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物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2018-06-13

サークル「物語三昧」3日目 (日曜日) 東地区『 “ト”ブロック−58b 』

2018-06-12

『世界にひとつのプレイブック』2012 USA(Silver Linings Playbook) デヴィッド・O・ラッセル監督  見ていて痛くなる映画なのだが、ラストがぶっ飛ぶほどのハッピーエンド

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客観評価:★★★★4つ

(僕的主観:★★★★4つ)

どんな映画か?と言ったら、シャルウィダンスみたいな話、と喝破していた町山智浩さんに一票!。ちなみに、コメディーには全く思えない(苦笑)。崩壊寸前の家庭、崩壊しちゃった家庭、人生のオンパレード。それでもやり直せるというラブロマンスとしてとらえるといいと思う。ラブロマンスとしては、背景の二人が病みまくりなので、その反動もあってラストが、うわーって感じの気持ちよさ。救われることもある、と思うと泣けてくるお話。


これは37歳の元歴史教師の視点Bradley Cooper(パットリック・ソリターノ・ジュニア)で始まります。彼は、どうも精神を病んでいるようで、一度キレ始めると、自分を制御することができない。それで精神病院に入れられているんですね。彼がいかに、メンタル的におかしくなっているかということを、最初のシーンから延々と流されます。そうなったきっかけは、パットが家に帰ってくると、奥さんがシャワールームで「マイ・シェリー・アモール」を流しながら、自分の同僚と浮気しているのを発見してしまって、それで相手を半殺しにして、警察に捕まって精神病院にい送り込まれたんですね。何とか出てくるのですが、精神科医とのカウンセリングで、俺はキレてない!(直前のシーンでキレまくり)とうそを言う日常が続き、もう、この種事項のパットの日常は、ほとんど終わっているんだなーという残念感が漂います。そんな彼を支える唯一のことは、浮気して出ていった元奥さんとのよりを戻すことなんです。彼女とよりを戻すことは、深い愛を重ねてきた自分たち夫婦にとって、正しく、素晴らしく、高み (Excelsior) に上ることなんだ!と叫び、熱に浮かされるように両親い説明するシーンは、もうほとんどストーカー。現実認識が全くできなくなっている残念で、危うい人なんだ、としみじみ、思ってしまいます。ちなみに、そんな彼が、あるきっかけで、さらに同じように心を読んで壊れているカットニスじゃなかったジェニファー・ローレンス(ティファニー・マクスウェル)と一緒にダンスの大会に出場して、いろんな問題を解決する!という(おおざっぱすぎる)物語です。

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■見るべきポイント1

ジェニファー・ローレンス(Jennifer Lawrence/撮影当時21歳)の演技力ですね。2018年の時点でまだ27歳。けれども、素晴らしいキャリアですよね。彼女の出世作は、2010年の『Winter's Bone』。アメリカ中西部のミズーリ州オザーク高原を舞台に、「ヒルビリー(丘のスコットランド人)」の古い因習に縛られた世界の中で生きる少女の役を演じて批評家に絶賛されました。そして、2012年の『ハンガー・ゲーム』でカットニス・エヴァディーン役でブレイクしました。日本でははあまり売れなかったし話題にならなかったようですが、『The Hunger Games』(2008)は、アメリカの作家スーザン・コリンズによるヤングアダルト小説(アメリカでいうジュヴナイルもしくはライトノベル)で大人気の作品で、これで人気が深く浸透した気がします。ちなみに、面白いなと思ったのは、両方の作品とも、アメリカのド田舎から出てくる、もしくはそこの少女という設定なんですね。米国ケンタッキーのルイビル(英語: Louisville)で育ったというのですが、僕はあまりわかっていないんですが、典型的な米国の田舎の、少しあか抜けないんだけど、素材はいい感じの朴訥な女の子的なイメージがあります。彼女の演技力には定評があり、この渋めの作品においても、明らかに支店的には主軸で偏っているパット(Bradley Cooper)の視点で語られるはずのこの脚本においても、途中から遅れて登場する感じなのに出てきた途端、周りの雰囲気をガラッと変える存在感を放ちます。僕は演技自体には詳しくないのですが、それでも彼女の存在感は、確かに、と唸ります。決して、美人じゃない(というのは僕の好みですが(笑))と思うのですが、とても魅力的な空気を振りまく見事な女優です。まだとても若いのに。これからも名作に出ていくと思うので、彼女の初期のこれらの作品を注目しておくのは、価値があるかもと思います。ちなみに、ジェニファー・ローレンスは、オーディションを受けに来たのですが、当時21歳と若く、そもそもその役をさせると森をなかったので形式的なものだったのですが、監督のDavid O. Russellは、「彼女は自然児で別格だ、圧倒された」と評価を一変させて抜擢。その後、アカデミー主演女優賞を受賞するわけですから、監督の目利きはさすがだったということでしょうね。

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ちなみに、キレまくりのジェニファー・ローレンスの役は、まさにヤンデレみたいなところであって、こうした病んだカップルの話が、受けるというのも、ウーム、世の中病んでいるなーとも思う。


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■見るべきポイント2

大げんかしていたパットとティファニーなんだけど、たまたま「マイ・シェリー・アモール」が流れてパットが切れ始めたら、さっと態度を翻して、ティファニーがやさしくなるんですよ。これ、傷ついている人の気持ちがわかる人の行動だよなーとしみじみした。ジェニファー・ローレンスの演技が素晴らしい。しかし同時に、この作品で、ちょっと違和感あるのは、結局は、すべての大本の問題点は、パットの奥さんの浮気なんだけど、それについての理由や原因が説明されていないので、凄い違和感がある。だって、理由がなければ、どう考えても浮気した奥さんが悪いとしか見えないのに、そんな奥さんが好きで好きでたまらないパットの変質さは、???となってしまう。もちろん、浮気相手を半殺しにまでしたのはやりすぎとはいえ、いくらなんでも、情状酌量の余地はあるんじゃないの?と思うのだが。社会的制裁が、パットに集中して(裁判所より近接禁止命令が出てたり)いるのは、なんだか不思議な感じがする。個々の背景が僕には読み解けなかった。


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■フィラデルフィア・イーグルス (英語: Philadelphia Eagles、略称: PHI)の意味は?

この作品を見ると、パットもたいがい心を病んでいるのですが、ロバート・デ・ニーロ(パトリツィオ・ソリターノ・シニア)の役どころもかなり心を病んでいると思うのです。彼の父親ですね。まぁ、息子がなんで心を病んだのかの理由は、描かれていないのですが、、、もちろん最愛の妻の浮気ということもあるのでしょうが、あんなキレやすくて、妄想にとらわれるには、その背景がないとおかしいですよね。でも、実際は特にないんです。これが平均的にアメリカの中流家庭なんだ、という監督というか脚本家のDavid O. Russellの世界観ってこうなの?と驚きました。みんなだれもかれも病むのが普通で、特に理由もない日常だというのは、うーむなかなか救いがないというかクールな世界観だと思う。逆に言うと、それを日常として受け入れているのが現代のアメリカなのかもなとも思う。パットの父親なのだが、最近失業したらしく、アメフトのノミ屋をやってしのいでいる?(いやむしろどんどん負けてお金を失っている)のだが、一発逆転をのみ屋で狙って、チーズステーキ店の開店資金を稼ごうとしている・・・・と、もう結構絶望的。ちなみに、Philadelphia Eaglesというのはローカルな東海岸のNFLのチームで、なんというか、阪神?広島?ヤクルト?野球は、よくわからないが、熱狂的な地元のファンはいるけど、なんというか肝心なところで勝てない、浮き沈みの激しい残念チームなんです。そんなチームにかけるという時点で、もうかなり終わっている(苦笑)感じなんですが、そうした軌跡に一発逆転にかけざるを得ないほど、みんな生きず待っています!というのが背景設定なんでしょうね。とはいえ、2018年の今年の第52回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツを41-33で破り、チーム史上初のスーパーボウルチャンピオンとなったので、いったい何があるかわからん!という感じがします。僕はあまりよく知らなかったのですが、今年、東海岸出身の連中が、興奮して叫んでた意味が、この作品を見て、いろいろ聞いてみてやっとわかりました。これは長年のファンにとっては、そりゃー快挙だわな。


この作品背景には、パットも、パットのパパも、ティファニーも、偶然の不幸に出会ったときに、ほとんど立ち直れなくて人生が迷走するさまが描かれており、脚本監督の世界観が、人間壊れたまんまで、壊れた関係を取り結んで生きているのが普通なんだよね、という諦念を感じて、そこがある意味コメディのような癒しの感覚を作品全体を覆うことになった気がする。


ちなみに、Philadelphia Eaglesの優勝には後日談があって、トランプがいるような、とか、黒人が殺されているのを座視しているアメリカ政府の国旗には敬意を払えないとするような国旗掲揚をめぐる問題があって、それについて切れたトランプ大統領が、定番のホワイトハウスへの正体をキャンセルしちゃったと、話題になったりしています。ちなみに、2017年もゴールデンステイト・ウォリアーズがホワイトハウス表敬訪問を、トランプ大統領にキャンセルされていますね。これ、最近のホットの話題です。


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Trump cancels Philadelphia Eagles visit to the White House

Sophie Tatum

By Sophie Tatum

Updated 11:04 PM ET, Mon June 4, 2018

https://www.cnn.com/2018/06/04/politics/trump-eagles-nfl/index.html


http://www.nba.com/warriors/news/statement-20170923

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2018-06-06

『ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン』 迫井政行監督 時雨沢恵一原作 コンプレックスから逃げ出して、逃げ出した先で成長して、というのは成長物語の王道ですよね。

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客観評価:★★★★4つ

(僕的主観:★★★★4つ)

ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン、けっこうはまってみています。スピンアウト作品は、どうしてもオリジナルと比較ししまいがちですが、全く別の作品と考えていいんじゃないかな、と思います。世界観はシェアードワールドになっていますが、全く違う作品だと思うべきで、また僕的な評価でスピンオフで設定や世界観がシェアされていながら、異なる作品に見えるものは、たいていいい作品が多いと思います。時間的には、第3回BoB(バレット・オブバレッツ)後で、キリトとシノンの共闘を見たガンマニアの小説家(時雨沢恵一さん)が自分のお金を出すとスポンサーシップを名乗り出て、チーム戦の「スクワッド・ジャム」が始まったというのが背景の設定です。ちなみに、現実でも、ガンマニアの時雨沢恵一さんが、設定を気に入ってこのスピンオフ作品を書いたというのなど、背景はほとんど同じ構造ですね。こういう粋というか、気合でなされた作品は、素晴らしいですよね、こだわりを随所に感じて熱意に支えられていて、とても楽しいですよね。世界観は、ソードアート・オンラインの第2期「ファントム・バレット編」を見ていると、共有されているものなので、わかりやすくなると思いますが、まぁ見ても見なくてもどっちでもいいと思います。ちなみに、最近ネットフリックスやアマゾンプライムで、アニメを一気に見るとことが多いのですが、たくさんの選択肢があると、第一話だけで(最初の10分だけで)もうこれが駄作なのか、そうでないのかってかなりはっきりわかってしまいますよね。それで決めつけるのは、そういう早すぎる見切りは、あまりよくないとしても、見続けてもしんどいものと、思わずやめられなくて深夜や朝になってしまうような、止められないテンポを持つものもたくさんあります。少なくとも、SAOという大傑作と何の関係もなくとも、このアニメは、物語は、素晴らしく面白いので、超おすすめです。

ソードアート・オンライン 第2期「ファントム・バレット編」 コンプリート DVD-BOX (全14話, 350分)[Import]

小比類巻香蓮(こひるいまきかれん)という180センチを超える身長の女子大生が、自分の身長に悩んでいて、なかなか自分に自信が持てなくて、北海道から東京に出てきても友達もできなくて、そこで何かを変えたくてゲームの世界にチャレンジます。そこで、彼女は、レン(Llenn)という小さくてかわいらしい女の子になって、ゲームの世界で、あまたいるプレイヤーたちを狩る殺戮者、プレイヤーキラーになります(笑)。コンプレックスから逃げ出して、逃げ出した先で成長して、というのは成長物語の王道ですよね。見ていて、ストレートにはいれるシンプルなストーリーで、重火器もマニアックなんだけど、マニアックさにおぼれていないので、僕のような、さっぱりの素人でも、見てて気持ちよくテンポが進む。これ、脚本がそもそもいいですね。小説のオリジナルも読んでみたくなりました。重さは違うものの、これファントム・バレット編のシノンの動機とほぼ同じですね。現実世界で満たされない、居場所がないと感じるときに、オルタナティブな選択肢を探して「今とは全然違う世界」で「全然違う自分になる」。これはさまざまに料理ができる動機の物語類型で、とても汎用性が高いですね。成長物語にもできるし、逃げ出した先でさらにひどいことになる悲劇や告発型の物語にもできるし、いろいろ考えようがある。

ゲームウォーズ(上) (SB文庫)

こうした動機は万国時代を問わない人間の原初的欲望ですが、それをゲームの世界という異世界で人生をやり直すというのは、いかにも日本的な発想ですよね。転送だとなろう系の小説とかで『無職転生 〜異世界行ったら本気だす』とか『本好きの下剋上 〜司書になるためには手段を選んでいられません〜』とか思い出しますねぇ。

無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)

もちろん、アメリカにもスピルバーグ監督の『レディ・プレイヤー1』(原題: Ready Player One)のアーネスト・クラインの小説『ゲームウォーズ』という原作とか、いろいろありますが、ゲームの世界に入り込む、出てこれなくてデスゲームのバトルロワイヤルによる脱出劇、状況によっては転生ですでに現実世界にも出れないなどのテイストは、日本のサブカルチャーに蓄積されている感性ですよね。この辺は、たくさん読み込んで各国比較と化すると面白そうな気がします。僕はほとんどゲームはしませんが、アメリカでの子供では「PLAYERUNKNOWN’S BATTLEGROUNDS」とかにドはまりしているケースが多いですね。だから、ガンゲイル・オンラインのほうが、何となく日本よりも、グローバルな感じがします。うーやってみたいけど、さすがにゲームをする時間まではない。。。


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それにしても、SAOの持つ物語世界のインフラストラクチャーの深さと広さを思い知る感じです。本編だけでも、超大河ドラマ的な作品なのに、スピンオフ系も、どれもすごくよくて、いやーほんと素晴らしい。

僕はガンマニアではないんですが、こういうの見ているとドキドキしちゃいますよね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/FN_P90


たしかに、Pちゃん、かわいいかも、、、。


ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンラインI ―スクワッド・ジャム― (電撃文庫)

ちなみに最近気づいたのですが、比村奇石さんの漫画版7巻で終わりなんですね。残念。彼の漫画、とても好きだったのに。僕の中ではスピンオフ系では比村奇石さんの『ソードアート・オンライン プログレッシブ』と冬川基さんの『とある科学の超電磁砲』は、めっちゃ好きで追っていたのでほんとうに残念。

ソードアート・オンライン プログレッシブ7 (電撃コミックスNEXT)

2018-06-01

寿命が長くなるにしたがって、もしかしていままでその年齢であたりまえだったことが、だいぶ変わっているんじゃないかな?

アラサーだけど、初恋です。 (デジタル版ガンガンコミックスpixiv)

『アラサーだけど、初恋です。』を読んだんです。めっちゃよかった!。・・・・・んだけど、記事を書こうとしても、よかった!以外余り思い浮かばない。批評的に引っかかるというか、何が「他とは違う伝えるべきポイント」なのかが、余り思い浮かばないんですよね。えっとどういうかというと、要は普通のラブコメ以外の要素がないんですよ。唯一、ポイントがあるとすれば、まさにタイトルで、アラサー30歳にもなって恋をしたことがない人が恋をした、というポイント。たぶん主人公とヒロインは、童貞で、処女ですね!。けど、、、、うーん、、、それも、なんか本当に新しいというか、新規なことなのか?と思っちゃうんですよ。コメディというのは、落差がポイントになるもので、30歳なんて当然のごとく彼女もいてHな経験もあって!という強いコモンセンスがあって、初めて、「そうではない」ということとの落差がコメディーになる。けど、僕は読んでいて、30歳の男の子が、ヒロインは28歳ですが、彼女が仮に35くらいであったとしても、童貞と処女で、恋をしたことも付き合ったことがなくても、、、えっ、それって、今時、よくあるんじゃない?という気がすごくしてしまうんです。うーん、、、なんか、たしかに、ほんの5−10年ぐらい前までは、それはカッコ悪いこととか、そんな年齢にもなって恋愛経験もないなんて!というような世間の圧力があった気がするんですが、いまはもうほとんどない気がしませんか?。。ものすごく感覚的なことなんですが、僕は、30代まで恋愛経験がないことが、何かのハンデになったり、人として成熟していないとは、もう思わなくなってきています。「思わなく」ではなくて、「感じなくなってきている」ですね。だから、あまりコメディーとして機能していない気がします。


でも、おもしろかった!んですよ。まぁ、絵柄が好みというのもあるし、主人公とヒロインの性格が、とっても初々しくて好きだったとかなんですが・・・・でもね、、、ちょっと振り返ったんです。僕、この系統の漫画すごく好きで探して読んでいるんですよね。『ヲタクに恋は難しい』とかも、凄く好きなんです。。。。でも、僕って、子供が3人いる、40代真ん中の、おっさんですよ、、、、何そんな青臭いこと、楽しめちゃうの?って、自分で、????って気持ちになります。実は、5年ぐらい前までは、ちょっと、忸怩たる思いがありました。「忸怩」というのは、ようはね、組織で偉くなって、人の上になって、年齢も高くなって、人の親になって、、、、というような「いい年したおっさん」が、こういう恋愛初めての青臭い中学生の感じるような物語が好きとか、なんて幼稚なやつなんだろう自分って、、、、Mぁ、僕は漫画とか好きなのは誇りなので、少しそう思っても、却下するんですが。。。。。でも、まぁ5年ぐらい?2000年代の初めぐらいまでは、それでも、「年齢や役職にふさわしく」なきゃなーという思いが片隅にありました。いいかえれば、40歳にもなったいい大人が、感じるようなじじむさいことが、できないとダメだって、「あるべき姿」があったわけです。・・・・・けど、いま、そういうの全くないんですね。いったい、この5年ぐらいに何が変わったんだろう?。


ちなみに、僕はいまアメリカに住んでいますが、よく言われるのが、昔の年齢と今の年齢は違う。今の人は、昔の年齢の10歳マイナスで見るとちょうどいい、というやつです。時には20歳近い差がある、と。


どういうことかというと、たとえば僕は今40歳だとすると、マイナス10歳−20歳で、感受性的には、言い換えれば精神年齢、肉体年齢的には、昔の20−30歳と見るとちょうどいいというのです。僕は、頭の中ではそうだなーと思っていたんですが、いまいち実感がなかったんですが、、、さっきこの漫画を読んでいて、もしかして!!!と思いました。というのは、もしかして、リンダグラットン教授が言うようにこれからの先進国の平均寿命が100歳になるとすれば、これまで、戦後う時代は織田信長の50年とか、昔ならば60年とか、そういった時代で遂げなければならなかった成熟が、少なくとも平均寿命の80歳に伸び、今まさに100歳まで延ばされようとしているのではないか?ということです。


だとすると、この主人公が34歳でも、マイナス10−20歳ならば、14−24歳のレンジではないですか!だとすれば、恋なんかしたことなくても、全然おかしくない。もしかして、そういうことなのか!?と思いました。ちなみに、生物用語では、幼生の外見のままで性的に成熟する、つまり子孫を作る能力を持つ現象を幼形成熟、ネオテニーといいます。性的に成熟する(=肉体的成長)のと、精神的に成熟するのが、人間的に成熟するのが、昔と比率が変わってきているのではないか!!!と(笑)。


『ヲタクに恋は難しい』なんかも、何が面白いかよくわからないけど、好きだったんですよ。だって、これも、要はラブコメじゃないですか。ヲタクとか、社会人とか、年齢が上がったとかの要素の落差のコメディーは、ほとんど機能していない気がするんですよねー。ただ単に、普通の学園ラブコメを、別の舞台で見ているだけ。でも、そういうふつーのものが、これまでの常識でマーケットの需要はあるのに、出なかっただけ、、、、だったんじゃあ!!!とか。だからこそ、むしろ特に濃くない、落差を強調しない、普通の作品を、その舞台で描く、特に差異を際立たせないフツーの作品のほうこそが需要があるのではないか!!!と。


いや、まぁそんな小難しいことばかり考えて読んでいるわけじゃないんですけど、、、、。


ヲタクに恋は難しい (1)


人生、100年の時代ですよ。全く違う感受性の時代が来ているんじゃーねーかなー。


LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

2018-05-30

フォレストガンプと大統領の執事の涙を同時に見よう!

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先日、町山智浩さんの映画塾を聞いていて、フォレストガンプの評価がとても興味深かったので、お勧めです。フォレストガンプのモヤモヤしていたところが、すべて取り払われたような気がして、とても面白かった。



1950年代:順応主義・コンフォーミズムの時代


1960−70年代:カウンターカルチャーの変革期


1980年代:レーガノミクスに代表される保守派の巻き返し




こんな風にアメリカはとらえられるのですが、ロバート・ゼメキス監督は、バック・トゥ・ザ・フューチャーで1980年代の壊れた家族を修正するには、1950年代に帰れという物語を描きます。

これが、80年代のレーガノミクスの思想と親和性が高く、プロパガンダにも使われた

ゼメキス監督は、60−70年代の価値評価が空白だったのだが、それを、フォレストガンプで明確に示した

カンターカルチャーの体現者のジェニーが、どんどん不幸になって、貧乏になり、最後に病気で死ぬのは、カウンターカルチャーが、米国を悪くした元凶であったという思想的表現

本来あるべき、キング牧師らの公民権運動が全く描かれていない


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このあたりは、なるほどと唸りました。というのは、本当にすっぽり公民権運動のキング牧師の話が抜け落ちていて、この価値選択を描かなければ、その後の米国社会がどう変化したかが描けないからです。それを無視したかった、もしくは悪いものとして否定している、というのは、明らかに自覚的ですね。たしかに。


しかし、町山さんも唸っているのは、思想的には極論の映画だとしても、物語として、映画としては、素晴らしい出来なんですね、さすがのゼメキス監督。こういうことは、よくある。町山さんがよく上げる『国民の創生』『アポカリプス』なんか典型的です。


フォレストガンプは、60−70年代のカウンターカルチャーが、新しいアメリカを作るために、規制の保守的な価値を破壊して解体した運動であるのは間違いありません。そして、その解体の悪い部分がたくさん出たために、保守派の巻き返しがあったのも、サイレントマジョリティなどに代表される、そこに参加しなかった人々の叛旗が翻されたのが、この時代でもあり、その視点を中心に再構成しなおすというのは、まぁ、ありうるものだと思うんですよ。


では、これに対してどうすればいいのか?というと、もちろん批評家などの人が声を上げるのも、重要ですが、より重要なのは、僕は物語には物語、だと思うのです。


なので、明確にフォレストガンプで描かれなかったものを、すべて描いたという『大統領の執事の涙』は、見事な返歌というかアンサーになっていて、これはいいなと唸ります。


これは双子のようなもので、同時に見見るべき物語だともいます。どちらも視聴後の感触が素晴らしくよく、わかりやすく、しかも米国の現代史を一覧できて、素晴らしいので、ぜひセットで見ることをお勧めします。ちなみに、町山さんの説明も聞くと、より深く楽しめます。


ちなみに、さらにいうと、フォレストガンプは、60−70年代の旧来の価値解体に関して、80年代が過去に戻って保守的価値を再構成すべきという文脈で物語が描かれています。80年代以降が、リベラルな価値で、人々の古いタイプの絆や家族などがずたずたに壊されて、その負の側面が噴出した時代だからです。


同時に、90−2010年代の現代は、いったん解体されて崩壊した絆や家族の在り方が、60−70代的なリベラルな価値観をベースに置いたうえで再度作り直されている時期のものになります。なので、大統領の執事の涙では、ただ壊すだけだったカウンターカルチャーの担い手たちが、長い時をかけて、絆やコミュニティの再生に向けて努力しているさまが意識されています。その果てのオバマ大統領の登場なわけです。


そして、、、、その次の時代は、トランプ大統領の登場です。



アメリカというのが、定期的に極端な価値の振り子をしているさまがよくわかりますね。ちなみに、凄く単純化していうと、フォレストガンプと大統領の執事の涙は、共和党と民主党、保守派とリベラルの視点から世界を眺めると、どうなるかって感じですね。もちろんそうは単純ではないですが、差の「大きさ」がどれくらいかは、これを同時に見るとすごくよくわかると思います。




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2018-05-23

『グローリー/明日への行進』(原題: Selma・2014)Ava Marie DuVernay監督  偉人すぎるキング牧師の実像に踏み込み、米国の今を告発する作品

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客観評価:★★★★★5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)


■見るべきポイント-1〜ジム・クロウ法の具体的な運営方法

まず最初のシーンに、強いセンスオブワンダーを感じた。というのは、ある黒人の女性が正装して、強い意志をもって、公的機関の窓口に出向き、延々と、アメリカに関する問答のやり取りをするところからこの物語ははじまる。最初はアメリカに関する基本的な質問だが、それらの勉強すれば答えることはできる質問(それだってかなり難しい)から、どんどん、いくらなんでもそんなことは答えるのが不可能な細かい質問が繰り返され、ついには答えることができなくて、その問答が終わる。


これは何を描いているかというと、南部の黒人人種差別を構造化するために作られたジム・クロウ法の具体的な運営方法を描いたものだ。


というのは、通常の知識を持っていれば、19世紀にアメリカで黒人が人種差別されているのは、おかしいと感じるはずだ。なぜならば、アメリカ合衆国第16代大統領 エイブラハム・リンカーンが、1852年に奴隷解放宣言を出し、その後、アメリカ合衆国憲法修正第13条が成立し、黒人の差別はなくなったはずだし、黒人に投票権があるはずだから。この戦いを描いたのが、Steven Spielberg監督の『リンカーン』だった。また、南北戦争を戦った黒人部隊第54マサチューセッツ志願歩兵連隊を描いた、『グローリー』(Glory)1989年などが映画で思い出されます。

『リンカーン(Lincoln 2012 米国)』  Steven Spielberg監督 アメリカにおいて憲法修正はどのようになされたのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130520/p1

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憲法と法律ではっきり違法になっているにもかかわらず、この後、ジム・クロウ法(Jim Crow laws)は、1876年から1964年にかけて有色人種の隔離政策が南部では継続しています。実に、公民権運動後、アメリカ合衆国連邦軍による強制介入があるまで、南部が自己の意思でこれを改めることはありませんでした。これ、とても違和感あるんですよね。リンカーンが解放したんじゃなかったのか?、法律に命令できる憲法が制定されているのに、なぜそれに明らかに反する法律が施行、実施され続けていたのか。そして、さらにうと、かりにこうした黒人の平等や投票権が「建前」でしかないにしても、どのようにその建前と、憲法との整合性をとっていたのか?などなど。


ちなみに軽く背景を言うと、アメリカはstateが集まってできた連邦国家なので、個々のstate・州の自治意識というか独立意識がとても強く、単純に連邦が決まったことですべてが一色に染まるということはないのです。とはいえ、じゃあどうやって、憲法の建前上、市民権と投票権のある黒人に、選挙で投票することができないような社会構造を作り上げたか?が、このジム・クロウ法なのです。


アメリカに住んでいる人はわかるのですが、アメリカでは投票をするときには、まず有権者登録という、事前に「これから投票しますよ」という投票する権利を登録しなければなりません。この有権者登録をするにあたって、南部では、たとえば、この有権者登録をする際に、両親や祖先が税金を支払っているものに限ったり、また人頭税という形で登録の費用を要求したり、読み書きの能力が証明されないと選挙権を与えないという試験を課すことになります。これらの条件を付けると、黒人が投票することは事実上不可能になってしまうのです。というのは、祖先が、両親が奴隷であった場合、当然に税金を支払った記録がありませんから、有権者資格がもらえません。ということは永久にもらえないことになります。また、極度な貧困にあえいでいる黒人奴隷に現金での税金支払いを要求すれば、これも実質無理です。さらに、もし仮にそれらをクリアーして、冒頭のように読み書き能力も高い教養を持った黒人が窓口に来ても、試験と称して、間違えるまで延々と質問をし続けるのです。そして、KKKなど、白人至上主義の団体が、有権者登録に来た黒人を追跡して、リンチにして凄惨に殺したりします。・・・・この状況で、投票権が行使できるとは、とてもじゃないけれども思いません。


というジム・クロウ法の、具体的な運用方法が、描かれたの冒頭のシーンだったのです。こういうことだったのか!と、驚きました。


ちなみに、これらの制度は、世界中の先進国でもまだ似た形で残っています。たてばアメリカ市民権、イギリス市民権を取得するには、上記のような各国の歴史や常識に関するテストがあります。これが「運用の仕方次第」で移民排斥や差別を実施できるものであることは、上記のジムクロウ法を見れば容易に想像がつきます。だから法律があればいいというわけではないんです。ジムクロウ法は、ずっと違憲審査を継続していましたが、プレッシー対ファーガソン裁判で適法でした。1954-55年の連邦最高裁判所が、でブラウン対教育委員会裁判で「分離すれども平等(separate but equal)」という判例法理を覆すまでは。なので、法律に妄信したり、権力を甘く見てはだめなんだ、ということがこのことからまざまざとわかります。民主主義的な法治国家でも、このようなことは簡単にでき、そして継続してしまうのですから。


イギリスは2012年、テリーザ・メイ英首相の内相時代に移民制度を厳格化。イギリス人がEU出身者以外の市民と結婚するための敷居を高くした。

英誌エコノミストによれば、たとえ結婚相手が英王子であろうと、マークルはロイヤルファミリーではなく一般市民とみなされるため、永住ビザ取得のためには数々の障害をクリアしなければならない。

マークルは挙式前、通称「婚約者ビザ」を取得している。ハリー王子とイギリスで新生活を始める許可で、申請者とその配偶者は申請前に同居していなくても構わない。

結婚後マークルに必要なのは「配偶者ビザ」だ。それがあれば、永住ビザを申請できるようになるまでの5年間はイギリスで暮らせる。

だが永住ビザを申請するには、内務省が課す「イギリス生活」に関する試験を突破しなくてはならない。出題範囲はイギリスの文化、地理、歴史から王室まで幅広く、不合格者が後を絶たない難関試験だ。それに合格し、いまや義理の祖母となったエリザベス女王への忠誠を誓って初めて、市民権取得の資格を与えられる。


結婚はしたけど、メーガン・マークルのビザ取得にはいくつもハードルが

Even After Wedding, Meghan Markle Will Have To Face Britain's Visa Obstacles

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/05/post-10205.php


イギリス王子と結婚したメーガンさんですら、けっこう敷居高くなっているんですよね。ちなみに、トンランプ政権になってから、アメリカでのグリーンカード取得や免許書(有権者とるのに必要)などの要件がかなり変わっています。


こういうものは文章で見せられると、よくわからなくなってしまうと思うんですよ。少なくとも、僕はずっと、憲法違反をどうやって正当化しているのかわからなかったんです。ましてや、ちゃんと適法の仮面をかぶったら、膨大な書類や法律用語に埋もれて訳が分からなくなる。けれども、こうやって映像で、見せられると、これがいかに恐ろしい暴力で差別なのかが、まざまざと現前してきます。もし、自分がこうだったら、、、、と震撼せずにはいられない。しかも、にもかかわらず、たくさんの黒人たちが有権者登録に勇気を振り絞り向かい、帰り道にリンチで殺されているわけです。こんなことが、つい、1960年代のアメリカではまだ現実だったわけです。つい57年前ですよ。2018年から逆算しても。自分が生まれた年からそう遠くない。震撼します。また、この冒頭の黒人女性は、正装し、覚悟をもって有権者登録にトライしているのがわかります。このやるせなさ。巨大なシステムに挑む勇気は、こういう風に映像で見せられないと、なかなかわからないとおもいました。


■見るべきポイント-2〜人間としてのキング牧師を描いた監督の挑戦

『グローリー/明日への行進』(原題: Selma・2014)は、キング牧師について書かれた映画です。血の日曜日事件 (1965年)を扱ったものなのですが、この作品でよく言われる鑑賞ポイントは、偉人すぎて偶像崇拝になっているキング牧師の等身大の人間として弱い部分も描いているところが画期的だ、ということです。というのは、米国にいると、様々な祝日や銅像など、アメリカを正しき方向に導いた聖人的なニュアンスで、なんだか批判を全く受け付けないような聖人君子としてのアイコンとなっています。またまだまだ黒人差別などがある現状からみれば、キング牧師を悪く貶める行為は、ポリティカルコレクトネスに引っかかるかなり微妙な問題になるので、なかなか一般的に指摘しにくい。なのでAva Marie DuVernayという監督は、ある強い意志をもって、この映画のキング牧師像を描がいているわけです。たとえば、当時のFBI長官であるジョン・エドガー・フーヴァー (John Edgar Hoover)に盗聴されて、浮気しているテープを送りつけられたりしているんです。これなど、キング牧師の人間としての弱さを赤裸々に描いており、これらはこれまでのキング牧師をめぐる言説ではなかなかできなかったことなんです。「俺じゃない、信じてくれ」と妻に真摯に説明を繰り返しますが、浮気相手とのセックスのテープを延々と奥さんに送りつけられていたりするわけです。あくまで彼が浮気したと描いているわけではないのですが、まぁこの譲歩を取り上げること自体が、これは事実だと言っているようなものですね。真相はわかりませんが、激しい盗聴で知られたフーバー長官時代であることや、ジャクリーン・ケネディが偽善者とののしっていたことなど、当時は公然とした秘密であったようです。ちなみに、僕は、このことを偽善者ととらえるか、人間ととらえるかといえば、もちろん後者だと思います。いつ暗殺されるかわからない、過大なプレッシャーを常時受けて、人間が壊れていないはずがないと僕は思います。人間としての弱さの表現の、僕が気づいた二点目は、マルコムX、ブラックパンサー党や大学生らの武力で復讐して対抗すべきという、自分の無抵抗主義は間違いではないか?と、判断に悩んで苦悩する部分です。現在からみると、無抵抗暴力主義は、当時の報道規制がほとんどないアメリカのテレビ放送の条件下では(ベトナム戦争とこれらの事件で、その後報道規制が激しく進むようになります)、素晴らしい効果を発揮した見事な戦術、戦略でした。また、アメリカの憲法判断を変えること、大多数の白人のリベラル層を支持につけることなど、明確な戦略目的が見事としか言いようがないものでした。けれども、それは、屈従をしいる行為でもあり、いつまでそれをしなければいけないのか?という人々の任体力を極限まで試す難しものでした。映画でも出ててくるのですが、親や祖父母の前で子供が殺されたり、いったいどこまで我慢すればいいのかという圧力は、凄まじい葛藤を生みました。だからこそ、マルコムXやブラックパンサー党のような武装闘争路線を選んだ路線の2つが当時存在していました。この辺りは、ぜひとも以下の2つの映画もおすすめです。とても興味深いのは、武装闘争路線を突き進んでいたマルコムXは、キング牧師とは逆に武装闘争路線を捨て去る方向に向かっていたことです。そして結末は、両方とも同じで、暗殺されることになるのでした。なので、キング牧師とマルコムXは、僕は裏と表だと思うので、ぜひとも両方を知ると深く米国の1960年代を知れると思います。

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■見るべきポイント-3〜フーバー長官との関連から1960-70年代のアメリカの背景を探る

せっかくその国を、歴史を、出来事を見るときには、より立体的に関連性を見ながら理解できると、理解画面から立体になって面白くなります。上記でキング牧師に、浮気の現場を盗聴したテープを送り付けるのは、FBIのフーバー長官でした。目的は、ノーベル平和賞を辞退させることだったようです。では、フーバー長官はなぜ、そのような行為をしたのだろうか?ということと関連付けて考えると、1960年代が立体的に浮かび上がってきます。セルマでは、フーバー長官は、人間的なキング牧師の弱さを表現するための1エピソードですが、イーストウッド監督による素晴らしい『J・エドガー』(J. Edgar 2011年 米国)という映画があります。盗聴しまくって、右未左も権力者の弱みを握ってアメリカの権力の背後に君臨し続けた彼が何を求めていたのかを描いた傑作です。

彼のコアはただ一つ「社会秩序を乱すもの」に、力でもって正義の鉄槌を下すことです。凄い矛盾を抱えているくせに、平気で正義を遂行してしまうところは、現代社会アメリカそのものを描写しているというノラネコさんの意見に同感です。


フーバーが、自らの存在その物が正義であると錯覚するのも、実は内面の矛盾を覆い隠そうとする故ではないか。

正義の遂行のためには、常にNo.1の立場にいなければならず、異なる正義を唱える者は、力を使ってでも排除するというフーバーの論理は、そのままアメリカという国家のキャラクターに通じ、高潔なる正義感の内側に、実は深刻な葛藤と自己矛盾を抱え込んでいるという点も共通している。

イーストウッドとブラックは、このエキセントリックなキャラクターに現代アメリカ史そのものを体現させている様に思えるのだ。


http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-523.html


ただし、ここでは僕はとても興味深いのは、この場合には、州を跨ぐ犯罪者や共産主義(思想犯)などに、ターゲットを絞って対処しようとする姿勢が見えることです。特に共産主義に対する敵意はめちゃくちゃで、それは、社会に対して「革命を企てる=現体制の転覆を企てる」という匂いがあるものを絶対に許さないという、上記の秩序維持を最優先の正義と考えるところからきています。この人は、何を正義と考えていたかといえば、現状の体制が壊れてしまうことに対して、少しでも匂いを感じると、徹底的に叩いています。


『J・エドガー』(J. Edgar 2011年 米国) クリント・イーストウッド監督 誰が本当に国を守ったのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120609/p1

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このあたりは、同じ時代を異なる角度や出来事からみると面白いので、この辺を紹介したのを連続で一気に見ると、なかなか興味深いですよ。


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ちなみに、最近(2018年)公開していたスピルバーグ監督の『ペンタゴンペーパーズ』は、いわゆるウォーターゲート事件を扱ったもので、『大統領の陰謀』『ザ・シークレットマン』『ペンタゴンペーパーズ』が同じ話題をそれぞれ、違う切り口から描いたものです。これは、上記のフーバー長官のNo.2(実際は3なのだが)だったマーク・フェルト(William Mark Felt, Sr.)が、2005年に、ずっとわからなかった内部告発をしたディープスロートの正体だということがわかっています。1960-70年代が、アメリカにとってターニングポイントとなる重大な時期だったことがとてもよくわかります。共産主義や国の分裂の対抗するために、体制を守らなければいけないという使命感からフーバー長官は、際限なく違法行為や盗聴を繰り広げて自己の組織(FBI)を肥大化させていきます。フーバー長官の死後、それを利用しようとしたニクソン大統領は、ウォーターゲート事件で辞任に追い込まれていきます。この辺りの関連性は、ここらへんで紹介したものを一気に見ると、とても面白いです。



■見るべきポイント-5〜米国の今を告発する作品

町山智浩氏さんの説明によるとAva Marie DuVernayという若い女性の監督が、ずっと偉人過ぎて(それとキングの子孫が演説の版権を押さえていて許可が出ない)何十年も映画化できあかった作品を強行突破で映像化した作品。ちなみに、演説が使えないので、類語辞典で、言葉をすべて置き換えて制作したらしい。なぜ今(ここでは、2014年)かといえば、全米で「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ)」運動などが広がるように、黒人貧困層の警官による射殺率が圧倒的な数字であったり、我々の現代社会は、リベラルになったように見えて、まだまだ根深い人種差別を構造的に持っている。また、移民排斥など、差別を助長する方向性に向かうアメリカに対して、いまこそ、キング牧師を見直さなければならないというメッセージは、素晴らしいと思います。そして、それをポリティカルコレクトネスの偉人、聖人として描くのではなく、苦悩する人間として描くところも、また素晴らしい。見ておきたいアメリカの今を告発する作品でした。


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■参考

『ヘルプ 』(原題: The Help 2011 USA) テイト・テイラー監督

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130114/p1

『Lee Daniels The Butler/大統領の執事の涙(2013 USA)』アメリカの人種解放闘争史をベースに80年でまったく異なる国に変貌したアメリカの現代史クロニクルを描く

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150207/p1

それでも夜は明ける12 Years a Slave(2014 USA)』Steve McQueen監督 John Ridley脚本 主観体験型物語の傑作

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150120/p1

ドリームガールズ』 ビル・コンドン監督作  アメリカの音楽の歴史教科書みたい

http://ameblo.jp/petronius/entry-10041454952.html

『Straight Outta Compton(2015 USA)』 F. Gary Gray監督 African-American現代史の傑作〜アメリカの黒人はどのように生きているか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150915/p1

関連作品を書きに挙げておきますが、アフリカンアメリカンの歴史を一気通貫意味るには、『大統領の執事の涙』がおすすめです。何より、面白いので、気張らずに見れます。サスペンスで『ミシシッピーバーニング』は、なんといっても名作ですね。『ミシシッピー・バーニング』(Mississippi Burning)は、1988年の作品で、北米出身のFBIの捜査官が、ミシシッピ州フィラデルフィアで3人の公民権活動家が行方不明の事件を捜査しに地方の町に行くのだが、そこではKKKをはじめ人種差別が公然と行われていて、、、、という日本でいうことうものとか、外との連絡が立たれた因習の村社会ものみたいな感じで、いかに南部の世界が異なるルールで烏合いているかが事件の捜査とともに炙り出されていく面白い映画です。あとは、『國民の創生』ですね。言わずと知れた映画史に残る記念碑的作品。けれどもこれって、目的は、いかにKKKをカッコよく映像にするかに特化したという作品で、そう考えるとリーフェンシュタールもそうですが、目的(背景の思想)と映画の出来というのは、全く関係ないものであったりするんですよねー。


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『奇跡の2000マイル』(原題:Tracks)2013年 John Curran監督 自分探しの一人旅が、女性にも拡大しているのだろうか?

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客観評価:★★★3つ

(僕的主観:★★★3つ)

■あらすじ

1977年に、ロビン・デヴィッドソン(ミア・ワシコウスカ)という女性が、オーストラリア西部の砂漠地帯約3000キロを横断すを横断しようとするところから物語ははじまります。彼女は用意周到に、ラクダを手に入れるためにラクダ牧場で2年ほど無休で働き、ラクダ4頭を手に入れます。そして愛犬一匹とともに、アリススプリングスからインド洋に向かって徒歩で冒険をはじめます。先立つものがほとんどなかったため、ナショナルジオグラフィックのスポンサーを受け入れます。人間嫌いの彼女は、いやいやながら同行の男性カメラマンを受け入れます。カメラマン役は、スターウォーズ新作のアダム・ドライバー。7か月に及ぶ命を懸けた砂漠踏破は、彼女がなぜ日常を捨てて人間嫌いになって、この一人旅に身を投じたのかの過去が少しづつ明らかにされてゆく。


■自分探しの一人旅が、女性にも拡大しているのだろうか?

最近、町山智浩さんのラジオにはまっていて、紹介されているのを片っ端から見るように頑張っているんですが、多すぎて見切れていません(←多すぎて、無理(笑))。とはいえ、2週間で15本は見たから、頑張っていますよね!(笑)。さて、『奇跡の2000マイル』(原題:Tracks)2013年。『わたしに会うまでの1600キロ (原題 WILD)』2014年と、女性が、自分探しで冒険をするという系統の話で同じ。連続で映画化されることから女の子、女性の「自分探し」が一般化したともいえる気がします。もちろん、そもそも、1977年に原著は出ているわけですが、一般化という意味では、この映画は大きな波のように感じます。たしかに、町山さんも指摘されていますが、男性がこういった自分を探すために、放浪するという形式の本は、昔からたくさんあって、僕らの世代だと沢木耕太郎さんの『深夜特急』が、やはり有名ですよね。とはいえ、約20年以上前、僕もかなりのバックパッカーでしたが、世界中いたるところに女性で一人旅をしている同じようなバックパッカーは、男性比率は少ないもののそれなりにいました、日本人の女性でさえも。けれども、普通の人が旅に出るよりはちょっと、ぶっ飛んでいる人が、行くという感じがまだあった気がします。でも、こういう風になると、誰でも普通の人が行く、という感じになっていく感じがします。ちなみに、Tracksは、Wildに比較すると、マジな冒険家的な匂いがします。そもそもお父さんも探検家ですし、準備の念の入りようは、半端ない。けれども、Wildのほうは、人生どん底になって傷ついた女性が、ふと思いつきでロングトレイルに挑むという感じで、こちらのほうが圧倒的に、その場のノリ的な感じで、Cheryl StrayedのWild: From Lost to Found on the Pacific Crest Trailのほうは、2012年ですから、実に35年くらいの差があるわけで、そりゃ動機は全く違うよな、と思います。この二つは、見比べると、冒険家が冒険を望む感じと、一般の人が心の傷をいやしたくなったり自分を見つめたくて、どこか遠いところへ行くことの違いが現れていて興味深いと思います。ちなみに、女性の冒険家もたくさんいて、『日本奥地紀行』『朝鮮紀行』を書いた19世紀のイギリスの冒険家イザベラ・ルーシー・バード(Isabella Lucy Bird)さんとかもいるので、冒険が男性の専売特許というわけではもちろんない。けれども、それが世俗化して行く過程では、男性の盛り上がりと少しタイムラグがある気はしますね。やはりじわじわと、現代は女性が権利を拡張している感じがしますね。

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■エゴイズムとセルフからの脱出を描く脚本の1970年代と2000年代(現在)の違いを感じる

ちなみに映画としての評価なんですが、両方とも、僕としては、面白くなかった。映画としての出来は、どちらもいいので、根本的に悪いという意味ではなく、僕との間隔にはヒットしなかったという言い方が正しいだろうか。広大なPCTやオーストラリアの砂漠が、ただの心象風景の舞台のようで、ほとんど意味を感じられなくて、要は心の問題の話だからだと思うからです。なので、『わたしに会うまでの1600キロ (原題 WILD)』のほうが、そこに極端にフォーカスしている分潔く、ああ、自分探し、自分癒しなんだなというのははっきりわかってまだ見れた。けれども、『奇跡の2000マイル(原題:Tracks)』のほうは、その背景説明が、あいまいなので、いまいち。子供時代に抱えたトラウマが原因、遠因になって、極端な旅に出かけていくという動機の構造は、同じ。また、物語的なカタルシスとして、自然を進む過程で、自分と向き合い、断片的な過去がフラッシュバックして、自分を内省するというドラマトゥルギーも同じ。けれども、『奇跡の2000マイル』は、微妙にはっきりと原因がわからないので、かなりの部分想像力に頼ることになるし、彼女自身のふるまいに、エゴが強く出る部分はあっても、エゴが解放されるような解放感を感じられないので、なんだか不完全燃焼になってしまう。なので僕の好みとしては、両作品とも、とても評価は低い。ただしこれはもちろん観点の問題もあって、アダルトチルドレン的な「心のトラウマ」と向き合って、自分自身を探していく心理過程に興味がある人にとっては、けっして悪くない作品だろうと思う。そもそも、自分を探すために必要なことは、「一人っきりになって孤独を感じること」で、それによって余計な世間や社会の雑音が聞こえなくなるので、自分に向き合うしかなくなって、心の問題を深堀できるからです。そういう意味では典型的な作品。


実際は、母親が自殺して、叔母にあずけられて厳しい寄宿舎生活をしていて、そのために飛び出してヒッピーになっていたというのが裏にあるのですよね。全部描かれていないので調べるか本を読まないとわからないのですが。これって、まさに1970年代の話なんですね。なので、あきらかにヒッピーの仲間とつるんでいたことが描かれている。なので、この作品は、カウンターカルチャー的な文脈で本来は読み取るものなんだろうと思います。少なくとも著者は、そういう動機で、生きている。わかる人のはとても良くわかるカルロ・カスタネダとかそういう流れですね。かといって、時代的にこの感覚もかなり古いし、僕はカウンターカルチャーは、とてもエリート臭の強いもので、世俗化して一般化してきている現代の人々には、臭みが強すぎるので、それをあまり描かなかったように感じます。それはそれで正しいかもです。

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ちなみに、「自分探し」と「大自然」という組み合わせを考えるならば、脚本の終着点としては、大自然の中に一人孤独でさらされる経験や、映像を打ち出すことにより、自己(セルフ)が、宇宙の中では相対的に小さなもので、こだわる必要があるのだろうか?という諦観や悟りとまでいかないまでも、自己の相対的卑小さを描いていくことが、感覚の変容という観点からの王道のストーリーだと僕は思う。ようは、自分探しの根本原因は、強すぎるエゴ・セルフをどのように解体して中和するのか、というところに物語のドラマトゥルギーがあると思うのです。強すぎるとすれば、それをいかに弱くできるかがダイナミズムだと思うのですよ。というか、強いものを強く描くと、英雄の大冒険スペクタクルになってしまうと思うんで、あまりにテーマや現代的文脈にあわない。


ところが、どちらも、自分が、自分以外の「何かによって生かされている」という感覚が、あれだけ巨大な自然の中で生きていながら全く感じられず、本当にいまいちの映画だった。アボリジニが出てきて、宇宙の大きさを感じられないなんて、よほど原作が、エゴイズムなんだろうと思ってしまう。特に、Tracksの主人公の、スポンサーや自分をサポートしてくれる写真家に対しての、ぞんざいな扱いは、いったい彼女は何様なんだ?とずっと思う感じだった。もちろん、自分探しなんだから、それは仕方がないのかもしれないが。これは、監督の興味が、「自分探し」の部分に偏っていて、大自然そのものをを表現するというところに、重きを置いていないからだと思う。もちろん、監督らが、もともとそういう意図で撮ったといわれてしまうと、それまでなのですが。

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でも、『わたしに会うまでの1600キロ (原題 WILD)』のほうは、やはりとても現代的文脈ですよね。2012年日本が出ているのもあって(実際に Pacific Crest Trail を歩いたのは1995年)、冒険家的なにおいやカウンターカルチャー的な自分探しのぶっみゃくいがまったくしない。いっそ潔く、自分探しにフォーカスしている。まぁ、そもそも Pacific Crest Trailは、砂漠が多いので、なんも考えられないというのはあるんですけど。


あっと、いま思いついたんですが、『わたしに会うまでの1600キロ (原題 WILD)』は、どちらかというとトラウマからの解放を描いていて、『奇跡の2000マイル』(原題:Tracks)は、自己実現を描いている感じがしますね。なので、同じ自己の探求、自分探しの葛藤としても、両者に非常に違いがある。


僕は、『奇跡の2000マイル』(原題:Tracks)のロビン・デヴィッドソン(ミア・ワシコウスカ)には、とても嫌な感じがしたんですよね。それは、同行していたジャーナリストの男性に対する扱いが非常にぞんざいで、エゴイスティツクに見えたからです。ただし、ここが評価で難しいところなのは、彼女のこういうをエゴがいやらしい自分ばかり見ているいやな人間ととるのか、、、しかし同時に、ほぼ生きるか死ぬかというレベルの大冒険にほとんどすべてを捨てて飛び込んでいるスケールと気合の大きさは、否定できないものがあって、このスケールのデカさを評価するのか、そうでないのかによって、評価が180度変わる気がします。


ノラネコの呑んで観るシネマ

わたしに会うまでの1600キロ・・・・・評価額1700円

http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-856.html


ちなみに、ノラネコさんの『わたしに会うまでの1600キロ』は、1700円と評価が高い。自分探しの旅の寓話として評価すると、この評価には納得する。また、シェリル・ストレイドのほうが人間的に、とても共感する。人生どん底になって、旅に出るというのは、とてもよくわかる。こちらのほうが、エゴに臭みがない感じがするんですよね。冒険家的なテイストがある、ロビン・デヴィッドソンには、俺が俺が、的な自我が感じてしまって、主人公を好きになれなかった。


1990年代から2010年代までの物語類型の変遷〜「本当の自分」が承認されない自意識の脆弱さを抱えて、どこまでも「逃げていく」というのはどういうことなのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100521/p1


前にこう言うのを書いたんですが、『奇跡の2000マイル』(原題:Tracks)には、1970年代のカンターカルチャーやアメリカンニューシネマなどの系譜の、「支配されたくない」「ここから脱出したい」というような、抑圧からの解放を強烈に志向するテイストを感じますね。見ていて、『欲望の翼』のラストシーンのような印象を受けました。ということは、僕の中の文脈では、これは、「何かから逃げていく」文脈に感じるんだろうと思います。


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ちなみに、『わたしに会うまでの1600キロ (原題 WILD)』のほうは、逆で、逃げているものからもう一度再生を志向して、一歩を踏み出す印象を受けます。このあたりが、1970年代と2000年代の同じ「逃げる」ことに対しての志向性の違いに感じます。


Tracks

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ちなみに、男性版のこれらとの比較も考えてみたいですよね。自分探し。大自然放浪系。

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

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