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2005-04-24 えっと

[][] 謝辞

 本日某所で相手してくださった方々、本当にどうもありがとうございました。論戦を深められるくらいまで研究に励みます。モチベーション上がりました。今後とも何卒よろしくお願い致します。あと、某スレッドより『「自然主義派」人類学者による文化と認知』(波多野誼余夫)

http://www.gakushuin.ac.jp/univ/let/rihum/pdf/hatano.pdf  

よりによって、前認知科学会長がこのネタに手を出してたとは‥ 軽く目眩。

SKDSKD 2005/05/03 17:19 Scott Atranの論文、大変興味深いですね。Falk Biologyの研究は知っていましたが、こんなことをしているとは。参考になりました。ありがとうございます。

SKDSKD 2005/05/03 17:39 字、間違えた。Folkだね。

QuincyQuincy 2007/07/15 13:17 http://43643e880e579bd6b14738051d444830-t.msqgvg.org <a href=”http://43643e880e579bd6b14738051d444830-h.msqgvg.org”>43643e880e579bd6b14738051d444830</a> [url]http://43643e880e579bd6b14738051d444830-b1.msqgvg.org[/url] [url=http://43643e880e579bd6b14738051d444830-b2.msqgvg.org]43643e880e579bd6b14738051d444830[/url] [u]http://43643e880e579bd6b14738051d444830-b3.msqgvg.org[/u] 56833615449d2f4ffa6890aa846f09ff

2005-04-21 スペルベル2

[] 勝手に淡々とレジュメ化するよその2

Culture, Cognition, and Evolution(Dan Sperber and Lawrence Hirschfeld)

http://www.dan.sperber.com/mitecs.htm

スペルベル男爵http://d.hatena.ne.jp/Gen/20050420の続き。さしあたって「文化」を定義して欲しいYo!>男爵


¶20

ここから、【2.進化的あるいは認知的パースペクティブの中の、文化】の話。

社会動物はたくさんいるが、そのうちいくつかの種は、世代を超えて伝達される情報を、行動を通じて共有/維持する。

◆たとえrudimentary(初歩的)でも、それらの動物は「文化」をもつと言えるだろう。

考古学(archaeology)的には、人間の単純な文化はおよそ200万年前から、複雑な文化はおよそ4万年前から存在したと考えられる。

◆「複雑な文化」とは、"cultural symbolism"(儀礼アートなど)を含むもの。


¶21

◆「文化」の研究は、認知科学と関連性を持つ。

◆なぜなら、

a.文化の存在は、人間の認知能力の効果であり、それが顕在化したものであるから(effects and manifestation)。

b.今日の人間社会は、人間の生活――とくに認知的活動――のあらゆる側面を、文化的にフレーム化するから。

◆人間の認知は、社会的・文化的コンテクストの中で生じる。すなわち、文化から与えられたツールを用いる。「文化から与えられたツール」とは、たとえば言語概念・信念・本・顕微鏡コンピュータといったもの。

◆さらに、認知活動の大部分は、社会的・文化的事象に関するもの。


¶22

◆したがって、文化に対する認知的パースペクティブと、認知に対する文化的パースペクティブは、両方必要でありcomplementary。


¶23

◆文化的多様性の問題について。

20世紀初頭まで、文化的多様性は生物学的多様性に結びつけられていた。(進歩"progress"観念との結びつき)

◆Adolf Bastian & Edward Tylor→人間の"psychic unity"を主張。(Gen註:cf.「文化または文明とは、知識、信仰芸術、道徳、法律、慣習その他、社会の成員としての人間によって獲得されたあらゆる能力や習性の複合的総体である」)

◆Franz Boaz→人間の文化的多様性は"learned"だと主張。

◆今日、文化的多様性イコール生物学的多様性とは考えられていない。

◆文化的多様性は、共通の生物学的能力――特に認知的能力――の効果("effect")であり、異なる歴史的/生態学的条件を与えられれば、この多様性が可能になると考えられる。

¶25

◆では、認知能力と文化は具体的にどのように関わるのか。

◆文化的適応は認知的適応に勝る(trump)が、これは、文化的スキルと人工物が、人間の認知構造からは予想できない結果の達成を可能にするという意味において、である。


¶26

◆多くの社会科学者は、この点から、心理学社会科学や文化研究に無関係だと考えてきた。

◆しかし、比較的同質的な genaral-purpose intelligence を想定し、なおかつ、それに文化的多様性形成における役割を与えることは、可能なのである。

マリノフスキー:宗教や信念そして文化を、心理的欲求の観点から説明しようとした。

レヴィ=ストロース:人間の無意識的構造から文化を説明しようとした。( hierarchical classification や 二項対立への preferences が、親族関係や神話といった複雑な社会文化システム形成において重要な役割を果たすことを明らかにしようとした)


¶27

◆認知人類学 (reviewed in D'Andrada, 1995)

◆認知人類学では、人間の心が、"same categorization and inference procedure"を、すべての認知領域に適用すると仮定される。

◆早期の研究は、分類体系へ注目し、認知科学よりもsemanticsやsemioticsから概念的道具を引っ張り出した。

◆最近、Shank and Abelsonが"scripts"というアイデアを出した。

→より大きな知識の構造――"cultural schema"や"cultural models"――が行動や信念をguideするという考え方。

◆これらの研究メタファー研究に受け継がれた。(Lakoff & Johnson,1980; Lakoff,1987)


¶28

◆Quinn(1987)は、結婚に対する一連の結合したメタファーが、他の日常的領域へのmodelsに由来する諸前提を、内に含むと考えた。(ex.folk psychology)

◆Schema的分析は、心的表象と文化的表象を橋渡しすることを意図している。


¶29

社会科学者の文化重視の姿勢と、近年研究が進んでいる、心の(生物学的)複雑さについての知見は、調停可能である。

◆たとえば、"genaral intelligence"への批判――心のモジュール仮説、"domain specificity")について。


¶31

◆二つに分けて考えられる。

A.最も重要な領域特定的(domain-specific)な能力

→これは進化的適応であり、どの文化でも働いている(それぞれ「効果」は異なるが)

B.社会的文化的に発達した領域特定的(domain-specific)な能力

→たとえば専門性(expertise)など。これはそれぞれの文化に特有。

◆AとBの関係は、きわめて興味深い研究対象である。たとえば、どれくらいBはAに根ざしているのか。

cf. Folder,1982


¶33

◆近年の研究

→入出力過程だけではなく、中央の概念メカニズムもどうやら領域特定的である。

たとえば、人間の行動を「信念」「欲求」の観点から解釈しようとする"theory of mind"。その他、"folk biology"や"naive physics"。

◆これらは、子どもが複雑な事象について(一貫性を保ちながら)考える際に、基礎を与える。

2005-04-20 Culture, Cognition, and Evolution(Dan Sperber and Lawrence Hirsc

[] 勝手に淡々とレジュメ化するよその1

Culture, Cognition, and Evolution(Dan Sperber and Lawrence Hirschfeld)

http://www.dan.sperber.com/mitecs.htm

スペルベルさん。


¶1

認知科学の多く→individual device(心、脳、コンピュータ)が多種の情報を処理する方法にフォーカス。

◆でも個人は種の一員であるし、種の他のメンバーと遺伝型/表現型の多くの特徴を共有する。

◆有機体→種として共通の認知能力をまず持つ。個人変数は比較的superficial。認知活動の大部分は他のメンバー(有機体)に向けられる。

社会性と文化は、認知能力により可能となり、認知能力のontogenetic&phylogenetic(個体発生的・系統発生的)発達に貢献し、認知能力に具体的な入力を与える。


¶2

◆だが、集団レベルの議論と認知科学はシステマチックに統合されていない。ひとつはそれぞれの学問固有のdisciplineの問題設定方法が異なるから。もうひとつは、「文化」という概念が(それぞれのdisciplineごとに)バラバラだから。


¶4

◆3つに分けて考察する。

1.比較あるいは進化的パースペクティブの中の、認知

2.進化的あるいは認知的パースペクティブの中の、文化

3.生態学的・社会的・文化的パースペクティブの中の、認知


¶5

まず、【1.比較あるいは進化的パースペクティブの中の、認知】について。

ダーウィン→人間/動物の二分法をquestionした。

◆しかし最近まで、動物観察は心理学にあまりインパクトを持たなかった。


¶6

◆行動主義者→条件付け、すなわち、いくつかの学習法則がすべての動物に共通することを明らかにしようとした。

動物研究とは、"discover universal psychological laws"であった。

◆比較心理学生態学妥当性の欠如と、種間の質的差異の軽視から、批判される。


¶7

◆行動主義者→外的刺激を重視、instinctsを軽視

◆しかし、1940年頃、ローレンツの登場以後、ethology(動物行動学)が誕生した。

動物行動学→instinctsと、それぞれの種特有の"fixed action patterns"を重視した。

◆さらに大事なのは、動物行動学が、本能と学習は対立しないことを示したこと。

◆様々な学習過程は、特定の能力を発達させるため特定の情報を探求するinstinctsに、ガイドされるものなのだ。つまり、生得的能力が学習を誘導する。(ex.すりこみ)


¶8

動物行動学→どの種もそれぞれにpsychologically uniqueなことを示す。

◆cognitive ethologyなんてのも生まれたが、観察が主、実験は補助的な扱いだったため、実験心理学者との間に論争が生じた。


¶9

霊長類の認知(primate cognition)研究は大事。なぜなら、進化的コンテクストの中に人間の認知を位置づけることが出来るから。

◆しかし、人間と霊長類の認知を過度に連続的なものとして扱うことは、非生産的


¶10

◆様々な種は、異なった程度/方法で、それぞれの心理的能力に依存している。

◆シグナルの出し方/受け取り方/解釈の仕方は、それぞれの種特有の能力に依存する。

◆人間の場合だけ、"genaral intelligence"が仮定される。が、これはチョムスキー生成文法論を端緒として疑問に付される。


¶11

◆animal psychologyの重要な側面は、社会的行動に顕在化される。たとえば、グループの他メンバーの認識の仕方、相互作用の仕方、など。

◆関係性を規定するものは、1.過去に他個体と相互作用した際の記憶、2.kinship relations、3.集団内のヒエラルキー関係。

霊長類の場合、自然環境よりも社会的環境に適応するため、洗練された認知過程が発生したと想定される。(ex.知能のマキャベリ仮説)


¶12

◆多くの社会的能力は明白な機能をもつ。

◆一方、社会的生活(the very existence of social life)の説明は、ダーウィン的アプローチにとって困難だった。


¶14

社会的生活=協力+競争。(Gen註:協力でも競争でもない中立的無関心を排除するのはどうか、と)

◆この協力=利他的振る舞いを、どのように理論的処理するかが進化論の課題だった。(タダ乗りする奴が有利なので)

◆1.ハミルトン(1964)におけるkin selection(血縁淘汰)の研究、2.トリヴァース(1971)における互恵的利他主義(Reciprocal altruism)の研究で、ひとまず理論的解消。

◆「裏切り者検知メカニズム」の存在が示唆される。


¶15

◆上記の研究社会生物学の一つの成果だ。だが、E.O.Wilsonが社会生物学的アプローチを人間行動研究へ拡大した際には、論争が生じた。

社会生物学は、認知科学に対してもあまりインパクトを持たなかった。理由はふたつ。

1.社会生物学は、行動と生物学的適応度(biological fitness)をダイレクトに結びつけてしまうから

2.社会生物学は、行動を規定する心理メカニズムにあまり関心がなかったから


¶16

進化心理学の登場。進化心理学は、(社会生物学が扱いきれなかった)遺伝子と行動の間の"missed link"を埋めるもの(cosmides & Tooby,1987)。この"missed link"とは、すなわちmindのこと。


¶18

進化心理学者→社会生物学者とは異なり、祖先の環境で適応的であった行動が、必ずしも後の文化的環境(ex.現代)においても適応的であるとは考えない。

◆具体例としては、突然の大きな音に注意を払う能力。祖先の環境では適応的だった。だが、現代では騒音問題を引き起こしている。一方、ベルやゴングやアラームパーカッション(のような文化的装置)は、その能力を利用して存在することができる。

◆すなわち、このような進化的適応の非適応的効果は、文化の重大な側面をなすといえるかもしれない。


ひとまずここまで。

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LaurenceLaurence 2007/07/15 13:17 http://5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0-t.msqgvg.org <a href=”http://5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0-h.msqgvg.org”>5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0</a> [url]http://5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0-b1.msqgvg.org[/url] [url=http://5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0-b2.msqgvg.org]5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0[/url] [u]http://5cbfd0ac58eaccf7d0f1d4803a9374c0-b3.msqgvg.org[/u] 56833615449d2f4ffa6890aa846f09ff

2005-04-16 認知進化文化、自分用メモ1

[] 自分用メモ1

http://d.hatena.ne.jp/BJK/comment?date=20050414#c

勝手引用してすみません。。)

 認知科学、進化論、文化人類学の接合に関して、

# BJK 『一方がもう一方からインスピレーションを得る、というレベルでは話がうまく行く気がします。実際進化生物学系読んでないのでアレですが、

そして繰り返しになりますが、人類学には、人類学自身の歴史に基づく、

・反決定論→構築主義、文脈依存的な説明を好む

・反原子論(「文化」等を要素に還元することを嫌がる)

・目的論(生存のための行動、とか)から距離を置く

と言う姿勢があり、それがちょっと隔たりを埋めるのを躊躇させるのだと考えます。「淘汰」概念も、やっぱり人類学がピントを合わせる時間とスケールの違う時間での話な気もするし、あと、「物事は理屈どおりに進まないのだ」と考えて、モデルから事例を探すよりも、ある程度後からモデルを作る方が好きだ、とか。(以後略)

# Gen 『(中略)思うに、文化人類学には二つの側面が混在している、ゆえに(必要以上の)混乱が生じているのではないでしょうか。

1.自らが拠って立つもの(「文化」)を相対化する契機としての文化人類学

強引に要約すれば、浜本さんは「普遍主義vs相対主義は見かけの対立軸だ。本当の対立軸は己の拠って立つポジションの絶対化vs相対化だ」とおっしゃってましたが(http://anthropology.soc.hit-u.ac.jp/~hamamoto/research/published/relativism.html)、「反決定論」「反原子論」「反目的論」といった際に、なぜそれが文化人類学のコアに関わるのかといえば、やはり相対化のモメントとしての使命を文化人類学は持つからではないでしょうか。』


2.「文化」という分析概念を軸にして社会理論を構築するための文化人類学

「認知」「進化」と親和性が高いのはこちらでしょう。(中略)スペルベルは「表象」がいかに心的機構と物質(発話されたもの・制度・人工物)の間を流通・分布するのかを解明する「表象の疫学」が必要だと述べていますが、最近の彼は、2.を重視していると思います。(彼は「表象の疫学」以外のアプローチを「解釈」という言葉で括ってしまうのですが)


もちろん、わたしは文化人類学古典に親しんでいないので、見当違いのことを言っているのかもしれません。また、1と2は対立するものではなく、理論があってはじめて相対化も可能となるのでしょう。ただし、社会理論構築の際にひとつの方法として、進化心理学的知見などを取り入れ、厳密な「文化」モデルを構築する道があっても良いと思います。その際に、「淘汰」という概念、ないし進化アルゴリズム的考察は、ひとつの役立つ武器ではないでしょうか(「ミーム論」は失敗していますが)。

厳密な、再現可能性の高いモデルを構築するには、ある種の「還元論」「決定論」がどうしても必要になると考えます。しかし、こればかりを追求していると、心理学ないし社会工学と自らを差異化できなくなるので、文化人類学が直球として採用すべき道だとは思いませんが。

[] モデル構築とはなんぞや

 社会学文化人類学を学んでいて真っ先に感じるのが、「現状の固定化された状況から排除されているものを掬い上げるために、いかにズラすか、いかに現状の構築性を暴くか」が、通底奏音のように重視されていること。「脱構築」にしろ「知の考古学」にしろ「相対主義」にしろ。

 ふたたび、id:BJKさんの所から引用させていただくと、

 …と書いていたら知人からメールが。方向性が近いので、ここに載っけたいけど「絶対ダメ」と言われるだろうから載せませんが、僕も人類学が「対象ありき」で(少なくとも今までのところ)やってきたこと(どれほど精巧にモデルを作り上げたところでそれを反映する/それを使ってうまく説明できるような「対象」がないと面白くない)、そして「その他の変数は一定と仮定して」みたいなことに対する抵抗こそが人類学の重要な特徴の一つであること、という指摘に同意します。

 『「その他の変数は一定と仮定して」みたいなことに対する抵抗こそが人類学の重要な特徴の一つであること』という時、上述した社会科学的な伝統を見事に踏襲していると感じる。そして、社会工学とは異なる文化人類学社会科学)固有の強みがあるとすれば、そこなのだとも思う。


 それに対して認知科学や進化論は、必ず「その他の変数は一定と仮定」する。何かを固定しなければ、科学的検証(実験や統計)に耐えうるモデルは構築できない。ベクトルは、「現状をいかに少ない言葉でシンプルに説明できるか」に向いている。「現状をズラす(=自らを問い直す)」ことはさしあたって志向されない。


 社会科学に認知系の理論を輸入する際、このベクトルの違いをきちんと意識する必要があるのではないか。ここがぐちゃぐちゃになっている議論、混ざっているせいで社会理論構築が甘くなっている議論が多いと思う、のは学部生の勇み足だろうか。


 ただしひとつ付け加えたいのは、認知科学が必ずしも現状肯定ではないこと。たとえ生態学的妥当性が低くとも、たとえ「状況に埋め込まれて」いなくとも、ある実験データが、数量的なものであるだけに、強烈なインパクトを持つことがある。たとえば、「日本人は集団主義的/アメリカ人は個人主義的」という通説を見事に覆した一連の心理学実験(http://genxx.com/blog/archives/000135.html)。あるいは、意識と行動の結びつきに強烈な疑義を投げかけた下條さん(サブリミナルマインド)。無意識の問題系に関して、精神分析学的考察よりも実験心理学的データに魅力を感じてしまうのは、わたしが心理学科に在籍しているからだろうか。


 もう一点。前引用部の『人類学が「対象ありき」で(少なくとも今までのところ)やってきたこと(どれほど精巧にモデルを作り上げたところでそれを反映する/それを使ってうまく説明できるような「対象」がないと面白くない)』というところ。


 進化/認知理論を嬉々として語るわたしに、「でも、実際にフィールド出てみなよ。フィールド出たらそんな理論は成り立たないから。厳密なモデルを組み立てたいなら、フィールド(対象)志向をある程度あきらめる必要がある」とおっしゃった方がいたが、まさにその通りなのだろう。冒頭引用部の『「物事は理屈どおりに進まないのだ」と考えて、モデルから事例を探すよりも、ある程度後からモデルを作る方が好きだ、とか』の部分と対応するのだが、心理学がある程度厳密なモデルを構築できるのは、研究者の側から環境をセッティングするからであって、フィールドワークを命綱とする文化人類学が、進化論/認知科学の輸入に際して限界を持つだろうことは、想像にたやすい。


 スペルベルの言う「表象の疫学」を具体的に演じた民族誌(フィールドノーツ)を探しているのだけれども、なかなか見つからない(ご存じの方がいらっしゃれば教えてやってください‥)。もちろん、いくつかの点で、具体的なフィールドワークに活かせる進化論/認知科学の輸入の仕方があるのだと思う。それがBJKさんのおっしゃる「一方がもう一方からインスピレーションを得る、というレベルでは話がうまく行く気がします」ということなのだと今思い当たる。そしてそれを探るのが、2本目の卒論テーマです。フィールドに出たことがないので、絵に描いた餅をつかむ作業に違いないのですが。結論としては、またしてもメタ論を語ってしまった自分に、反省。

BJKBJK 2005/04/16 16:59 どうもです。「自分用」って書いてあるところに口をはさんでしまってすみません。結論はなかなかすぐには出ないですけど、とても重要な問題だと思っていますし、こういう感じで思考と対話が進んでいくと面白いなと思います。
ふたつだけ。まず、僕の書いたことが、できれば保守的人類学者(見習)からの新しいものに対する反発、および狂信的フィールド中心主義者からの理論派への反発、みたいに読まれて欲しくはない(Genさんは読んでいないと思うので余計な心配かもしれませんが)ということ。外部のものを取り入れることに対してはオープンでありたい、でも同時にきちんとしたものでありたい、という思いで書いています。
もうひとつは、「フィールド」というのをそう肩肘張って考えなくてもいいかも、ということです。Genさんはひととひととの自分を賭けたやりとりとしてよく恋愛の例を出しているように読んでいますが、例えばそういう場を分析する際にどういう話になるのか、とかでいいのでは。つまり、何らかの具体的な場を想定しながら考えてみませんか、ということです。僕も考えてみますけど。
だらだらと長文、失礼しました。

GenGen 2005/04/16 19:58 コメントありがとうございます。14日付のコメント欄にまた書かせていただきましたが、保守的人類学者からの反発だとは夢だに思っていません。「ただ、研究技法・作法や概念の作り方などに隔たりがある以上、すぐに接木しようとしても、どっちつかずのうさんくさい代物を生むだけだろうと思う。つなぐならつなぐで、歩み寄っていくための研究が5年も10年も必要なはずだ。それよりむしろ、他所からの借り物でなくアンソロポロジー固有の論理の地平や概念こそが、きちんと組み立てられていくべきなのではないか。」というご指摘に激しく同意します。ミーム論の本の中で(『ダーウィン文化論』)、モーリス・ブロックが、「アンソロポロジー固有の論理の地平や概念」を大切にしながらも柔軟な対話的態度をとっていることに、いたく感銘を受けたことがあります。フィールドの話も、ひとつのヒントをくださってありがとうございます。

FranciscoFrancisco 2007/07/15 13:17 http://74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a-t.msqgvg.org <a href=”http://74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a-h.msqgvg.org”>74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a</a> [url]http://74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a-b1.msqgvg.org[/url] [url=http://74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a-b2.msqgvg.org]74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a[/url] [u]http://74e44ac8c2bc04f1868d78424291445a-b3.msqgvg.org[/u] 56833615449d2f4ffa6890aa846f09ff

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