Hatena::ブログ(Diary)

物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために このページをアンテナに追加 RSSフィード

2015-09-05

万人の万人に対する闘争(such a war as is of every man against every man.)の状況ってのがどういうものなんだろう?

世界の辺境とハードボイルド室町時代

これめちゃ読んでみたいです。思考実験みたいなもので、ホッブスの万人の万人に対する闘争(such a war as is of every man against every man.)の状況ってのがどういうものなんだろう?っていつも僕は思うんですが、僕は、中世ドイツの宗教戦争下や戦国時代の特に信長の時代辺りをいつも思い浮かべているのは、よくこのブログで話しているっと思います。けれども、ただ単に動物のような殺し合いが繰り広げられているわけではなく、秩序とは言えないかもしれないですが、何らかのルールが成り立っているのではないか?とずっと思っています。はっきり答えを言ってしまえば目に目をの復讐法のルールと、それとローカルな未分化の法が交錯してた次元に重層的にある状態だと思っていたのですが、この対談ではまさにそれが語られており、素晴らしくおもしろかった。

謎の独立国家ソマリランド

2014-10-30

もう一つの正義の話

タリバーン幹部からマララへの手紙、全訳

http://tyoscenery.exblog.jp/20345239/?utm_content=buffer24dd2&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

http://earclean.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-bf6a.html

あなたはマララデーが自分の日ではなく、権利の為に声をあげる全ての人々の日だと言った。しかしレイチェル・コリーにそのような日が割り当てられていないのは、(彼女が止めようとしてひき殺された)ブルドーザーがイスラエルのものだったからなのか?アーフィア・シディクの日がないのはアメリカ人が彼女を買ったからなのか?フェザンとファヒームの日がないのは彼らを殺したのがレイモンド・アレン・デイヴィス(CIAのエージェント)だからか?16人の罪なきアフガン女性と子供が死んだのにそんな日がないのは、撃ったのがタリバーンではなくアメリカ兵のロバートベラスだからなのか?

正直に答えて欲しい。もしアメリカの無人機が君を撃ったとしたら、世界はあなたの医学的容態に関心を持っただろうか?あなたは「国の娘」と言われただろうか?メディアは大騒ぎしただろうか?カヤニ将軍が君の元を訪れ、メディアもそれを報道するなんてことがあっただろうか?国連に呼ばれることがあっただろうか?マララの日があっただろうか?

300人以上の罪のない女や子供が無人機によって殺されているが、誰も気にはしない。攻撃するのが高度な教育を受け、非暴力的で平和的なアメリカ人だからだ。


これ、読んでいて、もう一つの正義だなーとなんかしみじみした。これって、グローバリズムに本気で逆らおうって思うと、感じる考え方なんだよねぇ。このへんの進歩主義的なものへの嫌悪って、単純に言うとユナボマーなどの反産業、反近代主義になるんだろうけど、それだと、意見はわかるんだけど、いまいち共感しずらいんだよね。、射程が狭くて。その感情はよくわかるんだが・・・。けど、こういうそこに根づく共同体をベースに話されると、これって、非常にせつないトーンを帯びてぐっと射程が広くなる気がする。

EDEN(18) <完> (アフタヌーンKC)


最近読み直していた遠藤さんの『EDEN』と村上龍の『半島を出よ』を思い出したなー。『EDEN』で大きなテーマとして、進歩から取り残されて絶望した人をどう救うか?という話と、『半島を出よ』で北朝鮮の古老が、肥え太ってアメリカナイズされた日本人を罵倒して、あの偉大だった大日本帝国の意志をつがないクズどもめ、といわれるシーンとか思いだしたなぁ。

半島を出よ〈上〉 (幻冬舎文庫)

2014-08-30

コードギアス反逆のルルーシュを見直しました!

コードギアス 反逆のルルーシュ R2 5.1ch Blu-ray BOX

最近忙しすぎて、記事が全く書けません。とはいえ、アメリカは今3連休なので、9/1はlabor dayですので、さすがに少し余裕がある。昨日、こつこつ毎日1-2話ぐらいで、ストレスの緩和のために見続けた『Code Geass: Lelouch of the Rebellion』のR2を見終わりました。いやーえがった。僕、反逆のルルーシュ、物凄い大ファンなんですよ。リアルタイムの時も、たくさん記事を書いていますよね。なので、この胸にとても残っている。文脈的に意味があっただけではなく、たぶん物語としてととても好きなんだろうと思います、こうして見直すということは。


古い作品って、見るのを躊躇するんですよね。ましてどんなに名作でも一度見たものは。これだけまだ見ていないものが溢れていると、なんだか時間の無駄なような気がして、時間は限られているので、、、、だけど、だからこそ、贅沢って感じがします。また年齢が変わったり、経験が変わってみると、見方も凄く変わるので、こういうのいいですね。記事こそ書く余裕はないですが、精神の平衡を保つためにも、毎日Kindleで漫画を大人買いしたものを見続けていたりします。ああ、こういうのがこれだけ容易に手に入るって、今の世界は素晴らしいですね。ほんとうに。


これ、一気に通してみると、いろいろなことを思いました。


一つには、R1というか、最初のシリーズが圧倒的に名作で出来がいいってこと。それは、日本が植民地となりエリア11という支配されているところでのレジスタンスという、非常に物語のテーマが絞られていて、そこを丁寧に描いているからだろうと思う。このテーマは、やっぱりおもしろいんですよね。ニッポン・バンザイという叫びは、戦前のイメージが強くて、あまりイメージがよくないのですが、レジスタンスで描かれたり、イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』の栗林中将のバンザイのように、意味や文脈が変わって描かれると、センスオブワンダーがあって、凄い感動します。レジスタンスものでは、僕はアメリカのドラマで『V(ビジター)』というのがあって、あれが好きだったなー。

V [ビジター] アンコール DVDコレクターズボックス

硫黄島からの手紙 [Blu-ray]


また、僕は全作品中圧倒的に、枢木スザクが大好きなのですが、、、、大好きというのとは違うかなぁ、、、現代日本人のヒーローを描くと、これって凄いモデル的なヒーローだなって思うんですよ。だって、物凄い矛盾溢れている。命を守ることや、すべてを守ることに固執するが故に(絶対平和主義的な)、自分が壊れていく様や、それ程の平和主義者なくせに、軍人になって凄い武力を持っているという矛盾。彼の価値は純粋に、軍事力としての部分が多き。。。存在そのものが武力なんです。結果ではなく、手段に優先順位を置く極端さ。その矜持と自覚。そしてなによりも「それならば自分はこの世界に生きる必要性を感じません」と言い切る、手段に殉じる強烈な殉教精神。そして、その殉教精神がただの自殺や逃げに収まり切れない何か大いなるものにつながっている王の器を感じさせるところ、、、まぁ、LDさんのスザク解釈そのままですが、R1では、そのスザクのキャラクター性が、十全に表現されており、R1はまさにスザクが主人公といってもおかしくない、レジスタンス・ニッポンの象徴のような存在でした。この、矛盾溢れる、平和を志向するのに暴力的存在であったり(本人は矛盾で凄い苦しむし、悲しいんだけど、ものすごく強かったりする)、手段に殉じようとする忠義的な、合理性では測れないような極端な思い込み(=外からはミステリアスに見えるところ)って、現代日本をすごい感じさせる気がします。タイプムーンの衛宮士郎なんかもこの造形に近いと思うんです。この全てを救おうとして、自分が壊れていくことや、結果を重視する合理精神を超えて、手段へのこだわりを見せる、、、ものすごく甘くバカなんだけれども、それが貫かれると一種のすがすがしさと感心をもたらすんですよね。すげぇ、不可解な人なんだけど。これって、現代日本だよなーて思うんですよ。


CLAMPさんのキャラクターデザインもいいんだろうなー。CLAMP的には、スザクのデザインが、明らかに主人公格ですよね(笑)。僕は、スザクが、物凄い好きです。ちなみに、CLAMPさんも、ちょうちょう好きです!!!

ツバサ(1) (Shonen magazine comics)


もう一つは、R2の、、、なんというのだろう、何人かの友人は、R2って出来が悪いっていうんですよね。話がおとぎ話の様に極端だし、話が飛びすぎるって。僕は多分、当時の評価も同じこと書いているんですが、R2絶賛しているんですよね。それは、この作品が、R1で広げすぎた風呂敷を、ちゃんと1)物語的に収束さえようと意思しているところ。2)またその時点でありうる物語的(SF的?)文脈のすべてを書き切るという荒業に出ているところです。


何度も書いているんですが、商業作家というか、作家の一番重要な部分の一つは、広げた風呂敷をどう収束させるか?というところにあります。アイディアだけで広げるのはできるんですが、それを収束させるのには技術と根気と力量が必要です。そして、完結しないと、傑作としてアーカイブに残りません。相田裕の『ガンスリンガーガール』を僕が絶賛する理由はそこに有ります。そして、作家の人に聞くと、この風呂敷を収束させるさ行ってつらく険しくしんどいってみんな言うんですよね。少なくとも僕が知る限りでは。それは、もう結論が決まっているところへ落とし込んでいく「作業」になるからだろうと思います。これが、ちゃんとできているってのは、僕は、R2は素晴らしいと思うのです。仮にそのために、24話で話が描ききれないボリュームになって、演出の丁寧さが失われたとしても、僕はギリギリ破綻しないラインで保たれている、そのぎりぎり感が素晴らしいと思いました。

GUNSLINGER GIRL(15) with Libretto!II (電撃コミックス)

コードギアスが、演出の丁寧さ、、、言い換えれば各エピソードの積み上げを、ショートカットしたことには、僕は意味があると思っています。けっして尺が足りないからだけではなく、たとえば100万のキセキのエピソードでは、特区ニッポンからレジスタンス分子を分離するために、確かにあの話は政治的な可能性としては、物凄い論理的にわかるものです。というか、あれしかないでしょう。けど、ユーフェミアが構想したナンバーズとの共存政策は、世界政府への一歩なので、あれを超えて物語を進めようと思うと、凄まじい積み上げが、、、それこそ、24話まるまる描く話になってしまいます。けれども、それでは、R1と同じで、ニッポンという一国家や民族のレジスタンスの物語になってしまいます。それでは、もうパターンなんですよ。それを超えようと思うって、尺を残そうとすると、百万のキセキで一気に話を進めなくてはいけない。


その後、超合衆国で、ニッポンと同じような状況の各国を連邦的に同盟を結ぶ方法、軍事力を一元的にもたせる(これかわぐちかいじさんの『沈黙の艦隊』でやってましたねー)こと、これって、ようは世界政府の樹立の物語なんですよね。ガンダム・サーガで僕がいつも話しているテーマにつながっていく。


じゃあ、ナショナリズム(=ニッポンのレジスタンスの物語)から、地球連邦政府に飛躍するために、論理的に物語の世界ではどういう分岐があるかといえば、5つ(いまぱっと思いついたので整理しきれていないですが)あるんですね。その5つをすべてちゃんとわかるように描いているんですね。これって、真のグローバリズムが成立して、世界というつ政府が成立するにはどうすればいいのか?という、ガンダムサーガの世界と現代の僕らの世界の間にある問題点なんですね。次の世界政府に行くためには、逆に言うと以下のような問題点と解決方法がある。


1)シャルル・ジ・ブリタニアによる力による1国による世界制圧(ネオリベラリズムですね!)


2)ゼロが志向した超合衆国:各国政府が軍事を放棄して同盟を結ぶことによる世界政府の樹立・純粋軍事力の確立をどうするかの問題(グローバリズムの追及ですね)


3)集合無意識に人が統合されることによる戦争のない世界の成立(SFの最大テーマである全体と個の結論ですね!)


4)シュナイゼルによるダモクレスによるシステム(=核ミサイルのような戦略殲滅兵器)による恐怖による平和の確立


5)そして、世界の憎しみを一人の人格に集中させることによる、王自らが犠牲になることによる人類の統合ですね。

 

それぞれに、既に過去の先例があります。2)の純粋軍事力って、かわぐちかいじさんの『沈黙の艦隊』ですね。これは、4)のダモクレスのシステムと同じものでもあります。戦略原潜で、世界中に核ミサイルによる恐怖で戦争をなくすことです。これは、現在まで続く米ソの戦略とほぼ同じですね。お互いが同じだけの戦略核兵器を持ってバランスすれば、世界は平和になるという考え方です。これ、現在の人類の基礎構造となっている考え方です。そして事実、この危ない状況下で、人類はまだ生きている。

沈黙の艦隊(1) (モーニングKC (192))


3)は、少し角度が違うのですが、SFの全体と個という究極のテーマの一つで、これがもっとも有名なのは、アーサ−・C・クラークの『幼年期の終わり』と庵野秀明の『新世紀エヴァンゲリオン』の人類補完計画ですね。この辺の全体と個のテーマをうまく説明している評論では、中島梓さんの『道化師と神』がおすすめです。同時に栗本薫さんの小説『レダ』と『メディア9』の3作を読むと、完璧にこのディストピアモノやSF古典テーマの骨格が完璧に理解できるようになると思います。この3作は手に入れるのが難しいかもしれないですが、現在でも色褪せない読みやすさと面白さ、そして、SF古典の中心テーマを非常によく理解している人が、その自覚をベースに描いた作品であるので、僕はペトロニウスの名にかけて傑作であり読む価値があると思います。

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫) 新世紀エヴァンゲリオン TV版 プラチナ コンプリート DVD-BOX (全26話+ディレクターズカット版4話, 660分) [DVD] [Import] レダ1 (ハヤカワ文庫JA) 

あっちなみに、3)はCの世界のこと言っていて、これは、弱者であった時の記憶を色濃く持った為政者がよくこの発想にたどり着きます。ようは、ミクロで人間が信じられないことと、マクロを体験した時の人類の欲望のありかたの醜さ、どうにもならなさが重なって、人類なんかなくなってしまえ!!!!(デビルマンですね)と思いつくか、人間に、自分と他者がいるという構造的問題点があるからこそ、こういう争いが起きるのだ!!!という事実から、ならば人類の自己と他者という壁をなくしてしまえば、お互いがわかりあって、戦争や争いはなくなる!と考えることですね。とても論理的ではあります(苦笑)。


改訂版デビルマン(4) <完> (KCデラックス )

このテーマはいろいろありますが、人類補完機構シリーズを描いたアメリカの作家のコードウェイナー・スミス(Cordwainer Smith)の『ノーストリリア』(Norstrilia)とか『第81Q戦争』 (The Instrumentality of Mankind)とか、古典でありますねぇ。ちょっとずれるけれども、非常に古典的な貴志祐介さんの『新世界より』とか沼正三『家畜人ヤプー』なんかも、人類を作り替えてしまおう!という志向性は、この集合的無意識に人間を溶かしてしまえ!(構造的に人類という種を作り替えてしまえ!)という発想と同じなのかもしれません。ふと思いました。この辺どれも大傑作なので、続けて読むと、面白いですよ。『家畜人ヤプー』は、ちょっと読むのはしんどいので、確か漫画化されていたので、そっちで読むといいかもです。これもどこに力点を描いて描くかで、作品の焦点が変わってしまいますね。一番典型的なのは、やはりクラークの『幼年期の終わり』が王道ですね。小川一水さんが『フリーランチの時代』という短編集で、最初に書いているのが、これだったはず。ああ、あれは、集合無意識に溶けるのではなくて、人類が違う種になってしまう話でしたね。

新世界より(上) (講談社文庫) 第81Q戦争―人類補完機構 (ハヤカワ文庫SF) 家畜人ヤプー 1 (バーズコミックス) フリーランチの時代 (ハヤカワ文庫JA)


このへんは、SFに全体と個というテーマがあると認識して読まないと、なんでさまざまな作家が、いろいろなパターンを追求してアイディア勝負で物語をつくるのかが、わからなくなります。この辺は教養がいる見方ですね。ちなみに、最近でこのテーマは、水島監督の00の劇場版でしたね。これ、ルイさんに、見ろ見ろって言われてたんだよなー。。。。懐かしい。


『劇場版 機動戦士ガンダムOO ―A wakening of the Trailblazer―』 水島精二監督 人類の正しい発展の次の段階とは?http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20121207/p1

劇場版 機動戦士ガンダムOO ―A wakening of the Trailblazer― [DVD]


そして、5)は、なんといっても永野護の『ファイブスター物語』のアマテラスの帝ですね。まぁ、これは読んでいないと、ちょっともったいなさ過ぎるでしょーという日本のエンターテイメントの世界で現在進行中の生きる伝説なので、まず読みましょう。まぁ簡単にアウトラインを言うと、アマテラスという皇帝がいるんですが、その彼が、ずっと殺し合いをしている星団中に大侵攻をするんですね。そして星団をすべて統一する。しかしそれは、一つに統合することの出来ない人類を一つにまとめるための手段だったんですね。自分に憎しみが集中すれば、バラバラだった民族や国家が統合すると。そして、彼は星団統合後、自分の部下に自分を殺すためのレジスタンスを作り、自分を殺せという命令を出します。もちろん秘密裏にね。まさに、ルルーシュがやったことと同じでしょう?。人類は敵がいれば統合するという、逆に言えば、敵がいる限り殺し合い続けてしまうという黄金律というか人類の存在の在り方を逆手に取ったわけですよ。この物語類型は、たくさんでています。


ファイブスター物語 (3) (ニュータイプ100%コミックス)


たとえば、

『ヴァンパイア十字界』7巻 城平京:著 木村有里:画 そこまで個人がマクロを引き受けていいものか

http://ameblo.jp/petronius/entry-10042160254.html

『ヴァンパイア十字界』 "THE RECORD OF FALLEN VAMPIRE"

http://ameblo.jp/petronius/entry-10041498470.html


ここで、この話の類型を僕が初めて見つけたときですねー。

ヴァンパイア十字界1巻 (デジタル版ガンガンコミックス)


話が長くなりましたが、ようは、コードギアスR2って、この時代に展開している、「現代のわれわれの社会」と「地球統一政府がある世界(ガンダムの世界)」の間にある飛躍を超えるには、どういう可能性の分岐があるか?というテーマがあって、エンターテイメントの世界では、上の5つぐらいの可能性の分岐の物語類型がつくられ続けているんですが、、、コードギアスR2の凄いところは、この全てをちゃんと描いているんですね。たった24話の中に。それは、これまでの作品では、物凄い尺を使って描かれてきています。『ファイブスター物語』なんかを見ても、わかりますが、もう終わらない物語級の長さです。それくらい、もう一つ現実のわれわれが体感していることを超える概念を物語でわかるように表現するには、難しい技術だからなんだろうと思います。それを、ショートカットしている(積み上げが弱くなる)とはいえ、破綻せず、物語のダイナミズムを失わずに描き切ったのは、僕は本当に素晴らしいと思いました。これ一気に見ると、そのすごさが凄く感じます。よくこの短い中に、これだけの巨大な類型を5つも突っ込んだなって。特に、ラスト10話しぐらいで、一気にこの可能性の分岐を、シャルル→シュナイゼル→ルルーシュと一気に畳みかけます。これは本当に荒業ではありますが、僕はその挑戦意欲と、完成度は、大成功のレベルだと思います。だからこそ、もう一度見直したくなるんだろうと思います。


そういえば、びっくりしたのですが、アメリカで買うと、アニメのDVDって、めっちゃ安いんですね。なんでだ???。


Code Geass Lelouch of the Rebellion R2 - Coffret 2/3 (Saison 2)

2013-04-24

『セディツク・バレ』(原題:賽克·巴萊 /Seediq Bale) 2011年 台湾 ウェイ・ダーション監督 見たいっ! 見たいっ! 見たいっ!

f:id:Gaius_Petronius:20130420091627j:image

これは、見なければなるまい。単純に面白そうというのもある。やはり、社会が成熟してくると、いろいろなものが出てくる。もう絶対大傑作だと思うよ、これ。どう考えても。だって、日本の軍人のかっこよさとセディツク族のかっこよさが、二人が相対する場面を見ただけで、等しく描かれているのがわかる。それだけで、この作品の深さと意図がわかる。

1930年の霧社事件の映画化だ。台湾の植民地統治は、僕は、まだ断片しか知らない。李登輝の話(国民党の話)、後藤新平の植民地統治のマクロの話、『お家さん』の鈴木商店の金子直吉と台湾銀行による台湾のインフラ整備の話、佐々木譲の『昭南島に蘭ありや』の台湾人の商社マンの話、坂井三郎の戦記においてゼロ戦の基地があったこと、そんなものだ。あとは、僕はビジネスで、台湾に関わっていたので、直近の10年ぐらいの台湾はマクロはともかくミクロでどういうところなのかはよくわかっている。もちろんのこと同僚や友人もたくさんいる。

後藤新平―外交とヴィジョン (中公新書) 昭南島に蘭ありや〈上〉 (中公文庫) お家さん〈上〉 (新潮文庫) 新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論 「武士道」解題―ノーブレス・オブリージュとは (小学館文庫) 大空のサムライ(上) 死闘の果てに悔いなし (講談社プラスアルファ文庫)


しかしながら、台湾原住民との関係をより詳しく描いたもの、植民地統治の軋轢を描いたものは、これまで見たことがなかった。後藤新平と京都帝国大学の土地区画調査のプロジェクトで、土地の所有権の概念があいまいだった原住民の調停方法としてこれを利用する話が出てくるぐらいだったと思う。しかしながら、ここに出てくるいわゆる台湾原住民、高砂族らこそが主人公の物語を見たことはなかった。そういう意味で、これが、出てくることは、素晴らしいと思う。もう、いまから楽しみで仕方がない。いったい何を見せてくれるのか?と。ああ、こういう物語が出てくると、視点が平準化されるんですよ。相手側の主観視点で、相手側の正しさを描いた物語に触れないと、人間というのは自己を相対化できないんですね。そして、両サイドからの視点を体感できるようになると、、、、世界はいきなり豊饒さを増すんです。それになんといっても、高砂族(この呼び方がポリティカルコレクトネス的に正しいかは僕はまだ知識がないんで、まずはこれで描きます)って物語見たかったんですよ。彼らって、義勇兵として密林のジャングルにおいて無類の強さを発揮した凄まじい軍人だったんですよね。大英帝国におけるグルカ兵のような。もうそれだけで、凄いドラマトゥルギーを感じるじゃないですかっ!。

f:id:Gaius_Petronius:20130420001230j:image

1895年から1945年まで、日本が台湾を統治した期間は50年に及ぶ。台湾の近代化をはかる日本の植民地政策によって、それなりの社会資本の整備が進められたが、当然、いくつかの摩擦が生じる。1930年、壮絶な事件が起こる。霧社(むしゃ)事件である。

 もともと、台湾の山間部に住む原住民族のセデック族が、30年以上にわたって服従を強いる日本に対して、ささいな衝突から武装蜂起する。霧社という山岳地帯に住むセデック族のグループのひとつ、マヘボ社という集落の頭目モーナ・ルダオが、ほかの5つの社と合わせて約300人ほどの勢力を率いて、霧社にある日本の駐在所や、学校で開催されていた運動会に乱入する。もちろん、日本人ばかりを狙っての襲撃である。結果、約130人もの日本人を殺害する。日本軍は反撃する。物量で圧倒する日本軍を前にして、マヘボ社をはじめ、6つの社の全滅は明らかである。結果、1000人ものセデック族が殺害される。

 映画は、精密な調査に基づき、セデック族の日常から、日本統治の実態、事件の顛末を描いていく。日本の統治が始まって30数年経っているため、日本の教育を受けているセデック族は、丁寧で流暢な日本語を話す。日本人もまた、統治する関係で、セデック語を話す。但し、その話し方には、支配する側と支配される側との、微妙なズレが存在する。この辺りのニュアンスは、中国語や英語字幕では、なかなか理解できないかもしれない。


http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1366188446074/pid_1.html


f:id:Gaius_Petronius:20130420091513j:image

これまで、後藤新平の台湾の植民地運営をベースに、帝国がどう形成されるのか?という近代化の運動について考察をしてきた。このことは、佐久間象山が近代化のモデルケースとして、フランスのナポレオンのヨーロッパ解放の手法をモデルとしており、その後も、日本の近代化と植民地化の原型になったのではないか?という視点でいま調べている。調べているって、なんちゃって、考え?だけどね。素人だから。ただの連想・妄想ですが(笑)。

この霧社事件は、理蕃政策(りばんせいさく)を見直し、その後、台湾原住民を日本人と同等に位置づけ、皇民化政策の対象として切り替えていくきっかけになっているみたいなんだよね。これは、帝国の理念、帝国の倫理的「正しさ」をどう打ち立てるかという当時の大日本帝国の苦悩と表すステップで、とても興味深い。

ナポレオンのヨーロッパ解放と大陸制圧は、現地民衆の圧倒的な支援と現地の物資徴発に支えられていました。その後の日本軍の物資の現地徴発の考えからいっても、これとても興味深い類似性だと僕は思っています。もう一つ言えば、なぜナポレオンは成功して(実は最後には失敗しているから失敗のモデルケースなんだけどね)、日本軍は失敗したのか?どう外部・内部環境が異なっていたのか?というのは興味深いところです。それは、歴史を知ることになるからです。まぁ結論としては、民族自決の概念の浸透なんだなろうけれども、もっと具体的なメカニズムが知りたい。逆に言えば、初期のナポレオンの、あれだけ主権意識が強いヨーロッパ各国の制圧がなぜあれほど容易にできたのか?など。

皇帝ナポレオン〈上〉 (角川文庫)皇帝ナポレオン〈下〉 (角川文庫) 小説 琉球処分(上) (講談社文庫) 小説 琉球処分(下) (講談社文庫) 王道の狗 (1) (JETS COMICS (4221)) 「日本人」の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで テンペスト  上 若夏の巻

また、このテーマは、「帝国」を形成するというのは、どういうものだったのか?ということともつながっている。こつこつ大英帝国の歴史を調べているのも、その一環だが、最も近く結びつくのは、大日本帝国の帝国形成はどのような運動だったのか、だ。それはつまり、皇民化政策というものの、実態を見ていくことだ。まだそんなに、それをうまく表現したエンターテイメントや物語があるわけではないし、いい本がわかっているのではない遅々としたものだが(いいものがあったら、ぜひ紹介してください)、大城立裕の『琉球処分』や池上永一『テンペスト』を見て、このあたりのイメージは非常に豊かになった。やはり、単純に学問的なものだけで見るよりは、イメージの喚起力がある物語がとてもいいと思う。そういう意味では、この映画は楽しみでたまりません。

何度も言うけれども、テーマを持って継続的に調べる、思い込みでもいいので自分のテーマを持って統合しながら解釈する(その後間違っていれば解体すればいい)、そして自分のアタマで考えるプロセスがないと、人は、自分でものを調べたりする意欲はなくなるし、何よりも頭に残らない。なので、テーマを持つことは大事だ。テーマは極端で偏っているほうがいい。重要なのは、自分のイデオロギーや偏見やテーマの「まったく反対の極の意見」も同時に収集して、自分の視点を構築する(=信仰する)と同時に、その信仰を解体する視点も形成するように努力することだ。そうして、バランスが取れる。すっごく、雑ないいかをすれば、日本の歴史を勉強する時は、いかに日本が正しく素晴らしかったか!という視点で主軸を形成しつつ、いかに日本が汚くて間違っていたか?という対抗視点を同時に作る。これ順番は、この順番でなければいけない。否定から入ると、虚無にとらわれて、アパシーに騙されるからです。



李香蘭主演の1943年の『サヨンの鐘』という映画も見れたらみたいなぁ、、、。どこかで見れないかなぁ。

f:id:Gaius_Petronius:20130420090231p:image

ちなみに、文明を嫌った部族が、近代社会に接続されていくときに、何が正しかったことなのか?を考えるのにあたって、まさにこのテーマを全力で扱った沢村凛さんの『ヤンのいた島』をお勧めしたい。これは、素晴らしい物語です。

ヤンのいた島 (角川文庫)

2008-12-28

この悲しい世界で家族を求めてさまよう物語類型〜スメラギ・李・ノリエガとソーマ・ピーリスちゃんの遍歴

■少数が反抗することの正統性〜テロリズムを肯定できるのか?

ルイ >> どうでしょうね。宇宙進出の段階に至っても、軌道エレベーターは三本生まれてしまった。そして国家的に宇宙産業に貢献できないなら、そこは切り捨てられていく・・そういう世界ではありますよね。まぁそれも眺めていれば数百年で解決、というか切り捨てられた国家が消えて終わるでしょうけど、今ある想いの話なんで、それは勿論マクロ視点からすれば糾弾されうるし、されたときに反論する言を持たないでしょう。でも、そこで声を上げる事をやめていいのかって・・・・・・・・・・・・・・・・・テロリズムの論理以外の何物でもないのは何故だw

中略

ルイ >> 最大多数の最大幸福、とやらに人間が皆迷いなく邁進できるなら、その種は人間なのかって話・・・なのかも。とにかく、CBがペトロニウスさんの理屈でもって論破されちゃうのは、さすがに意図してのものだとは思ってます。嫌いなのは、仮初の良い人っぷりをアロウズ作って演出してることだけでw



漫研より

http://www.websphinx.net/manken/


ここは、僕はどうかな?と思うんですよ。というのは、少なくとも1期は、もし論破されるのが意図されているとすれば、もう少し物語の作り方を考えても良かった思うし、なによりも、明確に「マクロの正しさに押しつぶされて、殺される少数が反抗するのは正当である」すなわち言い換えれば、「テロは正しいのだ!」というドラマトゥルギーを描かなければなりません。けど、そんな素振りを全然感じないんですよね。

『コードギアス・反逆のルルーシュ』の第一期で、黒の騎士団という日本一国のナショナリズムのレジスタンスが、世界国家運営に飛躍するためには、なんというか強引すぎる「飛躍」が必要でしたよね。レジスタンスの反抗的で武力闘争にコミットする100万人?近い人間が、国外逃亡するっていうような。あれが、土地に縛られない純粋な武力集団となって、いわゆる国連軍的な、ナショナリズムをいったん放棄した結社という形になったので、超合衆国という、ナショナリズムを超えた統合の契機になりました。あれはあれで、かなり飛躍があって、物語的に、おいおい???という感じでしたが、とはいえ、テロリズムを肯定するか?という部分を、大ウソながらにちゃんと課題として受け止めて物語を展開していると思うんですよね。つまりは、ナショナリズムによるテロではなくて、超国家・・・・地球の統一をかけての「正しい戦争」に変えてしまえ!という答えです。

現状は、テロリズムは犯罪です。が、国家間の戦争自体は、合法なんです。このへんの大ウソのかまし方としての先達は、『沈黙の艦隊』の海江田艦長ですね。基本的に、テロリズムが、ナショナリズムに対抗するときに掲げる大義としては、あれぐらいしか今のところ思いつきません。まぁ現状はおとぎ話のレベルを超えませんが、政治的にも、超国家軍隊の創設は、今後の人類の課題であることは間違いないです。

なんというか、近代化や資本主義のマクロの正しさが、証明というか、人類の成長という意味で多数に合意されている現状では、マイノリティの一番正しい対処の仕方は「じわじわ減らしていくこと」なんです。

LD >> そこはアローズもCBと同じ性急さを持っていて、それが失策な面がある。(戦略、政治的に考えるなら)本当はマイノリティは、生かさず殺さず、じわじわと減らして行くに限るんですよ。それが最も反撃を食らいにくい方法なはずでw

現代社会の厳しさというのは、100年前と違って、マイノリティを皆殺しにすることが、さまざまな意味で難しくなっていることなんですよね。だから、やるならば、表だって意見が出ないようにじわじわと、その人たちが寿命とかでいなくなって散逸するのを待つんです。それは、もちろん「切り捨て」なんですよね。アローズやCBは、それが我慢がきかないほど稚拙で早すぎるだけ。まぁ手段が拙速かどうかで、ジェノサイドとなんらかわりはありませんがね。少なくとも、ソフィスティケートされた形であるのは間違いない。

資本主義が怖いのは、貨幣と商品によって、強制的に自己完結型の共同体に、欲望をドライブさせることで割り込んで、完結した文化(=共同体)をじわじわ崩壊させていくからなんですよね。アフリカやニューギニアとかの未開の部族(ってこの言い方も失礼な言い方だが)自給自足の村なんかに、貨幣とお酒とタバコを持ち込めばてきめんに、壊せます。ちなみに、チベットやネパールぐらいのレベルになると、相当壊すのが難しいほど文化的な求心力が強いので、まぁ覇権国は、100年単位でインフラストラクチャーを自国の内需経済にリンクさせて、その「濃さ」を薄めようとじわじわやります。かつての米国のインディアンの強制移住法や日本のアイヌなどへの皇民化です。だから、文化防衛という形では、北朝鮮のように鎖国したり独裁などでグローバル資本主義とのリンクを強制的に遮断するって発想は、明らかに無駄であるし国民に重圧ではあるのですが、発想としてはナショナリズムに対抗する、切ない抵抗ですよね。

ちょっと難しい話になってしまったんですが、この「課題」をどう料理するか、って部分は、今後こういったロボットアニメやガンダムサーガを作っていく上で、とても重要なポイントだってことが分かってきました。なぜかといえば、ファーストガンダムで冨野監督が、オリジナルを作った時点で、すでにこういったテーマは、今の極限レベルまで展開されているんですが、、、、現代は、物語に現実が完璧に追いついてしまっていること、また「そのこと」を市民一人一人のレベルで理解できちゃっていること、ってのが、さらに当時よりも問題を前面に押し出すことになっているんだと思います。

ちなみに、アメリカでこのテーマをおもいっきり追及しているのはFOXのドラマ『24』ですし、クリストファーノーラン監督の『ダークナイト』なのでしょうねぇ。


LD >> …でも、俯瞰してみると、セツナを中心とする「世界が平和的に一つにまとまって行こうとするから見捨てられる人々」ってのはいるんですよね。その彼らが「俺達を見捨てている事を思い知れ!」ってテロに走るのは実は分る話…だと僕は思ってしまう。


そうそう。「俺達を見捨てていることを思い知れ!」という少数マイノリティ切り捨てへのレジスタンスは、普遍の物語なので、思いっきり書くならばこれをこれで描くのはありだったとは思うのだ。ただ、世界が統一化に向かっているマクロ環境を設定した時点で、それへの抵抗が、「テロリズム以外の手段がない状態に閉塞している」こと、、、テロリズムの肯定は、資本主義で虐げられている国々から、東京のど真ん中でテロを起こされて家族を殺されても肯定しろ!ってことと、同義であることも、理解して書かなければいけないので、難しいのだ。

こういうテーマが日常に顕在化している以上、やっぱり第1期のCBは、ちょっちアホ(よくいえばカルト集団)だし、2期のアローズに至っては、視聴者が理解というか感情移入困難だから、物語上わかりやすいようにこうしました、見たいな安易感を感じてしまうんだよねぇ。仮に、最初から意図してこの構成を考えていたとしたら、少なくとも上で語ってきたテーマ的には、何にも答えていないので、僕としてはさびしい。物語は、もちろん「それ」だけではないので、だから駄目だとか監督や脚本家が下手だとは思わないけれども、少なくともぼくは、2度と見返したりしない作品だなぁ。いや、1度でもこの時間がない中、見ている上に、こうやって意見を言いたくなるくらいだから、決してレベルの低い作品ではないだけに、おしい気がする。



■偶然集まったアソシエーションが、家族(=共同体)に転化していってしまう物語類型


では、このガンダム00って、何を描いた作品なのか?少なくとも、面白いおって思えるのはどこなのか?って部分に話を進めてみたいと思います。あのね、この作品って、まったくもってロボットアニメだなぁと思えるのは、恋愛が皆無なんですよね。これって、意図なんじゃねーかなーと思うんです。

LD >> マリナがセツナの恋人じゃないってのは、すごくしっくり来る話で……セツナに必要なのは母親以外の何者でもないんですよね。…で、CBの思想の胡散臭さは僕は動かないんですが、セツナが「俺を見捨てるな!」とその道を行く事は分るんですよね。そこはルイさんの「取り入れた」と共通する所かも。…逆にいうとセツナがいないとイオリアはじめとしてCBのメンツは皆かなり胡散臭いわけで。


中略


LD >> スメラギ・李・ノリエガさん、何か知らんが味方を沢山殺してしまったから、思いあまってCB運動に参加しました?……甘えるなよ学生wって感じですし。

ルイ >> 味方を沢山ってか、大事な人が死んじゃったんですね。で、マクロ>ミクロの計算式に首肯できなくなった。香月博士が知ったら鼻で笑いそうな話ですが・・・wつけずに言っておきたいのは・・・皆が博士になれるわけじゃない。人間が人間である限り、その「甘えた」ルートを選ぶ人もいるし、それは甘えといわれたら言い返す言葉もないし、でも、選ぶ事にその人なりの理はあるんですね。そこに理屈でもって「アホじゃね?」って言うのは、正しいけれど、一方ではまったく問題と関係ない感想、という風にも思うんです。まあ、難しいトコですね。

主人公の刹那が唯一、物語の中では、LDさんがおっしゃるとおり「世界を憎んでもいい子」だと思います。彼は、少年兵としての過去はカルトにだまされたかわいそうな子供で、さらにもう一回ソレスタルビーイングというカルト集団にだまされて入信しちゃった子(苦笑)なんですが、けれども、2期の刹那には、僕もルイさんの意見に同感で、セツナは、「そのこと」がよく分かっていながらも、自分の意思で選択してCBとしての行動にコミットしています。そういう意味では、彼の動機は、とても正統性あるものとして、僕は感じます。逆に言うと、そのほかのメンツの動機ってかなりひどい(苦笑)。スメラギさんとか、最低ですよね(苦笑)。戦術予報士という戦争を職業に選んでおきながら、マクロ>ミクロの覚悟がないなんて、甘えるなよ!ってホント心底思うよ。・・・・まぁけど、こういう方が人間らしいし、こういうダメダメさのほうが、人間らしいかもしれないですがねぇ。まぁルイさんのおっしゃるとおり、香月博士の爪の垢でも煎じて飲ませたいですね。


さて、けれども、このスメラギさんの自己遍歴ってのが、実はこの系統の物語類型のもっともパターン化されたものなんじゃねぇの?って、実は思ってきました。これは、恋愛がこの物語のほとんど無くて、特に主人公のセツナの対になっているマリナ姫が、恋人ではなくて、明らかに母親か姉といった対象としてみなしている部分とリンクすると思うんです。


ようは、これって、この悲しい世界で、家族を探そうという物語になっているんだな、って思うんですよ。


元超兵さんのソーマ・ピーリスちゃんが、まったくの無主義になって、「好きな人がいるから、そばにいる」となるのも、同じこと。そして、これが、もっとも根深いナショナリズムやテロリズム、インターナショナリズムへの抵抗の論理であることもまた事実なんだ。つまりは、マクロがどうなろうと、知ったことじゃねぇ!俺は、おれの家族(=親密圏)をまもるんだぁぁ!!!ってこと。


ルイ >> そんなに「世界を憎んで」はいないと思うんですけどね。>スメラギさん ただただ、切捨てに耐えられなかった。そうしたら自然とCBに行き着いて、今度はCB自体がその「切り捨てられたくないもの」になった。そういう流れだろうと思います。   但し、二期までの間、ビリーカタギリのとこでただれてたって事は忘れてはいけないだろうと思います。その間、フェルト達は歯を食いしばってCB地下活動していたはずです。・・・ロックオンやクリス達を失った事で、また簡単に「やっぱダメだ」と思ってしまったんですね。そういう弱い人間ではあるのでしょう。


LD >> 今度はCB自体がその「切り捨てられたくないもの」になった >成る程。その流れは納得できます。今のルイさんの指摘でスメラギ・李・ノリエガさんが「観えた」気がします。


これってマッチョイズムに対抗する「道端の花を忘れるなよ攻撃」みたいなもので、人類の最前線の進歩の舞台で、マクロ>ミクロを前提として挑み続けるってのは、選ばれた・・・というか少数の頭がおかしな人でないと(笑)なかなかできないものです。積極的に、マクロ的には正しいと分かっていても、それでも「切り捨て」には耐えられないという人は、かなりいるものなんだと思います。そうでないと、ファシズムと全体主義ばかりになっちまいますからね、人類。

けれども、マクロ的な正しさというものはあって、政治的には、これに対抗しようがないんです。また対抗しても、手段としては今のところテロリズム以外はなく、それは、自分が最もしたくなくてテロリストになった根源の「切り捨てたり大事な人を奪われたりしたくない」ということを、再度、拡大再生産することだけにしかならなくなってしまう。


だから、理由もなく抵抗するだけ、、、「しか」できなくなって、何のために戦っているのかわからなくなる。


けど、そうやって、抵抗するために、理由は何でもいいから「集まった仲間」が、最初は目的のための同志であるというアソシエーション(=結社)であったものが、時間を経て苦しみを共有していくことで、家族(=共同体・親密圏)に転化してしまうんです。だから、自分の所属する組織と仲間を守るということが「自己目的化」していくんです。運動家が、運動が終わったんで、また問題を自分で自己生産して運動を続けるようなもの。


「僕にも帰るところがあるんだ!こんなうれしいことはない!」(byアムロレイ)



みたいな。こういったアソシエーションのコミュニリタリアンのへの転換みたいのは、日本社会の文化的作法・伝統みたいなので、これがすぐ世界的に受け入れられる作法なのかは、わからないのだけれども。ただ、、、、、ミクロ的には、非常にわかる生き方だし、対処できないマクロの流れの中で「大事なな人を守ろうとする」ことをしていると、どううしても行きついていく流れなんだよね。

これは、ある種の大きなマクロの流れを描きながら、ミクロで関わるキャラクターたちに、答えが出ないけれども生きる目的を与えるためには、秀逸なドラマトゥルギーなのかもしれない、と思う。そもそも答えがない(=マクロ的には)世界で、それでも生きる意味を見出すにはどうすればいいのか?という。

最初は「主義」「イデオロギー」や「民族」「国家」のために戦い始めるだけれども、途中から大事な人と戦友を守る自衛闘争と化していく、これが世界の真実なのかも。ただ、それはミクロに生きる人間にとっては正しことだよね。だって、生きる意味は、一番は、愛する人と一緒に時を過ごすことだもの。

2008-07-29

メッテルニヒ的なリアリストからウィルソン的な理想主義者に

ライス国務長官の過去と現在

アメリカの次期政権の外交政策は好むと好まざるとにかかわらずブッシュ政権が残したものに基づくことになる。初期のブッシュ外交がどのように変化してきたかを理解することは重要である。イラク戦争への世界的な批判とロシア、中国、インドの台頭によってアメリカの優位は揺らぎつつあると議論するものも少なからずいる。最近のイランと北朝鮮への宥和は多極化衰弱論者の間では象徴的に受け止められている。

以前の記事で述べたように、イランと北朝鮮に対するアメリカの政策の変化は懸念すべきものである(1、2、3を参照)。しかし衰弱論者の見解に同意できない私は、コンドリーザ・ライス氏がワシントンに乗り込んでからの政策ニュアンスの大きな変化に注意を払うことは重要である。

ライス国務長官がフォーリン・アフェアーズに寄稿した二つの論文を検証したい。一つはジョージ・W・ブッシュ大統領の就任以前の選挙運動の期間中に書かれたものである(“Campaign 2000: Promoting the National Interest”; January/February 2000)。もう一つはブッシュ大統領が人気を全うしようとしている最近になって書かれた(“Rethinking the National Interest: American Realism for a New World”; July/August 2008)。両論文で最も重要な違いは、ライス長官がメッテルニヒ的なリアリストからウィルソン的な理想主義者に変わったことである。また、世界の安全保障をめぐる状況もクリントン政権の末期から変わった。アメリカは冷戦の脅威が去った歴史からの休暇より戻ってきた。今やアメリカは9・11事件を経験し、権威主義的な資本主義国の台頭にも直面している。

グローバル・アメリカン政論

http://newglobal-america.tea-nifty.com/shahalexander/


この違いの指摘は、興味深いね。

2008-07-13

『HERO』チャンイーモウ監督 世界のすべてを統一し永遠の平和を構築しようとして大殺戮を繰り返した始皇帝と暗殺者の会話

英雄 ~HERO~ 通常版英雄 ~HERO~ 通常版
ジェット・リー

レントラックジャパン 2005-01-28
売り上げランキング : 20800

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

評価:★★★☆3つ半

(僕的主観:★★★★4つ)


黒、赤、黄、青、白、緑の色彩が見事だった。


ハリウッドの大作ような扱いで、大々的に広告が打たれていたので、アクションを楽しむ「そういった」作品かと思っていただが、どうしてどうして中国文化圏らしい重厚な作品。『初恋のきた道』『あの子を探して』チャンイーモウ監督の作品ということで、中華圏の映画もこういう売れ売れの戦略を行うようになってきたのだなぁ、としみじみ。共産党独裁下の(いまもだが)『紅いコーリャン』の頃からすると、時代は確実に動いているなぁ。


紅いコーリャン紅いコーリャン
莫言 陳剣雨 朱偉

紀伊國屋書店 2004-02-21
売り上げランキング : 7533

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

初恋のきた道初恋のきた道
パオ・シー

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2007-05-30
売り上げランキング : 6683

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

あの子を探してあの子を探して
シー・シアンション

ソニー・ピクチャーズエンタテイメント 2003-04-23
売り上げランキング : 53599

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

昨日(2005/5/15)CNNのTalkASIAで、チャンイー・モウ監督のロングインタヴューがあったけれども、オペラをやったりと、中国文化の世界への発信の代表を担うという気概に満ちていた。16歳で文化大革命にあって、ブラックファイブという中国国民党に関係した一族の出身ということで、10年間!も工場労働させられたという悲惨な経験からすると、亡命してもおかしくないのに、中華文化のハリウッド化大衆化への執念があろうのだろうなぁ、と感じた。中国人のビジネスマンの社長と話をしていると、凄くスマートで優秀なのに、さらっと、文化大革命の時代親から引き離されて10年くらい地方で奴隷のように働いたので小学校しか行っていない!とかいう人が多くて、この世代は気合が張っているなーと驚くことが多い。一人っ子政策の世代は、甘くて甘くて・・・とのたまうおじさんが多い。


ちなみにHEROは、僕は映画館に見に行ったが、京劇の舞台を見るようなハリウッドのカタルシスのあるアクションとは異なりある種の「舞」のような印象を受け、とても不思議な印象を受けた。湖のシーンは、さすがに少し笑えたが。。。シーンごとに、様々な色彩が統一されており、『羅生門』『戦火の勇気』と同じように様々空想シーンを繰り返し見るので、本来ならば筋がわかりにくくなるところが、はっきりわかった。



戦火の勇気戦火の勇気
デンゼル・ワシントン, メグ・ライアン, エドワード・ズウィック

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2007-03-23
売り上げランキング : 33566

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

羅生門 デラックス版羅生門 デラックス版
黒澤明 芥川龍之介

パイオニアLDC 2002-09-06
売り上げランキング : 35150

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


暗殺者が、『史記』に記載され(宗教色の薄い中国文化圏では歴史に記録されることが絶対的価値)歴史に評価されるお国柄で、



『本当の英雄といえる暗殺者は?』


という問いをまっすぐに追求しています。




無名という始皇帝に殺された人々のうらみを一身に背負った名もない暗殺者




中華文化圏という2000年前の唯一の世界のすべてを統一し永遠の平和を構築しようとしてて大殺戮を繰り返した始皇帝



の真剣な会話には、戦慄が走りました。


これは、現代でも通用する問いです。


統一するために圧殺される人々の恨みをどうするか、しかし統一されなければ限りのない殺し合いが永続してしまう。。。。これって、中国共産党の統治へのアイロニーでもあるバックアップとも読める・・・なかなかの内容だなーと思います。


僕は、見て損はない作品だと思いました。ただ、色彩と空間の美しさは、大画面でこそ見たい作品だとは思います。 ハリウッドハリウッドしていて、嫌いという意見は多いが、僕はそれなりに楽しめた作品です。ちなみに上記の会話は、下記の本とかを読んでいるとよくわかって感動すると思います。


小室直樹の中国原論小室直樹の中国原論
小室 直樹

徳間書店 1996-04
売り上げランキング : 106492

Amazonで詳しく見る
by G-Tools