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物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-06-12

『世界にひとつのプレイブック』2012 USA(Silver Linings Playbook) デヴィッド・O・ラッセル監督  見ていて痛くなる映画なのだが、ラストがぶっ飛ぶほどのハッピーエンド

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客観評価:★★★★4つ

(僕的主観:★★★★4つ)

どんな映画か?と言ったら、シャルウィダンスみたいな話、と喝破していた町山智浩さんに一票!。ちなみに、コメディーには全く思えない(苦笑)。崩壊寸前の家庭、崩壊しちゃった家庭、人生のオンパレード。それでもやり直せるというラブロマンスとしてとらえるといいと思う。ラブロマンスとしては、背景の二人が病みまくりなので、その反動もあってラストが、うわーって感じの気持ちよさ。救われることもある、と思うと泣けてくるお話。


これは37歳の元歴史教師の視点Bradley Cooper(パットリック・ソリターノ・ジュニア)で始まります。彼は、どうも精神を病んでいるようで、一度キレ始めると、自分を制御することができない。それで精神病院に入れられているんですね。彼がいかに、メンタル的におかしくなっているかということを、最初のシーンから延々と流されます。そうなったきっかけは、パットが家に帰ってくると、奥さんがシャワールームで「マイ・シェリー・アモール」を流しながら、自分の同僚と浮気しているのを発見してしまって、それで相手を半殺しにして、警察に捕まって精神病院にい送り込まれたんですね。何とか出てくるのですが、精神科医とのカウンセリングで、俺はキレてない!(直前のシーンでキレまくり)とうそを言う日常が続き、もう、この種事項のパットの日常は、ほとんど終わっているんだなーという残念感が漂います。そんな彼を支える唯一のことは、浮気して出ていった元奥さんとのよりを戻すことなんです。彼女とよりを戻すことは、深い愛を重ねてきた自分たち夫婦にとって、正しく、素晴らしく、高み (Excelsior) に上ることなんだ!と叫び、熱に浮かされるように両親い説明するシーンは、もうほとんどストーカー。現実認識が全くできなくなっている残念で、危うい人なんだ、としみじみ、思ってしまいます。ちなみに、そんな彼が、あるきっかけで、さらに同じように心を読んで壊れているカットニスじゃなかったジェニファー・ローレンス(ティファニー・マクスウェル)と一緒にダンスの大会に出場して、いろんな問題を解決する!という(おおざっぱすぎる)物語です。

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■見るべきポイント1

ジェニファー・ローレンス(Jennifer Lawrence/撮影当時21歳)の演技力ですね。2018年の時点でまだ27歳。けれども、素晴らしいキャリアですよね。彼女の出世作は、2010年の『Winter's Bone』。アメリカ中西部のミズーリ州オザーク高原を舞台に、「ヒルビリー(丘のスコットランド人)」の古い因習に縛られた世界の中で生きる少女の役を演じて批評家に絶賛されました。そして、2012年の『ハンガー・ゲーム』でカットニス・エヴァディーン役でブレイクしました。日本でははあまり売れなかったし話題にならなかったようですが、『The Hunger Games』(2008)は、アメリカの作家スーザン・コリンズによるヤングアダルト小説(アメリカでいうジュヴナイルもしくはライトノベル)で大人気の作品で、これで人気が深く浸透した気がします。ちなみに、面白いなと思ったのは、両方の作品とも、アメリカのド田舎から出てくる、もしくはそこの少女という設定なんですね。米国ケンタッキーのルイビル(英語: Louisville)で育ったというのですが、僕はあまりわかっていないんですが、典型的な米国の田舎の、少しあか抜けないんだけど、素材はいい感じの朴訥な女の子的なイメージがあります。彼女の演技力には定評があり、この渋めの作品においても、明らかに支店的には主軸で偏っているパット(Bradley Cooper)の視点で語られるはずのこの脚本においても、途中から遅れて登場する感じなのに出てきた途端、周りの雰囲気をガラッと変える存在感を放ちます。僕は演技自体には詳しくないのですが、それでも彼女の存在感は、確かに、と唸ります。決して、美人じゃない(というのは僕の好みですが(笑))と思うのですが、とても魅力的な空気を振りまく見事な女優です。まだとても若いのに。これからも名作に出ていくと思うので、彼女の初期のこれらの作品を注目しておくのは、価値があるかもと思います。ちなみに、ジェニファー・ローレンスは、オーディションを受けに来たのですが、当時21歳と若く、そもそもその役をさせると森をなかったので形式的なものだったのですが、監督のDavid O. Russellは、「彼女は自然児で別格だ、圧倒された」と評価を一変させて抜擢。その後、アカデミー主演女優賞を受賞するわけですから、監督の目利きはさすがだったということでしょうね。

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ちなみに、キレまくりのジェニファー・ローレンスの役は、まさにヤンデレみたいなところであって、こうした病んだカップルの話が、受けるというのも、ウーム、世の中病んでいるなーとも思う。


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■見るべきポイント2

大げんかしていたパットとティファニーなんだけど、たまたま「マイ・シェリー・アモール」が流れてパットが切れ始めたら、さっと態度を翻して、ティファニーがやさしくなるんですよ。これ、傷ついている人の気持ちがわかる人の行動だよなーとしみじみした。ジェニファー・ローレンスの演技が素晴らしい。しかし同時に、この作品で、ちょっと違和感あるのは、結局は、すべての大本の問題点は、パットの奥さんの浮気なんだけど、それについての理由や原因が説明されていないので、凄い違和感がある。だって、理由がなければ、どう考えても浮気した奥さんが悪いとしか見えないのに、そんな奥さんが好きで好きでたまらないパットの変質さは、???となってしまう。もちろん、浮気相手を半殺しにまでしたのはやりすぎとはいえ、いくらなんでも、情状酌量の余地はあるんじゃないの?と思うのだが。社会的制裁が、パットに集中して(裁判所より近接禁止命令が出てたり)いるのは、なんだか不思議な感じがする。個々の背景が僕には読み解けなかった。


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■フィラデルフィア・イーグルス (英語: Philadelphia Eagles、略称: PHI)の意味は?

この作品を見ると、パットもたいがい心を病んでいるのですが、ロバート・デ・ニーロ(パトリツィオ・ソリターノ・シニア)の役どころもかなり心を病んでいると思うのです。彼の父親ですね。まぁ、息子がなんで心を病んだのかの理由は、描かれていないのですが、、、もちろん最愛の妻の浮気ということもあるのでしょうが、あんなキレやすくて、妄想にとらわれるには、その背景がないとおかしいですよね。でも、実際は特にないんです。これが平均的にアメリカの中流家庭なんだ、という監督というか脚本家のDavid O. Russellの世界観ってこうなの?と驚きました。みんなだれもかれも病むのが普通で、特に理由もない日常だというのは、うーむなかなか救いがないというかクールな世界観だと思う。逆に言うと、それを日常として受け入れているのが現代のアメリカなのかもなとも思う。パットの父親なのだが、最近失業したらしく、アメフトのノミ屋をやってしのいでいる?(いやむしろどんどん負けてお金を失っている)のだが、一発逆転をのみ屋で狙って、チーズステーキ店の開店資金を稼ごうとしている・・・・と、もう結構絶望的。ちなみに、Philadelphia Eaglesというのはローカルな東海岸のNFLのチームで、なんというか、阪神?広島?ヤクルト?野球は、よくわからないが、熱狂的な地元のファンはいるけど、なんというか肝心なところで勝てない、浮き沈みの激しい残念チームなんです。そんなチームにかけるという時点で、もうかなり終わっている(苦笑)感じなんですが、そうした軌跡に一発逆転にかけざるを得ないほど、みんな生きず待っています!というのが背景設定なんでしょうね。とはいえ、2018年の今年の第52回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツを41-33で破り、チーム史上初のスーパーボウルチャンピオンとなったので、いったい何があるかわからん!という感じがします。僕はあまりよく知らなかったのですが、今年、東海岸出身の連中が、興奮して叫んでた意味が、この作品を見て、いろいろ聞いてみてやっとわかりました。これは長年のファンにとっては、そりゃー快挙だわな。


この作品背景には、パットも、パットのパパも、ティファニーも、偶然の不幸に出会ったときに、ほとんど立ち直れなくて人生が迷走するさまが描かれており、脚本監督の世界観が、人間壊れたまんまで、壊れた関係を取り結んで生きているのが普通なんだよね、という諦念を感じて、そこがある意味コメディのような癒しの感覚を作品全体を覆うことになった気がする。


ちなみに、Philadelphia Eaglesの優勝には後日談があって、トランプがいるような、とか、黒人が殺されているのを座視しているアメリカ政府の国旗には敬意を払えないとするような国旗掲揚をめぐる問題があって、それについて切れたトランプ大統領が、定番のホワイトハウスへの正体をキャンセルしちゃったと、話題になったりしています。ちなみに、2017年もゴールデンステイト・ウォリアーズがホワイトハウス表敬訪問を、トランプ大統領にキャンセルされていますね。これ、最近のホットの話題です。


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Trump cancels Philadelphia Eagles visit to the White House

Sophie Tatum

By Sophie Tatum

Updated 11:04 PM ET, Mon June 4, 2018

https://www.cnn.com/2018/06/04/politics/trump-eagles-nfl/index.html


http://www.nba.com/warriors/news/statement-20170923

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2018-05-30

フォレストガンプと大統領の執事の涙を同時に見よう!

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先日、町山智浩さんの映画塾を聞いていて、フォレストガンプの評価がとても興味深かったので、お勧めです。フォレストガンプのモヤモヤしていたところが、すべて取り払われたような気がして、とても面白かった。



1950年代:順応主義・コンフォーミズムの時代


1960−70年代:カウンターカルチャーの変革期


1980年代:レーガノミクスに代表される保守派の巻き返し




こんな風にアメリカはとらえられるのですが、ロバート・ゼメキス監督は、バック・トゥ・ザ・フューチャーで1980年代の壊れた家族を修正するには、1950年代に帰れという物語を描きます。

これが、80年代のレーガノミクスの思想と親和性が高く、プロパガンダにも使われた

ゼメキス監督は、60−70年代の価値評価が空白だったのだが、それを、フォレストガンプで明確に示した

カンターカルチャーの体現者のジェニーが、どんどん不幸になって、貧乏になり、最後に病気で死ぬのは、カウンターカルチャーが、米国を悪くした元凶であったという思想的表現

本来あるべき、キング牧師らの公民権運動が全く描かれていない


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このあたりは、なるほどと唸りました。というのは、本当にすっぽり公民権運動のキング牧師の話が抜け落ちていて、この価値選択を描かなければ、その後の米国社会がどう変化したかが描けないからです。それを無視したかった、もしくは悪いものとして否定している、というのは、明らかに自覚的ですね。たしかに。


しかし、町山さんも唸っているのは、思想的には極論の映画だとしても、物語として、映画としては、素晴らしい出来なんですね、さすがのゼメキス監督。こういうことは、よくある。町山さんがよく上げる『国民の創生』『アポカリプス』なんか典型的です。


フォレストガンプは、60−70年代のカウンターカルチャーが、新しいアメリカを作るために、規制の保守的な価値を破壊して解体した運動であるのは間違いありません。そして、その解体の悪い部分がたくさん出たために、保守派の巻き返しがあったのも、サイレントマジョリティなどに代表される、そこに参加しなかった人々の叛旗が翻されたのが、この時代でもあり、その視点を中心に再構成しなおすというのは、まぁ、ありうるものだと思うんですよ。


では、これに対してどうすればいいのか?というと、もちろん批評家などの人が声を上げるのも、重要ですが、より重要なのは、僕は物語には物語、だと思うのです。


なので、明確にフォレストガンプで描かれなかったものを、すべて描いたという『大統領の執事の涙』は、見事な返歌というかアンサーになっていて、これはいいなと唸ります。


これは双子のようなもので、同時に見見るべき物語だともいます。どちらも視聴後の感触が素晴らしくよく、わかりやすく、しかも米国の現代史を一覧できて、素晴らしいので、ぜひセットで見ることをお勧めします。ちなみに、町山さんの説明も聞くと、より深く楽しめます。


ちなみに、さらにいうと、フォレストガンプは、60−70年代の旧来の価値解体に関して、80年代が過去に戻って保守的価値を再構成すべきという文脈で物語が描かれています。80年代以降が、リベラルな価値で、人々の古いタイプの絆や家族などがずたずたに壊されて、その負の側面が噴出した時代だからです。


同時に、90−2010年代の現代は、いったん解体されて崩壊した絆や家族の在り方が、60−70代的なリベラルな価値観をベースに置いたうえで再度作り直されている時期のものになります。なので、大統領の執事の涙では、ただ壊すだけだったカウンターカルチャーの担い手たちが、長い時をかけて、絆やコミュニティの再生に向けて努力しているさまが意識されています。その果てのオバマ大統領の登場なわけです。


そして、、、、その次の時代は、トランプ大統領の登場です。



アメリカというのが、定期的に極端な価値の振り子をしているさまがよくわかりますね。ちなみに、凄く単純化していうと、フォレストガンプと大統領の執事の涙は、共和党と民主党、保守派とリベラルの視点から世界を眺めると、どうなるかって感じですね。もちろんそうは単純ではないですが、差の「大きさ」がどれくらいかは、これを同時に見るとすごくよくわかると思います。




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2018-05-23

『グローリー/明日への行進』(原題: Selma・2014)Ava Marie DuVernay監督  偉人すぎるキング牧師の実像に踏み込み、米国の今を告発する作品

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客観評価:★★★★★5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)


■見るべきポイント-1〜ジム・クロウ法の具体的な運営方法

まず最初のシーンに、強いセンスオブワンダーを感じた。というのは、ある黒人の女性が正装して、強い意志をもって、公的機関の窓口に出向き、延々と、アメリカに関する問答のやり取りをするところからこの物語ははじまる。最初はアメリカに関する基本的な質問だが、それらの勉強すれば答えることはできる質問(それだってかなり難しい)から、どんどん、いくらなんでもそんなことは答えるのが不可能な細かい質問が繰り返され、ついには答えることができなくて、その問答が終わる。


これは何を描いているかというと、南部の黒人人種差別を構造化するために作られたジム・クロウ法の具体的な運営方法を描いたものだ。


というのは、通常の知識を持っていれば、19世紀にアメリカで黒人が人種差別されているのは、おかしいと感じるはずだ。なぜならば、アメリカ合衆国第16代大統領 エイブラハム・リンカーンが、1852年に奴隷解放宣言を出し、その後、アメリカ合衆国憲法修正第13条が成立し、黒人の差別はなくなったはずだし、黒人に投票権があるはずだから。この戦いを描いたのが、Steven Spielberg監督の『リンカーン』だった。また、南北戦争を戦った黒人部隊第54マサチューセッツ志願歩兵連隊を描いた、『グローリー』(Glory)1989年などが映画で思い出されます。

『リンカーン(Lincoln 2012 米国)』  Steven Spielberg監督 アメリカにおいて憲法修正はどのようになされたのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130520/p1

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憲法と法律ではっきり違法になっているにもかかわらず、この後、ジム・クロウ法(Jim Crow laws)は、1876年から1964年にかけて有色人種の隔離政策が南部では継続しています。実に、公民権運動後、アメリカ合衆国連邦軍による強制介入があるまで、南部が自己の意思でこれを改めることはありませんでした。これ、とても違和感あるんですよね。リンカーンが解放したんじゃなかったのか?、法律に命令できる憲法が制定されているのに、なぜそれに明らかに反する法律が施行、実施され続けていたのか。そして、さらにうと、かりにこうした黒人の平等や投票権が「建前」でしかないにしても、どのようにその建前と、憲法との整合性をとっていたのか?などなど。


ちなみに軽く背景を言うと、アメリカはstateが集まってできた連邦国家なので、個々のstate・州の自治意識というか独立意識がとても強く、単純に連邦が決まったことですべてが一色に染まるということはないのです。とはいえ、じゃあどうやって、憲法の建前上、市民権と投票権のある黒人に、選挙で投票することができないような社会構造を作り上げたか?が、このジム・クロウ法なのです。


アメリカに住んでいる人はわかるのですが、アメリカでは投票をするときには、まず有権者登録という、事前に「これから投票しますよ」という投票する権利を登録しなければなりません。この有権者登録をするにあたって、南部では、たとえば、この有権者登録をする際に、両親や祖先が税金を支払っているものに限ったり、また人頭税という形で登録の費用を要求したり、読み書きの能力が証明されないと選挙権を与えないという試験を課すことになります。これらの条件を付けると、黒人が投票することは事実上不可能になってしまうのです。というのは、祖先が、両親が奴隷であった場合、当然に税金を支払った記録がありませんから、有権者資格がもらえません。ということは永久にもらえないことになります。また、極度な貧困にあえいでいる黒人奴隷に現金での税金支払いを要求すれば、これも実質無理です。さらに、もし仮にそれらをクリアーして、冒頭のように読み書き能力も高い教養を持った黒人が窓口に来ても、試験と称して、間違えるまで延々と質問をし続けるのです。そして、KKKなど、白人至上主義の団体が、有権者登録に来た黒人を追跡して、リンチにして凄惨に殺したりします。・・・・この状況で、投票権が行使できるとは、とてもじゃないけれども思いません。


というジム・クロウ法の、具体的な運用方法が、描かれたの冒頭のシーンだったのです。こういうことだったのか!と、驚きました。


ちなみに、これらの制度は、世界中の先進国でもまだ似た形で残っています。たてばアメリカ市民権、イギリス市民権を取得するには、上記のような各国の歴史や常識に関するテストがあります。これが「運用の仕方次第」で移民排斥や差別を実施できるものであることは、上記のジムクロウ法を見れば容易に想像がつきます。だから法律があればいいというわけではないんです。ジムクロウ法は、ずっと違憲審査を継続していましたが、プレッシー対ファーガソン裁判で適法でした。1954-55年の連邦最高裁判所が、でブラウン対教育委員会裁判で「分離すれども平等(separate but equal)」という判例法理を覆すまでは。なので、法律に妄信したり、権力を甘く見てはだめなんだ、ということがこのことからまざまざとわかります。民主主義的な法治国家でも、このようなことは簡単にでき、そして継続してしまうのですから。


イギリスは2012年、テリーザ・メイ英首相の内相時代に移民制度を厳格化。イギリス人がEU出身者以外の市民と結婚するための敷居を高くした。

英誌エコノミストによれば、たとえ結婚相手が英王子であろうと、マークルはロイヤルファミリーではなく一般市民とみなされるため、永住ビザ取得のためには数々の障害をクリアしなければならない。

マークルは挙式前、通称「婚約者ビザ」を取得している。ハリー王子とイギリスで新生活を始める許可で、申請者とその配偶者は申請前に同居していなくても構わない。

結婚後マークルに必要なのは「配偶者ビザ」だ。それがあれば、永住ビザを申請できるようになるまでの5年間はイギリスで暮らせる。

だが永住ビザを申請するには、内務省が課す「イギリス生活」に関する試験を突破しなくてはならない。出題範囲はイギリスの文化、地理、歴史から王室まで幅広く、不合格者が後を絶たない難関試験だ。それに合格し、いまや義理の祖母となったエリザベス女王への忠誠を誓って初めて、市民権取得の資格を与えられる。


結婚はしたけど、メーガン・マークルのビザ取得にはいくつもハードルが

Even After Wedding, Meghan Markle Will Have To Face Britain's Visa Obstacles

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/05/post-10205.php


イギリス王子と結婚したメーガンさんですら、けっこう敷居高くなっているんですよね。ちなみに、トンランプ政権になってから、アメリカでのグリーンカード取得や免許書(有権者とるのに必要)などの要件がかなり変わっています。


こういうものは文章で見せられると、よくわからなくなってしまうと思うんですよ。少なくとも、僕はずっと、憲法違反をどうやって正当化しているのかわからなかったんです。ましてや、ちゃんと適法の仮面をかぶったら、膨大な書類や法律用語に埋もれて訳が分からなくなる。けれども、こうやって映像で、見せられると、これがいかに恐ろしい暴力で差別なのかが、まざまざと現前してきます。もし、自分がこうだったら、、、、と震撼せずにはいられない。しかも、にもかかわらず、たくさんの黒人たちが有権者登録に勇気を振り絞り向かい、帰り道にリンチで殺されているわけです。こんなことが、つい、1960年代のアメリカではまだ現実だったわけです。つい57年前ですよ。2018年から逆算しても。自分が生まれた年からそう遠くない。震撼します。また、この冒頭の黒人女性は、正装し、覚悟をもって有権者登録にトライしているのがわかります。このやるせなさ。巨大なシステムに挑む勇気は、こういう風に映像で見せられないと、なかなかわからないとおもいました。


■見るべきポイント-2〜人間としてのキング牧師を描いた監督の挑戦

『グローリー/明日への行進』(原題: Selma・2014)は、キング牧師について書かれた映画です。血の日曜日事件 (1965年)を扱ったものなのですが、この作品でよく言われる鑑賞ポイントは、偉人すぎて偶像崇拝になっているキング牧師の等身大の人間として弱い部分も描いているところが画期的だ、ということです。というのは、米国にいると、様々な祝日や銅像など、アメリカを正しき方向に導いた聖人的なニュアンスで、なんだか批判を全く受け付けないような聖人君子としてのアイコンとなっています。またまだまだ黒人差別などがある現状からみれば、キング牧師を悪く貶める行為は、ポリティカルコレクトネスに引っかかるかなり微妙な問題になるので、なかなか一般的に指摘しにくい。なのでAva Marie DuVernayという監督は、ある強い意志をもって、この映画のキング牧師像を描がいているわけです。たとえば、当時のFBI長官であるジョン・エドガー・フーヴァー (John Edgar Hoover)に盗聴されて、浮気しているテープを送りつけられたりしているんです。これなど、キング牧師の人間としての弱さを赤裸々に描いており、これらはこれまでのキング牧師をめぐる言説ではなかなかできなかったことなんです。「俺じゃない、信じてくれ」と妻に真摯に説明を繰り返しますが、浮気相手とのセックスのテープを延々と奥さんに送りつけられていたりするわけです。あくまで彼が浮気したと描いているわけではないのですが、まぁこの譲歩を取り上げること自体が、これは事実だと言っているようなものですね。真相はわかりませんが、激しい盗聴で知られたフーバー長官時代であることや、ジャクリーン・ケネディが偽善者とののしっていたことなど、当時は公然とした秘密であったようです。ちなみに、僕は、このことを偽善者ととらえるか、人間ととらえるかといえば、もちろん後者だと思います。いつ暗殺されるかわからない、過大なプレッシャーを常時受けて、人間が壊れていないはずがないと僕は思います。人間としての弱さの表現の、僕が気づいた二点目は、マルコムX、ブラックパンサー党や大学生らの武力で復讐して対抗すべきという、自分の無抵抗主義は間違いではないか?と、判断に悩んで苦悩する部分です。現在からみると、無抵抗暴力主義は、当時の報道規制がほとんどないアメリカのテレビ放送の条件下では(ベトナム戦争とこれらの事件で、その後報道規制が激しく進むようになります)、素晴らしい効果を発揮した見事な戦術、戦略でした。また、アメリカの憲法判断を変えること、大多数の白人のリベラル層を支持につけることなど、明確な戦略目的が見事としか言いようがないものでした。けれども、それは、屈従をしいる行為でもあり、いつまでそれをしなければいけないのか?という人々の任体力を極限まで試す難しものでした。映画でも出ててくるのですが、親や祖父母の前で子供が殺されたり、いったいどこまで我慢すればいいのかという圧力は、凄まじい葛藤を生みました。だからこそ、マルコムXやブラックパンサー党のような武装闘争路線を選んだ路線の2つが当時存在していました。この辺りは、ぜひとも以下の2つの映画もおすすめです。とても興味深いのは、武装闘争路線を突き進んでいたマルコムXは、キング牧師とは逆に武装闘争路線を捨て去る方向に向かっていたことです。そして結末は、両方とも同じで、暗殺されることになるのでした。なので、キング牧師とマルコムXは、僕は裏と表だと思うので、ぜひとも両方を知ると深く米国の1960年代を知れると思います。

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■見るべきポイント-3〜フーバー長官との関連から1960-70年代のアメリカの背景を探る

せっかくその国を、歴史を、出来事を見るときには、より立体的に関連性を見ながら理解できると、理解画面から立体になって面白くなります。上記でキング牧師に、浮気の現場を盗聴したテープを送り付けるのは、FBIのフーバー長官でした。目的は、ノーベル平和賞を辞退させることだったようです。では、フーバー長官はなぜ、そのような行為をしたのだろうか?ということと関連付けて考えると、1960年代が立体的に浮かび上がってきます。セルマでは、フーバー長官は、人間的なキング牧師の弱さを表現するための1エピソードですが、イーストウッド監督による素晴らしい『J・エドガー』(J. Edgar 2011年 米国)という映画があります。盗聴しまくって、右未左も権力者の弱みを握ってアメリカの権力の背後に君臨し続けた彼が何を求めていたのかを描いた傑作です。

彼のコアはただ一つ「社会秩序を乱すもの」に、力でもって正義の鉄槌を下すことです。凄い矛盾を抱えているくせに、平気で正義を遂行してしまうところは、現代社会アメリカそのものを描写しているというノラネコさんの意見に同感です。


フーバーが、自らの存在その物が正義であると錯覚するのも、実は内面の矛盾を覆い隠そうとする故ではないか。

正義の遂行のためには、常にNo.1の立場にいなければならず、異なる正義を唱える者は、力を使ってでも排除するというフーバーの論理は、そのままアメリカという国家のキャラクターに通じ、高潔なる正義感の内側に、実は深刻な葛藤と自己矛盾を抱え込んでいるという点も共通している。

イーストウッドとブラックは、このエキセントリックなキャラクターに現代アメリカ史そのものを体現させている様に思えるのだ。


http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-523.html


ただし、ここでは僕はとても興味深いのは、この場合には、州を跨ぐ犯罪者や共産主義(思想犯)などに、ターゲットを絞って対処しようとする姿勢が見えることです。特に共産主義に対する敵意はめちゃくちゃで、それは、社会に対して「革命を企てる=現体制の転覆を企てる」という匂いがあるものを絶対に許さないという、上記の秩序維持を最優先の正義と考えるところからきています。この人は、何を正義と考えていたかといえば、現状の体制が壊れてしまうことに対して、少しでも匂いを感じると、徹底的に叩いています。


『J・エドガー』(J. Edgar 2011年 米国) クリント・イーストウッド監督 誰が本当に国を守ったのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120609/p1

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このあたりは、同じ時代を異なる角度や出来事からみると面白いので、この辺を紹介したのを連続で一気に見ると、なかなか興味深いですよ。


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ちなみに、最近(2018年)公開していたスピルバーグ監督の『ペンタゴンペーパーズ』は、いわゆるウォーターゲート事件を扱ったもので、『大統領の陰謀』『ザ・シークレットマン』『ペンタゴンペーパーズ』が同じ話題をそれぞれ、違う切り口から描いたものです。これは、上記のフーバー長官のNo.2(実際は3なのだが)だったマーク・フェルト(William Mark Felt, Sr.)が、2005年に、ずっとわからなかった内部告発をしたディープスロートの正体だということがわかっています。1960-70年代が、アメリカにとってターニングポイントとなる重大な時期だったことがとてもよくわかります。共産主義や国の分裂の対抗するために、体制を守らなければいけないという使命感からフーバー長官は、際限なく違法行為や盗聴を繰り広げて自己の組織(FBI)を肥大化させていきます。フーバー長官の死後、それを利用しようとしたニクソン大統領は、ウォーターゲート事件で辞任に追い込まれていきます。この辺りの関連性は、ここらへんで紹介したものを一気に見ると、とても面白いです。



■見るべきポイント-5〜米国の今を告発する作品

町山智浩氏さんの説明によるとAva Marie DuVernayという若い女性の監督が、ずっと偉人過ぎて(それとキングの子孫が演説の版権を押さえていて許可が出ない)何十年も映画化できあかった作品を強行突破で映像化した作品。ちなみに、演説が使えないので、類語辞典で、言葉をすべて置き換えて制作したらしい。なぜ今(ここでは、2014年)かといえば、全米で「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ)」運動などが広がるように、黒人貧困層の警官による射殺率が圧倒的な数字であったり、我々の現代社会は、リベラルになったように見えて、まだまだ根深い人種差別を構造的に持っている。また、移民排斥など、差別を助長する方向性に向かうアメリカに対して、いまこそ、キング牧師を見直さなければならないというメッセージは、素晴らしいと思います。そして、それをポリティカルコレクトネスの偉人、聖人として描くのではなく、苦悩する人間として描くところも、また素晴らしい。見ておきたいアメリカの今を告発する作品でした。


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■参考

『ヘルプ 』(原題: The Help 2011 USA) テイト・テイラー監督

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130114/p1

『Lee Daniels The Butler/大統領の執事の涙(2013 USA)』アメリカの人種解放闘争史をベースに80年でまったく異なる国に変貌したアメリカの現代史クロニクルを描く

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150207/p1

『それでも夜は明ける/12 Years a Slave(2014 USA)』Steve McQueen監督 John Ridley脚本 主観体験型物語の傑作

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150120/p1

『ドリームガールズ』 ビル・コンドン監督作  アメリカの音楽の歴史教科書みたい

http://ameblo.jp/petronius/entry-10041454952.html

『Straight Outta Compton(2015 USA)』 F. Gary Gray監督 African-American現代史の傑作〜アメリカの黒人はどのように生きているか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150915/p1

関連作品を書きに挙げておきますが、アフリカンアメリカンの歴史を一気通貫意味るには、『大統領の執事の涙』がおすすめです。何より、面白いので、気張らずに見れます。サスペンスで『ミシシッピーバーニング』は、なんといっても名作ですね。『ミシシッピー・バーニング』(Mississippi Burning)は、1988年の作品で、北米出身のFBIの捜査官が、ミシシッピ州フィラデルフィアで3人の公民権活動家が行方不明の事件を捜査しに地方の町に行くのだが、そこではKKKをはじめ人種差別が公然と行われていて、、、、という日本でいうことうものとか、外との連絡が立たれた因習の村社会ものみたいな感じで、いかに南部の世界が異なるルールで烏合いているかが事件の捜査とともに炙り出されていく面白い映画です。あとは、『國民の創生』ですね。言わずと知れた映画史に残る記念碑的作品。けれどもこれって、目的は、いかにKKKをカッコよく映像にするかに特化したという作品で、そう考えるとリーフェンシュタールもそうですが、目的(背景の思想)と映画の出来というのは、全く関係ないものであったりするんですよねー。


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2018-04-22

『42 世界を変えた男』(2013 USA) ブライアン・ヘルゲランド(Brian Helgeland)監督  暴力ではなく、耐えることによって共感を生み、世界を変えていく戦略

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客観評価:★★★★★5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)

アフリカ系アメリカンの素晴らしい映画が、オバマ大統領の登場以後、頻出している。そこを注目すると、アメリカの動きが強く感じられる。なので、探しては見るようにしているのだが、町山智彦さんのラジオでの紹介を聞き、いてもたってもいられなくなって、『42 世界を変えた男』を見る。これは、Jackie Robinsonの伝記映画。ジャッキーロビンソンは、アフリカ系アメリカ人のメジャーリーガーとしては1884年のMoses Fleetwood Walker以来63年ぶりにメジャーデビューを果たした。といぅても、近代的な整ったメジャーリーグの事実上の初の、メジャーリーガー。デビューは、1947年4月15日。その近辺からの約1年間を切り取ったお話。なので、1947年の4月15日は、メジャーリーグの全選手が、背番号42になる。永久欠番の番号。ちなみに、もともとは、ロサンゼルス・ドジャースは、ブルックリン・ドジャースで本拠地がNYですね。ドッジ(dodge)というのが、ドッチボールのようなひらりと避ける、という意味で、トロリー(路面電車)を避けて歩く意味で、ブルックリン市民を、Trolley Dodgersと呼んだことから、名前の由来になったそう。


最初、非常に驚いたことがある。それは、これが、公民権運動(African-American Civil Rights Movement)、キング牧師の登場よりもはるか前だということ。しかもアメリカが極端に保守化したはずの1950年だよりも前だ、ということ。先日、『グローリー/明日への行進』(原題: Selma・2014)を見たのですが、1965年のセルマからモンゴメリーへの行進血の日曜日事件を描いていて、ここでのアフリカ系アメリカ人への差別は、いまだ凄まじいものでした。ノーベル平和賞を受賞し、ケネディ、ジョンソン大統領の下で、リベラリズムが進んでいる状況下でされも、南部の激しい黒人差別は、まったくやまないのです。最終的には、連保政府の強制によって、この差別状況にメスが入れられていくのですが、この熱い時代よりも、はるか前の時代であるという背景の理解すると、ジャッキー・ロビンソンと、黒人をメジャーリーガーにしようとした、ハリソン・フォード演じるブルックリン・ドジャースのゼネラルマネージャー・ブランチ・リッキー(Wesley Branch Rickey)の凄さが何倍にも跳ね上がります。リソン・フォード演じるブルックリン・ドジャースの会長ブランチ・リッキーが素晴らしかった。いつもは省エネ演技のやる気なさが目立つ彼だが、素晴らしい熱演。感動する。というか、1947年という時代に、ブランチ・リッキーが、黒人をメジャーリーガーにさせようとしたことは、そして、それをやり抜いて、成し遂げたことは、信じられないくらいすごいことです。アメリカ人にとっては、ほとんど常識のようにジャッキーロビンソンデーを知っているというのは、当然の偉業に思えます。ちなみに、MLKの記念日と並んで、子供たちが小学校でならったというので、これはアメリカ社会にとってとても大事なことなのでしょうね。ちなみに、敬虔なキリスト教徒であるリッキーGMが、黒人に差別的な態度をとる他球団のGMに対して、将来死んで天国に行くときに、神様の前でも同じことが言えるのか!と、黒人だったから排除した、奴は人間じゃないから!と!!というようなことを怒鳴るシーンは、胸に響いた。韜晦しているリッキーGMは、将来黒人の中産階級が増えてきているので、マーケティング的に必要だよ、金のためだよ!と何度も言うのですが、、、そのセリフの奥に隠れる激しい情熱に見ていると本当にグッときます。けれども同時に、彼は、間違いなくその通りの世の中の人口動態や構造が変わることを見越して、先を読んで、この大事業に乗り出しているのだろうとも思います。いやはや、カッコよすぎですよ、リッキーさん。その他にも、南部の田舎に遠征に行くときに、ある白人選手が、田舎の地元から脅迫常務が来ているんで、自分はいけない、何とかしてほしいと訴えるのですが、リッキーさんは、ばさっと、凄まじい量の手紙を積み上げて、これが殺人予告の脅迫状だよ、自分と球団宛ての、というのです。そんな1枚くらいの脅迫状なんか気にしてられないよ、と。しかし、とても不思議だったのは、南部の激しい憎悪と差別意識と比較して、なぜ、ブランチ・リッキー(Wesley Branch Rickey)が、そのような意識を、動機を持つことができたのか、というのが不思議でした。黒人も同じ人間であり、同じキリスト教徒であり、神様の前で最後の審判の時に良心に恥じることがしたくないという強い動機があるのは、よくわかるのですが・・・・・しかし、同じ経験をして、同じ立場でも南部では、憎悪と差別が、深い文化と伝統として根を下ろしているのです。それがなぜだったのか、というのは、とても興味深い。もっとこれらの作品を見ていきたいと思います。


また、ブランチ・リッキーの思いに、正しい形でこたえたジャッキーロビンソンも素晴らしかった。彼は、正義感が強くてかなり行動派。これまで軍隊でも、彼が、非常に白人の差別的な態度に対して反抗的で、かつ切れて対応していたのが、先に描かれています。なので、実際は、短期で、切れやすかったんだろうと思います。ところが、メジャーリーガーになってから、彼は一切そのような態度を捨てるんですね。契約するときに、リッキーに、「黒人だからといって差別されるのを、だまってみているようなガッツのない人間になれれというのか?」というのに対して「耐え忍ぶガッツが欲しい」というリッキーの言うことに、ちゃんと従うんですね。そして、そのずっと耐え忍び続ける姿は、その後のMLKの無抵抗主義の思想と相通ずると感じます。我慢し続けて、いつの間にか敵だったチームメイトや人々が、ジャッキーに共感して、仲間として受け入れていくのは、まさに人間の真理だと思った。シンパシーは、ギリシャ語の苦しみからきていて、苦しみを共有するとき、人は相手を仲間と認めるというのは、素晴らしい言葉でした。ガンジーもそうですが、時に臆病ともいえるような無抵抗主義が、長期的には、変わるのが不可能様なものを変えてきた様や、ヒューイ・P・ニュートンとボビー・シールのブラックパンサー党やマルコムxなどの武闘派組織では世界を変えられないさま、また、背後にこうした武闘派組織がいたからこそ、無抵抗主義に意味が生まれたことなど、この時代の公民権運動の戦略は、社会改良のヒントにあふれている壮大なチャレンジです。ちなみに、野球のチームメイト、という人数の少ない組織で、アフリカ系アメリカ人を敵視しているチームメイトが、外側からドジャースという一つの組織として差別されるのを目の当たりにして、言い換えれば自分のドジャースの一員であることで差別されて脅されるのを体験することにより、そのさらに激しい差別を黙して耐えるジャッキーロビンソンの姿に、うたれて、感染していく様は、人が人に与える影響というものは、非合理なこういうものなんだ、と強く実感する話でした。


全然話に関係ないのですが、いまひそかに自分の中で富野由悠季監督のガンダムサーガを理解しよう!強化月間(2018年4月)なのですが、『新機動戦記ガンダムW』の絶対平和主義を唱えるサンクキングダムのリリーナ・ピースクラフトを見ていて、キャラクター的に、頭がおかしいとしか思えない人なんですが、絶対平和(戦わない)を唱えながら超兵器であるヒイロとがガンダムに「やっておしまいなさい!」と戦争をけしかける(笑)というか暴力で平和を達成しようとするです。相いれない二つの事項を、平気で矛盾して保てるから、なんだか器がでかいように見るんだな、と感心したんですが。こういう歴史を見ると、時代的トータルでは、無抵抗主義、非暴力主義がリードするんだけれども、それが意味を持つには、背後に激しい闘争も辞さない勢力と勢力争いしていて、もし、非暴力勢力が力や支持を失った場合、民衆の力がどう暴発するかわからないという脅しのような構造があるからこそ、意味を持つんだよな、といつも思う。なので、ジャッキーロビンソンからマーティンルーサーキングにつながる無抵抗主義の系譜と場別に、ブラックパンサー党やマルコムXを同時に見ていないと、人類の歴史というものを見誤ると思うので、この辺りは同時に見るのをおすすめします。

マルコムX [DVD]

ちなみに、主演のチャドウィック・アーロン・ボーズマン(Chadwick Aaron Boseman)は、ティチャラ役で『ブラックパンサー』に出演することになります。この流れを知っていると、うおってうなります。オバマ大統領登場周辺からのアフリカ系アメリカの歴史を反映した物語群は、本当に素晴らしいものがあります。そして同時に、ほんの10年もしない前まで、黒人奴隷の厳しさを描いた作品というのがほとんどなかったこと、アメリカの恥部を映画ではほとんど描いてこなかったことを考えると、本当にこういう国家の、民族の、歴史の恥部というのは、描くのが難しいものなのだ、と思います。いやはや、、、、まだ親が奴隷でしたというような人がたくさん生き残っていること、ほんの1960年代までの公民権運動前の南部のJim Crow lawsなど、ついこの前まで壮絶な差別がまかり通っており、リンカーンの奴隷解放宣言と、マーティールーサーキングの公民権運動を経てさえ、まだ現代のような状況だということを考えると、本当にこの問題は根が深いもので、知れば知るほど震撼します。


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グローリー/明日への行進 [DVD]


■過去の記事

『ヘルプ 』(原題: The Help 2011 USA) テイト・テイラー監督

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130114/p1

『Lee Daniels The Butler/大統領の執事の涙(2013 USA)』アメリカの人種解放闘争史をベースに80年でまったく異なる国に変貌したアメリカの現代史クロニクルを描く

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150207/p1

『それでも夜は明ける/12 Years a Slave(2014 USA)』Steve McQueen監督 John Ridley脚本 主観体験型物語の傑作

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150120/p1

『Straight Outta Compton(2015 USA)』 F. Gary Gray監督 African-American現代史の傑作〜アメリカの黒人はどのように生きているか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150915/p1

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2017-05-04

『美女と野獣(Beauty and the Beast)』(2017 USA)本好きのハーマイオニーが恋に落ちる瞬間を!(笑)

客観評価:★★★★★5つマスターピース

(僕的主観:★★★★★5つ)


ディズニーの歴史に残る傑作になるだろう素晴らしい作品でした。ノラネコさんがおっしゃる通り極上のエンターテイメント超大作。映画館に見に行く価値があると思うし、これは女性でも子供でも誰でも見られる敷居の低さがあるところが素晴らしい。なので、デートとか家族と行くには最高かもです。


■キャラクターの動機を強化することによって、アニメ版から実写版のリアリティレベルの変化を丁寧に対応し、見事なリノベーションであり傑作映画に


けど、脚本も素晴らしいし、いろいろ語り口があると思うんですが、僕がこの映画を一言で表すならば、


本好が好きすぎてだいぶこじらせて痛くなっていた女の子が、男性に、図書館ごと本をすべてあげるよといわれて、恋に落ちちゃう話


です(笑)。どういうことかというと、この作品を見ていて思い出したのは僕らは、マンガの宮原るりさんの『僕らはみんな河合荘』もしくはライトノベルの『本好きの下剋上』なんですけれども 本が大好きで大好きでたまらない娘で、ちょっと周りとうまくいかなくて痛くなっちゃっているような、こういう女の子って多い(というか男の子もね)と思うんですけれども(笑)、そういう子は、男性からというか異性を受け付けない状況、というかこういう思春期に内面が早熟に成熟していく人は、人間嫌いというか外の世界と折り合いがつかなくなって自己肥大しちゃうケースが多いですよね。けれどもそこで男性からのこの図書館を丸ごとあげるよって言われたらもうそれだけで惚れちゃいました(笑)みたいなそういった作品と言ってしまえばいいんだと思うんです。まさに それに尽きると思うんですよ。


これは僕の好みということもあるんですけれども、知的で非常に本が好きで内面が複雑になりすぎて、外とのコミュニケーションが取れなくなって、こじれちゃってることか、そういったタイプの子っていうのは非常に魅力的だと思うんですね。男女問わず。まぁ自分の子供時代と重ねているというのもあると思います。ここで描かれているキャラクターは、まさにその部分が強化されている形になっています。ベルが野獣に恋に落ちる理由に、野獣自体が残酷な王のお父さんに育てられて非常にひねくれて育ってしまって城の中でも孤立していて、当然自分の領地でも孤立しているという傾向があったという部分と、同時に、ベルという女の子自身もですね、パリという大都会から父親と辺境の村に来て、変わり者として暮らしているという設定になっていて、彼女自身も今いる世界にうまく溶け込むことができない形で生きているという孤独感、不遇感いったものを持っている。その部分がお互いの共感を得て愛するようになっていくという動機の構造になっています。だからお互いひかれるようになっていく。


どのタイミングで恋に落ちるのかという、もともとオリジナルのアニメの作品においては、野獣が狼には襲われるという部分、エマが襲われるという部分を、それをきっかけにして二人の仲が急速に深まっていく形になるんですけれども、この作品はもうはっきりと恋に落ちる瞬間というのが分かって、城の巨大な図書室にですね、野獣がベルを連れて行ってこの部屋の本を好きなように読んでもいいよと、あなたのものにしてもいいですよという風に言われてそれで一気に飲ま彼女が恋に落ちるはこの瞬間のこのエマ・ワトソンの可愛さという表情と仕草は、もうとんでもないレベルでした。これはですね、是非見に行く価値があるすごい可愛いものです。はっきりと恋に落ちる瞬間をこれだけ明示的に演出しているのは、脚本がこの実写版のコアが動機を深めて強化しているところであることを、よく分かっているのだともいます。なぜならば、この後、ベルが、「ここにある本を全部読んだの?」という質問に対して、野獣が「ギリシャ語をはさすがに読めないよね」と、返すシーンにも表れています。逆に言うとほとんどギリシャ語以外を全部読んでいるということを示唆していて、ガストンのような非常にがさつな男と結婚して生涯一緒に暮らすことは可能性として十分あり得る話だと思うんですよね、ああいう田舎の町であれば、そんな絶望を長く持ち続けていたベルにとって、知的で繊細な男性と暮らしたいというふうに思っているわけで、その可能性が一気にここで見えるわけです。そりゃ、笑顔にもなるよね。あの当時のフランスの近世?中世?ぐらいの辺境の村で暮らしている女の子としては、ベルは、とても意識が高い。父親がパリに住んでいた芸術家で、そこで育っているのというのが、そうさせているんだろうと思います。そういう娘にとって、ガストンのような典型的な田舎の家父長の粗暴な暴君の下で、トロフィーワイフ的な美貌と子供を育てる道具、いいかえればいい具体で夜の相手をさせられて、こどもを育てる召使なわけで、そんな人生を考えただけでも、ため息は出るでしょう。当時の時代背景からそれが普通であったとしても。なので、お互いの愛が深まっていくというシーンが、本の内容について話し合うというような形になっている。その後のシークエンスを見ても明らかです。

オリジナルでは、野獣はベルの気を引こうとして、屋敷の書庫を開放するだけなのが、こちらではお互いに好きな本を朗読したり語らったりする。

これはオタク部屋に招き入れたら、実は同好の士で思いのほか気が合ってしまった様なもので、表裏がなく実直なベルと、ちょい捻くれていてツンデレの野獣という、対照的な様でどこか似た者同士の二人をよりリアルに愛らしく見せている。


ノラネコの呑んで観るシネマ

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ノラネコさんが、オタクが同好の士を見つけてハマってしまった(笑)というような書き方をしているが、まさにそうですよね。


この実写版オリジナルの原作と比較してほぼ同じ作りをしています。それに対して、プラスのエピソード追加しているんですけれども その中で最も興味深いのは主人公のベルの動機を強化している部分だと思うんです。その部分がとても強化されていてキャラクターが、なぜ野獣を好きになるのかという部分が、詳細に描かれるようになっている思います。このことによってオリジナルの原作と全く違う作品になっていると言っても過言ではないと思います。オリジナル作品はともすれば主人公エマと野獣二人とも、かなり子供の設定でそういった、なぜ彼を彼女を好きになるのかという部分が深く突っ込まれていませんでした。しかしながらアニメーションにおいては、そのリアリティレベルで十分でありかつ脚本としても完成していたので、それは全く何の問題もなかった。が、しかし、その部分をさらに実写化することによってリアリティレベルがかなり高いレベルに引き上げられている形になります。ここでいう高い低いというのは物の良し悪しではありません。そうではなくて 物語のリアリティレベルをどのレベルで維持するかということになります。そうした時に大人でも鑑賞に耐えうる素晴らしい作品に変わっている。


『僕らはみんな河合荘』というのは、『めぞん一刻』のような下宿ものなんですが、つい最近9巻が出て、やっと主人公の宇佐くんと律ちゃんが両想いになったんですよね。で、このヒロインの律という女の子が、まったくもってベルと同タイプというか、さらにこじらせて痛い本好きで、内面が豊かな部こじらせて回りとうまくいかないで孤立しているぼっちな女の子なんですよね。その子がちょうど、デレまくっていくのが9巻なんですが、これをちょうど読んだ直後に映画を見に行ったので、凄いシンクロでした(笑)。

僕らはみんな河合荘 7巻 (コミック(YKコミックス))


もう一つは、やっぱり『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません』ですね。主人公のローゼマインも本が好きで好きでたまらなくて、それ以外がほとんど情緒が発達していない(笑)子で、この長大な作品で最後の最後まで、そういう色気よりも常に本という姿勢を貫いているのは、潔いんですが、彼女が、まぁ別にいらないけど結婚してもいいというなら、本をいっぱい読ませてくれる人かな?と常に考えてて、図書館をやろうといわれた途端、何とか結婚できないかとギラギラ考えめたりするので(笑)、でもこういう本好きってわかるなーと思うんですが、この系統の女の子に、ベルも参戦してくるとは、思いもよりませんでした(笑)。

本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~第三部「領主の養女I」



■本好きのハーマイオニーが恋に落ちる瞬間を!(笑)


ちなみに、この脚本は、本当によくわかっているなーとしみじみ思うのは、この役がエマワトソンなところです。女性脚本家のリンダ・ウールヴァートンですが、ベルを保守的な辺境の村にあって聡明で先進的な女性として描いています。そこから生まれる孤立感がこの作品コアなわけです。ビル・コンドン監督自身もゲイで、ガストンの相方のル・フウを同性愛者と描いていて、いいように利用されているのになぜガストンにつき従うのかは、好きだからなんですね。地方領主といえどもフランスの宮廷における黒人比率も多すぎるし、さすがの最先端のディズニー作品で、アメリカ社会のリベラルな雰囲気を、これだけ正統派の女の子が王子様に見初められて幸せになるという玉の輿物語を、見事にモダナイズしている。様々な仕掛けがこの作品委はしてあって、正統派の女の子の玉の輿物語という、行ってみれば古臭く保守的な物語とは思えない、様々なものが隠れています。このへんもディズニーって凄いなと感心します。さて、エマワトソンは、国連「UNウィメン」の親善大使として活動するフェミニストとして有名なんです。これ、よく新聞などで出てくるので、英語で情報を取る人は、非常によく知られていると思います。よく話題になりますからね。たとえば、男性にフェミニズムへのサポートを呼びかけるキャンペーン「HeForShe」の立ち上げにも関わり、カナダのトルドー首相とかと会談していましたね。

このまじめさ、、、、やっぱりね、ハーマイオニーだなぁーと思うんですよ。ハリーポッターの。でも、この大傑作に出演して完璧なベルを演じたことにより、彼女は、美女と野獣のベルであるエマワトソンとしてイメージが塗り替えられると思うんですが、なんというかキャラクターが、ハーマイオニーも、現実のエマワトソンも、美女と野獣のベルもみんな同じなんですよね。これ、凄いシンクロで、こういう生真面目な女の子が、それでも、正統派の玉の輿物語で、男性に「選ばれる」という古典的なドラマトゥルギーを、ベルの主観視点から描くことにより、むしろ、男性を救済してあげる形になっていることは、いやはや見事な脚本だと思うんですよ。しかも、オリジナルの脚本、映画の構成を全く開けていないで、ほぼトレースしているにもかかわらず。素晴らしい仕事です。それだけではなく、うーん、エマワトソンにせよ、ビル・コンドン監督にせよ、リンダ・ウールヴァートンにせよ、よくよくわかってこの脚本と演技をしているなと感心するんですよ。いやはや、そういう背景を知ってこの作品を見ると、さまざまな小粋な仕掛けがたくさんあって、素晴らしい作品です。これもアメリカのリベラリズムの最前線にある作品なんだなと感心します。


ちなみに、最近話題になったのは、この下乳事件ですね(笑)。


f:id:Gaius_Petronius:20170503091959j:image


Emma Watson: "Feminism, feminism... gender wage gap... why oh why am I not taken seriously... feminism... oh, and here are my tits!"

エマワトソン「フェミニズム、フェミニズム、男女の賃金格差、どうして私の話をみんな真剣に聞いてくれないのかしら……私の胸なら興味あるかな」

https://whatnews.jp/archives/448

http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/02/emma-watson-is-a-bad-feminist-for-posing-braless_n_15122398.html


フェミニズムなのに体を見せものにするなんて偽善者だ!と怒る人もいれば、自分お身体を好きに表現する自由を受け入れるのだってフェミニズムだとか、いろいろ論争起こしたやつですよね。



なんか、またハーマイオニーが見たくなりました。初登場のしたったたらずなハーマイオニーグレンジャーと名乗るしゃべりかたが、かわいかったよなー。ハリーもそうなんですが、いやはや素晴らしい俳優の集まりでしたよね、この映画も。

ハリー・ポッターと賢者の石 [DVD]

2017-04-30

『ムーンライト(英: Moonlight)』(USA 2016年)  Barry Jenkins監督 アメリカのリベラルな社会の最前線〜アメリカ的な文脈で、黒人で、貧困層で、ゲイであるマイノリティとはどういうことか?

Moonlight [Blu-ray]

評価:★★★★4星つ

(僕的主観:★★★☆3つ半)

■アメリカのリベラルな社会の最前線〜アメリカ的な文脈で、黒人で、貧困層で、ゲイであるマイノリティとはどういうことか?

第89回アカデミー賞作品賞受賞作品。とはいえ、個人の感想としては、面白くなかった。確かに素晴らしい出来なのだが、マイナーな作品としての面白さなので、これが大劇場で世界展開して、オスカーを獲得するというのは、少し不思議な感じがする。相当に人を選ぶ映画だからだ。町山智浩さんが、88回のアカデミー賞が白人ばかりの映画が受賞したのですが、今年は『ラビング(愛という名前のふたり)』など黒人の映画がたくさんあって、ハリウッドの多様さがわかるとおっしゃっていたのだけれども、僕的には、なんというか技術や映像の作り込み方が半端じゃなくて、確かに革命的な作品なんだけど、そういう玄人的な作品であって、物語自体はとても単調で内面的な作品なんで、やはり見る人をすごく選ぶ作品だろうと思う。なので主観としては、評価が低い。ちなみに、プランBエンターテインメント(Plan B Entertainment)は、ブラッド・ピットの会社。『12 Years A Slave』もそうだけど、この人はプロデューサーとしての才能も凄いんですね。とはいえ、離婚したばかりだから、家に帰って一人の部屋にオスカー像がごろごろしていると思うと、なんか寂しいですね。ほんとに。


この作品は確かに凄い作品で、その凄みは、なんといっても(1)映像の美しさによるところ。もうひとつは、(2)アメリカ的な文脈で、黒人で、貧困層で、ゲイであるマイノリティという、一般的な日本人からすると共感する要素がほとんどないんですが、凄まじいアメリカ社会のマイノリティの孤独感をこれでもかとフォーカスしている、そのアメリカ的な文脈がセンシティヴに昇華されている作品。アメリカの都市部に住む貧困層の絶望をさらに煮詰めたような場所が黒人たちが住む町。この作品は、基本的に人口の少年シャロンが住む町は、フロリダ。大人になってアトランタにうつっているんですが、ベースはここなんです。それは、監督のバリー・ジェンキンスと、脚本のタレル・アルヴィン・マクレイニーがフロリダのリバティー・スクエアの出身だからですね。ゲイのマクレイニーの脚本を読んで、監督のジェンキンスは、最初おれには関係ないなと思ったんだけど、出身を見たら自分と同じ町で同じ小学校で1歳違いだってことがわかって、この話は、

自分が描かなきゃならないって思ったそうなんですね。町田さんが以下のように書いているんですが、

(町山智浩)この脚本家と監督はその地獄のようなところで育って、ただ、すごく2人とも文才があったんですね。で、学校で先生に「君は天才だから、いい学校に行きたまえ」っていうことで推薦をしてくれて。お金も集めてくれて。特に、マクレイニーというその脚本家は名門イェール大学に進んで、最終的にはマッカーサー奨学金という天才にだけ与えられる奨学金を得ているんですよ。

(赤江珠緒)うわっ、じゃあ自分の才能だけで切り開いてきたんですね。

(町山智浩)切り開いてきた。2人とも、それを見つけてくれた人がいたから良かったんですけど、見つけてくれなかったらね、こうなっていたかもしれないっていう話がこの『ムーンライト』っていう映画なんですよ。だからね、結構キツいんですけど。ただね、ゲイでもないし、貧しくもない、黒人でもないっていう人にとっては関係ない映画なのか?っていうと、実はそうではないんだと。この映画のいちばんのポイントなのは、「自分はいったい何者なんだろう?」って、誰からも肯定されない、否定されてきている主人公が悩んでいる時に、ある人が彼にこう言うシーンがあるんですね。「自分が何か? 自分は何になるのか? は自分で決めるんだ。絶対に他の誰かに決めさせるな!」って言うんですよ。

(赤江珠緒)ああー、うん。

(町山智浩)それがすごく大きいテーマで。これって『ズートピア』と同じテーマなんですね。


町山智浩 映画『ムーンライト』を語る

http://miyearnzzlabo.com/archives/41605


△離▲瓮螢固有の文脈を超えて普遍性がある部分というのは、社会の底辺から、社会で何一つ居場所がなく排除され阻害されている立場から、どうやって自分自身を見出して行くかというテーマなんですよ。この作品の普遍性は、そこにつきる。そしてこのジェンキンス監督と脚本家のマクレイニーの人生を見れば、彼らがなぜこの脚本を書き、そしてそれを世界に訴えたかったかは、よくわかります。彼らはこの地獄のような最底辺の貧困層から、ほとんど運で、そしてプラス才能と努力でのし上がってきたのですが、この抜け出せない地獄で生きる主人公の人生は、「もう一人の在りえたかもしれない自分」なんですから。


とはいえ、僕は「面白くなかった」と思うのは、まずもって△離▲瓮螢の黒人貧困層の置かれている社会的文脈の、その凄みが日本人にはほんとど体感できないので、これを「自分自身にひきつけてみる」というのがすごく難しいと思うからです。ありえたかもしれない自分だ、と思えなければ、おとぎ話やファンタジー(=自分には関係のない話)になってしまうんですが、その場合は物語性がないと入りにくい。しかし物語性は、「自分の居場所を見つける」というとても普遍的哲学的なもので、抽象度が高い問いなので、マイナーテイストなリアリズムで描かれると、この難解なテーマは、なかなかポピュラリティを獲得しにくい。僕は、出来は素晴らしいが、エンターテイメントとして突き抜けているわけではないので、この作品がトランプ政権への批判として賞を取得したと揶揄されるのは、だろうなと思います。もちろん、世に知られるべきすさまじいエネルギーを持った作品であるのは否定しないんですが。アメリカの黒人貧困層の世界を理解する導入では、僕は、まず『Straight Outta Compton(2015 USA)』をおすすめしたいなぁと思います。これもテーマは全く一緒だと思います。ただ、主人公の黒人に音楽の才能があったこと、そしてそれによって破竹の勢いで成功していき、それが崩壊していくまでを描くビルドゥングスロマン(主人公の成長物語)になっているところにカタルシスがある。


『Straight Outta Compton(2015 USA)』 F. Gary Gray監督 African-American現代史の傑作〜アメリカの黒人はどのように生きているか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150915/p1

ストレイト・アウタ・コンプトン [Blu-ray]


△旅人の貧困層をめぐるアメリカローカルな文脈の背景は、上の記事でめちゃくちゃ長く書きましたので、この系列に興味がある人は、ぜひとも読んで、ここで紹介されている作品群をおすすめします。


『ヘルプ 』(原題: The Help 2011 USA) テイト・テイラー監督

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130114/p1

『Lee Daniels The Butler/大統領の執事の涙(2013 USA)』アメリカの人種解放闘争史をベースに80年でまったく異なる国に変貌したアメリカの現代史クロニクルを描く

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150207/p1

『それでも夜は明ける/12 Years a Slave(2014 USA)』Steve McQueen監督 John Ridley脚本 主観体験型物語の傑作

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150120/p1

『ドリームガールズ』 ビル・コンドン監督作  アメリカの音楽の歴史教科書みたい

http://ameblo.jp/petronius/entry-10041454952.html


アメリカの現代を理解すること、アメリカ映画やドラマの固有のローカルな文脈を理解するときに、African-American現代史の理解抜きには全く不可能だと僕は思います。特に、アメリカの公民権運動以後のリベラリズムが到達している社会がどんなものなのかは、この背景抜きには、全く理解できません。そして理解できないと、この作品は、まったく無味乾燥なファンタジー(自分とは何の関係もない作品)になってしまうと思います。この「自分とは何者なのか?」の問いテーマにする物語は、「自分自身の体感」にひきつけて「自分のこととして」考えられなければ、ほとんど意味をなさないものになると僕はいつも思います。というわけで、アメリカのローカルな文脈を理解しないで、自分自身にひきつけないで見てしまうのが、一般的な日本人だと思うので、この作品は、ほとんど理解できないのではないかと思います。という意味で、面白くなかった作品でした。こういう高踏的な作品は、現実の文脈の体感がないと、「私ってこういう難しいの見ている」というようなある種のオシャレというか見栄というか、「こんな難しいのを見ている自分によぅっているだけ」な人ばかりになりやすいので、僕はぐったりしちゃうんですよね。まぁ、自分もその一員だったので、それを悪いとは言ってはいけないんでしょうが。。。


ちなみに、技術的なことはあまり得意ではないので多くは語らないのですが、,留覗の美しさというのは、原案のタレル・アルバン・マクレイニーの半自伝的戯曲「In Moonlight Black Boys Look Blue(月光の下で、黒人の少年がブルーに輝く)」からきているのですが、黒人の肉体と肌の美しさです。これには光の処理を、もう明らかにオリジナルとは全く違う、新海誠監督の『君の名は』レベルに加工していることによるのですが、これが全編本当に美しい。これによって今後の映画の映像処理の仕方が確実に変わってしまうだろうという町田さんのおっしゃっているのは非常に同感です。そういう意味では、2016年近辺は、画像の作り込みが、異なる段階に至ったエポックメイキングな年なのかもしれません。しかし、この全編をCMのワンショットの切り取りのような美しさで詩的に、幻想的に描く手法ってどっかで見たなと思ったのですが、これってウォンカーウァイ監督ですね。まさにずっと『欲望の翼』を思い何処していたので、なるほどと唸りました。

欲望の翼 [DVD]

不遇のマイノリティ社会、ゲイであることへの戸惑い、イジメにドラッグにネグレクトとモチーフはとことん悲惨なのだが、バリー・ジェンキンスはあえてシチュエーションをドラマチックに盛り上げることを避け、映画ならではの視聴覚言語を使ってシャロンの人生を極めて詩的に描き出す。

構図やカメラワーク、色彩設計や俳優の捉え方に至るまで、全体の画作りがウォン・カーワァイっぽいのだが、やはり相当に研究し、意識しているらしい。

「ぽい」とは言っても、きちんと本歌取りして自分の表現に昇華しているのはもちろんのこと。

筋立ての上では主人公と適度な距離を保ち、主観に寄り添った映像表現とクセの強い心象的な音楽・音響演出が、それぞれの章で自然に彼の心情を語りかける。


ムーンライト・・・・・評価額1750円

ノラネコの呑んで観るシネマ

http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-1004.html


トレイラーを見ていただければ、圧倒的な黒人の体の肌の美しさを感じると思います。



ちなみに、この作品がウォンカーウァイ監督のテイストになるのは、映像が好きというだけではなくて、意味的にも、なるほどと思うんですよ。

こういったモノが映画化されると、ロードムービーのような形式になるのは、こうした状況での主観感覚が「見えるものがすべて意味のないものにしか見えない」という「意味感覚のなさ」が基礎にあるからではないかと思います。いいかえれば、電車の窓の外の流れるふうけのように「そこに触れることができない」ただ流れていくだけの「シークエンスとして、現実を眺める」という主観感覚です。ちなみに、ちょっとずれると、この感覚は、富樫義博さんの描く『ハンターハンター』のゴンが、団長に問いかけた「仲間をあれだけ大切にするお前らがなんで人をゴミのように殺せるんだ?」というというと、リンクしていると僕は思っています。

なお、アメリカでは、同じ「自意識の不安から」「どこかへ逃げ出してしまう」という形式は、ロードムービー的なモノへ昇華したように僕は思います。ヴィム・ヴェンダース監督(ドイツ人だけど)の『パリ・テキサス』やデニス・ホッパー監督の『イージー・ライダー』なんかを思い出します。ヴェンダースは、80年代ですが、この形式がアメリカではやったのは60−70年代だということを考えると、やはり、一世代分ぐらい日本とアメリカの市場では、「受け入れられる」もののサイクルがズれているように感じます。これも、実は00年代ぐらいから、世界がグローバル化して、同期しているように感じるので、昔のようなはっきりとしたサイクルのずれは感じない気がしますが。

これらは類型的にもともとの根は同じもので、消費社会が爛熟して、個人の権利が根強く認められるようになった反動の時代に、「自由とは何か?(=個人の権利と自由)」ということと「責任とは何か?(共同体から役割と責任をコミットすることを求められる)」というもの葛藤によって、発生するもののようです。つまり、消費社会がある一定のレベル(GNPで1万ドルを超えるくらいかな?、それと社会のストックのレベルによるかも)になると、発生する感受形式のようですね。ということは、次の時代(2020年代ぐらい?)のこの形式の名作は、確実に中国本土で生まれることが間違いないと思います。ちなみに、少し先行した形で、香港ではウォンカーワァイ(王家衛)監督の『天使の涙』』(原題:堕落天使,Fallen Angels 1995年)や『欲望の翼』(原題:阿飛正傳,Days of Being Wild 1990年/香港映画)といった名作が生まれました。僕は、これらは根は同じな物語類型だと考えています。

ちなみに、これらの作品に共通しているのは「何かから逃げる」「脱出する」という共通する基調低音のテーマがあることです。はっきりいって、そこに合理的な理由は見いだせません。『パリテキサス』のトラヴィスは理由もわからず、砂漠を彷徨っているところから始まり、最後まで彼には帰るところがありません。物語はこういったように「よくわからないけど逃げている」といった逃走の形式をとります。この「何かから逃げている」という共通の「お約束」を感じてみないと、物語が非常に断片的で、このどの作品も何を言っているか全く意味不明です。僕も初めて見た時に、かっこいーんだけど、胸に響くものがあるんだけど、いったい「監督が何を言いたいのか?」ということが意味的にはまったく理解できませんでした。特に、名作といわれる作品ほど、特にきっちりと「合理的な理由がまったくない」ように物語の脚本を作ります(笑)。

また最初にあげたように、こうした主観感覚は、「意味のつながりを感じられない断片」として、現実の見える風景をシークエンス(=連なりにする)にするという表現形態をとるので、背景を相当解釈する力がないと、全く意味が読み取れません。だって意味を壊すように映像や物語を作るんだもん。ああ、哲学のドゥールーズ・ガタリとかミルプラトーとか持ち出すまでもなく、知識人にとって、80−90年代くらいは「意味を破壊する」ということに全力が捧げられた時代でした。映画などの物語、現代美術のコンテポラリーアートも、『本来自明だと思われていた意味』を解体するということがその主要なテーマでした。これをパラフレーズする言葉が『大きな物語の解体』です。


1990年代から2010年代までの物語類型の変遷〜「本当の自分」が承認されない自意識の脆弱さを抱えて、どこまでも「逃げていく」というのはどういうことなのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100521/p1

ちなみに、ウォンカーワァイ(王家衛)監督はこの後、『ブエノスアイレス』に到達するわけなので、この「逃げる」という自意識の脆弱さを、もう少しマイルドに言えば自意識のセンシティブさを描くと、本質的に社会のメインストリートから排除されているところに行きつきやすいのかもしれません。なので、マイノリティを扱う話になりやすい。


ブエノスアイレス [DVD]


ただ、僕としては、圧倒的に同じテーマでも、『ズートピア』の方が愛してやみません。それは、やっぱりポジティヴな何かを獲得していく物語を見たいと、せめて物語では現実の悲惨さばかりを注目したくない、と思うからかもしれません。この辺りはリアリズムとロマンチシズムのどっちが好みかという部分になると思います。


『Zootopia ズートピア』(2016米国) 監督 Byron Howard Rich Moore 現代アメリカのリベラリズムの到達地点とオバマ政権への反動への警鐘

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160808/p1


ズートピア MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]


アメリカのローカルな文脈でいえば、白人同士のゲイの物語だった『ブロークバック・マウンテン』の後継者の様な位置づけとも見れて、これを見比べてみるのも興味深いかもしれません。


ブロークバック・マウンテン [Blu-ray]







さて閑話休題。ここからは作品というより文脈の思考。


■あなたは何によって救われますか? 無力だった子供時代の思い出を解決、昇華できるのだろうか?


たぶん『ムーンライト』を見る層の消費者と、僕のようにライトノベルやオタクアニメのどっぷりつかっている層は、ほぼ重ならないと思うので、この比較はまったくわからないと思うのですが(笑)、実はこの作品を見ている時に、ずっと『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』とか学園モノのリア充敵視をテーマにしているライトノベル群のテーマをが凄く思い出されたんです。僕はこのあたりのテーマに、学校空間からの脱出というテーマを見出しています。自意識の脆弱さや自分の居場所を見つけていくマイノリティ的な自己探索の日本的ローカル文脈の展開が、ここにあると思うからです。いって見れば自分史的な、普通の日本人が、なにに不遇感を感じて、囚われて、なにからの解放と救済を願うか、というと、僕は学校だからだと思うんです。学校は、日本的同調圧力共同体主義の、純粋な場所です。きわめて現代の日本の最も日本らしく、日本の純粋性があるところ。


やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。11 (ガガガ文庫)


この集団主義的な同調圧力の空間、そして永遠の日常のテーマ間に代表される楽園としての圧倒的な差異がない世界での日常のキラキラ感あふれる充足というネガティヴとポジティヴが入り乱れる圧倒的な日本固有の体験空間。このあたりの接続感覚は、永遠の日常系を突き詰めていくと、絶望がどれだけ極まるかによってその極まり具合が突き抜けて、強烈なポジティヴに至るというルートがあるようです。それが、日本だと学校空間になるんですが、アメリカのローカル文脈だと現代の郊外の空虚さや中間層の崩壊を描く『ボウリングフォーコロンバイン』や『ストレイトアウタコンプトン』のような世界につながって、それへの限界点が越えると、アメリカでは、ゾンビ・アポカリプスのような「世界よ滅びろ!」という(ウォーキングデッド!やファイトクラブ!)というひゃっはー北斗の拳状態になるという流れがあるようで、この流れは日本も同じで(笑)、『がっこうぐらし』とか?(笑)日常・非日常の認識をどこに見て、どこにテーマを置くかは、凄いマクロに見るとだいぶ似ている構造があって、しかしそれがローカルに展開するとそれれぞれの文脈テーマに分解されているようなんですよね。


『ゆゆ式』(2013) 原作:三上小又  監督:かおり 関係性だけで世界が完結し、無菌な永遠の日常を生きることが、そもそも平和なんじゃないの?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140504/p1

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。8 』 渡航著 ヒッキー、それは確実に間違っているよ

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131129/p1

『ココロコネクト』 庵田定夏著  日本的ボトムアップの世界でのリーダーというのは、空気の圧力を結集する特異点

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130930/p1

頑張っても報われない、主人公になれないかもしれないことへの恐怖はどこから来て、どこへ向かっているのか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20151011/p2


というのは、ここからはかなりのネタバレですが、シャロンという男の子の最も大きいドラマトゥルギーは、幼なじみの同級生ケヴィンとの愛の行方です。しかしながら、子供時代から自分がゲイだという認識がない状態から、狭い共同体社会の黒人ゲットーで、ゲイだといじめ抜かれてきたシャロンは、やっとケヴィンと結ばれそうになった瞬間、そのいじめの構造によって、ケヴィンに手ひどい裏切りにあいます。第三部の大人になったシャロンは、この恋をずっと引きずっているのですが、ある時いきなりケヴィンから電話がかかって来ます。

ここで、僕は『聲の形』を思い出しました。過去に自分をいじめ抜いた人、その人を許せますか?という問い。丸戸さんの『ホワイトアルバム2』でもいいのですが、高校時代の時のテーマを、社会人になっても引きずっていますか?という問い。いいかえれば、学生時代の、自分が子供時代のトラウマを、どうやってあなたは救済するのでしょうか?という問い。

映画『聲の形』Blu-ray 通常版

ケヴィンとの大人になってからの「つながり」というのは僕は奇跡に近いような気がしてしまいます。社会人になって、ましてや彼の様にアトランタという遠いところに引っ越して、全く異なる基盤を築いた後に、10年とかのレベルで過去の出来事なんか、もう全く関係なくなって、どれほど自分の心の奥に深いトラウマがあろうと、そんなものは流れ去ってしまいます。時間は残酷なもので、二度と、戻らない。実際のところ、学校時代のいじめは、いじめたものの勝ちみたいなもので、虐げた側は全く覚えてもいないで、忘れ去るんですよね。そして忘れている限り、それに囚われることも、歪まされることもない、というなんともひどい話です。


ムーンライトは、物語は3部構成で、3人の俳優がそれぞれに10歳、16歳、そして大人になったシャロンを演じています。大人になる間というのは、5年もたつとすべてが全く違ったものになって、もう過去の問題点やトラウマは取り返すことができなくなります。だから正しい在り方は前だけ向いて、未来のために生きるのが一番分のいい賭けなんですが、でも、親からの虐待や性的暴行、いじめ、この時期の教育の喪失などは、もう未来に致命的なダメージを与えるんですよね。また、青春の喪失を描く様々な物語は、この時期に獲得するものは、全て色あせて消え去っていくことがよく描かれます。それが現実だろうし、確率的には、そっちが普通だからです。


そんな、10‐16歳ぐらいの時期の、しかもズタズタに裏切られて破局した恋が、大人になって報われ、解決し、幸せになれるものでしょうか?。僕はそうは思えない。このムーンライトという映画が、CMのようなワンショットの映像美に感じてしまったり、ウォンカーウァイの連想を強くさせるのは、やっぱりそこが、非常に単純で重要なのは、その時の空間の強度や美しさを詩的に写すことに執念が費やされており、意味的にそれはどうなのか?という力強い現実意識がないからだと思うんです。


理由は、まさに現実的だからでしょう。アメリカの黒人の貧困家庭の、繰り返される連鎖は、ほぼ「そこ」から抜け出ることができないものなんです。たぶん殺される以外には。この映画の監督や脚本家は、例外中の例外で、そんなウルトラ天才を確率で考えれば、ないにひとしいんですよね。だから、このテーマを描くと、多分、黒人の成功方法が、スポーツ選手(アメフトかバスケ)になるか、音楽で世に出るかしかないんだろうと思います。それは、プロになるという話で、マイノリティでなくとも、そもそも確率ゼロレベルの狭き道です。


なので、詩的な、どうしようもないことに押しつぶされないで、何とか生きる心の微細な動きを描くような、詩的なものにならざるを得ない。この連鎖が続く地獄で、それでも生きていくときに、あなたはどうしますか?と。絶望を超えた、未来なんかない世界で、それでも自分自身を確立するには、どうすればいいのか?と。


最初の問いに戻りましょう。では、本当はどうやったら救われるのだろうか?、と。


アメリカの黒人は、3つほどパタンがありますよね。NBAのスタープレイヤーになるとか、ラップなどの歌手になるか、極貧からでも選ばれるほど天才で一流大学に行く(この監督や脚本家の様に)・・・・と書いてるとむなしくなりますね。普通に生きてたら薬の売人がいいところで、その場合もすぐ打たれて死にます。黒人ゲットーのアメリカの年の死亡率は、発展途上国やアフリカを下手したら上回りますからね。


無理なんですよね。僕には、通常の人生を生きていると、ヤクの売人になって殺されるか(タフになって強者になる!)、いじめ殺される、もしくはヤク漬けになって殺される、、、、、結局死ぬしか道はないんです。


それ以外で、、、、もっと根本的な部分で、じゃ救われるにはどうするかというと、やっぱり『聲の形』にならざるを得ないと思うんですよ。自分をいじめたやつらとどう向き合っていくか?。このムーンライトの、黒人の狭いコミュニティの世界は、結局、グローバルに世界に飛び立てる基盤を学べないのだから、ずっと底辺の同じところでくすぶっていることを続けるしかない。そうしたら、その狭い閉じられた共同体の中から得る、トラウマをどうやって、昇華していくか?というとても息詰まる狭い世界の話にならざるを得ない。『聲の形』では、狭い地方の田舎の共同体の中で、あれだけ悲惨な目にあった子供が、どうやって大人になって自分自身を見出していくか?は、どうしても子供時代に受けるトラウマをどう解決できるか?ということにならざるを得ない。『ムーンライト』は、子供時代のはじめて抱いた初恋を、もう一度取り戻すことができた、話でした。人種的マイノリティ、性的マイノリティのラブストーリーで、初のアカデミー賞を獲得したことは、政治的な文脈としてとても価値があると思うのですが、物語の類型としては、、、、もちろん王道の話ではありますよね。初恋が実ったわけですから。でも、実際には、ケヴィンは、普通の結婚をして子供までいるわけですから、バイセクシャルなんだろうと思うんですが、どこまで思いが「これから」継続していくか?という疑問もあるし、明らかに自分を導いてくれた役の売人だったキューバ系のファンと同じように、いつかは殺されるであろう危険な役のディーラーという職業についているわけで、これにも未来があると思えない。未来は、非常に暗いんですよ。これを救済というのだろうか、と。もちろん、きっと、ほぼ絶望しかないような、縋るべき希望の可能性もない中に生きているシャロンにとって、「自分が自分である」ことを受け入れてもらえる、しかも、少年時代に手ひどい裏切りがあって人生をずたずたに破壊されたトラウマをいやす形での救済が訪れることは、凄い奇跡であって、自分自身が受け入れられた、生きる意味があった出来事だろうとは思います。でも、「これ」は、選択肢としては、脚本としては、人種的、性的マイノリティだから輝くのであって、言い換えれば政治的に非常にセンシティヴだからこそ「初めて世に出すこと」に意味があるという意味で価値があるということで、、、物語として、それで、本当に救われたのだろうか?、それでよかったのか?と僕は思ってしまう。射程を長く感じると、とてもシニカルな感じがしてしまうのだ。物語は、短く「物語のロジック」でまとめるものだ。けれども、現実は違う。現実は、つながりのない断片を積み重ねながら生きていくものだ。そんな都合よく、物語がつながったりしないものだ。特に、子供から青春時代の密度が濃く、ステージによって人生がことごとく変わってしまう時には、それでもなお「自分自身は何もか?」「自分自身の救済はどこにあるのか?」というのは、とても難しい問いだ。しかし子供時代のトラウマが、長い時を経て克服され解放され、救済されるという物語を描くならば、ドラマチックに描くべきじゃないかと思うのだ。だってそんなことは、まず起きない奇跡だから。それを、静謐なドキュメンタリーとは言わないが、内面の詩的言語のような映像で語ってしまうと、なんだか現実を感じてしまい、じゃあ現実どうなるのか?、これからどうなるのか?と考えてしまう。考えてしまうと、救われようがないという結論になって、、、、うーん、この「終わり方」が良かったのか悪かったのか、いろいろ考えてしまいます。ただ考えさせてくれるというのは、この作品が、時系列の長い射程を描いている作品だからだと思います。こういう描き方の、物語類型の可能性を、いろいろ考えるきっかけになりました。


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