素晴らしくて、、、、、、なんだ、この素晴らしいスピーチ。

http://www.ustream.tv/recorded/5828069


うう時間がない、、。これから会社なので、全て見れないけれども、、、。これは絶対全部見ないと、いけない。これが日本語で聞けるなんて、、、日本人は幸せだ。4/5までしか!見れないらしい・・・・素晴らしすぎる。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100403#seeall

『ゴーマニズム宣言SPECIAL昭和天皇論』 小林よしのり著 おもしろかったです。

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論

1928年から1989年まで在位した歴代最も在位の長かった天皇陛下。いや、おもしろかった。何が?って、、、、なんというか、あまり歴史に詳しくないので、個々のエピソードを走知っているんだが、とにかく終戦から今までの「昭和天皇から見た風景」を一貫してフルセットで見れるので、おお、あれってそういう文脈なのか?と、全体のまとまりとしてわかって、非常に分かりやすかった。歴史書って、とにもかくにも一人の手で、特定の視点から書かれないと、ほとんどあまたに残らないんだよねー。この本と、山本七平さんの本や宮台真司さんの本を読んでおくと、なんとなーく全体像で、何が問題で、どういう議論のポイントがあるのか、とかって大体分かると思うので、お薦めです。特に山本七平さんの本は、本当に今まで良くわからなかったことがすっきりして、素晴らしかったです。このへんのことがよくわかっていないと、そもそも日本近代史はまったくわからないんですよね。山崎豊子さんの『二つの祖国』の東京裁判のくだりも全く意味が分からなくなる。

それにしても、確かに、、、この人は君主としては、ある意味、日本史上はじまって以来の歴史的難局を、とにもかくにも乗りきったんですよね。だって、あれだけの大戦争をして国がボロボロになっても、、、、自分がまだ生きているうちに、全世界第二位の経済大国に上り詰めるまで経験しているわけじゃないですか。彼の手柄かどうかはともかくとして、君主としては素晴らしい実績だもの。そう考えると、なんとダイナミックかつドラマチックな、君主だったんだろう…と、なんというか、亡くなって20年近くたった今から、「歴史」としてみると、よくわかる。たぶんイデオロギーとかなしに冷静に見れるから、というのもあるんだよね。国が無条件降伏して、廃位されなかった、というのも考えてみると、非常におかしな話で、、、王朝としてはとても特殊なあり方ですよね。

ちなみに、この本で、戦後の御幸の意味がよくわかった。それが興味深かった。沖縄に行けなかったことをなぜあれだけ悔やんでいたかも良くわかった。こうやって、人生の軌跡を追うと、やっぱり君主としての責任感が強くあったんだなーと感心する。そして絶妙なバランスで、君臨している。いや難しいよ、国が滅びて占領されているわけだしさ、、、。

あと、いろいろ本を読んだ中で、どうも立憲君主として強いポリシーがあったことは間違いないことで、そのへんは、さまざまな意味で近代化とは程遠いこの日本という国で、ギリギリあそこを振る舞えたというのは、僕は、さすがだな、と思うんですよ。同時に、ある種、憲法の立憲意思や建国の父と同じ機能だと思うのですが、天皇という存在は、何に責任を負っているかというと、どうも皇室の先祖に責任を負っているようなんだよね(日本国民や臣民に対して直接ではないみたいなのだ)。これも何となくわかってきた。天皇陛下という日本における唯一無二の特殊なポジションの「動機」のメカニズムの中心は、なんといっても、皇祖に対する責任なんだよね。これ、倫理学でいうところの未来世代への責任を持つってことと同じなんだよね。えっと、憲法憲法として意味ある機能を発揮するには、立憲意思や建国の父たちの「本義」が何であったか?ということに常に立ち返ることにより、その時、その時代の特定の利権屋や集団の利益だけが反映されることがないように管理する必要がある、と憲法学では考えるみたいなんだよね。メカニズムとしては、皇祖への責任というのは、同じ機能を果たすんじゃね?って思うんです。つまりは、「今その時の利益や現状」だけに左右されないで、時系列的に長いレベルでのマクロの調整を果たさなければならない、ということ。このことと立憲君主制と日本の幕府・将軍との並列に二重権力の伝統など、なるほど、天皇陛下というポジションが、どういう動機で支配されるのかが、わかってきた気がする。いやーそれにしても、歴史というのはおもしろい。それにこの辺が分かってくると、いろいろなモノが、本当にクリアーになってくる。日本近代史のキーなんだよね、ここ。

裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)
裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)

天皇と日本のナショナリズム_神保・宮台マル激トーク・オン・デマンドIV

千雨のこと

魔法先生ネギま!(11) (講談社コミックス)

 問題はいったいいつ彼女がこんなに成長したのかわからないこと(笑)。ネギは膨大な試練を乗り越えながら少しずつ成長しているわけだし、明日菜とか夕映とかのどか亜子もさまざまな試練をかいくぐって成長している。でも、千雨にはこれといった成長エピソードがないと思うんですよね。

 それなのに、いつのまにか、こう、かっこよく仁王立ちして「一人じゃねぇから仲間ってんだ だよな? ネギ先生」とか、名台詞を吐けるキャラクターにまで成長している。こいつはいったいいつここまで成長したんだ?ということが非常に疑問なんですよね。もともとはただの口だけ達者なコスプレ少女だったはずなのに。

 で、昨日そこらへんのことについて話をしたんだけれど、ぼくの結論としては、やっぱりネギが彼女の力を引き出しているんじゃないかと。

 ひとには相性というものがありまして、たとえばナギのパーティに千雨がいたとしても彼女は力量を発揮できなかったと思うんですよ。どこまでも無邪気に千雨を信じて彼女をたよりにするネギがトップだからこそ、彼女は成長できた。

 というか、たぶんネギが「千雨さんはすごい」という目で見つづけているから本当にすごい人にならざるをえなかったのではないか。嘘も突き通せば本当になる」というやつで、彼女はネギの憧れの「千雨さん」を演じるうちにいつのまにか本当にそれだけの能力を手に入れていた、と。


Something Orange
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20100402/p1


ああ、この「相性」って、凄くいい言葉だな、と思います。人間関係には、たしかに相性がある気がします。そんでもって、千雨が成長した理由って、まさに海燕さんがいっている通りだと思う。

もともと頭は良くて、物事とも良く「見える」んだと思うんですよ、彼女は。こういう現実に踏み出すのは臆病でこわがりだけど、物凄く「物事を透徹して見れる」人ってのは、時々いるものです。自分でも思い出すけれども、中学から高校の頃の自分は、そんな感じだった。異様に本を読んで、いろいろ考えているんだけど、実体験が決定的に不足しているって感じ。ただ、なかなか難しいのは、決して世界は行動しなければくぁらないというわけではなくて、思考だけでも十分に世界の深さや複雑さはわかるものなのです。こういう人って、基本的に、基本のデフオルトととして、「行動する」よりも「考える人」なんですよね。それで、自己完結しちゃう。僕も自分のことは、行動よりも考える人という自己イメージがあります・・・・。こういう人間に不足しているのは、実は「実体験」ではなくて、「世界をちゃんと実感できる」「意味あるものとして感じることのできる」ことにすぎないんですよね。つまり自己完結しがちな思考に、他者を挿入できるかどうかってこと。それが彼女にとっては、ネギの「尊敬の視線」だったというわけだ。僕の中では、もう千雨は、完璧にきみまるさんの「ねぎまる」が背景になっているので(笑)、それを考えると、彼女がこうなっていくのはとてもわかるんだけれども、、、、でもたとえその過去がなくても、自己のナルシシズムが肥大化した彼女が、自分に向けられる「尊敬の視線」が、むしろよっぽど自分より苦しんで世界に立ち向かっている姿を見て、そのまなざしにフィードバックされているんですよね。過去のエピソードを読むと、世界を斜に構えてみている彼女が、ネギが「真剣に世界に対して戦っているいる」その真剣さに、衝撃を受けること、、、翻れば「真剣に生きていない自分を内省させる」というものばかりですよね。だから彼女が成長するのは、とてもよくわかる。これは相性なんですね。マッチポンプになっている。ネギは、逆にかなり行動や情動が支配している人なので、千雨ほど「数歩ひいて、物事を透徹して見れない」から彼女の意見を尊重しているんですよね。