物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2017-08-19

『プリンセス・プリンシパル』が面白い。

プリンセス・プリンシパル I (特装限定版) [Blu-ray]


今期のアニメは見きれていないのですが、4話まで見たのですが、友人に薦められたのですが、途中から、あっコレやばい奴だ、とのめり込みました。スパイものとしてよくできていて、1話がたぶんもともと9話?か何かのエピソードを繰り上げて放送していて(順番を入れ替えてる)安定してスパイものを女の子でやる感じの渋い作品で、脚本は素晴らしい質はいいけど、僕はそういう全体の軸が弱い断片を描く物語は余り過ぎではなくて、あまり興味ないかな、と思ったんですが、1話を見ると、この作品のマクロ構造は、巨大な覇権国家となった連合王国(イギリス)が、二つに分裂して、過去の西ベルリンと東ベルリンのように分裂している設定なのですが、なぜか1話のスパイの中に、自分の母国に敵対しているプリンセスがいるんですよね。最初は、まぁなんか理由があってとか思ったのですが、、、3話か4話で、彼女がスパイになる理由のエピソードが出るんですが、そこでノックダウンでしたね。ああ、そういう理由で、彼女は、、、、と思ったら、物語に凄いダイナミズムが生まれた感じがして、、、これがどこに落ちるかはわからないので今の時点では『正解するカド』みたいに最初だけで尻切れトンボになる可能性は否定できないので、いえないんですが、けれども今期気合を入れてみるアニメになることは間違いなさそうです。おもしろい。全体を貫く軸さえあれば、個々のパーツの演出は素晴らしい質なのは間違いがないので。


2017-08-18

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』8‐9巻 渡航著 自意識の強い人が、日本的学校空間から脱出、サバイバルする時の類型とは?

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。9 (ガガガ文庫)


■生徒会長選だけを言うと、物語の完成度としては、『ココロコネクト』の話の方が上だと思う。

『ココロコネクト』から引き続きこれも日本的な意思決定の 関連の物語類型に展開していく、 同じ類型だったということがわかった 学校空間の問題点が展開していくとどこに着地するのかということは大体同じパターンにどうもなるようだ。一色いろはの生徒会長選についてもそうだし 9巻のいろはが生徒会長になった後の 合同イベントの話についても 意思決定がなされていく現場でどのような圧力が個人にかかってくるのかということを物語のモチーフとしている点では『ココロコネクト』の 最後の話とほぼ同じだと思う。物語としての軍配は『ココロコネクト』の方に上げたいと思う。なぜならば『ココロコネクト』の方が、SF的な展開をしている分だけ物語に広がりを持たせることができたこと、また日本的意思決定の下でどのように個人が追い詰められていくかという文を表現するにあたって単純にコミュニケーションの問題と現実の世界の問題というだけではなく、SFの観点からの恐怖感というものを描くことができていて、その分、この問題の本当の厳しさ苦しさ汚さ強さというものを、如実に表すことができているからだと思う。あれだけの完成度を誇っていて、あの時期にアニメ化が継続しなかったのは、痛恨の出来事だ。無念でならない。一級のアーカイブになったのに。まぁ、単体で一つの物語類型として比較した時なので、ずっとテーマを踏破しようと継続している俺ガイルと比較するのは、おかしいのですがね。apple to apple comparisonじゃないので。とはいえ、自意識つの強い人が、日本的学校空間から脱出、サバイバルする時の類型の一つとして、生徒会と権力争いをする、もしくは生徒会選挙戦自体にうって出て権力を売る(=生徒会長になる)という物語のパターンがあることがここでは読み取れます。これ昔からあるものですね。ゆうきまさみさんの『究極超人あーる』も考えてみればそうでした。ちなみに、『究極超人あーる』は、大傑作で、たぶん日本的学校空間世界を、余すところなく書き尽くしているので、これバイブル(笑)として読み込んでおくととてもいろいろなことがわかります。必須ですね。

【合本版】ココロコネクト 全11巻 (ファミ通文庫)

究極超人あ~る 文庫版 コミック 全5巻完結セット (小学館文庫)


■2010年代の前半から中盤は、リア充の解体作業に集中した時期

学校空間において、アンチリア充のテーマを、権力側と非権力側の二元論言分けて考えていると、最終的には、権力を奪取せよ!(既存の権力をぶち壊せ)という方向に展開するのは、ある種当然の話だ。生徒会が出てくるのも、それが権力に見えるからだ。けれども、このテーマは既に筋が悪くなっている。いや、そういう言い方はおかしいかな、、、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』が、この筋を踏破して見せたからこそ、ああ、こういった逆転劇は、痛快な物語のドラマトゥルギーにはならないんだと、消費者が認知したんだろうと思う。ずっとこの作品は、2011年ごろからの(2010年代前半から中盤にかけて)大きなテーマの軸にあった作品だと僕は思っています。それは、アンチリア充というドラマトゥルギー。けれども、このスクールカーストの物語が、リア充側の頂点にいるはずだった葉山くんが、ヒッキーに羨ましさを感じている・・・・葉山君の背景にはまた違った孤独があってという「相手側への理解」が進むことによって、誰しも強く幸せであるとは限らないのだ、、、言い換えれば、リア充に見えたって、権力があったて、それが幸せに結びついているかは全然関係ないことが、白日の下にさらされてしまったのが、この物語でした。2010年代の前半-中盤の大きなテーマは、いまから振り返ると、リア充の解体作業だったことがわかります。そのドラマトゥルギーのコアは、アンチリア充・リア充への嫉妬と攻撃であったのですが、結局それを丁寧に理解していく過程で、その方向性を踏破してしまっているのが現在だと思うのです。ヒッキーと葉山君の関係やエピソードを丁寧に追えば、この解体作業の全行程が理解できます。最前線の作品なので、奥歯にものが挟まったような、ベールに包まれたような思わせぶりな発言が多いのですが(作者がはぅきりとわかっていなかったでしょうから)、最初からこのテーマが深くインボルブされているのははっきりとわかると思います。たぶん無意識に答えもわかっていたのだろうと思います。いやはや、素晴らしい作家さんです。渡さん。結論は、簡単。二元論的に、リア充を攻撃して解体して、近づいていったところ、、、、リア充の頂点にいた葉山君の背景を知り、それが幸せでも何でもないのだ、ということがわかること。同じく、幸せを求めて苦しみ、同い年の同じ立場の人間にすぎないことがわかってしまうのだ。これは善悪二元論の果てに、悪にも悪の立場があるということを知って、竦んで動けなくなる構造と全く同じです。そこに「正しさ(=相手をぶっ殺せばいい)」がなくなると、とたんに何をしていいかわからなくなって物語がともあるのです。初期設定された動機が失われるからですね。


俺ガイルは、やはりこの時代の代表作ですね。この時期の最も大きな問題意識に、ストレートに踏み込んで、真正面から戦っている。作者は素晴らしい。そして、だらこそ、この次に出てくる問題点は、、、


続く。

(もう書きあがっているので、近日中に)


マリア様がみてる33 ハロー グッバイ (集英社コバルト文庫)


『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。8 』 渡航著 ヒッキー、それは確実に間違っているよ

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131129/p1

『ココロコネクト』 庵田定夏著 自意識の病の系列の物語の変奏曲〜ここからどこまで展開できるか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121003/p1

『ココロコネクト ミチランダム』 庵田定夏著 伊織の心の闇を癒すには?〜肉体を通しての自己の解放への処方箋を (2)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121126/p1

『コロコネクト ユメランダム』 庵田定夏著 あなたには思想がない〜Fate/staynightの衛宮士郎のキャラクター類型と同型(3)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121030/p2

『ココロコネクト』 庵田定夏著  日本的ボトムアップの世界でのリーダーというのは、空気の圧力を結集する特異点

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130930/p1

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』 渡航著 (2) 青い鳥症候群の結論の回避は可能か? 理論上もっとも、救いがなかった層を救う物語はありうるのか?それは必要なのか?本当にいるのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130603/p2

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』  渡航著 (1)スクールカーストの下層で生きることは永遠に閉じ込められる恐怖感〜学校空間は、9年×10倍の時間を生きる

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130406/p2

ヒミズ』 (2012年 日本) 園子温監督 (1) 坂の上の雲として目指した、その雲の先にいる我々は何を目指すのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130419/p1

ロマンチックラブイデオロギー解体の視点で恋愛を描いた物語を眺めてみる(1) あなたにキラキラはありますか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130405/p1

第12話 「僕は友達が…」  そうか、恋人じゃなくて、友達が欲しかったんだ!これはびっくり目からうろこが落ちた。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130329/p1

マリア様がみてる ハローグッバイ』 今野 緒雪著 ついに祐巳・祥子編の終わり、大好きだが一点不満があります!

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090110/p1

『モテキ』 久保ミツロウ著 本質のコミュニケーションか・・・

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110611/p6

2017-08-15

『魔王様の街づくり!〜最強のダンジョンは近代都市』 月夜涙著  究極のなろう作家の最前線〜異世界転生系俺Tueeeフォーマットは、古いのか、それともこれが成熟した最高峰なのか?

魔王様の街づくり!  ~最強のダンジョンは近代都市~ (GAノベル)

評価:★★★★4つ

(僕的主観:★★★3つ)


友人にすすめられて、下記2つを一気に読みました。タイトルにもありますが、現在のなろう作家の最前線かつほぼ最高峰の一つといってもいいんじゃないでしょうか。とても興味深かった。


スライム転生。大賢者が養女エルフに抱きしめられてます(2017)

http://ncode.syosetu.com/n7521dy/

魔王様の街づくり!〜最強のダンジョンは近代都市(2016)

http://ncode.syosetu.com/n7637dj/


この作品、というかこの作者を総体的に評価すると2点を僕は思いました。


1点目は、友人(てれびんや敷居さん)に薦められた、おすすめの理由が、いまウェブ小説のランキングのサイト「小説家になろう」の小説で一番勢いがある作品で、典型的な今のなろうオブなろう、ということでした。この紹介は、非常に正しく、まさにその通りの作品だったと思います。そしてそれ以上に、プラットフォームとしての「小説家になろう」のサイトの異世界転生系のコアを見事に完璧に理解して再現しており、なろうの小説で人気のあるものはまさにこれだ!といえる作品でした。俺Tueeeというものがどういうもので、それをどう物語に展開するかが、作者が完全に理解して再現しているなというのが2作読んででよくわかりました。再現といいましたが、ちゃんと物語になるというのはそもそも難しいことで、実力のある作家さんだと感心しました。普通は、こんなにフォーマットに忠実に同じパターンで作っていたら、いかに「いまの世の中にあったコア」を描いていても、つまらなくなるというか、、、、そもそも世の中の受けを狙えば面白いものができるというの大ウソで、そこに作者の才能とオリジナルがなければ、ろくなものはできないものです。そういう意味では、十分以上に面白い。2点目は、それが故に、僕には面白くなかったこと。ようはあまりにパターンであり、王道を再現しているので、センスオブワンダーが全くない。これが、2010‐11年ごろに出てきたのならば、素晴らしい!と叫んだ可能性があります。突き抜けているものが全くないので星5にはなりませんが、それでもかなりの面白さであるには違いない。けれども、2016‐17の現在の時点で、これを描くのは、成熟しているところに、安定したものを描いているだけで、いまいちに感じてしまいます。これが、なろうの四半期などで一位ということは、なろうもプラットフォームとしてだいぶ成熟して安定してしまっているのだなとしみじみ思いました。


一言でいうと、チャレンジを感じない。フォーマットの王道中の王道を素晴らしく高いレベルで再現するのは、凄いことです。けれども、2作品とも同じ構造。細かい差異はあっても、本質は、王道の再現をしている。でも、それでは、作者が本当に書きたいことは?、構造を上回る何かの突破口を探すことは?、そういうもんがなければ、進歩も成長もない。なので、僕はあまり評価はできない、、、というか、今この構造に慣れ切っている立場からすると、どうしても、作家としてのオリジナリティを感じられない。受けると思うし、人気は出るかもしれないが、突き抜けることはない気がします。この辺は僕の感性なので、本当かどうかは何とも言えないですが、しかし、この先どこに落ちをつけるの?と感じてしまうし、同じつけ方ならば、月夜涙さんの過去の作品群からして差異や変化を感じない。そこは残念に思います。これだけの才能があるの人なのだから。


とはいえ、なろうで描かれる本質を凝縮したような作品なので、ぜひとも読んでほしいです。読むと、様々な作品の差異が非常にクリアにわかるようになる。


さて、この作品の紹介は、かなり個人的に大きな出来事でした。あまりに、なろうのパターンを抽出して見事に表現しているために、1)なろうというサイトが何だったのか?ということ、2)なろうが生み出す異世界転生系俺Tueeeというコアに対して自分(ペトロニウス)がどういうスタンスで見ていたのか?が、非常にクリアーになった気がするんです。そして、それが故に、3)これからなろうがどこへ行くのか?というような大きな流れを考えるきっかけになっている。


サークル敷居亭冬コミ新刊『敷居亭の混沌(カオス)』に参加させてもらってます。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20111228/p1

小説家になろうのサイト分析〜なろうネイティブの問題点の解析

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120215/p2


思えば、敷居さんとレスター伯に2011年に紹介してもらって、はや6年。6年読み続けているんですね。ライトノベルにしても、何十年も読み続けていますが、もう成熟した作業でありジャンルであって、ライトノベルが軽い大したことがないもの、という意見があっても、鼻で笑えるくらいの厚みのあるものになりましたね。時代は移り変わるものです。


1)なろうというサイトが何だったのか?


なろうのポータルサイトとしてのコアは、ドラゴンクエスト風中世をベースに、だれでも小説が書けるような敷居の低さを作ったことがあります。途中で二次創作系が消されて、同じフォーマットのものを名前だけ変えて(笑)展開してみたら、凄い人気が出たというのが、なろうの歴史で、基本的に物語を作る行為が、パロディ的にある種のパターン・構造にのっとって、それをアイディア勝負でずらしていけば、様々な展開がありつつ、量産できるということを示したんだろうと思います。ウェブ小説は、小説家ではない人、そもそもその他の専門分野で生きてきた人を、このフォーマットを利用することで、いくらでも物語が書けるということを示したところに、大きな価値があったと思います。そもそも、創作というのは、パクリや流行のフォーマットをベースにして、少しのオリジナリティを加えれば成り立つということが、満天の元に示されたのだろうと思います。なので、2011‐12年ごろに二次創作系を削除したサイトの判断は非常に正しかったと思います。名前変えれば、素人が様々なまフォーマットで物語世界を作り遊ぶことができる。たとえば、『異世界コンサル株式会社』なんか、明らかに異なる専門性をフォーマットに持ち込んでいるものですよね。

異世界コンサル株式会社


なろうのサイトには大きなフォーマットがいくつかあります。

ドラゴンクエスト風中世

異世界転生・異世界生まれ直し

俺Tueee

これに限らずいろいろありますが、大きなコアはこのへんといっていいと思います。月夜涙さんの作品を読んでいて、作者が明らかに、ルールとして採用しているなと感じることに、俺Tueeeがあります。これをもう少し分解してみると、


・主人公が努力によって成長するのではない

・チート(異世界での成功や強さ)は、才能や努力によって手に入れたものではなく、そもそも持っていたものが環境が変わったことで強みになる


俺Tueeeの全能感、物語的な面白さ、それをなろうの読者が明らかに支持しているコアは、「ここ」だろうと思います。上ではあまり色というか解釈を交えないように表現したのですが、これは、どういうことかというと、受け手は、努力や才能によらず成功して成長したいと思っている。そして、それは環境さえ変われば可能だと思っている。いいかえれば、自分が手元にあるもの・能力は、環境さえ変わればチートなくらいの強みになる。さらに言えば、世の中で勝っている、成功しているやつは、偶然自分の手元にあるものが環境にフィツトしただけにすぎない。それが成功というものや努力の正体であって、自身の努力や才能とかいうのはうそつきだ、という感覚です。これが、絶対的に今の若者が支持している根源だといえると思います。


これが、異世界に転生する、いいかえれば環境を白紙にして全く違うところにうつる(自分の努力や意思ではなく)ことが重要なフォーマットとしてベースで使われる理由がわかります。また「強さ」や「チートな能力」というものが、特別な努力によって獲得されるのは、この文脈ではだめです。たとえば、異世界転生した主人公が、転生したその土地で時空で、努力していきます。これ文脈的には、エラーになります。だって、そうであれば、ようは努力したから成長したんでしょう?、努力に意味があるということは、そもそも才能があっんでしょ?となって反感を書く可能性が高いです(あくまでこの文脈であれば。逆の文脈を描かないと、メジャーになりにくかったりもするので、この辺はどちらがいいかは、やっぱり作者の資質に合っているかどうかになるんですが)。なので強さやチートな能力は、そもそも現実や現世において、何の努力もなしに「普通に持っていたもの」が、異世界に来ただけで、凄い意味と価値を持つことにして、かつ主人公が努力や才能で成長してはダメ(笑)なんです。ここが肝なんですよ。


ちなみに、スライム転生。『大賢者が養女エルフに抱きしめられてます(2017)』『魔王様の街づくり!〜最強のダンジョンは近代都市(2016)』はこの発想が見事に洗練されているので、いまの若者?というか時代が究極的に感じていることベースに思っていることは、これだと思います。月夜涙さんは、このことを死ぬほどよくわかって物語を描いていると思います。『エルフ転生からのチート建国記(2014)』のころは、まだこの方向でいろいろ模索している感じが見えましたが、最近の作品は見事に洗練されてこのパターンの純粋性を貫いています。

エルフ転生からのチート建国記 : 5 (モンスター文庫)



2)なろうが生み出す異世界転生系俺Tueeeというコアに対して自分(ペトロニウス)がどういうスタンスで見ていたのか?


さて、なろうのコアがわかってきました。というか、そもそもわかっていたんです。

小説家になろうのサイトは、異世界転成もの、異世界転成ものを支えているチートは、大抵の場合、主人公自体の肉体等の優越性、異なる文明レベルを落差の利用が、ベースになっているんだけれども、この二番目のやつって、先を考えてみると、主人公の優越性の奉仕だけの機能であるうちはいいんだけど、物語が長くなってくると、それはつまらなくなるんだよね。それは、多分自律性がないからだと思う。これって、なんというのかなー批評的に見ると、とでも言おうか、この系統の行き着く先の全体像を考えると、まずは、植民地主義的な視線だ、と言えると思うんだよね。

中略

ちなみに、いま(2011年11月)の時点で、なろうの流行は、もう一度人生を新しい世界でやりなおす(=ある夫婦のもとに生まれて位置から家族を作り出す)というパターンが増えてはやっています。・・・そんなに、いまの人生嫌なんだ!と思うほど、だよなー。これって、たぶん今の時代の、とても重要な肌感覚の一つです。

中略


だから、ここでは、チート権利使用による負債の発生と、僕は呼んでいるけど、自分が時代を変化させ、環境に変数をいれた結果に対しての、反動みたいなものがなければ、物語はおもしろくないんですね。いや、単純に、なんでもうまくいったら、それはそれで全能感溢れますがそれだけだと、長くなってくると、少なくとも僕のような、小説に読み慣れている人からすると、うーん、つまらん、となってしまうんです。負債は、返済されないと、世界が均衡しません。まぁ、もともとこれが、異世界への転成というメタ的な視点をもっていなければ、このルートというか、系統の課題を描く必要はないんだけれども、そもそもメタ的な視点が入ると、どうも倫理問題を呼び起こすようなんだよね、、、これ、必須のようです。



小説家になろうのサイト分析〜なろうネイティブの問題点の解析

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120215/p2

これ2011年の最初期に読み始めたころの分析です。いま到達してわかっていることを100%網羅しています。事実のポイントのみならず、そこから物語がどのように分岐するか?という予測まで(笑)完璧です。そしてその後の展開も、その通りになっています。いやはや、けっこう僕ってさすがだな、と感心しちゃう(笑)。でもね、ここに大きな問題点が一つあったんですよ。それはですね、こういう倫理の在り方=チートな力を努力なしに世界をやり直して成功することが、マイナスのことであり、それは物語として駄目だという主観の視点が、色濃く反映しているんですね、この分析には。これは、僕が世代の古い年寄りのおっさんであること、またたぶん実際の人生でかなり成功、努力を重視するリア充系のの人間であることからきていると思います。


ああ、ちなみに、ライトノベルにおけるアンチリア充フォーマットのコアは、まさにこの異世界転生系俺Tueeeフォーマットの根本の価値観を同じくする平行線だということは、わかりますよね?。これ、僕が、学園モノアンチリア充で文脈を考えてきたものとほぼ類型が似ていることがわかります。

『ココロコネクト』 庵田定夏著 自意識の病の系列の物語の変奏曲〜ここからどこまで展開できるか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121003/p1

『ココロコネクト』 庵田定夏著 自意識の病の系列の物語の変奏曲〜ここからどこまで展開できるか?(1)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121003/p1

『ココロコネクト ミチランダム』 庵田定夏著 伊織の心の闇を癒すには?〜肉体を通しての自己の解放への処方箋を (2)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121126/p1

『コロコネクト ユメランダム』 庵田定夏著 あなたには思想がない〜Fate/staynightの衛宮士郎のキャラクター類型と同型(3)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121030/p2

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』  渡航著 (1)スクールカーストの下層で生きるこ

とは永遠に閉じ込められる恐怖感〜学校空間は、9年×10倍の時間を生きる

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130406/p2

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』 渡航著 (2) 青い鳥症候群の結論の回避は可能か? 理論上もっとも、救いがなかった層を救う物語はありうるのか?それは必要なのか?本当にいるのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130603/p2

ヒミズ』 (2012年 日本) 園子温監督 (1) 坂の上の雲として目指した、その雲の先にいる我々は何を目指すのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130419/p1

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)



話がそれました。ようは、僕は、なろうの持つコアの価値観に対して、逆の価値観を信じているので、点数が逆になってしまうんですね。


かなり前に、てれびんに薦められて、月夜さんの初期の作品『エルフ転生からのチート建国記』を読んでいたことに気づきました。ここで評価している視点が、まさに、この分析の流れですね。チートなのはいいんだけど、チートの処理がおかしいと僕は言いたいわけです。


エルフ転生からのチート建国記(2014)

http://ncode.syosetu.com/n5705ch/


やっぱり、ライトナルシシズム的な全能感の処理という部分で失敗すると長く読み続けられないものなんだよね。『エルフ転生からのチート建国記』も面白いんだけれども、そこを少し超えないな、と思う。いま4章が終わったところなんだけれども、主人公のシリルくんは、やっぱり自分しか見えていないよね。他人と対等であるという関係が存在しない。もちろん、その苦悩、力あるものの苦悩はあるわけで、読んでいて不愉快ではないので、僕は好きでさくさく読んでしまうが、それでも『本好きの下剋上』と同じように、対等な目線まで主人公が落ちることがないと、どうしても本来的な異世界転生の持つチートさ(卑怯さ)を克服できない感じがする。。。。。。勘違いしないでほしいのですが、対等な目線を獲得しなければ、正しくない!といっているわけではないんです。物語にはバランスがあって、チートで独善さを貫いて突き抜けるという面白さもありうるので、僕はそれを否定しないし、そういう傲慢さを見てみたいし、面白いとも思うので、対等が正しい答えではないです。けれども、シリルくんのルシアへの思いの在り方って、凄く対等目線で純粋性があるものだと思うんだよね。これが、前提にあると、ハーレムがハーレムとしてあるのが、なんだか、凄く苦しくなってしまうんだよね。一線を超えなければ、三角関係ものとして見れるのかもしれないけど、なろう系はあっさり超えてしまうので、、、。


『エルフ転生からのチート建国記』 月夜涙著  タブーを軽々超える主人公のシリル君はどこへ行くのだろう?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150829/p1


ところがですね、なかなか難しいのは、『無職転生 - 異世界行ったら本気だす -』『本好きの下剋上 〜司書になるためには手段を選んでいられません〜』『Re:ゼロから始める異世界生活』このあたりの作品を、僕はこれは傑作だ!と最初ん頃から絶賛しているんですが、僕の評価ポイントであるチートな能力に対して様々なひねりを加えているところに、やっぱり重要なポイントがあるんですよね。特に、リゼロが典型なんですが、この作品の構造は最初からなろうの王道に対して、挑戦的です。いわゆる俺Tueeeの全能感に非常に否定的であるのに、それと同じ構造であるという部分が不思議なスパイスで、だからこそ、広く展開して受け入れられたんだろうと思います。やはり僕は、勝負というのは、フォーマット(=基本の構造)に対して、作者がどれだけ、変化を出せるか、そこにオリジナルが宿るんだろうと思います。だって、そこが作者のこだわりだから。


要は典型的ななろうネイティブで、異世界転生ものです。そんでね、5歳の女の子の魂に転生するようなんですね。その時は、その5歳の女の子のマインは、死んでしまっているようです。これ、異世界転生で、生まれ変わった時に、他人の体を乗っ取っていしまったことに対して、どういう倫理的決着をつけるのか?、この問題意識って実は、転生ものにおける重要なポイントだと思うんですよ。この類型における重要なポイントで、それがとても丁寧にうまく描かれていて、僕はとても読んでいて、さわやかな気持ちになります。



『本好きの下剋上 〜司書になるためには手段を選んでいられません〜』 香月 美夜著  対等な目線感覚が、異世界転生のチートさの臭みを消去する

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140719/p1

本好きの下剋上〜司書になるためには手段を選んでいられません〜 第三部「領主の養女IV」


最初から、あれだけ膨大な作品量を前にして、「ここ」のみを批評というか分析のターゲットにしていたのは正しかったと思うんですよねー。ただ「チートな能力を才能・努力によるか?」という基礎の部分の世界観・価値観で、評価がかなり僕は、古い世代的なものに縛られています。僕の成長物語ビルドゥングスルロマンを重視する視点なんで、そりゃ当然ですよね。そもそも年齢もおっさんですし。そして、その視点で評価するものが、高い評価を得て商業作品になり、アニメ化したりしていくのを見ると、僕のこの批評ポイントは、それなりに有効だといえるでしょう。まぁ、成長物語・ビルドゥングスロマンのような古典から描かれる物語類型が、普遍性を持つのは当然であって、むしろなろう的な感性が、どこまで続くのか?普遍性がどうあるのか?という評価で見るのが正しいのは、間違いないとは思います。

なので、日常をやり直す、というポイントにドラマトゥルギーの起伏をつけるとしたら一つか論理的には思い当たりません。それは、前世で失敗した人生の失敗をどれだけ噛みしめるか、ということです。それなくして、人生をやり直しても、それは安全な繭の中にいるだけの妄想でしかありえず、どこかで行き詰ってしまうからです。しかし、それはすなわち、この『人生をやり直す』=高見から失敗しない方法をすでに知っている高みからの視点の放棄、ということでもあります。とてもなろう的フォーマットでは、矛盾しているし、そもそも選べない選択肢なので、相当の傑作にしか選べない道筋です。


なぜならば、前世の失敗を噛みしめるには、同じことを今回も失敗して痛切に感じる、ということですしか、感じることは不可能だからです。もしくは同じことでなくても、少なくとも「高みからの視点(=何でもわかっていて解決できてしまう俺ツェェ状態)」を放棄させてしまう、取り返しのつかない人生の選択やミス、出来事を登場人物に体験させなければ、主人公の今世(=異世界)での人生に、リアルさを獲得できないからです。物語が始まらない状態といってもいい。僕が、日常やり直し型という言い方で日常といったのも、日常(=終わることのない反復)という意味あいが強かったのです。


『無職転生 - 異世界行ったら本気だす -』  理不尽な孫の手著 異世界転生の日常やり直しセラピー類型の、その先へ

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131105/p1

要は僕の評価のポイントが、なろう的な感性と、古き成長重視の倫理との、接続点に視点をおいているんです。まぁこれは、これでそれなりの正しさはあり、普遍性もあるので、僕の好みではあるのですが、まぁ考えの基礎において悪くないものだと思います。ちなみに、『異世界迷宮の最深部を目指そう』なんかは、アニメ化していませんが、これなんかは、ようは成長志向というか主人公が求めるものがきつすぎて、いまの時代にうまくフィットしないのかもしれません。凄くいい作品なんですが、この作品のコアが、古きビルドゥングスロマンだとすると、メディアミックスや、なろうの若者のクラスターの評価を受けたり人気を得るのは難しいかもしれません。この辺に微妙な評価ポイントがあって、どれも似ているようで、やっぱり違うんですよね。過去のなろう作品の評価っていうのは、この文脈で全部統合できますね。

異世界迷宮の最深部を目指そう 1 (オーバーラップ文庫)

どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか?という問いからちょっと考えてみる

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150424/p1

『本好きの下剋上 〜司書になるためには手段を選んでいられません〜』 香月 美夜著  対等な目線感覚が、異世界転生のチートさの臭みを消去する

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140719/p1

『異世界迷宮の最深部を目指そう』 割内@タリサ 著  魂が求める自由を探す時

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131124/p1

『異自然世界の非常食』 青井 硝子著 めっちゃグロテスクで目が離せません(笑)。これ、凄いSFですね

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150418/p1


異自然世界の非常食 1


このあたりの、努力と成長を是とすること、チートな能力の発露の捌き方によっては、卑怯なものになって物語駆動しなくなることを、そのまま是としていいのか、というとこれはなかなか問題です。


というのは、暁なつめの『この素晴らしい世界に祝福を!』のアニメの時にいろいろ炎上しているというか論争になっていた話があるじゃないですか?。


この素晴らしい世界に祝福を!12 女騎士のララバイ オリジナルアニメブルーレイ付き同梱版

『灰と幻想のグリムガル(2016)』著者 十文字青 監督 中村亮介 異世界転生のフォーマットというのは、現代のわれわれが住む郊外の永遠の日常の空間と関係性を、そのまま異なるマクロ環境に持ち込むための装置(1)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160413/p1

『この素晴らしい世界に祝福を!』  暁なつめ著 金崎貴臣監督  どういう風に終わらせてくれるんだろうか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160313/p2

Web小説ってなんなの? 画一化したプラットフォームの上で多様性が広がること〜僕たちはそんなに弱くもないけど、そんなにも弱いんだろうね(笑)

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160402/p1


『この素晴らしい世界に祝福を!』は、最近のなろう作品の中で断トツに人気のある作品で、かつアニメ化などメディア展開も含めて大成功しているのですが、僕の価値判断でこの文脈を評価して色分けしちゃうと、このあたりの成功をとらえきれないんですね。なぜかっていうと、努力によって成長する古い価値観を「正しいもの」とする価値判断が少しはいっているので、そもそも、努力する気なんかまったくないし、それに対して、良心の呵責というかもやもやすることが全くない感性に対して?それでいいのか?と思ってしまいやすいんですね。つまりですね、それでいいんです!ということが、わかっていないことになるんです(笑)。これは、僕が日常ものと非日常ものという比較で、過去の物語作品を見ていくときに、日常モノがどうしても理解できないので、かなりのクンフーを費やして、それを理解していくプロセスととても似ています(笑)。そして、古い世代、、、たぶん30歳以上(2017年現在)はすべて該当しちゃいやすいんじゃないかなーと思いますが、さらに僕のような40歳以上になると、そんな「頑張っても意味がない」という感性がそもそも理解できないんですよ。これはいつも僕がいう、高度成長期に生きたり、その時代を生きている両親に育てられた人と、そうでない人との差です。成長が望めない成熟社会に生きる若者には、努力していく、成長する、それが報われるということほど嘘くさく欺瞞に満ちた搾取な言葉はないからです。この感性で、簡単に古い団塊の世代や、その下の世代に騙されて搾取され続けてきたので、それが許せなくなっているのがいま現在なんですよね。まぁそういったルサンチマンは、時間が過ぎれば消えていくものなんですが、感情の恨みの蓄積ではなく、時代背景として経済的な高度成長が望めなくなった世界で、人がどういう感性を持つかというのは注目すべき点ではあると思います。

無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜 1 (コミックフラッパー)


3)これからなろうがどこへ行くのか?


月夜涙さんの話が、とてもなろう的で、なろうの求めているものに非常に適したものであると僕は感じました。逆に言えば、なろうの、これまで求められていたものに忠実すぎる感じがする。そして、それはすなわち、どうしても、よく言えば成熟、悪く言えば行き詰まりに感じる。ましてや、彼の3作品をすべて読んでみても、やはり特別物語の類型として、大きな逸脱やひねり、もしくはこの構造を打ち破る何かは全くあるようにみえません。これだけ構造に忠実に作りすぎていると、この後、話を異なる方向に展開させても、たぶん変われないし、そうしたら構造が壊れて物語としては壊れると思う。少なくとも3作品には僕は見えない。なんというかフォーマットに忠実すぎて、本人のオリジナリティや狂気がどんどん薄れている気がします。やはり、フォーマットに対してどれだけ狂気の何かを付け足す、反抗する、というようなことができたが、清に凄い作品になる気がします。なろう出身であっても、『魔法科高校の劣等生』や『ログホライズン』、なろうではないですが、典型的な神話的ストーリー構造なのに(この神話的なやつがほとんど人気を博さない時代に)凄い面白いSAOや、そもそも主人公が全能感を感じられて、チート的なもので人生を楽しくやり直すという類型からもっとも外れているリゼロなんかが、あれだけ売れたりするのは、不思議だったりします。が、そういうものなんだろうと思います。ここは、今さらに分析というか考え中なので、後日また。


月夜涙さんのテキストの細かい分析まで行かなかった。それはまた時間があれば。

2017-08-06

『流血女神伝 帝国の娘・砂の覇王・暗き神の鎖・喪の女王』 須賀しのぶ著 女の子を主人公にした物語で最高峰なんじゃないか、といつも思います。

帝国の娘【上下 合本版】 (角川文庫)


評価:★★★★★5つ 傑作マスターピース

(僕的主観:★★★★★5つ傑作)

これも2007年のアメブロの記事を再掲載です。僕は、冒険活劇で、成長物語(ビルドゥイングスロマン)で、少女を主人公とした物語では、須賀しのぶさんのこれが最高傑作ではないか、と思っています。女性が書いたという点も重要じゃないかと思っていて、カリエという主人公は、本当に普通の女の子から出発して、激動の世界を駆け抜けていきます。けれども、最後まで男性視点や男の子に都合のいい存在では一度もあり得なく、そして奴隷になっても、やられちゃっても、愛した人に捨てられても(捨てても)、子供を産んでも、子供を奪われても、最後の最後まで、彼女は自己が揺らぎません。どんな目にあっても彼女の本質をだれも汚せないからだと思います。・・・・そう思うと、カリエって、本当に凄い。それだけの激動の経験を経て、人生を生き抜いても、最後まで僕にはかわいい女の子に見えました。それは「強い」からじゃなくて、彼女がとても素朴で健康だから。それが。本当に強さ、なんじゃないかといつも思います。安定した自己確信。本当の強さとは、しなやかさ、じゃないかと僕はいつも思います。冒険活劇の舞台というのは、いつでもマクロダイナミズムの動く政治的な世界、言い換えれば「竜退治が必要な男の子的ビルドゥイングスロマン」に支配された過酷な世界。そこで個は圧殺されて、男どもが帝国の建設を望む権力の世界。その世界で、女の子が生きていくこと、生き抜くことはどういうことかを、須賀しのぶさんは、一貫して追求している気がします。男の子が望むアニマとしてのトロフィーワイフとしての幻想の女の子の匂いが全くない。とても、かっこいい女の子だと思います、カリエ・フィーダ。そういえば、太陽の子を描いたと友人のレスター伯さんがいう『レジェンド・オブ・イシュリーン』や『レジェンダリ・ヴァルキュリス』(『堀川恵美理の慕情』『堀川恵美理の花嫁修業』)を思い出させます。やっぱり女性がこういう大河ロマンを描いてこそ描けるの感覚な気がします。そういえば、栗本薫さんのグインサーガにも似た匂いがしましたねぇ。ちなみに、激動の人生で、カリエは、本当にいい男たちに惚れられちゃいますが、これはね、、、いやほんとわかるんですよ。彼女が特別、、、ではないんですよね、明らかに顔は普通ぐらい(ようは美しくはない)って描写が毎回入る(笑)、でも、確かに可愛いよ、これ。こんな子がそばにいたら、帝国を建設する帝王だって、そりゃ惚れちゃうよ、と思う。しかも関係がことごとく、とても健康で対等なのが素晴らしい。ほかのカップルが権力関係や欲望で対等ではなかなかいられない中、すべての恋で、様々な関係で、彼女は対等で健全な関係ばかり作っていく。この子が、そういうこだからなんですね、、、、。本当に素晴らしいと思う。読後感が、物凄く素晴らしい。全体的には、暗く、しんどく、凄まじい権力の入り乱れるだいたいがロマンなのに。ちなみに、須賀しのぶさんのこの手の女の子像を突き詰めているのは、『芙蓉千里』がいいですね。

流血女神伝 帝国の娘 前編 (集英社コバルト文庫)



『堀川恵美理の花嫁修業』  木根楽著 「正しさ」の強さ、正ヒロインのという強度への回帰

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130710/p1

シェアードワールドの厚みを体感する物語群

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140102/p1

レジェンド・オブ・イシュリーンI(サーガフォレスト)

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偉大な物語が終了した。いやー素晴らしかった。素晴らしい物語で、かつ長いものを読んでいるときに、現実が消失していくような、何か、その物語の中のキャラクターたちが現実に生きているような不思議な感慨を感じるときがある。終わった時に、「もう続きが読めない」という深い悲しみとともに、なぜか学生時代の卒業式のような、「何かの終わり」が感じ取れて、不思議な感慨に包まれる。・・・・・たぶんわからない人にはわからないかもしれないが、最終巻の最後の最後の回想録で、カリエが、サウロとアイラという双子をの男女を生んだところには、なんだか無性に感動した。ああ・・・次の世代が続いていくんだな、、、ということが深く感じられました。


須賀しのぶさんに感謝を。


これほど素晴らしい物語をこの世に送り出してくれて。久々に、グインサーガと同レベルの大河ロマンを読んだ気がします。むしろ、27巻で、一つのシンプルな核を描ききったという上では、冗長さが排されており、こちらのほうが見事かもしれない。


「少女小説として書きたいことをすべて詰め込んだ」


と書かれていますが、いやまさに。ある一つの様式美に限界まで、「物語」を圧縮した素晴らしい作品です。ただし、ここまで行くと確かに様式と出口は、コバルトにふさわしい少女小説の体裁を取っていますが、僕は、やはり「物語として素晴らしい」、と唸らざるをえない。本当に素晴らしいものは、様式の限界を超えるんです。


神話と人を描いたという点でも、秀逸なオリジナリティーを感じるし、その人と神の関係、運命(予定説)と人間の自由という巨大な命題に、見事にエンターテイメント性を失わずに、読み解き結論まで持っていく力技には、度肝を抜かれます。


この物語に出会えて、本当に良かった。


まぁかなりの感想を書いているので、今後ゆったり記事を掲載する予定です。まじでよかったんだってば。うう・・・自分がこれ!と思った人のお勧めは、当たるなー。人が紹介してくれなければ、絶対見なかったでしょう。


もし、機会があれば、ぜひトライを。


素晴らしい物語の世界に引き込まれます。ただ、本当の意味でもっともこの世界観が結実するのは、『喪の女王』の中盤なので、ここまでぜひ読んでから結論を出していただきたいと思う。


精霊の守り人 (新潮文庫)


月の影 影の海〈上〉―十二国記 (新潮文庫)


僕としては、上橋菜穂子さんの『精霊の守人』シリーズに匹敵する和製ファンタジーの傑作だと感じます。・・・・NHKでアニメ化してくれないかな…。これに『十二国記』シリーズを加えると、少女小説の分野や児童書の分野に、本当に見事なファンタジー作品が結実しているのだなーと感心します。

芙蓉千里 (角川文庫)

2017-08-03

『サトコとナダ』 著:ユペチカ 監:西森 マリー サウジアラビアの女性の視点から見る世界ってなかなかなくて、とても興味深いです。

サトコとナダ 1 (星海社COMICS)

評価:★★★★★5つ

(僕的主観:★★★★4つ)

http://sai-zen-sen.jp/comics/twi4/SATOKOandNADA/

こういうエッセイ的な漫画は、物語自身よりも、どれだけ我々にセンスオブワンダーな視点を提供できるかという点がポイントで、それがあればあるほどインパクトがある。サウジアラビアは、アメリカとの同盟国で、山ほど留学生がいます。国が費用をかなりバックアップしているので、アメリカの語学学校に行くとブラジルと並んで、派閥ができるほど集団で大挙しています。なので、僕も友達が昔いっぱいできました。けど、国がまだまだアメリカほど開けていないので、直ぐ派閥というか集団で固まってなかなか個人で動かない人が多かったし、どうせ国に帰るのだからと、アメリカになじまない人も多い。何年もいるし、本当に山ほどきているんだけれども。なんか、一昔前の日本ですなー。でも、公費でサポートがあるので、もう驚くほど唸るほど金がある(笑)。豊かな国なんだなーとしみじみ。でも、男も女のも山ほどアメリカの生活を数年、公費で遊びまくって、それでサウジアラビアに帰って、、、そこからは修業?ですよーみたいなこと言っていた。サウジやることねーしっていってた。砂漠で車のレースとかするの好きなんで(これyoutubeとかに死ぬほどあがっているので、見ると砂漠の凄さにまじで驚きます)、よくやっているのがフェイスブックにのっているんですが、、、なんか郊外のヤンキーみたいって凄く思う。男だけでいつも群れてるし。。。ああいう風に男性と女性の共同体が切り離されているのでって、変な妄想を生んで、よくない気がするんですよね。日本での男子高出身の女の子への妄想力は凄い(笑)。


はっ、おっと、この作品紹介なんですが、僕は男性なんで、やまほどサウジの男性友達はいるんですが、女性は見事に一人もいないんです。あっ、大学のころの友達はいるけど、疎遠だしなー。しかもこういうメディアに、物語に出ることもないんで、彼女たちがどういう風に生きているか、全く分からない。サウジアラビアは、アメリカとの同盟にのった国なので、国自体はほとんど中世のような法律や習慣がそのまま乗っているのに、ライフスタイルがアメリカ化しているという意味不明な(日本も似てますよね)国なんで、女性の人生も、同じようにリべラルになっているはずなのに、古いルールが強く生きていて、かつ女性が表に出ていきにくいので、ほんとうにさっぱりわからない。それを見せてくれた、という意味では、素晴らしいセンスオブワンダーでした。西森マリーさんの監修もあって、かなりいいところに踏み込んでいると思います。そういえば、講談社・星海社はこういうの上手い気がしますね。野上 武志さんと、元海兵隊のアナステーシア・モレノさんの組み合わせも素晴らしかったです。

まりんこゆみ(7) (星海社COMICS)ハイヤー・ラーニング [DVD]

ちなみに、日本人から見た正の側面の最もいいのは、成田美奈子さんの『アレクサンドライト』。ニューヨークのリベラルな雰囲気が、めちゃくちゃ伝わってきます。もう僕これ大好きすぎて、何十回と読み返しています。これ読むと、アメリカ好きになるわー。まじで。それ以上にアレク(主人公)の成長物語として、本当に見事。それに、スカベンジャーハントなどアイビーリーグの伝統的なキャンパスライフがこれでもかと組み込まれていて、素晴らしい物語です。ちなみに、往年の大傑作である『サイファ』の続編なんで、独立しても読めますが、両方読みましょう。超ド級の傑作です。

ALEXANDRITE〈アレクサンドライト〉【期間限定無料版】 1 (白泉社文庫)


CIPHER 全7巻完結(文庫版) [マーケットプレイス コミックセット]

2017-08-01

『流血女神伝 砂の覇王・暗き神の鎖・女神の花嫁・喪の女王』 須賀しのぶ著 神の観念を描くこと〜君のそばに宗教は真摯にありますか?

流血女神伝 砂の覇王1 (集英社コバルト文庫)

評価:★★★★★5つ 傑作マスターピース

(僕的主観:★★★★★5つ傑作)


アメブロが見にくくなっているとのことで、再掲を。丁度、うれしいことに、kindle化してくれているので!。ぜひ買いましょいう。これは僕の人生の読書体験の中でも、最上位に位置する、時代を超える傑作です。少女小説のカバーだからといって忌避しないでぜひとも読んでみてほしいです。ペトロニウスの名にかけて、超ド級の傑作です。『十二国記』や『精霊の守り人』『獣の奏者』級の世界に誇れるファンタジー小説です。僕は、須賀しのぶさん、心からの大ファンです。2007年なので、・・・・え、10年近く前の記事?。。。。




2007年12月17日記

■人間にとって「大いなるもの」や聖なるものとは何か?〜認識をしにくいもの

以前サルベーンが、人間が神鳥リシクを見なくなった理由を教えてくれた。リシクは死と、いままでの生活を根底から覆すような変化を知らせるもの。たとえその変化が、より成長するためのものだとしても、一度全てが壊れてしまうと知ってなお平然とその時を迎えられる人間は、多くはない。恐怖に心が潰れてしまうとことがほとんどだから、人はリシクの声そのものから耳を塞ぐようになったという。


p162 流血女神伝 暗き神の鎖(中編)

流血女神伝 暗き神の鎖(前編) (集英社コバルト文庫)

この作品は、人間にとって抗えない大いなる歴史の流れ・・・・大きなマクロの外部環境の強烈に描くことにより、それを描写する装置として「神の概念」を呼び出した、と以前書いた。なにもこの作品に限ったことではなく大河ロマン・大河ドラマ・・・・「大河」と呼ばれるものには、滔々の流れる、無力な個人の小賢しい思いでは抵抗することのできない、大きなうねりを表現しているので、そう呼ばれるのだと思う。それを、たぶん人類は、「神という観念」で読んでいるような気がする。もちろん神学論争をすれば、そういったマターナルな黄金律的なモノと異なり、真の神、「父なる神」というものは人類存在の系の外部にあるという意見もあろうが、そこは議論の本質ではないので、置いておく。


この黄金律、大河ロマン、歴史の必然性、神・・・なんでもいいのだが、「こういったもの」の存在を、ちゃんと念頭に置いておくと、小説が面白くなるような気がする。どんなものにも、より深く感得しコミットするには、それなりの解釈力が必要なものなのだ。人間は、言葉が概念が違うものは、感受し得ないのですよ。


この話は、大江健三郎の作品群で書いたことがある。『宙返り』だと思ったが、ある架空の新興宗教の内輪の話が延々と書かれているのだが、そこにおける神や共同体の発生の議論は、ちゃんと宗教的概念を勉強していないと、意味不明の抽象語を話しているとしか、普通の人には受け取れない。これは現実に宗教をしている人と話す時も同じです。ある概念群を共通ベースにしないと、言葉が通じなくなってしまうのです。

 

宙返り 上  講談社文庫 お 2-9

というのは、僕は中学ごろから好きで大江健三郎やドストエフスキーなどを読んでいたが、ある程度、神の概念、神学や宗教心理学などを色々な本を読み解きながら齧るようになって、「おお!」と理解するときが来たからだ。最初に読んでから5年くらいたっていたと思う。そういったものをちゃんと理解していないと、読んでいてもたぶん????なのではないかな、と思う。


カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)



それではおしい。人類の英知は、神の観念や宗教を深く真摯に追求している。僕らが生きる金に支配される資本主義社会の世俗社会では、そんなものはあまり必要ないようにシステムはできているし、不必要にそこに足を踏み入れると人生を壊しかねないので、あまりおすすめはしないが、それでもやはり人類存在の豊饒さに触れることなく人生を生きるのはもったいないとも思う。

流血女神伝では、何度もリシクの夢を主人公カリエは見る。またオル神やタイアス神など、様々な国で多様な宗教が信じられている。ましてや、このシリーズのコアであるタイトルは、「流血女神伝」。これはザカール民族の信仰するザカリア女神のことだ。この夢の内容や宗教についての問答などが、実はこの作品の根底に流れる思想や、カリエやエディアルド、バルアンたちの選択に深く関連付けられている。ほんとは、「そこ」がわかっていないと、この本の面白さは半分もわっていないと思う。もちろん。素晴らしいエンターテイメントは、それがわからなくても十分楽しいというのが凄いんだけれどもね。


流血女神伝 女神の花嫁(中編) (集英社コバルト文庫)


あとがきで書かれていたが、この作品を支配する神という存在(=予定説)と人間の自由の本質というヨーロッパが追い続けるある観念がバックグラウンドにあって、『暗き神の鎖』という上中下のザカリア女神編とサルベーンとラクリゼの幼少から青年期にかけての外伝は、読者の中でもかなり人気がなく(まぁティーンの少女には理解できなわな!)この方面は極力抑える方向で書いたと作者が書いているのですが、なるほどしかりです。けれども、そういう対象マーケット顧客がいたからこそ、この難解で迂遠なテーマを本質に絞り切って描くことができたのではないか、僕は思いました。


ただ物語とカリエの人生の変遷を追って、それをドキドキワクワク楽しむだけで、人間存在にとっての自由とは?、人間に自由意思というものはあり得るのであろうか?というフィリップ・K・ディツクをして自殺にはしらせ、『ヴァリス』や『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか?』という作品を生み出させた「あの巨大なテーマ」を実感することができる。


ヴァリス〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

これは、凄いと思いますよ。


■神の観念を描くこと〜君のそばに宗教は真摯にありますか?


1月に友人にこの本はお勧めだよって薦めていて、実は、一言で言うと「何が」面白いのか?というのをシンプルに説明できなくて困った。その人は、少女小説をまず読まない人だったので、そのパッケージだけで、そもそもよほどの食指が動く状況を作らないと、手には取らないだろう。それでもなお、読め、手に取れ、と言い、思わせるには、それなりの訴求力を持たないと、人の心は動かない。


この作品が、他の作品と一線を画す点とは何か?と言えば、それは、


神の観念を物語の中核に据えて描きながら、抽象性に堕することなくエンタメの次元で描ききれたということ


に尽きると思う。

ロシアなどの中欧の歴史文化を下敷きにしているからこそできたものだと思うが、興味深かった点は二つ


1)ロシア的なものの存在を前面に押し出している


2)同じ神の観念が土地によって異なった展開を示すことを示唆している


こういう点が描かれて、深く念頭に置かれているところが、僕には新鮮であった。とりわけ、同じ神が土地によって、多神教化したり一神教化したりする「分化」の次元を、ここまでわかりやすく物語として描けるのは、秀逸だ。少女小説でコバルトという敷居はあるが、これは第一級の作品で、パッケージを変えれば、絶対売れ続けることが可能な名作です。『十二国期』なんかにとても似ている。NHKでアニメ化してくれないかな・・・。いい監督で。

     

主人公のカリエは、フランスの山奥で生まれて、中東で奴隷になり、イスラエルに誘拐されて、ウクライナあたりを経て、ロシアにたどり着いて、最後はイタリアとギリシアの間に永住する・・・というような感じ(世界は架空上の国々です)の流転をしますが、それぞれの土地の神の観念に翻弄される様は、なかなか興味深かった。。無宗教で、まったく世俗の極みみたいなカリエが、様々な体験を真摯に考え続けるうちにこの神の観念の変遷を理解していく様は、いやー一本!と思う。特に、帝政期のロシアがモデルであろうユリ・スカナの宗教(これはたぶんロシア正教徒土俗の宗教がモデルなのだろう)を理解していく様は、いやー見事だった。

 

このへんは、ぼくもまだうまくしゃべることができない、もう少しわかりやすくできるように、考えてみるつもりだ。


ただいまいえることは


読め!


かな(笑)。


でも、考えてみるとこの手のテーマというのは、「神の概念」や、宗教というものが身近にある人であると、よくわかる言葉なんだと思う。こういうのは、身近にあった方が思考や人生が豊かになると、今の僕は思う。


けれども、僕は子供の頃からなぜか宗教が嫌いで、、、それも反吐が出るほど嫌いで・・・・別に特別な体験があるわけでもないし、親も無宗教だし、なんのフックもなかったのだが、とにかく嫌いだった。それはなぜかといえば、


なによりも


1)「宗教を信じる人の弱さ」(=自分を信じられない意思の薄弱さ)


2)「人の弱さを組織する宗教組織の堕落」(=世俗化し組織化すると純粋な宗教性が消失する)


この二つが、ゆるせなかったんだと思う。。なによりも、僕は「自分を信じ、自分が世界を変える」という人の自由を信じたい人だったのだったと思う。自立していない人間は、人間ではない、、、ただの奴隷だ、という観念が強く存在していたんだと思う。この世界の過酷さを知らないが故の思い上がりではあると思うが、、、、しかし、すくなくとも人類の英知に、科学に、家族に守られたたくさんの人間は、きっこう思うと思うんだ。僕は、アフリカや中東の内戦や貧困で苦しむ、明日をも知れない地獄に生きているわけではない。・・・だから、これほど恵まれた豊かな立場いる自分が、より苦しむ人たちが幸せを獲得できるプラットフォームを作るよう志し、彼らの分以上に幸せにならなければ、許されないんだ、、、と小さいころから思っていました。特に、本当に最貧国や紛争地帯に旅行(しょせん旅行)したり友人が出来たりした経験で、その実感は確かなものになりました。


これをうまく描いていたのが、『十二国記』の話かなぁ。


図南の翼 十二国記 (新潮文庫 お 37-59 十二国記)


いまなら、これがノブレス・オブレージの似たような形態の心の姿勢だとわかります。


なぜそういう気持ちが生まれたのか?


それはわかりません。個人史を追えば、いろいろ思いつくことはありますが、少なくとも僕は子供の頃から、「自分で物事を自立して解決する」ということに強い高貴さと誇りを見出していました(もちろんそれを自分ができているというわけではありません(笑))。けど、この気持ちの裏返しが、 崕ゞ気鮨じる人の弱さ」(=自分を信じられない意思の薄弱さ)というものへの嫌悪感につながったんだと思います。何かに依存する気持ちこそ、唾棄すべきものだ、という思いがったんでしょうね。いまでも、僕は依存する人間に対して、強い嫌悪感がある。・・・・もちろん、理想どおりにはいかない。人間なんて依存の塊だし、人間関係というのもなんらかの依存をベースにしているものだ。けれども、それでも、自尊自立していこうという意思なくして、その人間を本当に「人間」と呼べるのか?って僕は思ってしまいます。福沢諭吉先生がいったことは、やはり凄いね、と思う今日この頃です。

学問のすすめ

文明論之概略 (岩波文庫)


ほんとうは、神と人間の自由が二元的に対立するこの思考方法こそが子供だったと、今は思うけれどもね。でも、頭でわかっても、やっぱり嫌いなものは嫌いだな。自立した思考を破棄した人間は、僕は嫌いですから。


そしてもう一つは、2)の組織の問題。


地上とは、堕落の塊だ。神の純粋な観念は、わかる。が、それを地上に、複数にもたらそうとするときには、どうしても、堕落する。地上うに楽園を、王道楽土を建設することは難しい。なぜならば、「組織」を維持するということは、まさに世俗の塊で、世俗の論理を集約したものにならざるをえないからだ。たとえば、集まる場所一つでも土地や施設にからむ権利やお金の問題がすぐさま発生する。それを長期に維持しようと思えば、世俗的な組織論や金銭管理ノウハウは確実に高いレベルで必要となる。それが、純粋な教義・・・その宗教の存立意義の本質と両立するとは、僕にはとても思えないのだ。これは、高橋和巳さんの『邪宗門』や大江健三郎さんの『洪水はわが魂に及び』などを読むと強く思います。ローマ帝国時代のイスラエルの反乱を描いた『ユダヤ戦記』なども、同じですね。


邪宗門 上 (河出文庫)

洪水はわが魂に及び(上)(新潮文庫)


ユダヤ戦記〈1〉 (ちくま学芸文庫)


そもそも、小乗仏教プロテスタント神学などの基本は、神と人間の一対一の対置にあるのであって、ある種のエリーティズムを前提としている。それは、神の観念を感得するには、救済を獲得するには、個人でなければなされえない・・・と思っているのではないかな?と僕は思う。僕の常識的感覚としてもそれは合致する。だって、抽象的に神の観念・・・・マクロの次元を理解するには、よほど体感感覚に優れている人を除けば、知でそこへ到達するためには、相当の労力と才能がいる。この世の中に、抽象的な次元やマクロの次元を考えられる人間が、どれほど少ないかを考えれば、それはわかるはずだ。人間は基本的には動物だ。だから、快不快の次元で生きているものだ。それ以上のものを感じられるのは、人間の特異性だと思うが、ベースに快不快があることは否定できない。


そうすると、


組織を維持することは、すなわち宗教存立の本義としては嘘をついている


と、僕などは思ってしまうのだ。これは、僕が、個人ベースの救済以外信じない、宗教意識の持ち主であることを示していると、今の僕なら分析できる。子供のころは、何で、宗教を毛嫌いするのかわからなかったけれども、個人の救済を本義とする世界観を持つ人からすると、組織を維持するだけでももうとんでもない大嘘つきに見えてしまうんですよね。ああ・・・カルヴァンとルターの気持ちが良くわかるよ(苦笑)。僕は、大乗的な発想は、ありえないと思っているのでしょう。・・・・僕は、たぶん大いなる存在を信じている・・・というか、なんか「ありそう」と思っているけれども、宗教が大嫌いだった理由は、この辺にあるのかな、と思う。また神と個人の関係性をベースに持つ宗教感は、往々にして、エリーティズムと結びつくというのも、僕の社会・文明観とも一致すると思う。


だから、


2)「人の弱さを組織する宗教組織の堕落」(=世俗化し組織化すると純粋な宗教性が消失する)


に対する偏見が強くあるのだと思う。


いまだ、組織を持つ宗教については、基本的には存在意義について懐疑的だ。もちろん、たくさんの人に呼びかけること、入口に誘うことを否定はできないが、それの弊害の大きさの方が僕は感じてしまう。大衆を、知で神を理解できない層を、宗教で救うことに合理性が見いだせないのだ。


なぜならば、その層は、科学と文明の力で救うべきだと思うのだ、僕は。


そういう意味で、僕は、基本的には科学教の信者なのだと思う。資本主義のシステムを信じているし、近代的な文明の力を、信じているもの。

後藤新平―外交とヴィジョン (中公新書)

楽園の泉 (ハヤカワ文庫SF)

ちなみに、僕は宗教者は嘘吐きのお金儲けばかり考える堕落した人々と「思わず思ってしまう」悪癖は抜けないが、それでも、ああ・・・真摯に考えている人がいるのだな、と思ったのは、この本を読んだ時だ。キリスト教神学で有名な宗教者とダライラマの対話です。


年齢を経ると、いろいろなことを経験し、合理性だけでは、純粋さだけでは、救えないこの世の中の過酷さが深くわかるようになり、いまさらながらに、「それ」を真摯に考え続ける・・・さまざまなアプローチで考える人類の知に、僕は安堵を覚えます。


なんだか、変な方向にむかいました(笑)。


ちなみに、いまガンダム00を見ているのですが、これって、本当はこのテーマを描くのならば、本当はこういった神と人間の自由にまつわる思考をもう少し深めた方が良かったと思うけれどもなーと思う。高河ゆんさんの絵柄大好きなんで、毎回、鼻息荒く見ていますので、しかも脚本も悪くないので…どうしてもす思ってしまう。ましてや宗教国家で洗脳された少年兵だもんなー。


機動戦士ガンダム00 MEMORIAL BOX 【初回限定生産】 [DVD]



これ、2007年ごろに書いた記事です。とにかく良い小説なので、流血女神伝、おすすめです。


喪の女王〈7〉―流血女神伝 (コバルト文庫)

参考記事

『女神の花嫁』『暗き神の鎖』 神の観念を描くこと〜君のそばに宗教は真摯にありますか?

http://ameblo.jp/petronius/entry-10066704797.html

『流血女神伝 喪の女王』 須賀しのぶ著 この物語に出会えて本当によかった!

http://ameblo.jp/petronius/entry-10062996940.html

『流血女神伝 砂の覇王』 須賀しのぶ著 神と神話の描きかたが秀逸

http://ameblo.jp/petronius/entry-10059887838.html

誘拐・監禁・調教です(笑)…その上、奴隷になってハレムに行きます(苦笑)

http://ameblo.jp/petronius/entry-10059683245.html

カリエかわいいぞっ!。器量が十人並み(笑)というのがまたさらにいい(笑)

http://ameblo.jp/petronius/entry-10059589889.html

『流血女神伝 帝国の娘』 須賀しのぶ著 おおーこれは、物語だ!好きです!!

http://ameblo.jp/petronius/entry-10059567235.html

2017-07-29

『「世界史」講義 I古代・中世編: 教養に効く!人類5000年史』 出口治明著 ユーラシア大陸を一つのものとしてとらえる視点を!

「全世界史」講義 I古代・中世編: 教養に効く!人類5000年史

客観評価:★★★★★5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)

最近出口治明さんの『仕事に効く教養としての世界史』そしてこの前『世界史講義』また『世界史の10人』という本を読んで行くことによって結構長い間この本を読んでいるんですけども、一言で言うとですね、意外にこれつまらないなあと、ずっと思っていたんですね。出口治明さん自体は非常に興味深くて尊敬している人なんで、様々な日系ビジネスとかですね、記事に出てるものなんかは、とても好きで、それを貪るように何度も読んでいるんですけども。これらのシリーズの本は、あまり面白くないなぁって思っていたんですよ。

人間の社会というものをよりよく理解するためには人類の歴史5000年史をひとつのものとして理解しなければいけないというのは、出口治明さんの主張のポイントなんですけれども、意外に、このこれらの本を読んでいてもですね、面白くない。そう思うんですね。それは何でか、と言うとですね、読んでみるとわかるんですけれども全体像を全部網羅しようとするあまりにですね、具体的に細く展開することがないんですね。なので歴史の面白みというところで言うと各国史の、たとえば日本史などのですが、非常に深く追求していくことにあると思います。たとえば、関ケ原の戦いの徳川家康の心理とか。でも、全体像を語ろうともうと、そういう枝葉末節のことは省かなければならないんですね。なので、山川の教科書を読んでいるような形に感じてしまう。無味乾燥なんですね。

出口治明さん自体が非常に事実を重要視する形で書いているのも、それに拍車をかける。文学者ではないので、そんなに魅力的な個性的な文章を書くわけではないので、さらに無味乾燥になってしまう。と、いうふうに思っていたんですね。これは読んでいればそういう風に感じる人が多いのではないかなと思います。特に『全世界史講義』何て言うのは、そもそも世界史のベースの知識、様々な各国史の歴史に対する知識がない人間にとっては、なかなかそれ自体を具体的にイメージを持って豊かに読み解く力ってないと思うんです。もともと教養がないと、これらのことを楽しむことがなかなかできないではないかという風に感じます

しかしながらですね、これをですね、出口治明さんをとても尊敬しているので、とにかく全部読もうと、結構長い間、1年とかダラダラと繰り返し読んでいたんですけれども、そのうちに、あることがわかってきたんです。それはまず第一に、どうもこの人は歴史全体を見なければいけないという時に、何を見ているのかと言うと、ユーラシア大陸の歴史を一つの単体としてでも見ているということがわかってきたんです。これって東の端日本・中国と西の端ヨーロッパ、ここで起きていることを、そしてそれをつなげる間としての遊牧民中央アジアという風な形での歴史を「影響の連鎖」としてとらえているようなんです。ひとつの出来事起きたらそれかバタフライエフェクトではないですけれども東に西にインドに、様々な地理的な要因を超えてどのように展開していくのかという部分について非常に重要視している。だからトルコ系やモンゴルであるとか、遊牧民の文化と文明と国家というものが重要なポイントになっている。この部分が当然我々日本人にとってはほとんど知識がないものなので、そこの分が空白になっていて、横文字の名前ばっかりなんでよく分からなくなってしまうという事が一つ面白さを失ってる原因なんです。

でもキーとなる考え方が、ユーラシア大陸を、一つのものとして捉えているんですね。この考え方というのは、戦略論で言うときの、マッキンダーの考え方だと思ったんです。大きく人類の歴史というもの、人類の戦略というものを考えてる時に、どういうものの見方があるかと言うと、イギリスの政治家地理学者のハルフォードマッキンダー(1861年〜1947年)なんですけれどもこの人の地政学の考え方なんだろうと思いんです。これは人類の歴史というのは人類の歴史はランドパワー(大陸国家)とシーパワー(海洋国家)の戦いの歴史であり、20世紀以降はランドパワーの時代に入ると考えています。また東欧のをユーラシアの心臓部とし、これをハートランドという名前にしているんですけども、これをとったところが大陸の覇権を握るという考え方に基づいています。

マッキンダーの地政学ーデモクラシーの理想と現実

反対に海からの戦略を考えたのはアルフレッド・セイヤー・マハン(1840年〜1994年)でアメリカ海軍の軍人で歴史家です。彼が書いたものは、日本人の我々にとってはですね非常に馴染みが深いものなんですね。それは大日本帝国、アメリカそして大英帝国が有力に展開していて、海からユーラシア大陸をですね、包囲してしまうということを戦略の重要な目的としたものなんです。1890年に書いた『海上権力史論』というものが、それを展開しています。

人類ってのは大きな二つの視点で描かれることが多いんですけれども、我々日本人にとってはですね非常に分かりにくい。大陸国家の考え方、ハートランド争奪戦という形でユーラシア大陸を全体的に有機的には繋がっていくということに対しての感覚というのが、日本では非常に弱いんですね。なぜかと言うと日本が完全な海洋国家であること、海から大陸国家を封じ込めて、権力をどういう風に作り上げるのか、コントロールするのかということを徹底追及している国家だからと僕は思うんです。私もはそういう視点がほとんどなくてですね、特には自分が一生懸命勉強しているのっていうのはアメリカ史であったり日本史であったりとかするとで海の側からの視点に偏っているんですね。また今のフェイズが、米国の同盟を基軸とした海洋派遣構想の一部に組み込まれる時代を生きるのが現代日本人なので、大陸国家の考え方がさっぱり理解できない、というのもあると思います。


とにかく何がいいたいかというと、さすが出口さん!ということが、やっとわかってきたということ。山川の教科書のような感じがして歴史の魅力がわからないなーと思ったのですが、それはミクロの意味での歴史の魅力であって、歴史そのものの大枠の視点の構造変換を迫ろうとする時には、もう一度全体の情報力をインプットしなければならなかったんですね。それを全力で(笑)よんでいて、やっとつながってきました。やっぱりさすがは出口さんです。


世界史の10人





サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福



世界史としての日本史 (小学館新書)

2017-07-23

【2017-7月物語三昧ラジオ】

2017-07-22

『メアリと魔女の花』(2017 日本)米林宏昌監督 宮崎駿の後継者ではなくジブリアーカイブの後継者としてファミリー層の空白に答える

メアリと魔女の花 ビジュアルガイド

評価:★★★★4つ

(僕的主観:★★★☆3つ半)

■宮崎駿の後継者ではなくジブリアーカイブの後継者としてファミリー層の空白に答える

ファミリー層向けの映画としていい出来だった。子供と行きたい作品ですね。ジブリの後継的ポジションで、ファミリー層を狙うというマーケティングのはっきりとした目的に、きちんと答えた作品。これまであったジブリのパーツを再利用、再構成してある一定したレベルを超えようとして、それは十分に成功している。スタジオポノック初作品として、プロデューサー西村義明さんと米林宏昌監督が目指したことは、僕はほぼ獲得されていると思う。興行成績がどれくらいかわからないが、個人的には、大ヒットは無理でも、そこそこまで行ってほしいと思う。なぜならば、宮崎駿や庵野秀明級のメガトンの映画が10年に一回出るのではなく、2年に一回くらいの淡々と秀作が出るようなジブリテイストのファンタジー作品が量産されるのは、産業としてとても価値があることだし、そういう場があってこそ、様々なチャレンジができるようになり、裾野が広がると思うのだ。宮崎駿ではなく、スタジオジブリのアーカイブの後継者として、頑張ってほしと思う。どういうイメージかというと、ドラえもんの大長編映画のイメージなんです。ポケモンでもいいのですが。藤子・F・不二雄先生脚本のような超ド級の魔法クラスが連発しなくても、その「場」があることは、これからの未来の子供たちにとっても、生産者にとっても、楽しいことだし、新たな傑作が生まれる基礎になると思うんです。そういう意味で、僕は、プロデューサー西村義明三の構想力にとても期待しています。これはもう監督の才能よりも、プロデュース力が勝負のものだと思うのです。

そんな中、旧ジブリのスタッフを中心として設立されたスタジオポノックは、自分たちがジブリの後継者であることを高らかに宣言した。

本作の「魔女、ふたたび。」というキャッチコピー、主人公の横顔を意匠したスタジオのロゴは、明らかにジブリを連想させるし、西村プロデューサーは、製作発表記者会見で「ジブリの血を引いた作品」と語っている。

要するにポストジブリの時代に、すっぽりと空いたままの旧ジブリのポジション、正確に言えば宮崎駿が担ってきた大衆エンターテイメント路線のポジションを、客層ごとそのまま引き継ごうという訳だ。

結果的に、その目論みはまずまずの成功と共に、呪縛をもたらしていると思う。


ノラネコの呑んで観るシネマ

メアリと魔女の花・・・・・評価額1550円

http://noraneko22.blog29.fc2.com/

何かを評価する時の基準はいろいろあります。この場合、西村さんが米林さんが構想したことにどれだけミートしているかを評価の軸に置くと、まずまず成功していると僕は思うのです。あとは売り上げだけ。子供に見せるに価値ある作品だと思うので、ぜひとも成功してほしい。実際、十分面白いし。ただし、やはりジブリのアーカイブは、大きく、なかなか一筋縄ではいかないなと思う。呪縛、というのはいい表現だと思います。



■宮崎駿のオリジナル性を希釈したアーカイブ仕様と、米林宏昌監督の持つオリジナル性の対比で見てみる

しかしながら、正直言って、自分自身の視点からすると残念だった。『思い出のマーニー』や『借りぐらしのアリエッティ』を見れば一目瞭然だが、監督は内面描写を繊細に追うのが得意であって、彼の良さが十全に出たわけではなかったので、見ている時は、かなり面白いが、読後感に残るものが弱い。それ故に、逆説的に宮崎駿のオリジナル性がどれだけ凄かったのかを、まざまざと見せつけられた気がした。脚本の完成度や物語としての終息度合いなど、米林さんの方が宮崎駿に勝っている。ジブリの破綻した作品の破綻ぶりは凄いからだ。なので、今回の『メアリと魔女の花』は、僕は評価は高い。ちゃんと物語が完成しているからだ。ただ、しかしそうした脚本の安定性を求めた結果、自分自身のオリジナルの狂気の追及が弱くなってしまったと思う。宮崎駿の破綻は、すべては自分のオリジナル性のエゴの部分を少しでも深め、積み上げ、なにかをぶっ飛ばしてやるという狂気から生まれている。なので、何度見ても意味不明だが、物語としての予定調和ををぶち壊すほどの「何か」が常に伝わってくる。

具体的に言うと、いろいろ視点があるのだが、今回のジブリアーカイブのパーツとして利用されている狂気のマッドサイエンティストの造形。マンブルチュークとドクター・デイという教育者が、ふとしたことで夜間飛行というエネルギーを手に入れ、人間性を失い暴走していく様は、まさに原発事故のメタファーで、ジブリ路線だ。けれども、宮崎駿の射程距離は、こうした表面の簡単に看破できるメタファーではありえないところが、凄まじいところなのだ。原発は危ないから悪いとか、欲望によって人間性を失うのは悪いといったレベルの一段低い人間理解や世界理解では、宮崎駿が常に到達している部分に触れえない。宮崎駿はその全作品で、兵器や戦争を嫌いながら、偏愛する兵器や武器マニアであり、キレイごとの原発反対などを叫びながら、だれよりも人間の近代へ駆り立てる狂気への深い愛と理解があり、それらの世界を救おうとする狂気の科学者たちとして描いてきている。こうした射程距離の遠さ、そして矛盾することへの深い振れ幅があってこそのマッドサイエンティストなのだ。明らかに宮崎駿は、世界をすこうとして原発など科学の闇や狂気に駆り立てられる人々に深い「共感と愛情」があって、自身を重ね合わせている。口では、それらはだめだ!ときれいごとでしゃべったところで、作品を見れば一目瞭然だ。その深い矛盾に引き裂かれているからこそ、キャラクターに破綻がありながらも、信じられない深みを与えてきたのだ。

さて『ハウルの動く城』に戻ろう。僕は、この作品の爆撃機による絨毯爆撃のシーンを見て、このシーンの、、、、なんというか「美しさ」というか魔力に魅了されました。作品としては、言いたいことがわからないイメージの奔流なので、特に見返したいとも思わないし、心にも残りませんでしたが、何か「その部分」だけはいつも違和感というか、引っかかりが存在していました。そして、戦争というマイナスでネガティヴなものへのなぜか感じてしまう美しさの憧憬もよくわかりませんでした。そう、、、それは美しいのだと思うのです。近代という名の魔力の美しさ。スペインの爆撃を描いたゲルニカは、ピカソが衝撃を受けて書いたものですが・・・僕は、やはり美しいと思いました。湾岸戦争の最前線の爆撃の映像出凄まじい爆撃がされている光が美しかったように。それは、マイナスのものであっても、人類の力だからです。そして人間の叡智が結集された技術の光だからです。近代のこの魔力の美しさを感じない人は、この部分は、嫌悪する部分でしょうね。たとえば、リーフェンシュタールの『民族の祭典』。これは大学の授業で、大画面で見ましたが、、、胸が震えるほど感動しました。しかし、、、これって、ナチス礼賛のために造られた映画なんですよね。。。。基本的に、巨大な構築物、建築物や、大衆の動物的脊髄反射を高揚させるマス演出などなど、、、近代に特徴的なテクノロジーとマスにライトアップを浴びさせるものは、人類の「凄さ」ってのを感じさせるんだろうと思います。そして、その「凄さ」ってのは、善悪の彼岸の力なので、非常に影の部分もまた色濃いんですよね。こういう美しさと陰惨さの組み合わせを持ったモダン特有の美と力は、いまだ人類を支配する大きな力でありエネルギーだと僕は思います。文脈的には、ナチス・ドイツやドイツ第三帝国のモダンカルチャーがどうしてもその基盤になってしまいやすいので、なかなか肯定的には出せないものですけれどもね。

宮崎駿は、その本質で、モダニストです。WW2以降である我々は、単純なオポチュニストのモダニスト(=近代主義者)ではいられない屈折を持ちますが、彼は、その原初のスタート地点であるモダニストの、美しさ、気高さ、面白さ、凄さを十分い知りつくし、描き続けてきました。彼の壮大な物語の世界観は、常にこの究極のモダニストたちが、肯定であれ否定であれ、確固としたポジションで存在し続けます。このモダニストの美しさへの狂気と、それへの深い悔恨の組み合わせこそが、彼のコアの一つだと僕は思っています。以前に書いたことがありますが、『未来少年コナン』のブライアック・ラオ博士、『もののけ姫』のエボシ御前が、そのシンボライズされるキャラクターです。漫画版風の谷のナウシカにでてくる墓所を創りだした科学者たち、ラオ博士の科学者グループ、そのどれもが、科学の人類の英知で、世界を変えることができると信じたモダニストの究極の姿です。


『風立ちぬ』 宮崎駿監督 宮崎駿のすべてが総合された世界観と巨匠の新たなる挑戦

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130802/p1

この設計主義的なるものに魅了されてきた近代の科学者の系譜は、宮崎駿の理解の重要なパーツとして僕はずっと書いているのですが、この文脈と射程があってこそ、マッドサイエンティストの深みが「宮崎駿的なもの」になるのですが、そのキャラクターの記号だけが利用されていては、僕には、まぁ、そりゃそうなんだけどね、としかいいようがなかった。人体実験をして、自分たちの生徒を殺してでも、それでも到達したかった理想は何なのか?ということへの愛と理解と、狂おしいほどの憧憬がなければ、単なる善と悪を分ける二元論に陥ってしまう。悪を倒せばいいとする善悪二元論は、それは多分、最悪の物語で且つ教育にも最高に悪い、と思います。狂気に走りながらも人類の最前線を駆け抜ける人々がいたからこそ、後の世代の人間の領域や権利は拡張してきたからです。その矛盾を描かずして、人間と世界は語れない、と僕は思う。



風立ちぬ [DVD]


■メアリがとても子供らしくかわいかった〜子供が本当に子どもらしく繊細に

様々な着目点はあるが、最も良かったと思える点は、主人公のメアリがとてもかわいかったこと。ほぼ宮崎駿・スタジオジブリのパーツを再構成している中で際立って異なるのはそこ。どうかわいかったかというと、メアリが驚くほど短絡的で先のことが考えられていない。ある意味、物語の主人公とは思えないダメさ。これは、宮崎駿にはない、ルサンチマン(自分の赤毛を嫌っていて、ネガティヴな感情が動機の中核をなしているのは、宮崎作品にはあり得ない)を持つ性格設定と並んで、マイナスのように見える。けれども、それがたまらなく、かわいかった。オタク的な視点で萌えるとかそういうのではなく、何なのだろう?と思っていたのだが、これは自分が娘を見る時の視点だ!と途中で思いいたった。ようは、本当にメアリが等身大の子供なんだと思う。いいかえれば、子供の感情移入ポイントに、等身大に寄り添っているのだと思う。それが故に、たぶんそれなりに年齢がいっている人が見たら、ストーリーの力不足、キャラクターの魅力不足に感じるかもしれない。しかし、これを子供向けのファミリー層用ととらえると、悪くないと思う。気高く一貫性のある軸を持つ宮崎駿の主人公たちの、物語的ではあるが、まったく等身大ではない、子供らしくないキャラクターと比較すると監督資質の違いを感じる。たぶん、米林宏昌監督の資質からいって、メアリの内面をもっと丁寧に追ったほうが良かったと思う。この人は、内面の描写に才能がある人に感じます。それを無理やりマーケティングの路線にあわせて冒険活劇にしているのだろうと思う。アリエッティの時も思ったのだけれども、本当に少女が等身大の少女なのだ。メアリも、赤毛の自分が嫌でたまらないのだが、学院で赤毛をほめられているうちにすぐその気になってしまうところなど、とても子供らしい。ノラネコさんが言及しているように、内面を丁寧にリリカルな演出にしたほうが、米林監督の作家性が出てよかったと思う。けっこう激しく転んでスカートの中身が見えるんだけど(笑)、ちゃんとスパッツはいていて、監督が上品さにちゃんと基準を設けている感じがひしひし伝わって、それもよかった。目線が、本当に子供の目線。良くも悪くも、非常に上品で繊細な監督な気がする。ここで、パンツが見えないような恥じらいの動きを出すのも、そうすると年齢が上になってしまう。スパッツをはいているのが、妥当なのだ。この辺の思春期の微妙なラインが、凄い計算されている感じがするのは、米林監督は好きなんだろうなこのあたりの内面描写が、と思う。ただし、少年が全く描けていなかったなーとは思う。少年というか、この人は、そもそもがもっとネガティヴで、穏やかで、落ち着いた性格がそもそも好みなんだろうと思う。少年も、その感じが凄くするのに、冒険活劇のヒロインの相方にならなければいけないので、バランスを崩していた感じがする。

思い出のマーニー [DVD]

■冒険活劇などのエンターテイメント路線の追及には常に善悪二元論に落ち込んでしまう罠がある

全体的に、完成度は高いし、ファミリー層をターゲットとするジブリアーカイブの後継者としての完成度は高いと思う。けれども、米林監督の作家性がうまく出し切れていなかったこと、宮崎駿的冒険活劇のエンターテイメント路線とのうまい接続点が見出されていないことなど、まだまだ課題も多い作品に思えた。けれども、課題があるということは伸びしろがあるわけで、ポノックの次回作品も楽しみだと思う。いやしかし、宮崎吾郎監督の『ゲド戦記』でも思ったのだが、エンターテイメント路線を追求して、かつ物語をある程度まとめようとすると、本当に簡単に善悪二元論に堕してしまいやすいんだなと、しみじみ思った。『ゲド戦記』はそれで酷いことになっているし、この作品にしても、やっぱり「そこ」の底の浅さは、目も当てられない。これは、監督や演出家の能力の問題なのではなくて、このエンターテイメント路線で、だれもがわかりやすい大きな舞台やテーマを選ぶと、どうしても物語を終わらせるために、善悪二元論で、悪が悪いというまとめをするしか方策がなくなってしまうのではないか?と思う。宮崎吾郎監督も最初のゲド戦記で僕は酷評したが、その後の作品をみると、意外や意外かなりの能力を持った監督であって決して基礎的なものが低いわけでは全然ないとわかった。けれども、そもそもが大きな物語を大衆エンターテイメント路線でまとめること℗の難しさが、あまりに大きかったんだろうと思う。

映画『聲の形』Blu-ray 通常版

そして、新海誠監督の『君の名は。』、山田尚子監督『聲の形』、片淵須直監督『この世界の片隅に』など近年の長編劇場アニメーションには、凄まじい傑作が生まれているが、考えてみると、どれもが内面の描写と日常を描くところからスタートしているか、そのものズバリそれだ。『君の名は。』が大ヒットしたのは、この日常と内面の丁寧な描写で主観から見る視点で、かつダイナミックな物語に絶属することが出来たからだろう。宮崎吾郎監督も振り返ると、『コクリコ坂から』のような日常を切り取るほうがはるかにうまくまとめて来ている。これは、時代性なのだろうと思う。


『ゲド戦記』 宮崎吾郎監督 演出の基礎能力不足とセンスオブワンダーのなさ

http://ameblo.jp/petronius/entry-10015338663.html

『コクリコ坂から』 宮崎吾朗監督 普通のアニメ制作会社になろうとしているスタジオジブリ

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110826/p2


ゲド戦記 [DVD]

2017-07-09

『劇場版 魔法科高校の劣等生 星を呼ぶ少女』(2016 日本) 監督 吉田りさこ  魔法師という存在の凄さが映像でよくわかる

客観評価:★★★☆3つ半

(僕的主観:★★★☆3つ半)

とてもとても面白かった。原作者が脚本だけにさすが。小説のファンにはたまらない作品。それ以外の人が見ても、わかる感じに単純な話だが、やっぱりファンムービーであってそれ以上ではない。まぁ基本設定を知らない人が見ると、関係性はわからないだろう。リーナの存在は、さすがに原作を知らないと、なんでアメリカと日本の最高レベルの軍人が知り合いであんなに仲が良さそうなのかは、わからないよなー。とはいえ、そもそも、魔法科高校の劣等生の「小説家になろう」のころからのファンの僕としては申し分ないのだけれども。やはり魔法という超能力の実在感というか、目に見えて凄い描写を見せてくれることが、この物語の面白さの一つなわけで、そういう意味では、星を落とす級の魔法をがんがん見せてくれるのは、気持ちがいい。個人的には、明らかにか弱くて、何にもできないだろ的な、女の子的な絵面で、七草真由美会長が、(あれ、元会長かな?)飛行機の中から魔法を発動させる姿は、そうか、、、こんな格好で、いかにも何もできないといえども、軍を軽く撃退できるほどの攻撃力を持つのが魔法師なんだ、と驚いた。あれ、脅していた日本軍の方が、脅し返されるので、いやーカタルシスでおおきかったです。ファンムービーで、それぞれのキャラクターのは少しづつしか出番がないけど、真由美会長のご勇姿が見れたのは、うれしい。いい出来の映画です。


ただ、2017年では『劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-』(川原礫三が原作脚本)の原作にも絡み、物語のコア文脈に接続しながらも、初見でも楽しめる映画に比べると、少し力不足な感じはする。原作者が脚本である強みは、オリジナルに踏み込める面なのだが。そういう部分は、なかった気がします。まぁ凄い細かい設定があるので、もしかしたら、全然わかっていないだけかもしれませんが。とはいえ、ファンサービスと割り切れば、最高の映画だった。平均点は突き抜けている。お風呂シーンまであって、なんというかサービスの基本のようなアニメだった。こういう風に、客におもねると、普通は面白くなくなるものだが、そういう失速感は一つもないところは、さすが。


この映画の印象に残った点は、この映像を見ると魔法師という存在がどれほど凄いものなのか、ましてや戦略級となると、どれほど凄いのかの位置づけが、小説でいくら説明されても実感できなところが、映像で見せられる部分。見ると、震撼する。この作品の大きなポイントは、兵器として扱われていたはずの、ある種の人類の異種というか進化版としての魔法師という種族が、世界にどう受け入れられいくかというハードSF的な観点も小説では背景に大きく流れているところ。ただそれは、魔法師という存在が、いかに一般の人類とかけ離れているかという「格差」が恐怖を伴ってありありと描かれなければ、難しい。小説では、既に第三次世界大戦を経て、魔法師の存在が、兵器用の実験動物からちゃんとした人権をもって各国の社会に根づいている。その根づきまでに、凄まじい戦争と混乱があったことは、現代とほぼ同じ生活様式でありながらすでに100年近く経過している西暦2095年が設定であることからもわかる。魔法師の中での達也の強さは語られるし、人権問題で魔法師と一般の人類の格差を叫ぶテロリスト集団がいることなど、様々なポイントが小説では描かれているが、それもなんといっても、どれほど一般人と違うかが実感されてこそ。そういう意味では、この映画は、僕の中ではよかった。


ただ、初見でもわかるようなシンプルさを求めた結果、司波兄妹の、やりすぎだよのイチャイチャ感とか、そもそも劣等生のはずのバカにされている達也が俺TUEEEEと強者をなぎ倒していくカタルシスなど、この作品の前半の面白さのコアがあまり強調されていないところは、残念だった。まぁ、あまり求めすぎても仕方がないのだけども、これだけ面白ければ。スコアは、低いが、満足感は素晴らしかった。

魔法科高校の劣等生 Blu-ray Disc BOX(完全生産限定版)

客観評価:★★★★4つ

(僕的主観:★★★★4つ)

ちなみに、見たら我慢がならなくなって、未見だった小野学監督のTVアニメーションも、風邪でぶっ倒れて休んでいた日に一気見(至福だった…)。僕が知る限り、かなり評判悪い感じだったが、僕的には、なにが悪かったのかよくわからなかった。というか、十分以上によかった。2クールで、九校戦編、横浜騒乱編までちゃんとツボ抑えて描かれているし、脚本も安定して、水準を超えている。そもそもライとノベルでも化け物級のSAOやこの作品は、普通に映像化すれば、十分以上に楽しいし、なにが問題なのかさっぱりわからなかった。やっぱりTwitterとか人の意見は信用ならないなぁ、としみじみ。とはいえ、なんでも全部自分で見るのも大変ですから、簡単じゃないですけどね。