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2016-05-24

『灰と幻想のグリムガル(2016)』著者 十文字青 監督 中村亮介 この閉塞した世界で僕らはどこへ行きたいのだろうか?何を求めているのだろうか?(2)

灰と幻想のグリムガル Vol.6(初回生産限定版) [Blu-ray]

評価:★★★★★星5つ

(僕的主観:★★★★★5つ) 


『灰と幻想のグリムガル(2016)』著者 十文字青 監督 中村亮介 異世界転生のフォーマットというのは、現代のわれわれが住む郊外の永遠の日常の空間と関係性を、そのまま異なるマクロ環境に持ち込むための装置(1)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160413/p1


上記の(1)の記事の背景をベースにしたときに、では、永遠の日常が続いていく、なじみの世界の、なじみの狭い人間関係から、僕らはいったい何が得たいのでしょうか???


僕は、(1)で、世代というよりは大きなパラダイムの違うが生まれているために、日常と非日常の感受する順番が逆転している、と書きました。でも、そこで主張したように、僕は、ただ単に、それは順番が違うだけで、人間が求めるものは、普遍性があって、そんなに変わらないものだともっています。


では、昨今の新世界系と僕らが名づけている、厳しい世界観のものは、何を求めているのでしょうか?


『灰と幻想のグリムガル』って、典型的ななろうのフォーマットであるドラゴンクエスト風中世世界の異世界転生ものだし、アニメの1期のみでは、特に話も進んでいません。オリジナルな点なんて一つもないですよね。まったく、皆無。


Web小説ってなんなの? 画一化したプラットフォームの上で多様性が広がること〜僕たちはそんなに弱くもないけど、そんなにも弱いんだろうね(笑)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160402/p1



でも、これが傑作で、素晴らしい作品だってのは、見ればわかると思うんですよね。



ここには、僕らが切実に求めているものが、キラキラ描かれていると思うのです。



それは、必死に生きる充実感です。


僕らがまず問うべきなのは、この充実感は、どこから来るのだろうか?という問いなのだと思います。なぜならば、この充実しているキラキラしている感覚をこそ、僕らが普遍的に求めているものの一つであるのは、どうやら過去の経緯からわかっていることだからです。僕がこの作品をペトロニウスの名にかけて!傑作認定するのは、このキラキラがアニメーションにおいて見事に描かれていると思うからです。


では、この充実、という概念が、どこから来たのかを考えてみましょう。


これまでのヲタクの言説や自意識の拗らせの中には、常に「リア充」という概念がその軸にありました。ヲタクの自意識を描くときに、どこかにリアルに充実している、この場合は、かわいい恋人やかっこいい彼氏に恵まれて、特2次元に逃げることもなく、3次元の世界で楽しく過ごしている人々がいるという対抗意識のことになります。昨今(2016年3月時点の話)だいぶ薄れてきた気がするのですが、少なくとも過去のメジャー級の作品である『僕は友達が少ない』(2009-2015)や『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(2008-2013)などのライトノベルで頂点に君臨して、アニメ化もされ、一時代を築いた作品群は、この軸が常にセットされていました。この系統のほぼすべてのライトノベルの主要な軸が、これであったといっても、また現在もそうであると言い切っても、おかしくはないほどです。

俺の妹がこんなに可愛いわけがない 7(完全生産限定版) [DVD]

『僕は友達が少ない』(はがない)は、『涼宮ハルヒの憂鬱』(2003-)と同じように、友達ができなかったり、学校共同体のスクールカーストランキングの中で上位にいない連中が、群れてサークルや部活にたむろするという構造を取ります。この手の話は、友達がいないとか、スクールカーストで低くて誰からも相手にされないとか主張する割には、あっさり、仲間や居場所を見つけて溶け込んでしまう設定になっており、自分がリア獣(じゃない充)ではない、もしくはスクールカーストで低い地位にいると意識した時には、メインストリームでないところに居場所を作って、仲間を募って、仲間内で戯れるというのが作法になっています。学校非公式クラブSOS団も友達を作るために隣人部(りんじんぶ)も、そうですね。僕はこのオリジナルというかルーツの一つは、ゆうきまさみさんの『究極超人あーる』があるとおもっているのですが、特にルーツを探さなくとも、なんというか、当たり前のロジカルで、かつ現実的な方法論なんですよね。だって、学校でスポーツや成績の良いリア充、カーストランキング上位グループに入れなければ、下位でグループを作って、別の価値観で運営すればいいというのは、とても自然です。

僕は友達が少ない (11) (MF文庫J)


この学校共同体のスクールカーストをめぐる話はずっと書いてきたので、過去の履歴を追ってほしいのですが(下に過去の記事を載せておきます)、この引用をまとめると、学校空間の中のスクールカースト制度のなかで、リア充と非モテの二元対立を設定して、ドラマトゥルギー的に倒すべき敵として悪としてのリア充を描く物語は、結局どこに行きつくのかといえば、二元対立の行き詰まり、デッドロックと同じ構造を取るんですよね。倒しても倒しても、大きなラスボスが出てくるか、もしくはラスボスの内面(彼がラスボスになった理由)を解明するとひどくしょぼくなって、なんだお前も同じだったんだ、という個人的なルサンチマンに回収されてしまう。なので、結論としてこの行き詰まりを使用するのは、リア充の側だって、実は非モテや友達がいないといって戯れていて遊んでいた連中のことがうらやましいと思う部分が本音ではあっただ、ということになります。ようは、そもそも対立なんかなかったのに、こじらせてただけだよね、という話。精確には、強者であったスクールカースト上位者という体制側が、そうでないものを抑圧し差別していじめ的た過去は事実としてあります。けれども、結局のところ、多様性が許容される社会に徐々になっていくことで、この対立は雲散霧消しています。資本家と労働者の対立が、資本主義の発展と再分配によって主軸の対立構造で亡くなったのと同じです。

■対リア充実に対する憎しみからの解脱は本当に可能なのか?〜海燕さんの言う脱ルサンチマン系はありうるのか?

同じように、ある種の仮想敵を見出して、すべてはそいつらが悪いという陰謀論に陥るのが、モテ敵視とリア充敵視です。敵がいる、悪い奴らがいる、という二元論は、非常に人の心をとらえやすい類型であることは、僕がずっと語ってきたことです。そして、袋小路に陥る非常に不毛な道筋であることも。


いいかげんモテを敵視するのをやめませんか?(1184文字)

http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar187470


海燕さんが、そろそろ、この学園ものの文脈に流れる、善悪二元論的ラスボス(=リア充・モテ)物語類型に対して、懐疑を感じているんだろうと思うのですが、僕もこの感覚と意見にとても共感します。僕は前回のラジオで、俺ガイルの葉山くんの設定とエピソードがとても共感する、と書きました。あきらかに、モテ・リア充かつスクールカーストの頂点に、その実力で君臨する葉山くんは、圧倒的な存在感を放っています。ぼっちの主人公ヒッキーに比べれば、月とすっぽん。軽蔑の対象となるはず・・・・が、違うんですね、スクールカーストの空気の奴隷という支配くんの外側から外を眺め、外側の力学を使用して、自分が傷つくこともいとわずに内部干渉をするヒッキーに対して、あきらかに、屈折した憧れと共感を持っています。スクールカーストは、三角形のピラミッドで表現できる単純な、権力構造です。しかしながら、違うルールから見た時に、葉山くんは、ヒッキーがとてもうらやましく感じているのだろうと思います。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。11 (ガガガ文庫)

ああ!!素晴らしい、と僕は思いました。これが人生!、これが人間のいきる世界なんだ!と思います。単純な尺度だけで、物事を割り切る二元論は、そのゲームのルール以外のルールもたくさんこの世界にはあるんだ、ということが全く分からなくなっている人々です。リア充対ぼっち、モテVS非モテというのは、そういう軸がないとは言えないでしょうし、スクールカーストなどの様々なヒエラルキーによるトラウマが作り出した事実であるのは間違いないと思います。でも、世界には、そうでないルールもある、ということを、忘れてしまったまま、同じところに、同じトラウマで世界を捉え続けることは、とても悲しいと思います。その人は、スクールカーストによる固定化された自分のポジションのステージを、ついぞ変えることができないまま生きていることになるからです。奴隷は、解放されてもなかなか自分が自分を棄損し、軽蔑する気持ちを捨てられないものだそうです。差別もまたそう。確かに、一度受けたトラウマや傷は、生涯、人を悩ますものです。とはいえ、先ほどの時間の比率と密度の話をしましたが、こつこつその時に必要なこと積み上げて、普通にただ生きているだけで、解放の時はやってきます。同じ世界に固執しないで、前さえ向いていれば。それは単純に比率の問題だからです。だから、時間がすべてを洗い流してしまうものなのです。時は、とても優しくて残酷なものですから。


僕は、この学校空間スクールカーストの生み出すトラウマ・ルサンチマンの問題は、かなりの比率で時間の問題だ、と思っています。時間の切り口で言えば、どの世代にその人が生きていたか?それと、その人が今何歳か?ということに強く依存はすると思います。そういう意味で、たぶん30代になれば、普通に生きていると、このあたりの話は相対化されてくるはずだろうと思います。それと、学園ものの「友達が欲しい系」というのは、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『僕は友達が少ない』『ココロコネクト』などから、さまざまに展開していて、一つ金鉱を見つけると、ライトノベルはそのフォーマットをガンガン使い尽くします。そういう意味では、小説家になろうの「異世界ファンタジー」「強くてニューヒーロー」形の物語類型フォーマットの可能性を広げ尽くそうと実験し続ける構造と凄く似ていると思います。それは、ライトノベルの作成がとても速いサイクルの商品投入、プロダクトライフサイクルを描くものだからだろうと思います。



『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』  渡航著 (1)スクールカーストの下層で生きることは永遠に閉じ込められる恐怖感〜学校空間は、9年×10倍の時間を生きる

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130406/p2

学校空間がテーマの主軸な舞台になったのは、これが現代日本社会におけるもっとも、馴染みのある世界だからです。それは、物理的にもそうだし、このような同調圧力によって閉鎖されたい社会は、日本社会の特徴のようなもので、日本が列島で日本語障壁があるために、なかなか移民が爆発的に増えて共生が強制されない、いいかえれば、日本が日本である限りは、ほぼなくならない構造なので、選ばれるんですよね。日本的同調圧力のコアみたいなもので、明治建国以来150年以上を超えて共有されてきた僕らの現実なわけなので。

究極超人あ〜る(1) (少年サンデーBOOKS)

えっと、二元論対立は、ここでは崩れていくんですが、なぜリア充側が、お前らの方が楽しそうでうらやましい!という逆転構造になっていくかといえば、それは、もちろんのこと、自分たちでサークルを作って、ランキングトーナメントの基準から離れて自由に楽しく、関係性だけで戯れていることが、大きな価値であり、一つの大きな充実のパターンになっているからと思うんですよね。


この文脈を、僕は、(A)目的志向型の動機を持って自己成長(自分の人生を変える)生き方に対して、(B)目的Lessで断念を抱えたまま自分自身を受け入れていく生き方が勝っていく過程でこのブログの批評ではずっと描写しています。


それは、僕自身が、団塊の世代Jrで、また両親が高度成長期バリバリの目的志向型の世代の人だったので、ルサンチマンやこだわりの持ち方がそっちになってしまって、それをどう解体できるか?が僕の人生のテーマになったからですね。けれど、これは実際は、世代論的にとらえられるわけではなく、どういう環境で、どういう親の元で、どういう教育を受けたかなどかなり運の要素が、強いものなので、一概に年齢でいい切れるわけではないと思います。実際、このまったく逆を感じる人々は同世代にたくさんいました。とりわけ、大学の同級生の大金持ちの子弟は、僕と全く逆のテーマで生きているのがわかりました。たぶん豊かになると、暇になって退屈になって、永遠の日常を生きることになるので、僕とは全く逆に、非日常の自己成長を求める厳しいものが見たくなったりするんですね。ようは環境に左右されやすいものだろうと思います。僕のライフテーマであるBによってAを上書きしていく、克服していく様を物語の時系列に表現すると、以下のようになります。

春風高校という東京都練馬区の桜台と羽沢の間にある架空の町・諌坂町(いささかちょう)を舞台に描かれるスクールライフです。ここで描かれたテーマは、しびれるほど今でも輝きを放つもので、それは目的がない人生をどう楽しむかってことです。そして、重要なことは、たぶんかいた作者も、中に描かれるキャラクターたちも、そうした自意識のナルシシズムの病に全くかかわりがないってことなんですよね(笑)。ここでは、80年代以降の自意識の病であるナルシシズムのいやらしさが全く存在しないんです。だれも、まったく目的意識がなく、いまを楽しんでいて、この「いまを楽しむ」というテーマにありがちな、いいかえれば「先のことは考えない」というような裏のテーマもないんですよ。ただ単に、この日常が永遠という臭みのある表現を使うまでもなく、ずっと続くという意識があるんです。読んでみれば、よくよくわかると思います。そして、これは同じく都立の高校で青春を過ごした僕は、強い既視感をもってこのことをもいだします。そういえば『1518』を読んでいてすぐ思い出したのは、会計になった曲垣剛くんです(笑)。彼も中学の全国大会で優勝した野球のピッチャーですよね。でも、なんとなく、、、、彼には断念すらなく、そのまま光画部に入ってしまいます。

イチゴーイチハチ!(1)   (ビッグ コミックス〔スピリッツ〕) (ビッグコミックス)

ここで描かれていることは、物語の主人公になるような成長のビルドゥングスロマンの物語でなくとも、人生は楽しく騒げるじゃないか、ということです。光画部の行動にはほとんどまったく大きな目的が存在していません。別に写真部で大会で、優勝するとかそういうものもまったくありません。意味不明にいく撮影旅行とか、戸坂先輩の無駄に修学旅行についていくところとか。もう、なんというか、意味不明すぎて(笑)楽しそうでたまらないんです。


僕は戸坂先輩を見ていて、本当にしみじみ思ったものです。


意味不明なことでも本気でやって人に迷惑かけていると、なんか楽しいんだなって。彼だけではなく、周りも、戸坂先輩が作りだす意味不明の場に、巻き込まれて行きますよね。そしてそれが、部活ってかたちでずっと続いているんですよね。彼らが卒業した後も。卒業した後顔を出してくるよくある迷惑なOBやOGですよね。


重要なのは、すかしてみないことなんだ!と僕はそこで悟ったんですよ。


斜にかまえて、こんなことやる意味がないとか、そういう先回りを考えてはだめで、とにかく、何でもやってみる、コミットしてみる、、、、やることがなければ、テキトーなことを思いついたら全力で、それが意味不明で価値がなくても、、、というかなければないほどいいかもしれません。やってみる。ここで重要な気づきは、もし目的に囚われた人生の奴隷になっている人は、むしろ無駄だと思えること、意味不明なこと、やると損なこと程いいんだってことです。意味不明なことに、死ぬ気で斜め上を行くような気持ちで全力でコミットしてみることが、自己の解放をもたらし現状にブレイクスルーをもたらすことなんだって!ていうプラクティカルな気づきです。ちなみに、僕はこの後、委員会でも何でも、やったら損と思えるようなこと、意味がなさそうに思えるようなことを、全力で頑張っていくことで、すかしてみないで世界を眺めていると、世界が少しづつ色鮮やかになっていくんだってことがわかりました。そして、無駄なことによって達成された「僕はやった!という自信」と「周りの人間がなんでそんな損なことやっているの?」という他者からの視線が、自分のステージを変えて、次にやる時にまるで物語の主人公のような、意味も価値もある難しいことにコミットして結果をもぎとっていく方法が、なんとなくわかり、なんとなく身の回りに訪れるようになった気がします。本気で何かをやっている人は、それが意味不明なことほど(笑)運をひきよせるようになるんじゃないかって、いまの僕は思います。人生は、運です。引きこもるの、リア充になる勝ち組になるのも(この手の言い回しはもう手垢にまみれましたが・・・)運次第の部分が大きくあります。やる気、動機は、ほとんど運によって設定されるものだからです。努力の問題じゃないんですよ、内発性は。でも、じゃあ、その運をどう引き寄せるの?という視点は重要だと思うんです。何もしていなければ、マイナスのことしか訪れません。何もなければ、何かを作りだすしかないんです。その何かは、なにもそんな大それたことでなくてもいいんだろうと思います。



学校共同体のなかでスクールカーストの最下層でも、成長を本気で目指して失敗した断念を抱えても、それでもぼくらは。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20151018/p1


さて、こうして見てくると、どうもですね、僕らが何を求めているかというとですね、仲間(絆)と目的みたいなんですね。そして、これがあると、どうも人生は充実するらしい。ただし、これが成立するのは、けっこう頑張らないと、なかなか得られません。また、それぞれが、相性が悪い場合も多くて、仲間はいるけど目的がなくて、だらだらしちゃう。とか、目的はあるけど、目的に縛られ過ぎてて、仲間が全然できないとか、そういうことがよく起きるんですよね。仲間だけで、目的Lessにいくのは、日常系から無菌系に至る類型の系譜でいっぱい描いてきましたよね。また、この目的を取るか仲間を取るか?というドラマトゥルギーの選択は、部活モノの類型の系譜でたくさん語ってきました。勝つためのやるのか?、みんなが楽しむためにやるのか?という組織の存立理念ですね。


でも、どうもこの閉塞した世界で生きるために、僕らが必要なのは、目的と仲間が、うまく両立できるといいらしい。


『ゆゆ式』(2013) 原作:三上小又  監督:かおり 関係性だけで世界が完結し、無菌な永遠の日常を生きることが、そもそも平和なんじゃないの?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140504/p1


ゆゆ式 5 (初回限定版) [Blu-ray]


話が、凄い広がりすぎてきているので、書ききれる気力がないと思うので(笑)、このあたりの展開はいったん止めて、グリムガルに戻りたいのですが、僕はこの作品が、非常によくできているなと思ったのは、最初に書いたのですが、なんだか見ていて、世界がキラキラするんですよね。このキラキラするのは、新世界系に特徴的なものだと僕は思っているます。というのは、いつ死ぬかわからない、突然死がありうるこの現実というもののリアリティを実感すると、インプロビゼーション(一回性)が生まれるんですね。


グリムガルを最初見た時に誰もが思ったと思うのですが、丁寧な描写が淡々と続く、凄く地味な作品です。とりわけ、異世界に転生させられたハルヒロらの弱小チームは、明らかに物語の主人公になれない脇役の人々で、物語の主人公になれない人々にクローズアップしている物語というのは、はっきりわかったと思います。はっきりいって、華がないし、Hなことや、ハーレム的要素も、ほとんどありません。監督と製作陣は、はっきりとしたコンセプトを持ってこの作品を作ったと思いますが、思い切りの良さに感心します。売れ筋の路線から、わかりやすく外れているので(笑)。


ただ、じゃあ地味じゃないから面白くないかというと、僕はなぜか目がはなせませんでした。普通、今のアニメーションがあふれている現代では、数話も見て面白くなければきられる傾向があるといわれますが、これ、超危険じゃないでしょうか?。これ監督やプロデューサーを含めなんといって、この企画を通したのか、凄い興味深いです。特に見るべき要素も無ければ、キャラクターに萌えているわけでもなく、文脈もよくわからない。。。。こう書くと人気出る要素も、見るべき要素も、全然無いですね、、、。僕も、このすばが大好きな友人が、これはセットで見るべきで、凄い面白かった!と進めてくれなければ、見なかったと思います。


しかし、少なくとも僕は見始めると目が離せなかった。


この素晴らしい世界に祝福を!  第5巻 限定版 [DVD]


ひとつは、いま思い返すと、主人公に明らかになれない弱者たちが、それでも死の危険がある厳しい世界に放り込まれたときに、どう生き延びるのか?どうなるのかが?、というのは、やはり時代のトレンドなんだろうと思います。どうなるんだろう、と引き込まれました。


そして、なんと、ゴブリン一匹殺せないままに確か3話まで引っ張るんです。でも、ほんとうは、それが、「ほんとう」なんじゃ無いかって思うんです。命のやり取りがある異世界に放り込まれた現代の子供たちが、そんな誰もが英雄になって、さくさくロールプレイングゲームのようにレベルがあげられるわけが無いんだと思うんです。


けど、細密な風景を淡々と繰り返す演出を見ながら、どこに彼らは行くんだろうと目が離せなかった。この厳しい現実の中で、さらにじわじわと、殺すべき敵である最弱のはずのゴブリンすらも、一度しかない命で、死にもの繰りで向かってくることを示され、現実の厳しさをこれでもかと、叩きつけられ、、、、その「厳しさというリアリティ」打ちのめされながら、胃がキュウっと痛くなるような感じを味わいながら見つづけ、、、、


そして、やっと、死闘の末に、なんとかゴブリン1匹(群れを襲うほどの実力が無いのもリアリティを感じさせます)を倒すんです。


そして、帰り道、いつもの帰り道が、なぜかキラキラして、こんなにきれいだったのか、立ち止まって、みんな呆然とするんです。



ああ、素晴らしい物語だって、感動しました。



ここには、死がギリギリ身近にいる世界で、自分の身の丈を超えたことをし続けなければ生存する出来ない厳しさの中で、ただ今日も行きぬけたという一回性の実存(=一度しかない人生の切迫感)が、キラキラ表現されています。これは監督ら演出が、「そこ」にフォーカスして3羽話以上のゆっくりと描かなければ、生まれなかった感触だと思うのです。小説も読みましたが、1人称に特化しすぎている表現に比べると、ふと風景に目が行くようになって3人称に、強制的に切り替えさせられるアニメーションの演出葉、考え抜かれていると思いました。まぁ、こまけーことはいいんですが、良かったんですよ。ぐっときた。



■死を切迫して感じる一回性(インプロヴィゼーション)はどうやって生まれて、それが充実感を生み出す構造が、僕らが真に望んでいるもの


ここで、僕は、ああ傑作だな、と思いました。人気があることと、内容的にいいものであることと、売れることなどは、どれも別々のカテゴリーのことなので、だからすべてがいいとは簡単には言えません。けれども、この物語三昧で長期に分析してきた文脈から、そしてその文のっとっているということは僕の好みからして、傑作だと思うのです。最初に言ったように、キーワードは、必死になる充実感です。


海燕さんの記事を引用してみましょう。


『灰と幻想のグリムガル』、まだ見終わっていない段階でいうのもなんですが、今年を代表する傑作だと思います。

 ちょっとライトノベル原作とは思えないくらい(偏見か?)渋い雰囲気の作品ですが、ちゃんとそこそこ売れているようでひと安心。

 こういう作品がまったく評価されないようだと辛いですから。

 それでは、どこがそんなに面白いのか? 色々ありますが、やはりゴブリン一匹倒すのにも苦労する未熟な新米冒険者パーティにフォーカスして、その非日常的な日常を描き出した点が大きいでしょう。

 普通のアニメだったら(たとえば『ソードアート・オンライン』だったら)、あっというまに駆け抜けていくであろう冴えないポイントを執拗に描きだす面白さ。

 必然的に地味な展開にはなるんだけれど、そのぶん、弱者の冴えない青春にもある素晴らしい瞬間を描きだすことに成功している。

 世界が輝いて見えるような、そんな時。

 ぼくはこの作品はあきらかに最近の青春映画の文脈で語るべきものだと思っています。

 ここ最近の青春映画、『ちはやふる』、『バクマン。』、『くちびるに歌を』、『心が叫びたがってるんだ。』、『響け!ユーフォニアム』などは、いずれもスケールがごく小さかったり、最後に挫折が待っていたりするという共通点があります。

 『青春100キロ』もこの系譜に入れてもいいかもしれないけれど、あれはちょっと違う気がする。もっと古典的。

 それは置いておくとして、ここに挙げた作品はどの映画もどちらかというと「冴えない青春」であって、「全国大会優勝!」といった話にはならないのです。

 まあ、『ちはやふる』をちはやの物語と捉えると、いずれは全国大会優勝したりするかもしれないけれど、映画版はあきらかに太一が主人公だと思います。

 「きっと何者にもなれない」ぼくたちの冴えない青春。

 しかし、外側から見たら冴えないだけかもしれないその青春にも、輝くような瞬間があるということを、これらの作品は描いています。

 『グリムガル』もまたそういう作品だと思うのですね。

 スケールが小さいこと、挫折が待っていること、人生が輝く瞬間を描いていること、という条件を満たしています。



いまどきエンタメ解剖教室

冴えない青春が輝く瞬間を描く『灰と幻想のグリムガル』が面白い。

http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar1024771


「輪るピングドラム」 Blu-ray BOX【限定版】


この作品が2016年の文脈テーマに沿っていることは、ここで書かれていることをまとめるとわかると思うんです。ひとつは、1)主人公になれない脇役の弱者がどう生きていけばいいのか?というテーマ。「きっと何者にもなれない僕ら」というピングドラムの表現が素晴らしいと思うのですが、僕はこのテーマは、物語三昧でずっと考えてきた「脱英雄譚の英雄譚の物語類型」のひとつの系を追い詰めたものであると思うのです。脱英雄譚というのは、なんでも英雄にヒーローに主人公に、任せておけばいいというのは、卑怯じゃないか?という英雄譚(ヒーロー物語)の進化、解体ともいえる方向性でしたね。橙乃ままれさんの『まおゆう』で極北まで到達したのですが、最前線では、英雄に押しつけるのは卑怯なので、みんなで責任を引き受けようというのが答えでした。いいかえれば、全員が英雄にならなければならない!という圧力がかかったわけです。


http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120324/p1

メイド姉が目指したモノ〜世界を支える責任を選ばれた人だけに押しつける卑怯な虫にはなりたくない!(4)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100512/p1

英雄譚の類型の倫理的欠陥〜魔法騎士レイアイース(1993-96)に見る、全体主義への告発(3)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100511/p1

善悪二元論を超えるためには、歴史を語り、具体的な解決処方を示さないといけない (2)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100510/p1

魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」 ママレードサンド(橙乃ままれ)著  

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100429/p4

その先の物語〜次世代の物語類型のテンプレート (1)


まおゆう魔王勇者 「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」 (17) (カドカワコミックス・エース)


しかし、現実はその先が描けなくなってきています。神山健治さんの傑作『東のエデン』は映画版で、その系・問いの出口のなさを露呈してしまっていました。


『東のエデン(2009 Japan)』 神山健治監督  ニート(若者)と既得権益世代(大人)の二元論という既に意味のなくなった二項対立のテーマの設定が失敗だった

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20141009/p1


東のエデン TV版&劇場版2作品 コンプリート DVD-BOX (全11話+劇場版2作品, 540分) 神山健治 アニメ [DVD] [Import] [PAL, 再生環境をご確認ください]


またその先まで到達した『ガッチャマンクラウズ』は、「みんな」というあやふやなもので、どう意思決定をするのかという問いで、ネットで衆知を集めて民意を形成して力にする方向性が模索されました。この系統の答えはまだ出ていないのですが(現実がそこまで進んでいないので)、それが明らかな衆愚政治を生んだり、管理スキームのマザーコンピューターをのっとられたり、隠れたアーキテククチャーのゲームルールやプログラムにハッカーやエリートが干渉する危険性は、はっきり明示できます。古典的なSFの問題意識ですよね。手塚治虫さんの『火の鳥』や竹宮恵子さんの『テラへ』などにもはっきり出ている類型ですね。マクロ的には、この方向性が正しいという根拠は現時点ではありません。大きなマクロの波の中で正しさが保証されないので、話はミクロの個人の話に戻ります。なので、『まおゆう』のみんなで英雄になろう!という呼びかけに戻ると、いや、おれ主人公にはなれないから!と、主人公にアイデンティファイ(感情移入)できない、感情的に共感できないトレンドが高まっていくことになり、設定されて物語の主人公に感情移入できないで疎外され続けるという感性が広がっているのが昨今2016年の前半の現象です。なので、もとに戻ると主人公になれない脇役の弱者は、何に感情移入すればいいのか?、どう生きればいいのか?という問題提起が出てくることになるわけです。


『GATCHAMAN CROWDS』 中村健治監督 ヒーローものはどこへ行くのか? みんながヒーローになったその先は?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131015/p1


ガッチャマン クラウズ 1期 コンプリート DVD-BOX (全12話, 304分) タツノコプロ アニメ [DVD] [Import] [PAL, 再生環境をご確認ください]


物語三昧ラジオ/脱英雄譚の英雄譚+ガッチャマンクラウズ 2016/03/20


確か以前に、ゾンビものの流行で、この感性を説明したと思います。ようは、英雄にすべてを押し付ける構造をなくそうとして、みんなが英雄になろう!という方向性を指し示したけど、「そうなれない人を排除するだけになってしまうじゃないか!!!」という叫びにつながっていったというわけですね。

えっと、なので現代を考える時に、そうした動機が持てない場合にはどうすればいいのか?ということが、実はとても問われている気がするんです。日本的な文脈でいうのならば、一つは高度成長が終わったことにより、基本的には成長するチャンスがほとんどない、かつ、報われる確率がマクロ的には非常に低い世界の中で、、、、それでもあなたはどうしますか?って問われるわけです。


このテーマへのアンサーというか発展形では、たとえば、僕らが新世界ものとして、いわゆるドラゴンクエスト的な階梯手的な段階を踏んでくれる成長の物語というのは嘘くさいと思い、いわゆる物語破壊の禁じ手である突然死的な、いきなり棍棒と布の服でレベルが100ないと戦えないラスボスドラゴンに出会って殺されるような境界(ここでは端的に壁ですね)が描かれる『進撃の巨人』のようなものがあります。新世界ものとは、このブログを長く見てくれている人はわかると思いますが、セカイ系の対比として出てきたものです。



頑張っても報われない、主人公になれないかもしれないことへの恐怖はどこから来て、どこへ向かっているのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20151011/p2



ただひたすら走って逃げ回るお話 作者:残念無念

http://ncode.syosetu.com/n2302bh/



『灰と幻想のグリムガル』が、このぎりぎりラインに答えている作品だというのがわかるでしょうか?。この作品の主人公たちは、基本的に異世界転生して放り込まれた世界で、落ちこぼれて、弾き飛ばされて、それで寄せ集まっただけですよね。そしてその現実を、これでもかと最初から丁寧に突きつけられる。これが、「みんなで英雄になろう!」という問いかけに対する、「こんなに厳しい世界で、そんなことができるのは世界に愛されている物語の主人公だけであって、主人公でないぼくらは、突然死するのが関の山なんだから、どうにもならないじゃないか!!!」というアンサーになっているのがわかりますよね。それが、僕らが言うところの新世界系なわけです。ここでいまのところ物語の類型の進化というか展開は、デッドロックになっています。先ほど話したように、マクロ的な部分で、現代社会自体が、それを超える答えを見出していないですし、テクノロジーやその他の極端な変化が社会構造を根本から変えるような出来事もまだ起きていません。



さて、この類型のデッドロックは分かったので、これを異なる角度から見るために、テーマを次に移しましょう。別に英雄でなくとも英雄でも、物語の主人公でもそうでなくても、実は目指すところは一緒なんです。マクロ構造上の物語の最前線の世界に到達した時に、そこの主軸なる主人公の感性に、主人公になり切れないという疎外感がビルトインされているのが現代の最前線なんです。主人公が、ニートなどの動機が磨滅した人の話になりやすい、共感を受けやすいのはこのためですね。誰もが、自分が主人公じゃないんじゃないか?という、恐怖を抱えて生きているのが現代なんですよね。


『異自然世界の非常食』 青井 硝子著 めっちゃグロテスクで目が離せません(笑)。これ、凄いSFですね。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150418/p1


異自然世界の非常食 1


マクロ的には、そこから抜け出る方法や解決策は、まだ見つけ出されていません。ならば、個人レベルで、ミクロレベルで、どうすればいいのか?ということになります。ここで、最初に提示した問いに戻るんですね。どうやったら2)必死に生きる充実感が得られるか?という問いです。これ実は、アンサーははっきりして、物語の主人公になること!!!(内発性を持って動機・目的を持って生きること)なんです。



・・・・・・・・凄いトートロジー(循環論法)なのがわかりますよね?(笑)



おれは主人公になれない!!!という人々に向かって、幸せになるには、充実するには、主人公になりなさい!!(=動機を持ちなさい)といいはなつわけです。



いや、それ、だめだから、ということになります(笑)。



では、動機がない、内発性をもてない、主人公になれないというような、まったく動かない人間を動かす(=物語の主人公として主体性を取り戻す)にはどうすればいいのか?と、この問いには、実にさまざまな答えがあるのですが、既に出ているんですね。



それは、死を実感させればいい!です。



それは、この物語三昧で何度も語ってきたバトルロワイヤルもののことですね。ようは、動かないと死ぬよ?って、訴えかけるんです。


物語三昧ラジオ/バトルロワイヤルの系譜 2014/04/06


『自殺島』 森恒二著 バトルロワイヤルの果てには、新たな秩序が待っているだけ〜その先は?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110601/p7

『自殺島』 森恒二著 生きることをモチヴェーションにCommentsAdd Star

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110407/p2

自殺島 14 (ジェッツコミックス)


この『自殺島』やあたりでこの詳しい原理は説明していますね。『デスノート』とか『王国ゲェム』とか、やっぱりオリジナルのあたりは、『ハンガーゲーム』とか、そのものずばりの『バトルロワイヤル』ですね。


バトル・ロワイアル


ちなみに、この類型の最近凄く注目しているというかエンターテイメントとしてとても洗練されているのは『ダーウィンズゲーム』ですね、これ凄く面白いです。バトルロワイヤル系の果実を貪欲に取り込んでいて、とてもエンターテイメントしています。ああ、この記事も書きたいんですが、、、、。


ダーウィンズゲーム 8 (少年チャンピオン・コミックス)


この死を実感させれば、鈍感に摩滅した感性がキラキラし始めて、生きる充実感を取り戻せる可能性が高く、そのことで無味乾燥で退屈だった現実世界に、現実感という色彩が戻っていくというのは、古典的な物語の類型で、これを見事にリバイバルというか現代的なフォーマットに変えて、かつエンターテイメントとして洗練させたのは、なんといっても、ソードアートオンライン(SAO)ですね。


ソードアート・オンライン〈1〉アインクラッド (電撃文庫)


ようはゲームの世界に入ってしまう、というのは、現代が現実を実感しにくい(死を実感しにくい無痛社会)ということのメタファーなんだろうと思うんですが、でも冒険がしたい!と思っても、非日常の場所が既に存在しない、永遠の日常が明日も変わらず続くだけという現代の退屈と閉塞感のひとつの逃げ道なんですが、ソードアートオンラインの柱となる文脈は、生と死に関する実存感覚を、ゲームの中、、、、僕らのなじみがある世界に持ち込んだところにあると思うのです。


つまりこれらの作品群の訴求ポイントの一つは、どうしたらこの不毛に閉じ込められた狭い人間関係の中の退屈に、もう一度キラキラするような充実感をとりもどせるか?ということだと思うのです。


キリトくんは、非常に古典的な英雄、ヒーローのキャラクターなんですが、異世界で冒険がしたいけど、異世界(非日常)はありえないという感性に対して、でもゲームの中にはあったよね?というのは、ドラゴンクエスト風中世的世界観が、ある種の共有されたシェアードワールドとして機能する時代を映した作品ですよね。この発想は、探せばごまんともっと先行する作品があるのですが、この作品が、もっともライトノベル興隆期の世代的な感性にマッチしていたことと、なによりも、富樫さんが『幽々白書』や『レベルE』で、見つけ出していた、非現実感的なゲームの世界でさえも、僕らの世界にとっては、非常にリアルで、ことによったら生の現実である「死」も簡単に接続されてしまうんだ!ということを自覚的に物語の軸に持ち込んだところに、爆発的な面白さをもたらしたのだと思います。ちなみに、このゲームの世界と現実をつなげてしまうというのは、富樫さんのハンターハンターの「グリードアイランド編」という大傑作を生み出すことになりましたよね。

レベルE 上 (ジャンプコミックスDIGITAL)

SAOは、ゲームで死んだら自分も死ぬという設定だけでなく、現実だと自覚した中で行ってしまった罪にどう向き合うのか?というように、最初のこの軸をさまざまに展開させていくところは、著者の才能と発想の広さを感じさせます。とはいえ、今はそこには言及しません。ここでコアとなる部分は、ゲームの世界や異世界に転生したときに、どのように「死に直面したせいの切迫感が出せるか」?です。これを演出できると、世界がキラキラ感じるような充実感を描くことができるんですよ。そして、この退屈にまみれて日現実感が支配する日常をベースに生きている僕らには、この効果はことのほかでかいのです。もちろん、『ゆゆ式』のようなこのすばのような、安楽だけで構成されたぬるい日常もまた彼らの共感を生みますが、当然同時にその反対も求めるものなのです。なので、同時期に、まったく逆の作品が、生まれるのです。人間、そりゃそうですよ。ただ、現代、2016年のエンターテイメントにおいては、やはり今の人の感性に共感できる道筋で描かないと、ぜんぜん共感できないといって、ぶった切られてしまうんですよ。



そこで、グリムガルが前世なのかそれとも前の世界なのかはともかく「記憶を喪失している」という設定をして、異世界転生にエントリーさせているのは、うまい!と思いましたね。この分だけ、日常性を遠ざけているんですよ。



そして、そこで、主人公になれなかった、落ちこぼれたちが、身を寄せ合って、何とか生き残ろうとするためには、仲間を作らなきゃいけなくて、けど仲間を作るスキルも能力も器もリーダーシップもないせいで、どんどん追い詰められていくさまは、まさに新世界系ですよね。バトルロワイヤルのサバイバルがとても優れている物語類型なのは、動機がなくても動かなければならない!、能力がなくても動かなければならない!!という点にあると思うのです。そして「ただそこにいる」だけで、生き残るという目的が共有されてしまうので、必然的に、仲間との絆を作り出さざるを得ないことになる点です。いってみれば、ただ生きているだけで、流されているだけで、死にたくない!とサバイバルしていれば、それがすなわち目的となり、仲間との絆を構築していくことになるんですね。いってみれば、最も美しい物語類型である「成長を志向する物語」に、意思も動機も内発性もなくても、なるんです。もちろん、内ゲバで殺しあう可能性も、全員が当然縛りにすぐ死に絶える可能性も、もちろんあります。けどそのぎりぎりのラインが演出されるからこそ、キラキラする何かが見れるんですね。僕は、グリムガル、傑作だと思います。海燕さんもいうとおり、これがなにになるかといえば、青春の成長物語なんですね、結局のところは。僕も、『響け!ユーフォニアム』をとても連想しましたもん。

響け!ユーフォニアム 1 [Blu-ray]

『響け!ユーフォニアム』 石原立也監督  胸にじんわりくる青春の物語

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150807/p1


さて、グリムガルの話をしつつ、現代的作品の物語について語ってきました。


『灰と幻想のグリムガル(2016)』著者 十文字青 監督 中村亮介 異世界転生のフォーマットというのは、現代のわれわれが住む郊外の永遠の日常の空間と関係性を、そのまま異なるマクロ環境に持ち込むための装置(1)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160413/p1


ここで立てた問いは、世代的に1980-90年代以降と以前に感性の差異があるのではないか?というものでした。物語の類型から見るに、日常と非日常の「なじみのある風景」「あこがれる風景」としては順序がまったく逆になっているという話をしました。けど、ここで考えてきたことは、確かに大きな傾向的には、そういった差異は世代論的に語れるのですが、あくまで傾向であって、はっきりいって生育環境でまったく変わってしまうので、こうだ!と言い切れるほどのことでもないと感じます。物語の変遷からは、そういった構造変化が読み取れるのですが、結局のとろころ、物語の本質的、普遍的な部分は、ほとんど変わっていないと思うのです。だって、これも青春物語といっちゃー、よくあるものじゃないですか。ただ、意匠の部分や組み合わせの順番がぜんぜん違う。そこに敏感でないと、時代的な文脈から、がっつり離れたものになってしまって、共感が得えられなくなってしまうんだろうと思うんです。


また、時代的な文脈で強調されるポイントや構造というものは、常にあるのであって、


1)の脱英雄譚の英雄譚


から


1.5)物語の主人公になれない人はどうすればいいのか?



2)主人公になれなくたって充実感を感じて生きたいじゃないか?



2.5)充実感を得るためには、必死で生きないといけないけれども、そんな死からは隔離された現代社会で、どこに舞台を、冒険を、フロンティアを探すか?



といった風に、さまざまな問いかけがされて、アーカイブが積みあがっている果実をシェアードワールド的に利用できなければ、当然のことながら目が肥えた消費者には、面白いと感じないと思うんですよね。


そんでもって、僕が昨今考えていた文脈には、真正面からドシリアスに、グリムガルって答えているんですよね。このアニメ。本当に素晴らしいと思いました。


ちなみに、グリムガルを見ていて、ああそうだなーとすごく思ったのは、成長するのに動機なんかいらないんだ!ということです。


動機って、不純なことが多い気がするんですよね。エゴで自己の利益のために設定するものなんで。もちろんそれがないとダイレクションが定まらないんですが。でも自己放棄ができないと、人には信用されないし、仲間もできないんですよね。バランスを考えるときに、やっぱり一番いいのは、巻き込まれたっていうやつなんだろうなーと思うんです。人生は運ですよ。まぁ、この運で人生が成り立っているという、偶発性に、どうも人は耐えられないみたいなんですよね。同にも変えられないってことだから、すべてを受け入れて生きていかなければならないという意味ですから。でも、事実、それが、この世界ってやつなんだろうと僕は思います。


■参考

頑張っても報われない、主人公になれないかもしれないことへの恐怖はどこから来て、どこへ向かっているのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20151011/p2

学校共同体のなかでスクールカーストの最下層でも、成長を本気で目指して失敗した断念を抱えても、それでもぼくらは。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20151018/p1

第12話 「僕は友達が…」  そうか、恋人じゃなくて、友達が欲しかったんだ!これはびっくり目からうろこが落ちた。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130329/p1

『GUNSLINGER GIRL』 相田裕著 静謐なる残酷から希望への物語 (1)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130103/p1

『GUNSLINGER GIRL』 相田裕著 静謐なる残酷から希望への物語(2)〜非日常から日常へ・次世代の物語である『バーサスアンダースロー』へhttp://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130104/p1

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。8 』 渡航著 ヒッキー、それは確実に間違っているよ

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131129/p1

『ココロコネクト』 庵田定夏著  日本的ボトムアップの世界でのリーダーというのは、空気の圧力を結集する特異点

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130930/p1

『ココロコネクト』 庵田定夏著 自意識の病の系列の物語の変奏曲〜ここからどこまで展開できるか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121003/p1

『ココロコネクト ミチランダム』 庵田定夏著 伊織の心の闇を癒すには?〜肉体を通しての自己の解放への処方箋を (2)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121126/p1

『コロコネクト ユメランダム』 庵田定夏著 あなたには思想がない〜Fate/staynightの衛宮士郎のキャラクター類型と同型(3)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121030/p2

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』 渡航著 (2) 青い鳥症候群の結論の回避は可能か? 理論上もっとも、救いがなかった層を救う物語はありうるのか?それは必要なのか?本当にいるのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130603/p2

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』  渡航著 (1)スクールカーストの下層で生きることは永遠に閉じ込められる恐怖感〜学校空間は、9年×10倍の時間を生きる

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130406/p2

ヒミズ』 (2012年 日本) 園子温監督 (1) 坂の上の雲として目指した、その雲の先にいる我々は何を目指すのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130419/p1


灰と幻想のグリムガル level.1 ささやき、詠唱、祈り、目覚めよ (オーバーラップ文庫)

2016-05-23

だよね、これはもうひどすぎるよね。

まぁ、こうなるべくしてなった、んだろうなぁ。

2016-05-22

Bill Gateのお薦めの本 - 2016の夏に読む本

https://www.gatesnotes.com/About-Bill-Gates/Summer-Books-2016?WT.mc_id=05_22_2016_10_SummerBooks2016_BG-TW_&WT.tsrc=BGTW

5 Books to Read This Summer

By Bill Gates | May 17, 2016

やっぱこの辺の人の紹介している本は、素晴らしいものが多い。Bill Gateさんの財団って、というかあの世代のITの富豪って、財団運営や寄付の在り方の仕組みを世界規模で変えてしまっていて、人類のパワープレイヤーの構成をすごく変えた人たちなんですよね。いやはや、凄いものです。マーク・ザッカーバーグさんとか、こういう人たちって、凄い読書家なんですよね。本が大好き!、この本をシェアしよう!!という熱意を凄い感じます。いやー本好きにはたまらない人たちです。読むべき本が、世界にあふれてて、よだれが出てきそうです。

Sapiens: A Brief History of Humankind

https://www.gatesnotes.com/Books/Sapiens-A-Brief-History-of-Humankind

The Power to Compete: An Economist and an Entrepreneur on Revitalizing Japan in the Global Economy

https://www.gatesnotes.com/Books/The-Power-to-Compete


ちなみに、マーク・ザッカーバーグさんが、の「A Year of Books」で紹介していたこの本が、信じられないほど面白い。最近戦略的なことを考えるにあたって、凄い指標になる本です。


権力の終焉

2016-05-20

【2016-5月物語三昧ラジオ】 今週の日曜日のいつもの時間(PM2-3時ごろ?)にラジオします。

何の話をするんでしょう?。まだ決まっていません(笑)。



2016-05-19

左翼の若者の運動って、究極的にはいつもこうなるんだろうなぁ。

バーニーサンダースさん自体は、素晴らしい左翼の闘志で理想主義者だと思うんですが、いやはや。渡辺さんが、毛沢東率いる文化大革命を思い出す、というのは非常に共感するたとえです。日本の左によっている友人に話を聞くと、みんなバーニーサンダースさんを理想化していたり、過度に持ち上げるんですよね。たぶんこういう支持者の振る舞いとかぜんぜん知られていないんだろうと思います。良き意図が、必ずしも良き行動に結びつくわけではないというアイロニーの典型だと思うのです。特に左翼はこの罠がひどい。というか、絶対こうなるんだなーとしみじみ歴史を思い返して思います。

『純情騎士と、異世界からの強制送還に失敗された不憫で不幸な私の話』 著者 黒ごま 

純情騎士と、異世界からの強制送還に失敗された不憫で不幸な私の話 (ショコラシュクレノベルズ)

純情騎士と、異世界からの強制送還に失敗された不憫で不幸な私の話

作者:黒ごま

http://novel18.syosetu.com/n1795cy/

だらだらと読んでいたんですがー。おもしろいですー。ヒロインの天然っぷりがかわいいです。でも、これ微妙に男性視点と女性視点が重なっている感じがして、面白い描写だなーと思いました。作者は、、、女性?なのかな?。なんというか、本当に普通の小説で、構成上特別なこともないし、物語の類型として特別ということも無いんですが、まぁ、それはそれ、物語としてとても面白かった。ようはすれ違い勘違いラブコメなんですが、キャラクターが良くて、ぐっときました。もう、この二人のリア充爆発しろ!的な、いちゃらぶっぷりには、まいっちゃいます。