物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2016-08-11

【2016-8月物語三昧ラジオ】シン・ゴジラについて



評価:★★★★★星5つマスターピース

(僕的主観:★★★★★5つ) 


8/11の木曜日(本日)LDさんとシンゴジラのラジオをやります。夜のたぶん9時か10時から(10時が有力)はじめます。終わりました。

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ

2016-08-08

『Zootopia ズートピア』(2016米国) 監督 Byron Howard Rich Moore 現代アメリカのリベラリズムの到達地点とオバマ政権への反動への警鐘

Zootopia ズートピア 2D blu-ray[北米盤英語のみ]


評価:★★★★★星5つマスターピース

(僕的主観:★★★★★5つ) 


素晴らしいとは聞いていたけれども、飛行機の中で見たのですが、最初の10分ぐらいで号泣していました(笑)。僕は、届かない理想に全力で頑張る姿が、とても胸に来るようなんですね。この作品を何の映画かと問えば、リベラリズムの理想を描いた映画、ということができるでしょう。もう少し具体的に言えば、現代(2016年)のアメリカという現実をベースに、リベラリズムの理想と現実を描いた物語ともいえるでしょう。我々が住む世界の最前線の現実と理想。


ああ、これは、リベラリズムについて全力で語りたいんだな、ディズニーはと、見ていてしみじみしました。2016年の今は、分断されつつあるアメリカを統合する理想に燃え、分裂の仲介者として熱狂的な支持のもとに登場してきたバラク・オバマ大統領の最後の任期の年。同時に、その行き過ぎた理想主義が、全く現実を変えることなく、無慈悲に社会の分断が拡大して、混乱が収拾できなくなり、そしてその反動として、ドナルドトランプ共和党大統領候補が登場してきた年でもあります。いいかえれば、理想主義の反動として、現実が押し寄せてきた年なわけです。アメリカだけではなく、イギリスのブリクジットによるヨーロピアン・ユニオンの超国家の理想が、移民の現実によって覆されつつある時なのです。


この時代背景に、アメリカ(フランス・イギリスから始まるヨーロッパ近代国家の理想)が目指す理想の主軸の一つであるリベラリズム=自由主義を問うことは、ディズニー社が、時々反動的に戻りつつも、一貫して理想を追求してきた表現の会社であることを強く印象付けます。どう考えてもアメリカ大統領選(新しい大統領が決まるのがこの2016年の11月のはず)にぶつけてきているのが、はっきりわかります。


それにしても、現代アメリカの物語の、リベラリズムが深く深く浸透して、その現実との戦いが前提となっている様は、本当に感動します。この国が人類の最前線で、その狭間で葛藤を強く抱き、行きつ戻りつつしながら進んできた社会なんだということをまざまざと感じさせます。2014年の『ベイマックス』(原題:Big Hero 6)も、初の日系アメリカ人の少年が描かれていましたが、ステレオタイプな日本人や日本社会の表現が昇華され、深い尊敬と愛に満ち溢れた映像と物語に、僕は衝撃を受けました。なんでも文化の表層しかコピーしないアメリカの文化的伝統の下で、サムライ・ゲイシャとか、そんなものばかり見ていた自分には、ここまで深く日本を理解して、しかも、それは日本ではなく、アメリカ社会にカスタマイズされた洗練された美しい表現を見るとは思いもよりませんでした。実際、いわゆるPTA推奨作品のようなものらしく、様々なところで上映会がなされており、うちの子供たちの通うエレメンタリースクールの夜の上映会で選ばれていて、政治的に正しい(=ポリテイカルコレクトネス)な扱いを受けるような作品で、且つ面白く家族で見て大人も楽しめる作りは、ディズニーが進化し続けていることをまざまざと見せられた気がしました。いまもドナルド・トランプさんがいうように、政治的正しさって、なんだか胡散臭いし、自然ではない気がするのですが、それは、マジョリティから見た違和感だと思うのですよね。それは、変化が怖いといった、人間本来の恐怖と重ねられて区別がつきにくくなって、自己正当化に使われやすい。けれども、僕はこうした、現在の保守的な視点から見ると、違和感があり人工的で無理があり、怖く感じるものを、物語の次元でわかりやすくエンターテイメントとして浸透させていくことは、とても大事だし、それこそが物語の面白さの価値の重要な一つだと思っています。そういう意味で、昨今のディズニー社のチャレンジ精神は、さすが人類最前線国家アメリカの表現をリードする会社にふさわしいと唸ります。

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立場は違えど社会のマジョリティではないジュディとニックは、事件解決へ向けてバディを組むと、抜群の相乗効果を発揮して結果を出す。

肉食動物たちの失踪は、彼らが原因不明のまま突然知性を失って凶暴化し、異常な事態を憂慮したライオンハート市長によって隠されていたから。

二人のマイノリティは、彼らを蔑んでいた者たちを見事に見返したのである。

しかし本作が秀逸なのは、差別をなくそう!頑張れば皆が報われる!という反差別の単純な図式からもう一歩踏み込んでいるところ。

ここでジュディが草食で、ニックは肉食という差異が生きてくる。

この世界では嘗ての捕食者と被捕食者という関係は無くなっているが、人口の9割を占める草食動物は常に肉食動物に潜在的な不信を抱いている様なのだ。

ライオンハート市長が事件を隠蔽していたのも、ズートピア内部で両者の関係が崩壊する事を恐れたため。

10:1はアメリカのアフリカ系人口の比率とほぼ同じであり、ライオンハート市長をオバマ大統領に見立てると、意図するところは分かりやすい。


ノラネコの呑んで観るシネマ

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ズートピアは、リベラリズムの理想に向かって「誰でも何にでもなれる」ように建設されている。しかし「こうありたい」ことと「現実にそうであること」には常にギャップがあり、そのギャップを埋めていくことが、本当の意味でのリベラリズムなのだと思う。けれども、そのギャップがどう出てくるか?、また解決方法に向かってどのような困難さが出てくるかは、具体的には、よくわからないものですよね。僕は、ブルーステイツとレッドステイツに分断されつつアメリカ社会をブッシュ大統領の時代ぐらいに見た時に、オバマ大統領が登場して、そしてその最後に、ドナルド・トランプさんやバーニー・サンダースさんのような人が登場するなんて、まったく予想ができませんでした。


でもちゃんと分析してみれば、とても論理的なことなんですよね。当時から共和党が南部を取り込みにいって、キリスト教右派を取り込んでポピュリズム的な政党に変質していくことをは予測している人は、少数ながら確実にいました。そして世界的な中産階級の崩壊による経済不安と、それを後押しする移民の拡大による、既得権益者が職や機会を奪われていくことが、移民受け入れに対する反動になり、セキュリティを重視する差別になっていくこと、また世界的な格差の広がりと、移民と現地住民の機会の奪い合いがルサンチマンとなりテロリズムを生んでいくことも。


世界各国でこの傾向はそれぞれの社会の構造や歴史が異なりますが、とても似ています。日本の安倍政権が、草の根的な右翼と親和性が高いことも、同じ話だと思うので、特に驚きはないことです。にもかかわらずアベノミクスが左翼的なバラマキの経済性格であるような不整合さも、とても現代的に思えます。むしろ日本においては、バーニー・サンダースさんやイギリスやスペインのように極左が力を持たないところが、とても日本的です。日本の左翼の劣化がひどく、右翼的な政権の方に現実路線の左翼的経済政策が担われてしまうことも。この時代においてラディカルな左翼が全く人気も力も持たないのは、日本特有の現象だと思います。イギリスにおいて、反移民の感覚が、スコットランド独立などの大英帝国の解体やEUからの離脱を志向するブリクジットに結びついていくのも、非常に似た構造です。


2016年の先進各国、リベラリズム、自由主義をベースに資本主義によって運営される国々のキーワードは、セキュリティです。安全保障のことですが、それは国家的なレベルから個人のレベルまで幅広い意味を含むものです。中国の台頭による世界秩序・地政学的な秩序の根本的な変化は、誰もがわかるし、特に日本人にはよくわかる感覚でしょうが、個人の安全保障への不安感は、日本ではとても少ない。それは日本が本質的にほとんど移民を受け入れていないので、極端な数の移民が押し寄せていくことで変化していくコミュニティの生活世界が理解できないのです。そして、現実的には人類社会の最前線レベルで自由が浸透している日本の大都市圏ですが、まだまだ高度成長期の価値観が支配していて、その先へ踏み込み切れていません。また多様性が、何をもたらすかの、本当の素晴らしさと怖さが押し寄せていない気がします。それだけまだまだマジョリティの価値観が支配的な社会なんでしょうね。まぁとはいっても、現実は、もう既に相当進んでいるので、社会における「信じられている価値観」と「現実に起きていること」がずれているので、違和感を生んでいる社会が日本の現代なんだろうと僕は思っています。



けれども、このリベラリズムが浸透していく中で生み出されていく多様性の社会は、当然のことながら、これまでマジョリティの立場にあったものの既得権益を破壊します。そして必然的にグローバルな格差の問題点を、津波のように自分たちのコミュニティーの中に押し寄せてくることになります。


端的にいえば、それはテロリズム。


こうした構造の中で、壊されていく既得権益を持ったマジョリティの不安とルサンチマンを煽り、その矛先を、これまで社会の中で位置を示すことができなかった者たちへ振り向ける先導をすることによって権力を得ていくのが、いまのトレンドです。


そして、少なくとも個人のセキュリティに訴えかけることは、多くの人の共感を得るものであって、それ自体は最も解決しなければいけない現代のテーマであるのですが、それを単純に多様性を形成する移民やマイノリティに転嫁するのは、基本的にリベラリズムの理想を壊す行為になります。下記の映像は、2016年の6月にあったフロリダ、オーランドのマスシューティングへの二人の大統領候補の直後の反応ですが、非常にわかりやすいですね。実際は、ISISやイスラムテロというよりは、アメリカのマッチョイズムの中で孤独に陥った青年の問題であって、むしろアメリカの国内問題だったことが次第に明らかになり、この件で、ヒラリーさんは大いに株を上げ、敵対していたバーニー・サンダースさんの支持者の多くにリベラリズムの守護者としてのイメージをもたらしたようです。逆に、いつものイスラムや移民へのセキュリティ問題につなげた軽率さが、かなりトランプさんのマイナスになったようでした。大統領選の結果は、この記事を書いている時点ではわかりませんが、これがカリフォルニアであったマスシューティングのサンヴェルナルディーのような状況であったら、トランプさん尾主張は波に乗って、非常に人々に浸透したことはまず間違いないんじゃないかなーと僕は感じます。すべては紙一重で、この構造の中で煽れば、かなりの広がる火を生み出せるのだろうと思います。


と、小難しいことを書いていたのですが、このアメリカに今現実に起きていること、そこに在る構造を感じながらこの作品を見ると、これが強い訴求力、強い意味を持って迫ってくるのがわかると思うのです。


さて、僕は、背景の知識と強く連想するものとして、これまでのことを書いていましたが、誰もが僕のように物語が現実やマクロ、歴史との連関を考えて読み込んだりするわけではないと思うんですよね。見方はいろいろあっていいと思うんですが、もうちょっとそうはいっても、映画そのものや、描かれている世界そのものも語らないと、なんか政治の話になってしまうので(笑)。


この脚本素晴らしかったです。もともとキツネのニックのみのだったのが、これだとひねくれすぎて観客が感情移入できないって理由で、ジュディが生まれたそうです。そう考えると、ジュディは魂が入っていない、ある種の器として招聘されてきたにもかかわらず、素晴らしい造形でした。いつも思うんですが、このあたりのハリウッドの脚本制作の安定度合いは、本当に素晴らしいです。


最初に書いたとおり、僕は開始10分で号泣してしまいました。それは、ジュディの夢が、目標が、あまりに不可能なものだったからです。そして、「にもかかわらず」それを目指す姿にうたれたんです。いつだって、僕が感動するものは、『これ』なんだな、と号泣しながら(飛行機の中とはいえ、スチュワーデスさんに見られるんでちょっと恥ずかしい)思っていました。無理なことに、挑戦すること。ちなみに、僕はあんな向こう見ずではない卑怯な現実主義者なんで、ニックまではいかなくてもひねくれているんで、ああいうのを見ると眩しくて泣けてくるんですよ。


そして、この作品がとても素晴らしいと思うのは、ジュディの目指す理想が、本当に難しく、困難で、本人を打ちのめすものであることが、これでもかと描かれていること。ジュディの人間性のすばらしさは、家族愛の溢れる彼女の両親、暖かで安定した家族関係からきているのは間違いないのですが、理想を目指すものにとっては、それすらも困難の一つなわけです。家族でありながら、あれだけ深く愛されながら、理解してもらえない、ということによって。ジュディは、アダルトチルドレンになってひねくれた親を恨まなかったですが、そうなってもおかしくないものなんですよ。なかなか難しいのは、ジュディのような人間性の優れた人が生まれたのは、移民も多様性もほとんどない、ド田舎のウサギたちが集中している場所で、保守的で安定的な家庭に育っているからなんですよね。都市の多様性の中で、こういう理想が生まれてくるようなアニメーションや神話、物語的なものを見てみたい気がするなぁ、とふと思ったのでした。あるはずだし。現実がそうなんだから。


それだけでなく、なんというのでしょうか、「何かを目指していく」という行為が、人を、まったく異なる世界に連れ出していってくれることを、ガツンと描かれているのもたまりませんでした。


象徴的なのは、ジュディが田舎から電車に乗って、ズートピアまでいく、大陸?というか風景です。これまんまアメリカの田舎から大都会に出て行くときの雰囲気そのままです。僕は、ハンガーゲームのシーンをすごく連想しました。

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このシーンに代表されるように、保守的な田舎町を出て、「世界」に出て行く姿は、いつの時代も、何かの理想に動機が駆動されて世界に出て行く若者の姿を思い起こさせます。そして、これもテンプレートのように、そうして胸に期待を抱いて出て行ったわくわくするような素晴らしさは、汚く狭いアパートメント、やりがいのない歯車で奴隷のような下積みの仕事がまっているわけです。そして、多様性があるということは、暖かい家族が切り離されるということは、それは、必然的に他者と新しい関係を結ばなければいけないことであり、不可避的に現実の持つ差別や軋轢をすべて引き受けなければならなくなっていくわけです。


しかし他者との関わり方、差別とは何か?どうすればよいのか?の様な具体的なテーマを、分かりやすく噛み砕いて子どもたちに伝えようとする姿勢は、振り返って日本のキッズムービーに一番欠けているところかも。

それもディズニーの様な、保守本流のメジャーどころがやっているアメリカの映画文化は、やはり奥深い。

奇しくもマイノリティへの恐怖を煽って、マジョリティの人身掌握につなげる辺りは、今旋風を巻き起こしてるあの人のやってることそっくり。

本作の作り手が一番見せたいのは、子どもたちよりむしろトランプかも知れないな。


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この辺の、「君と僕は違う」だから「仲良くするためにはどうすればいいのか?」という普遍的な問いかけを、マジで、あからさまに、具体的に表に出して語るのは、アメリカらしいなぁ、といつも思います。日本の物語作品には、なかなか出てこないストーリーですよね。


とはいえ、答えは普遍的に変わらないと思うんです。それは、問題を直視して、逃げないで、ずっと頑張り続ける、これだけなんですよね。そして、そんな風に頑張っていても、どうにもならないことは、どうにもならなかったりする。ジュディの不用意な言葉で、ズートピアの社会は恐怖に陥り、差別は拡大していきます。そして失望した彼女は、夢をかけた警官の職を辞職することになります。もう教科書のように、人間が困難さに立ち向かう時に、何が起きるのか?を描いているようなものです(笑)。彼女がまた警官として夢を追いかけられるようになったり、より巨大な問題を解決するのは、結局、彼女が歯車のように働いていた時に見つけた仲間との信頼と実績によるものでした。そういうものなんですよね、まさに人生。ほんとうに自分が困った時に、大きな、自分では超えられないような壁にぶつかった時に助けてくれるのは、自分が無味乾燥で、何もないと思ってい時にやった行いの実績や、そこで出会った仲間と何を成したかで決まるんですよねぇ。ジュディが、キツネのニックとの関係を、ただの情報屋として切り捨てていたら、彼女が自分の中にあるキツネへの偏見を超えても、ニックとの関係を大事と思わなければ、なにも起きなかったでしょうし、、、、もしくは簡単にダークサイドに落ちて、恐怖を煽るものの尖兵となっていたことでしょう。人生は本当にそういうものなんですよね。


僕、どう見てもジュディとニックがお似合いで、もう結婚してしまえっ!!!と何度も思っていましたが(笑)、この映像では、よくわからなかったし、そこを踏み越えないのはやはり子供向けアニメーションだなーと思うのは、異種族間結婚がどうなっているか?、異種族の生殖行為ってどうなっているの?って、ぼくはずっと唸っていました(笑)。そこにこそ差別の根源と、それを克服する、キレイごとではない何かがあると僕は思うので。


この部分を除くと、ニックとジュディって最高の友達なんですよね。でもなー。僕、男女の友達って、理解できないので(笑)、どうしても、「ここ」まで関係性が深まったら、普通、なんか、、、こうむらっとくるだろう??って(笑)ずっと思っていたんですよね。来ないとすれば、まぁ、そういう関係なんだろうけど、だとするとあそこまで相手のことを思い悩まないって思うんですよね。性的磁力って、差別を乗り越える大きなポイントだと思うので。まぁ差別が膨らむでかいポイントでもあるんですけど。


さっきの関係性で、「相手に深く踏み込む」ってどういうことなんだろう?っていつも思うんですよねぇ。僕は、学生の頃、一度自覚的にあまり関係性を踏み込まない相手に一歩踏み込むってのをやったことがあって、いま思い出すと、それは相手は男性なんですが、もうほとんど恋人同士の痴話げんかみたいなんですよねー(笑)。その後、気づいたのは、仕事における「同じ船に乗って裏切らない」とか、そういう何かを一緒に戦う時の関係性って、もう恋人との関係とほとんど変わらないんですよね。唯一違うのは、肉体的嗜好が伴うかどうか、だけ。この線引が、でかい。これが自覚出来た後は、女の子を口説くのもできるようになりました(うまいかどうかはともかく)。


まぁ必然的に、じゃあ、この社会で、アメリカのように「自分が何者だ?」という自明性がない社会で、社会を形成する、組織を、集団を形成するってどういうことなんだろう?って、とてもいろいろ思います。


まぁ、でも、その前段階に、ジュディのように理想と、それに呼び出されて異なる世界に連れ出される経験があるかないかは、その後の、その人の人生をとても分けてしまうとは思いますけれどもね。ほんとうは、ジュディの幼馴染のいじめキャラが、すっかり、いいやつになって保守的なウサギの田舎町で才能を発揮しながら幸せに暮らしているのなんかを見ると、物理的に、ほどわかりやすくなく、精神的に違う世界に行ければ、それでいいんでしょうけどね。人間、そこまで簡単じゃないし。大前研一先生も、自分を変えたければ、手軽な方法は引っ越せ!といっていたのを思い出します(笑)。


とにかく、これは本当に傑作です。リベラリズムが浸透し、オバマ政権を生んだ現代アメリカの2016年の姿を、これでもかと見せてくれる上に、物語としても本当に楽しく、美しい。ペトロニウスの名にかけて、大傑作です。ぜひとも、見るのをお勧めします。


最近、忙しすぎて、けっこう映画見ているんですが、記事が全く更新できていなくて、、、、寂しいっす。ブログを書かないと、意外にストレスたまるんですよねー。




2016-07-10

Be yourself, aim high, keep learning by Jack Welch

日本GEの熊谷昭彦の記事を読んでいて、凄くジャックウェルチを思い出した。やっぱり様々なものが浸透しているんだなーとエクセレントカンパニーの新興宗教ぶりという感化ぶりに驚きます。でもこういう先に進むものの先端の価値観が凝縮される組織って、時と場所を得ている時には輝きますよね。コミュニケーションが流通し浸透していなければ、組織とは、アソシエーションとは言えないですもんね。

自分自身を知り、積み重ね、自信をつける

 その後、私は幾つかGEの傘下企業で社長を務め、2013年の終わりから日本GEの社長に就いています。その都度、新しい経験があり、新しい学びがあります。

 こうした経験を通じて「リーダーシップとは何か」を考えた時、私は「人の心を動かすこと」だと実感しています。

 大きなことをやり遂げるためには、メンバーみんなに納得してもらい、心を動かしてもらう必要があります。それを実現できるのが本当のリーダーシップです。そのためには、影響力と能力が必要です。

 では、人の心を動かすには何が大切なのか。

 1つはまず信頼関係をつくることです。部下たちとはもちろん、上司や同僚とも信頼関係を構築しておくことです。

 信頼関係を築くには色々な立場にある人たちのことを尊重し、話を聞くことが大切。私は「リスペクト」という言葉が大好きですが、まさに、リスペクトの精神、姿勢を持つことだと思います。リーダーとして着任し、いきなり「私の方針はこうですから明日から皆さん、従ってください」というスタイルでは、ついて来てもらうのは難しいと思います。

 リーダーとしての方針が決まったら、それを明確に、シンプルなコミュニケーションで伝えること。リーダーのやりたいことが部下や同僚、上司に伝わらなければ物事は動きません。ビジョンを掲げ、「それに向かってこういうことをやります」とはっきり伝えることが大切です。

 そして、やると決めたら自信と情熱を持ってやり遂げること。不安を抱えたままやると、うまくいくものもうまくいきません。一度決めたら「これが絶対に正しい道」と自分の判断を信じ、みんなと一緒にやり遂げる。こういうプロセスが大事だと思います。

 最後は「Be yourself」です。これは私自身が常に肝に銘じていることです。社員に対してもしょっちゅう言っています。

 「Be yourself」には幾つかの意味が込められています。

 第1に「Know yourself」。自分を知り、強みは何なのか、目指すべきビジョンは何なのか、こだわりは何なのかを理解しておくことです。

 第2に「Build yourself」。今の自分に納得するのではなく、昨日の自分よりも今日の自分、それよりも明日の自分と積み重ね大きくしていくこと。そのためには常に挑戦が必要です。新しいポジション、新しいビジネスを経験するチャンスが来たなら、貪欲に食らいついてほしい。

 最後は「Build confidence in yourself」。そういう色々な経験を通じて、自分に対する自信をつけていくことです。「自分であれ」というからには、「自分に自信を持て」ということです。不安で自信が得られないままメッセージを伝えても周囲には浸透しません。

 強みを把握し、やりたいことが明確になっていて、決めたからには自信を持ってそれを伝えられるという要素を兼ね備えてこそ、人の心を動かすことができるのだと思います。

 「Be yourself」とは日々、築き上げた1歩ずつのつながりです。私も今もなお経験を通じて学び、1歩を積み重ねています。長い旅路、自分に言い聞かせ、また社員に伝えているのは「Be yourself,move their heart and continue building」。この言葉を念頭に日々の仕事に向き合っています。




http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/280921/012800020/?P=1

リーダーは「自分らしさ・挑戦・自信」で勝負

第22回 日本GE 熊谷昭彦社長兼CEO(3)

慶応ビジネス・スクール 2016年2月15日(月)


これ、つくづく思います。というか、先日あるCEOと話していたんですが、その人に同じこといわれたんですよね。Be yourself, aim high, keep learningって。これ、ジャックウェルチの言葉ですね。10年前ぐらいのインタヴューで繰り返されていたのを覚えていたんですが、このCEOも元ウェルチさんの部下だそうなんですね。いやーこういうメッセージって、深く深く根付くんですねぇ。いやはや。影響力のある人のメッセージ力って凄い。自分自身になれ、というのはスティーブジョブスが、死の床で後継者のジムクックに言った言葉と同じですね。この歳になって、やっと「自分になる」というのがどういうことであるかわかってきた気がするので、最近ぐっと腹に落ちる感じで、この言葉を噛みしめています。ミクロの次元で最終的に最も大事なことは、自分自身であること、なんだと思います。そして「自分」であることは、とても難しいことなんだろうと思います。けれども、幸せな人生を生きようと思えば、最終的な答えはこれしかないんだろうと思います。ビジネスの世界だけのことじゃない。自分以外に自分を幸せにはできない。自分以外に自分を救済できない。自主独立というのはそうことなんだろうと思います。


Winning

2016-07-08

『花嫁は元男子。』 ちぃ著  結局は属性ではなく、その人の魂の問題なんだろうなぁ、身も蓋もないけど。

花嫁は元男子。

  

評価:★★★☆星3つ

(僕的主観:★★★☆3つ) 

『花嫁は元男子。』最近、なんだかこの手のエッセイ漫画が増えているような気がする。先日も『僕が私になるために』を読んだんですよね。あれ、でもそう考えると、女性が男性になったこういう体験記みたいのって見たことがない気がするなぁ。探してみよう。ちなみに、タイトルでわかる通り、ある男の子が女に子になって結婚するまでのお話です。物語としては特筆することもないし、実にあっさりしていて、正直何があるわけでもないお話です。。。。。


・・・・・ということに、読後まず驚きました。だって、性転換ですよ!それほどのことがあって、「正直に何があるわけでもないお話」という感じがするんです。ああ、リベラリズムって、現代日本はこんな風な社会になっているのだなぁ、としみじみしました。というのは、両親も兄弟もあっさり「納得だな」といってしまうし、反対したり反論することもなくて「あなたの幸せが一番」のような雰囲気になるんです。こんなに、こんなに障害がないものなの!?と、驚きました。もちろん、すべてがこうだとか、平均がこうだっとは言いません。けれども、個人的に、今の時代だと、こういう家庭や人々も決して少なくはないだろうって、自分でも実感します。僕が子供のころは、それこそあり得ない!という言うような強固の家父長主義というか、なんというかザ・道徳みたいな、わけのわからない大きな柱がまだまだあって息苦しかった気がするのですが、いまでもあるにせよ、それはもうメインとは言えないなーと感じるんです。自分自身が周りに家族に同じようなことがあっても、似たような反応するだろうなと思いますし。昔って、1980年代までの家族の崩壊って、山本直樹さんの『ありがとう』とか『式日』ああいう、アダルトチルドレンの極みみたいな、やり切れない、わかりあえなさがデフォルトだったはずなのに。。。

ありがとう 上 (ビッグコミックス ワイド版)

式日 [DVD]

・・・・・と感じていて、戦慄しました。おお、時代はこんなにも変わったのだか、と。僕らは正しい社会に生きているのだなぁと思います。人が、より自由に解放されていく社会。人が、役割に押し込められず、自分自身になれる社会に向かって、僕らは漸進的に進んでいる。自由主義(リベラリズム)が浸透していく様を、自分が生きている間に十分可視的に見ていける時代なんですね。なんと、素晴らしい。僕らはいい国に生きているし、世界的に先進国はほぼ共通の方向へ向かっている気がしますので、世界はとても変わっていっています。いや、別に、このちぃさんの直面した問題が小さくて、楽なものだったなんてことが言いたいわけじゃないんです。そりゃ、性別に違和感があったら、人生の大問題です。でもねぇ、なんというか、どんな問題も、結局は、それを受け入れる「自分」がどう受け入れて昇華していくかの、人格の力?とでもいいますかねぇ、そういうもので、左右されるんだって思うんですよ。もちろん物理的な現実の厳しさもあって、そんな「気持ちの持ちよう」ではどうにもならないことはたくさんありますが、そういうものは限りなくハードルが低くなっていく、なり行くのが、今の時代なんだろうと思います。マクロ的には、そんなに悪くない時代だと思うんですよ。


そしてもう一つ。


読後、実はすごく落ち込んだんです。


なんでかっていうと、このちぃちゃんという書き手、主人公が、あまりにかわいくて(笑)です。旦那さんが、口癖で「ちぃちゃんは、かわいいから」というのは、よくわかる気がします。どう考えても、この主人公、超かわいい。容姿は、漫画ではわかりませんが、たぶん間違いなくかわいいと思います。もうそういう雰囲気が溢れているもの(笑)。もう、元男子だとか、そういうことは、正直どうでもよくなってしまうくらいに。いやはや、この旦那さんがちいちゃんにべた惚れって、よくわかる気がします。これで、容姿もかわいかったら(たぶんかわいい)もうはなしたくない!って思うの、男としては、凄いわかりますもん。むしろ、他にとられないか心配になるほうが、強いと思う。


また特に、この主人公のちぃさんの恋愛履歴の話を見ると、学生時代から、女の子から告白されて男としても付き合っているし、たぶんゲイの男の子とも付き合っているし、はっきりいって、モテモテなんですよ。そして書き方のさらりとした感じからいって、この人は、これを非常に当たり前に感じていて、嫌みな自慢とか、そういう感じが全くない。いいかえれば、もうナチュラルボーンとして自分がもてて人に好かれるのが前提なん感じがするんですよね。実際、僕も男性として見ていて、この作中のちぃさんって、かわいいなーって、確かに感じますもん。たぶん、近くにいたら、惚れちゃうと思う。女の子として、めっちゃかわいい感じがする。これがマンガであり表現であるということをかなり差し引いても、魅力をとても感じる。こういうのって、その人の本質ってあふれ出てしまうもんなんです。文字何行のコメントでも、人格が腐った人は、すぐ腐臭がするものだし、わかってしまうもんなんですよねぇ。


なんで、これを見ていて落ち込んだのかっていうと、ああ、、、人間の格差ってのは、属性ではないんだ!!というのがまざまざと感じられるからなんですよ。いままでの話にすれば、ヲタクだからもてないとか、ブサメン、キモメンだからもてないとかは、全部属性のウソであって、ただのごまかしで、その人の「人格」とか「魂の本質」とか言い方は何でもいいけれども、「その人自身」のせいで、もてないだけなんですね。ようは、一言でいえば、人間的な魅力がないだけなんですよ。非モテの議論とかも、結局は「ここ」に落とし込まれるのが、いまのリベラルな時代なんです。属性のいいわけが、まったく成り立たない様を、感じるんです、この漫画を見ていると。


これ、実はすごい怖いことですよ。その人の「人格の本質」によって、すべてが決まるっていうんですから。これ、身も蓋もない格差の結論なんです。まだしも、ヲタクとか経済的に格差があるとか、物理的ないいわけがあったほうが、人は救われるってもんです。ウソによる誤魔化しができるんですから。


先日、リベラリズムが進み、中産階級が壊れている先進各国では、年齢の高い男性が、生きるのが凄まじく苦しいという話をしました。けどこれも、もちろん裕福さに左右される部分はあるにせよ、同じ話なんですね。移民だろうがマイノリティだろうが、現代社会は、動機があって、人間関係を作れて、人生を楽しむ力を持っている人が、優遇されるし機会を得るだけなんです。なんで俺が仕事失うのか!!とかいう議論の答えは、「お前が能力がない、無能だ、努力をしていない」に尽きるんですね。それが自由主義であり、機会の平等の理想だから。


このブログのここ数年のテーマの一つは、


どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか?という問いからちょっと考えてみる

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150424/p1


これだったんですが、これって非モテの議論とかネオリベラリズムだぁ!(ようは経済格差や植民地格差の話につながるんですね、この言説は)とかそういう話とつながっていたんですが、この地球の現代史を見ていると、マクロ的には、漸進的でい行ったり戻ったりしながらですが、少しづつ前に進んでいて、もう文句ない時代なんです。この話は、たぶん、ずっとガンダムサーガの話を追っている中で、書いてきたことですよね。人類の未来はどうなるか?。でも、基本的に、そんなに悪くないメカニズムで世界は展開していると思うのです。そんななんでも完璧に結果の平等がある社会なんて、ディストピアだし。いろいろ問題は、物凄くあるんですが、地球規模のメカニズムは、僕は決して悪いほうではないと思います。


そうすると、最終的には、ミクロの問題になるんですね。ミクロの問題って、その人の人格が、魂がどう世界を受け取るか?って話。人間関係の話になる。うう、、、この話って、昔のSFですべて書かれていた気がする。栗本薫さんの『レダ』で書かれていたディストピアですね。そこでは、物理的な格差がすべてなくなって、容姿すら好きなように変えられる社会。しかも社会に経済格差存在しません。まずなんといっても、デザイナーズベイビーなので、生まれる前からできる限りの差異をなくすように社会が設計されている。でもその社会の中でも、ビューティフルピープルといわれる社会的に羨望を浴びる人格の強い人間が出てくるんですね。。。。とこの先は、ぜひともその小説を読んでほしいですが、、、



いやはや、ちぃちゃんが、かわいすぎて、こんなに落ち込むとは思いませんでした。いやー結局は、その人自身に魅力があるかどうか?って議論になると、身も蓋もねぇなって思います。だって、ダメな人は、どうあがいてもだめってことなんだもん、救いようもなければ、救われることもないってことじゃないですか。。。。


僕が私になるために (モーニング KC)


海燕さんにこの漫画をすすめたら、全く同じ反応をしていたんで、誰が読んでもそう思うんだろうなーって、思いましたよ。



非モテを「属性」のせいにはできない。

http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga?page=3

弱いなら弱いままで。

結局のところ、問題は本人に帰せられることになるんじゃないかなあ。

 いや、しょせん何もかも本人のせいだとか責任だということではなくて、問題の根っこを他者に求めることは無理があるのではないかということなのですけれど。

 永田カビさんもカザマアヤミさんも、それぞれ不器用な人だと思うのだけれど、なんというか「幸福への嗅覚」のようなものが違う。

 それは同性愛と異性愛の違いといったものでは全然なくて、もっと個人の本質的な格差です。

 これって、辛いですよね。自分の不幸を親なり友達なり上司なり恋人なり、だれかのせいにできるようならまだ救われるわけで、「結局は自分の問題だ」となってしまうと、ほんとうに救いようがない話になる。

 でも、リベラリズムが行き着いた社会における最後の問題とはそれだと思うのですよ。

 完全に平等な立場に置かれても、幸せになれない人はなれないということ。

 リベラルな思想が浸透して、「立場」の格差がなくなっていけばいくほど、「個人」の間の格差が際立っていくというこの矛盾。

 ぼくはそれを「魂の格差」と呼んだりしますが、どうすればその格差を埋めることができるのでしょうね……。

 ぼくにはわかりません。わかる人がいれば教えてほしい。ひとはどうすれば幸せになれるのでしょう? それが大きな謎なのです。


個人の立場が平等になればなるほど、幸福になる才能の格差があきらかになる。

http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar1060461

弱いなら弱いままで。

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ


海燕さんのカザマアヤミさんと永田カビの比較も凄いわかる。どっちも、人生こじらせている人ですが(笑)、幸せになる嗅覚というか、そういうもの、、、本当にちょっとした差で、際限なく格差がついていくんです。そしてそのちょっとした差が、人格の差なんですよねぇ。別に、ヲタクだろうが何だろうが関係ないですよね。

2016-07-05

アメリカは、どちらを選ぶんだろうか?


正直言って、もうなんか慣れちゃうというか、、、、なんかおかしいんだよね。なんで、そんな機関銃みたいな銃を個人が普通に買えるのかって、銃の伝統があっても、そんなのさすがにいらないじゃないかって思うんだよね。時々銃を撃ちに行ってみてるんだけど、拳銃レベルとかだと、ほとんど当たらないんだよね。よほどのプロじゃないと。せめて、その辺で手を撃てばいいじゃないかと思うんだけど、、、これに限っては、もう本当にわけわかんない。市民が権力に抵抗できるという権利の確保は、わからないでもない、、、と思うんだけど、、、にしてもな、これはひどすぎる。


でもこの事件は、セキュリティーを焦点にしているトランプさんに有利なように見えるけれども、わからないな、と思う。これによって米国内のマイノリティの結束が凄く強くなる感じがするし、いまの米国はマイノリティを束ね切ったほうが、強い時代なのだ。特にヒラリーさんは、もともと一貫して強く銃規制に反対している人なので、サンダースさんの理想主義に揺れていた若者なんかは、ここの部分には共感できるんじゃないかなぁと思う。


Orlando shooting: The deadly legacy of the AR-15 rifle

A look at the AR-15 rifle used in three recent mass shootings, including the Orlando massacre which killed 50.

Yarno Ritzen | 13 Jun 2016 14:37 GMT | Orlando shooting, US & Canada

http://www.aljazeera.com/indepth/interactive/2016/06/deadly-legacy-ar-15-assault-rifle-mass-shootings-160613113536611.html


http://abcnews.go.com/US/photos/world-mourns-orlando-39815455/image-39845081


フロリダ銃乱射事件を巡る4つの疑問点

http://jp.wsj.com/articles/SB11715478495720544299904582127590687104000


これは、クリントン・トランプ両氏がこのテロの時代における他のどの大統領候補者よりもこの問題に対してまるで対照的な考え方を持っていることを反映している。オーランドの事件を受けた最初の反応にもその違いは明白に表れていた。

 トランプ氏はイスラム過激派の脅威や海外のルーツについて特に知識を提供していないが、まったく新しい態度を取っている。同氏は12日、オーランドの事件にどれほどイスラム過激思想が関与しているかなどの細かい要素をすべて無視して、「米国はタフさが足りない、対応が必要だ」と訴え、一気に行動を起こす段階に移した。多くの米国民が心の中に封じ込めている叫びを代わりにツイッターに書き込むのが同氏のやり方だ。

 一方、クリントン氏は米国民が従来から大統領に求めてきた冷静な対応を見せた。被害者や攻撃の対象となった同性愛者に対して共感を示し、米国はイスラム過激派との長い戦いに勝つには「支持者とパートナー」、そして報道担当官の言葉を借りれば「国内外でISと戦う包括的な計画」が必要だと訴えた。

 従って、大統領選は「包括的な計画」を掲げる候補者と「ISに爆弾を落としまくる」ことを主張する候補者の対立となっている。選挙は選択の場であり、今回の大統領選はまさにそうだ。


フロリダ銃乱射、コストと政治的影響いずれも甚大

http://jp.wsj.com/articles/SB11715478495720544299904582127471514039902

人生リセットを望むのか? それほど男の子として生きるのはつらいのか?

内閣府男女共同参画局の『平成26年版 男女共同参画白書』では、男性の置かれた状況について「男性は、建設業や製造業等の従来の主力産業を中心に就業者が減少し、平均所定内給与額も減少しているが、労働力率では世界最高水準となっている」との指摘がなされている。平たく言えば、これまで多くの男性が雇用されてきた職場は失われつつあり、給与も減る一方であるが、それでもほとんどすべての男性は働き続けているということになる。男性の生き方を変えていこうという気運は、過労死が社会問題になった1980年代後半やリストラに注目が集まった2000年前後にも高まったが、「男性は仕事中心の生活をするべき」という強固な「常識」の前に、その勢いは長く続かなかった。進んでも退いても出口が見つからなくなりつつある現在。自覚しようとしまいと、男性の生き方の見直しは、すべての男性が当事者として考えなければならない問題になっている。


これを見ていて、とても感じたことがある。それは、先進国における極右と極左の台頭の原因だ。原因が何かといえば、もう有名というかみんなわかっていることだが、中産階級の崩壊だ。先進国共通のもので、それぞれの特殊要因や歴史の積み重ねは違うかもしれないが、おおむね近代国家においては同じものだ。中産階級の崩壊って、どういうことなのか、ずっといろいろな本で読んで、予測もしてわかっていたことが、実際に起きてみると、具体的になると、まだまだ実感としてわかっていなかったんだなーとびっくりする。それは、社会の権力を握り家父長的な特権のポジションを得ていた、既得権益を持っていたはずの中年の男性が、すべてを奪われていくことがその軸にあるんだな、とわかってきかたらだ。近代国家は、マイノリティや女性などの、それまで既得権益を持たない人々が権利と自由を獲得していくリベラリズムの流れで大きく展開している。でもこれもいいかえれば、既得権益を持っていた男性が、どんどんその既得権益を奪われて解体されていく過程という風に言変えることができるわけだ。アメリカだと、これがはっきりと、中間から低所得の白人男性と規定できるために、これらのリアクションもはっきりと目に見える。特に、リベラリズムの担い手が、女性やマイノリティなどの権利を得る人だけではなく、奪われる男性側からしても、もしその男性が高所得の裕福な人の場合は、積極的に、この自己の既得権益の解体と剥奪に手を貸すんですよね。それはなぜか???って単純なんですよね、豊かだから余裕があるだけなんですよ。ようは、自分が貧乏だったら、人のことなんかにかまっていられないという単純なことなんですよね。ああ、そうか、、、、と僕は思います。この世界には、絶対に経済成長が必要なんだ!と。経済が停滞するということは、権利が広がり解放されていくリベラリズムが、逆回転して、権利の奪い合いになってしまうんだって。そんなに人は優しいわけじゃない。だから、豊かにならないといけないんだ、としみじみ思います。あと、これほど明確に、男性にとって、特に経済的に豊かではない、能力のない、やりたいことのない、何でも言い方はいいですが、幸せに生きていない男性にとって、社会のリベラリズムが拡大していくことは、奪われるだけの地獄なんだってことも、具体的に見えてきて、、、、世界は難しいなぁ、と思いました。