Hatena::ブログ(Diary)

Connachtaは遠い

2015-01-18

Transatlantic Sessionsを振り返ろう −シリーズ5

サラリーマンになってからというもの、帰宅後および休日が完全にフリーになってしまい、何か生産的なことをしないとやってられなくなった…

 というわけでTransatlantic Sessionsを振り返ろうの企画も進めてまいります。
さてさて駆け足でいきますよ。さっそくシリーズ5です。この調子でBBCに追いつけ追い越せですよ。

 2011年BBC Scotland, BBC Four, RTÉで制作され放送されたシリーズ5。シリーズ3が2007年、シリーズ4が2009年だから、ほぼ2年おきで放送されていて、シリーズ2が1998年であることを考えると制作間隔が明らかに縮まっている。ちなみに次のシリーズは2013年放送。いよいよBBCにおける定番企画としての地位を確立してきたようである。

 撮影場所はまたもやハイランドパースシャーのハンティングロッジ。ロケ地としてクオリティが高すぎるんだよな、あの辺…。多分4のときとは違うところ?今回はバックに割と大きな窓があって、少し開放的な雰囲気がでている。

 会場の雰囲気が変わったと同様に、今回のゲストアーティストの顔ぶれはこれまでとかなり異なるように思われる。おっさんおばさんばかりだったTSに何と当時19歳のサラ・ジャローズが颯爽と参加。それも全然悪目立ちという感じでもなく、新鮮で開放的な雰囲気の醸成に一役買っている。伝統音楽の問題を扱うにあたって高齢化と後継者の問題はつきものだが、わずかとはいえその辺りも意識されているようである。
 さらにライナーノーツでも特筆されているが、今回初めてブルース畑からの出演が実現した。Transatlantic Sessionsが黒人歌手(という表記はポリティカリーインコレクトだろうか?)を招いたというのは、やはり極めて画期的なことだ。これは、「大西洋横断文化」の理解として、いわゆるWASPによるヨーロッパ文化起源アメリカ文化、みたいな歴史的に狭い枠組みを明確に放棄し、より現在的な意味での多様性あるアメリカをきちんと視野に入れて構築しなおしたという表明にほかならない。野心ある試みだと思う。

 とはいえ、ブルースあるいはゴスペルといった黒人文化が「大西洋文化」の一端であるとするとき、その結節点を想定するとどうしてもロックを初めとする戦後世界を席巻したポップス群にいたらざるをえない。前シリーズもすでに相当にポップスへの傾倒が進んでいたことを前の記事で指摘しているけれども、ブルースの導入はおそらく番組のさらなるポップス化を進めるのではないか?あとで見るように、実際シリーズ5の特徴としてドラムスの遠慮ない利用があり、それは間違いなくポップスとの接近を示すものである。だとしたらこの傾向は、今も残る多様なルーツ・ミュージックが刹那改めて交じり合う場であったTSを、かつて交じり合ってきた歴史を単に早送りで追認してしまうだけのものに変えてしまうのではないか?…

 まあどちらがいいのか悪いのか、まずもって分からないし、この段階でそんな大上段な話をしてもしかたない。いつもどおり放送ごとの個人的ハイライトを紹介して、最後にもう一度この話に立ち戻りつつ、シリーズ5の特色を考えてみたい。

Programme One:
Òran na Cloiche - Kathleen Macinnes with Sarah Jarosz

 初登場のカスリーン・マキネスによるスコットランド・ゲール語歌唱。はじめに薀蓄を垂れておくと、Oran na Cloicheすなわち「あの石の歌」という題を冠したこの歌が語るのは、スコットランド王が代々その上で戴冠したとされながらイングランドとの戦争*1で奪われた「運命の石」を、1950年、スコットランドの学生が盗んで持ちだしてしまったという事件の顛末である。つまり歌詞*2も曲もそんなに古いものではなくて、言ってしまえば新民謡みたいなかもしれない。
 しかしこの"模造"民謡、バラッドの伝統に則った歌詞を16小節の繰り返しでちまちま語るスタイルをきちんと踏襲していて、本物より本物っぽいバラッド歌唱なのである。上下の少ないメロディー、繰り返しだけど歌詞に合わせて伸び縮みするフレーズ、コテコテのリフレインコーラス、どれをとっても一端のバラッドである。
 バラッド歌唱は物語が面白いのであって音楽的には素朴であることが多いのだけど、この曲が素晴らしいのは、もちろんマキネスの明朗かつ滋味深い歌声の力もあるが、単純なメロディーをフレーズ毎に延々と再構築し続けるフルートの貢献を見逃すわけにはいかない。コーラス兼バンジョーのサラ・ジャローズが加える異国情緒も独特な雰囲気の醸成に一役買っている。


Programme Two:
Helvic head / Kiss the Maid - Michael McGoldrick with Béla Fleck

 第2回からはこれまでのTSでもおなじみ、マイケル・マクゴールドリック先導によるアイリッシュ・ダンスセット。スロージグから特急リールに突入する典型的なパターンなんだけど、注目は後半のリールで、ドラムスとセッションスタイルのすり合わせの見事さに舌を巻く。
 アイリッシュ・ダンスとドラムスといえば、大ホールでのケーリーバンドか、録音前提のロック的伴奏か、というのが相場で、たとえばパブでのセッションにドラムス持ち込むのはセッションマスターにぶっ飛ばされること請け合いのヤバい行為である。
 もちろん今回だってPA&録音前提の演奏であることには変わりないのだが、ドラムスの全面的参加にかかわらず、全体としてのセッション香りを全く失っていないというもはや理解に苦しむレベルの名演奏である。ドラムスの利用は過去のTSシリーズでも少しずつ実験してきたから、その集大成として絶妙なバランスが獲得されたのかもしれない。今回の演奏はダンスチューンとドラムスの関係を考える上での参照点になるのではなかろうか。
 マクゴールドリックとならんでベーラ・フレックがクレジットされているが、この曲では普通にセッションに加わっているだけでいうほど目立っていない。次の会を待て。

Programme Three:
Big Country - Béla Fleck

 第3回、いや、TS5における最高傑作がこれだ!バンジョープログレフォークを牽引する鬼才ベーラ・フレックの1曲が、TSという場を得てこんな形に変貌を遂げるなんて!とにかく私はこの曲このアレンジが好きで好きでたまらない。トラッド、フォークだけじゃない、インストバンドに興味あるものは必聴のトラックである。
 まず構成のダイナミクスが神がかっている。フィドル3本によるイントロ→フレックの超絶技巧ソロ→ギターでメロディーを受けて→全員でBメロAメロ→静かになったところでベースソロ→ドブロの半即興のソロ→再度バンジョーソロ変奏→全員でのサビと変奏の嵐→Aメロに戻って終了。たった2パートしか無いメロディーラインから、徹底的にフレーズの可能性を掘り起こし、最適な順番で提供する、フルコースの如き完成度。
 個々のパートの情感も到底言い尽くせない。最初のバンジョーソロはメロディーとアルペジオで限界まで音が詰まっているのに、無駄な音が一音もなく、とにかくこの曲の根源的なテーマはここにあるのだということを圧倒的説得力でもって示してくる。
 全員で演奏するBメロの一体感も極上である。イントロやAメロの比較的細かい動きから一転、シンコペーションの効いた大枠のメロディーが見事なユニゾンで心に染み入る。
 笛吹きの視点から言えば、最後のマクゴールドリックによるローホイッスル変奏によってこの曲は画竜点睛を得るといいたい。彼の超絶技巧の対旋律が奇妙にもBメロと融合して互いの魅力を引き出し合う。感涙必至。このときいつになく真剣かつ陶酔した顔を見せるマクゴールドリック、あれこそまさに音楽の神の神憑りの瞬間だったのだろう。そう感じざるをえない至福の一曲である。

Programme Four:
A Lewis Summer - Iain Morrison

 第4回にはあんまりお気に入りがない……。
 あえて言えば、スコットランドのシンガーソングライター、イアン・モリソンのこの歌が耳に残る。ギターとドラムスを中心とした伴奏トラッド感はほとんどないが、今のスコットランドフォークシンガーの最前線をきちんと拾ったという感じである。モダンな雰囲気と上手く調和した単調なリールが間奏にねじ込まれており、リール様式の新しい側面を感じられる。(カパーケリーなんかも好きな手法だけど、それよりずっと洗練されている印象)

Programme Five:
Don't Ever Let Nobody Drag Your Spirit Down
- Eric Bibb with Sam Bush, Dirk Powell & Jim Murray

 この曲は先に述べたようにTS新機軸のためガッツリ扱いたいのは山々なのだが、如何せんブルースを知らなすぎるので何も言えねえ…!ただTS全体との関連で言えば、特にジャンル間の融合を図ろうとしてる気配はなくて、この曲は純粋にブルースを導入しようとして入れただけっぽい。クレジットを見た時ほどの衝撃はなかった。エリック・ビブのブルースギター自体は素晴らしいものだったが…

Programme Six:
Route Irish - Jerry Douglas

 TS恒例のジェリー・ダグラスのソロ曲。なぜお前はこんなに名曲を何発も持っているんだ…!

----------------------------------------------
※長いことほっておいてしまったのでとりあえずここまでアップします。まとめについては後に追記予定。

*1:ちょうど映画「ブレイブハート」の時代ですね

*2詩人ドナルド・マキンティアの詩集から

2014-09-28

自分でもびっくりするけどアニメ『魔法科高校の劣等生』を完走した。

26話見ても何ら面白いことはなかった。あまりのつまらなさに正直ものすごく衝撃を受けたので、見ながら思ったことを語りたくなった。以下はアニメのみ見た感想なので、原作は知らない。

この作品もいわゆる俺TUEEEEEものの系譜にあると思うんだけど、『劣等生』はその中でも飛び抜けて異質。あれだけ叩かれた『SAO』と比べてすら明らかに次元が違う。というより、このジャンルが来る所まで来てしまった結果がこれ、と言うしかないかもしれない。

SAO』は結局、世界のすべてがキリトさんの味方だったという話で、言ってしまえば伝統的なご都合主義を徹底しているにすぎない。「確率的に低い事象が起こるおかげで結果的に主人公が有利な形で話が進む」のは、まあ話作りとして稚拙ではあるかもしれないが、少なくとも娯楽小説では多かれ少なかれ必要な手法だろう。SAOまで含めて、これまでの俺TUEEEEEもののほとんどはぎりぎりこの枠の中にとどまっていたし、そのおかげで、ダイナミックなプロット進行や繊細な心理描写などの点で面白いものを作る余地があった。

でもこの『劣等生』は、そんなご都合主義の伝統を踏み台にして、ストーリーテリングのタブーの向こう側に軽々と立ち現れる。『劣等生』が徹頭徹尾描くのは、「劣等生」のはずのお兄さま*1が、実は人外の能力と広大な人脈と不可解な人望で敵を駆逐し、愛する妹(とついでに所属する高校の友人)を守るその一部始終である。あまりに圧倒的なので、話の進行に幸運あるいは不運が差し挟まることはない。とにかく、問題発生→お兄さま一人で解決→みんなほめる→問題発生→お兄さま一人で解決→みんなほめる…のループだけで話が進んでいく。それもその解決法ってのもすごくて、「人類に実現不能とされた魔法理論をばんばん打ち立てる」「(高校生なのに)軍幹部とか闇の世界とかを足で使う」「どうやら一般的な法に拘束されている気配もなく敵を虐殺・排除する」などなど、もともとまったく際限のない能力のみに依存している。はじめからお兄さまが持っているスキルなのだから、いわゆるドラゴンボール的インフレですらない。

こういう設定自体は特に最近の俺TUEEEEEものにはよくあることで、一般に「欲望駄々漏れの妄想で恥ずかしい」といわれて叩かれる。しかし、『劣等生』という作品は、単に恥を知らない肥大した自意識の権化であるというだけではない。この自意識そのものが物語の上位構造として権威化されてしまっており、語りえたはずの(Amazonレビューを読む限り、魔法の設定はよく出来ているという)多様な世界と言葉すら制限され、それゆえに確定された一本筋をなぞるだけの何の深みも面白みもない作品に堕しているのである。他の俺TUEEEEEものと比して『劣等生』に特徴的なのは、ご都合主義的展開そのものが面白さの本質であると捉えている点かもしれない。手段が目的と完全にすり替わっているのである。

ちょっと他のジャンルとも比較してみる。

とにかく圧倒的な力で絶対勝つ、という意味ではニチアサの戦隊ものとかに似ているかもしれない。が、あれは例えば5人揃って最強という条件が最初からついていて、各々が活躍したり足を引っ張ったりする描写の余地があるから、人の営みとしての範疇を超えたりはしない。仮面ライダーにしても、実はそんなに絶対無敵じゃなくて、基本的には常に互角の戦いを強いられていることが多い(そもそも改造したのが敵なのだから性能差がない)。平成ライダーにいたっては最終的な主人公勝利というわずかなご都合主義にも我慢できず、多数のライダーの登場による能力の分割とストーリーラインの曖昧化が顕著になりつつある。『劣等生』は、作劇上のこういうバランス感覚や自省の精神を見せることはまったくない。お兄さまは優秀な戦闘員であり、将軍であり、軍師でもあって、物語上のすべての機能を一人で果たすことに何のためらいもない。そこには他人とのコミュニケーションが差し挟まる余地などなく、お兄さまという不変の一枚絵をただただ眺めさせられる(それも26話、単純計算で8時間!)。対話の存在しない物語は、物語といえるのだろうか。

では、勧善懲悪の時代劇と比べてみてはどうか。主人公は絶対の権力と能力を持ち、最終的に話を有利に決着させる(メタな)能力をもっている。しかし、時代劇について考えてみれば、毎度起こる事件は主人公とは実はなんの関連もなく、お話が注目するのは困難に巻き込まれた町民たち一人ひとりである。すなわち、最後に悪役を成敗する将軍様は、実はもとからデウス・エクス・マキナとしての機能しか持っていない。『劣等生』はそうではなく、明らかに主人公であるお兄さまを軸としたお話が進められており、そのような物語上の機能という方面からの理解も不可能である。お兄さまは機能的神などというチンケな地位に甘んじるものではなく、世界の内部のみならず物語そのものの帰趨をもすべて支配する、絶対的な唯一の「神」なのである。「神」を描くということは、現実の多様性から目を背け、抽象的で画一的な概念をひたすら書き写す作業になってしまう傾向があることは、想像に難くない。

そう考えれば、この物語のタイトル『魔法科高校の劣等生』というタイトルにも納得がいく。これは単に優秀な主人公の「玉に瑕」的側面の描写ではないし、少なくとも弱者が勝利するカタルシスを示すものでは毛頭ない。「劣等生」とは、われら世界に従属するものたちが、全知全能の神を神と呼ぶのが恐れ多いために採用せざるを得なかった婉曲表現なのである。

*1:妹が作中何度も何度も何度も「さすがですっお兄さま!」と褒めるのでネットではこれが通称となっている。そのせいで私も名前を覚えていない

2014-05-10

Transatlantic Sessionsを振り返ろう −シリーズ4

私が修士論文を書いている間に本国イギリスではTransatlantic Sessionsのシリーズ6がスタートしておりました。なんということでしょう。しかもDVDまで出てた(当然購入済み)。

 だんだん本シリーズに置いていかれてしまっているので、今回はちゃっちゃとシリーズ4を振り返ってみたいと思います。

Transatlantic Session 4 [DVD]

Transatlantic Session 4 [DVD]


続きを読む

2014-05-04

第11回博麗神社例大祭で新譜が出ます

来週の日曜日に開催されます第11回博麗神社例大祭にて、私の参加しているサークル「ジャージと愉快な仲間たち」の新譜が出ますので宣伝です。

63/64 Completion 特設サイトバナー

今回はこれまでの活動の集大成としてベストアルバムを出します。

曲は旧譜からの再録ですが、すべて再編曲&再録音!3年かけてリファインされたあの曲この曲がこの1枚に。古参のジャージファンの方にも一見さんにもおすすめの一枚となっております。イベントに寄られる方はぜひぜひ一度お聴きくだされば幸いです。


私は今回は演奏にも参加しております。3月にライブをするまですっかり鈍っていたサンポーニャですけれどもなんとか気力で録音いたしました…!

また例によってWebサイトも作成しております。今回はさすがに就職してしまってちょっと時間がなかったのでただのテンプレ改変なんですけどね?()

2013-12-15

修士論文書き終えました。

タイトルのとおり、修士論文を書き終えました。

足掛け2年、実質3ヶ月、ひどく長かったような呆れるほど短かったような。しかしなんとか規定字数を満たして期限内に提出することができたのでもうなんでもよいです。審査に通りさえすればね!

題目を晒すと「国民音楽と民衆音楽の間で:コールトリ・キョールタス・エーランと1970年前後のアイルランド音楽」。アイルランドの伝統音楽復興を掲げる団体コールトリ・キョールタス・エーラン(略称CCÉ)が、急激に近代化するアイルランドの中でどのような活動を選択し、その結果として伝統音楽の姿をどう変えていくことになったのかという問題にアプローチする試論です。復興したー復興したーとはいうものの、一体それってどうやって進行したの?という問題意識に基づいたものです。

正直なところ資料不足著しく、全体的に論文としての出来は極めて怪しいですが、推論自体はそれなりに面白いものが出来たのではないかなあと思います。この時代のアイルランド伝統音楽史についての日本語の研究はほとんどないですし、そういう意味でも人によっては興味深いものが少しはあるかもしれません。どこかで修正して公開できたらいいなあ。


来年から就職するので次に論文を書く機会があるかは分かりませんが、しかし修士論文を書く中で身につけられるスキルのうちいくつか、例えば資料分析の力とか、卒論とはぜんぜん違う長さの論文構成を考える力とか、そういうものは身につけられたような気がします。仮に資料収集力と英語力も得られていたなら、博士課程に進んでもよかったのですが、そちらはそれほど自分には向いていないものだったようです。

そんなわけですが、これで長かった学生生活が終わるかと思うと一抹どころか十抹くらい寂しいものがあります。修士論文書いてるのも明らかな修羅場だった割には楽しかったので、今はすっかり手持ち無沙汰です。働くまでの3ヶ月も楽しく過ごすにはどうしたらいいのかしら。