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2018-02-10

『知られざる皇室外交』 西川 恵 著  天皇陛下の持つ時間と空間に広がりを持つ視野とその一貫性に深いセンスオブワンダーを感じました

知られざる皇室外交 (角川新書)

客観評価:★★★★★5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)


ちきりんさんのブログで紹介されていたので、読んでみたら、引き込まれて止められなかった。素晴らしい本だった。結構驚いたことは、諸外国において、外交において、天皇陛下が日本国の元首として扱われていることです。憲法に規定がなくて曖昧なんですが、「扱い」はそうなってしまう。まぁ、そりゃ、そうだよなとも思います。数年で変わる総理大臣や大統領よりも、終身で、かつ一族としてずっとその地位にある天皇陛下の方が、象徴としても、わかりやすさとしても、何より継続性として圧倒的になるというのは、考えてみればとても納得です。どこかの国際会議か何かで、席次がアメリカの大統領よりも上になっていたというのも、うーんと唸りました。数年で変わる人よりも(苦笑)、長期間在位する王族の方が、上席になることがありうるということでした。規定が曖昧ならば、元首として通常扱われるよなーと。そして、この本を読んでいて、「このこと」にセンスオブワンダーを感じたこと自体、自身が所属する生まれ育ったの国の仕組みさえ、ちゃんと分かっていないんだ、と驚きを思えました。日本という国の基礎中の基礎であることすらも、ちゃんとわかっていないんだ、と驚きの連続でした。



印象に残って考えさせられた点は2点。


日本の民族的病というか、マクロの課題として「井の中の蛙になりやすく、他社(=自分たちと異なる世界観を持つ人々が生きていること)が全く理解できない」というものがあると、僕は常々思っています。ところが、1点目なのですが、皇室を通してみる世界が、いかにグローバルかという驚きました。日本語の壁に守られた日本の世論や報道が、他者や他国を理解しない井の中の蛙になりがちなのは、よく言われることですが、最も閉ざされていそうな皇室から見る世界が、これほどグローバルなのは驚きでした。各国大使の認証式や、「継続して」各国の元首に会い続けていることなど、日本国の元首として、他国との関係の最前線に継続して立ち続けているから、そうならざるを得ないのでしょう。また第6章の「終わりなき「慰霊の旅」サイパン、パラオ、フィリピン」でも書かれていますが、日本の歴史を代表すること、容赦ない他国からの視点にさらされ、それに対して答えなければいけないこと(とりわけ、WW2の戦争責任や日本国としてしたことへの対応は常に厳しい視線がさらされ続けるわけですし)、そしてなによりも、国民すべての層の意識を統合する、、、言い換えれば国民のすべての人々に共感しなければならない立場として、「器」として、時空間を超えて、日本国の一体性、一貫性を「考え続けなければいけない」からこそ、生まれる意識なのだと思います。少しでも、その言行録を追っていけば、その存在感に圧倒されます。それにしても、この「役割」を一身に引き受け続けることの重圧は、いかほどのものか、と思うと、驚愕します。両陛下のスピーチを時々読んだり聞いたりすると、その「視点」の深さ広さに驚愕することが多いのですが、この様な広く深い継続した視点を主観的に持ち続けることの強みなんだろうなぁ、としみじみしました。しかし、、、これは、一人の個人としては、重圧すぎて、気が狂わないのが不思議なほどの責任感覚ですよね。僕は物語が好きで、軽い気持ちで、戦記物の君主の話なんかを読んでしまいますが、一つの国の歴史を、国土を、国民を背負うということの重さはどんなものなのだろうか?といつも思います。この世界には、自分の育ちでは理解できないような、巨大なものを背負い生きる個人がいるのだな、といつも感慨深くなります。アメリカに来て、ビルゲイツやバラク・オバマ、マーク・ザッカーバーグ、イーロン・マスクなどのスピーチやインタヴューをよくテレビなどで見るようになったんですが、英語がわかるようになってくると、自分の自国の言葉で身近に、このようなレベルの人々の話が聞く機会がたくさんあり、自分と「関係がある」と思えることは、凄いことなんだな、としみじみ思います。アメリカに住む子供たちは、彼らの行動が身近な生活に影響を与えるものとして、ずっと聞いて育つわけです。それと同じように、元首としてのはるか高い鳥瞰的視野で時間と空間を実感して、数千年におよぶ日本の歴史を下敷きにして、日本語でしゃべりかけてくれる存在が日本にいるというのは、少なくとも僕にはとても幸運に思えます。ちなみに、昭和天皇や平成天皇の主観的な視点というか、「彼らが見ている風景」をひとまとめにして見れるもので、僕が印象に残っているのは、2つがすく思い浮かびます。小林よしのりさんは、だいぶ濃い人で、好き嫌いはわかれるのでしょうし、名前だけで、もうおなか一杯と思いやすい人なのですが、この2冊は、僕はとてもいい本だと思います。

ゴーマニズム宣言SPECIAL 天皇論 平成29年: 増補改訂版

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論 (幻冬舎単行本)

ちなみに、日本の天皇陛下の存在業績を見る上では、僕は山本七平さんの下記の本がとても気に入っています。山本さんは、学徒出陣で従軍して、その日本の組織の在り方や軍隊に対する批判の切れ味は、本当に鋭いですし、しかも、彼はキリスト教徒ですし、戦争責任の問題がある昭和天皇には相当辛口なのだろうと思って読んで、非常に公平な視点で評価されているので、驚いたことを覚えています。この辺の近代天王性の中での位置づけの変遷、そしてどのように、WW2の国難を超えてきたかを概観して接続すると、とても興味深いです。ちなみに、アメブロの古い記事なので、せっかくなので、全文引用しておきます。

<<英明で啓蒙的独裁君主を望んだ戦前の日本>>


天皇制を考えるのにあたって、昭和天皇自身が


「自らをどのように自己規定」


していたかを追求した本です。


なるほど、


「天皇に戦争責任はあるか?」


という問いを発するためには、まず昭和天皇自身が自分をどのような存在と定義したかは重要な問いです。


--------------------------


この本の論旨は、非常に納得のいくものでした。


昭和天皇自身は、自らを


『明治大帝が定めた五箇条のご誓文と明治憲法に従う立憲君主』


として位置づけています。


天皇自身が、当時大英帝国の立憲君主ジョージ5世を敬愛していたのは有名な話です。




しかし日本の民衆は天皇に対して


『英明で啓蒙的な独裁的君主』


を望んでいました。


そして憲法上・時代上そのどちらの存在としても昭和天皇は振舞うことが可能でした。このねじれが、様々な軋轢を生んでいきます。



理論的には、アジアにおける当時の唯一の憲法に対して徹底的に自らの大権を制御し続けた昭和天皇は、英明な君主であったと思います。(というか、西洋的な歴史の常識に反する行動ですね)


しかし戦前日本のあまりに悲惨な貧困状況に対して、明らかに無力無能な政府や軍部を、憲法の命令という形で回避し、啓蒙独裁的に混乱を収拾しなかった非積極性は、糾弾されても仕方がない部分があります。


まぁ最も誰が一番悪かったかと問えば、「輔弼の責任」をまっとうできなかった政治家だと思いますが。


とはいえ、政治家の能力は民度に比例します。当時最高に民主的であったワイマール憲法が独裁者ヒトラーを生んだように、民主主義のシステムは独裁制との親和性がありすぎるのでしょう。ましてアングロサクソンのようにもともと植民地収奪によるストックが社会に幅広く行き渡り、民度が高く維持できる社会システムでなければ、運営しにくいのかもしれません。


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本来ヨーロッパの史学を学んだものがまず考えるのは、国家を統治する君主の強大な権力をどうやって押さえるかということです。この発想が、歴史の根本をなしています。


そのための民衆・貴族からの制限装置が憲法です。


ですからヨーロッパ的常識から言えば「憲法に従わない強力な国王を、どう従わせるか?」が根本命題でした。ところが、昭和の日本は逆です。昭和天皇自体が、自らを憲法の命令に服す存在として、頑固に踏み出すことを拒否しました。この点はよほどよく日本を知らない外国人には理解できないでしょう。一般の常識とは逆なのですから。



当時の東条・近衛内閣から226事件の首謀者磯部浅一らの一連の動きは、当時の民意を背景に、「憲法停止・御親政」により天皇の独裁的権力で、日本改造計画(そのコアは貧困の解決だった)を成し遂げようとしました。時代はソ連による計画経済の成功、アメリカによるニューディール政策、なによりもナチスドイツの経済的・政治的大成功が前提な社会でした。


貧困や失業率を一掃したナチスドイツのヒットラーへの憧れは、戦後では考えられない輝きをはなっていたのは間違いありません。ましてや日本の主要メディアとりわけ大新聞が、こうした革新改革の文句に弱く、積極的に国民に対してプロパガダ的啓蒙宣伝活動を繰り広げたわけですから。



こう考えてくると、戦前の狂気の時代において、憲法による命令という統治システム(天皇機関説!!)を、理解し実践していたのが、唯一自らを立憲君主として定めた昭和天皇であったことになります。


同時に最も理解していなかったのは、大メディア・政治家・軍部と何よりも国民の民意でしょう。しかし、時代背景的に世界大恐慌が発生し語ることも出来な悲惨な貧困に打ちのめされている人々が、絶対権力を行使しする全体主義的啓蒙君主を期待するのは、ヒトラーという身近な大成功が例にあっただけに、無理がないことといえるでしょう。


こういう両義的な問題を見ると、いつも歴史って、人間って、難しいなぁと思います。だって、憲法を守ろうとした君主昭和天皇は素晴らしいと思うし、同時に、民衆の貧困を救おうとした革新官僚や軍部の行動も必ずしも否定し切れません。しかし、そういう善意が絡まって、他国への侵略と自国民を無謀な戦争に導きメチャメチャな荒廃にさらすことになったのですから。


『裕仁天皇の昭和史』山本七平著/英明で啓蒙的独裁君主を望んだ戦前の日本

https://ameblo.jp/petronius/entry-10001941342.html

裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)

2点目は、1点目に繋がるのですが、選挙によって中断せず「継続している」元首による外交というものの強みです。継続する外国との関係性の具体的な展開として、WW2による遺恨が深く残っていた連合王国とネーデルランドに対して、それぞれの王室との深く濃い関係性から、両国の歴史問題を乗り越える契機を作っていくところ。このエピソードを見れば、いまの中国と韓国と同じように、歴史問題がねじれて両国に影を落とす可能性は十分にあったのに。特にこの本の意義は、WW2の遺恨は、決して東アジア特有のことではなく、ヨーロッパにも深くあることを再認識させられました。この辺りは本当に不勉強だったなーとしみじみ思いました。ただ、最近イギリス人お友人と話していたり、下記の映画とか、オランダのベアトリクス女王の宮中スピーチとか、東アジアにとどまらず、ヨーロッパにも戦争責任問題、歴史問題が重くあるのだなということが自分の中でも蓄積されていたので、さらに良い気づきになりました。歴史の問題は、目の前だけで考えず、時間空間の軸を広げて考えないといけないのだな、としみじみ思いました。

レイルウェイ 運命の旅路 [Blu-ray]

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オランダ新国王も引き継いだ「日蘭」恩讐を越える道

2014年11月19日 西川恵

http://www.huffingtonpost.jp/foresight/japan-and-the-netherlands_b_6175186.html

2017-07-29

『「世界史」講義 I古代・中世編: 教養に効く!人類5000年史』 出口治明著 ユーラシア大陸を一つのものとしてとらえる視点を!

「全世界史」講義 I古代・中世編: 教養に効く!人類5000年史

客観評価:★★★★★5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)

最近出口治明さんの『仕事に効く教養としての世界史』そしてこの前『世界史講義』また『世界史の10人』という本を読んで行くことによって結構長い間この本を読んでいるんですけども、一言で言うとですね、意外にこれつまらないなあと、ずっと思っていたんですね。出口治明さん自体は非常に興味深くて尊敬している人なんで、様々な日系ビジネスとかですね、記事に出てるものなんかは、とても好きで、それを貪るように何度も読んでいるんですけども。これらのシリーズの本は、あまり面白くないなぁって思っていたんですよ。

人間の社会というものをよりよく理解するためには人類の歴史5000年史をひとつのものとして理解しなければいけないというのは、出口治明さんの主張のポイントなんですけれども、意外に、このこれらの本を読んでいてもですね、面白くない。そう思うんですね。それは何でか、と言うとですね、読んでみるとわかるんですけれども全体像を全部網羅しようとするあまりにですね、具体的に細く展開することがないんですね。なので歴史の面白みというところで言うと各国史の、たとえば日本史などのですが、非常に深く追求していくことにあると思います。たとえば、関ケ原の戦いの徳川家康の心理とか。でも、全体像を語ろうともうと、そういう枝葉末節のことは省かなければならないんですね。なので、山川の教科書を読んでいるような形に感じてしまう。無味乾燥なんですね。

出口治明さん自体が非常に事実を重要視する形で書いているのも、それに拍車をかける。文学者ではないので、そんなに魅力的な個性的な文章を書くわけではないので、さらに無味乾燥になってしまう。と、いうふうに思っていたんですね。これは読んでいればそういう風に感じる人が多いのではないかなと思います。特に『全世界史講義』何て言うのは、そもそも世界史のベースの知識、様々な各国史の歴史に対する知識がない人間にとっては、なかなかそれ自体を具体的にイメージを持って豊かに読み解く力ってないと思うんです。もともと教養がないと、これらのことを楽しむことがなかなかできないではないかという風に感じます

しかしながらですね、これをですね、出口治明さんをとても尊敬しているので、とにかく全部読もうと、結構長い間、1年とかダラダラと繰り返し読んでいたんですけれども、そのうちに、あることがわかってきたんです。それはまず第一に、どうもこの人は歴史全体を見なければいけないという時に、何を見ているのかと言うと、ユーラシア大陸の歴史を一つの単体としてでも見ているということがわかってきたんです。これって東の端日本・中国と西の端ヨーロッパ、ここで起きていることを、そしてそれをつなげる間としての遊牧民中央アジアという風な形での歴史を「影響の連鎖」としてとらえているようなんです。ひとつの出来事起きたらそれかバタフライエフェクトではないですけれども東に西にインドに、様々な地理的な要因を超えてどのように展開していくのかという部分について非常に重要視している。だからトルコ系やモンゴルであるとか、遊牧民の文化と文明と国家というものが重要なポイントになっている。この部分が当然我々日本人にとってはほとんど知識がないものなので、そこの分が空白になっていて、横文字の名前ばっかりなんでよく分からなくなってしまうという事が一つ面白さを失ってる原因なんです。

でもキーとなる考え方が、ユーラシア大陸を、一つのものとして捉えているんですね。この考え方というのは、戦略論で言うときの、マッキンダーの考え方だと思ったんです。大きく人類の歴史というもの、人類の戦略というものを考えてる時に、どういうものの見方があるかと言うと、イギリスの政治家地理学者のハルフォードマッキンダー(1861年〜1947年)なんですけれどもこの人の地政学の考え方なんだろうと思いんです。これは人類の歴史というのは人類の歴史はランドパワー(大陸国家)とシーパワー(海洋国家)の戦いの歴史であり、20世紀以降はランドパワーの時代に入ると考えています。また東欧のをユーラシアの心臓部とし、これをハートランドという名前にしているんですけども、これをとったところが大陸の覇権を握るという考え方に基づいています。

マッキンダーの地政学ーデモクラシーの理想と現実

反対に海からの戦略を考えたのはアルフレッド・セイヤー・マハン(1840年〜1994年)でアメリカ海軍の軍人で歴史家です。彼が書いたものは、日本人の我々にとってはですね非常に馴染みが深いものなんですね。それは大日本帝国、アメリカそして大英帝国が有力に展開していて、海からユーラシア大陸をですね、包囲してしまうということを戦略の重要な目的としたものなんです。1890年に書いた『海上権力史論』というものが、それを展開しています。

人類ってのは大きな二つの視点で描かれることが多いんですけれども、我々日本人にとってはですね非常に分かりにくい。大陸国家の考え方、ハートランド争奪戦という形でユーラシア大陸を全体的に有機的には繋がっていくということに対しての感覚というのが、日本では非常に弱いんですね。なぜかと言うと日本が完全な海洋国家であること、海から大陸国家を封じ込めて、権力をどういう風に作り上げるのか、コントロールするのかということを徹底追及している国家だからと僕は思うんです。私もはそういう視点がほとんどなくてですね、特には自分が一生懸命勉強しているのっていうのはアメリカ史であったり日本史であったりとかするとで海の側からの視点に偏っているんですね。また今のフェイズが、米国の同盟を基軸とした海洋派遣構想の一部に組み込まれる時代を生きるのが現代日本人なので、大陸国家の考え方がさっぱり理解できない、というのもあると思います。


とにかく何がいいたいかというと、さすが出口さん!ということが、やっとわかってきたということ。山川の教科書のような感じがして歴史の魅力がわからないなーと思ったのですが、それはミクロの意味での歴史の魅力であって、歴史そのものの大枠の視点の構造変換を迫ろうとする時には、もう一度全体の情報力をインプットしなければならなかったんですね。それを全力で(笑)よんでいて、やっとつながってきました。やっぱりさすがは出口さんです。


世界史の10人





サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福



世界史としての日本史 (小学館新書)

2016-11-30

『読者ハ読ムナ(笑) 〜いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか〜』 藤田和日郎 (著), 飯田一史 (著)  漫画だけではなく、仕事をする時の最初に必要なものを具体的に懇切丁寧に教えてくれる!

読者ハ読ムナ(笑) 〜いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか〜

評価:★★★★★星5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)

素晴らしかった。この本は、たくさんの漫画化を輩出している藤田和日郎さんのところに新人アシスタントが来たところから始まります。このアシスタントに、部下として藤田さんが仕事の姿勢を教えていくのがこの本です。読了してみると、


なぜ人気マンガ家である藤田さんの新人アシスタント教育を、わざわざ本にしようと思った編集者がいたのか?


なぜ藤田さんのアシスタントが高い確率で、プロのマンガ家になっていくのか?


が、いやはや、ほんとーによくわかりました。後半は、藤田さんの物語論というか作劇論になっているんですが、それすらも、まるで仕事で成長するためのアドバイスというか理論に思えました。素晴らしい本でした。僕自身も、いま新しいプロジェクトをしているんですが、なんというか意識を入れ替えるというか、社会人として、ああ、これを気にしなければならないんだな!というような初心に帰るような気持ちになりました。


絶賛です。その要点は、すべての社会人が、最初に学ばなければならず、そして最も難しい「人の話を聞くこと」「聞いた人の話を受け入れて、自分なりに改良して具体化すること」を、どのような具体的なプロセスで学んでいくかが、見事に描かれているからです。


ええとですね、上手い言い回しが思いつけていないのですが、シゴトでも何でも、何かの物事をうまくいかせるためには、ある種の「精神論」というか「姿勢」のようなものが、必要なんです。これ、少し喋ったり、会った瞬間にわかるものなんです。けど「それ」が何なのか?が、ずっと、もやもやしてて、わからなかったんです。自分でも具体的にやっていることなので、なんなのかはわかるんです。けど、これをうまく言葉にして、客観的に具体的に、部下とか後輩とか、他の人に伝えることができなくて、ずっともやもやしていました。「仕事に対する姿勢」とかそういう言い方をすると、精神論みたいになってしまって、具体的に何をすればいいのかが、よくわからなかったんです。だから、人を見て「それ」とわかるんですが、「それ」がない人に、ゼロからそれを教える方法が、よくわからなかった。この本は、それが具体的に、ああ、そうすればいいのか?的に描かれていて、驚きました。もちろん簡単ではないでしょうが、抽象論ではないところが、スゴイのです。実際、実績があからさまですし。


少し話しはずれますが、前に「救われない人を救うにはどうすればいいのか?」という命題を考えている時に、ずっと思ってたのは、動機が持てない人、動機を持つ前に頑張ることを放棄してしまう人を、どう先輩として大人として導けばいいのか?と考えると、僕の結論は、動機がない人はそもそも切り捨てるしかなくて、どうにもなりゃしない、でした。


けれども、かといって、「動機が持てなく」なる、ようは、やる気がなくなったりして、道を踏み外す人と、そうでない人の差がどこにあるのか?といえば、何もないんだ、というのも同時の結論でした。いいかえれば、自分と、人生が終わったり壊れてしまった人との差というものは、運でしかなく、ほとんど差なんかないんだ、ということです。


そうすると、やっぱり思うわけです。「切り捨てていいものか?」って、それは「自分も切り捨てられる」と同義なので。


とはいえ、マクロ的に、自然に自動的に、動機がない人は「世の中から切り捨てられてしまう」というのは事実です。これは、いやおうない。人権なんて幻想で、それがマーケットメカニズムです。


まぁ、このマクロのメカニズムというのは、基本的には、事実なので、変わりようがない。では、人権という幻想のごとく、個々の人間の意思と思いで、それを変えていくしかないんですが、、、、、って、大きなことを考える時に、具体的にどうすればいいのか?ってのが、僕には思いつかなかったんです。動機がない人や、すぐあきらめてしまう人に、どうやって、コミュニケーションの最初の萌芽を伝えて感染させていくか?。「それ(=現実を受け入れて、現実を変えていく)という動機が働いていることがどういう状態なのか?」は、見ればわかります。けど、どういうプロセスで、「ここまで」たどり着くのか?がわからなかんですよ。


これは、要はドロップアウトしてしまうような、コミュニケーション弱者な人が、仕事の場所に来た時に、どうやって自分を成長させていくかの具体的プロセスが描ければいいわけです。漫画家を目指すという時点で、かなり社会不適応というかコミュニケーションに難がある人が多い(←偏見)わけで(これ、僕が思っているんじゃなくて、本に書いてあるんですよ(笑))、その中でも、アシスタントに来る新人ほど、なんというか、働くための大事な基礎がほとんどなさそうな新人もいないと思うんですが、その人に、声をかけていくプロセスが、具体的に(これが重要!!!)描かれていくんです。



僕読んでいて、鼻血が出そうな気がしました。これ、凄い本だ!!って。


最初に、描いたんですが、大事なことは、


1)人の話を聞くこと


2)聞いたことを自分なりに具体化して積み重ねること



これだけです。



これ、さまざまな新入社員に贈る言葉で、描かれているのですが、基本的に格言だけで終わっているんです。格言的な言葉でいうと、


「人の話を聞くこと」


なんですが、これは新入社員へのアドバイスとかでは、ちゃんと先輩や上司の言うことをメモを取ろう!とか、その意図を自分の言葉でいい直そう!とか、そういう風に言われる描かれます。でもね、これって、実は物凄い難しいことなんです。そもそも、人間、人の話しなんきゃ聞いちゃいねぇ。(笑)。


なぜなのか?といえば、自分の内的世界が肥大していて、それが正しいと思っているという「オレオレ」くんを想定すると、よくわかるんですよ。ようはね、人ってのは、自我の奴隷で、ナルシシズムの檻に沈んでいて、、、って難しいことに言い換えなくても、「他人のいうことを、いったん自己放棄して受け入れる」ということは、凄い難しいのです。



もうわかると思うのですが、この時点で、もう社会人としては、生きていけません(笑)。このスタート地点が、みんななかなかできない。スタート地点に立てないんです、そもそも。



これ、絶対に失敗する典型的なコミュニケーション弱者なんですよ。ようは、もっと砕けていうと、素直じゃないってこと。



素直に、先輩や上の人いったことを、聞けない人、やれない人は、もうそれだけで、アウトってのはわかりますよね。個人的には、仕事では、ここでどれだけ自己放棄して奴隷になれたかで、その後の「伸び」が違います。



・・・・って、書いておいて、いきなり反対のことを言うんですが(笑)、ここで奴隷のように素直になりすぎて、自分の「やりたいこと」がない人は、反抗できない人は、物事で絶対に「何かを成し遂げる」こともできないし、そもそも「全く伸びません」。


って、矛盾ですよね(笑)。ようは、奴隷になれ!と、王(自分自身の主人)になれ!と同時に行っているわけです。この両方が矛盾なく動いている状態を、僕はさっきの「姿勢」というような精神論的ないい方をしたんです。これ、抽象的には、わかるんですが、、、、じゃあ、どうすればいいの?ってのが、よくわからない。



これ、藤田さんの新人アシスタントへの接し方を聞いて、ものすごくよく分析できました。



詳しくは本を買って読んでほしいのですが、藤田さんが新人アシスタントに要求する最初のことは、



だまるな、しゃべれ!



なんです。無口禁止なんです。それは、コミュニケーションっをちゃんととれるやつが漫画家になれるという藤田さんの信念に基づいています。まぁ、事実スゴイメンツが、藤田さんのところからデヴューしているわけで、全編読んでいても、ああ、これはプロフェッショナルが輩出するはずだ、と唸りました。



あのですね、この無口禁止を実現するために、映画の話を、するってのが藤田部屋では、ルールになっている。何が好きか嫌いかをね。そして、話ながら事細かに、そのルールを教えていくんです。簡単に言えば、好き嫌いでいいので、「それを言語化しろ」ってことです。もう一つは、「人の好き嫌いも、ちゃんと聞け」って感じです。章のタイトルに、



映画を見て語り合うことが漫画家になる訓練になる理由



というのがありますが、これが見事でした。本当に細かいのは素晴らしいのでこの本を読んでほしいのですが、要はたくさんの映画を見て(藤田さんがすすめるものや話題のもの)をみんなで語り合うことで、共通の土台を作り上げて、コミュニケーションのコストが下がる状況を作ろうとしているんです。


また、「好き嫌い」を語ることで、自分が、具体的な、「どこの」「何に」感動したのか、つまらないと思ったのかを、言語化する訓練をする。また言語化されたものを聞く訓練をする。


そして、これが素晴らしいのですが、なぜそれが「好き嫌いか」といえば、これは、「自分自身」と「自分の意見」を切り離して、客観的に見る訓練になるから。


裏返しで、「他人」と「他人の意見」を切り離して考えることの訓練にもなります。



仕事で一番大事なことは、どんなに人格攻撃に感じても、「意見や事実」と「自分自身やその人の気持ち」を切り離して、客観的にハンドルできるかどうかです。仮にそれが、事実人格攻撃であっても、切り離して、突き放さないと、心が簡単に壊れてしまいます。鈍感な人でないと、なかなかシビアな人の意見は聞けません。かといって、敏感でないと、何も学ばないし、何も変わらない。



けど、このコントロールが、できないものなんです。そして、例えばこの場合では「自分のマンガ」に対する意見や批判を、「自分の人格」への攻撃としてとらえて、ドツボにはまって、具体的な仕事(ここではマンガ)が何も改良されずに、いらいらだけが積み重なり、壊れて、逃げて、人生を放棄していくことになります。



これ、ダメな人の、典型的なスタート地点です。



けど、藤田さんは、無口禁止にして、映画という、自分と切り離したものの好き嫌いを語ることで、意見とこういうの客体化を図る訓練をしているわけです。もちろん、これが、「自分の好きな嫌いなポイント」と「他人の好きな嫌いなポイント」の整理になっていき、それが、「自分のオリジナリティー」として、言語化されたうえで蓄積化されるという一石二鳥の効果も得るわけです。


最初のに書いた、


1)人の話を聞くこと


2)聞いたことを自分なりに具体化して積み重ねること


という仕事への姿勢、コミュニケーションのスキルを上げていくために、無口禁止にすること。そして、自分の思いを言語化すること、言語化した自分と意見を切り離す訓練をすること、そうして、意見と人格をより分けて、仕事に転嫁していく姿勢を学んでいくこと。



・・・・・いやはや、読んでいてぞくぞくしました。



これ、仕事だけではなく、コミュニケーションスキルを上げるための、奥義です。



これもちろん、長時間一緒の部屋に押し込められる漫画家のアシスタントだから、藤田さんが、しゃべるのをいとわない懐の深い上司だからというのはあると思いますが、とはいえ「場」を用意して、共通の土台をべースにコミュニケーションコストを下げていくなど、、、、もう見事な理論家であり実践。こうした密閉された空間が、ある種の宗教共同体のような効果をもたらして、導師(グル)的な一対一のコミュニケーションの濃密さをもたらしているんだろうとは思うんですが、これだけ、外で自立している人の数が多いと、本当に藤田さんというのはできた人なんでしょう。こういう濃いコミュニケーションは、人を奴隷化して洗脳して依存させやすいものなのに、まったく逆の効果の自立心を育て上げて鍛え上げているわけですから。それも凄いレベルで、凄い数で。



読んでいて、驚きました。この世の中のすべての新入社員にも、いや、ビジネスマンに読んでほしいと思う。



人格と意見を切り離して客体化できると、そもそも、とても凹んだり、落ち込んだり、鬱になることなく、仕事のクオリティを上げることができるようになります。いや仕事でなくてもなんでも。



書きたいことは山ほどありますが、なかなか時間がないので、とにかく、ここまで読んで興味があったら、ぜひとも読んでほしい本です。ただし、理解度は、彼の作品を読んでいると、物凄い深まりますので、ぜひとも、彼の代表作くらいは読みましょう。まぁ、藤田さんのは凄い大傑作ばかりなので、読んでいないともったいないですが。


いやはや、もともと藤田さん大好きで大ファンですが、なんか物凄く尊敬しました。大人として、ビジネスマンとして、マジでやばいくらいにかっこいい。素晴らしい大人です。


ちなみに、ここで取り上げた部分はごく一部なんで、宝石のようにたくさんの叡智が詰まっている本でした。素晴らしいです。


うしおととら(1) (少年サンデーコミックス)

2016-10-30

『ダーリンは70歳』 西原理恵子 著 超絶面白いけれども、きっとこの西原さんという方は、信念が変わらない人でキャラクターが濃すぎるので、他の作品を見ても同じものにしか見えないのではないかなぁー

ダーリンは70歳 (コミックス単行本)

評価:★★★★★星5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)


とっても、辛く評価しているんですが、信じられないくらい面白かったです。読むの止まらなかった。ただ、何が面白かったのか?といえば、コアは、高須クリニック院長の高須克弥さんのキャラクター。


先日RIO五輪で、下記の記事を読んだ。例のいきなり寄付したって話を見て、どういう人なんだ?って興味持っていたところ、見つけたんです。


高須院長、五輪ナイジェリア代表支援の裏側

http://dearfootball.net/article/2785


これ読んでいて、物凄く興味がわいたんですね。この人なんなんだ?って。その疑問に答えてくれる本で、いやはや、高須院長、凄い人です。


西原さんの名前は何度も聞いていたんですが、まったく食指というか読んでみたいと思うことがなくて、今回初めて手に取ったんですが、ああ、さすがに有名な人だけあるなという感じの、おもしろさで。特にこの手のエッセイ系のマンガの面白さは、本人のキャラクターが濃ければ濃いほど面白くなるので、物凄い濃い人なんだなーというのは、背景はよくわかりませんが、見ていて感じとれました。


けど、たぶん、僕この人の書くエッセイ漫画的なというか作品は、あまり好みではないだろうなーと思いました。エゴが強すぎて。いや、西原さんが、いやな人だとかでは全然なくて、高須院長との関係を見ていても、とてもいいなぁ、としみじみする感じがするんですが、たぶん、そもそも、物凄い個人的なキャラクターのパワーが強くて、それで人生を驀進して切り開いてきた人なんだろうと思います。僕もエゴが強いタイプなんで、人のことを言えないのですが、ちょっと強すぎて、ひいちゃう。というのは、たぶんスゴイ厳しい状態から、実力とエゴの気合で勝ち残ってきた人であろう臭みが凄いするので、その実体験をベースに、私のやり方は正しい!という強い確信を感じるのです。それが、あまりに強すぎて、うー、これは、いっぱい読んでいると、おなかいっぱいになってしまいそう、と思いました。とても厳しい幼少期から、強い動機と行動力で成功してきた人は、たいていみんなこうなるんですよね。それそのものは、悲惨な(本人のせいではない)子供時代が背景にあって文句が言えるものではないのですが、やっぱり、身も蓋もない確信が、下品に見えてしまう。まぁ、それが世界の一面の真実であるのは、否定できないんですが、そんなめちゃくちゃな世界ばかりじゃないだろう、と、普通の人生を歩んでいる自分には、感じられてしまいます。あっちなみに、びっくりするくらい、高須先生は、上品な感じがするんですよね。やっていることは、さらにめちゃくちゃで、狂っているのに。。。ああいのって、育ちなんだろうなーと、しみじみ思ってしまいました。子供時代に苦労したり、強い動機で酷い環境から人生を切り開いてきた人は、どうしても、ほどほどな感じに考えないし行動しないんですよね。僕は、西原さんの世界観は、身も蓋もなさ過ぎて、否定できないけど、、、なんだか、ああは思いたくないなぁ、と思ってしまいました。まぁ、それは、悪くない子供時代を送った自分の贅沢な考えなのでしょうが…。


とはいえ、この作品が、西原さん独特の臭みが、もしほかの作品にもあるとしたら(この感じでないわけがないと思いますが)、それが凄い薄い感じがします。それは、それ以上に高須先生の存在感が濃すぎるから(笑)。いやはや、これ凄いエッセイ漫画です。僕、高須先生、尊敬しちゃいました。この人、すっげー素晴らしい。


ちなみに、これだけ強い確信がある世界解釈をする人は、何を体験しても、同じように世界をとらえてしまう。彼女の作りだす作品を通しての世界解釈が、すべて同じになってしまうと思うのです。なので、この手の作家は、物語が実は書けないと僕は思います。物語は、エゴを捨て去って、自分による世界解釈を捨て去って、世界そのものを作り、キャラクターの心に他者を見なければならないから、と僕は思っています。なので、彼女のような人が作りだす作風は、どれもエッセイ的な、日記的な、実体験に基づくものになってしまうような気がします。


まぁ、それがめちゃくちゃ面白い系の人なんで、それが悪いって話ではないですけどね。


ただ、やっぱり、僕自身もエゴが強くて、自分の世界解釈が他の人に勝るって人なので、こう、世界はこうなっています!!!と断言されると、いや、そうじゃないのもあるから!といいたくなってしまうので、この人作品は、僕は読むのがつらそうだなー。


下記のエッセイ、これは漫画ではないですね、を読んだのですが、ほぼ同じ内容でしたね。やっぱり漫画のほうが、印象的でうまい!と思うので、漫画をおすすめします。


いいとこ取り! 熟年交際のススメ (新潮文庫)

2016-10-02

『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』 伊藤祐靖著 自主独立の物語を追求すると、究極的には、世界がすり鉢状で、全く余裕がなくなる

国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動 (文春新書)

評価:★★★★★星5つ

(僕的主観:★★★★★5つ)


日本初の特殊部隊の創設者の書いた本。非常に面白かった。彼が、1999年イージス艦「みょうこう」の航海長であった34歳の時に、能登半島不審船事件に遭遇したことが、彼が日本に特殊部隊が必要だと思うようになるスタート地点。指揮官として、部下たちに北朝鮮の工作船であるのが間違いない船に、立ち入り検査を命じなければならない。しかし、プロの軍人が乗り込んでいるのが明白な船に、ほとんど法律的にも武器的にも準備なしで、自爆装置がついているであろう船に突入しなければいけないことから考えると、まず間違いな全員殺される。でも、命令しなければいけない・・・・という状況で初めて、日本が何の準備もしていなければ、そういう覚悟も訓練もない部下たちに、死んで来いと命令しなければいけないことに気づき、彼は愕然とするところから、この本は始まる。非常に、真摯にそのことを追う著者の姿勢は、感銘を受けました。


タイトルが刺激的なこと、著者が日本初の特殊部隊の創設者であることなど、右側に偏向しているかな?と誰でも身構えてしまうはずですが、どうして、どうして、素晴らしい本でした。何よりも、とても真摯に、論理的に、考え抜かれている点が、とても感動しました。この人は、素直に、本気で、ちゃんと考えて、ここに到達したのだなというのが、読んでいてビシバシ感じました。フィリピンでの話し、そこでの弟子の話など、本当にあったんだろうか?というほど寓話めいていて、僕にはこの一冊は、まるでビルドゥングスロマン(成長物語)の様に読めました。それは、この人の内面の履歴が、赤裸々に描かれているからだと思います。素晴らしく真摯な職業人生で、僕はとても感動を覚えました。こんなに自分を追求して、内省をして、それにコミット(=現実に行動に移す)人生はなかなかできるものではありません。


ということで、いつもの物語三昧のごとく、あらすじとかそういうの話で、★5もつけているんだから読んで!ということで、紹介をつらつら書きません。ただ、これは今の時代に読むべき価値のある「物語」だと思います。僕は彼の内面の履歴は、上記で書いたようにある一つの物語になっているように感じます。なのでとても読みやすい。そして、2016年の今は、中国の台頭という、これまでの世界の秩序が塗り替わっていく、大きな地政学的、マクロの構造変化の中で、日本が必ず考えなければいけない道筋であり、その一つの大きなモデルとして、僕は読む価値があるものだととても思いました。


僕は、読後の今振り返ってこの本がどんな本かといえば、、、、そして、作者の伊藤祐靖さんが求めているものを一言で表すならば、



福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」である独立自尊



を、凄く連想しました。


独立自尊―福沢諭吉の挑戦 (中公文庫)



彼の思想、追及するものを、端的に言えば、これなんだろうと思います。



そして、独立自尊を求めていると、究極的には「誰にも支配されない状態」なので、この思想の究極的なところを日本の現状と構造に当てはめると、必然的に反米思想になるんですよね。



米国と付き合うと、国力差から、どうしても属国扱いになってしまうから。



まぁ、反米は、行きすぎでしょうね、なぜならば、自主独立を貫こうとしたら、結局のところ、アメリカとの同盟を考えざるを得なくなるし、そうでなければ東アジア、東南アジアの秩序は、守られなくなってしまいます。日本一国でそれをカバーしようとすれば、旧大日本帝国の発想と同じになるわけですから。


そして、いまならばまずは北朝鮮と中国の脅威にどう対抗するかが、まずもっての最初の課題となる。


この構造は、幕末明治以来、ずっと変わっていません。この話を思い出すと『戦前日本の安全保障』の中で描かれる山形有朋のパワーポリティクスと原敬によるアメリカを配慮した日米同盟(しかし米国を押さえるための多国間同盟在り)重視の姿勢の、対立は、日本の外交構造が全く変わっていないんだなーとしみじみ思います。ようは、どんなに細かいところが変わっても、地球上の最強国家アメリカのポジションと国力が変わらない限り、必然的に同じ構造になってしまうんですよね。


戦前日本の安全保障 (講談社現代新書)


それは、マクロの話。


同時に、この人は、ミクロでも、人間として自立していかなければならない、という強い意志を感じます。だから、凄いプラクティカル。日本人の「ものの考え方」には、抽象的な思想に堕して、妄想を見るようになるのが、日本の組織の思考の悪癖です。これは、ムラ社会化して、外の世界との接続や視点を排除する土壌があって、そのせいで現実との接点を失って、内部の村社会の縦割りの中でのパワーポリティクス(力の駆け引きによる均衡)のみで世界を解釈してしまいやすいからだろうと思います。しかしながら、そうはいっても、じゃあ日本が全く具体的ではないかというと、そうじゃないと思うんですよ。帝国軍にしても、アメリカを除けばほぼ世界最強レベルの軍隊だったわけで、具体的なことにこだわって、具体的な「実際にできる!」ということに特化して技術や組織を磨く人は、たくさんいるし、それも大きな伝統があるのだろうと思います。そうでなければ、人類のフロントランナーにいるような先進国にはなれませんよ。伊藤さんのこだわりを見ていると、自分が企業の中でこだわっていた話と、とても重なります。たぶん、中国の台頭というマクロの現実がなければ、彼が特殊部隊創設という国益にかかわる巨大なミッションにコミットすることはなかったんでしょうね。こういうのは、人生、運というか、どんな流れに乗っているか?ですよね。



とはいえ、この独立自尊を、ミクロで、個人に求めると、たとえようもなく厳しい問いかけになります。



伊藤さんが何度も何度も、これでいいのか?と自問して苦しんで前に進んでいく様は、同時に、読んでいるぼくらに「あなたはそれでいいのか?」という厳しい問いかけをすることと同じになります。



これは、とても厳しすぎる問いかけです。



僕は、この本を読んでいる時に、強く上橋菜穂子さんの『獣の奏者』を連想しました。いま、この記事を書いていても、ああストレートにここにつながるなと、強く感じます。



もうあまりに書くことが長くなりすぎるので、過去の


『獣の奏者』 上橋菜穂子著 世界が人にきびしいです

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090824/p3


この記事を読んでほしいのですが、『獣の奏者』の世界を、一言で表すならば、「世界が人に厳しい」です。


妥協も、幸運も、ご都合主義も、ドラマトゥルギーもなければ、ヒーローもいない。


それが世界の真実と信じ切って描かれるこの過酷な世界を、『ランドリオール』というファンタジーを描く、おがきちかさんは、世界全体がすり鉢なの。抗えないすり鉢のような世間。といいます。


Landreaall: 1 (ZERO-SUMコミックス)


以下、当時の僕の記事を引用します。


とりあえず、結論を言っておけば、友人に勧められたのですが、非常に面白かった。何が面白かったか?と問えば、その「厳しさ」が面白かった、です。

厳しさとは、

1)人間理解の厳しさ

2)マクロの仕組みという外部のどうにもならなさ

3)人間関係の彩が織りなす結論が、全能感(=主観の欲望の発露ではない)に至らない

という意味で。

ここで説明することを分かってもらうには、僕の、「小説家になろう」の分析を読んでくれると、よくわかるのですが、一言でいえば、「小説家になろう」のサイトのコアは、いかに、主観的な欲望の発露のパターンをずらしていくか、紡いで行くか、ということの集合知でした。これは、ライトノベルとは言いませんが、ある程度「マス足り得る」層が、最も求めているものが何か、ということのわかりやすい指標だと思います。物語の原初的な基盤的欲望なんだろうと思います。けれども、これほどマスにならないけれども、同時に存在している欲望の一つとして、逆に「厳しさが見たい」という欲望も僕はあると思うのです。というのは、物語世界の構築とは、「世界の再現」にあるわけで、ご都合主義的なものを極まりすぎると、どうも現実っぽくないとがっかりしてしまいます。


ファンタジーで、ああこれは厳しいな、という「厳しさ」が前面に出ている作品は、ぱっと思いつくもので大きく二つあります。


『獣の奏者』と『十二国期』シリーズです。特に、よくよく考えると、『月の影 影の海』などは、異世界ファンタジーものの、主観的欲望の充足という売れ線のテーゼに対する、ものの見事な、アンチテーゼになっていますよね。これが過去の作品だということを考えると、著者のセンスの良さ、これをカバーを変えて販売した編集のマーケセンスには脱帽します。厳しいってのが、どういう意味かは、下記のような記事で、淡々と描いています。また、この時の引用が、『ランドリオール』を書かれているおがきちかさんの『獣の奏者』への感想ですね。この比較(世界に対しての厳しさ甘さの度合い)を意識して、ファンタジーをたくさん読みこんでいくと、いろいろなものが見えてきて、興味深いと思います。


『獣の奏者』 上橋菜穂子著 世界が人にきびしいです

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090824/p3


『獣の奏者』 上橋菜穂子著 帰るところがない人は、より純粋なものを求めるようになる

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090607/p3


『獣の奏者』 上橋菜穂子著 傲慢さを捨てられなかったのは・・・・だれのせい?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100306/p1



獣の奏者 1闘蛇編 (講談社文庫)


渋くて本物感あるファンタジー小説を読むと、あー自分の描いてるものってたしかに「まったり」なのかもな、と思います。自分では「まったりファンタジー」て言われると、そう? って思うんだけど(比べるような描き方はものすごくおこがましくて恐縮なんですけど)「獣の奏者」は確かに「子供にも読ませたい…かもしれない…大人の物語」なんだなーと思います。小説だからかな? ランドリは「大人でも楽しめる子供向け」な気がするもんね。十代後半を子供って言うなら。

「獣の奏者」はとってもとっても面白いので大人の人にはおすすめしますが、世界が人にきびしいです。サッパリしてないです。クライマックスがアレですが、もう、世界全体がすり鉢なの。抗えないすり鉢のような世間。そーゆーゴリゴリいう音が迫ってくるストレスを楽しめる人にはものすごくおすすめです!ヒーローが不在で生物学者が「できるだけのことはしますけど…」って話。

私は最後に世界に平和が訪れるRPGが好きだし、最後にはれないが成就するラブロマンスが好きだし、つまりピアズ・アンソニイとビジョルドが好きです…甘ちゃんですみません…。

ランドリはねー、こー、どんな時でもホワイトノイズみたいに「いい予感」みたいなのがあって、実際にいいことがあったら読者さんが「やっぱりね!わかってた!」って思うマンガだといいなーと思って描いてます。登場人物を巻き込む世界は夢みたいな上昇気流がいいな。ていうかそんなんしか描けないんです。http://d.hatena.ne.jp/chika_kt/20090823


ゆるゆる+メリハリ+バランス<前の日



ちなみに、ここでおがきちかさんが考えている、ファンタジーは、物語はどうあるべきか?という対立概念は、すべての創作者、すべての人にとっての世界認識にとって重要な示唆を与えてくれます。



世界を、ご都合主義の「めでたしめでたし」として考えるのか?



それとも、世界を、人の都合ではどうにもならない過酷なメカニズムだと捉えるか(=いいかえれば、ハッピーエンドは常に存在しないのが真実だと考える)



そして、もちろん伊藤祐靖の皮膚感覚、世界認識、そしてその結実としての「誰にも支配されないで独立自尊として生きる」ということを貫いていくと、どうなるかといえば、世界がたとえようもなく厳しくなるんですね。



なぜならば、この人は、この思想は、世界にご都合主義はあり得ないという、激しいリアリズムに貫かれているからです。



これは、僕は正しい態度だし、思想としても素晴らしく、この思想を自力で生み出し、日本語で残し、そして西洋文明をベースに近代国家を建設し建国期の創業者の一人として福沢諭吉を持てたことは、その後継に連なる日本人として、誇りで、幸せなことだと僕は思います。



しかし、同時に、いつも思うのですが、、、、リソースと資本蓄積と植民地に恵まれたアングロサクソン諸国(イギリスとアメリカね)に比較すると、旧枢軸国、アクシズ国家(日本やドイツのこと)の、世界から与えられる厳しさって、半端ないよなって思うのです。



この過酷な国際秩序、弱肉強食、適者生存に貫かれ、甘えと余裕のなし、ギリギリの世界が、いつも僕らの近代史の中には、背景にある。まるで、『獣の奏者』の世界がすり鉢状になっているような過酷さと同じように。


世界は本当にそれだけなのか?って、いつもとても思います。伊藤さんの話も言っていることはわかるけれども、そんなに本当に妥協の用地が全くないほど、世界は厳しくて、最悪のことばかり起きるものなのか?と、不思議に思います。


ちなみに、この様な過酷な設定で、描かれるファンタジーとしては、沢村凛さんの作品も、とても連想しましたね。


ヤンのいた島 (角川文庫)


『セデック・バレ』(原題:賽克·巴萊 /Seediq Bale) 2011年 台湾 ウェイ・ダーション(魏徳聖)監督 文明と野蛮の対立〜森とともに生きる人々の死生観によるセンスオブワンダー

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130427/p4


『獣の奏者』 上橋菜穂子著 世界が人にきびしいです

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090824/p3


『獣の奏者』 上橋菜穂子著 帰るところがない人は、より純粋なものを求めるようになる

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090607/p3


『獣の奏者』 上橋菜穂子著 傲慢さを捨てられなかったのは・・・・だれのせい?

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100306/p1

『瞳の中の大河』 沢村凛著 主人公アマヨクの悲しいまでに純粋な硬質さが、変わることができなくなった国を変えてゆく

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20111217/p7

『黄金の王 白銀の王』 沢村 凛著 政治という物は、突きつければこういうものだと思う。けど、こんな厳しい仕事は、シンジくんじゃなくても、世界を救えても、ふつうはだれもやりたがらないんじゃないのか?CommentsAdd Star

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20120126/p1


セデック・バレ 第一部:太陽旗/第二部:虹の橋【通常版 2枚組】[Blu-ray]

2016-07-08

『花嫁は元男子。』 ちぃ著  結局は属性ではなく、その人の魂の問題なんだろうなぁ、身も蓋もないけど。

花嫁は元男子。

  

評価:★★★☆星3つ

(僕的主観:★★★☆3つ) 

『花嫁は元男子。』最近、なんだかこの手のエッセイ漫画が増えているような気がする。先日も『僕が私になるために』を読んだんですよね。あれ、でもそう考えると、女性が男性になったこういう体験記みたいのって見たことがない気がするなぁ。探してみよう。ちなみに、タイトルでわかる通り、ある男の子が女に子になって結婚するまでのお話です。物語としては特筆することもないし、実にあっさりしていて、正直何があるわけでもないお話です。。。。。


・・・・・ということに、読後まず驚きました。だって、性転換ですよ!それほどのことがあって、「正直に何があるわけでもないお話」という感じがするんです。ああ、リベラリズムって、現代日本はこんな風な社会になっているのだなぁ、としみじみしました。というのは、両親も兄弟もあっさり「納得だな」といってしまうし、反対したり反論することもなくて「あなたの幸せが一番」のような雰囲気になるんです。こんなに、こんなに障害がないものなの!?と、驚きました。もちろん、すべてがこうだとか、平均がこうだっとは言いません。けれども、個人的に、今の時代だと、こういう家庭や人々も決して少なくはないだろうって、自分でも実感します。僕が子供のころは、それこそあり得ない!という言うような強固の家父長主義というか、なんというかザ・道徳みたいな、わけのわからない大きな柱がまだまだあって息苦しかった気がするのですが、いまでもあるにせよ、それはもうメインとは言えないなーと感じるんです。自分自身が周りに家族に同じようなことがあっても、似たような反応するだろうなと思いますし。昔って、1980年代までの家族の崩壊って、山本直樹さんの『ありがとう』とか『式日』ああいう、アダルトチルドレンの極みみたいな、やり切れない、わかりあえなさがデフォルトだったはずなのに。。。

ありがとう 上 (ビッグコミックス ワイド版)

式日 [DVD]

・・・・・と感じていて、戦慄しました。おお、時代はこんなにも変わったのだか、と。僕らは正しい社会に生きているのだなぁと思います。人が、より自由に解放されていく社会。人が、役割に押し込められず、自分自身になれる社会に向かって、僕らは漸進的に進んでいる。自由主義(リベラリズム)が浸透していく様を、自分が生きている間に十分可視的に見ていける時代なんですね。なんと、素晴らしい。僕らはいい国に生きているし、世界的に先進国はほぼ共通の方向へ向かっている気がしますので、世界はとても変わっていっています。いや、別に、このちぃさんの直面した問題が小さくて、楽なものだったなんてことが言いたいわけじゃないんです。そりゃ、性別に違和感があったら、人生の大問題です。でもねぇ、なんというか、どんな問題も、結局は、それを受け入れる「自分」がどう受け入れて昇華していくかの、人格の力?とでもいいますかねぇ、そういうもので、左右されるんだって思うんですよ。もちろん物理的な現実の厳しさもあって、そんな「気持ちの持ちよう」ではどうにもならないことはたくさんありますが、そういうものは限りなくハードルが低くなっていく、なり行くのが、今の時代なんだろうと思います。マクロ的には、そんなに悪くない時代だと思うんですよ。


そしてもう一つ。


読後、実はすごく落ち込んだんです。


なんでかっていうと、このちぃちゃんという書き手、主人公が、あまりにかわいくて(笑)です。旦那さんが、口癖で「ちぃちゃんは、かわいいから」というのは、よくわかる気がします。どう考えても、この主人公、超かわいい。容姿は、漫画ではわかりませんが、たぶん間違いなくかわいいと思います。もうそういう雰囲気が溢れているもの(笑)。もう、元男子だとか、そういうことは、正直どうでもよくなってしまうくらいに。いやはや、この旦那さんがちいちゃんにべた惚れって、よくわかる気がします。これで、容姿もかわいかったら(たぶんかわいい)もうはなしたくない!って思うの、男としては、凄いわかりますもん。むしろ、他にとられないか心配になるほうが、強いと思う。


また特に、この主人公のちぃさんの恋愛履歴の話を見ると、学生時代から、女の子から告白されて男としても付き合っているし、たぶんゲイの男の子とも付き合っているし、はっきりいって、モテモテなんですよ。そして書き方のさらりとした感じからいって、この人は、これを非常に当たり前に感じていて、嫌みな自慢とか、そういう感じが全くない。いいかえれば、もうナチュラルボーンとして自分がもてて人に好かれるのが前提なん感じがするんですよね。実際、僕も男性として見ていて、この作中のちぃさんって、かわいいなーって、確かに感じますもん。たぶん、近くにいたら、惚れちゃうと思う。女の子として、めっちゃかわいい感じがする。これがマンガであり表現であるということをかなり差し引いても、魅力をとても感じる。こういうのって、その人の本質ってあふれ出てしまうもんなんです。文字何行のコメントでも、人格が腐った人は、すぐ腐臭がするものだし、わかってしまうもんなんですよねぇ。


なんで、これを見ていて落ち込んだのかっていうと、ああ、、、人間の格差ってのは、属性ではないんだ!!というのがまざまざと感じられるからなんですよ。いままでの話にすれば、ヲタクだからもてないとか、ブサメン、キモメンだからもてないとかは、全部属性のウソであって、ただのごまかしで、その人の「人格」とか「魂の本質」とか言い方は何でもいいけれども、「その人自身」のせいで、もてないだけなんですね。ようは、一言でいえば、人間的な魅力がないだけなんですよ。非モテの議論とかも、結局は「ここ」に落とし込まれるのが、いまのリベラルな時代なんです。属性のいいわけが、まったく成り立たない様を、感じるんです、この漫画を見ていると。


これ、実はすごい怖いことですよ。その人の「人格の本質」によって、すべてが決まるっていうんですから。これ、身も蓋もない格差の結論なんです。まだしも、ヲタクとか経済的に格差があるとか、物理的ないいわけがあったほうが、人は救われるってもんです。ウソによる誤魔化しができるんですから。


先日、リベラリズムが進み、中産階級が壊れている先進各国では、年齢の高い男性が、生きるのが凄まじく苦しいという話をしました。けどこれも、もちろん裕福さに左右される部分はあるにせよ、同じ話なんですね。移民だろうがマイノリティだろうが、現代社会は、動機があって、人間関係を作れて、人生を楽しむ力を持っている人が、優遇されるし機会を得るだけなんです。なんで俺が仕事失うのか!!とかいう議論の答えは、「お前が能力がない、無能だ、努力をしていない」に尽きるんですね。それが自由主義であり、機会の平等の理想だから。


このブログのここ数年のテーマの一つは、


どうしたって救いようのないものを救えるのか、それを描く価値はあるのか?という問いからちょっと考えてみる

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150424/p1


これだったんですが、これって非モテの議論とかネオリベラリズムだぁ!(ようは経済格差や植民地格差の話につながるんですね、この言説は)とかそういう話とつながっていたんですが、この地球の現代史を見ていると、マクロ的には、漸進的でい行ったり戻ったりしながらですが、少しづつ前に進んでいて、もう文句ない時代なんです。この話は、たぶん、ずっとガンダムサーガの話を追っている中で、書いてきたことですよね。人類の未来はどうなるか?。でも、基本的に、そんなに悪くないメカニズムで世界は展開していると思うのです。そんななんでも完璧に結果の平等がある社会なんて、ディストピアだし。いろいろ問題は、物凄くあるんですが、地球規模のメカニズムは、僕は決して悪いほうではないと思います。


そうすると、最終的には、ミクロの問題になるんですね。ミクロの問題って、その人の人格が、魂がどう世界を受け取るか?って話。人間関係の話になる。うう、、、この話って、昔のSFですべて書かれていた気がする。栗本薫さんの『レダ』で書かれていたディストピアですね。そこでは、物理的な格差がすべてなくなって、容姿すら好きなように変えられる社会。しかも社会に経済格差存在しません。まずなんといっても、デザイナーズベイビーなので、生まれる前からできる限りの差異をなくすように社会が設計されている。でもその社会の中でも、ビューティフルピープルといわれる社会的に羨望を浴びる人格の強い人間が出てくるんですね。。。。とこの先は、ぜひともその小説を読んでほしいですが、、、



いやはや、ちぃちゃんが、かわいすぎて、こんなに落ち込むとは思いませんでした。いやー結局は、その人自身に魅力があるかどうか?って議論になると、身も蓋もねぇなって思います。だって、ダメな人は、どうあがいてもだめってことなんだもん、救いようもなければ、救われることもないってことじゃないですか。。。。


僕が私になるために (モーニング KC)


海燕さんにこの漫画をすすめたら、全く同じ反応をしていたんで、誰が読んでもそう思うんだろうなーって、思いましたよ。



非モテを「属性」のせいにはできない。

http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga?page=3

弱いなら弱いままで。

結局のところ、問題は本人に帰せられることになるんじゃないかなあ。

 いや、しょせん何もかも本人のせいだとか責任だということではなくて、問題の根っこを他者に求めることは無理があるのではないかということなのですけれど。

 永田カビさんもカザマアヤミさんも、それぞれ不器用な人だと思うのだけれど、なんというか「幸福への嗅覚」のようなものが違う。

 それは同性愛と異性愛の違いといったものでは全然なくて、もっと個人の本質的な格差です。

 これって、辛いですよね。自分の不幸を親なり友達なり上司なり恋人なり、だれかのせいにできるようならまだ救われるわけで、「結局は自分の問題だ」となってしまうと、ほんとうに救いようがない話になる。

 でも、リベラリズムが行き着いた社会における最後の問題とはそれだと思うのですよ。

 完全に平等な立場に置かれても、幸せになれない人はなれないということ。

 リベラルな思想が浸透して、「立場」の格差がなくなっていけばいくほど、「個人」の間の格差が際立っていくというこの矛盾。

 ぼくはそれを「魂の格差」と呼んだりしますが、どうすればその格差を埋めることができるのでしょうね……。

 ぼくにはわかりません。わかる人がいれば教えてほしい。ひとはどうすれば幸せになれるのでしょう? それが大きな謎なのです。


個人の立場が平等になればなるほど、幸福になる才能の格差があきらかになる。

http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar1060461

弱いなら弱いままで。

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ


海燕さんのカザマアヤミさんと永田カビの比較も凄いわかる。どっちも、人生こじらせている人ですが(笑)、幸せになる嗅覚というか、そういうもの、、、本当にちょっとした差で、際限なく格差がついていくんです。そしてそのちょっとした差が、人格の差なんですよねぇ。別に、ヲタクだろうが何だろうが関係ないですよね。

2016-05-01

『世界を変えたいなら一度"武器"を捨ててしまおう』 奥山真司著 順次戦略と累積戦略は、相互作用で効果が極大化されるという指摘が自分的大発見でした!

世界を変えたいなら一度


順次戦略と累積戦略。


これは自己実現系の自己啓発の本なのですが、地政学の奥山さんの本は凄い面白かったので、手に取ってみました。トータルでいうと、意外に、普通の自己啓発の本でした。正直言ってこの手の本としては、戦略という視点から見る部分は面白いですが、それならば他の著作を読めばいいわけで、凄いお薦めというわけではありません。特に、例が凄くしょぼくて、ちょっとこの程度の例を書くなら、無理して描かないで、戦略の話や国際政治の話だけに絞ったほうがよかったと思いました。


ただ、個人的には、順次戦略と累積戦略の2つが戦略にはあるという話が、凄いエウレカでした。というのは、僕は、自己実現というのは、常に、ここでいう順次戦略・・・・目標を定め、明確にして、表に出して、双六のようにそこへ向かっていくものだと思っていました。けど、累積戦略・・・・目標を持たず、クンフーのように繰り返して、蓄積されたものがある時にあふれ出るようにステージを変える、というのも、あるんだという風に書かれていたのが、凄い印象的でした。というのは、僕はこのクンフー的なものを、いつもいってきたので、順次戦略と累積戦略は、相互作用で効果が極大化されるという指摘は、おおっ!!!と唸らされたのです。両方を別物として考えていたので、なるほど同じ戦略というコンセプトの2種類で、相互作用があるものだという風に位置づけると、凄いしっくり来たのです。これは、僕には大発見でした。僕がいってきたクンフーのように日常で繰り返して、目的を持たずに、ある境地(=心的状態)を常に維持するというディシプリンと、自己実現家系の、目標を明確にしてそこに向かっていく単線の発想が、よもや相互作用があって繋がっているものだとわ!!!。これは大発見でした。


ちなみに、マッキンダーとかの戦略の大著を読む前に、補助線としては、下の本とかよかったと思います。

地政学―アメリカの世界戦略地図