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2012年1月3日まで利用していたはてなダイアリーの過去記事です。

ピエール=ロラン・エマール来日公演@東京オペラシティコンサートホール

Bach: Art of the Fugue
Bach: Art of the Fugue
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Deutsche Grammophon (2008-03-11)
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J.S.バッハ(すべて《フーガの技法》より):「コントラプンクトゥスI」、「3度音程でも転回可能な10度のカノン」
E.カーター:《2つのダイヴァージョン》
J.S.バッハ:「5度音程でも転回可能な12度のカノン」、「反進行における拡大カノン」
O.メシアン(すべて《8つの前奏曲》より):「悲しい風景の中の恍惚の歌」、「夢の中の触れ得ない音」、「風の中の反射光」
J.S.バッハ:「10度音程で転回可能のコントラプンクトゥスX」、「転回可能のコントラプンクトゥスXII.1」、「コントラプンクトゥスXI」、「転回可能のコントラプンクトゥスXII.2」、「12度音程で転回可能のコントラプンクトゥスIX」
L.V.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番

 ピエール=ロラン・エマールの演奏会を聴いた。素晴らしい。本当に素晴らしい演奏会だった。終演後にこんなに誰かと「素晴らしい。すべてが完璧だった!」と声を出して笑いあいたくなるような演奏会にはなかなか巡り会えない――エマールを日本に呼んだ音楽事務所に勤めている知人(彼とは演奏会場でしか合わない)と「すごかった……」と言いあえて良かった。
 とにかくこの気持ちが覚めないうちにここに今夜の出来事を綴っておきたい。
 前半はバッハの《フーガの技法》から何曲か選び、それと今年生誕100年になる2人の作曲家――エリオット・カーターオリヴィエ・メシアンの作品を織り交ぜるというプログラム。国も、作風もバラバラな三人の作曲家の作品は、曲の構造の部分などで「有機的に」つながりあい、さながら言葉のないレクチャーのようだった。
 むしろ、エマールが組んだこのプログラムは「言葉を必要としていなかった」と言っても良いかもしれない。特にバッハからカーター、カーターからバッハへという繋がりに見えたエマールの意図は、難解に聴こえてしまうカーターの実にクラシカルな部分を鮮やかに掘り起こしていた。性格の違う2つの音楽的要素の発展(カーターの作品では、ほとんどポリテンポ的な試みがなされている)が、バッハのカノンと類比されたとき、会場のなかで「ハッ!」と膝を打ちたくなるような思いに駆られたのは私だけではあるまい。
 休憩を挟んでの後半は、《フーガの技法》対ベートーヴェンソナタ第31番。これも素晴らしい、というか驚異だった。
 バッハの作品はやはり「聴かせる」のが難しい。これは運転が難しい外国の高級スポーツカーみたいなものかもしれない。勢いにまかせてしまえば音楽に淀みが生まれ、とても聴いていられない大事故となり、大人し過ぎれば退屈しかもたらさない。良い塩梅で作品を乗りこなすのは至難の業だ。
 しかし、エマールは易々とそれを行ってしまう。ただ、前半のバッハとは異なってそこには「レクチャー」のような優しい態度は見られない。理解を拒むようにして書かれた圧倒的な構造の美学によって、聴衆をねじ伏せようとする「芸術家」にエマールはなっている。
 構造を追い、理解することが出来るように与えられた時間はほんのわずかだった。気がつくと私は、金縛りにあったような気持ちになっている。もはや各声部の展開を追うような聴き方はできない。ただ、全体で迫ってくる音楽に陶酔してしまっている。
 そして、最後のベートーヴェン。これまでに何度も実演に触れてきた第31番のソナタだが、アファナシエフが「勿体ぶった詐欺師」に思えるような衝撃だった。
 冒頭の牧歌的な旋律の、バッハで緊張仕切った感覚を解凍してくれるような優しい演奏に、思わず目に涙が溢れてしまう。この瞬間「まだこんなすごいベートーヴェンが弾けるピアニストが残っていたのか」という驚きも同時に感じていたのだが、一番すごかったのはやはり最終部のフーガ(バッハとベートーヴェンはここで繋がるプログラム)。怒涛、とはいえ思慮深く、決して勢いに任せるようないい加減さは皆無(これはエマールの演奏全体に言える)。あれほど素晴らしく感じたバッハが一瞬で霞んでしまうほどの名演だったと思う。

メシアンへのオマージュ
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 全てのプログラムが終わると当然、火のような拍手が巻き起こった。それに応えてかアンコールはなんと6曲……(サービスしすぎ)。新譜に収録されたメシアンの《8つの前奏曲》から4曲と、カーターの作品を2曲。
 こちらはリラックスした雰囲気での演奏だったが、その状態でカーターの機械のために書かれたみたいな速い曲を、本当に機械みたいな正確さで弾いていたのが恐ろしい。メシアンでは「鳩」という作品が良かった。
 再来日とベートーヴェンの録音が今から待ち遠しい。