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2017-10-20

『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンXII』 宇野朴人著 僕はこの宇野さんという作者がとても大好きです。彼は世界の美しさを知っていると思います。

ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンXII (電撃文庫)

客観評価:★★★★★5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)

最新刊読んだ。・・・・まず断っておくことは、最近僕は忙しすぎて、まともに論考というか、ちゃんと分析はできない。とても悔しいが、さすがにその余裕はない感じなんですよー。2017年10月現在。こういう忙しい時ほど、オタク活動は活発になるわけで、様々な物語はやはりいっぱい摂取しているんですが、いやーーー書く時間はねえな、と思いつつも、、、、いやはや素晴らしかった。海外出張から帰ってきて時差ぼけでほとんど寝てない状態で、なんか逆に眼が冴えて苦しい時に、ちょっとだけと買ってあったとっておきのこの新刊を読んだら、、、止まらなくなった。素晴らしい物語だった。


最初に1巻を読んだ時に、凄く魅力的なんだけど、★3を超えるか?という感じの評価をしているんですが、これは明らかに僕が見る目がなかったですね!!(なんとうれしい誤算でしょう!!!)。あの時点で、アニメ化を決断している監督なのか、だれなのかは知りませんが、その人も慧眼ですね。この作品は、とても商業的で、ちゃんと終わりに向かう、構成が素晴らしく考え抜かれている作品で、あとになるほど世界の深まりを見せる素晴らしい作品です。いまなら文句なく★5と断言できます。というか、僕、大好きです。やっとタイトルの意味がはっきり分かったのも、胸が熱くなりました。立花博士、かわいすぎます!


うーん、まだ寝不足のままなので、なにが素晴らしかったのかって、自分でもよくわからない。けど、引き込まれ、その世界に没入し、主人公に、シャミーユに、立花博士やサプナにどっぷり感情移入して、彼らの一喜一憂に胸がときめき、深く苦しみ、、、といった物語の「本来あるべきもっとお大事なもの」を淡々と味あわせてくれて、本当にうれしかった。


この作品が、僕は凄い好きだ。物語はオーソドックスで、それほど奇をてらった感じがしない。なのでアニメ化になった時も、アニメの内容を見た時も、水準は平均値をはるかに超えているものの、なんだか???という感じがずってしていた。「にもかかわらず」自分が、この作品を、しかも読み進めて、謎がわかっていくにつれて(物語はクロージングになっていくと陳腐さを増していくものが普通)、さらに興奮してぐっとくるようになってきている。キャラクターが、萌え狂うように好きというのも違う。なんなんだろう、、、、なにが「違う」んだろう?と思っていたのですが、いくつか、この作品を、この作品たらしめていて、「僕がここが一味違う!」と感心する視点が、うっすらとわかってきた気がします。



ちなみに、読んでいる人でないと、わからんようにしか書けないんで、未読の人はネタバレです。



あのね、皇帝になってからのシャミーユって、めっちゃ、かわいいと思いません?。何がかわいいって、この子ほとんど年中イクタに欲情しているじゃないですか(笑)。倒れかける巨大帝国を、ほぼ個人の才覚と独裁で支え続ける皇帝の権力を完全に掌握している10代の女の子がですよ。だいぶ、なんというか背徳的というか、いけない雰囲気が、ずっとあって、Hっくて、僕は好きなんですが・・・・ああ、そうなんだよな、、、背徳的というのでもないんですよ、、、なんというか健全に欲情している。イクタが眠っている間は彼女の独白になるので、内面がさらけ出ているんですよね。まぁ、そりゃ、あの状況で、好きになった男性を「求める」気持ちが、情欲とぐっちゃぐちゃになって膨れ上がるのは、そりゃーそうだよなと思うんですよ。極端な話、思春期の女の子のオナニーに至る内面を見ているようなもの。けど、これがずっと寸止めになるんですが、、、、寸止めになる背景とが、凄いクリアーなんだよなー、、、というか仕掛けができていて感心するんです。普通こういうかわいい女の子がそういう状況になると、読者サービスというか、構造的に主人公の男の子からの性欲的な視点の対象で描かれると思うんですよね。でも、そういうのが全くないんですよ。これが感心する、、、、わかりやすく言えば、イクタ・ソロークって、もう明らかな「熟女好きで、セックスに慣れ過ぎてて」いちいち年下の妹みたいな娘みたいなシャミーユに、まったく欲情していないのが、やせ我慢じゃなくて、もう本当によくわかるの(笑)。感心する。イクタの性的対象じゃあ、全然ないんだよね。いやーぁーーこれ、凄いなぁって感じるんですよね。だから恋愛が全く始まらない。けど、シャミーユに対する愛情は、とんでもなく深く広いのも分かるし、、、、何よりも行動で、目いっぱい示している。凄いと思いません?。自分とHがしたくて仕方なくて情欲に盛っている10代のとんでもなくかわいい美少女皇帝が、つらそうにしているので、いっしょのベットの中でぎゅっと抱きしめてあげながら寝てて。襲わないんですよ、イクタ。お前は神か!(笑)って思いますよ。イクタが、もうめちゃくちゃマザコンこじらせて、熟女にしか反応しないのが、まざまざにわかるんですよねー(笑)。これ、マジで感心する。


この理由は、物凄くよくわかるところが、この作品の人間関係における、救済が何から来るかの射程距離が凄い長いことを感じさせるんです。それほど複雑な設定を感じないので、これは設計力というよりは、作者の宇野朴人さんの人間理解力、人柄ゆえでしょうなーたぶん。えっとね、ハローマ・ベッケル、エルルファイ・テネキシェラ、ジャン・アルキネクスのキオカ側の物語を見れば、トラウマによって、人の動機を支配する洗脳、、、洗脳よりももっとひどいかもしれない、けど、トラウマによって人生が追い詰められて、人生を使い潰してしまう系統の非常によくあるくらいエピソードを設定を背景に持つキャラクターばかりだ。こういう激しいトラウマによって人生を駆動している人々は、物語に登場させると、通常「死によって解放される」以外は、選択肢がないものです。それが生き残っていると、ああ、この作者は、優しい人で、キャラクターを殺さない、勧善懲悪の予定調和な物語の人なんだな、ってすぐわかってしまいます。・・・・・ハローマとか、死なないのがおかしいエピソードですよね。あれが救われるのは、主人公でなければ、通常無理なんです。だから、助かるなんてとても思えなかった。助かって、とても感動的だけど、そうすると物語の構造が、嗚呼、、、死なないんだな、、、皆殺しの田中芳樹とかそういうのとは違うんだな、、、という陳腐感が訪れるはずなんです。


・・・・・でもね、この作品凄いですよね。だって、最も死なない主人公で、かつヒロインで、最も鮮やかに生きて、もっともトラウマがなかったヤトリが、既にん死んでしまっているんですよね。


なので、陳腐に思えない。人ひとりのトラウマが、刻印されているような破滅への道が、すんでのところで救われていくシーンを見ると、胸が熱くなるんです。それは、この世界が、ヤトリという最も死んでほしくな人がすでに喪失している世界だから、だから、それが本当の奇跡なんだ!って感じてしまうんですよ。ヤトリ、、、死んで欲しくなかったし今でも作者恨むけど(笑)、でも、、、正しかったんだと思うんですよ、この世界は、ちゃんとした「世界」だから、そんなご都合主義には慣れないことを感じさせる。


とまぁ、「重要人物の死という一回性」が、物語に緊張感を与えるという構造は、まぁありえないものではありません。田中芳樹さんの銀河英雄伝説でもまさかキルヒアイスが死ぬとはって、、、ところから物語は強く躍動する。でもね、それだけじゃないんです。僕が、ああ、素晴らしいなと全編読んでいて感じる、作者の世界への信頼は。この世界、いってみれば、人類が失敗して世界が滅びちゃった後の黄昏の世界のはずなのに、世界が暗くないんです。世界が生きている人間が、愛おしく美しくキラキラしている。うーんとね、どういえばいいのかなぁ、、、、こういう終末の世界の話や、黄昏の時代の中世の話、滅びていく帝国を支えるという設定自体が、そしてキャラクター全員が、逃げられない「過去の十字架の刻印」を背負って、ほぼそれで死ぬしかないような過酷な道を生きていかざるを得ない、というもう「暗い…ドンびくするくらい」くらい、終末感漂う倦怠の設定なんですね。けど、世界がとても明るいんですよね。それは作者が、この世界の美しさ、こんな地獄のような斜陽の終末世界においても、世界は美しいと信じているからだろうと思います。


それがどういう風に表現されているかというと、ハローマは、救われるじゃないですか。あんな設定で救われるなんて、どう考えてもあり得ないですよ。シャミーユが、幸せになれる方法なんて、ありえないですよ。マクロのあれだけの流れにがんじがらめになった上に、そもそも彼女の内面・精神は、救済されるには、あまりのものが欠落している。特に、シャミーユを見ていて、ああ、、、、この子は、救われないなぁ、、、としみじみ思うんですよ。たくさんの物語を読んできた中で、マクロとミクロがこれほど、複雑に悪い方向の構造ができていると、もうどうにもならない。なんというか、物語(現実でも)でも、問題点が2つ以上重なったり、ミクロとマクロの流れが絡まると、もうそれを読み解くことというか解決することはほとんど不可能に近いんですよね。だから、どう考えても、シャミーユは、救われないように見える。そもそも、親に愛されていないというのは、強烈だし、、、、育ての親に近いキオカではほとんど呪いともいえるようなトラウマを心底植え付けられているし、家族や友人などの身近な愛情が完璧に欠落している上に、帝国を救う使命感から凄まじい権力んの行使(たくさん人も殺している)をしていて、、、となってくると、もう救われるのムリじゃんと思うんですよ。でもね、、、、「何とかなる」って感じるんですよ。イクタにしても、育ちは悲惨そのものですよね。そんで、そこまでの関係になっていて、ヤトリを抱かないとか、お前あほか!と思うんですが、、、、イクタって、だから代償で肉欲を熟女の女遊びに入れ込んでいるんですよね。自分が救えなかった最愛の母に対するマザコンも、ちょっと度を越している・・・・けど、これだけ世界に対して「変えることができる」という教育と経験と能力を持って、外資していく母親を助けられない状況とか、そりゃ、トラウマにもなるよなって思うんですよ。でも、そういうかこの背景が明らかになればなるほど、ほぼ奇跡的な確率で、ヤトリとの関係が、凄く純粋になっていくのは、彼が熟女との火遊びで(笑)性欲解消しているからなんだろうと思うんですよねぇ。たぶん、話の背景から、少ししか出ていないコメディ的に描かれているですが、マザコンのイクタがかわいくて仕方がなかったと思うんですよ、手を出された人妻のお姉さまたちは(笑)。・・・・という奇跡のような複雑な連なりがあって、精神的にめちゃくちゃ複雑でおかしくなっている、シャミーユを「見守り」愛する、・・・・・ここでは、父のように、兄のように、恋人のように、と描かれていますが、とても火遊びを経験している上に、ヤトリとの純愛を維持しているイクタだからこそ、発情している10代の美少女皇帝を、つかず離れずベットの上で(笑)手も出さずに、いつくしんで、、、、、救済へ至る彼女の心を解きほぐすることができるんですよね。いや、、、、これは、すげぇよ、こういう様々なミクロの積み重ねがないと、こんな難しいこの救済なんかあり得ないじゃないか、、、、でも、、、、でもこれならあり得るかもしれない!と思わせるんですよ。


いつも思うんです。確かに、物語の主人公たちは、「どうにもならないマクロの流れ」で人生を、自分を壊して死んでいく、その刹那の輝きが美しい、と。グインサーガで、イシュトバーンのあのせつない若かりし頃を見ていると、殺人王、僭主として最悪の不幸に落ち込んでいく姿は見るに忍びなかった。けど、それに上がらいながら、マクロの巨大な流れに乗り、戦い、贖い、立ち向かっていくのが人生と思いました。


けれども、同時に、なんとかならないんだろうか?。ほんとは救えるのではないか?と思いつつも、「そのどうにもならなさ」というものがマクロの構造や物語のダイナミズムというもの。救われない主人公たち、シャミーユやジャンは、どう考えても死んでいくしかない「世界から選ばれた英雄」です。



でも、英雄は、個人的な幸せ(ミクロの幸せ)を求めてはいけないのだろうか?



この問いは、物語が現代の最前線に近くなるほど、痛切に問われてきた問いです。そして、それはほぼ失敗してきました。個人が幸せになると物語が駆動しないし、世界が救われないというか「世界を救う動機」がなくなってしまうから、物語と相性が悪いことなんだろうと思うんですよ。



いまははっきりわかる。主人公のイクタ・ソロークのとても新しい人物像について。



彼は、英雄にはなるべきではない、英雄は死んでしまうということを、強く意識している。そして、その「英雄を世界が求める構造」についても凄く自覚的だ。理由は簡単だ、そのせいで、身近な最も大事な人が死んだからだ。それは、父であり母親。そして、自分の半神たるヤトリを失ったからこそ、シャミーユを失わない方法も手段も、それを可能にする「先読み」もできるようになっているんです。だからとても納得的。そして、その重要なポイントは、「なるべく仕事をしない」こと、また「自分が英雄になること=マクロと世界から選ばれてしまうこと」に対して自覚的で反抗的であること、、、、、科学的な探求心やロジックの「向け先」を、世界ではなく常に「ミクロの大事なものに向けること(=これがヤトリから教えられていることが、悲しくて涙が出る・・・・)」ができているからこそ、、、、。これって、とても成熟して大人な態度です。うん、作者の人間性の反映だと思うのですが、イクタ・ソロークは、とても大人です。しかもその優秀さや強みを、ちゃんと、「自分にとって大事なもの(=ミクロの部分)」に常に向ける、優先順位の確かさがある。



だから・・・・・だから、このこんがらがった世界でも、シャミーユを、ジャンを、たくさんの「個人」を幸せにすることができそうな、何とかなりそうな感じを凄く受ける。



明らかに世界から英雄に選ばれている主人公が、それでも、ちゃんと、人を個人を救うこと、「自分が幸せになる」ということを、知っていて、行動できている。素晴らしく成熟した大人だとおもう。いやーこの熟女好きで、人妻ばっかりに手を出している(笑)という設定が、とても素晴らしいと思うんですよ。というのは、ヤトリとの純粋すぎる愛や、母親への強烈なマザーコンプレックスとか、とにかくイクタはバランスが悪くなるものを凄く抱えている。ろくな人間いなれるようには思えないけれども、それを、お姉さま方、熟女による性愛の導きで頑張って誤魔化せて昇華しているんですよね(笑)。いやはや、これってすごく大きいと思うんですよ。でなければ、ぜったいにヤトリとかともすぐやっちゃってたと思うし(やっていないと、そもそも若い男の子としてはおかしい)し、シャミーユを導ける度量は全くなかったと思うんですよね。



なんか、彼って、人を救えるかも、って思うんですよ。英雄は、基本的に身近な人を一切救えないのが基本ですからね。マクロを相手にしていたらそうなるし、マクロを相手にするようになるのは、巨大な空洞があるトラウマが渇望しているケースが多いので、そもそもバランス悪いんですよ。なので、この世界観、、、、宇野さんの世界観は、世界の豊かさを示していて、僕は感動しします。だって、ヤトリは死んじゃうし、出てくる登場人物のトラウマはけた外れにひどいのに、、、、世界の過酷さ真実をこれでもかと示しているのに、それに抗えるだけの成熟や人としての度量もまた描けているんだもの。素晴らしく大好きです。



というか、世界の謎が明確に明らかにされるSFとしてのこの巻も、本当に素晴らしかった。が、その話はまた今度。



いやーこの物語は、おすすめです。



『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンXI』  宇野朴人著 どのように人々の参加意思をつくりだしていくのだろうか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20170109/p2

『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン』 宇野朴人著  安定した戦記モノで、マクロとミクロのバランスがとても良いです!

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20170109/p1

ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンBlu-ray BOX

2017-10-07

『劇場版 Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ 雪下の誓い』 (2017 Japan) 大沼心監督 Fate Shared Worldの一つ

f:id:Gaius_Petronius:20171007181722j:image

客観評価:★★★☆星3つ半

(僕的主観:★★★☆星3つ半)

こやまひろしさんの『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ』(2007)の本編(アニメかマンガ)を見ていなければ、『Fate/stay night』(2004)の士郎を知らなければ、さっぱりかもしれないが、駄作には全く感じなかった。前提がありすぎる作品なので、確かに万人に勧められないので、星は低くなる。とはいえ、僕は、なかなかの作品だな、と思いました。エッジが効いてて、潔く説明を切り捨てて、バッドエンドルートの衛宮士郎くんの切ない願いをフォーカスしているのは、良かったと思う。タイトルはプリヤなのだが、漫画の第一巻につながる前日譚になっており、本編の主人公格の美遊とその兄の衛宮士郎の物語になっていて、イリヤはほんとんど全く出てこない。シェアードワールド的な見方をしていないと、イリヤ出てこないじゃん!と不満が出そうな潔さぎよすぎるつくり。

けど、士郎君のせつなさに少し涙ぐんだし。僕は、士郎の物語として、いいなーと思う。かなり、フェイトの文脈特異系ではあるが、全体か個か?という選択肢は、物語類型としては、ありふれていてわかりやすい。世界を救うのですか?、自分の好きな人を救うのですか?それが天秤に乗ったら、どちらを取るのですか?、という問題。勢いと前提無視で乗り切っているが、本来は、ではそれほど世界が滅びる危機があるなら、それがどういうものなのかのマクロの説明が必要なのだが、それは全くないところに、脚本の思い切りの良さを感じた。きっと、あったら勢いがそがれただろう。「それほどの世界が滅びる危機があるなら」というのは、実は本編の方で重要な謎の一つになっているので、これもまた映画でいう話ではないのだろうと思う。やはり、シェアードワールドの一環としてみるものなのだろうと思う。

次に控えている大型の映画である桜ルート『Fate/stay night: Heaven's Feel』のメインシナリオとも重なるので、士郎のテーマは、シェアードワールドの親和性も高い。だから『劇場版Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ 雪下の誓い』の脚本は、わかりやすく、潔く、シンプルにしてて、僕は、かなり評価が高いし楽しかった。何故ならば、この作品は、タイプムーンのシェアードワールドとして見ないわけはありえないし、ここで興味を持つなら、他のシリーズのシナリオに涙しないわけはないのだ。だって、シンクロしてるもの。

しかし、面白い、世界を救うヒーローになる、という類型の亜種なのだろうが、なぜ、最初から救えないのが前提なのか?、なぜ、本物になれないフェイク、偽物であるのご前提なのか?。それで、受け手は、不思議に思わないのか?。『Fate/stay night』のシロウから綿々と続くこのオリジナルの設問は、もう本当に一般に浸透したと思う。誰も、世界は救えないのが、正義の味方にはなれないという「断念」が前提というのが、現代なのだ。これは、1990年代頃に生まれた日本の特有の発想で、それが根づき、当たり前になっている日本のエンターテイメント市場こそが、驚きの複雑さだ。

とりあえず、薄幸で、はかなげで、自分を捨てている美少女の女の子を拉致して育てている衛宮父子は、だいぶアレな人たちだが・・・・それのお兄ちゃんといわれるまでの、時間の経過、表情の変化は、作り手、気合入りすぎてて感心した。美遊の薄幸の妹っぷりには、士郎君めろめろでしたね。好きな妹を守れて、ほんとよかったね、と思いました。でも、ほんと彼はすべての選択肢を間違えるよね(苦笑)。そんなの、美遊には、大好きなお兄ちゃんが犠牲になって、違う世界で永遠の日常をのうのうと生きられるわけないじゃん。相変わらず、人の気持ちがわかっていない。


ちなみに漫画版の内容を全く忘れていたので、読み返してみると、士郎の回想シーンの1巻分を丸々映画化したんですね。これはますます、原作を見ていないと、まったくわからない。でも、ここを切り取るのは、シェアードワールドの一つとしては、なるほどなーとやっぱり思います。ちなみに、この続きは、ドライ!!の8‐9巻から見れますね。

Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ ドライ!! (8) (角川コミックス・エース)

2017-09-26

『新感染 ファイナル・エクスプレス』(2016 韓国)ヨン・サンホ監督  ゾンビ映画の大傑作

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客観評価:★★★★★5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)

ゾンビ映画の大傑作。ヨン・サンホ監督という名前は、聞いたことがなかったのだが、凄い映画でした。「新感染 ファイナル・エクスプレス」という邦題からも、あまり見ようという対象には入っていなかったのですが、評価を信じている友人が大絶賛をしていたので、見に行ったのですが、やはりの大正解。濃密な人間ドラマ。KTXという狭い空間が移動していく中でのアクション。骨太の構成。ファンドマネージャーのソグ(ユン・ユ)と娘のスアン(キム・スアン)の関係性と対立が、とても骨太で且つ繊細。とてもではないが共感できない、強欲のエゴの塊として描かれる父親のソグが、短い時間の濃密な体験を通して、観客が共感できるような娘の命を守るために自分の命を懸ける姿に変わっていくのは見事。また、結局変われなかったエゴイスティツクな男の惨めさと哀れさというか、人間としてダメなやつが辿る最低の末路は、いやはや繊細なのにキャラクター造形とドラマが骨太なのは韓国映画・ドラマの系統らしい。

超一流の大作だった。もともとはアニメーション監督らしいので、これは他の作品も見なければいけない人ですね。近年まれに見るくらいの映画として完成度の高さで、素晴らしい傑作でした。とにかくいいから見に行け!という感じです。というかもっと、宣伝しまくればよかったのに。これハリウッド並みの大作扱いにできる傑作だと思う。しかも、意外にグロさが弱く「大切な人を守る」という軸で描かれるストーリーは、まさにファミリー映画的な要素を持ったメジャー作品だと思う。

KTX(韓国高速鉄道・韓国の新幹線該当するもの)に乗り慣れている人からすると、馴染みのある風景が現れていくのと、ゾンビに埋まっていくのは、非常にテンションが上がる。KTXのルートと、韓国の地理が頭に入っていると、ソウルと釜山の中間点にある大田(テジョン)、そして釜山ということの意味がよくわかる。韓国民ならば、もしくは韓国の歴史を知っている人ならば、きっと朝鮮戦争の「釜山橋頭堡の戦い」が前提に感じるだろうと思う。突然の北朝鮮との戦争勃発で、釜山まで追い込められ、絶対絶命のところから、押し戻すという流れが、すぐ思い浮かぶはず。いいかえれば、韓国にとって、釜山は「最後の砦」の象徴であることを知っていると、全土にゾンビが発生して感染が拡大していくときに、韓国を貫くKTXに乗っている意味が深く染み入ってくる。戦線がどんどん拡大していくど真ん中を、全力疾走していくことになるわけですよ。ソウル駅でああいう状態だと、ソウルはほぼ全滅に近いはずですよね。これ、北朝鮮との戦争がはじまった時の、そのまんまのパターンですね。

何人もの友人が指摘していましたが、2016年のアニメーション『甲鉄城のカバネリ』を凄く連想させますね。ゾンビと列車という組み合わせはほとんど頭になかったのですが、こんなに親和性が高いとは。いやはや素晴らしい映画でした。

甲鉄城のカバネリ 1(第1話、第2話) [レンタル落ち]

2017-09-23

あまりの傑作すぎて、震撼します。

メイドインアビス Blu-ray BOX 上巻

最近忙しいのと、風邪気味で、なかなか記事が書けず。・・・というか、FGOやりすぎなのかもしれません(笑)。ネロ祭とか、きちゃったんだから、どうしよーもないですよね。といいつつ、メイドインアビス。これ、凄いですね。超ド級の傑作です。アニメも漫画も。こんなすごい作品久々に見ました。なんか、軽い批評を受け付けねーぜ、これ、という感じの。なんかメタ的に考えることができないくらい引き込まれるし、深いので。いやー毎週凄くすごく楽しみに見ています。リアルタイムで見ろとは言いませんが、これは見ていないと人生の損失ですよ!というくらいいい作品です。物凄い傑作です。

メイドインアビス(1) (バンブーコミックス)

アメリカ南部・バージニア州のシャーロッツビル(Charlottesville)事件のメモ その2

したがって、大統領への批判の中心にあるのは、トランプ氏が拘ったどっちもどっち論と言うことになります。思うに、このどっちもどっち論は、仝什澆虜絞娘腟措圓悗梁崚戞↓⇔鮖砲鮓什澆硫礎祐僂悩曚ことの是非、そして、K,斑畚を維持する責任、の3点についての混同があります。

政権の言動を見る限り、私には、これが意図された混同であったように思えます。それは、政治の正義としても、政権の戦術としてもいかにもまずいものでした。


20170822

シャーロッツビルの悲劇

http://lullymiura.hatenadiary.jp/entry/2017/08/22/012740

三浦さんのこの分類は、なるほどなーと唸った。特に、,鉢△区別できていないと全く話が進まないで感情のぶつけ合いになってしまうのだろう。僕は明らかにこの事件を△了訶世ら見ていて、そういう文脈で物事を見ていました。靖国問題とか、歴史でこじれる話というのは、,慮什澆領冤や価値観と、△領鮖謀文脈との乖離の部分で、人々が分断してしまう構造にあるようで、これはよく覚えておきたい問題の可視化の方法だと思います。ちなみに、僕は、,悗諒阿蠅茲蠕茲法↓△慮什澆硫礎佑芭鮖謀な文脈を評価する姿勢に感情的に反発するのが先に来る人なんですね。だから、こういう問題が起きると、すぐ△了訶世粘蕎霤になるんだなー。これは覚えておかなければ。



そして、この話題の先に、最近出てきた話が、NHKに出ていたアンティファの話。アメリカの友人がだいたい憤っていたのは、メディアが全然流さないが、左翼の方が武装化して暴力をふるって話を大きくさせたんだ!という部分が報道で抜け落ちている!といって怒っている人が何人もいたんですよ。僕は、よく意味が分からなかったんですが・・・・これ、アンティファ、というのですね。右翼が過激化して大きくなっていくのに従って、左翼も過激化しているんです。どっちが先かは鶏卵の無駄な議論で、これはそういうものなんでしょう。



2017年9月7日(木)

揺れるトランプのアメリカ 〜白人至上主義 VS“謎の集団”〜

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4029/


この議論が出てきたというか、可視化されたのは、なるほど、と唸ります。さすがのNHKだな。


米国で「アンティファ(Antifa)」という言葉がしきりに語られるようになった。アンティファとは「アンティ・ファシスト」(Anti-fascists)の略、つまり「ファシストに反対する勢力」という意味の略称で、極左の暴力的な秘密組織なのだという。

 そのアンティファがいま、米国の政治や社会で触手を広げ始めた。

“極右勢力”に激しい暴力で対抗

 ごく最近では、8月12日にバージニア州シャーロッツビル市で起きた紛争でアンティファが重要な役割を演じたことが知られている。

 同市では、南北戦争の際の南軍司令官の猛将ロバート・E・リー将軍の銅像を撤去することを市当局が決定した。リー将軍は特に南部の白人から高く尊敬されている。市当局が撤去を決めたところ、白人至上主義とされるKKKや、ネオナチなど、超保守の極右組織のメンバーが撤去への抗議運動に加わり、紛争が起きた。

 この極右勢力に対抗して、激しく争った側に、アンティファを名乗る人間が多数いたという。現地での当時の報道によると、右派の暴力に対して棍棒やバットを振り回して最も激しく戦ったのが、黒装束で覆面のアンティファの面々だった。



米国で勢力を広げる謎の組織「アンティファ」とは

JBpress2017年09月13日07時00分

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/jbpress/world/jbpress-51057?page=1


結局のところ、構造を可視化していくと、三浦さんを借りるとたしかに3つに分解できそう。


仝什澆虜絞娘腟措圓悗梁崚

⇔鮖砲鮓什澆硫礎祐僂悩曚ことの是非

K,斑畚を維持する責任


それぞれの是非や戦術の妥当性は置いておいて、また今回の事件が激化して暴力がエスカレートした直接的な原因は、右翼の存在感上昇に対して左翼側が暴力で対抗した部分があるのでしょう。これ、いろいろなところで指摘が出ているので、大枠そうなんじゃないかと。それに2016年の選挙でたしかにバーニーサンダースら極左の若者のどぎつい差別意識と暴力性は、とても指摘されたところですね。そして、じゃあ、なんで左翼の中に急進派が生まれているかというと、やはり大きくは、オバマ政権の登場によって、それまで左翼の中でも極端であった立場が中道になってしまうくらいに、リベラリズムが進んできたことに対する反動で右翼が台頭したためでしょう。右翼の存在感の上昇と暴走は、確かに目につくようになってきましたからね。左翼は理性的で、それまで暴力に走っていなかったのが、我慢の限界が来ているということなんでしょう。また、なぜオバマ政権の登場や左翼側が急進化したかというと、ブッシュJr大統領のころから共和党が、極右側にふれていること、宗教右派を取り込んできたことが遠因なのは間違いない。・・・・と考えると、とても原因は複雑だなーと思う。共和党が宗教右派を取り込んだ理由は、2050年に白人人口が50%を割る流れから移民とマイノリティにシフトした民主党に全くかなわないことがわかってきたことへの対抗として編み出された戦術なわけで、、、、。ちなみに、トランプ大統領の支持基盤は底堅くて、今回の事件でもほぼ揺らがないんですよね。また共和党に対する支持の過半以上を確実に抑えてい(世論調査で出ている)ので、議会もトランプさんにたいして、どれほど嫌いでも、なかなか文句が言いにくい。底堅い理由は、やはり中産階級のマジョリティにシンパシーを持たれる要素が強いところを意識しているからでしょう。ニクソン、レーガン時代の戦略ととても似ています。ただ、彼らに比べると、凄く穴が大きいのもまた事実ですが・・・・。


世界は、やっぱり単純じゃないです。もう少しコツコツ調べてみたいです。

アメリカ南部・バージニア州のシャーロッツビル(Charlottesville)事件のメモ

Unite The Right Torchlit March Towards Lee Park Through Charlottesville, VA



アメリカのシャーロットビル事件でいろいろ波紋が起きている。こういう時は、せっかくのリアルタイムなんで、いろいろな記事を読んだり、背景を考えたりしておくと、あとから思考、思索の糧に凄くなるので、コツコツ調べてみようと思う。何かあったら原点、原文、元のインタビューや記者会見そのものを追うようにすることいっしょで、いろいろ読んで自分なりの生の反応を感じたりしていかないと、結局イデオロギーに騙されるので。ちなみに、なるべくこういうのは熱が冷めた時に話す方がいいので、この記事は、8月20日の時点のメモ。すぐには出さないで、少し間をおいてから出す。だいたいリアルタイムで反応していると、感情的になる人が多いので(自分も含めてね)、こういうのは、空気と無関係になった時に話題に出すのがいいと僕はおもっている。空気、世間のトレンドと離れても、それでも反応すること、追い続けることが、ちゃんと考えている人だからだ。とりあえず、あとで考え直すために、リアルタイムでとっていたメモを。


2017 年 8 月 18 日 15:36 JST

 先週末に米バージニア州シャーロッツビルで白人至上主義者と反対派の衝突が起きてから1週間たたないうちに、南北戦争の南部連合を率いた将軍の像やその他の記念碑が相次いで姿を消している。中には破壊されたものもある。ワシントンでは15日に何者かがエイブラハム・リンカーンの記念堂にスプレー缶でののしりの言葉を吹き付けた。

 この騒動の中心にいるのがドナルド・トランプ米大統領だ。12日以降の一連の発言やツイートを通じて、南部連合の像を巡る状況やその保存を願う人々について自身の考えを理解してもらおうとしてきた。あえて言うならば、それはうまくいっていない。

 実践に役立つ政治的教訓はこうだ。米国の歴代大統領やその側近が、一般に知れ渡った出来事についてコメントするとき、慎重に言葉を選ぼうとするのは正当な理由がある。米国政界の足元には、無数の政治勢力――活動中のものも休眠中のものもある――が控えており、大統領の発言次第では一部の勢力が息を吹き返し、場合によっては危険なほど勢いづくからだ。


http://jp.wsj.com/articles/SB10142685611430313441304583337433422141310?reflink=fb

【社説】南北戦争を蒸し返そうとする米国

戦争は一度で十分だとリー将軍も理解していた

それにしてもトランプ大統領というのは、議論をかなり巻き起こすのがうまくて、かといって劇場型というわけでもない気がするんですよね。議論を起こして、それをうまく利用できているようには見えない(笑)。かといって、煽るだけというような、煽るだけ煽ればそれで満足というような破滅型の人にも見えない。そういう意味で、後世の歴史家は、彼のような言葉でイデオロギー論争を吹き荒れさせる人を何と呼ぶのだろう、とつれづれながらに考える。特に上の記事なんですが、歴代大統領が、非常に言動に意識して政治勢力の対立、言い換えればアメリカの分裂を招きかねないことはなるべく慎重に避けてきたところで、それが行き過ぎて、逆に閉塞感が生まれて分裂がさらに加速しそうな昨今に爆弾投下している人なので、これが、どこへ着地するかは見ものだなと思っています。ちなみに、多分いまのこの状況は、リベラル側か、そうでない側か、どっちにつくのかという感情が吹き荒れているので、この流れ自体に乗っても、ほとんど政治利用されるだけで、役に立たないだろうと思います。感情論は、ほぼ害悪しかないのが、ましてや日本人は、アメリカの人種差別の渦中に生きている人ではないので、これで吹き上がっていては、ダメだろうと僕は思う。そういう人、多いですけどね。イデオロギーの問題は、感情的に許せない出来事に巻き込まれながら、どれだけ感情をコントロールしたかが、長期的に正しい戦略だというのは、もう歴史が証明している。正しさに飲み込まれた奴は、そもそもマクロをめちゃくちゃにする。気持ちは、わかるんだけど、冷静な視点が重要だ。本気で差別と闘うならば、というか、差別のようなマクロ的な問題は、冷静に戦略的に長期にわたって戦うしか勝利する方法はないんだと思うんだよね。すぐ解決できるほど世の中は単純ではない。

白人男性の右翼が集結した場所は

ところで、バージニア州シャーロッツビルでの集会とはどんなもので、集まったのはどんなグループなのだろうか?

アメリカには多くの白人至上主義団体が存在している。有名なのは、「クー・クラックス・クラン(KKK)」や「ネオ・ナチ」だが、「われわれは、ただの愛国主義者」と言ってそれらとの関係を拒むグループもある。通常、連携がなく、協働もしないのだが、12日の集会のスローガンは「右翼を団結しよう」(Unite the Right)というものだった。

上記の集団に加え、「白人愛国主義者(white nationalists)」、「新南部連合支持者(neo-Confederates)」、「オルタナ右翼(alt-right )」などバラエティはあったものの、集まった右翼グループがほぼ100%白人男性だという点は共通していた。

ほぼ100%白人男性の右翼が集結。分断が進むアメリカ

アメリカはいつも夢見ている

https://cakes.mu/posts/17251

さてさて、ほとんど知識がない段階で、まず注目したのは、やっぱり人となりを知っている(=ずっと追っているので)アメリカウォッチャーの渡辺さん。この人は、かなりリベラル寄りであるのでリベラル寄りの論だとは考えたほうがいいのですが、同時に、それをバランスさせる視点を持っている冷静な人なので、いつも本当に読みごたえがある。この人の文で特に、おっと思ったのは、上記の部分だ。というのは、トランプ大統領が集中砲火の的にあっている部分も、右翼グループを丁寧に仕分けしなさいという、どっちもどっち論の部分で、そんなのひとくくりにレイシストなんだから、そこに対して攻撃、声明を出すのはあたり前だ!というのが、リベラル派の主張だし、大手メディアの大きな流れだ。


もちろん、これは、両者ともに駄目な戦術だと思う。


なぜなばら、リベラルサイドの問題としては、全米的には、トランプさんという大統領を選ぶほどに、右派へのシンパシーが高まっている中で、こんなポリティカルコレクトネスが極左にふれている言論を集中砲火すれば、表には出て着ないサイレントマジョリティの中産階級が、またか、と世論を反対方向に静かにふってしまうと思う。右派へのシンパシーは、公にはしにくいので、声高に叫ばないけれども、確実に投票行動に結びつくのは、つい最近、大いなる後悔とともに経験したはずなのになぁーとしみじみ思う。人は学ばない生き物だ。そのなかで、渡辺さんが仕分けしているような、どんな集団かを丁寧に見て、区別していくことは、重要なポイントに僕には思える。また同時に、アメリカの具体的なものを理解していくには、こういう珍しく表に吹き上がってきた、様々な細かい差異がわかっていないと、たぶん大きなアメリカの観察者として冷静な視点は保てないと思うのです。僕は、せっかく他国を理解しようとするならば、イデオロギーで曇っためがねで見たくはないです。他者の理解は、自分の理解に凄く役立つはずなので。とはいえ、トランプ大統領にしても、さすがにネオナチや白人至上主義に対して、同情的な姿勢が見えたら、さすがに文脈的に攻撃されてもしたがない流れになってしまう。



さて経緯を追っていくと、バージニア州シャーロッツビルで白人至上主義者(white supremacists)が大規模集会を行った中で、反対派との騒乱が起こり死者が出たことで、全米にエスカレート。なんだけど、、、はて?と思ったのは、そもそもなんでそんな大規模集会が行われたのだろうか?ということ。僕アメリカに住んでいた3年間で、こんなことついぞなかった。一言でいうと、やはりここでも大きな部分で、オバマ・リベラル政権への反動が大きく出ているのだろうと思う。この背景には、大きく二つの流れがあるっぽい。一つは、アメリカでいう左翼、レフトサイドのリベラル側が、じわじわと南軍のシンボル、ロバート・E・リー将軍の銅像を撤去していることが進んでいることに対して、シンボル的な場所であるCharlottesvilleで反対する右翼(高ひとくくりにするのはよくないんですが、まずは便宜上)が大規模集会をすることになって、ぶつかったようなのです。さらに言うと、そもそも歴史的には、南軍の銅像群は、「Lost Cause of the Confideracy(南部連合州の失われた大義)」というような価値観的には非常に評価のわかれるものであったんですが、そうはいっても、南北戦争、ジムクロウ法の時代からあり、そこまで注目を浴びていなかったのですが、ブッシュ大統領の選挙戦略による宗教右翼や極右のティーパーティーの台頭、またリベラルが極端に進んだオバマ大統領の8年間において極右が台頭し、極右のプレゼンスが高くなり、ネオナチや白人至上主義者(white supremacists)のシンボル的なものになることで、それに対してリベラル側が反発して、、、、というような、大きな流れがあるようなんです。この背後の問題意識を読み解かないと、ここで話されていることを、単純に受け取ることはアメリカのローカルな文脈を無視する、それこそ多文化や多様性に対する軽視だと僕は思う。ちなみに、僕はこのロバート・E・リー将軍の銅像を撤去問題は、日本における靖国問題などととても似ていると思う。そこの渦中にいない他国から、さっぱり理解できないが、様々なローカル場文脈が絡まって一筋縄ではいかない問題。また、過去にはあまり問題にされていなかったが、国際的なプレゼンスの変化、国内の構造の変化によって、右翼左翼ともイデオロギーの再構築で、異なる文脈で、闘争の場に祭り上げていることと、過去の歴史的なあいまいさや価値観の国民的な分断と接続していて、中に入っていない人には、さっぱり何を言っているかわからない。それをイデオロギーで一刀両断にする人は、大手マスコミも含めて、物事の単純化に手を貸して、対立をあおって、マクロの害しかなさないという意味で、正義を信じているが故に、対話を失わせて価値の先鋭化と暴力を生むといういたちごっこ。



ちなみに、この人の態度、僕物凄い尊敬するんだ。。。結局対話をするためには、相手を知らなければならず、そしてガチで話す以外には方策はないんだと思うんだ。相手を悪魔化して、悪だと論じて切り捨てる人は、世界の暴力と対立に手を貸している自覚が・・・・ないんだろうなー。もちろん、それはとても難しいことであって、感情的な文脈がある人にとっては、耐え難いことであるのは、もちろんそうなんだけど。なんでも感情的に許せないことがあったら、僕はワンクッション置いて、直的な対応のための勉強が重要だといつも思う。福沢諭吉先生だよね。

実験国家 アメリカの履歴書 第2版:社会・文化・歴史にみる統合と多元化の軌跡


デモ隊が南軍兵士の像倒す、白人至上主義に抗議 米南東部

2017.08.15 Tue posted at 13:42 JST

https://www.cnn.co.jp/usa/35105797.html

ちなみに、この事件が発生するには、南部の歴史と結びついているので、背景は単純化することはできないと思う。ここを勉強せにゃならんのだなーと思う。「Lost Cause of the Confideracy(南部連合州の失われた大義)」やサザンホスピタリティやチルバリー(南部騎士の伝統ね)とかのこれも一つのアメリカの土台であるところの価値観を、その文脈の歴史を丁寧に追っていかないといけないなーとしみじみ思う。ここを単純に、普遍的にわかりやすい二元論で、レイシストと反レイシストという風に善悪二元的に相手を悪魔化してしまうと、ひたすら憎悪を噴き上げて、マクロ的には結局めちゃくちゃなことになる。社会というのは、そういうものだと思う。たぶんリベラルの側が先鋭化していかなければ、トランプさんのような人が大統領になることは難しかっただろうと思う。右派の台頭とか云々よりも、左派の自滅に近い気がする。なんでも急進的にいけばいいわけではないのだ。アメリカの大手マスメディアもリベラル側のようなレフトサイドも、学ばないなーとしみじみ思う。だって、こういう風にリベラル的な正義を声高に主張して、結局のところ反動でトランプ大統領を生み出したんですから。表だってこういう極左的な極論を叫ぶと、静かに中間層の中産階級の離反を招くのはもう構造なのだもの、いまのアメリカの。いくら大規模なデモ活動や表現をしても、投票で静かに反対されてしまう。

名誉と暴力―アメリカ南部の文化と心理


民主党側というかレフトサイドの攻撃性と悪魔化は、やっぱり火に油を注ぐよなぁ。エリザベス・ウォーレンさんやロムニーさんは、本当に、うーん、善意は疑わないんだが、極端だよね。なんというか、インタビューを直接聞いてみると、トランプ大統領は、普通のことをいっていると思う。というか、この手法は、彼が大統領になれた基本戦略の姿勢だから、変えないと思うんだよね。レーガンやニクソンと同じ、サイレントマジョリティとの区分けをして、表に出てこない中産階級を味方につける手法。もちろん、もともと煽る人だし、さすがに、ネオナチや白人至上主義者も包含している姿勢があるとかなりやばすぎるし、過去の発言の背景があるので、どんどん悪魔化というか、こいつはレイシストだ!みたいな話に火が膨れ上がるが、僕はきっと今回の大統領選と同じように、イデオロギーではなく、冷静に見ているアメリカの中産階級は多いと思う。それは、怖いことだなーと思うんだよ。国際情勢の変化や国民国家の復活傾向のある世界の潮流では、基本的に、右側に世界はシンパシーがあるのが事実なんですから。そからこそ、左派が頑張らなければいけないかったり、左派が右派の在り方を奪ったりするような様々な欧州のケースがあるわけです。まぁ、でも、トランプ大統領というのは、マーケティングセンスがある人で、たぶん、いまのアメリカの右派と左派の対立の中に、一石を投じて混乱状況を作り出して、そのあおりの中から、中間層のシンパシーを引き出すというようなことをやってきた人なんで、煽るだけ煽るんですよねぇ。それで大統領になったわけなので、、、、とはいえなぁ、なんというかなぁ、まぁこれがアメリカの現在の赤裸々な事実とはいえ、オバマ大統領のような知性取り性あふれる人の後だと、、、つらいなぁ。見ているのが(苦笑)。やっぱり、共和党側は、リバタリアン宗教右派も含めて、かなり極端な右派への支持拡大をしているのが大きな流れで、それは、やっぱり民主党が移民を軸とする極左的なリベラルに振れている反動ですよね。こういう風に二元的な対立になって、収集つかなくなるのわかっているから、歴代大統領は言動に意識したんでしょうが。これを表に出せ!!!というのがアメリカの今の大きな流れなんでしょうね。

トランプがはじめた21世紀の南北戦争: アメリカ大統領選2016



やっぱりね、左派の戦略は、もっととも強いのマーティールーサーキングJrやガンジーなんだろうと思うんですよねぇ。ちなみに、黒人の平和路線と暴力路線の組み合わせは、公民権運動の、マーティンルーサーキングJrとマルコムX、ブラックパンサーの歴史を勉強してみると、凄いおもしろいです。実際は、この2つが両輪になって、公民権運動は前に進みます。悲しいのは、平和だけでは殺されて蹂躙されるだけで、暴力姿勢も抑止力として必ず必要だと思えるところ。世界は、やっぱりそんなに単純じゃないんですよね。

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しかし、アメリカの中の微細な差異に敏感な割に、ムスリムと一括してしまうのは、恣意的過ぎないか、という意見は凄くわかる。しかし、これは、America Firstの議論と同じで、アメリカ人とその他は、分ける。その他は、たぶんある程度どうでもいいのだろう。この辺の恣意性はとても感じる。トランプ大統領の評価は、歴史ではどういわれるのでしょうねー。国内的には、国民国家の復活をとくので、反グローバルにならざるを得ないんだけれども、覇権国家のアメリカが反グローバルになっても、そもそもグローバリズムからかなり利益を得ているアメリカとしては、単純に受け入れられない。




とはいえ、いったんメディアのポリティカルコレクトネスの文脈に乗ると、ひたすら相手をたたいていくという流れになってしまう。これでは感情の表出だ。それは大事なことかもしれないが、、、、大きな反動をさらに抱え込むだけだろうと思う。

ヘイトの源泉

「シャーロッツビルの衝突」の背景は元をただせば150年前の南北戦争にまで遡ります。バージニア州はちょうどその「南部」の出入り口に位置します。そこはまたあの有名な名将リー将軍の出身地でもあります。

150年前、南北戦争に負けた南部の白人男性たちにはいわゆる「Lost Cause of the Confideracy(南部連合州の失われた大義)」という苦々しい感情が遺りました。この場合の大義とは南部が南部であるアイデンティティのようなものです。それは騎士道精神であったり男らしさであったり、まあ、日本でいう大和魂みたいな南部の誇り、南部魂のことでしょう。それは必ずしも奴隷制への執着を意味しないとも言われています。

それがノスタルジアであった時はよかったのです。サザン・ホスピタリティという南部ならではの親切心も同根でしょう。なのでこの南部連合の古き良き時代を記念する銅像や公園や碑は全米で南部連合11州よりも多い計31州に700以上、おそらくは1000ほどもあるだろうといわれています。

ところがこの南部の「失われた大義」がいつの間にか右翼思想と結びついてきました。この5年ほどの動きなのですが、それが一気に顕在化したのが2015年6月に起きたサウスカロライナ州チャールストンで起きた黒人教会9人殺害乱射事件でした。意図して黒人たちを標的にした犯人のディラン・ルーフ死刑囚(当時22歳)はアパルトヘイトとKKKに心酔する白人至上主義者でした。その彼が南部連合旗=南軍旗を掲げる自分撮りの写真をネットで披露していたのです。ここで一気に南軍旗への反感が再燃しました。

アメリカでいう右翼思想とは最近は白人至上主義=男性優位主義=異性愛中心主義=優生学=KKK=ネオナチ=オルトライト(Alternative-Right)=銃規制反対論=連邦制反対論=ミリシア(民兵組織)と繋がります。

なのでこの2年来、南部州の公共施設からこの南軍旗を撤去しようという動きが広がりました。人種差別の象徴のように受け取られてきたからです。同時にそれは南軍のシンボル、ロバート・E・リー将軍の銅像も撤去してしまおうという話に拡大しました。


隔数日刊─Daily Bullshit

http://www.kitamaruyuji.com/dailybullshit/2017/08/post_502.html



大学の時のテキストですが、いまこそこれを読み直したいな、と思いました。

鎮魂と祝祭のアメリカ―歴史の記憶と愛国主義

Charlottesville: Race and Terror – VICE News Tonight on HBO



2017-09-08

『1518!』4巻 相田裕著 一緒に歩んでいく対等さに涙しました

1518! イチゴーイチハチ! 4 (ビッグコミックス)

客観評価:★★★★★5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)


『GUNSLINGER GIRL』 相田裕著 静謐なる残酷から希望への物語(2)〜非日常から日常へ・次世代の物語である『バーサスアンダースロー』へ

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130104/p1


この続き。


■再生というのは「断念を抱えて日常」を生きること

日常モノ出口がどこにあるのか、過去に語ってきた文脈の流れがどこに行くのかまだ考察できてません(笑)。でも『1518!』は、大好きなんです。そういうこ難しい文脈を超えて、なんか凄い自分の中で、大きな強度がある。何度も何度も読み返している。ダイナミックな物語のドラマトゥルギーがあるわけでもないし、設定がファイブスタースターストーリーのように何度も読み返さないとわからないというわけでもないのに。物語のキャラクターたちに強い強度というかリアルを僕は感じるんです。ついぞ、通常の学園モノにはない「何か」があるように思える。そこが魅力というのもあるし、また「それ」が何なのか知りたくて、繰り返し読んでしまう。何もない・・・・というわけでは実はない。相田裕という作家は非常に技巧的だ。この「なんでもない日常」を、緩やかに緩急つけながら様々なドラマツゥルギーの波を織り込んでいる。だから繰り返しの読み込みに耐えうる情報密度を持っている。ただ「大きな物語」という意味では、何もないのが日常の学園モノだ。それに、そもそも甲子園を目指していた野球少年が、怪我でそれを「断念」したという物語の挫折から、この物語は始まっている。始まっているだけではなく、それこそが、この物語の基本構造だ。「夢を諦めるところから始まる物語」とあるが、いやはじまらないんだよ。大きな物語がないってことは、物語が始まらないってことだから。そこには、何か「へ」目指す成長の動機もなければ目標もない。「そこ」で人はどうやって生きていくの?ということがテーマなんだから。

学園モノの王道である、スポーツ(部活動)での熱血成長物語でもなく、ヲタクの集まりによる友達探し部活モノでもなければ、最も王道のラブコメ(基本ハーレム)でもない。この3つの要素をほぼ抜いた学園モノが成立していること自体が、本当に不思議でならない。素晴らしい構造、仕掛け、技巧的な演出ではあるが、かといって、こんな「なにもない物語」が、どうして企画が通ったのか、どうして今も連載が続いているのか、が個人的に不思議だ。普通人気が出なくて打ち切られるものだと思うのだ。でも、そうはなっていない。それは、読者が、消費者が、この物語には「何かがある」と僕と同じように感じる人が、少なからずいるということだと僕は思うのだ。もちろん、これが断念を抱えてもう一度生きる気力を見出していく「再生」の物語であるのは、間違いない。けれど、単純に、もう一度「生きる目的」を見出していく物語には、僕は見えないのだ。もう一度、生きる目的を「見出していく再生」の物語というのは、いいかえれば、やはりビルドゥングスルロマンを、成長を肯定している物語に回帰することだ。しかし、本当に人生をかけて目指したものを失った「喪失」というのが、どれくらいの重みをもつのか、そして、それを「抱えて生きる」ということがどういうことなのかの「重み」は、そんな簡単に消え去って再生するものなのだろうか。「再生」というのは、忘れることじゃない。やはり僕は「断念を抱えて生きる」ことだろうと思う。これがどこへ行くのか、そうはいっても物語のドラマトゥルギーとしてどこへ着地するのかは、僕はまだわからない。けれど、この世界には、僕はとても魅かれる、魅入られるものがある。


(この辺からネタバレです)


■単純なラブコメのフェーズに入らない自覚的な描写が、渋くてたまらない

相田裕さんは、この「断念を抱えて生きる日常」にとても自覚的なのだろうと僕は思う。特に、幸の2巻のp63の三春に「烏谷君のどこが好きなの?」って聞かれて「? べつに好きじゃないですよ?」と答えるのが、素晴らしかった。そのあと、「高校で会った烏谷君は・・・・・前とは別人で、ちょっとがっかりしました。」p72というのが、特に。


1518! イチゴーイチハチ! 2 (ビッグコミックス)


僕はこれを読んで二つの意味で、感動しました。一つは、ようは、この後、三春が、お子ちゃまなのね…といっているように、幸がまだ恋愛を理解していない子供なんだという風に解釈していますが、それはまさにそうなんだろうと思います。けどね、幸の、この距離の詰め方、どう考えても恋している以上の距離じゃないですか。1巻から、どう考えても、この距離の詰め方、バックグラウンドとしても初めて見てひとめぼれしたって背景があって、それで、もう当然付き合っているんでしょう?ぐらいの雰囲気じゃないですか。いくらスポーツバカの烏谷君でも、このまま時間が進めば当然、イチャコララブコメがはじまるでしょ?としか思えない感じでしたよね。そこで「好きじゃない」といわれても、まぁラブコメフォーマットによくあるお子ちゃまな女の子が、恋を知って少しずつ女になっていくとかそういうドラマだよな!って思うじゃないですか!普通。はっきりいって、丸山さんって、かわいいもん、そう思わなかったらおかしいよ。これ、烏谷君という断念を抱えた男の子の再生のためのトロフィーワイフなんだよね!ぐらいに思えるんですが、ここで「前とは別人で、ちょっとがっかりしました。」というコメントが入ることによって、物凄い冷や水が浴びせられるんですよね。この冷却効果、凄かった。なぜって、このコメントがある限り、丸山幸という女の子が、本当は恋をしているんだけど、まだ大人になっていないので恋を自分がしていることに無自覚で「それを知っていく」というラブコメの物語には、簡単にはなれないことが明確になっているからです。これ、あ、、、そうか、これ単純なラブコメじゃないんだ!と凄い僕はドキドキしました。そしてむしろ、こうやって、明らかに恋をしていないのに、距離を詰めてくる・・・・これって凄い小悪魔だよなって、むしろ魅力的に思えましたよ(笑)。なので、一つ目は、むしろ、ああ、ラブコメの文脈で、主人公に都合がいい人じゃないんだ、という意味で、むしろ魅力的に感じました。この人の作品を見ていると、いつもフランス映画やイタリア映画などのヨーロッパの香りが凄くします。生きる価値がない世界では愛などもちろん意味がないから、「それなら」愛に生きてみようか的なフランス映画の逆説的なエロティシズムを感じる。うーん、伝わるかな?。愛を語るには、愛だけではなくて、この不毛な断念の世界生きる徒労感を基礎にして考えなければ意味がないとする世界観。


■対等であるということは、一緒に歩めること

もう一つは、やはり、ここで「高校で会った烏谷君は・・・・・前とは別人で、ちょっとがっかりしました。」という風に、幸が感じていることを解決していくことが、、、、うーん解決という言葉がいいのかはわかりません。なんというのかな、彼女がこう感じるテーマこそが、キラキラ輝いていた、野球で将来の階段を駆け上っていたスター選手のビルドゥングスロマンから、降りて断念して、成長することができなくなってしまった、どういうことなのか、そこで生きるということはどういうことなのか?ということを、問うていく物語になるということになるのがよかった。幸にとっての問題意識、、、「好きじゃない」というなら、それでも烏谷君のそばにいるということはどうしてなのか?どういう意味を持つのか?と。


はっきりと、4巻でその答えが出ています。あまりに見事で、僕は泣きそうに…というか、落涙しました。


「遠くから見るんじゃなくて、いっしょに歩くなら・・・・今の烏谷君かな。」p61(4巻)


もう、胸に迫りました。ああ、幸っていい女になるなーと感心しました。というか、うーん、ネタバレしていますが、ここで宇賀神くんというもと烏谷君のチームメイトで、万年補欠でずっと憧れの目を見ていた同級生が登場しているシーンから、積み上げて、このセリフに至る演出は、もうなんというか素晴らしすぎて、万感こもりました。これ素晴らしいマンガですよ。いくら言葉で解説しても、「あの表現」じゃないと伝わらないもの。


えっとね、、、言葉で解説するのは無粋も無粋なんですが、これは何を言っているかというと、幸は、二つのことをいっていると分解できると思うんですよ。1)一つ目は、キラキラ遠くから手が届かないものでなければ人は憧れない、けれども、2)一緒に人生を歩んでいく対等な関係には、1)ではなれなかった、といっているんです。


僕は、ここで、『GUNSLINGER GIRL』のサンドロとペトルーシュカの関係について思ったことを凄く連想しました。

■成熟した大人の恋の物語の挿入から生まれる立体感

実は、サンドロ自身も、未来のない実験動物のような義体の少女たちと、ほとんど大差なく人生の無目的な無意味さにいらだっていて、またクローチェ事件の生き残りの兄弟のような、そもそもこの制度を作り出したものと違って、暗殺者の少女たちと同じように、しょせん歯車の一部でしかない。もう、社会福祉公社は、巨大な官僚システムになりつつあるから。彼はその歯車として、生きている実感を持っていない。生きるための何か?を探して生きているにすぎない。ペトルーシュカがあと5年しか生きられないと聞いてサンドロは、「5年先なんて、自分だってどうなっているかわからない」と考えているのが典型的なのだが、ようはね、このサンドロとペトルーシュカの関係は、実は、徐々に「対等」になろうとしているんだ。わかるかなぁ?。リコやヘンリエッタが、明確にクローチェ事件の復讐という兄弟の「目的の奴隷であり道具」であるという大前提があるんだけれども、サンドロにとってのペトルーシュカは、仕事のパートナーにすぎないんだ。つまりは、「同じように目的LESSの感覚で、同じ目線で世界を眺めている」んだよね。どっちかが、どっちかの道具ではないんだよ。だからこの二人の間に生まれる感情は、対等なものなので、とても深い愛情に感じるし、それはまがいものではない。だって、権力構造がないんだもの。そして、この二人の恋愛が、1期生の盲目的で隷属的な少女と担当官との関係と比べ、どれくらい自由で、そして人間らしいかは、よくわかると思う。この恋愛物語、、、まるで美しいフランス映画を見ているようなスタイリッシュでドラマチックな物語が挿入された途端、このガンスリの世界が物凄く豊穣でリアルに満ちてくるように僕は感じるようになった。



『GUNSLINGER GIRL』 6〜10巻 相田裕著 成熟した大人の恋の物語の挿入から生まれる立体感

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20081028/p1

GUNSLINGER GIRL 8


僕は、本当の恋愛は、「一緒に歩んでいく対等さ」がなければ、ダメなんだといつも思う。もちろん、権力構造がない対等な関係なんてものは、人生でほとんど訪れない僥倖のようなもので、まずありえないものだ。この辺りはまるでフランス映画かよっていうような、人間関係の機微を、繊細なドラマに演出してまとめていて、いやーこの人物語の作り方が技巧的だなーとしみじみ思います。特に、ガンスリの濃密な背景描写や書き込みから一転して、学園モノの『1518!』のような、一見手を抜いているような、書き込み量を減らしているかのような絵柄が、考えに考え抜かれてつくられているところも、感心する。絵の手を加える量を少なくしながら、さらに繊細な表情や空気感を描いて、かつ徹底した取材を繰り広げているだろう日本の現代の高校生活の情報量を盛り込むことで、簡素にしていながら、情報量の密度を上げているところなど、驚くべき技巧、演出力だとおもう。ガンスリは、後半の素晴らしさは情報の密度を上げていくことで成り立っていたと思うのだが(イタリアの背景描写や公社の権力者の造形を描くことなどね)、『1518!』は、絵柄をシンプルにして、背景の書き込みをとても抑え込みに抑制している。いやはや、僕はこれがマンガの演出として、絵としてどうなのかは説明できないが、物凄い労力と繊細さで演出されているオリジナルの凄みを感じますよ。そしてなによりも、現代的でもある。そして僕も感情的に凄い好き、と感じる。。。。素晴らしい。


えっとね、、、、描写に話になってしまったのですが、それぞれの関係性が非常に深く練られていて、ラブコメフェーズに簡単に入らない仕掛けが凄いしてある。幸にとって、烏谷君という存在は、キラキラしなくなって魅力がなくなってしまった人なんです。だから魅力は感じないんです。幸にとって、バスケが背が低くてやめてしまったことがどれくらいの重みなのかは作中にはまだ描かれていませんが、1巻にさらっとありましたよね、、、たぶん彼女も、烏谷の輝くようなキラキラしているエース姿にノックダウンされるようなんだから、抱えている断念があるはずなんですよ。ないはずがない。もしくは、作中でいう通りなのかもしれません。「熱くなりきれなかった自分」に後悔があるのかもしれません。この記事を書いていて、『響け!ユーフォニアム』の記事を思い出しました。ああ、この2期もみていないなー。


『響け!ユーフォニアム』 石原立也監督  胸にじんわりくる青春の物語

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150807/p1


何故烏谷に、、、落ちた偶像である烏谷に近寄っていくのか、彼が断念の後に「何かを見つけていく姿」に胸が締めつけられるほどドキドキするのかといったら、それは「自分の姿と持つ内在のテーマ」に重ね合わせているからにほかならない。だから、「好きじゃない」けど、傍にいてみていたんです。これ、僕は、Fate/Stay Nightの士郎とセイバーの記事を書いたときのことも凄く思い出します。人が、「一緒に歩いていけるかも」と感じるときは、もしくは「そばにいて見続けたい」と思う時は、相手の内在性のテーマと、自分のものが重なった時です。そして、これが難しいのは、これは「恋」じゃないってことです。そして、たぶんこれが行きつく果ては、恋を吹っ飛ばして「愛」になってしまうこと。なので、この物語は、少女マンガじゃない。少女マンガはほとんどが恋を描くものです。好きじゃないといっているのに、同じテーマで「いまなら一緒に歩める」と同じことを気づいた宇賀神君に、むっと嫉妬するシーンは、そしてなぜ自分が嫉妬するかがわかっていないシーンは、作者流石だーーーと唸りましたよ。このへん、単純な恋じゃないの野に、少しづつ恋愛のプロセスが進んでいるような、人間関係が深くなっていくのは、いいなー。なんかいいんだよなー。


『Fate stay night』 人を本当に愛することは、愛する人の本分を全うさせてあげること、、、たとえがそれが永遠の別れを意味しても

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080802/p2


まぁ、SF的な物語は、こういうテーマが凄いぶっ飛んで、世界の終末とか、世界の救済とかとつながってしまうんですが、これを学園ドラマの物語がぶとっばない抑制した中で、地味に描き続けているところに、作者の技巧に驚かされます。なので、この先が楽しみでたまりません。



そして4巻の、、、これは同人誌の「チェンジオブベース」のテーマなんでしょうが・・・・いやはや、さっき同人誌の方を読み返していて、作者がこの骨組みを、いかにこの渋い物語の中で、ドラマチックに構成し直して繊細に演出しているかは、読み比べると、驚きます。この辺は、ぜひとも読んでみてください。泣けますよ。ちなみに、4巻は、会長のお話だと思うのですが、、、彼女もまた同じですね。この物語のテーマが、憧れること、しかし夢かなわず断念してしまったこと、それでも再生に向かって断念を抱えて生きていくという青春を描くことであるのが、よくわかる。甲子園に行きたかった、烏谷が甲子園の応援を聞いているシーンで会長が涙が止まらなくなってしまうのはも、、、もう見てて、僕も号泣だよ(涙)。これ生徒会の2年の先輩たちも同じだよね。東と三春の3巻のエピソードも本当に好き。この高校が、第一志望に受からなかった人が滑り止めで受ける高校という設定も、このテーマと凄いシンクロさせている。本当に作者は、考えに考え抜いていると思う。東君が、第一志望に落ちた後悔を抱えていて、それのリベンジのために勉強だけに生きている中で、なぜ生徒会に参加していくかというのまさに、同じテーマなんだよね。すべてかがさなっていて、本当うまい。それが、なんというか抽象的な話ではなくて、それぞれのエピソードが、とても演出的に深みがあって、グッっとくるんですよ。素晴らしい物語です。


PS


いやーそれにしてもよかったです。電子書籍の3巻のp126の左上の駒の会長の弟に見せる表情とか、この元気はつらつな先輩キャラの表情が急に、弟を持つ「お姉ちゃん」の表情になったりしていて、なんか芸が細かいというか、うますぎて、胸にぐっとくる。4巻のp23の表情なんかは、もう・・・・。あ、おれ、会長がファンなのかもしれない。


素晴らしい物語ですよ。


1518! イチゴーイチハチ!(1) (ビッグコミックス)

『GUNSLINGER GIRL』 相田裕著 聖なる残酷さ〜美しいが納得できない世界観

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20081025/p1

『GUNSLINGER GIRL』 相田裕著 静謐なる残酷から希望への物語(2)〜非日常から日常へ・次世代の物語である『バーサスアンダースロー』へ

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130104/p1

『GUNSLINGER GIRL』 6〜10巻 相田裕著 成熟した大人の恋の物語の挿入から生まれる立体感

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20081028/p1

学校共同体のなかでスクールカーストの最下層でも、成長を本気で目指して失敗した断念を抱えても、それでもぼくらは。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20151018/p1

頑張っても報われない、主人公になれないかもしれないことへの恐怖はどこから来て、どこへ向かっているのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/

2017-09-07

やっと、出てくれました!まってました!

恋愛ラボ(13) (まんがタイムコミックス)

激アマです。もう、ほんと甘くて、素晴らしすぎます。


ちなみに、レン君が、めっちゃすき。かっこいいよなー。

2017-09-06

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』10-11巻 渡航著 この展開は悪手で袋小路で先がなく作者は苦しいだけ・・・・・だからこそ期待したい

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。11 (ガガガ文庫)

■時代の問題意識を正面から戦っている幸せな作品

10巻から11巻を読んで、迷走している、と思う。悪い意味で書いているのではなく、作者が真摯に悩んで物語が進まなくなっているのがわかる。もちろん僕の勝手な解釈だが、10-11巻を読んでいて、雪乃との関係が、奥歯にものが挟まったような感じで、歯切れが悪く、「作者が何が言いたいのか?」がぼかして語られる感じが半端ない。それは作者も迷っている、、、というか、この「悩みの揺れ動き」こそが、物語の最前線だから起きるんだろうと思う。2013年に賀東招二さんの『フルメタルパニック』を読んだのですが、この時に感じた驚きを思い出します。というのはこの時点でこれは既に古典的だった、その後パターンとなった類型なので、とても古臭く、しかも作者が泥臭く当時の最先端のテーマ(すでに踏破が終わった)を追っているのですが、その真摯な追及感覚、暗闇の中を行きつ戻りつしている骨太感が、素晴らしいのですね。なのでテーマやそれへの答えが色あせて古くなっても、それでも面白いのです。これぞ、物語だ!という感じがする。時代を代表する作品の持つ力だと思うのです。

『フルメタルパニック ずっと、スタンド・バイ・ミー』 賀東招二著 なんて幸せな物語だろう

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130228/p1

フルメタル・パニック!戦うボーイ・ミーツ・ガール(新装版) フルメタル・パニック!(新装版) (富士見ファンタジア文庫)


■アンチリア充の物語類型(=リア充解体の工程)のその先は?


前回の記事で、2011年からはじまったこの作品には時代を代表するアンチリア充(=リア充の解体)を真正面からぶつかって、そして踏破してきたと書きました。しかし、ロングラン作品は、とても難しい側面がある。それは、時代の感性、時代が求めるものと、作品の主軸のテーマがずれてきているのだ。作品が時代遅れになったわけではなく、この作品こそが、新しい時代の扉を開きつつあるという意味で。しかしそうなると、なかなか難しい。対葉山のアンチリア充(=リア充の解体工程)は、既に終わりを迎えつつあるとすると、もう一つのリンクする主要テーマであった、雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣との関係性に物語は集中しつつあるのですが・・・・。最初から、僕はゆきのんのテーマはいずれどこかで決着をつけなければならないと記事で書いてきました。作者さんも明らかにここを強く意識していると僕は感じます。下記は引用ですが、この話は事細かくこの記事で書いているので、興味がある人は読んでほしいです。一言でいうと、この展開は悪手で袋小路で先がなく作者は苦しいだけだということです。

生徒会長にゆきのんがなることが解決になるかどうかわからない。


けれども、ゆきのんをめぐるドラマトゥルギーには、今この話では二つの前提がある。


それは、彼女も、ゆいちゃんも、ヒッキーも、奉仕部の空間、いいかえれば3人がいる空間を大切に思っていること


そしてそれがまだ、終わりを迎えていない、まだこの3人の関係のドラマトゥルギーが終わっていないと感じていること


2番目は、生徒会というテーマが出てきたときに、ゆきのんのお姉さんとの確執というドラマトゥルギーが


とても前に進むこと。特に、ゆきのん自体が(わからないが)どうもやりたがっていたのではないか?ということ


彼女は、ヒッキーが気になると思う。それは、彼女が正統的なアプローチをする人で、搦め手からオリジナルな攻め方をするヒッキーは、人材としてとても補完性があって、一緒にいて凄く楽しはずなのだ。そして、正統的なアプローチをする人は、リーダーに向いているのだ。それも実務のにね。言い換えれば、たしかにお姉さんよりも、生真面目なゆきのんは、生徒会長に向いていたと思うのだ。


という2つの条件を考えれば、めぐり先輩が、いっていたように、ゆきのんが生徒会長で、副会長がゆいちゃんで、庶務がヒッキーであっても、おかしくなかったのだ。


というか、奉仕部でやっている、裏方のことって、まさにこれと同じことじゃないですか。


これが、絶対位唯一の解決方法とは思わないし、それがよかったかどうかもわからないので、


これが正しいとは言えないと思う。


けれども、すくなくとも、ゆきのんが、どうおもっていたのか?は話し合うべきだったと思うのだ。それが、責任、、、、言い方が悪ければ、偶然人生の縁を共有した対等な友人との真摯な対応だったと思うのだ。そこで、人と、他者と本気でぶつからないやつに、リアルは感じられない。


なぜ、一色さんに対して同じアプローチができたのに、ゆきのんにできなかったのかといえば、それは、ヒッキーが、〜からの自由に固執していて、〜への自由へのステージの転換を見誤っているからだと思う。ゆきのんとかかわることは、自分を制限して拘束することだからね。一色さんは、彼にとってはどうでもいい人であって、そういうのには制限されないからだ。


それは、明確な間違いだった、と僕は思う。



『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。8 』 渡航著 ヒッキー、それは確実に間違っているよ

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131129/p1

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。8 (ガガガ文庫)


LDさんは、結衣ちゃんを選ばないなんてありないでしょう!といきまいていますが(うんうん、それはわかる)、僕としては最初から雪乃さんに注目している。それはこの物語類型ならば、『マリア様がみてる ハローグッバイ』で、それじゃあ祥子さんは、救われないよっ!といった話が、もしかしたらここで見れるかもしれないと思ったからです。僕にとっては、祥子さんとゆきのんは、同じ類型に見える。花ゆめ系でよく出てくるキャラクターだと思うのですが、過去に津田雅美さんの『彼氏彼女の事情』で有馬君の救済をどう考えるかと考えた時のテーマと重なると思うんです。


■マリ見ての本質

えっと、僕は柏木優って、スゴイ優秀な男だと思っている。

それはなぜかというとこの作品中で、ほとんどスーパーマン扱いされている赤薔薇さまこと小笠原祥子のことを、唯一の彼女の本質だけで、取り扱っているからだ。読んでないと分からない話の展開だなー(笑)それは、このスーパーマンみたいな、大金持ちの娘で、成績超優秀で、気が強く、美貌に恵まれた祥子が、実は、ものすごくか弱く弱い存在であるということを、一切の表面の肩書きや虚飾を無視して、柏木は、最初の最初から扱っているんですねー。


あーさすがだなーと思う。(←作者がね)


この祥子の弱さという本質に近づくことが、実は、祐巳の成長の本質であり、もともと圧倒的に祥子よりも劣位な存在であった妹(スール)である祐巳が、憧れという感情をバネに、彼女の弱さを知り対等な存在として精神的なパートナーとなっていくところに、その成長物語にこそ、この物語の本質があるのだと思う。

この場合、柏木優は、作中で唯一、本当の意味で祥子の本質を見抜いているのですが、それが、どうも理由はわからないが、恋愛感情でないようなのですね。(それとも育てているのか?)その祥子の精神的なパートナーとして、優は、どうも祐巳が相応しいと考えているている節があって、この部分が、上手く描ければこの作品は、アーカイブとして残るとまではいえないが、同時代として、人々(たぶん年齢層の低い人々)に読まれる価値のあるいい作品だと、思う。でも、そこに話を持っていくと、ここまでくると数巻で終わってしまうので、こんな儲け頭を(笑)編集部が終わらせるわけないので、そこでこういう中だるみが生まれているのだと思う。多少クライマックスまで薄めるのはありだと思うが、グインではないが(笑)、あんまり薄めすぎると、本質がぼやけてしまい、駄作になっちゃうぞ!って少し言いたい(笑)。まだ大丈夫だが。

http://ameblo.jp/petronius/entry-10007607835.html


マリア様がみてる―未来の白地図 (コバルト文庫)



と、こう書いている。この時は、この作品世界の中での柏木優の立ち位置に、あまり深く考えなかったのだが、最終的に終わってみると、祥子の内面の救済を深く本質的なところで達成できる力があるのは、彼だけだというのがはっきりわかってしまって、「そのドラマツゥルギーを昇華することなし」に終わってしまったのは、残念だ、という思いがあります。

例でいうと、津田雅美さんの『彼氏彼女の事情』の宮沢雪野編(前半)と有馬総一郎(後半)とほぼ同じ構造だと考えればいいでしょう。宮沢さんは、育ちが幸せすぎて、幼少時から、いや生まれる前から「家」の業を心にトラウマとして抱えている総一郎くんのことが、分からず先に救われちゃうんですね。その距離感の落差が、恋愛のうんまくいかなさにつながり、、、とドロドロ話が真っ暗闇の奈落の底へ落ちていくわけです(笑)。実際、少女マンガ誌に残る名作だと思うのですが、後半の有馬編は、とても人気がなかったそうです。

まぁ理由は分かるよね。そもそも漫画で、そんな「心底暗い話」なんか見たくないぜ、っていう需要層はそもそも多いと思うんだ。せめて物語だから、明るくて、癒される幸せな話ばかりが見たい、という意見は、とても重い重みがあると思う。またもう一つに、これってものすごいどん底から有馬が救われる話だけれども、それって、「天才のお話」なんだよね。だって、そんなどん底の人生から、急角度に未来が開けていくのってのは、「選ばれた人のおとぎ話」になってしまって、感情移入の広汎さを拒むと思うんだよね。たしかに、物凄いドラマティツクなお話だけれども、それはしょせん、自分とは縁のない話、と突き放して見てしまう読者は、とりわけティーンエイジャーやそもそも漫画を受容する層には多いと思うんだ。小説や漫画などの物語を語るメディアが好きなこと自体、現実とちょっと距離を置く傾向が多い人が多いと思うだろうしね。現実が好きな人は、物語を読む前に、自分という物語を生きてしまうもの。とすると、そういう人にとっては、感情移入の相手としては、敷居が高過ぎるんだ。

彼氏彼女の事情 21 (花とゆめコミックス)


これは、まんま小笠原祥子にも言えると思うんだよね。彼女の人生の問題点が、小笠原財閥の一人娘で直系であるということを抜きにしては語れません。いや、彼女の存在意義の過半を占めるといってもいい。それは何にも彼女自身に救いをもたらさないが、彼女の「人格」はこれによって形成されているし、彼女が「一人娘」である限り、この血の呪縛から逃れることはできないんですよ。



彼女という人格にとって、「本質的な自由」を得るためには、ここを乗り越え解決しなければならない。しかし、これは個人の気持ちではどうにもならないほどの、マクロの縛りなんですね。


そして、当然「このこと」が深く理解できるのは、身内だけなんだよね。ちょっと詳細は忘れてしまったけれども、一時期はフィアンセだったことを考えると、幼少時から柏木優は、小笠原財閥を継ぐ覚悟を求められていたわけで、一番その「意味」が分かっているのは、彼なんですよ。このドラマツゥルギー、いいかえれば、小笠原財閥の後継者問題と家の業を主軸テーマに考えないと、小笠原祥子の救済が描かれなかったも同等なんですよね。



『マリア様がみてる ハローグッバイ』 今野 緒雪著 ついに祐巳・祥子編の終わり、大好きだが一点不満があります!

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090110/p1


■雪ノ下雪乃が救済されるためにはどうすればいいのか?


丁寧に書いていると、体力尽きて書かなくなるので、端折っていうと、ゆきのんが救済されるためにはどうすればいいのか?と考えた時に、既に詰んじゃっているんですね。この先が書けない。


ここで僕が思い出すのは、丸戸史明さんの『WHITE ALBUM2』(2010-11)です。ようはね、ゆきのんキャラクター設定を考えると、学校の中じゃ救われないってことなんですよ。これは、アンチリア充のテーマで葉山君を理解していく、関わっていく過程と同じなんですよ。葉山君自体の苦しみは、学校空間からきているわけではなくて、その外にある社会、自分の家庭からきているものです。ちなみにこの葉山君と雪のんの関係は、祥子さんと柏木君の関係とても構造上似ている。だから、葉山君の問題意識は、常に「学校の外」からきているので、学校空間が舞台の問題や人間関係の解消では全く意味をなさないんですよ。


ホワルバ2やハイスクールクライシス、冴えカノで丸戸さんが、このラブコメの問題意識をどうクリアしたかというと、「お仕事もの」へ展開を飛躍させて舞台を変えることでした。


そんでね、ここが、丸戸さんの作品のいいなーと思うんですが、このお仕事系の話が出てきたときに、ラブコメにおける問題点をだいぶ解消する射程距離があると思うんですよね、この人の発想には。それが色濃く出ていたのは、『ホワイトアルバム2』。これって、高校生の時に熱病のような恋愛が始まって、それが成就するというか一つの結末を迎えるんですよね。だけど、第二部というか、「その後」といって、大学を卒業した後の社会人になって「人生のやりたいこと」を目指し、社会人になったステージで、もっとドロドロした話が始まるんですよ(笑)。

WHITE ALBUM2(「introductory chapter」+「closing chapter」セット版)

えっと、ラブコメの問題点というのは、少女マンガの問題点と同じなんですが、恋愛が成就(=お互いが両思い)になった後に、それでも続く人生において、結婚や社会に出て金を稼がなければいけなくなったりして、「自分の実存」や「社会とのつながり、社会での価値」などが総合して押し寄せてきたときに、それでもその恋は、機能するの、意味を持つの?という問いです。もう少しいうと、恋と、結婚した後の愛は違うよねって話です。少女漫画の問題点には、肉体が抜けやすい、いいかえればSEXがちゃんと描かれていないという問題点があるわけですが、要は舞台がどこかってことで、そこは無視されてしまいやすい。だって、中高生の恋愛ロマンスを描いているのに、「そこ」まで書いてドロドロしても仕方がないじゃないか、ターゲットと表現したいものが違うんだよ、と言われてしまえば、そこで終わるからです。



でも、それ全部射程に入れたものを見てみたいよね?というのは、決しておかしくないと思うんです。ターゲットがぶれるし、キツイ現実を見せつけられるので、企画化されにくいと思うんですけどね。


なので、お仕事系は、お仕事系で別のカテゴリーとして描かれる傾向がある。

冴えない彼女の育てかた 12 (ファンタジア文庫)

『冴えない彼女の育てかた』11-12巻 丸戸史明著  ハーレムメイカーの次の展開としてのお仕事ものの向かう方向性

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20170512/p1


学園の外から問題がやってくるのならば、学園の外(=社会・仕事)を舞台にしてしまえば、解決まで到達するのではないかと考えたわけですね。ホワルバ2がいい構造なんですが、ようは、第二部社会人編をはじめてしまおう!ということです。竹宮ゆゆこさんの『ゴールデンタイム』のように大学生活を舞台に、もう一度モラトリアムをやるというのも引き延ばし策としてはありかもしれません。そういえば、『とらドラ!』でこういう記事(下のもの)書いてたなぁ、そういう意味でも自分の問題意識も一貫しています。ゆきのんの問題を解決するには、学校空間の外を出なければならないんですよ。じゃあ、俺ガイル第二部をはじめますか?というと、そもそもこの問題意識は、最初の1巻からあるもので、作者は凄いこの問題意識の文脈に敏感だTぅタンだと思うんです。だから、今さら舞台を変えるのは、おかしいし、たぶん駄作になってしまう可能性が高い。人気がなくなるまでだらだらやるのも手ですが、いまの時代はそういうのがダメだというのは作家側でも消費者側でもよくよくわかってきていると思います。なので、やらないんじゃないかなーと思う。

ゴールデンタイム〈1〉春にしてブラックアウト (電撃文庫)


前に、羅川真里茂さんの『しゃにむにGO』と津田雅美さんの『彼氏彼女の事情』の感想で、「本当に幸せを求めることは、その人の本質を追及すること」だ、言い換えれば自分が自分自身に出会うことだ、というようなこと、、これは、幸村誠さんの記事でも書いたんだけど、それって、家族も含めないとだめだみたいなことを書いたこがあるんだよね。というのは、「その人」の人格は、その人だけで出来上がっているというよりも「連綿と受け継がれる」親から引き継いだものを引きずっているもので、「その親の持つ不幸(幸福も)の連鎖のドラマトゥルギー」を人はひきついでいるものなんだ、って、、、僕はそう思っています。だから、日本的な私小説では、日本の「家」の血のしがらみと、自意識の相克でこれを描くものが多いですが、このパターンのテーマです。ちなみに、こういうことは過去のものでもあるし、解決することはほとんどできません。けれども、直視して問題の構造がなんで出来上がっているか知ることはできます。せめて、それは自覚しないと、自己把握ができないと思うんですよ。「自分を知る」というのは、自分を構成した人々を読み解くことから始まると僕は思っています。「自分探しという趣味」(by岡田斗司夫さん)。

だから、竜児は、自分の母親のやっちゃんの問題を直視しなければならないし、大河は、自分の母親(父親はそれになりにわかった)との関係を直視しなければならないんですよね、、、これは、人生でも同じだと思うんですよね。


そうでないと、本当の幸せは訪れません(←ほんとか?)。近代の個を大切にする発想は、親の世代や過去の自分を切り捨てる発想が多く生まれがちだけど、それはきっと人の心にとって良くない発想だと僕は思うんですよね(ましてや日本の宗教観や世界観の文化風土だと特に)。ましてや学生は、自分で自立できないだけに、親の問題はストレートに自分の問題で、それを直視(=解決はできないことが多い)しなければならないと思うんです。「そこ」から目をそらしてはいけないんですよね。・・・ああ、ちなみに、自分で省みて、ちゃんと今では、僕は親族みんなと仲良しですよ(笑)。多大な努力と労力を傾けましたもの。自分の意見は、すべて通しても関係を絶たない、これがベストですねー。というか、吉住渉さんの『ママレードボーイ』のあのぶっとびまくりの両親の生き方が僕の理想んですねー。・・・ということで、この流れは、僕にはとても清々しいものに感じました。ああ、、、わかっているなーって。それに、一貫して、このとらドラ!という物語は、青春物語で、僕的な定義でいうと「居場所を探す物語」であって、恋愛物語じゃない気がしていたんですが、最後もそれにふさわしい締め方だったと思います。・・・何を言っているかというと、たぶん竜児と大河はすぐ結婚するんでしょうが・・・まぁこのパターンだと、みのりちゃんも亜美ちゃんも、まだチャンスをありますよ(笑)ってことなんだけど・・・でもこの話は恋愛がメインではないので、青春時代の大事な「仲間」という居場所を大事にするものなので、それはないでしょうね。まるで、いつまで行ってもそこにある、高橋留美子さんの『めぞん一刻』の一刻館や、那州雪絵さんの『ここはグリーンウッド』の緑林寮みたいなものですね。木原敏江さんの『摩利と新吾』とかも思いだすなー。


その選択は、正しい。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090313/p2


ってかんがえると、選択肢はかなり限られる。しかも、ゆきのんが生徒会長にならなかったせいで、いまの問題意識に対する答えの出口が失われている。ほとんど悪手な袋小路な状態で、なかなか次の巻が出なかったのは、わかる。


けど、クリエイターというのは、こういう構造的な問題を、驚くような手腕で軽々超えていく人たちです。僕は、どうなるか、とても楽しみです。もうすぐ発売ですよね!。

2017-09-01

『クジラの子らは砂上に歌う』 梅田阿比著  久々に見つけたハイファンタジーの安定した作品

クジラの子らは砂上に歌う 1 (ボニータ・コミックス)

客観評価:未完のため未評価

(僕的主観:★★★★★星5つ)

驚いた。もう9巻まで漫画が出ているのに、僕のアンテナに全くひっかかってこなかった。けれど、これ1巻しかまだ読んでいないですが、もう傑作だというのがわかる。この手の夢見がちなハイファンタジーの作品は、ファンタジー系を作りたい作家さんは志すんですが、たいていマクロばかり設計して人が描けず、頭でっかちの作品になりやすいんですよ。けど、1巻読んだけど、これ、凄く地に足がついている。しかもこの内容ですでに9巻まで出ているとは。これ、もうこの事実だけでほぼ傑作になるだろう予感ビンビンです。しかも、もうすぐアニメ化ですよね。もう幸せすぎて、不安になります。先日、いまごろになって『メイドインアビス』を見たんですが、これも、なにこれ、傑作すぎて、泣きそうなんだけどってくらいの凄い作品で、なんか最近すごい作品多すぎないか、、と恐れおののいています。

メイドインアビス Blu-ray BOX 上巻

どっちも、ハイファンタジーともSFともどっちでもカテゴリー的には言えると思うんですが、正面から正攻法で攻める硬派な作品。いわゆる字という部分がなくて、本当に正面突破な作品で、これでこのレベルのエンターテイメント性を保てるって、感心します。それって傑作への第一条件みたいなものなので。


まだ1巻の実なんですが、もう★5つけてもいいなって感じです。こんな渋めの作品なのに、ちゃんと世界が広がっていく感じがする。楽しみで楽しみで仕方がない。


設定的には、『翠星のガルガンティア』を思い出します。砂の海に浮かぶ巨大な漂泊船“泥クジラ”の上で、すべてに孤立して生きる姿は、ケビン・コスナー主演の『ウォーターワールド』(1995)も思い出させるんですが、この文明が崩壊してしまった、文明から孤立して海をさすらうというのは、非常にSF好きというか、クリエイターをとらえてやまないイメージみたいですね。

ウォーターワールド [Blu-ray]


『翠星のガルガンティア』の記事で下の様に書いたんですが、

特に、LDさんが強くおっしゃっていましたが、銀河同盟から離れてガルガンティアに着た途端、船内の生活感あふれる描写は、対比が素晴らしく。あの映像だけで、脳内トリップするほど感動的だった、というのは僕も同感です。映像が素晴らしいですね。鳴子ハナハルさんのキャラクターデザインとか、わかってるなー感があって。そうであるにもかかわらず、エロい話やサービス的なのが全くない感じなのが、上品でいいなーって凄い思う。


『翠星のガルガンティア』(2014-2015) 監督 村田和也 シリーズ構成 虚淵玄  スターシードになる人類の覚悟を描いた物語

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160425/p2

『クジラの子らは砂上に歌う』には、やはり世界ができあがっている安定した画力世界観構築力が1巻の最初から漂います。

翠星のガルガンティア:コンプリート・シリーズ 北米版 / Gargantia: The Complete Series [Blu-ray+DVD][Import]


この漫画家、凄い力量なんですが、この前にどんな作品を書いているんでしょう。なんというのでしょう「その世界がそこにある」というような雰囲気や空気の質感をかける人は、そんなにいるわけではなくて、これがないと、ファンタジーは描けないと僕はいつもおもっています。最近でこういう匂いを強く感じるのは、『不滅のあなたへ』(2016)の大今良時が連想されます。この人も、世界の構築力が高くて最初の一ページ目で、その世界の匂いが感じられるような作家さんです。後逸世界を構築できる密度の濃さがないと、ハイファンタジーというか、ファンタジーの中でも、世界の謎を描くような作品は、マンガや映像では描けないと思うんです。空気の密度とでもいおうか。そうでないと、せっかく異なる世界を描いているのに、「いまの世界の価値観や感覚」がそのまま出てきて、「異なる世界に飛び込んでいる」という、そこの世界の違和感を感じることができなくなっています。


不滅のあなたへ(1) (講談社コミックス)


この系統のSFやハイファンタジーは、僕は文脈で「この世界の手触りを疑う」とか言っていつも考えているのですが、世界が滅びた後や、文明から取り残されている狭い共同体の中から物語が始まります。そうすると、主人公は、ホトンで世界のマクロの仕組みについての手がかりや情報がない状態から物語を始めるわけで、、、それには、その主人公が、この世界は本当に、このままでいいのか?というような世界の仕組みやマクロに関する手触りの違和感から物語の動機が構築されます。なので、この手触りの雰囲気が、濃密に描けなければ、そもそも話として、物凄く薄っぺらくなってしまう。


この作品の面白さの大きな魅力は、SFの伝統的な巨大テーマである「だれが、どのようにこの世界を創ったか?」という部分を、とても丁寧に描いている点です。

性が入れ替わる人種が住む惑星を詳細に描いた超傑作アーシュラ・k・ルグィンの『闇の左手』 と同じタイトルがついていることからも、そういう作品へのオマージュであることは容易に想像できます。おお、そういえば、ル・グィンは、アメリカの西海岸に住んでいて、西の良き魔女とか呼ばれていたような・・・・。ああ、そういえば、ル・グインってフェミニストだったよな。。。そうか、そういうことか。。。

闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))


この西の善き魔女の世界は、外宇宙を航海していた宇宙船が竜の住む星に不時着してしまい、そこに人類が住み着いているという設定です。より大きな星間を統合する政府は、この先住民である竜を保護しようとして、難破して住み着いた人々の移住を促がします。

が、既に、二百年以上が経過しており、もう移民するのは非常に困難でした。

そこで、彼らのリーダーでありコールドスリープで当時の事故を知る者として唯一延命されていたクイーンアンは画期的な提案をします。

竜を駆逐しない国家を作ってみせる!と。



『西の善き魔女此^任虜玄蝓拉觚教子著/世界を疑う感覚

https://ameblo.jp/petronius/entry-10006718232.html

西の善き魔女 文庫 全8巻 完結セット (中公文庫)


ちなみに、西の善き魔女は大傑作です。ぜひとも、読んだことがない方はおすすめします。そんでもって、凄い丁寧にお金をかけて描かれているのに、この濃密さが全然なくて悲しいのが『フラクタル』ですね。これぼくは、ダメな例によく挙げるんですが、画力などほかの水準は高いだけに、悲しかったからです。

さてこうして見ると、僕には最初に思った残念な点が一つある。それは宗教について、、、「この世界が僕らがいいる世界とは全く違う現実なんだ」ってことを描写する「怖さ」や「凄味」が弱いことです。というのは、この社会は、フラクタルシステムが形成されてから1000年の時が経過しているという設定ですね。かつ、教団?が「この世界は終わりつつある」ということを伏線でいっていることから、フラクタルシステム「自体」のメンテナンスや開発改良は、どうも現代の人類の手に余るようになんですね。ということは、この教団って、このシステムをベースに生まれたある種の管理のための宗教なわけです。中心のシステムに手を入れられないとすれば、科学ではなく「宗教」になっていくはずなんです。意味は失われて儀式にいろいろなものが変更されているはず。そうであれば、これほど世俗的な感覚が残っているよりは、主人公たちに、僧院への強烈な畏怖や恐怖などの感情があるはずなんですよね。でもそういうのが全然ない。また、そういった宗教性を演出しようとすると、明らかに僕らには理解できないなんらかの感覚が描けないと、、、

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110213/p1

『フラクタル』 (FRACTALE)  A-1 Pictures制作 山本寛監督 環境管理型権力からの脱出を人は夢見るのか?

フラクタル第1巻Blu-ray【初回限定生産版】


ちなみに、この濃密さがこれでもかと出ている作品で僕がいつも思い出すのは、宮崎駿さんの『シュナの旅』ですね。この素晴らしさは本当に、恐れおののく。


シュナの旅 (アニメージュ文庫 (B‐001))


いま、こつこつ全巻読んでいるのですが、一話一話が濃密なので、もったいなくてコツコツ読んでいます。

2017-08-27

『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』 武内 宣之監督 岩井俊二原作 終わらない夏休みを描いた傑作リメイク

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? (角川文庫)

客観評価:★★★★★星5つ

(僕的主観:★★★★★星5つ)

■自分の目で確かめたら、傑作の映画でした。

ネットでかなり評価が分かれていたが、自分の目で確かめてよかった。素晴らしい傑作。ペトロニウスの名にかけて、傑作。終了後、久しぶりに打ち震えた、極上の映画体験だった。映画館で見るのが正しい作品。ただし、見る姿勢を問われるとても極端な作品で、予告の作り方、プロデューサーの川村元気さんの流れで、どうしても『君の名は』的なエモーショナルな、意味のはっきりわかる作品を求めてみてしまうはず。それだと、凄まじい肩透かしと、理解不能感が襲ってしまうだろう。岩井俊二の作品群と本質的に同じで、物語の筋を理解して考えようとすると、面白さがさっぱりわからない。彼の作品の本質は、匂いや空気の刹那のきらめきを「感じ取る」姿勢で見なければならないといつも思う。でないと、この映画体験は、不発に終わってしまうだろう。

昔、岩井俊二の『四月物語』の記事で書いた記憶があるのですが、どこにあるか見つけられなかったので、描いてないかもしれません。この脚本が典型的で、これは松たか子が、東京の大学に出ていくお話なんですが、まさに、「大学の新生活の物語かこれから始まる!」というところでもの物語が終わります。「始まりの予感」だけで映像化した作品。これを見ると、岩井俊二監督が、映像で何を取りたいのか、というのが如実にわかります。物語的な文脈に慣れていると、えっ!?物語はじまっていないじゃん、と凄い肩透かしを食らってしまう。なので、なにを求めて映像を見ているかが、凄い問われてしまう作品だと僕はいつも、岩井俊二さんについて思います。なので、姿勢が凄い大事。この映画もまさにそうだった。

四月物語 [DVD]

これ、ネットではどちらかというと不評ですが、僕は確かに好き嫌いはかなり激しくて人を選ぶと思うが、傑作の作品だと思います。傑作の意味は、自分が好きだ(笑)ということと、制作者の意図が非常にクリアーにわかって、その難しい意図が成功しているからです。どれくらいの興行成績になるか、とても気になります。たぶん中堅マイナー狙いなんじゃないかと思うのですが、もしそれで意図どうりの売り上げをたたき出したら、素晴らしいと思う。ビジネスとして、素晴らしくよくできてるし、同時にクリエイターのわがままというか使い方が凄くうまい。こういう幸せな仕掛けはなかなかできないと思う。本作は、やはり、オリジナルの奥菜恵の超絶美少女ぶりと、あの年齢のアンバランスさを極限まで映像化した岩井俊二監督のレベルと比較すると、そこまではいっていないとは思うのですが、しかし、そういう視点とは別に、素晴らしい映画だと僕は思います。海の上を走るまるで千と千尋のシーンのような風景などは、アニメーションでなければできなかったもので、詩的な幻想で境目がわからなくなってしまうような表現は、アニメーションの良さを最大限に使っている。


■岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(1995)オリジナルの本質をどう料理したか?

岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(1995)オリジナルの本質をどう料理したかというリメイクの観点で見ると大傑作だ、と僕は思う。川村元気、新房昭之、武内宣之、大根仁らが、才能あふれる天才の仕事だった。オリジナル作品は、当時の奥菜恵の超絶美少女ぶりを堪能する作品であり、女でもなく子供でもない「美少女」の自意識あふれる瞬時のきらめきを、小学生の男の子たちから眩しく見る視点から描くという、複雑な情緒を見事に映像化した作品だった。故に、アニメ化にあたって、設定が中学生になっている点というのが重要だと、僕は思う。それは、この作品が、なずなというキャラクターの「美少女ぶり」どう表現するかがポイントで、奥菜恵はあまりに美少女すぎて(僕は別に彼女を好きではないですが、当時の岩井監督の映画を見たら、わかるほどの超絶ぶりです)年齢を低め(小学生)にして、そのアンバランスさを表現していたのですが、アニメーションでは、この魅力を出すのに年齢設定を少し大人に上げなければならなかったんだと思う。なので、アニメのナズナの方が、ちょっとセクシーに描かれている。ちなみに、岩井俊二さんは、こういう「その時しかない瞬時の空気」を切り取るのが凄いうまくて、いくつもそういう仕事をしていますよね。AKBのドキュメンタリーなんかもまさにそう。

『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』

DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう? スペシャル・エディション(2枚組) [DVD]


■なずなのような美少女の残酷さを、かわいいととらえるか、女の嫌な部分ととらえるかは人によると思う

またこのなずなというキャラクターが好きかどうかは、その人の女性観にもかなり左右されるはずで、まだ女になっていないが、自分が明らかに可愛いと周りから思われている「美少女」の自意識による、周りへの圧倒的な優越感や、振り回してもいいんだというわがまま感を、かわいいと感じるか、女の嫌な部分と感じるかというのは大きいと思う。僕は、最初に不思議ちゃんなのかなと構えてみていくうちに、何もかもわかって、どうにもならないことをわかって動いているんだというシーンで、彼女が年齢相応の普通の女の子なのだという実感がわいて、とてもかわいいと感じました。こういう女の子のコケティッシュというか小悪魔的な部分を、かわいいなと感じるには、そういう小悪魔的に振り回されるのが好きなマゾ的な人か、もしくは、背伸びしている自意識の強さを「かわいいな」とかなり上からの視点で見れる人のどちらかだと思う。最近娘を持っているからだと思うのですが、女の子の「かわいさ」への理解度というか、種類に対して耐性というか、広がりが出てきた気が凄いします。おっさんになるというか年齢を経ると、感情とか磨滅していく感受性なと思っていたのですが、意外に感受性の幅が広がっている気がして、老成も意外に悪くないな、と思う今日この頃です。全編、このなずなの「かわいさ」の雰囲気を堪能すること、また、この「かわいさ」「へ」の視点が、観客の視点(年齢が上)ではなく、中学生(原作は小学生)の男の子の視点であるというのも要注意。友人のノラネコさんが、なずな(奥菜恵)のような超絶美少女に好きといわられたらまったく迷わないと言っていたのは僕も凄い同感で、ある程度年齢がいった男性から見たら、こんなかわいい子のアプローチがあってライバルを出し抜かないなんてことはありえない(笑)。けれども、あの時代の男の子は、異性よりも男の子の仲間内の世界が9割であって、そうはなれない思春期の微妙な気恥ずかしさと葛藤がある。その雰囲気、空気もまた極上なんです。岩井俊二監督の原作は、この子供時代の匂い、手触り、空気を見事に閉じ込めている。


■if(という分岐の世界)を描く並行世界の物語類型は、日本のアニメクラスターの凄まじい蓄積がある

アニメ化にあたって何が素晴らしかったかといえば、きっと制作陣は、なずな(奥菜恵)の神々しい美少女ぶりに、勝ることができないとわかったのだろうと思う。だからこそ、if(という分岐の世界)を見せるにあたって、原作にはない典道の意志を込めた。岩井俊二マニアともいえるような原作に忠実な再現から、はっきりと、典道が「なずなと二人の夏休みの今」が終わってほしくない、と意志するところから物語は変わります。ここからは、日本のアニメーションが蓄積してきた「並行世界の物語」の類型にステージが移ります。はっきりと、僕は、押井守監督の映画『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』や『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』を連想しました。並行世界の物語の基本構造は、「この楽しい夏休みが終わってほしくない」という動機で世界が繰り返して、閉じ込められることです。そして、この世界の繰り返しが、なずなと離れたくない典道の意志によって為されていたが、ラストのなずなのセリフ「今度会えるのどんな世界かな。楽しみだね」(オリジナルのもう会えないとわかっていてなずながいう「今度会えるの二学期だね。楽しみだね」からの改変)という部分で、この繰り返しが、典道となずなの共犯関係になっていることが描かれています。いいかえれば、これは既に純愛という恋愛であって、こういう「意志が込められた二人の閉じた関係」は、たしかに小学生はあり得ないし、オリジナル化からのはっきりと逸脱、決別です。だから中学生なんです。

うる星やつら2  ビューティフル・ドリーマー [デジタルリマスター版] [Blu-ray]

というように、まるで宮沢賢治の世界でも見ているような、時が止まった、繰り返される世界の幻想的な、繰り返す夏休みの情緒を「感じ取る」というのが、この映画の醍醐味です。それは脚本構造からも、絵的な構図からも、すべてが大成功を収めていて、制作陣の意図からすると、大成功だと僕は思います。そして、このある種、難解で人を選ぶ作品を、『君の名は』的な宣伝で人を誘い込めばきっと不満も大きかろうと思いますが、僕のように、ハマってしまい何度も見たい人はきっと一定数いるいはず。そこから逆算すれば、まさに制作者の意図どうりの興行成績も見込めると思う。川村元気プロデューサー。『君の名は』のような大ヒット作は偶然運で作ることはあり得ますが、その次に、このような渋い作品を手掛けるセンスと力量に、脱帽です。次の時代の日本のエンターテイメントを担う逸材ですね。感動しました。素晴らしい映画をありがとうございました。


■誰にこの物語を届けるんだという問題はいつもありますが、まぁいつでも、そんなの後付けのお話だよね

あとちょっと思ったのは、この作品を見に行く動機というものは、どういうものだろう?と最初に思ったんですよね。きっと3つぐらいしかなくて、1)宣伝が「君の名は」見たいだったのでカップルで見に行く、2)そもそも岩井俊二が好きで、見比べてやろうと意気込む、3)「物語シリーズ」やまどかマギカが好きな新房監督を見ようと思うようなアニメクラスター層。この作品を企画として立ち上げる時に、どうやってお金を引っ張ってこようか、と思うと1)の『君の名は』みたいなもしもの並行世界です、と企画するのが一番金がとれるはず。よっぽどことがない限り、ここで話がスタートしていると思うんだよなー。企画というのは、志じゃないので、スタートはそういうもの。偉い人は、年寄で、そもそもコンテンツなんか好きじゃないので、そういう人に耳障り良く、入り口を作るのが企画というものだ。こういうのはいやらしいんだけど、大事なことで、それは素晴らしい作品というのは、「そのコンテンツを確実に見るであろう人」を超えてどう広げられるかという視点がないとだめなんだろうと思う。それは、どんな形であれ、産業全体にもいい価値を残す、と僕は思う。なので、1)のトライアルマーケティングの罠に引っかかって(笑)見に行った人がいれば、それは大成功。その中に、これは!と新たにこちら側の世界に目覚める人は、決して少なくないから。母集団の形成というのはそういうもの。じゃあ、その肩透かしを食らった悪感情は、というと、そういう人はすぐ忘れて、そもそもその系統のコンテンツの担い手にならないので、無視していいと僕は思う。僕も、肩透かしに感じたら、正しい反応は「二度と見ない」だけだもの。商売というものはそういうものだと思う。少なくとも、この作品を見て、裏切られた(笑)と思うほど怒り狂うことはないと思うしね、そもそも。そういう挑発的な露悪趣味もないし。誰も損しない。もちろん、悪い動員の伝統ができちゃうのはよくないんだけど、この場合は、コンテンツの素晴らしさは僕は超一流だと思うもの、どんな手段でも、人にアクセスしたいとするのは、正しいよ。まぁ、すべてがきれいでなくちゃいけないとか、みんなが満足しなきゃいけないと思うような人は、どこにでもいるもので、そういうのは、たぶん相手にしていたら、なにもできなくなってしまう。なんでも、アクションなんだよ、と僕は思う。なので、この『君の名は』のタイミングで、これをもってきたプロデューサーの力量に脱帽。


打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? [DVD]

2017-08-26

【2016-8月物語三昧ラジオ】オフ会お疲れさまでした。

8月のラジオは、オフ会に全力投球と&夏休みの遊びに全力投球でしたので、オフ会の報告ラジオみたいになってしまいました。けれども、いやはや、自分で主催しておいてなんですが、50人も直ぐ集まってくれて(あのほんの数日だけで意思決定して申し込んでくれた人は、素晴らしいです。ありがとうございます&そういう人は人生損はしないだろうなーとしみじみ)、それに十分値する凄い情報というか意義あるものが届けられたのではなしかな、と思います。かなりの人が、九州や北陸、関西からきててくれて、、、けっこう震撼しました。いや、ほんとありがとうございます。といっても、チケット代かけても来る意義はあったと思わせる内容は届けられたと思います。いやマジで、ほんと。あんな凄い内容になるとは思っても見なかった。ネットラジオの延長線上になるかと思ったんですが、、、、いやはや、やっぱり場を共有することや、足を使ってリアルであるということには、特別な意味が宿りやすいんですねぇ。まだ僕らのイベントも、こじんまりとした個人レベルでやっているので、その感覚はとても強くなります。座談会っぽく、午前中は、みんなで話す雰囲気になった感じがあって、あれをこんどはもう少し時間とって、公開ラジオとかでやってみたいなーと思います。


2次会の後も、実はなんとなく流れで3次会もあったんですが、かなり個人認識できる人ができて本当に良かったです。あっ、ちなみに、twiiterで、行った人はぜひとも声をかけてくださいね。これ、アイコンやハンドルネームは、けっこう時々話しかけていると、「あれ、、、あの人か、、、」と思い出すものなんですよ。アイコンの写真やHNって重要なんだな、としみじみ思います。いろんな人に、声かけてねとかいうと、みなさん「怖くて・・・・」とか「自分には恐れ多くて・・・とかいうのですが、僕らも趣味でマンガやアニメが大好きで40超えてもマニアックに好きな人なんで、仲間が増えるのはすごいうれしいので、何にも気負わないでほしいです。これ好きとかいうだけでも、うれしいんですよ、話しかけられるのが。もう一つは、なんでも「はじめの一歩」を踏み出さないと、何も始まりませんよー。僕らは仲間内でいろいろ遊んでいるので、声をかけてくれていると、そういう機会もあると思うので、ぜひとも。なんでもせっかくなら、主体的に、自分から動くと、なんかいいことあるかもですよ。だいぶ個人的な関係ができたので、次回には、当たらなメンバーに事務局をお願いできたりしそうで、とてもうれしいです。


いやーそれにしても、海燕さんと僕のだけでも、なかなかこれは得られない情報なんじゃね?と思うぐらいのものだったのに、まさかLDさんが、あんな物凄いものを発表するとは、、、、いやはや凄すぎました。これまでの僕らが踏破してきた全体像をマインドマップで総覧できるようにしたもの、、、、ちょっとつくってみた、とかいって「ちょっと」????とかじゃねぇだろっ!と突っ込みたくなりました。いやーあれがLDさんお頭の中には常時入っているんですか、と思うと、その凄さに、神の頂を見る思いです。ラジオでさわりだけ写してありますが、今後、LDさんにぜひとも公開して本にしようと話していますので、どこかでは、LDさんの作ったマインドマップを見ながら、ラジオが話せるようになると思います。

先日開かれた数年ぶりの物語三昧オフは、大盛況、そして大成功に終わりました。参加者は実に50人を数え、ぼくも主催者側に回って講演を行うなどし、とても楽しませてもらいました。参加者の皆さんには、あらためてお礼をいいたいと思います。

 さて、この日の目玉であり、最大の見ものであったのは、やはりLDさんのマインドマップに尽きるでしょう。神話時代にさかのぼって現代のポップカルチャーを語る圧巻の内容で、非常に独創的なものです。現代の批評を見回しても、同種のものはまったく見つからないと思います。


弱いなら弱いままで。

世界の物語を一望するマインドマップを作ったよ。

http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar1315552

ちなみに、僕の話した「アメリカ映画におけるリベラリズムの浸透 それなのに、トランプってどういうこと?」というのは、パワーポイントにして78枚になりました(笑)。実質2時間半ぐらいしゃべりましたね、、、全然スケジュール通りじゃない(苦笑)。LDさんも3時間みっちりになりましたので、まぁゆるして、と。下はその時の内容です。前半のアメリカ映画のリベラリズムの変遷を説明しようと思ったのですが、そうすると、なぜ今はトランプ大統領?という疑問が生まれてしまうのと、敷居さんからトランプ大統領がなんで出てきたのかを知りたいなーという個人的な要望があったので、後半が大きくなりました。大分、世の中では流通していない話をできたのではないかなーと思います。

<実験国家アメリカは、理念による人為的統合を目指す>

1.African-American現代史の文脈

  12 years slave, 大統領の執事の涙、ストレイトアウタコンプトン、Higher Learning

2.ディズニー映画に見る多様性への尊重

  ズートピアとBig Hero 6(ベイマックス)

3.男女の性差に対する敏感さ〜女性が大統領になる日

  スターウォーズ・モアナと伝説の海、ブロークバック・マウンテン

<アメリカが目指しているのは、現代先進国の課題と同じ中間層の復活>

4.2016年の大統領選挙とは何だったか?

  多様性を尊重するアメリカが、なぜ反対方向に振り切れたか?

  アメリカが目指すのは、中間層の復活

5.ドナルド・トランプは、見捨てられたマイノリティの代弁者として登場してきた?

  ヒラリー・クリントン:黒人、女性、LGBTへの支持

  ドナルドトランプ:見捨てられたPoor Whiteを中核に?

  どちらが、ほんとうにアメリカの中間層を代表しているのか?

6.そしてアメリカは、人類はどこへ?