物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2017-01-20

本日。

おーこれだなー1月20日。大統領就任式。INAUGURATION DAY。

これは胸が痛い。


そうだよなー。

【2017-1月物語三昧ラジオ】いま、金曜日の11時ごろからしますー。

本日、金曜日の夜11時ごろからLDさんと海燕さんとラジオします。


終わりました。


http://www.ustream.tv/channel/manken

2017-01-19

日本は働くには本当に最低の国。

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの


http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20170106


年の最初で、日本は「住むには」最高に素晴らしくに、と書いた。でもまぁちょこっと書いていたのでわかると思いますが、働くには、最低の国です、日本。生産性が低いという言葉では言えないほど、組織効率、働くことの効率が、腐りきっている。いやはや、ひどすぎるって感じです。ずっとブログでは書いてきますが、ほとんどすべては団塊の世代の害悪なんですが、歴史を学んで分析していくと、彼らが悪いというのは言えなくて、彼らなりに必死に高度成長の日本に適応して、こういう不満を世の中に吐き出させるぐらいのレガシーを作ってくれたのは彼らの功績でもあるんですよね。なので、世界というのは、難しいな本当に思います。


それにしても、アメリカで働いていて痛感したことは、人材のレベルに、日米では全く差がないし、規律さ勤勉さなどのカルチャーでも全く差がないことでした。夜中まで働かないことを指して、怠惰だというようなことを抜かすアホな米国駐在の日本のビジネスマンは多々いましたが、そういう人はたいてい日本の大企業の駐在員で、日本人にまみれて働いているので、まったく、異なる仕組みの中で働いている人のことが理解できないだけだけでした。僕の感覚では、ジョブディスクリプションが整備されていて、目的がしっかりしている組織では、規定時間に全力投球で、その成果を出そうとします。またそれぞれの目的や成果がはっきりしているので、全体の情報共有のためにだらだら無駄な会議をしたりしません。全体の仕組みの変革やリデザインや、情報共有が効率よくやることは、専門部署があり、そこが請け負っているので、無駄な時間を割きません。専門部署がなければ(たとえばヴェンチャーのような小さな会社では)、上司が経営者がすべてを決め、デザインします。組織が目的に向かって、最小投入量で、最大効率を上げるようにデザインするのが、「上に立つ人」の仕事です。そして、そうやって合理的で筋肉質が故に、人間の心の部分の、動機の維持や、ベクトルのすり合わせ、あまりに厳しいプロセスで仕事が運営されているために、それを教える上司の力量や、仕事への具体的なところまでの理解力は、凄まじいです。僕は、まぁもらいすぎという批判はあるにせよ、米国で上に立つときに、高い給料を要求するのは、そりゃ当たり前だな、と思いました。求められているレベルが違う。労働者の意識も全く違う。全力で早く帰るために(笑)、執念を上げて生産性を追求します。ちなみに、なぜ早く帰るか?というと、たいていは勉強です。みんなキャリア上げるのに必死です。ああ、この違いなのか、としみじみ思いました。産業がどんどん変化していく中で、自分を高く売るための努力は、みんな怠らないんですよ。家族との時間についても、、、まぁこの話は長くなるのでここではやめておきましょう。


それに引き換え、日本の組織の全体効率の悪さ。上司、上層部達人の、専門的な訓練の弱さ、そしてなによりも、すべてのステイクホルダーの生産性への執念が、弱すぎます。労働者もほとんどの場合、誰かがやってくれるのを待っているだけの、クレーマーで、何一つ意識がない。というか、逆の意識しかない甘えん坊。リーダーシップとか、生産性を変えること、マクロの仕組みを変えることが自分の、ミクロの人生にかかわるという意識が薄い。これは、教育の結果だと思いますね。

採用基準


なぜ生産性の執念が弱いのか?といえば、やっぱり、そういうことを追求しようという「コンセプト」がそもそもないんです。日本には。コーチングとか成果主義とかなんでもいいのですが、これは組織全体が、最小投入量で最大成果を引き出すようにデザインし続ける意志がなければ、単発で終わってしまって、意味がないんですよ。コーチングはただのマイクロマネジメントか父権主義に回収されちゃう。成果主義とかも、全体の最適化の発想なく、ただの数字になるので、人の動機を下げるだけの効果になる。もしくは年功序列のアンシャンレジームを守るための道具になり下がる。それだけ、高度成長期の「ただ頑張って、時間さえかけていれば」自然と報われてしまうという時代への適応が、日本に最悪の害悪を引き起こしているんです。歴史を思うと皮肉です。成功は失敗の母なんですよね、常に。もちろん、これはステージの切り替わりであって、どうにかできたことではないと思うんです。イギリスのイギリス病とかもそうであるように、異なるステージに再適応する時には、必ず起きる問題なんです。


話が飛びますが、僕は、日本をまともにするなら憲法を変えるべきだっていつも思うのは、思想の中身などどうでもよくて、時代に合わせて、痛みを伴っても自分たちの住む社会すべてを変えていかなければならない!という人々の意識がないと、国がダメになると思うんです。日本の場合、それが憲法に代表されるんです現在の第9条をさらに厳しく平和憲法にするのだって、なんでもいいんですよ。あきらかに、あれって、嘘ついているわけだから、絶対に武力を持てないようにしよう!というのに変えるのでもいいですよ。まぁ、政治的には、僕は狂っているとしか思えないですが…。でも、たぶん、憲法9条を文字通りに解釈して、軍隊を放棄するように作りなおせ!とはっきり主張すれば、国民にそれの良しあしが問えると思うんですよ。これは、他国が攻めてきたら、即降伏して、奴隷になりましょうといっているわけだから、それを見せつけて、それでも僕らはやるんだ!とはっきりと主張すべきだと思うんですよ。そうすれば、この現実性無視の原理主義的なものに、どれだけ日本国民が支持するかがはっきりわかるはず。それをしないで、欺瞞に満ちた今のままで、いるのは、ようは「これまでうまくいった」という運営方法に依存しているだけの思考停止の逃げなんですよ。日本は共同体のムラ社会で構成されているので、「止める時」とか「撤退する時」とか、外部環境の変化に内部を変えることができないのです。だから、変える時に変えるという伝統を作らないと、やばいのです。日米同盟と自衛隊に国のスキームを守らせておきながら、それに反対してなき者としてみるというのは、一貫性があまりになさすぎますよ。一貫性の無さこそが、最低なんです。自分たちの意識、行動によって、自分たちが住む社会をれデザインしよう!それが正しいのだ!というコンセプトがない。僕は、これを、憲法の目的意識のない遵守に代表される、民意によって国のスキームを変えていくことができないと思い込む、腐敗であり弱さであり欠陥だと思うのです。日本のダメな伝統。明治憲法における明らかな時代に合わない欠陥を変えようとしたときに、マスコミを中心とする民意は、大正時代ぐらいですね、明治大帝のつくった欽定憲法を変えるなって強く主張したんですよね。結果は、大日本帝国の崩壊です。

日本が世界一「貧しい」国である件について


そういう意味で、日本は、個々人の人生を盗む国になってしまっていると思う。時代に、スキームがあっていない。ただ、これは時間が解決する問題ではないか、という思いもあります。個人的な印象ですが、団塊の世代が社会から退出する順に、組織がどんどん変化していく気がします。もちろん、オリンパスや東芝のように、大組織の欠陥は行くところまで行って露呈していきますが、日本の経済のスケールやストックは、僕は、どうもその程度では滅びないくらいに大きくなったんだという気がします。ダメなところは戦前の日米戦争に突っ込んでいったのと同じ欠陥を露呈しますが、いいところはそれをちゃんと克服している気がします。なんでも、一足飛びに理想になれるものではないし、高度成長の集積と、無駄に思える膨大な試行錯誤が、トライアンドエラーがあるからこそ、具体的に日本人に、この歴史が堆積した地域に適切なものは何か、ということが模索できるわけなのですから。


1980年代の米国抜くのではないかと思える経済の絶頂期に、成長から成熟に至ることはどういうことか?、という問いがよく発せられていました。覚えているのは、大学受験の評論文でよくテーマになっていたんです。よくある西洋近代批判ですね。この時は、アジアの貧乏な子供たちの目がキラキラしたとか、ほとんどが本当に貧困を無視した意味のない結論になっていて、なんて馬鹿な無駄な議論なんだろうと、心底嫌気がさしていました。哲学や評論やする人が、たいてい金持ちだったから、よけい馬鹿じゃないかと思ったものでした。でも、1980年代ですら当時の日本には、貧困の中から強い動機を持って「坂の上の雲」を仰ぎ見る希望以外の方法が見いだせなかったんだろうと思います。いまでも、貧困や途上国に行って、目がキラキラしている若者がいるとかいっている人は、根性大好きなブラック企業礼賛の人にすぐなると、警戒したほうがいいです。今でも、そういう人は多いんですよね。けど、これはたらしい時代への想像力とか適応能力、予見力がない人だと思います。


けど、いまはたいぶ違います。国民的に、本当に経済的な豊かさがいきわたって、そういったインフラストラクチャーが整い、「次の時代でどう生きるべきか?」というのが、共有されてきたんだろうと思います。というのは、これまでの議論では、「日本は本当にダメな国だ!」という言説に終始して、ではどうすればいいのか?が、もっと頑張れ的な、????の議論にしかならなかったんですよ。具体的にどうすればいいのか、よくわからない。それに社会の問題は、個人がどうこうすることは無駄なんですよね。環境を良くするのに、ごみを分別しよう的な態度は、僕は優先順位が間違っている議論だと思うんですよね。では、社会として、組織として、どう動くべきか?。それは、「こうあるべき」的な倫理・道徳的な夢想物語であってはだめだと思います。そうではなく、資本主義と世界の大きな変化に接続していないとだめだし、また、それを具体的に実行できる構造と地力がその国や国民になければ、意味も成しません。そういう意味で、いまの日本には、答えが見えてきた感じが凄くするんです。


未来は明るい!と僕は、前々から日本について思っていましたが、では具体的にどこが?というとポテンシャルばかりで、まだもやもやッっとしている感じでしたが、それが見えてきた感じがするんですね。現在は、電通の過労死の問題が社会的にクローズアップされていますが、わざわざクローズアップされなくても、こんなの現代日本の普通の出来事ですよね。また、長時間労働は、日本の強みでもあった(?)ので、それを倫理的にダメだからといって、やめる気なんか日本社会には、特に産業異界にはサラサラありませんでした。だから今まで続いていたんだもん。でも、これが「生産性」の議論と結びつくと、別です。ようは、この仕組みが、国際競争力を失わせているのだ、という議論と結びつくと、全然別だと思いうのです。そして、これは非常に正しいのは、数字でもはっきりわかってきました。


デービッド・アトキンソン 新・所得倍増論


これって、ようは、これからの教育がどうあるべきか?と議論と結びつくはずなんですよね。うーん、おもしろいです。もちろん、社会は、そんなすぐは変わりません。なぜか?。それは、変えるのは、あなたであり、ぼくであるからです。人まかせに「変わる」ものじゃないんですよ。大きな世界の流れのトレンドはあります。それに乗っていないと人生は失敗するし、盗まれるし、報われません。文句を言う「だけ」なのは、非生産的。けどトレンドに乗るということは、何もしないで目的地に運んでもらえるということではないんですよ。「自分がそれに合わせて具体的に案を出し動き結果をもぎとる」ことなしに、自分の人生は改善されません。日本は、働くには、最低の国ですが、半面住むには最高の国です。でも、僕が学生のころの1980年代には、エコノミックアニマルでウサギ小屋に住んでいる地獄のような国と世界的に言われていました。でも、いまは、住環境は、素晴らしく改善していると思います。広くなったわけではないので、いろんなことがイノヴェーションされているのだともいます。家具のサイズや様々な工夫だと思います。道路だって、電車だって、じわじわ改善しています。20年前に比べたら、ものすごく変化している。近代国家というのは、そういうものなんです。漸進的に変わっていく。だって、アメリカで暮らしていても、日本で暮らしていても、どっちがいいとか思わないもの。どっちも、悪くない。僕らの住む世界は、少しづよくなっている。マクロ的には、日本のトレンドは、働くことの改善のターゲットを見つけつつあります。今後の日本が楽しみです。そして、その方向を意識しながら、自分の人生も改善して楽しんでいこうと思います。改善の結果よりも、改善する過程を楽しめなければ、人生は損します。常に過程にしか、自分の人生はないのだから。


AI時代の人生戦略   「STEAM」が最強の武器である (SB新書)

2017-01-16

『クロの戦記』 サイトウアユム著 クロノくんが帝国を継ぐか建国するまでをちゃんと描いてほしいなー。

クロの戦記 1 (オーバーラップノベルス)

http://ncode.syosetu.com/n5214bb/

評価:完結していないので未評価

(僕的主観:★★★☆3つ半)

少し前に好きで読み込んでいたなろうの小説って、ほとんど根こそぎと、というか軒並み商業化されていて、調べると驚く。これって、たぶん何も考えずに、ただ商業化されても、それなりに商売になるのでしょうね。ただ、なろうの、このようなweb小説の問題点は、完結に向かっての構造が設定されていないことが多くて、途中で停滞して終わってしまうことが多いことなんですよね。ほとんどすべてに近い作品が、そうした問題点を抱えていて、それを見極めないで商業化して、それってどうなんだろうと、思います。まぁ商売のチャンスは、逃さないのが重要なのもありますが、こういう場合の中身に対するポリシーは、結局中長期的にはその会社の浮き沈みに関係するよなぁと思います。だって、最初はよくてもそういう理念がないと、確実に生きずまるもの。短期と中長期は、違いロジックで動いているからね。


えっと、仕事が忙しすぎて、ほとんど現実逃避で、土曜日に寝込んでいた時に、過去の気に入ったなろうの小説を読み直していて、久しぶりに更新されてたので読みなおしちゃったんですよね。これ、基本的に構成がごちゃごちゃしてて読みにくい。なので、何度も読み直すって感じじゃないんですが、僕はどうも、ティリア皇女が好きなみたいで(笑)、彼女のシーンを読み直したくて、少し読み直してたんですよね。そこでリザードマンの兵士が、ボロボロになって主君であるクロノを守るために、最後の命をかけて前線に特攻するシーンが出てきたんですが、これが胸が熱くなったんで、ああこの作品のコアの部分は、この系統の作品尾重要なテーマなんだなぁと、思ったんですよね。命を懸けるリザードマンは、自分で自問自答するんです。なんで、おれは命を懸けているのか?。って。もともとクロノ(主人公)のいる帝国は、亜人を蔑み差別化して扱っていて、未来もろくにない貧困の生活を送っており、確かに、クロノは日本からの転生者なので、分け隔てなく亜人を扱うにせよ、しょせんは、それは、偶然その人が優しかったというだけにすぎない。けれども、以前の激戦の時に追い詰められた亜人に対して、何のために戦うのか?とクロノがしゃべったんですよね。セカイジンケンセンゲン。教育のない亜人たちには、それが何を意味するのかよくわからなかった。けれども、クロノがいつも示してきた、誰もが平等に生きられる社会、人間と亜人が差別されない世界。頑張れば、報われ、よりよい明日が見られる。その理想を垣間見てしまった。その理想があるかもしれないということに、自分は命を懸ける気になったんだ、、、、と内心、意識途切れる最後の思いを抱きながら、この兵士は死ぬんですよね。クロノ君自体も、自分の命令でバタバタ死んでいく、仲間に、強烈な共感を抱いていて、そこに対して強烈な責任と贖罪意識を持っている。正直言って、ぼくらが生きる2017年の現代は、この人権という建前が機能しなくなってきており、それによって語られる立て目によってむしばまれる現実に世界が飽き飽きしていることが、ポピュリズムによって噴出している時代なんですが、、、、逆にそうだからこそ、じゃあ、その「建前」の本義、起源ってなんだっけ?ということが、逆に問われ直す時でもあるんだろうと思うんですよね。その時に、こうしたファンタジーの世界の中での人種の、種族の違いって、まさにそのことをあからさまにするとてもいい題材なんですよね。『クロの戦記』自体は、僕は、小説としての出来は、もう一歩ほしいところではあるけれども、構造は、いいと思うんですよね。これ、究極は、クロノくんが、独立して新しい帝国を打ち立てるのが目的になり到達地点になるわけですよね。元皇位第一継承者で、事実上の簒奪をされたティリアを愛人として手元に置いているのも、筋的にいいですよね。感情がのるんだよね、やっぱりクロノの建前的な意識も、たぶん日本出身で、気が弱いからこそ、仲間を対等に見ちゃうと、責任意識が強くなっていってしまうんだろうねぇ。そして、虐げられた者たちが、生きようのない思いが結集していくというのも、どこかに出口があれば、ガーっとそこへ向かってしまう。これ、エルフとかドワーフとか、様々な種族を描くときには、絶対に隠れているテーマで、これを描き切った戦記モノって、今んところないんですよね。良い題材だなーと思います。でもなー。本当にそこまで行きつくのだろうか?という不安が読んでいてしちゃうんですよね。読者がそこまでついていくか?というのも。まぁ、わからないけれども。ライトノベルのというか、今のエンターテイメントのトレンドって、凄い勢いで変わっていくし深化していくので、よほどすさまじい筆力というか魅力がないと、テーマが貫徹する前に、そのテーマが陳腐化してしまう気がするんだよね。そこまでの勢いとスピードは感じないんだよなぁ。好きなんですが…。


でも、ティリア皇女、いいっすよ。こうプライド高いというか、ちゃんと皇女としてというか、為政者としての意識があるし戦略眼も素晴らしいのに、人間として基礎のところが、だいぶ残念なところが、可愛すぎる。軍学校で、圧倒的なエリートで、全然主人公のクロノくんからすれば高根の花だった関係を引きずっているのとかも、いいね!。うーん、クロノくんよりも、ハーレムを形成する女の子たちの内面の方の話のほうが、とっても面白いよね、この小説。フェイもエレナもとても覚悟があって本気でいいよ、人生に。まぁだから、話がごちゃごちゃしていても、面白いし、人気があるのだろうけれども。


クロの戦記II (オーバーラップノベルス)

2017-01-13

『インフェルノ (Inferno)』 米国2016 Ronald Howard監督 世界が滅びるかもしれない!と煽るよりは、滅びた後の方を見たいと思ってしまうのはSF好きだからなのだろうか?

評価:★★★☆3つ半

(僕的主観:★★★3つ)

ダンブラウンさんは、大ファンなんですが、映像化は、どれもいまいちなんですよねぇ。小説の方が、ダントツに面白い。けれども、たぶん、小説は複雑すぎて、脚本がすっきりできないんだろうと思うんですよね。でも、様々な美術や建築、図像、歴史などの知識が効いてくる作品なので、小説を読んで(しかも繰り返しに耐える系の小説なので!)、それで映像を見るというのを、何度もしていると、イタリアに旅行に行くのがすごく楽しくなるのが請け合いです。『ダ・ヴィンチ・コード』からのロン・ハワード監督の映画は、なんというか、観光のためのガイドブック的に使うと凄いいんじゃないかな、といつも思っています。今回は、トルコもですね!。


さて、この作品を一言でいうと、世界を滅ぼそうとする人と組織を、ロバート・ラングドン(トム・ハンクス)が必死に守ろうとする話!です。僕は、殺人的な伝染性のウィルスの頒布によって世界を滅ぼそうとするという筋書きは、ずっとテリーギリアム監督の『12モンキーズ』を連想していました。脚本の構造としては同じで、世界を滅ぼそうとする、もしくは滅ぼすのが「なぜどうやって起きた・るのか?」というのの推理とそれを追うサスペンスが主軸です。


『12モンキーズ』の方は、既に滅びて世界が変わってしまったその最底辺で暮らす主人公(ブルース・ウィルス)が、過去になぜ世界が滅びたのか?といいう問いを追い続けるという設定になっています。僕はこっちの方が好きでした。それは、滅びてしまった最底辺で地下の収容所みたいなところで暮らす主人公が、美しい汚染されていない世界を夢見る思いが、ルイ・アームストロングのWhat a Wonderful Worldの音楽に乗っているて、その憧憬がいまでもすごく記憶に残っているからです。滅びた世界で、みじめな人生を暮らす主人公のせつない、自由や美しい地上に憧れる「感情」はとても情緒があって感情移入できたからです。確かテレビシリーズもあったからみたいなぁ。

12モンキーズ(Blu-ray Disc)

それに比べると、今の世界を守るのに、ラングドンがなぜ守るの?という動機が薄い気がするんですよね。もちろん世界を守るのに理由はいらないのですが(笑)、最初から記憶を失って事件に次々巻き込まれる体質のラングドンは、もうシリーズ4作目にもなると、慣れ切っちゃって、なんだかなースーパーマンなんだなーと様式美になってしまって、いまいち入れませんでした。そういう意味では、ラングドンに観客が感情移入するには、記憶喪失は弱かったのかもしれないですね。観客は、世界を救っちゃうようなヒーローなラングドンだってことを知っているのですから。


相手役のシエナ・ブルックス(フェリシティ・ジョーンズ)は、2016年だとこの少し後に公開したローグワンの主人公ですね。ネタバレですが、正直さほど衝撃がなかったので、はっきりいちゃうと彼女が犯人の一人なわけですが、その動機が全然わかりませんでしたよ。ようは、世界を滅ぼそうとしている男にはまったちゃった?のか、逆に滅ぼせるような男を本気にさせたのか?という毒婦役なわけですが、うーん、小説だともう少し時間を取って彼女の生い立ちや性格を丁寧に描写しているのかな?と思うんですが、いまいち映画の中だけだと、感情移入できませんでした。ダン・ブラウンの物語は、こんな機関が、組織が本当にあったのか!というようなほとんど物語のような存在だけど、本当にある!というガイドブックみたいなところが面白かったのですが、こういう陰謀論的なところまで踏み込んでいくと、話がSF的になってしまい、SFを連想していしまって、そうであれば良質なSFを求めてしまって、そこまで行く途中半端だなと思ってしまいました。僕としては、『天使と悪魔』もセルンとかが出てきて、おおっと思ったのですが、物語の出来と、ダウンブラウンの魅力が一番あふれているのは、『デセプション・ポイント』でしたねぇ。


■映画版『ダ・ヴィンチ・コード』 米国的ハリウッド的なメディアミックス展開が悪い形で  

http://ameblo.jp/petronius/entry-10012642166.html

■小説版『ダ・ヴィンチ・コード』 大きな物語を壊す動機

http://ameblo.jp/petronius/entry-10012794086.html

■『デセプション・ポイント』 ダンブラウン著 カブリエールアッシュのかわいさにノックダウン(笑)

http://ameblo.jp/petronius/entry-10019565603.html

■ダンブラウン著:『天使と悪魔』の紹介〜科学と宗教の対立

http://ameblo.jp/petronius/entry-10014299779.html


過去の記事、、、、2006年くらいにけっこう詳細に書いているんだ、自分、、、と驚いたのですが、読み返して、ロン・ハワード監督の映画化を酷評している。やっぱり見る目変わってないなぁ、と思いました。すっかり書いたことを忘れていたけど、今、感じたことと全く同じですねぇ。


デセプション・ポイント(上)<デセプション・ポイント> (角川文庫)


結論は、ダンブラウンさんは、小説の方が圧倒的に面白い!です。これも映画を見に行く前に小説を読めば良かった。。。と後悔。


インフェルノ(角川文庫 上中下合本版)

2017-01-09

『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンXI』  宇野朴人著 どのように人々の参加意思をつくりだしていくのだろうか?

ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンXI<天鏡のアルデラミン> (電撃文庫)

評価:★★★★星4つ

(僕的主観:★★★★☆4つ半)

最新刊の11巻まで到達しました。うん、よかった。ああ、やっぱりこの物語も最前線の物語の一つなんだなって思った。シャミーユが何をしたいのか?がやっとわかってきた気がする。この巻の話は、とてもよかった。アルスラーン戦記で、アルスラーンが奴隷解放をしたところ、ご主人様を殺した悪い奴め!と逆に奴隷に襲われた逸話は、僕はよく出すのですが、あれのもう一歩先に行っているんですよね。為政者のシャミーユは、もうそんなことわかっている。しかしながら、カトヴァーナ帝国は、皇帝制度、貴族制度、軍による統治に慣れた国民は、上から支配されるのに慣れきって、民衆に自分の力で統治する能力がほとんどないんですよね。ほぼ国が衰退する中で、それをどうにもできないところで皇帝になったシャミーユの課題は、究極そこ。こいれって、英雄人に任せる時代は終わったというか、英雄に任せる倫理的な卑怯さの告発が前提となった世界で、それでも衆愚になりやすい人々にどうすれば、参加意識を、自分たちが自分の主人だと思ってもらえるの?という話。これが個人の自覚や自己実現ではなく、帝室があり、皇帝専制とはいえ、内閣による統治が機能している世界で、どうそれを実現していくかのプロセスに迫っている。このあたりの作品って、あまりなかったから、やっぱりテーマ的に見て、最先端の作品なんだなーと感心した。こうした戦記物は、そもそも、3か国の設定にしないと、外交戦略にならず二元論的な殺し合いに堕してしまうので構造的に良くないと思っていたんですが、なるほど「これ」を深掘りしようとしているんですね、作者は。いやーいい着眼点です。ただ、一つだけ不満をというか僕の感覚では、ヤトリが死ななければならないほど、シャミーユがそこまで追い詰められなければならないほど、この国が腐敗してボロボロになっているかというと(実際はなっているんだろうけど…)そこまで思えないんですよね。そこがうまく表現しきれていないので、もう少し方法があったんじゃないか?という気がしてしまう。でもま、そのへんは、これだけのサーガになってしまえば、しょせん言ってもせんなきことかもしれないですが。とにかく、シャミーユは、この国をどこに導くのか?。この専制や軍の統治に慣れた国で、どうやって、主権の意識を民衆に喚起していくのか?何をするのか?はスゴイみものな気がします。


金の国 水の国 (フラワーコミックススペシャル)


ちなみに、国のマクロを見据えて、先の向かって、大きな手を打つという物語の中では、『金の国 水の国』がめっちゃよかった。久々に、ばっちり★5つ級でした。時間あればどこかで記事を。超おすすめです。


黄金の王 白銀の王 (角川文庫)


『黄金の王 白銀の王』 沢村 凛著 政治という物は、突きつければこういうものだと思う。けど、こんな厳しい仕事は、シンジくんじゃなくても、世界を救えても、ふつうはだれもやりたがらないんじゃないのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120126/p1

『瞳の中の大河』 沢村凛著 主人公アマヨクの悲しいまでに純粋な硬質さが、変わることができなくなった国を変えてゆく

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20111217/p7


このマクロを変えようと願った個人の地獄というか、悲惨さというか、無理さってのをこれでもかと描いたのは、沢村さんの作品群がいいですね。これも★5つ級の作品で、超おすすめです。



ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン (10) (電撃文庫)


あと、ちょっとすすめると、戦記物で、大傑作というと、やっぱり流血女神出伝シリーズですよね。これも素晴らしかった。


帝国の娘 上<帝国の娘> (角川文庫)

『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン』 宇野朴人著  安定した戦記モノで、マクロとミクロのバランスがとても良いです!

ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン (電撃文庫)

評価:★★★☆星3つ半

(僕的主観:★★★★4つ)

まだ10巻までしか読んでいませんが、いや、いいですねこれ。紹介してもらってよかった。読んでいて幸せな時間を過ごしています。基本的には、戦記モノのライトノベルと考えてもらえればそれでしい。それ以上には思えないし、それ以上の仕掛けも感じません。でも戦記物として、とっても安定してて、なるほどアニメ化されるのがわかります。とても大好きです。すすめられてアニメからはいりましたが、瞬く間に11巻まで来ましたよ。



ちなみにこの後、大きいネタバレです。僕のブログは基本ネタバレなんですが、さすがにこれは大きいので、とりあえず。



えっとですね、アニメーションを見ていて、最初から思ってたんですが、もしかしてヤトリって死んじゃうのかなって思っていたんですよ。この絆の作り方と、彼女の在り方(=イグゼムの伝統を守る)と、帝国の崩壊を描いているマクロの流れからすると、彼女って、新選組みたいな感じが凄くして、ドマトゥルギー的には、そうなるよなぁ、、、と。でも、まさかライトノベルで、それはできないだろうと思っていたのですが、がっつり、そこ描きますよね。それを描いた後に、どこに持っていくかは、作者に課せられた大きなテーマで、彼女亡きあとどういう風にドラマトゥルギーを確保するかは、この作品を最終的に素晴らしいものにするかどうかの重要なポイントなんで、分析的には気になります。けれども、そういうこっちゃなくて、ヤトリというほとんどかなめのキャラクターをちゃんと、ドラマの在り方から、死なせてしまうのは、作者はちゃんとこの物語を神の視点から俯瞰して作っているんだなーと感心するんですよ。戦記もののポイントは、マクロとミクロのバランスなので、このテーマを作った時点で、これを描かなかったらおかしいんですよね。けどやっぱり、そはいっても、こんないい子を、、、、と胸に迫りましたよ。いや、死んでほしくなかったんですが、、、、。小説のでヤトリと主人公の子供時代の宝石箱のようなシーンは、たまらないですよね。逆算して悲劇に至るとわかるからこそ、あのシーンが、せつなく深くキラキラするんですよねぇ。


だからこれを真正面から描くということは、帝国の滅亡というマクロを、キャラクターのドラマトゥルギーと同じレベルで重要視しているからなんで、いやいい作品だな、と思うんですよ。だから、とても安定感がある。職人的な感じがするいい感じの小説家さんですね。『宇宙軍士官学校』とか『小さな国の救世主』(この二つとか、なんでアニメ化しないのかわからないと覆うぐらい渋い秀作)鷹見一幸さんを思い出します。でも、さっと、アニメ化しているのだから、それ以上の何かがあるってことなんでしょうねぇ。


僕のこの作品が、地味にいいなと心底思ったのは、マシュー・テトジリチくんですね。小説の挿絵でもアニメのキャラクターでも、はっきりいって脇役&ヤなやつにしかみえないじゃないですか。でも彼の地味な成長と、天才的な英雄を目の前に見せられながらも、対等であろうと悩み苦しみながらも、半歩づつ前に進んでいく姿は、こいつむちゃくちゃかっこいいじゃん!!と、胸が熱くなりました。

このブログでは、基本的に、物語の新しいパターンや構造を見つけたりしないと、なかなか高い評価はつけません。また、映画でも漫画でも何でも境界なく評価しているので、例えばハリウッド大作のみんなが見ているハイクオリティの作品と比較して、その時間を費やす価値があるか?という視点になるため、小説や漫画は、とても点が辛くなる。特に小説は敷居が高い(読むのに時間のコストがかかる)からです。そういった中では、僕の大好きでたまらないライトノベル群は、基本的に★3つを超えないんですよね。たいてい。★4以上は、他の人に、無理やりでも進める価値があるか?という視点の境界なんで。ということからすると、特に戦記モノとしての新しい視点があるわけでもなし、シリーズで長いので読む価値がどこまであるか?という風になると、評価が低くなってしまう、、、、「にもかかわらず(これがいいたかった!)」、とても面白かったです。安定した戦記ものの背景が構築されて良かったです。戦記モノ系が好きな人には、悪くないお薦めの作品ですねー。

ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン (4) (電撃文庫)

2017-01-07

『甲鉄城のカバネリ(英題:KABANERI OF THE IRON FORTRESS)』 (JAPAN 2016) 荒木哲郎監督 結局のところカバネリはどうして生まれてくるのだろうか?

評価:★★★☆星3つ半プラス

(僕的主観:★★★☆3つ半プラス)

よくできた作品だと唸りました。にもかかわらず、少なくともSFとしてみると致命的な欠陥があって、このシーズン1というか、12話のアニメを見ただけでは、カバネというゾンビがなぜ生まれたのか?というマクロの謎がわかりません。でも、おもしろい。もちろん、これは欠陥ではなくて、「そういう風に決めた」制作者の意志で、かつそれが全く気にならないところに、この作品の出来の良さがあるとは思います。しかしながら、まぁ、続編もあるそうなので、それを見ないと何とも言えないかもしれないですが、批評的な視点で、全体を思い返してみると、「そこ」に踏み込んでいないのは、やっぱりダメだなぁ、と思います。


けれども、いまのアニメーションの脚本とか演出、世界の作り込みとかは、凄い水準にあるなぁと思うのは、それでも、全然気にならないほどに、全体的な出来がいいのです。「出来がいい」というのは、LDさんがおっしゃっていましたが、「世界がそこに在る感覚」とでもいいますか、物語の世界は、嘘がつかれている虚構の世界ですが、その嘘がある水準を超えて、「世界がそこに在る」という感覚を引き出せると、もうそれだけで物語って、勝ちなんだと思うんです。前にラジオで、グインサーガが、なぜ僕や海燕さんにとって特別なのか?という話で、それは、「世界がそこに在る」という感覚を強烈に幼少期に凄いレベルで突きつけられてしまって、いったん、「そこに在る」と心が認識してしまうと、もう一つの現実として受け入れて認識してしまうからだというようなことをいいました。最近の作品は、そういうことをノウハウで、普通に再現できるのだなぁ、とアニメーションのレベルの高さに驚きを感じます。とはいえ、正直言って、少し経ってみると、★3級かなぁと思います。やっぱり、批評的に評価できる部分があるか、もしくは、キャラクターがそれを超えてぶっちぎりに好きか?というのがないと、★4つ以上はいかないなーと思う。レベル的には、★5つでも十分な出来のクオリティなんですけどねぇ。ちなみにクオリティ(品質)と、パフォーマンス(性能)は、別物です。クオリティは、一般的にはどんなに高くてもしょせん、品質で、あるレベルからは過剰品質にしかなりません。そういう意味では、とてもいい出来なんだけど、もう一つ最後の、もう一手がない感じです。でも、なんかそーいうところを見るアニメじゃなったんだろうなー。やっぱりバトルシーンだよね。これ。


まぁ『進撃の巨人』」と似てると誰もが思うんだけど、それは構造だけであって、僕は全然似ている作品には思いません。『進撃の巨人』は、マヴラブのもっていた全体に個を捧げるというナショナリズムのコアの部分が強烈に生きていて、そこの崇高な美しさが、この自由に慣れきった今の時代に対する批判機能として痛切に表現されていたところに魅力の根源があるのであって、カバネリには、それはないと思います。マブラブも進撃の巨人も、組織のために、全体のために、という意識がすごく深く埋まっていますが、カバネリは、基本的には、主人公の生駒にせよ美馬、無名にせよ、個人的な動機だけで、戦っています。『進撃な巨人』やマブラブの興味深いところは、個の欲望や動機からスタートしていても、戦っているうちに、仲間や所属の部隊を通して、組織の目的や意志、その組織を支配する国レベルと、全体が目指すところと、自分の個のあるべ自己実現(欲望、動機)がぐちゃぐちゃになっていくところに、しびれるところがあります。なぜならば人間の世界は、いつもそうだから。けど、なかなか組織や全体は描けないんですよ。そうすると、話が複雑になって、シンプルでなくなって、面白くなくなるので。


カバネリは、むしろゾンビものの系統の典型的な作品だろうと思うんですよね。滅びゆく世界の黄昏を描くところ。だって、この世界、マクロ的に救いがあるようには見えないもの。それを解決する方法も、結局カバネがなんで生まれたのか?、何か?が明らかにされないから、全然わからない。あとは、前半の主人公の生駒が、戦う意思を獲得していくエピソードで、彼の存在がカバネ(敵)なのか、味方なのか?という二元論の狭間にいる存在として、描かれるところ、、、、いってみれば『デビルマン』の葛藤を前面に押し出すところがこの作品のコアであって、形的には『進撃の巨人』と似ているけれども、似ているようには思えないなー。ちなみに、デビルマンの葛藤をせっかく物語に設定しているのに、意外にあっさり、生駒が仲間に受け入れられていくのは、、、、前半は、それが凄い難しいことはわかるんだけど、後半にいきなり美馬の物語になってしまって、話が違う父親と復讐と、滅びの物語に切り替わってしまったので、あまり生きてこなかった。脚本は思い切りがいいせいで、凄いシンプルで、描きたいものに収斂しているので、サクサク見れるし、とても充実感が見ているとあるんだけど、後に残るほどではないんだよなー。やっぱり、それは、物語をさくさく進め過ぎたからなのか、、、しかし、サクサク進まないと今の時代は視聴者がついてこないし、、、で悩ましいところだろうなぁ。


甲鉄城のカバネリ 3(完全生産限定版) [DVD]


そういえば、女の子が(男の子もだけど)やたらかわいいなー、よくこんなのアニメで動かせるなーと思っていたんですが、美樹本さんのデザインだったんですね。こういうのがきれいに動くんだから、今の時代って凄いよなーとしみじみ。美樹本さんといえば、まぁ普通はマクロスなんでしょうが、僕は、学生の頃、ニュータイプで連載していた『マリオネット ジェネレーション』だなぁ。物語はさっぱり、だった気がするが、それ以上に女の子のかわいさが凝縮されていて。こんな一枚絵のレベルの凄い絵が、漫画で動くってのに、信じられない気持ちで見ていました。けど、そういうのは、今の時代は本当に当たり前になってしまって、日本のエンターテイメントのレベルってどんだけ上昇したんだよって、驚きます。でも、心に残るかどうかは、単純じゃないんだろうなーと思います。『マリオネット ジェネレーション』とか、物語としては、ほとんど落第だったと思うんだけど、絵とシュチュエーションとかキャラクターだけで、そういうの超越して心に残っているものなぁ。。。。

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2017-01-06

2017年がはじまりました。あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。今年も、物語三昧をゆるくやっていこうと思います。


アメリカから戻ってきたので、現在は日本に住んでいます。いやぁー日本、いいですね、ご飯おいしすぎる。最高。アメリカに住んでいる時はそうは思わなかったのですが(僕は住めばどこでも都の能天気な人なので)、もう圧倒的な差があるのですね。こと生活のクオリティを考えると、日本スゴイです。アメリカで生活してしみじみ分かったのは、こりゃ、日本人や若者が海外に出たがらないのは当然だろうなと思いました。だって、生活するなら、クオリティ最高に高いんだもん。アニメがただで放映している!!!(笑)(って、まぁ今は海外でもクランチロールとか見る方法いくらでもあるけどね)。なんにでも理由は、確固としてあるんですよ。今の若者はけしからんとか日本人は内向きになったとか言うのは、本当に害悪な言説。日本人が昔、外に出たのは、単に日本が酷いところだっただけなんですよ。MBAに通ってた友人が、世界中から学生が来ているけど、「自分の国に帰りたい、働きたい!」という人って、日本人とアメリカ人ぐらいなんだそうです。それは、職があるから、そして住むのにいいところだからだそうで、逆を言えば、それが以外の国にはまずみんな帰りたくないってなるらしい。まぁ、MBAに来る時点で、グローバルシチズンになりたい中産階級候補だから、そりゃ、小さな国とか帰りたくないわな。いや中国とかインドとか、人口多くて経済成長しているし、可能性あるじゃん!仕事もあるし!といったら、中国人の同級生に、あんな競争厳しくて空気悪いとこに帰りたくないよ、といわれたそうです。インド人も、いやーまだまだ暮らすのにしんどいもんといっていたそう。まぁ、いまのグローバルシチズンの中産階級の生活を経験したら、ロンドン、東京、NYCなどの競争力のある大都市からはなれられないのは、まじでわかりますよ。圧倒異的な住みやすさ、楽しさだもの。便利さ(コンビニエンス)とエンターテイメントの刺激という意味で圧倒的。


日本は、長年のデフレと生産性の低下で、賃金は平均的先進国に比べると相当低くなってしまったのですが、それで得られる生活の質は、圧倒的に高いと思うんですよ。そういう意味では、日本の環境って、おもしろいですよね。日本の外でグローバルシチズンとして生きていける給料はもらえていないですが(なのでここから出て行く力がない)、ここで住む分には、成長しようとか無理なこと考えなければ、緩くかなり幸せに生きられる。それなりの規模で内需があるというのも、凄い強み。アメリカでは、中産階級で金を持っていないと、、、というと、日本でいうと最低でも1千万円以上ぐらいの年収がないと、中産階級の生活は営めないと思います。1千万じゃ少ないかな、、、。税金とか保険とかコミコミで考えてますからね。何をもって、中産階級というかは、いろいろありますが・・・。でも、エグザーブにあるゲーティツドコミュニティとかに住んでないと、そもそも治安上怖いですよ。それに移民が多くて経済成長しているので、競争が激しすぎる。まぁ、そりゃ、トランプやサンダースを支持するわな、米国民、と思いましたよ。あれじゃあ、子育てできないよ。ただし、もちろん、、、そうですねぇ、年収にして1千5百万ぐらいを超える感じだと、超楽しいです。できればフローではなくストックでもらえると、さらにおいしい。先進国は、どこも金ですよ。金がすべて。特にアメリカの、金がすべて感は、スゴイです(苦笑)。金があればグローバルシチズンになって、素晴らしい生活がおくれる。でも、10-15万ドル以上くらい稼ぐのって、そうとう大変ですよ。その辺を会社員とかで稼ごうと思うと、もう死ぬほどの重労働になるので、みんなストックオプション狙うとかになりますよね、アメリカだと。そこまで働いて、フローの年収じゃあ、バカみたいだって思うんですよ。人生浪費しちゃうし。でも、中産階級の素晴らしさって、、、、、「素晴らしい」って、中身を考えると、たぶん美味しいご飯が食べれて、安全で快適な場所に住むって、この二つぐらいが中心だと思うんですよね。まずはね。


アメリカは、この2つのハードルが高かった。ご飯は、日本のような中食カテゴリーのバラエティがないし、そもそも基本が美味しくない(←東アジア人は、舌が肥えているんですよ、そもそも)。それに、治安上安全な郊外に大都市で住もうなんて思うと、アホみたいに家賃が高い。サンフランシスコの家賃の高さとか、気が狂っている。普通の家賃のところは、凄い治安悪いんですよね。やですよ、あんなとこ住めないですよ。それに、NYCとか、ウサギ小屋ですよ、もうほんとうに。日本なんか笑えないよ。満員電車(地下鉄)に揺られて通っている人ばかりだし(←日本人の自分がこんなことをいう日が来るなんて。。。。(笑))。そんなのと比較すると、年収低くとも、おいしいご飯食べれて、それなりに安全なところに住めるんだから、日本は、住みやすいところですよ。日本は、働くところとしては、まだ世界一クラスに最悪ですが、暮らすには、先進国の中ではとてもリーズナブルで、それでいてご飯が特異においしかったり、凄くいいところです。これで、海外に出て行こうと思う人がいないのは、そりゃあたりまえだ、と思いましたよ。


それにね、アメリカで働いていると、もう動機がめっちゃくちゃ強いウルトラ上昇志向のアグレッシブな人が都市部や成長している地域には、溢れてて、いやあれと、競争するとか、マジ勘弁と思いましたよ。アドバンテージがないと、移民なんかしても、勝負にならないですよ。海外へ出よとかいう人は、この激しい競争の中で、使いつぶされていく初期移民の厳しさをどう考えているのかまったくもってわからない。過去にブラジル移民をすすめた日本の棄民政策と全く一緒だとおもうんですよね。戦前に海外に移民した人がそれでも成功したのは、日本の環境が苛酷すぎて、それに比べればまだマシだったので、死ぬ気で勤勉に働いたからですよね。そかしそんな激しい動機は、よほど貧困の中に育っていなければ持てないにきまっているじゃないですか。先進国の住人や教育を受けた人は、動機やアグレッシブさで勝負してちゃダメなんだと思います。知恵とクリエイティビティで勝負しないと、勝負ならない。そういう特異な才能やバックグラウンドがないならば、日本出る必要性を感じないですね、まったく。こんな住みやすい国。未来がないといってもねぇ、、、、それでもこの規模の人口を擁すると、それなりに内需で回ると思うんですよねぇ。


まぁ、日本最高!日本出たくない!アニメと漫画に戯れて美味しいもの食べて幸せにいきるぜ!!!


これで、いいと思いんですよね。個人としては。もう、このセリフを言っても、なんの留保もない(笑)。まぁ、やったこいがないと、なかなか実感こもって自分で信じていい切れないですからね。そうではないかと思っていたのですが、うすうす。いや、日本、最高です。というか、東京最高です、というべきか。。。とにかく今は自信もって、確信して言えます。日本出る必要なし(笑)。ちなみに、じゃあ稼げないじゃないか?とか日本みたいに人口が減る国ではどんどん経済が縮小していくとかいうのは、僕はナンセンスだと思うですよね。まず生産性が異様に低いので、団塊の世代が死に絶えて社会から退出すれば、劇的に日本変わりますよ。なので、未来は明るい。まだ10‐20年くらいかかるので、そう楽ではないですが、まぁ明るい。それにやっと、過労死と生産の問題が結びついてきました。議論が、国の成熟のステージが、ついにここまできたんだ、日本って感じです。

デービッド・アトキンソン 新・所得倍増論

それに、この規模の人口で、これだけ高い自由が浸透している国で育まれているクリエイティビティって凄いと思うんですよね。層の厚さが違う。市場としての質が、圧倒的な場所。さっきも書いたとおり、これからの先進国経済、いやグローバルな経済では、動機とか根性とか、そういうので競争すると、アホみたいなデフレスパイラルというか、コスト競争にさらされて負けるだけなんで、ダメなんですよ。日本市場という極めて洗練された質の高い市場で、その厚みの中ではぐくまれる「何か」を創造的に探して育てるってのが、勝つというか、楽しく生き残る一番確率が高い方法。だから、日本でいいんですよ、ここにいていいんだと僕は思います。こんな可能性に満ち溢れているところないですよ。なかなか。そもそも、この場所では、日本語が喋れるというのが凄い参入障壁と競争力になるんだから。日本、最高です。悩むなら、あがくなら、何か行動するなら、日本は人類の最先端だと思います。ここでいいじゃないですか。「ここ」から十分にグローバルに世界につながれますし。つながらないなら、自然が豊かでご飯がおいしくて、母国語しゃべれるところがいいじゃないですか。アニメ放送しているし。←それかっ!。今の時代は、住みながらにして、世界につながる時代で、ならば日本のこのアドバンテージを生かして、クリエイティブに人類に貢献するようなものを作ればいいんだろうと思います。いや、少し大きなことを言いすぎましたが、人類の最前線にいるこの国の、近くにいる仲間の課題を、自分御課題を解決する方法を見つけたら、それすなわち、世界への貢献ですから。うーん、そういう言い方だと、言いすぎかな、、、なんというか、たとえば、小説家になろう、とかの投稿サイトで楽しげに小説を書いてて、それえでいいんですよ。そういう場に、バリューが積みがあって市場の厚みが増して、凄いもんが出るわけですから。マネタイズするのは、まぁ日本人下手だけど、それはそれでいいじゃんと思いますよ。得意な人もいるんで、どのみち最適なところに落ち着きますよ。日本という地域のスキームは、決して悪くないので、ここに頑張っていれば、見えざる手は十分に働きます。


まぁ、とはいっても、アメリカも大好きなんですけどね(笑)。超大好き。ぼく、あんまり嫌いな場所ってないので。まぁ、日本には漫画とアニメがあり、アメリカにはハリウッド映画がありますからね。いいところです。まぁ、どこにでもいいことあるんですよねー。住めば都とよくい言ったもんです。



いやはや、振り返ると、2016年激動の年でした。イギリスのブリクジットとドナルドトランプ大統領の当選。



個人的に思ったのは、自分の直観と分析を信じるべきなんだな、ということ。僕はヒラリーさん支持でしたが、どうみてもトランプさん有利だなって実感していたんですよね。日本でもアメリカでも報道とは真逆の感覚だったので、自分の感覚が変なのかな?と思っていたんですが、意外に自分の情報網と解釈って、そうとう確度高くいろいろなことを見通せているのだなと。まぁ仕事でも戦略を立てる仕事が多いので、そういう直感みたいなものや分析の積み重ねが信じ切れないと、話にならないんですが、うーん、なんとなく思ってはいたけど、僕の予見力というか予測の筋は、凄いイイのだなぁと感じる今日この頃(笑)。この年齢までなって、まだまだ自分を信じれるというのは、なかなかいい人生だなと。もう少し「自分を信じて」もいいのだなぁと思うのが去年の振り返りですね。たぶん、ほんとうにBBCとかアルジャジーラとか、なんでもいいのですが、日常みているニュースのソースが、もうそもそも日本じゃなくなっているのも、いいんだろうなーと思います。日本の新聞読んでないし、テレビも日本のはまったく見ていませんが、なんの痛痒もない。ほかに、アメリカからの視点を手に入れたので、多面的に実感を持って世界を眺めれているのだろうと思います。なので、なんだか世界のことが、少しはよくわかってきた気がします。ああ、、、そういう意味では、やっぱり違う土地で暮らすことって、素晴らしい価値はあるとは思うんですよね。歴史とか、面白くて面白くて。特に日本の近代史も、アメリカ側からの視点が実感できるようになって、見方が全然変わってきました。いやー人生って、経験が増えると、本当に面白いですねぇ。


さて、2017年ですが、生産性の議論になりそうだな、思っています。日本は、そこのステージにようやく来たのだ、と。そうすると、自分の生産性も考えなくちゃ!と思う今日この頃。40を超えたぐらいから人生逆ドラゴンクエストといっているんですが、それは、成長してレベルが上がるほど、体力ゲージが落ちて弱くなるという「ゲーム」が始まった!!!という言い方をしているんですが、そこでは、工夫が必要なんですよね。ゲームのルール自体に、その根本に踏み込まないと、だめ。頑張ってゲームしていると、若くて体力あって動機のある人に絶対に勝てない。目的意識なしで、やり方を考慮しないで頑張るとか、超非生産的な努力の方向性です。この議論って何?というと、生産性のことなんですよね。マクロ的にもそういう議論を追うべきだし、それには、自分も、おっさんになって、体力がなくなっていく中で、生産性を上げる方法を考えねば、と思う今日この頃です。

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

なので、この本はいいですよー。まじで。

自分の時間を取り戻そう―――ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方


著者は同じ人なので、併せて読むと、すごいいいですね。



あとは、リンダグラットンさんの新作が出ていて、これも重要な示唆だなと思います。人生が平均年齢100歳になる時に、どう人生を考えるのか?。僕が数年前にいっていた、リタイアした後の、セカンドラウンドライフをどう過ごすか?という話と同じなんですが、数年前までは、30代のぼくにとっても、これは、「少し先の遠い話」だったんですが、いまは、もうマジで準備すべき、直近の課題になりつつあるなと思います。なんか、よく最近の若者は!的な言説あるじゃないですか、痛い老人がいうやつ。でも、あれなるほどと思うんですよ。人生が、100年のスパンになって、ライフステージが、昔よりも長くなった分だけ、いろいろゆっくりになっている。そんなにすぐ大人にならなくてもい行って来いとなんじゃないかなぁ、と思うんですよ、生物的に。昔はもう少し人生の早い段階で、色々決断に迫られたので、大人になる(=あきらめて分際を知る)必要があったのが、いまはそうでなくなってきているのじゃないかなーって。ライフネットの出口さんとか見ていると、定年退職した後にベンチャー立ち上げるとか、できるじゃん!て思うんですよ。なので、逆に、若くして起業するとか、そういうのどうでもいいんじゃね?って、最近は僕は思います。何も生き急ぐ必要はない。いや人生の体感感覚が変わっているんだろうと思うのです。けど、そうはいっても、結局幸せな人生を送るのは、流れを先読みしている人なので、少し先を真面目に考え抜いて、そこに何かをかける。かけるなら、分のいい賭けをするべきです。


とかとか、そんなことを思った新年でした。今年は、またオフ会をしようと思いますー。ブログ関連の目標はそれくらいかなー。後は普通に、なるべく一月に一回は、物語三昧ラジオしたいです。


LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略

2016-12-29

『ローグ・ワン(原題:Rogue One: A Star Wars Story)』 (2016 米国) Gareth Edwards監督 いま僕らはスターウォーズ・サーガが歴史になっていくその瞬間を見ていることになる!

評価:★★★★★星5つマスターピース

(僕的主観:★★★★★5つ)


見ている最中、見終わった後、その傑作さに、しびれました。スターウォーズシリーズ最高傑作ぐらい言われていますが、いや本当に、とてもじゃないけどスピンオフの小作品的位置づけとは思えない、凄い大傑作でした。そして何よりも、この作品が凄いのは、これだけ面白い映画であるにもかかわらず、これがスターウォーズ・サーガの全体を、これでもかと面白くさせるスピンオフ的な作品でもあるってのが、凄い。なんというか不思議な作品です。僕は、スターウォーズシリーズにそれほど熱狂的な思い入れがあるわけではないので、ストーリーもうろ覚えなのですが、それでも「エピソード4/新たなる希望」の正史をもう一度見直さなきゃ、というか見たくなるにきまってんだろうこれ!!!と思わせる、素晴らしい作品です。たぶん、このスピンオフ的なエピソード3と4の間に当たる3.5的な位置づけによって、過去の正史をすべてもう一度リノベーションというかリブートというか、もう一度新たに価値を吹き込むことになるものでしょう。まるで期待していなかっただけに、驚きの大傑作でした。これは、映画館で見ておかないともったいないですよ!!!というような作品です。いやはや2016年って、なんだ!っていうぐらい映画の傑作が連発していて、もう打ちのめされそうですよ。ぜひとも、映画館に走って、この正月は、スターウォーズを見直そう!とお勧めします。


さて、まあこのブログは、僕の感想を書く日記だとしても、それでも、やっぱり、良い良いだけ言っていても、このブログのお薦めを信じてくれる人には、意味があるとは思うんですが、それじゃあつまらないので、僕が何を語りのたいのか、何をここから抽出するのか?というと、3点ですね。一つは、ルーカスからディズニーに権利が渡されて、スターウォーズが、歴史的な遺産として、いまなお新しく作り続けられる巨大な共同幻想として、人類史に君臨し始めた、その入り口に僕らは立ち会っているんだということ。もう一つは、この作品のヒロイン(というかヒーローであり主人公)フェリシティ・ジョーンズも、『フォースの覚醒』のレイ(デイジー・リドリー)もそうだが、やはりアメリカが、アメリカの現実をとても反映していている部分。最後に、この作品が、既に古典となりつつあるスターウォーズサーガの全体を、もう一度息を吹き込むむのでありながら、とても二次創作的な、これまであったアーカイブとインフラストラクチャーをベースに、新しいものを生みだしていること、そういう共同幻想、歴史のアーカイブになるような形の大サーガが多くつくられるような傾向がある現代の傾向。この3つについて言及したいと思います。


1)スターウォーズサーガという人類のアーカイブとなるような共同幻想が蓄積されていく「歴史の始まり」に立ち会うこと


映画を見ている最中、いま歴史が生まれる瞬間を見ているんだ、と深い感慨に感じました。


「エピソード7/フォースの覚醒」は、もう一度、新しいものがつくられるんだけれども、それが本当に「新しい」のか?とか、ちゃんとしたレベルが維持されるのだろうか?とか、もしくはやっぱり共同幻想化した大きなアーカイブが再開するお祭りの興奮であるとか、そういう「下駄をはいている」ような状況があって、本当にこれが「歴史として構築されていくんだ」という、未来へのつながり、時間的な保証がされるかどうかがまだわからない感じがあったんだと思います。けど、エピソード7の出来で、ああこれは、本当にこのサーガは、まだ軽く10年は続いていくだろうし、そうであるからには、これまでの数十年のようにもうこのアーカイブが深く深く、基礎として僕らの思い出と記憶の中に蓄積していくんだな、というのが、実感されつつあるところに、さらに、畳みかけるように全シリーズをさらに深めてくれるようなスピンオフの大傑作が来ることによって、、、、ああ、歴史をいま経験しているんだ、という感慨を感じました。


日本であれば忠臣蔵とか、徳川家康とか、もうほぼ日本人なら知っているようね、というような歴史・共同幻想はあるわけです。イギリスなら国王の話やアメリカでのジョージワシントンの話のような。けれども、それが人類レベルで、共通の物語というと、スターウォーズ・サーガって、それらを軽く上回るレベルだと思うんですよね。


今、そういうものが出来上がりつつある。そして、ロサンゼルスのディズニーランドに建築中のスタウォーズの施設など、ディズニーの持てるエンターテイメントの展開力がこれでもか注ぎ込まれていくことが、もうわかってきている。ユニバーサルスタジオのハリーポッターの施設に家族で行ったときに、息子が興奮してハリーの話をしていたり、ホグワーツ城の実際の光景を見たりして、本当に感慨深く感じたのですが、こういうのが自分の孫の世代とも共有されて残っていくことがもわかっているわけで、そう思うと、歴史のアーカイブが積みあがっている、その大きな瞬間にいまであっているんだ、ととても思いました。アーカイブに染まっている、深くはまっていることは、同時代性を感じるとても楽しいことだと思うんですよね。ハリーポッターしかり、日本でいうならばエヴァンゲリオンなどもそうなりつつありますね。そういうものに同時代からは待っていると、それが共同幻想化して、様々な新しい展開をしていく歴史を体感することができるので、本当に幸せですよ。庵野秀明監督の『シンゴジラ』もそうですよね。あれも、ゴジラという大きなアーカイブの蓄積が共同幻想化しているからこそ生まれ出る作品だし、その背景をどれだけ抑えられているかによって、見る感がいの深さも変わってくるし、そこに新しく参加する若い世代異なる世代の人との共通のコミュニケーション可能な媒介ツールともなります。ゴジラなんかは、アメリカでも話しが通じますからね。ローランドエメリッヒ監督の作品があるわけですから。こういう共同幻想の広がりって、マジで素晴らしい。

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■エンターテイメントが世代を超えて安定して受け継がれるアメリカ

さて、『バックトゥーザフューチャー』の2で描かれている未来が来た!と、2015年は、アメリカでは、ラジオやテレビで大盛り上がりでした。僕は、非常に感慨深かったのです。なぜなら、アメリカに住んでいて強く感じるのは、この国は近代の中に区切りというものがないのだな、ということです。どういう意味かというと、日本社会は、近代において、大きな区切りがたくさんあります。もっとも極端なものだけに限っても2回。明治維新と1945年の敗戦です。徳川幕府、大日本帝国、日本国とまったく異なる国になっており、その基盤はもちろん変わらないのとしても、見かけ上はまるで違う国になっています。特に、日本においては、1945年にはっきりとした境目があって、戦後と戦前というのは、まるで異世界のごとく違う前提で構成されている、異なる国だという前提があります。しかしながら、こちらの博物館やさまざまな歴史の説明などを見ていると、近代における区切りがないんです。しいて言えば、独立宣言です(笑)。いきなり、18世紀までさかのぼってしまうんです。巨大な3帝国(フランス帝国、スペイン帝国、大英帝国)にはさまれた、ちっぽけな13州植民地という物語です。アメリカ社会が、歴史こそ浅いものの、その浅さは中世や封建社会を持たないという意味で、近代史においては、圧倒的な長さを誇り、その連続性が太く深く維持されているのです。なので、僕は近代史に限れば、近代国家としての感覚で言えば、アメリカにおける歴史の連続性のほうが、日本よりもはるかに深く長いように感じます。カリフォルニアの水不足は有名ですが、それは、フーバーダムによって緩和されたのですが、この建設意図は1920年代にさかのぼり、実際の建設は1930年代です。そして、それは、「ついこの前の歴史的事実」で「連続しているもの」なんです。この連続しているものというのは、凄い重要で、日本社会においては、1945年以前の倫理、道徳、ものの考え方、常識、地理概念といったものは、非連続で考えているんです。なので、自分たちの祖先、近代日本建国の父たちに対する価値観は、確定していません。なぜならば、「連続しているもの」ではないからです。そこには、いろいろな価値観の戦いがあるのです。でも、アメリカの展示物の記載、歴史の教科書、あらゆることの前提に、独立宣言以来、基本的にアメリカ的なるもの価値は、連続しているという前提に立っています。これ、住んでどっぷりつかってくると、じわじわと、日本とまったく違う社会なんじゃないか?という空恐ろしいというか、強烈な異世界感覚を感じます。「これ」がわからないと、まったく話がかみ合っていない可能性があるのだと思うのです。

そして、このあらゆるものが安定して継続していることが、エンターテイメントの世界においても、価値が断然しないで、世代を軽々超えて共有されて継続されていく傾向があります。『バックトゥーザフューチャー』や『スターウォーズ』シリーズに限らず、そもそもDesinyland自体が、3世代の家族が同時に同じものをワンセットで見れるように当時作られたものでした。価値が断絶していくであろう、世代間の壁を、共有するものを常に作り出そうとする強いアメリカ的なる意思が働くのです。


『STAR WARS: THE FORCE AWAKENS』(2015USA) J.J. Abrams監督  現代的かつアメリカ的な映画としてのDisneyの新しいスターウォーズ

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160103/p1


こういう大きな歴史のアーカイブがわかってくることが、年齢を重ねること、たくさんの物語に、歴史に触れることの醍醐味だと思います。


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2)フェミニズムの文脈から見る女の子の自然体でのヒーロー化のその先を超えて


エピソード7のレイ(ディジー・リドリー)を見ている時に、ずっとハンガーゲームのカットニスが思い浮かんで仕方がなかったのですが、その女性が主人公でありヒーローであり、トロフィーワイフ的な条件が付かないまさに「主人公」として中心を担うフェミニズム的な新規さを、当時、といっても2015年に感じたのですが、それすらももう2016年の今の時点で、「あたりまえ」になってしまって、それらの前提は、新しく生まれる革新的な革命的な出来事ではなく、「当たり前の前提」、社会のインフラストラクチャーになってしまった感じがする。そう思うと、この多様性を許容していく現代社会の在り方が、急速に浸透しているのがわかる。


ハンガー・ゲーム2/The Hunger Games:Catching Fire』 Francis Lawrence 監督  現代アメリカをカリカチャライズした物語〜日本的バトルロワイヤルの文脈とは異なる文脈で

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140124/p1


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そういえば、この前ちょうど『インフェル』を見たんだけどヒロインのシエナ・ブルックス役で出てましたよね、彼女。


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ちなみに、アメリカのドラマや日常的なテレビを見ていて、名前を知らないと、ピンと来ないかもしれないのですが、町田さんの以下の本とか凄い面白いですよ。こうしてワンセットに、社会に出ている女性たちを見ていると、もうすげぇんだな、アメリカって気が実感します。

アメリカのめっちゃスゴい女性たち(電子限定版)


さて、少なくとも、アメリカの物語世界では、既にそれは「前提」であるような気がする。2016年は、トランプ大統領の誕生ということで記憶に残ると思うのですが、この女性蔑視というか、白人至上主義というか、まるでスターウォーズの帝国軍のような保守的なにおい、差別主義者な匂いがするトランプさんですが、僕は、どうしてどうして、現実にアメリカの報道や彼や彼の周りのSNSなどの直接の情報をコツコツ見ていると、既にアメリカは、フェミニズムやリベラリズムといった価値は社会に深く根を張っており、また現実としてもそういうライフスタイルは既に行われ権利を持っているのが前提で、「それが確立して社会的力を持つ」のを前提として、それに対する反発をするというのが、保守というか、既得権益側の対応な感じがするのです。伝わりますでしょうか?。過去の、まるでマイノリティが無視されて、それらが、そもそも現実に虐げられて踏みつぶされている「だけ」だった時代ではなくて、既に現代は、モザイクのように様々な権利が、マイノリティの側の権力のある中で、社会の主軸が反発しているという構図に感じるのです。ですから、ポリティカルコレクトネスなども、行き過ぎたマイノリティ擁護が社会を逆の意味で不平等にしているというようなロジックになるわけです(本当かどうかはともかく)。


この「感覚」。伝わるでしょうか?。日本社会の固有の文脈は、これともまた別なのでわかりにくいのですが、アメリカにおいては、既に、もう女性が物語の主人公であることに、付帯条件が付かなくなっている感じがするんですよ。だから、ジン・アーソを演じるフェリシティ・ジョーンズが、Rogue(「はぐれ者」や「反逆者」)という荒くれもののチームのリーダーである時に、それまでなら、女なんかに従えるか!といううるさい男が出てきて、それで実力を女性が示してリーダーとして認められるような「付帯条件のエピソード」が必ず入ったものですが、そういうのが全く、毛ほどもない。彼女は、幼少期うに戦場に置き去りにされて生き抜いていることなどから、実力的にも男の荒くれものと遜色ないと、説明もなしに、認めているんですね、周りが。もちろん、そういう雰囲気を持った人であるという「物語上の設定」があるのかもしれないのですが、にしても、監督や脚本側に、そういう説明は入れるまでもないという常識・コモンセンスがはっきりある感じを示しているように思います。


という構造が頭に入った居る状態で、ちょっと前にあったTwitterでの炎上というか、もめごとなんかを見ていると、すっげぇおもしろいです。まぁ、面白いというのは不謹慎ですが、まぁ面白いものは面白い。


ローグ・ワンの脚本家の一人、クリス・ワイツがその後ツイートで示したように、帝国軍は選民的かつ抑圧的な思想の集団で、保守色たっぷりのオルタナ右翼と、ある種同属の身だ。さらには、もう一人の脚本家であるゲイリー・ウィッタも、帝国軍への抵抗に挑む反乱軍を「(アーソという)女性リーダーに導かれた、多民族の一団」と位置づけるツイートをしたことで、リベラルな映画制作側&ファンとオルタナ右翼の対決姿勢は鮮明となり、SNS上で「ローグ・ワン」の“代理戦争”ともいえる応酬が勃発したのである(ワイツ、ウィッタともに現在はツイートを削除している)。


さらにはルーク・スカイウォーカーを演じるマーク・ハミルもTwitter上で“参戦”し、加えて『The Daily Beast』でのインタヴューでスカイウォーカーがゲイである可能性について言及すると、状況はますますヒートアップ、ついにはオルタナ右翼による『ローグ・ワン』のボイコットキャンペーン(#DumpStarWars)へと発展した。


『ローグ・ワン』とオルタナ右翼の“フォース対決”

http://wired.jp/2016/12/22/rogue-one-alt-right-boycott/

Mark Hamill Blasts Trump’s Cabinet: ‘It’s a Who’s-Who of Really Despicable People’

http://www.thedailybeast.com/articles/2016/11/27/mark-hamill-blasts-trump-s-cabinet-it-s-a-who-s-who-of-really-despicable-people.html


エピソード7では、僕は、女性がリーダーになること、ヒーローになり主人公になることがジョイ謡化してきたアメリカの物語、または決して恋人という位置づけではなく最高の友としての位置づけで黒人のフィンが出てくるところが、素晴らしかったと唸りました。


フィンの造詣が、ちょっといけていない感じの田舎者っぽい感じが、また素晴らしくわかっていると感じました。黒人の中でも、選ばれたエリートではなく、ほんとうに下っ端の過去も何もない末端兵士が、それでも、と正しことに目覚めていく様は、まさに正統なる成長物語で、もっとも典型的なビルドゥングスロマンで、僕はぐっときまくりでした。彼が、ほとんど強くなくて、レイを守り切れないのに、全力て立ち向かっていく様こそが、僕は美しいと思いました。人の美しさは覚悟にあると思うんですよ。それができるかどうかではなく、しなければならないと自分が定めたことに、突っ込んでいくこと。


『Straight Outta Compton(2015 USA)』 F. Gary Gray監督 African-American現代史の傑作〜アメリカの黒人はどのように生きているか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150915/p1

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こういうのも、そのマイノリティの苦闘の歴史という背後の物語の強度を実感しながらみると、その複雑さ多様性、強度に深い思いを感じます。もちろんそんなことはわからなくてもいいことですし、それでエンターテイメントの価値は変わりませんが、でも受け手の豊穣さは、絶対教養があったほうが豊穣になります。これもアメリカの黒人の歴史を知っていると、すげぇぐっとくるんですよ。脚本家、わかっているな!って。



アメドラはいま、かつてないほど充実している。

2010年代に入って、映画がどこの国にいてもどの年代でも楽しめるスペクタクル巨編へと化していったのに対して、その反動からアメドラは、主たる視聴者がアメリカ人であることも含めて、現代アメリカ社会をヴィヴィッドに描くものへと変わっていった。古くは「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」(原題:The Sopranos)、最近であれば「ブレイキング・バッド」のように、テレビのなかでこれでもかとばかりに“悪”を描き、表現の幅をグッと広げた。いまやアメドラは、多様なアメリカを描く文学的精神の居場所であり拠りどころだ。そのうえで娯楽性に溢れているのだからたまらない。


アメドラにあなたの知らない「アメリカ」を学ぶ:「ファーゴ」ほか、いま観るべき4本の必見ドラマ

http://wired.jp/2016/12/24/amedra-junichi-ikeda/

この記事で、アメリカの物語が、ドラマでアメリカ人であることを(その知識や地理感があること)を前提に描いて、良い作品が生まれているというのは、僕も同感です。それ故に、いわゆるハリウッドの大作であり、かつメジャーなスターウォーズサーガが、根本的な、基礎的な人間関係の部分において、アメリカ社会の現代の在り方を反映しているというのは、昨今特に激しいと思います。このローカルな背景や積み上げが理解できると、本当に世界の色彩が豊かになります。アメリカのドラマでは、マイノリティが前面に出てくるエポックメイキングな作品としてGleeが有名ですよね、これなんか見るのをおすすめします。ここのローカルな世界の積み上げで共同幻想というのはできているので、そういう背景の教養を積むと、繰り返しますが、世界の色彩が豊かになります。


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3)二次創作的な、これまであったアーカイブとインフラストラクチャーをベースに、新しいものを生みだしている創造量の在り方が


1)で、スターウォーズ・サーガのアーカイブが歴史として出来上がっていく瞬間を感じた、と描いたのですが、これは一緒に見に行った友人が言っていて、なるほどと唸ったのですが、ローグワンは、正史を深く体感するようなスパイスに凄いなっているんですね。全然違う物語なんですが、にもかかわらず、深く深く正史を理解している。その理解の仕方、愛情が半端ない。様々な画面の作りや小道具、思想が、膨大なスターウォーズ正史の知識があればあるほど面白く感じるようになっている。なんで、最後の舞台が南国なのか?。それは、明らかに雪原や砂漠といった過去のスターウォーズのアンチというか別のイメージを狙ったわけだが、こういうことが随所にあふれている。見ていて本当に楽しかった。その友人が指摘していたのは、こうした(シンゴジラなど)リメイクの傑作がたくさん出ているのは、二次創作的な、過去のアーカイブを理解している感性が溢れてきたからだといっていた。そしてそれは、本当に同感。この新しい正史の創造が、オリジナリティではなくて、過去のアーカイブにつながれてつくられる二次創作的なものであるんですが、、、、これをリメイクとか続編とかスピンオフというと、僕はちょっと語感が違うと思っています。というのは、ローグワンが典型的なのですが、これはこの作品一つで完成しています。別にスターウォーズという設定がなくても物語として、独立してよくできている。にもかかわらず、スターウォーズへの愛が溢れている。しかし、この「愛が溢れている」という部分が、これまでのオマージュと等々とは違うと思うんですよね。というのは、一つには、過去の膨大な‐会部に対しての「本質の理解」の度合いがケタが違う。そこまで!と思うほど、深く本質が理解されて、それに基づいて物語がつくられている。これって、オリジナルを作ろうとする志向がある人の発想じゃないんですよね。オリジナルを作ろうとする人は、結局中身がスカスカの大したことがない作品を作ってしまうことが多いのですが、それは、結局積み重ねられてきた過去の蓄積のアーカイブを利用しないと、その人の実力があまりにあからさまに出てしまい、たいていの人はそこまで超絶な才能はないもんなんですよね。けど、なかなか過去のアーカイブって利用出来なかった。単純に、そんなに安く膨大な過去作品委同時に、いくらでも見放題のようなアクセスが、つい10年前まではできなかったからだと思います。映画評論家の淀川さんなどが典型的でしたが、過去の映画体験というのは一度しかないくらいの特権的なものでした。けれども、いまは、HuluでもNetfulixでも、Amazon.PrimeでもDアニメストアでもクランチロールでも何でもいいですが、凄い低コストで、過去の作品に何度も、一覧して一括で、それも膨大な人々が視聴体験することが可能なんですよね。これは特権的なものであった物語体験が、凄まじいれべえるで民主化したことだろうと思いうます。いやここまで行くとアナーキーに共産化した!ぐらいにまで行っていいのだと思います。そうすると、単純に過去の作品を見比べ勉強することが、凄く容易になったんですよ。しかも、過去のアーカイブの解釈や説明もワンセットで、体験できる。昔は作品を感受するこいとと批評的な解釈を

することは、それぞれ別の技術だし、特別に差異化されたカテゴリーだったはずですが、そういうのを浴び続けている若い世代は、本質を理解すること、、、、それrは膨大な情報をシンプルにまとめて抽象化することですが、そういうのが本当に容易になったんですよ。であるから、二次創作的な過去のアーカイブとの接続、本質の理解などのコストがかかる作業がとてもハードル低くすることができて、かつ、そこに自分のオリジナルを入れ込む余裕もあるわけです。今はそういう時代なんだな、と驚きます。まぁ、ぼくにしても、膨大に作品を見れるようになっているわけで、いやはや、本当に素晴らしい時代です。世界が一段変わったような気がします。


【2016-12月物語三昧ラジオ】年末まとめ編



ラジオはじめます。

2016-12-23

『終末のイゼッタ(Izetta: The Last Witch)』(2016) 監督藤森雅也 やっぱり残念だった。キャラクターにもっとドラマが欲しかった。

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評価:★★★3つマイナス

(僕的主観:★★★☆3つ半)

昨晩、見終わりました。うーん、終始残念な作品だった。全体的なバランスはいいんだけど、小粒になってしまっていて、マクロ(世界観)を丁寧に描いて重視したために、ミクロ(キャラクター)のドラマが展開しない典型的な系統の失敗だと覆うんですよね。このレベルだと記事も書かないし、最後までそもそも見れないんですが、、、今回はちゃんと見たのは、僕は多分、このイゼッタと姫様のキャラクター好きだったんだと思うんですよねー。それだけに、あーこの程度の物語で終わってしまうのか、ととても残念な気持ちになりました。世界観や映像、キャラクターデザインなどなど、どれも少しも手が抜かれていない高いレベルなだけに、しかも、、、かなりこの皆だけに、、、それで、よけい残念な気持ちになってしまうんでしょう。3話分残っていたので、1時ごろに見てたんですが、ほとんどうつらうつらして、見るのがしんどかったんですが、その後、思わず口直しにと見始めた谷口監督のプラネテスを1話だけ、、、と思ったら朝まで見てしまったんですが、、、、ああ凄い面白い物語の「引き込まれ力」って、こういうものだよな、睡眠時間足り打てなくて深夜でも朦朧としているのに、やめられない、とまらない。イゼッタ、かなり平均的な瑕疵がないできないのに、なんでこんなに悪口を書く感じかというと、やっぱりキャラクターが好きだったのに、残念な気持ちがすごい強いんだろうなー。イゼッタとお姫様、凄くかわいいもの。そして、完全に百合的に描こうとしているけれども、物語の構造が悪いから????ってなるんだけど、関係性自体や二人の性格って、すごい好きなんだよなーそれだけに、監督や脚本家に、もう少し何とかならなかったのか、と恨みが出てしまうのかもしれない。


山頂でイゼッタとお姫様が語らう、というか愛を確認しあうシーンは(笑)、良かったんだよね。うん、凄く。でも、ヤッパリ構造が悪いので、????ってなる。一つは、そこまで命を懸ける理由が、やっぱりイゼッタ側に物語がない。お姫様に助けられただけで、ミクロ(自分一人)よりもマクロを選ぶという使命感に転嫁される理由がわからない。でも、まぁイゼッタって、かなりおバカで一途な子なんで、いやわかるんですよ、姫様になついちゃったんだな、と。けど、そうすると今度は、お姫様の方に、マクロの使命感がなさすぎる。というか、使命感はあるんだよ。ただ為政者としてリーダーとして政治家として、戦略指揮官としての哲学も先を見通す力もないので、ただ責任感があるだけの無能なんだよね。とても誠実な人だけに、そういうってしまうと悲しいんだけど、いやはや、起きた出来事に、それはだめだ!といい子ちゃんで叫んでいるだけなんですよね。なので、マクロの使命感として、個人よりも国を選ばなければいけない、凄みが感じない。一般市民のような振る舞いに感じてしまう。なんで、それに付き従うイゼッタも、それなりの格になってしまう。それがとても残念だったんですよ。二人の関係性もキャラクターもいいだけに。


これ、ヨーロッパをほとんどモデルにした架空世界なんだけど、それを構築するのにこだわってマクロにひきづられたな、と思う。小説なんかでもよくあるんだけど、設定ばかり多すぎて、キャラクターのドラマがない。ドラマがないとまではいわないんだけど、、、、たとえば、OPでイゼッタが、ちょっと裸っぽくてセクシーな映像が出てくるじゃないですか?僕、あれに違和感が感じられて仕方がなかった。サービスシーンというわけではない気がするんですよ。だって、この作品はとても百合的で、そういった部分は抑制してて、とても上品だったもの。けど、なんというか、かっこよくエロチックでセクシーな映像にしている。これ典型的なんだけど、イゼッタって、凄い健康的で、犬のような子ないですか?、、、、あまりにあっていないと思うんですよ。まぁ、魔女ってジプシーなんで、そもそもそうとうひどい環境で生きてきただろうし、身体売ってたりえげつない過去がある設定がもともと隠れていたのかもしれないですが、どっちにせよ、イゼッタのお姫様への思いって、純粋で、いうなればとても子供ですよね。なのに、ああいうエロチックなOPを描いていると、そもそも監督はこの子の性格理解しているの?何が見せたいの?ってミスマッチを感じてしまうんですよねー。たぶんそういうところに集約されていると思う。敗因は。ああ、いいキャラクターだと思うんだよなー。残念だった。



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2016-12-14

『湾生回家』 (2015 台湾) 黄銘正(ホァン・ミンチェン)監督  日本統治時代に台湾で生まれ育った日本人たち(湾生)を描くドキュメンタリー

評価:★★★★★5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)

神保町の岩波ホールで見てきました。素晴らしいドキュメンタリー映画でした。つい最近、片渕須直監督の『この世界の片隅に』が、全人生の中で一番級に素晴らしい作品だと感動しているのですが、あの作品の存在によって、戦前の時代を生きた一人の女性の日常と人生に感情移入することによって、あの時代が急速にリアルに、他の様々な表現と接続されるようになって気がします。戦前の貧しかった日本は移民政策を奨励していて、ハワイに、アメリカ本土に、カナダに、ブラジルに、台湾に、満州、韓国に、大量の移民が渡りました。そして、当時は、着の身着のままで、親同士の約束で女性が自分の意思とは関係なく海を渡って嫁に行く時代でした。この作品でも、移民村に、たった一人で、嫁いでいく女性が出てくるのですが、この人を見ていて、すずさんを強烈に連想しました。ああ、ここもあの時代と地続きなのだ、、、と。この強烈な「地続き」感覚は、『この世界の片隅に』がパラダイムを変えてしまった戦前を描く映画なんだろうと本当に思います。


http://www.wansei.com/


2011年のウェイ・ダージョン(魏徳聖)監督の『セデック・バレ』 (原題:賽克·巴萊 /Seediq Bale)を見て以来、台湾映画が、素晴らしい成熟期に入っているのだな、といつも何かいい作品ないかと探しています。馬志翔監督(脚本は、ウェイ・ダージョンですね)『KANO 1931海の向こうの甲子園』も素晴らしかったです。

KANO-カノ-1931海の向こうの甲子園 [レンタル落ち]

一貫して、台湾が国としての自信をつけ成熟期に入り、そして、単純に中国ではなく独立国としてのルーツを考える時に、日本統治時代や少数民族にルーツの一つを見出していく過程は、とてもよくわかるものです。しかしながら、歴史の問題は政治的にとてもセンシティヴで、こうした部分に踏み込んで本当に面白いをモノを作りだすには、その文化が成熟して安定していないとできないと思うのです。ナショナリズムが過熱している状態では、こうした客観的な冷静な題材の取り上げができないからだと思うのです。その流れで、これは見に行ったほうがいいな、と思ったのは、正しい判断でした。


「台湾に生まれてよかった」


しみじみと、自らの生まれた故郷を懐かしみ、愛情深くつぶやくのは、高齢の日本人。Wansei(湾生)とは、1945年以前の日本統治下の時代に台湾で生まれ育った日本人のことです。彼らの深い望郷の念、愛する故郷への思いを描いたドキュメンタリーが、この『湾生回家』で、台湾でかなりヒットした作品です。台湾アカデミー賞「金馬奨」でも最優秀ドキュメンタリー作品にノミネートされ1ヶ月を超える異例のロングランを記録ししました。


東アジアでは、歴史を共有するのがまだとても難しい。なによりも傷が生々しく残る状況では、感情的に事実を直視するのは、難しい。同時に政治的に、外交的に対立する場合は、イデオロギーと政治にまみれて事実が歪むのもまた当然のことだと思う。だが、近年、僕は様々な素晴らしい物語が、たくさん生まれるようになってきたと思う。それは、一つには、大きく東アジアが豊かになりつつあることがあるだろう。人は、物質面に余裕ができると、心に余裕ができるのだと思う。国家としても、国が豊かに強くなると、ナショナリズムや建国の神話で人々を駆り立て意識を統一しなくとも、国としての安定が保てるようになっていくのだろうと思う。そして、1945年以降、70年以上たち、WW2が本当に「過去」になりつつあるのだろうと思う。そこでは、より客観的に、様々なミクロの視点で、それぞれの主観の世界からどう見えたのかが、より圧倒的に具体的に、そして何よりも様々な立場を描く公平さが生まれてきていると思う。


そうした文脈の中で特筆して台湾映画、特に、ウェイ・ダージョン(魏徳聖)監督の『セデック・バレ』で描かれた霧社事件で描かれる大日本帝国陸軍の文明化された近代軍としての姿が描かれていたのには、とても衝撃を受けた。霧社事件自体は、台湾の少数民族を日本の帝国軍が鎮圧した出来事であり、植民地の圧政者による現地の弾圧の歴史的事件になるはずで、その出来事が描かれながら、なぜか帝国軍の振る舞いが、とても道徳的で文明人として表現されているところに、台湾映画の成熟度を僕は凄く感じました。事実を、バランスの中でちゃんと位置づけようとする、とても公平な態度。これは、国が豊かになって、本当に自信がないと、社会で受け入れられない表現だと僕は思うのです。


さて全編にわたって、文明対野蛮という構図がはっきりと意図して構築されています。なので、再度最初の話に戻ると、植民地支配に抵抗するという政治的文脈、もしくは旧帝国の帝国主義、侵略行為に対する道徳的告発という政治的ニュアンスが感じられないのです。少なくとも、僕は、あまりにも文明対野蛮の構造の文脈が強すぎて、侵略に対する政治的文脈を全く感じなかったです。これほど、あまりにもストレートな植民地の抵抗の物語を描きながら、そういう文脈を全然感じない、これはとても不思議なことでした。


たとえば、小さなことですが(いや小さくないのだけれども)、文明人の日本軍は、妊婦の女性を絶対に殺さないとセディツク族の方が信じていて(セデックは日本人の女、子供も容赦なく殺戮している)、その通りに日本軍は妊婦を丁寧に差別なく、日本の傷ついた軍人と同じ部屋で看病している。ビビアンスー扮する妊婦は、だから殺されずに生き残ることになります。族長の娘も、負傷しているのを見つけたら、軍人の手当をしている同じ病院のベットで大切に看護されている。日本人の日本軍の侵略の非道徳性を政治的に宣伝する映画ならば、こここそ、全力で妊婦や女、子供を皆殺しにする日本兵を描かなければおかしいはずで、さまざまな面で、日本軍や日本人の道徳性の高さ(=文明の論理)を細かく描写しているところが、とてもではないが反日の政治的映画には見えなかった。小さい部分というだけではなく、全編の大きな文脈に、この文明対野蛮の構図が貫かれれば、むしろ近代的な文明人としての日本人社会の、もちろん辺境の田舎なので、警官もろくに教育がなく差別意識丸出しの人間も多いが、決してトータルでは野蛮そのものではない信頼が感じられる。日本に対する政治的道徳告発の映画ならば、こうした文脈にはなるまい。


中国本土で、この作品が、非常に評判が悪かったというのはうなずけます。「セディック族が敵対的で日本人を殺しすぎる」という不思議な批判ですが、侵略の道徳的告発の政治文脈に載せるのならば、日本人を圧倒的な残虐な強者と位置付けて、逆に対置として支配されるセデックが圧倒的な弱者として描かれないと、文脈がおかしくなるからです。そういう意味では、非常に的を得た批判です。これが中国や韓国の映画だと、日本軍の鬼畜ぶりは、まったくもって文明社会の振る舞いには見えない残虐性をもってこれでもかと描かれやすい。それは、中国や韓国の映画には、政治性が強く込められているために、日本人や日本の軍隊の非道徳性を極端に描写するという「政治的文脈」が常にビルトインされがちだからで偏向して描かなければいけない圧力が社会に存在しているからでしょう。が、この『セデック・バレ』にはそういう意図は見えなかった。ちなみに、なぜ韓国や中国にそういった、日本の侵略の非道徳性を主張する政治文脈が生まれるかといえば、建国の神話に関係することで、彼らの建国=統合の基軸が、対日本からの侵略の克服や植民地からの脱却が、統合の主軸価値としてあるからだろう。それを超えてバランスある表現をするには、なかなか難しいだろう。強烈な親日国とはいえ、台湾ですら、このような作品が生まれるまでにこれほど時間がかかっていることを考えれば、中国や韓国にそれを求めるのは、簡単には無理だろうと思う。



『セデック・バレ』(原題:賽克·巴萊 /Seediq Bale) 2011年 台湾 ウェイ・ダーション(魏徳聖)監督 文明と野蛮の対立〜森とともに生きる人々の死生観によるセンスオブワンダー

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130427/p4


セデック・バレ 第一部:太陽旗/第二部:虹の橋【通常版 2枚組】[DVD]


そしてそれだけではなく、巨大な中国本土に飲み込まれてしまわないように、自らの中華以外のルーツを模索するということがとても重要な文脈になっているのでしょう。日本統治時代を台湾が、中国とは別のルーツを持った「特別な場所である」ということの起源の一つとして描かれる文脈がありうるわけです。



そしてもう一つの視点が、イデオロギーでマクロで描くのではなく、「そこにいた人の人間としての視点」はどういうものだったのかを、曇りなき視点で、直視して描こう、、、いや「残そう」とする情熱が生まれてきた気がします。理由は簡単で、当時の人がほぼ亡くなっていく過程で、本当の本当に、過去の個々の人々がミクロのレベルで生きた具体的な歴史が消え去ろうとしているからだろうと思います。


歴史のなかで忘却された、湾生たちの「人間の歴史」


終戦当時、台湾にいた日本人のなかにもいろいろな考え方があっただろうが、「台湾を離れたくない」という気持ちでありながら、国家が定めた運命によって無理矢理台湾から引き離された人々がいたことは、この作品を見れば十分に伝わってくる。


こうした人間レベルの関係は、戦後の日台関係のなかで政治的に隠されてきた部分がある。台湾では国民党の「中国化教育」によって日本への思いは「皇民意識」として克服すべき対象となった。日本でも、台湾統治という植民地領有行為そのものが批判の対象となった。


その結果、国家の領有や放棄というレベルとは本来別次元であるべき湾生たちの「人間の歴史」までが忘却され、軽視されてきたのである。


しかし、台湾では近年、「中国は中国、台湾は台湾」という認識が完全に定着し、その分、台湾へ向ける人々の郷土愛が盛んに強調されるようになっている。「愛台湾(台湾を愛する)」というスローガンは、もはや独立志向が強い民進党支持者だけでなく、国民党の候補者も語らなければ選挙に勝てない状態だ。その意味では、この湾生回家のヒットは「日本人も愛した台湾」という点が、より台湾の人々の涙腺を刺激するのだろう。



今なぜ台湾で「懐日映画」が大ヒットするのか

戦後70年、無視されてきた「人間の歴史」

http://toyokeizai.net/articles/-/94829


よくぞ、現在の1930年代生まれの人が80歳代に入り、今、映像に具体的に残せるチャンスをとらえたことに、関係者に感動を覚えます。歴史は、通常マクロで語られます。けれども『この世界の片隅に』もそうだったけれども、ミクロをちゃんと見ようという物語がたくさん見られるようになってきたと思う。ここでは、マクロの話は語られない。本当に、一人一人のの人の主観のその積み重ねになっているのが、この作品のドキュメンタリーとしての面白さなのだと思う。それにしても、千歳さんの話は感動的だった。背景はどういうことだったか、わかったわけではないだろうが、、、それにしても、ドラマチック話で、見ていてぐっときてしまった。この時代は、世界中に日本人が散らばっていて、きっと様々な埋もれたドラマがあるのだと思う。個人の歴史は、ドラマに満ち溢れているんですね。