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物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-07-10

ほんとうはアンチスパイラルの話をもっと掘り下げて分析してみたい

・・・ふと思い続けていることがある。会社で会議をして分析の頭はフル回転して家に帰ってくるし、、いまはちょっと知っている人は知っているが、プライヴェートでかなり忙しいので、正直、好きなマンガや趣味に自分の頭はほとんど使えていない。心から満足できるような労力と時間をかけたことは、、ここ10年近くない・・・。けど、少しづつでもやっぱり分析や理解を深めて新しい世界に到達したものは、劇的に世界の解釈が変わって、知的な快楽があるもので、、、ビジネス以外でも、これをもっと推し進めたいなーと、思うのですが・・・・。

最近ずっとずっと、思い続けているのは、



アンチスパイラルとは何だったのか?



ということ。僕の中に数年来あった問題意識と、LDさんの「これを話したいんですよ・・・」という呼びかけが、ずっとずっと頭をリフレインしているんだが、、、なかなか・・・・。問題意識・・・・「問い」をためておくと、無意識でも少しづつ澱みたいなものがたまって、爆発することが多いので、意識はしているのだが・・・・「これ」は、それだけでは、進めない大きな概念のようだ。これは、『マブラブオルタネイティヴ』とか、やまむらはじめさんの『蒼のサンクトゥス』とか、まぁ何でもいいのだが、地球外生命体とのコミュニケーションとか、「異種」についての話で、、、この概念を自分なりに分かるようにつまびらかにすれば、今まで読め(=理解できるという意味)ていないハードSFなどへの理解が飛躍的に深まるのではないか・・・という期待があるのだ。けど・・・・。ああ、余裕と時間が欲しい・・・。まぁ作り出せない、俺が無能のだけれどもさっ・・・。


でもまー年齢を深めれば深めるほど、「できること」は大きくなっていくが、なんというか対象が凄く狭くなっていく・・・・「なにかを選択して集中しなければならない」・・・そうでないと、「大きなことを成し遂げられないで中途半端に終わってしまう」、、、という感じがする。孔子の年齢を経た後に天命を知る、というやつだろうね・・・。ビジネスを主戦場に選んでいるんだから、こんなブログとか家族とかかまっていないで、それに邁進せいよ、とか思う時もあるし、、、けど、やっぱりこれまでの時代の常識とは違うやり方があるのではないか?とか、いやそうは言っても、「幅」へのコミットがなければ、「深さ」への到達も甘くなるはずだ・・・とか、いろいろ思う。まっ、けど、人生は万事塞翁が馬、、、成るようにしかならないけれどもね。計画なんて、不可能だから、人生は。

2008-07-05

いったいなんのはなしだっけ?、いやニアかわえーなーっておもったことから始まった独り言です

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大人になった僕は、もうこういうものは買わないんだ、と胸に誓っている。リアルタイムでどんない好きで萌えていても、ライブ感が失われると、こういう枝葉の商品は、意味を失ってしまうからだ。もちろん、キレイに管理できて、部屋も広くあれば、別だろうが・・・たいていは、保管場所がなくなって、古びてしまい捨ててしまう・・・それはお金ももったいないし、捨てる労力も大変だ。まぁ、あまりマンガとかこういうものを買い込むと、妻がスペースがないので捨てなさいと言われてしまうんで、より吟味して本当に欲しくて、しかも残さないとなくなってしまうものだけを、残すようにしている昨今。


けどねぇ、、、、やっぱ、ほしいんだよなー(笑)



こういうのって、ほんと商売っけで、手を出しても、それほどの効用はないのもわかっているし、、、本当に重要なのは、ちゃんと本編をいつでも見れる状況にしておく、、、DVDを買ったり保管しておかなければ、なかなか見直さないし、見直さなければ、もうその作品は忘れ去っていく。時間は経つのだ。僕のように、もう幼いころから20年近くもオタク文化、、、だけではなく、好きな映画や小説、舞台、演劇、、、何でもいいのだが、そうやってこだわりのあるものがあっても、等しく時間が過ぎてゆき、、、人にもよるが、見かえす時間なんて言うのは、ほとんどないものなのだ。


少なくとも、ヲタクライフだけではなく、ちゃんと野心と希望を持って働き社会人をやり、家庭を持ち、子供を育て、自分の趣味も持ち、友人を大事にし、より広い世界を知るために勉強なんかして、、さらには、公、、、それがマンションの管理人でもNPOでもなんでもいいのだが、自分と会社と家庭以外の第四の領域にコミットする努力をする・・・つまりは、成熟した大人として「ちゃんとまっとうに生きる」ことをしようとすると、それは際限なく大変で、時間がないことなのだ。今の経済環境は過酷で、自然体で頑張っているだけでは、なかなかマクロの環境が、安定した充実した人生を保証しない。ヨーロッパ病の、、、資本主義の高度成長が停滞したEUなのでは、もう200年の知恵で、そういった成長がない世界で、たゆたって生きていくすべもそれなりに伝統化していればまだいいが、日本やアメリカのように高度成長・・・少なくとも、経済成長率が3〜5%はあるというとんでもないラットレースを前提とした高度成長社会がまだ全体とされている社会では、生きることはとてもしんどい。

前向きで成長していれば、これほど素晴らしい動的でダイナミックなマクロ環境もないが、けれど、いつでもだれでもが、そんな「前向きばかり」に生きられるうわけではない。前向きさや成長は、時に、本当に大事なものを見失なわさせ、自分の生の卑小さを隠ぺいして、また不可能や無理なことを、パワーハラスメント的に権力で覆い隠してしまいがちだ。


あれ、話がなんか違う方向へ。


いやね、時間って、なかなかないのだよ。少なくとも、僕には、一度見たアニメーションを、20〜50話級を何度も見かえしたりするほどの時間はない。というか、凄く見たくて仕方がないのだが、生活での中での優先順位が下がってしまうので、できないのだ。そうすると、よほどの思い入れがない限り、もう二度と見ないで忘れ去ってしまう。僕がライブ感を、無理をしてでも大事にして、無理をしてでも時間がなくても定期的に、好きなモノの記事を書くのは、ライブ感にコミットしていないと、記憶に深く刻まれないので、体験する価値がかなり半減してしまうのだ。好きなものを体験して心に刻みつけるには、とうも、、、テキトーだが、


1)生の継続的体験する(できれば、一瞬で終わらせなくて、アニメのワンクールかけて20分づつなんかが悦も見る形で)、


2)自分なりの感想を無理をしてでも継続書く、


3)自分の捉えた「理解」を同じものを好きな人とコミュニケートして、理解を深める




みたいな、STEPを意識して踏まないと、よほどのことがない限り、記憶に残らないようなんだよね。僕は、独身の暇だった・・・まだ責任がなかった社会人の初めごろに、ストレス故か、相当数のアニメやドラマ、映画を見ている。ブログなんてものはない頃で、友人も忙しくて会えないくて、外に出るパワーもなかったので、家にこもって休日に、DVDBOXをイッキで見たり、、、けど、それは1年もたたずにまったくしなくなってしまった。社会人なので、豊富にお金があったが、大人買いもしなくなってしまった・・・・それは、一気に消費・蕩尽したものには、ある種の思い入れも、心に刻む経時的な時間もないので、記憶に輝きがなくて・・・というか、ほとんど記憶に残らないのだよね。


そこへ行くと、『グレンラガン』や『反逆のルルーシュ』『魔法先生ネギま』などは、僕は生涯級で忘れられない体験になっているし、記憶は忘れようもない。なぜならば、3)でこれを通して仲良くなったリアルな友人がおり、本当にその作品を通して深くコミュニケートしたごく極少の友人は、すでに生涯の友人(笑)と思っているんだもの。そういう有機的で、重層的な体験は、忘れようがないもの。子供時代の、エンターテイメント体験が、深く刻まれるのも、インプロヴィゼーションと同時に、こういうこともあると思う。


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いや、人生は時間が短い。「何を本当に求めているか?」という部分と、自分が癒され幸せに感じる生活習慣・行動とを、どうリンクさせて、意義ある人生にしていくかってのは、ちゃんと考えて、自分にあった方法論を研究して実践していかないと、あっというまに人生老いてしまうような気がするんだよね。


ぼくは、ブログと自分の好きなものを通して、友人を見つけて、戯れて楽しむ方法を見つけて、、、本当に運がいいなーと思う。僕は、会社で野望を持って、ヘトヘトになるまで、権力闘争の中で生きていくだろうけれども、自分が強い野望を持ちながらも、実は権力に全然固執していない、別に窓際にとんでやることがないビジネスマンとしては、ダメ人生になっても実は一向に構わない。ビジネスによる自己実現(人生の過半を占める)が失敗しても、家族も友人も、、、ほとんどそれには依存しない体制を作り上げているからだ。これは重要だ。僕は老後も、自分が出世競争から降りた時も、実はかなり楽しみにしている。その「時」が来たら、忙しくて会えなかった友人たちと、細切れでりライブで共有したことを肴に、仙人のように語らうのが凄く楽しみだからだ。


そして、僕が大会社の取締役であっても、ヒラの窓際サラリーマンでも、僕の友人たちは、いっこうに気にしないだろう(笑)。だって関係ないもの。老後の準備とは、少し気が早すぎるが、、、、父や義父が、リタイアして、趣味もやることもない姿を見ていると・・・・いやないわけではないが、シゴトでやっていた超一流のレベルからすると、あまりにさびしいよね、、、というのを見ると、シゴト以外にメチャメチャ深い充実する対象を持って、それの仲間に囲まれているってのは、、、相当若いころから努力して形成しないと、できないよね、、、と思うのだ。


追記:あっと、ちょっと読み返して、けっこう読んでくれている人が学生さんとか社会人の初めの人が多いので、ちょっと僕のステージとは感覚が違うので、、、追記をば。はっきりいって、学生や社会人は、遊ばないでアニメやマンガなんか見るほどないほど行動して働かないと、後で余裕持てないと思います。人生にステージがあって、大学後半から社会人4年目くらいまでは、そもそもテレビや漫画を見る暇がるようであったら、まぁ充実した人生は送れないと僕は思うよ。個人的な偏見の感想だけれども。もともと異様に動いていて、自分は、もうへとへとだ、というくらいならばともかく・・・ね。


個人的には、日本を代表する大企業の会長とかに上り詰めながら、そろそろリタイヤで暇なので、友人たち(たとえばLDさんとかいずみのさんとか)とマンガやアニメの話で盛り上がってファミレスで徹夜するようなジジイになるのが、最高ですね。あっさり、権力を後継者に移譲して、アニメ三昧とか(笑)。うぉ、かっけー!。両方欲しいというのは贅沢だが、やってやれないことはあるまい。可能性は無限だもの。個人的な野望は、外国の映画や漫画オタクを探し出して、老後は、そいつの家で、たとえばイタリアとかアメリカとか中国とかでリゾートしながら、妻でも連れて、毎晩ヲタク生活とか、そういうのがいいなー・・・。妻は妻同士で遊んでもらってさ。ふっそのためには、ブログの英語化とグローバルビジネスマンになることは必須だな(笑)。



あれ???


あれれれ???


全然違う話になってしまった。いや、思わず検索していたら、出てきて、、、



うぉーかわえーーーー



ほしぃぃぃぃと思ったが、ガマン、、、と思った、というただの日記だったはずなのに(苦笑)。



f:id:Gaius_Petronius:20080705124340j:image



いやねー、、、、グレンラガンは、キャラクターへ偏愛した形で好きになったものではなかったんだけれども、いやーニアかわえーわ(笑)。あんまりよくないのかもしれないが、かなり中身は、他のサイトで見れるので、それで十分に満足しました。これ以上の所有欲は、ガマンガマン。


http://www.ichijinsha.co.jp/special/gurrenlagann/nia.html:title=f:id:Gaius_Petronius:20080705124341j:image]

2008-04-05

ロージェノムが叫ぶシーンで号泣したのはなぜ?

ところで、最終話のロージェノムが前へ出るシーンから、ニアに「娘よ…」と声をかけるシーンで、大号泣しちゃったんですが・・・なぜだろう?自分でもよくわからんが、涙が止まらなかった。

2008-04-04

『THE LIGHTS IN THE SKY ARE STARS』〜信じたものを貫いた話

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27最終話『天の光はすべて星』を視聴終了。

いろいろ書いたが、結論として、★5つの作品であることは、ハッキリわかった。

最終話の終了時に、このポッカリと胸に空いてしまった空白感が、それを示している。キャラクターや世界に、深い感情移入がないと、「これ」は起こらないのだ。

素晴らしかった。誰だったんだろう…僕は最初の放映時に特に気にもしなかったのだが、誰かに強く勧められて見たような気がする。基本的にアニメは頑張ってみないと、見る時間がないので、あまり見ないのだが・・・これは本当にリアルタイムで見ていなかった自分が悔やまれる。

だが、本当に良い作品を「感受」した直後というのは、実は、その作品に没入しているので、本当の意味での「意味」が読解出来ていないところが多い。胸と記憶に残る話は、今後も僕の心に生き続けるので、いろんな人と話しながら思い出を深めていけるといいし、もっと深く世界観を読解してみたいと思う。

特に、個人的な感触としては、あまり聞いたことがなかったが、この中島かずきという脚本家は、物凄い逸材に感じる。なんというか、これまでのアニメ関係の流れには感じない視点を感じるし、「革命政権後の生き方」などという着眼点がとても秀逸で、僕はとても素晴らしい才能を感じる。この人の作品は、今後も追いたいな、と思う。

全体の評価としては、『新世紀エヴァンゲリオン』で頂点に達した、「生きることの自明性の崩壊」という骨太のドラマツゥルギーの解体志向を、もう一度、「選択肢の可能性を無視したifのない唯一無二の生き方」へ回帰させた作品という意味で、とても象徴的で、、、それが、おなじガイナックスという会社から登場したことは、このクリエイター集団が、最前線をこの10年も走り続けているという証左で、なかなか感動的だった。


あと、ほら、LDさん!ニアの凄さを語ってくださいよ!。


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あなたは、誰かの背中を追いかけたことがありますか?


ふと思う。

カミナについて考えていると、誰もが、「あいつは生き残ったらダメなやつだったはずだ!」と、いいます。

そして、それは、論理的には、僕も正しいと思う。原作者の意図もそういう部分が透けて見える。

でも、言われるたびに、なぜか、「なにかが違う!」と僕の中で叫ぶ声があります。

いや、事実をつなぎ合わせると、たぶんそうなんだと思うんですよ、「論理的に」は。

だけど、そういう評価を、どうしても認めたくないし、カミナをバカにするやつを見ると、たまらなく怒りがわいてきます。


なぜなんだろう?、と不思議に最近考え続けています。


頭では、それなりに納得できるのですが、心が納得出来ないんです。


論理的に説明できないので、人のいうのははばかられるし、、、つまりそれは僕の思い込みか、僕の中の僕個人の倫理にすぎないのではないか?という疑問が生まれてしまうからです。

他人にある程度後半に共感を得ようとすれば、論理的たらざるを得ません。



けど、うまい説明の言葉がまだ見つからないんです。


ただ、、、ふと思うと、僕は、もし彼を否定する人が目の前にいたら、こう聞いてみたい?



「あなたは、誰かの背中を追いかけたことがありますか?」と。




僕は、よくロールモデルという言葉を言います。それは、抽象的な理想や概念では、人はとても動きにくく、人が真に動機が燃え上がり感染する時には、



「なにか凄い奴に出会った!」



という、「衝撃」や「オーラみたいなもの」だけだったりします。




けれども、人間という存在は、「自分の等身大の目線」と「過去の経験」からしか世界をなかなか実感できません。


だから、「自分よりはるか高いところにある視点」というものは、「低い視点」からは絶対に理解できません。


つまり、自分が「高み」に成長するチャンスに出会っても、その高みにいる人を見ても、人は理解できないのです。


けれども、「中身なんか何もわかっちゃいない」のに、巨大な衝撃を受けて、自分の人生が回転してひっくり返ってしまう時が、人生には時々あります。



そういうものは、たいていが、自分が「こうなりたい!」とか「何だかわからないけど凄い!」と、「思い込む」相手がいる時だけのように僕は思います。


そういう、自分の存在を、どこかで超越してしまうようなものを「見せてくれる人」が僕のいうロールモデルというやつです。


他人を動機づけられないロールモデルには意味はないからです。


けど、僕の人生でも、なかなかに不思議なのですが、「この人は凄い!」と思って、憧れて、死ぬ気で突いていった結果、実はそれほど大したことがなくて、、、、僕がはるかにその人を遙かに追い抜いてしまうことが時々あります。


シゴトで、僕が「親分」と呼ぶ最初に仕えた、心から尊敬する上司は、はっきり云えば、もう僕とは天地の差があります。・・・・それが言い過ぎでも、ある種の男気を貫くために、しょせん経営者レベルの人材になれなかった部分もあり、最高の営業部長ではありますが、経営では器が小さかった、と言わざるを得ません。


そして、同い年の時には、全く違うレベルまで僕は到達すると思います。



・・・・・けれど、僕はその上司の背中に憧れた、あの「絶対的な存在感への畏怖と憧れ」は、今でも忘れられません。



僕は、実は、その恐怖の大魔王のような上司に、あなたは天才的な営業マンだが、経営の視点がないから、上には行けない!といいきったことがあります。…精確にいうと、努力する(=男気を曲げて、より大きな世界に踏み出す)ことを放棄して、ある「価値観」の世界に留まったのですが、、、僕はいまでも、その時も、「それは逃げではないですか?」と思っています。



シモンが、カミナに思っていた気持ちも同じようなものだったのではないか?と思うんです。



なのに、僕は、その「一度心底あこがれた背中」は、いまでも僕の中の絶対的な幻想として、誇り高くそびえており、立場的には圧倒的な差がついた今でさえ、、、、彼は子会社ですが、僕は会社の中枢にいます・・・・その人を、誇らしい師匠として、深く深く尊敬しています。



・・・・なんとなく、意味わかるでしょうか?



僕は、論理的には、その上司を、極端に言うと「小粒の無能な人間」と断じているのです。それも会った最初の時から。



でも、その人は、僕には憧れを抱かせるだけの、絶対的な存在として、胸に屹立しているのです。



それは、ビジネスライクな合理性の世界で、魂を使ったシゴトのやり方をする人だったからです。



そう、合理性の極まったビジネスの世界にあっても、常に主人は人間の心や思い込みだ!ということを僕に教えてくれた、最高の師匠だったからです。



その一点をもって、僕は、永遠に彼を、師匠の呼び続けて敬うでしょう。



その「一点」は、たとえどんな環境にいても、「それこそがビジネスマンに最もやりにくい」重要な真理だったからです。ビジネスの武器は、すべて論理です。そして、論理は、可能性の否定に一番の効果を発揮してしまい、新し世界へ飛躍する、もしくは自分や今あるものをぶち壊す蛮勇さを失わせてしまいます。

基本的に、真の経営者、指導者は、物事を壊す、イノベーティブする「蛮勇」とそれを支える徹底した論理性と数字という、両立しがたいものを同時に両立するからこそ、真の経営者と呼ばれるのだと思います。人を指導するということは、そういうことができないといけない。僕の上司は、このバランスを追及し損ねているという部分で、惜しいかな、器が小さかった、としか言いようがない。もちろん、通常のビジネスマンレベルをはるかに超える論理性と数字へのこだわりのある人だったので、、、、彼が率いていたビジネスが、外資に売却されるというような極端なことがなければ、きっと経営者になりあがったとは思います…が、命をかけて構築した彼のビジネスは、非本流ということで売却されてしまい、、、、彼には、数字を支えるだけの組織や部下なしに、蛮勇と男気だけで、戦うしかなくなってしまっていました・・・・


そして、そのある種の「わがまま」と「蛮勇さ」のために、彼には上層部から嫌われてしまいました。


まさに、革命がなった後のヘタレカミナです。。。。


うまく説明できないのですが、論理的には、僕はその人を、器の小さい人だと分析してしまいます。全盛期の彼の部下だった時ですらそう直接反論していたし、いまなんかまさに、事実として差がついています。


・・・・でもでも、その人を僕は、物凄く尊敬していて、敬っているんですよ。


自分でも論理的には理解できない。


心が、そう叫ぶんです。


あの時、、あの状況で、二人の中にあった「なにか」が、それほど尊いものに見えるんですよ。


この気持ちは、たぶん生涯消えないでしょう。



・・・そして、彼よりもはるかに高い実力と器を得て、組織と世界を変えて、あの時、上司が見せてくれた「なにか」を実現して世界に示してやりたい!と僕はいつも心に誓っています。


その上司は、男気を貫いて、ドンキホーテのような行動をする人でした。

僕は逆です。過剰に論理的。

・・・・僕は、自分の男気を放棄してでも、過剰に論理的になり・・・・経営の視点でものを見て現場を切り捨て・・・・彼と逆の行為を、徹底的に貫きながら、、、、彼が夢見た生き方とビジネスのやり方、何万人、何兆円というビジネスの器で実現させたいのです。


シモンや革命政権のメンツが、カミナに抱いていた思いとは、そういうものだったのだと思います。


そういう、最初のイグニッションを与えてくれること、そんな火花と燃料であれた、一時期の時間を共に過ごしたことの価値が、「その後の凋落」ぐらいで消え去るのだろうか?って僕は思うのです。

だから、もう一度僕は問いたい。


「あなたは、誰かの背中を追いかけたことがありますか?」と。


もし、追いかけた経験があるのならば、きっと、その出会いに、その時の思いを嘘にしないため、絶対にその「追いかけた背中」をバカにすることはないでしょう。そして、その人がどんなに凋落しても、きっと忘れられないはずです。否定できないのです。それは、ハートが。たとえ関係なくなっても、口では言えなくなってさえ、その人への深い敬意が、胸に残り続けるものなのです。

誰かの背中に憧れる、というのはそういうものなんです。




・・・・・なんというか、オレの兄貴をバカにするなっ!!!



って思うんですよ(笑)。他人にバカにされるのは許せないんです(笑)



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2008-03-28

カミナの価値は?

いま、いずみのさんと話していて、自分の中で出てきた話を抜粋。あとでまとめる。

1)カミナの価値は?


カミナは、イグニッション。ゼロから…無から有を作り出したこと、そのことに価値がある。


基本的に、僕は、限りなく彼にシンパシーを感じていて、彼の価値及び描きかたに全肯定を感じている。

たぶん、死後、成長がなかったこと、、、成長の機会がないことで、ある種のシンボルになってしまったカミナという存在に対して、否定的な意見はあるだろう?というか多いかもしれないが、それをぶっとばして、ほぼ僕は彼を全肯定しているのがわかった。

詳細は別途(笑)。

いずみのさんも、まぁその通りであろう、とのこと。



2)ヨーコが、キタンに惚れた理由

これは僕の意見というよりは、いずみのさんが気づいたこと。

ここで重要なポイントは、大グレン団の中でヨーコだけは「シンボル化したカミナ」を見ず、自分の愛した「等身大のカミナ」だけを見ていた。ヨーコの女性らしさが感じ取れる部分だ。

一方、カミナの死後も生き続けたキタンは、現実との妥協をしながら生き続け、革命政権の事実上のNo2として生き続けることを選んだ。

政治を嫌ったヨーコは、あっさり「等身大のカミナ」の遺言に従うようにして、「次世代の子供たちを育む」という生き方を選んだ。

が、、、それは、正しくもあり、ある意味逃げでもあるのではないか。

そしてヨーコは、もしカミナが生きていたら、あの人は自分の隣にいたのではないだろうか? と考えていたような気がする。つまりヨーコのイメージする「等身大のカミナ」なら、たぶん英雄であることを嫌って政治の世界から逃げていただろう、という想像もできるのだ。

そうすると、カミナが火をつけた「大グレン団という理想」を、最後まで現実の汚物にまみれながら、守り抜いて支え抜いたのは、実質キタンだったのではないか? カミナ同様、政治が必ずしも好きではなく、向いてもいないキタンだが、彼は事実として最後まで逃げない生き方をしていたのだ。

25話で、キタンがクローズアップされた時に、ヨーコがキタンに惚れたのは、「だから」だったのではないか?。

ちなみになぜ「惚れた」と言いきれるかというと、26話の多元可能世界で、ヨーコの心は自分の結婚シーンを作りだすのだが、その時の相手がキタンだから。

つまり、ヨーコの中で「故人であるカミナ」と「故人であるキタン」(どちらもすでに現実世界では結婚もできなくなった相手だ)を比較した場合は、漢(おとこ)として、キタンを上だ、と認識していたのではないだろうか?

もちろん、カミナは、若すぎる死によって、「成長する機会」や「進化する機会」を奪われたキャラクターであって、たらればでしかその漢(おとこ)の器を計れない、というのは仕方がない面もあるのだが、実際にヨーコの心を奪った、キタンの現実にまみれたカッコよさは、「たらればのカミナ」より上だったということなのでは?


3)ロシウ編が、尺不足だったため、ライブ感が失われた?


基本的に、第三部のロシウ編が、あきらかに尺が足りなく、ロシウのテーマを、消化不良にしすぎている。

僕が、24話に、かなりのライブ感を失っているのは、この第三部の消化不良部分が、かなり後を引いたからだ。

ロシウ話は、あまりに素晴らしいテーマであっただけに、尻切れトンボになってしまっている部分が、そうとう自分的には物足りなかったのが、いずみのさんと話していてよくわかった。これはかなりの、体感感覚を僕から奪ったと思う。

脚本家もここの部分はもっともっとテーマを膨らませて、丁寧に描きたかったはずだ。

というのは、ヨマコ先生のストーリーも、素晴らしいのだが、いきなりポツンとあるような感じがして、この大きな革命政権後の政権というテーマの大きな物語をうまく消化できていない気がするのだ。



4)24話の特攻についての演出について


基本的に、その後の25話や以前の話(ダヤッカとキヨウの別れのシーンとか)を全体的に振り返ると、この演出は十分納得的であったと思う。双子の兄弟が死ぬ時に笑っていることや、「好きでやっている」とちゃんと説明していること・・・・・この話の包括は、キタンのギミーとダリーへの返答に十分表れているので、この24話の演出ミスというのは、基本的になくなると思う。

ただし、ロシウ編での消化不良を相当抱えたままここにきているためにライブ感をかなり喪失していたことなどを考慮するうと、グレンラガンという全体的な熱量を持った作品でなかったら、ここまで丁寧には見ないで、「安易な特攻」と悪く解釈される可能性も十分あるので、このあたりの演出は、非常に危ういというか、難しいものであると思った。

僕にとって、「安易な特攻」という演出は、それまでの文脈や細かい演出を無視して、それそのものだけを見て脊髄反射で、「ダメなもの」と感じてしまう可能性が強いので、ここは、その僕ですら納得できる高みを見せてほしかった…というのは、少し贅沢な望みであったかもしれない。



などなど、メモ抜粋。このテーマは、別に時間があれば書きます。

2008-03-23

リテラシーの問題をどう考えるか?〜ゼロベースで考えるか記憶で考えるか?



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25話視聴終了。基本的に、24話とワンセットのお話、という感じ。が、こっちのほうが、非常に好感が持てた。同じことを演出しているんだけれども、なんでだろう?。キタンにスポットライトが浴びる、というのが実に胸を熱くさせた。こういう「熱さ」や「気合」が売り物の話は、ともすれば、主人公ばかりの凄さがすべてを解決するみたいな演出になりがちだが、


「あんたが支えたから・・・・あんたが下から押し上げたから・・・・」(うろ覚え)


という影で深く努力をしている人が、高く高く評価される演出というのは、僕は凄い好き。しかも、ある種の制約があるから、特攻しかないという手順もそうだし、ギミーが「特攻するのが怖くないのか?」という質問を事前に投げているところも、凄く丁寧な演出で、よかったなー。あれならば、なるほど、彼が自分の命をかける意味もよくわかる。


□リテラシーの問題をどう考えるか?〜ゼロベースで考えるか記憶で考えるか?


尺が短いせいで、SFの設定が大味になっしまった

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080319/p1


ここで、いずみのさん(id:izumino)さんとコメントしていたので、ちょっと思ってのは、ある物語・・・情報でもいいのですが、それを見る時に、「過去の記憶」を前提とするのか、それとも「白紙のゼロの状態」で見た時の評価をすべきか?というのは、実は大きな分岐点かと思いました。僕はすべからく、自分の世代と好みの記憶を「基本ベース」にものごとを語っているのですが、その背景を分解しながらでないと、なかなか意見って伝わりにくいですよね。自分がどういった「基礎知識」もしくは「テーマ」を見ているかを、分解しながら話をすると、ただし長くなりすぎちゃうんですよねー(苦笑)。


結局の所、回り回った結論は「それでも自分に酔って死ねるようなバカがいてもいい」「簡単に利口になれるやつに螺旋力は宿らない」ということを描いているという読み方をすることになると思うんですけどね。トップ2で特攻批判を一度通過したガイナックスですから、そういうメタな合理性や政治性はとっくに(送り手側の頭の中で)一周していると見るのが当然で、「でもこの犬死にを描くんだ!」という選択をした事実を読み取らないと、送り手に対して悪いなーと思います。それは「ただのお涙頂戴から一周している」ということなので、批判ならその後でって感じですね。言い換えると、「どう言い訳しても庇いきれない」というのは一周していない批判なんですね。やるなら「たとえ言い訳できないことだろうと、キャラにやらせるんだ」という現場の意志に対して批判しないと(送り手側が真に訴えてほしいのは、その「一周後の批判」でしょうし)。


このいずみのさんの発言には、


1)ベタにものごとを一直線に突っ込む

(物事を素直に信じる)

2)ベタにはできずに立ちすくむ、批判やニヒリズムに陥る

(物事を単純には信じれない)

3)2)を経由した上で「あえて」それでもベタにものごとを一直線に突っ込む

(物事を素直に信じる)


いずみのさんの言わんとしていることは、ガイナックスの演出陣は、この2)を経由した上で、1)に回帰しているので、その部分を前提に見ないと、単純に批判できないって主張しているんですね。基本的に、グレンラガンというアニメメーションの全体すべての位置付けとして、いずみのさんの主張する意見は、僕も肯定します。これは、70年代から00年代への物語の類型への大きな流れをよくとらえている意見で、基本的に90年代以降の物語は、2)を経由して3)に行こうとする志向が見え隠れしています。時代的な文脈ともシンクロすると思いますね。


ここで、実は大きな疑問が二つ生まれます。


一つ目は、そもそもこの「前提」を最初から込みで見ている層と、そうでない層がいるわけで、その層別に物事を論じないと、一般論として一周回った後のベタさ、という部分は評価できないと思うのです。ちなみに、脚本は「一周回った」部分が顕著に出ているところと、ベタになりすぎている部分があるので、僕としては、全体すべてを肯定的にはとらえることはできません。


僕の個人的意見としては、現代・・・いまの時代で物語を作る時は、2)を経由しない演出や脚本は、駄作だ、と断言します。普遍的にいいきれるわけではないでしょうが、そもそもこの複雑怪奇な現代で生きていく子供たちに対して、ある種のメッセージやロールモデルになるという前提が、こういった子供向けのアニメにあるとするならば、複雑な世界で、その複雑さを経由しながらも1)に回帰する生き方を学ばせるべきで、なにもなしにバカのように1)にストレートに行く子供は、この資本主義の社会で食い物にされてつぶされるのがオチだからです。また、単純に1)だけの物語は、少なくとも僕は好きではないし、自分の子供にも見せたいとは思いません。世界はそんなに甘くないので。また、もっとぶっちゃけていうと、この2)を経ない物語は、薄くて何度も鑑賞に耐えるものでない場合が多いのですよね。ようは、エンタメとして面白くない場合が多い。1)だけで、すげぇ!という作品は、僕は思いつかないなぁ。


まぁ基本的にある程度年齢のいった僕らは、物事を見る時に色メガネのフィルター(=リテラシー)を持って物事を見ているので、その色めがねの構造を説明しないと、他人とコミュニケーションギャップが生まれて、意思がうまく疎通しないな、とこの24話では思いました。



もう一つこちらの方が論理的のは大きい問題で、作品の評価を行う時に、受け手が、1.「前提あるなし」を文脈として評価すべきなのか、2.「ゼロの状態」で評価すべきなのか?どちらが正しい批評の在り方なのだろうか?って問題です。


たぶん答えは状況による、というふうになると思います。


ただし、よい感想・批評・・・・よりよく物語を楽しむためには、この1と2は、別々に論じて考えるといいと思うのです。なぜならば、作り手は、当然のごとく一世代くらいは前の「大人」が作るわけですから、彼らの記憶や問題意識が、作品に如実に影響するのは当然で、その文脈から分析するのは、とてもオーソドックスだし、なによりも作り手側の論理をちゃんと解明できます。文脈的にも、その設定されたテーマや問題意識は、その作品が、より広範囲の世代に評価されるものであればあるほど、強いシンクロニシティを持つはずですから。逆に言うと、たとえば、ある特定の年代層やある特殊な志向を持つセグメント層に対して、狭い範囲でしか受け取られていない作品に関しては、その「受け手」がどういう文脈でとらえたか?のみが評価の対象になっても仕方がないのかもしれません。

このへんは、どこかでちゃんと作法みたいなものをまとめたほうがいいのかもなーとか思います。というか、たぶんきっと、どこかにあるはずなので、情報があったら、教えていただければ嬉しいです。きっと、はてなのどこかにあるさっ(笑)。


ちなみに、この「リテラシー問題」はとりあえず、抽出したかったので書きましたが、24話の問題の本質は、井汲さんの意見の方が正しい気がします。つまり、演出としてつまらなかった、というに尽きるのだと思います。そもそも、リテラシーうんうん以前の初歩的なミスなのでは?というのが、僕的に実感として近いです。

ちなみに、これが問題としてかたづいても、以下の問題がの残るわけです。


・SF的な設定が大味なのではないか?(全体の議論として)

・27話では短かったのでは?


こちらのほうは、別の問題の系のような気がします。ちなみに、この問題は、


そういうメタな合理性や政治性はとっくに(送り手側の頭の中で)一周していると見るのが当然


という意見とも絡む作品の根本テーマと絡むような気がするので、だから「ダメ」とは単純に言えない気がしますなー。むー。