『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンXII』 宇野朴人著 僕はこの宇野さんという作者がとても大好きです。彼は世界の美しさを知っていると思います。

ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンXII (電撃文庫)

客観評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

最新刊読んだ。・・・・まず断っておくことは、最近僕は忙しすぎて、まともに論考というか、ちゃんと分析はできない。とても悔しいが、さすがにその余裕はない感じなんですよー。2017年10月現在。こういう忙しい時ほど、オタク活動は活発になるわけで、様々な物語はやはりいっぱい摂取しているんですが、いやーーー書く時間はねえな、と思いつつも、、、、いやはや素晴らしかった。海外出張から帰ってきて時差ぼけでほとんど寝てない状態で、なんか逆に眼が冴えて苦しい時に、ちょっとだけと買ってあったとっておきのこの新刊を読んだら、、、止まらなくなった。素晴らしい物語だった。


最初に1巻を読んだ時に、凄く魅力的なんだけど、★3を超えるか?という感じの評価をしているんですが、これは明らかに僕が見る目がなかったですね!!(なんとうれしい誤算でしょう!!!)。あの時点で、アニメ化を決断している監督なのか、だれなのかは知りませんが、その人も慧眼ですね。この作品は、とても商業的で、ちゃんと終わりに向かう、構成が素晴らしく考え抜かれている作品で、あとになるほど世界の深まりを見せる素晴らしい作品です。いまなら文句なく★5と断言できます。というか、僕、大好きです。やっとタイトルの意味がはっきり分かったのも、胸が熱くなりました。立花博士、かわいすぎます!


うーん、まだ寝不足のままなので、なにが素晴らしかったのかって、自分でもよくわからない。けど、引き込まれ、その世界に没入し、主人公に、シャミーユに、立花博士やサプナにどっぷり感情移入して、彼らの一喜一憂に胸がときめき、深く苦しみ、、、といった物語の「本来あるべきもっとお大事なもの」を淡々と味あわせてくれて、本当にうれしかった。


この作品が、僕は凄い好きだ。物語はオーソドックスで、それほど奇をてらった感じがしない。なのでアニメ化になった時も、アニメの内容を見た時も、水準は平均値をはるかに超えているものの、なんだか???という感じがずってしていた。「にもかかわらず」自分が、この作品を、しかも読み進めて、謎がわかっていくにつれて(物語はクロージングになっていくと陳腐さを増していくものが普通)、さらに興奮してぐっとくるようになってきている。キャラクターが、萌え狂うように好きというのも違う。なんなんだろう、、、、なにが「違う」んだろう?と思っていたのですが、いくつか、この作品を、この作品たらしめていて、「僕がここが一味違う!」と感心する視点が、うっすらとわかってきた気がします。



ちなみに、読んでいる人でないと、わからんようにしか書けないんで、未読の人はネタバレです。



あのね、皇帝になってからのシャミーユって、めっちゃ、かわいいと思いません?。何がかわいいって、この子ほとんど年中イクタに欲情しているじゃないですか(笑)。倒れかける巨大帝国を、ほぼ個人の才覚と独裁で支え続ける皇帝の権力を完全に掌握している10代の女の子がですよ。だいぶ、なんというか背徳的というか、いけない雰囲気が、ずっとあって、Hっくて、僕は好きなんですが・・・・ああ、そうなんだよな、、、背徳的というのでもないんですよ、、、なんというか健全に欲情している。イクタが眠っている間は彼女の独白になるので、内面がさらけ出ているんですよね。まぁ、そりゃ、あの状況で、好きになった男性を「求める」気持ちが、情欲とぐっちゃぐちゃになって膨れ上がるのは、そりゃーそうだよなと思うんですよ。極端な話、思春期の女の子のオナニーに至る内面を見ているようなもの。けど、これがずっと寸止めになるんですが、、、、寸止めになる背景とが、凄いクリアーなんだよなー、、、というか仕掛けができていて感心するんです。普通こういうかわいい女の子がそういう状況になると、読者サービスというか、構造的に主人公の男の子からの性欲的な視点の対象で描かれると思うんですよね。でも、そういうのが全くないんですよ。これが感心する、、、、わかりやすく言えば、イクタ・ソロークって、もう明らかな「熟女好きで、セックスに慣れ過ぎてて」いちいち年下の妹みたいな娘みたいなシャミーユに、まったく欲情していないのが、やせ我慢じゃなくて、もう本当によくわかるの(笑)。感心する。イクタの性的対象じゃあ、全然ないんだよね。いやーぁーーこれ、凄いなぁって感じるんですよね。だから恋愛が全く始まらない。けど、シャミーユに対する愛情は、とんでもなく深く広いのも分かるし、、、、何よりも行動で、目いっぱい示している。凄いと思いません?。自分とHがしたくて仕方なくて情欲に盛っている10代のとんでもなくかわいい美少女皇帝が、つらそうにしているので、いっしょのベットの中でぎゅっと抱きしめてあげながら寝てて。襲わないんですよ、イクタ。お前は神か!(笑)って思いますよ。イクタが、もうめちゃくちゃマザコンこじらせて、熟女にしか反応しないのが、まざまざにわかるんですよねー(笑)。これ、マジで感心する。


この理由は、物凄くよくわかるところが、この作品の人間関係における、救済が何から来るかの射程距離が凄い長いことを感じさせるんです。それほど複雑な設定を感じないので、これは設計力というよりは、作者の宇野朴人さんの人間理解力、人柄ゆえでしょうなーたぶん。えっとね、ハローマ・ベッケル、エルルファイ・テネキシェラ、ジャン・アルキネクスのキオカ側の物語を見れば、トラウマによって、人の動機を支配する洗脳、、、洗脳よりももっとひどいかもしれない、けど、トラウマによって人生が追い詰められて、人生を使い潰してしまう系統の非常によくあるくらいエピソードを設定を背景に持つキャラクターばかりだ。こういう激しいトラウマによって人生を駆動している人々は、物語に登場させると、通常「死によって解放される」以外は、選択肢がないものです。それが生き残っていると、ああ、この作者は、優しい人で、キャラクターを殺さない、勧善懲悪の予定調和な物語の人なんだな、ってすぐわかってしまいます。・・・・・ハローマとか、死なないのがおかしいエピソードですよね。あれが救われるのは、主人公でなければ、通常無理なんです。だから、助かるなんてとても思えなかった。助かって、とても感動的だけど、そうすると物語の構造が、嗚呼、、、死なないんだな、、、皆殺しの田中芳樹とかそういうのとは違うんだな、、、という陳腐感が訪れるはずなんです。


・・・・・でもね、この作品凄いですよね。だって、最も死なない主人公で、かつヒロインで、最も鮮やかに生きて、もっともトラウマがなかったヤトリが、既にん死んでしまっているんですよね。


なので、陳腐に思えない。人ひとりのトラウマが、刻印されているような破滅への道が、すんでのところで救われていくシーンを見ると、胸が熱くなるんです。それは、この世界が、ヤトリという最も死んでほしくな人がすでに喪失している世界だから、だから、それが本当の奇跡なんだ!って感じてしまうんですよ。ヤトリ、、、死んで欲しくなかったし今でも作者恨むけど(笑)、でも、、、正しかったんだと思うんですよ、この世界は、ちゃんとした「世界」だから、そんなご都合主義には慣れないことを感じさせる。


とまぁ、「重要人物の死という一回性」が、物語に緊張感を与えるという構造は、まぁありえないものではありません。田中芳樹さんの銀河英雄伝説でもまさかキルヒアイスが死ぬとはって、、、ところから物語は強く躍動する。でもね、それだけじゃないんです。僕が、ああ、素晴らしいなと全編読んでいて感じる、作者の世界への信頼は。この世界、いってみれば、人類が失敗して世界が滅びちゃった後の黄昏の世界のはずなのに、世界が暗くないんです。世界が生きている人間が、愛おしく美しくキラキラしている。うーんとね、どういえばいいのかなぁ、、、、こういう終末の世界の話や、黄昏の時代の中世の話、滅びていく帝国を支えるという設定自体が、そしてキャラクター全員が、逃げられない「過去の十字架の刻印」を背負って、ほぼそれで死ぬしかないような過酷な道を生きていかざるを得ない、というもう「暗い…ドンびくするくらい」くらい、終末感漂う倦怠の設定なんですね。けど、世界がとても明るいんですよね。それは作者が、この世界の美しさ、こんな地獄のような斜陽の終末世界においても、世界は美しいと信じているからだろうと思います。


それがどういう風に表現されているかというと、ハローマは、救われるじゃないですか。あんな設定で救われるなんて、どう考えてもあり得ないですよ。シャミーユが、幸せになれる方法なんて、ありえないですよ。マクロのあれだけの流れにがんじがらめになった上に、そもそも彼女の内面・精神は、救済されるには、あまりのものが欠落している。特に、シャミーユを見ていて、ああ、、、、この子は、救われないなぁ、、、としみじみ思うんですよ。たくさんの物語を読んできた中で、マクロとミクロがこれほど、複雑に悪い方向の構造ができていると、もうどうにもならない。なんというか、物語(現実でも)でも、問題点が2つ以上重なったり、ミクロとマクロの流れが絡まると、もうそれを読み解くことというか解決することはほとんど不可能に近いんですよね。だから、どう考えても、シャミーユは、救われないように見える。そもそも、親に愛されていないというのは、強烈だし、、、、育ての親に近いキオカではほとんど呪いともいえるようなトラウマを心底植え付けられているし、家族や友人などの身近な愛情が完璧に欠落している上に、帝国を救う使命感から凄まじい権力んの行使(たくさん人も殺している)をしていて、、、となってくると、もう救われるのムリじゃんと思うんですよ。でもね、、、、「何とかなる」って感じるんですよ。イクタにしても、育ちは悲惨そのものですよね。そんで、そこまでの関係になっていて、ヤトリを抱かないとか、お前あほか!と思うんですが、、、、イクタって、だから代償で肉欲を熟女の女遊びに入れ込んでいるんですよね。自分が救えなかった最愛の母に対するマザコンも、ちょっと度を越している・・・・けど、これだけ世界に対して「変えることができる」という教育と経験と能力を持って、外資していく母親を助けられない状況とか、そりゃ、トラウマにもなるよなって思うんですよ。でも、そういうかこの背景が明らかになればなるほど、ほぼ奇跡的な確率で、ヤトリとの関係が、凄く純粋になっていくのは、彼が熟女との火遊びで(笑)性欲解消しているからなんだろうと思うんですよねぇ。たぶん、話の背景から、少ししか出ていないコメディ的に描かれているですが、マザコンのイクタがかわいくて仕方がなかったと思うんですよ、手を出された人妻のお姉さまたちは(笑)。・・・・という奇跡のような複雑な連なりがあって、精神的にめちゃくちゃ複雑でおかしくなっている、シャミーユを「見守り」愛する、・・・・・ここでは、父のように、兄のように、恋人のように、と描かれていますが、とても火遊びを経験している上に、ヤトリとの純愛を維持しているイクタだからこそ、発情している10代の美少女皇帝を、つかず離れずベットの上で(笑)手も出さずに、いつくしんで、、、、、救済へ至る彼女の心を解きほぐすることができるんですよね。いや、、、、これは、すげぇよ、こういう様々なミクロの積み重ねがないと、こんな難しいこの救済なんかあり得ないじゃないか、、、、でも、、、、でもこれならあり得るかもしれない!と思わせるんですよ。


いつも思うんです。確かに、物語の主人公たちは、「どうにもならないマクロの流れ」で人生を、自分を壊して死んでいく、その刹那の輝きが美しい、と。グインサーガで、イシュトバーンのあのせつない若かりし頃を見ていると、殺人王、僭主として最悪の不幸に落ち込んでいく姿は見るに忍びなかった。けど、それに上がらいながら、マクロの巨大な流れに乗り、戦い、贖い、立ち向かっていくのが人生と思いました。


けれども、同時に、なんとかならないんだろうか?。ほんとは救えるのではないか?と思いつつも、「そのどうにもならなさ」というものがマクロの構造や物語のダイナミズムというもの。救われない主人公たち、シャミーユやジャンは、どう考えても死んでいくしかない「世界から選ばれた英雄」です。



でも、英雄は、個人的な幸せ(ミクロの幸せ)を求めてはいけないのだろうか?



この問いは、物語が現代の最前線に近くなるほど、痛切に問われてきた問いです。そして、それはほぼ失敗してきました。個人が幸せになると物語が駆動しないし、世界が救われないというか「世界を救う動機」がなくなってしまうから、物語と相性が悪いことなんだろうと思うんですよ。



いまははっきりわかる。主人公のイクタ・ソロークのとても新しい人物像について。



彼は、英雄にはなるべきではない、英雄は死んでしまうということを、強く意識している。そして、その「英雄を世界が求める構造」についても凄く自覚的だ。理由は簡単だ、そのせいで、身近な最も大事な人が死んだからだ。それは、父であり母親。そして、自分の半神たるヤトリを失ったからこそ、シャミーユを失わない方法も手段も、それを可能にする「先読み」もできるようになっているんです。だからとても納得的。そして、その重要なポイントは、「なるべく仕事をしない」こと、また「自分が英雄になること=マクロと世界から選ばれてしまうこと」に対して自覚的で反抗的であること、、、、、科学的な探求心やロジックの「向け先」を、世界ではなく常に「ミクロの大事なものに向けること(=これがヤトリから教えられていることが、悲しくて涙が出る・・・・)」ができているからこそ、、、、。これって、とても成熟して大人な態度です。うん、作者の人間性の反映だと思うのですが、イクタ・ソロークは、とても大人です。しかもその優秀さや強みを、ちゃんと、「自分にとって大事なもの(=ミクロの部分)」に常に向ける、優先順位の確かさがある。



だから・・・・・だから、このこんがらがった世界でも、シャミーユを、ジャンを、たくさんの「個人」を幸せにすることができそうな、何とかなりそうな感じを凄く受ける。



明らかに世界から英雄に選ばれている主人公が、それでも、ちゃんと、人を個人を救うこと、「自分が幸せになる」ということを、知っていて、行動できている。素晴らしく成熟した大人だとおもう。いやーこの熟女好きで、人妻ばっかりに手を出している(笑)という設定が、とても素晴らしいと思うんですよ。というのは、ヤトリとの純粋すぎる愛や、母親への強烈なマザーコンプレックスとか、とにかくイクタはバランスが悪くなるものを凄く抱えている。ろくな人間いなれるようには思えないけれども、それを、お姉さま方、熟女による性愛の導きで頑張って誤魔化せて昇華しているんですよね(笑)。いやはや、これってすごく大きいと思うんですよ。でなければ、ぜったいにヤトリとかともすぐやっちゃってたと思うし(やっていないと、そもそも若い男の子としてはおかしい)し、シャミーユを導ける度量は全くなかったと思うんですよね。



なんか、彼って、人を救えるかも、って思うんですよ。英雄は、基本的に身近な人を一切救えないのが基本ですからね。マクロを相手にしていたらそうなるし、マクロを相手にするようになるのは、巨大な空洞があるトラウマが渇望しているケースが多いので、そもそもバランス悪いんですよ。なので、この世界観、、、、宇野さんの世界観は、世界の豊かさを示していて、僕は感動しします。だって、ヤトリは死んじゃうし、出てくる登場人物のトラウマはけた外れにひどいのに、、、、世界の過酷さ真実をこれでもかと示しているのに、それに抗えるだけの成熟や人としての度量もまた描けているんだもの。素晴らしく大好きです。



というか、世界の謎が明確に明らかにされるSFとしてのこの巻も、本当に素晴らしかった。が、その話はまた今度。



いやーこの物語は、おすすめです。



『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンXI』  宇野朴人著 どのように人々の参加意思をつくりだしていくのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20170109/p2

『ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン』 宇野朴人著  安定した戦記モノで、マクロとミクロのバランスがとても良いです!
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20170109/p1

ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンBlu-ray BOX