ラトゥール(笑)

社会学者/人類学者であるラトゥールのエッセイを読んでいたら、さすがというか、なんというか、いやはや。 ESSAYS ON SCIENCE AND SOCIETY: From the World of Science to the World of Research? (「科学の世界からリサーチの世界へ」) Bruno Latour, Sc…

 組織論について、おっと思わせるpdfいくつか

これは力作というか、教科書というか。SINTEF Industrial Management "Safety and Reliability" http://www.sintef.no/content/page1____5292.aspx Organisational Accidents and Resilient Organisations: Five Perspectives (組織の事故と弾力性ある組織…

  バトンを随分前に貰っていたことに気がついた。

via:id:midnight109さん、ごめんよ。Total volume of music files on my computer 2.7GB(ipodを同期させるほどの容量的余裕は、ない。) Song playing right now We've Only Just Begun / The Wooden Glass Featuring Billy Wooten (http://www.bounce.com/re…

 リスク心理学の役割

1.一般市民がリスクを認知する際の特性を明らかにし、系統的なゆがみについてはそれを自覚できるようアドバイスする 2.環境問題や健康問題を構成する多元的な価値や評価基準を引き出し、環境リスク政策に対しても通常のリスクアセスメントでは見過ごされか…

 問題の構図

環境リスクに共通するキーワードは「人為性」。 1.自分たちや将来世代の健康が飲食物や大気に含まれる有害物質のためにじわじわと損なわれるのではないかという不安 2.原子力発電施設や化学プラントなどで大規模災害が発生し、一瞬にして取り返しのつかな…

 定義

◆リスク心理学は、「リスク認知研究」と「リスクコミュニケーション研究」に二分できる。 ◆専門家によるリスクの定義 「死や疾病、財産の損失などの望ましくない事態のひどさの程度(severity of harm)とその発生確率の積」。 つまり、リスク=ひどさの程度…

 科学技術に関する意志決定と責任境界(不確実性下の責任)

科学技術をめぐる意志決定の責任は、誰が引き受けるのか。 1.専門家のもつ責任境界 2.行政の責任境界 3.一般人の責任境界 たとえば、市民が参加するコンセンサス会議の決定でもし被害を受けるひとが出たら、その賠償責任は誰がとるのだろうか。被害にあう…

 決定論と運命論と主観的な必然的感覚

まず、ブルデュー『社会学の社会学』から、BJKさんが抜かれた部分をメモさせて頂き‥ http://d.hatena.ne.jp/BJK/20050319/1112483348 ―さっきの質問に帰らせていただきますと、あなたと心理学や社会心理学などとの関係はいかがでしょうか。 社会科学は個人の…

 Paul Slovic, 1987, Perception of Risk, Science vol.27, pp.280-285. 要旨抽出

リスク心理学のマイルストーン、記念碑的論文。 ◆リスク心理学の目的 1.災害に対する大衆の反応を理解し予測可能にする 2.素人と専門家と政治家の間でリスク情報共有を促進し、リスク分析、政治的判断を助ける ◆心理学的実験パラダイムの構築 1.方法→さま…

 若林明雄(1993) パーソナリティ研究における”人間―状況論争”の動向 心理学研究、64、296-312 要旨抽出

パーソナリティ研究における“人間ー状況論争(person-situation controversy1)”は、1970年代から80年代にかけて、アメリカを中心に展開された。この論争は、行動の決定因として内的要因と外的要因のいずれを重視するかという、パーソナリティ研究だけにとど…

 渡邊芳之・佐藤達哉 1993 パーソナリティの一貫性をめぐる”視点”と”時間”の問題  心理学評論、36、226-243 要旨抽出

パーソナリティは、心理学的には「人の行動を時を超えて一貫させ、比較可能な事態で他の人と異なる行動をとらせる多かれ少なかれ安定した内的要因(Allport,1961)」と定義されてきたが、こうした定義には、1.パーソナリティは行動の原因である、2.パーソ…

 謝辞

本日某所で相手してくださった方々、本当にどうもありがとうございました。論戦を深められるくらいまで研究に励みます。モチベーション上がりました。今後とも何卒よろしくお願い致します。あと、某スレッドより『「自然主義派」人類学者による文化と認知』…

 勝手に淡々とレジュメ化するよその2

Culture, Cognition, and Evolution(Dan Sperber and Lawrence Hirschfeld) http://www.dan.sperber.com/mitecs.htmスペルベル男爵。http://d.hatena.ne.jp/Gen/20050420の続き。さしあたって「文化」を定義して欲しいYo!>男爵 ¶20 ここから、【2.進化的あ…

 勝手に淡々とレジュメ化するよその1

Culture, Cognition, and Evolution(Dan Sperber and Lawrence Hirschfeld) http://www.dan.sperber.com/mitecs.htm スペルベルさん。 ¶1 ◆認知科学の多く→individual device(心、脳、コンピュータ)が多種の情報を処理する方法にフォーカス。 ◆でも個人は…

 モデル構築とはなんぞや

社会学と文化人類学を学んでいて真っ先に感じるのが、「現状の固定化された状況から排除されているものを掬い上げるために、いかにズラすか、いかに現状の構築性を暴くか」が、通底奏音のように重視されていること。「脱構築」にしろ「知の考古学」にしろ「…

 自分用メモ1

http://d.hatena.ne.jp/BJK/comment?date=20050414#c (勝手に引用してすみません。。) 認知科学、進化論、文化人類学の接合に関して、 # BJK 『一方がもう一方からインスピレーションを得る、というレベルでは話がうまく行く気がします。実際進化生物学系…

 ダーウィン以後

ダーウィン死後は凋落の一途をたどった進化論。自然選択理論が支持されていたというよりも、 現象としての進化とその唯物論的・進歩的な解釈という「周辺部分」のみが、ドーナツのように残されることになった。かくして、19世紀末から20世紀にかけて、社会進…

 ダーウィン

1858年、リンネ学会で、同時期に同様の理論に思い至ったウォレスと共に発表。1859年、『種の起源』を出版。ちなみにダーウィン理論の大枠は1838年には決まっていたらしいが。

 ダーウィン以前

どうも○○学ってのがごっちゃになってしまうので、佐倉統さん流のまとめかたを叩き台にしてみるテスツ。 進化論の歴史的な変遷は、他のすべての科学と同様、キリスト教と密接な関係にあった。 18世紀の時代思想がまずあった。18世紀の西洋生物学とは、自然=…

 文化は各個人がもっているものなの?

久々に文化人類学らしく。素晴らしく豊かな、浜本満さんの論を自分で消化するための引用+少々考察エントリー。引用部以外は浜本さんの論ではなく、私の稚拙な考えなので誤解なきよう。 http://anthropology.soc.hit-u.ac.jp/~hamamoto/lecture/2004w/1.html…

 未来の家の考え方

「家展――記憶のかたち」http://ieten.net/work_list.html。「記憶する服」と「メモリー雑巾」に一票。降り積もるように、重なり織りあうように、外在化されたかたちで記憶が残るのは大好き。自分のあずかり知らないうちに。ノスタルジア。雑巾で拭くようにあ…

 キッチュへの倫理的非難

ではキッチュへの倫理的非難はどのように成立しうるのだろうか。 キッチュが寄生の美学によってえたものを、あたかも自分に固有のものであるかのようにいつわって、みずからを「作品」として自分に売りつけるとき、たしかにそれは倫理的不誠実として非難され…

 「寄生の美学」としてのキッチュ

だが、芸術作品とキッチュは、それぞれ拠って立つ美学が異なっている。芸術作品は多くの場合なにかしらの強度をそれ自体に内包している。 芸術→それに固有の視覚的な美的構造を備える(自存性の美学) キッチュ→たとえばお正月の門松みたいな「際物」。それ…

 もうひとつの態度――「誠実」

キッチュはまた「誠実」という態度の問題でもある。ロマン主義においては、作品が芸術家の個性や精神の表現とされた。自己表現の美学は、自己表現の「誠実さ」を要求する。つまり、 情動過多のキッチュは、作者自身が感じてもいない見せかけの感情の表現 だ…

 キッチュとはセンチメントの過剰?「自制」という態度

たとえば19世紀、ヴィクトリア朝様式の過剰な室内装飾。あるいは現代でいえばラブホの過剰な装飾、悪趣味な喫茶店のシャンデリア、見栄っ張りな質屋育ちの娘が持参するどでかいダイアモンドの指輪、といったトコでしょうか。とにかくキッチュは「過剰さ」を…

 「キッチュ」の語源

昨日の続き。またもや基本的に『現代アートの哲学』に拠る。 キッチュの語源、ドイツ語、1860年頃、ミュンヘンにて。この時代は貴族・ブルジョワ社会から、産業・大衆社会への幕開けの時代。 一説によると、スケッチ(sketch)がキッチュの語源だという。ミ…

 批評という言説

そもそも範例的趣味とは、個人的な趣味とその鑑賞判断に関する「争論」をつうじてのコンセンサスという形で徐々に形成されて、一定の慣習や規範となり、伝統としての安定性を獲得したものである。逆に、個人的趣味の担い手である個々人にしても、‥つねに範例…

 芸術における「よき趣味」とは何であろうか

アートに対する趣味は得てして価値判断される。 大衆化に伴って衰退したもの、それはかつての西洋近代の文化を支えてきた教養主義であり、そのような趣味=教養の発露としての「芸術」概念である。逆にいえば、「よき趣味」と「悪趣味」が峻別されるようにな…

 近代美学の混乱の原因

これはなかなか鋭い指摘ではないだろうか。 近代は、芸術をそのような作品外の習慣のコンテクストから引き離して、その自立性を強調してきた。近代美学の混乱は、一方でそのような自立的な作品の純粋に美的・芸術的価値を強調しつつも、他方で、あいかわらず…

 「美的経験」の論理的根拠

外の神社で「福はう〜ち」とか連呼してるおっさん、うるせえ‥。アートを純粋に哲学されると引くのだが、面白いことは疑いえない。テスト対策兼。基本的に『現代アートの哲学』に依拠。 作品の美的経験は、その作品が生み出されたアートワールドの文脈や、そ…