Genxx.blog*::Hatena

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2005-06-26 ラトゥール先生とipodバトン。BAR?

[]  バトンを随分前に貰っていたことに気がついた。

via:id:midnight109さん、ごめんよ。

Total volume of music files on my computer

2.7GB(ipodを同期させるほどの容量的余裕は、ない。)

Song playing right now

We've Only Just Begun / The Wooden Glass Featuring Billy Wooten

(http://www.bounce.com/review/recommend.php/8557)

The last CD I bought

Music is the healing force of universe / ALBERT AYLER

(http://www.universal-music.co.jp/jazz/hardcore_jazz/uccu9015.html)

Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me

Figaro / Mf Doom & Madlib

 名アルバム『Madvillain』収録曲。Hiphopでは最高に好きな部類の一枚。ジャズ好きとかにも激しくオススメ

Madvillainy


You Are the Sunshine of My Life / Cold Blood 

 ファンク名盤、『Thriller!』収録曲。Stevie Wonderバージョンよりもこちらのが好き。

B0007QS3JCThriller!
Cold Blood

by G-Tools


An instrumental tribute to Stevie Wonder / Yesterdays New Quintet ( Madlib )

 これかけると超集中して本が読める。

Stevie: An Instrumental Tribute to Stevie Wonder
Stevie: An Instrumental Tribute to Stevie Wonder


Revelation / Doug Carn 

 キーボード奏者 Doug Carn が、「Black Jazzレーベルに残した1973年アルバム、『Revelations』より。ジャズ好きならば、お願いだから聴いてください。死ねます。

http://www.blackjazz.com/defaultflash.htm


Spirits / Albert Ayler

 from『Spiritual Unity』。このアルバムは生涯随一の宝物。 

Spiritual Unity
Spiritual Unity


 以上、この半年くらいのあいだ、mean a lot to meだった曲たちのリストでした。

Five people to whom I'm passing the baton

残す種はひとつ(一人)で十分。ってわけで、優雅に英国ウィンブルドンなんか観戦しちゃってるid:colibriスライスショット。たぶん理解せずにシカトするんだろうな。それでこそ、バトン

[][] 組織論について、おっと思わせるpdfいくつか

 これは力作というか、教科書というか。SINTEF Industrial Management "Safety and Reliability"

http://www.sintef.no/content/page1____5292.aspx

Organisational Accidents and Resilient Organisations: Five Perspectives

(組織の事故と弾力性ある組織について――5つの視角から)

Ragnar Rosness, Geir Guttormsen, Trygve Steiro, Ranveig K. Tinmannsvik, Ivonne A. Herrera

15.01.2004


Several major accidents are related to the interplay of organisational properties and technology. The aim of this report is to present a set of perspectives that can help us understand the organisational mechanisms related to major accidents. Five perspectives are discussed:


The energy and barrier perspective

The theory of Normal Accidents

The theory of High Reliability Organisations

The information processing perspective

A decision-making perspective


その他、読んで楽しい

"Defining and Assessing Safety Culture in High Reliability Systems: An Annotated Bibliography"

(高信頼性システムにおける安全文化を定義/評価する――注釈付きの関連文献目録)

http://www.humanfactors.uiuc.edu/Reports&PapersPDFs/TechReport/01-12.pdf

[][] ラトゥール(笑)

 社会学者/人類学者であるラトゥールのエッセイを読んでいたら、さすがというか、なんというか、いやはや。


ESSAYS ON SCIENCE AND SOCIETY:

From the World of Science to the World of Research?

(「科学の世界からリサーチの世界へ」)

Bruno Latour, Science, Vol 280, Issue 5361, 208-209 , 10 April 1998

http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/280/5361/208

 In the last century and a half, scientific development has been breathtaking, but the understanding of this progress has dramatically changed. It is characterized by the transition from the culture of "science" to the culture of "research." Science is certainty; research is uncertainty. Science is supposed to be cold, straight, and detached; research is warm, involving, and risky. Science puts an end to the vagaries of human disputes; research creates controversies. Science produces objectivity by escaping as much as possible from the shackles of ideology, passions, and emotions; research feeds on all of those to render objects of inquiry familiar.


 There is a philosophy of science, but unfortunately there is no philosophy of research. There are many representations and clichés for grasping science and its myths; yet very little has been done to illuminate research. An association was created 150 years ago for the advancement of science, but what would an Association for the Advancement of Research look like?

 「科学」の文化から、「リサーチ」の文化へ。「リサーチ」の哲学は不幸にもまだ確立されていない。科学的成果をただただ待ち続ける受け身の存在から、自らの欲求に基づき科学[リサーチ]政策過程に参加しリスクをも引き受ける存在へ。


 Science does not enter a chaotic society to put order into it anymore, to simplify its composition, and to put an end to its controversies. It does enter it, but to add new, uncertain ingredients (such as the beautiful and unexpected prions that earned S. B. Prusiner a Nobel Prize last year) to all the other ingredients that make up the collective experiments. When scientists add their findings to the mix, they do not put an end to politics; they add new ingredients to the collective process. To the many spokespersons who already represent humans and their needs, they also add more spokespersons who represent--how should I say it?--nonhumans and their needs.

 科学は社会の複雑性を縮減するのではなく、新たな複雑性の次元を付け加える。

 In 150 years, all the ills have had plenty of time to flee from the wide-opened Pandora's box. Only one thing remains inside: hope. It might be just the right time to fetch it.

 ・゜・(つД`)・゜・ 

みんなのプロフィールみんなのプロフィール 2006/08/29 09:14 ブログ開設おめでとうございます!!

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ふぇじょーーーあwwwwふぇじょーーーあwwww 2009/06/13 17:47
これヤった後でパチ屋に行ったら勝率上がりすぎwwwwww

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ただの軍資金稼ぎのつもりでヤってたんだけど、
パチも負けねーもんだから金が余りまくりっす・・(^^;
まー金は余っても困らないからまだ続けるけどねーヽ( ・∀・)ノ
とりあえずBMWでも買うわwwwwwww

むきゅっもきゅっ?むきゅっもきゅっ? 2009/06/20 16:46
いつもマヌコに空気入れてブリブリ音出させて遊んでんだけど
昨日の女動物の鳴き声みたいな変な音出たwwwwwwww
かなり締まりのイイ女だったんだがもしかしてそれが理由かな?
5万しか貰えなかったけどある意味貴重な経験出来たからおkだろwww

http://ahan.yumenokuni.net/I5FHYmA/

ち んち んは不景気知らずち んち んは不景気知らず 2009/06/20 22:11
世間は不況で騒がしいけど、はっきり言って俺には無縁だねw
ち ん こ触らせてあげて顔にぶっかけてあげるだけで5万貰えるしw
いやー世の中チョロイっすわwwwwwww

http://dopyun.quitblue.com/HnGVSNa/

ぴゅるるるるーwwwwぴゅるるるるーwwww 2009/07/18 19:05
イエーイ!なんかテキトーにやってたらヒモ彼女4人ゲットしちゃったよwww
毎月一人10万づつ貰ってるからとっくにバイト辞めたしヽ(´ー`)ノフォウ!
そろそろ引越したいから後2人くらい増やしとくわぁwwwwwwww

http://VYw0RIY.okane.torya-acha.com/

ネトゲ廃人ぽにゃたの場合ネトゲ廃人ぽにゃたの場合 2009/07/24 16:41
働かざるものヤルべし!!!ほんと働いたら負けだわ(´Д`;)
オレ真面目に会社員やってたけど、今はその頃より月の稼ぎ3倍だよ?
初めてヤった時は4万だけだったけど、今じゃ平均一回7万だかんなwww
もうアフォらしくて会社員ヤメたしwwwww 毎日ネトゲ最高wwww

http://UNQhg5h.netoge.bolar.net/

リモコンロ-タ-最高すぐるwwwwリモコンロ-タ-最高すぐるwwww 2009/08/01 14:52
一発普通にヤった後で報酬5万もらって、女と一緒にパチ-ンコ行ったの!!(リモコンロ-タ-装着させた状態でwww)
隣同士で打ってたんだけど、アツイ演出の時にタイミングよくスイッチ押してヴィンヴィンさせたら凄い表情で手足ガクガクしてて超エ口かったよ・・・wwww
女が席立ったらイスがビチョビチョwww さすがにやりすぎたみたい(^^;

http://sekurosu%2eprotobem%2ecom/9gOpGDF/

おっぷぁい!ぷぁい!おっぷぁい!ぷぁい! 2009/08/04 15:37
しばらくお互いに愛撫し合ってたら、女が急にカバンから蜂蜜取り出してボクのティンポに塗りたくってきてパイズリ始めたからビックリしたよ(^^;
パイズリされつつ蜂蜜塗られてティンポしゃぶってもらっての繰り返しで、気持ちよすぎて気がついたら3回イったしwww 俺淡白なのにすげwwwwww
やっぱ巨乳で工口工口な女が一番だよねーヽ(゜∀゜)ノヒャッヒャッ!!

http://ene.creampie2.net/VDWoHQE/

ぎょはぁ!!!!!ぎょはぁ!!!!! 2009/08/08 11:32
ヘイヘイ!!あひひひほはぁwwwwwww ちょwwいきなりごめwwwwww
寝てるだけで5 万もらっちゃって真面目な自分がヴァカらしくなってさwwwww
はぁーいま女シャワー浴びてんだけど、もう1ラウンドでまた5 万くれるってYO!wwwwww
またマグロでさっさと中 出 しするわwwwwwwwww

http://kachi.strowcrue.net/1nPxsAT/

ケ ツ コ キ!!!!!!!!!ケ ツ コ キ!!!!!!!!! 2009/08/15 12:48
すんげえケ ツでかい女に当たった!!! コイツのケ ツ 技すぎすぎwwwww

ケ ツにロ -ショ ン塗りたくって、俺のティ ヌコ挟んですんげー前後すんの!!!
前後してる時にク リに当たったりマ ヌ コに入ったりして
女もアヒアヒしまくりで俺も女も絶 頂しまくりで最高ですたwwwwwww

こりゃハマるわぁ・・・・

http://yuzo.plusnote.net/0hByR78/

メタボがアチイメタボがアチイ 2009/08/22 11:39
なんか俺妙に人気すぎるから昨日ハ メ ハ メした女の子に
理由聞いてみたら今メタボ超人気なんだってさ!!!!

お腹のポニョポニョだけじゃなくて包 茎が多いのも
ポイント高いっていうまさかのメタボ包 茎フィーバーwwwwwww

今月もうちょいで8 0 万貯まるし家でネトゲしまくって体型維持するわwww

http://okane.d-viking.com/TBo36pm/

マグローニャマグローニャ 2009/08/26 14:05
もう動くのもマンドクセーから家に来てもらってんのよ。
オレはネトゲに必死で女はフ ェ ラに必死というカオス状態wwwwwww
なんでか毎回3 万貰えてるしイミフすぎwwww

これ始めた俺歓喜www 金無しニートのオマイら涙目wwwww

http://koro.chuebrarin.com/weLf4X4/

2005-06-05 不確実性下の責任

[][][] 科学技術に関する意志決定と責任境界(不確実性下の責任

 科学技術をめぐる意志決定の責任は、誰が引き受けるのか。


1.専門家のもつ責任境界

2.行政の責任境界

3.一般人責任境界

  • たとえば、市民が参加するコンセンサス会議の決定でもし被害を受けるひとが出たら、その賠償責任は誰がとるのだろうか。被害にあう人が会議に参加したかによって、「責任」のあり方が変わるのだろうか。

 厳密な科学上の解明を待つのでは遅すぎる場合、不確実性のもとで社会的意志決定をしなくてはならない。あるいは事前には予測できない複合要因によって発生する問題に、社会は対応しなくてはならない。そのときの責任は、誰が、どのようにとっていくべきなのだろうか。不確実性下の責任の取り方は、科学の関係する行政にとって避けて通れない問題である。

 不確実性下の意志決定における責任の所在は、ひとつの難しい問題である。専門家や行政がすべて予測可能な事態を「隠した」のであれば、専門家や行政に責任を課すことが出来る。しかし、予測が出来なかった事態についての責任は、誰が、どのように取るべきなのだろう。

 時々刻々と変化する事実(作動中の科学)に対応して、ある時点での「事実A」に基づいた判断が、数十年後の「事実B」からみて誤っていた場合、事実Aに基づいた判断のもつ責任は、どのように定式化していけばよいのだろうか。時々刻々と書き換えられる妥当性境界をどこで「切って」、どこに責任配置を考えればよいのか。第二種の過誤(問題があったのに、ないと判断してしまった)を避けるようなシステムはどのように構築可能か。このようなことが、行政の責任論として問題になる。


 予測できなかった事態の責任のとりかた

1.「その時点で選択可能な最良の選択を行う」行政担当責任の方式

2.「その時点で発表可能な情報すべてを公開し、国民に選択してもらう」自己責任方式

 以上、藤垣裕子さんの論点。


4130603027専門知と公共性―科学技術社会論の構築へ向けて
藤垣 裕子

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 だから、市民参加なんて無い方が本当は楽なんだよな。責任引き受けなくて、ただ国を糾弾すれば済むのだから(やや皮肉)。そして、「その時点で発表可能な情報すべてを公開し、国民に選択してもらう」ってのも実は簡単な話じゃない。そこにリスク心理学が介入する余地がある。(あるいはリスク言説[の流通]をめぐる社会科学的な分析も)

[][][] 定義

リスク心理学は、「リスク認知研究」と「リスクコミュニケーション研究」に二分できる。

◆専門家によるリスクの定義

 「死や疾病、財産の損失などの望ましくない事態のひどさの程度(severity of harm)とその発生確率の積」。

つまり、リスク=ひどさの程度×発生確率

[][][] 問題の構図

 環境リスクに共通するキーワードは「人為性」。


1.自分たちや将来世代の健康飲食物大気に含まれる有害物質のためにじわじわと損なわれるのではないかという不安

2.原子力発電施設や化学プラントなどで大規模災害が発生し、一瞬にして取り返しのつかないカタストロフがやってくるのではないかという恐れ

3.自然開発や産業活動が生態系に悪影響を及ぼし、多くの生物種が存在を脅かされていることに対する懸念


◆毎年多くの犠牲者を出している大雨や台風、土砂崩れは解決すべきリスクとしてそれほど人々の意識にのぼっていない(Gen註;地震は例外では?つまりルーティーンから外れるリスクが重く見られるということでは?)

自然災害はあきらめられても人為的環境の不備は許し難い

生物の多様性についても、山火事や洪水ではなく、森林開発や工場、家庭からの排出物によって自然環境が破壊され動植物種が危機に直面するという「人為的な」状況に人々は心を痛める


つまり‥

 「環境問題とは人為的活動の悪影響に対するマネジメントの問題であり、別の言い方をすると科学技術の負の側面にどう対処すべきかという問題である。すなわち、われわれの社会がさまざまな科学技術をどのようなかたちで、どの程度まで導入するべきかが問題の中心である。被害サイドの観点からみると環境健康リスク問題であり、同じことが加害サイドに焦点をあてると科学技術リスク問題という構図になる」。


問題は‥

1.どの程度のベネフィットに対してどの程度のリスクを受け入れるべきなのか

2.その判断は誰が行うべきなのか


まず考えられるのは‥

1.意志決定の手続きについての透明性を確保することが必要(手続き的公正を経た上での合意形成)

2.リスクとベネフィットについて情報公開されていることが必要


しかし、

1.絶対的なリスク推定値を求めることは困難(リスク推定値はモデルによって大幅に異なる。基本的に、不確定ないま・現在において判断を下さねばならない)


2.金銭という一元的な尺度に乗せてベネフィットを求めリスクとのトレードオフを考慮するリスク・ベネフィット分析の結果は、複数の政策や技術の優劣を社会全体でトータルして比較検討する上で公正な方法ではあるが、個人にとっての多元的な価値が適切に市場価値として反映されるわけではない


3.したがって、科学的合理性のみならず、いわば「社会的合理性」を考慮したモデルが必要。リスク・ベネフィット分析の結果はあくまで判断材料のひとつ

[][][] リスク心理学の役割

1.一般市民リスクを認知する際の特性を明らかにし、系統的なゆがみについてはそれを自覚できるようアドバイスする


2.環境問題健康問題を構成する多元的な価値や評価基準を引き出し、環境リスク政策に対しても通常のリスクアセスメントでは見過ごされかねない重要な側面に注意を喚起する


3.専門家が受け手の情報ニーズに従い、公正にリスク情報を伝達し、以降リスク情報の双方向のやりとりを通して、共にリスクを考え、リスクに対する態度を決定していく過程の支援

 以上までの論点は、基本的に次の書の冒頭部分に拠る。


4888487510環境リスク心理学
中谷内 一也

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CassidyCassidy 2007/07/15 13:18 http://d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e-t.msqgvg.org <a href=”http://d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e-h.msqgvg.org”>d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e</a> [url]http://d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e-b1.msqgvg.org[/url] [url=http://d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e-b2.msqgvg.org]d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e[/url] [u]http://d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e-b3.msqgvg.org[/u] 56833615449d2f4ffa6890aa846f09ff

2005-05-24 決定論とか

[][] 決定論と運命論と主観的な必然的感覚

 まず、ブルデュー社会学社会学』から、BJKさんが抜かれた部分をメモさせて頂き‥

http://d.hatena.ne.jp/BJK/20050319/1112483348

―さっきの質問に帰らせていただきますと、あなたと心理学社会心理学などとの関係はいかがでしょうか。

  社会科学は個人の問題と社会の問題でいつもつまづいてきましたからね。じっさいのところ、心理学社会心理学社会学といった社会科学の区分というものは、私に言わせると、そもそも最初に定義するあたりで間違って作られてしまったものです。個人は生物学的個体だという直接の確証があるものですから、社会とは二つが切り離しがたい形で存在するものだ、ということを見えなくしてしまいます。それは、一方では、建物とか、本や道具といったような物理的な形をまとう制度がそれで、他方では、身体に刻み込まれた持続的な存在の仕方、するやり方[存在と作為の仕方]、つまりは後天的に習得した性向(私はこれをハビトゥスhabitusと呼んでいます)がそれです。社会化された身体(個人とか人とか呼ばれる)は社会と対立するようなものじゃありません。それはいろいろな存在の仕方の一つだということです。(37)


―だから、あなたはモデルを実在に代用してしまう「客観主義的」アプローチの対決なさったわけですね。…

(中略)社会学者がなしうる最良のことは、書く文体や図表、図面、地図モデルなどの使わざるをえない客観化の技術が、どんな不可避な効果をもたらすかを客観化してみるということです。一例を挙げますと、『実践感覚』のなかで私が示そうとしたのは、次のことです。観察者のおかれた状況の効果とか、その対象をつかむために使う技術の効果とかに懸念をもってみることがなかったので、民族学者はそのままあっさり「未開人」を対象としてでっちあげてしまったのです。… (40)


―あなたの社会学は人間についてのある決定論的見地を伴ってはいませんか。人間の自由にまかされている部分はいったいどれくらいあるんですか。

 …それはともかく、決定論という言葉には、まったく異なった二つのものがよく混同されております。事物の内に刻み込まれた、客観的な必然性と、「生きられた」見た目での、主観的な必然性、必然性という感覚あるいは自由という感覚です。社会的世界が我々には決定されていると見えるその程度は、われわれがこの世界についてもつ認識のいかんによります。反対に、この世界が現実に決定されている程度は、意見の問題ではありません。社会学者である限り、私は「決定論を支持する」か、あるいは「自由を支持する」かする必要はないのであって、もし必然性が存在するなら、それがあるところで、まさしくそれを発見しなければならないのです。社会的世界の諸法則の認識が進歩すれば知覚された必然性の程度が高まるという事実からすると、かえって社会科学が進むほどに、「決定論だ」という非難を買うようになるのは、むしろ当たり前なのです。… *2(57)


次に、科学哲学研究者、西脇与作さんのプリントからひとつ‥(強調部は引用者)

 ラプラスの魔物は、任意の正確さで初期条件を測ることができ、未来の予測のためには瞬時に完璧な計算ができなければならない。これが決定手続きを考えたときの魔物に課せられる条件である。元来、決定論は実在の決定性を主張するものであり、私たちの認識とは何の関係もないものである。その決定論と予測可能性を同一視させる理由は古典力学の第2法則にある。第2法則と、微分方程式系の解が存在して、しかもその一意性を保証する定理とが結びつくことによって、系の初期条件が定まれば正確な予測が可能であることが数学的に保証できる。これによって現在の状態から演繹される未来過去の状態が存在するということが保証される。さらに、この決定論は上の予測が実際に構成的に計算可能であるという定理によって強化される。ただ単に予測が可能というのではなく、実際に予測を計算できる。こうして古典的な決定論は予測可能性と同一視されることになる。そして、このような決定論=予測可能性という認識的な決定論理解が、ラプラスが魔物に対して与えた役割である。


 このような魔物の主張はわたしたちの行為にも当てはまるのだろうか。自分や他人の行為の予測は大抵できないが、それは私たちの無知のためだけなのか。ここで、決定論と運命論(fatalism)の区別が重要である。物理世界が存在し、ある時点の状態がわかっていれば、ラプラスの魔物にとって古典力学が主張する決定論は運命論である。決定論は、過去が異なっていたとすれば、現在も異なっていただろうという考えを排除しない。決定論はまた、現在私がある仕方ではなく別の仕方を選ぶならば、私は未来に起こることに影響を与えることができるという考えも排除しない。しかし、運命論はこれを否定する。現在あなたが何をしようと過去未来はそれとは無関係であるというのが運命論の主張である。つまり、決定論と運命論はほとんど正反対のことを主張している。運命論は私たちの信念や欲求が無力であることを主張するが、決定論では信念や欲求は因果的に私たちの行動をコントロールできることが主張されている。

 うーん、個人的に煮詰まらないな。

HakeemHakeem 2007/07/15 13:18 http://cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6-t.msqgvg.org <a href=”http://cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6-h.msqgvg.org”>cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6</a> [url]http://cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6-b1.msqgvg.org[/url] [url=http://cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6-b2.msqgvg.org]cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6[/url] [u]http://cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6-b3.msqgvg.org[/u] 56833615449d2f4ffa6890aa846f09ff

2005-05-23 リスク認知と意志決定1

[][] Paul Slovic, 1987, Perception of Risk, Science vol.27, pp.280-285. 要旨抽出

 リスク心理学マイルストーン、記念碑的論文

リスク心理学の目的

 1.災害に対する大衆の反応を理解し予測可能にする

 2.素人と専門家と政治家の間でリスク情報共有を促進し、リスク分析、政治的判断を助ける


心理学実験パラダイムの構築

 1.方法→さまざまな災害について分類、心理物理学的測定、因子分析

 2.リスク認知を量的表象として、「認知地図」を描く

 3.a.現在のリスク度、b.要求するリスク度、c.要求する規制レベル、である災難を量的に評価する。


◆Starr(1969)の卓越性

 技術の(心理的)リスク測定の方法論確立。”How safe is safe enough?”という質問。社会は、リスクと利益の最適な均衡に到達すると結論づけた。

 1.リスクの受容=利益の三乗にに比例する

 2.自発的にリスクを受容した場合=非自発的にリスクを受容した場合の1000倍

また、「リスク」の概念が人により異なることが明らかに。

 1.専門家→リスクの大きさは、年間死亡者数と相関関係があると思考

 2.素人→リスクの大きさは、災害の特徴と相関関係があると思考


◆Paul Slovicの実験

 質問紙法と因子分析の結果、3要素が抽出された。これら要素が強ければ強いほど、人は嫌悪感を抱く。

1.恐ろしさ因子 (Dread factor)

=制御不能感、恐怖感、カタストロフィック、致命的可能性、リスク分配の不公平性

2.未知性因子 (Unknown factor)

=未知、新規、観察不能、実害の真相がわかるまで時間を要する場合(ex.BSE問題)

3.リスクにさらされる人数因子 


◆素人と専門家

  • 素人のリスク認知→ある災害が認知地図(上述した各因子を用いたプロット)のどこに配置されるかに強く影響を受ける。
  • 専門家のリスク認知は、各Factorに影響をあまり受けない→年間死亡者数と連動する

"signal potential"

 災難の心理的な重大さと影響の大きさは、部分的には、その出来事が何を予兆しているかによって決まる。つまり、些細な事故でも、それが潜在的な事故を予感させれば、人々は重大なリスクだと認識する。この際に、先述の「恐ろしさ因子」と「未知性因子」が大きく関わってくる。


◆スリーマイル原発事故という転換契機

 死亡者数はゼロだったが、社会的影響(コスト)は甚大だった。つまり、これまでの専門家的リスク分析では評価不能なものがあることを示した。リスク原発の使用利便性を凌駕し、原発の操業コストが跳ね上がり、他の科学技術推進にまで負の影響を及ぼした。この論文は、この事故をきっかけに着想された。


◆つまり

 高シグナル(先述の3因子)な事故の可能性を減らすことに、労力と金を投資するのが良い。小さな事故は、"signal potential"(予兆性)によって、莫大なコストを生じさせうる。今後、遺伝子技術は、UnknownかつDreadであるため、たとえ些細な事故であっても、莫大なコストを生じさせうるだろう。どのように人々に対して、リスクを(わかりやすく)定量化し、情報を与え、教化させられるのだろうか。

 最近ハマっている科学社会学的なコンテクストからリスク心理学を眺めると、非常に面白い。Dread factorに大きな影響を与える「リスク分配の不公平性」という要素に関しては、社会学者Beckが提起した「リスクの分配」の問題群を想起した。


4766409132心理学が描くリスクの世界―行動的意思決定入門
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BJKBJK 2005/05/24 02:16 勉強になります。いろいろ思うところもあるけど、ちゃんと勉強してからにします(パーソナリティーのことも)。はやく帰りたいなあ〜

GenGen 2005/05/29 03:15 はやく帰ってきてください。そして思うところを存分に聴かせてください!

GiovannyGiovanny 2007/07/15 13:18 http://f9528453c925dbd3b935895ebca6ab67-t.msqgvg.org <a href=”http://f9528453c925dbd3b935895ebca6ab67-h.msqgvg.org”>f9528453c925dbd3b935895ebca6ab67</a> [url]http://f9528453c925dbd3b935895ebca6ab67-b1.msqgvg.org[/url] [url=http://f9528453c925dbd3b935895ebca6ab67-b2.msqgvg.org]f9528453c925dbd3b935895ebca6ab67[/url] [u]http://f9528453c925dbd3b935895ebca6ab67-b3.msqgvg.org[/u] 56833615449d2f4ffa6890aa846f09ff

2005-05-22 性格の一貫性論争1

[][] 渡邊芳之・佐藤達哉 1993 パーソナリティの一貫性をめぐる”視点”と”時間”の問題  心理学評論、36、226-243 要旨抽出

 パーソナリティは、心理学的には「人の行動を時を超えて一貫させ、比較可能な事態で他の人と異なる行動をとらせる多かれ少なかれ安定した内的要因(Allport,1961)」と定義されてきたが、こうした定義には、1.パーソナリティは行動の原因である、2.パーソナリティは経時的に安定している、3.パーソナリティは通状況的に安定している、4.パーソナリティは内的な要因である、という4つの前提が与えられている。これらの前提のいくつかにMischel(1968)は反論し、その結果「パーソナリティ存在しない」「個性は重要でない」という主張ととられたのだが、本当にそうであろうか。


 Skinnerに代表される行動分析学の立場からでも、「同一時点で、全く同一の環境与件の下で生じる行動の個体差」と定義しなおせば、個性は先天的な個体内条件の差か、より多くの場合3項随伴性における弁別刺激の意味の差としてその図式の中に組み込むことが出来る。すなわち、過去の経験の差が行動に個性を生み出すのであり、徹底的行動主義の図式の上でも個性の存在は否定されない。Mischelは個性の存在を否定していない。


 しかし、個性が通状況的一貫性を持つことは自明なのだろうか。Mischelはこの点を指摘した。行動に見られる個性の通状況的一貫性が実証データからはほとんど証明されないという「一貫性のパラドクス」はなぜ生じるのか。大きな理由は、経時的安定性と通状況的一貫性の混同である。個性には明らかに経時的な安定性がある。だがそれは、その人がおかれた状況の経時的安定性に基づいていることが多い。学習によって形成された行動特性には本来通状況的一貫性は仮定されないし、状況が変化しても行動が安定している場合それは消去抵抗によるのであって、その抵抗の強さ自体も環境与件によって規定されている(Keehn,1980)。パーソナリティ心理学者がこのことを受け入れないのは、「パーソナリティを見る視点」と「パーソナリティを見る時間」という2問題における混乱が存在しているからだ。


 「パーソナリティを見る視点」の混乱について。

 第1に、一人称的視点からパーソナリティを見る場合、対象となるのは「私の個性」であり、通状況的一貫性の問題はいわゆる「自己同一性(identity)」の問題となる。これは客観的に検証不能な形而上学的問題であり、客観的・実証的分析以前の超越的事実である。

 第2に、二人称的視点で対象となるのは「あなたの個性」であり、二人称的他者のパーソナリティに関する認識は、相手の運動的・言語的行動の経時的観察から、帰納論理によって導かれた規則性の認識に基づいている。したがって、二人称的パーソナリティは観察言語に完全に還元できる傾性概念であり、環境与件などの先行条件が変化したときの一貫性は論理的には保証されない。また、観察者の存在は被観察者の行動に大きく影響を与える可能性があるので、二人称的な視点からパーソナリティを見る際には、観察者と被観察者の社会的相互作用が通状況的一貫性の認識を擬似的に生み出していると考えることができよう。

 第3に、三人称的視点から不特定多数パーソナリティを見る場合も、被観察者の行動を経時的に観察することから、帰納的にパーソナリティ概念を構成するので、これは傾性概念であり、通状況的一貫性は原理的に保証されない。そして、二人称的視点では存在した観察者と被観察者の相互作用も存在しないため、擬似的な通状況的一貫性の存在は確認されない。このように、これら3つの視点を混同してはならない。通状況的一貫性は視点によっては存在するし、また存在しないのである。


 「パーソナリティを見る時間」の混乱について。一人称的にパーソナリティを見る場合、その対象は自分自身であり、記憶がある限り生まれて以来のあらゆる情報が利用可能である。しかし、二人称的・三人称的には、ある特定の時間における観察を基準にしなければならない。したがって、三人称的視点からパーソナリティを考える場合、観察時点より前、あるいは観察時点の間の対象の行動や経験をどこに位置づけるかによって、パーソナリティの通状況的一貫性に対する見方は大きく変わってくる。個人差が内的要因によって生じているのか、過去の状況的要因によって生じているのか、観察できないその場の状況要因によって生じているのか、これを観察データ自体から判断することは原理的に不可能である。理論の一人称的構成と三人称的な測定も乖離している。一方、現存しない状況要因を内的要因としないアプローチに、個人差を過去学習の差から説明する行動分析理論がある。


 つまり、人間は一人称的には自己同一性という形でパーソナリティの通状況的一貫性を認識し、二人称的・三人称的には状況の変化に応じて行動を変化させることによって適応していく、二面性を持つ存在である。この点で人間は機械と異なるのだが、問題は、与えられるデータを解釈するときにそのデータに適した手法を用いることである。パーソナリティ研究における視点と時間の混乱は、研究者理論的基盤と研究方法とが乖離してしまった不幸な例なのである。

 この論文は心理学のみならず行動科学全般にimplicationがあると思うのだが、どうだろう。

[] 若林明雄(1993) パーソナリティ研究における”人間―状況論争”の動向 心理学研究、64、296-312 要旨抽出

 パーソナリティ研究における“人間ー状況論争(person-situation controversy1)”は、1970年代から80年代にかけて、アメリカを中心に展開された。この論争は、行動の決定因として内的要因と外的要因のいずれを重視するかという、パーソナリティ研究だけにとどまらない心理学根本的な問題についての論争である。その過程では、相互作用論(interactionism)のような理論的立場が再検討されるなど、成果ともいうべきものが見られる一方、一部では不毛な論争も見受けられた。


 論争の端緒となったのはMischel(1968)である。彼は「特性によって人間の行動に時間と状況を超えた一貫性がある」とする立場を批判した。彼の立場を引き継いだ特性論的アプローチに対する批判は、状況主義(situationism)と名付けられた。Krahe(1992)によれば、状況主義とは主に以下のような考え方である。(a)行動は状況特殊的であり、状況を通じての一貫性はない、(b)状況における個人差は、原則的に内的属性よりも測定誤差に帰される、(c)観察された反応パターンは、状況に存在する刺激に因果的に結びつけられる、(d)そのような刺激-反応連鎖を発見する最適な方法は実験である。


 特性派と状況主義の論争を通じて、以下のことが示唆された。1.人間の行動には一貫性と状況による多様性の両方が存在する。2.行動の一貫性には個人差が存在する。3.ある状況は、他の状況よりも、パーソナリティの個人差の役割の大きさに影響を与える。パーソナリティの個人差は、高度に構造化された実験研究では目立たないことが多く、個人が状況を選択し構成できる状況では現れやすい。4.行動の一貫性と可変性を示すデータの量は、どの立場で研究するか、どのようなパーソナリティ変数を考慮するか、そして速度に何を用いるかに依存する。また、単一の行動よりも一連の行動に個人差が明瞭に現れる。5.人間は、他者の行動と同様に、自分の行動を観察し、それを説明するための理論を構成する。因果帰属は、ある面では現実を反映しているが、パーソナリティ変数と状況変数に与える影響は単純ではない。


 とにかく、重要なのは、人間と状況の相互作用の恒常的なパターンを解明することである。そして、そこでは力動的アプローチが必要となるのである。

2005-04-24 えっと

[][] 謝辞

 本日某所で相手してくださった方々、本当にどうもありがとうございました。論戦を深められるくらいまで研究に励みます。モチベーション上がりました。今後とも何卒よろしくお願い致します。あと、某スレッドより『「自然主義派」人類学者による文化と認知』(波多野誼余夫)

http://www.gakushuin.ac.jp/univ/let/rihum/pdf/hatano.pdf  

よりによって、前認知科学会長がこのネタに手を出してたとは‥ 軽く目眩。

SKDSKD 2005/05/03 17:19 Scott Atranの論文、大変興味深いですね。Falk Biologyの研究は知っていましたが、こんなことをしているとは。参考になりました。ありがとうございます。

SKDSKD 2005/05/03 17:39 字、間違えた。Folkだね。

QuincyQuincy 2007/07/15 13:17 http://43643e880e579bd6b14738051d444830-t.msqgvg.org <a href=”http://43643e880e579bd6b14738051d444830-h.msqgvg.org”>43643e880e579bd6b14738051d444830</a> [url]http://43643e880e579bd6b14738051d444830-b1.msqgvg.org[/url] [url=http://43643e880e579bd6b14738051d444830-b2.msqgvg.org]43643e880e579bd6b14738051d444830[/url] [u]http://43643e880e579bd6b14738051d444830-b3.msqgvg.org[/u] 56833615449d2f4ffa6890aa846f09ff

2005-04-21 スペルベル2

[] 勝手に淡々とレジュメ化するよその2

Culture, Cognition, and Evolution(Dan Sperber and Lawrence Hirschfeld)

http://www.dan.sperber.com/mitecs.htm

スペルベル男爵http://d.hatena.ne.jp/Gen/20050420の続き。さしあたって「文化」を定義して欲しいYo!>男爵


¶20

ここから、【2.進化的あるいは認知的パースペクティブの中の、文化】の話。

社会動物はたくさんいるが、そのうちいくつかの種は、世代を超えて伝達される情報を、行動を通じて共有/維持する。

◆たとえrudimentary(初歩的)でも、それらの動物は「文化」をもつと言えるだろう。

考古学(archaeology)的には、人間の単純な文化はおよそ200万年前から、複雑な文化はおよそ4万年前から存在したと考えられる。

◆「複雑な文化」とは、"cultural symbolism"(儀礼アートなど)を含むもの。


¶21

◆「文化」の研究は、認知科学と関連性を持つ。

◆なぜなら、

a.文化の存在は、人間の認知能力の効果であり、それが顕在化したものであるから(effects and manifestation)。

b.今日の人間社会は、人間の生活――とくに認知的活動――のあらゆる側面を、文化的にフレーム化するから。

◆人間の認知は、社会的・文化的コンテクストの中で生じる。すなわち、文化から与えられたツールを用いる。「文化から与えられたツール」とは、たとえば言語概念・信念・本・顕微鏡コンピュータといったもの。

◆さらに、認知活動の大部分は、社会的・文化的事象に関するもの。


¶22

◆したがって、文化に対する認知的パースペクティブと、認知に対する文化的パースペクティブは、両方必要でありcomplementary。


¶23

◆文化的多様性の問題について。

20世紀初頭まで、文化的多様性は生物学的多様性に結びつけられていた。(進歩"progress"観念との結びつき)

◆Adolf Bastian & Edward Tylor→人間の"psychic unity"を主張。(Gen註:cf.「文化または文明とは、知識、信仰芸術、道徳、法律、慣習その他、社会の成員としての人間によって獲得されたあらゆる能力や習性の複合的総体である」)

◆Franz Boaz→人間の文化的多様性は"learned"だと主張。

◆今日、文化的多様性イコール生物学的多様性とは考えられていない。

◆文化的多様性は、共通の生物学的能力――特に認知的能力――の効果("effect")であり、異なる歴史的/生態学的条件を与えられれば、この多様性が可能になると考えられる。

¶25

◆では、認知能力と文化は具体的にどのように関わるのか。

◆文化的適応は認知的適応に勝る(trump)が、これは、文化的スキルと人工物が、人間の認知構造からは予想できない結果の達成を可能にするという意味において、である。


¶26

◆多くの社会科学者は、この点から、心理学社会科学や文化研究に無関係だと考えてきた。

◆しかし、比較的同質的な genaral-purpose intelligence を想定し、なおかつ、それに文化的多様性形成における役割を与えることは、可能なのである。

マリノフスキー:宗教や信念そして文化を、心理的欲求の観点から説明しようとした。

レヴィ=ストロース:人間の無意識的構造から文化を説明しようとした。( hierarchical classification や 二項対立への preferences が、親族関係や神話といった複雑な社会文化システム形成において重要な役割を果たすことを明らかにしようとした)


¶27

◆認知人類学 (reviewed in D'Andrada, 1995)

◆認知人類学では、人間の心が、"same categorization and inference procedure"を、すべての認知領域に適用すると仮定される。

◆早期の研究は、分類体系へ注目し、認知科学よりもsemanticsやsemioticsから概念的道具を引っ張り出した。

◆最近、Shank and Abelsonが"scripts"というアイデアを出した。

→より大きな知識の構造――"cultural schema"や"cultural models"――が行動や信念をguideするという考え方。

◆これらの研究メタファー研究に受け継がれた。(Lakoff & Johnson,1980; Lakoff,1987)


¶28

◆Quinn(1987)は、結婚に対する一連の結合したメタファーが、他の日常的領域へのmodelsに由来する諸前提を、内に含むと考えた。(ex.folk psychology)

◆Schema的分析は、心的表象と文化的表象を橋渡しすることを意図している。


¶29

社会科学者の文化重視の姿勢と、近年研究が進んでいる、心の(生物学的)複雑さについての知見は、調停可能である。

◆たとえば、"genaral intelligence"への批判――心のモジュール仮説、"domain specificity")について。


¶31

◆二つに分けて考えられる。

A.最も重要な領域特定的(domain-specific)な能力

→これは進化的適応であり、どの文化でも働いている(それぞれ「効果」は異なるが)

B.社会的文化的に発達した領域特定的(domain-specific)な能力

→たとえば専門性(expertise)など。これはそれぞれの文化に特有。

◆AとBの関係は、きわめて興味深い研究対象である。たとえば、どれくらいBはAに根ざしているのか。

cf. Folder,1982


¶33

◆近年の研究

→入出力過程だけではなく、中央の概念メカニズムもどうやら領域特定的である。

たとえば、人間の行動を「信念」「欲求」の観点から解釈しようとする"theory of mind"。その他、"folk biology"や"naive physics"。

◆これらは、子どもが複雑な事象について(一貫性を保ちながら)考える際に、基礎を与える。

2005-04-20 Culture, Cognition, and Evolution(Dan Sperber and Lawrence Hirsc

[] 勝手に淡々とレジュメ化するよその1

Culture, Cognition, and Evolution(Dan Sperber and Lawrence Hirschfeld)

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スペルベルさん。


¶1

認知科学の多く→individual device(心、脳、コンピュータ)が多種の情報を処理する方法にフォーカス。

◆でも個人は種の一員であるし、種の他のメンバーと遺伝型/表現型の多くの特徴を共有する。

◆有機体→種として共通の認知能力をまず持つ。個人変数は比較的superficial。認知活動の大部分は他のメンバー(有機体)に向けられる。

社会性と文化は、認知能力により可能となり、認知能力のontogenetic&phylogenetic(個体発生的・系統発生的)発達に貢献し、認知能力に具体的な入力を与える。


¶2

◆だが、集団レベルの議論と認知科学はシステマチックに統合されていない。ひとつはそれぞれの学問固有のdisciplineの問題設定方法が異なるから。もうひとつは、「文化」という概念が(それぞれのdisciplineごとに)バラバラだから。


¶4

◆3つに分けて考察する。

1.比較あるいは進化的パースペクティブの中の、認知

2.進化的あるいは認知的パースペクティブの中の、文化

3.生態学的・社会的・文化的パースペクティブの中の、認知


¶5

まず、【1.比較あるいは進化的パースペクティブの中の、認知】について。

ダーウィン→人間/動物の二分法をquestionした。

◆しかし最近まで、動物観察は心理学にあまりインパクトを持たなかった。


¶6

◆行動主義者→条件付け、すなわち、いくつかの学習法則がすべての動物に共通することを明らかにしようとした。

動物研究とは、"discover universal psychological laws"であった。

◆比較心理学生態学妥当性の欠如と、種間の質的差異の軽視から、批判される。


¶7

◆行動主義者→外的刺激を重視、instinctsを軽視

◆しかし、1940年頃、ローレンツの登場以後、ethology(動物行動学)が誕生した。

動物行動学→instinctsと、それぞれの種特有の"fixed action patterns"を重視した。

◆さらに大事なのは、動物行動学が、本能と学習は対立しないことを示したこと。

◆様々な学習過程は、特定の能力を発達させるため特定の情報を探求するinstinctsに、ガイドされるものなのだ。つまり、生得的能力が学習を誘導する。(ex.すりこみ)


¶8

動物行動学→どの種もそれぞれにpsychologically uniqueなことを示す。

◆cognitive ethologyなんてのも生まれたが、観察が主、実験は補助的な扱いだったため、実験心理学者との間に論争が生じた。


¶9

霊長類の認知(primate cognition)研究は大事。なぜなら、進化的コンテクストの中に人間の認知を位置づけることが出来るから。

◆しかし、人間と霊長類の認知を過度に連続的なものとして扱うことは、非生産的


¶10

◆様々な種は、異なった程度/方法で、それぞれの心理的能力に依存している。

◆シグナルの出し方/受け取り方/解釈の仕方は、それぞれの種特有の能力に依存する。

◆人間の場合だけ、"genaral intelligence"が仮定される。が、これはチョムスキー生成文法論を端緒として疑問に付される。


¶11

◆animal psychologyの重要な側面は、社会的行動に顕在化される。たとえば、グループの他メンバーの認識の仕方、相互作用の仕方、など。

◆関係性を規定するものは、1.過去に他個体と相互作用した際の記憶、2.kinship relations、3.集団内のヒエラルキー関係。

霊長類の場合、自然環境よりも社会的環境に適応するため、洗練された認知過程が発生したと想定される。(ex.知能のマキャベリ仮説)


¶12

◆多くの社会的能力は明白な機能をもつ。

◆一方、社会的生活(the very existence of social life)の説明は、ダーウィン的アプローチにとって困難だった。


¶14

社会的生活=協力+競争。(Gen註:協力でも競争でもない中立的無関心を排除するのはどうか、と)

◆この協力=利他的振る舞いを、どのように理論的処理するかが進化論の課題だった。(タダ乗りする奴が有利なので)

◆1.ハミルトン(1964)におけるkin selection(血縁淘汰)の研究、2.トリヴァース(1971)における互恵的利他主義(Reciprocal altruism)の研究で、ひとまず理論的解消。

◆「裏切り者検知メカニズム」の存在が示唆される。


¶15

◆上記の研究社会生物学の一つの成果だ。だが、E.O.Wilsonが社会生物学的アプローチを人間行動研究へ拡大した際には、論争が生じた。

社会生物学は、認知科学に対してもあまりインパクトを持たなかった。理由はふたつ。

1.社会生物学は、行動と生物学的適応度(biological fitness)をダイレクトに結びつけてしまうから

2.社会生物学は、行動を規定する心理メカニズムにあまり関心がなかったから


¶16

進化心理学の登場。進化心理学は、(社会生物学が扱いきれなかった)遺伝子と行動の間の"missed link"を埋めるもの(cosmides & Tooby,1987)。この"missed link"とは、すなわちmindのこと。


¶18

進化心理学者→社会生物学者とは異なり、祖先の環境で適応的であった行動が、必ずしも後の文化的環境(ex.現代)においても適応的であるとは考えない。

◆具体例としては、突然の大きな音に注意を払う能力。祖先の環境では適応的だった。だが、現代では騒音問題を引き起こしている。一方、ベルやゴングやアラームパーカッション(のような文化的装置)は、その能力を利用して存在することができる。

◆すなわち、このような進化的適応の非適応的効果は、文化の重大な側面をなすといえるかもしれない。


ひとまずここまで。

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LaurenceLaurence 2007/07/15 13:17 http://5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0-t.msqgvg.org <a href=”http://5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0-h.msqgvg.org”>5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0</a> [url]http://5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0-b1.msqgvg.org[/url] [url=http://5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0-b2.msqgvg.org]5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0[/url] [u]http://5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0-b3.msqgvg.org[/u] 56833615449d2f4ffa6890aa846f09ff

2005-04-16 認知進化文化、自分用メモ1

[] 自分用メモ1

http://d.hatena.ne.jp/BJK/comment?date=20050414#c

勝手引用してすみません。。)

 認知科学、進化論、文化人類学の接合に関して、

# BJK 『一方がもう一方からインスピレーションを得る、というレベルでは話がうまく行く気がします。実際進化生物学系読んでないのでアレですが、

そして繰り返しになりますが、人類学には、人類学自身の歴史に基づく、

・反決定論→構築主義、文脈依存的な説明を好む

・反原子論(「文化」等を要素に還元することを嫌がる)

・目的論(生存のための行動、とか)から距離を置く

と言う姿勢があり、それがちょっと隔たりを埋めるのを躊躇させるのだと考えます。「淘汰」概念も、やっぱり人類学がピントを合わせる時間とスケールの違う時間での話な気もするし、あと、「物事は理屈どおりに進まないのだ」と考えて、モデルから事例を探すよりも、ある程度後からモデルを作る方が好きだ、とか。(以後略)

# Gen 『(中略)思うに、文化人類学には二つの側面が混在している、ゆえに(必要以上の)混乱が生じているのではないでしょうか。

1.自らが拠って立つもの(「文化」)を相対化する契機としての文化人類学

強引に要約すれば、浜本さんは「普遍主義vs相対主義は見かけの対立軸だ。本当の対立軸は己の拠って立つポジションの絶対化vs相対化だ」とおっしゃってましたが(http://anthropology.soc.hit-u.ac.jp/~hamamoto/research/published/relativism.html)、「反決定論」「反原子論」「反目的論」といった際に、なぜそれが文化人類学のコアに関わるのかといえば、やはり相対化のモメントとしての使命を文化人類学は持つからではないでしょうか。』


2.「文化」という分析概念を軸にして社会理論を構築するための文化人類学

「認知」「進化」と親和性が高いのはこちらでしょう。(中略)スペルベルは「表象」がいかに心的機構と物質(発話されたもの・制度・人工物)の間を流通・分布するのかを解明する「表象の疫学」が必要だと述べていますが、最近の彼は、2.を重視していると思います。(彼は「表象の疫学」以外のアプローチを「解釈」という言葉で括ってしまうのですが)


もちろん、わたしは文化人類学古典に親しんでいないので、見当違いのことを言っているのかもしれません。また、1と2は対立するものではなく、理論があってはじめて相対化も可能となるのでしょう。ただし、社会理論構築の際にひとつの方法として、進化心理学的知見などを取り入れ、厳密な「文化」モデルを構築する道があっても良いと思います。その際に、「淘汰」という概念、ないし進化アルゴリズム的考察は、ひとつの役立つ武器ではないでしょうか(「ミーム論」は失敗していますが)。

厳密な、再現可能性の高いモデルを構築するには、ある種の「還元論」「決定論」がどうしても必要になると考えます。しかし、こればかりを追求していると、心理学ないし社会工学と自らを差異化できなくなるので、文化人類学が直球として採用すべき道だとは思いませんが。

[] モデル構築とはなんぞや

 社会学文化人類学を学んでいて真っ先に感じるのが、「現状の固定化された状況から排除されているものを掬い上げるために、いかにズラすか、いかに現状の構築性を暴くか」が、通底奏音のように重視されていること。「脱構築」にしろ「知の考古学」にしろ「相対主義」にしろ。

 ふたたび、id:BJKさんの所から引用させていただくと、

 …と書いていたら知人からメールが。方向性が近いので、ここに載っけたいけど「絶対ダメ」と言われるだろうから載せませんが、僕も人類学が「対象ありき」で(少なくとも今までのところ)やってきたこと(どれほど精巧にモデルを作り上げたところでそれを反映する/それを使ってうまく説明できるような「対象」がないと面白くない)、そして「その他の変数は一定と仮定して」みたいなことに対する抵抗こそが人類学の重要な特徴の一つであること、という指摘に同意します。

 『「その他の変数は一定と仮定して」みたいなことに対する抵抗こそが人類学の重要な特徴の一つであること』という時、上述した社会科学的な伝統を見事に踏襲していると感じる。そして、社会工学とは異なる文化人類学社会科学)固有の強みがあるとすれば、そこなのだとも思う。


 それに対して認知科学や進化論は、必ず「その他の変数は一定と仮定」する。何かを固定しなければ、科学的検証(実験や統計)に耐えうるモデルは構築できない。ベクトルは、「現状をいかに少ない言葉でシンプルに説明できるか」に向いている。「現状をズラす(=自らを問い直す)」ことはさしあたって志向されない。


 社会科学に認知系の理論を輸入する際、このベクトルの違いをきちんと意識する必要があるのではないか。ここがぐちゃぐちゃになっている議論、混ざっているせいで社会理論構築が甘くなっている議論が多いと思う、のは学部生の勇み足だろうか。


 ただしひとつ付け加えたいのは、認知科学が必ずしも現状肯定ではないこと。たとえ生態学的妥当性が低くとも、たとえ「状況に埋め込まれて」いなくとも、ある実験データが、数量的なものであるだけに、強烈なインパクトを持つことがある。たとえば、「日本人は集団主義的/アメリカ人は個人主義的」という通説を見事に覆した一連の心理学実験(http://genxx.com/blog/archives/000135.html)。あるいは、意識と行動の結びつきに強烈な疑義を投げかけた下條さん(サブリミナルマインド)。無意識の問題系に関して、精神分析学的考察よりも実験心理学的データに魅力を感じてしまうのは、わたしが心理学科に在籍しているからだろうか。


 もう一点。前引用部の『人類学が「対象ありき」で(少なくとも今までのところ)やってきたこと(どれほど精巧にモデルを作り上げたところでそれを反映する/それを使ってうまく説明できるような「対象」がないと面白くない)』というところ。


 進化/認知理論を嬉々として語るわたしに、「でも、実際にフィールド出てみなよ。フィールド出たらそんな理論は成り立たないから。厳密なモデルを組み立てたいなら、フィールド(対象)志向をある程度あきらめる必要がある」とおっしゃった方がいたが、まさにその通りなのだろう。冒頭引用部の『「物事は理屈どおりに進まないのだ」と考えて、モデルから事例を探すよりも、ある程度後からモデルを作る方が好きだ、とか』の部分と対応するのだが、心理学がある程度厳密なモデルを構築できるのは、研究者の側から環境をセッティングするからであって、フィールドワークを命綱とする文化人類学が、進化論/認知科学の輸入に際して限界を持つだろうことは、想像にたやすい。


 スペルベルの言う「表象の疫学」を具体的に演じた民族誌(フィールドノーツ)を探しているのだけれども、なかなか見つからない(ご存じの方がいらっしゃれば教えてやってください‥)。もちろん、いくつかの点で、具体的なフィールドワークに活かせる進化論/認知科学の輸入の仕方があるのだと思う。それがBJKさんのおっしゃる「一方がもう一方からインスピレーションを得る、というレベルでは話がうまく行く気がします」ということなのだと今思い当たる。そしてそれを探るのが、2本目の卒論テーマです。フィールドに出たことがないので、絵に描いた餅をつかむ作業に違いないのですが。結論としては、またしてもメタ論を語ってしまった自分に、反省。

BJKBJK 2005/04/16 16:59 どうもです。「自分用」って書いてあるところに口をはさんでしまってすみません。結論はなかなかすぐには出ないですけど、とても重要な問題だと思っていますし、こういう感じで思考と対話が進んでいくと面白いなと思います。
ふたつだけ。まず、僕の書いたことが、できれば保守的人類学者(見習)からの新しいものに対する反発、および狂信的フィールド中心主義者からの理論派への反発、みたいに読まれて欲しくはない(Genさんは読んでいないと思うので余計な心配かもしれませんが)ということ。外部のものを取り入れることに対してはオープンでありたい、でも同時にきちんとしたものでありたい、という思いで書いています。
もうひとつは、「フィールド」というのをそう肩肘張って考えなくてもいいかも、ということです。Genさんはひととひととの自分を賭けたやりとりとしてよく恋愛の例を出しているように読んでいますが、例えばそういう場を分析する際にどういう話になるのか、とかでいいのでは。つまり、何らかの具体的な場を想定しながら考えてみませんか、ということです。僕も考えてみますけど。
だらだらと長文、失礼しました。

GenGen 2005/04/16 19:58 コメントありがとうございます。14日付のコメント欄にまた書かせていただきましたが、保守的人類学者からの反発だとは夢だに思っていません。「ただ、研究技法・作法や概念の作り方などに隔たりがある以上、すぐに接木しようとしても、どっちつかずのうさんくさい代物を生むだけだろうと思う。つなぐならつなぐで、歩み寄っていくための研究が5年も10年も必要なはずだ。それよりむしろ、他所からの借り物でなくアンソロポロジー固有の論理の地平や概念こそが、きちんと組み立てられていくべきなのではないか。」というご指摘に激しく同意します。ミーム論の本の中で(『ダーウィン文化論』)、モーリス・ブロックが、「アンソロポロジー固有の論理の地平や概念」を大切にしながらも柔軟な対話的態度をとっていることに、いたく感銘を受けたことがあります。フィールドの話も、ひとつのヒントをくださってありがとうございます。

FranciscoFrancisco 2007/07/15 13:17 http://74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a-t.msqgvg.org <a href=”http://74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a-h.msqgvg.org”>74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a</a> [url]http://74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a-b1.msqgvg.org[/url] [url=http://74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a-b2.msqgvg.org]74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a[/url] [u]http://74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a-b3.msqgvg.org[/u] 56833615449d2f4ffa6890aa846f09ff

2005-02-13 進化論の歴史の整理

[][][] ダーウィン以前

 どうも○○学ってのがごっちゃになってしまうので、佐倉統さん流のまとめかたを叩き台にしてみるテスツ。


 進化論の歴史的な変遷は、他のすべての科学と同様、キリスト教と密接な関係にあった。

 18世紀の時代思想がまずあった。18世紀の西洋生物学とは、自然=神の摂理の探求を行う学問であった。このパラダイムの柱となったのはふたつ、不変論とデザイン論。

 不変論は、すべての生物種は神がその完全性を示すために想像したものであり、その性質は不変であるとする。デザイン論は、自然が巧みに設計され整然と秩序づけられていることを明らかにすることによって、神のすばらしさが証明できるというもの。

 種の不変論とデザイン論を否定する立場があらわれるのは19世紀になってから。フランスでは大革命の影響で、啓蒙思想の流れをくむ唯物論的機械論が18世紀から盛んだった。その影響を圧倒的に受けたのがラマルク。唯物論的かつロマン主義的な進化論を提唱。

 ラマルクの説は

 使用頻度の高い器官は発達し、不必要で使用頻度の低い器官は退化して、そのような変化が子孫に遺伝すると考えた(用不用説)

これは「獲得形質の遺伝」的考えであり、完全にアウト。

 さて、ダーウィンに影響を与えたのは‥1.チャールズ・ライエルの地質学。浸食現象を考察したライエルから引き出されたのは

 現在も観察できる微細な変化が過去の大きな変化の原因であるという視点。

 もうひとつが2.トーマスマルサスの経済理論(『人口論』)。

 「人口は等比級数的に増えるが食糧資源は等差級数的にしか増えないために、資源を巡って生存競争が常に生じる」(人口論、1798年)

[][][] ダーウィン

 1858年、リンネ学会で、同時期に同様の理論に思い至ったウォレスと共に発表。1859年、『種の起源』を出版。ちなみにダーウィン理論の大枠は1838年には決まっていたらしいが。

[][][] ダーウィン以後

 ダーウィン死後は凋落の一途をたどった進化論。自然選択理論が支持されていたというよりも、

 現象としての進化とその唯物論的・進歩的な解釈という「周辺部分」のみが、ドーナツのように残されることになった。かくして、19世紀末から20世紀にかけて、社会進化論や優生学が隆盛することになる。

 その後は‥

メンデルの遺伝理論の再発見(1900年)

 ダーウィンの自然選択理論は連続的(アナログ的)に変化するということを重視。一方メンデルの遺伝理論は突然変異によって生物の形質が離散的(デジタル的)に変化することを強調。したがって「ダーウィン理論は過去の遺物だ」と見なされるようになる。しかし遺伝理論の発見は後に進化論を支える土台となる。


★フィッシャーらによる集団遺伝学の確立(1920年代後半)

 一個体で見れば、ある形質(A)から別の形質(B)に離散的に変化するとしても、遺伝子プールという集団全体でみた場合には、Aの頻度とBの頻度が少しずつ[連続的に]変化していくというのが進化のプロセスである。

 つまり集団遺伝学はダーウィン理論メンデル理論を融合させた。メンデル的突然変異も、集団レベルの進化ではダーウィン的な振る舞いを示すのだ。


★ローレンツとティーンバーゲンによる動物行動学(ethology)の確立(のちにノーベル賞受賞)

 「形態から行動へ」――動物行動学が確立するまで、進化研究の対象になっていたのは、おもに生物の形だった。ダーウィン自身は動物の行動や生態、さらには心理的過程まで視野に入れていたが、忘却されていた。ふたたび行動を射程に入れたのがローレンツの功績。行動の進化系統の復元。彼は「動き」も「形」として捉えていたのだ。


社会生物学(sociobiology)の確立(1970年代

 社会生物学とは、動物行動学を集団生物学化したもの。つまり、動物の行動の進化から、社会行動の進化へと視点が移動した。それにともない、集団生物学ゲーム理論といった、集団を扱う他分野との接近も進んだ。E.O.ウィルソンの著書から採られた名前。


遺伝子を進化の主役に据える視点の確立

 それまでは「種の保存」のために生物は振る舞うというトンデモが信じられていた。遺伝子を中心にして進化を考えるという視点の転換が行われて、科学的な精緻さが上がった。1964年にウィリアム・ハミルトン利他行動の進化を説明する理論を提出し、1976年ドーキンスが「利己的な遺伝子」という強烈なキャッチコピーで普及させた。


分子生物学の確立(1950年代

 遺伝子の構造がつきとめられた。クリックワトソンによる二重らせん構造の発見。DNAの立体構造の発見。遺伝子(遺伝情報)がどのようにして生物の固体を作り上げているのか、そのプロセスの解明への道が開かれた。これによって、研究対象が生物個体だけではなく分子へもシフトしていった。生物の系統分類を、タンパク質DNAの構造をもとにすすめていく分子系統学の発展。


情報科学との相互交流(1970年代以降)

 生物の進化が情報の言葉で語られるようになる。1973年、ジョン・メイナード・スミスゲーム理論動物の行動に適用。分子レベルのデータ解析はコンピューターの発展により可能となった(情報科学→生命科学)。一方、サイバネティクスや遺伝アルゴリズムによるプログラム開発など、生命科学の業績が情報科学にも環流される(生命科学情報科学)。つまり、相互乗り入れ。


アルゴリズムとして進化論を捉える(ダニエルデネット

 アルゴリズムは、素材が何であるかということに依存しない。つまりダーウィンの自然選択の理論は、"if A, then B"形式で書かれているアルゴリズムなのであり、あらゆるものに適応させられる可能性を持っている。生命情報論。ミームという名のもとに文化的プロセスも解明できる可能性。


 まぁ、「進化理論トートロジーである」とか得意げに吹聴してる香具師は、進化論のかわりとなる説得力あるモデルを提示してみろってこった。良いモデルとは、「1.その理論を通すと新しい何かが拓ける、2.よりシンプルに多くの事象を説明できる」もの。進化論そのものへの批判はあまりに説得力に欠けるものが多い。どのように進化論を受容すれば良いのか、どのように進化論を取り込みながら新たな社会的規範ないし倫理を築いてゆくのか。それこそ考えるべき問題なんじゃないかな。

 あとは「利己的な遺伝子」ってのも遺伝子が生き延びてくわけじゃなくて、純粋に受け継がれるのはあくまで情報なんだよな。忘れがちだけれども。

参考:

進化論という考えかた
佐倉

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進化論の挑戦
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