Hatena::ブログ(Diary)

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2017-01-19

日本は働くには本当に最低の国。

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの


http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20170106


年の最初で、日本は「住むには」最高に素晴らしくに、と書いた。でもまぁちょこっと書いていたのでわかると思いますが、働くには、最低の国です、日本。生産性が低いという言葉では言えないほど、組織効率、働くことの効率が、腐りきっている。いやはや、ひどすぎるって感じです。ずっとブログでは書いてきますが、ほとんどすべては団塊の世代の害悪なんですが、歴史を学んで分析していくと、彼らが悪いというのは言えなくて、彼らなりに必死に高度成長の日本に適応して、こういう不満を世の中に吐き出させるぐらいのレガシーを作ってくれたのは彼らの功績でもあるんですよね。なので、世界というのは、難しいな本当に思います。


それにしても、アメリカで働いていて痛感したことは、人材のレベルに、日米では全く差がないし、規律さ勤勉さなどのカルチャーでも全く差がないことでした。夜中まで働かないことを指して、怠惰だというようなことを抜かすアホな米国駐在の日本のビジネスマンは多々いましたが、そういう人はたいてい日本の大企業の駐在員で、日本人にまみれて働いているので、まったく、異なる仕組みの中で働いている人のことが理解できないだけだけでした。僕の感覚では、ジョブディスクリプションが整備されていて、目的がしっかりしている組織では、規定時間に全力投球で、その成果を出そうとします。またそれぞれの目的や成果がはっきりしているので、全体の情報共有のためにだらだら無駄な会議をしたりしません。全体の仕組みの変革やリデザインや、情報共有が効率よくやることは、専門部署があり、そこが請け負っているので、無駄な時間を割きません。専門部署がなければ(たとえばヴェンチャーのような小さな会社では)、上司が経営者がすべてを決め、デザインします。組織が目的に向かって、最小投入量で、最大効率を上げるようにデザインするのが、「上に立つ人」の仕事です。そして、そうやって合理的で筋肉質が故に、人間の心の部分の、動機の維持や、ベクトルのすり合わせ、あまりに厳しいプロセスで仕事が運営されているために、それを教える上司の力量や、仕事への具体的なところまでの理解力は、凄まじいです。僕は、まぁもらいすぎという批判はあるにせよ、米国で上に立つときに、高い給料を要求するのは、そりゃ当たり前だな、と思いました。求められているレベルが違う。労働者の意識も全く違う。全力で早く帰るために(笑)、執念を上げて生産性を追求します。ちなみに、なぜ早く帰るか?というと、たいていは勉強です。みんなキャリア上げるのに必死です。ああ、この違いなのか、としみじみ思いました。産業がどんどん変化していく中で、自分を高く売るための努力は、みんな怠らないんですよ。家族との時間についても、、、まぁこの話は長くなるのでここではやめておきましょう。


それに引き換え、日本の組織の全体効率の悪さ。上司、上層部達人の、専門的な訓練の弱さ、そしてなによりも、すべてのステイクホルダーの生産性への執念が、弱すぎます。労働者もほとんどの場合、誰かがやってくれるのを待っているだけの、クレーマーで、何一つ意識がない。というか、逆の意識しかない甘えん坊。リーダーシップとか、生産性を変えること、マクロの仕組みを変えることが自分の、ミクロの人生にかかわるという意識が薄い。これは、教育の結果だと思いますね。

採用基準


なぜ生産性の執念が弱いのか?といえば、やっぱり、そういうことを追求しようという「コンセプト」がそもそもないんです。日本には。コーチングとか成果主義とかなんでもいいのですが、これは組織全体が、最小投入量で最大成果を引き出すようにデザインし続ける意志がなければ、単発で終わってしまって、意味がないんですよ。コーチングはただのマイクロマネジメントか父権主義に回収されちゃう。成果主義とかも、全体の最適化の発想なく、ただの数字になるので、人の動機を下げるだけの効果になる。もしくは年功序列のアンシャンレジームを守るための道具になり下がる。それだけ、高度成長期の「ただ頑張って、時間さえかけていれば」自然と報われてしまうという時代への適応が、日本に最悪の害悪を引き起こしているんです。歴史を思うと皮肉です。成功は失敗の母なんですよね、常に。もちろん、これはステージの切り替わりであって、どうにかできたことではないと思うんです。イギリスのイギリス病とかもそうであるように、異なるステージに再適応する時には、必ず起きる問題なんです。


話が飛びますが、僕は、日本をまともにするなら憲法を変えるべきだっていつも思うのは、思想の中身などどうでもよくて、時代に合わせて、痛みを伴っても自分たちの住む社会すべてを変えていかなければならない!という人々の意識がないと、国がダメになると思うんです。日本の場合、それが憲法に代表されるんです現在の第9条をさらに厳しく平和憲法にするのだって、なんでもいいんですよ。あきらかに、あれって、嘘ついているわけだから、絶対に武力を持てないようにしよう!というのに変えるのでもいいですよ。まぁ、政治的には、僕は狂っているとしか思えないですが…。でも、たぶん、憲法9条を文字通りに解釈して、軍隊を放棄するように作りなおせ!とはっきり主張すれば、国民にそれの良しあしが問えると思うんですよ。これは、他国が攻めてきたら、即降伏して、奴隷になりましょうといっているわけだから、それを見せつけて、それでも僕らはやるんだ!とはっきりと主張すべきだと思うんですよ。そうすれば、この現実性無視の原理主義的なものに、どれだけ日本国民が支持するかがはっきりわかるはず。それをしないで、欺瞞に満ちた今のままで、いるのは、ようは「これまでうまくいった」という運営方法に依存しているだけの思考停止の逃げなんですよ。日本は共同体のムラ社会で構成されているので、「止める時」とか「撤退する時」とか、外部環境の変化に内部を変えることができないのです。だから、変える時に変えるという伝統を作らないと、やばいのです。日米同盟と自衛隊に国のスキームを守らせておきながら、それに反対してなき者としてみるというのは、一貫性があまりになさすぎますよ。一貫性の無さこそが、最低なんです。自分たちの意識、行動によって、自分たちが住む社会をれデザインしよう!それが正しいのだ!というコンセプトがない。僕は、これを、憲法の目的意識のない遵守に代表される、民意によって国のスキームを変えていくことができないと思い込む、腐敗であり弱さであり欠陥だと思うのです。日本のダメな伝統。明治憲法における明らかな時代に合わない欠陥を変えようとしたときに、マスコミを中心とする民意は、大正時代ぐらいですね、明治大帝のつくった欽定憲法を変えるなって強く主張したんですよね。結果は、大日本帝国の崩壊です。

日本が世界一「貧しい」国である件について


そういう意味で、日本は、個々人の人生を盗む国になってしまっていると思う。時代に、スキームがあっていない。ただ、これは時間が解決する問題ではないか、という思いもあります。個人的な印象ですが、団塊の世代が社会から退出する順に、組織がどんどん変化していく気がします。もちろん、オリンパス東芝のように、大組織の欠陥は行くところまで行って露呈していきますが、日本の経済のスケールやストックは、僕は、どうもその程度では滅びないくらいに大きくなったんだという気がします。ダメなところは戦前の日米戦争に突っ込んでいったのと同じ欠陥を露呈しますが、いいところはそれをちゃんと克服している気がします。なんでも、一足飛びに理想になれるものではないし、高度成長の集積と、無駄に思える膨大な試行錯誤が、トライアンドエラーがあるからこそ、具体的に日本人に、この歴史が堆積した地域に適切なものは何か、ということが模索できるわけなのですから。


1980年代の米国抜くのではないかと思える経済の絶頂期に、成長から成熟に至ることはどういうことか?、という問いがよく発せられていました。覚えているのは、大学受験の評論文でよくテーマになっていたんです。よくある西洋近代批判ですね。この時は、アジアの貧乏な子供たちの目がキラキラしたとか、ほとんどが本当に貧困を無視した意味のない結論になっていて、なんて馬鹿な無駄な議論なんだろうと、心底嫌気がさしていました。哲学や評論やする人が、たいてい金持ちだったから、よけい馬鹿じゃないかと思ったものでした。でも、1980年代ですら当時の日本には、貧困の中から強い動機を持って「坂の上の雲」を仰ぎ見る希望以外の方法が見いだせなかったんだろうと思います。いまでも、貧困や途上国に行って、目がキラキラしている若者がいるとかいっている人は、根性大好きなブラック企業礼賛の人にすぐなると、警戒したほうがいいです。今でも、そういう人は多いんですよね。けど、これはたらしい時代への想像力とか適応能力、予見力がない人だと思います。


けど、いまはたいぶ違います。国民的に、本当に経済的な豊かさがいきわたって、そういったインフラストラクチャーが整い、「次の時代でどう生きるべきか?」というのが、共有されてきたんだろうと思います。というのは、これまでの議論では、「日本は本当にダメな国だ!」という言説に終始して、ではどうすればいいのか?が、もっと頑張れ的な、????の議論にしかならなかったんですよ。具体的にどうすればいいのか、よくわからない。それに社会の問題は、個人がどうこうすることは無駄なんですよね。環境を良くするのに、ごみを分別しよう的な態度は、僕は優先順位が間違っている議論だと思うんですよね。では、社会として、組織として、どう動くべきか?。それは、「こうあるべき」的な倫理・道徳的な夢想物語であってはだめだと思います。そうではなく、資本主義と世界の大きな変化に接続していないとだめだし、また、それを具体的に実行できる構造と地力がその国や国民になければ、意味も成しません。そういう意味で、いまの日本には、答えが見えてきた感じが凄くするんです。


未来は明るい!と僕は、前々から日本について思っていましたが、では具体的にどこが?というとポテンシャルばかりで、まだもやもやッっとしている感じでしたが、それが見えてきた感じがするんですね。現在は、電通の過労死の問題が社会的にクローズアップされていますが、わざわざクローズアップされなくても、こんなの現代日本の普通の出来事ですよね。また、長時間労働は、日本の強みでもあった(?)ので、それを倫理的にダメだからといって、やめる気なんか日本社会には、特に産業異界にはサラサラありませんでした。だから今まで続いていたんだもん。でも、これが「生産性」の議論と結びつくと、別です。ようは、この仕組みが、国際競争力を失わせているのだ、という議論と結びつくと、全然別だと思いうのです。そして、これは非常に正しいのは、数字でもはっきりわかってきました。


デービッド・アトキンソン 新・所得倍増論


これって、ようは、これからの教育がどうあるべきか?と議論と結びつくはずなんですよね。うーん、おもしろいです。もちろん、社会は、そんなすぐは変わりません。なぜか?。それは、変えるのは、あなたであり、ぼくであるからです。人まかせに「変わる」ものじゃないんですよ。大きな世界の流れのトレンドはあります。それに乗っていないと人生は失敗するし、盗まれるし、報われません。文句を言う「だけ」なのは、非生産的。けどトレンドに乗るということは、何もしないで目的地に運んでもらえるということではないんですよ。「自分がそれに合わせて具体的に案を出し動き結果をもぎとる」ことなしに、自分の人生は改善されません。日本は、働くには、最低の国ですが、半面住むには最高の国です。でも、僕が学生のころの1980年代には、エコノミックアニマルでウサギ小屋に住んでいる地獄のような国と世界的に言われていました。でも、いまは、住環境は、素晴らしく改善していると思います。広くなったわけではないので、いろんなことがイノヴェーションされているのだともいます。家具のサイズや様々な工夫だと思います。道路だって、電車だって、じわじわ改善しています。20年前に比べたら、ものすごく変化している。近代国家というのは、そういうものなんです。漸進的に変わっていく。だって、アメリカで暮らしていても、日本で暮らしていても、どっちがいいとか思わないもの。どっちも、悪くない。僕らの住む世界は、少しづよくなっている。マクロ的には、日本のトレンドは、働くことの改善のターゲットを見つけつつあります。今後の日本が楽しみです。そして、その方向を意識しながら、自分の人生も改善して楽しんでいこうと思います。改善の結果よりも、改善する過程を楽しめなければ、人生は損します。常に過程にしか、自分の人生はないのだから。


AI時代の人生戦略   「STEAM」が最強の武器である (SB新書)

2013-05-13

大人が本を読まないのに、本を読めとは何という傲慢だろう

編集部:その辺で今の日本の教育ではなかなか手がまわっていないというというか、そういったところに力点が置かれていないように思います。


出口氏:それは、教育のせいではなくて、大人が本を読まないからですよ。大人が読まないから若者が読まないだけで、本、特に古典をきちんと読むという習慣を、大人がそれをやれば若者もきちんと読むようになります。大人の劣化が若者の劣化になっていくというふうに考える方がたぶん正しいでしょう。


編集部:要するに今、通俗的に言われている若者がどうのという議論ではなくて、まずその上に立つその前の世代の人間が変わらなくてはいけないということですね。


出口氏:若者は大人の意識を映す鏡ですから。例えば今の若者は海外の赴任を嫌がるとか、本社にしがみつきたい若者ばっかりで、覇気がないということを言う経営者がたくさんいます。でもこれは天に唾をしていると思います。本当にそう思うのだったら、経営者が「我が社では海外3ヶ所15年以上勤務しないと管理職に登用しない」と言えば済むわけです。でもそういう会社に限って偉くなる人は本社に長くいて、企画とか秘書とか経理とかを経験してきた人ばかりを登用しているわけで、それを見ていた若者が本社を離れたら『損だ』と、行きたがらないのは当然ですよ。


編集部:自分の将来につながらないなら、海外に行きたいと思うわけがないですよね。まずその範を示すのは―。


出口氏:大人であると。そういうふうに思います。グローバル人材に一番必要な教養であったり能力というのは、ある意味、人、本、旅とありますが、僕は本のウエイトはかなり大きい気がします。



グローバル人材を育成するために、 大学で勉強をする体制を作ることがなによりも大事” 出口 治明

http://www.cieej.or.jp/toefl/webmagazine/interview-closeup/1305/


この話、出口さんの意見に凄い共感する。


私も、すでに「大人」にカテゴライズされる年齢だろうと思うので、被害者面していうのはおかしいのかもしれないが、会社などで、もっと勉強しろとか、英語くらい、、もしくはもう一か国語できなきゃとか、したり顔でいう人間は、見ていて本当に不愉快だ。なぜならば、そういうことを言う偉い人に限って、自分は勉強していないし、英語もできないからだ。本もろくに読んでいない。教養が全然ない。やっていない人間が権力を盾に上から目線で説教するってのは、我慢がならない。


もちろん「おれはこれをこんなにやっているからお前もしろ!」というのも、それはそれでしんどい物言いではあるが、それでも社会的な基準で、意味が価値があるものを高いレベルで継続してみがいているのならば、それはちゃんとしていることだと思う。


しかし、自分が明らかにしていないのに言われると、本当に馬鹿じゃないのか?と思ってしまう。若者が、部下が、後続世代がしていないのは、それが必要ないから、それが評価されないから、上の世代がしていないからだ。たいていは。自分の好き嫌いではなく、世代や今どきの若者は議論をするのならば、まず自分ができていないと、はなしにならないよ。


立場が上の人間には、仕組みを基準を創る義務があると思うのだ。ノブレスオブレージですらない。そんなの当たり前のことなのだ。ましてや経営者レベルの人材が、このようなことを抜かすのは、頭がおかしいのではないか?と思うよ。経営者は、組織における独裁者だ。がたがたいうのならば、言葉ではなく、仕組みと自分自身を変えろ、と思う。主体者感覚を失ったら、物語の主人公にはなれない。世界を変えることもできない、と思う。やるのは、常に自分自身だと思わない人間には、舞台での順番はまわってこない。そんなのこの世界の普遍の真理なんだろうと思う。いつもおもうけれども、僕がいう、ロールモデル(=目標となる具体的な人)がなければ、人は憧れないし悔しがらないよ。それには、自分が、それ…ここでは勉強とか英語とか教養とか、そういうものを勉強し続けて、それでとても楽しそうに人生を生きていないと、人には影響を与えられないと思うんだよね。楽しくないこと、みんなやらないもん。


あと、なんといっても、人生を、人格を豊かにしていくために必要なのは、人、本、旅、という3つの区分けは僕も本当にそう思う。本は、本当に読むべきは、古典を熟読だ、それ以外を本を読むとは実はあんまり言えないのではないかと思っている。本は、異なる人格との徹底した対話(ダイアローグ)だ。それが基準、アンカー(錨)となって、世界認識を変えるものだ。本、、、それも古典といわれるような本の、アホみたいなレベルでの集中した熟読以外で、なかなか世界認識って変わらないと思うなー経験上、、、。だから、学生時代みたいに、時間があるときによく読んでいた方がいいと思うなー。


まっ、とはいえ、年よりは、いつか死ぬんだから。ちゃんと世代の順番はまわってくる(自分もそのように終わりが来るわけだしねー)。世界はそうなっているんだから。ガタガタ言葉をついやしたしても、世界なんか変わるもんじゃねーからな。まぁ、ガタガタ言わずに、自分でコツコツやろうってっことです。そんで自分自身の地力をつけたなら、自分が自分の手が届く範囲で、世界を変えればいい。それしかできないんだもん。

2013-05-08

21世紀における成功のために : 2012 Annual Report GE

天然ガスへの投資は、世界のゲームを変えるかもしれません。・・・か。さすがだよなぁ。欧米系の経営者を見ていると、あきらかにトップマネジメントの仕事が、長期のポートフォリオ、数十年単位での会社の方向性を決めること「だけ」が仕事だと言わんばかりの態度が素晴らしい。マイクロマネジメントに絶対に陥らない傲慢さがある。日本は現場主義が行きすぎて、ぜんぜんいま起きている現実とマクロの流れに掉さすことが意識されないんだよね、経営者の。ただし自分のキャリアパスを見ていると、ああ、こういう風に順序で出世していけば、そりゃーマクロなんかどうでもよくなってしまうし、そもそもそういうスキルは身につかないから、考えられないし、ましてや行動なんか移せないだろうなーと思ってしまうよ。

2012-10-04

『The Shift: The Future of Work Is Already Here』 リンダ・グラッドン著 これからの僕らの未来

The Shift: The Future of Work Is Already Here

リンダ・グラットン教授の『ワークシフト』は、近年まれにみる良書だったようだ。いま、全力で友人にすすめまくっている。自分の今まで考えてきた思考の断片が、非常に整合性をとれてつながっていく触媒になって、凄く感動した。久しぶりに凄い知的興奮を味わっている。もうすぐ、ちきりんさんの公開読書なので、それも凄い楽しみ。

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「 Social book reading with Chikirin もおもしろそう!」

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120816

何がこんなに面白いんだろうか?って言うと、たぶん一つは、先進国における人口の激減と超高齢化社会の到来、そして新興国の高度成長と人口爆発など、個々の問題「のみ」で断片的に不安をあおりながらこれまで語られていたことを、すべてぜーんぶひとまとめにして「世界は今どうなっているか?」ということを描きだしたこと。同時に、そういった『変化』がもたらすネガティヴな方向とポジティヴな方向の両サイドを描いてみたことから、いまの時代という「分岐点」の姿がすごくくっきり炙り出されてきたからだと思う。著者があげているマクロの変化要因は、下の5つ。


<未来を形づくる5つの要因>

要因1 テクノロジーの進化

要因2 グローバル化の進展

要因3 人口構成の変化と長寿化

要因4 社会の変化

要因5 エネルギー・環境問題の深刻化


たしかに「変化」を見ると、変化それ自体は、プラスでもマイナスでもなく、事実であって、人間の意志や世の中の流れでそれはどう変化するかわからない。だから描くとすれば、プラスになった場合とマイナスになった場合の両方を見せてもらわなければならない。世界はそんなにバラ色のはずもなければ、真っ暗なだけでもないはずだからだ。世界はモザイクだし、個人の意思決断でいろいろ個人の結果も変わる。このプラスマイナスの幅を描いたことが、結果として、全体の網羅感と幅の広さ奥深さを作り出したのだと思う。

この「世界全てをひとまとめにした」というのは重要なポイントだ。僕は、超高齢化社会の突入や財政破綻、新興国に仕事がシフトして行ってしまう、大都市に人口が集中してメガシティを形成してその周辺部がスラム化していくこと(世界中で起きていることだよ!ほんと)、そのメガシティ同士の国際化の競争になるであろうこと、また人口が激減してしまい全世界の非都市部、地方は悲惨なほど沈んでしまうこと、などの減少は、日本特有とまでは言わないが、日本に非常に特徴的に表れている現象だと『思い込んでいた』。けれども、それは全然そうではなく、ほぼ世界全てで同じ現象が同時進行していることが、はっきりとこの本でわかった。これは凄く、物凄く大きい気づきだった。さらには、そういったマクロ要因だけではなく、そのミクロの影響として、、、僕も海外に住んでいるわけでもないし、自己再生のコミュニティとここでは言われるような、自分の気持ちの内側までシェアする重要な友人たちに日本人ではない人がたくさんいるわけではないので(というかそれってほぼ家族のみぐらいになるので非日本人は皆無だ)、知識としては知っていたり、時々仕事で話す相手や友人から、ああ似たようなことはあるのかもなぁ、と思ってはいたが、これほど明白に「世界が接続していて」同じ土俵で、同じ感覚で、同じ姿勢で、同じマクロの波に飲み込まれているとは、まだ思いきれていなかった。そうした先入観を全部そぎ落としてくれて、それぞれ見ていたマテリアルのパーツが、はっきり関連性を持ってクリアーに見えるようになった。これは本当に凄いきづきだった。

Shocking Facts You Did Not Know A Minute Ago

そうやって考えてみると、実はザクザク事実が自分の中にすでにあったことに気付く。考えてみれば、僕は世界中の都市を仕事で回り、全世界の最先端のビジネスを体験し、そして東京というメガシティに住んでいて、デジタル中世の最先端をこうしてブログなどのネットメディアで体験している、、、にもかかわらず、、、つくづく人間は、自分が見ているフレームワークやパラダイムというナルシシズムの檻にとらわれる生き物なんだなと、痛感する。知っていて、実体験していてすら、それをちゃんと分析して直視することが難しい。もちろん、「生の現実の断片」だけではわからない。それを、類推して、横と縦で補強して、想定して、全体像をくみ上げるという作業が必要だ。しかしながら、それは、基本的に、既に持っているフレームワークの補助なしには行えない。・・・行えないことはないのだが、断片から全体像を、「純粋経験」的に、生の現実そのままで組み上げて統合化するのは、非常に難しいしステップのいる作業だ。そういう意味では、それをこのリンダ・グラットンさんは。大規模な調査とともにやってくれたわけで、そのフレームワークを援用すると、世界がすごくクリアーになった。つくづく、人ってのは、見ている眼の前のことですらも、ちゃんと直視できない生き物なんだな、と思う。


7 Billion: How Did We Get So Big So Fast?

マクロの条件で最も大きいのは、特に現代は、人口だ。人口がどう動くかで、非常に大きな波が、どのように襲ってくるかがよくわかる。これも、自分の人生や関係性にどう影響を与えるかの視点で見直すと、凄いいろいろなものがわかる。

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

2012-09-25

この本素晴らしかった!!

「思考軸」をつくれ-あの人が「瞬時の判断」を誤らない理由

これ、どっかで記事書きたいけど、時間ないので、とにかくすごくよかった!ので、とりあえず。