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2016-04-22

独断専行という裁量権と大きな戦略と指揮系統との整合性は?

難しい言い回しですが、要するに、「状況の変化に対応して何か行動するときには、現場が勝手に決めて構わない」と言っている。つまり「独断専行を認める」「その時その時の現場の判断で、うまくやれ」ということです。

私自身も外務省にいたとき、難しい仕事に直面すると、よく上司に「佐藤君、うまくやっとけよ」と言われたものです。ご経験がある人も多いと思いますが、日本の組織においては、上司は具体的にああしろこうしろ、とは言いません。「うまくやれ」、それだけ。メーカーの現場の技術者が上から言われる「工夫しろ」というのも、同じ意味です。



「よい独断」と「悪い独断」



この「独断専行」というやり方は、結果がよければ上司から「よし、指示どおりにうまくやったな」「臨機応変によくやった」と評価されますが、失敗すれば「何をやっているんだ。うまくやれと言っただろ」「自分勝手なことをするな」と減点され、叱られる。日本では、軍隊も企業も、この論理で動いているのです。



中略




「独断専行」を日本人の欠点とみるか、それとも長所とみるかは意見が分かれます。しかし、ひとつ確かなのは、日本の組織の中では「いかにうまく独断専行するか」が、出世競争において一番ものを言うということです。

良し悪しは別として、「独断専行」は日本の文化であり、それは現在でも、あらゆる組織の中に埋め込まれています。一般企業であろうと、また官庁や役場、大学などの公的機関であろうと、日本人が作る組織である限り、このルールから大きく外れることはありません。裏を返すと、この「独断専行」をうまくこなす技術さえ身につければ、競争の中で有利な位置に立てるということです。


2016年04月09日(土) 週刊現代

佐藤優が直伝!旧日本陸軍に学ぶ「出世の秘訣」

社会人のための「役に立つ教養」講座


このポイントは、考え抜く価値がある凄く重要な点な気がする。アメリカの企業で働く時のJob Descriptionに基づいて入れ替え可能性を確保し、上の指揮権が貫徹するようにデザインする組織構造とは全然違うロジックなんですよ。悪い意味では、職域が曖昧で、なんでもしなければいけなくなって、全体最適が不明のまま、際限のない仕事量に追われるようになってしまう。極論として、やれる範囲の仕事はすべてやって当然、となるからだ。けれども、良い点でいえば、ある意味、上位の職域や指揮権、上流下流に至るプロセスの全把握とコントロールが、実力によって達成できてしまう、という独断専行も許容される。


ミクロ的には、世界最強レベルの自律した小集団や小王国と化した組織が、単独で様々な問題を解決しうる実行力を持つ。マクロ大に言えば、それぞれに大きくなり小王国化した組織同士が、派閥争い的な覇権をかけて群雄割拠状態が正常な状態のため、常にセクショナリズムを超えられず、全体最適が達成されない。いいかえれば、全体としての指揮命令がはっきりしないため、それがどこへ行くかが常に不明になってしまう。指揮権が発動しないので、各組織間の力関係の「空気」で物事が自動的に決まるので、大きな犠牲を伴わなければならなかったり、大きな方向転換がほぼできない。やるときは、一斉に自滅する・した時に限る。アメリカとの戦争ですね。

 

また組織内部的には、常に下克上が存在する殺伐とした競争社会になる。これを緩和して、且つ正常な競争意識を植え付けるためには、1)参加構成員全員一律に平等な権利を与える、もしくはその幻想を見せる必要が常にある。そうでないとすぐ革命(下克上という名の日本的革命)が起きる。2)同時に、実力によらず(実力によると、殺し合いの下剋上が常態化して組織が維持できなくなる)かつ秩序(上下)を作る根拠として、年功序列、シニオリティーシステムで、階層を作り、指揮伝達に根拠持たせる。なのでこれが機能していると、組織の構成員が、信じられないほど、ギリギリのレベルで搾り上げられるように、全力でしのぎを削っていくことになるので、非常に秩序ある競争状態が確保される。日本民族の強さのコアである「勤勉」というヴァリューは、この部分からきていると僕は思う。世界に冠たる成長や、西洋文明の近代化をすさまじい勢いで吸収でき、かつ今もフロントランナーで走る根拠がここにあると思う。常時ブラック企業が大好きな人々なので。まぁ、世間による相互監視ですね。このあたりは、阿部先生の本が素晴らしいです。


日本人の歴史意識―「世間」という視角から (岩波新書)



と、まぁ、こんな感じの仕組みになっている。これ、日本の組織で、生き残り、優れた存在になるために、物凄く大事なポイントのような気がする。ここでいう独断専行ができなければ、日本で優秀なマネージャーにはなれないと思うし、ここでなれる人は、僕は世界に通用する指揮官になれると思う。日本のミドルクラスや現場指揮官の優秀さや、現場の優秀性は、これによって形作られているからだ。


しかし、これが全体最適になると、最悪の結果を生みやすい。特に撤退の決断ができない、組織間の駆け引きの力学を超えられないという、日本的最悪の問題を引き起こす。またもう少しミクロの問題としては、こうしたあいまいな領域があるために、アングロサクソン型の労働慣行との互換可能性が確保できないので、グローバルな多様性に接続しにくく、ブラック企業のような際限なく労働者にデスマーチを強いることが可能になってしまう(何をやるというはっきりとした目的と定義が常にないため)。


ふむ、、、これ、凄い興味深いポイント。もう少し考えてみたい。ああ、これ、山本七平さんの問題意識と同じだなぁ。時間があれば読み返したい。。。


日本的革命の哲学 (NON SELECT 日本人を動かす原理 その 1)

2016-01-13

ぼくらの住む日本社会は、どのようにできていくのか?

これは当時としては当然で、西洋諸国の侵略の脅威に瀕していた日本が生き延びるには、軍備を整えるとともに、軍隊の規律に従う人間を急いで養成する必要があった。そのための規律=訓練装置が学校である。そしてこうした制度の中で「優等生」になるのは、先生に忠実で規律を守り、場の空気を読んで「正解」を出せる生徒だ。

こうした家父長的な「日本型学校主義」が正社員を中心とする雇用慣行を生み、サラリーマンを理想とする文科省や日教組の教育が兵士を再生産する。職員会議には法的根拠もなく、すべて全会一致で多数決がとられることはない。教職員のコンセンサスを得ない校長の「独断」は許されない。

こういう「学校社会」は日本社会の縮図であり、そこから生み出されてくる兵士は、素直で勤勉だが、自分でリスクをとって仕事を作り出すことができない。それは一時まで日本の会社には都合のいい人間だったが、今は日本経済の衰退の原因になっている。


http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51968168.html

学校という会社

池田信夫さんのブログを見ていて、いつもこのあたりの記事でため息が出ます。日本ってなーって。。。もちろんこれは民族性であって、良さと悪さは裏表なので、一概に悪いとだけ言えるわけではないのでしょうが、いまのフェイズでは、かなり悪い状況ですよね。

ただ、この40年サイクル説は、歴史を学んでいると非常に、なるほどと思う気がするのですが、処方箋が違うような気がするんですよね。ようは経営者が悪い、リーダーか小粒になった、もっと下剋上を!という方向に解決策を見出すのですが、それって大正デモクラシーの後の日本の解決策の模索と全く同じなんですよね。よりひどい崩壊をもたらす方向性のような気がする。

政党政治や米騒動などの大衆デモクラシーが、大衆ナショナリズムを生み出したのだ。陸軍の中でも石原のような中間管理職が決定権をもつようになり、彼らが戦線を拡大した既成事実を首脳が追認した。満州事変以降の戦略なき戦争は、ボトムアップで「民主的に」進められたのである。

「大正デモクラシー」が満州事変を生んだ

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51968641.html

むしろ下剋上を促すようなほうがさらにひどいことになりそうなもので、リーダーシップの確保をもっと制度的にしっかりさせる方が、と思うのですよね。むしろ、経営者がちゃんとした実権を持っていないからこそ、会社が腐敗するような気がするんですよ。また経営者が育たないのは、日本的な市場環境の特徴である、結社(アソシエーション)が、共同体に転嫁して永続的な存続をかじ取りなしで思考するようになるからであって、市場からの退出と参入をちゃんと機能させれば、経営者は育つような気がするんですよね。僕は明治維新後の、リーダーが小粒になったという説は、なんだかいいわけな気がするんです。創業期や建国期に比べて、リーダーが小粒にみえるのは当然で、だれもが野心満々の革命期のリーダー的であると、ようはナチスドイツや明治維新の志士たちのような、破壊に躊躇がないようなめちゃくちゃな人間にかじ取りを任せっぱなしってのもないだろうと思うんですよ。実際は、ちゃんとソフィスティケートされるリーダーがたくさん育っていた気がします。むしろ、憲法とか法律、制度とか、大本の仕組みを、定期的に大幅に改変していく手続きがないために、過去のスキームにフィツトした法律や環境が生き延びているのが、国を崩壊させていく大きな要因のような気がする。安倍政権のようなかなり時代錯誤的な右翼に基盤の一部を置いている勢力が言うと、生活者の視点が抜け落ちるので、だめだなーと思うんですが、そもそもぼくは、制度は大きく変えるべきだと思うんですよ。なので、左側の護憲とか、頭がお花畑な人々は、目指いしている方向性はたぶん正しい方向なのですが、手続き手法的には、逆の方向に舵を切ることを頑張って進めている気がします。むしろ生活者を無視しそうな右側の現実主義の勢力のほうが、現実的に手法が正しいという感じで、日本の政治分布って、本当にねじれている気がします。近代国家が目指す方向性は、リベラリズムの貫徹がもう当然であって、それが現実的になかなか合わない(安全保障と経済の縮小いう現実があるので)なかでどこまでギリギリで切るか?というところなのに、目標と手法が一致している勢力がないんですよね。日本の政治勢力で、なぜ右が目指すような現実的な手法と冷徹なナショナリズム、国益手法で、左が目的とするリベラリズムが進む世界を目指す勢力がいないのかが、本当に残念に思います。だって、それが最も現実的な気がするんですよね。中国の台頭と、セキュリティー問題、中産階級の衰退、高度成長期から縮退期、フローからストックの経済システムへという多き流れで、非常に国益思考で右翼的で、かつナショナリズム的な思考は、手法としては、ほぼこれしかないと思うんです。自分を滅ぼしても、他者のためになろうというのは、国家の運営者ではあってはならないことだからです。しかし、同時にそれによって生活者の権利や自由が奪われていく現実をどう逆転させる実行面での解決方法を探すかというのが、、、、言い換えれば目標としては、レフトサイドの理想が重要になるに決まっているんですよ。現実がそうじゃないから。なのに、なんでそういう勢力が生まれないのか、、、不思議です。

残念ながら教育現場では、イエスマンを作るための態度指導や部活動での過剰なコミットメントのほうに重きが置かれすぎていて、職員室で学力向上の話題はほとんど俎上にあがらない。

とにかく日本の教育は空気を読むことに力点をおいている。

2015/12/26付週刊東洋経済では、厚切りジェイソンことジェイソン・ダニエルソン氏が、「ここがおかしい日本のIT」というインタビュー記事の中で、日本のIT業界の停滞を「決断しているリーダーが不足している」と喝破している。そしてその原因の一例を、ご自身の4歳の娘さんが通う日本の幼稚園で、紙飛行機ですら先生のいうとおりに作らないと怒られるという「悲しい文化」に疑問を呈して示している。

つまり日本の教育は、平成27年が終わろうとしている今日でも教師が「カリスマ」で「年功序列で来たイエスマン」を作りつづけていて、それがじっさい多くの日本の企業ではフィットしてしまうのだろう。

残念ながら教育現場では、イエスマンを作るための態度指導や部活動での過剰なコミットメントのほうに重きが置かれすぎていて、職員室で学力向上の話題はほとんど俎上にあがらない。

とにかく日本の教育は空気を読むことに力点をおいている。

2015/12/26付週刊東洋経済では、厚切りジェイソンことジェイソン・ダニエルソン氏が、「ここがおかしい日本のIT」というインタビュー記事の中で、日本のIT業界の停滞を「決断しているリーダーが不足している」と喝破している。そしてその原因の一例を、ご自身の4歳の娘さんが通う日本の幼稚園で、紙飛行機ですら先生のいうとおりに作らないと怒られるという「悲しい文化」に疑問を呈して示している。

つまり日本の教育は、平成27年が終わろうとしている今日でも教師が「カリスマ」で「年功序列で来たイエスマン」を作りつづけていて、それがじっさい多くの日本の企業ではフィットしてしまうのだろう。

http://agora-web.jp/archives/1665462.html

これも前に書いたけれども、日本の強みとリンクしているところなので、だめだめいっても、ドン・キホーテ・ロマンチシズムだなぁと思うんですよ。実際どうするのがいいのですかねぇ。日本社会にいて空気読めなかったら、悲惨ないじめの対象になるだけで、そういうものがうまく読めるのは、ある種の特殊な技術であって、国民的なカラーとしてそれができるのが、グローバルで必ずしも弱みにだけなるわけではないと思うんですがねぇ。だって、そうでなければ、成功している時期に、なぜあんなにも華々しく世界に乗り出せるかの説明がつかないじゃないですか。なんでもダメダメだけじゃないんだよ。

2015-07-08

まさに、ここだよな。

選択と捨象 「会社の寿命10年」時代の企業進化論

特徴的なのは、著者が産業再生機構という部外者の立場で、しかも自力再建がにっちもさっちも行かなくなった段階の企業についての話がほとんどだということだ。こういう目で見ると、普通のサラリーマンが見るのとは別の「日本の会社」の像が浮かび上がってくる。

現場は優秀で技術力もあるのに、会社としてはボロボロになる。その原因は経営がだめだからだ、とよくいわれるが、著者のイメージは違う。そもそも経営者に情報が上がっていないのだ。つぶれるかどうかという瀬戸際になっても、資産査定に必要な数字が出てこない。現場が隠しているわけでもなく、日常的な「貸し借り」の中で曖昧に決めているので、事業のボトムラインが黒字か赤字かもわからない。

だから再生ファンドが資産査定すると膨大な時間がかかり、厳格に査定するとJALは債務超過だった。それでも飛行機が飛んでいるのが、日本の会社のすごいところだ。なぜかといえば「現場主義」が強いので、経営者に全体が見えないからだ。彼らは業務は技術者にまかせ、資金ぐりはメインバンクにまかせ、たまに問題が起こると「足して二で割る」調整能力で生きているので、数字を見てもわからない。


「文系オヤジ」を捨てる経営 『選択と捨象』

池田 信夫

http://agora-web.jp/archives/1646820.html


日本のまさに大問題点って、ここだと思うんだよ。こういうトップがコントロールできない、不透明なものにのっかって、空気によって現場が暴走して、取り返しがつかない惨事を生む。ぼくは、日本の経営者が、その他の国に比較して、極端に劣っているとは感じないんですよね。いろいろ見てても。過去の将軍とかを見ても同じ。なのにこれだけ大きな差になるのは、何か構造的に大きな穴があるとしか思えないとずっとおもっていてきたが、最近なんとなくこのもやもやがわかってきた気がする。池田信夫さんのこのへんの話は、とても自分の長年思っていた問題点に光を投げかけてくれて、とても面白いです。経営者がダメだからだ!という現場の声は、ずっとずっと、、、、日本の大組織にいる限り、聞きまくっていると思うんですが、でもなんかずっと納得いかなかったんですよね。もちろん、希代の経営者とかと比較するのは意味がなくて、いつでも比較は平均値や普通と比較すべきなんだと思うんだよね。そうすると、日本の近代国家としての歴史的実績を見ても、そんなひどいはずないはずだと思うのに、、、なぜか?という問いは、いつもあるのですが、やっと少しづつわかってきた気がします。日本の場合、現場主義とかいうキャッチフレーズは、現場の下剋上とアウトオブコントロールを助長させてしまう、むしろやばいものなんだとか、通説とは逆のことがいえるんだな、とか、いろいろ常識とは全然違うことがわかってきます。そりゃ問題点の把握が間違っていれば、よくはならないよな、、、、。

2015-01-24

リーダーが戦略を設定できない問題点を抱える日本を時系列で少し考えてみる。

半藤一利 完全版 昭和史 第五集 戦後編 CD6枚組


半藤一利さんの昭和史の講演録をずっと聞いています。通勤の時間のお供に最適で、何度も聞き込んで頭に昭和史の一気通貫のイメージを刷り込んでいます。物凄いボリュームがあるので、とてもうれしいです。そうすると歴史の本などがどんどん深く読めるようになり、歴史が超おもしろいです。こういうので、中国史やヨーロッパ史の音声データがあるといいのになぁ、、と探している今日この頃です。塩野七生さんのローマ人の物語なんかも音声があったらなぁ、、、としみじみ思います。ちなみに、2015年は、1945年の敗戦から70年が経過しました。凄い時間が過ぎ去ったのですね。2014年は、WW1から100年目にあたって、アメリカやヨーロッパではそれが話題になっていました。


あの戦争は「15年戦争」ではない 池田信夫 blog

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51924832.html  


毎日講演録を繰り返しているうちに、ふと疑問に思ったことがあります。


昭和史というのは、日本がほんとうにダメになってゆき、明治に建国した近代国家が滅びるまでの物語が昭和史の前半です。


大きくはいくつかポイントがあり、いま全体の軸となるのは、


1)なんで絶対に勝てないとわかっているアメリカに対して戦争を仕かけたのか?


という疑問がまずあります。今の我々からすると、最大の謎です。これを追っていくと、横軸(構造的)には日本的意思決定のダメさが出てくるのですが、縦軸(時系列的)には、アメリカと戦争したのは日中戦争を処理するためというのがわかった来ました。では、次に来る疑問は、


2)なぜ日中戦争が起きたのか?


この疑問を考えるときに、あの戦争を15年戦争ととらえるのは間違いだ、というのは、僕も非常に同感です。満州事変と日中事変は、まったく性格も構造も違うものであって、いっしょくたにまとめることはできないと、僕も思う。

これは太平洋戦争だけでなく、1931年以降の「15年戦争」全体を考えるべきだという意味だろうが、このように30年代以降の戦争を一まとめにするのは間違いのもとだ。そもそも1931年9月18日に始まった満州事変から1945年8月15日までは14年足らずであり、15年戦争という名前がおかしい。特に満州事変と日中戦争の違いを認識することは重要である。前者は明治維新(あるいは幕末)から一貫するロシア南下に対する防衛戦であり、戦略的な必然性があった。これは膨張主義といわれればその通りだが、全陸地の80%を領土にしたヨーロッパ諸国に比べれば、ごく控えめな膨張主義だった。

ここにも書かれているように、満州事変までは、明らかな戦略目的性があるんですよね。ロシアの南下政策に対する防衛線という意味の。これは、明治国家建国からの戦略であって、その必然性は非常によく理解できる。


さて、この辺はまだ勉強中なので、あまりえらそーに説明できないんですが、ここで疑問に思ってきたことがあります。


2010年代にいきるビジネスマンの日本人である僕は、日本の大組織が戦略性を持たず、トップマネジメントの意思決定がめちゃくちゃレベルが低くて、世界で総負けしていくのを1990年代から一貫してみてきました。要は日本社会の伝統的な問題点とは、戦略的な意思決定ができない点にあるわけです。「だから」日本はダメなんだ、という結論のロジックになります。これは、非常に体感的の僕には納得できるものがあります。ずっと、「だから」日本はダメなんだ、と思ってきました。日本の1950-1980年ぐらいの教育は、この反省を中心とする思想が一貫しているので、まぁ僕らはそう思考するし、それが経験的にも一致しました。ちなみに、縦軸の分析(歴史の時系列の把握)はほとんどない大前研一さんですが、日本の盛衰のサイクルについての半藤一利さんの大枠の感覚と、この本で、1980年代に日米貿易交渉で日本が信じられないほど見事にアメリカにしてやられていくくだりの大前さんの分析と評価をつなげると、ピタって当てはまるように思うんですよ。これ、物凄い驚きでした。ほとんど1945年の敗戦と同じレベルで日本はそう負けしているんですよね。そしてこの時のキーもアメリカでした。いや、ほんとに日本はダメなんだな、、、としみじみ思いますよ(苦笑)。

クオリティ国家という戦略 これが日本の生きる道


けどね、こうして昭和史をある程度全体像で把握できるようになってきますと、当然に、


この日中戦争の前の時代の満州事変までの明治国家の建国以来の「戦略」とは何だったのか?


そして、


なんでその戦略が、見事なまでに貫徹され、世界史を動かすほどの成功を収めたのか?



という疑問が生まれます(←いま僕はここ)。



というのは、上記のロジックで「だから」日本はダメと言う部分は、確かに当てはまる部分もあるけれども、まったく逆の反対のことも日本は歴史的に成し遂げてきているのですよね。反対の事例があるとすると、日本が「だから」ダメといいきることはできなくなるわけです。ダメになったには、何らかの背景要因がある、ということになります。



では、いったいこの明治国家建国からの「戦略」の正体とは何だったのか?ということをもっと深く知りたいです。それをしれば、どうすれば、「それ」が成り立ってうまくいく背景を作りだせるのか?。何があれば、「それ」がプラスの方向へ向かうかを判断できるからです。



まったく勉強できていないしいい本も見つけていないのですが、日本の安全保障が、まずもって、



海を防衛しなければならない(=日本は列島で居住区域が狭いので敵を引き込んでの本土防衛がほとんどできない。ロシアや中国のような引き込んで補給を断つ作戦ができない)ということでアングロサクソンとの同盟(当時は大英帝国)と、太平洋における海軍の建設に踏み切ります。


日本の仮想敵国は常に、


海にアメリカ


陸でロシア


でした。二正面作戦は日本の国力的にもありえないので、イギリスと結んで、ロシアと敵対するという外交方針を作りだしました。ちなみに、大英帝国の仮想敵国もロシアでした。


そして、ロシアの南下政策を押さえるには、朝鮮半島を押さえ、その防衛と統治を安定させるには、満州を押さえなければならず、満州を押さえるためにモンゴルをという形で、一貫して戦略性は継続されています。すべてはロシアとのパワーゲームによって構造上決まってくるのです。


その時に、大きく問題になったのは、朝鮮半島の扱いです。西郷隆盛の征韓論に僕が注目しているのはそれがあります。ここが明治国家の根本戦略の分岐点だったように思えるからです。ここで少し戻って不思議なのは、朝鮮を併合する必要性があったのか?という点です。ここは、僕はよくわからない。コストばかりかかって、得なことがほとんどないような感じがするのですよ。伊藤博文がどうも反対していたのは、このあたりの問題点があるようなのです。

伊藤博文―知の政治家 (中公新書)

ただし、朝鮮半島に統治能力がないこと、その宗主国である清や国民政府が同様に内戦に明け暮れてやはり統治能力がないことから、なにもしなければ、そのままロシアの領土になったでしょう。満州の国境線は、日露戦争で、日本人の手によって防衛されました。そうでなければ、既にロシアの領土であったでしょう。特に、朝鮮半島は、地政学上、とても厳しいポジションにあるんですよ。大国がその保護下に置きたい戦略上の要衝ポジションなので。ここはまだまだ勉強が足りないので、どうなっているかわからないのですが、幕末から明治期にかけての日本の国境を画定させていく過程で、この基本戦略の部分から、何をどこまでという部分が考え抜かれているようなのです。なので、ここに日本の近代史を貫く大戦略の基本が隠れているはずです。この大方針の根本がたぶん征韓論の意見対立だと僕は睨んでいます(全く根拠ない感覚とイメージですが!)。ということは、西郷隆盛のその一生と人生を次の次ぐらいには、挑戦しなければいけない!と今イメージしています。ちなみに最大の補助線は、彼と島津斉彬との関係性で、これは『風雲児たち』が最大の補助線になると思っています。

風雲児たち 幕末編 コミック 1-23巻セット (SPコミックス)



そして、この構造は、いまだまったく変わっていません。



なので、やっと昭和史がわかってきた後なので、この幕末から明治大正にかけての、近代国家日本の「戦略」とは何だったのか?なぜ、うまくいったのか?なぜ、それを指導できるような指導者がたくさん輩出して、リーダーとして戦略設定を行い、戦術レベルまで貫徹して、大事業を成し遂げられたのか?これが知りたい今日この頃です。同じことは、できるはずだからです。それが成り立った背景を知れば。逆にこれがおかしくなる構造変化のパターンも、大部予測できるはずです。



この辺りはぞくぞくするおもしろさです。



歴史の中でも特に昭和の前半の歴史を知りたかったのが、ずっと課題でした。その理由は何度もブログに書いていますが、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』などの小説や様々なエッセイを読みながら、明治国家を建国した日本人の偉大な部分を知るにつけて、では、なんでそのあと、あんなにひどいことになったんだろうか?、世界を相手に勝つ見込みのない戦争をして滅びたのか?というのがよくわからなくなったからです。自虐史観とまでは思いませんが、団塊の世代や団塊のJまでの教育や世間の空気が、左にバイアスがかかっていることもあり、日本はダメなんだ的な言説を浴びるように聞いていた子供時代においても、このあたりの疑問は、とても不思議に思いました。

「明治」という国家

そして、司馬遼太郎さんは、ノモンハン事件に少尉で出陣した経験があり、あの明治期に素晴らしかった日本人が、なぜ昭和にあんなにもだめになったしまったか?という問題意識を持っていたこと、その謎を解くことこそが彼の作家になった目的だったという話を聞いて、その課題を追い詰めてきました。そして、それは、高度成長で世界を制圧したかに見えた日本経済が、バブル崩壊を機に坂道を転げ落ちるように世界で撤退を繰り返すさまを見ている自分のビジネスの履歴と重なるものでした。ちなみに、同じ設問を考え抜いた人は、山本七平さんです。彼は学徒動員でフィリピンの砲兵隊に任官した人でした。

一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)

けど、それが一回り回って、、、、自分の中に昭和史と日本人の、日本民族のダメな部分のピースがかなり埋まって仕組み的にも連続性があり、ある程度腑に落ちる感じが生まれてきました。そうなってくると、逆に、こんなにダメなのに(笑)、なぜ世界の中でこれだけのポジションを占めているのか?という疑問もまた生まれてきたんですよ。だって、何かしら、物凄いすぐれているところがなければ、こんな風にはならないでしょう?(笑)。それに、明治、大正期の日本は、優れて戦略的です。また参謀よりも優秀な将軍が生まれる土壌がありました。それは、昭和期の日本とは異なる背景条件があったはずです。


僕はそれが知りたい。そう思う今日この頃でした。


もう少しで読み終わるんですが、半藤一利さんの『ノモンハンの夏』、これだけに限りませんが、半藤さんの業績は昭和史前半にターゲットがあっていて、司馬遼太郎を読んでいる時に思った疑問と非常にリンクするんですよ。もともと半藤さんは、司馬さんの担当編集者であったのも関係あるのかもしれませんねー。


ノモンハンの夏 (文春文庫)


ちなみに今回上げた本は、キーとなるものを厳選してあげているので、ぜひとも全部読まれることをお勧めします。日本の近代史を理解しようとすると、必須ですよ。なんちゃって、読書家のペトロニウスですが、わからんシロートなりに、自分の頭で、自分の手持ちの情報だけでコツコツ考えていますので、穴ぼこばかりですが、全体的にはなんとなく大きく繋がってきている感じがして、歴史はやっぱり超おもしろいです。

幕末史 (新潮文庫)

2012-04-26

非常にわかりやすい!

「超」入門 失敗の本質 日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ

失敗の本質を読むのにものすごくいい、ガイドだ。わかりやすいーーーー。びっくりするほど。これはいいよ本当に。


・・・・しかし、これを読んでいると、日本って、本当に駄目な国だな(笑)って、へこんできます。日本の大組織に勤める身として、思い当たる節多すぎて!(苦笑)。でも、まー問題の本質が、どこかってかなりシンプルにわかってきた今日この頃です。


日本社会って、日本民族って、ほんとーに急激な外部環境の変化に対応できない(苦笑)のね。なんかいろいろなことがつながってきた気がします。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

2012-04-19

こっちの面からもアプローチできるなーと思い購入

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 01月号 [雑誌]

有名な名著ですよね。『失敗の本質』。具体的なエピソードもいろいろ読めてきたし、いま読んだら違った側面で、きっともっと理解が深まるだろうと思い読み返そうと思ったんですが、ちょうど雑誌で特集のがあったので、そっちも購入。うむ、、、、風邪でヘロヘロでやる気レスな日々を送っていたが、思い返すと、意外にコツコツいい出会いには出会っているなー。まぁ、モチヴェーションとか、やる気とかない時に、コツコツできることが、一番つみあがるんだよなー。そういうのこそが、コアコンピタンス?あれちがったかな?そういうのなのかも(笑)。やる気がないとできないようなことは、しょせん背伸びの無理なことなんだよなー。。。


それにしても、この名著は別口には呼んだことがあったが、組織論の問題や、企業のガバナンスの問題として読んでいたので、自分の趣味で軍記物を読み解く手がかりとか、そういうのにつながるとは!エウレカ!!!と思い、即購入。やっぱ、別口で勉強していたことが、大きな思考とか思索の流れでつながってくると、ぞくぞくするよなー。おもしろいよなー。


失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

2011-06-16

NHK 原発危機 第一回を見て

http://www.nhk.or.jp/special/onair/110605.html

■思考を複数化して、常にその他の代替選択肢を考える全体網羅感が必要

初見で思ったのは、「その他の代替選択肢」を、MECE的に考えていないことが致命的な「後手」を生んでいることだ。最初に、「電源車を確保できれば」となり次は「ベントを開けば」となり、常に思考が一直線。それも、総理、東電本社、原子力保安院などなど、出てくるプレイヤーが一律に、「全体としてどういう選択肢があるのか?」という「選択肢の網羅」を行っていないなんだな、と思いました。


自分が高い視点からそれが悪いと批判するのは無駄なので「なんてバカなんだ!」というような思考停止は避けて考えてみると、緊急事態の思考というのは、「代替選択肢」を考えにくいということなんだろうと思います。では、指揮官級のリーダーたち(総理、東電の指揮者だった常務、原子力保安院のトップ)など、大きな物事への指揮権限を持つ人々が、そうした緊急時にまず「代替選択肢」を同時並行に進めるという思考をもてなかったのはなぜか?と考えてみると、、、、なぜなんだろう?。


ふと思いつくのは、縦割り行政的な官僚思考は、日本のほとんどすべての大組織を覆う病なので、やっぱり「現状の与えられているリソース(=与えられたゲームのルール)のみを根拠として、最適化のゲーム」をするというのが身にしみついているので、ゲームのルール自体を変えようというメタ発想が、現実の行動において生まれにくいとても多いということが言える気がする。


それと、もう一つは、「緊急事態の指揮」というものに慣れていない人が多すぎるんだろうと思う。これは、やっぱり軍事関係者、軍での部隊展開など緊急状況での指揮を経験した人が、政治でも産業の分野でも、とても少ないことが大きなマイナスポイントになっている気がします。僕は専門ではないのでわからいのですが、肉体的に、精神的に追い詰められている状況下では、指揮に対する「やり方」が凄く歪んだり、思考が一直線化しやすいということを前提に考えてものを考える訓練をしている人が、ほとんどリーダーの分野でいないんだろうと思う。


■大組織を動かす時の情報の混乱、意思疎通の遅れに対する非常事態の技術について

基本的に311以後の5日間の「初動」が非常に後手に回ったことが、事態を深刻化させている。その中で一番大きいのが、やはりそれぞれの組織間での情報連携がほとんどうまくいっていないことだ。


現場→東京電力本社→原子力保安院→官邸


と、これを見ただけで、ほとんど機能しないことはわかる。だって伝言ゲームになるに決まっているじゃないですか。まずは、全ての情報集約社を一か所に集める「統合連絡室」みたいなのを、すぐに設置して、、、たぶん、これは、東京電力の本社に持っていくのが一番良かったんだろうと思います。日本社会はそうでなくとも、各組織が共同体化して、縄張り争いをしやすい伝統を持つので、常に指揮官は、情報の共有がスムーズに行われるための「組織を動かす技術」を意識しないとダメなんだな、とやはり痛感しました。


現場からの情報の信憑性の確認をしていて報告が遅れた、と原子力保安院のトップの方がいっているが、、、これって、指揮者の宿命であって、バイアスがかかって報告される情報の中からどうやって、本命の情報を整理して現実に対して指示を出せるかが、指揮官の最も必要な技術なんですよね。それで、こういう「自体が刻一刻と動いている時」というのは、途中の組織が情報を取捨選択を行うのって、凄く無駄な気がします。というのは、この情報のスクリーニング作業を、東電本社、原子力保安院、官邸と3か所で行うわけでしょう?これって時間かかりすぎると思う。少なくとも3者が一堂に会して、同じ場所で検討しないとバイアスがかかり過ぎて話にならない。現場からの情報が3者同時に同じだけ到着して、それぞれがスクリ−ニングして、その後3社で調整して、総合指揮者に報告すればもっと混乱が減ったはず・・・。たぶんここではあまり出ていなかったが、国民に対して、どういうふうに情報を公開していくか、という公開のルールやノウハウもあまりなかったにちがいない。


この2点は、指揮するものとして、「緊急事態」の時に、常に考えておくべきなんだな、、、、とかそんなことを思いました。