です。社会にとって、社会建設の価値を、それが哲学的にはニーチェではないですが、簡単に否定できる偽りの価値だとしても、それにあえて乗って、人生を、正の豊かさを感じ取れる生き物でなければ、人間と認めにくいからです。大きな声で人間ではないとは言い切れないでしょうが(またいってもだめでしょう)、少なくとも社会でそれを守る予算は限りなく割かれることはないでしょう。特に時代が税収が不足していくわけですから。またグローバルな経済にリンクして生きていく気合のないものは、食べていく資格が与えられません。


しかしながら、じゃあ、全部切り捨てか?というと、そうではないんですよね。それほどそもそも、人類はシンパシーがない生き物ではありませんし、なによりも、現在の資本主義にはそれを何とかするだけのギリギリですが余裕はあると思うのです。でも、さすがに、人類の最前線で帝国を形成し、全力で人類の可能性を生きている組織や人々にすれば、社会参加の動機を持たないという人を、助ける義理はありません。なので、日本的な現代の表現では、大都市と地方という風ですが、もう少し抽象的に言うと、「グローバル経済にリンクしたメインシステム」と「自然環境に限りなく接続されたサブリンクの自立共生型システム」の二つのコミュニティが用意されていくのではないかと思うのです。それで、これは緩やかにつながっているので、どっちに行き気もできるし、それをバランスよく生きるライフスタイルが、50−100年後ぐらいには、一般的になっていくのではないかと僕は想像します。

里海資本論 日本社会は「共生の原理」で動く (角川新書)

そんで、藻谷さんの里山資本主義や、下記の里海資本主義のサブシステム的な、なるべくグローバル経済の景気循環の余波を受けないシステムの構築というのが、僕は何かなんとなくイメージがつかなかったのですが、、、、究極は、『異自然世界の非常食』で描かれた話なんだ、と僕は今思い始めています。ようは、救う価値がない人はどういきればいいのか?といった時に、社会への強烈なルサンチマンがこの層を二つに分けます。


社会にルサンチマンを持つ人々は、徹底的に社会権力によって抹殺されるでしょう。事後ですが。それは、劇場型の、この社会に虚無をまき散らしてやる!というテロリズムになるからです。それは、社会としては絶対に認められません。けど、では、ルサンチマンがなければ?。それで社会に参加に動機がなければ?。社会はもちろん、そういう人には何もしません。社会の建設に労力を払わない人を、社会は必要としないからです。


ちなみに勘違いしないでほしいのですが、社会は、徹底的な包摂を目指しますので、全力で社会の多様性を増やそうとしますので、たとえばディスアビリティの人々など、意欲があるものに対しては限りなく参加をできる仕組みをテクノロジーによって強制(笑)します。それくらいに人間は、シンパシーの生き物なのです。なので、やる気も動機も無いのに、切り捨ててもらえない!(=成長は素晴らしい!死ぬ気で働け!動機を持て!社会を肯定しろ!)というのが、実は最も強烈なニヒリズムを生んでいるのではないか、とぼくは思っているくらいです。僕はここは、アダムスミスの道徳感情論が正しいといつも思っています。唯一はじくのは「意思がないこと=動機がないこと」です。動機がないことがマクロの原因ならば、それを取り除こうとする社会運動、社会改良は、際限なく続けられていくでしょう。より多様性にあふれて、動機がある人が、その動機にふさわしいリターンを得ることこそが、近代社会建設の基礎であり理念だからです。なので、一般的に、まず99.99%の人は、社会参加を求められるし、それ参加できる仕組みが、努力して建設され続けていくでしょう。なので、切り捨てるというとすぐ自分を想定するものなんですが、この社会の息苦しさは、すべての人間に際限なく、成長と自己肯定と社会建設とを求め続け、包摂し続けることが息苦しさをもたらしているのではないかとぼくは思います。

道徳感情論 (講談社学術文庫)


だから先ほど言ったように、社会から本当に切り捨てられるレベルの人は、ほんとうに、仮想レベルの話であって、まずないんですよ。特に内面の動機が壊れているかどうかの、客観的な判断はほとんど不可能とも言っていいほど難しく、劇場型のテロリズム犯罪でも起こさない限り、事後的にしか判断がつかないんですよ。なので、積極的に、社会が切り捨てる層を特定することは、不可能です。それって、優生学の思想のようなもんじゃないですか。なので、そんなに僕は、社会のありように不信は抱いていません。近代国家の理念とは、相当に国家ってやばいリヴァイアサンなのですが、マクロの世界の地政学的な動向とかには簡単に左右されるものですが、だからといって、近代の理念が簡単に捨てられることはないです。特に、伝統が100年以上続く、旧西側諸国の近代国家では、まぁ、何とかなるでしょうとは思います。国家を信用するのはとんでもないことなので、大きな流れでしか言えないことですけどね。それになによりも、資本主義そのものが、個としての消費者を必要とするし、後期資本制の帝国ともいえるグローバルな組織の維持には、信じられないくらい高度にトレーニングされた官僚集団が必要で、それの育成のための母集団はほぼ全人類に該当します(苦笑)。なので、切り捨てるなんて悠長なことを言うのではなく、どこまで人間を徹底的に成長に駆り立てられるか?が後期資本制の課題なんですよ(笑)。簡単に切り捨ててくれると思ったら大間違いです(苦笑)。ぼくは、そもそも、この近代社会というやつは、人々をどれだけ駆り立てて徹底的に利用しつくすかという個を重視しまくる理念で作られているので、俗流の優生学のような選別エリート思考は常に出てくると思うのですが、それは所詮、この近代社会の理想とは別のものだと思っています。もちろん、地政学的要因やナショナリズムでどうにでも動くのが国家であるビヒィーモスなんで、安心していいってわけじゃないんですが、、、、なので、ぼくは前提として、近代社会の理念が機能している中で、個々人が、徹底的に、駆り立てられて動機を底上げされて成長を、坂の上の雲を目指せといわれ続けるという中での話を常に前提としています。なので、切り捨てられるというのは、社会が切り捨てるのではないと僕はおもっていて、それは、その競争と成長に耐えられなくなった個人が、動機を磨滅させて、『降りる』ことから始まっています。これは自己責任で、よくいわれることですよね。けど、この降りたことは、マクロが強制したことなのか、本人の努力が足りなかったのか?という議論は意味がない気がします。水掛け論で、どのみち次の世代までに30−50年かけて、この構造的な問題点は、変わるか、社会改良されていくからです。まぁ社会が改良されても時代が変わると別の問題が出るもんなんですが(苦笑)。今の議論は、この個人が成長を降りることに対しての議論ですね。この責任を、このことをどう考えるのか?と。ぶっちゃければ、本人のせいか?社会のせいか?。けど、この二択はほとんど答えが出ない、無駄な議論を喚起するようだというのもわかってきました。どっちのせいでもあるから、難しいんですよ。まぁ、こんな先進近代国家の中で、切り捨てられるられないの議論は、本当はおかしな話で、そなこといったらISなんかの制圧地域とか、いま内戦をしているアフリカとか、そういう近代の価値を受け入れない場所を見捨ててほっておいていいのか?という議論が同時に無くて、自分たちだけの話しをするのはぼくは卑怯な気がします。

文庫 銃・病原菌・鉄 (上) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

あっと話がずれた、、、、そんで、切り捨てられるというわけではなく、なるべく、グローバルな資本主義経済のダイナミックな成長至上主義になるべくリンクしない形での、サブシステムって、里山とか里海資本主義でいうんですが、じゃあ、何に支配されているんだ?っていると、自然に支配されているんですよ(笑)。ようは、科学と資本に支配されない代わりに、過去支配されて苦しんだ自然に帰りましょうっていっているんですよ。でもあまり帰りすぎると、やばすぎるんので、中途半端に。中途半端が悪いわけではありません。自然に支配されたら、病気になったら死にましょう。怪我したら死にましょう。日照りになったら、飢えましょうといっているようなもので、そりゃーいまさらないですよ。そんなこといってたら中世のペストのように、人口が淘汰されて現代の社会は維持できませんもん。もちろんパンデミックの危機は増しているので、そういう可能性は、つねにあるでしょう。テリーギリアム監督の『12モンキーズ』の世界ですね。宮崎駿の往年の大傑作『未来少年コナン』でもいいのですが、社会が大規模になり魔法のようなテクノロジーであまりに高度に管理され過ぎると、一つのほころび、もしくはごく少数のマッドサイエンティストの虚無への志向だけで、世界が滅ぼされて文明が無に帰す可能性があるからですね。なので、ああういう恐怖があり、ああいう物語が描かれ続けるのでしょう。

12モンキーズ(Blu-ray Disc)


えっともう一度本筋に戻って、では「自然に帰る」ということはどういうことか?。中途半端ではなく徹底的に、描くとどうなるか。また物語の類型の分岐点である、社会が救えなかった層が、社会にルサンチマンを持たない層、、、、まったく動機が失われてしまった層を、どう救済するの?そっれはどういう存在なの?っていうと、要は自然の支配を疑問なく受け入れていることなんですね。動機を持たないというのは、自然というマクロの支配に対して、戦う意思(=社会と組織を建設し、自然に逆らう=もののけ姫のえぼし御前ですね)を持たないということなんですよね。エボシ御前と宮崎駿が描いてきた科学者たちと逆の意志の持ち主なんですよ。おお、そう考えると、宮崎駿と全く逆の物語価値の話だとも思います。


『風立ちぬ』 宮崎駿監督 宮崎駿のすべてが総合された世界観と巨匠の新たなる挑戦

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130802/p1


もののけ姫 [DVD]


ということで、この物語はそういう文脈で読むと、僕は大いなる答えに進んでいて、僕はとても興味があります。


異自然世界の非常食 1

2015-08-15

水上悟志さん特集です。

日曜日14-15時ぐらいに始めると思います。今回は、7月にできなかったリベンジ分です。課題図書は、なんといって水上悟志さん。どれもまごうことなき名作なので、『スピリットサークル』『サイコスタッフ』『惑星のさみだれ』『戦国妖狐』『宇宙大帝ギンガサンダーの冒険』など読んでおいてもらえると、話がわかると思います。メインは、『惑星のさみだれ』と『サイコスタッフ』なので、この二冊は、読んでいないと何を言っているのかわからないかもしれません。ぜひとも、買いましょう!。おすすめです。

惑星のさみだれ 1 (ヤングキングコミックス)

ちなみに、ラジオで話す文脈を考えると、ほんとうは『戦国妖狐』が一番題材に取り上げるのは、いいのかもしれませんが、、、、いやーこれ素晴らしいです。

戦国妖狐 15 (BLADE COMICS)


過去の記事をタグ付けしていて、気づいたんですが、『惑星のさみだれ』ですが、僕は評価が★3から4を行ったり来たりしていて微妙なんですよね。見る目ないな、おれ。とはいえ、水上さんのすべての作品言いえるけど、最後まで読み通さないとわからないし、どんどんスロースターターでボルテージが上がってくるものなので、最初の食わず嫌いで止まってしまうともったいないないなーと思いました。いやー『サイコスタッフ』に関しては、さすがに最初から主観満点で、ああ、これは文脈とか意味がわからなかったけれども、やっぱりすごい感動してたんだなーというのがわかる。

世界史の中での日本史を見る視点〜とにかく戦後70年の総理談話を全文、英語と日本語でちゃん最後まで読んでみるのがおすすめです。評価をどういうかの前にね。

戦後70年の総理談話を読んで、あいかわらずというか、安倍政権のスピーチライターは本当に見事だなぁと唸ります。けれども、山猫日記さんのブログの記事を見て、その通りだなぁと思ったんですが、これはもうスピーチライターがどうのこうのというよりは、この政権が、こうした歴史認識について、政権の最重要課題に位置づけて、全力を注いでいるだろうと、感心しました。たぶんスピーチライターや文章の表現とか言った次元だでいえる話ではないんだろうと思います。安倍首相のスピーチ群は、今後の日本の未来のあるべき姿、過去の認識の議論のベースとなっていくものになるでしょう。


このツイート、うまいこと言うなぁ、とろっぱさんがリツイートしていて、感心したんですが、僕はイデオロギーの論争は、そもそもビジネスをやっている人にすると、たぶん政治的な理念を糧に人生を生きているわけではないので、究極のところ是是非非の機会主義になると思うので、どっちが正しいのか?正義なのか?という現実的に効果のない、というかむしろ害悪のある二元論的な思考はしたくないんです。が、そうはいっても、ネットだけではなく現実に議論の空中戦は極端な方が勝つというか、影響力を持つので、イデオロギー的に極端化して叫ばれるし、それが巷にあふれることになります。なので、メディアのリテラシーを持つには、メディア各社の立ち位置がどうかとか、イデオロギの過去の経緯を踏まえないと正しい判断は下せないとかそういった、マニエリズムに陥るんですが、、、、それを勉強しなさいといっても、やっぱり食べていくのに大変で、仕事や子育てとかに大変で、そういえば今日はコミケもあるし、とかいってプライヴェートの趣味だってやることいっぱいある人には、なかなか勉強していられません。


でも、最近の安倍総理の演説は、国内的にも国際的にもいろいろ話題を呼ぶものなので、ふと、いっちょちゃんと読んでみるか、とスピーチ自体を映像で聞いて原文自体をまず読んでいたんですよね。メディア各社の意見や評価を見る前に。これ、とにかくおすすめです。まずは、読んでみないと。って、僕は自分を振り返っても、メディアを通してしか、オリジナルに直接アクセスってほとんどしてこなかったので、いまって、すぐアクセスできて、時代が変わったんだなーほんとうに思います。メディアの媒体と評価を管理する仲介者が権力を握る時代が終わりつつあることが凄く感じます。終戦の玉音放送なども、ちゃんと原文読んで、原文聞くのがおすすめです。歴史を知る時に一次資料に当たるのが学問としての常道ですが、なかなかコストがかかって大変なんですが、それが、簡単にできる時代になりつつあるんですよね。素晴らしい時代の進歩です。

終戦の玉音放送 宮内庁

http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taisenkankei/syusen/syusen.html?utm_content=buffer90c84&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer


そして読んでみると、これ、とにかく物凄く深く練られている文章で、ちゃんと保守政権としての安倍晋三政権のポリシーが一貫性を持って貫かれている、そして、中国の大国としての台頭という現実にアメリカを軸とした同盟国がどう対処すべきかの現実論、そして、そういった目の前のことではなく、日本の過去の戦争の原因など、とても品格ある歴史認識で書かれているんですね。読んでいてビックリしました。こういうのって、原文をちゃんと読んでみないとだめなんだなと本当に思いました。メディアは、右にせよ左にせよ、自分たちの見たい幻想と理念でフィルターにかけて誘導するので、もうほとんど誘導というか捏造と嘘のレベルですよね、ちゃんと原文読んで比較すると。別に総理スピーチに限らず、こんなにも普段も歪んでいるんだなーとメディア媒体に対する信用が、さらに自分の中で下落しました。


なので、まぁ、好き嫌いはあると思いますが、とにかく全文を、曇りなき眼(笑)で読んでみましょう。


保守政治家としての集大成

 私は、今般発表された総理談話は、率直にとても良い談話であったと思います。それは、保守的な政権における安倍晋三という政治家の一つの集大成でもあるでしょう。歴代の総理談話に数倍する長さの談話は、ある意味、安倍政権が一番やりたかったことだったのではないでしょうか。総理の会見からは、かつての小泉政権における郵政解散のときのような気迫が感じられました。事前にメディアに情報を流して期待値をコントロールするやり方も、同盟国や周辺国への根回しや牽制のやり方も秀逸なものでした。それが、政権にとっての最重要課題であったことを物語っています。


戦後70年の総理談話に想う 山猫日記

http://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2015/08/15/103417

ちなみに、僕は日本というのは、まだ冷静んイデオロギー対立が終わっていないというか、もっと言うと、国内の価値観の対立が、めちゃくちゃなレベルで分裂していて国論が統一されていない社会なんだろうと思います。


平和を享受してきた僕ら、永遠の日常を楽しんで生きている戦後世代の人間にしてみれば、たぶんこの生活世界を豊かにするというポリシーで貫かれた戦後世界のマクロ環境は、たぶんおおむねほぼすべての日本人が共有できる皮膚感覚があるという感じがするのですが、にもかかわらず、表面のレベルで国論が二つに分断される。


それが、顕著に出るのが、過去の戦争に関する被害者、加害者の二元的視点だと思うんですよね。あまり未来志向でないところが悲しいところですが、、、ちなみに、佐々木俊尚さんの『「当事者」の時代』が、この対立がどういう経緯で生み出されていくかの素晴らしい解説書というか導入書です。この系統の過去の戦争の評価をめぐる素晴らしい本はたくさんあるのですが、すべて批評家や、文学者、歴史家などが書いていて、ねじれて難解で前提知識や文章のリテラシーがかなりのレベルでないと、なんのことやら?という感じになってしまいやすい中、この本は本当にストレートでわかりやすく、しかも全体を見通されて書いてあります。超おすすめです。あと、twitterの対応とか、人となりが、もうなんというか、ああ、この人は信用できるんだなーって誠実さが溢れている感じがして、、、、ああいうのあってあからさまに人格が出るので、そういう信頼感も、読んでいて安心材料になります。

「当事者」の時代 (光文社新書)


あっと、戦後の、現代の日本社会は、深刻な対立を抱えている分断社会で、この分断、分裂が、そうでなくともリーダーシップのない戦略思考が弱い日本社会の進むべき行動を、常にふらふら迷わせる結果になります。


なので、僕は、やはりリーダーとして、そして語るべき価値のあるメッセージとして、この分裂している価値観を和解に導くブリッジとなるメッセージにとても価値があり、動員力があると思うんです。


なので、このブログの記事で書かれているように、安倍総理のスピーチがとても価値があるなと思うのは、全体として保守の側がリベラルに歩み寄っていることにあると思うのです。


和解とは言いませんが、僕はこうした姿勢には、たぶん実際のサイレントマジョリティーというか、イデオロギー論争に参加していない人々の絶大な支持と共感を生むと思うんです。少なくとも、右でもなく左でもないノンポリの僕は、この文章に強い共感を感じます。内容よりも先に、右派寄りの姿勢を持つ集団が、現実を直視し、左側が義も右側もギリギリ許容できる限界ラインで、過去の戦後日本のメッセージもすべて包含しているからです。


前にも書きましたが、今後、国際秩序が当たらな台頭を基礎に緊張を増してゆき、国の権力が強くなっていく中、左翼的な価値観が強くならないと、本当に厳しく現実がすべてを肯定していく時代になると思うのです。なので、その中で、こうした対立や分裂を、和解に導こうとするプラグマティツクな努力は、たぶんに評価され支持されると思うのです。本来は逆のパターンにも効果があるはずなんですよ、左派を支持する集団が、右寄りにギリギリのラインで理解を示すことや、それらの価値観をいかに戦略的に取り込むかが、本当はとても現実的、現実に効果を及ぼすことだろうと僕は思います。なぜそれが左派にはできないのかが、不思議でたまりません。


さて、閑話休題。中身なんですが、



戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで (新潮選書)
戦後史の解放I 歴史認識とは何か: 日露戦争からアジア太平洋戦争まで (新潮選書)細谷 雄一

新潮社 2015-07-24
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僕、これ、この本を読んでみないとな!って凄く思いました。というのは、アメリカで博物館とかで先の戦争を説明している文章を読むと、大東亜戦争でも太平洋戦争でも、どちもほとんど書いているのを見たことがないんですよ。ほぼ統一されて、WW2、第二次世界大戦と書いてある。ここで日本史の本を読んでいると、世界の中の位置づけがぽっかり抜けているんですよね。日本人らしいというか、全然周りが見えていないんだなーって。


半藤一利さんの昭和史の講義録を車通勤の中で何回も聞いていて、戦前の昭和史の全体像がつかめたら、どうしても欧州側のWW1-2の経緯が知りたくなったので、『八月の砲声』をコツコツ読み始めているんですが、これって、日本単体で見ても、その意味がよくわからないからなんですよね。


八月の砲声 上 (ちくま学芸文庫)


しかしよく考えてみれば、1939年に始まった「欧州大戦」が、本格的にアジア・太平洋地域にまで広がり、アメリカにも参戦させたのは、日本の対米英宣戦をきっかけにしている。世界史の視野から見れば、日本の行動こそが第2次「世界」大戦を成立させたのだから、海外の読者に説明するときには、そう呼ぶのがむしろ適切なのである。日本でしか通用しない「大東亜戦争」「太平洋戦争」、あるいは「アジア・太平洋戦争」といった名称を使うのは、国際社会の動きと日本とを別世界のように切り離してとらえる感覚にも、結びついてしまうだろう。

細谷雄一の新著『歴史認識とは何か』は、世界史と日本史とが切り離され、ひたすら自国の視点のみの「昭和史」「戦後史」が語られてしまう現状に対して、正面から批判を挑んでいる。しかも、世界史と日本史が別々になっている学校教育だけでなく、ジャーナリズムにおける論評や、学問研究までも、そうした分断体制に支配されているようなので、問題は根ぶかい。

1899年のハーグ陸戦規則をはじめて適用し、捕虜に対する人道的な扱いを徹底させたのは日露戦争のさいの日本だった。しかしその同じ国が三十数年後には、国際法を無視し、連合国軍の捕虜に対する虐待を平然と行なうという激変ぶり。また、第1次世界大戦後に築かれた、国際連盟を中心とする国際協調体制に対して、日本の満洲事変がそれを打ち破ってしまったことの衝撃。日本の行動が国際社会に対してもっていた、そうした重大な意味を、細谷は巧みに指摘している。

歴史を語るさいに「世界史のなかの日本」という視点が必要だと言われることは多いが、本当にその名に値する歴史叙述ができあがった例は、あまりない。本書はその課題をこなしながら、20世紀前半の日本の政治・外交史を通観した、貴重な1冊である。


【ブックハンティング】世界史のなかの日本現代史

http://www.huffingtonpost.jp/foresight/japan-contemporary-history_b_7980320.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000001

そういえば尊敬する出口さんも、世界史は本当は一つしかなくて、日本史とか中国史とか各国史なんてものは本当はないんだとよく書かれていましたが、最近それがなるほどと思えるようになってきました。

仕事に効く 教養としての「世界史」



さて、英文で読んでみると、また違った感じがして面白いですよ。


ではではー。


Statement by Prime Minister Shinzo Abe

Friday, August 14, 2015


Cabinet Decision


On the 70th anniversary of the end of the war, we must calmly reflect upon the road to war, the path we have taken since it ended, and the era of the 20th century. We must learn from the lessons of history the wisdom for our future.

More than one hundred years ago, vast colonies possessed mainly by the Western powers stretched out across the world. With their overwhelming supremacy in technology, waves of colonial rule surged toward Asia in the 19th century. There is no doubt that the resultant sense of crisis drove Japan forward to achieve modernization. Japan built a constitutional government earlier than any other nation in Asia. The country preserved its independence throughout. The Japan-Russia War gave encouragement to many people under colonial rule from Asia to Africa.

After World War I, which embroiled the world, the movement for self-determination gained momentum and put brakes on colonization that had been underway. It was a horrible war that claimed as many as ten million lives. With a strong desire for peace stirred in them, people founded the League of Nations and brought forth the General Treaty for Renunciation of War. There emerged in the international community a new tide of outlawing war itself.

At the beginning, Japan, too, kept steps with other nations. However, with the Great Depression setting in and the Western countries launching economic blocs by involving colonial economies, Japan's economy suffered a major blow. In such circumstances, Japan's sense of isolation deepened and it attempted to overcome its diplomatic and economic deadlock through the use of force. Its domestic political system could not serve as a brake to stop such attempts. In this way, Japan lost sight of the overall trends in the world.

With the Manchurian Incident, followed by the withdrawal from the League of Nations, Japan gradually transformed itself into a challenger to the new international order that the international community sought to establish after tremendous sacrifices. Japan took the wrong course and advanced along the road to war.

And, seventy years ago, Japan was defeated.


On the 70th anniversary of the end of the war, I bow my head deeply before the souls of all those who perished both at home and abroad. I express my feelings of profound grief and my eternal, sincere condolences.

More than three million of our compatriots lost their lives during the war: on the battlefields worrying about the future of their homeland and wishing for the happiness of their families; in remote foreign countries after the war, in extreme cold or heat, suffering from starvation and disease. The atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, the air raids on Tokyo and other cities, and the ground battles in Okinawa, among others, took a heavy toll among ordinary citizens without mercy.

Also in countries that fought against Japan, countless lives were lost among young people with promising futures. In China, Southeast Asia, the Pacific islands and elsewhere that became the battlefields, numerous innocent citizens suffered and fell victim to battles as well as hardships such as severe deprivation of food. We must never forget that there were women behind the battlefields whose honour and dignity were severely injured.

Upon the innocent people did our country inflict immeasurable damage and suffering. History is harsh. What is done cannot be undone. Each and every one of them had his or her life, dream, and beloved family. When I squarely contemplate this obvious fact, even now, I find myself speechless and my heart is rent with the utmost grief.

The peace we enjoy today exists only upon such precious sacrifices. And therein lies the origin of postwar Japan.

We must never again repeat the devastation of war.

Incident, aggression, war -- we shall never again resort to any form of the threat or use of force as a means of settling international disputes. We shall abandon colonial rule forever and respect the right of self-determination of all peoples throughout the world.

With deep repentance for the war, Japan made that pledge. Upon it, we have created a free and democratic country, abided by the rule of law, and consistently upheld that pledge never to wage a war again. While taking silent pride in the path we have walked as a peace-loving nation for as long as seventy years, we remain determined never to deviate from this steadfast course.

Japan has repeatedly expressed the feelings of deep remorse and heartfelt apology for its actions during the war. In order to manifest such feelings through concrete actions, we have engraved in our hearts the histories of suffering of the people in Asia as our neighbours: those in Southeast Asian countries such as Indonesia and the Philippines, and Taiwan, the Republic of Korea and China, among others; and we have consistently devoted ourselves to the peace and prosperity of the region since the end of the war.

Such position articulated by the previous cabinets will remain unshakable into the future.


However, no matter what kind of efforts we may make, the sorrows of those who lost their family members and the painful memories of those who underwent immense sufferings by the destruction of war will never be healed.

Thus, we must take to heart the following.

The fact that more than six million Japanese repatriates managed to come home safely after the war from various parts of the Asia-Pacific and became the driving force behind Japan’s postwar reconstruction; the fact that nearly three thousand Japanese children left behind in China were able to grow up there and set foot on the soil of their homeland again; and the fact that former POWs of the United States, the United Kingdom, the Netherlands, Australia and other nations have visited Japan for many years to continue praying for the souls of the war dead on both sides.

How much emotional struggle must have existed and what great efforts must have been necessary for the Chinese people who underwent all the sufferings of the war and for the former POWs who experienced unbearable sufferings caused by the Japanese military in order for them to be so tolerant nevertheless?

That is what we must turn our thoughts to reflect upon.

Thanks to such manifestation of tolerance, Japan was able to return to the international community in the postwar era. Taking this opportunity of the 70th anniversary of the end of the war, Japan would like to express its heartfelt gratitude to all the nations and all the people who made every effort for reconciliation.


In Japan, the postwar generations now exceed eighty per cent of its population. We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize. Still, even so, we Japanese, across generations, must squarely face the history of the past. We have the responsibility to inherit the past, in all humbleness, and pass it on to the future.

Our parents’ and grandparents’ generations were able to survive in a devastated land in sheer poverty after the war. The future they brought about is the one our current generation inherited and the one we will hand down to the next generation. Together with the tireless efforts of our predecessors, this has only been possible through the goodwill and assistance extended to us that transcended hatred by a truly large number of countries, such as the United States, Australia, and European nations, which Japan had fiercely fought against as enemies.

We must pass this down from generation to generation into the future. We have the great responsibility to take the lessons of history deeply into our hearts, to carve out a better future, and to make all possible efforts for the peace and prosperity of Asia and the world.

We will engrave in our hearts the past, when Japan attempted to break its deadlock with force. Upon this reflection, Japan will continue to firmly uphold the principle that any disputes must be settled peacefully and diplomatically based on the respect for the rule of law and not through the use of force, and to reach out to other countries in the world to do the same. As the only country to have ever suffered the devastation of atomic bombings during war, Japan will fulfil its responsibility in the international community, aiming at the non-proliferation and ultimate abolition of nuclear weapons.

We will engrave in our hearts the past, when the dignity and honour of many women were severely injured during wars in the 20th century. Upon this reflection, Japan wishes to be a country always at the side of such women’s injured hearts. Japan will lead the world in making the 21st century an era in which women’s human rights are not infringed upon.

We will engrave in our hearts the past, when forming economic blocs made the seeds of conflict thrive. Upon this reflection, Japan will continue to develop a free, fair and open international economic system that will not be influenced by the arbitrary intentions of any nation. We will strengthen assistance for developing countries, and lead the world toward further prosperity. Prosperity is the very foundation for peace. Japan will make even greater efforts to fight against poverty, which also serves as a hotbed of violence, and to provide opportunities for medical services, education, and self-reliance to all the people in the world.

We will engrave in our hearts the past, when Japan ended up becoming a challenger to the international order. Upon this reflection, Japan will firmly uphold basic values such as freedom, democracy, and human rights as unyielding values and, by working hand in hand with countries that share such values, hoist the flag of “Proactive Contribution to Peace,” and contribute to the peace and prosperity of the world more than ever before.

Heading toward the 80th, the 90th and the centennial anniversary of the end of the war, we are determined to create such a Japan together with the Japanese people.


August 14, 2015

Shinzo Abe, Prime Minister of Japan

http://japan.kantei.go.jp/97_abe/statement/201508/0814statement.html

2015-08-12

今週末ラジオをするかもしれません。たぶんメインは、水上悟志さんの『惑星のさみだれ』ですー。

【漫研ラジオ】

http://www.ustream.tv/channel/manken

7月にラジオができませんでしたので、リベンジで、というか数合わせで今週末に、できればやろうと画策しています。というのは、LDさんとセカイ系の考察が進んだので、いろいろ話を続けたいのです。前回の8月の考察は、定義の話で終わったので、あまり話が進んでいませんもんね。具体的な作品の中身にも入っていませんし。それにしても、今まで定義的にセカイ系の話と接続が悪いなーと思っていたループものこそが、、セカイ系のメインだったというのは、いろいろ過去の整合性がつくのでとても考察が進んでいます。けっこう次回は、このまま今週シゴトが忙しくなっておかしくならない限りリキ入れる思うので(といつも言ってはできな気がする…)、いい内容を期待してください。

惑星のさみだれ 10 (ヤングキングコミックス)

そこで、セカイ系の定義を話している時に、LDさんと話していて、やっと『惑星のさみだれ』について、そういうことだったのか!という長年の悩みが解消されたので、今回いまめっちゃメモ書いて、超長文の記事の準備をしているのですが・・・・ほら、僕って忙しくなるとすぐ忘れたり、そのまま過ぎ去ってしまうので、せめてこの内容は、形にしておこう!と思い立って、ラジオしようと思ったんです。


『スピリットサークル』があまりの傑作!!!で腰を抜かして、過去の作品(全部持っています!)全部読みなおして、、、、この作品の良さって、なんなんだろうと考えている時に、LDさんに話したら、昔は話されたことを、今回のセカイ系の文脈で説明されて、それで。そういうことだったのか!!!という驚きが訪れたんです。というか、、、もう何年も前に、LDさんは、ちゃんとすべてを解き明かしていたのですね、、、自分の理解力のなさに、凹みましたが、、、まぁ理解には時があります。凄いすっきりして、LDさんのいっていることが、そういうことか!!!!ってわかったので、これを言いたいんですよ。


セカイ系の構造とキーワードをほぼすべて網羅して、結論も全くフォーマット通りに落とし込んでおり、かつたぶん作者は、確実にセカイ系的なものを作ろうとしていたにもかかわらず、僕は全くセカイ系には見えず、LDさんも、それは違うだろう!と叫び続けていた理由が、やっとわかったんです。


この星を砕く物語は、文字通り砕くべき物語で、、、、というのは、いま書いている記事かラジオに譲りましょう。とにかく、僕この人、水上悟志さんって、素晴らしい物語作家だと思うので、ぜひとも皆さんおすすめです。しかもすべてつながっている人なので、これ全部読めば読むほど、味が噛みしめられる人です。みんな読んで!!!。


また、僕は、成長至上主義のアンチテーゼとしての、ナルシシズムの檻の中への引きこもりではなく、成長物語でありながら、まったく熱くもなく、等身大のスケールを超えた幻想も目標も持たない、水上悟志さんの描くキャラクターたちの「あり方」こそ、僕は乗らないと叫んだシンジ君以外の、おれは海賊王になる!と根拠もなく熱くなるルフィでもない形での、成長の新しいモチヴェーションの在り方の具体例の一つだと思っています。


僕が水上さんの作品にずっとこだわりを持っていたのは、僕は『サイコスタッフ』が好きで好きでたまらないんですよ!!!。柊光一くん、最高です。ぼくの理想の、男の子です。これが絶版で売っていないなんて、信じられない大傑作なのですが、、、いまわかりましたが、ペトロニウスの名にかけてこの作品は大傑作で、★5つのマスターピースなんだと思います。


『惑星のさみだれ』の雨宮夕日がなぜあんなにも欲望が薄いのか?ということ、朝日奈さみだれがなぜ「なんでも願いをかなえてやる」といわれて、即答で「なにもない」と答えるのか?、東雲三日月が、なぜ正義の味方を演じているような態度を取るけど本気で正義の味方をしているのか(正義の味方が成り立たなくなったこの時代で、どういうありかたがそうなれるのかを体現していると僕は思う)?などなど、LDさんと話しているうちに、これって、僕が、好きで好きでたまらなくて、理由はわからないけど、ずっとずっと凄い人として理想的な在り方だ!って、ずっと思っていた柊光一くんの在り方が、どういうものなのか?ってのが説明ついた気がするんです。LDさんに、みんな同じ欲望の持ち方していますよね、、、というか、水上さんのキャラクターってみんな熱い欲望がそもそもないですよね、、、、といわれて、初めて、そうかすべてに共通点があった!!!とわかったんです。まぁ、ようは、等身大のスケールを超えた目的を拒否する姿勢なんですが、、、、LDさんは、これを「虚無を見た」かどうかによって、変わりますという話になるんですが、、、ああ、この話は長くなりすぎるので、また今度(笑)。


まぁ、文脈読みは、しょせん文脈読みなんですが、そんな小難しいこと考えなくても、水上悟志さんの作品は、本当に素晴らしい上に、どれも完成しているにもかかわらず、どんどんレベルが上がっていくし、、、、これたぶん全部世界がシェアードワールドとして繋がっていますね。。。。いや本当に素晴らしい作家さんです。大好きです。


サイコスタッフ (まんがタイムKRコミックス)


ちなみに、『スピリットサークル』読むときは、下記の短編も読んでいると、いろいろ思うと思いますよー。ぜひとも、おすすめです。ということで、ラジオの課題図書なんで、皆さんすぐ読みましょー(笑)。


宇宙大帝ギンガサンダーの冒険―水上悟志短編集 vol.3 (ヤングキングコミックス)

2015-08-11

うわー、すげぇー楽しみ。

スピリットサークル  5巻 (ヤングキングコミックス)


超楽しみです。ほんと、好きです。こういう素晴らしい物語の続きが読めるなんて、、、神さまありがとう。

2015-08-07

『響け!ユーフォニアム』 石原立也監督  胸にじんわりくる青春の物語

響け!ユーフォニアム 6 [Blu-ray]

評価:★★★★★星5つ

(僕的主観:★★★★4つ)

安定の京都アニメーションでした。青春を描いた部活モノとして考えたら、完璧な構成、完成度を誇る作品だと思います。文脈的に、奇抜で新しいものがあるわけではないので、これは見るべきだ!と、蛮勇をふるって傲慢に人に無理やり紹介するという作品ではないかもしれません。けれども、丁寧に物語的な「積み上げ」がなされて、妥協なく演出を精緻にすると、物語というものは、特に文脈的な特別さや展開がなくとも、深く入り込め、終わった後に深い余韻を、、、、この物語を体験できてよかったという香りを残すのだと思います。

うーん、なんといえばいいのでしょうか。よく映画的という表現がありますが、1本の大作映画を見たのではなく、1クール12話構成の日本のアニメーションの形式の枠での完成度を見た気がします。どういうことかというと、主人公の友人に加藤葉月という子がいますが、この子の塚本君への恋のエピソードが1-2はなし丸々あてられています。これ、全体の主題からいくと、枝葉のエピソードです。けれども、ここを丁寧に「積み上げ」ると、全体が立体的になるんですよね。これ、12話構成のある一定期間毎週放送する形式から生まれる日本のアニメーションの独特のものだと思うんですよ。ディズニーやピクサーの2時間の超大作では、こういう演出は脇道すぎてできないと思うんですよね。

通常は、文脈的な新規さや奇抜さがあるか、僕の個人的な審美にヒットして、良い悪いは関係なしにこれを人に見てほしい!!というような強い衝動があるものがなければ、★5はないんで、★4つになるはずなんです。しかし、それがなくとも、これだけの丁寧な積み上げの完成度は、深い味わいを残したが故に、★5つです。とてもおすすめですよ。最初に書きましたが、青春を描いた部活モノ形式の作品を下記に出紹介していきますが、そういったものが好きな人は、とてもグッとくると思うので、おすすめです。

耳をすませば [DVD]

もう少しあとで、日常系の文脈と『けいおん』(2009)の時から話している部活モノの文脈で語る前に、僕はずっとこの作品を見ながら、ジブリの近藤喜文監督の『耳をすませば』をとても連想しました。オリジナルの小説の武田綾乃の出身地である京都府宇治市が舞台になっているので、これは関西が舞台です。『耳をすませば』は、聖蹟桜ヶ丘周辺だったと思いますが、そこが舞台なので関東で東京都多摩市らへんが舞台です。この違いはありますが、現代の日本の風景が、日常の、僕らが青春時代に見た1980年代以降の高度成長を遂げた後の日本の、あたりまえの風景が、そこに精緻に再現されています。特に、京都アニメーションの作風、と限らなくてもいいですが、作画レベルが圧倒的に向上している昨今のアニメーションでは、こうした舞台へのこだわった取材や再現を通して、ノスタルジーを喚起するような日常の風景の空気感の再現が、全体の物語の質を向上させる手法がよくつかわれている気がします。

そしてこの演出の原初というかスタートの一つが『耳をすませば』(1995)だと思うんですよ。僕は東京の西郊外に子供時代を過ごし、聖蹟桜ヶ丘など多摩川の周辺は、ほんとう身近なものだったの、ただそれが、物語の中で精緻に(とはいえアニメはある種の特徴の強調がどんなに同じように表現しても起こりますので)再現されているだけで、言い知れぬ感動が胸に迫ったのを覚えています。たとえば細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』(2013)などの舞台などは、そもそもすぐ近くに住んでいたこともあり、強烈なノスタルジーを感じさせるものでした。

おおかみこどもの雨と雪 BD(本編1枚+特典ディスク1枚) [Blu-ray]

東京の西郊外に実際に住んでいても強烈なノスタルジーを喚起されたので、これって要は自分の青春時代、学生時代に過ごした日本の学校空間と通学の原風景なんだろうと思います。とりわけ今のよう海外に住んでいると、たとえ関西、関東や北海道などの違いがあっても、日本の学生生活を送る子供が見る原風景は、1980年代頃から変わらないのだと思います。逆を言えば、それ以前の風景はスゴイ変わっているような気がします。ちなみに、1980年代頃から、日本は急速に近代化の最終ステージに入り、バブルによって不動産投資が過熱したので、現在まで残る都市空間のデザインがここで変化したと僕は思っているので、1980年代という境を設定しています。この物語の舞台、キャラクターたちの見る風景を、精緻に再現することによって、見るもののノスタルジーを喚起させて、感情移入を深める手法というのは、そもそもエンターテイメントの手法としてのオリジナル、起源は、ウォルト・ディズニーのディズニーランドの創造にあるのですが、そこは話が長くなるので割愛して、とにかく最近のアニメーションには、この風景を精緻に描くことで世界に厚みを持たせる手法がよくつかわれ、特に京都アニメーションの十八番ですよね。僕は神戸守監督の『エルフェンリート』(2004)の鎌倉の景色やP.A.WORKSの西村純二監督の『true tears』(2008)の北陸の景色をとても連想します。

true tears Blu-ray Box

どちらも素晴らしい傑作なので、ぜひとも未読の方はおすすめです。この現実の風景を精緻に描いて、ノスタルジーを喚起する手法について話したのは、ルイさんととても深く語ったのが懐かしいです。二作品とも、ルイさんがすすめてくれたんですよね。この背景を精緻に描いていくというのは、日本のアニメーションの質をどんどん向上させていっている感じがしますが、このノスタルジー化もしくは聖地巡礼などの文脈で語られるような聖地化みたいな文脈に進んでいるのです。アニメーションとしてこういった方向の発展が、将来に寄与するかどうかまではまだ考えていないのですが、ほんとディズニーなどのアメリカのアニメとは発展の方向が違いますよね。いやー多様性があって楽しいです。

エルフェンリート Blu-ray BOX

この視点ともう一つみたいのは、やはり『けいおん』を初めて見た時に、永遠の日常、無菌系の発展形態の流れです。監督の石原立也さんも『日常』の監督を思い起こされて(僕はKeyの作品を全く見たことがないので、そっちは思い浮かばないんです)、やはり僕としては『日常』の監督というイメージがありますね。特に、『響け!ユーフォニアム』は、シリーズ演出が『けいおん』の監督の山田尚子さんとなっていて、連続性を僕はとても感じました。日常系の出発点は、『あずまんが大王』の4コマ漫画から『らきすた』なんですが、これらの作品を見るときに、やっぱりキーは、「時間性をどうとらえるか」もっとぶっちゃけてわかりやすく言うと、ようは、卒業するかどうか?って話なんですよね。日常系を、永遠という形容詞をつけていたのは、「卒業したくない」、いまこのままで時が止まってほしいという欲望というか意志が強く働いていると感じたからなわけですが、そこから脱出しなければならないのか、出て行かなければならないのか、大人にならなければいけないのか?という軸で考えると、時間が進む、つまり卒業するかしないかは、重要なこれらの作品を評価する上での分岐点だと思うんです。クリエイターとして作品を作る時も、時間が進むことを肯定でとらえるのか否定でとらえるのか、それが重要なポイントになるはずです。けれども『けいおん』は、もともとのオリジナルのマンガを見ると、そういった時間性は4コマ漫画で背景が精緻に描かれていないので、そういった命題に特に構造的にこ与えている作品ではないのですが、京都アニメーションでアニメ化した時に、めっちゃ背景がきれいなので、とても現実感が増してしまい、あれ、これ卒業するよなって、方向に焦点があってしまったんだと思います。もともと山田監督や京アニがそういうことを考えてコンセプトしたかはわかりませんが、背景をちゃんと描くと、現実感が増していき、4コマ漫画の持った記号性から脱客していく効果があったんですよね。まぁ、小難しいことではなくて、ようは、僕らは『けいおん』のアニメを見てて、時間の流れと学生生活のノスタルジーと青春を強く喚起されたってことなんですよね。

映画 けいおん!  (DVD 初回限定版)

でもね、やはりまだまだ、永遠の日常、無菌系の全盛期の作品で、当時僕はあずにゃん問題(笑)といって、あれだけ才能があるあずにゃんが、なんで真剣に部活をやって、将来のプロを目指すためのトレーニングとしないのか、ただ、だらっと永遠の日常的な世界の中でたゆたって過ごしていいのか?って怒っている(←大きなお世話ですね(苦笑))んですが、学園モノに、卒業していくという時間性・・・・・要は青春ものとしての、要である「いまこの時は、二度と戻ることがないもの」という感覚を挿入した途端、部活モノの重要な分岐点である、楽しく過ごせばいいのか?、それとも勝つためにやるのか?という物語の姿勢への命題を呼び起こすのは自明だったからだろうと思います。これとても論理的だと思うんですよね。なので、『けいおん』を描いて、かつ、次にきっと似たようなコンセプトが通りやすいだろうともいますし、手法的にも技術的にもレベルが蓄積されているなかで、クリエイターが、真剣な部活モノの・・・・勝つために戦う部活を描くというものを、無菌系的なコンセプト、もっとぶっちゃければ『けいおん』と反対の作品を作ってみたいと思うのは、まぁ、そうだよなって思うんですよ。

日常のブルーレイ 特装版 第1巻 [Blu-ray]

石原立也さんの『日常』も、まさに、学園生活の日常部分を切り取っていて、ここには、時間性がほとんどない俳句みたいな作品なんですが、この作品は、漫画もアニメも、僕とLDさんが永遠の日常、無菌系の最高峰と位置付ける『ゆゆ式』(2013)と並ぶ傑作ですので、ぜひ見てほしいのです。

ゆゆ式 6 (初回限定版) [Blu-ray]

永遠の日常をベースにする無菌系の初期のこれらの作品群と『響け!ユーフォニアム』(2015)の時間は二度と戻らない!という青春の中での切実感は、真逆なのがわかります。ユーフォの物語の構造を動機で切り取ると、主軸は、主人公が中学の時に全力を尽くせなかった後悔を、そのリグレットを、どうやって高校時代で取り戻すかというところにあります。もうこれ、卒業とともに、いったん物語がすべて終わってしまい、もう戻ることはないという時間の緊張感の中に最初からその本質までどっぷりつかっています。もちろん、そもそも青春の部活モノの形式は、別にこうした永遠の日常と無菌系の文脈でわざわざ語らずとも、そもそもが、そうした、「今この時しかないもの」をどうやって燃焼しつくすか?というテーマに支えられますので、文脈とは関係なく、いや別にこの物語類型を描くなら、こうしかならないだろうといえるんですが、やっぱり関わっている石原立也監督さんや山田尚子さんが、この以前に、こうした時間が止まった学園生活を描く作品を書いていた後にこれが描かれているのは、面白い見るべき点だと思うんですよね。

【TVアニメ化】響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ (宝島社文庫)

さてさて、僕このユーフォを見ようと思ったのは、海燕さんたち友人たちが、これはいいって騒いでいたからなんですが、部活モノや『けいおん』の後の文脈なんで、京アニだし、きっとけいおんと同じキャラクターデザイン的だろうと思っていたのですが、うーん、似ているけど、なんとなくそもそも本質的に違う気がするなぁーーって、うんうん、うなっていて、この系統の顔どっかで見たことあるんだよなぁ、、、って、思っていたんですが、これって、キャラクターデザインが、アサダニッキさんなんですね!。『青春しょんぼりクラブ』大好きで!。恋愛の物語だったのに、途中から群像劇に代わって、青春ものになって、、、って、僕これすごい好きなんですよ。ユーフォの小説の挿絵も書いているんですね。これ、最終回で気づいたんですが(←遅い)、この組み合わせを考えた編集者の人、凄いです。小説の内容にめちゃぴったりっている。

   

青春しょんぼりクラブ 5 (プリンセス・コミックス)

あっと、ユーフォ自体の話に全然なっていないので、そっちに帰りましょう。この作品は、僕はとっても軸がしっかりしている作品だと思いました。それは、主人公の黄前久美子ちゃんの、中学時代に本気になれなかったことの後悔を、高校でリベンジして返すって動機の設定です。久美子自身が、非常に懐疑的で、飄々としているタイプで、本気になりにくい冷めた、とまでは言わないが、熱く成りにくい性格に設定されているのも、時代性をとても感じます。たぶん、いまの世代の若者は、最初から巨人の星やワンピースのように、俺は熱く燃えるぜ!という動機のストレートな表出には、感情移入がしにくいと思います。けど、やっぱり時代は、通常の成長物語を、丁寧に成長物語を描くことに帰ってきている感じがするのは、先日『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』を見ている時に思ったことです。もちろん僕らが言う、新世界系の話が出ているところで、「どこにも行きつかないところ」でループして、自分の内面世界のナルシシズムの檻に入って、現実から逃げていくことを求めていたエヴァンゲリオン以降の時代性の部分へのはっきりとした離脱が、、、というか、感覚的には、文脈と基礎が変わってはいるものの、もう一度、成長物語のターンへ時代が回帰している印象を受けるんですよね。そうした中で、成長することの基礎の基礎って、、、たぶん、後悔でしかありえないって僕は思うんですよもう少し情緒的で、リグレットと書いたほうがいいかなぁ。


高度成長期の時代ごろ、団塊のJrまでは、僕はルサンチマンやトラウマがキーワードだったと思うんです。なんか成長を目指すのは、そうした心に瑕疵があるからで、その恨みつらみを現実にぶつけて、どっかんどっかん成長して、現実に復讐するみたいな(笑)。けれども、今の若者、80年代以降に生まれて育っている人には、高度成長期のきらめきとか、落差とか、光と影とかそういうのってないんだと思うんですよね。そうした中では、やっぱり、時代がマクロ的に大きく生まれないので、ルサンチマンや恨みも、大きくは生まれない。なので、冷めてしまうし、社会背景の成長が期待できないので、未来が明るいとも思えない。とはいえ、そうはいっても、そうした中でも、結局のところ、シニカルに冷めていても、楽しいことは何もないって、痛いほどわかってきたんだと思うんですよね。けど、そもそも最初から才能があって、目標にまっしぐらに生きている高坂麗奈のような選ばれた道を走っている人はいいかもしれないけれども、、、彼女のような人には彼女のまた別のドラマがあるんだけれども(特別になりたいけどなっていない自分への強烈な不安とか、、、)、やっぱり、僕は、ここが頑張り切れてもいないし、かといって、やめてしまっていることもできない、どっちつかずな中途半端で生きている久美子が、ちょっとしたリグレットや疑問を抱えながら、北宇治高校吹奏楽部が全国を目指す大きなうねりの中に巻き込まれ、その中でさふぁいあや麗奈との関係たち、仲間との絆を深めていくことで、「本気で生きること」を知っていく、というのは、とても感動します。


というのは、彼女は運よく、中学の後悔を、高校で返すことができました。けれども、周りの友人と話していると、ほとんどの大人は、なんであの時、あの青春時代の尊い時間に、もっと頑張らなかったんだろう、捨て身になれなかったんだろう、、、そうしていれば何かが変わっていたんじゃないかという後悔を抱えて生きています。僕は、中学と高校はほんとダメダメな人生で、二度と戻りたくないのですが、、、その後悔を、僕は大学で逃げずに戦って、大学はとても幸せでした。そして、一度そういう本気を知ると、大事なところで逃げない、負け癖をつけない努力ができるようになって、成功したり成長したりとまでは言えないんですが、後悔を克服するとまでは言えないですが、まぁ、自分がやれるだけはやれてるなって、思えるように生きて行けるようになりました。なので、この後悔が大きくなると、トラウマやルサンチマンになって、心が壊れる原初の傷みたいなものになるんですが、、、、でも、こういうリグレットというか、何か、これじゃダメだというようなマイナスポイントがなければ、人というのはそんなに頑張らない生き物だと思うんですよね。そういう後悔の克服のドラマトゥルギーを、見事にショート、コンパクトにまとめていて素晴らしいと思いました。


物語の落差というか、落ちもの系の空から女の子が降ってくるという幸運を、最初に経験させて、それがほしいならば、と試練を与えて覚悟を試す構造が、あると過去に僕は書きました。契約と再契約の概念ですね。これって、人が素直に受け取れるとても自然なものだと思うんですが、同じように、人が何かをがんばる、というのは、やはりそういう後悔、リグレッドのような瑕疵がなければ、簡単にできないんじゃないか、と思うんですよ。だって、最初から、なんの後悔もなくがんばり続けている人を見たら、それはそれで、ひいちゃいますよね。もしくはそれに根拠を求めるとしたら、親からのトラウマ(教育)、、ってこれもトラウマ、瑕疵、ルサンチマン系と同じになるのか、、、、親から、何の瑕疵もなく、エリート教育で育てられて、まっすぐ前には知っている人を見たら、、、おっと、これって麗奈のことですね、、、意や俺とあの人は違うって、「あいつは違う感」が大きくなってしまいますよね。


けど、結局、まっすぐ最初からぶれずに目的を追求して、孤独にも耐えられる才能の持ち主である彼女でさえ、「特別であること」、、、特別になろうとすることへの恐怖と日々戦いながら生きているんですよね。



この作品って、それが、組織に、チームに、そして一度しかない青春の時間のなかで、個人ではコントロールしきれないうねりに巻き込まれていくことを良く描かれていて、僕はとても感動しました。



ひとつだけ、この作品の肝の部分は、あの新任の先生が、なぜいきなりあれほどの強い意志を持って、全国を目指すことに妥協なく動けたかってことだと僕は思います。それは、実は、この作品のなかではわからない。もしかしたら小説ではあるのかもしれませんが、このアニメーションの中だけではわかりません。僕は思うのですが今の時代の高校生では、ひとつ間違えば、生徒が先生を苛め抜き、PTAとかさまざまな裏で動いて、徹底的に排除するようなことが起きても不思議ではないほど危険なことをやっているなという気がしました。最初に覚悟をというか、あのようなアクションをすれば、どういう風に子供たちが動いていくか、職員室の権力構造はどうなっているか?など、あの新任の先生がそういうこともすべて見越した、ザ・経験者的なプロフェッショナルとすれば、あの程度のことはあるかもしれませんが、、、一度できた集団の伝統や雰囲気を、、、空気を変える、ということは、ものすごい技と権力を必要とすることなので、僕は、あそこがどうしても、もうひとひねりほしいなって思う感じが物語的には感じました。と同時に、脚本家あっぱれ、とも思いました。というのは、12話のアニメーションでそれを描いたら中途半端になってしまう可能性もあり、そこは、良くぞ思い切ったと思うのです。


僕はこの作品を見ている間中、大傑作『青空エール』を連想していたんですが、この作品で吹奏楽の大名門校である白翔(だっけ?)をひいきいる先生の肩には、勝ち続けなければ予算が出ない、伝統を汚せないという重圧が、これでもか描写があり、それが生徒たちミクロの関係や夢をぶち壊したり翻弄されていていくさまがつながって書かれています。人生というのはそういうものだし、組織に所属していることはそういうものだと思うんです。この『響け!ユーフォニアム』というアニメーションだって、これだけ無理な練習をしていれば、先生の肩にかかっているさまざまな学校空間のしがらみは、凄いものがあると思うんですよ。けど、そういうのはほとんど出てこないで、久美子の視点からのみに近い形で物語が収斂しているのは、脚本家あっぱれ、だと僕は思いました。ここは、これが正しいと僕は思います。


青空エール リマスター版 18 (マーガレットコミックスDIGITAL)



いい物語はさまざまな物語を喚起させてくれます。僕はこのアニメを見ているときに、すっげぇ青春を感じたのですが、、、、青春を感じるときに、ああ、これが青春だなーって僕が思う物語って、岡野さんの『フルーツ果汁100%』なんです。これって、恋愛がメインの少女マンガなはずで確かにメインはあるんだけど、それ以上に、群像劇的にいろいろな人のキャラクターの重みが大きくなって、恋愛だけじゃなくなってしまった感じなんですよね。これ意図しているかしていないか、わかりませんが、そのあたりのテイストが忘れられなくて、というか好きで、学生時代に何度も何度も読み返したのを覚えています。もちろん岡野史佳が大ファンだっているのもあったんですが、青春というとこの作品を僕は強く連想するんです。非常に似た構造で、あれ恋愛のラブコメじゃなくなっちゃった?的名感じが、『青春しょんぼりクラブ』にもいえて、これも僕、凄い好きなんですよね。恋愛ラブコメ作品だと、少女マンガ少女マンガしてしまって、それはそれで好きなんですが、青春というよりは、恋のことだよなってテーマが違う気がするんですよ。青春の学校空間って、いろいろなものがごちゃ混ぜになって、先輩後輩とか関係性も入り乱れて、それで時が休息に過ぎていって、二度友だらない感覚が、3年と短い時間なので強烈な、、、、この辺のこと一度もう少し深く考えてみたいなぁ、、、青春とは何なんだろう、どういう物語類型があるんだろう?って。



とりあえず、ここに上げた諸作品は、どれもすばらしいです。ぜひともお勧めです。


フルーツ果汁100% 第1巻 (白泉社文庫 お 3-1)

2015-08-05

『とある飛空士への誓約 8』 犬村小六著  とにかく泣けました、、、、素晴らしい物語をありがとうございます。

とある飛空士への誓約 8 (ガガガ文庫)

評価:★★★★★星5つ

(僕的主観:★★★★★星5つ)


よかったです。なんというか、ほんと泣けました。マジ泣きした。


9巻で最後の巻になるそうです。最初の1冊は、素晴らしい完成度でしたが、どう考えても小粒の良く完成されて、1巻で終わる話だったと思うのです。それが、あれよあれよというまに巨大なシリーズとなり、そのどのシリーズもが、感涙ものの、いい物語で、それがすべてそろっていくことによるシェアードワールドの重厚さを見せてい様は、本当に感動的でした。特にこの物語について、このシリーズについて、分析的な意味では、特筆していいたいことは僕はありません。そういう場合は、まぁ、おもしろいけど、ぴりってこないよねみたいな留保が僕はよく付くんだけど、、、この作品は、そういう多分文脈読みとかの文脈を超えた水準にある系統の物語だと僕は思います。だって面白いもの(笑)。  



もう、ほんと、物語的には、先が読めるような伏線過ぎて、、、くるぞくるぞ、、、、きたーーーって感じにわかるんだけど、それだけすっごい先から、そうなるってわかっえいても、、、ダーーー涙(笑)。これ、物語の世界が、その世界の現実が深く厚く成立して、キャラクターたち自身が生きていると感じているときには、そういう上から目線というか、外から目線がまったく意味を失うんだよなーって思います。いやーえがったです。超おすすめです。もっと細かく書きたいけど、そういっていると、忘れ去りそうなので、この感動を、とりあえず。