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2014-05-19

『山賊ダイアリー』 岡本健太郎著  重要なのは再生産可能な資源をベースに構築される手応えの連鎖(=共同体)の再構築とグローバル経済からの独立だ

山賊ダイアリー(4) (イブニングKC)

ストックで生きていく世界とはどんなところなのだろうか?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140425/p1

ストックで生きていく世界とはどんなところなのだろうか?2〜ストックはどこから来たの?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20140429/p1


話的には、この記事の続き的なものなので、読んでいない人は読み返してみてください。



狩猟ライフ。好きで見ている。


この作品の面白さは面白いのですが、それ以上に、僕の中では、ストックで生きていく衰退する経済環境の中で、どう生きていくのか?。その場合には、ヤンキー化する経済や、里山資本主義、絆を重要視してマクロを無視するクローズドな共同体志向、などなど大きなトレンドがあるのですが、そのトレンドの中の一つとして、


狩猟


があると僕は睨んでいます。


単純に言って、要はフローで稼げないで、再生産されるものって日本ではなんだろう?ってことなんですよ。


重農主義者(フィジオクラット)ではないのですが、太陽の恵みとかで元手なしで再生産されるものって、例えば里山資本主義では、いろいろな自然の恵み(管理された里山ではそれが可能)なのですが、究極は、林業です。林業を国際経済のグローバルな競争力に結びつけるとの同時に、グローバル化した経済から独立した形での循環を作りだして、小型のブロック経済を作ってグローバル経済の変動に左右されにくい構造を作ろうということです。ようは、安全保障とサステイナビリティ(あれ、表記これでいいんだっけ?)のことなんですよね。安全保障と持続可能性ってのは、究極はブロック経済をいっているんですよ。ようは、他者に支配されない自己完結型の生態系を作れるかどうか?という話題なのです。もっと極端に言うと、ズバリ、鎖国したいかどうか?ということを問うているわけです。

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)

この時、キーになるのは、その土地や空間が持っているオリジナリティや独自性、、、特に再循環のサイクルが回る「何か」があるかないかだと思うんですよ。もちろん、原始時代じゃないので、グローバル経済や近代のシステムとリンクして、テクノロジーと目的合理性によって科学的管理されるのは当然です。自然に戻れなんていう原始共産主義は、子供の戯言です。文明を無に帰してどうする!と思います。その話は、『自殺島』や『ファイトクラブ』などでたくさん話しましたね。このあたりの「接続性」とか、どれくらいのレベルをどのようなレイヤーで自己完結型+独立型にするか?が今後問われることになるんだろうと思っています。とはいえ、極端ケースは、みんな考えるので、今後も、こういうゼロに帰せ!!というメッセージと指向性は、かなりのインパクトを持ち続けると僕は思っています。


『自殺島』 森恒二著 生きることをモチヴェーションに

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110407/p2

『たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く』 石村博子著 

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120726/p2

『自殺島』 森恒二著 バトルロワイヤルの果てには、新たな秩序が待っているだけ〜その先は?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110601/p7


まぁ、自然に帰れというのは、一つの正しいメッセージだとして、、、、というのは、どうも文明が成熟すると、「ここ」に人は戻りたがるんですね。成長と成熟の極と極みたいなもので、どっちも、人間が幸せに生きるためには必要な場所なんですよ。けど、自然自体は、もう科学で管理されなければ維持できませんし(逆を言えば科学の力で維持できる!!!)、かりに原始の自然に戻しても、原始の自然は人間にはすごく優しくないひどいものです。人間に都合のいい循環を作りだしてこそ、人類の叡智だと思います。だって、人間も生態系の一部なんですから。人間の脳(=科学と計画)だって、生態系の一部なんですよ!。このへんが、原理主義的ナチュラリストには、わかっていないと思います。


あと、これだけのグローバリズムの経済が世界を覆っている現代では、完全な独立というのはもう不可能だと思います。究極、北朝鮮などのような独立した中世を営もうとする(苦笑)鎖国国家は、100年単位でなくなっていくと思います。僕は、EUのなかの小国やアメリカの中でのインディアンリザヴェーションやアーミッシュ共同体のような、グローバル経済が生み出す余裕のの中で、文化防衛的な視点で、ある種のクローズド共同体システム(鎖国ですね)が、並立するというシステム設計がなされるはずだと思います。そのときに重要なのは、へ金化されて標準化されて記号化されて捨象化されるグローバリズムのなかで、「それでも残すべき価値があるものはなのか?」という問いが来ると思うんですよ。フランスの文化防衛論は、人間や人種ですらなく、それはフランス語だ!!!という結論を出しているように見えます。僕もこれは、とてもアグリー。賛成です。守るべき価値があるものは、僕は「人間なるもの」で特に「非合理なもの」だと思うのです。その際でシンボライズすべきは、言葉の障壁です。言葉がブロック化していると、それだけで鎖国しているようなものです。物凄く非合理的で、、、、単純な経済合理性ではこれが競争力を失わせる要因になりますが、長期的な人の幸せと誇りという意味では逆にこれこそが勝つことの条件となります!。


そん時に、なるべくグローバル経済に抗しながら、かつリンクしながら、それでも鎖国的なクローズな文化防衛をしようとすると、まず基盤的に再循環できるモノが基盤いないと、どうにもなりません。それが何かってこと僕は時々考えてしまったりしています。まぁ、僕の仕事とは何の関係もないですが(苦笑)。あっちなみに、たいていの場合、再循環できる(=再生産できる)ものは、自然なのですが、、、別のものでは、大きなものとして、記憶(=歴史)というのもあります。いま、日本では、艦隊これくしょんが流行っているようですが(笑)、これって、大日本帝国の歴史の記憶があってこそ、成り立つものです。なので、地場の歴史というのは、凄い、、、物凄い資源なのです。これこそオリジナリティにして民族幻想のコアになるもの、、、柳田国男の凄さが、本当にわかります。

1/700 艦隊これくしょんNo.10 艦娘 航空母艦 加賀

僕は、ソフトパワーが世界の文化による制圧を可能にする(笑)、リトル秋葉原を世界中につくって、エンターテイメントで世界を制圧しよう(笑)というヲタクのビジョンが大好きなのですが、、、、


たとえば、韓国が、いま凄いな、熱いなって思うのは、韓国ドラマの面白さと凄さですよね。基本構造は、ソープドラマだと思うのですがどれも、、、あれって、アジアのラテン民族といわれるように、めっちゃめちゃ情動濃い伝統があるからこそあれだけ大量にすさまじく(笑)作れるんだろうと思います。その反動で『殺人の追憶』や『ペパーミントキャンディー』のような、物凄い映画もできちゃうわけですし。けど、何でああいう量産が可能かといえば、歴史モノを見るとわかるんですが、歴史がものすごく濃いからですね。モチーフが物語の原型がたくさんある。『トンイ』から『イサン』のつながりとか見ると、感無量で、胸がぐっときますよ。朝鮮王朝500年の歴史とか胸アツです。歴史がある国は、強いのです。

トンイ DVD-BOX I

えっと、この議論って、フランスの文化防衛論、イタリアのスローフード運動とか日本のアジア主義の伝統なんかと同じコアを持っている議論じゃないのかなー?っててきとーに思うんですよ?。というのは、ようはね、、、、近代社会の基本って、合理主義なんですよね。合理、、、、って、ようは、ロジックなんだと思うのですが、だれが考えても同じ結論になること、だと思うんです。ということは、えっと少し議論が飛ぶんですが、人間っていらなくなるんですよね!、ってことがわかると思います。基本的に、大きく言えば人類社会の文明というマクロシステム、小さく言えば、コンピューターの人工知能が進化すれば、人間は必要なくなります。というか、誰もが代替可能な、換えの効く存在になります。これを、公平(=フェア)ということの結論なんです。リベラリズムの究極に要請する最終地点はここです。入れ替え可能性完全にする。あなたと私が入れ替わっても不公平だと思うわない。これがリベラリズムの最終地点です。・・・・ということは、それは、僕は「人間なるもの」ではないと思うんですよ。じゃあ、「人間なるもの」の最後の砦はどこか?って問えば、非合理、非論理なところになる、、、いいかえれば、いまリベラリズムや近代化の過程でそぎ落とそうとしているもの「そのもの」こそ、人間あるもの最後の砦になる、、、という発想です。フランスの文化防衛論、イタリアのスローフード運動とか日本のアジア主義の伝統なんかは、これを文化の次元で、そのオリジナル性がどこにあるのか?を考えたもんじゃないの?って僕には思えます(ほんとかどうか知りません)。ようは、非合理、非論理、非近代的なところにこそ、その分かの本義が宿るという風に考えるわけです。そして、「そこ」を防衛するぞ!!!!と、気合を入れるのが、これらの戦略になります。ちなみに、合理主義、近代主義の権化たるアメリカのグローバリズムは、この逆をいきます(笑)。


ちゅーことで、では、文化の本義を防衛するにはどうすればいいのか?という質問になります。


これへの答えは、出ています。それは、ブロック経済を形成して、障壁を設けて、グローバル経済にリンクできないようにすることです(と、僕が思うだけですが(笑))。逆に言うと、資本の運動は、これを解体しようとします。資本主義の運動とナショナリズムの戦いのダイナミズムというのは、この原理だと僕は思います。日本の満州国建国とかも、東アジアにブロック経済を作ろうとしていて、そこで自給自足できる生態系を構想しようとしているのですが、これは、構想力のある集団であれば、最終的には必ず出てくる議論なはずです。まぁ、それを現実に移すような民族とかになると、すさまじいパワーがないとできないですけれどもね。ちなみに、これがうまくいったケースは、そもそも一国で生態系を獲得できたアメリカ(北米大陸)です。もう一つは、EUですね。ヨーロッパ連合。もともと中国はこの傾向があります。中国は、基本的に外に対して進出する気力の弱い平和的な文明なのは、歴史をすべて見ていけばわかります。それは、生態系として一つの文明で完結してしまいやすいからです。まぁ、周辺国との規模の違いが大きすぎて、じわっと染み出るだけで周辺国には、大変な侵略行為うになるんですが、、、、まぁ、ベトナムとか日本とか、それでも生き残っている周辺の国は、マジで強い国なので、簡単にはなくなりません。



とはいえ、、、、資本の論理、、、資本主義の展開の究極としてのグローバリズムは、世界中の資本の運動を透明にかつ凄まじい速さにしていきます。そうするのが、資本の存在の本義なんですよね。なので、それとの、、、先ほどの話に戻りますが「接続性」というか「どのように並列にそれが存在できるか?」というのが個別具体な戦術論になると思うんですよねー。



なので、再生産しやすいものを強く持つ国は強いです。だから、歴史が古い国は、とても強いのです。なぜならば利用可能な資源がめちゃくちゃ豊富だということだから。


日本は、そういう意味でっちゃめっちゃ凄い国です。


だって、全世界で皇帝が生き残って国なんて(苦笑)日本ぐらいでしょう。アジアの国にもかかわらず、ヨーロッパの近代勃興期に帝国を形成しようとした歴史もあるし、過去の歴史もめっちゃくちゃ古いし、近代、現代、中世、古代、神話と物語にあふれまくっている(笑)。しかも、自然も豊かなので、物理的にも再生産可能な資源が、溢れている。そのくせ、自然だけではなく工業や文化も優れている上に、、、ソフトパワーもめちゃめちゃすごい。


・・・・やっぱ日本すげぇぜ(笑)。超しあわせな国です。未来が輝いているようにしか思えません(笑)。





閑話休題



えっと話がそれました、、、、というので、狩猟って話ですね。


狩猟は、いまいったように再生産が可能なんです。


なので、これをやっていきながら自給自足はなくとも、自然に帰れ的な生活を満喫しつつ絆の確かめ合いや、自然と触れることを喜ぶようなライフスタイルは、大きなトレンドとなる気がするのです。あくまで、選択肢の一つとしてですよ?。







って、岡本さんの『山賊ダイアリー』のはなしじゃないですね(笑)。



とはいえ、作者の生活まんまですがね。



これを見ていると、イノシシ食べてみたくなりますね。



あと、いいなって思うのは、当然なのですが、一人で黙々と行動していることが多いですよね。ある意味孤独なんはずなんですが、目的があって動いていると、全然孤独には見えない。たぶん本人も全く孤独を感じないんじゃないかなぁ。


こういう目的があって、自然の中を歩くって、、、なんだか、とっても充実しているような気がしますよね。冷蔵庫がいっぱいになって、それをどんな順番で、どう料理して食べようかと悩むのなんかは、とっても贅沢な感じがします。





まったく方向性も違うし関連しないのだろうと思うけれども、佐々木俊尚さんのエッセイ『簡単、なのに美味い!家めしこそ、最高のごちそうである。』を思い出しました。なんというか、要は自分で作ったりするプロセスを再現するのって、面白いんだろうと思うよねー。もちろんなんでもプロレベルまで究極にやらなくても、リラックスしてやれるレベルでなんちゃってでやればいいんだろうと思う。狩猟とかイノシシの解体とかに魅力を感じる部分も、似ていて、食べ物ってどこから来るんだろう?とか、実際どういう味付けを具体的にしているのか?とか、そういうベースの部分が体感できるからなんだろうともう。


僕もやってみたいなーーと、ずっと思っている。狩猟は、夢の一つですね。


簡単、なのに美味い!家めしこそ、最高のごちそうである。

2012-09-16

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012に行ってきました。

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ずっとずっと行きたかった越後妻有トリエンナーレ2012。いってきました。聖地巡礼というわけじゃないけど、友達と、いきなり思い付きみたいな珍道中で、とてもたのしかった。イメージは、ゆうきまさみさんの『究極超人あーる』の撮影旅行のノリ。こういう友人と、どこかへ遊びに行くって、、、、そういえば、ついぞ最近したことがなかったと思いました。やはり、結婚して、子供ができると、家族や奥さん以外とどっかに遊びに行くってのは、まず皆無になりますからねー。家族では、ものすごく行くんだけど。。。。30代(既婚者子持ち)ってのは友達のメンテナンスが弱くなるようなぁ、、、と実感します。この前の東富士の陸上総合火力演習もそうだけど、うーん、凄い質のいい小旅行でした。こういうの行ける友人がいるというのもいいし、いやーほんと、最近僕は幸せです。気のおけない友人がいる、好きなことがあるって、こんなに癒されて楽しいものなんだ!って思います。

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美術手帖 2012年7月号増刊 特集 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012 公式ガイドブック アートをめぐる旅ガイド

いま『ワークシフト』を読んでいる中で「自己再生のコミュニティ」という概念があったんだけど、なるほど、と思う。現代社会は、現代のテクノロジーは、基本的には人を孤独に追い落としていくものなんだけれでも、意識して、「自己再生のコミュニティ」を作れば、というifが語られるんだけれども、まさにその通りだと思う。逆にテクノロジーが、それを支え守る武器になる。僕は、こんな友人は、ブログがなければ、出会うことはなかった、と思います。まっ、ブログがあっても、リアルで関係を築き、メンテナンス「し続ける」意志と努力がなければ、無理だけどね。流動性は余計高まるから、基本的には孤独になるし、著者のリンダ・グラットンさんが書いているように、ナルシシズム(=自分中心でエゴを通し続ける)が高まるのがこれからの社会なので、そこではコミュニティや協力し合うということへと反対の潮流が流れていくだろう。まぁ、そういう人は孤独になるだけだけどね。僕は、そうなりたくないもん。努力しよう(笑)。ちなみに「自己再生のコミュニティ(=ようは気のおけない友達と過ごすこと)」ってのは、空間と時間(&文脈=コンテキスト)を濃く共有した経験によってしか形作ることができない、というのが僕の持論です。これ、凄く重要な気づきでした。共同体の定義って「時間と空間に拘束されること」なんですよね。だからネットの体験は、肉体が空間を共有していないので、僕はある程度限定的にならざるを得ないと思っています。これ、ヴァーチャル空間が拡大していく今後50年では、物凄い重要な差異ポイントとなると僕は見ています。この前亡くなったアメリカの外交官も、最後の遺言というかセリフが有名なバーチャルオンラインゲームの仲間に行ってセリフだったじゃん、、、あれとかすげぇなーと思うのですが、これからコミュニティや友人がああいう形で形成されるリアルSAOの世界が確実に訪れます。そういうときに、自分の自己を安定化させるコミュニティをどのように階層づけて形成するかは、凄く人生を幸せに生きるコツと直結すると僕は思います。そして、それは、昔のように「自然に」ということはあり得ない。それは、僕らの住む世界が、再帰的な世界だから。・・・ってなんか難しくなった。

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉
ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

ちなみに、ほんとぉぉぉぉぉぉーーーーに長く僕のブログを細かく読んでくれている人や、僕と直接たくさん話したことがある人は、この「空間と記憶のコントロール」というタグというかテーマで、僕はずっとものを考えているものがあって、故・荒川修作さんの養老天命反転地から、ランドアートに凄く興味を持っています。モダンアートが、環境芸術といわれるこっちの方向へ流れて分岐していく様は非常に興味深いポイントだと僕は考えています。そうなんですよ!実は、なんちゃって建築好きなんですよ、僕は。

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http://www.yoro-park.com/j/rev/index_a.html

養老天命反転地―荒川修作+マドリン・ギンズ 建築的実験
養老天命反転地―荒川修作+マドリン・ギンズ 建築的実験


同時に、これからの未来の日本と世界を考えていくときに「地域コミュニティの再生」や「ナルシシズムに沈む個人の実存の回復」などの視点からも、こういう「町おこし」・・・というと、概念が狭まってしまいますが、非常に重要なことだと思っているのですです。わかるでしょう?。地方は全世界的に沈みます。間違いなくメガシティの周辺部にできるスラムよりもさらに沈むはず。そうなっていく文脈で、地域の活性化、そこにおける共同体的な絆の回復は、重要な今後の人類の戦略的課題なはずです。まぁ、こういうトリエンナーレ的なものが根付くかどうか、それもまだ僕にはわかりません。あくまで選択肢の一つにすぎないと思っている。箱モノ的な感じもぷんぷんにおいますし。本当に地域の共同体の形成に役に立つかといえば???だろうしねぇ。とはいえ、体験しないことには、評価や可能性はわかりません、ということで行くことに異議ありでした。


特に、ちきりんさんのブログで言われているような『日本というブランド』ってなんなんだろう?、これからの日本は50年単位で何が最も目指すべきポイントなんだろう(現実的にね、今ある手持ちのアセットを使って)って考えると、瀬戸内の芸術祭もそうだけど、これらのイベントは、僕は非常にヒントになるものだって思っているのです。日本って、なんといっても、土地が美しい。季節も四季がはっきりしているなど、そもそもがヘリテージみたいなもん。。。。そういうの利用するこう行くのもので、、、というと、こういうのは世界的な潮流でもあるしね。

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http://setouchi-artfest.jp/

って、一緒に行った人、全然そんなこと言ってなかった!とか、モズ男とか叫んでいただけだった、とかいわないでねっ。てへっ(笑)。モズ男ネタは、いやぁーーなにがそんなに面白いんだっ?って言うぐらい、うけましたねぇーみんな(笑)。運転やばかったですよ、僕は(苦笑)。腹よじれそうで。特に「いまを楽しめ」のアートは、最高でした。

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これ田村由美さんの『7SEEDS』に出てくるのあのカマキリの化け物にめっちゃ似てねぇ???すげぇ怖かったよ。

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大地の芸術祭

2012-01-18

コロニアル・ウィリアムズバーグ (Colonial Williamsburg)に行ってきた!

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大学時代からの念願だったコロニアルウィリアムズバーグに行って来た。くわしくは、ここのサイトをもてくれればいい。

ウィリアムズバーグのサイト

http://www.history.org/

僕がここに執心した理由は、なんちゃってアメリカ・ウッオチャーとしては、アメリカの空間管理手法の変遷を知りたいと思っているからです。

サイトを見てみればわかるとおり、独立以前のアメリカの首都、大英帝国の辺境植民地のバージニア州の一都市を、18世紀のそのままに再現し、それだけでなく、そこに住む人々の日常も、テーマパークのイベントとして毎日再現しているという凝りようです。

どうかんがえても、アメリカのある種特殊な性癖を凝縮したようなオリジナルのものに見えませんか?。実際に、どのように運営されているか、ずっと見てもたかったんです。

また大学時代に授業で読み込んだ「ミニットマンの世界」という北部のコンコードの街の歴史書や独立革命のエピソードから、いわゆる歴史好きが遺跡名所を巡るみたいなもので、実際い、その時の建物は、食べ物は、気候は、服装は、そういう具体的なものが、ものが見て見たかったんです。ワシントンのエピソードなどは、アメリカの神話でありポピュラーな物語なので、これがわかると、いっきに世界が広がります。物語好きとしては、このへんの、より深く物語を楽しむために、教養を深めより多く広く現実を体感してフィードバックさせる、という修行?(笑)は、スパイラルのプラス効果があるのでやめられません。現実と文字情報の交互のフィードバックは、時間と空間を超え、より深い認識をもたらすと思いますよ。まぁ当たり前のことですが。意識するとしないとでは、大きく違う。


ミニットマンの世界―アメリカ独立革命民衆史 (1980年) (北大選書〈6〉)
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Washington: A Life
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せっかくなので、見るべき文脈を二つ紹介しておきます。

1)アメリカの空間管理手法の伝統

アメリカには、空間を管理して作り込んでしまうという伝統があります。色濃く出ている例は、なんといっても国立公園や公園の設計、建設、維持、管理です。世界で最も、国立公園制度が、発達している国なのです、アメリカは。シエラクラブなどの例もいいのですが、なんといっても、一番わかりやすいのは、ニューヨークのセントラルパークでしょう。あんな都心のど真ん中に、200年以上も前の自然が、そのままの形で残されています。けどね、これって、考えて見ると物凄くおかしなことなんです。だって、その周りが大都市になっても、そのままの自然の形をずっと残し続けるというのは、ある空間を切り取って、その周りの環境がどれだけ変化しても、同じ状態に「管理維持し続ける」という偏執狂的な意識がないとできないことだからです。

よくいわれるのは、イギリスやフランスの庭園設計の伝統を引き継いでいる、と言われます。イギリスの田舎の貴族の屋敷や公開されている公園などに行ったことがある人は、その徹底した人工的な造り込みに驚嘆すると思います。いい例が、メイズ(迷路)ですね。生垣で空間を囲って、その中に入り込んだ人間の行動を、誘導、管理するという意識の表れです。アメリカでも、トウモロコシ畑にいくと、よくコーンメイズがありますよね。あの伝統です。日本の庭園の伝統の夜に、あるものを生かしながら「見たて」をするのとまったく異なる文化です。このウィリアムズバーグの総督官邸の裏の庭も、感動するくらいのイギリス式庭園で、お決まりのようにメイズもありました。ちなみい、ガバナーパレスを説明してくれた解説員の人は、ここのメイドになりきったたぶん大学生ぐらいの女性で、テンション高くてノリノリで、おお、まさに当時のメイドだ!、って感じで、

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ちなみに、この空間を設計し、管理し、作り込み、そしてそこの中に入った人間の経験や視点を誘導、管理するというノウハウが、アメリカでは、テーマパークの運営、特に、ディズニーランドに結実して行くことになった、と僕は仮説を立てています。

ディズニーランドという聖地 (岩波新書)
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2)アメリカとは何か?ーアメリカ人とは誰のことか?


もう一つの視点は、アメリカは、非常にミクロまで詳細に調べ抜いた歴史というよりも生活様式そのものを再現するのは情熱に溢れています。


これは、アメリカ歴史博物館のところでも書いたのですが、アメリカについて勉強する時の、最初の「見方」というか「視点」の一つに、「アメリカ人とは誰のことをいうのか?」というものがあります。これは、アメリカ社会でよく問われる強い衝動のことで、社会的にもそうですが、そもそも、そこにいる個人が強くこれに、必ず悩むようになっています。考えれば、単純ですよね?。アメリカには、日系アメリカ人、イタリア系アメリカ人、アフリカンアメリカンなんでもいいのでしが、絶対頭に〜系という風に、つきます。簡単な話、移民によって形成されている人工的な国家だからです。ここで、ネイティヴアメリカンの話は、持ち出さないでください。話がややこしくなるので。話し本質は、これによって変化しないしね。さて移民国家であるので、自分が、何者であるか?というのが、三代もすぎると、わけがからなくなってくるんですよ。実際、タイガーウッズとかフセイン・オバマ大統領なんかは、典型的で、もう世界中の人種が混ざりすぎて、俺って何者?って感じになるんですよ。タイガーウッズなんか、タイ、オランダ、アフリカとかもう全人種混ざっています。彼は自分を、カブリネイィジアンとか呼んでいましたね。なので、どうしても、意識的に、自覚的に、自分のルーツはなんなのか、ということを意識して調べて、自己確立しないと、自分が何者であるか、わけがからなくなるんですよ。コミュニティの所属と自己確立(アイデンティティ)は、そもそも、自分が、何ものかと、自分で定義しないといけないですが、それが、非常にわかりにくいのですよ。

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僕は、こうした動機が、どうも、自己のルーツの確認という意識に収斂して、アメリカ社会の極端な、過去の生活様式やルーツの再確認、再現志向を生み出しているのではないかと仮説を立てています。

また、アメリカは、メモリアルを作るのが大好きな国民で、ワシントンDCでも思いましたが、ワシントンメモリアル、リンカーンメモリアルとか、ほんとうにこつこつあった出来事をメモリアルとして形に残そうとします。死を美化しやすい国民性でもあると思うんですが、あかなり度が超えていると思い、すごい偏執狂的です。もちろん、国民国家形成の常套手段でもあるので、ここは、必ずしもアメリカ特有とは思えませんがね。ちなみに、ロサンゼルスのリトルトウキョウは、エリソン・オニズカストリートというのがあって、オニズカ大佐の像が置いてあります。オニズカ大佐は、チャレンジャーの事故でなくなったアメリカの宇宙飛行士ですね。


鎮魂と祝祭のアメリカ―歴史の記憶と愛国主義
鎮魂と祝祭のアメリカ―歴史の記憶と愛国主義


さてさて、こういう文脈から、僕は、ウィリアムズバーグという歴史保存のテーマパークをぜひ一度は見て見たいという風に思っていました。

で、結果の感想ですが、いやー超面白かったですよ。もう一日ぐらい泊まってゆっくりしたかったぐらいです。

まずはキャピトル、議事堂から見たんですが、意外に小さいと思ったのですが、中は重厚でした。二回火事で消失しているんですが、1930年に初期の建築で立て直したものが、現在のものだそうです。入り口にいくと、ツアーガイドさんが、もちろん当時のままの服装で待っていて、この建物の説明ツアーを当時の人になりきった感じで説明してくれます。たぶんボランティアに近いものらしいので、以下にも好きでたまらないぜ歴史!みたいなノリで、非常にいい。ディズニーランドやユニバーサルスタジオのツアーに参加するイメージを思い浮かべてくれればいいです。

時間によっては右側の市民議会で、独立革命時代の議論を再現しています。ここでは、アメリカ独立宣言に先駆けて、ヴァージニアの大英帝国から独立が宣言されています。事実上アメリカで最も裕福で指導的な立場にあった、ここヴァージニア議会が、アメリカ独立を先導したんですね。ちなみに、アメリカの国軍は、ほぼここのヴァージニアのミリシアなどを中核とした軍隊が、そのままなりました。ちなみに、ワシントンは、ヴァージニアの軍人でした。僕の時のツアーガイドさんは、議事堂で独立宣言を書くに当たって、私有財産の絶対と、人が平等であるという部分で、黒人は、財産なのか?それとも人なのか?と論争が起きたことを、当時のマジソンらが、これこれこういうことをいった、という風に再現しながら、説明してくれました。超面白い。ちなみに、子供には不人気で、そりゃーすげぇむずかしいはなしですが、僕には、この話が一番理解しやすかった。そもそも知っているエピソードばかりなので。

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ちなみに、総督(ガバナー)の席があって、その周りに議員たちの席があるのですが、この規模と部屋の機能とか、ガイドさんが再現してくれる当時の会話聞いていると、なるほどなるほど、ああ、この大帝国の辺境の植民地は、はっきりいって広大な自治権があったんだな、というのがよくわかりました。ようは、あまりにイギリスから遠すぎて、管理し切れていなかったんだろうと思います。だから、地元の人々が、自己でいろいろなものを整備して、管理、維持しているってのが、よくよくわかりました。はっきりいって、数千人ぐらいの小さな街ですし、官僚機構も軍隊さえも!ないんだから、地元の自治以外で来ようはずもない。いや、見て見ると一発ですよ。ああ、こりゃー課税なんかしたら、ぶちぎれて、独立だぁ!と叫ぶのわかるわ、、、って。ちなみに、議事堂の壁には、当時のイギリスのキングジョージと奥さんが飾られており、至る所に英国国旗で、おお、植民地なんだなーと感心しました。ここが、大英帝国の辺境都市であるのが、よくわかりました。

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それぞれの建物には、当時の服をきた解説員がいて、当時そこの建物でどんな生活をしていたかなどを解説してくれる。うーん、しびれるくらいミクロ。これ、小説とか歴史を書く人には、凄い想像力のアシストをしてくれると思う。建物も道具も服装も、当時そのままに再現するかオリジナルが残っているのだから。

特に、僕が興味深かったのは、武器庫。18世紀のイギリス軍やミリシア、ヴァージニア州軍の武装がどういう状態だったのか、どんな武器を使っていたのかがわかる。基本的に、大英帝国の軍隊は、ほとんど駐在しておらず、常備軍は存在しない状態。では、どうやって現地の治安維持やインディアンや他のライバル帝国であるスペインやフランス帝国との戦いをしていたかというと、ミリシアという義勇兵と言うか地元の、おっさんたちが、年に何回か訓練をして、自分で武器を保管して、なにかあれば馳せ参じるという仕組みになっていたらしい。ようは、国民皆兵に近い状態で、源頼朝の下での鎌倉幕府の御恩と奉公みたいなものだと思えばいい。でも、逆に言うと、治安維持や対外戦争も、アメリカ側から言うと、自己防衛しているわけだから、イギリスに文句言われる筋合いがないと思うのは、よくわかる。逆に言うと、遊軍的な少数の軍隊で、大英帝国という大きな領土を効率よく支配している仕組みだったんだろう。これで、キングジョージが、極端な課税をかけなければ、うまくまわっていたのかもしれない。ボストンティーパーティの代表なければ課税なし、というのは、こういったマクロ構造があって、イギリス軍の規模や海外派遣能力では、北米植民地を抑えきれないだろうという目算があったのだろう。また民衆も、自治をして、自己防衛をしているんだから、そこはほぼ独立国家に近いわけで、言われのない中央集権権力にいらっとくるのは、よく理解できる。アメリカを学ぶ時に、非常に重要な理解のポイントは、この国が、一見、フェデラリストの伝統と強い大統領権限によって、中央集権的な構造に見えてしまいやすいが、まったくそうではないということ。学問の世界では、分権的と呼ばれるのですが、ようは、自分たちのことは自分たちで決めて自分たちは自分たちで守る、ということです。前にもいいましたが、ギリシア的な常識として、コミュニティーを守ること、戦争に参加することが、市民の定義であり義務なんですが、それをやっているのに、国政への参加資格がないというのは、アングロサクソンの伝統でもギリシアローマン文明の伝統でも、どちらにせよ、ありえないんですよ。より北部のピルグリムファーザーは、もちろん神聖政治ですから、つまりは新興宗教団体が国を脱出して自分たちのコミュニティーを作り上げたわけですから世俗の権力を嫌いますし、ヴァージニアのように最も規模が大きく富める植民地が自立的な伝統があるとすると、基本的に大陸的な土地の広大さを反映して自分たちのことは自分たちで決めるというか、もっといってしまえ、もう好き勝手に生きる、という伝統があるのですね。コミュニティーごとに。

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学問の世界では、常識なのですが、日本社会は、徳川幕府時代から大日本帝国時代も含めて、400ー500年近く強烈な中央集権国家であって、この「分権的である」ということが、マクロ的に概念的に理解しにくいのです。この概念を実感して理解するというのは、タウンミーティングなどの民会やグラスルーツの政治的影響の伝統がない僕ら日本人にはものすごく難しい。

これは、アメリカを理解する時のキーポイントの一つなので、よく覚えておくと実践的だと思いますよ。

集権論の伝統は、これがわからないと、さっぱり意味不明ですから。この概念に不案内であれば、たくさんのアメリカの映画や小説、政治的な動向が、意味不明になってしまいます。それを、連邦政府的な中央集権の仕組みだけで理解すると、とても理解が歪みます。

ちなみに、日本の戦国時代は、近現代からすると理解できないくらい分権的なので、この概念が理解できれば、同時に分権的なものがどういうものなのか、が逆輸入的に理解することができる、とも考えています。とはいえ、さらっと表でみるとわからないものは、構造的に分解して分析的に理解しないと、他の文化圏、他の構造の中にいる人間には、まったく理解できないものです。その理解の難しさを意識しておくと、またその体感的に難しいことの理解の努力をしていると、見えないものが見えるようにり、世界の複雑さの多様性の面白さがわかるようになります。マクロ的な概念や抽象的な概念は、「わかった」と思えるのが非常に難しいのです。世界を体感するのは、難しいという、ある種の謙虚さがない人間は、いつまでも狭いパースペクティブの中で生きて行くことになってしまいます。さてさて、武器庫の話に戻ります。ここで、当時の主要な武器であったマスケット銃を見れました。おお、まおゆうだ!とか、「ラストサムライ」の時代とか、西部劇の時代は、これだったんだーとしきりに感心。ちなみに、当時の命中率は、ぜんぜんダメで、戦術としては、400ー500人が並ばないと、意味をなさないもので、そういう意味では、シビルウォー(南北戦争)の時には、命中率が80-90%となり死者の数が跳ね上がったと行っていました。そういう意味では、まだまだ、ミリシアなどの当時の地元の自警団レベルの治安組織や軍隊と、大英帝国が遊軍的に派遣している舞台との、練度の差が、それほど大きくならないという意味でもあったんだな、と理解できました。特に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代以降から明治維新付近まで、日本の軍事テクノロジーや戦術理論の発展は、全て止まってしまうので、この辺りの17-18世紀の軍事力の行使というもの、武器のレベル、被害の大きさなどが、どういったものなのか?というのが、穴になっていたので、これを見れたのは、非常に興味深かった。物語的にも面白いし、ワシントンの逸話から独立革命、南北戦争までの歴史は、自分でもアメリカウッチャーとしてそれなりに全体像の知識もあることから、とっかかりがあるので、頑張って勉強してみるかな、と思う今日このごろ。老後の歴史遺跡巡り旅のねた仕込みとして(笑)。それに、物語好きとしても、この辺の歴史は、日本人には不案内ということもあり、ここを理解できると、アメリカの物語や文化の理解が段違いになるし、非常に秀逸なアンテナになると思うんですよ。一般的な日本人が知らないというのは。




・・・・・それにしても、生きててよかったーと思います。こんなところに旅できるんだもん。知識を持って、こういう異郷に行くと、まるでファンタジーの異世界に転生したような、不思議なドキドキがあります。旅って素晴らしいですね。