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2004-08-07 人文科学、モデル、心脳問題

[] 自然科学と人文系学問

http://jbbs.livedoor.com/bbs/read.cgi/study/3974/1074956085/198(仮に研究する人生

なかなかいい線を突いているのでは?

198 名前名無しさん 投稿日: 2004/03/18(木) 00:14

 理科系の人には、文科系学問はなべて言語世界人間知的活動全般を支援する言語リソース群の集積、とでもいおうか)のインフラ整備を行うもの、と理解していただいたほうがよろしいのでは。法学経済学も、もちろん人文もそうした言語世界の中で形成されている体系のひとつである、と。いや、法・経済・心理など実学系統言語世界という大地に立つ建築物だとすれば、人文系はいわばその大地を掘削したり耕したり、にあたるでしょうか。

 この手の文理論争はいたるところで見かけますが、よく理科系の方がおっしゃる「役に立つ」「役に立たない」という言葉を「人間とりま物質環境を変化させること」と言い換えれば、おおむね妥当でしょう。人文のみならず法学などでさえ、「物質環境を変化させること」はできません。そうではなく人間行為を広く支援している言語世界環境を変化させていいくわけです(この変化は理科系の成果に比してはるかにわかりにくく、時には世代単位でないとその影響があらわにならないものですが)。

 ですから学問領域適用しうる普遍的目的をあえて定義するならばこの点(人間生活環境改変)でしょう。ただ、お互い、物質世界言語世界という異なるルートを経由してその目的に対して貢献している。こんなふうに理解してはいただけないでしょうか。

 では、なぜ「人間生活環境改変」が必要となるのでしょう?なぜ「言語世界の大地を掘削したり耕したり」する必要があるのか?誰のため?誰が資金を出す?社会的公正の増大のため?個人的には、小説哲学の違いを自分なりに納得のいく形で理解できないでいます。みなさんはどうお考えでしょうか。

[][] 関係としての存在モデルは対象そのものではない

 先日のエントリーhttp://d.hatena.ne.jp/Gen/20040804#p3)で

問いの立て方によって、対象にアプローチする方法によって、現実はいかようにでも捉えることができる。大切なのは「どのようなとらえ方をすると、どんな意味が見えてくるか、何がわかってくるか」である

と書きましたが、(科学志向する)心理学者で、似たようなことをおっしゃっておられる方もいるんですね。http://mimizun.com:81/2chlog/psycho/academy.2ch.net/psycho/kako/1002/10023/1002366447.html/297

モデル」に対する2つの異なる見方。一方は「現実を捨象したモノがモデル」と考え、もう一方は「モデル現実に限りなく近づくべきだ」と考える。

297 名前:没個性化されたレス↓ :03/02/26 12:33

モデルについてのまとめになるかな?モデルの三要素〔進氏の著作より引用


モデルは実物の表現または記録。実物についてわかっていることを推測を含めて表現したもの

モデルは実物の代用。実物を知り、実物について推論したり予測するのに利用される。実物についてまだわかっていないことを探る手がかりとしても使える。

実物が一つでも、モデルはいろいろありうる。どんなモデルが適切かは、利用する目的による。

298 名前:没個性化されたレス↓ :03/02/26 13:03

次に「心のモデル」について同じく進氏の著作より抜粋


/瓦どうなっているかについて、わかっていることを、推測を含めて、ことばや図を使って表現したもの

⊃瓦モデルは、心について知り、推論したり予測するのに使う。心の研究の手掛かりにもなる。

心のモデルはいろいろある。どんなモデルがいいか一概には言えないが、心についての理解を深めてくれ、有用研究を生み出す手掛かりになる、そういうモデルが一般にいいモデル

特にのくだりです。モデルを作ることは、論理的可能性を追求することであり、「モデル価値」は、あくまでも「研究者が解き明かそうするモノ」に依存して決まるということです。

[][] 心脳問題について

 さて、最近話題となっている心脳問題について。脳の言語脳科学記述)によって、人間の「心」を記述しようとする試みは、上記の意味の「モデル」としては非常に面白いと思います。その可能性の追求によって「心」についてどのような新たな意味の地平が見えてくるのか、とても興味深い。

 一方、「カテゴリーミステイク」だとさんざん指摘されているように、人間意味世界を脳の言語によって記述し尽くすことは不可能です。脳内活動への人間意味を与えているのは意識生活の報告であって、その逆ではないからです。「痛い」という人間意味世界言葉による意味づけがまず先行する。その後、「痛い」という言語意味づけに相当する脳の活動を対応させている。脳内活動は意識生活の随伴現象の単なる確認であって、説明ではない。

 ただし、脳内化学物質操作すれば、「痛い」という感覚を消すことができる。「痛み」に対応する神経反応を除去すれば、「痛み」の感覚は生じない。これは人を動揺させます。薬を飲めば「心(ex.「痛い」という感覚)」そのものが消えてしまう。リアル感覚としては、「心=脳」であるかのように思われる。

 脳言語人間意味世界は「カテゴリーミステイク」ではあるけれども、どちらか一方が欠ければ「心」は存在することができない。さながら、<シニフィアンシニフィエ>が不可分に一体となって記号シーニュ)を形成し、どちらか一方を取り除くと記号そのものが消滅してしまうかのように。

 そうです、「心」とは記号シーニュ)に他ならない。シニフィアンしだいでシニフィエが異なってくる。ゆえに、「研究者が解き明かそうするモノ」に依存して「心」の内実は決まり、どのようにでも「心」はありうるのではないでしょうか。大切なのは、あるモデルからどのような意味が見えてくるかです。


 さて、ロボットがある刺激に対し人間と同様の反応を示す(人間のように振る舞う)ようになったとき私たちは「ロボットは<心>を持っている」と言うのでしょうか?

[] 「夜の」をつけて卑猥雰囲気を醸し出すスレ

 純粋に笑った。夜の国連事務総長、夜の銘菓、夜のベジタリアン

http://hobby6.2ch.net/test/read.cgi/owarai/1089529218/

cognicogni 2004/08/18 07:05 はじめまして。Genさんは僕よりも随分と考えが深いようにお見受けしますので、少し質問させて下さい。
当方の理解力の欠如が原因かと思いますが、「心脳問題について」の第二段落の記述が余り理解出来ません(特に、「痛い」という人間的…のところから)。出来れば理解したいと思っておりますので、お時間がよろしければもう少し詳しく書いて頂けると幸いです。

2004-08-04 日本の夏、読書の夏。

[][][] 日本語が使える質的データ分析ソフト発売!

 http://www.atlasti.com/atlasti5.shtml だそうです。

[][] 自分はどうしたいのか

 つくづく思うに自分は文化人類学をやりたいわけではないんですよね。あくまでそれは通過点であって、自分の納得のいく問いの立て方をしたいだけ。とりあえずは目指せ学振取得。それはともかく、ある研究対象の真実を知りたいわけではない。より事実に迫りたいわけでもない。ある問いを立てる(ある概念を通して物事を見る)ことによって、何がより豊かに見えてくるのかに関心がある。問いの立て方によって、対象にアプローチする方法によって、現実はいかようにでも捉えることができる。大切なのは「どのようなとらえ方をすると、どんな意味が見えてくるか、何がわかってくるか」であると考えます。


 「○○(対象)とはどのような存在か」という問いの立て方はできない。普遍としての存在はない。ただし、関係としての存在はある。「時間とは何か」と問うことは、「時間に対して人間はどのような関係を切り結んでいるか」と問うていることに他ならない。その「関係の切り結び方」をより知りたいというだけなんだな、と思い至りました。

[][] 夏休み読書予定

 みなさんはもう立てたでしょうか。って普通は立てないか。自分の場合、大甘だから、立てなければやってられないという罠。とにかく今年の夏は、もう花火も満喫したし、読書に捧げる。

 ここはひとつ、進化論・科学論が専門の佐倉統先生http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/sakuralab/main.htm)に倣ってみようかと。必読図書リストhttp://park.itc.u-tokyo.ac.jp/sakuralab/topics/basic.htm)のうち自分が読んでいないものは、必ずすべて目を通すこと。>自分 ちなみに彼のオンライン講義はココ(http://iiionline.iii.u-tokyo.ac.jp/guest/openlessontop.php?classid=11)で受けることができます。


なお、進化心理学に関しては、

Evolutionary Psychology: The New Science of the Mind
David M. Buss

が非常に完成度の高い一冊だと聞いています。是非ここまでチェックしてみたいところ。


 ついでここまでコレを読んでこなかったことが恥ずかしい

精神の生態学
グレゴリー ベイトソン, Gregory Bateson, 佐藤 良明

この一冊。個人的に尊敬しているうちの文化人類学教授は「文化人類学の古典を読んでる暇があったらこれを読んどけ!」と言って憚りません。大著ですが。「この本を読んで文化人類学専攻を決めた」という院生もいました。著者は科学者→思想という遍歴を辿っておられます。


 次は

異常心理学
G.C.デビソン, J.M.ニール, 村瀬 孝雄

これ。臨床家のバイブルです。一度は完読しておきたい。ページ数800、定価15000の本‥


 そして大学院進学を考えている心理学徒は必読の

Atkinson and Hilgard's Introduction to Psychology With Infotrac
Edward E. Smith, Susan Nolen-Hoeksema, Barbara L. Fredrickson, Geeoffrey R. Loftus

これ。心理学の教科書としては世界随一と名高い。やはり科学的な分野の知識は英単語日本語を対応させて記憶しておかなければ意味がないかと。さきほどの進化心理学英語教科書にもいえることですが。


ホモ・サケル―主権権力と剥き出しの生
ジョルジョ アガンベン, Giorgio Agamben, 高桑 和巳

これは早いとこ読んでしまいたい。


転移/逆転移―臨床の現場から
氏原 寛 , 成田 善弘

興味深い一冊。


 あとは経済学のマンキュー・シリーズ、文化人類学の古典を数冊、統計書を一冊、仏語の演習問題を一冊、認知科学の本を数冊、ブルデューの主著を数冊、デリダアーレントヘーゲルヴェーバールーマンの未読書を一冊ずつくらい読めれば文句ないです。少しの小説と。さて、どこまで行けるのか。

[][] 「美」とは何か(=人間は「美」とどのような関係を切り結んで「美」という存在を捉えているのか)

 美しいと感じるのが、対象自体の有用性の問題でないとすると、我々は対象の中に何らかのプラスの意味を感じていると言うことになる。ではそれは何か。(中略)

 つまり美しいとは、人間が対象の中から何らかの法則を見出した時の感覚であり、またそれは知的欲求を満たした快感であるとも言える。その為より複雑な(元の対象に隠れている法則が分かりにくいと言う意味で)美しさは、人間により大きな快感を与えるのである。

 補足すると、この意味での美しいと言うことと芸術とはイコールではない。もちろん、美しさも芸術の一部分である。或いは芸術は美しさを元に発展してきたと言えるかもしれない。しかし芸術と言われるものは、美しいと言うだけでなくそれ以上のものを含んでいるように思われる。(http://www1.odn.ne.jp/toha/zbeautiful.htm

 これは重要な指摘だと思う。(対象に隠れている)法則がわかりにくいことが第一の条件。その上で法則を見出したときに、美を感じる。


 「法則を見出す」とはすなわち、自分自身の価値観(物語・意味の体系)に、驚きを与えてくれた(=一見すると法則がわかりにくい)対象を、取り込む(=矛盾のない形で組み込む)ということではないだろうか。いいかえれば、対象をとりあえずは「支配」しなければ「美」という感覚は生じないのではないか。


 もうひとつ、対象に「想像力の飛躍」見出せるかどうかも大事なポイントだろう。デュシャンの便器(『泉』http://www.linkclub.or.jp/~kawasenb/02artist/dcn1_page/dcnn.html)なんてのはまさにコレに他ならないかと。うーん。

重森誠仁重森誠仁 2004/08/05 23:11 はじめまして!

重森誠仁と申します。

いつも興味深く読ませていただいております☆ すごく読みやすい日本語をお書きになられますね。すごいなと思います。

人類学者を志すということですが、フィールド(=調査地)はどこに決めるのかなあと疑問に思いました。

どこに行って何をあなたは研究対象にするのか、非常に興味があります。

GenGen 2004/08/07 08:34  どうもはじめまして。お名前でググらせて頂いたところ、人類学を研究されていらっしゃるようですね。卒論から一貫してテーマを深めてゆく様に感動してしまいました。また、物語論的な立場やエスノメソドロジー、および浜本さんのようなアプローチには自分も魅力を感じているので、非常に参考になりました。
 フィールドをどこに定めるのかというご質問ですが、いくつか候補はあるのですが、絞り込めていないのが実情です。現在は心理学科に所属し、卒論も心理学的に書くことを要求されているというのも、テーマを絞り込めない一因ではあります。現段階ではフィールドへ向かう資金もありません。
 逆にお聞きしたいのですが、重森さんが妖術およびインドネシアに研究対象を定められたキッカケは何だったのでしょうか?もしかしたらHP中に記述があるのかもしれませんが、よろしかったらお聞かせ下さい。

重森誠仁重森誠仁 2004/08/07 22:28 Genさん。お返事ありがとうございます☆

私は自分自身の病を治すために人類学を専攻していました。世界に対する、自分自身が持つ「思い込み」から、自由になりたかったのです。私はその方法を人類学を専攻することによって求めました。

そんな私が、卒業論文を書く際に、インドネシアのバリを調査地として定めたキッカケは、卒論を書く準備をしなければならなかった大学3年の2月に、ちょうどその頃読んでいたベイトソンの『精神の生態学』にインスピレーションを受けて、実際にバリへ行ってみたことである、と現在私は解釈しています(↑これもひとつの物語なので、後でころころその内容は変化するかもしれません。しかし、今のところこのような物語を私は自自分自身に言い聞かせて納得しています…)。

バリで私は偶然タンカスという呪術師に出会い、彼の弟子となり、その体験をもとにして卒論を書きました。

もちろん、バリへの渡航費は、親からもらいました(私は「引きこもり」だったのでバイトなど到底できなかったのです)。

一方、私は修士課程においては、妖術を研究対象に定めました。これはその当時、私の指導教官であった浜本満の影響です。

「思い込み」から自由になれる方法さえ見つけることができるならば、研究対象は何でも良かったと言えます。

私のそばに浜本先生がいたので、私は呪い(≒妖術)について研究しておりました。

私は徹底的に自分自身を救うために人類学を専攻していたのですが、Genさんは知的好奇心にかられる形で、至極健康的に、人類学にひかれているようにお見受けしました。

あなたのように賢い人が、人類学を専攻してくれるのはとても嬉しいです。

面白くてマッドでとんがった論文を、いっぱい書いてくださいね☆

GenGen 2004/08/09 22:00  お返事をどうもありがとうございます。「自分が想像もしえなかったような新たな物語を知り/紡ぎたい」、これが私の知的好奇心の源ですが、重森さんの「自分自身の『思いこみ』から自由になりたかった」と似ているのかもしれません。あるいは決定的に異なっているのかもしれません。
 バリでの偶然の出会いを出発点になさったわけですか。でもそれは偶然のようで、偶然ではないのかもしれませんね。バリに行くというアクションを起こした時点で、何かを呼び込んでいたのかもしれない。とにかく、行動を起こさなければつながってゆかないということですね。参考になります。
 人類学は何かしらの救いをもたらしたのでしょうか?あるいはより突き落とされましたか?変な質問ですみません。
 いつかリアルワールドでお会いすることがあるかもしれません。自分は決して賢い種の人間では無いと思うのですが、とにかく、その時はよろしくお願いしますね。

重森誠仁重森誠仁 2004/08/10 22:23  Genさんの目標と、私のかつての目標は、同じものかもしれませんね。ただ私の方は、「なんらかの物語に自分は縛られている」と意識しすぎる点で、Genさんとは微妙に異なっているかもしれません。
 人類学は救いをもたらしたのか。うーん。分かりません。「救い」という言葉を、「楽になる」という意味をもつ言葉として、暫定的に定義するならば、私は人類学に救われたといえると思います。
 面白い人や面白い話にいっぱい出会えたし、人類学はとても楽しかったですよ。
 いつか会ったらいろいろ話しましょう☆

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