物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2014-09-20

『あまい声』 ハルミチヒロ著  ふとつらつら思ったこと

あまい声 (バンブーコミックス COLORFUL SELECT)

最近、本当に忙しい上に、またまた風邪なのか疲労なのか、いつものごとく咳が止まらなくなって四苦八苦です。健康が維持できないなーーー。。。。ふひー。なので記事を書くパワーがほんとなくて、、、悲しいです。ストレスたまっている分だけ、物凄い本やマンガを消費しているんだけれども、、、思うところが溢れて書きたいことがいっぱいなんだけれども、なかなかできなくてー。明日からちょっと南部のほうへ出張だしー。


さてさて、短編集ですが、『17(セブンティーン)』がよかったなー。何がよかったかっていうと、この話って唯一Hシーンがないんだよね。34歳のサラリーマンと17歳の女子高生が登場人物。何がよかったかっていうと、Hな漫画で、僕の世代だと(世代は関係ないのかな?)すぐ援助交際とか、Hなことを連想しちゃうじゃないですか?。JKって、こういうところでは記号の一つだから。なんだけど、Hな漫画のカテゴリーで別にタブーはないはずなんだけど、この34歳の主人公、凄い抑制的なのですね。最後まで、触ることすらしない距離感。相手の女の子は、明らかに彼に惚れているのに。。。うーん、、、なんか、ほかのやつがいちゃこらラブラブのHシーン満載だけに、物凄い清々しさを感じたんですよね。それにね、、、たぶん、僕が34歳ぐらいのリーマンだったら、ほぼ同じ行動をするよなーって、思うんですよね。実際のところは。もちろん、本物の恋や愛には年齢は関係ないから別のストーリーというかファンタジーもありうるのは否定しないんだけれども、いやーこれいいなーって。


僕、ハルミチヒロさんとっても好きなんですけれども、彼の恋愛ってすべて対等な感じがするんですよね。対等な感じがしないところでは、僕の中ではエロ度が下がるんです。対等な関係性がないところでは、なんというかそういうエロって、ファンタジーになってしまうんですよねー僕の中では。ファンタジーを楽しむってのは、もちろんあるし、否定しないんだけれども、やはり対応感があったほうが圧倒的にエロ度が上がる(笑)。そして対等感があると、ストーリーが生まれる気がするんだよね。エロを示すためのフォーマットというか、約束事が優先じゃなくて、対等であるがゆえに相手の気持ちのほうが優先されるので、物語が生まれる。。。。特に長編の『ベルベッド・キス』は超お勧めです。ヒロインのかのちゃんが、これがまったかわいーーーーんだ。この子どう定義しても、ビッチ(笑)でしかないんだろうと思うだけど、でも清楚でかわいく見えちゃうんだよねー。いやーハルミチヒロさんうまいよなー。かのちゃんかわいいよなーーー。

ベルベット・キス  4 (バンブーコミックス VITAMAN SELECT)

・・・・・そして、こういう対等感覚を持つ人だから、34歳と17歳という年の差や立場の差を前提としたときに、34歳側が「触らない」と意識してだろうなーと思うんですよ。こういうのって、凄いこういう業界だと珍しいと思うんですよね。ファンタジーなんだから、それでいいじゃないか、と型にふつうは入ると思うんですよ。けど、そうじゃないのを絵が言ったてのは、そういう感覚が作者に強くあるってことなんだと思うんですよねー。なので、この人の対等感あふれる男女関係が、めっちゃ他の作品と違って、エロく感じたのは、なるほどなーーーーって思いました。


ふと思いだしたのが、サトウナンキ+きづきあきらさんの『いちごの学校』これ、非常にきつい話だなーと思うんですが(彼らの話は全てきついですが・・・)、これ、じゃあ、実際に手を出したら、どういうことなの?というのを描いたものです。この場合は、学校の教師が教え子に手を出して、子供を作ってしまったという話です。これを見ると、こういう格差を利用した行為が、どういうやばさを抱えているのか?ということが凄くよくわかります。要は、年齢が低いほうの未来をすべて奪ってしまうことになるんですよね。その自覚があるかどうかで、、、、いいかえれば、その時だけの欲情や衝動ではなく、相手との未来も含めてものを見ている人であれば、何が重要か?ってのがわかるはずで、そこで自制や、逆に、もっと行くぜ!(笑)ということの判断が生まれるってことです。『Oh! myダーリン』とか、いっちまうぞ!といったほうがいいって突き進んでますよね(笑)。あれは子供のころから見守っていて、相手のことを生涯すべてを含めて守りたいと思っているから、もう伏線ありすぎで(笑)、完璧ですよねー。まぁ、運命の相手だ(笑)。

いちごの学校 (ヤングキングコミックス)

なので少女漫画で、これも教師が教え子に手を出したケースですが、『Oh! myダーリン』とかも併せて読むと、いろいろ思うところがあって楽しいです。とはいえ、こういう話でちゃんとその「深刻さ」を扱うと、えらい暗い話になるんですよねー。Hな漫画って、欲望が原初にあるものなので、それを赤裸々に書いているものが多い。僕はそれは、多様性があるという意味でもいろいろなものがごった煮であるのならば、あっていいと思うし、そういうのは大好きです。でも、「それ」を起点にしてどんな未来が生まれていく可能性があるのか?という、時間の経過を見る視点って大事だと思うんですよね。そうでないと長い物語は書けないし、また人生も同じで、脊髄の条件反射だけで生きている人はほとんど幸せになれません。

Oh! myダーリン(1)

僕が思いだすのは、高見まこさんの『いとしのエリー』もすごく思い出されます。これは、女性教師と男子生徒の恋の物語ですね。ようは、この格差を超えるには、相当のお金とか世間的な力とか、、、言い換えれば包容力がいるってことです。『いとしのエリー』は、主人公の男の子が、どん底まで落ちていく様は、、、、恐怖すら覚えました。それだけエリーのことが好きなんだろうといえば、そうなんですが、、、好きなんて感情は野獣の感情なんですよね。それ「だけ」に振り回されると、とんでもないところまで落ちていく。奇跡的に主人公は、そこを抜け出すけれども、、、いやーーーこれって、超危険だったんじゃない???って思うんですよね。


そうえいば、LD教授とルイさんと、『フタイコイ・オルタナティブ』を見ている時に話していたことを思い出しますが、ハーレムメイカーの話なんですが、ハーレム状態になった時に、「誰か一人を選ばなければならない圧力が生まれる」と僕は提案したんですが、それって、僕の倫理的な思い込みも入っていて、全員を選ぶという選択肢をもあるんだ!とLDさんに喝破された時は、目から鱗が落ちる思いでした。その条件は、ただ一つ。男側に甲斐性があるかないか。ぶちゃけていえば、男にお金を稼ぐ力があれば(お金ではありません)、それで、全員を養う空間をこほできれば、ハーレムは成立して安定しちゃうんですよ(笑)。これは、なるほど!って思ったのを覚えています。イスラム教が一夫多妻を認めているのは、当時戦争に次ぐ戦争で(という遊牧民の生活は苦しいので)未亡人が増えまくったり、食べていけないで苦しむ女性の救済が目的にあったとか何とか、、、というのを歴史の本で読んだ覚えがあります。ようは、失業対策とか、福祉とかそういうものの一環だったわけです。しかし逆に言うと、甲斐性とか金を稼ぐ能力で、養う空間を確保できなければ、それは成り立たないということでもあります。お金だけじゃなくて、『いとしのエリー』なんかは、本当に世間の壁というのの怖さをこれでもかと見せてくれるので、いやー凄かったです。逆に、これをすべて乗り越えきったカップルは、それは「ほんもの」だったんだね、と本当に感じました。

いとしのエリー (1) (MF文庫)

ふとつらつら思ったこと。


まぁ、ここで一番強い思いは、かのちゃんは、かわいいなって、てことです。

2014-09-06

【9月物語三昧ラジオ】人生論というか幸せのなり方?なのかな?

【漫研ラジオ】

http://www.ustream.tv/channel/manken

録画データ

http://www.ustream.tv/recorded/52387647


ちょっと疲労でしんどいですが、今月ここしかないと思うので、、、やりたいと思っています。


お疲れさまでした。3時間人生論っぽい話になりましたねー(笑)。いつものごとく、録画を切ってから40分話しましたが、そっちがどっちかというと、物語の話だったんですよねー(苦笑)。僕のお勧めは、佐島勤さんの『ドウルマスターズ』と『とある飛空士への誓約』『まりんこゆみ』このへんは、物語三昧の読者は読んでおいてくださいねーというはなしでした。特に、さすがレスター伯さんのおすすめで『ドウルマスターズ』は世界観がとっても今の時代を先取りしているので、これは必須でお願いします。


ドウルマスターズ (1) (電撃文庫)

とある飛空士への誓約 6 (ガガガ文庫)

2014-08-30

コードギアス反逆のルルーシュを見直しました!

コードギアス 反逆のルルーシュ R2 5.1ch Blu-ray BOX

最近忙しすぎて、記事が全く書けません。とはいえ、アメリカは今3連休なので、9/1はlabor dayですので、さすがに少し余裕がある。昨日、こつこつ毎日1-2話ぐらいで、ストレスの緩和のために見続けた『Code Geass: Lelouch of the Rebellion』のR2を見終わりました。いやーえがった。僕、反逆のルルーシュ、物凄い大ファンなんですよ。リアルタイムの時も、たくさん記事を書いていますよね。なので、この胸にとても残っている。文脈的に意味があっただけではなく、たぶん物語としてととても好きなんだろうと思います、こうして見直すということは。


古い作品って、見るのを躊躇するんですよね。ましてどんなに名作でも一度見たものは。これだけまだ見ていないものが溢れていると、なんだか時間の無駄なような気がして、時間は限られているので、、、、だけど、だからこそ、贅沢って感じがします。また年齢が変わったり、経験が変わってみると、見方も凄く変わるので、こういうのいいですね。記事こそ書く余裕はないですが、精神の平衡を保つためにも、毎日Kindleで漫画を大人買いしたものを見続けていたりします。ああ、こういうのがこれだけ容易に手に入るって、今の世界は素晴らしいですね。ほんとうに。


これ、一気に通してみると、いろいろなことを思いました。


一つには、R1というか、最初のシリーズが圧倒的に名作で出来がいいってこと。それは、日本が植民地となりエリア11という支配されているところでのレジスタンスという、非常に物語のテーマが絞られていて、そこを丁寧に描いているからだろうと思う。このテーマは、やっぱりおもしろいんですよね。ニッポン・バンザイという叫びは、戦前のイメージが強くて、あまりイメージがよくないのですが、レジスタンスで描かれたり、イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』の栗林中将のバンザイのように、意味や文脈が変わって描かれると、センスオブワンダーがあって、凄い感動します。レジスタンスものでは、僕はアメリカのドラマで『V(ビジター)』というのがあって、あれが好きだったなー。

V [ビジター] アンコール DVDコレクターズボックス

硫黄島からの手紙 [Blu-ray]


また、僕は全作品中圧倒的に、枢木スザクが大好きなのですが、、、、大好きというのとは違うかなぁ、、、現代日本人のヒーローを描くと、これって凄いモデル的なヒーローだなって思うんですよ。だって、物凄い矛盾溢れている。命を守ることや、すべてを守ることに固執するが故に(絶対平和主義的な)、自分が壊れていく様や、それ程の平和主義者なくせに、軍人になって凄い武力を持っているという矛盾。彼の価値は純粋に、軍事力としての部分が多き。。。存在そのものが武力なんです。結果ではなく、手段に優先順位を置く極端さ。その矜持と自覚。そしてなによりも「それならば自分はこの世界に生きる必要性を感じません」と言い切る、手段に殉じる強烈な殉教精神。そして、その殉教精神がただの自殺や逃げに収まり切れない何か大いなるものにつながっている王の器を感じさせるところ、、、まぁ、LDさんのスザク解釈そのままですが、R1では、そのスザクのキャラクター性が、十全に表現されており、R1はまさにスザクが主人公といってもおかしくない、レジスタンス・ニッポンの象徴のような存在でした。この、矛盾溢れる、平和を志向するのに暴力的存在であったり(本人は矛盾で凄い苦しむし、悲しいんだけど、ものすごく強かったりする)、手段に殉じようとする忠義的な、合理性では測れないような極端な思い込み(=外からはミステリアスに見えるところ)って、現代日本をすごい感じさせる気がします。タイプムーンの衛宮士郎なんかもこの造形に近いと思うんです。この全てを救おうとして、自分が壊れていくことや、結果を重視する合理精神を超えて、手段へのこだわりを見せる、、、ものすごく甘くバカなんだけれども、それが貫かれると一種のすがすがしさと感心をもたらすんですよね。すげぇ、不可解な人なんだけど。これって、現代日本だよなーて思うんですよ。


CLAMPさんのキャラクターデザインもいいんだろうなー。CLAMP的には、スザクのデザインが、明らかに主人公格ですよね(笑)。僕は、スザクが、物凄い好きです。ちなみに、CLAMPさんも、ちょうちょう好きです!!!

ツバサ(1) (Shonen magazine comics)


もう一つは、R2の、、、なんというのだろう、何人かの友人は、R2って出来が悪いっていうんですよね。話がおとぎ話の様に極端だし、話が飛びすぎるって。僕は多分、当時の評価も同じこと書いているんですが、R2絶賛しているんですよね。それは、この作品が、R1で広げすぎた風呂敷を、ちゃんと1)物語的に収束さえようと意思しているところ。2)またその時点でありうる物語的(SF的?)文脈のすべてを書き切るという荒業に出ているところです。


何度も書いているんですが、商業作家というか、作家の一番重要な部分の一つは、広げた風呂敷をどう収束させるか?というところにあります。アイディアだけで広げるのはできるんですが、それを収束させるのには技術と根気と力量が必要です。そして、完結しないと、傑作としてアーカイブに残りません。相田裕の『ガンスリンガーガール』を僕が絶賛する理由はそこに有ります。そして、作家の人に聞くと、この風呂敷を収束させるさ行ってつらく険しくしんどいってみんな言うんですよね。少なくとも僕が知る限りでは。それは、もう結論が決まっているところへ落とし込んでいく「作業」になるからだろうと思います。これが、ちゃんとできているってのは、僕は、R2は素晴らしいと思うのです。仮にそのために、24話で話が描ききれないボリュームになって、演出の丁寧さが失われたとしても、僕はギリギリ破綻しないラインで保たれている、そのぎりぎり感が素晴らしいと思いました。

GUNSLINGER GIRL(15) with Libretto!II (電撃コミックス)

コードギアスが、演出の丁寧さ、、、言い換えれば各エピソードの積み上げを、ショートカットしたことには、僕は意味があると思っています。けっして尺が足りないからだけではなく、たとえば100万のキセキのエピソードでは、特区ニッポンからレジスタンス分子を分離するために、確かにあの話は政治的な可能性としては、物凄い論理的にわかるものです。というか、あれしかないでしょう。けど、ユーフェミアが構想したナンバーズとの共存政策は、世界政府への一歩なので、あれを超えて物語を進めようと思うと、凄まじい積み上げが、、、それこそ、24話まるまる描く話になってしまいます。けれども、それでは、R1と同じで、ニッポンという一国家や民族のレジスタンスの物語になってしまいます。それでは、もうパターンなんですよ。それを超えようと思うって、尺を残そうとすると、百万のキセキで一気に話を進めなくてはいけない。


その後、超合衆国で、ニッポンと同じような状況の各国を連邦的に同盟を結ぶ方法、軍事力を一元的にもたせる(これかわぐちかいじさんの『沈黙の艦隊』でやってましたねー)こと、これって、ようは世界政府の樹立の物語なんですよね。ガンダム・サーガで僕がいつも話しているテーマにつながっていく。


じゃあ、ナショナリズム(=ニッポンのレジスタンスの物語)から、地球連邦政府に飛躍するために、論理的に物語の世界ではどういう分岐があるかといえば、5つ(いまぱっと思いついたので整理しきれていないですが)あるんですね。その5つをすべてちゃんとわかるように描いているんですね。これって、真のグローバリズムが成立して、世界というつ政府が成立するにはどうすればいいのか?という、ガンダムサーガの世界と現代の僕らの世界の間にある問題点なんですね。次の世界政府に行くためには、逆に言うと以下のような問題点と解決方法がある。


1)シャルル・ジ・ブリタニアによる力による1国による世界制圧(ネオリベラリズムですね!)


2)ゼロが志向した超合衆国:各国政府が軍事を放棄して同盟を結ぶことによる世界政府の樹立・純粋軍事力の確立をどうするかの問題(グローバリズムの追及ですね)


3)集合無意識に人が統合されることによる戦争のない世界の成立(SFの最大テーマである全体と個の結論ですね!)


4)シュナイゼルによるダモクレスによるシステム(=核ミサイルのような戦略殲滅兵器)による恐怖による平和の確立


5)そして、世界の憎しみを一人の人格に集中させることによる、王自らが犠牲になることによる人類の統合ですね。

 

それぞれに、既に過去の先例があります。2)の純粋軍事力って、かわぐちかいじさんの『沈黙の艦隊』ですね。これは、4)のダモクレスのシステムと同じものでもあります。戦略原潜で、世界中に核ミサイルによる恐怖で戦争をなくすことです。これは、現在まで続く米ソの戦略とほぼ同じですね。お互いが同じだけの戦略核兵器を持ってバランスすれば、世界は平和になるという考え方です。これ、現在の人類の基礎構造となっている考え方です。そして事実、この危ない状況下で、人類はまだ生きている。

沈黙の艦隊(1) (モーニングKC (192))


3)は、少し角度が違うのですが、SFの全体と個という究極のテーマの一つで、これがもっとも有名なのは、アーサ−・C・クラークの『幼年期の終わり』と庵野秀明の『新世紀エヴァンゲリオン』の人類補完計画ですね。この辺の全体と個のテーマをうまく説明している評論では、中島梓さんの『道化師と神』がおすすめです。同時に栗本薫さんの小説『レダ』と『メディア9』の3作を読むと、完璧にこのディストピアモノやSF古典テーマの骨格が完璧に理解できるようになると思います。この3作は手に入れるのが難しいかもしれないですが、現在でも色褪せない読みやすさと面白さ、そして、SF古典の中心テーマを非常によく理解している人が、その自覚をベースに描いた作品であるので、僕はペトロニウスの名にかけて傑作であり読む価値があると思います。

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫) 新世紀エヴァンゲリオン TV版 プラチナ コンプリート DVD-BOX (全26話+ディレクターズカット版4話, 660分) [DVD] [Import] レダ1 (ハヤカワ文庫JA) 

あっちなみに、3)はCの世界のこと言っていて、これは、弱者であった時の記憶を色濃く持った為政者がよくこの発想にたどり着きます。ようは、ミクロで人間が信じられないことと、マクロを体験した時の人類の欲望のありかたの醜さ、どうにもならなさが重なって、人類なんかなくなってしまえ!!!!(デビルマンですね)と思いつくか、人間に、自分と他者がいるという構造的問題点があるからこそ、こういう争いが起きるのだ!!!という事実から、ならば人類の自己と他者という壁をなくしてしまえば、お互いがわかりあって、戦争や争いはなくなる!と考えることですね。とても論理的ではあります(苦笑)。


改訂版デビルマン(4) <完> (KCデラックス )

このテーマはいろいろありますが、人類補完機構シリーズを描いたアメリカの作家のコードウェイナー・スミス(Cordwainer Smith)の『ノーストリリア』(Norstrilia)とか『第81Q戦争』 (The Instrumentality of Mankind)とか、古典でありますねぇ。ちょっとずれるけれども、非常に古典的な貴志祐介さんの『新世界より』とか沼正三『家畜人ヤプー』なんかも、人類を作り替えてしまおう!という志向性は、この集合的無意識に人間を溶かしてしまえ!(構造的に人類という種を作り替えてしまえ!)という発想と同じなのかもしれません。ふと思いました。この辺どれも大傑作なので、続けて読むと、面白いですよ。『家畜人ヤプー』は、ちょっと読むのはしんどいので、確か漫画化されていたので、そっちで読むといいかもです。これもどこに力点を描いて描くかで、作品の焦点が変わってしまいますね。一番典型的なのは、やはりクラークの『幼年期の終わり』が王道ですね。小川一水さんが『フリーランチの時代』という短編集で、最初に書いているのが、これだったはず。ああ、あれは、集合無意識に溶けるのではなくて、人類が違う種になってしまう話でしたね。

新世界より(上) (講談社文庫) 第81Q戦争―人類補完機構 (ハヤカワ文庫SF) 家畜人ヤプー 1 (バーズコミックス) フリーランチの時代 (ハヤカワ文庫JA)


このへんは、SFに全体と個というテーマがあると認識して読まないと、なんでさまざまな作家が、いろいろなパターンを追求してアイディア勝負で物語をつくるのかが、わからなくなります。この辺は教養がいる見方ですね。ちなみに、最近でこのテーマは、水島監督の00の劇場版でしたね。これ、ルイさんに、見ろ見ろって言われてたんだよなー。。。。懐かしい。


『劇場版 機動戦士ガンダムOO ―A wakening of the Trailblazer―』 水島精二監督 人類の正しい発展の次の段階とは?http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121207/p1

劇場版 機動戦士ガンダムOO ―A wakening of the Trailblazer― [DVD]


そして、5)は、なんといっても永野護の『ファイブスター物語』のアマテラスの帝ですね。まぁ、これは読んでいないと、ちょっともったいなさ過ぎるでしょーという日本のエンターテイメントの世界で現在進行中の生きる伝説なので、まず読みましょう。まぁ簡単にアウトラインを言うと、アマテラスという皇帝がいるんですが、その彼が、ずっと殺し合いをしている星団中に大侵攻をするんですね。そして星団をすべて統一する。しかしそれは、一つに統合することの出来ない人類を一つにまとめるための手段だったんですね。自分に憎しみが集中すれば、バラバラだった民族や国家が統合すると。そして、彼は星団統合後、自分の部下に自分を殺すためのレジスタンスを作り、自分を殺せという命令を出します。もちろん秘密裏にね。まさに、ルルーシュがやったことと同じでしょう?。人類は敵がいれば統合するという、逆に言えば、敵がいる限り殺し合い続けてしまうという黄金律というか人類の存在の在り方を逆手に取ったわけですよ。この物語類型は、たくさんでています。


ファイブスター物語 (3) (ニュータイプ100%コミックス)


たとえば、

『ヴァンパイア十字界』7巻 城平京:著 木村有里:画 そこまで個人がマクロを引き受けていいものか

http://ameblo.jp/petronius/entry-10042160254.html

『ヴァンパイア十字界』 "THE RECORD OF FALLEN VAMPIRE"

http://ameblo.jp/petronius/entry-10041498470.html


ここで、この話の類型を僕が初めて見つけたときですねー。

ヴァンパイア十字界1巻 (デジタル版ガンガンコミックス)


話が長くなりましたが、ようは、コードギアスR2って、この時代に展開している、「現代のわれわれの社会」と「地球統一政府がある世界(ガンダムの世界)」の間にある飛躍を超えるには、どういう可能性の分岐があるか?というテーマがあって、エンターテイメントの世界では、上の5つぐらいの可能性の分岐の物語類型がつくられ続けているんですが、、、コードギアスR2の凄いところは、この全てをちゃんと描いているんですね。たった24話の中に。それは、これまでの作品では、物凄い尺を使って描かれてきています。『ファイブスター物語』なんかを見ても、わかりますが、もう終わらない物語級の長さです。それくらい、もう一つ現実のわれわれが体感していることを超える概念を物語でわかるように表現するには、難しい技術だからなんだろうと思います。それを、ショートカットしている(積み上げが弱くなる)とはいえ、破綻せず、物語のダイナミズムを失わずに描き切ったのは、僕は本当に素晴らしいと思いました。これ一気に見ると、そのすごさが凄く感じます。よくこの短い中に、これだけの巨大な類型を5つも突っ込んだなって。特に、ラスト10話しぐらいで、一気にこの可能性の分岐を、シャルル→シュナイゼル→ルルーシュと一気に畳みかけます。これは本当に荒業ではありますが、僕はその挑戦意欲と、完成度は、大成功のレベルだと思います。だからこそ、もう一度見直したくなるんだろうと思います。


そういえば、びっくりしたのですが、アメリカで買うと、アニメのDVDって、めっちゃ安いんですね。なんでだ???。


Code Geass Lelouch of the Rebellion R2 - Coffret 2/3 (Saison 2)

2014-08-23

永遠の日常を楽しく生きるライフスタイルを追求すること、それが日本(のライフスタイル)が世界を支配する第一歩だ!(笑)

ゆゆ式 (6) (まんがタイムKRコミックス)


ちょっち今月は、めっちゃめちゃ忙しいので、まったく記事が書けてませんーさすがに。この記事ほっといたままなんで、新鮮さがなくなりそうなんで、まだざっくりだけど喘げて起きますー。


『ゆゆ式』(2013) 原作:三上小又  監督:かおり 関係性だけで世界が完結し、無菌な永遠の日常を生きることが、そもそも平和なんじゃないの?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140504/p1

ラスボスのいなくなった世界では、日常が続いていく関係性の物語へと変化する

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130622/p4


このあたりの記事の思考の続きです。コンセプトを理解していないと、たぶん何言っているかわからないと思います。エネルギーがないので、そこまでわかりやすく書けませんので、申し訳なく。ちなみに『ゆゆ式』の話を書いたら艦隊コレクションと中国の反日暴動の話になったので、こりゃ同じ記事ではないわ(笑)とおもって、分割して捨て置かれているものですが、せっかく面白いので、再構成してみています。まぁ、いつもの物語三昧クオリティなので、わけわからんでしょうが、ずっと読み続けている解釈力の合う人には、わかるかも?知れません。


ハーレムメイカーから永遠の日常を楽しんで生きる無菌系に至る物語の類型の系譜

http://www.ustream.tv/recorded/47099287 


これは、LD教授と、現代日本の物語の中で、物語のドラマトゥルギーの構造が、どのような展開がされたのか、その系譜を話したものでした。

一対一のラブコメのヒロインの序列が崩れていく中で、その最終到達地点として、ハーレムメイカー(男の子に対して多数のヒロインがいて、そのヒロインの一人を選ぶという圧力が存在しなくなってしまう状態)という物語類型があるんですが、この「その後」がどうなるのか?というところで、男性視点が去勢されて、女の子だけの関係性にシフトしていって、、、、これは、日常四コマ系でアニメ化されている『らきすた』や『けいおん』などの女の子だけで永遠の日常を関係性だけで戯れて生きる類型と接続しているのでは?という、僕らの系譜の理解の一つです。

この話は物語三昧や海燕さん、LDさんらの界隈では基本フォーマットのような話なので、みなさんご存知かと思います。ようは、ラブコメという物語の形式が、1対1という関係性から、三角関係(3人)に変化して、それが、1対多(=ハーレム状態)になってという系譜の展開をしたという話です。論理的には、僕はらは、この1対多(=ハーレム構造)からどこへ行くか?と考えたときに、2つ考えました。


1)多 対 多 (男女同数の対置構造)


2)1 対 1 物語の王道、基本に回帰する


この二つです。しかしこの二つは同じことを言っていて、1)の多対多になった場合は、それが、男女同数でいる場合は、結局「どこをフォーカスすするか?」ということで、2)の1対1になってしまうからです。これらの方向性を、ペルソナや『恋愛ラブ』などの作品ぐうにその可能性を見出していましたね。


しかし、現象としては、こうした論理的な展開以外に、まったく別の系に突入したものがありました。それは、僕らが、空気系、無菌系と呼び、これらの日常系の頂点と考えている『けいおん』や『ゆゆ式』などの作品群で、それは、男の子(=視点)がなくなってしまう!というものでした。


これは僕の宮崎駿の履歴を追った批評の展開と全く同じロジックの話だと僕は最近感じています。


これが、何を表しているかといえば、宮崎駿が、今の時代は少年を主人公にする物語が描けなくなったといっていたことです。ようは、良かれと思い善意溢れる努力を突き進むと、それがどうしてもマクロ的にコントロールできなくなり、世界を全体主義や戦争へ突入させて滅びに結びついてしまう。そうした構造が見えている中で、男の子的な少年の夢を成就させる、自己実現させる方法が宮崎駿には見いだせなくなったのだと思うのです。そうして、少女ばかりが主人公になっていくことになります。未来を夢見て生きる(=少年の夢)ではなく、現在の日常を楽しむ視線に変化したことを指しているのだろうと思います。このあたりは、永遠の日常をめぐる言説というか、解析は、物語三昧とLDさんとは、散々やり続けているので、つながりを実感していただけるのではないかと思います。


『風立ちぬ』 宮崎駿監督 宮崎駿のすべてが総合された世界観と巨匠の新たなる挑戦

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130802/p1

無菌系とは、、、、『けいおん』や『ゆゆ式』のような、女の子の視点だけで構成された、関係性の微細な揺らぎの身を追っていく世界観です。系譜的に言えば、それまで男性的視点を仮託する『俺の妹がこんなにかわいいわけがない』や『らきすた』のような、ヲタク的な男の子の視点が中心の軸にあったものが、それが失われたもの、ともいえると思います。


この男の子の視点が失われるという現象は、そのまま宮崎駿監督が「女の子の視点でしか世界を描けなくなった」という話と、非常に共通しています。


さて、この先については、まだ現象が確認されていませんし、論理的にも特に、これっていうものもないと思うので、少し思考をずらして、物語の世界ではなく現実の世界の話に、この現象の構造的な類似点を見てみたいと思うのです。


全く違うのですが、えっとね、最近(もう半年も前の話だ・・・・・)、半藤一利さんの昭和史の講義録をじわじわ聞いているんですね。けどね、面白いことに気づいたんですよ。日本の戦争責任のことについていろいろ考えていた時のことです。海外に住んで、海外の視点で見ると、世界の共通した認識に、日本は過去、枢軸国側の一員として世界征服(苦笑)を企んだというフレーズがよく出てきます。ポツダム宣言にも書かれていることなので、これ、世界の歴史の共通見解です。枢軸国のナチスドイツと一緒に並べられて絡まっている話なので、事の真偽とか、日本側がほんとうにどうだったか?、いわんや、日本人がどう認識しているか?とかは、どうでもいいことです。ようは、国際政治の舞台では、基本的には、日本はそうだったよね!ということを前提として語られるのです。日本人が、これに反論したければ、まず「この前提」を前提として理解して、知識として強く持ったうえで、国民的な統一意見として反論するなり、説明しなければならないんですが、、、この日本以外の国が共通として認識している歴史に日本のマスコミ、民衆は非常に無知ですね。このあたりが、日本の極端な右翼化や、世界の動きと全く見当違いの方へ暴走する、明治建国以来の日本の構造の様で、1945年の敗戦で一度国が滅びても、それでもまったくかわっておりません。これって日本人の文化的な気質なんでしょうねぇ。。。こういう構造を変えることこそが、選良の義務だと思うんですが、、、なかなかねぇ、、、。


『なぜ日本は〈嫌われ国家〉なのか ──世界が見た太平洋戦争』 保阪正康著  せっかくなので反対方向の意見を同時に読んでみよう!

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140412/p1


おっと話がそれた。←いつものこと。


なので、うん、諸外国は、旧枢軸国の悪の帝国として、世界を支配しようとした日本は、いったい公式のストーリーで、その次に何を目指したのか?ということです。


それは外に暴発して膨張しない平和国家として生きる、という道でした。


石原莞爾が当時新聞で(どのつらさげていう!とは思いますが)東洋のスイスを目指す!といっていますよね。スイスが傭兵国家で国民皆兵の凄い軍事力の強い国であることとかは、無視したのかもしれませんが、、、それともよくわかっていっていたのかな?。大前研一さんも、ずっとスイスの国家としての在り方を注意している言動をいっていますよねー。


この路線は、非常に諸外国に支持されている、と僕は思います。なんといっても、当時の毛沢東や周恩来(日本にめちゃくちゃに侵略された当事者たち)が、これを高く評価している言動が多くみられることです。また、戦後、50年以上たって、この路線が、非常に真摯に追及されているということは、世界中の人がよくわかっている事実です。戦前の非常に極端な危うい国であるということがまだ払拭さてはいないものの、それでも事実として平和国家を追求していることは、基本的にはわかっているはずです。何せ、事実ですから。


日本側からしても、吉田茂が作ったこのスキームは、凄い意味があるものでした。アングロサクソンとの同盟スキーム、、、言い換えれば、日米同盟を根拠して、米軍に日本の防衛を肩代わりさせることです。いろいろ矛盾はあるし、問題もあるのですが、この50年に日本が達成したものは、戦前の日本がどれほど望んでも得られないものでした。


それは、大日本帝国の建国の理念、そしてその国体の維持のための基本構造に置いて致命的な問題点があったことを解決したのです。


なんといっても、


1)石油の確保(資源確保) → 全世界のシーレーン防衛、自由貿易体制の確立(強大な海軍による世界の海の制圧)


2)生産力が極端に小さく、アメリカや列強から比べると、爪に火を点す様な生産力を何とか全体主義的に傾斜するしか列強としての強さを維持することができなかった。この生産力を何とか上げたい。


3)中国のような巨大な大陸の消費市場を自分専用として確保する → 中国はできなかったが同じ大陸であるアメリカ市場を全面開放してもらえた!


これ、米国との同盟によって、すべてが成立してしまいます(苦笑)。特に、2)は圧巻でした。いまでは歴史になった過去のことですが、1980年代の設備投資は2倍以上もあるアメリカをはるかに上回り、日本の生産能力は全世界に対応できるほどの規模を誇りました。事実上の世界一です。また、日本が満州や中国に夢見た大陸の巨大市場は、アメリカ市場を本気で開放してもらえたがゆえに、そこの攻略をすることで、2)の生産力の事実上の世界一レベルの達成を成し得ました。


これってすごいことですよね、これによって、アメリカの産業の中核であった自動車産業、エレクトロニクス産業は、ほぼ壊滅に追い込まれて、自壊していくまで追い詰められることになります。僕は将来は、GMは、トヨタに買われるんじゃね?と思っています。この懐の深さ、そして、気前の良さは、いかに物凄い富める国であるといっても、アメリカすげぇ!と思います。アメリカは、日本を思想的にもかなり支配し、相当の影響下、事実上の軍の支配下に置いているといえども、、、それでもここまで!!!いろんなものを日本に気前よく渡していること、、、また同時に、日本が、それに答えうる能力を持っていること(アメリカ市場を開放しても、アメリカ市場を支配し、イノヴェーションを起こし、わずか30年ぐらいで全世界の生産力を握るほどの規模に成長するなんざ、簡単にはできません)。こう思うと、歴史的に、日本はアメリカとの同盟は、めっちゃ相性がいいんだな、と思います。気質的にも、全世界で、たぶん勤勉さという意味では、アメリカ人と日本人は、とても共通しているように実感します。いや、これって、精神的には結構ツンデレ気味に喧嘩し続けているんだけど、身体の相性はよくて困っちゃう(苦笑)とかそういう感じなのかなーって思います。いや、どっちも、巨大文明(=ヨーロッパや中国)の辺境に位置する鎖国気味の国なので、とっても純朴で真面目なんですよね。また、とっても民主主義的気質(=民主主義は、分権的なので、お互い自立しようとして非常に個人同士や派閥同市はケンカっぱやくなる)で国内で殺しあっているほど仲が悪いんだけど、いざ戦争になる怖いぐらい一致団結して、戦争がめっちゃ強い。アメリカは憲法(=大統領)、日本は天皇に、何かあると狂信的に統合するので、この辺も似てるなって思う。しかも両国とも基本的に海軍国(←これもの凄い重要)。


ということで、日本の1945年後の世界は、この平和国家として、経済専念するという、戦略目標を十分に満たす基盤を備えていました。吉田茂すげぇな。というか運がいいな。日本。


そして、戦前の日本の目標として、列強の最先進国としての文明レベルに到達する!という物理的目標は、なんと、1980年代に達成してしまうのです。経済的には、物質基盤的には、日本が欧米に遅れているというのはもう言えないでしょう。80年代に世界一になってから、既に20年以上が過ぎ去りました。30年を過ぎれば、それもストックとしてこなれて安定すると思います。現在競争力では、世界27位ぐらいに位置づけられる資料を見たことがあるのですが、こういう統計資料は、たとえば、資産の多さで見たらどうか?とか前に書いた部分は、ほとんど考慮されていないフローの、言い換えれば現在の現状だけを見たものばかりで、僕これを見て一喜一憂するのは無駄だと思うんですよ。会社が、株価だけを見て一喜一憂しても(重要ではあるにせよ)仕方がない部分と似ています。


世界中の誰もが、日本が、衰退しつつある構造があるとはいえ、人類のフロントランナー的な最先進国であることに疑問は持たないでしょう。いまの日本の構造は、政治システムがかなり新しい時代に抵抗するのが遅れていたり、高度成長期の環境からの変化に対応できなくてスタックしている等の問題はありますが、西ヨーロッパやアメリカで起きる出来事とほぼ同じ現象が起きます(移民反対に対する右翼の台頭や社会からはじかれたものの世界に復讐するような劇場型犯罪の頻発など)。また最先進国に共通する、ベビーブーマー世代、高度成長期のボリュームゾーンが、80歳を超える超高齢化のステージに突入していく人口構造の逆ピラミッド型の形成など、、、その部分に関しては、むしろ前人類史の中で日本が最初に突入している状態にあります。また、WW2以降は、人類史に置いて最も戦争が少なくなった時代ではありますが、こうした戦争による既得権益の一掃など、戦争の効用というべきものがなくなった世界において、どのように生きるのが、社会を壊さないで行けるのか?という挑戦も、日本はフロントランナーだと思います。

戦争の功罪について、米国で大論争「米国は戦争が大好き」と説く論客も 堀田 佳男 2014年5月14日(水)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140512/264387/?P=1

War! What Is It Good For?: Conflict and the Fate of Civilization from Primates to Robots
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ところがですね、、、、そう1980年代に物質的な「坂の上の雲」だったヨーロッパ文明の導入がほぼ終わると、じゃあ、次は何をするの?ということが問われるんですね。


そこで、1980年代から日本は迷走をはじめます。ちなみに、日本だけが迷走しているわけではありません。西ヨーロッパやアメリカなど、フロントランナーの国は、すべてどっか狂って迷走しています(苦笑)。賢明な国などありません。みんな生き残るので精いっぱいなのです。そうすると、自分の頭で考えて、自分の文化的な根源にフイットして、そして、現代文明の基礎構造にマッチした、もういっちょいうと後期資本制の社会に適応した「なにか」が必要になるわけですよ。僕はその答えは、もうわかっていると思っています。それは、



永遠の日常をどう生きるか?



ってことなんだろうと思います。成熟と成熟の違いを僕はいつも考えているといういましたが、成長はここ数百年、ヨーロッパ文明が追及して全世界のスタンダードになったので、みんなよくわかっていて、これをシステム的に安定させる資本主義も、世界中にインストールが終わっています。


しかし、もう一つの目標である成熟。平和国家として、生活世界の充実を追求していく!という方向性には、まだまだ問題点がかなりあります。過去の人類史のような安定して時が止まった朝鮮王朝の500年や徳川将軍期の300年や、中国文明の在り方では、基本路線、東洋文明のほうが明らかに日常に向いていると思いますが、ダメです。というのは、ヨーロッパ文明、近代文明、資本主義社会との同時並行性がないとだめだという条件が、現代にはあるからです。


でね、、、そうすると、日本社会は、この生活社会の充実、、、普通の人が住む世界での充実ってなんなのか???(ヤンキー化するんだよ!)ってことが凄く重要な裏命題にあったんですよね。1945年から、日本は、米国に外交や軍事を譲り渡したがゆえに、「そこ」に邁進してきたんですよね。

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その結果が、僕は、関係性の微細な動きに敏感になって、世界を肯定的にキラキラ見ながらマクロを無視して生きるという永遠の日常を生きる知恵なんではないか?と結びつくんですよ。1980年代以降の日本は、もう一度、豊かさとは何か?ということを、坂の上の雲の目標が終わったが故に、探しに出るたびに出ます。けど、実は答えはもうわかっています。それは、あとで書きますね。


さて少し戻って、


関係性だけで世界が完結し、無菌な永遠の日常を生きることが、そもそも平和なんじゃないの?


と、こういうことが言いたかったんです。1945年を境に、戦後日本の話になると、とたんに話がつまらなくなるんですね。人類史とか、世界とかとまるで関係ない、内部の内政の話とかばかりになってしまうからなんです。歴史を物語ファンタジー的に考えると、戦前の明治建国から太平洋戦争まで、事の善悪はともかく、物凄いドラマチックで、英雄とか、物語的なことじゃないですか。けど、それ以後って、ひたすら平和で、戦争もしない、マクロは考えない、無視する、日常だけを追求するということですよね?。もちろんのこと、物語として考えたら、おもしろいわけがないじゃないですか?。全然血沸き肉踊らない。

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このこと一つでも、戦前の日本と現代の日本は、全く違う国なんだな、と思うんですよ。



で、平和って何よ?


ということを考えたときに、沖縄の琉球王国の日本併合の時と台湾の植民地政策のことを思い出したんですね。なんで、これがうまくいったの?というと、日本に支配されたの封建領主の上の層が解体されたんですよね。そいつらが権利を奪われた。けど、庶民はどうだったか?というと、日常生活が劇的に改善しているんですよね。この時代の、植民地併合のお題目は、封建社会の打破と、庶民の文明化ですよね。そこには、それを正統性というかは別にして、とても強い効果があったんだろうと思います。昭和史の半藤一利さんの1945年以降の最初の思い出の一つは、ペニシリンです。自分の妹?だかが熱を出して、高価だけれども、ペニシリンを売ったら一発で治った。と。半藤さんの下の妹さん(弟だっけか?)はかんりとしが離れてて、それは、肺炎で何人も死んでいるからなんですよね。けど、アメリカが持ち込んだ、ペニシリンが、それを劇的に変えた。シラミとかで毎日かゆいのが当たり前だった生活が、DDTで一発でなくなった。これが凄い印象的だった、と。


何が言いたいかというと、為政者が求めるもの(=マクロの要求)と、庶民が求めるもの(=ミクロの要求)ってのは、かなり食い違うんだなってことです。


ようはね、普通の人にとっては、一番大事なのは、日常の生活のクオリティなんです。


意外にこれが忘れさられているけれども、というか、これは別物としてちゃんと分けて同時に考えてないといけないんだなーと。


先日、下記のような記事を書きました。

『なぜ日本は〈嫌われ国家〉なのか ──世界が見た太平洋戦争』 保阪正康著  せっかくなので反対方向の意見を同時に読んでみよう!http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140412/p1

ここで目から鱗だったのは、自分自身の海外体験から合わせて、日本人は、日本民族は、ミクロレベル(=日常の等身大の生活レベル)では、先で一番といってもいいほどほぼすべての国に尊敬されて、素晴らしいと思われている。けれども、マクロレベルでは、集団になると何をするかわからない、暴走しやすいとても危険な国家だと思われているという、別の次元で正反対の認識が海外にある、ということでした。ちなみに、中国や韓国だけが、日本を敵視して嫌悪していると思いこんでいる能天気な人は、『レイルウェイ』のような映画を見てみるのをお勧めしますよ。素晴らしい映画ですが、日本人にはとても耳が痛いです。明治建国以来半世紀にわたって西と東で海を分割して支配した偉大なる日英同盟のパートナーですら、こういう風に思う伝統が深く残っているんですよってこと。

レイルウェイ 運命の旅路 [DVD]



まぁ、ほんと、話が全然違う方向に、、、、『ゆゆ式』の話ではなかったのか????。


えっとね、日本民族のもっとも、特質的なところってのは、どうも日常を深く楽しむところっぽいんですよね。最近の仮説。それは、下記の本を読んで、鎖国してマクロが全く関係がなくなって江戸時代の日本が作りだした文明を見れば、よくわかる。もちろん、大日本帝国を形成したり、豊臣秀吉や織田信長を見ると、半面、ドカンと外に出て、いっちょやったるでーというような好戦的な面もあるので、半分づつなんだろうと思うのですが。

『逝きし世の面影』 渡辺京二著  「異世界たる古き日本」へ僕らをいざなう最上級のファンタジーにしか思えない

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20101117/p4

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)


しかし人々の幸福度は富とほとんど相関がなく、自分の生活に意味があるかどうかが大事だ。江戸時代の平均寿命は40歳前後で平均年収は今の1割ぐらいだったが、人口の圧倒的多数を占める百姓には自治を認め、経済を支える商人には権力はないが非課税で、その富を文芸や美術に使った。その結果、江戸は世界でも最高水準の文化を生み出した。

貧しくても権力と富を平等に分配して幸福度が下がらない生き方を、江戸時代の人々は工夫したのかも知れない。その間接的な証拠は、日本でキリスト教が普及しなかったことだ。それは不幸な時代に流行するので、日本社会の幸福度は相対的には高かったのではないだろうか。ここには、これから衰退する日本が学ぶべき知恵があるような気がする。


長期停滞時代の生き方

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51883137.html

この本は、人生の中でベストといってもいいくらい良い本です。ぜひとも読みましょう。世界観がひっくり返ること請け合いです。同時に、『クアトロ・ラガッツィ―天正少年使節と世界帝国』を読むと、日本人が、日本民族が、変な右翼的なイデオロギーではなく、どれだけ素晴らしいのかって、とても充実して地に足がついたレベルで感じれるはずなので、超お勧めです。

クアトロ・ラガッツィ―天正少年使節と世界帝国


ちなみに、日本人が、日常生活のクオリティを極度に、偏執狂的に追及していく性質がある民族であるのは、日本のとても強みです。というのは、もちろん日本に、世界征服を目指すような悪の帝国のような好戦的な気概や構想力があるのか(アメリカやヨーロッパのように)といえば、僕は十分にあると思います。大日本帝国の形成、満州建国と独立経済圏域構想、大アジア主義など、事の善悪は置いておいて、けっこう実績もあります。けど、こういうのは、できる民族って、たくさんいるんですよね。ある程度民族的に数がいて土地が豊かならば、それなりに自然と帝国まで行くんですよ(滅びるけど)。けど、永遠の日常を、経済のパイがあんまりっ増えなくても、ものすっごくクオリティを上げて楽しんで充実して生きるって、そんなことができる民族や国なんて、ほとんどありません。大衆的なエンターテイメント(貴族層が楽しむだけではなく)を発明して維持運営するような民族や国家も、ほとんどないと思うんですよ。個人的には、いまのところはイギリス、日本、アメリカぐらいじゃね?と思っています。暮らしたことないのでわからないけど、たぶん西ヨーロッパ諸国もそうじゃないかなーと思います。いまはここに台湾や韓国が入りつつあると思います。なので、世界中にリトル秋葉原をつくって、ソフトパワーで世界制圧だってのは、とてもいい平和的な競争力で、僕はいいと思うんですよね(笑)。マジで、ジョークではなく。だって、海外に来ると、日本の子供向けのアニメーションの強さに、衝撃を受けます。これは『逝きし世の面影』にもありますが、日本人が伝統的に、子供をとても大切にしたり、にもかかわらず、大人と切り離して別物として扱うということをしないという伝統があるので、子供向けのエンターテイメントが、信じられないほど高度に発達したがゆえなんですね。いま僕はアメリカに住んでいますが、アメリカの子供への、ポケモンとかの浸透具合、すさまじいですよ。任天堂でもいいですし。セーラームーンとかプリキュアシリーズの、女児が世界を戦って守る!!なんてエンターテイメントは、日本が想像した偉大なソフト・プラットフォームです。これ、世界中の子供が見てる。世界はグローバル化して共通化しているんですが、こと子供向けのエンターテイメントの領域では、日本の作りだした形式が、プラットフォームとして支配的だと僕は思います。理由は簡単。そんな子供向けの領域に、力を割くことなんかしないからです。


中国の「反日カード」を、日本の「日常」で無効化しよう

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140421/263214/?rt=nocnt

「艦これ」の娘たちとはしゃぐ中国の若者

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140325/261694/

日本人の「普通」が中国人の「劣等感」を刺激する

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130702/250508/

細かいが重要な「生活インフラ」が段違い

 たとえば、私は中国出張中、限りなく3つ星に近い4つ星ホテルに宿泊するが、そのサービスや質は日本の5000円以下のビジネスホテルよりもずっと下だ。ロビーには豪華な装飾があるし、Wifiは通じるし、バスタブもある。見た目も設備も、日本のビジネスホテルとほとんど同じだ。

 だが、ポットの横に置いてある紅茶のティーバックを開けようとしても、なかなか開かない。袋の切り込みがちゃんと入っていないからだ。歯磨きのチューブの蓋もきちんと噛み合わず、閉まらなかったりする。お風呂にお湯をためて入ったあとは、排水がきちんとできていないので、トイレの前まで水浸しになってしまう。こんなことは日常茶飯事だ。

一見、日本のビジネスホテルと同じコーヒーやお茶のパック。しかし、味はともかく封の開けやすさが違う。

 日用品で最も日本との違いを実感するのは、ノートやボールペンの品質だ。

 中国のノートはちょっと強く書くと紙に穴が開き、ボールペンはすぐにかすれて書けなくなる。外出先でストッキングが切れたときも、間に合わせで買うストッキングは、価格は日本並みにするくせに、半日穿いたら伝線してしまう粗悪品ばかり。

 「日本で売られている文房具やストッキングも多くが中国製なのに?」。もっともな疑問だが、日本で売っている中国製品と、中国で売っている中国製とは雲泥の差がある。

 以前、香港在住の友人がフェイスブックに「日本のコンビニで150円くらいで売られているエクレアはすごくおいしい。あれと同じレベルの商品は、香港では1000円出しても買えない」と書いていて、思わず「その通り!」と唸ったが、中国でも同様だ。買えないどころか、それだけ「低価格で高品質」のものは中国中どこを探しても売っていない。10万円の高級輸入ワインはよく目にするのに、「日本に普通にある、ちょっといいもの」は中国には存在しないのである。

f:id:Gaius_Petronius:20140427041242j:image


キャプテン翼の巨大像、香港に出現

http://www.huffingtonpost.jp/2014/06/08/captain-tsubasa_n_5468025.html


上記の「中国の「反日カード」を、日本の「日常」で無効化しよう」というタイトルはすごくいいなぁーと思うんですよ。まさに正鵠を射ている。もっと広げると、争いが日常の世界を、日本の「日常」で無効化しよう!!みたいな感じです(笑)。いまアメリカに住んでいると、この国も、本当に豊かさが懐が深い国です。その豊かさは、金だけじゃない。日常生活のクオリティです。いうまでもなく、日本の日常の成熟の素晴らしさは、アメリカンウェイオブライフのプラットフォームの上に載っています。上記にも書きましたが、これは資本主義と近代文明のプラットフォームにらないと、安定しないからです。なので、やっぱり人類史におけるアメリカの位置づけは凄いなって心底思います。


まっ、とにかく、これまでは、生活環境の質を上げるということにリソースが回ることは、人類史上それほどありませんでした。まずは国家間の競争とかに勝ち抜かなきゃいけないからでしょうね。けど、実際、もっとも反映している大帝国は、中華帝国、ローマ帝国、そしてアメリカにせよ、どの文明も、その時代の生活レベルの高さ、一般の人々が満足を持ってい生きられるライフスタイルの成熟差は、凄い高かった気がするのです。たとえば、ローマ帝国なんかは、現代と生活水準なんてほとんど変わりませんよ。基本的なものはほとんど同じ。まっ、けど、アニメと漫画と映画がないけどね!(笑)。


まぁ、そんなことを思った今日この頃です。上手くまとまっていないけれども、いいたいことは、ずっと僕が考えてきていることの最前線が、マクロでもミクロでも、どっちもつながってくるんだなってことです。


・・・・・という記事を数か月前に書きかけてて、止まっていたので、、、まとまり切っていないけど、とりあえず新鮮さがなくなりそうなので、上げておきます。ついでに、佐々木俊尚さんと海燕さんの以下の記事を読むといいですよー。

自分でつくるセーフティネット~生存戦略としてのIT入門~


海燕の『ゆるオタ流☆成熟社会の遊び方』

『艦これ』は政治的に正しい!

http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar598269


■参考記事

『シャイニングハーツ しあわせのパン』 2012年 川崎逸郎監督 永遠の日常を生きることは幸せなのか?、それともこれ以上どこにも生きようがない袋小路の地獄なのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140202/p2

僕は友達が少ない』 原作 平坂読著 いまの若者が求めるのは居場所感とコミュニケーションの戯れなのかな?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120502/p4

第12話 「僕は友達が…」  そうか、恋人じゃなくて、友達が欲しかったんだ!これはびっくり目からうろこが落ちた。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130329/p1

ヒミズ』 (2012年 日本) 園子温監督 (1) 坂の上の雲として目指した、その雲の先にいる我々は何を目指すのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130419/p1

『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』 原田曜平著 世界はメガリージョン(=広域大都市圏)と地方・郊外の二極化が起きるのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140316/p1



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2014-08-03

『バーサス・アンダースロー』が商業連載化!! タイトルは、『1518!(イチゴーイチハチ!)』


うっわーすっげー楽しみ!。


もちろん知っていると思いますが、出会った最初から物語三昧は、『バーサス・アンダースロー』をスーパー押しです。見た最初から、★5つのペトロニウスの名にかけての傑作認定です。予習のために『GUNSLINGER GIRL』を全巻買ってすぐ読みましょう(笑)。超読みたい、、、けど、雑誌は手に入れにくいんだよなぁ(涙)。


『GUNSLINGER GIRL』 相田裕著 静謐なる残酷から希望への物語(2)〜非日常から日常へ・次世代の物語である『バーサスアンダースロー』へ

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130104/p1


GUNSLINGER GIRL(15) with Libretto!II (電撃コミックス)