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物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2008-08-31

TURN 21 『ラグナレク の 接続』〜神殺しのその先へ

f:id:Gaius_Petronius:20070806155137j:image


最近、凹む話だし、意味も深く考えないとわからないし、この作品は、ポテンシャルで終わるのかなぁ、、とか思っていたけど、違った。いま見終わったんだが、、、、、まだ手が震えてる・・・心臓も高鳴って止まらない。いや、まじで、手が震えてるんだよ(苦笑)。


「神殺しの次元」に話を収束して終わるんだとばかり思っていた。ここまで、通常の善悪の世界の話で、ルルーシュが必要いのない、ルルーシュの存在を排除する物語展開をするのならば、それしかなかろうって、、、それで、ルルーシュが散っていく物語なんだろうって、思っていた。だって、ルルーシュが世界を必要としていない世界に物語がどんどん進んでいるんだもの。最後の展開としては、皇帝の悪意(=世界の在り方の破壊)を名も知れず止めて、それをラスボスとしておわらせるんだって、そう思っていた。それしかあり得ないんだもの、この展開だと。

そして、皇帝とマリアンヌの願いを否定した時に、ああ見事にそこにまとめるのだな、、、と思っていた。それだけでも、震えるほどのおもしろさなんだが・・・


ちなみに、神を殺しのテーマの核心は、↓ここで考えてみれば書いていて、このロジックが、このストーリーを支えていると僕は思っています。



『新暗行御史』/Classic.16 洪吉童伝(ホンギルドン伝説)私有財産VSコミュニズム

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080502/p6



けど、、、、けどおおぉぉぉぉ「その先」を描こうっていうのかよっ!



手の震えがまだとまらない・・・・・。皇帝の悪意(=世界の在り方を壊す)を止めることをラスボスとして、そこで物語のドラマツゥルギーを収束させるといういうのは、これまでにもたくさんな描かれてきて、「そこ」まで行ったらアニメの歴史に残る名作級なんだが、いやそこまでほんとうまく持ってきたよ。今回のほぼ一話だけで、世界の時を止めること、、、「この世界の在り方自身を変えてしまうこと」「個を抹殺し、人類の存在が、集合無意識に帰ること」というSF最大のテーマである全体と個の議論に話をちゃんと持ってきて、説得力をもたせて・・・・


でも、まだ4話!!!!まだあるだぜ。


これを「ただの通過点」として、もう一度シュナイゼルの現実の善と悪が闘争する現実のダイナミズムに話を揺り戻してくるなんてっ!!!






ものすっぐぇぇぇよ。来週の内容にはよるとは思うが、この可能性を見せてくれただけで、アニメ史に残る大傑作であることは、このぼくが認定しよう!。素晴らしいです、谷口監督。感動で、震えました。ちょっと書いてて泣けてきた。。。。リアルタイムで見ていて良かった・・・・。

『12モンキーズ』 テリー・ギリアム監督 今、この世界の手触りを疑う

The perfect collection 12 モンキーズ

評価:★★★☆星3つ半

(僕的主観:★★★★★星5つ)



■『未来世紀ブラジル』に並ぶ傑作〜その言いたい本質は全く変わらないように思える


テリーギリアム監督の『未来世紀ブラジル』や、アンドリュー・ニコル監督『ガタカ』、スタンリーキューブリック監督『時計仕掛けのオレンジ』とか近未来の世界観の中で、絶望(一抹の希望?)を描く作品を見たければ、オススメです。SF好きな人には、すぐピンと来るが、嫌いな人にはわかりにくいともいえる。テリーギリアム監督にブルース・ウィリス?と首を捻ったが、これが僕的にはハマリ。妙に甘ちゃんで頭のトロそう・・・でも誠実そうな主人公ジェームス・コールを熱演してる。青い南の島映像とハマリの切ない音楽をテレビ越しに眺めながら、女性精神科医に抱かれるブルース・ウィリスの表情は、せつなかった。またブラッド・ピットの狂ったような演技とかは、もう文句なし。やはりブラピは天才だ。でもJazz(What a Wonderful World)やいくつかの歌の歌詞の意味を知っていると、もっとぐっとくるかも。『この素晴らしき世界(What a Wonderful World)』は、鬼才ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)の歌唱で1968年にアメリカでまぁまぁのヒットした曲なんですが、その後長く愛されて歴史に残る名曲になりました。作曲家の作詞・作曲はG・ダグラスは、ベトナム戦争の悲惨な状況を苦しみ、平和な世界を夢見てこの曲を作ったといわれています。この映画は、数々の歌が出てくるのですがその背景や歌詞を知っていると、絶望に苦しむ主人公の気持ちが、よくわかると思います。ちなみにクリス・マルケル監督のフランス映画短編『ラ・ジュテ(62)』にインスパイアされて作成された映画です。

未来世紀ブラジル未来世紀ブラジル
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時計じかけのオレンジ時計じかけのオレンジ
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■今、この世界の手触りを疑う〜主観を軸に管理社会を、滅びてしまったし世界を眺める


ジェームスコールという未来世界での底辺の労働者は、あるときその地下世界を統治する科学者チームから過去に行き、ある仕事を実行することを依頼される。誰かが、世界を滅ぼしたせいで、いま彼が暮らすような絶望しかない悲惨な世界になったようなのだ。なんとか一人分のタイムとリップのエネルギーを使い彼は、世界が滅びた俊の少し前の時間のアメリカに戻る。



そこで、彼は・・・・・・・



というあらすじ。あらすじだけ見ると、けっこうありがちなSF作品だけど、僕は「その分かりやすさ」が気に入っている。傑作というには、やはり管理社会を描いた未来世紀ブラジルや時計仕掛けのオレンジには、到底かなわないかもしれないが、僕の心にクリティカルヒット(笑)という意味では、一番の作品。作品評価としては、★★★星3つくらいかな?。ただ個人的には、星6つ(笑)の作品。だって、スキなんだもん。個人的評価の高さの理由は、なぜか?。・・・・それは、わかっている。それは、管理社会モノや終末を描いた作品多くは、全体と個という分けかたでいうと「全体を描くことを腐心している作品」ばかりなのだ。傑作『時計仕掛けのオレンジ』も『未来世紀ブラジル』もオーウェルの『1984』も、もともと制御できない国家という巨大な存在への畏怖からはじまっている。だから、それらの作品が共産党国家やナチスへの体制批判の文脈で読まれてきた。これは、鶏が先か卵が先かの議論で、どっちが先だったかは不明。けど、だからそこでテーマの焦点となっているのは、「管理社会そのもの」であって、そこにいる人間の心や動機ではないのだ。

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僕は作品を見るとき(とりわけSF)には、全体を描こうとしているのか、個人を描こうとしているのかを分類してみることがままあります。・・・・えっと、むずかしいっすかね???。『全体と個』の議論は、社会科学・・・・・たとえば経済学とか社会学、もしくはSFの評論なんかでは、わりとメジャーな考えかたなんですが・・・・・つまりですね、主語が、社会とか国家(=全体)になるのか、コールさんなどの個人の名前になるかによって、映画のフレームの主体が全然異なる文脈をつむぐんです。・・・・・・さらにむずかしくなった。えっとね、たとえばテリーギリアムさんという鬼才で有名なこの監督は、未来世紀ブラジルでは、管理社会「そのもの」を描いたんです。キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』もそうです。だから、はっきりいっちまえば、主人公や個々の人間なんで、どーでもいいのです。圧倒的な国家権力とかそういう「目に見えない全体」を描きたかったのだから。こういう作品は、個々人の感情は、無視されます。むしろそういうものが、押しつぶされる様を監督は描きたいわけですから。



ところが、ですね、、、、



この12モンキーズでは、主体、主語が、つねにジェームスコール(=ブルースウィリス)なんですよ。だから、暗い地下で子ども頃から絶望的な労働を奴隷のようにおこなってきた青年の、諦めともつかない孤独な感情が、つねにベースに作品が描かれているのです。主人公が、「その人間がどう思ったのか?どう感じたのか?」なんですね。『未来世紀ブラジル』の主人公は、管理社会そのものだから、「どう感じたか?」なんていう疑問は出てきません。これは、作品世界を構築する上で、物凄い差になります。僕は、両方スキですが、ことこの作品に限っては、限りなくコールの気持ちに感情移入するのです。とにかく、僕はこういう終末後の世界は、大好き!!(苦笑)。核戦争や遺伝子改造後の世界から!、「世界を滅ぼしたのは誰か?」的な謎解きは、すごく好き。マンガだと萩原一至さんの『バスタード』や宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』とか田村由美さんの『7SEEDS』・・・・



「いまある世界の姿は、実は誰かが人為的に作り出したもので・・・」


という



「今、この世界の手触りを疑う」



のはSFの常套手段ですね。『猿の惑星』『マトリックス』や小説家で言えば、フィリップ・K・ディックなんかそうですね。この感覚は分かる人と分からない人は、強烈に別れるらしい。僕の周りで、賛否の分かれる作品群です。しかし分かる人には、スーパーオススメ。こういう作品群で学生の頃はじめてみたせいもあるけど、僕の中ではナンバーワンの作品です。だってわかりやすいんだもん。ちなみにここであげた者は、すべて同系統のストーリなので、もしひとつでも面白いと思う作品を経験したことがあれば、その他の作品を、すべてトライしてみることをお勧めします。テーマを持って物事を見るという体験、異なる媒体、題材から同じテーマを見つけ出す快感というものが、真に物語を楽しむためには不可欠だと僕は思うのです。

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2008-08-30

『水滸伝』 1〜19巻 北方謙三著 中国の大地に共和政治を打ち立てるという壮大な戦略(1)

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※注意:僕のブログは基本ネタばれなので、それが嫌な人は、読まないでください。ちなみに北方水滸伝は、結論がわかっていても、全く面白さが薄れないと思うので、僕は読んでも問題ないかとは思います。


評価:★★★★★星5つ マスターピース!

(僕的主観:★★★★★星5つ)


この作品、北方謙三さんの『水滸伝』を読み進めているうち・・・巻の真ん中ほどで、この設定では、梁山泊は「滅びる結末以外はないのではないか?」と思うようになった。理由は簡単だ。それは、これが大宋帝国と梁山泊という国家の「思想戦争」になっているからだ。


あるべき理想の国家観が違う、ということはどういうことは?。それは、妥協ができない、ということと同義だ。たとえば、資本主義を国是とするアメリカ合衆国と、コミュニズムや社会主義を国是とするキューバでは、その思想上の根本理念が対立するため、妥協することがとても困難だ。拠って立つ国家観や経済の存立基盤が、あまりに水と油だから。*1


宋帝国をこれほど、これほど強大に設定した時点で、、、政治の宰相・蔡京、情報機関の青蓮寺の袁李富、聞煥章、すべての軍事をつかさどる童貫という指導者を設定した時点で、国家としての力量が違いすぎる。そもそも、梁山泊をキューバ、そして大宋帝国をアメリカ合衆国と同じレベルの国力差と考えてスタートさせているのだから、その差たるや呆然とするものがある。いや僕の感覚でいえば、梁山泊は、旧アメリカ13州植民地であり、大宋帝国は、大英帝国(ブリティシュ・エンパイア)と考える比較の方がいいかもしれない。前回に書いたが、この作品は、キューバ革命というよりは、アメリカ独立革命をモデルと考えた方がしっくりくると僕は思う。


そうすると、この作品のテーマである志をともにした男たちの「友愛」を基盤として、専制政治に慣れた中国の大地に、共和政治(リバブリック)を打ち立てるという壮大な、ドラマツゥルギーとなる。これは、専制政治に慣れた徳川幕府末期の幕末維新の志士達の同志感覚や、中国の清朝を変えようと末期に戦った康有為、李鴻章、曽国藩らと僕はとても重なるものが見える。みなもと太郎氏の『風雲児たち』や浅田次郎さんの『蒼穹の昴』といった傑作物語を同時に読むと、分かってもらえる気がする。ちなみにどこかで誰かが書いていたが、『蒼穹の昴』は、中国最後の王朝清朝の失敗した明治維新という物語です。

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さて、続けます。この宋江(呼保義・汲時雨)、晁蓋(托塔天王)、呉用(智多星)らの目的とする梁山泊の志は、そもそも不可能に近い要求なんですね。国の規模の格差、歴史的環境そういった外部環境を考えれば。ビジネスプランニングをする立場で言うのならば、戦略を設定するために集めた外部環境をの分析から、ほぼ不可能な目的であると結論できると僕は思うんです。もちろん、戦略策定は、「やらない理由を作る」ということではないので、「その志の深さと重さ」から逆算して、できる方法を考えることが主目的なんですが、もうあまりに壮大で不可能な陽炎のような夢なんです。


この北方水滸伝は、物凄くリアリスティツクです。キューバ革命がモデルというだけあって、近代戦闘における武器レベルの差による戦術段階での格差、情報や兵站(ロジスティクス)などの重要性、そしてそれらすべてをまとめた国家施策(税体系、貨幣流通、官僚組織の掌握)などなど、もうほんとうにリアルなの。そこまで考え抜かれて、、、、だからこそ、不可能ななかにも、あの巨大な大宋帝国に反旗を翻し続け、新たな国を形成するまでに至るのです・・・・が、そのリアルさ故に、その不可能性も際立ってしまうのです。だから、陽炎のような夢にかけた、漢(おとこ)たちの悲劇の物語、という美しいドラマツゥルギーに昇華されているのです。19巻一度もぶれることなく、その美しさを描ききっている。


実は、これが・・・・・この不可能性が、壮大な楊令伝への序章になっているんですね。あれほど、偉大で素晴らしかった梁山泊でさえ、、、、敗れた。では、どうすればいいのか?。ということが、宋江の後継者である時代の梁山泊リーダーである楊令に受け継がれる巨大な戦略テーマになるのです。そして、すでにその答えは、第一巻で、いやもう18巻の時点で出てきているのだっ!!!。すげぇ、すげぇよ、北方謙三さん!。素晴らしい物語だ。この後の、中国の宋、遼、金の歴史の過程を見れば、楊令が何を、戦略テーマとして追求したかが、もう既にわかる。しびれるぜ。しびれる歴史小説だ、これ。


続く

*1:ちなみに蛇足であるが、資本主義を信念とする世界で育ったビジネスマンの僕は、ほんの10年前まで中国共産党と中国共産国家を、その価値は別にして、資本主義陣営として120%信用することもなかったし、大学時代に中国の経済基盤制度を勉強した時も、生涯この国とビジネスで関係することはないだろうと思ったものです。共産主義は、資本主義の商人としては、一切信頼することができません。

・・・しかし、にもかかわらず、その巨大な眠れる獅子を変革しきった小平(ドン シャオピン(Deng xiao ping))という男は、どれだけ偉大なんだ・・・・と呆然とすることがしばしあります。

また中国の民衆のエートスが限りなく専制政治に慣れています。そのほとんど山賊の集団としかえいない民衆と、それを統治する北京のハイエリート貴族層という二分があって、この民衆の蒙を開く・・・・人間そのものを改造するにいたった(=エートスを組み替えるとはそういうこと)毛沢東という男の凄みも、呆然とするしかないと思う時があります。こうやって本を読んでいると、中国は、さすが偉大なアジア文明の中心地なんだなぁ、、、と思います。これだけの、人材が彗星のように登場するのですから。価値の評価はイデオロギーですべきではなく、その存在感の重さと為した結果で、されるべきだと僕は思います。そして、最低みるのならば、100年以上の単位で見なければならない…。。

2008-08-28

『水滸伝 19〜旌旗の章』 北方謙三著  ついに、、、、、ついに、最終巻。本日読み終わりました。胸が熱いです。

水滸伝 (19)  旌旗の章 (集英社文庫 き 3-62)

本日通勤の途上で、読了。


胸が熱くなり、余韻が残ったままでした。


ところで、感想を細かく書きたいのだが、パワーがないので、メモを。


これって、実は、、、キューバ革命をモデルに書かれた、、、ということですが、僕はキューバ革命をよくしらさないので、僕のリテラシーからいうと、この作品の本質は、


アメリカの南北戦争と独立戦争をあわせた話


に見えました。


なぜならば、この素晴らしい梁山泊の男たちのすべてを結びつけるのは、言い換えれば、この本の究極のテーマは



漢(おとこ)同士の友愛



だからだ。友愛の概念は、難しいのだが、長々説明しなくても、わかってもらえるだろう。これは、アジアの専制君主の世界には、孔子的な忠義の縦の人間関係が重視される北アジアでは、なかなか発見できないもので、横のつながり・・・・いいかえれば、


共和政治(リパブリック)の原点


なんだよね。


そして、この作品の根本が、漢民族同士という、同じ民族で戦い合っているという部分に、近代社会の基本である、フェアネス(=公正さ)の追求という、アメリカ独立宣言の本義を見出してしまうのは、僕だけではなかろう。



・・・そうか、、、キューバ革命の本義を追求すると、アメリカ独立革命になるのか・・・・。


ああ、、、そうか、、、、なぜアメリカが、赤狩りが厳しい割に、共産主義的な全体主義的なシステムに相性がいいのか、やっとわかったきがする・・・ああ、、、なるほど・・・・。大発見だ、個人的に。

『マクロスフロンティア』 菊地康仁監督 総合力のシナジー?、マクロスF実はかなりはまっているんです

マクロスF(フロンティア) 2



実は、LDさんが、マクロスFをかなり深く観ているようなので、「教えて、しえる・・・じゃなくて、LDせんせー!」ということで、漫研のチャットに質問を投げました。


ペトロニウス >> 『マクロスF』って、すっごい好きで見ているんですが・・・何がいいのかさっぱり言葉になりません。いやほんと、はっきりいって、コードギアスは一度だけでなんとか我慢できるが、マクロスFは、回によっては、何回も見返してます…いったいなにが、そんなに「よい」のだろう????教えてくださいLD先生。 <08/26_22:54>


この返答は、総合力のシナジーが凄いのだ!ということでした。


おお、その辺の詳細は、↓の記事とか読むと、なるほどと思います。

娯楽のハイエナ:演出チェック:残念の演出 マクロスF 第20話/今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

http://www.websphinx.net/manken/hyen/hyen0259.html


いや、そもそも、映像がとてもきれいだった(回によってかなり差はあるが(汗))ので、なんとなく見ていたんだが、意味も未だにさっぱり分かっていない(=あるはずだが、解釈する気がない)のに、なぜか見てしまうんです。シェリルとデートの回とか、たぶん5回は超えてみている。




LD >> あそこ(#゚Д゚)<うわあああっ!て感じで…個人的にはあそこが「マクロスF」のクライマックスw今のとこw <08/27_22:06>

--------------------------------------------------------------------------------

LD >> だから、シェリルとランカがアルトを挟んで「どっちを選ぶの?」と歌い出すシーンがあるんですが、あそこ(#゚Д゚)<うわあああxtu <08/27_22:04>

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LD >> 僕としてはシェリルとランカにかなり食いついている状態です。……やっぱり「誰か好きになってね?」じゃなくって「この娘を好きになってね!」と練られたキャラは気迫が違う。 <08/27_21:59>

勝手に、引用させていただいちゃいますが、うん、まさにまさに、あのシーンとか、何回繰り返してみたかわからない。


けど、、、ここで、????って思うんです。


というのは、バジュラとか、いろいろマクロの問題が複雑に語られている作品なので、コードギアスのような「マクロ語り」とでもいおうか、政治的な背景やSF的な謎解きなどを追ってもいいはずだと思うんですよね。僕って、下手をすると、「それしか興味がないっ!」ぐらいその系統のものばかり追う人なんで、、、、ましたやそういうものがない作品は、すぐダメだって思ってしまう性格なんです。


そういうマクロの解釈好きの僕が、まったくその謎解きを追わないで、しかも、まったく未だにそんな背景の意味がさっぱりわからない「にもかかわらず」何回も繰り返してみようとするんですよね。


なんでだろう?


って、表層でもあり、それが本質の一つなんだろうとは思うが、その答えは僕は、わかってきた。


それは、物語に「歌と音楽」を挟み込む演出が、秀逸なんですよね。


いや、言われてみれば当たり前だが、マクロスシリーズのそもそも本質が、そういうもので、かつとても運が良いことに、菅野よう子さんという才能に出会うことができたってのが、この作品を非常に高いクオリティに昇華させているんだと思う。


そもそも、映画とかアニメーションって、よく総合芸術っていわれるけれども、これって音楽、ストーリー、映像などそれぞれ別個に成立している芸術を組み合わせて、ひとつの感興を思いこさせるものへ昇華するわけで、、、そういうことを、、、こうやって音楽を歌を物語に絡める秀逸なものを見ると、うーん、やっぱり凄いなぁ、、、と思います。

2008-08-27

アランジアロンゾ

アランジアロンゾのパンダのポスターカードが好きです。

たぶん初めて出た時から知っているはず(時期的に)。大好き。


http://www.aranziaronzo.com/index.html

『水滸伝』 18巻 北方謙三著 楊令登場!

水滸伝 (18) (集英社文庫 (き3-61))

楊令、登場!。

まさに、登場としか言いようがない。


巻の最初から出ているのだが、最終巻の一つまえになって、「ついに!」という感じだ。

この北方水滸伝の凄さは、この「次」があることだ。

良い物語は、長く続きがあるものなのだ。

いま19巻の真ん中。

いい物語だ。今年の夏は、夏バテで、かなり集中力ややる気を欠く日々だったんだが、その苦しい数か月を、支えてくれた本だ。

何がなくとも、本があれば、僕は生きていける。逃げ道があるというのは、本当に幸せなことだ。


楊令伝 一

2008-08-25

『Landreaall』12巻 おがきちか著 物語の連鎖・伏線のうまさ〜あそこのあれが、ここでくるのかよっ!(1)

Landreaall 12 (12) (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)


評価:★★★★★星5つ マスターピース!

(僕的主観:★★★★★星5つ)


ラブです!おがきちか先生!!。僕は連載を読んでいないので、毎回単行本を待つ身ですが、安定して発売されるところも見ると、掲載誌のコミックゼロサムもこの作品も安定した人気があるのでしょうね。安心です。「一迅社」ってあまり聞いたことがない出版社だし、しかも内容がかなりマニアックな感じがするので、10巻を超えて安定して出版してくれるのは、非常にうれしい。この作品は掲載しさえ安定していれば、延々と素晴らしい物語を紡ぐのは作家の資質からいって間違いないですからね。こういう「待つ」何かがあると、人生って豊かになるようなー。忙しかったり苦しかったりしても我慢していると、プレゼントのように必ずいいことがあるようで、うれしい。


■物語の連鎖・伏線のうまさ〜あそこのあれが、ここでくるのかよ!

それにしても、この作品の伏線の妙は、感心を通り越して、感動的ですらある。まさか、あの猫はしかがここでつながってくるとは! ただの萌え設定じゃなかったのか。


 この作品ではひとつひとつのエピソードはそれぞれ独立していながら連鎖している。いったん終わったかに見えた物語が、はるかに先の展開にかかわっていることも少なくない。だから、先の展開ほどおもしろくなる。本当に良くできた漫画だと思う。


http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080630/p1

Something Orange


12巻はウルファネア編完結の巻なのですが、ああ、もう、、、おもしろくて、素晴らしくて泣きそうだよ。海燕さんが、同じように悶えているんですが、僕も「猫はしか」が、まさかここでこんな・・・・・バイオテロ(笑)を引き起こすなんて、、、、感動してしまいました。海燕さんも書いていますが、この作品の凄さは、なんといってもその「伏線」の見事さですね。一つ一つのエピソードは完結しているために、ともすれば、ただの萌え話?とか、竜を退治してお姫様を救いだしました、めでたしめでたし??、のように思えて、たいしたことがないどこにでもある読み捨てられる凡俗のファンタジーのように見えてしまうのですが、読み進めて行くうちに、驚くほど深くまで世界観が緻密に設定されており、なんというか、えっ?それが?みたいな驚きをもって、どうでも良かったようなエピソードが、深く本質に絡んでくるのです。


僕は、非常に感動してにもかかわらず、最初の3巻に対する評価が、客観★3つ(普通に面白い・わざわざ見るほどでもないが見れば楽しい)ランクに評価づけているのに、後半に行くごとにどんどん評価が上がり、途中からは日本のファンタジー史に残るぞ!くらいの妄言を吐き始めています。これは、この作品が、物語が進めば進むほど、深く、おもしろくなるタイプの物語であることを示しているんだと思う。・・・なんというか、不思議な「物語の構造」だ。たしかに、栗本薫さんとかああいった物語作家の類型の資質だとは思うのだが、どうもこういう感触を感じる作家は、本当に珍しくて、僕としてもまだ抽象化が出来ない・・・・いいかえれば、自分が知らない「まだ見ぬどこかへ」物語が連れて行ってくれそうな気がして、静かに興奮してしまう。似たようなものって、、、なにかあるかなぁ?。どうも類似のがあまり思いつかないんですよね・・・誰か、サジェッションくれないかなーと思う。



■複雑な物語世界の連なりに読者はどこまでついてくれるのだろうか?〜情報集積の度合いのエッジ


 そして、物語は一気に「アカデミー騎士団」編へと突入する。突然、王都に襲いかかってきたなぞのモンスターたち。騎士団の大半は不在。アカデミーの学生たちは自分の力で対応することを余儀なくされる。

 ひとりひとり、個別にたたかっては勝ち目はない。唯一の方策はこの場で組織を作ること。アカデミー騎士団の誕生である。

 トリッドリッド家の王位継承権者であるティ・ティがリーダーに選ばれ、急速に組織が練り上げられていく。

 本来、あらゆる意味でもっともリーダーにふさわしいDXはここにはいない。騎士団もいつ救援に来れるかわからない。自分たちの力で何とかするしかないのだ。


http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080630/p1

Something Orange


まるでハリーポッターシリーズ五巻の『ハリーポッターとフェニックスの騎士団』を思わせるが、それよりも段違いに面白く深い。寮生活をする学園世界(=日常)が、どうしようもない非日常にさらされることによって、それぞれの少年少女が、その危機に対処するために大人顔負けの英雄的な役割を発揮していくことになる、という設定は、こういった学園モノにはよくありがちのパターンです。が、これが見事なんだな。何が見事かというと、大きく二つの軸が非常に明晰で、かつそれが軸と感じさせないほどにナチュラルに物語世界に織り込まれているところ。


ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 ハリー・ポッターシリーズ第五巻 上下巻2冊セット(5)

まず、その1。


1)自分の持って生まれた本質・本文を全うすること〜役割の多様性が見えてきた時代に

これはねーライトノベルの『狼と香辛料』のとらさんの書評に書いてあったこととつながるんだけれども、、、、




■ファンタジーノベルなのに、剣で戦わない、魔法もない、商取引をするだけ(笑)

この作品の独自性は、一言でいうと、主人公が商人である、という点に尽きる。

このあたりは『手当たり次第の本棚』のとら兄貴の評 が、シンプルにいい当てているので、一部引用させていただく。


>思えば、ライトノベルに先立ち、まずはTRPG(テーブルトーク式のロールプレイングゲーム)が、次にネットゲームやゲーム機で行うRPGが、キャラクターの「職業」の幅を広げてきた。ウルティマオンラインなどは、多分、その最右翼だったのだろう。

戦士だ騎士だ僧侶だ魔術師だ……というような、ほんとに定番のキャラだけでなく、商人などがいても良い。

いや、戦士や僧侶だとて、時には商取引やかけひきをする必要があるシチュエーション。シムシティのような生活シミュレーションとまではいかなくとも、舞台が架空の世界であっても、世界観が、広がるというか、「地に足の着いた部分」が出来てきて、プレイヤーも、そういう世界に馴染んできているだろう。


そういう環境があって、こういう小説が生まれたのかもなあ、と思うわけだ。

『手当たり次第の本棚』より引用

http://ameblo.jp/kotora/theme2-10000341433.html

この評が、もっともこの作品のエポックメイキングな点を、表わしていて、ファンタジーの世界が「地に足のついた部分」ができて、プレイヤー(=読者)がその世界に深くなじんでいるが故に、こういう作品ができるのだと思う。日本のファンタジーノベル市場も、非常に成熟してきたんだな、と思います。



『しゃにむにGO』の批評でも書いたんだけれども、人間が最も人間らしい自己実現をして充実に包まれるためには、「ナチュラルボーン(=生まれつき)の本分」を全うことである、という哲学?倫理??が僕にはあります。僕の批評をする時の「最も言いたいこと」の一つです。人間は、これを全うするために生きているのだと思うのですが、「馴致」と実存主義哲学では呼ばれますが、人間には目の前の瑣末なことに捉われて現状に慣れ家畜化するという性癖があって、自分の本分・本質を意識してそこへ無かってて邁進している人は、稀です。

しゃにむにGO (1) (花とゆめCOMICS)

だから、自分の本質にまっしぐらに向かっている物語を見ると、感動します。それは物語になるような、稀なことだから。ところがね、『巨人の星』でも『デビルマン』でもいいのですが、80年代以前ぐらいまでの作品ってのは、それが主人公だけに集約されて、、、つまりヒーローのみに集約されるスターシステムになる場合が多かったんですよね。だから、主人公の職業(=本文)のみしか、話題にされないし、出てこない。また、たぶん戦後民主主義の大失敗の一つでもあるんだが、「全体を一つの元に集約して力を発揮する」という戦略的思考が、封殺されている。これって、ほんとうは組織をつくって弱い民族が、高い攻撃力を得るというデモクラティズムの基本を無視する行為で、たぶんに偏った教育だよなーと思う。


えっと話がそれた。あのね、僕が小学生から高校生頃に読んだファンタジーノベルとかって、魔法使いと戦士ぐらいしか、出てきないものが多くて、商人とか、戦士の中にも盗賊とか拳闘家とか騎士とかニンジャとか、ここで描かれる従騎士(正式な騎士につき従う貴族ではない騎士)などなど、様々な役割の区別が全然出てきませんでした。魔法使いでも、実はいろいろな種類がある。グインサーガでは、王国に使える魔法使いと、単独で魔法を追い求める魔法使いには全く違う規範がありますし、僕の愛すべきファンタジーの王道『ドラゴンランス戦記』などには、様々な龍の種類や種族の違いが出てきます。


ドラゴンランス戦記〈4〉尖塔の青竜 (富士見文庫―富士見ドラゴン・ノベルズ)
ドラゴンランス戦記〈4〉尖塔の青竜 (富士見文庫―富士見ドラゴン・ノベルズ)



いやもともとファンタジーの原点である『指輪物語』などの西洋ファンタジーには、こういった様々な種類の区別はあるんですが、日本ではたぶんこの種のカテゴリーが導入されるときに、読者・消費者が、区別がつかないであろうことを想定して、単純化したんだと思うんですよね。それから、数十年・・・・。これは、エニックスのRPGドラゴンクエストなどの登場によって、職業の区別が複雑つに分化してバロック化して、また王道骨太の物語の枝葉が百花繚乱に咲き誇る同人誌などの発達や、骨太の大きな物語の解体を志向した時代の傾向と重なって、ついには、剣で戦わない、魔法もない、商取引をするだけで女の子を守ろうとする『狼と香辛料』のような作品を生み出すようになりました。王道の魔法使いである、ネギ・スプリングフィールドくんは、八極拳の使い手ですしね。タイプムーンの『Fate/styanight』にも、キリスト教教会の闇の執行機関の人間である言峰綺礼も、八極拳の使い手です。こういう西洋東洋のバロック化というかごった煮のエンターテイメントなんて、西洋ではきっとないですよね。

狼と香辛料 (電撃文庫)


えっと、やっと話が収束してきたんだけれども、


00年代の日本のファンタジーは成熟してきて、商人や従騎士など、本来は骨太の物語の脇役にしかならないようなものをメインにした作品群がたくさん生み出され、それぞれの職業の持つ本来の深さが認識されるようになってきたと思うんですよ。消費者が、その多様性を教育された、ということです。そして、組織が力を発揮するときに、たとえばただ一人の英雄とか王とかそういった物語の主人公の、ただの道具として存在する商人とか部下のただの歩兵とか、そういったエリートとノンエリートを、、、指導者と従うものを、ただの二元的分割で見るという非常に短絡的な見方をしない傾向が出てきていると思うんですね。


ただ単に「そういう風な物語を設計している」というだけではなくて、見ている消費者側の中の記憶のアーカイブに、商人とは?ニンジャとは?諜報員とは?といった別個のストーリが既にマインドセットされているので、かなり省略して、相当奥深いところまで物語世界を多様化・バロック化できるわけです。これって、LDさんGiGiさんの情報圧縮論ともつながる話です。


そうすると、今度は、それらの役割が連関した場合に見えるもの?というテーマが追求されることになるはず。これは、マクルス主義の残した非常に悪癖である、なんでも二分するという、善と悪で分けちゃうみたいな二元論の思考法への反逆です。農村と都市とか、資本家と労働者とか、帝国と植民地とかね。世界はもう既にそんな単純ではありえないのです。というか、もともと単純ではないところに無理に単純化したので、人間は動員できたけど、現実が追いつかなかったという話。


(2)に続く


2)みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために〜個人ではなく組織が力を発揮すること



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『エビアンワンダー』 素晴らしいっ!!!!これは読まなきゃ損!!!!!!

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『水滸伝』 17巻 北方謙三著 玉麒麟盧俊義の最後に、胸が熱くなる!!


水滸伝 17 (17) (集英社文庫 き 3-60) (集英社文庫 き 3-60)



評価:★★★★★星5つ マスターピース!

(僕的主観:★★★★★星5つ)


玉麒麟盧俊義。


政府専売の塩の闇のルートを作り出し、大宋帝国に叛乱をおこす梁山泊のロジスティクスを支え切った男。


その壮烈な最後に、胸が打ち震えた。


なんか、あまりにかっこよすぎて、、、、普通なら志やこれだけ男くさいプンプンとした雰囲気って時代錯誤のファンタジーだって、鼻で笑いそうになるようなものだが、、、、あまりの漢っぷりに、その壮烈さに、言葉も出ねぇ。


いやー素晴らしい小説ですよ。ぜったい読んでほしいですね。いろいろな人に。読みやすいしね。

2008-08-24

ルルーシュの動機が解体され、何もなくなっていく絶望していく様子が苦しかった〜TURN13〜20

f:id:Gaius_Petronius:20080914213718j:image

■主人公をここまで絶望させていくと、なかなか感情移入している側にとっては苦しい

TURN20の『皇帝失格』でやっと、ほっと一息つけました。というのは、TURN13ぐらからルルーシュの信じていたものが、どんどん奪われていくことが、物語の流れ上正しいとは分かっていても、苦しかったんで、やっとひとごこちついた気がします。なぜならば、最終目的の次元へ物語がシフトしたと思うので。とりあえず、僕はこの物語を3層の構造があると仮定していたので、5話?ちかく残りがあるはずですが、としても、3番目の「皇帝シャルルの目的と神殺しの話」に物語の焦点は移ったと思うので、この中身はどうなるかまださっぱりだが、それでも、目的があるいてど定まると安心する。

ちなみに「神殺し」というのは、まだ定義付けていないものので、ナショナリズムにせよインターナショナリズムなど戦争と人間存在の「現実」から逸脱したディメンション(次元)での物語、と思ってくれればいいです。この話にもいろいろ類型があるので。


■R2は、ルルーシュの動機が解体されていく物語

そういえば、『マブラブオルタナイティヴ』を、主人公のタケルの動機が解体されていく(=層を明らかにする)ドラマツゥルギーと書いたことを連想するんですが、この物語も、GiGiさんが指摘するとおり、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアという少年が、そのすべてを奪われて絶望していく物語なんですね。これを通して谷口監督は、何をいいたいか?というのは、まだ置いておくとして、とにかく、少なくともR2の20話まで、ルルーシュには救済(=サルベージ)される要素が全くない。いくつかあげると、

1)ナナリー(=妹)を守るために起こした戦争だったはずが・・・・自ら起こした戦闘のせいでナナリーは死亡


2)自分を愛して全てを受け止めてくれるはずだった恋人シャーリーは、その父親を殺し絶望させたうえで、自分が手駒として飼っていた弟(というウソ)のロロによって殺害されてしまう


3)嘘でも自分を心から兄として愛してくれたロロに、それが故に恋人のシャーリーを殺され、自分を窮地から助けるために死なせてしまう


4)仮にナナリーを守るための手段だったとしても、人生をかけて戦った黒の騎士団の仲間に裏切られてしまう


5)人に深く愛されていた妹の皇女ユフィを自らのギアスで操り、日本人の大量殺戮をさせてしまう。そのことによって、親友であったスザクにも、仲間である黒の騎士団(=日本人)にも、云うことすらできない十字架を背負ってしまう(もちろん、すべてばれる・・・)


主要なことで、これだけのことが揃っていて、そのすべてが、ルルーシュが、ギアスというウソを使って、支配したということにすべての原因があるという構造になっている。何が言いたいかというと、すべて言い訳ができないほど、はっきりとしたルルーシュの自覚的な罪によって起きたことだ!ということだ。


もちろん、ルルーシュが、その非人間的な行為のキングス弁には、常に、「妹のナナリーを守るため」という言い訳が存在した。この物語のドラマツゥルギーの核の中の核だ。その限りなく純粋で透明な「動機」が存在する限り、どんなに地にまみれても、本当はルルーシュは、救われるはずだった。が、ナナリー自体の思いを無視した押しつけであり、ナナリーが総督としてユフィの夢を継いだ時点で、ルルーシュの生きる目的は半分失われてしまった。そして、もう半分のナナリー自身も自らの戦闘で殺害してしまうことになる。そう、もう、ルルーシュには、救われる方法が残されていないし、たとえどんな理由や言い訳があっても、もうここまでのことをしてのけたからには、他人から仲間から理解されるということはありえないだろう。どんな理由があろうと、自分を騙し駒として使った、しかも日本民族解放のために戦っている黒の騎士団にしてみれば、日本人の殺戮を手段として利用したゼロ(=ルルーシュ)を許す理由が存在しない。


と、こうやって、救済の逃げ道が存在しないところまで追い込まれる(=絶望する)のが、R2の19話までの基本的なストーリーであった。


■閃光のマリアンヌ(ルルーシュの母)とアーニャの関係

ちなみに、ナイトオブシックスのアーニャは、実は、ルルーシュの実の妹なのでは?という説を僕は唱えていたのですが、これはまだ生きています。というのは、アーニャは、時々記憶を失ってしまい、そのことを苦慮して写真を撮る癖がついたという設定ですよね?。


そして、マリアンヌ(=ルルーシュの死んだはずの母)の人格として振る舞うアーニャがこの20話から登場しますが、マリアンヌの人格が出てくるときはすべて、ギアスがかけられた状態の赤い眼をしていますよね。これって、ギアスの力によって、アーニャの人格にマリアンヌの人格が割り込んでいるって考えてもいいではないですか?。つーか、僕はアーニャ大好きなので、マリアンヌのようなパワーねじふせ型が本人格であってほしくないって、願望からいっています(笑)。



■「たとえ嘘でも、本気で願うことは、本当だ」というドラマツゥルギーをも解体?

えっと、これってロロの物語と同じなんですが、ロロって、あの自分のエゴのためにシャーリーとか殺しているし、えっと、どうなのそれ?って壊れたキャラクターなんですが、「ルルーシュを兄と慕う気持ち」は本物でしたよね。


本物であることを示すことが、自分の命を投げ出すことでしかできないなんて、なんて不毛な・・・と思います。


これって、「たとえ嘘でも、本気で願うことは、本当だ」というドラマツゥルギーなんですよ。でもね、これって、まだ一つルルーシュの落とし穴が残っているということで、ナナリーを救うために起こした、、、母である閃光のマリアンヌ殺害の真実を知るために、故郷であるブリタニアに反旗を翻した、その記憶さえも、すべて嘘かも知れないって、可能性があるわけじゃないですか。マリアンヌの目的がなんだったにせよ、ルルーシュは、本当に「何も頼るもながない」「すべてが嘘だった」ことからスタートしている可能背が大なんですよね。そのためには、ナナリーが妹ではなかった!という設定のほうが、僕はいいと思うので、、、、って、書いていて、さらに苦しくなってきた。

えっと、くどく長いな、僕の文は、、、、えっと、


「嘘でも信じたことは本当じゃないか?」


「嘘から始まったことでもナナリーやアシュフォード学園や黒の騎士団との同じと気を共有した事実は本当ではないか?」


というロロのドラマツゥルギーの感動的なものはさ、でもさ・・・・ルルーシュぐらい複雑に、すべての、信じていたものが解体されてしまうと、


そもそもルルーシュの自由意思ってなんだったんだよ?


って思いません?。


ロロは、まだわかりやすい。新興宗教教団に騙された子供とか、少年兵になった子供とか考えればいいわけで、その果てに、殺し合いだけではないものを、「兄ルルーシュとの日常」という幻想を本物にするべくかけた、ということは、生きる目的としては非常によくわかる。物語としても、仮に、信じたルルーシュとの関係が嘘であっても、最後の最後でルルーシュの心に届いているんだから、あれはロロの物語としては勝利ですよね。


でも、、、ルルーシュは?


ナナリーさえも嘘で、母のマリアンヌすらも、何かの目的で動いているとしたら、、、、ここまで動機を解体されてしまうと、、、そもそもなんでルルーシュは生きているの?ただの人形じゃないか?って、ものすごい絶望感があります。ちょっとかわいそう過ぎて凹みます。ただ、結末をどうもってくるにせよ、主人公の信じるものをすべて解体していくそのメタ的な物語の進め方は、ああやっぱり00年代以降の現代の物語なんだなーと思います。だって、『崖の上のポニョ』や『スカイクロラ』と同じテーマになるじゃないですか、やはり。


この堅い現実の地平が信じられない、、、っていう。


■追記

あっ、ちなみに一つだけ救済の可能性があって、ナナリーが生きていた、ということがあれば、かなり予定調和的にルルーシュには、人間としての救済の可能性があります。でもまーこの流れで、そんなハッピーエンドにするかなぁ、、、とかも思います。ただ、そうすると、あまりに希望とか「頑張ろうという意志」を解体することになるので、見ている側にカタルシスの全くない作品になってしまう。そこは、どう考えるか?監督??って思う。ちなみに、思いっきりルルーシュの自我を破壊して、救いを完膚無きまでになくせれば、伝説のカルト作品として、残ることになるだろうし。そうでなければ、とても見事にまとめた秀作ということになるだろう。

最近思考がついていけていないコードギアスR2

コードギアスで生き残るべき人々/2008年08月23日/未来私考

http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20080823/1219526112


毎週、心待ちにしている。が、ナナリーやシャーリーの死から、そのスピードに思考が追いついていない。いや、ショックで(苦笑)。展開早すぎ。しかも、R2の主人公はルルーシュなんだろうが、この物語は、ルルーシュの動機や存在価値をすべて奪うことになっているので、見ていると凹むんですよね。素直に感情移入していると、、、、これだけはまっているだけに、心砕けそう(苦笑)。まぁ、物語の見方としては、距離を置く癖がついているわけで、大人になったんだな、と思ってしまいます。この流れって、やはり『無限のリヴァイアス』を思いこさせるなぁ。・・・・今日も楽しみです。

2008-08-23

『崖の上のポニョ』と『スカイクロラ』にみる二人の巨匠の現在〜宮崎駿は老いたのか?、押井守は停滞しているのか?(2)/スカイ・クロラ編

下記のポニョ編の続きです。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080822/p5



評価:★★★★星4つ

(僕的主観:★★★★星4つ)



■CGの俯瞰的な空中戦闘シーンは、秀逸〜宮崎駿とはまた別次元の空の美しさを見せてくれる

スカイクロラ見てきました。まず結論からいってしまいましょう。この作品の見どころは、CGの素晴らしい空中戦闘シーンです。それだけといっていいが、それがすごいって作品です。かつて宮崎駿の十八番といわれたこの部分を、見事に映像化しています。個人的に、宮崎駿が「できない」硬質でリアル俯瞰感覚は、押井さん一本!という気持ち。飛行機を愛する人間として、あの俯瞰した映像は、感動的だった。とりわけ、基地の空港へ帰るときの、すべての地上的な安定感から切り離されたあの何とも頼りない映像は、たまらなかった!。


実は、これだけで★5(=傑作)行きそうな素晴らしさなのですが、惜しいっ、脚本があまりにも「押井守的なもの」から成長がないので、どうしても★4つ(=惜しいっ!)になってしまいます。いや、さすがに日本の映画を見る者として、宮崎駿や押井守の最新作は、リアルタイムで見ておかないともったいないですよ。イベントとして。好き嫌いは別。それに、空中戦闘シーンが素晴らしいこの作品は、劇場版で見ておかないと損をすると思います。


■「生きるということはどういうことか?」についての両巨匠のスタンスとと答え

ただし、僕は、『崖の上のポニョ』よりもはるかにおもしろかったし、今の時代に合っている表現だとは思いました。詩的な作品で、映像や演出からすべてが、現実の境界線があいまいなキルドレである函南優一の主観視点から描かれることにより、世界の非現実感を醸し出させている。一貫して最後まで、村上春樹の小説を読んでいるときに似た詩的なトリップを味わうことになる。これは見事な演出。

羊をめぐる冒険

この永遠の日常を生きる現代のわれわれの「息苦しさ」をどう扱うかについて、同じテーマに宮崎駿さんも押井守さんも直面していると思います。だから


『崖の上のポニョ』のコピーは、「生まれてきてよかった。」


で、


『スカイ・クロラ』の「もう一度、生まれてきたいと思う?」


になっています。つまりは、「生きるということはどういうことか?」について語っていますと宣言しているようなものですね。

ちなみに僕の感覚は、ポニョを見た後に、「生まれてきてよかった。」という言葉を考えると、ほんとか?と疑問が浮かびます。だって、あまりに詩的な映像空間は死の匂いに満ちていて(僕はこれ大好きですが)、少なくとも熱く命を燃やすことに対する肯定は語られていると僕は感じなかったもの。『もののけ姫』の、あの熱い「生きろ。」という見事なコピーと比較すると、よくわかる。宮崎駿監督、あなた、ぜったい生まれてきてよかったと今の子供たちに言えないと思っているでしょう?って、突っ込みたかった(苦笑)。

に比較して、押井守監督は、はっきりと生きる肯定を打ち出している。さすがに演出が非常に統合・設計的な押井守さんのほうがはっきりと結論を出しており、それは心地よかった。



自らの生に現実感を持たない主人公が、世界をいかに感じるかというアプローチによって、生命の中に見出す希望というテーマを描き出したのは秀逸だ。


ノラネコの呑んで観るシネマさんより

http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-247.html


それは、最後のほうで、主人公である函南優一は、現実感を全然持たない演出は変わらないまま、絶対に勝てないといわれるティーチャーへ明らかに無謀な戦闘を試みるんですが・・・・ここに、僕は、誤魔化しではない現実感の希薄な現代社会で命を燃やす方法を語っているようで、とても強い意志を感じました。そして最後の草薙にもう一度出会うシーンは、それほど命を燃やしてさえ永遠の日常に回収されてしまう僕らの現実の絶望的なマクロ環境を語っているようで、なかなかにグッときました。この辺の、フィリップ・K・ディックに連なる「世界のウソ(=虚構と現実の境のあいまいさ)に対する告発者」としての押井守らしいっと思いました。何も、あそこでああやって視聴後が苦しくなるようなシーンを入れて、映画の完成度を高めメイナーて気にしないでもいいではないか、と思うのですが、そこは作家主義的で正しいこだわりですね。


とはいえ、永遠の日常に回収されるマクロ構造はもうわかりきっていて、そういった絶望的な世界にいる「われわれ自身」はもう実は言及するまでもない事実なんですよ、、、では、死ぬか?って草薙は函南に問いかけます。けど、女性である草薙に函南は、「生きて見届けろ」と言いつつ、自分はティーチャーに特攻して死ぬところは、男性と女性の生命力の差はこれくらいあると主張しているようで、男性としては、うーむ、まぁ正しいと思うけど、露骨な「ファムファタール(femme fatale)」(=運命の女)だなぁ、と思ってしまいました。宮崎駿さんもなんだけど、母性的なものへの回帰は、このあたりの世代の特徴的な傾向ですよね。まぁ確かに普遍的なドラマツゥルギーではあると思いますが。小説版の方が、キルドレから人間に戻る方法という意味で、この話はさらに露骨ですよね。栗本薫の『レダ』もそうだってけれども、生命としては女性の方が強いというのは、SFの伝統的解釈ですよね。



■押井守監督の言いたいことはなにか?〜最初期から、全く一本のズレもなく同じことを語っていると僕は思います

ちなみに脚本としては、『うる星やつら2〜ビューティフルドリーマー』いや『天使の卵』以降、何一つ押井守監督の「言いたいこと」は変わっていないし本質の構造は、全く同じだと僕は思います。わざわざネタばれする必要もないので、何が同じかは、劇場で観てください(笑)。



キャラクターとしては一度もその姿を見せないにもかかわらず、影のように物語を支配する撃墜王ティーチャーは、キルドレではなく大人の男。

つまり、創造物であるキルドレが決して越えられない現実の壁だ。

水素とのつかの間の出会で愛を知り、生きる事の意味を見出した優一は、永遠の日常を外れて、あえて壁に挑む事で、世界を包み込む巨大なループに希望という名の小さな楔を打ち込んだのかもしれない。


ノラネコの呑んで観るシネマさんより

http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-247.html


この文章を読んだだけで、大傑作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』と同じ構造だとわかりますよね。押井守さんは、最初期から、村上春樹や村上龍と同じ、モノを見ていると思います。…年代的にも近いよね?。資本主義社会のフロントランナーとしての安全なブランケットでくるまれ、現実とのアクセスを失った都市文明の「現実の退屈さ」が、極まった先進国・日本に生きるもすべてに共通する、まるで夢を見ているような、生きている現実感の手ごたえのなさと、現実の境界があいまいなまま、すべてが進んでいく世界のありかたについての違和感を、告発することです。フィリップ・K・ディツクに連なるというのはそういう意味です。


うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー
うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー

TOKUMA Anime Collection『天使のたまご』
TOKUMA Anime Collection『天使のたまご』

ただ、そう、、、、もう年齢的に50台を超える彼らには、そろそろ「告発するのにはもう飽きた」。では、この世界でどう生きるべきなのか?についてモデルを提供してくれ、という大きなテーマが降りかかるようになりました。


押井守さんや宮崎駿さんの制作のスタンスがどうあれ、どういう意志で映画製作にかかわるのであれ、この疑問を答える、、、なんというか、言い方が難しいのですが権利と義務があると思うのですよ。現代日本人の表現者としては。


そもそも、戦後の60年代以降の日本社会で表現の世界に身を置けば、究極の到達点は「そこ」ですから。フィリップ・K・ディツクは、絶望して自殺したのかもしれないですが、それでは、何の解決策にもならない。


なぜならば、われわれ人生は続いていくことはもうはっきりとしたから。


60年代や70年代にあった革命への志向、ニューエイジ的な渇望は、現実が超克していくような進化は起きないという80年代以降の「現実」によって、否定されました。もうわれわれには、革命やニューエイジの幻想に逃げることも許されないのです。宗教すらそうです。オウム真理教の存在によって、我々は、すべての逃げ道を封鎖されてしまいました。

アンダーグラウンド (講談社文庫)

もう、幻想を見ることも、われわれには許されない。その果てである2000年代に、僕らはいったい「どこへ行こうというのか?」「どこへ行くべきだというのか?」それに答えずして、表現する資格はないと僕は思うのです。



アンドロイドは電気羊の夢を見るか?―Do androids dream of electric sheep? (講談社ワールドブックス (7))


そういう意味では、さすがに、そつなく押井守監督は、時代の問題点をそつなくまとめている。これまでの全作品の中で圧倒的に、わかりやすい作品だ、と僕は思います。これ、宮崎駿へのある種の挑戦というかアンチテーゼですよね。


難解なものをエンターテイメント化しないで、快感原則に逃げることもせず、難解なまま非常に理解されることが少ないであろう層に向けて、それでも、それなりに売らせてしまう。しかも、たぶん、意味はわからなくとも、「感覚として」「感性として」こういう世界に生きることの難しさや違和感は、バシッと誰にでも伝わると思う。、、このテーマなんて、見る人お金を出す人なんて、人口の数%もいないんじゃないかと思う。マーケットサイズからいったら、数千から1万はいないかもしれないと思う。ある種の「文学」の傾向をもったものですから。にもかかわらず、これだけ大規模に売る。そして、アニメーションの職人としては、天才宮崎駿に勝てなかったはずなのに、最も宮崎駿の魅力の核心である空中を飛ぶ感覚で、真っ向ガチバトル!。そして、たぶん勝負としては、押井守さんの勝利ですよ、これ。


そういう意味では、天才にして巨人宮崎駿への挑戦がはっきりと感じてしまうなぁ。意識しているかどうかはともかく。少なくとも一観客の僕には、そう見えてします。


上記の、この作品の脚本としては、「そつなくまとめた」というのが僕の結論であって、押井守さんが、自分のテーマを大きく回答、発展したというわけではないので、やはり停滞と感じてしまう。だから、★5つの傑作としては認定できない。けれども、明らかに、挑戦が見て取れるこの作品に対しては、僕は、ポニョよりもはるかに高い志を感じるし、同時にその志がわかりやすい。宮崎駿のポニョは、挑戦なんだか、後退なんだか、もう混乱して意味不明だもの。まぁそこが宮崎駿らしい「凄み」でもあるのですがね。



というのが結論。






ちなみに、せっかくなので、映画の理解の補助線。


■人間社会のバランスを取る装置として戦争が必要ということの意味?

僕は、とりあえず小説も3冊分読んでみたが、この作品世界のSFとしての整合性には、かなり疑問がある。なんというか、森さんの小説にしても、押井守の映画にしても、「世界が壊れていること」の演出のために、無理やりこの世界の論理を作った、という後付けを感じる。彼らが書きたいのは、「壊れた世界の中にいる人間の主観がどういうものか?」であって、「壊れた世界の整合性」自体ではない。だからこれを、ハードSFとは呼べないし、下手をしたらSFともいえないかもしれない。むしろ、ライトノベルとでも言えるのかもしれない。

スカイ・クロラ (中公文庫)

ナ・バ・テア (中公文庫)

とはいえ、そう言ってしまっては、さびしいので、この戦争を合理的に組み込んで世界を家畜小屋のように管理してしまおうという善意なる設計主義者たちの全体主義的な欲望を、理解の補助線のために考えてみたいと思います。





<<p430あとがきから抜粋>>

人間が戦争ばかりやっているのは、べつにおかしいわけではなく、もともと外なるものを峻別し追跡し攻撃し殺戮し略奪する天性があるからでしょう。私たち動物が口を具えてこの方この方、ずっとそうやってきて、それじゃちょっと情けなくはないかと大脳が言い出したがわずかここ百年あまり。それまで5億5千万年ほど生きるために殺していた。そう簡単にやめられるもんじゃありません。


 知的生物を自認する以上は、本能の命令であるところの殺戮意欲を何とかして抑え込むのが向上というものだと思います。より巧みなのは、智恵を凝らしてこの猛獣に代わりの餌を与えてあげることでしょう。同時に、それなくしても生きていける方策を肉体にも提供する。菜食主義は工夫の一つですが、それでもまだ足りません。あれだって、命を殺していますし。

 SF的には、完全栄養薬品を作り出し、味覚と空腹感を欺く手段を完成することが、知的向上だと思います。

グロテスクだと思いますか?

一方でまったく逆のアプローチも考えられます。殺戮行動と生存手段が等しくなる社会を築いてしまうこと。すなわち猛獣に活躍の場を与えることです。


やってみました。この話で。


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小川 一水

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下記の記事の引用は、小川一水さんの上記の作品に対する僕の感想ですが、これが、よくよくこのSF的発想を説明していると思うので、そのまま全文掲載しています。ちなみに、世界がほろびたあとという舞台は、設計主義の欲望を、ものの見事にわかりやすく現出させるので、この系統のテーマの王道なのです。



<<世界が滅びたあとという設定>>


「世界が滅びた後」という設定には、

1)設計主義的な世界を一から設計仕様とする欲望


2)それに付随する、なぜ滅びたかという謎解きの部分


3)滅びさった後の世界での、濃い人間関係による共同性と絆の復活


<<世界を無から創造する手法>>

このようなサイエンティフィック・フィクションの系譜は、ヨーロッパの社会思想・哲学の発想を脈々と受け継いでいると感じます。というのは、この世界を無から設計しようとする欲望に出会うとき、一番思い出すのが、ホッブスのリヴァイアサンです。「万人の万人による闘争」という概念を聞いたことがありますでしょうか?。これは、国家主権の正当・正統性を主張した書物です。中身はともかくとして、ロールズの正義論やアダムスミスの国富論は、すべて非常に大きな仮説のもとに世界を再構成し直すという思考の手順を踏んでいる。

えっと、どういうことかというと、


現実を現実のままで理解するのは、あまりの情報量の多さで挫折してしまう。たとえば、ある森や海でもいいけど綺麗な風景があったとして、それを文章で100%再現しろといわれたら、不可能なのがわかると思う。

だから、たぶん世界はこういう原理で動いているよね?

という大きな仮説(=ウソ)をまず構築するのです。その仮説(=ウソ)に基づいて世界を記述してみて、論理的整合性を保てるかどうかを確認するという手法なんで、「膨大な情報量の世界」という対象を、「計量可能で理解しやすい構造に捨象」します。これはサイエンス(=科学)の手法とも同じですね。変数を固定するために、ある一定の条件が成立する限定状況(=実験室)を作成し、そこでの再現性を検証する。だから、ヨーロッパ社会思想・哲学には、「最初の大嘘をかま」します。しかしそれは単なるウソではなくて「大きな仮構の世界を構築する」という目的で成立しているのです。まずこの仕組みを理解しないと、ヨーロッパの社会思想史はまったく読めません。どうもヨーロッパの思想や哲学は、この手の「無から創造する」思考伝統があるようで、その最もポピュラーな伝統の継承者が、SF(サイエンティフィツクフィクション)なんだと僕は思うでのです。

さて、「世界を無から創造する」という言葉を聞くと、たぶん、ヨーロピアンファンタジーのトールーキン『指輪物語』や通なSF好きな人ならばル・グゥインの『闇の左手』とかを思い出すでしょう。SFには、「無から世界を創造する」という欲望の典型的な展開があります。ちなみに、こういった「無から世界を創造するという欲望」のファンタジーのエンターテイメント性をほんとよくわかっています。さすが、小川一水さん。


えっと、社会を合理的に運営できるように設計して改良していこうと志向する「考え方」を突き詰めていくと、人間の殺戮本能を、どうやってうまく馴致しようか?って考え始めるんですね。これには、さまざまなSFが、気合いを入れて可能性を突き詰めています。一番よくあるのが、遺伝子改造や、テストチューブによる洗脳によって、そもそも殺戮意識のない去勢された「人間」を作ってしまえばいいじゃないか。100年もすれば、全部入れ替わるぜ!みたいなやつです。


ちなみに、これは僕の愛する栗本薫さんのSF小説『レダ』とか竹宮恵子さんの少女マンガ『地球へ』とかが物凄くわかりやすくこの系譜の作品になっているんで、見ると面白いですよ。映画では『ペイチェック』『アイランド』『マイノリティーレポート』とか、ってこれはフィリップ・K・ディツク原作ですね。テリーギリアムの『12モンキーズ』『未来世紀ブラジル』それに、マイケル・ウィンターボトム監督の『CODE64』とか、、、あっと最高の傑作は、鬼才アンドリュー・ニコル監督の『ガタカ』ですね。



ガタカ

マイノリティ・リポート 特別編

12モンキーズ


ただし、こういったマクロの世界自体を合理的に描写しようとするのは、1930〜50年代までのSFが多く、それ以降は、そういったマクロの世界の構造は所与のものとして(=つまりはみんな肌でその感覚がわかるようになってきているので説明が不要)、ミクロの個人の主観はどうなっているのか?って事を書き始めるんですね。





■なんとなく参考記事


『ハイウイング・ストロール』小川一水著

http://ameblo.jp/petronius/entry-10004175583.html

『西の善き魔女此^任虜玄蝓拉觚教子著/世界を疑う感覚

http://ameblo.jp/petronius/entry-10006712520.html

『西の善き魔女此^任虜玄蝓拉觚教子著/世界を疑う感覚

http://ameblo.jp/petronius/entry-10006718232.html

資本主義の「市場」を作り出すことと国民国家(ネイションステイツ)の関係


フランス革命自体、その少し前に起きたアメリカの独立とともに、イギリスの資本家が国際投資環境の実験的な整備のために誘発したのではないかとも思える。フランス革命によって世界で初めて確立した国民国家体制(共和制民主主義)は、戦争に強いだけでなく、政府の財政面でも、国民の愛国心に基づく納税システムの確立につながり、先進的な国家財政制度となった。それまでの欧州諸国は、土地に縛られた農民が、いやいやながら地主に収穫の一部を納税する制度で、農民の生産性は上がらず、国家の税収は増えにくかった。

 フランス革命を発端に、世界各地で起きた国民国家革命は、人々を、喜んで国家のために金を出し、国土防衛戦争のために命を投げ出させる「国民」という名のカルト信者に仕立てた。権力者としては、国民に愛国心を植え付け、必要に応じて周辺国の脅威を扇動するだけで、財政と兵力が手に入る。国民国家にとって教育とマスコミが重要なのは、このカルト制度を維持発展させる「洗脳機能」を担っているからだ。

覇権の起源/2008年8月14日/田中 宇

http://tanakanews.com/080814hegemon.htm

僕は、こういった陰謀論的な話は、どうしても拒否が生まれるのですが、とはいえ、「見えないところ」に「秩序を見出す」というのは、分析の基礎的なもので、この問いの結果見えてくるものがいつも興味深い。


この300年くらいの地球の歴史は、やはり資本主義の「市場」を作り出すという力学に基づいていているんだなーと思う。この視点抜きで歴史は語れないんだと思う。「市場」というのは、商品をバカスカ買う、中産階級がある国家のこと。そして、そこの労働者が、グローバル経済のリカードウのいう比較購買説を実証するような、「強み」ごと貿易でリンクできるような再生産とイノヴェーションが行われること・・・。人類は、そういう意味では、WW1や2以降、ちゃんとこの負の側面を抑えながら発展している。


・・・アフリカだけ、はいれねーんだよなぁ、、、これに。・・・・・・。

既に一番でないことの意識は重要〜2007年のシンガポールの一人あたりのGDP(国内総生産)が日本を抜くことが明らかになった

IMF(国際通貨基金)がまとめた調査によると、2007年のシンガポールの一人あたりのGDP(国内総生産)が日本を抜くことが明らかになった。シンガポールは3万5000ドルを超えたのに対して、日本は3万4300ドルにとどまっている。これまで半世紀にわたってアジアで1位をキープしていた我が日本だが、ついに2位に転落してしまったわけだ。

 世界で見れば1994年には一人あたりGDPで日本は世界一であったが、一昨年に17位に、そしてついに昨年の実績で22位に転落してしまった。もちろん為替の影響もあるが、日本の国民所得、すなわち国民のつくる付加価値の総和がこのところほとんど増加していないのだから、この数字は実態を表しているモノと見なくてはいけない。

 日本では、このことはほとんどニュースにもなっていないし、危機感がまるでない。政府の方も都合が悪いのであえて危機感をあおることはしたくないのだろう。しかしシンガポールに抜かれたということはやはり画期的なことなのだ


第137回/「アジアで最も豊かな国」から転落した日本/経営コンサルタント 大前 研一氏/2008年7月16日

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/140/



って、知っていました?。これって、とても大きなことなんですよね。





高福祉こそが経済競争力を生む――北欧社会の「逆転の発想」

グローバリズムに適応しやすい北欧社会

 新興国がどんどん力をつけるグローバル社会で勝ち抜くには、環境の変化に応じて産業構造を柔軟に変えていく必要がある。生産性の低い、つまり儲からない業種にいつまでもこだわっていれば、いくら働いても人も会社も国も豊かにはならない。こうした理屈は誰でもわかるが、実際に改革するとなるとたいへんだ。ひと言で言えば、大量の失業者が出るのもかまわず、弱い産業や部門の労働者をクビにするのはむずかしいからだ。

 日本でも、財政が逼迫し、「公共事業を減らせ」と言われていたが、なかなか進まなかった。建設業は長らく余った労働力を吸収する緩衝役を果たしており、公共事業を一挙に削減して関連企業がつぶれれば大量の失業者が出て社会が混乱する。

 しかし、失業者の生活も再教育も国が面倒を見る体制ができていれば、産業構造の転換をどんどん押し進められる。失業対策費用が一時は増えるものの、短期間で新興分野に労働力を移せれば、ジリ貧の産業を必死に維持するよりも、もっと楽に経済力をつけられる。つまり、このレポートのサブタイトルどおり、「リスクを共有する」体制ができていればグローバリズムは受け入れやすくなるというわけだ。

 北欧社会も90年代前半には経済危機に陥った。けれども、ITにリソースを集約させたことで短期間で立ち直った。携帯電話機メーカー・トップのノキアは、ITによって復活したフィンランドの象徴的な存在だ。

 アメリカ型資本主義の問題を感じている人も、グローバリズムの世のなかアメリカのマネをしないとやっていけないと思いこんでいる。ところがこのレポートは、アメリカとは別のやり方で経済競争力がつくことを教えてくれる


f:id:Gaius_Petronius:20080823160922j:image

フィンランド経済研究所のレポート『北欧モデル――グローバリズムを受け入れ、リスクを共有する』(http://www.etla.fi/files/1892_the_nordic_model_complete.pdf)。

歌田明弘の『地球村の事件簿』

http://blog.a-utada.com/chikyu/2008/08/post_ba53.html


僕は、これを読んで、いったいいま巷で言われるネオリベラリズムの政治・経済政策と何が違うのかがさっぱりわからないんですよね。


セイフティブランケットを厚くする代わりに、スピードのある産業の構造の転換を実施し、世界中で余っている金融資本を呼び込むことは、大前研一さんがものすごい前からいっている「貸席経済」ですよね。これって、北欧やシンガポールなどがやっている国家運営方法と、なんら変わるところがないでしょう?。

竹中平蔵さんにせよ小泉純一郎元首相の改革にせよ、徹底的な規制緩和とセイフティブランケットは、一体であったのはもう当然であって(だって経済理論的にそれしかあり得ないもの)、北欧の国家経済運営って、結局は、ネオリベラリズムの主張となんら変わらないじゃないですか。


実際に、60〜70年代の高福祉政策による、若手国民や優秀な企業の大規模な国外流出と、なによりも広範な国民のモラルハザード(=動機の消失)の徹底的な反省ににたって、80年代以降の経済運営はなされている。事実上、高福祉政策は、停止しているんですよ。このリスクの共有という言葉の中に、セイフティブランケットを与えるけれども、「産業構造の転換・・・・それに伴う自己変革と自己責任」に追いつけない人はある程度切り捨てるのが前提なんですよね。そうでないと、楽した人が得するという最悪の共産主義経済になるじゃないですか。北欧経済の凄いのは、そういった国民のリスク意識と自己変革を、徹底的に駆り立てる動機を形成するようにしていったことと、セイフティブランケットである高福祉体制を、それなりに両立させているということですね。切り捨てる規模が小さかったのは、それだけ自己変革を国民全部の意識に刷り込むことが可能なほど、国の規模が小さかったからだと思うんですよ。


国土が狭い、地下資源に乏しいという点では、シンガポールも日本も同じだ。にもかかわらず、どうしてこのような彼我の差が出てしまったのか。理由は明白だ。シンガポールでは積極的に外資、外国人の誘致策を展開し、世界経済を味方に付けて経済の活性化を図ってきた。それに対して我が日本は、市場開放が後手に回ったことから、経済の成長に大きな差が出てしまったのだ。世界経済の利用の仕方で差が出た、という点をよく認識しなくてはいけない。

第137回/「アジアで最も豊かな国」から転落した日本/経営コンサルタント 


大前 研一氏/2008年7月16日

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/140/

ちなみに、日本やアメリカとの、唯一の違いは、ネイションステイツ(国民国家)としての規模。そもそも人口が圧倒的に違う。国家としての規模が全然違うんで、舵の切り方が、そんなに早くできない。また、国民の意識の総入れ替えって、人口を一億を超えるレベルの国家では、内戦に近いような既存勢力との戦争になるんですよ。そのへんの難しさも加味しなければならない。


また、グローバル経済や自由に移動する金融資本との連携は、それだけ、「早い産業構造の転換」を迫るので、なかなか難しい。そもそも、アイルランドなど成功している国が、グローバルな共通言語である英語を母国語にしている、かつ変なプライドが持てないほどの小さな国家であったということも重要だと思う。そういう基盤がない日本の国民に、いきなり強烈な自己変革を迫るのか?って、、、ついてこれない人を切り捨てることとほぼ同義になるにきまっている。それをフルにケアできるほどの財政的な余裕は、国民意識の統一は、日本にはできていない。


「社会保障の費用がたりないので、1パーセント消費税をあげます」といったことを少しずつ繰り返し、結局いつのまにか高い消費税になるぐらいだったら、この際10パーセントぐらいバッと上げて、その代わり、「年金はばっちり払います。失業しても生活費の面倒はもちろん見るし、再就職するための勉強や訓練も提供します。グローバリズムに適応するために、産業構造の転換はどんどんやりましょう。教育費も大学までタダにするし、子どもの保育の面倒も見るので、女性も安心して働いてください」とやったほうが元気も出るし、経済的にもプラスなのではないか。欧米に比べて消費税率がかなり低い今なら、こうしたことはまだ可能だろう。


歌田明弘の『地球村の事件簿』

http://blog.a-utada.com/chikyu/2008/08/post_ba53.html


僕は、消費税率を上げるのは当然と思っているのですが、


福田改造内閣の特徴の一つは「小泉改革の否定」だ。小泉元首相がやろうとしていたことを全部否定してしまおうという、一種狂的な気迫のようなものすら感じる。それは例えば、郵政民営化反対議員であった野田聖子氏が消費者行政推進の特命担当大臣になっていることからも読み取れる。彼女は小泉改革の柱である郵政民営化に反対したために自民党から追放された、典型的な「アンチ小泉」だったからだ。

 小泉改革・スモールガバメントの象徴であった大田経済財政担当大臣に取って代わったのが与謝野さんだということも象徴的な出来事だ。与謝野馨氏は小泉元首相とはまったく逆の、対局にある考え方をする人物だ。財政が不足しているとなれば、普通の感覚を持った人間であれば「ムダを減らそう」と考えるものだろう。しかし与謝野氏は真逆の判断をする。すなわち「税金を集めよう、消費税を上げよう」とするタイプだ。そしてラージガバメントを志向し、官僚と仲良くすることが国にとって良いことだと公言してはばからない。


第141回/内閣改造で見えた福田首相の「恐ろしさ」/経営コンサルタント 大前 研一氏/2008年8月12日

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/144/



こういう反動勢力がいる限り、こういった財源は、旧態依然とした既得権益の勢力に吸い上げられてしまいます。それでいいのかってのは悩みどころ。

マクロスflontier #20の感想〜ミクロの思いがマクロに伝わる時

マクロスflontier #20




「…ランカちゃん。貴女が『希望の歌姫』なら私は…絶望の中で歌ってみせる!」

さっき、見てた。シェリルの歌のシーンで、思わず涙ぐむ。いや、このシーンどっかで見たと気がしたんだが、これってグレンラガンのみんなが絶望す中で、シモンが一人黙々と穴を掘る音にみんなが気づくシーンとほぼ同系の演出なんだよね。なにがって、つまりは、個人の心の奥底に眠る思い(=ミクロ)が、世界(=マクロ)に伝わるシーンを描いているんだよね。僕は、いつもこういうのに、ぐっとくる。結局は、そう。どんなに個人的の思い悩みも、「そこ」に昇華するしかないんだと思うよ。そして、何かに選ばれた人は、その職業を通して、世界にアクセスするしかないんだと思うんだ。ちなみに、何話だったかな?アルトとデートする回以来、ええ、僕は、かんぺきにシェリル派ですよ、ええ。

マクロスF (フロンティア) O.S.T.1 娘フロ。

2008-08-22

北方謙三さんの『水滸伝』16読了。

マジか、しびれたよ。もう泣かされっぱなし。袁明のセリフの重さに、感無量だよ。しかも、最後に出てきた、李師師・・・やばい、このウルトラ短いシーンだけで惚れた。今日は、大阪出張だったんだが、出張の飛行機の中って時間あっていいなーと思う。・・・つーか勉強しろよ、とかそういうこと言わないで、、夏はやる気でないです(涙・大粒)。

『崖の上のポニョ』と『スカイクロラ』にみる二人の巨匠の現在〜宮崎駿は老いたのか?、押井守は停滞しているのか?(1)/ポニョ編

崖の上のポニョ―宮崎駿監督作品 (ジス・イズ・アニメーション)


評価:★★★☆星4つ

(僕的主観:★★★☆星3つ)


■結論は、「次回作までのお預けです」(笑)。


二つの感想を別々に書こうと思っていたのですが、実は、総括すると同じ疑問が浮かび上がってきたので、ワンセットにしてみました(っていっても、スカイクロラは、まだ描きおわっておりません。が、終わるの待っていると公開終わってしまいそうなので(苦笑))。まず僕が下記作品別の感想で考えてみた総括として、結局のところ「宮崎駿さんは老いたのか?、押井守さんは停滞(=同じことを繰り返している)しているのか?」ということを疑問に思ったんです。これは、タイトルのツリみたいなもので、逆を言いかえれば、この作品を通して、「宮崎駿さんは60歳にも関わらずチャレンジしている」し、「押井守さんは新たに前へ進んでいる」ということを感じた、という意味でもあります。


ただし、どっちであるか?ということの決め手がない、と思います。


だから、この結論は、最終的には僕は保留したく感じます。というのは、この両作品とも「もう一歩足りない」作品だと思うので、僕的には★4つなんですよね。文句無しで、客観的に傑作だ!といえるとも思えないし、両監督の作家性を極限まで突き詰めている(たとえ人気がなくとも)というような「到達点」を示しているわけでもないので、この質問の答えは、「次回作で試される」と僕は思うからです。


さて、結論から先取りしましたが、それぞれの作品の感想に移ってみます。



<<宮崎駿監督 『崖の上のポニョ』を観て〜それは前衛的な挑戦か?それともただの老いを示すのか?>>


■宮崎駿さんの教条主義的な左翼センスへの批判


「親子どもが名前で呼び合うフランクな家族」「地引き網をすると近海の海の底はゴミだらけ」

あー、もうそういう宮崎の左翼センスは飽きた飽きた。しかも投げっぱなし。

町山智浩も発言していたけど、宮崎監督の家庭って、ゴローは父親のことを「ハヤオ」って呼び捨てにしているのかね?

宮崎駿が「女性性」に寄せる無謬的な信頼が今回はあまりに表面に露出しすぎていて辛かったなぁ。「宗介の意図をくむ女性だけが完全なる善である」ってのはツライ。宗介の意図を組まぬ保育園の女の子二人と、トキ婆ちゃんだけが、すごく偏狭な人物として描かれているけど、なんか都合良すぎる。


ポニョ見たけど、師匠も男友達もいない宗介と、オタク的に都合の良い「聖なる女性賛美」が強すぎて駄目でした/さて次の企画は

http://d.hatena.ne.jp/otokinoki/20080727/1217148806


この人の意見が、たぶん通常のエンターテインメント映画としてのダメ出しのいいところを突いているんだろうと思う。まぁ映画を見る姿勢として、こんな「解釈」を普通の人々がしているとは思えないのですが、こういう言説が意味を持って表に出てくること自体が、この作品の不足感を表していると思う。この作品の総合的な評価として、エンターテインメントの訴求力は、低い。理由は二つ。


理由1)


ただし、この人の宮崎駿へのダメ出しは、実は、「全作品に共通していること」であるので、なにもこの作品だけことさらに言うべき事とは僕は感じられないんです。僕も、宮崎駿さんは、もう理屈抜きで愛していますが、左翼的なセンスの部分は、いつ見ても気づくとーうーんと思うんですね(笑)。ところが、この人がそういう教条主義的な、、、ほとんどスターリニズムを超えた原始共産主義(笑)なんだと思うんだけど、その部分を積み重ねた先に見えるSFのような巨大なマクロビジョンに到達する様を見せつけられると、もうそんな小さな批判は意味を失うほど巨大な感動が訪れるんですね。映画は、解釈してみるものではなくて、身体で、ハートで感じるものですから。


たとえば、『未来少年コナン』にせよ『もののけ姫』にせよ、ある種の原始共産性的なユートピアを描こうとしているんでしょうが、『もののけ姫』は、ある種の解放区であるんだろうけど、たとえばあそこでどう子供を育てているの?といった再生産部分が無視されていたり、コナンのハイ・ハーバーには、本来必要である農耕以外の牧畜や肉生産、加工、流通といった楽園ユートピアを維持するには、それを壊してしまう存在を隠ぺいするような描き方をします。こういうのって、宮崎駿さんというよりは、その究極の形として「ロジックとサイエンスで世界を正しい形に作り替えることができる!」という具体例としてのコミュニズム(共産主義)、そのすべてに対していうことのできる批判なんだと思うんですよ。


ナウシカ解読―ユートピアの臨界
ナウシカ解読―ユートピアの臨界


ちなみに近代思想の根本は、すべて共通の基礎を持っていて、それは「世界は可視化でき計量できる!」というサイエンスの思想です。言い換えれば、人間が「神」の代わりにこの世界を再創造できるのだ!という人間本位(ヒューマニズム)に貫かれている思想のことです。僕は、これを「設計主義的なもの」と呼んでいます。つまり、世界は、自分たちの手でよくできるんだ!という指向性です。この究極の具体例が、コミュニズム(共産主義)であることには異論がないと思います。


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アンドレイ・グリュックスマンのこれなんか、そのいい例だと思います。


えっと、だから、この批判は、宮崎駿批判というよりは、どうしてもそういった「設計主義的なもの」への批判になってしまっていて、なんだか、僕には、「宮崎駿の具体的な創造物」を批判しているのか、「思想そのものを批判している」のかわからなくなって、困ってしまうのです。だからどうしても批判のやり方が、なんか抽象的になってしまう気がするんですね。そんな抽象的な概念をみんながみんな解釈して映画を見ているわけではないでしょうって思う。ちなみに、とはいえ抽象的で難解な言い回しだな、と思う部分を除けば、「さて次の企画は」さんの記事は、非常にもっともだとは思うんです。この作品は、宮崎駿の圧倒的なパワーを感じないので、感じない中でああいう左翼くさいことされると、洗脳されているようで(子供が見ること計算に入れているなって!)すごくうざい気分になるんです。この気持は、非常に共感します。だから『もののけ姫』とか『千と千尋の神隠し』級のかましというか、えっそこまで突き抜けるの?とか、そこまで魅惑的なイメージなの?とかいった「凄み」に到達しないと、彼の断片的なものって古臭い教条的な左翼的なもので、説教臭いというか、、、、うざいんですよね。まぁ左翼的というよりは、僕的にいえば、「薄っぺらいヒューマニズム」と呼びたいところですが。知性のない善意は、「本当は物事を悪くしてしまうヒューマニズム」に回収されるんですよね。


■答えの出ないと結論付づけられた世界でなお答えを探す


ちなみに、天才宮崎駿さんは、すでに思想的結論として、マンガ版『風の谷のナウシカ』で、設計主義的に世界を良くしようとする善意の執行者(=現世に存在する神と言い換えてもいいかもしれない)を、ナウシカが、誰にも黙って殺してしまうという(苦笑)、究極の神殺しを行うという形で、既に結論を出してしまっているんですよね。これって、最高の自己批判で、ものすげぇカッコイイと僕は惚れこんでしまいます。


風の谷のナウシカ 7

そういう意味で、そこまでやっておきながら、まぁ気持ちはわかるが今更コミュニズムもなかろう、とは思うんですが(苦笑)。ただし、近代社会とは、世界を人間自身の手でよりよくしていこう!という社会改良の意思で支えられているものなので、たとえその最終結論が間違っていてさえも、『もののけ姫』のエボシのように、この世界の不合理さと闘っていかねばならないという、二重思考的でアンビバレンツな世界なんですね。そして、その「答えの出ないと結論づけられた世界で、なお答えを探すという」ことがすなわち、物語のドラマツゥルギーが最も輝く、現実でリアルなものなんだ!と僕は思うのです。なぜならば、それが僕たちの住む世界の誠実なコピーとなるから。


えっとここで何が言いたいかというと、理由1)のサマライズなんですが、宮崎駿さんの思想的基盤は、「世界を人間の手でより良くしていこうという設計主義的な近代思想の原初的な形」です(←かってに決めつけてるっ!(笑))。これが、コミュニズムの核心部分とニアリーイコールになるんですね。だから、具体的にそれを表現しようとするととっても左翼くさくなる。まぁもともと、あの時代の人ですしねー。しかも、かといってソビエト共産主義の大失敗を経ている現代なので、それが微妙に屈折して、「親子どもが名前で呼び合うフランクな家族」みたいな、それって本質か?のようなリベラルの仮面をかぶる出し方になるんですね。そして、それを上回る「凄み」を出してくれないと、いや、つまらないから、それ、みたいな白けた気分になってしまうんですよ。内容の是非ではなくて、上から説教されることのウソ臭さです。


ちなみに、つまらない理由1の結論として、ようは宮崎駿の左翼的センスというものは、マンガ版の『風の谷のナウシカ』での神殺しの結論のように、物凄い尺をつかって、読者がついてこれないほど難解な深みへ誘い込ませるながら、


・設計主義的な、人が人の手で社会をよくしていこう!(=ヒューマニズム・人間本位)という理想


・しかし設計主義的な動機が大規模になると、必ずスターリニズムやクメールルージュのような全体主義に辿り着くアイロニー


というもう、どうしてそんな「正しい動機(=ひとが人の苦しみを救おう!)」から出発して、そんなひどい結末に至るんだよっ!というこの世界の本当に苛酷な真実を描いたときに、こそ、この系統の脚本の思想的「凄み」に到達するんですね。だから、尺が短い作品では、そもそもこの脚本を使ってはいけないんです。2時間ぐらいでは、しんどいですよ。そうでなくとも分りにくすぎて、これって、消費者が理解しないんですよ。それこそ、『もののけ姫』級の圧倒的な映像のパワーとか、そういうものがいるんです。だからこのテーマは、映画では、破綻しやすいと思うのです。


ハウルの動く城』などを見ると、この思想を描くと、断片しか描けず、まとめきれないで散漫な作品になってしまういい例だと思うんですよ。この作品は、意味不明だもの。脚本的には。


『崖の上のポニョ』にも、世界を滅ぼそうとする魔法使いが出てきて、これって全く説明していないんですが、未来少年コナンのブライアック・ラオ博士や、ナウシカの世界を作った高度文明の科学者たちや、そういったキャラクターの正統なる後継者としか思えないんですよ。でも、たぶんこれを説明していると、消費者がついてこなくなる。だけど、彼の思想的系譜から言って、出さないのはもう許せない(笑)。となって、説明なしで出すんですね。ハウルもそうだったと思います。そうなると、脚本的に意味不明になるんですよねーーー。ぼくは、ちょっと思うんですが、この辺で人生の終幕として、死ぬ気で、テレビシリーズをやってみるのはどうか?って思いますよ、この脚本を最高のクオリティで、2年で50話くらいで(笑)。まぁしんどい割にもうからないかもしれないですが(苦笑)。



つまらない理由1を、一言で言い表せば、「脚本の統合性がない・断片的である」、ということだと思う。



言いたいことがあふれでて、ドラマツゥルギーとしてわかりやすくまとめることを放棄しているんだと思います。ただし、「にもかかわらず」これだけの断片のイメージを一ついの映画にまとめあげて、かつおもしろく見させてしまうという意味では、円熟の技巧を感じさせる、とも言えるともいます。とはいえ、この宮崎駿のここ最近の作品の、言いたいことが多すぎて、全部まで語らないのは、個人的には『もののけ姫』以降の感じがします。上と同じ論理展開ですが、「にもかかわらず」それなりにおもしろい、、、宮崎駿・ジブリブランドによる大量広告投下という大量大衆動員のシステムが完成しているとはいえ、それでも、人を動員してしまうのは、実は脚本の統合性がそもそもあってもなくても、宮崎駿作品には、それ以上のカタルシスや面白さがあるからなんですね。それはなにか?。



「子供たちではなく、自分のための映画をつくってしまった」




こう宮崎駿さんは、『紅の豚』で言いました。これって、もう少し深読みすると、この人は、


A)子供に脚本的(思想的)に理想を語る


ということと、


B)子どもの快不快の原則に忠実に物語を作ろう



という、理念があるんですよね。こういうことができないとだめだ、という前提が映画作製にあるということですよね。そして、このことは十全に作品自身にちゃんと結果として表れています。で、A)は、上記の理由1で、長尺で描かないと、「緑を大切に(ナウシカ)」とか「ハウル(戦争はいけない)」とか、なんか、そんなことわかってるよ当たり前だから、というようなヒューマニズムの初歩の初歩で話が終わってしまいます。これ、現代のようなダブルスタンダードが前提の社会で、こういうシンプルメッセージを出すことは、僕は、逆に子供にとって有害なのではないか、といつも思います(これは蛇足ですが・・・)。

で、この人の本質は、B)にあるんですよ。A)が多少とも破綻しても、B)子供(というか人間)が快楽に感じる動きの映像を作る天才なんですね。たとえば「空を飛んだらどんな感じだろう!」とかいったあり得ない動きを「体感させてしまう!」アニメーターの天才的な力量やイメージ力なんですよね。

もともと宮崎駿さんは、天才アニメーターである自分への自負と自己信頼から、アニメーターとしての面白く人に感じさせる「動き」をベースにして物語を組み上げる傾向があるように、僕には思えます。『もののけ姫はどうやって生まれたか?』のビデオやいつもの制作裏話のテレビ放映や彼の著作から、何となくそう感じるんです。つまりは、全体を俯瞰した「統合の視点」から脚本を組み上げるのではなく、最初のアイディアを走りながら深めていく手法をとるように思えるのです。


この手法が「行き当たりばったりになって、収拾がつかなくなりやすい」方法論であることは、わかると思います。


例えば、圧倒的な才能と断片イメージの輝きによって、さも大名作のように感じる『千と千尋の神隠し』なんかは、脚本的にすごく破綻していると思うんですよね。『もののけ姫』も、最後の最後で二元論のドラマトゥルギーを大崩壊に持ってきて、脚本的に「その意味はなんだったか?」と問われると、????となる。ただ、それを超えるイメージ・ヴィジョンの力があった場合には、これが合理主義的な脚本設計ではできないような、化け物に「化ける」ことがあるんです。いままでの宮崎駿作品の「凄み」って、その合理的なものを超えたところを、本能的に作り上げてしまうその「嗅覚」にあったと思うんです。だから、制作の手法の基礎の中の基礎が、「アニメーションとして気持ちいい動き」という、脚本の意味論とは別のところにあったのだと思います。


だから、ポニョだって、結構売れるんではないかな、と思うんですよ。そもそも宮崎吾朗さんのような、悪いがが駆け出しのレベルの監督でさえ、ジブリの最高の映像技術を駆使すると、結構それなりのものができてしまって、しかも、ジブリブランドというファミリーが見れて、話題性を構築できる大量広告投下システムがあるので、人をかなり動員できるんですよ。それが、多少レベルが最高レベルよりも下がっても、宮崎駿の才能をもってすれば、十分面白いのですから。話題性もばっちりだし。


理由1-2の結論として、「脚本の統合性がない・断片的である」としても、宮崎駿の作品は常にそれをアニメーションそのものの面白さや基礎的な演出力でカバーしてしまうエネルギーがある、としておきます。


ちなみに、理由2は、「脚本の統合性がない・断片的である」を乗り越えるほどの、アニメーションとしての面白さや快感がないといけないんですが、ポニョには、そこまで快感原則に忠実では、実はないんですよね。また過去の宮崎作品の焼き直しが多いので、「うおっ!」というようなセンスオブワンダーは僕にはなかった。



■アヴァンギャルド(前衛的)って何ですか?どう楽しむんですか?

乙木さんがひっかかった点は、通常のエンターテインメント映画(プロットの展開と明瞭な構造で見せるもの、というほどの意味)として観るのであれば、確かにひっかかるかもしれないな……と理屈ではわかるんですが、しかし、ぼくは「オタク」とか「女性賛美」とか「成長」とか、そんなのこの映画には関係ないでしょと思ってしまうのですね。「幼児的」というそしりもあるでしょうが、そもそも主人公「幼児」だし、小さい頃にみた夢で後々までずーーっと憶えてる夢みたいな話ですが何か? といいますか。

一方、これまた突飛かもしれないけれど、ゴダールの『訣別』とかも思い出したりしてるんですが、なぜそう思ったかも自分でよく分からず。ある種のユーモアに通じるところがあるのか、単にたまたま最近TSUTAYAで借りてきて観たからってだけで、まるきり明後日の方向の感想なのか。なんかこう、モヤモヤするのです。


・・・・通常のエンターテインメント映画(プロットの展開と明瞭な構造)で考えてみる者とそうでない者の差が激しいと思う。

伊藤剛のトカトントニズム

http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20080801


さてさて、やっとポニョを語る前提が、そろったのですが、基本的に、理由1)は、脚本は破綻しやすいし、その破綻が左翼的な文言で噴出することがあるけども、たぶんそれって、宮崎駿さんの創造物の批判としては、射程が短ぎるぜって話です。


なぜならば、鈴木プロデューサーの作り上げた大量広告投下によるジブリブランドという流通ルートが維持されている限り、多少レベルが下がってさえも、いくらでも人を動員できるし、、、、そうやって動員されたファミリー層という「無色透明の大衆消費者」にとっては、もともと解釈力なんかほとんどないんだから(笑)というか、解釈をしようと思って映画館にきていないのだから、「快不快に忠実なアニメーションそのものの素晴らしさ」と「熟練のジブリスタッフによる背景世界の精緻で美しい映像」の二つだけで、もう十分満足すると思うんですよ。そこに、「オタク」とか「女性賛美」とか「成長」とか、まったく関係ないよね、というのは、これもものすごく理解できる話です。


そして、今回の映画には、3つ目の側面が出ていると思うのです。


僕は、この映画を見ている間中の印象が、実は、伊藤剛さんという方のブログの意見であった、「あっ、これってゴダールとかニューシネマっぽいなー」というものと全く同じでした。アヴァンギャルド(前衛)(ちなみに前衛芸術と共産主義運動は、双子の兄弟のような関係でした)だなーと思ったんです。あっちなみに、ゴダールの前衛的な部分を連想したって意味です。


それってなに?


前衛美術(ぜんえいびじゅつ)とは、前衛的な美術のこと。

もともとは、第一次世界大戦開始後にヨーロッパにおいて、盛んに使用されるようになった言葉であり、主として、シュルレアリスムと抽象絵画を意味する。すなわち、第一次世界大戦前の動向である、フォーヴィスム、ドイツ表現主義、キュビスム、未来派などは、本来は前衛の範疇には含まれなかった。

しかし、その後、前衛美術の範囲は、戦後にかけて大きく広がり、このような区別は曖昧となり、現在では、一般にフォーヴィスム、キュビスム、未来派なども含めて、前衛美術と呼ばれることが多い。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E8%A1%9B%E7%BE%8E%E8%A1%93


えっと、まー前衛的とかアヴァンギャルドということの意味は、あまり深く考えなくていいです。


ようは、なんかよくわからねー(=論理的に意味不明)けど、不思議っていうか、凄いっていうか、なんか、おもしれーよね。


ってこういうカンジと思えばいいです(笑)。


たとえば、そもそも、いきなり世界中が海に埋没してしまうということの意味は全く説明されないし、そこで船で逃げている人々が全然悲壮感漂わないというのも異常だし、海の中を泳いでいるのがなんか、人類が生まれる前の魚とかじゃねー?とか、なんか、風景が絵の具みたいなパステルっぽいぞー、とかとか、もうまったく意味不明のオンパレードなんですよね。脚本的にだけではなく、明らかに背景の映像が、論理的整合性を失っている。


このへんが、前衛的(=意味不明)と思ったところです。


で、、、、これどう思います????


僕は、おもしれーーーーーーと思いましたよ。意味的には、??????ですが、感覚的には、へー見たことねーという、センスオブワンダーがある。これって、ここまで大規模に映像をめちゃくちゃ意味を無視して幻想的に作ると、もう明らかに自覚的ですよね。そう、自覚して、ある種の映画作りやエンターテイメントの「法則」や「定石」から外しているんですよね。こういうことを指して、実験的作風、と前衛美術なんかでは言われます。何が実験かというと、常識的に思われている文脈のコンテキストを外すことによって、観客の梯子を外して、「そのズレ」を感じさせるという部分がです。


それって、代表的なのは、ゴダールですよね。



■頭(ロジック)で映画を見る見方というのは当然あるが、それだけでは見えないものもあるのではないか?


で、最初の伊藤剛さんの意見に戻るんです。これって、批判できる穴はボコボコにあるけど、けど、、、おもしろくねぇ???という意見も成り立つんです。ただ忘れてはならないのは、前衛芸術って、本道の王道の「常識」があって、そこからずれること、抵抗することによって成り立つ作品で、そもそも王道を知らないとわからないことが多いし、またどうしても論理で構築しないので、感性に頼る部分があって、「感性的に鋭い人」でないと、これを面白いっと感じないという、、、、言い換えると、意見がすごく分かれてしまう手法なんですね。少なくとも満場一致の、○とか×はもらえない。だから、この作品は、肯定的、否定的と語る人のスタンスをすごく分けてしまうと思うのです。また否定的に取ろうとした瞬間に、もともと宮崎駿さんが持っていた問題点が、噴き出ていて鼻についてしまう、というのも、わからないでもありません。


■動機が失われた世界は、死のイメージを感じさせる静謐感を醸し出す


ちなみに、『ポニョ』のコピー「生まれてきてよかった。」で、『スカイ・クロラ』の「もう一度、生まれてきたいと思う?」でした。僕は、逆に思いましたが(笑)。

これが何ともおさまりが悪く、押し寄せる波やあふれる古代魚、落ちてくる月、ポニョが過剰反応する謎のトンネル、老人ホームの人々など、死をイメージさせる要素があまりに多すぎて、個人的には異様な鑑賞後感を味わう羽目になった。「神経症の時代に向けて作った」というが、むしろこの作品こそがパラノイア的で気味が悪い。絵本調のパステルカラーによる妙に明るい雰囲気とのギャップがその思いに輪をかける。

そうした意味では、これを何の疑いもなくハッピーエンドのかわいらしいお話、と見られる人は幸福といえるだろう。

超映画批評/前田有一/映画批評家


ふむふむ、、、、ここは、世評で、凄く指摘されていますね。僕は、死後の世界とは全然思わなかった…というか、そもそも、ある種の「静謐感を伴う時が止まった幻想世界」ってのは、そもそも僕は大好きなので、いや懐かしいものを見た、というかそんな感じで、あまりマイナスには感じませんでした。宮沢賢治とかそういうイメージです。が、僕の友人は、この「死後の世界の感じ」にとても凹んだようで、いやー苦しかった、といっておりました。そして、その言わんとすることは、非常に的を射ていたので、ここに記させてもらいます。友人曰く、


なんというか、千と千尋には、親がいなくなってしまった、などの主人公が何らかのアクションを起こさなければならない動機付けが存在します。物語を設計するときに、主人公に目的を与えるために、そういった欠落を与えるんですね。それは、逆に言うと、物語を駆動させるために、悪人が悪の行動をなす動機も同じです。

ところが、この主人公のそーすけくんには、欠落がない。また悪の魔法使いのはずもすぐいい人っぽくなってしまって、この世界には、基本的に動機付け(=ひとに行動を起こさせる欠落)が設計されていないんです。

悪人を書きたく無かったり、主人公の心にそういった欠落を描くことの飽きたのかもしれないが、そうして描き出された世界がこんなにも苦しい世界だったとは・・・・


と、言っていて、これはなるほど、と思いました。いまいち、ドラマツゥルギーに座りが悪いと思っていたんですが、この友人の言う通り、まさに、「みんないい人」なので、なんというか、世界が気味が悪い感じになってしまうんですね。まぁ欠落がないことは、言い換えれば、生きる欲望が消去されている世界なわけですから。共産主義のLASTMANみたいなもの。


ちなみに、これが、さきほどいったアヴァンギャルドな効果・・・いつもの本道の手垢にまみれた物語の設計からずれる面白さがあるというのはよくわかります。これを、嫌いだ!気味が悪い!と思った人と同時に、これっておもしれーな!と思った人もたくさんいるのではないかな、と僕は愚考します。


ちなみに、僕的にうと、この世界には、見覚えがあります。


これは、マンガ版で描かれた、腐海の奥地です。清浄なる大地なんですね、人間が住めない(苦笑)。マンガ版読んだことがある人ならば、なるほどっ!って思ってもらえるのではないかな?と思います。そういう意味では、宮崎駿らしいイメージですよね。



■では、なぜ宮崎駿監督は、これに挑戦したのか?


うん、一言で言うと、僕にはわかりません(笑)。

ただ、これが、なんつーか、かなりお客さんを無視したというか、「売れる路線を外した」「実験的なもの」であるという風に僕には感じてしまいます。だって、これなんか練習に見えますもん(苦笑)。まぁわかんないですがねー。でも、なんというか、肩の力はすごく抜けているよね、と思う。宮崎駿さんが、作りたいようーに、てきとーに、売れるという目的を外して、作成した円熟味のある作品という感じがします(←なんじゃそら!)ただ、これが実験的なものだとすると、当然、「次」に創るべきもののための「準備」にならざるをえないですよね。僕はこの作品は、宮崎駿さんの手癖がよく収まっている秀作に感じるので、評価は★4つです。そして、十分売れると思う。またさすが巨匠だけある円熟味のある作品だと思う。


けど、やっぱ『もののけ姫』みたいな、メガトン級のものみたいよねって、映画・アニメファンの立場からすると、ここでもう明らかに快感原則外している、この効果や感覚を、いったい「次の作品」にどう生かしてくれるの?って思ってしまいます。・・・ほんとうはジブリが大失敗して、借金でもして、ものすごい当てないと大量の解雇者が出て人生が終わるみたいな、そういう無限責任が肩にかかるような環境があると、最高の作品をつくってくれそうな気がするのですが・・・・それは、失礼な望みだろうなぁ…(汗)。モーツァルトみたいに…。


そして、この記事の最初のタイトルに戻るんですが、「次」がなければ、この作品『ポニョ』は、明らかに、今までの宮崎駿の手癖の範囲内の作品なので、もう老いたなとしか評価できません。まぁ、僕には、巨匠・宮崎駿は、本人の言葉通り『もののけ姫』でおわった感じがするので、なにも今更期待はしていないんですが・・・でも、やっぱり、そんな終わり感が漂った後に『千と千尋の神隠し』とか出てくるわけですから、やっぱ期待しちゃいますよねー。


だから、次に、期待です。そして、次に期待するためにも、やっぱりジブリ体験は、しないわけにはいきません♪


老いてなお、ますます盛んな(こんなにも話題になる)宮崎駿さん、やっぱすごいっすよね。


続きです。



『崖の上のポニョ』と『スカイクロラ』にみる二人の巨匠の現在〜宮崎駿は老いたのか?、押井守は停滞しているのか?(2)/スカイ・クロラ編

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080823/p4



「だれも地獄の縁に生きるアフリカの人々を本気で救おうとしていない」というタイトルを見て凹む

最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?

本日は、大阪に出張していました。飛行機で羽田からモノレールで浜松町に出ると、階段を下りてすぎに大きな本屋があるじゃないですか、あそこをゆったりと見て帰るのが、マイルールのペトロニウスです。今日は、この本の帯に書かれていた「だれも地獄の縁に生きるアフリカの人々を本気で救おうとしていない」という文句に、本気でへこみました。ぱらぱらとめくって、読んで絶望的な気分になりました。アジアや中東諸国、南米大陸などは、ちゃんと戦争がなく資本主義が進めば、それなりにマクロではよくなっていくと僕は思っています。けど、、、アフリカはほぼ絶望的なんですよね、、、僕的に分析しても、、、。まぁ100年は、どうもしようがないだろう・・・・。たぶん僕が生きているうちに解決の糸口すらも見つからない気がする…。この本に、アジアが経済発展してしまったので、もう同じ方法はアフリカは無理だ、と書いてあって・・・・詳細には読んでいないんですが、、、うん、たぶんそうだろうな・・・と感覚的に思う。世界が割といい方向へ向かっている気がする昨今、このことを思うと、胸が痛む。原油高とか地球温暖化とか、もうそんなちゃんとソリューションへ向かっている、人類が少なくともまじめに取り組めば何とかなることとは全く次元が違うもの・・・・。ふぅ。何にもできないけど、この手の話を触りだけでも見ると、なんとなく苦しい気分になる。なんというか、申し訳ないというか、、、居心地が悪いというか・・・。


アフリカ苦悩する大陸

疑問。


ゴザ16世皇帝陛下・・・ってだれだっけ???


なんか、強烈にいいイメージが残っているので、たぶんアニメじゃなくて、小説とかだと思うんだが・・・うーんおもしだせない。だれだっけ?。

ありがとうございます。アザリンちゃんのことでした。

無責任艦長タイラー DVD-BOXII 愛は戦争よりつよし~アザリンVSパコパコ
無責任艦長タイラー DVD-BOXII 愛は戦争よりつよし~アザリンVSパコパコ

EU競争法の厳格な適用は、EU域内での経済の自由化の本気度を示していると思う

EUにおける経済的ナショナリズムの再燃

「経済的ナショナリズム」という形を取るにせよ、保護主義は、欧州においても日本においても、グローバル化や経済改革の課題への適切な対応ではない。従って、相当数と思われるEU加盟国が保護主義的な傾向を示していることについて、大変残念に思う。すべての新しい環境について言えるように、グローバル化は我々に新たな現実への適応を求めるが、だからといって、グローバル化は「我々の社会に対する脅威」ではない。「防衛行動」、すなわち保護主義は、欧州を、経済成長、雇用、および我々の社会モデルの持続可能性を確保するためにまさに必要なグローバルな市場から切り離してしまうだろう。高レベルの競争力を手に入れるためには、我々はグローバルな競争のみならず、EU域内の競争および加盟国間の競争にも関心を向けなければならない。

競争から保護されている事業者は、特にその「ツケ」を消費者に回すことができる場合には、その状態がより快適であるとの錯覚に陥ることがある。また、競争力不足による結果が公的助成金によって緩和されれば、企業にとっては喜ばしいことだろう。さらに、加盟国は時に、自国の産業や金融の「名門」企業を外国の企業による買収から保護する誘惑にかられることがある。


ネリー・クルース競争政策担当委員、来日記者会見「競争政策のトピック」/駐日欧州委員会代表部

http://www.deljpn.ec.europa.eu/home/news_jp_newsobj1604.php



第140回/領有権を巡る21世紀の解決スタイル/経営コンサルタント 大前 研一氏/2008年8月6日

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/143/

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080822/p1


上記のEUについての記事を読んで↑上の記事を書いたわけなんだが、僕は最近EU競争法のことを少し調べていたんですが、それを凄く思い出したんですよね。このネリー・クルースっておばちゃんは、見ただけで腰が抜けそうなほど、威圧感のあるおばちゃんなんですが、この人の写真や記事をEUでのビジネスを展開している日本のビジネスマンは、頻繁に見ているはず。(あっ、でもEU代表部の写真は、うお、、、なんかすげー美人・・・。素敵なマダムだ・・・)。

f:id:Gaius_Petronius:20080822224121j:image


それは、ここ数年来、日本企業へのEU競争法による制裁金が、飛躍的に上昇しているからだ。アメリカのような上限なしでこそなくCAP(=上限)はあるんですが、それにしても、かなりの急上昇。

EU競争法に関する欧州委員会の決定について/平成19年11月20日/富士フイルムホールディングス株式会社

http://www.fujifilmholdings.com/ja/news/2007/1120_01_01.html

ソニーなど罰金120億円…EU競争法違反

http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20071121nt05.htm

ただこれって、よくよく見ると、適用の厳格運用というだけで、実際には、欧州域内の企業も全然それ以上に摘発を受けているんですよね。別に日本企業を排他的に摘発しているわけでは全然ない。・・・・まぁ、この法律は、域外適用もあるんで、すげーよなーとか思うんですが、それは置いておいて、、、って、つまり独占禁止法を意図をもって、EU域内で強く運用しているってことですよね。これって、各国のナショナリズムが強いと、絶対にできない行為なんですよ。そうか、、、そういう時代なんだな・・・と感心。やっぱり、EUって凄いよ。さすが、人類のフロントランナー。

人は「グッドライフ」を求めている

人は「グッドライフ」を求めている


人間は民族紛争、宗教戦争を繰り返しているが、根本では「幸せになりたい」「グッドライフを得たい」ということが共通の目的である。これはわたしの20年ほど前(1990年)の著作「ボーダレス・ワールド」でも解説している持論だ。

 紛争の原因とされる民族や宗教は言い訳のようなものにすぎない。グッドライフが手に入る状況が目の前に来れば、誰でも紛争などやめてしまう。現在EU、そしてセルビアやコソボ、キプロスで起こったことを見れば、つくづくそう思う。そうした大きな包容力を持った人類史上初めての「コンセプト国家=EU」がとにもかくにも機能し始めた、ということが21世紀で最も特筆すべき国家観の変化である。



第140回/領有権を巡る21世紀の解決スタイル/経営コンサルタント 大前 研一氏/2008年8月6日

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/143/

大前研一のさんのこのネットの記事は、ずっと読んでいるんですが、この140回の話はとてもよかった。ともすれば19世紀的な国家間に縛られがちな情報に日々接している我々に、非常に当たり前で、そしてだからこそ、イデオロギーという幻想に騙されて見えないものを見せてくれるような気がする。人文科学系の情報、、、新聞、雑誌、論文、、、どれをとっても、どうしてもそういったものは権力の力学や国家というものをある種の前提で描く性癖があり、ともすれば、ここで大前さんおっしゃっている、「人は「グッドライフ」を求めている」という考えてみれば、あまりに当たり前のことを、失念しているような気がする。どうしても、19世紀的な国家と権力のメカニズムに吸収される癖が、人文系の人間にはある、と僕は思うんですよね。


でも、よくよく考えてみれば、資本主義というものの目指すところは、「これ」なんですよね。一言で言うと、人間の個人の欲望の解放。


これが、19世紀的な国家感覚に結びつくと、すぐ帝国主義とかそういった概念に飛躍するんだが、まぁマルクス・エンゲルスの当時のイギリスの経済状況に絶望するのは、そりゃーわかるが、、、でも、よくよく50年単位で考えると、マクロ的には、本当に経済・・・資本主義自体が、そんなひどいものだったか?というと、そーじゃねーんじゃないの?とか思うよ。それを正しく使う権力のメカニズムと国家のモデルが存在しなかっただけ。そんな気がする。


まぁ、そこまで行ってしまうのは、言い過ぎかもしれないですが、そもそもこれまで大衆というかピープルの集約意見は、国民国家(ネイションステイツ)「のみ」を通してしか現前させられなかったのだが、そうではない方法(の可能性)が、世界に登場してきている、ということはよくよく理解しないといけないな、と思います。


また、そういった新しいコンセプト国家が、、、、まぁ旧態依然のブロック経済ともいえないわけではないが、、、、グローバリズムという資本のより広範で自由な移動を内包しているという新しさもよくよく見ておこなければならないなって思うんですよ。なぜならば、50年先の地球は、「それ」によって間違いなく支配されているはずだから。自分と自分の子供たちの世代を幸せに生きるためにも、日本人としても、企業人としても、アジア人としても、地球人としても、「これ」を念頭に戦略を考えて生きるべきだって思うんですよ。


すぐ、ネイションステイツのイデオロギー幻想に騙される癖が、普通の人にはあるという構造を、肝に銘じようと思ったペトロニウスでした。

The End of the Nation State

2008-08-20

このか、やばい・・・かわええ・・・・223時間目「ネギ・パーティVSフェイト・パーティ」

f:id:Gaius_Petronius:20080820225300j:image

この絵は、神だな。もうどうしていいかたまらん(って、なんでメガネっ娘なの?←いやそれがいいがっ!)。ふと思うのだが、このかって、正しい形で育ったのお嬢様の典型なんだよなー。ふむ、、、自分の娘はこういう風に育てたいね。『Fate/zero materal』で、凛の母親の遠坂葵(これが、素晴らしいのだよっ!)を評して、武内さんが「育ちのいいお嬢様がそのまま母親になった」といっていたんだけども、同じものを感じるんだよね。このフレーズは気に入ったんです。


・・・・ほのかの、あの感情の安定感、家庭的なところ、、、、はっきり、いいところのお嬢様ってイメージを掻き立てる。僕は、働いているパンツスーツのメガネがキラリと光る女の子(かつ、抜けていて天然だと最高!)が趣味なんで、あんまりお嬢様タイプは視野になかったんですが、これって考えてみると、自分の娘を育てるには、とてもいいベンチマークだな、と思うんですよ。だって、ほのかが娘だったら、、、やべ、脳死しそうですわ。


あっ、あと今週は、暦ファンが、続出すると思います。個人的予想。


閑話休題


それにしても、なんというか、、、ネギまって、話が走り始めて深刻になると、とぉーーーても『Fate/staynight』を連想させるんだよね。

「多くを救うために 少ないもの小さいものを切り捨てる


この決断ができない者にリーダーの資格はないね


全てを救おうとして 全てを台無しにしてしまうだろう」



基本的に「世界を救う」という系統の話になると、どうしてもミクロとるかマクロをとるか?という二元論の選択肢が、読み応えのある物語となるんですよね。ましてや、ナギ、ネギとスプリングフィールド家は、なんというか、器がでかいんで、「世界の困難」を自分に取り込んでしまうような性癖の持ち主ですよね。性格は真逆だけど、動機の持ち方としては似ている。やさしすぎたり、真面目すぎたり、情動が極端な人は、そのまま世界のマクロを自分の心に引き付けてしまうからだろうなぁ。


・・・ちなみに、




「幻」と「仲間の命」比べるまでもないと思うけどね?


by アーウェルンクス

223時間目「ネギ・パーティVSフェイト・パーティ」



このセリフって、学園祭の時の、千雨のセリフを凄く連想させる。




「私は私の現実を守る!」


160時間目:世界が平和でありますように



この「何を現実と考えますか?」という議論は、マクロとミクロの選択という物語のドラマツゥルギーを考える時に、とても複雑になるような気がするんですよね。いや僕もまだうまく解釈をできてないですが、ここでいう千雨の「現実」ってなんだろう?か、とか、フェイトのいう議論って、何か大きな穴がある気はするんだけれども、同時にすごく真実をついてもいるんだよね。・・・・なんとなく、、、もやもや・・・。


この質問に対するネギくんの答えは楽しみです。



だって、この質問への答えで、彼の器のでかさが非常によくわかりますから。世界の平和を捨てることができない生真面目な性格なのはわかりますが、かといって、ミクロ(=アスナや生徒たち)の命に秤をかける選択を、どういうロジックで表現するかは、非常に器を表わすことですもんねー。ネギまって、実は、何を現実とするの?って言う問いが、根底にすごく深く問いかけられているような気がしてならないんですよね。日常と非日常・・・・この振り子って、そういう構造ですもん。


最近のコードギアスもそうなんですが、物語って、ダイナミックに話が進んでいると、コメントというか感想入れづらくなりますね。一言いおうとすると、際限なく前提や背景を解説しないと、なんか、うまく説明できない気がする…。かといって、こういう断片だと、なんか、全く思っていることが伝わらない気がするし・・・。難しいものです。


ちなみに、自由人ラカン・・・・この人って、この漫画の中で、唯一本当の意味での大人な感じがするなぁ。この人に比べると、タカハタ先生ですら青二才の子供に見える。なんというか、あらゆることに、大人の安定感を感じる。しかも、かっこええ・・・、、、なんかちゃんと自分で生きている大人で、自分で自分の人生に責任っているって感じがぷんぷんして・・・この漫画ではそういうことはないと思うけれども、この手の大人な人には、だいたいかわいい女の子は、すべてお持ち帰りされてしまうものが、現実なんですよねぇ。だって、女の子から見て、これほどかっこいい大人はいないよ。頼れるし、おもしろいし、なにより健康的にちょっとHなのも最高。自分が経験の少ない女の子だと考えてみれば、非常にわかるはず。危険なオヤジだ(笑)。



魔法先生ネギま! 18 (18) (少年マガジンコミックス)

2008-08-19

いずみのさんに買ってきてもらっちゃいました(多謝)。

Fate/Zero material (書籍)


とにかくね、凛のね、子供時代が可愛いです。それと、人妻なのにアイリのかわいっさっぷりに、、、、やばいです。・・・・読むところが少々少なかったのが、残念でしたが・・・・やっぱりFateの世界観は最高ですね。最近画像をおきく張る方法を見つけたので、うれしくて意味もなくはりつける…。買いに行く余裕はなかったので、いずみのさんが譲ってくれて、かなりうれしかったです。

Fate/Zero Vol.4 -煉獄の炎- (書籍)

『アイ・アム・レジェンド』フランシス・ローレンス監督の本来のエンドと藤子不二雄のSF短編集『流血鬼』との類似性

アイ・アム・レジェンド 特別版(2枚組)

評価:★★☆星2つ半

(僕的主観:★★★星3つ)


あれ、、、これって、ぼのぼのさんのところで、見て、納得した。なんか、あまりに整合性がない映画だなーと不思議におもったんですよ。



昨日、たまたま『アイ・アム・レジェンド』にもう一つのエンディングというものがあることを知り、その映像をYouTubeで実際に見て愕然とした。

これ、いくら何でも違いすぎだろう。

エンディングに2つのヴァージョンがある映画はさほど珍しいわけではない。たとえば『アイ・アム・レジェンド』とよく似た作品である『28日後…』にも2つのエンディングがあって、僕が見たときは、最初に公式のエンディングが流され、エンドロールの後にアナザー・エンディングが流されるという上映形態が取られていた。しかしその2つはハッピーエンドとアンハッピーエンドの違いこそあるものの、決して作品のテーマや世界観を覆すようなものではなかった。

ところが『アイ・アム・レジェンド』の2つのエンディングは、作品のテーマを根本から引っ繰り返してしまう、ありえないほど違うものなのだ。


【映画】『アイ・アム・レジェンド』に関する衝撃の事実

http://bonobono.cocolog-nifty.com/badlands/2008/08/post_dbbd.html#more

Badlands 映画・演劇・音楽レビュー

タイトルの通りなんですが、丁度、LDさんに借りて読んでいたんですが、このラスト(もう一つのほうね)との類似性にちょっとびっくり。ただ、明らかに、物語の結末という意味では、圧倒的に藤子不二雄さんのほうが、素晴らしい。読後感も含めて。


藤子不二雄の天才っぷりを感じました。



藤子・F・不二雄少年SF短編集 (2) (小学館コロコロ文庫)

評価:★★★★★星5つマスターピース

(僕的主観:★★★★★星5つ)

はっきりいって、藤子不二雄先生は、天才です。もう掛値なし。しかも『ドラえもん』とか、これらの作品のすごさは、この裏側にあるこれらSF短編を読まないと、そのすごさが、必ずしも理解しされていないと思う。凄いよ、ものすごいよ、マジで。



ちなみに、どっちもリチャード・マシスンからのインスパイア、もしくはその小説の映画かみたいですね。



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自己責任論〜「私は努力してワーキングプアにはならなかった」への反論方法

湯浅はセンの貧困論(貧困とは単なる所得の低さというよりも、基本的な潜在能力が奪われた状態)をベースにしながら、貧困に陥る人は「溜め」が奪われている、ということを提起する。「貧困とは、このようなもろもろの“溜め”が総合的に失われ、奪われている状態である」(p.80)。

 「溜め」というのは湯浅独特の言葉である。

「“溜め”とは、溜め池の『溜め』である。……“溜め”は、外界からの衝撃を吸収してくれるクッション(緩衝材)の役割を果たすとともに、そこからエネルギーを汲み出す諸力の源泉となる。/“溜め”の機能は、さまざまなものに備わっている。たとえば、お金だ。……しかし、わざわざ抽象的な概念を使うのは、それが金銭に限定されないからだ。有形・無形のさまざまなものが“溜め”の機能を有している。頼れる家族・親族・友人がいるというのは、人間関係の“溜め”である。また、自分に自信がある、何かをできると思える、自分を大切にできるというのは、精神的な“溜め”である」(p.79)

http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/hanhinkon.html

湯浅誠『反貧困』/紙屋研究所さんより


ふむふむ、自己責任を語る上で、なかなか興味深い。僕はこういう話あまり好きではないので、余裕のない今では、まず読むことはないと思うけれども(苦笑)。でも、ブログで少しの記事なら読める。・・・・僕自身は、自分も頑張ってあがいて成長している人(=今は成長できていないので努力しているという意味)なので、どうしても、自己責任論に逃げがちなので、この辺のロジックは、よくよく直視しておかないとなー。とかとか思ってメモメモ。


ちなみに、この「溜め」という概念は、わかるなー。なんというか、これは逆に言うと、「溜め」を意識して作っていくと、失敗が「本当の意味での失敗や脱落」をしないで、自分を守る力になるブランケットになるということも、示しているんだよね。僕は普段、意識的にこういう、いざ厳しい状態に追い詰められた時に、多少失敗しても、厳しい攻撃にあっても、「耐えきれる」状態を作ろう作ろうと意識している気がする。


まっ上は蛇足。ここで議論になっているのは、構造的にそういった最低限の「溜め」を奪われた、とか、そもそも自分の意思でそれを維持したり作り出せない人がどれくらいの数がいるのか?また、それはどういう構造で生まれたのか?ってことだ。


こういうのって、そもそも申し訳ない意見として、左翼の人々の意見は聞く気になれないんだよな…ぁ。もちろん右翼の人も。なぜならば、イデオロギーに左右される人ってのは、幻想を見るので、部分を見て全体を語る癖があまりにありすぎるんだよね。まぁもう仕方がないんだけれども、、、世界は、洗脳合戦をしているようなものだから。。。。誰も現実なんか、みやしないもんね。


それに社会科学的手法の大規模な浸透やフェアな統計って、なかなか「世間」とか「大衆」社会には、なじみがないんだよねぇ。僕も、もう大学を卒業してから、自分の人生を生きるので精一杯で、そんなマクロのことなんか考えている、、、ことは考えているけど、少なくとも意見したいりかかわる余裕などないもの。政治家とかマクロを志す人は、ほんと志高いと思うよ。僕は家族と自分を守って、楽しむので精一杯だもの。それ以上は、今のレベルでは考えられないなぁ・・。


ちなみに大規模統計で云うと、いまのところ日本の格差が広がっているかどうか、というのは、「何ともいえない」というのが本当のところで、少なくとも100年単位では、まだ格差(貧困や貧富の差の再生産)が広がっているという明確すぎるほどの統計データはまったくないと、、、僕が知っている限りは思うなぁ。いや、それがあるのならばこういう論争にはならないものね。


まぁ、ただ、『グインサーガ』のシルヴィアの話を読んだ後で、単純に、甘えている奴らが悪いという論陣はれないなーと思ったペトロニウスでした。・・・物語と現実に僕はあんまり境を感じないので、なんとなく最近こういう話に目が行ってしまふ。


反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書 新赤版 1124)
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2008-08-18

『サイコスタッフ』 水上悟志著 あっ、これはすごい完成度が高い!梅子ちゃんのパンチラに胸ときめきました!!!(←それかよっ!)

サイコスタッフ (まんがタイムKRコミックス) (まんがタイムKRコミックス)

評価:★★★★星4つ

(僕的主観:★★★★★星5つ)

『惑星のさみだれ』は、すばらしい作品だけど、ともすれば、構成とかいろいろケチが付けたいものもあるし、まだ結末がわからんなーとか文句が言えるんで、なかなか評価が下せないが、これは文句なし。よく、こんな短く見事にまとめたなっ!って感心。たぶん事実上、作者のすべてがこれにある。解説は次回に譲りますが、これは、めちゃめちゃいいです。。


ちなみに、梅子ちゃんのかわいさに、僕はノックダウンですよ。うわーええ子やー。


しかも、あの健康的なパンチラがたまりません。やっぱり女の子は格闘技を習わないといけないな、と胸に誓いました(意味不明)。


・・・けど、けど、、、、もう二度と会えないって可能性が高いのだし(カバーの裏に実は後日談が隠されているが)、まぁ物語的には、それで終わるのはわかるんですが・・・もうちっと、、、、ご褒美上げなよ、梅子ちゃん!とか思った。・・・まぁ男の子の視点だよね。


ちなみに、惑星のさみだれの前にこれを読みましょう!。予習に必読です。

『風雲児たち 幕末編』 4〜5巻 佐久間象山の天才と村田蔵六(大村益次郎)の近代国家建設

f:id:Gaius_Petronius:20080818221457j:image

風雲児たち (幕末編4) (SPコミックス)風雲児たち (幕末編4) (SPコミックス)
みなもと 太郎

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4巻を読んでいて、佐久間象山(名前しか知らなかったよいままで…)のその天才ぶりに、、、衝撃を受ける。いや、もともとその天才ぶりにもかかわらず歴史評価がかなり低いのは、ものすごい傲慢で自信家だったそうで、同時代にすごい嫌われたそうなんですが、、、この漫画ではそれをずっとギャクにされていて、笑ってみていたんですが…。この4巻で、幕府の手で明治維新を起こすために、ペリー艦隊に対して戦争をしろ!と唱えるくだりは、衝撃が走った。いや、確かに、それは見事な打ち手だ。


徹頭徹尾の開国論者でありながら、、、、、なんというか、天才って、他人に理解されないんだよね(苦笑)。


外国を打ち払え!(=攘夷)などという馬鹿で偏狭なナショナリズムは、後に列強に対して単独で戦争を起こした長州藩と薩摩藩が、実際に戦争をして列強のすさまじい強さと自分たちの弱さを悟り、消えうせる。この後、二藩は、徹底的な開国(=貿易による国富の増大)路線にひた走ることになる。軍事学者として、江戸で黒船・・・アメリカ海軍のペリー艦隊とガチで戦争をした場合の被害を、冷徹に分析し、庶民に被害を出さないで、国土の最小限の破壊で、国論を統一する契機を作る、、、、その後の歴史を知っている我々から見ると、佐久間象山のリアルなシナリオプランに、、、、すげぇよ。


しかし、日本ってすごいなって思うよ、、、こんな凄い人材が、鎖国しているド田舎の辺境の島国に生まれるんだから。まぁ本当かどうかはわからないが、吉田松陰が、この主張の「凄み」に全く気づかないというのも、この佐久間象山の天才的な視野の遠さをよくあらわすエピソードだ。史実かどうかはどうでもよく、時代の先を、何歩も先を行く人間の「理解され難さ」が現れていて、僕は非常にぐっときた。


f:id:Gaius_Petronius:20080818221458j:image

風雲児たち (幕末編5) (SPコミックス)
風雲児たち (幕末編5) (SPコミックス)



そして、村田蔵六。のちの事実上の日本陸軍の創始者、大村益次郎。知らなかった、、、全く知らなかったよ(笑)。なんなんだ、このすげぇー人材は!。僕はほとんどこの先の彼を知らないのだが(まだ8巻までしか読んでいない)、この人って、天才的なエンジニアじゃん!。この偏屈さ、合理主義精神、駆動精神、、、やべーよ。まったく立身出世する気もないし、偏屈で偏狭の片田舎の藪医者で終わるはずの変人の百姓に、、、、宇和島藩からお呼びがかかるシーンは、不覚にも涙が出るほど感動した。


この人が、たかだか10万石の四国宇和島藩で、近代国家日本を作り上げる基礎を作り上げるシーンは、、、ぞくぞくした。


すげぇ、、、、こいつ、、、、一人で、たった一人、近代国家を作り上げているよ!!!なんなんだ、このすごさは!!!。


村田蔵六を主人公とした小説『花神』は、『世に棲む日日』とほぼ同時期の1969年から1971年に書かれた作品で、幕末維新史長州編として二つでセットになっている。『世に棲む日日』の方が少し早く始まったが、二つの作品は連載の時期がクロスしている。作品の独立性を意識しているためか、例えば同じ第二次幕長戦争の戦史でも、瀬戸内側での戦闘については『世に棲む日日』(高杉晋作)でカバーし、山陰側の攻防については『花神』(村田蔵六)でガイドするという配慮がなされている。長編二作に分割された長州論だが、この分割は、実は非常に意味深く面白い中身を持っている。まず一つには、村田蔵六という歴史の中にありながら歴史の枠に収まらない特別にユニークなキャラクタ−を描くために、いわば正史としての『世に棲む日日』とは別編の、列伝としての『花神』を用意せざるを得なかったという点があるだろう。


『花神』と村田蔵六 − テクノロジー史としての明治維新

http://www.geocities.jp/pilgrim_reader/hero/choshu_2.html


ちょっと検索してみたんですが、、、司馬遼太郎の『花神』と『世に棲む日日』は、ワンセットの物語だったんですね!!!わかってなかった、、、わかってなかったよ、おれ。なんて、駄目だったんだおれ。


花神〈上〉 (新潮文庫)
花神〈上〉 (新潮文庫)


世に棲む日日〈1〉 (文春文庫)
世に棲む日日〈1〉 (文春文庫)


やっぱ、すごいよ、風雲児たち・・・。

準備が全て。

最近、どうしても余裕がなくて、土日出勤を控えていたのだが、、、、昨日は少し無理をして、出てみた。・・・・ああ、、、仕事が楽しい。電話とか、会議とか、質問とか命令とか、煩雑なものがない時に集中して大きなモノに取り組めるのって、最高なんだよな・・・。こういうの最悪の時間の使い方ではあるんだとは思うのだが、、、邪魔されないで仕事にフォーカスできるって、実は早くレベル高く仕事をこなす前提のような気がする。

おめでとうございます!!!!。

本日、アクセスカウンターが20万を超えました。日頃のご愛顧ありがとうございます。


未来私考 8月17日

http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20080817/1219004814


・・・というか、、、もうですか(苦笑)。僕と全然ペースが違うなー。うーむ、いや別に競争しているわけではないですが、ちょっと落ち込んでしまいます(笑)。というほどでもないですが。


いや、でも、なんというか、LDさんとGiGiさんとは、新宿のルノワールで初めてお会いしてから(って、いつだっけ?)、その後、ブログをやるべき!とLDさんに力説したことも、きっとGiGiさんに少しは影響与えたのかな?と思い、なんか嬉しいです。コードギアスも、せっかくこんなに濃い話をしているのならば、ブログやチャットでやろうよ!と騒いでいたことが、こういう形に結びついて、なんかうれしーすねぇ。まぁこれらはほとんどすべてが、影の黒幕コーディネーターいずみのさんの陰謀によることですが(笑)。でも、人との出会いが、何かを変えていくことは、なかなか楽しいことです。相手が変わるということは、自分も変わるということだもの。

恥ずかしい・・・・・

先日、先輩がブラジル出張にいったお土産にコーヒーを貰った。



おお、ブラジルのかぁ!(言葉は読めない)とおもって、コーヒーメーカーにセットして、少したってドリップ終わってから、



ゴミを捨てようと、ドリップシートを開けてみたら・・・・




何もなかった・・・・。





???????







・・・インスタントだった(笑)。


みんな誤解したみたいで、うちの部署は、3人の犠牲者があった(笑)。つーか言葉読めないし、包装とか形状が紛らわしかったんだよ(苦笑)。

2008-08-17

『スカイ・クロラ』(The Sky Crawlers)押井守監督 空中戦闘のシーンが、感動的でした

先日、見てきました。


空中戦闘のシーンが、圧倒的で、見ごたえがありました。これって、映画館で見ないといけないタイプの映画ですね。


脚本に関しては、まったくもって「押井守」ですね。僕はこの人の言いたいことは、最初期から全作品同じと思っているので、今回も同じに感じました。だから、「そこ」よりも、やはり空中戦闘の圧倒的な描写が主に語るべき部分になるんだろうと思います。言いたいことが変わらない場合は、その抽象的な革新を、どう具体に落とせて人の感じさせられるかが勝負になるはずだからです。


f:id:Gaius_Petronius:20080817220756j:image


それにしても、俯瞰した空からの感覚が、キレイで、キレイで・・・・それに尽きる映画でした。 言いたいことが、変わらないとなると、この映画の核心は、ここなんでしょうね。


f:id:Gaius_Petronius:20080817220757j:image


基本的に、この脚本、この世界観は、僕はとてもとても好きです。


ちなみに、単体で記事を書いたんですが、宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』と比較にしたほうがいいと思ったので、そっちも書いている最中なので、しばしお待ちください。たぶん書けると思います。ちなみに、森博嗣さんの小説のほう単体でどれくらい売れたのだろう?。映像があってイメージが成立する前だと、この内容で、読者をひきつけるのは、とても難しい気がする。


それと、草薙水素って、やっぱり『攻殻機動隊』からの連想の名前なのかな?。


スカイ・クロラ (中公文庫)

2008-08-16

ダークナイト見てきました。

f:id:Gaius_Petronius:20080817104042j:image

友人と、『ダークナイト』みてきました。なんというか、さすがにこれは記事を書くと思いますが、まず最初に思ったこと。


これほど内にこもる悪意のある映画が、アメリカですごく売れるって、、、えっ、そりゃーすごいことだな・・・とにかく、その重さに打ち倒されました


ということです。というか、正直に言いましょう。僕も(多分友人も)見終わった直後、凹みましたよ。だって、救いが全くなくて、そんな中であれほどの悪意にさらされ続けたら、えっ、、、、もうどうしていいかわからんです、、という感じです。これがエンターテイメントとして人が入るとしたら、それって、凄いことだよ。いったい、アメリカどうなっちゃったの?って感じ。ちなみに、ノラネコさんが、「本当に頭の良い人にしか書けない脚本」というが、いや、あれだけ究極の選択を連続して突き付けるのって、クリストファー・ノーラン監督は、見事としか言いようがない。なんというか、信じられないテンションが続くので、ものすごく心に負担がかかる。圧倒的なテンション。・・・初見の感想からいうと、これって戦略意図からいって、ジョーカーの完全勝利なんだよね・・・すげぇ、、すげぇよと思った。

葉隠れって何ですか?〜武士道と葉隠れは違うんじゃないの?

惑星のさみだれ 5 (5) (ヤングキングコミックス)
惑星のさみだれ 5 (5) (ヤングキングコミックス)

おおっ、大きく表示させる方法ってあるんだな!(発見)。先日、LDさんやいずみのさんと話している時に、いろいろ気づきがあったので、メモメモ。はじまりは、『惑星のさみだれ』だった。えっとね、下記を読んでもらえるとわかるんですが、僕はLDさんがいい!というので、勧められて読んだんですが、イマイチ最高だ!とまでいえない、、、とてもやろうとしていることに比較して全体像が見えていない勉強不足感というか、青臭さを感じて仕方がないので、その物語のパーツや構成の持つポテンシャルは、★4つ以上のものなんだが、うーんイマイチ、、、という評価を下している。今でもそれは変わらない。なんというか、ものすごい惜しい感があるんだよね・・・・。ただ、ダメ出しではない、この人は、将来化けそう!という予感だから。ただ、今の時点では、たぶん、着地は限界があるのではないかな、という気もする。

『惑星のさみだれ〜The Lucifer and Biscuit Hammer』2巻 水上悟志著 前世の記憶とフラッシュバックによるミステリー劇の手法(『僕の地球を守って』)と『Fate/Staynight』の劇空間の手法を思い出させる

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080809/p7

『惑星のさみだれ』1巻 水上悟志著 セカイ系の典型の構造ではあるが・・・

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080809/p5



それでもって、LDさんが、

「主人公がね、地球を壊したい!と叫ぶ女の子に、おもわずついていきます!と人生のすべてをかけちゃうんですよ」もうそこに、めちゃくちゃ惚れてるんです。


byLDさん


という風に言うんですが、彼曰く、これは誤読の可能性があって、たぶん作者はそこまで分かっていないんじゃないか?たぶん、新世紀エヴェンゲリオンオンの類型に連なるセカイ系のヘタレ克服物語のドラマツゥルギーに回収されてしまうのだろとは思うのだけれども、少なくともこのパーツには、ほれ込む何かがある!と言われたんですよ。


ちなみに、僕は、それって、うーん、なんだろう?、確かに僕も同じものを感じるんだけれども、うまく言葉にならないんだよね。って話になりました。それが、上記の2巻の「御意っていきなり言うのはおかしいよな!」という記事につながります。で、では、LDさんが誤読だとは思うけど、主人公の雨宮夕日のいきなり、地球をビスケットハンマーで壊すことにしびれてついていってしまう、それを妨げる一般人がいたら躊躇なく殺そうか考えてしまう、このテンションはなに?という疑問を少し敷衍してみました。トカゲのノイは、「おまえは命の重さもしらないガキなんだ!」というのですが、LDさんいわく、いや、夕日はそんなこと重々承知でこのテンションを維持しているはずなんだ、というのです。


ここの解釈って、キーの部分で、トカゲのノイのいっていることが正しいか、どうか?ということで、この主人公の雨宮夕日の動機の着地点が決まります。ノイの言うように、「まだガキだから命の重さが分かっていない」のならば、ヒューマニズム的に、今後この重さを理解する方向に少しづつ成長していくという典型的な00年代のセカイ系のリアルが感じられない若者の成長物語、という形式をとります。実際に、この作品の5巻までの流れは、もう完璧にそういうエピソードで、満ちているので、こちらの解釈が王道だと思うんです。


が、しかし、それにしては、時々、非常にその「当たり前の解釈」を超越するような発想や断片のエピソードが、雨宮夕日にはあるんですね。僕は、たぶん作者はこれを自覚して書いていないだろうから、そういう意味では、勉強不足なんだけれども、けど、逆にいうと何の脚本の設計もなしにこういうことが描けてしまうのだから、こいつのポテンシャルは高いんじゃないか?という話の流れになりました。


いや、ちなみに、こんなのテキトーな読者のたわごとと誤読だとは思いますが・・・・(苦笑)


んんで、このいきなり「御意」とかいっちゃって、すぐ人を消そうなんていう倫理を飛び越える夕日の感覚って、最大限大きく見積もると何なのか?って考えると、LDさんいわく、



葉隠れ武士の思想



だ!というんですね。聞いているほうは、ええっーーーーそこまで飛んじゃうの???って、それって何?って感じですが(笑)、これがものごっつおもしろい。

死ぬことと見つけたり〈上〉 (新潮文庫)
死ぬことと見つけたり〈上〉 (新潮文庫)


ふむふむ。この話がもっとも、葉隠れ武士の思想をあらわしているという話で概略を説明してもらった。つーか、LDさんの概略って、もうすっげぇおもしろくて、それって小説そのものよりおもしれーんじゃないの?っていつも思うくらいなんですが、上記は幕府が鍋島藩をつぶしたいんだけれども、いろんな理由を使って潰そうとするのを、ことごとくそこの家老とその部下が抵抗する話だそうなんです(僕は読んでいない)。


けど、この家老Aと、その部下の武士Bというのが、LDさんいわく、気が狂っているんですよ。シグルイ(笑)っていっていました。なんというか、やることなすこと、ものすごい極端なんですよ。何かあったら、何も言わず、すぐかなたで相手を切り殺す、そんで、すぐ切腹しようとする(笑)。普通言葉ってのは、社会の処世術で、いろいろ本心をごまかすとかそういうためにあるものじゃないですか?けど、とりわけこの武士Bってのが、もう、えっ?ってくらい、全くコミュニケーションの通じない人なんです。もう、怖いくらいに、死が同時にある。幕府の命で、ある問題に対する謝罪をしなければならないので、江戸城に途上の最中に、ちょっと旗本に、道で馬鹿にされたそうなんです。その瞬間、主人を馬鹿にされたのは許せない(という言葉もなし)で、そこの旗本(旗本って直参ですよ!)を次々に皆殺しにするんですよ。武士B(笑)。


シグルイ 1 (1) (チャンピオンREDコミックス)
シグルイ 1 (1) (チャンピオンREDコミックス)



いや、え???、、、あの、いま鍋島藩をつぶさないために、何とか謝りに来ている時に、道端で馬鹿にされただけで、いきなり殺戮ですか???(笑)それって、、、ところが、この武士Bはすぐ取り押さえられるんですね。そんで、旗本は逃げて行ってしまう。そんで、旗本が逃げたことを知ると、いきなり上着を脱ぎ始めて、申し訳ない、と切腹しようとするんですよ。もう、殺すか殺されるかしかない(笑)。その、気狂いぶりに、家老のAも困っちゃうんですが、、、それでも叱れないんですね。なんでかというと、鍋島の武士は「そうあるもの!」という規則を作ったのが彼だからなんですよ。それに合わせて、完璧に正しいことを実践しているBを怒りようがないんです。




「お主は恐ろしい男だ。王の命に反して王の命に帰ろうとする」

(宮城谷昌光「楽毅」)



楽毅〈1〉 (新潮文庫)
楽毅〈1〉 (新潮文庫)

ちなみにアマゾンのレビューで類似のもので、これがあると書いてあったんで、これも確かに面白そうなんで、探してみるかなー。



ちなみに、上記の話を、葉隠れ的なもの、とLDさんは呼んでいました。


葉隠〈1〉 (中公クラシックス)
葉隠〈1〉 (中公クラシックス)

葉隠れには二部あるそうで、一部は、武士が身につけるべき教養とか常識を重んじろ!みたいな道徳なんですね。ところが第二部が、「死ね」なんですよ(笑)。


えっ????


いや、あの、「死ね」だけですか?って感じ。新渡戸稲造の武士道などソフィスティケーティッドされたものは、「死ぬことと見つけたり」といった風に、死を覚悟していきろみたいなニュアンスに代わるんですが、葉隠れは、一切の条件がなく、ただ「死ね」だけなんだそうです(ほんとか?(笑))。これって、僕的に翻訳すると、生きていく上で、言葉とか計算とかそういったものはすべて排して、ただ自分の信じるものとを定めた時点で、それに対して躊躇なく殉教しろ、信じることが見つかった時点で、イコールおまえは死んでいる!という状態になれ!ということを言っているんじゃないか?って思うんですよ。

そんな生き方なんてあるのかよ?って思ったところ・・・・

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風雲児たち 30 (30) (希望コミックス)
みなもと 太郎
4267903255

これって、下記の話を書いた外伝なんですが…・

宝暦4年(1754)、幕府は西国の雄、島津薩摩藩に木曽川、長良川、揖斐川のいわゆる木曾三川の堤防普請工事を命じました。いわゆる「宝暦治水」です。

 家老、平田靱負を総奉行に1000人におよぶ薩摩藩士はこの濃尾の地で堤防工事を行いました。

 工事は苛烈を極め、また、監督の幕府役人の嫌がらせなどがあり、抗議と絶望のため切腹してはてた薩摩藩士も数多くいました。

 工事までに、切腹52名、病死32名。工事費用50万両。

宝暦5年の工事終了後、総奉行平田靱負はあまりの犠牲者の多さと、費用が掛かり過ぎたことの責任を負って自害しました。

 これら、多くの薩摩藩士の尊い犠牲により木曾三川は整備され、かれらを「薩摩義士」として称えました。

http://oniheru.fc2web.com/douzou/satsumagishi.htm


ちなみに、この解説ではさらっと書かれているんですが、漫画で物語として追うと、壮絶な切腹の嵐なんですよね!。なんか、役人に口でちょっと嫌がらせを受けたんだけど、本来ならばすぐぶち殺すんですが、薩摩藩を守るためにできない!という苦しさで、もう躊躇なく、バタバタバタバタみんな切腹するんです。ほとんど理由にもならないような理由で。


それを見て、周りの農民も、幕府の役人も震撼するんですね!、やべぇ、こいつらやべぇよ!!って(苦笑)。


しかも、総奉行平田靱負は、ものすごい莫大なって何十億レベル?借金を、大阪の大商人にするんですが、それって、薩摩藩の印鑑ではなくて、自分個人のサイン?だったか印鑑でするんですね。つまり、借金を踏み倒すつもりで、工事が成功しても失敗しても、どっちにしても切腹することを最初の段階から決めているんです。


・・・もうね、、、、狂気なんですよ。



薩摩藩を守る、主君を守る、と決めたら、もう命とか、関係ないの。バタバタ意味もなく理由もないくらいの感じで、死んでいく。



これ、相手は怖いですよね。


こういう「相手が理解不能な状況を作り出して」強制的に、相手が交渉の土台に乗らざるをえないように命をバンバン投げ出すっていう殉教の覚悟が、常にあるということで、異様な緊張感を周りに持たせる、言葉に出したこと行動に起こしたこと重さを常に徹底的に突き詰める・・・・そういう超緊張感のある現実社会を作り出す、というそういう目的が葉隠れにはあったんではないかな?とか思うんですよ。



えっとね、僕はなるほど、と思ったのは、つまり、LDさんがいいたいのは、いまの現代の「キレる子供たち」のような命の実感がないとかそういうことで、命を平気でやり取りすることへの批判というようなものではなく、そもそも、その重さを重々わかった上で、それでも平気で投げ出せてしまうような精神の在り方というものがあって、こういったあるコミットへの殉教意識というようなものは、まったく異なる文脈に支えられているので、本来この系統の話を描くならば、「これ」を描かないとおかしいし、そうでうないとつまらないヒューマニズムに回収されてしまうよ?って事が言いたいのかな?と僕は思いました。


とすると、死に対する意識では、ここでは二つの類型があることが、提出されているんでしょうね。ふむ、この類型は本当にあるかもしれないので、メモメモで、もう少し考えてみます。けど、この葉隠れ的な意識というのは、かなり汎用可能な概念なので、もう少し追ってみたいと思います。

『しあわせインベーダー』 こがわみさき著 こむぎこくんというゲームをやってみたいです。

f:id:Gaius_Petronius:20080816225119j:image

しあわせインベーダー (ステンシルコミックス)
こがわ みさき
4757505779


評価:★★★星3つマイナスα

(僕的主観:★★★星3つ)


人生に疲れているので、温かい気持ちになれるような、ライトなやつ所望というリクエストに本のソムリエのSomethingOrangeの海燕氏に進められた一品。なんというか、ほんとうにてきとーなリクエストだったんですが、ど真ん中ストライクでした。「相手のほしいもの」が、小さな手掛かりで与えられるというのは、すごい情報量と感度だなと感心しました。

さて、絵柄が穏やかでほのぼのした雰囲気を出していて、こがわみさきさんは、とっても気になっていたんですが、反面、たぶんこの手のほんわかタイプの作家は、小さくまとまっているものが多いんだよなーと今までほしいんだけど、と躊躇していたんですが、おすすめもあって読んでみました。ちなみに、自分の評価、海燕さんの評価とも、ほぼ想定して通りだったので、おれってジャケ買いの才能あるなーと思いました。まぁ、悪くはないけど、買うほどでもないかな、という作品。

なんというか、でも、心は洗われるよね。イメージ的には、中学生の頃くらいのころの人間関係や心の在り方を思い出させる。あのころは、もっと純粋だったなぁ、としみじみ思う。いや、純粋って、別にきれいとか、安定しているというわけではないんですが…。なんというかな、物事に打算がないって感じ。大人は、すべてが打算を二まわりくらいするので、こういう直接的な反応を見ると、なんだか懐かしいノスタルジィを感じます。その代わり傷つくのもダイレクトだから大変なんですがね。こういう空間を、短編で何度も何度も再現できるのだから、作者はこういうテイストの人なんだろうと思う。

2008-08-13

31歳の井伊直弼の男泣きに感涙〜部屋住みとは何か?

風雲児たち (幕末編1) (SPコミックス)風雲児たち (幕末編1) (SPコミックス)
みなもと 太郎

リイド社 2002-07-26
売り上げランキング :

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評価:★★★★★+α星5つ/マスターピースだ!

(僕的主観:★★★★★+α星5つ)

この作品は、もう日本の歴史に残すべき名著ぐらいに思っているんですが(笑)、本当に素晴らしく。何度も何度も何度も、心に刷り込まれるまで読み返そうと誓っています。とにかく毎日読んで(←修行かよっ!)、自分の魂に刻み込むつもりです。なぜならば、江戸から近代までにかけての空白となっている日本史部分が、ものの見事に描かれて、しかも連続性を持って体感できるので、読めば読むほど、その他の情報の解釈やアクセスがものすごく容易になるのです。こんな最高なことはない!。素晴らしい導入書だ。だって、村田蔵六とか、江川太郎左衛門とか、最上徳内とか、シーボルトイネとか、阿部正弘とか、佐久間象山とか、そんなものすごく有名で知られているわけでもない人々の、ものすごくドラマチックで高貴に満ちた人生を物語として体感しながら、同時にその人たちが群像劇で描かれているので、時代背景まですべて体感できてしまう・・・。司馬遼太郎や城山三郎の素晴らしい魅惑に満ちた小説群も確かに素晴らしいのだが、あれらはすべて「人物伝」になっているきらいがあるし、しかもその時代のその人の人生にフォーカスする、いってみればスターシステムを採用しているが故に、わかりやすいが、歴史の全体的なうねりを体感できるというわけではない。が、この漫画は、すごいんぜっ。関ヶ原からの数百年間の歴史そのものを、ひとつの大きな物語として群像劇で描いているんだよ。一つ一つのエピソードは、われわれ日本人であれば知っていることも多いが、このような歴史のダイナミックなうねりと同時に物語るなんてことは、ついぞ見たことがない。歴史に残る傑作だと思う。これらの本と、司馬遼太郎とか城山三郎とかを同時に読むことができれば、その理解の深まりは、凄まじいものがある、と僕は思う。読んでみればわかるって。最初は、なんだギャグ漫画か、こんな絵か、、、とか思った自分が、情けなくて鼻水が出るよ、いま思うと、。

って、書きたいことはこれではなかった(笑)

家督相続まで

文化12年(1815年)10月29日、第11代藩主・井伊直中の十四男として近江国犬上郡の彦根城(現在の滋賀県彦根市)で生まれる。幼名は鉄之介、後に鉄三郎。

庶子であったため、養子の口も無く[1]、17歳から32歳までの15年間を300俵の捨扶持の部屋住みとして過ごした。この間、長野主膳と師弟関係を結んで国学を学び、自らを花の咲くことのない埋もれ木にたとえ、埋木舎(うもれぎのや)と名付けた住宅で、世捨て人のように暮らした。この頃熱心に茶道(石州流)を学んでおり、茶人として大成する。そのほかにも和歌や鼓、禅、槍術、居合術を学ぶなど、聡明さを早くから示していた。その頃「チャカポン(茶・歌・鼓)」とあだ名された。

井伊直弼

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E7%9B%B4%E5%BC%BC


幕末篇の1巻の井伊直弼のエピソードで、すごく興味深いことに気づいた。「部屋住み」という存在だ。これって、日本の江戸時代を考える上でキーとなる概念じゃないのかな?と思うんですよ。もっというと、東アジアで、この概念ってキーとなるものなんじゃないのかな?と思うんです。

部屋住みって、

武士の次三男は養子の口がなければ厄介ということで兄の世話になるしかありませんでした。ごくたまに運がよければ新規お召抱えの口があって召抱えられることもありました。大身の旗本や大名であればごくたまには分知ということで所領の一部をわけてもらうこともありましたが、これは江戸初期を除けばほとんど望めませんでした。そのためよい養子の口があるように次三男は長男(嫡子)に比べて武道や勉学に励んだとも言われます。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1614855.html

ぐぐってもあまりいいものが見つけられなかったんですが、たとえば、「寛政の三奇人」の一人で『三国通覧図説』を書いた林子平は、嫡男でなかったので、部屋住みで、生涯正直言って悲惨な境遇のままでした。兄にお世話になる、、、といっても、何の役にも立たないごみのような存在として目的意識もなく、いざ兄が死んだときのためのスペアとして飼殺されて(家をの血統を維持するため)、兄に子供が生まれた瞬間威容済みで、哀れな人生のまま忘れ去られる。物語の中でも、いやー自尊心を持てない悲惨な境遇だよなーと思います。これって、社会に人を飼っておくだけの余裕がある生産力があり、かつといっても嫡男以外に土地や資産を与えられるほどのリソースがない土地で起きる現象だと思うんですよね。

この井伊直弼は、業績は知っていましたが、彼が17歳から32歳まで、飼殺しの憂き目にあっていた悲惨な環境で青春を過ごしたなんて全然知りませんでした。いってみればプーなわけですよ。・・・・その彼が、いきなり幕府の最高権力者に上り詰めるんです。いままで、なにも権利が全くなかった中で、いきなりパックストクガーナ(徳川家による平和)と日本国家の未来の重責を担う立場になるのです。養父になった兄(大老)が言います


「直弼 お前がもし部屋住のままであれば この国の政情を何も知らず平和に死んでいけただろう


しかしこれからは違うっ


場合によっては御三家よりも権力を持つ「大老」職をたびたび務めてきたのが、わが井伊家だっ


中略


今回の危機を乗り越えてもやがてはもっと大きな問題が起こる


その時にこの国をしょって立つのが井伊家の当主の運命よ・・・・」



p29


いきり理由もなくただ朽ち果てるだけと思っていた彼のもとに、国家を守る使命が舞い降りたのです。


生きる理由ができた・・・・なんという喜びだ・・・・




と、31歳の井伊直弼は、男泣きに号泣します。



阿Q正伝・藤野先生 (講談社文芸文庫)阿Q正伝・藤野先生 (講談社文芸文庫)
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さて、これはこれで素晴らしいエピソードなんですが、このことの意味は、部屋住みという概念をよく知らないと、意味が通じないんですね。そんで、この「家の存続のためのスペアとして飼殺される」ってのは、北東アジアではとても多いケースのようで、この魯迅の阿Qってのも、ほぼ似た存在なんですよね。このすごくつまらないとこの話が、いったい何の意味があるのか?って教科書を読んでいるときに、よくおもったのですが、これってこういう存在になることの惨めさがわかるかっ!ていう告発の書だったんですね、はじめてわかりました。


中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)
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さて、最近は、水滸伝を読んでいて、革命を起こすために兵士や民衆を動員するためにはどうすればいいのか?って考えていたときに、この魯迅の『阿Q正伝』と高島俊夫さんの名著『中国の大盗賊』における、中国史における盗賊の概念が結びついたんですね、そして、それってのは、部屋住みのことなんだ!って。要は生産など社会的機能に組み込まれない不労余剰人口が、たくしさんいるってことが、政治的にどういう社会構造を作り出すかってことなんですよ。たぶん、これを抜きにして、北東アジア史のことはわかるまいって思うのですよ。前に、ブロガーのとらさんと話していて、日本の吉原とかの遊女とか芸者とか、北東アジアには遊女の文化があって、ここに位置付けられる高級売春婦は、かなり社会的地位が高い場合が多いんですね。もちろん差別の裏返しではあるんですが。ところが、西洋にはあまりそういう存在はない。これってなんで?という会話になったんですが、これって、余剰生産力があるかどうか?(アジアは豊かだが、西洋は基本的に近代以外はすべて貧しかった)ということと男女比率の問題など、結婚ができずに流動人口として存在する男が非常に多かったということがあげられると思うんです。これって、すべてつながるな、、、と。そして、高島さんは、「盗賊」は、そういった農家の次男、三男坊が過剰に存在する北東アジアでは、必然的に発生するもので、こうした層が、社会政治的に大きなキーとなる存在になると喝破してういます。ああ・・・こういうことがわかってくると、ゾクゾクしますねー。次々の新しいことが分かってきて…・ふふふふふふふ。ということは、この地域で革命や政治的活動をする時に、基本的なロジックも、なるほどわかってきますね。


水滸伝 (19)  旌旗の章 (集英社文庫 き 3-62)水滸伝 (19) 旌旗の章 (集英社文庫 き 3-62)
北方 謙三

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夏コミ明日からですよね?

なんか、mixi見ていると帝都に続々と集結している人々がいて(水音さんとか、水音さんとか、水音さん)なんか、携帯からかリアルタイムで日記が上がってくるのを見ていると、、、、いいなーーーとか思って、なんかサビシイ気持ちになります(涙)。なんか、この関係の友達は、みんな民族大移動みたいに、続々上京してくるのね(苦笑)。これって大イベントなんだなー。


いや、夏も汗も大嫌いで疲れきっているので、いかないし、いけないんだけどさー。。。去年1日だけはしくんにつれてもらって行ったんだけど・・・何をしたわけでもないんだけど、超楽しかったんだよね・・・。本もほとんど買っていないんだけど。なんというか、夏祭りにあこがれる村の若者とか女の子って感じ?(意味不明です)。


僕、自分でも学生時代に自分のやりたいことはほとんどやりつくしたと思っていたんだけど、唯一、自分の存在の本質である(苦笑)オタクライフを一切満喫していなかった(というかそういう友達が皆無だった)ことの最近気づいた。超心残り。そうだよ、この系の友達一人もいなかったよ、考えてみれば(涙)。考えてみると、、、いつも彼女とか友達と遊びまくっていても、自分が一番好きなことをやっていないと、心残りがあるものなんだなーとしみじみ。まぁ人生には時があるので、しかたがなかっただろうけどねぇ。。。もっと視野が広ければ、この系統にも全力でトライしたのになぁ、、、。まぁ致命的なのは、この系統の友人がいなかった、に尽きるな。そういう意味では、ネットというのはすごい、すごいよ。GiGiさんではないが、コーディネーターいずみのさんに感謝だな。

ああ、みんな楽しそうでうらやましいっす。

『国家の罠〜外務省のラスプーチンと呼ばれて』 佐藤優著 国事に奔走する充実感

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佐藤 優

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評価:★★★★★+α星5つ/マスターピースだ!

(僕的主観:★★★★★+α星5つ)



「国家の罠」佐藤優著 /千の天使がバスケットボールをする

http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/8b444e0e0e34d2c0ed4a8ddd89aac0c5


樹衣子さんから、あなたは絶対好きだと思う、とのアプローチを受け読了。すばらしい、よく僕という人間をわかっていただけているようです(←こういうのうれしいですねー(笑))。死ぬほど面白かったです。というか、マジで何度も涙ぐみました。なんというか、自らを偽らない誇りに、ぐっときますねぇ。いまの裁判や自分が犯罪者になることよりも、26年後の外交文書の公開をターゲットに歴史の審判を仰ぐという姿勢・・・自らと使命を共にした仲間(鈴木宗男氏)に、私ぐらい最後までついていく覚悟です、という情・・・・それに正確無比な情報の分析力、、、いやぁシビレました。


■あらすじと概説

>外務省は、途轍(とてつ)もなく優秀な情報分析官を失った。おかげで読書界は類(たぐ)い希(まれ)なる作家を得た。退官した外交官がよく出すノー天気な自画自賛本が100冊かかっても敵(かな)わない密度の濃さと面白さ。



米原万里さんの書評 より

この故・米原麻里さんの書評が、とても的確。これは世にいう、鈴木宗男事件の顛末を、逮捕されたノンキャリアの外交官佐藤優氏が描いたものだ。こういった暴露本は、たいていその事件自体の意味をひっくり返すほどのことはない場合が多いが、これは違う。日本社会の本質まで切り込まれていて、歴史的に価値が有る本だと思う。

>著者は自己弁護や復讐(ふくしゅう)のためにではなく、あくまでも26年後に公開される外交文書との整合性を目論(もくろ)んで本書を記した。清々(すがすが)しい読後感は、この歴史に対する誠実さからくるのだろう。

と米原さんの評だが、まさに、僕も同じ読後感を味わった。彼が、日本国の国益と未来の歴史という大きなモノへ仕える人間であるという視座が非常に強く伝わる。この辺は、大いなるものに仕える意識の強いキリスト教徒だなぁ、と思う。それにしても、あれほど無能な外務省に、これほどの高い国益意識を持った職業官僚がまだ存在したことに感動を覚えました。まぁこの優秀さが、ノンキャリアから来るという部分も、日本社会を特徴づけるなぁ、と感慨深かった。この本を一言で云うならば、ハラハラドキドキするエンターテイメントの小説物語としても充分読み応えのあるという不思議な作品だ。しかも読み終わった後に、職業に対する誇りや、日本社会の構造的問題点が、スッキリ整理できる点も、著者が、とんでもなく優秀な情報分析屋であったことを思わせます。その是非や歴史的正当性はともかく、2002年の日露平和条約締結のために、人生の全てをかけて戦った男たち・・・政治家鈴木宗男と外務官僚佐藤優の物語である、とか書いても全然おかしくない見事なも物語だった。凡百のスパイ小説ではかわないエンターテイメントだった。検事が、もし条約締結がなっていれば、今頃、鈴木宗男氏は、英雄として官邸に登りつめ、佐藤優もひかれて官邸入りしていたことは間違いない、というセリフは印象的だった。


■国事に奔走する充実感

このノンフィクションの究極のテーマは、国益だ。国益という言葉が、何度もキーワードとして出てくる。佐藤優氏の行動と動機の源泉は、常に、国益だ。まさかいまどきの外務官僚から、これほど真摯な国益(=ナショナルインタレスト)などという言葉を語られるとは思わなかった。見えないだけで、まだまだ日本にはこういった人物達が隠れて活動しているのだと思うと少し嬉しくなった。彼の外務省ロシアスクールのキャリアのメインは、北方領土問題の解決と、ロシアと日本という対米従属ではない多極主義的なスキームの構築だ。まずは、その可否を問うのは置いておく。それは、対米従属・米国単独覇権主義のサポートを国是とした小泉政権の評価の歴史手価値の有無を問うことになるので、一言ではいえないからだ。、、、、、この佐藤優というノンキャリアの日本国家の外交官僚の半生を、一つの『物語』として読んだとき※1)、彼のモチヴェーションの核は、国益に身をささげること、なのだ。


※1)こういったノンフィクションや自伝系の読み物は、僕はすべからく、主観を突き詰めた物語であることこそが読者獲得------いいかえれば、著者の主張したいことの、世間への一般化・浸透が可能になる第一義要件だと考えている。


それにしても見事な官僚魂を感じる。精確にいうと、官僚というよりは、国益という正義に身をささげる公僕(パブリックサーバント)だと思うのだ。彼は、ケインズ型の公平分配政策に軍配を上げる評価を下しているように見えるが、その点も、パブリックサーバントらしい。この言葉は、ケインズの造語だもんね。・・・・・なのに、あきらかに、彼は組織に仕えていない(笑)。




「組織人ですから」




と言い切るその真摯な姿勢は、明らかに組織ではなく国益に仕えているのだ、という強い自負を強烈に感じる(笑)。おもわず、ウソつけ!(笑)って思いましたもん。それにしても物語としては、なんと魅力的で、かっこいいのだろう!。この本を読むと、佐藤優氏が生きる『佐藤優という物語』のあまりのダイナミックな誇りと行動力に感動を禁じえない。僕は、短い間のみ留学でアメリカで暮らしたことがあることをのぞけば、出張や旅行こそかなり行ったが、海外では暮らしたことがない。が、海外で、日本の情報から切り離される時間が長いと、自分が日本人の自覚を迫られ、ナショナリスト的になっていくのがよくわかる。肌の色、立場、様々なものが、自分を日本人だろう!と突きつけてくるからだ。そうした経験を、自覚的に考えたことがある人ならば、国家と個人の距離や、海外に出たときのナショナリズムや国益意識というのは、よくわかるはずだ。逆に、出ていなければ、たぶん絶対に実感できない。そうい意識を踏まえた上で、国事・・・・・・公共の、マクロの次元に仕えることの誇りというものは、とんでもなく凄いものがある。もう、死んでもいい、ってくらいのもんだ。こういうのは、明治国家建設や国を動かす意識を持って働いている人には、非常に強い。それが悪い方向に出ると、凄まじい犯罪になるので、、、良くも悪くもですがね。前に『沈黙の艦隊』というマンガで、普通の政治家だった男が、世界的事件に巻き込まれていく過程で、「国事のために奔走する充実感を感じる」や「国事のために働くことに、足が震える気持ちです」というセリフがあったが、それをすごく思い出しました。

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僕が知る限りの官僚としては、たぶん、彼は変人の類ですね(笑)。ただ、貫けはしないものの、こういう意識を持つ人は多い。そうでなければ、安い給料で、あれほどの仕事量はできないよ。



■シゴトをするときに従う原理




仕事をするというときに、



1)組織に仕える人





2)使命(ミッション)に仕える人



がいる。いやもっと精確に言いうと、場面場面でこの二つを天秤にかけながら判断していくというべきだろう。



この図式は、



1)ルールキーパーRule Keeper


2)ルールブレイカー Rule Braker



と、僕は勝手に読んでいるのですが二つに分けられると思う。


ルールを作り出そうとするか、それともルールを守ろうとするか、の差です。ちなみに、2)はかっこいいので、これが正しいように思いがちですが、ほとんどの2)は逸脱者で法律違反者です(笑)。組織は、そのシゴトと人員の過半が、2)のルール逸脱者であったら、組織は崩壊してしまいます。物事のパラダイムや根本を変えてしまうことやイノベーションを行う人間は、すべからく2)です。が、2)は、常に現行の体制からの逸脱者や犯罪者として現れてくるアウトサイダーであるために、その評価というものは、非常に難しい。明治維新を成し遂げた英雄たちも、徳川幕藩体制からすれば、ただの犯罪者でです。そういう意味で、佐藤氏は、強い使命感を持ったルールブレイカーだったんだと思います。ルールを破るということは、必ずしも経費を使うとか、そういったせせこましいことではないです(笑)。そんな小さなことは、実はどうでもいいんです。米国との・・・正確にいうと、アングロサクソンとの同盟を選んだ、吉田茂以来の日本の国益の根本を支えている外交体制を、国際均衡主義と独自外交のスキームに組みかえること、そういったこれまでのパラダイムとなるべき根本のルールを、崩壊させるという行動こそが、ルールの破壊者なのです。


これは、、、、非常に難しい問題だ。僕も佐藤氏の理念と国際情勢分析には、国際均衡主義を経の体制作りという意味では賛成したい。けれども、日本国家体制が、まだ戦前と同じ独自外交に踏み出すだけの体制が、本当にあるだろうか?。あの無能集団の外務省などに。。。。本来は、鈴木宗男氏と共に官邸入りしてそのビジョンの政治レベルで発揮して欲しかった、と思う。彼の行動は、既に官僚というレベルを超えている。彼の目指しているのは、ナショナルインタレストに基いた使命に従がう選良(エリート)としての行動であり、、、それは、すなわち政治家の次元の話だ。ある種、機関の歯車でなければいけない官僚の器ではなかった、という部分もあるのだと思う。


まだまだこういった人間を、これからの日本は必要としていると思う。本当に素晴らしい本にであえました。樹衣子さんありがとう。ちなみに、全然書ききれていないので、△紡海ます。たぶん。

ムラ社会への参入方法と指揮官として引きを率いること

最近、いろいろ考えていて、思い至ったキーワードがある。


ムラ社会への参入方法


だ。僕は後輩にも先輩にも、前後数年〜10年ぐらいの世代には、仕事でものすごくよく相談を受けるんですよね。なんでか知らないけど。僕は、しょうじき感情にムラはあるし、はっきりいって、ニュートラルに人を眺めるときには「悪いところの告発」ばかりする癖があるし、そんなに相談してもいいことないんじゃない?とか思うんだけれども、よくされる。まぁ、言いたい放題言うのは好きなのと、やっぱり頼られるのはうれしいので、思わずいろいろしべってしまう。


僕の中に、仕事を、実務をやる上で大きなテーマがあって、ずーっと思っていたのは、小さな部隊を率いる最前線の指揮官であるためにはどうすればいいか?というものです。これは、新入社員の時に、仲の良かった先輩が、

「俺たちは、軍隊でいう陸軍大学とかウェストポイントを出たての少尉任官なんだ。鬼軍曹とか古参の兵士に比べれば、現場を仕切る能力も現実に仕事をする能力も全然ない中で、自分より年上の人間たちを率いるリーダーとして認めさせなければならない。それを自覚しないとだめだ。」

といっていたことが、胸に深く残ったからです。実際、戦争の映画や本を見ると、そういう話はたくさんあります。映画『ビルマの竪琴』で、ビルマの熱帯雨林を駆け巡る小部隊の指揮官は、音楽の大学を出たばかりの若造(たしか石坂浩二)だったし、京極夏彦の本に出てくる榎津礼二郎も、帝国大学時に学徒動員で南方戦線のゲリラ戦の指揮官を、召集されてにやっていた。いや、なんでもいいのですが、大学出たてのペーペーの若造が、それでも、いきなり「指揮官」として人を率いて、信頼され、しかも目的を達成して、かつ部下の命を守らなければならないというものすごく重責を担うんですよね。これって覚悟いるじゃないですか。そして、そういう覚悟を、引き受けるのがめんどくさいという人は今の時代はたくさんいます。課長とかになりたくない、という人は掃いて捨てるほどいます。だって、責任ばかり増えるうえに給料も残業つかなくなれば低くなることばかりですもの。


でも、僕は、僕が・・・憧れる人は、「決断ができる人」なんです。


給料とか大変さとか、そういう功利や小利口なことではなく、「人間としてかっこいい生き方は何か?」と問うた時に、責任と義務を果たして、決断を下し、この現実を変えることができる人、なんですよ。いや、なぜって、そういうことが、ぜんぜんできない、ヘタレクンだったからですよ、僕が(笑)。いやまー世界を放浪したり、やりたい放題やったけど、「人の中で生きること」「人の世界で苦しんでたたかうこと」以外に価値があるものを見いだせなかった気がするんですよね。


って、話がウルトラ脱線した。


いやこの話がしたいわけではなくて、相談される時に、僕の理想像は、「決断ができる人」ってのがあって、僕の前後のような若手のレベルだと、それは少尉任官した部隊の前線指揮官として、いかにちゃんと成長できるか?ってステージが主題になるんですよね。いままでの僕のビジネスの話は、新入社員から30代前半までのくらいのステージの中での話が多い。それも、たぶんそれなりの中規模以上の日本的な典型の組織で適用できる話だと思うのですが、時々概念が複雑になっえちて、語っていることの純度が悪い気がしていたんですよね。最近それが、明確に峻別できてきている気がして…。というのはね、上記でいうような、日本社会の典型的な組織で20代から30代前半というステージを考えるときに、二つの大きな壁があるんですね。これは現実には密接に絡まっている話なので、分離できないんですが、実はぜんぜん別物の概念。

1)ムラ社会にエントリーする技術



2)前線指揮官として人を指導して結果を出していく技術


ぼくは、この二つを混同して…というのは言い過ぎか、この二つをワンセットにしすぎて語りすぎているきらいがあると最近思い始めてきたのです。というのは、物語的に説明すると、ある人が、日本の組織に若手で入ったとします。そうすると、仕事ってまともに任せてもらえないし、わけのわからないイニュシュエーションで試されてばかりだし、いじめにあうし(=出るクイは打たれる)、OJTとかいってまともに仕事も教えてくれないという現象が、ほぼ確実に起きます。これなんであろう?っていつも思うのですが、これって、要は、ムラ社会に新しい構成員が入ってきたので、ムラ人の序列階級に位置付ける作業を、周りがするから起きることなんですね。


ここで、本当に苦しい思いをする。難しいのは、前線指揮官だ!(=おれはエリートだ!)って、いくともう、見事なくらいに鼻を折って、プライドをすりつぶそうとしてくるんですね、このムラ社会的アクションは、体育会系の先輩の後輩への指導と称する無駄で非合理的ないじめと全く同じと思っていいのですが、要はムラ人の年功序列の構成員が、


1)ストレス解消のため

2)自分が先輩にやられたこと後輩にやり返す、

そして

3)ムラ社会や業界(=さらにでかいムラ)でそういうエリート意識は、百害あって一利なしなんで、徹底的にそぎ落とそうとするからなんですね。


そうやって、ムラ人のふさわしい造形に作り変えて、洗脳する、されるということが起きる。ムラ社会は、業務の標準化をしません(=ムラ人をリストラするなんて行為はしない)ので、どうしても師匠と弟子の一子相伝になるので、日本的組織のこうした親分子分による強烈な同調圧力は、文化的伝統なんです。


僕の成長の話や奴隷の話は、ここで「受け入れられる」方法論を語っているものが多いんですね。ここを抜けられないと、そもそも、メンタルになって崩壊したり人間関係が苦しすぎてすぐ逃げだす癖がついてしまいます。ただ、これは、日本社会のものすごい大きな伝統なので、一部の強烈な個人主義的競争市場でのプロフェッショナリズム以外は、99%この伝統は付いて回ります。いいかえれば、普通の人生で、これを無視できる日本人はいないということです。また、実際、僕は海外も会社を見ていますが、まぁあまりかわらないですよ、どこも(苦笑)。


こういったムラ社会への早い参入方法が、僕がいつも語っていることです。


ただし、ここで「ムラ社会の同調圧力に屈する」ことは、僕の上記の2)前線指揮官として人を指導して結果を出していく技術という目的から外れてしまうんですね。ムラ社会は、同調圧力に屈して、その秩序に従って、空気(ニューマby山本七平)をよんで、ムラ共同体(ゲマインシャフト(独:Gemeinschaft))の維持のためだけに生きる人間を作り出すことをその成立の本義としているからです。日本社会の組織は、アソシエーション(結社:目的のために集まった集団)が、自然と共同体(ゲマインシャフト)に転化していくという文化的伝統をもつので、どうしてもこういう、水が低きに流れるような「暗黙の力」が原理的に働いているんですよね。


この暗黙の掟に逆らわないと、プロフェッショナルな人間にはなれません。


が、この暗黙の掟に逆らうやつは、消されます。文字どおり(苦笑)。この矛盾をどう解決するか?、自分の実務の中で、どうやってこの1)と2)を両立させるか?ってのが、僕のテーマなんだって、最近わかってきました。ちなみに、共同体ムラ社会の悪い面に側面を当てましたが、日本の組織には、ボトムアップの伝統があるので、うまく機能すると、実は2)がものすごく見事に成立する場合もとても多いのです。徹底的な中央集権の欧米(とくに米国?)の伝統と異なり、日本は、若手が、、、このムラ社会の論理を利用しながら、権限もないのすべての権限を暗黙に握って人を動かすという現象が、実力がありこの1)のムラ社会の空気をコントロールする技術にたけていると、することができるのです。


なんか、そういうことを思いました。議論の区別のためにとりあえずメモメモです。

神殺しの系譜を追う

神殺しの物語「地球へ…http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/f6e0f80fbd6d98c6bc70e05980681b2d

今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

最近、ペトロニウスさんの「コードギアス」関連のお話の中に「神殺し」というワードが出てきて、それについて他の作品も絡め、いろいろと思索されているみたいです。…そもそもの話は「コードギアス」の作中でシャルルゥ皇帝が自らの目的を「神をコロすぅう!ぶらぁああ?」(←ぶらあ言ってない)と宣言したのがとっかかりなんだと思いますが。

それで、最近少し彼と、お話しした時に「神殺しの物語」という事で、僕は想起した作品として「地球へ…」と「エルリック・サーガ」を上げました。あと一個なにか思いついてたんだけど、その時は思い出せなかった…で、今、思い出したんだけど「装甲騎兵ボトムズ」だw…ま、これはいいやっ!おいとこw(←置いていいのか?)

で、ペトロニウスさんは、マンガ版「ナウシカ」や、「もののけ姫」を上げられていました。「ナウシカ」と「地球へ…」は非常に似ている部分と、全然違う部分があって面白いなあ…。あと「ヴィンランド・サガ」の話もあったけど、あれが「神殺しの物語」なのかどうかはちょっと保留。でも、とりあえず「神殺し」と思しき物語を全部、おもちゃ箱に放り込んで、精査しようという感じだろうから「ヴィン〜」も検討対象ではありますね。



この話は、非常に面白い&僕がぼこっと思索が抜けていた部分なので、ちゃんとテーマだてて追ってみたいと思います。



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2008-08-12

『ダークナイト』は現代アメリカ映画の最高傑作とまで、ぼのぼのさんがいう------行かねばなるまい漢(おとこ)として

f:id:Gaius_Petronius:20080425010231j:image

アメリカで現在史上最高の大ヒットを驀進中。それだけならともかく、IMDBのユーザーレイティングで歴代第1位という驚愕の数字を叩き出した話題作。日本ではバットマン人気が低いのでそれほど大きな話題になっていないが、バットマン好きで、前作『バットマン・ビギンズ』を非常に高く評価している自分としては、元々この夏最大の期待作だった。そこにアメリカでのこの絶大な評価だ。高まる期待と共に、先行上映初日の劇場に駆けつけた。


まだ本公開も始まっていない時点ではネタバレもできないので、具体的なことは一切書かない。

ただ、これだけは確実に言える。アメリカでの異常な評判の高さは当然のことだ。


映画『ダークナイト』はまさしく現代の神話である。中心となるテーマは、神話の多くがそうであるように「光と影」、さらに具体的に言えば「倫理」だ。ハリウッド製娯楽映画という枠を借りて、そのテーマをこれほど深く追究した作品は他にないと言っていい。

【映画】『ダークナイト』911が生み出した現代の神話/Badlands

http://bonobono.cocolog-nifty.com/badlands/2008/08/911_c3a5.html#more



■『ダークナイト』は現代アメリカ映画の最高傑作とまで、ぼのぼのさんがいう------行かねばなるまい漢(おとこ)として


シネフィル(映画狂)だったの僕としては、ほとんど外に出ることができな現在の環境は、非常に苦しい。プライオリティの問題なので、「時間がない」とかいうやつは、甘えているだけだ!ということは、わかるんだ。物事にいいわけはない。とはいえ、いまほんとに見る余裕ないんだよー(涙)。・・・まぁ知っている人は、アーそれは当然だよね、と言ってくれるけど・・・。いろいろ生活していると大変なことって多いんですよ。幸せで人生問題なしで驀進していても、いやそれだからこそ、大変なことってあえるわけで…とか、そういう個人的なことはどうでもいいんだった。


だとしても、その厳しいプライヴェート環境を押してでも、どんな手段を使っても、『ダークナイト』は見なければならない、と思い込む。


僕は、映画のサイトでは、ずっとノラネコさん『ノラネコの呑んで観るシネマ』とほのぼのさんの『Badlands』を見て参考にしているんですが、今回、ほのぼのさんが、『ダークナイト』を現代の神話、現代アメリカ映画の最高傑作かもしれないといっているんです。

f:id:Gaius_Petronius:20080428111421j:image

『ミスト』もそうなんですが、僕自身も最近映画を見きれていないのですが、911以来アメリカのエンターテイメントの表現が微妙に深くなっているのを感じるんですよね。もともと、アメリカには強烈に善悪二元論を盛り上げて大衆操作をする伝統があって、そのドラマトゥルギーの類型をエンターテイメントの手法に流用することによってハリウッドシステムのようなほぼすべての人間を動員できてしまうようなエンターテイメントのユニバーサルな手法が開発され、継続してきました。慶応義塾大学の鈴木透教授は、この二元論の典型であるハリウッドムービーとりわけ西部劇もの以降の、「二元論解体の歴史」が、アメリカ社会の成熟と限界を指示していると主張しています。成熟とは、『ダンスウィズウルブス』や『ラストサムライ』のように、滅ぼすべきインディアンや野蛮人の日本人に感情移入してしまい善悪の次元がわからなくなってしまうような第三の道を思い悩む主人公が80年代以降増加してきたからです。しかし同時に、限界を示すのは相変わらずローランド・エメリッイ監督の『インディペンデント・デイ』のようなお気楽な善悪二元論の作品も大量生産され続けてきました。


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ところが、さすがに911はアメリカ社会に深刻な楔を打ち込んだようで、この事件がこの単純以前と悪を割り切って、現代アメリカは善だからすべて正しいのだ万歳!ということこそが正義だった!という雰囲気がかなり変質し始めているんですね。昨今のアメリカ映画には、そのことが深く刻印されていると僕は思っています。・・・ほんとは、細かく具体例をあげたいのですが、パワーが…。


その一つの到達点的なものみたいなんですね。なによりも、素晴らしいのは、物凄い興行成績を上げていると同時に、批評レベルでも歴史上最高傑作との呼び声がすでに公開中であるにもかかわらず高いのですね。これは、その真偽はともかく、見ねば、このリアルタイムの参加せねば、なるまい!と思うのです。

とりあえず宣言したので、何とか行きます!

『ロンドリーフレット』 LittleWitch・大槍葦人 ウェルメイドの佳作〜ジャンルを超えるパワーはなくとも、完成度の高い、満足度の高い作品ってのはあるものだ

ロンド・リーフレットロンド・リーフレット

リトルウィッチ 2007-01-26
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評価:★★★星3つマイナスα

(僕的主観:★★★星3つプラスα)


■ウェルメイドの佳作〜ジャンルを超えるパワーはなくとも、満足度の高い作品ってのはあるものだ


大槍葦人さんの絵を楽しむものと思ったほうがよくて、物語を楽しむっていう意味ではプレイするほどのものではないかもですよ?と海燕さんにいわれていたが、まさにそのとおりだった(苦笑)。物語としては、ふむ普通、という感じ。でもいいんです、大槍葦人さんの絵と世界観がすごい好きだから。この絵が、大好きなんだから。僕は、LittleWitchの作品は、あと『Quartett!』しか、残念なことにプレイしていないが、海燕さんの紹介記事で、ほとんど世界名作劇場のアニメのように一話完結的にサクサクプレイできる、とあったので、疲れきっている心に潤いを求めて購入。はうわーとても、えがったです。

イギリスの国民的作家P・G・ウッドハウスの名執事ジーヴスものは、最近日本でも翻訳されて人気を博しています。この作品はさしずめそのノベルゲーム版というところでしょうか。1話ごとにオープニングとエンディングが挿入され、気分はほとんどテレビアニメ。それもNHKか世界名作劇場。たぶんこれから恋愛要素なども絡んでくるのでしょうが、それよりも単純にコメディとして楽しい。喧嘩腰の執事だの、口の悪い少女子爵だの、どじっ子メイドだの、ひとつひとつの要素はベタだけれど、それだけに安心感がある。


『ロンド・リーフレット』プレイ日記 その1/Something Orange

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070331/p2

個人的には、一言でこの作品をあらわすのならば、ハウス世界名作劇場です!と言い切ってよいと思う。それくらい安定感がある物語だった。ラストで登場人物の女の子と相思相愛になる話だけが分岐しているのだが、「ここ」だけが全く物語的に接続されていないでとってつけ足したようになっているが、それ以外は整合性のレベルで雰囲気のレベルでも、ずーっとハウス世界名作劇場を見ている印象が続く。なんといえばいいのだろう???この安定感。たぶん、ジャンルを超えるようなすごいものを見たければ、全くこの作品を体験する必要性は確かにないんでしょうが、なんというか・・・・★3つの完成されたものの良さってあるわけで、こういうのウェルメイドの佳作と呼ぶのかなぁ、、、。とにかく、壁をぶち破るパワーは皆無なんだが、このジャンルの前提の中で楽しむには、最高のウェルメイドなもの、という印象。・・・・でもこういうのがあるから、

これが、OPのムービーなんですが、これを見ると、たぶん言っている意味がよくわかると思う。音楽もきれいだし、内容もウェルメイドだし、という感じがほんとよく出ている。僕はすごい好きですねこれ。全話SKIPなしで毎日聞いていましたもの。『Quartett!』もそうだったけど、この作品も音楽はとてもとてもよかった。ここでも、やっぱりウェルメイドっていいたくなる。いや、最高だ!とは言わないんだけれどもさっ・・・。おもわずBGMにアルバムを購入したくなってしまうほどのレベルなんだ。物語が織り込まれた音楽というのは、シンプルなものでも、心に残るんだよね。

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■愛する者に囲まれている良さが、脚本が破たんしているが故に逆に感じられちゃった(笑)


この作品は、ようはヴィクトリア朝の英国でダメ執事が没落しかかった子爵家に雇われて奮闘する物語って考えればいいんですが、そのメインストーリーは、ロビネッタ・アシュレイという女子爵家の公女(正式に家督をついていない)が、審査によって正式に家督を継げるかどうか?に挑戦するって物語だと考えればいい。


ちなみに、このロビネッタは、母親のタチアナ女子爵の私生児で、父親が誰ともわからないという設定になっている。だから、爵位を継ぐのに審査がるんですね。ちゃんと子爵家の正式な子供として教育を受けてはいるが、私生児であることには変わりない。


あとで、それが執事マシューの父親だったことがわかるのだが、、、、というようなお家騒動がたくさんある。まぁほのぼの話ですよね。このアシュレイ女子爵家は、ヴィクトリア女王が自分の学友のために起こした新興の家で、しかも女性が家督を継ぐという珍しい特許状を持つ貴族で、祖母親の代からなかなかにリベラルな家庭だったようです。それが故に、没落しているということも併せて、まー使用人のメイドがあんな口のきき方をするとはちょっとあり得ないのだが、逆にとても愛情のある人間関係の絆が深い空間が屋敷の中にあって、ずっと見ていると、胸が暖かくなってくる。


ちなみに、本家は、クリミア戦争の英雄将軍の公爵家で、あまり時代考証は無視されていてめちゃくちゃはめちゃくちゃなんですが、なんというか、ちゃんとリアルが立ち上がっていて、とっても気分的には良かった。全編ほぼ館の中だけで話が進むので、ヴィクトリア朝ロンドンの「あの雰囲気」が体験できないのが残念ではある。まぁこの辺は、予算の問題もあったのだろうと思う。大槍さんは、全体的に趣味がほんといいので、残念だ。一度思いっきり予算制限なしで、女の子だけ(これはいつもすごいこだわっているのが感じる(笑))でなく、物語も世界観もこだわりぬいた作品を見てみたい気がするなぁ。


ただ、最終話のところで、これはエロゲーなのでどの女の子と仲良くなるかって分岐点が生まれるところから、脚本がさっぱり意味不明になる。ここ、、、思い入れなかったのかなぁ?。いや丁寧に描かれていて、いやな感じではないんですが、えっ???なんすか???いきなり相思相愛???あの今までの微妙な距離はなんだったんですか?って感じで、恋人モードに突入するんですよね。それまでが、屋敷の仲間がとても家族的な距離の温かさがあって、それがよかったが故に、??????ってなる。


たとえば、海燕さんはこう書いている。


この話、序盤の3話目にして主人公の執事とお嬢様が腹違いの兄妹であることが判明する。それはまあ良いけれど、まさかそのまま普通に近親相姦になだれ込むとは。


「リスクは承知してる。俺も、ロビィも。それでも好きなんだよ。危険だと分かってても」


 いやいやいやいや(笑)。リスクがどうとかという次元の話じゃないだろ。

 現代日本の話ならまだしも、100年前の貴族社会なんだよ? 19世紀! 大英帝国! ヴィクトリア朝! どうするのかと思っていたけれど、まさか、どうもしないとは思わなかった。

 まあ、ゲームだからべつに兄妹でもいいんだけどさ。でも、リアリティぶち壊しですよね。周りも兄妹だって知っているんだから、焚きつけるなよ。

 最近のエロゲでは近親相姦も解禁になっているとは聞いていたけれど、ここまで普通に血縁エンドが許されるご時世になっていたとは。

 昔のエロゲではこういう展開は許されなかったから、無理は承知の上で義理の兄妹という設定にしていたわけだけれど、もはやそういう必然性はないんですね。末世だなあ。

 まあ、最終的に血縁エンドに行き着くのは良い。でも、この結末に持ち込むなら血縁だとわかる場面をもっと遅らせるべきだよね。

 たがいに血が繋がっていることがわかっているのにあたりまえのように恋愛してしまうのはさすがにどうかと思うぞ


『ロンド・リーフレット』プレイ日記 その3

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070402/p2


メインのストーリーは、ロビィことロビネッタなんだけれども、早い段階で、腹違いの兄妹だってことが判明するんだよね。とすると、「それをどう乗り越えるか?」ってのが、大きな物語のメインテーマの一つになるじゃないですか。普通。いや、別に近親相姦を僕は否定しないよ、そこに真実と愛があるならば。ましてや物語だし。・・・でもさーなんの葛藤もなしって、えっ???そんなもの???って、リアリティが減じてしまうなぁ。しかも、かなり最初から、兄だとわかっている状態が続いていて、いきなり「好きなんだ!」と両想いになるってのは、物語の整合条あまりにタブー意識を極小化しすぎ(笑)。当時の常識の強さからいってもあり得んって。


まぁ、そのへんが、欠点だよねーで本来は終わると思う。


ただし、僕は実は、少し脳内補完をしてこの脚本の破たんを違う形で見たんですよね。というのはね、このロビィってものすごく愛されていて、しかも祖母の代からとってもリベラルな屋敷空間や親族関係を構築しているので、「本当の意味での」愛情が満ちているんですね、彼女の周りは。本来ならば醜聞で迷惑しているはずの本家の公爵家にしても、公爵家の公女にしても、表層ではなく本当の意味で「ロビィの幸せを願っている」。こういうのは、この過酷なマクロの世界で本当に珍しい。が、ないわけではない。それは、ロビィの母親と祖母が、それだけそういった温かな親族関係を、関係性を持つ「家」をずっと作り上げてきた実績があるからなんだと思う。


親族には絶対頼らないこと



というのが、タチアナ・アシュレイ女子爵の遺言。けどさ、侯爵にせよ幼馴染の伯爵公子にせよ、もうみんなロビィのこと大好きなの(笑)。助けたくてうずうずしている(笑)。その中で、こういう遺言を残す母親って、かっこいー女だなーと思うぜまじで。貴族社会に逆らって、愛する人の私生児を生んで、しかもちゃんと嫡子として教育仕上げてしまう男気・・・ではないな、気合いを感じるよ。


という前提条件で、見直してみると。ロビィが、「兄を本気で愛している」とわかった途端、最初、うーんと思っていた周りが手のひらを返したように、うまくいくようにけしかけるようになるんですね。・・・これって、「本当の意味で愛されている」ときにしか起きない現象なんですよね。


家族って、ある種のゲームです。自分の血筋や親族の中のポジショニングとか自尊心とか、そういったものが絡んで、子供とか親子関係ってたいていあるものです。端的に出るのが、子供の結婚に関する親の態度。結局は、家にとって自分にとって都合のいいことを、みんな要求するのがほぼ9割方です。


ところが、世の中には、そういう表層のことを飛び越えて、「その人のため」に何が一番大事か?、その人の「選択を最大限尊重する」には?というような、そんなリベラルかつ高貴な素晴らしい家族関係ってのも、時々あるんですよね。


ロビィの願いを叶えながら(ミクロ)、且つそれによって貴族社会で何とか生きていけるよう(マクロ)に周りが猛烈に考え彼女を守ろうとするんです。いや、そもそも難しいので、それは破綻しますが、、、にしても、これって本当の家族愛だなぁーと感心しちゃったんですよ。人間ふつうは、自分の利害を考えるものです。本家の公爵家だって、自分の分家にこういうことがあったら大恥ですよ。でも、ぜんぜん応援。


・・・・なんか、素晴らしくて感動しちゃった。


まぁほんとうは、ただ脚本が壊れているだけなんだろうとは思うけどもね。でも、それまでの関係性が深く温かく描かれているので、こういう風にも取れてしまうのだ。えがったです。



『ロンド・リーフレット』プレイ日記 その1

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070331/p2

『ロンド・リーフレット』プレイ日記 その2

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070401/p2


『ロンド・リーフレット』プレイ日記 その3

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070402/p2


『ロンド・リーフレット』プレイ日記 その4

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20070403/p2

2008-08-11

『あたらしい戦略の教科書』 酒井 穣著 戦略が不在の日本社会のことがよくわかっている

あたらしい戦略の教科書あたらしい戦略の教科書
酒井 穣

ディスカヴァー・トゥエンティワン 2008-07-15
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まだ目次しか読んでいないが、これは間違いなく名著だろう。戦略が不在の日本はよく言われるのだが、それとボトムアップの時代と組織の話をからめて現実的に説く本は、初めて見た。著者は現場が分かっているのだなーと感心。ゆっくり読みます。これは、いい本だと思う。

『犬神家の一族』 市川崑監督 あげればきりが無い美学に貫かれた作品

犬神家の一族犬神家の一族
石坂浩二, 高峰三枝子, 三条美紀, 草笛光子

角川映画 2000-08-25
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評価:★★★★★5つマスターピース

(僕的主観:★★★★★5つ)


鬱屈した陰影の美学に貫かれながらも軽い感じがする。文句なし星5つです。ちなみに、その後作られたリメイク作品を否定はしませんが、比較になるものではないと思います。


市川崑監督と横溝正史原作の美学が相乗効果を生んだ傑作ですね。


庵野秀明監督がオマージュとして多用するタイトルクレジットの演出など細かい演出の冴え。


絶大な存在感を誇る大滝秀治・草笛光子・坂口良子・加藤武三國連太郎ら名優。


2時間半を超えながら飽きさせないテンポ


ハリウッドでは出せない日本的家屋と風景の光と闇の強烈なコントラスト


横溝原作の土着的因習と複雑な日本的大家族の血の縛り、



もう80年代も見える頃に作られながらほぼセットなしに「戦前直後の昭和の空気」を演出しきっている雰囲気



・・・・あげればきりが無い美学に貫かれた作品です。僕が見たのは、大好きな岩井俊二監督が、絶賛していたからです。



不思議なのは、これほど湿っぽいほどの日本の土着的因習を強調した作品でありながら、主演である石坂浩二演じる金田一耕助が飄々として、作品全体に軽い感じを与えることだ。



脚本が



「すべては犬神佐兵衛の手のひらであった」



という日本的家族の血の呪いを主軸にしているため、本当の主人公は最初の数分で死亡してしまう佐兵衛であって、金田一は道化にしか過ぎないという設定はわかる。しかしそれ以上に、ビジネス的に拡大路線を歩む企業・角川書店の角川映画の第一回作品であり、エンターテイメントと質を両立させえたプロデューサー角川春樹の非凡さと影響を感じるのは僕だけであろうか。

『絶対平和大作戦』 1巻 小椋 アカネ著 和平のための偽装恋愛(笑)・・・つーか、ユーダ姫やばいかわいさですよっ!

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小椋 アカネ

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評価:★★★3つマイナスα

(僕的主観:★★★3つ)


一言で言うとかもなく不可もなく星3つ。けど、少女マンガらしい秀作。癒しを求めて購入したが、とっても癒されました。チョイスのイメージとしては、『会長はメイド様』とか『キスよりも早く』みたいな表紙を見てタイトルを見て、5秒で購入を決意するようなそんな感じで、その分のリターンをちゃんと返してくれるそんな感じ。少女マンガというカテゴリーの枠を壊さないけれども、安心して見られる一品(ってだいたいそんなのが★3つのレベル)。*1

国境をめぐって戦争をしていた北のメテオラと南のカナン。この戦争を何とか止めたいと思っていたメテオラの王子ヨハネとカナンの王女ユーダは、両国の王に「二人は愛し合っている!」と訴え出ることによって、戦争を止める。そして二人は婚約し、国境の町で末永く幸せに、、、、暮さないんですね、これが。だって、実は偽装結婚で、ぜんぜん恋愛感情なんてないんですから・・・・・って、あれ?なかったはずですよね?(笑)。


と、そういうお話。


全編ほんわかした恋愛ムードにつつまれて、「本当はにっくき敵だった男」となかなか心を開かないユーダ姫が、徐々にヨハネ王子(ってこいつ、めちゃくちゃいい男やんけ!)のことを好きになっていく様は、もう見事なツンデレ王道ストーリー


とくにねーこのユーダ姫が、かわいすぎるのっ!!!。無口で、感情に乏しいようで、天然で、、、、世間知らずで、、、でも一本筋が通っている・・・・、、、やばい・・・無口で無表情なキャラクターだけで、もうノックダウンですわ。


まっ、心が荒れたときに一冊どうぞ、という感じ。


ちなみに、ふと思うのだが、少女マンガの脚本というものは、見事なものが多い。これも、演出が少女マンガのテイストで志向で書かれているから少女マンガにしかならないが、この脚本構造だけ骨組みとして取り出してみると、かなり汎用性が高いアイディアだよなーと思う。敵国の王子王女が、偽装で結婚して戦争を止めるけど、本当は仲が悪くて・・・みたいな設定って、王道ですよ、王道。わかりすすぎるもの(笑)。



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わたしのものになりなさい! 『惑星のさみだれ〜The Lucifer and Biscuit Hammer』1巻 水上悟志著より 

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「わたしのものになりなさい!」


p42


このあと、さみだれ(ヒロイン?の名前です)のパワーに圧倒されて、主人公の雨宮夕日は、「御意」とうなずきます。・・・って、ここが一番この漫画でかっこよくて、エネルギーを感じるシーンなんですが、昨日、LDさんと漫研でチャットしていたときに盛り上がったんですが・・・


御意って何よ?御意って??(笑)


ふつーの無気力な現代の若者が、いきなり何の脈絡もなく、「御意」なんていわねーっつうの。個人的には会話の持っているリアルが一気に変化したので、????ってなってしまった。たしかにシーンは、ある種の雷に打たれるような劇的な回心が、夕日の中であったという前提があるので、、、そしてたしかにそれにふさわしいほどの迫力をさみだれちゃんは示している。いや、いきなり信頼を先に見せなきゃな、って、学校の屋上から命をかけて飛び降りたりする気合いはすごいよ(笑)。でもねー。この漫画は、いきなりそこでそんな会話の流れにならねーだろうとか、いきなりなんでそんな武士みたいなセリフ回しのなるの?ってハチャメチャ感があって、これが、、、ちゃんと狙ってなのかそれとも、ただのハチャメチャなのか???ってのは、悩むところだ。昨日は一回チャットで結論出したけど、あれもまだ「見方」のワンピースにすぎないしねー。かんがえよっと♪。あーこういう、ほとんど何の意味もないような考察って、、、、幸せ・・・・。

はーでも、確かにさみだれって、、、ああいう覚悟決まった主君に、絶対服従って憧れるなーーー。個人的には、お姫様に仕えるというシュチュエーションにぐっとくる。それが、かわいい女の子だったりしたら、マジでそりゃーもう命かけちゃうよ。・・・小川一水さんの『復活の地』も、そこがツボだったし。


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松下のJOBAって知っています?

http://national.jp/kenko/exercise/joba/jobaexe.html

その新宿のビックカメラで人待ちをしているときに、腰が痛くて、ずっと試してみたかった、松下のJOBAに乗ってみる。乗馬って、西洋では有名な民間療法で、腰にものすごくいいといわれています。ちなみに、このJOBAの開発事業部は、ずぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ------っと赤字で(笑)、なのに馬鹿みたいに開発を続けていて、つい2年くらい前???かな黒字に転換したみたいなことをどこかで聞いたことがあります。それってすごいですよね。だって、日本に全くないマーケットを創造したわけですから。えらいなーと感心します。

Macとか・・・・時代に先駆けて早すぎる意思と投資について

先日新宿で人を待っているときに、ビックカメラに入った。はうわー電気機器とかに囲まれるのって、なんか幸せな気分になる。ぼくは、お小遣い制に縛られて年々お小遣いが減るしがないサラリーマン(笑)だから、独身時代のような、趣味万歳!というようなお金のかけ方ができなくなって、幾星霜。「じっと手を見る・・・」とか石川啄木っぽく浸ってみる(笑)。でもまーやっぱり、ウィンドーショッピングというい言葉があるように、見るだけのでも心が高揚するものがあるね。消費とは、実需だけではなく、選択肢の中から選ぶことにバリューがあるという、リテール関係の経営学者が言っていた言葉をよく思い出す。


閑話休題


ずっとね、Macにあこがれがあるんですよ。人生で一度も使ったことがないんですが・・・って、触ったことすらない(笑)。でも、一時期灯が消えたように、すーっとWindowsのみしかない時代があって、ああーーーこういうマイナー系のものは消えて行くんだなーと悲しく思っていた。経済学でも一人勝ちの、一つの価値しか勝てない時代が来る、と称揚された時代だった。


けど、スティ−ブジョブスが経営者に復帰して、Macのダウンサイジングしたものとか、えっそれって、スケルトンにしただけじゃん?みたいないところから、i-phoneやi-tuneやら、、、いまって、すごいね、Apple売り場を全部見て回って説明してもらって感心した。全部、相互につながっているんだ!、、こりゃーすげぇ。日本の電機関連のマーケットは、無駄すぎるほど多様性があって世界ナンバーワン(いい意味だけとはいえない)だと思うのだけれども、、、いやーこういうスゴイの見せられると、やっぱコンセプトで負けているようなーと感心。


自分に関係ないことは、ぜーんぜんわからんし、パソコンもさっぱりわからんのだけれども、、、すごい見事の消費マーケットでの戦略が実行されているのはわかる・・・・。むかし6〜7年前くらいかなぁ英語の勉強で、CNNの出井伸之(SONYの当時の社長)のインタヴューでPCと音楽と、、そういったものがすべて融合する時代が来るのだ!みたいな、ことをいって、たしかすべての機器をネットでつなげて統御するような戦略を打ち出していたが、それが全然ものにならず、SONYがめちゃくちゃ利益が下降して最悪の戦略で経営能力ゼロ、とかアナリストにこきおろされているが、、、、でも、今思い返してみると、出井氏の構想は、アップルのスティーブ・ジョブスとほぼ同じ構造なんだよね。


何が違ったかといえば、アップルは、経営がダメになっていたおかげでかなりファブレスに特化できたこと、、、SONYはハードメーカーであったために、内製化と外製化の比率ドラスティツクな転換が、速いスピードでできなかった。事実上の家業的な一族支配の会社ではあるが、SONYには、ジョブスのような早い意思決定ができなかった・・・・とかとか、、、それになによりも、時代が少し早すぎた…たぶん5〜7年くらいタイミングを誤っているんだよね。そう思うと、世界って難しいよなーと思う。いま聞きなおしても、戦略としても方針としても、ほぼ120%未来を言い当てている。が・・・・そもそも足元のハードメーカーとしての足腰をうまく統治する才能がなかったこと、グローバル化に遅れたこと(それでも大企業としては、日本でのダントツのトップランナーだと思うが)、そしてコンセプトが早すぎたこと、、、いろいろ見ていて感慨を抱いてしまった。


こういうのが、、、こういうのがやりたかったんだろうな…当時。けど、成功体験が縛ったんだなーと。

*1:基本的に3つは、その業界の人、そのジャンルに慣れた人が読めば、ほんわか幸せな気持ちになれるレベルで、ジャンルを越境してまでは読むのがつらいという作品です。たとえば、『Fate/staynight』や『マブラブ・オルタネイティヴ』はエロゲーですが、これは、女性がやっても絶対にふつうに頭があれば、死ぬほど面白い作品です。そういう性別や、普段慣れていないジャンルであっても、僕を信じて(笑)見たら、絶対すごいぜってのが、★4〜★5のレベル。まぁマスタピースがついたら、万人が体験さえすれば、いいと思うはず、というもの。好き嫌いは除いてね。

2008-08-10

TURN 18 『第二次 東京 決戦』・・・ちょっと凹んで記事書けません(苦笑)

はうわー。まぁそういう演出はわかるが…いま18話で、、、これかぁ。すごいなぁ、このアニメ。容赦ねーな。何よりも印象的だぅたのは、実はギルフォード。帝国の先槍とまで呼ばれた武人が、、、、あんなふうにあまりに何もかも報われることもなく死ぬのか…と思うと、この作品って本当に容赦ねーなーと、思ったこよ。

2008-08-09

『惑星のさみだれ〜The Lucifer and Biscuit Hammer』2巻 水上悟志著 前世の記憶とフラッシュバックによるミステリー劇の手法(『僕の地球を守って』)と『Fate/Staynight』の劇空間の手法を思い出させる

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評価:未★★★★星たぶん4つ(読み途中)

(僕的主観:★★★★星4つ)


■底が抜けた人格を説得するのはとても困難

昨日夜を徹して、読みました(笑)。うむ、相当面白い。たぶんこれがうまくまとまれば、僕としての総合評価は、まぁ星4つプラスアルファかなぁ。読む価値は物凄くある一級の作品だけれども、間口が万人にOKと思えないので、星5つにならない・・・というところか。そういう意味では、『ランドリオール』も『カルバニア物語』も同じなんだけれども、なんというか年齢対象が、少し低く抑えられている感じがして、そこがもったいない気がする。えっと、ランドリとカルバニアは、もうなんつーか、対象とする層へのアピールの仕方が飛躍していて性別や年齢をぶち超えている部分があって、その「ぶっとび感」「スケールにはまらなさ感覚」が、マイナー色の強い作品であるにもかかわらず、文句なしの★5つの傑作認定をしています。事実マイナーでしょう市場での扱いは。けれども「よめばわかる!」というやつです。読み込む力があれば、万人が凄い!と思えるものだという僕の思えたものが、★5つなんです。とりわけ、僕には性別を超えられるかどうか?というのは強い基準になっている気がする・・・とすると、少女マンガの方に軍配が上がる可能性が高いのか・・・・。にすると、絵柄、テイストがもう一歩少年漫画の域を出ないんだよなぁ。中身は★5つ級なんだが、、、見る層が限定されそうな感じがする。まぁしかし、「その次元でちゃんと世界観をキープ」しているからこそ、まとまりを感じるのかもしれない、絵柄もそういう感じだしなぁ・・・。でもそのへんの評価は、他の短編集とかを読んでみないと、何ともいいがたいかも。まぁ今の感想。


「大人が笑うのは大人が楽しいぜって子供に羨ましがられるため


人生は希望に満ちてるって教えるためさ



・・・おれの大人論」


p79

これは東雲のセリフだけれども、カッコいーよねー。全編このセリフが溢れているんだけれども、これ自体が、作者が、大人目線で子供にメッセージを与えたいという構造の中で物語が進んでいることを示していると思う。実際には、この作品を支配する主人公コンビである朝比奈さみだれちゃんと雨宮夕日の二人の世界への絶望を、どう覆せるか?という部分にあるので、そういう設計をしているんだろうね。


ただ、さみだれちゃんと夕日くんの絶望は、「子供でわかっていない」のではなく、「重々承知でそれをやっている」という、、、なんというかある種底が抜けているキャラクターたちで、それをひっくり返すのは難しいぜ。言葉でやられたら物凄い陳腐だし、ねぇ。こういう人を殺しても平気なそこが抜けた人格を翻意させるのは言葉ではなく体験でしかできないから、それの方法によってこの作品が最高の作品になるかまぁ普通で終わるかが決まると思うねぇ。


あっと、個人的にマクロ楮をもう少し整理しておきたいので、2点指摘をしたい。


■『Fate/staynight』の劇空間の演出手法との類似

年代はどっちが先かわからないのですが、この狭い空間で、特定のキャラクターに世界が背負わされてしまい、その闘争を通して世界の在り方を突き詰めるという劇の手法は、TYPEMOONの『Fate/Staynight』と同じだなーと思った。これって、12人の獣の騎士というゲームルールが、いきなり降って沸いてくるわけじゃない?、それってFateのサーバントシステムと全くの同じですよね。戦闘による活劇は、物語を盛り上げるのにとてもいい手法なので、なぜだかわからないが命の危険があって、戦うしかない状況に追い詰められながら、「なぜ戦わなければならないのか?」のゲームルールを知っていくというスリラーサスペンスのハラハラドキドキ感も採用している。

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■前世の記憶をめぐるスリラー〜日渡早紀さんの最高傑作『ぼくの地球を守って』との類似性

まぁこれもFateの構造と同じ部分もあるんだけれども、前世の記憶が今後の選択を縛る、という意味ではこっちの方が本家本元のオリジナルで且つ、そのドラマツゥルギーを限界まで突き詰めた作品としては、やはり日渡早紀さんの最高傑作『ぼくの地球を守って』であろう。ちなみにこれは僕的主観★10個級なので、漫画好きで読んでいないなんて言うのは、許されざることですよ(笑)。

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同じ構造を持っているんだけれども、ぼくたまと比較すると、やっぱりどうしても年齢層が低く感じてしまうんだよね『惑星のさみだれ』は。12人の獣の騎士もほとんどがティーンエイジャーだし、そういった意味で愛憎が青春物語に変換されてしまい易い。この前世の記憶を追うスリラーという形式は、内面を追うが故に、内面の葛藤が深くドロドロしていればいるほど面白みを増します。まぁ悪いが、ティーンエイジャーのガキには、このドロドロ感は出せないんですよねー。Fateも登場人物の年齢は若いですが、はっきりいってその成熟度合いや背負っている重さは、桁が違います。ぼくたまは、まるでフジテレビの月9の『男女7人秋物語』みたいなもんですからねー。たかが恋愛とか痴情のもつれなんですが、それがああも大舞台になると、、、うぉぉぉっって感じになりますよ。

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ちなみに、前世の記憶ものでいま最も期待しているのが、小池田マヤさんのこの作品ですね。


あと『寄生獣』とかの感じとの類似性もいいたかったけえど、とりあえず・・・・寝る。

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全巻読んじゃった。また睡眠不足だよ(苦笑)

でも、いいの今日はいいの。いいということにするの(笑)。ごめんね、ベイベー。あ・・・映画観に生きて、、、外は明るいなぁ今日も。。。ちなみに、北京オリンピックに興味一つわかない。もともとオリンピック見ないしなー。これじゃあだめだ、とか思うのだが・・・。

『惑星のさみだれ』1巻 水上悟志著 セカイ系の典型の構造ではあるが・・・

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評価:未(読み途中)

(僕的主観:★★★☆星3つ半)


先日、LDさんに紹介されて即購入。ちなみに傑作と熱烈に愛する『ランドリオール』でさえ、最初の3巻まで★3つ感覚だったので、この評価は何とも言えない。ちなみに即購入したの理由----------なかなか面白いな、と思ったのは、LDさんが熱烈にこの作品をすすめてくれた時の評。


この作品は、『新世紀エヴァンゲリオン』とかその類の内容といわれているんですが、僕はちょっと違うのではないか?って思うんです。

byLDさん

えっと、1巻を読んで、まさにストレートにセカイ系で、『新世紀エヴァンゲリオン』のシンジ君を思い起こさせるので、この世間の表の方が、表層的に感じれば、間違いなく正しいと思う。しかし、LDさんが言わんとすることも実は、よくわかった。この対比から、僕がどういう構造でこの作品を読んでいるか、ということを描写してみようと思います。全巻一気に買ったので、ほんとは先に行きたくて仕方がないのですが、じらしてこうやって書いてから読みます(笑)。

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人から、特に、「この人は!」と思っている尊敬する人から何かを紹介してもらうことは、僕は非常に好きだ。それは、それはそのマンガや映画を楽しむという行為以上に、「その人を深く知る」という楽しみも付いて回るからだ。僕がLDさんと出会ったのは、『コードギアス・反逆のルルーシュ』というアニメーションにでてく枢木スザクという登場人物が「王」であるということを強くいい張ったんですね。はっきりいって、最初は言っている意味が全くわかりませんでした。初めて会ったのだ、偶然にもリアルの対面であって、文字でなかったのが運が良かったです。文字では、たぶん理解できずに、そのまま二度と会うこともなかったでしょう。


なぜならば、彼の主張する「王」という概念が、様々な複雑な文脈に支えられた非常に高度な概念で、普通の人ではきいてもほとんど意味がわからないものだったからです。ましてや、通常の「王」という言葉のひき寄せるイメージと真逆に近い概念で、、、これは中国の古典や中国哲学の王道や覇道などの概念をかなりよく知った上でいろいろひねって考えないと、非常にわかりにくいものだったからです。彼も、凄く複雑な概念ので、この「ほんとうの王とは?」という問いかけを、そこまで強く人に伝えるというよりは、伝わらなかったらそれでいいや的なスタンスがあったように感じます。けど、そこは対面。僕もなんか、ピンと来たんですね。もしかしたらすげーこといっているんじゃないか?この人って、、、、。それで、根掘り葉掘り、角度を変えて話を聞きだしてみたら、出るは出るは複雑なこと、よどみなく具体例を挙げて説明し始める。

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ああ、LDさんが、いいコメント書いてくれてるなー。スザクの存在・・・英雄補正的な、結果から逆転して因果を捻じ曲げる存在としての「王」・・・それこそが真の王道、という概念を、もう少し詳細につめたいのだが

(中略)

・・・・えっと、本当は、この「王としてのスザク」というLDさんの主張する概念を丁寧に読み解きたくて、、、僕も同じような感覚をスザクに持っているんだけれども、概念を整理しないと、本当にLDさんと細かいところまで同じ(おおざっぱはほぼ同じだと思う)とは限らないので、したいんですがねぇ・・・。これって、対話を通してしか詰められないので、なかなか・・・・。スザクの行く方向性の、マクロ的な政治の帰結は、この前の記事で書いたのだけれども、スザクの本領というのは、本質というのは、「正しいからやる」とか「正しい目的に向かっている」とうことでは全くないんです。



スザクが選ぶから、それが正しくなる



というような因果律の逆転が起きていて、それが、予定調和的なものではなくて、現場でのぎりぎりの選択の中で、現実にぶち当たってボロボロになりながら、究極のポイントでそれを拾い上げていくところに彼の、存在の、ある種のカリスマ性があると僕は思っていて、、、、このへんは、実例を示しながら細かく説明しないと、すぐ抽象的にマクロで、そんな「英雄補正」というか「ご都合主義」とか「正しいからやっている卑怯なやつ」とかいう汚名を浴び得てしまうんだよなースザクは。


http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080520/p1

この1)因果逆転してプロセスの正しさを追うことが結果を保証してしまうという存在を、ご都合主義でなくするためには、実は、もう一つの大きな文脈を押さえないと説明ができません。それは、2)「幾百万の屍と大きな物語の果てにいる自分」という概念です。これはまだうまくキャッチフレーズになっていないんですが、このことは、その後LDさんとみなもと太郎氏の大傑作『風雲児たち』の最上徳内などのキャラクターたちを群像劇として描いていく手法について教えてもらっていた時に、気づいたんです。

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つまり、そもそもなぜ「王」という特別な存在かといえば、過去に大きな物語を共有してきた背景があって、その累々の屍があって、偶然、すべてのプロセスを正しく分踏みながらも、すべての結果が出てしまうという特異点が生まれる・・・そして、それはマクロの統計的には偶然発生したのだけれども、でも、その存在そのものは「必然」として、すべてのプロセスと結果を統合してしまう・・・この存在を、「王」と呼んでいるんですね、LDさんは。


スザクへの批判に、都合よすぎみたいなものがあったんですが(R2はそこまでみんな思わないかもしれないがな・・・)LDさんが、そういったご都合主義的にプロセス(=手段)と結果が、見事に両立してしまう「そんな都合がいいことあるわけねーよ」的な存在に対して、何故ゆえに「王」という呼び方をするかといえば、この背景が隠れているのです。ちゃんと読み解けますでしょうか?。このロジックの前には、「そんなご都合主義はあるわけねぇ!」とか「英雄補正主義的でつまらん」とかいう批判は、論理的に意味をなくします。それを前提で、2)の「幾百万の屍と大きな物語の果てにいる自分」という背景があるのですから。もう少し具体的に言うと、LDさんが目をキラキラさせて、このみなもと太郎氏の『風雲児たち』を熱く語るのですが、この作品の江戸中期から末期の偉大な登場人物の人々は、そのほとんどが、まったく報われておりません。300年近い徳川政権の抑圧の中で、正しいこともが一つも通らず、名にも報われなくて死んでいくばかりでした。正しさ?とは、ここで300年近くの江戸の近世から近代までの「欧米列強パワーズからの侵略を守り切り独立を貫ぬき近代化した日本」という大きな物語です。いわゆる、司馬遼太郎の描いた、司馬史観と呼ばれるものです。まぁこの話は、その後の日本の暴走があるので、現代に我々は素直に称揚できないところはあるかもしれませんが、それにしても自分たちの父祖の代の人間たちが、これほど誇り高く凄いやつらだったという事実は、なかなかに感動です。


えっと、話を戻すと、例えば、日本の領土が簡単に交渉で切り取られなかったのは、林子平という人が、人生のすべてをかけて、『三国通覧図説』を書いたからなんですね。が、、、彼は、「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」というように、何ら報われることも、生活で幸せを得ることもなく無残に一人で孤独死します。

『海国兵談』は海防の必要性を説く軍事書であったため、出版に協力してくれる版元を見つけることができなかった。そこで子平は、16巻・3分冊もの大著を、自ら版木を彫っての自費出版にて世に問う決意をする。しかし完成した海国兵談は、老中松平定信の寛政の改革がはじまると政治への口出しを嫌う幕府に危険人物として目を付けられ『三国通覧図説』も幕府から睨(にら)まれ、双方共に発禁処分を下される事になったばかりか、海国兵談に至っては版木没収の処分を受けることになる。しかしその後も自ら書写本を作り、それがさらに書写本を生むなどして、後につたえられた。

最終的に、仙台の兄の下へと強制的に帰郷させられた上に禁固刑(蟄居・ちっきょ)に処され、そのまま死去する。蟄居中、その心境を「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」と嘆き、自ら六無斎(ろくむさい)と号した。

『三国通覧図説』はその後、長崎よりオランダ、ドイツへと渡り、ロシアでヨーロッパ各国語版に翻訳された。それは地図の正確性には乏しく、特に本州・四国・九州以外の測量の難しい地域はかなり杜撰に描かれているものであったが、後にペリー提督との小笠原諸島領有における日米交渉の際に、同島の日本領有権を示す証拠となった。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%AD%90%E5%B9%B3


しかしその業績は、少しづつ日本国内に写本で広まり、100年を経たのちに日米の領土交渉で、この本が世界中に翻訳されていることが根拠に、アメリカからの侵略を免れるんですね。


凄いと思いませんか?


この『風雲児たち』には聞いたこともないような、しかし、我々の住む国土や世界を守り作り上げた偉大な人物が、何百人と出てくるのです。もちろんすべて史実です。けど、、、そのほとんど9割がたは、徳川政権の抑圧の中で無残に殺されたりして、到底幸せや報われるということない人生を送った人ばかりです。



けど、その果てに、坂本竜馬などの近代日本の建国の父たちが綺羅星のごとくスターとなって登場する土壌になるんですね。



では、その「王」たる最後の果ての成功者をもって、ご都合主義だと、僕らは笑えるでしょうか?。人生をボロボロにして、地図を描き続けた林子平を、日本を測量した伊能忠敬を、最上徳内を、そういった人の業績をバカにできるでしょうか?。そう、確率の問題で考えれば、ロングスパンで考えるとこれは「必然」になるのです。物語は、「その人」のみをクローズアップするが故に、どういった歴史背景の土壌で、そういった特殊な「世界の在り方さえも変えてしまう」存在が生まれてしまうのかを、ご都合主義と勘違いさせてしまいがちです・・・・が、、、そうではないのです。・・・・これが、歴史と呼ばれるもしくは文化と呼ばれるドラマツゥルギーです。これがよくいう「大きな物語」というやつですね。



・・・ぜえぜえ、、、なんか、話がえらいとおくに来てしまった(笑)何書きたいのわかんなくなってきた(笑)。



あっと、LDさんと初めて会った時、それから今までで、彼が「王」という言葉に込める意味はこれほど深く、、、つーかこれ以外にもまだ色々あるんですが・・・ようはね、そういった因果が逆転してしまうような「存在としての重さ」がある存在に対して、強いシンパシーと強烈な憧憬を持つ、という体質がある人なんですね、LDさんは。僕も同じなので、そこに物凄い感動してしまったのです。もうスザクとか、そういうことはどうでもよくて、まずはLDさんは世界を眺める時に、「そういった存在の重さが重いもの」を見たがる、そういった幻想を持つ傾向のある人であるという僕の同類であることが、僕には感じ取れたんですよ。「そういった存在の重さが重いもの」、、、ただこれは、難しいのです。まだ説明し切れていないので、今後オイオイそれを読み解くのですが、僕がずっと因果が逆転してしまい、人に動機を与えてしまうような存在・・・コーリングやモチベーションの劇的な感染(インフェクション)が、起きるような、そういうものを見たいということとニアリーイコールなんですよね。


はぁはぁ、、、もうめんどくさくなってきた・・・(苦笑)が、来週は夏休みだし、無理して書く!(笑)


えっと、LDさんが、凄い!と薦めるものには、この存在の重さを持つ存在が「他人や社会に結果と裏表になっているプロセスの正しさという劇的な影響を与えて世界の在り方を変えてしまう」という、、、なんといっていいのかなぁ、、、王の影響みたいな、なんか言葉にできない「スゴイモノ」が含まれているものを、進めるんです。なぜならば、そういった存在の重さに感染する人なんです、LDさんは。これは僕の彼評価。だから、僕と同じに、発想も倫理もリベラリスト(左翼的)でありながら、究極としては右翼的なものにシンパシーを感じてしまうのだと思います。ロジック・理屈(=左翼)の果てにある、論理を超える何か(=右翼)に対していつも憧憬があるからでしょう。まぁこのいい方も、わからない人には、全くわからないと思いますが。。。。

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その文脈で彼が、藤子不二雄の作品にどういったものを見出しているか?ということも、この文脈から読み解かないと、わからないはずです。僕もだいたいわかってきました…が、うーむこれを書くのはさらに物凄い書かなければならないので、今日はパス。ちなみに、お借りした『カンビュセスの櫛』は、やはり大傑作です。天才すぎますこの人!。この話も、死ぬほどしたいんですよ、本当は。


■参考

『カンビュセスの籤』を読む/法華狼の日記

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080530/1212111346


方程式もの

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F%E3%82%82%E3%81%AE



だめだ、、、、『惑星のさみだれ』に行きつかない(笑)。えっとね、この作品構造は、たしかにエヴァンゲリオン的な、閉じた自意識からの脱出を指向しています。それは1巻読む限り、間違いない、が、これを単純にそう回収していいのか?というLDさんの問いかけは、彼のこのマンガが好きな理由


「主人公がね、地球を壊したい!と叫ぶ女の子に、おもわずついていきます!と人生のすべてをかけちゃうんですよ」もうそこに、めちゃくちゃ惚れてるんです。


byLDさん

つまりね、ここ、ここのポイントが、ここの捉え方が、まったく普通と違うからLDさんのような感想が生まれるんですね。そして、おっしゃる通り、まだ僕はこの時点で1巻しか読んでいないのですが、ここの生かしようによっては、まったく異なる地平が開かれる構造が、さらにその奥に隠れていると僕も感じます。・・・・この話、できたら、ずっとおあづけになっているいずみのさんが好きな丸川トモヒロ氏の『成恵の世界』と、藤子不二雄の短編SFと、SF古典の方程式モノと絡めて、解釈をしてみたい・・・・たぶん全部つながるはずだ、、と思う。そして、この世界観との対比で、「神殺しの類型」の物語との大きな比較構造が作れるはず・・・・おおっ!つながったぞ!、そっかーこれがいいたかったのか・・・おれ。。。。


明日に続きます・・・たぶん。さて、2巻読むかー。


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その笑顔にノックアウトです!

最近思うのだが、ストレートな笑顔を向けられるのって、破壊的な威力があるよな!って思います。

『カルバニア物語』7巻32〜34話 タニア機銑掘。圍錬裡話 人間らしさを失わずこの過酷な世界で生きていくこと〜カルバニア女王タニアの幼少時代

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評価:★★★★★星5つ

(僕的主観:★★★★★星5つ)


■正しさの中に安住するものは、真の意味で人の上に立つことはできない〜シルヴィアはなぜああなってしまったのか?


なぜか、この話が読み返したくなって、カルバニア物語を読み返した。読んでいて、この巻で理由がわかった。先日、グインサーガの最新刊122巻の『豹頭王の苦悩』でケイロニア皇帝家の直系で、ケイロニア国王(グイン)の王妃であるシルヴィアのやるせなくも陰惨な物語を読んでいて、ずっと、「なんでああなってしまったんだろう?」って思いが高まったからだと思う。理由は、簡単に説明がつく。けど、理屈とは、しょせん言葉にしかすぎなくて、体感と実感・・・納得をもたらしてくれない。その理由と納得を探していたんだと思う。そして、この疑問は、次にこういう疑問をもたらす「そうならないためには、どうすればよかったんだろう?」と。


http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080808/p5



僕は、登場の最初からシルヴィアのことがとても好きで、ちょっと小生意気でわがままなかわいい女の子にしか見えなかった・・・つーか、あきらかにツンデレだろう、あれ(笑)。でも、ここから10年近く後を描いた外伝『7人の魔道師』の中で、国を傾ける毒婦シルウィアとして描かれていることから、この可憐でさびしがり屋の少女が、道を踏み外して、腐った畜生道へ落ちていくことは、最初からわかっていた。そして、もう本当にこの121〜122で落ちる限界まで落ちていっている・・・・なぜそうなるのか?、何が違ったのか?その答えの一つが、この『カルバニア物語』のタニアの生き方にあるのだ。


そして、派生の疑問としてもう一つ、あれほど優秀な司政官であり宰相であるハゾス・アンタイオスが、なぜああも無能に見えてしまうのか?

が、たぶん官僚としても政治家としても、巨大国家を統治するにふさわしい才能と気高さを持ったものであることは、これでもかと描かれている・・・にもかかわらず、ああ、、この人は、指導者たりえないな、と見限ってしまえたのはなぜか?ということだ。正しさの中に安住するものは、真の意味で人の上に立つことはできないと僕は思っているのだ。



さて、ではカルバニア王国の女王タニアの物語に分け入ってみよう。



■カルバニア女王タニアの幼少時代のお話〜人間らしさを失わずこの過酷な世界で生きていくこと

カルバニアの女王であるタニアがまだ10歳にも満たない頃、国王(=父親)は亡くなっている。この物語の時制は、タニアが17歳の女王即位直後ぐらいから始まっているので、7巻までなぜ彼女の家庭背景がそうなっているのかは読者は誰も知らなかったと思う。


しかし、男尊女卑が当たり前の世界で、有数の大国である由緒ある王家の唯一の直系として前代未聞の女性でありながらの登極。そういったマクロ政治的な過酷な状況下でありながら、見事なくらいナチュラルに自然体に、普通の女の子として振舞うタニアは、その若さにもかかわらず非常に成熟している。7巻までのタニアのキュートな振る舞いったら、たまらないものがある。あのかわいい顔に、Dカップだし(笑)。そして、国王として政治指導者として、表に出していないが、直向きに努力しているのがよおくわかる。


が、不思議に誰も思わなかっただろうか?この性格に。このナチュラルな成熟さに。これほどのマクロ的に過酷で味方がない環境で、しかも10歳になるやならずで父親は死に、母親はどこかに幽閉されている・・・・人生すべてを食い物にされてもおかしくないような、悲惨な環境とはいないだろうか?。大国の唯一の直系だぜ!。いかに、有能な大貴族であるタンタロット家がバックアップに強くついたとはいえ・・・・。それにしても、あまりに人間として出来すぎている。


それほどに、タニアは、キュートでナチュラルだ。


いや、物語のご都合主義と考えて、まぁしょせん少女マンガだから!どーせそこまで考えていないよ、と思って見るわけにはいかない。なぜならば、コンラッド王子にあの劇的なプロポーズの背後に隠れたダイナミックなマクロ構造を見れば、この人が意識であれ無意識であれ作家としてそれを持っていないわけはない。そこで、この32〜34話のタニアの幼少期のエピソ−ドだ。


まだ若き王である彼女にはまだ生きているはずの母親はそばにはいない。それは、タニアが小さい頃に、心弱き彼女の母親は、占い師や宗教に騙される問題のある女性で、長老会議で告発されたためだ。


そして、その母親であるプラティナ王妃の罪を告発し、最後に隠遁に追い込んだのは、幼きタニアだった。自分の母親の罪を告発したのだ。



「何者おまえ!?」(タニア)


「う・・・・占い師です・・・・」(占い師)


「手を放せ、無礼者!!」



僕はこのシーンが鮮やかに胸に残って、ずっと忘れられないのだ。それは、、、、まぁネタバレしているのでもっと細かく書いてもいいのだが、読んでいる前提で書いているので、そのつもりで読んでください・・・・えっと、心弱きかわいい・・・本当に優しくかわいいだけのプラティナ王妃は、13歳で王の妻になり、14歳でタニアを産んでいる。まだ子供といってもいい、、そして凄く弱い人だった。心から愛する国王は、優しくしてくれはするけれども、実は国を挙げての大ロマンスだった人に結婚直前で死なれており、その面影が忘れられないという大きな悲しい背景がある。けど、こんな10代前半で嫁いで宮廷に来ているが故に、人の愛し方も、悲しみの癒しかたも、頼る方法も知らなかったんだろうね・・・・占い師に傾倒していくことになる。


あると大きな事件があって、タニアとプラティア王妃は強い諍いをするのだが、小さなタニアが心弱く苦しんでいる時に、声をかけてきたのが、母親の信頼厚い上記の占い師だった。


・・・あのね、タニアって、全編通してお人好しの人を信じやすい普通の女の子として書かれているんですよ。しかも、大貴族中の貴族である尊い血統でありながら、身分にもわけ隔てがない。偏見もほとんどない、、、という不思議な子。逆に言うと、恵まれて育った、世間知らずとしか見えない。


そのタニア・・・まだ10歳になるやならずの泣いているタニアに声をかけてきた、



「私を信頼してください」



と囁く母親の信頼しきっている大人が声をかけてきた時に、彼女は全身に怒りを表して叫ぶのです。



「何者おまえ!?」(タニア)




何が言いたいかというと、ここにタニアという一人の人間の気高さが凝縮しているからです。彼女は、馬鹿みたいに優しい・・・・心弱すぎてく貴族として公人としての務めが全く理解できない母親を心から愛して、彼女がどんな仕打ちをしようとも、彼女がどんなに心弱かろうとも彼女、タニアは深く愛しています。最後の最後まで。そして、その愛は、揺らぎません。10歳の子供であるにもかかわらず。


しかし、彼女が何もわかっていないお人好しのバカだから。ではありません。この「何者おまえ!?」と鋭く誰何する、視線、意思、気合そのどれもが、ノーブルな貴族として、公の存在、世界の複雑な仕組みを、深く理解していること、、、その「誇り」、、、「世界の理不尽さと戦いそれを統治する」という意思が、はっきりと10歳であるにもかかわらず垣間見えるのです。


別にむずかしいことが書いてあるわけではありません。政治も絡みません。ただの家庭の内紛です。しかし、タニアには、家族を、自分の大事な人を、最後まで愛し抜く、、、「自分の心だけで人を愛しきる」「他人の意見やマクロ環境に左右されない」という強いミクロの愛情を持ちながら、そのミクロの愛情にひと時も溺れることがないし、そのことの苦しさに十全と深く浸りながらも、そこに逃げ込むことがないんです。


彼女は、タニアは、ミクロで人を愛することの苦しみと喜び、同時にマクロでそれを俯瞰してみなければ、すべてが壊れてしまうことのそのバランスを、ちゃんと一人の人間として統合して世界を見ていることが、このシーンの一言だけで表現されてしまうのです。この話、素晴らしかった。胸にぐっときた。若くして即位し、英明な君主の片鱗を見せるカルバニア初の女性の統治者の幼少時代が、見事に書けている。


それに引き換え、ケイロニア王グイン王やケイロニア皇帝アキレウス、そして宰相にして選帝侯ランゴバルド・ハゾスそのだれもが、マクロのことを優先しきって、人の心が醜くて弱く、、、そして、「だからこそ愛すべきものである」というミクロの世界での深い喜びと悲しみを、それがもたらす自由を知らないのです。逆に言うと、シルヴィアは自分のミクロ世界のみに閉じこもり、それがいかに個人としては対抗しようがないマクロの外部環境によるプッシャーであったとしても、それを一度も戦うことも利用することも考えず、ミクロの世界のみに埋没した。


結局、、、タニアの母親プラティナ妃は、ただ単に弱かっただけだが、国王暗殺未遂で処刑されかかるギリギリの状況に追い込まれ、なにもなければ、陰惨なよくある王家の醜聞となっていくところであった・・・・が、そこを逆手をとって、まったく異なる罪科で、王妃として公人としての至らなさを、、、国の財産を、夫の薬(という新興宗教団体のまやかし)を買うために売り払ってしまったという罪で、告発する・・・それも王族として正式に議会に告発する手順を踏むことによって、世の中の政治的マクロの流れを一気にひっくり返してしまいます。


これによって、次のような結果をもたらしています。


・自分の母親の国王暗殺の罪による処刑をまぬがれた

(母親を追い込んだ貴族たちへ裁判の場で堂々とバカだと告発してのける!)


・二度と一緒に暮らせなくなった代わりに、母親は静かな山荘で大貴族として暮らすことが許される


・そして、追い詰められていた母親が、それでも娘から愛されているのだという確信で心の平安を得る

(裁判で堂々と告発しながら彼女への愛情を宣言するのだ!)


・その見事な誇りある王族としての行動に対して、議会、長老に女性でありながら後継者としての地位を認めさせる



・・・これらが、ミクロとマクロを同時に見事に解決する行動であることが、わかるでしょうか?。彼女は、国家のマクロと、母親の精神と、タニアの幼少期の大事な家族のきずなのすべてを、守りきったのです。あえて、母親の罪を告発して、その罪で裁くことによって。



これが、本物の指導者、貴族、為政者の姿だ、と僕は思うのです。こういうミクロ(=個としての自分の生活世界)と、マクロ(=公けを律する外部構造)を等しく同じ価値だとみなさない為政者は、権力の名のもとに平気で弱者や一部を切り捨てる。時には、マキャベリのように、大をとるという選択も為政者としては必要だ・・・が、それが、ミクロの価値を深く理解している人が行うのと、そうでない人が行うのでは、大きな違いが出るではないですか。これが、僕のグインサーガ122巻への感想です。最初の問いの答えになっていると思います位。




・・・・・人間は弱い。




その弱さに、宗教や占いや、さまざまな弱さを食い物にするものの影が忍び寄る。




けど、生まれながらにして、どんなに追い詰められても、「そこ」から逃げないで現実を見据える人がいる。




この魂の高貴さは、万人に要求できるものではないと思う。




弱いことは罪ではないのだ。




そんな弱さを持った母親を、最後の最後までタニアは心から愛している。




けれども、あれだけ追い詰められて、不安にさいなまれながらも、




「無礼者!!」




と叫ぶタニアの魂の高貴さには、打たれるものがある。




ああ、、、これは、貴族だ。確かに、彼女には、人の上に立つ資格がある、と思わせるものがある。




弱さに逃げてはいけないと思うのだ。




けれど、弱さ罪ではない。




そんな大きな包み込むような視点い、この巻の物語は溢れていて、僕はぐっときた。


f:id:Gaius_Petronius:20080809090001j:image

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■参考記事

『カルバニア物語』 9巻 マクロの物語が動き出す時〜ビジネスを通した世界の変化

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2008-08-08

『豹頭王の苦悩』 〈グイン・サーガ122〉 栗本薫著 いまになって、われわれは、その罰を受けているのだと思います。無関心と、そして無理解との罰を

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「ただ、誰も聞いて差し上げなかったのですね。。お父様も-----------お姉さまも、ご夫君も、そして我々も。---------いまになって、われわれは、その罰を受けているのだと思います。無関心と、そして無理解との罰を。」


p116


あとがきにあるがほんとうに陰惨な話。誰のことも知れぬ子を出産したシルヴィアの話。僕は個人的に、登場の最初からシルヴィアがとてもかわいいと思っているので、読んでいて胸が痛む。いまでも、ケイロニアの舞踏会で白の清楚なドレスを着ながら、グインとの初々しい姿は心に焼き付いている。栗本薫は饒舌すぎるきらいはあるが、100巻続いてなお、人格はちゃんと継続して描けているので、「この彼女の本質」は、何が起きようと変わらず描けていると感じる。確かに、グインとパリスが、思うように、表層のその奥にある怯えて苦しんでいる少女の姿が見えるもの。・・・・ほんとうに、これほど陰惨で悲惨な話を描きながらも、、、。希代の毒婦として名を馳せる、何年もの後のストーリーである外伝では、その毒婦っぷりが強調されていたが、僕はこれほど陰惨な話を聞いてもなお、まったく嫌いになれない。登場の最初から、今に至るまでだ。「この本質」が全くわからない、宰相ハゾス・アンタイオスという人間は、なんと洞察力のない人間なのだろう、と驚いてしまう。


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この皇帝家に生まれてしまった普通のの少女シルヴィアの過酷な、いやあまりにひどい人生に同情してやまない。たしかに、公人としての、選ばれた貴族としての重責に耐えられない人格であったということは、その立場からして、許されることではないだろう。貴族とは、人の上に立つものとは、人々の生贄なのだ。公人は、個(=ミクロ)幸せのすべてを犠牲にして公(=マクロ)に仕える義務がある。けれども、そのための教育もせず、そこに至るまでのプロセスをすべて無関心と無理解に費やした周りの人間に、それを要求する権利があるだろうか?と思う。特に、身近にいた父親の責任は重いといわざるを得ない。悩んで当然だと思う。・・・まぁその彼も、政略結婚を押し付けられて自分の蔡愛の恋人を無残に殺された経緯があるから、、、、なんとも悲しいがなぁ。いや、同じように母親が殺され、悲惨な子供時代を送ったオクタビィアは、「そう」ならなかったじゃないか!、結局は個人の資質の問題だ、というのも、まったく同じレベルで確かに成り立つ反論だ。たしかに、シルヴィアは弱すぎた。

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けれども、・・・・シルヴィアは、明確にそのマクロの犠牲者だ。個人が個人の力で運命を克服することと、そもそもマクロ構造・外部環境よって個人の人格をボロボロの食い物にする構造自体は、まったく別の次元の話だ。ましてや、周りに、大人はいたではないか!。父親(=皇帝)は、周りの貴族は?いったい何をしていたんだよ!って思うよ。このロジックは、パロの現在の第一王位継承者のマリウスもまったく同形のドラマツゥルギーだ。彼も、王位継承権と愛する兄を捨てて、出奔したんだよね・・・。そして、「出ていく」強さを持った、マリウスは少なくとも、人生の厳しさと向き合うチャンスを得た・・。が、、、、。まさに人生の縮図だ。出ていかざるを得なかった「からこそ」、オクタヴィアも生きる力を得ることができたのだと思うよ。人が、自分の悲惨環境と向き合うには、一度外に出て「逃げて」、自分が置かれていた環境を客観視できるようにならないと、そうでないとできない、ということなんだろう。


というか、国王にして夫のグインにせよ、宰相のハゾスにせよ、その人間理解の浅さに慄然とせざるをえない。読んでいて鬱になる話ではあるが、傑作『終わりのないラブソング』を書いた栗本薫らしい深い人間理解の描写だな、と思った。・・・・とはいえ、いくらマクロに偏った志向の持ち主とは言え、グインにせよハゾスにせよ、あまりに人間存在への理解としては、レベルの低い対応と思わざるを得ない、、、ケイロニアが田舎の国であると揶揄されるのもよくわかる。朴念仁にしてもほどがある。特に、、、グイン、それはあまりに淡白すぎるよ。そこまでわかっていながら、ミクロの個人の愛憎の世界に足を踏み入れないのは、それは、おかしいよ。。。。



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はっきりいって、最後のシルヴィアの態度や感覚からいって、グインが食い下がる気持ちがあれば、自分の弱みをさらけ出してすがるだけの度量があれば、明らかにやり直すチャンスはあったとしか僕には思えない。けど、、、なんなんだこの淡白さは。これでは、愛情がないといわれても否定できないよ。いくらマクロに偏った人格とは言え、この対応は人間じゃーない。、、、というか、あまりにガキの対応だ。

どのような困難も、超えられるかどうかのキーは愛情なんだ、、、そして、最後の章を見ていれば、それはどちら側にも十分にあるんだ、ましてやそれをマクロ的にも政治的のも何としてもコントロールできる「力」がグインにはある、、、「にもかかわらず」・・・そこで躊躇してしまうのは、子供だとしか思えない。それだけ深い愛情を持てるのならば、それだけ深い洞察ができるのならば、なぜ一歩踏み出さないのだろう・・・それがマクロに仕える英雄の限界なのか・・・・。ほんとうに人生を生きている人は、「マクロの重責」と「個人の幸せ」を同量の重さで秤に載せながら、戦うものだ。マクロに偏るのは、それがいかほどに素晴らしくても、人生を生きているとは言えないと思う。


また、宰相ハゾスの政治的な悪手も、なんと甘いのだろうと思う。人間の闇を理解するほどの度量がないのならば、シルヴィアもその子シリウスも躊躇なく暗殺しなければならない、と僕は思う。信じられない甘さだ。権力を手しに人を抑圧するのならば、マクロを守るために、躊躇をしてはならないと僕は思う。あっさり、シルヴィアを見限った(としか思えない)グインの態度の方がまだ首尾一貫している。


ともあれ、悲しい話だ。

マクロスFRONTIER 第16話 「ランカ・アタック」〜なんつーか、シェリルがかわいそうで見てらんねーよ。

ちゃんと筋を読み込んでいないので、さっぱりついていっていないのだが、、、とにかく時々見れるシェリルのツンデレっぷりを堪能するために、見ているようなものです。

「水出しミントジュレップソーダ」がおいしっ!

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僕はカクテルのモヒートのほんとにおいしい店で、よく好きで飲んでいたんだが、、、、おおーこーくるかぁ。これおいしいよなぁ。よく再現したなーと感心。

別にアニメ化は全く期待していないが、それでもまーなんかうれしいおんだよね。

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http://www.guinsaga.net/

http://news.livedoor.com/article/detail/3768171/

アニメ化ですか…正直、できるとは思えないんだがなー(苦笑)。ましてや、本当に面白くなるのは、10巻を越えていこうだから、、、、なぁ。そういう意味では、田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』はすごかったなーよくあそこまでアニメ化できたものだよ。

『クラッシュ』 ポールハギス監督 アメリカ社会の都市の分断が見事に描かれている

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評価:★★★★☆星4つ半

(僕的主観:★★★☆星3つ半)


ちなみに、第78回アカデミー賞作品賞(2005)。(記事にはネタバレが含まれるので、見たい人は読まないことをお薦めします)


■物語はどこで評価すべきなのか?


僕にしては、めずらしく客観的評価のほうが、自己評価よりも高い。監督は、『ミリオンダラーベイビー』の脚本を書いたPaul Haggisなのだが、このレベルでアウトプットが出せるのだからもう天才レベルと評価してもいいと思う。素晴らしい脚本で、その物語を通して伝えたい核心も見事ならば、それを表現する技術もまた超ハイレベル。しかしながら、個人的に、満点が出せない。それは、この映画を見た人は、たぶん、アメリカに行きたくなくなると思うし、アメリカのことが嫌いになると思うからだ。物語をどこで評価するか?という部分なのだと思うが・・・。

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■群像劇というのはとても難しいそれが見事であり・・・・・


この作品は、クリスマス直前の36時間のロサンゼルスに住む20人以上の群像劇です。

ドン・チードルサンドラ・ブロックマット・ディロンブレンダン・フレイザーなどなど、スタープレイヤーを綺羅星の如く使用しているのだが、それがほとんどスターとしてではなく、たくさんいる人間の一人として表現しているのは、低予算であるにもかかわらず俳優に強い支持を受けたという作品らしい。

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ドン・チードル

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ブレンダン・フレイザー

ハリウッドのスターシステムは、人物をスターとしてフレームアップして集中してアップで映しますが、そうすると、その映画の中で、登場人物が、「その世界のその役の人間」ではなくて、たとえば「トムクルーズとかマリリンモンロー」としてしか見えなくなってしまう。ましてや、スターを作り出そうとするハリウッドにはその傾向が強い。しかし、物語と世界を創る強い意識がある監督は、その圧倒的な個性さえも、その作品の中の世界観に溶け込ませる力量を持っている。たぶん、このポールハギスという人もそういう手法が好きなのだろう。個性ではなく、俳優を世界の風景として描くこと。つまり、キャラクターそれ自身の魅力やモチベーションではなくて、関係性や世界自身を主人公として、物語を描きたいという傾向。日本では、岩井俊二がそれに当たる、と僕は思っている。これができるには、圧倒的な脚本の質の高さが要求される。つまり、オムニバス形式というか、小さな場面場面の物語をつなぎ合わせて、大きな巨大な像を浮かびあがらせる手法。というと、『マグノリア』や『ナイトオンザプラネット』思い出す。『シリアナ』『パルプフィクション』なんかも同じ手法だと思う。

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群像劇というものは、必ずいわれるのはそんなご都合主義はないだろう!という批判だが、それは、見るものにリアリティを与えられるかどうか、という部分で評価されるべきだと思う。たしかに、関東以上の広さがあるロサンゼルスで、これほど各人種層が、偶然に見事に絡むということはありえないかもしれない。だが、僕にはとても強いリアリティを感じた。リアリティ=確からしさ、というものは、人に「ああ・・・世界って、そうなっているよな・・・」という納得間を与えることであって、ご都合主義でも、悲劇でも、写実主義でも、どんなものでも、いいんだと僕は思う。ちなみに最後に、ロサンゼルスに雪が降る(まず降ることはない)のだが、その表現自体が、「ありえないこと=奇跡」を強く意識して、監督が作品世界を作り上げてることを感じさせられて、なかなかに感慨を呼ぶ。

■善と悪との境目が曖昧であること


この作品で、最後の評価を分ける部分は、人種差別主義者であるマット・ディロンと人種差別を忌み嫌うライアン・フィリップの行動だと思う。この二人の物語の結末が、監督の世界観を表わしていると思う。人種差別による憎しみの連鎖のはじまりをはじめる警官マッド・ディロン。警官の立場を利用して、黒人TVディレクターのキャメロン(テレンス・ハワード)の妻を辱めます。妻を守れなかった、、、、口答えすらできなかったキャメロンは、その後、精神的に追い詰められます。その時同行して人種差別を目撃した、同僚の警官ライアン・フィリップは、それが許せずコンビを解消することになります。


つまり、

人種差別を公言するマット・ディロン

それを嫌う正義感のある警官ライアン・フィリップ


という二人の人生のその後が描かれます。ふつう、勧善懲悪であれば、もちろん人種差別をおこなっているやつが地獄に落ちるとか、もしくは回心することで、観客はカタルシスを感じ、善はやはり報われるのだ、と感じるでしょう。ですが、違います。人種差別をした警官マット・ディロンは、その後、辱めたキャメロンの妻を、命がけで燃えさかる交通事故の中から助け出します。逆に、正義感のあふれる警官ライアンは、ある間違いから黒人の青年を射殺してしまい、誰も見ていないことをいいことに、その死体を車ごと焼却してしまいます。




・・・・・・・この結末に、僕はなんともやりきれないものを感じました。




たぶん、監督の主張したメッセージとしては、善と悪というのはとても曖昧なもので、人種差別を公言していて、人を平気で辱めているような男でも、いざと言う時に警官としての職務のために辱めていた黒人の女性のために爆発する危険のある燃えさかる車に飛び込む勇気を示してしまうときもあり、逆に、言葉で正義を主張していても、偶然から巻き込まれて殺人を犯してしまうこともある・・・・世界というのは、そういった不条理と偶然の連鎖になりたっている、ということを描きたかったんだと思う。




が、、、、これはだめだ。




なぜならば、それは、確かに「善と悪の境界が曖昧である」というメッセージを非常にリアルに伝えるのだが、あまりに希望がない。そもそも、小さな諍いが大きな波紋に広がって行き、最初はただの感情のもつれや家族間での小さな諍いだったものが、徐々に大きな事件へつながっていく不気味さだけで、いかに人間が弱くて、偶然と不条理さの連鎖で、様々な事件がおきていってしまうという怖さは、充分に描けているのだ。これだけで、アメリカに行くのは、怖くて無理、という人はたくさんいるであろう程に。しかし、その不条理と偶然の連鎖の中に、奇跡的に、希望が見出せるのが、ペルシャ人の店主が間違って、幼い女の子を銃で撃ってしまうのだが、ある偶然によって実はその弾は空砲であったというエピソードやアジア人の人身売買を偶然に助けてしまう黒人のギャングのエピソードで、このエピソードは、ともすれば勧善懲悪的で、しかもご都合主義であるとも思うが、ある偶然が、偶然を呼び波紋のように、広がっていく世界の不条理という圧倒的な神の摂理を見せられている観客には、そこで奇跡のような『希望』を、、、実は、その逆のほうが、世界には圧倒的に多いのだという怖さと、同時にカタルシスを得る、という結果になったと思うのだ。


だから、僕は、エピソードをすべて奇跡で終わらせられなかったこの終わり方は、少し残念な気がする。評価としては、もしかしたら、ここで単純な希望と奇跡に回収しなかったということ「こそ」評価される点かもしれないが、物語としては、もっとご都合主義であるべきだった気がする。これは何を信じるか?何が正しいと感じるか?という価値観の差でもあるのだろうが。




■人種差別とは、都市に住む孤独によるクラッシュ=衝突が、ねじれた姿


何の関係もなかった登場人物たちが、時間を追うごとにつながっていくのを、神の視点から見下ろすところに、こういった群像劇の醍醐味があるのだが、ではそこで何を伝えたいのか?。それは、この作品が、都市に住む人々の『孤独』をテーマにしていると思う。これは、アメリカ文学らしいテーマで、アーウィンショーとかジョン・フィッツジェラルドなど・・・・日本での正統な後継者では村上春樹などのテーマの類型だと思うのです。実は、本質は、都市文明の中での孤独であって、人種差別ではないと思うのだ。そもそも、クラッシュ(=衝突)とは、この作品を見ていれば、実は、孤独であるが故に、信じあうことができないが故の小さな諍いの指している。そもそも人種差別があるわけではなくて、夫婦間のうまく行かないコミュニケーションや、日常の小さな不満が、あるきっかけで爆発し、それが人種差別というありがちの型に「ねじれて」変換されているだけなのだ。そもそもは、本音を語れない都市生活での孤独に原因があるのだが、見かけ上、人種対立の「形」をとって大きな事件として発展していってしまっている。


「ここ」が描けている、、、、劇中で、単に人種差別の理論や口上が叫ばれても、もっともらしいわりには、陳腐な印象を与えないのは、結局は、肌の色が問題なのではなくて、お互いに信じられないで孤独でぎすぎすしている日常の生活自体が本質的な原因であることがわかるからだ。都市文明の孤独・・・・とは、ナルシシズムの地獄とほぼイコールのテーマだと僕は思っている。19世紀末から20世紀にかけて、先進国と呼ばれる都市文明の発達した地域では、農村の共同体から引き離され、給与労働者として『個人』として、大地と共同体から引き離されて暮らしている。このテーマの同工異曲が、僕が世界の滅びた後の世界での共同性と読んでいるテーマだ。宮崎駿が、このテーマが好きで、『未来少年コナン』『風の谷のナウシカ』と非常にこのテーマを深く追っている。『AKIRA』『北斗の拳』などもそのイメージの大きな結論の一つだと思う。この物語は、どうしても終末論へ導かれやすいと思うのだ。

書評:7SEEDS/世界が滅びた後、どう生きるか?

http://ameblo.jp/petronius/entry-10001799579.html


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まぁとにかく、実は、サブカルチャーであろうが文学であろうが、大きなテーマというのは、ほぼ同じ都市文明の元で暮らしているのだから、ほぼお同じということなのだと思う。

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■ゾーニングという考え方

ちなみに、アメリカに住んだことがある人ならば、このある町には白人ばかりであるとか、黒人ばかりであるとか、暗黙に住む層が区分けされていて、その区画の中では非常にオープンだが、人種や階級が違う人間がそこに入り込むといように目立つというのは、経験があると思う。僕は、留学時代に、自転車いろいろ走り回ったときに、なぜか住宅街がブロックグとに区切られている事に気づいた。空から観察すると、その区画の分けられ方は、非常に見事にできている。必ずしも日本のように四角ではなく、さまざまな曲線形に作られているためにわかりにくいが、観察するとめちゃめちゃ分断線が存在することがわかる。


もともとゾーニングは、都市計画なのか、テレビのいかがわしい番組を子供に見せないための手法であったか忘れたが、自由の国アメリカというように呼ばれているが、実は、都市空間が、人種や階級によって見事なくらいに分断されている分断国家であることも分かってくる。都市計画を見ると、、このことはよくわかる。もともとも建国の理想とは、ほど遠いのだが。この作品は、不断はあまりに空気のように意識しないが、自分たちの小さなクラッシュが、このような構造的な空間に触発されて、大きな波紋になっていく様は、この監督見事です!と叫びたくなりました。とにかく、なるほど、見事な完成度を誇る作品だと思う。主張するところもアメリカの伝統的な文学テーマと合致しているし、それを映像という俯瞰ショットでの群像劇にする脚本もまた見事。が、上記で書いたように、結論と見終わった感触の悪さが、どうしても満点をつけられない、苦しい作品であった。映画が人を苦しめるだけでいいのか?というのは、難しい問題だ。かといって、人を告発しない勧善懲悪がいいのか、といわれればそれも悩むところではあるが。




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Paul Haggis(1953-)映画監督、脚本家。

1953年3月10日、カナダ/オンタリオ州ロンドン生まれ。

ミリオンダラー・ベイビー」(2004)でアカデミー賞脚色賞?にノミネート、翌年「クラッシュ」(2004)でアカデミー賞脚本賞?を受賞、アカデミー賞監督賞にもノミネートされた。同作はアカデミー賞作品賞を受賞。

■主な監督作品

クラッシュ(2004)

■主な脚本作品

帰ってきたむく犬?(1987)

クラッシュ(2004)

ミリオンダラー・ベイビー(2004)

父親たちの星条旗(2006)

2008-08-07

神殺しの作品の類型を探る

最近の思考のテーマです。LDさんと切々と語る。

やっぱ漫画版『風の谷のナウシカ』は神だな。凄い作品だぜ。・・・・手塚治虫さんの『火の鳥・黎明編』『ヴィンランドサガ』『宮沢賢治・春と修羅/グスコーブドリの伝記』『もののけ姫』、そして竹宮恵子さんの『地球へ』。このへんは、体験しないと、人生損をしていると断言できる。


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CODE:BREAKERの桜小路 桜ちゃんが、かわいいっ!

週刊マガジンで、最近連載が始まった、上条明峰さんの『CODE:BREAKER コード:ブレイカー』が、最近凄く興味しんしんです。ずっとほとんどネギまとスマッシュくらいしか真面目に読んでいなくて、過去に・・・そういえば連載あったかもしれないが、全く興味なかった、、うーむ・・・だし、、、、連載始って、ちょっち読んでも、異能力もの?それも、この人あんまり悪がうまく描けていないなー、、、それに、マクロ構造もすぐこれじゃー予測ついちゃうし、 と、はっきりいって、面白いとはみじんも思わないのだが


、、、もう最近目が離せない・・・


それは、ヒロインの桜小路 桜ちゃんの天然っぷりに、、、、もうヤバいっすよ(笑)。やばいです、僕はやられそうです。

『なずなのねいろ』 ナヲコ著 なずなちゃんの肉感的な感じと、絵柄の清楚な感じがあいまって、絵だけでも結構入ります

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評価:★★★星3つ

(僕的主観:★★★☆星3つ半)



『voiceful』 ナヲコ著  世界との距離が失われていると、繊細さがテーマになる

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080807/p2


正直、大した作品でもないと断じていた(★3つだもん主観も客観も)んですが、とはいえ、「成長するかもしれない?」とういう感覚があったんだよね。なぜか2冊同時発売していたので、H系ではないやつをかってみた。うむ、、、やっぱこの人は、成長する可能性大だなぁ。いまはまだまだだけれども。前回の『voiceful』も今回のもやっぱり、まだ秀作レベル差とは思うが、惜しいと思わせるものがある。

というのはね、作品のテーマとなる核が、とっても表現の難しいものなんですが、特に言葉も費やさずに説明できているし、絵柄の感覚もそれに合っている。また、なんというか、この独特の描線というのか…何となく柔らかさを感じさせるこの感じやキャラクターの造詣が、とってもかわいくて、、、言い換えれば、エンタメ的なんだよね。


もっと抽象的に言うと、



複雑で難しいテーマ × エンタメ志向の表現


という感じが受けるんだよ。ただこの手の独特な繊細な表現をする女性作家は、寡作なケースが多い気がするので、この人が成長するには、量が必要だ、とは思うが・・・・。量さえかければ、そして売れ線を狙う動機(=編集者のよいしょ)が続けば、かなり深いところまでいける作家だと思うので、もう少しがんばって欲しいなぁ。


ただ、『voiceful』に比べると、連載作品にしようと思っているからか、テーマの複雑さが、消化し切れて・・・というか「わかりやすく伝える」ことに重きをおけていない気がする。繊細な心理描写がうまい少女マンガ家は、繊細すぎて、読者がその登場人物たちの心の動きに追いつけなくなってしまうのだが、、、その可能性も否定しきれない。


が、、、まぁとりあえず、1巻までならば、なずなの絵柄のかわいさでカバーできる。2巻目からは勝負だな。と思ったりして。いい資質のある人だけに、ちゃんと成長してほしいなぁ・・・・、とか上から目線かなぁ、、、。でも、せっかく才能あるのだから、永遠に一つのステージでとどまって欲しくないなぁ。


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ちなみにこっちは、欲しかったけど、ありがちすぎて、とりあえず、購入は控えておいた。・・・うーん絵柄好きだし、短編もみたいので、買おうかなぁ、、、迷うところだ。

『voiceful』 ナヲコ著  世界との距離が失われていると、繊細さがテーマになる

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評価:★★★星3つ

(僕的主観:★★★星3つ)

■評価は可もなく不可もなく・・・・でも個人的には心温まる暗い話でした(笑)


可もなく不可もなかった。百合系の繊細な感じのが読みたくて買ったので、期待通りなので。星3つだな。別に凄い完成度ってわけでもないし、テーマを深くえぐっているわけでもないので、評価はまぁ中庸。でも、絵は好きだし、なんか、もう少しエンタメに振る気持ちがあれば、いい作品かけそうだと思うなぁ。才能はあると思う。引きこもりの少女が、ネットで流れる歌を聴いて、少し元気が出て何とか外出できるようになったときに、偶然道端でその歌手に出会って・・・・見ず知らずなのに

「大好きです  幸せになってくだい・・・・・!!」


って叫ぶシーンは。とてもよかった。


あらすじはここで↓


百合姫コミックス 「voiceful」http://lilyspurity.cocolog-nifty.com/blog/cat3260357/index.html

百合佳話 [ゆり/かわ]



[漫画] voiceful (ナヲコ/百合姫コミックス)

http://cyeryl-love.at.webry.info/200605/article_64.html

マーシア×シェリル至上主義



ちなみに、百合モノというよりは、ひきこもった気持ちが前向きに変化して成長していく心の過程を描いた青春ものとかいったほうが、近い気がする。二人に恋愛感情はないし。上記のどちらの感想も、もっとLOVEがあってもよかったと言ってるしね。マリみてのどこかの書評で読んだのだけれども、百合モノってのも、いろいろレベルのグラデーションがあって、そもそも男×男にはない、繊細な仲の良さってのが少女×少女にはあって、、、それをうらやましがる気持ちが男性読者をしてまりみてのファンになさしめているのだろうという意見があって、それはなるほどと唸った覚えがある。確かに、ディープに百合になってしまうと、少し違う気がするが、あの距離感が凄く少ない親密な感じは、たしかに学園モノの少女にしかあり得ない感じがするもんなぁ。


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■世界と自分の距離


僕はよく「世界と自分の距離感が喪失している」とかいう表現をするのだけれども、まさにそれと同じセリフがあって、あーこの人よく考えているなーと感心。言葉の定義を深く説明していないが、このへんは、わかる人(=対象を客観化して、自分の心の不遇感を読み解いたことがある人ならば)にはわかるでしょう。

「世界と自分との距離をはかる練習をしていないっていうところか おねぇちゃんの功罪かね」

これは、ほとんど虐待を受けていた父親一人と姉妹で、、、姉が父親の暴力などを一身に受けていて、妹をかばっていたのだが、、事故で先に死んでしまって妹が取り残されて…という設定になっている。それで、ここでは、姉が妹を守り抜いてしまったせいで、父親の暴力からは守れたのだけれども、現実の過酷さと戦う心理的防壁を奪ってしまったということを話しているんです。だから非常に壊れやすい。依存関係は、後に引くんですよねー。バランスが悪い関係だから。



■引きこもりのビルドゥングスロマン


僕はねーこういう心が壊れそうなのをつなぎとめておいて、なんとか頑張っているという繊細さを描く物語は、微妙に嫌いじゃないというか・・・・大好き(笑)。僕自身が、そういう繊細な(=弱者の視点)を持っているということでもあるんでしょう。それは、こういう自我の鎧がない状態のでのコミュケーションは、本質が表れやすいからなんだと思う。どんなときでも、なにももっていない方が、真実により近いのだ。けど、、、もちろん、、、同時に、「この世界観」「この時間」にとどまっているのも、僕は好きではない。いま(って、07/5/31)、GiGiさんと本田透について話を進めているのだが、彼の自己回復が、、、嫁との脳内結婚(笑)によって、行われたことを考えると、、、過酷な現実と戦うためのライナスの毛布(セイフテブランケット)としての機能が、あったのではないか?という話をしているんですが・・・・

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ようは、損なわれた自己を回復するには、なんらかの聖性に逃げ込んで、自分が回復を図るヒーリングポイントを作り出して、それを足がかり現実への志向を取り戻そうというプロセスを採用しているわけで、それは有用なんじゃねぇ?って話です。その聖性は、なんであってもいいのでしょね。現実の妻でも夫でも、ボーイズラブでもエロゲーでも。・・・・話を元に戻すと、まずは自己回復へ到る物語を描くには、自己が損なわれた物語と、自己回復に出会うステージを描かなければならない。そういう意味で、こういう対幻想に閉じこもった世界を描くのは、上記で言う「自己回復に出会うステージ」の世界を描いているのだなーと思う。そして、「そこ」に留まって永遠性を志向してしまうのは、この次のステージへ向かうには、「自己が損なわれた物語」という過去に直面しなければならないので、その苦しみを描かないという選択が出てきてしまうのでしょう。この作品も、「次」への予感で終わっていますもんね、今のところ。



ただ、、、この状況は繊細で美しいですよね。



あまりに世界と距離とがバランスがなくて危うい。



でも、僕らのように、距離を適正にとるのに慣れた…仮面と役割で世界を生きる大人にとっては、こんな青臭い世界が、少し羨ましくも懐かしくもあるのです。

2008-08-05

『狼と香辛料』 支倉凍砂著 見事に実った麦穂が風に揺られることを狼が走るという

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評価:★★★星3つ+α

(僕的主観:★★★★☆星4つ半)

とら兄貴のところで見かけたまま、絵柄がすっごい好み(笑)+タイトルがかっこいい!(このタイトルは秀逸だ!)ので、ずっと気になっていたのだが、なんでも昨年かなり評判がよかったことを知り思わず購入。


この村では、見事に実った麦穂が風に揺られることを狼が走るという

p1



あっ、このはじまり方で、既にノックアウト。さらにもう絵を見た瞬間から、ホロがかわゆーてかわゆーて(笑)、ライトノベルってのは、キャラクターへの感情移入や偏愛が基本的な導入口だから、それ時点で、成功です。いやー僕の中で、物凄いヒットでした。けれど作品の評価をするならば、


>「面白い」という評価は適切でなく、「名作」と呼べるほどに秀逸でもなく、「斬新」と言えるほどの目新しさもない。しかして心の底から「良い」と思える良質なノベル。それが、この作品を飾るにもっとも相応しい言葉だと思います。


ふらふら雑記帳

http://wotawota.exblog.jp/4779933



ふらふら雑記帳さんの評が、適切であると思う。ライトノベルというジャンルの歴史の中では、画期的な作品ではあるとは思うが、小説という大ぐくりのカテゴリーでは、名作とはいえない。・・・とはいえ、この小説は、第12回 電撃小説大賞<銀賞>受賞作 だそうで、さすが評者は見る目があると思う。また昨年度一番評価されたライトノベルであるという評だが、読者も目が肥えてるなーと感心する。ただ、電撃小説対象という賞が、どの位置づけにある賞なのかは、僕はさっぱりわからないが。

■ファンタジーノベルなのに、剣で戦わない、魔法もない、商取引をするだけ(笑)

この作品の独自性は、一言でいうと、主人公が商人である、という点に尽きる。このあたりは『手当たり次第の本棚』のとら兄貴の評 が、シンプルにいい当てているので、一部引用させていただく。


>思えば、ライトノベルに先立ち、まずはTRPG(テーブルトーク式のロールプレイングゲーム)が、次にネットゲームやゲーム機で行うRPGが、キャラクターの「職業」の幅を広げてきた。ウルティマオンラインなどは、多分、その最右翼だったのだろう。


戦士だ騎士だ僧侶だ魔術師だ……というような、ほんとに定番のキャラだけでなく、商人などがいても良い。


いや、戦士や僧侶だとて、時には商取引やかけひきをする必要があるシチュエーション。シムシティのような生活シミュレーションとまではいかなくとも、舞台が架空の世界であっても、世界観が、広がるというか、「地に足の着いた部分」が出来てきて、プレイヤーも、そういう世界に馴染んできているだろう。


そういう環境があって、こういう小説が生まれたのかもなあ、と思うわけだ。


『手当たり次第の本棚』より引用

http://ameblo.jp/kotora/theme2-10000341433.html


この評が、もっともこの作品のエポックメイキングな点を、表わしていて、ファンタジーの世界が「地に足のついた部分」ができて、プレイヤー(=読者)がその世界に深くなじんでいるが故に、こういう作品ができるのだと思う。日本のファンタジーノベル市場も、非常に成熟してきたんだな、と思います。



■ボーイミーツガール〜男の子は女の子を守る


僕がおおって唸ったのは、この作品は、典型的なボーイミーツガールの形式を踏んでいて、そのエピソードの一つで、ホロ(狼の化身の少女)を商人のクラフトが守るときの、その守り方だ。


全然戦わないんだぜ(笑)。魔法も剣もなにも登場しない。

主人公のクラフト・ロレンスが、愛する女の子を守るのは・・・・・その戦い方は、取引と交渉なんだよ!。その場面(p241近辺)の交渉シーンは、ものすっげぇ感動したよ。こういう戦い方、こういう女の子の守り方ってのもあるんだな!って。つーか、まじめな評価とか書いているけど、、、、僕は感涙しているんで、モノすっごい感動したんだよね、、この本。最高の名作というわけではないんだが・・・感動したんだから仕方ないじゃん(笑)。・・・・なんでかっていうと、それは僕自身も、サラリーマンつまりは、商売人なんだよね。やっぱり商売を、、、交渉を生業とするシゴトをしているんで、この主人公クラフトくんの戦い方は、自分に重なる感じがして、胸にジンときたよ。きたよきたよ!、、、きたよぉおおおおおおおお!!!!みたいな。でも、とら兄貴のいうとおり、そもそも戦士だって魔法使いだって、交渉しなければならないときは多いんだ。その部分を、ぐっとクローズアップしたとってのは、それだけで非常に秀逸な視点だ。


それに、なんつーか、商売の世界ってのが、ちゃんと描けている。もちろん、もっと裏が厳しい場合もあるだろうけれども、厳しい交渉と取引の中にも、一本筋の通った信用(クレディビリティ)と商取引にかける凄まじくシビアなプライドってのが、ちゃんと描けている。ミローネ商会の支店長マールハイトなんか、もう渋すぎて、最高にいかしてます。そうそう、おれこーいう感じの商人になるのが夢なんだよねー。取引先の商人に、「ああ、この商会を選んでよかった・・・」と心底思わせるような。


商売やビジネスって、血も涙もないつまらない世界に見えるが、、、利益と信用を賭けて、気が狂うほど頭で考え続ける、ものすごくダイナミックでハラハラするものが、その裏に隠れていて、よいビジネスマンや商人ほど、「その裏」を外に悟らせない。そのへんの、商人という職業のエキサイティングさってのが、すごく伝わってくる。それなりの行商人とはいえ、まだまだ若造ってところが、なんか凄くぐっとくる。自分を見ているようで(笑)。



■孤独には二種類がある〜孤独に共感する時


それと、この作品は、ちょっと大人な作品だなーと思ったのは、その孤独の描き方。この主人公の商人クラフト・ロレンスくんと、狼神の化身であるホロには、共通の孤独を抱えていて、その孤独を埋め合わせるために、お互い共感が生まれているんだよね。その感じが、淡々とした描写の中にも、ぐっと来た。ちなみに、全編ほとんど恋愛チョイ寸前みたいな感じで、けっして一歩踏み出さない、深く信頼した友達のような関係性が持続する部分も、本質的に、相手を愛する気持ちよりも、相手の孤独に共感している部分が大きいからなんだと思う。この辺の節度は、ぐっときてよかったなぁ。


えっとね、ネタバレだけど、この狼のホロって神さまは、数百年前に故郷から出てきて、ある村に居つく。その村の青年が、この村の麦を豊作にしてほしいという願いをかなえるために。そして、幾百年。農業が近代化される寸前の中世欧州のような世界が舞台なので、実は、これって神さま殺しが起きている時代なんですよね。これまで森を、畑を守ってくれた神を敬う気持ちが薄れ、自分たちの自力で豊かさを獲得しようと神前との調和を忘れ、自然と支配しようとした時代。だから、数百年その村のために尽くしてきたホロに村人は、もう必要ないと思っているんです。それって悲しいですよね、数百年尽くした相手に、裏切られ、忘れ去られていくこと・・・。


そんな時、孤独に耐えられなくなり、ホロは、故郷に帰りたくなるんです。


そして、主人公のクラフトは、やっとひとり立ちして7年目の25歳の独立の行商人。20近い村を交易で回る人生は、そのほとんどの時間を、たった一人で荷を運ぶ輸送の時間。行商人は、その孤独に耐えなければならない。彼もまた故郷を捨て、だれにも・・・・商人は、移動ばかりして定住しないので、ずっと自分を覚えてくれる深い友人も家族もできません。さすらうことがシゴトだからなんです。


僕は、このクラフトくんに凄く感情移入しました。


というのは、この主人公の描写は、がむしゃらにシゴトをして、周りが見えなくなるほど努力してやっと一人立ちの商人になって、そしてまた一人前になるために、がむしゃらにここまでやってきた。そして、行商人としては、なかなかひとかどレベルになってきて、、、、そして、時間的心理的余裕ができたときにふと、寂しさを・・・孤独を覚えるんです。これって、、、、すごく思い当たる。社会へ出て、何とかシゴトへなれてきた数年後、の感覚です。前に、咲香里さんという漫画家の『春よ、来い』の最終巻のシーンにえらく感動したと書いたのですが、その時の再現。

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この主人公も、社会へ出てなんとかやっていけるようになったときに、ふっと感じる孤独を埋めるように沙恵が現れるんですよね。p122〜124らへん。このへんの孤独って、上手く描けていると、凄いはまるようで・・・なんでかなーと思っていたんですが。なんとなくわかった気がしました。この小説を読んでて。


えっとね、孤独ってのは、二種類あって。たとえば、大学生とか、まだ社会に自分の存在価値や立場を見出していない人が感じる孤独と、社会で何とか自分の立場を作って、役割を全うしているときに感じる孤独って、別種類なんだなーと思うのです。大学生の時とか「なにものでもない自分」に寂しさや孤独を感じるのは、当たり前です。その孤独の核心部分は、社会から承認されていないことですよね。社会的な存在として価値がないわけですから。ただ、それは外部から見ると、というか第三者の冷静な目で見ると、物凄くキツクはあるが、自業自得です。だって、自分の「分際」を受け入れて、社会的責任を受け入れていないわけですから。それはガマンするべきものです。


けれども、たとえば社会に出て頑張っているサラリーマンとか、子育てを頑張っている主婦とか・・・・何でもいいのですが、社会で何らかの役割を全うしている人は、自分の「役割=他人から必要とされる機能」は十全に果たしているわけですよね。社会で必要とされる「役割の機能」ってのは、凄く難しいもので・・・・たとえば、新入社員が一人前になるまでの数年間のがむしゃらの時期って、わき目もふれないほど大変なはずです。けど、、、歯を食いしばって、頑張って、そして期待される役割を十分に果たせるようになっても、誰も誉めてはくれません。あたりまですよね。役割は、機械でいえば機能。機能は、発揮されて当たり前。ましてや、ペイ(=お金)をもらっているんだから、どれほどの苦労をしても、それは誉められるものではありません。


なぜなら、そんなことはやって当たり前のことですから。


必要とされる役割を、誰に誉められることもなく、完璧以上にこなすものを、大人といいます。求められる役割を、社会でお金がもらえるほどにできるようになるまでには、血の出るような苦悩と刻苦があるものです。しかも、その苦労に、心理的な見返りはありません。それが、大人というもの、社会人というものです。僕は会社が楽しくないとか、精神的に苦痛とか言うのを聞くと、馬鹿じゃないかと思います。金もらっていることが楽しいわけがないんです。そんな甘いものに、金が出るものか!。・・・・それでも楽しいといえるならば、その過酷な責務を引き受けてあまりあるほどの努力と才能で、その役割以上の能力を発揮できているという、努力もさることながら運も大きい要素のためです。


えっとね、、、、、社会から認められるためには、、、、自分をすりつぶして、自分の甘えや自己を強く抑えて、役割の機能と化さなければなりません。才能を発揮できるとか、楽しいシゴトとかは、そのツーステップくらい先にあるもので、95%の凡人にはそんなものすぐ手に入りません。そして、がむしゃらにがんばって、なんとか、それができるようになったときに、ふと思うんです。僕は、役割以上の・・・・役割の背後にある「自分自身」を誰かに認めてもらって、誰かから愛されて、必要とされているだろうか?と。


この時の孤独は、社会に足場のない学生とかとは、質が違うものです。それは、たくさんの人に囲まれて、たくさんの人から必要とされているにもかかわらず、強烈に覆ってくる孤独です。社会の機能としての役割をちゃんとした形で、全うしている人は、 社会人として尊敬され、とても周りから必要とされています。それはとても難しいことだから。けれども、その人自身が必要とされているわけではなくて、その人の機能が必要とされていることでもあります。

社会へ出て、がむしゃらに頑張っていると、、、ふと孤独を覚えること。それは、会社に入って、数年目の僕が体験したことでもありました。休日出勤した翌日の日曜日の昼11時ごろに疲れて起きだして、、、ぼーっとしてビデオを見ていると、もう夜です。次の日からは、駆け回り、たくさんの人と会い、そのころは合コンしまくりで・・・・そんでもって、だいたいにおいて、エネルギー溢れて急上昇している時というのは、はっきりいって人を凄くひきつけます。自分にそんな余裕がないときに、情けなるほどもてるもんです(笑)。けれどね、そうして女の子と遊んでも、後輩に尊敬されても、取引先に信頼されても、、、、、それは、僕自身ではなくて、そうやって駆け上がって上昇している強気で常に安定して機能を果たせる「役割の機能」が好きなんであって、弱気な僕、そのままの僕が好きなわけではないだなーと思ってしまうのです。


今の余裕がある僕ならば、そういう強気な自分も、また本当の自分の一つである、と自信を持っていえますが、そういうがむしゃらな時って、全くそうは思えないんですよね。


さて、この役割としては何とか認められているが、自分自身の「個」をちゃんと見てもらえて承認してもらえているか?というのは、役割が必要とされるほど、切実で深いものとなるんです。そして、それって・・・・がんばっているぶんだけ、健気でいじらしいですよね?(笑)。やっとこの本の主人公に戻ります。やっとひとり立ちして余裕が出てきた、ずっと一人で旅をし続ける故郷を捨てた駆け出し行商人のクラフトくんと、そして、、、、神として・・・・麦を豊かにする神という機能としてずっと尊敬されては来たものの、、、個として誰にも扱ってもらえなかったホロ・・・・この二人が、そのお互いの孤独を、すっと理解できるのも、、、、よくわかるでしょう?。




むしろ、恋というよりは、孤独への共感。




そこに僕はぐっと来た。そして、、、、こういう社会でちゃんと責任を果たしている人間は、外側から、、、小説を外部から眺めている観客の視点からすると、健気ですよね。だって、誰にも誉められないのに頑張っているんだもん。当たり前のこととはいえ、そういうのって、ちゃんと地に足がついて頑張っている人にしかできない、難しいことです。そんな彼らに、ちょっと孤独を埋めてくれるご褒美を・・・伴侶を見つけ出すことって、きっと神様がいたら絶対ご褒美にくれますよ。。。。




全編読んでいて、そんな気分でした(笑)。




・・・うー長くなった。

映画『ダークナイト』が凄いらしい!

http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-245.html

ノラネコの呑んで観るシネマ

僕のとっても好きなブログのノラネコさんが、映画史に残る傑作と『ダークナイト』をほめたたえている。

実は先日の海外出張で、ちゃんと『バットマンビギンズ』を見ているのだ、、、、ああ、、観たいよぉ。押井監督の『スカイクロラ』も、まぁお約束のポニョも、、、見たいっすよ。

ああ、、、みたいっす。

2008-08-04

去年だっけ???もう時間の経つのが早すぎて、わけわかんねーよ(苦笑)

去年だった(よね?)か、はし君にコミケに生まれて初めて連れて行ってもらって、こんなぁ・・・・こんな楽しい世界があるのかと、目がキラキラしたんですが、とてもではないですが、一目見る暇すら今年はありそうにありません。・・・・こんなにがんばって、人生にも結構勝っていると思うし、けっこう稼いでると思うんですが・・・こづかいは年々減るし(マンガが買えないじゃないか!)、自由時間は皆無になっていくし、責任ばかり厳しくて、、、人生って、なんて過酷なんだろう、、、と思います(苦笑)。頑張れば頑張るほど、自由が減るって、これどういうことよ?(断固神様か世界かわからんが抗議したい!!!)。まーたしかに我慢と責任の重みの部分、世界の深さと幸せがあるわけで、、、なかなかあなどれないなー、この世界。はーでもさー、、、がんばると、たいへんいなるこの相関って、なんかなー・・・。でも、フロムではないが、「から」の自由って、それはそれで、物凄い退屈だったリするんだよなー。もうっ、むずかしい、、、よ、むずかしいよ、生きるって。・・・書いていて、遊びに行けないだけで、絶望する自分の小ささに、絶望します(笑)。・・・映画が見てーよ、ママン!。

ほんとにどーでもいいこと

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ふと思ったのですが、僕の人生すべての経験の中で、イオンって、ベストオブ妹だな、って思うんですよ。おがきちかさんって、すげーな、と思います。

この前、海燕さんのところでひさしぶりにチャットしている時に、いや、イオンちゃん(ランドリオール)には「仕えたい!」とか思うけど、秋葉(月姫)は「押し倒したい」と思うんだよね、、この違いは何なんだろう?ということから、いろいろ思うところがあったんですよ。明確に説明できるけど、めんどくさいのでしない(笑)。まー一言書くと、「押し倒したい」ってのは、ような女の子として好きなわけで、実際には妹ではないんだよね。視線が。それにくらべると、イオンは、妹爆発だよな・・・とかとか。うーむすげぇ。

ウェルカム トゥー 三十路ワールド!!

http://d.hatena.ne.jp/kaien/20080730/p1

SomethingOrangeの海燕さんが、30になったそうな。ふふふふふふふふ。もう歳だな。何も悪いことしなくても、なっちゃうものなのだよ。ちなみに、ほんとうに、20代のようは無理がきかなくなります。まぁ、年齢を重ねるとわかるものってのもないわけではないので、、、、それに、まーぶっちゃけ、人間なんて成長したり変わったりするもんじゃーねえから、まーまた普通の日々が続いていくもんすよ。そういうのも、まーわるくないですよ。まぁーマンガとか小説があれば、生きていけますよ。・・・・栗本薫の小説は、、、、、もっと続いてほしいですが・・・。

読書の間口とか狭いよな自分、、、とか凹む時・・・・

僕は自分の幅の広さが自慢(傲慢?)でもあるんですが、自分の強みは最大のコンプレックスだったりして、、、強気の部分は裏返すと、自分の弱みであったりする。幅が広いといい張らなければいけないということは、ようは、自分で狭いって思ってるんだろ???みたいな、つっこむブラック自分がいる(苦笑)。自己認識と他社認識の違いってのは、本人にしかわからない苦しみだったりする。はああ、いまの10倍くらいの体力と知力があったら、、、、なぁ、、とか。あと、気合。基本的に、やる気あるようでいて(見せるのはうまくなった)、ほんとはない人だからなー自分。


今日は、水滸伝のけっこう凹む部分を読んでいたら、もう落ち込んで来て、、、、この話は、基本的に前向きのテンションを保つ本なので、ほんの一部だけだったんですが、睡眠不足で疲れていたせいか・・・ぐばぁっと落ち込んだ。悪い時に悪い感情移入すると、超凹む。こういうときは、めっちゃめちゃ明るい話とかHなマンガ(笑)とか、とにかく五感をプラスにもっていくか、誤魔化すもんしか受けつけなくなるもので、、、、って、僕のほとんどの読書やアニメの時間は、凹んだ癒しを求めてのものです。会社では、組織人なので、いいたいことの百万分の一も言えないので(それでもいいすぎとたしなめられることしばしば・・・(汗)ブレーキきかないんっすよ。)いるもんで、、、とにかく逃げ道ばっかり探して、自分が好きで理解しやすくて、安楽なものばかり読んでいる・・・。ああ、、、なんて誤魔化しのテキトー人生。。。


もっと、もっと幅広い人間になりたかったんじゃないのか!自分!!!!と、叱咤する自分と、、、、もうつかれっすよ、なんか、かわいー女の子とか、かっこいー男の子が世界を救う話とか、そういうマイナスのないものだけがみたいっすよ、、、と、へたれる自分がいる(笑)。世の中には、とんでもなく世界が広がって行く人はもっともっといるし、まー自分は馬鹿ではないとは思うが、いやマジかよっ!ていう頭のいい人は、ほんといるもんなー。そういう人と比べると、なんて、小さいんだろう自分、、、と遠い空を眺めてみたりしたくなる。バイオリズム急下降中です。あー今日英語勉強せず、水滸伝読んじゃった、、、とか、また落ち込んで、ブログなんてあんな書き散らさないで、更新頻度落して、もっとちゃんとしたやつを書こうぜ!とか、いや、そもそもそんな暇あればもっと勉強しろよ!とか、死ぬ気で仕事しろよ!とか、、、自分で自分を叱咤してみるけど、まー無理なもんは無理だしー(笑)と、すぐ手を抜くというか、何でもどうでもいいお気楽な自分が出てきて、、、、ああ、もうちょっと、なんつーか、ガンガン前へ進む人間になりたっいっすよ、と慨嘆してみる(といいつつ、そういうタイプは、憧れているくせに大嫌いだったリして・・・)。まっ、しょせん、等身大の自分以上にはなれないもんすよ、、、、ねぇマリアンヌ(意味不明)。・・・ああ、、また脳内で激しく空転する(笑)。


まっ、人間できることしかできないものよ、といつもの通り結論付ける。おがきちかさんのブログ読んでいたら、アイルランドに行きたくなった・・・。ふぅ。夏は嫌いなんすよ。やっぱ冷たい空気の方がいいなー。汗とか、きらいっすよ。あー空が飛びたいっすよ。蒼い空。宙返りとかしたいっす。

2008-08-03

「いい人じゃだめなんだ、仲良しクラブは間違っているんだ!」と、叫ぶ人間は大企業では出世できない(苦笑)。・・・最近の悩みです(笑)。

大企業と地方企業の両方に「決断できない、いい人たち」経営者が増える背景

■まず、「決断できない、いい人たち」経営における、「いい人」の定義についてうかがいたいのですが。

f:id:Gaius_Petronius:20080804002320j:image

今年4月に経営共創基盤を設立した産業再生機構 元代表取締役専務兼COO 冨山 和彦氏

冨山 日本企業の場合、同期入社の人たちが順ぐりで、かつ同じようなペースで課長、部長、そして取締役へと昇進していく。ある意味、ゲマインシャフト(共同体)的なムラ社会ですよね。そこで残り、なおかつ昇進していく人は、みんな物分りがよくて協調性も高い。良くも悪くも常識人で、一般的に言えば「いい人」なんです。みんな仲がいいし、周りのことも思いやる。高学歴で、そんなに人生も荒れていないエリートたち、という意味です。

しかし、企業経営というのは、事業の統廃合など時には戦略的に非情な決断をしなければいけない場面もある。そんな状況でも、経営者が「いい人」であり続けようとすれば、自然と問題は先送りされてしまいます。やがてそれが経営全体を圧迫するような問題になり、さらには経営危機にまで追い込まれてしまうこともある。企業再生にかかわってみて、そこに「決断できない、いい人たち」経営の問題があるなぁと、中央と地方の別なく痛感しましたね。


http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/person/interview/070424_toyama1/


あうわーわかるわかる。最近の僕の合言葉だよ。経営というマクロのレベルで事業を再構築したり戦略を変化させようとするときには、「仲良しクラブ」ではダメなんだし、なによりも「いい人」は最低な決断をする場合が多いんだよ。最近の僕の大きな悩みです。「いい人」で、周りと仲良くやれる調整型の人材が大企業では高く評価される傾向がある。戦略の帰結よりもだ。


僕なんか、すべては結果だろう?と思うがなぁ、、、。僕がキツイ癖のある人材であるにもかかわらず、結構間違えず階段を上ってきたのは、自分が、利害の対立した集団や組織間の調整がウルトラうまいことが、あると僕は自覚している。極端で、厳しいことを言われて嫌われて煙たがられるが、でも逃げないで懐に入り込む努力を継続して、とりわけ仲が悪いは人同士の連携を作り出すのは得意だからね。


・・・けど、これをやると、事業のスピードが落ちるんだよね。いつも凄くそこで思い悩む。なぜならば、1)自分の出世(=周りのからの評価)と、2)自分が信じる結果(=事業のアウトプット)が乖離してしまうからだ。日本の、大企業ってやつわ…ってときどきやるせなくなる。基本的に、アウトプットでは、評価されないものだ。ほとんど99%、いかにまわり(=といって手も狭い自社・業界内の秩序)と軋轢なく溶け込んでいるかってのが、高い評価に結び付きやすい。

時々思い悩むんですよねぇ、、、僕みたいな性格は外資とかにいったほうが、向いてるんじゃねーかって・・・。まぁ人生は仕事よりも、マンガの方がちょびっと重要だったりするんで、まぁぬるま湯の日本企業で、仲良しクラブでだまして(自分と他人を)穏やかに荒れないで生きていくっていうのも、悪くないなーとか思うし、いやそれでは志がと悩む自分もいるし、むずかしいっすねー。かといって、コンサルや外資も、逃げであって、そういうのは参謀にしかなれない。事業を意思決断できる人(=将軍)はその泥臭さから抜きんでた人間でもあるんだよね。かといって、抜き出れなくて死亡するパターンの確率も高すぎて(笑)。うーむ、難しい。そうやって、人生は続きますよねぇ。息をつく暇もなく。・・・うーん、思い切りが悪いなー自分。いろいろ思い悩む。


ちなみに、この矛盾が最大限吹き出すのは、赤字事業とか事業の再生やターンアラウンドに臨む時だ。そしてこれからの日本で最も重要な仕事。僕も事業再生の時は、ほんと苦労しましたよ・・・。いい人は、バカなんだもの。悪いけど。仲良くやることは、傷を広げて死に至ることがわからないんだよね。


冨山和彦さんか、この人は、、、コーポレイトダイレクションの出身かー、あそこは格調高いなー。さすが。


簡単にサイト情報を比較しただけでも、経営共創基盤とリヴァンプの雰囲気には、かなりの違いがあることが理解できます。古い言葉で言えば、重厚長大の経営共創基盤、軽薄短小のリヴァンプといったところでしょうか。その他、両社のオフィスの場所、リヴァンプがファッショナブルな南青山、経営共創基盤が金融ビジネスのメッカ兜町、といった違いにも必然性があるようにも思えてきます。

このような違いは、両社がターゲットとして狙う業種・業態の違いを表しているのだと考えられます。リヴァンプは、ブランド・イメージが重視される消費財分野での再生支援が得意そうですが、ナショナル・フラッグのJALの再建は荷が重いように見えます。他方、経営共創基盤には、外資系のファーストフード・チェーンのビジネスは、不釣り合いのように思えます。

支援企業に対して出資するとともに、直接経営を指揮する専門家チームを派遣することで長期的な経営基盤の再構築を目指す、という両社の手法には本来大きな違いはないはずです。今後は、両社が得意分野をどのように棲み分けていくのでしょうか?



経営共創基盤とリヴァンプ 同じ再生支援専門会社でもそのイメージは大違い

http://www.planbiz.info/blog/archives/20070427_021607.php


ちなみに、このリヴァンプとの比較は、非常に興味深い。今後日本も、ターンアラウンドの専門家が重要な時代が来るよね。それはわかる。夕張など日本準で破たんが連続する日が緩やかに継続するはずだから。

2008-08-02

うわ、これ、すげーおもしれー。涙出るほど笑っちゃった。

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スゴイ面白い!。こりゃー傑作だよ。子供も跳ね回るね。

20万ヒットだ。ありがとうございます。

旧館が、いまのところカウンターが57万なので、あわせて87万位か。これがどれほどのものなのかは、よーわからんのだが、まぁとても見てくれているのはうれしいです。多謝。ただ、最近は真面目に文章書く心の余裕がないので、過去の加筆版とか感想にすぎないものが多いし、、、一番愛する映画が見れないのが、さびしいです。2005年の4月くらいから書き始めたようなので、3年と、、、4か月ぐらい?だよな・・・??。いやー楽しいっすねー。はてなははじめてから、今日で95日目です。・・・・海燕さんがいっていたんですが、本当に人が見てくれているのか?時々とっても疑問に思う時があります。いやー誰も見てねーんじゃないかって(苦笑)。いやー別に書くのは癖なんで、書いちゃうんですがねぇ。誉められると伸びるタイプなんで、読んでいる人いたら、ぜひ読んでます!だけでもいいのでコメントもらえると嬉しかったりします。あと、どこから来たのか?とかも、、、なんか僕はPC弱いんで、仕組みとから調べ方とか、全然わかっていないんで、、、(苦笑)。だれか、うちに遊びに来て、設定してくれよーとか思います。

『Fate stay night』 人を本当に愛することは、愛する人の本分を全うさせてあげること、、、たとえがそれが永遠の別れを意味しても

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評価:★★★★★星5つのマスターピース

(僕的主観:★★★★★星5つ)


■物語をより深く理解し、体感するための補助線に


この文章は、僕はとても気に入っており、きっとより深くFateの世界観に入り込む一つの大きな補助線になると思うので、自分自身も読みなおしたりしながら何度かゲームを再プレイしている。いや、本当に面白い物語だ。そして深い。何か本質的なものに届いている作品は、何度も再読に耐えうるので、それだけで人生を色鮮やかにしてくれる。けれども、本当に本質に届いている物語は、案外その奥深さを理解できていないケースが多い。これは、たくさんの友人といろいろ話しているうちに、感じるようになったことだ。もちろん、相手が全然分かっていねぇ!と思うこともあれば、ええっ!そんな見方があったのか!と驚くこともあり、そういう多視点を包含して、理解を深めていくと、一度出会ってしまった物語が不死鳥のように甦り、また素晴らしい感動をもたらしてくれることがある。そして、なによりも理解をしなくてさえ、深く喜びを与えてくれた作品を、より深くもっと寄り深く体感したいというのは、当たり前の感情だと思う。そんなより深く物語を楽しむための材料として、僕のブログの記事が役に立って、ちょっとでも、よりもう一歩の面白さを体感してくれると、僕はうれしいといつも思います。基本的には、プレイをしたことがある人を前提に書いておりますので、2回目にさらに深く理解するために、というものだと考えてください。


■物語全編を貫くイメージ〜不死性と正義の味方

いきなりではあるが、不死性とはなんだろう?。この問いは、かなり昔から追っているテーマなんですが、Fateというか、奈須きのこさんの価値観をトレースするには、この補助線なくしてたぶん理解できないと思うんですよ。死なないということは、人間を人間たらしめている「死」というものを拒否するということ。僕は、「時空を超えて物語を横断するイメージ」を解釈したい、といえばおこがましいが、明治学院大学の教授(いまでもかな?)四方田犬彦教授がいっていた言葉がとても好きで、


「物語ってのは、膨大な大衆芸能からある核が浮かび上がり、時間や国境を越えて連鎖していくもので、何がオリジナルか?という議論はできない」


というような(僕の誤訳かもしれないが)いっていたものが、お話を聞いたときに凄いイメージに残っている。これは、日本の江戸時代の歌舞伎などが、戦前のチャンバラ映画になり、それが香港映画のアクションになり、ハリウッドのアクションへと転化していく様を追った何かの映画論だったと思うが、ようは、どれがオリジナルだ、と指し示すことはできない。最良のものの核が、パクリのようにオマージュのように、その土地土地のオリジナルな意匠や物語の触媒になり、物語は作られていく、という考え方だ。さて、そういた時に、当時、中央大学総合政策学部の教授だった中沢新一先生が、現代資本主義社会で、とても興味深い世界的なシンボルはいくつかあって、その一つが、ヴァンパイアの物語だ・・・といっいたことを大学時代に聞いた覚えがある。その時は、サンタクロースの贈与もそうだ、といっていたが、その話は、既に本になった。が、吸血鬼についてはまだかかれていない。そのイメージがずっと頭の中に残っており、時折、それってどういうことなのかな?とずっと頭の片隅で考え続けている。


ある時、それは「不死性」についてが、核心なんじゃないか?と思った。


秦の始皇帝の昔から聖杯伝説に至るまで、洋の東西を問わず、不老不死を求める伝説・神話は多い。そして、もちろん様々なサブカルチャーでの不死性を求める話の、原型というのは、実はどれも似ているような気がする。たとえば、アニメーションとマンガの傑作『AKIRA』は、不老不死のエネルギーを持ったテツオは、巨大化して醜く膨れ上がった巨魁となった。この『Fate/Stay night』の凛ルート:Unlimited Blade Worksの最後も、ドロドロの肉魁と化した聖杯を、ぶった切ることでその物語が終わらされている。つまりね、不死性の帰結や正体を、どろどろの腐り果てた巨大な肉片の固まりや人間の憎悪の塊と見なすようなんだよね、さまざまな作品では。

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なんでだろうか???


人類の永遠の夢である、「不死」ってものが、物凄い醜いもの、として捉えられているってことですよね。この聖杯戦争での、聖杯は、望むものをすべて与える、とされる。この「望むものすべて」というのも、不死のアナロジーだと思うのです。


人間というものの欲望というものが行き着くと、不死性にたどり着くようです。


しかし、不死性はいったなんなのか?ということは、実はよく読み解かないと非常に理解しにくいものです。いろいろな物語・・・とりわけSFや吸血鬼ものなんかでは、この不死性の話は、よく出てくるのですが、実はこの本質までちゃんと説明しながら書いているものは少ない。たぶん、著者が漠然と分かってイメージで捉えているもので、論理的に言葉で捉えてはいないからだと思うんです。この辺の構造をよく整理できると、こういった系統の物語もっと本質的に理解できるんではないか、僕は思っています。先ほどの、醜い巨大な肉塊として最後はイメージされることが多いのにも、理由があると思うのでです。けど、なんとなく原作者は、このほうが相応しいと書いていて、それがどういったロジックを持ってそうなるのかまでは明確に意識できている人は少ないと思うんですよね。さてごたくはいいから作品論にいきましょうか。


■物語で本当に言いたいこと〜正義の味方は歪んだ欲望なのだ


この物語は、まったく同じ設定での三部作のようもので、1)セイバールート、2)凛ルート、3)桜ルートの三つで構成されていますが、それぞれに独立した物語と捉えることが可能でありつつ、世界観や設定が同一のモノをつくられて、この物語世界の本当の姿は、この3つ全てを見ないと理解できないようになっています。

その3つを俯瞰してみると、基本的にこの物語の全ての核心は、衛宮士郎という人間の救済(=サルベーション)を軸に描いています。いったいなにをどうやったら、士郎にとって救済が訪れるのか?。あんな風に悲惨な体験をしてしまった子供が、いったいどうすれば、救われたと思える日が来るのだろうか?、それがこの物語のキーの疑問提示です。そして、士郎という人格そして彼の持つ人格のドラマトゥルギーを読み解くときに、そこに不死性に関する議論が、深くセットされています。ちなみに、この


不死性


聖杯


正義の味方


という概念は、作品世界では、等価として考えられています。良い作品の基本なんですが、「常識で表層で理解されていること」を飛び越えるような概念の提示があって、それが体感できなければ、本当は物語の真の意図を理解したことにならないと思います。とりわけ、「正義の味方」という「善のモノ」「プラスもの」「望むことが個人として決して間違っていもの」を、鮮やかに「醜い間違ったもの」として転換していく様は、見事。


たぶん、奈須きのこさんの世界観には、こういった、プラスであるものとマイナスであるものが個人の中で究極に葛藤させられるというシュチュエーションこそが、人間が生きることだ!という思いがあるのではないかな、と僕はいつも思います。「不死性の醜さ」に「正義の味方」という、通常では善悪に単純に割り切れてしまうものを、全く等価なモノとして描く、奈須きのこさんに、脱帽です。



■セイバーシナリオの本質〜ボーイミーツガール・少年は少女を救うことによって自分が救われる


さて、上記の「いったいなにをどうやったら、士郎にとって救済が訪れるのか?」というグランドテーマを軸に、その本質を理解するために不死性のことを念頭に考えましょうということでしたが、それぞれの個別の3つのシナリオを作品分析を進めていきましょう。


このセイバーシナリオは、基本的に、セイバーという女の子が救済される話を描いています。ただ、難しいのは、セイバーという少女は、国家の指導者・・・国王としてのマクロの重責を担い、それを全うした英雄であって、いってみれば、シゴトとして公人としての人格が、完成されてしまっているんですね。えっと、つまり、彼女は、「選ばれし者」として、自分のプライベートの全てを捨てて、全体のために人生を捧げた人なんですね。そういう公人にとっては、個としての意味はありません。個としての価値がない場合は、女性であることも男性であることも意味を持ちません。そういう個の次元にかかわるしあわせの全てを拒否し、捨て去ることで彼女の全うした役割は成り立っているからです。にもかかわらず、そういう存在であるセイバーを、救う、ということは、救済することはどうすることか?というのがこの物語のドラマツゥルギーです。


えっと、上で書いていることが凄い矛盾のある問題提起であることが分かりますか?。


セイバー=公人として完成された存在(=個人としては存在していない!)


まず僕は、この定義を前提としています。セイバーという存在に、セイバーという名の少女の「個」は、「個人として意味と価値」は存在していないといっているんですね。にもかかわらず、このシナリオを「セイバーという女の子が救済される話」だといっているわけです。この飛躍を読み解くところが、このシナリオ読解の肝です。


■物語を理解するための基本構造の補助線〜士郎とセイバーの動機の入れ子構造を理解する


このセイバーシナリオは「セイバーという女の子が救済される話」だと上で書きました、けれども、このFateという作品の根幹には、士郎という主人公が救済されるということをの意味を深掘りした作品なんで、その上位のグランドルールが隠れているんですね。これが二重になっている、ということを念頭にこの作品を体感しましょう。僕の好きなアニメーションの『コードギアス・反逆のルルーシュ』などが典型ですが、スザクとルルーシュという二人の視点と動機を通すことによって、同じものを全く違う視点で観客に大観させて、世界の複雑さを理解させる手法で、これはどうも主観性による一人称が行き過ぎた70〜90年代日本の感情移入の形式の一つの脱皮点のように僕は感じます。

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まぁ脱線は置いておいて、ようは二つのテーマが同時に並立していると考えながら、このシナリオを眺めてほしいということです。さて、具体的にいますと、


1)衛宮士郎の子供時代のトラウマの克服


と、


2)セイバーという少女アルトリア(アーサー王)の死の直前の望み


という二つの願望が、並立しています。この二つは、まったく同型の望みで、どちらかが明確な答えを出すと、片方に強い影響を与えるという脚本の構造になっています。士郎の決断が、頑ななセイバーの考え方をひっくり返していることからも、またセイバーほどの強い意思の持ち主が意見をひっくりかえしたことに強い納得感を与えるのは、この問いの構造がとてもよくできたものだからだと思います。いいかえれば、読者にとっても、「なるほど!」と思わせる説得の構造になっているんですね。どちら側に感情移入しようとも。


基本は、士郎のセイバーへの恋心、愛情で眺めるのが感情移入としては大多数だと思います。それが、「最も常識的で平凡で当たり前の感覚」だからです。もちろん、上で書いたように、よい作品は常に「常識と思われる概念をぶち壊したりひっくり返すことにその作品の本義を置くことが多い」という読書におけるグランドルールを鑑みれば、エロゲーとして、恋愛ゲームとして、「人が人を好きになるという当たり前の気持ち」「可愛いと思うものを愛でる気持ち」の嘘くささや底の浅さを、これでもかとえぐるところに、作品としての秀逸さがあります。


ちなみに、セイバーへ最初に、「好きだ」という言葉を述べた士郎が、頑なまでに拒否されたシーンは、よく分かっているなぁ、と感心しました。彼女の誇り、彼女の人生の価値は、そういった個としての幸せを捨て去ることと引き換えに手に入れた誇りです。自分が不幸でも、まわりの人間を守りたくて彼女は、エクスカリバーを抜いたんです。だから、個としての自分を省みろ、という要求は、彼女に誇りを捨てろというのと同義なんですよね。だから、たとえ士郎を好きでも、彼女は、それを拒否するのが当然なんです。ここで、ただ単にセイバーかわいい、とか思っちゃっていた観客の心をぶち壊します。うんうん、えー作品やなー(笑)。


ちなみに、僕はここで拒否するセイバーに悶えましたよ。愛しくてねぇ。・・・・だって、間違いなく彼女は士郎が好きなんですよ。好きになる理由は、FateZeroのキリツグに扱われた対応の過去やキリツグが残しっていった問題提起と自分のテーマを考えれば、ひかれない筈がないんです。でも、誇りが、彼女の持つ本分が、それを明確に拒否するんです。なんと、なんと誇り高いって、、、そして、なんて孤独なんだって。公人は孤独です。人の上に立つということは、その過酷な孤独の全てを引き受けることこそ、なんです。こんな恋愛のやり取りの一描写で、この深さが描かれてしまう…うーん奈須きのこさすがです。

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■元に戻すこと〜世界の理(ことわり)を捻じ曲げること


さて、二人の持つ動機と考え方のベースは上記だとすると、二人の持つ動機は同形の構造をもっているということが敷衍できます。もう少し具体的に敷衍すると、二人の聖杯を得ようとする目的は、


個人にとってあまりに過酷で救いようのない結末があったとして、それを変えて元に戻そうとする意思


を持つということです。


けど、「元に戻すこと」とは、どういうことなのか?。これが士郎の正義の味方たろうとする動機の根源となっていますよね。この「元に戻すこと」ということの意味をよぉっく理解していないと、この脚本の意味や、セイバーやシロウが、決断した倫理の意味がぼやけてしまいます。僕には、閉じていくナルシシズムへ拒否という意味で、とても清々しい決断であったと思います。構造的には、

1)自分ではどうにもならない巨大な悲劇


2)それによって大切なものがすべて皆殺し、ぶち壊される


3)その悲劇に対する無力感

4)その全てに対して、贖罪意識を持つ

という構造になる。これって、スタート地点が、1)〜3)であって、これって個人にとってはどうしようもないことであって、ここを変えろとか間違っているといっても、仕方がないことです。だって、自分で変えることのできない大きなマクロの出来事を、個人が責任を負えというのはおかしな話じゃないですか。大きなは悲劇が欠落した人間を作り出すように、この二人は、個人よりも周りの人間の幸せを優先するという非常に特異なキャラクターを持っています。これは、マザーテレサのような、利己心が強烈に他者愛へ転化した、個人としては壊れたキャラクターだと思うのです。これは、イエスキリストの十字架のようなもの。なぜ、全体の罪を個人が背負わなければならないのか?って話。そのどちらも、彼らが自ら望んだことではなく、世界から背負わされた重荷であるというのがポイントです。


そう、だから、本来は「背負う必要のないもの」を背負わされているのです。


が、、、、このストーリーの難しいところは、シロウもセイバーも、ナルシシズムの世界に逃避しようとしたきっかけは、個人の欲望ではない、というところに難しさがある。個人の欲望ならば、なるほど、ナルシシズム的自己完結を抜け出すことは、倫理的にただ「正しい」で斬って捨てることが可能だ。


が、シロウは、子供時代に家族を皆殺しにされ、燃えさかる大火災の中で瀕死の重症をおい、自分以外の全ての人間が苦しみながら死んでいったことに対して強い贖罪意識を持ちながら生き続けている。セイバー(アーサー王)は、女の子でもあるにもかかわらずエクスカリバーを手に取ったため、王という非人間的な役割を全うし、自らの愛した国土と民衆のために全人生の全てを捧げ、個人としての幸せを統べてて捨てたにもかかわらず身内に背かれ、国が崩壊した。そして、それほどの自己献身にもかかわらず、彼女は自らのせいで滅びた国への強い贖罪意識を持っている。二人とも、なんら自分に責任はないことで、大きな十字架を負わされてしまっている。そういった悲劇にもかかわらず、彼らは「自分を捨てて、周りの人を優先させる」という自己否定をマインドセットしてしまっています。これって、ようは究極の「正義に味方」を志向しているんです。マザーテレサも真っ青な、純粋な正義です。自分を捨てて、世界のために生きようというのですから。


美しく見えるでしょう?


・・・・これ自体は、非常に美しい行為のようですが、これって、実はよく考えて裏返すと、とても醜い行為なんです。わかりますでしょうか?。それはね、目に見える形では美しい行為ですが、このロジックの次元で考えると、人間の「個」が「個」として存在するということが、否定されているんです。そもそも「自分が一番大事」という大前提があって、「にもかかわらず他者を、自分より優先させる」ということがあると、それは確かに美しい行為です。けど、もし「自分が一番大事」という前提がないとどうなるか?。それはね、優先順位が存在しない世界ということなんです。自分が大事、その自分を基点とした愛する人が大事という世界の混沌に対する優先順位による秩序付けがなければ、そもそも人間の個の重さや価値というものの優先順位が、失われてしまうんです。




それは、何もない世界。




究極の善意から出発した正義の味方という意識が、往々にして大量殺戮や世界の否定にたどり着くのは、このためです。マルクス主義などの、人間の醜さ(=個の価値)を否定した考え方が、収容所や大量殺戮に結びつくゆえんです。




価値の優先順位が、まっさらな世界。



それが仮にあるとすれば、人間を人間たらしめている欲望だけが、価値の順序なく混沌としている状態なんです。意味分かりますでしょうか?。つまりね、すべての人を平等に感じるということは、裏を返せば、価値の重み付けがない、すべての人がどうでもいい!ということになります。だから、それならば全員を皆殺しや消去してしまえ、という考えとは裏表なんですよ。とんでもない聖人が、とんでもない悪人に逆転してしまったり、また逆もしかりなのは、これらの聖人が、「個」というものを重視していない全体のマクロの次元の話しかしていないからなんです。ちなみに、大きな声では言えませんが、宗教の創始者、近くで見れば新興宗教の創始者の履歴を追うと、とんでもない犯罪人が多いのは、このためです。行き着くところまでいかないと、聖なるものに転化しないんでしょうね。・・・・その人間が「個」としての欲望を持たなければ、世界に対する優先順位付けが消えてしまい、そもそも「個」の優先順位の闘争の場として編みあがっている人間の世界が、意味をなくしてしまうんです。これは、人間存在を固定する真理の一つだと思います。


話を戻して、シンプルに問い直すと、世界すべての不条理をその背に背負うという行為は、一見美しいように見えて、実は非常に世界のあり方に危ない形での挑戦を叩きつける。それは一歩間違うと、全能感溢れる神の志向・・・・・自分が気に食わない存在を、皆殺しにし続ける旧約聖書的なユダヤの神と同じ視点になってしまうんです。その危さを常に持ち続ける問いなんですね、これは。つまり「元に戻すこと」というのは、たとえば、大災害で死んでしまった人々を生き返らせれば、その死に涙した人や、苦しんで抜け出して新しい人生を生きている人やなどの、その後、積み重ねられた時間というものを否定してしまうんですよ。だれかの望みを、何の根拠も無くかなえるということもまた、そうです。


正義の味方は、自分が救うと決めた人しか救えない


というキリツグのセリフは、このことを深く理解した上で語られています。正義というのは、実は、ある価値観でまっ白な世界に区切りを入れることで、区切りを入れるということは、「全てを救う」という命題と両立しなくなるんです。その矛盾が、人間を苦悩に叩き落す。こう考えると、正義も悪も、そんなもの価値観という大きな概念のバリエーションに過ぎなくなります。どっちも、似たようなものなんですね。どの角度から、どの立場から見ることによって、どっちともいえていまう。これはとりわいけ仏教の説話に多い感覚ですが、人間が日常に生きるということは、それこそがすなわち悪を為していることなのだ、という理解なしに生きることは許されない、という考え方です。


この「元に戻すこと」というのは、この世界の理を、捻じ曲げることなんです。つまり、世界のあり方自体に、強制的に干渉するとことであって、ソドムとゴムラの気に食わない人々を皆殺しにする神の視点と同じ事なんですよ。そんなことは、人間がするべきことではないし、それを本気でしようとしたら、善意を出発点とした人類の壮大な実験であるマルクス・共産主義が、スターリンの虐殺や収容所を、クメールルージュによる虐殺を生んだようなことにしかならないのです。アーチャーの過去を振り返れば、彼がいかに危く暗い人生を歩んできたかが良くわかります。たぶん、この志向を持った個人は、いまの時代ならば暗殺者かテロリストとして使われるしかなくなるでしょう。究極の善意が出発点であるだけに、なんと悲しいことでしょうか。ただ大きな悲劇や巨大な苦しみがその個人に、大きな十字架を負わせただけだというのに。



■究極の善意は、世界を滅ぼす悪意との裏表〜マクロの思考を抱く選ばれた者(=指導者)は、悪と善のはざまで孤独に苦しみ続ける


セイバーもシロウも、マクロ的な志向を抱いて生きています。それは、その発想の原点の善意と強い使命感は、とてもではないが否定できないくらい素晴らしいものです。


自分を犠牲にして、混乱し殺し合う国を守ろうとした少女


助けてもらった御礼に、全てに恩返ししようとあがく士郎

そのどちらも素晴らしい。・・・・けれども、それを現実の世界で貫くのは、無理がありすぎる。蛮族にさらされる国を防衛しようとしたセイバーは、軍隊を整えるために、勝つために、毎回、小さな村を枯渇させ皆殺しにするほど税を巻き上げ準備をして、敵に当たった。そのかいあって、全ての戦に連戦連勝。が、、、、そのあまりに人情の無い無慈悲な戦略に、周りの部下達は戦慄していく。それは、個を大事にしないマクロの次元の意志の下では、いつ「従っている自分自身」も切り捨てられるかわからないからなんだろうね。この部下の気持ちはわかるよ。でも、それ以外のどんな方法があったのだろう?。指導者として、未熟な国家を守るために、どんな選択肢が残されていたというのだろう。・・・・実際に彼女が身内に背かれて死んだ後、一瞬で、国は四散している。これは、指導者の孤独だ。この孤独に耐えることこそ、指導者・・・エリート(選ばれたもの)なんだと思う。が、あまりに救われないよね。


■不死性をめぐるナルシシズムとの戦い〜衛宮士郎の決断と倫理


ちなみに、二人には、実は大きな違いがあって、

1)セイバーは既に王として、その責任をほぼ全うして貫いた後


2)シロウはこれから

という違いがあります。この極端な望みが、聖杯という人間存在のありうべき姿を、飛び越えて、捻じ曲げて達成させてしまうチャンスが与えられた時に、どう振舞うかは、この二人では立場が違うのです。繰り返すと、この作品の全てのドラマツゥルギーの目的は、救済(サルベーション)、に視点が置かれています。そして、このセイバールートは、


すべてを救おうとしていたシロウが、セイバーを救いたいと思った、という物語です。


ところが、セイバーは、自分が国を守りきれなかったことに対する贖罪意識から、それまでの自分の過去をすべて消去してでも、もう一度、国を守りぬける指導者を探し出し、歴史を変えようとしています。自分が無能だったから、国を守れなかったんだ、と。この不可能な望みを聖杯の力で成し遂げてしまおうと彼女は戦います。自分の生き様を否定しているんですね。




その彼女を、救うとはどういうことか?。




たとえば、「僕が愛するから女性として生きてこの世界に残ってくれ」なんていう選択肢は無意味です。だって、女性であることや人間であることすべて捨て去って彼女は、王座につきました。いまさらその選択肢を持ち出すのは、いかにそこに愛があってもありえません。いや、そんな選択肢を出すこと自体が、真に愛していない証拠です。


だから、この提示に、セイバーは、断固拒否しています。バカを言うな、と。そう、だからシロウという人間が、セイバーという個人を救うためには何ができるか?と考えた時に、彼女と同じ選択の前に立ち、彼女と同じ苦しみの中で、彼女の願いを否定しなければならないんです。そうでなければ、セイバーほどの英雄が、自分の意思決定を翻すことはありえません。あったら、物語世界として、陳腐ですよ。そんなの。人一人の意思決定や思い込みを、翻意させるのは、本当に難しい。ましてや、指導的立場になってマクロを動かした人の持つ確信を翻すのは、物凄く困難なはずです。恐ろしいまでの思い込みが無ければ、人の上には立てないものなんです。


ちなみに衛宮士郎という個人の持つ経験は、1)〜3)すべてのルートで同じです。「世界を救済したいという願い」が、あらゆる局面から試され続けるという物語になっています。ようは、その目的が持つ厳しさに、何度も何度も試され続け、心を削り取られていくという構造です。厳しいですねー(笑)。そこで、セイバーが、もう一度全てを「元に戻したい」と願うことに対して、過ぎ去ったことは戻すべきではなく、セイバーが考えるべきことは、「元に戻すこと」ではなく、自分が自分の信念を貫いて、その信念に背かないで生きた生き様に対して納得することであって、結果をどうこう考えることではない、と考えることなんです。これを、納得させることが、彼女の個人としての幸せ・・・・彼女の救済につながるんです。


そして、そのためには、彼女に言葉でいうことは無意味で、同じ選択肢の構造の前に立つ自分自身の「全てを助けたい」と「元に戻したい」という誘惑を、捨て去ることが必要となります。・・・・・過去の大災害の時、自分の周りで死んでいった人々を生き返らすという選択肢を与えられたシロウは、その全てを極限の痛みの中で、拒否します。それは、不死性のアナロジーである、「全てを元に戻す」という世界の断りを捻じ曲げることを拒否したということです。どんなに自分にとって心地よく、正義の味方を貫けるとしても、悲劇をなかったことにできるとしても、その「世界のあり方」を曲げてしまうのは、自らの甘えであり逃げ・・・ナルシシズムの逃げなんです。自身の究極の夢を、自らの意思によって拒否したこと、そのことを身をもって示したが故に、セイバーは翻意します。この契機によるセイバーの翻意が存在しなければ、彼女は、個人として救われることなく、いつまでも国を救えなかったこと、救えなかった自分を責め続けるだけでしょう。


だから、最後の最後のシーンで、

「最後に、一つだけ伝えないと」




「……ああ、どんな?」




「シロウ――――貴方を、愛している」




セイバールート/15日目/黄金の別離

となるんです。彼女が、マクロの問に閉じ込められていたものをすべて解放したからこそ、彼女は救われ、個人としての自分を生きることが許されるようになったんです。だから、他人を愛することを自分に認めてあげることができるようになったんですよ。彼女が解放、救済されなければ、個人として、女の子として他者を愛することは認めることができないんです。




・・・・そして、そう思えた瞬間が、永遠の別れの瞬間なんですね。



それは、このセイバーの納得の構造が「彼女のいままで生きた生き様に対する肯定」なわけだから、「それ以外の人生をやり直す」というのは、彼女の生き様に対する否定になってしまうからなんです。彼女は、「自分の生きた生き様」を肯定することによってしか、自分自身の個を取り戻すことができず、個を取り戻した刹那、彼女にとっては、士郎の元にとどまることはできないんですね。自らの人生を誇るならば。




泣けるじゃないですか。




見事な愛ですよ。悲劇ではあるが、真実の愛。ほんと陳腐なセリフですが、このゲームを延々やって、最後の消える直前のこのセリフには、心を打ち抜かれましたよ。なぜって???。士郎は、「このこと」をすべて分かっているんですよ。彼女の自分自身を全うさせて誇りを取り戻させることは、彼女の「過去の生き様の肯定」です。つまり聖杯の力によって士郎の元へ来たことは「彼女が自分の生き様を否定した」から、肯定した瞬間、セイバーは士郎の元に入ることができません。・・・・彼女を現世に引き止めるのではなく、彼女の本分全てを達成させ、そして彼女の生き様を肯定させてあげる、、、、いや、お見事だよ衛宮士郎くん。そして著者の奈須きのこさん!。




これが、真の形の救済でしょう。



そして、こういうのって、真実の愛だと僕は思います。セイバーシナリ「それ」以外のエンドで終わらせることは、ありえない、からです。その他のルートでは、そうでもないのですが、セイバーの素晴らしい生き様には、その他の選択肢はないと思うんです。そういう意味では、奈須きのこさん、非常によく分かっているなぁ、と感涙です。


ああ・・・・すげー長かった(笑)。くどい文章を、もし読んでくださった方がいたら、感謝感激です(笑)。


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以上


2006年10月13日掲載分の加筆版

『アメリ』 ジャン=ピエール・ジュネ監督 オドレイ・トトゥ(Audrey Tautou)がかわいいっ!

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評価:★★★★☆星4つ半

(僕的主観:★★★★☆星4つ半)

■オドレイ・トトゥ(Audrey Tautou)がかわいいっ!


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↑上記のラストで書いたのだが、主演のソフィー役オドレイ・トトゥが、あまりにいい女だったので、びっくりして過去の作品を思わず見直してしまった(笑)。なぜ、びっくりしたかというと、『アメリ』に代表されるように、どちらかというと不毛な日常を描くヨーロッパ作品の代表であるフランス映画のテイストが強い作品に出ていたので、不思議子ちゃんのイメージが強くて、ソフィ役の知的でスマートな現代的な役というのを見ていなかったせいで、そのギャップにノックダウンだったよう。やっぱ、知的な女って、最高だよなー。


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Wikiより

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%88%E3%82%A5

・主な主演作

エステサロン/ヴィーナス・ビューティ Vénus beauté (1999)

アメリ Le Fabuleux destin d'Amélie Poulain (2001)

愛してる、愛してない... À la folie... pas du tout (2002)

スパニッシュ・アパートメント L'Auberge espagnole (2002)

堕天使のパスポート Dirty Pretty Things (2002)

巴里の恋愛協奏曲(コンチェルト)Pas sur la bouche (2003)

ロング・エンゲージメント Un long dimanche de fiançailles (2004)

ダ・ヴィンチ・コード The Da Vinci Code (2006)



■ナルシシズムから脱出するお話〜他人との関係を切り結べない地獄

アメリを見直して強烈に思い出したのは、村上春樹の小説『国境の南、太陽の西』という小説だ。この作品は、何がテーマかというと、一人っ子として育つこと・・・・・そして、それに代表される他人との関係を切り結べないナルシシズムから脱出することだ。村上春樹自身も、一人っ子らしく兄弟がいない環境で育って、他者がいない全能感が持続し続けた子供時代を持った人間の内のこもりがちな精神状態を、大きなテーマの一つとして持っている。実は自分が、結婚もして、子供もいても、深い孤独の世界にいることを、あきらめとともに受け入れている主人公の前に、、、、、、その孤独を共有できる女性に出会ってしまう、というお話。別に、一人っ子に限らず、非常に物質的に豊かで、親に甘やかされて育った団塊のJr以降の世代(もちろん僕も入る)は、内面の自分が孤独のままで、閉じた世界に生きてしまう傾向が強い。閉じた世界とは、世界に「自分」しか存在しないにもかかわらず、「自分」が信じられないという脆弱な自我を持ってしまったという悲惨な状況。ナルシシズム・・・・・ナルシーというのは地獄なんですよ、出口がない世界だから、、で苦しみ続けます。このナルシシズムからの脱出が、村上春樹の最大のテーマです。『海辺のカフカ』になんか、そのあたりがあまりにストレートに出ていますよね。

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そして、この『アメリ』も映画のテーマは、まさに、ナルシシズムからの脱出です。学校にも行かず、神経質な両親のもとで育ったアメリは、幻想の中に逃げ込む癖を持ってしまい、現実と関係を結ぶことにひどく恐怖を覚えています。この他者との関係を切り結べない孤独な世界を、ある意味、不思議子ちゃんとして妙におかしみのある感覚で描くのは、ヨーロッパ的・・・とりわけフランス的だなぁ、と思います。日常の不毛感覚を、アメリカや日本ではまだ絶望として描くのですが、ヨーロッパ映画だともう当たり前として描いてしまうからなんですよね。意味伝わるでしょうか?。たとえば、アメリの恋人となる青年は、パスポート用の証明写真の失敗したものをゴミ箱からあさって収集したり、工事現場のバイトで生コンクリートについた足跡を収拾したりしています。これって何か分かりますか?(笑)



これは、他人の人生の断片を収集をしているのです。



他者に出会いたいと思っているのですが、直接ぶつかる勇気はないので外側からのぞき見るという臆病な行為になるのです。アメリの隣人もそうですが、ほぼ全ての登場人物が、のぞき見の癖を持っていますが、これには、他人と直接ぶつかるのが怖いという現代社会特有の臆病さを戯画化しているのです。


またアメリのお父さんが・・・・あのドワーフのシーンは、最高に笑えるのですが・・・・彼は、妻が死んで以来の引きこもりですが、ある時、アメリのある働きかけによって、世界中に旅する気概が生まれ、旅行に出かけます(笑)。彼も、自分の世界逃げていたところからの脱出ですね。全編、そういった他人と直接の関係を切り結べないナルシシズムの行き止まりの世界から現実へジャンプすることを描いています。フランス映画にしては、異様に前向きで健全な作品です(笑)。アメリも、行動力がありそうに見えて、実は世界をすべて空想と妄想でとらえています。わかりますか?、彼女は、行動が全部現実そのものとリンクしていないんですよ。すべてが妄想とのフィードバックで、行動の動機がなされている。だから不思議子ちゃんです(笑)。生の現実を直接にとらえて行動するのではなく、自分の妄想・・・コントロールできる範囲でしか、他者と現実にアクセスしない微妙な距離で世界と対峙しているのです。


けれど、それではだめだ。


それではだめなんだ、とアメリは、思い、自分を変えようとします。しかし、その変えるためのきっかけが、40年前の少年が隠した宝物箱で、その宝物箱を40年後の男性へ返すことができたら自分を変えようと決めます。この辺の、わけのわからない偶発性に人生をかけようとするところは、いかにもフランス的。僕は、エリック・ゾンカ監督の『天使が見た夢』を思い出した。ここで書いた内容ですね。

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これも、主人公の女の子が、植物人間になった子供に、病院に忍び込んで、ずっと意味もなくしゃべりつづけることが、主人公を救うことになります。このへんの、自分がナルシシズムの閉塞感から逃れるための決定的な何か!が訪れるのを待つ時に、ロシアや東欧では、すぐに虫になってみたり(カフカ!(笑))、老女を殺害してみたり(ドストエフスキー!(笑))するのに比べ、ずっと洗練されていて、そして、ずっと気が弱いと思うのが、とてもフランス的ですね。こうしてみると、このアメリという作品は、典型的なナルシシズムの地獄からの脱出物語となっているんですね。いやー見事な脚本です。

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ちなみに、現代社会の閉塞感の中で、ナルシシズムを破るのは、構造的に凄く難しい。このナルシシズム世界にいて、脱出の手掛かりがない人間は、ある「澱」のようなものを、心にためはじめます。ルサンチマンの一種ともいえるのですが、成長を称揚するビルドゥングスロマンの物語や一般的な意味での少年漫画や伝記や常識などは、この世界から抜け出して成長することを、さも当然で簡単なことのように描きますが、「ここ」から現実世界への体感感覚をリアルに戻すことは、物凄く難しい。めちゃくちゃに壊れたラジオ(=人間の体感感覚)を修理して、電波が届くようにするには、物凄い専門技術が入ります。・・・・いや、ほとんど不可能に近いといっても過言ではない難しさだ。だって、「自分」を変えろ、「自分」をリニューアルしろとってことですから、それをしなければならないのは「自分がない状態」でです。それはほとんど無理です。一部の底から這い上がった勇者を除けば、ほぼ過般・・・いや95%以上の人間は、そこから出ることなく一生を終えます。出れる人間は、ある種の選ばれたものなのだもの。何に選ばれたかというと、、、、神様とか運に、としか言いようがない。もちろん才能や努力も後付けで説明できるが、やはり世界にアクセスするきっかけを垣間見て信じて時間をかけて努力することは、本当に偶然としか思えない。努力でどうにもならないもの。・・・・だから、そういう(無駄に近い不可能へ挑戦する)努力は、基本的に全体主義や新興宗教などの、マクロ・権力を自覚的にコントロールしようとする人、組織に簡単に利用されて、駒にされてん食い物にされてしまいます。ドイツ・ファシズムを研究した、フランクフルト学派の結論ですよね。現代大衆社会分析常識的基礎分析です。

・・・・かといって、たまった澱を向ける先として、「決定的な何か」が、小学校襲撃や無差別殺人や集団自殺であったとしたら、これほど悲惨で迷惑この上ないことはない。が、向ける先がなければ、『罪と罰』のラスコーリニコフのような、「決定的な何か」に向かうものなんだ。この精神状態は、それしかブレイクスルーを見いだせなくしてしまうから。人間の闇は深い。

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2008-08-01

『流血女神伝 砂の覇王』 7巻 須賀しのぶ著 船乗りの共同体から共和政治へ

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評価:★★★★★5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)



切り抜けた。あれだけの嵐に、負けなかった。そう思うと我が身が誇らしく、またへなへなと尻餅をつくほどほっとした。荒天に慣れているはずの船員たちの顔にも、安堵と喜びの色がある。働きづめで疲れたのだろう、看板は嘘のように静かだったが、そこには皆で切り抜けたという空気があった。

こういうのはいいなと、カリエは素直に思った。思えば、今まで、誰かと力を合せて困難を切り抜けるということがなかったような気がする。こうした死地を何度も乗り越えているからこそ、船員たちの間には家族にも勝るような、強固な絆が出来るんだろう。

 家族を失ったカリエには、どこかで懐かしく切ない空気だった。しみじみ甲板を見渡すと、操作綱を握ったまま座り込んでいるバルアンの姿が目に入った。彼は、子供のころは、海賊になりたかったといっていた。バルアンは、ごく幼いころに母を亡くしたという。立場上、父親とも距離を置いていただろうし、兄はあの状態だ。家族という言葉は、バルアンには関係のないものだったのだろう。だからこそ彼は、海に憧れたのかもしれない。赤の他人が否応なく家族になるような、この世界に。



p143


この作品の、凄いなぁと思うのはこういう文章に出会った時だ。これ、何を意味するか?って言うと、民主合議で決める共和制度の発祥というのが、船の船員たちで構成されるルールや共同体意識からの大きくヒントを得ている、ということ作者が、よくわかった上で書いていることです。


この上記の文章だけならば、家族がほしかった孤独な王子であるバルアンに対して初めて情を感じて、家族を殺されたカリエの自分の心情を重ね合わせて、バルアンへの愛情に気づく、という描写に過ぎないでしょう。


けど、この後、ルトヴィア帝国の最後の宰相となるロイは、帝国を共和制に作り替えようと暗躍しているのですが、その彼が、家族のような合議を行う船の共同体の話にいたく感心をもってカリエに質問を繰り返すシーンなどを見ると、作者がこのことをよおく理解して描いているのがわかるんですよね。


マクロだと思わせないような描写の中に、ミクロの心情を表す演出の中に、こういうものをまぎれこませる力量に、感心します。


■参考記事

『暗き神の鎖』 須賀しのぶ著 大いなるものに翻弄される人間存在にとっての自由

http://ameblo.jp/petronius/entry-10068430711.html

『女神の花嫁』『暗き神の鎖』 神の観念を描くこと〜君のそばに宗教は真摯にありますか?

http://ameblo.jp/petronius/entry-10066704797.html

『流血女神伝 喪の女王』 須賀しのぶ著 この物語に出会えて本当によかった!

http://ameblo.jp/petronius/entry-10062996940.html

『流血女神伝 砂の覇王』 須賀しのぶ著 神と神話の描きかたが秀逸

http://ameblo.jp/petronius/entry-10059887838.html

誘拐・監禁・調教です(笑)…その上、奴隷になってハレムに行きます(苦笑)

http://ameblo.jp/petronius/entry-10059683245.html

カリエかわいいぞっ!。器量が十人並み(笑)というのがまたさらにいい(笑)

http://ameblo.jp/petronius/entry-10059589889.html

『流血女神伝 帝国の娘』 須賀しのぶ著 おおーこれは、物語だ!好きです!!

http://ameblo.jp/petronius/entry-10059567235.html

白熱した議論の中で、チェンジオブペースを

今日は、尊敬する先輩が海外の会社の取締役で赴任することになったので、その最後の日に飲みに行った。常々聞いたみたいことがあったので、質問。彼はもう、とびっきり優秀で物凄い人なんだが、とりわけ仕事をしていて、感心したのが、会議、ちいさな打ち合わせ、そしてハードな交渉の現場、あらゆる場面で、


えっ、うそ!


と思うような、劇的なロジックや交渉の流れを変換する力だ。僕が抽象的には、チェンジオブペースをと呼んでいるものなのだが、これが見事なレベルで、、、、何が見事かというと、打率が高いのだ。僕も、この手のことは意識しているので、じっくり考えたり、後から分析するとできないわけではない。が、彼の凄いところは、何の準備もしていない中で、ほとんど9割近い確率で、この現象が起きることだ。なによりも、ハードで、もう追い詰められてどうしようもない、打開策がない、これ以上デッドロックだ、と思う交渉時にこそ、あざやかな切り返しで、議論の流れを劇的に変えてしまう。


ずっと、ずーっと尊敬していたのだが、今回は機会があったので、出会って8年目にして初めて質問させていただいた。ずっと考えていた疑問の一つだった。・・・・質問するのに8年かかった(笑)。何度も飲みに行っているのに、いえなかった。どうすれば、そのようなことができるようになるのか?、と。マインドや精神的なものが、、、つまり心のアティチュードが重要なのはわかるので、それは意味がないので聞きたくありません、そこではなくテクニカルな方法論で教えてください、と聞いた。

彼曰く、


「すまん、ロジカルにまとめていないので伝達できない」


「が、、、答えになっているかどうかわからないのだが、あえて言葉に直してみると、たとえば、ある交渉をしたとする、その後、そのことを、謙虚に、全力で反芻し返して、これだったら、どうだろう?あれだったらどうだろう?と可能性を、限りなく追及することを、自分に課すことだ。小さな会議でも、大きな交渉でも、その後、議事録を書くときなどに、ここでこういう可能性がなかったか?、こういう表現で雰囲気を変えられなかったか、交渉のロジスティクス的に、誰を、どのような配置で、どんな順番で言葉を重ねるべきだったか?と、自問自答を、限界の限りまで繰り返す。日常的に徹底的に、すべて自分が間違っている前提で、より正しい方法があったはずだ、と思いこんで、追求し続ける。おれは、それを自分課している。」


「それと、とりわけ交渉時に熱くのめり込んでいる時に、相手に脅されて恐怖している時に、有利で優越感を感じている時に、、、、感情に自分が支配されているとこそ、第三者的に、頭の中から幽体離脱するように、上にのぼり、そこから俯瞰して、より高みから見たら、今の状況って、どんなふうにみえるだろう?というふうに、熱くなる中にも、常に俯瞰した視点を同時並行で持ているように訓練する。」



「まだ言葉によくなっていないので、この程度しか言えない。すまない、答えになっているかはわからないが、俺は、こう意識している・・・」



というのが、その先輩の答えだった、


一つ、とても大きな勉強になった。


そして最後に、

「ビジネスはすべて結果だ。相手が行動を変えて、相手動いて、動かすことができたことが、すなわち正しいことだ。それをわすれるな。」


といわれた。頑張ろう、と思った。







追記


なぜ、この質問したかったか?といえば、シゴト、交渉、あらゆる場で、僕は「水が低きに流れるような二元論に落ち込む」と表現していることなのだが、てんぱっていて、準備がない中で、もしくは相手が激しく怒り狂ってしゃべる時に、


「この製品を値下げをしてくれ!」


という要求が来たとする。


すると、まず120%間違いなく普通の人、、、いや、相当優秀な人でも、必ず



「下げるか、下げないか?」



と考える。



実はもうこれは負けなのだ。だって、相手の議論の文脈にに乗ってしまっているから。そもそも、いや今日は価格の話ではありません、と切り返すような第三の選択肢を提示する力量が必要なのだ。


ここで、文章で書くと、わかりやすい、簡単に聞こえる。


が、物凄い優秀だと思われている人でも、そもそも選択肢の二元論から逸脱したことを、「相手に納得させて、動かしてしまう」レベルでコミュニケーションできる力は、100人いたら99人は持っていないものだ。これは、激しい交渉をしたことがある人ならば、絶対にわかるはずだ。そもそも相手の話をひっくり返すことは、強い嫌悪を不愉快さを相手にひきおこすのが常で、技術や戦略、、、、何よりも相手の深い納得なしにこんなことを何回か続けたら、裏から刺されて、業界や社内でいられなくなるように消されるのがオチだ。交渉は正攻法だけではない。僕らは、全権担当者やオーナーではないのだ。僕らはサラリーマンだから。この微妙な深奥がわからない奴は、たぶん生涯、交渉における第三のポイントを一瞬にして見つけ出す、表へ掬い出すということの深さを知らないままだろう。正しければいいという話では全然ないからだ。


本当に世界を変える、戦略を語れる、偉くなれる人は、そもそもそういった「水が低きに流れるような二元論に落ち込む」というナチュラルなものを超えて、全く違う選択肢を提示して、しかも相手に納得させて巻き込んでしまうような、コミュニケーションを、できてしまうものなのだ。

オレも、そんなふうになりたい、そう思った。

『ジブリ実験劇場 ON YOUR MARK』 宮崎駿監督 SFのエンタメの脚本としては、実は最高度の完成度を誇ると思っている大傑作

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評価:★★★★★星5つ マスターピース!

(僕的主観:★★★★★星5つ)


忘れもしない、10年以上前、立川の映画館で「耳をすませば」を見に行ったとき、そんなものがあるなんて予想だにしていなかった映像がはじまった。ジブリ実験劇場って、いったいなんだ?って(笑)。チャゲ&飛鳥の音楽に乗って、見事なSF作品が流れた。


一言で言うと、なんでこれを実験に終わらせて数分の作品にまとめてしまったんだ〜と、叫びたい。


たしか宮崎監督は、これからの近未来はプロスポーツと新興宗教に覆われる、そんな世界で希望を描いたらどうなるか、を考えたとか。なんのセリフも無いけど、きっと新興宗教団体で遺伝子操作を受けたか、もしくは核廃棄物で汚染された地上世界で捕獲された翼を持つ少女を、国家が強奪する。そして、その実行部隊だった二人の警官(チャゲと飛鳥ね)が、そんな地下世界絶望して彼女を連れて地上に逃げる。たぶん、放射能で二人のもの翼を持つ少女も、すぐ死んでしまうのだろうけど。ただ、その翼で彼女をさらに飛ばせてあげたいただそれだけのために・・・・と、ちょっと設定を言っただけでも、SFとしてのアイテムが揃ってる。あーこれを、長編で見たかった。 これを詳細に分析すると、たぶんエンターテイメントで秀逸なSFを描くのならば、たぶんこの脚本の構造が、最高度の完成度だと思うのだ。


それと、学生の頃ソビエト連邦の首都モスクワにトラジットで宿泊したことがある。。・・・ソビエトなんて、今の若者(笑)はしらねーだろうなー。もう。・・・郊外のコンクリート団地の中のホテルに泊まったのだが、それがこの作品の滅びた後の地上世界に物凄く似ていた。旧ソビエトの都市計画とか発電所とかのフォルムって、すごくSF的な近未来を連想させるとおもうんだけど。 旧ソ連の建築は本当に独創的で素晴らしいものが多かった・・・・。



この作品は、ジブリ作品としてはそれほど、認知度が高くないかもしれないけれども、知る人ぞ知る名作です。ぜひ、!一度見ることをオススメします。


追記

権兵衛 2008/08/02 15:45

「ON YOUR MARK」はもともと見る人によって解釈の余地がいろいろある作品ですが、かつて奈須きのこが語ったことが印象に残っています。昔、WEB「竹箒日記」に載っていたのですが、今はもう消えてしまっているので、うろ憶えの記憶に頼って書いてみると、


「あの少女には未来予知を映像の形で他人に見せる能力があるんだ。そんで、助けに来ようとする二人に、『来てはいけない、来たらあんな未来(一回目の結末)になってしまう』と必死に訴えているんだけれども、けれどそれを知ってなお、二人は少女を助けに行くんだ。そして二回目の結末を実現させる。そういうのって燃えると思わないか」


確か、こんな感じでした。なるほど、この人の発想というのはこういうものなのか、と唸らされたことを未だに覚えています。

それから、漫画版ナウシカと同一の世界観で見る人も多いらしいですね。チャゲアスは汚れた空気の中でしか生きられない遺伝子操作された人間の成れの果て、翼を持った少女は、清浄な空気の中で生きられるよう進化した次世代の人類、という解釈。<<


権兵衛さんコメントありがとうございます。あんまりいいコメントなので、とりあえず追記で。まさに、まさに。ちなみに、僕の会解釈もまったく同じです。これは、間違いなくマンガ版のナウシカ(星10の戦後日本エンタメの最高傑作のひとつ!)の設定と同じだと思います。同じシーンが2度あるのは、未来を見せる超能力があるあの娘が、死ぬから来ないで、と訴えたもので、それをわかっていて、それでも行く二人に感動ですよねー。