Genxx.blog*::Hatena

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2005-06-26 ラトゥール先生とipodバトン。BAR?

[][] ラトゥール(笑)

 社会学者/人類学者であるラトゥールのエッセイを読んでいたら、さすがというか、なんというか、いやはや。


ESSAYS ON SCIENCE AND SOCIETY:

From the World of Science to the World of Research?

(「科学の世界からリサーチの世界へ」)

Bruno Latour, Science, Vol 280, Issue 5361, 208-209 , 10 April 1998

http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/280/5361/208

 In the last century and a half, scientific development has been breathtaking, but the understanding of this progress has dramatically changed. It is characterized by the transition from the culture of "science" to the culture of "research." Science is certainty; research is uncertainty. Science is supposed to be cold, straight, and detached; research is warm, involving, and risky. Science puts an end to the vagaries of human disputes; research creates controversies. Science produces objectivity by escaping as much as possible from the shackles of ideology, passions, and emotions; research feeds on all of those to render objects of inquiry familiar.


 There is a philosophy of science, but unfortunately there is no philosophy of research. There are many representations and clichés for grasping science and its myths; yet very little has been done to illuminate research. An association was created 150 years ago for the advancement of science, but what would an Association for the Advancement of Research look like?

 「科学」の文化から、「リサーチ」の文化へ。「リサーチ」の哲学は不幸にもまだ確立されていない。科学的成果をただただ待ち続ける受け身の存在から、自らの欲求に基づき科学[リサーチ]政策過程に参加しリスクをも引き受ける存在へ。


 Science does not enter a chaotic society to put order into it anymore, to simplify its composition, and to put an end to its controversies. It does enter it, but to add new, uncertain ingredients (such as the beautiful and unexpected prions that earned S. B. Prusiner a Nobel Prize last year) to all the other ingredients that make up the collective experiments. When scientists add their findings to the mix, they do not put an end to politics; they add new ingredients to the collective process. To the many spokespersons who already represent humans and their needs, they also add more spokespersons who represent--how should I say it?--nonhumans and their needs.

 科学社会の複雑性を縮減するのではなく、新たな複雑性の次元を付け加える。

 In 150 years, all the ills have had plenty of time to flee from the wide-opened Pandora's box. Only one thing remains inside: hope. It might be just the right time to fetch it.

 ・゜・(つД`)・゜・ 

みんなのプロフィールみんなのプロフィール 2006/08/29 09:14 ブログ開設おめでとうございます!!

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ふぇじょーーーあwwwwふぇじょーーーあwwww 2009/06/13 17:47
これヤった後でパチ屋に行ったら勝率上がりすぎwwwwww

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ただの軍資金稼ぎのつもりでヤってたんだけど、
パチも負けねーもんだから金が余りまくりっす・・(^^;
まー金は余っても困らないからまだ続けるけどねーヽ( ・∀・)ノ
とりあえずBMWでも買うわwwwwwww

むきゅっもきゅっ?むきゅっもきゅっ? 2009/06/20 16:46
いつもマヌコに空気入れてブリブリ音出させて遊んでんだけど
昨日の女動物の鳴き声みたいな変な音出たwwwwwwww
かなり締まりのイイ女だったんだがもしかしてそれが理由かな?
5万しか貰えなかったけどある意味貴重な経験出来たからおkだろwww

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ち んち んは不景気知らずち んち んは不景気知らず 2009/06/20 22:11
世間は不況で騒がしいけど、はっきり言って俺には無縁だねw
ち ん こ触らせてあげて顔にぶっかけてあげるだけで5万貰えるしw
いやー世の中チョロイっすわwwwwwww

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ぴゅるるるるーwwwwぴゅるるるるーwwww 2009/07/18 19:05
イエーイ!なんかテキトーにやってたらヒモ彼女4人ゲットしちゃったよwww
毎月一人10万づつ貰ってるからとっくにバイト辞めたしヽ(´ー`)ノフォウ!
そろそろ引越したいから後2人くらい増やしとくわぁwwwwwwww

http://VYw0RIY.okane.torya-acha.com/

ネトゲ廃人ぽにゃたの場合ネトゲ廃人ぽにゃたの場合 2009/07/24 16:41
働かざるものヤルべし!!!ほんと働いたら負けだわ(´Д`;)
オレ真面目に会社員やってたけど、今はその頃より月の稼ぎ3倍だよ?
初めてヤった時は4万だけだったけど、今じゃ平均一回7万だかんなwww
もうアフォらしくて会社員ヤメたしwwwww 毎日ネトゲ最高wwww

http://UNQhg5h.netoge.bolar.net/

リモコンロ-タ-最高すぐるwwwwリモコンロ-タ-最高すぐるwwww 2009/08/01 14:52
一発普通にヤった後で報酬5万もらって、女と一緒にパチ-ンコ行ったの!!(リモコンロ-タ-装着させた状態でwww)
隣同士で打ってたんだけど、アツイ演出の時にタイミングよくスイッチ押してヴィンヴィンさせたら凄い表情で手足ガクガクしてて超エ口かったよ・・・wwww
女が席立ったらイスがビチョビチョwww さすがにやりすぎたみたい(^^;

http://sekurosu%2eprotobem%2ecom/9gOpGDF/

おっぷぁい!ぷぁい!おっぷぁい!ぷぁい! 2009/08/04 15:37
しばらくお互いに愛撫し合ってたら、女が急にカバンから蜂蜜取り出してボクのティンポに塗りたくってきてパイズリ始めたからビックリしたよ(^^;
パイズリされつつ蜂蜜塗られてティンポしゃぶってもらっての繰り返しで、気持ちよすぎて気がついたら3回イったしwww 俺淡白なのにすげwwwwww
やっぱ巨乳で工口工口な女が一番だよねーヽ(゜∀゜)ノヒャッヒャッ!!

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ぎょはぁ!!!!!ぎょはぁ!!!!! 2009/08/08 11:32
ヘイヘイ!!あひひひほはぁwwwwwww ちょwwいきなりごめwwwwww
寝てるだけで5 万もらっちゃって真面目な自分がヴァカらしくなってさwwwww
はぁーいま女シャワー浴びてんだけど、もう1ラウンドでまた5 万くれるってYO!wwwwww
またマグロでさっさと中 出 しするわwwwwwwwww

http://kachi.strowcrue.net/1nPxsAT/

ケ ツ コ キ!!!!!!!!!ケ ツ コ キ!!!!!!!!! 2009/08/15 12:48
すんげえケ ツでかい女に当たった!!! コイツのケ ツ 技すぎすぎwwwww

ケ ツにロ -ショ ン塗りたくって、俺のティ ヌコ挟んですんげー前後すんの!!!
前後してる時にク リに当たったりマ ヌ コに入ったりして
女もアヒアヒしまくりで俺も女も絶 頂しまくりで最高ですたwwwwwww

こりゃハマるわぁ・・・・

http://yuzo.plusnote.net/0hByR78/

メタボがアチイメタボがアチイ 2009/08/22 11:39
なんか俺妙に人気すぎるから昨日ハ メ ハ メした女の子に
理由聞いてみたら今メタボ超人気なんだってさ!!!!

お腹のポニョポニョだけじゃなくて包 茎が多いのも
ポイント高いっていうまさかのメタボ包 茎フィーバーwwwwwww

今月もうちょいで8 0 万貯まるし家でネトゲしまくって体型維持するわwww

http://okane.d-viking.com/TBo36pm/

マグローニャマグローニャ 2009/08/26 14:05
もう動くのもマンドクセーから家に来てもらってんのよ。
オレはネトゲに必死で女はフ ェ ラに必死というカオス状態wwwwwww
なんでか毎回3 万貰えてるしイミフすぎwwww

これ始めた俺歓喜www 金無しニートのオマイら涙目wwwww

http://koro.chuebrarin.com/weLf4X4/

2005-06-05 不確実性下の責任

[][][] 科学技術に関する意志決定と責任境界(不確実性下の責任

 科学技術をめぐる意志決定の責任は、誰が引き受けるのか。


1.専門家のもつ責任境界

2.行政の責任境界

3.一般人責任境界

  • たとえば、市民が参加するコンセンサス会議の決定でもし被害を受けるひとが出たら、その賠償責任は誰がとるのだろうか。被害にあう人が会議に参加したかによって、「責任」のあり方が変わるのだろうか。

 厳密な科学上の解明を待つのでは遅すぎる場合、不確実性のもとで社会的意志決定をしなくてはならない。あるいは事前には予測できない複合要因によって発生する問題に、社会は対応しなくてはならない。そのときの責任は、誰が、どのようにとっていくべきなのだろうか。不確実性下の責任の取り方は、科学の関係する行政にとって避けて通れない問題である。

 不確実性下の意志決定における責任の所在は、ひとつの難しい問題である。専門家や行政がすべて予測可能な事態を「隠した」のであれば、専門家や行政に責任を課すことが出来る。しかし、予測が出来なかった事態についての責任は、誰が、どのように取るべきなのだろう。

 時々刻々と変化する事実(作動中の科学)に対応して、ある時点での「事実A」に基づいた判断が、数十年後の「事実B」からみて誤っていた場合、事実Aに基づいた判断のもつ責任は、どのように定式化していけばよいのだろうか。時々刻々と書き換えられる妥当性境界をどこで「切って」、どこに責任配置を考えればよいのか。第二種の過誤(問題があったのに、ないと判断してしまった)を避けるようなシステムはどのように構築可能か。このようなことが、行政の責任論として問題になる。


 予測できなかった事態の責任のとりかた

1.「その時点で選択可能な最良の選択を行う」行政担当責任の方式

2.「その時点で発表可能な情報すべてを公開し、国民に選択してもらう」自己責任方式

 以上、藤垣裕子さんの論点。


4130603027専門知と公共性―科学技術社会論の構築へ向けて
藤垣 裕子

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 だから、市民参加なんて無い方が本当は楽なんだよな。責任引き受けなくて、ただ国を糾弾すれば済むのだから(やや皮肉)。そして、「その時点で発表可能な情報すべてを公開し、国民に選択してもらう」ってのも実は簡単な話じゃない。そこにリスク心理学が介入する余地がある。(あるいはリスク言説[の流通]をめぐる社会科学的な分析も)

CassidyCassidy 2007/07/15 13:18 http://d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e-t.msqgvg.org <a href=”http://d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e-h.msqgvg.org”>d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e</a> [url]http://d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e-b1.msqgvg.org[/url] [url=http://d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e-b2.msqgvg.org]d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e[/url] [u]http://d6e7ccfbbdfc9ee2c2942d8fc329a41e-b3.msqgvg.org[/u] 56833615449d2f4ffa6890aa846f09ff

2005-05-24 決定論とか

[][] 決定論と運命論と主観的な必然的感覚

 まず、ブルデュー『社会学の社会学』から、BJKさんが抜かれた部分をメモさせて頂き‥

http://d.hatena.ne.jp/BJK/20050319/1112483348

―さっきの質問に帰らせていただきますと、あなたと心理学社会心理学などとの関係はいかがでしょうか。

  社会科学は個人の問題と社会の問題でいつもつまづいてきましたからね。じっさいのところ、心理学社会心理学社会学といった社会科学の区分というものは、私に言わせると、そもそも最初に定義するあたりで間違って作られてしまったものです。個人は生物学的個体だという直接の確証があるものですから、社会とは二つが切り離しがたい形で存在するものだ、ということを見えなくしてしまいます。それは、一方では、建物とか、本や道具といったような物理的な形をまとう制度がそれで、他方では、身体に刻み込まれた持続的な存在の仕方、するやり方[存在と作為の仕方]、つまりは後天的に習得した性向(私はこれをハビトゥスhabitusと呼んでいます)がそれです。社会化された身体(個人とか人とか呼ばれる)は社会と対立するようなものじゃありません。それはいろいろな存在の仕方の一つだということです。(37)


―だから、あなたはモデルを実在に代用してしまう「客観主義的」アプローチの対決なさったわけですね。…

(中略)社会学者がなしうる最良のことは、書く文体や図表、図面、地図、モデルなどの使わざるをえない客観化の技術が、どんな不可避な効果をもたらすかを客観化してみるということです。一例を挙げますと、『実践感覚』のなかで私が示そうとしたのは、次のことです。観察者のおかれた状況の効果とか、その対象をつかむために使う技術の効果とかに懸念をもってみることがなかったので、民族学者はそのままあっさり「未開人」を対象としてでっちあげてしまったのです。… (40)


―あなたの社会学は人間についてのある決定論的見地を伴ってはいませんか。人間の自由にまかされている部分はいったいどれくらいあるんですか。

 …それはともかく、決定論という言葉には、まったく異なった二つのものがよく混同されております。事物の内に刻み込まれた、客観的な必然性と、「生きられた」見た目での、主観的な必然性、必然性という感覚あるいは自由という感覚です。社会的世界が我々には決定されていると見えるその程度は、われわれがこの世界についてもつ認識のいかんによります。反対に、この世界が現実に決定されている程度は、意見の問題ではありません。社会学者である限り、私は「決定論を支持する」か、あるいは「自由を支持する」かする必要はないのであって、もし必然性が存在するなら、それがあるところで、まさしくそれを発見しなければならないのです。社会的世界の諸法則の認識が進歩すれば知覚された必然性の程度が高まるという事実からすると、かえって社会科学が進むほどに、「決定論だ」という非難を買うようになるのは、むしろ当たり前なのです。… *2(57)


次に、科学哲学研究者、西脇与作さんのプリントからひとつ‥(強調部は引用者)

 ラプラスの魔物は、任意の正確さで初期条件を測ることができ、未来の予測のためには瞬時に完璧な計算ができなければならない。これが決定手続きを考えたときの魔物に課せられる条件である。元来、決定論は実在の決定性を主張するものであり、私たちの認識とは何の関係もないものである。その決定論と予測可能性を同一視させる理由は古典力学の第2法則にある。第2法則と、微分方程式系の解が存在して、しかもその一意性を保証する定理とが結びつくことによって、系の初期条件が定まれば正確な予測が可能であることが数学的に保証できる。これによって現在の状態から演繹される未来や過去の状態が存在するということが保証される。さらに、この決定論は上の予測が実際に構成的に計算可能であるという定理によって強化される。ただ単に予測が可能というのではなく、実際に予測を計算できる。こうして古典的な決定論は予測可能性と同一視されることになる。そして、このような決定論=予測可能性という認識的な決定論理解が、ラプラスが魔物に対して与えた役割である。


 このような魔物の主張はわたしたちの行為にも当てはまるのだろうか。自分や他人の行為の予測は大抵できないが、それは私たちの無知のためだけなのか。ここで、決定論と運命論(fatalism)の区別が重要である。物理世界が存在し、ある時点の状態がわかっていれば、ラプラスの魔物にとって古典力学が主張する決定論は運命論である。決定論は、過去が異なっていたとすれば、現在も異なっていただろうという考えを排除しない。決定論はまた、現在私がある仕方ではなく別の仕方を選ぶならば、私は未来に起こることに影響を与えることができるという考えも排除しない。しかし、運命論はこれを否定する。現在あなたが何をしようと過去と未来はそれとは無関係であるというのが運命論の主張である。つまり、決定論と運命論はほとんど正反対のことを主張している。運命論は私たちの信念や欲求が無力であることを主張するが、決定論では信念や欲求は因果的に私たちの行動をコントロールできることが主張されている。

 うーん、個人的に煮詰まらないな。

HakeemHakeem 2007/07/15 13:18 http://cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6-t.msqgvg.org <a href=”http://cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6-h.msqgvg.org”>cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6</a> [url]http://cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6-b1.msqgvg.org[/url] [url=http://cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6-b2.msqgvg.org]cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6[/url] [u]http://cf6adb3a470ef9a5d5c3440788aa89c6-b3.msqgvg.org[/u] 56833615449d2f4ffa6890aa846f09ff

2005-01-24 ゴフマン『アサイラム』

[][] 刑務所の問題

ISBN:4414518032

社会一般的な期待

>>

刑務所は受刑者が社会に対する自分の罪を償い・法を尊重する心を養い・自分の罪を内省し・正統な職業を身につけ・ときには必要な精神療法を受ける場を与えるもの

 しかし、措置という観点からすれば、刑務所内の管理者側は主として<安全>すなわち無秩序と逃亡の防止という問題に焦点を合わせている。

 決定的な齟齬。ゴフマン的には社会的位置がすべからくアイデンティティの諸問題を含意しているという問題意識がある。

 命令の場合はともかく、丁重な要請に応じて自分の身体を動かすことは、部分的にではあるが相手方の行為の筋道の正当性を認めることでもある。獄舎いる間に中庭でする運動とか美術の材料を与えられるという特権を受け入れることは、人間の欲望とか必要の本質に関する収監者の見解を受け入れることに等しい。その結果、少しは謝意と協調性を示し、さらにそのことを通じて自己についての非明示的な仮定をする収監者の権利を認めざるを得ない立場に被収容者を置くことになるのだ。

 外部からの訪問者に自分の描いた画を見せるようにという親切な看守の丁重なすすめすら、それに応ずる程度の協調性を示すことが被収監者の立場の正当性と、付随的にではあるが彼が抱く自己像の正当性を保証すると思われなければ、拒絶されることになるだろう。

 このときわたしは、つい先日亡くなった祖母を想い出す。彼女は徹底して、老人ホームの行事を拒み、部屋に引きこもり続けた。元気だったのにね。彼女の徹底抗戦は、まさに彼女のアイデンティティをめぐる決戦だったに違いない。まなざしていたひとりの人間として、そのことを忘れないでおきたい。



[][] 自分の社会的・組織内的位置そのものが自己アイデンティティを定位している

(p.190)

 組織の社会的仕組み自体に、構成員に関する完全に包括的な考え方――すなわち単なる構成員としての彼に関する考え方ばかりではなく、その背後に人間存在としての彼に関する考え方――が、組み込まれているのだ。

(p.197)

 私が関心を抱いているのは、組織内で期待されている活動には行為者に関する考え方が含意されていること、したがって組織はアイデンティティに関する非明示的仮定を発生させる場所と見なすことができる、という事実である。

 営造物の敷居をまたぐと、個人は状況に注意を向け、適切に定位し、それに調子を合わせる義務を引き受けるのだ。‥彼は該営造物ならびにそこで彼に帰属させられた自己像に対する自分の態度を一見それとわかるように確立するのだ。規定通りの心構えで特定の活動に従事することは、特定の種類の世界に住む特定の型の人間としての存在様態を受け入れることに等しい。

 規定をかわすことはアイデンティティをかわすことなのだ。‥特定の社会的営造物が自己に関する含意を体系的に生ずる場所として見られるならば、われわれはさらに続けて、社会的営造物をこれらの含意が参加者によって体系的に処理されている場所として見ることができるのである。

 あらゆる組織は一定の水準で存在様態(Being)の規制――所定の性格を持ち所定の世界に住むことの義務づけ――をも含んでいるのである。かくして本稿における私の目的は、特別な種類の怠業すなわち規定された活動の不履行ではなく、規定された存在様態の不履行の検討ということになる。

 この意味でニートもアイデンティティの諸問題を必然的に含むのだろう。あるいは、finalventさんがおっしゃっていた、

意志は私の絶対的な企投を要請する、しかし、人はそこで欺瞞に陥るだろう。というか、人がある社会的な位置で存在していることと、その企投とは同じだ。だとすれば、人はただ運命を生きるだけだ。

という言葉もますます明瞭に了解されてくる。生活世界を、生きるしかない。

#LPPはこの過程を組織内のアクセス運動として描いているから面白い。でも、ゴフマンも<精神医療システム>内の運動として描いているような?

2004-08-04 日本の夏、読書の夏。

[][][] 日本語が使える質的データ分析ソフト発売!

 http://www.atlasti.com/atlasti5.shtml だそうです。

重森誠仁重森誠仁 2004/08/05 23:11 はじめまして!

重森誠仁と申します。

いつも興味深く読ませていただいております☆ すごく読みやすい日本語をお書きになられますね。すごいなと思います。

人類学者を志すということですが、フィールド(=調査地)はどこに決めるのかなあと疑問に思いました。

どこに行って何をあなたは研究対象にするのか、非常に興味があります。

GenGen 2004/08/07 08:34  どうもはじめまして。お名前でググらせて頂いたところ、人類学を研究されていらっしゃるようですね。卒論から一貫してテーマを深めてゆく様に感動してしまいました。また、物語論的な立場やエスノメソドロジー、および浜本さんのようなアプローチには自分も魅力を感じているので、非常に参考になりました。
 フィールドをどこに定めるのかというご質問ですが、いくつか候補はあるのですが、絞り込めていないのが実情です。現在は心理学科に所属し、卒論も心理学的に書くことを要求されているというのも、テーマを絞り込めない一因ではあります。現段階ではフィールドへ向かう資金もありません。
 逆にお聞きしたいのですが、重森さんが妖術およびインドネシアに研究対象を定められたキッカケは何だったのでしょうか?もしかしたらHP中に記述があるのかもしれませんが、よろしかったらお聞かせ下さい。

重森誠仁重森誠仁 2004/08/07 22:28 Genさん。お返事ありがとうございます☆

私は自分自身の病を治すために人類学を専攻していました。世界に対する、自分自身が持つ「思い込み」から、自由になりたかったのです。私はその方法を人類学を専攻することによって求めました。

そんな私が、卒業論文を書く際に、インドネシアのバリを調査地として定めたキッカケは、卒論を書く準備をしなければならなかった大学3年の2月に、ちょうどその頃読んでいたベイトソンの『精神の生態学』にインスピレーションを受けて、実際にバリへ行ってみたことである、と現在私は解釈しています(↑これもひとつの物語なので、後でころころその内容は変化するかもしれません。しかし、今のところこのような物語を私は自自分自身に言い聞かせて納得しています…)。

バリで私は偶然タンカスという呪術師に出会い、彼の弟子となり、その体験をもとにして卒論を書きました。

もちろん、バリへの渡航費は、親からもらいました(私は「引きこもり」だったのでバイトなど到底できなかったのです)。

一方、私は修士課程においては、妖術を研究対象に定めました。これはその当時、私の指導教官であった浜本満の影響です。

「思い込み」から自由になれる方法さえ見つけることができるならば、研究対象は何でも良かったと言えます。

私のそばに浜本先生がいたので、私は呪い(≒妖術)について研究しておりました。

私は徹底的に自分自身を救うために人類学を専攻していたのですが、Genさんは知的好奇心にかられる形で、至極健康的に、人類学にひかれているようにお見受けしました。

あなたのように賢い人が、人類学を専攻してくれるのはとても嬉しいです。

面白くてマッドでとんがった論文を、いっぱい書いてくださいね☆

GenGen 2004/08/09 22:00  お返事をどうもありがとうございます。「自分が想像もしえなかったような新たな物語を知り/紡ぎたい」、これが私の知的好奇心の源ですが、重森さんの「自分自身の『思いこみ』から自由になりたかった」と似ているのかもしれません。あるいは決定的に異なっているのかもしれません。
 バリでの偶然の出会いを出発点になさったわけですか。でもそれは偶然のようで、偶然ではないのかもしれませんね。バリに行くというアクションを起こした時点で、何かを呼び込んでいたのかもしれない。とにかく、行動を起こさなければつながってゆかないということですね。参考になります。
 人類学は何かしらの救いをもたらしたのでしょうか?あるいはより突き落とされましたか?変な質問ですみません。
 いつかリアルワールドでお会いすることがあるかもしれません。自分は決して賢い種の人間では無いと思うのですが、とにかく、その時はよろしくお願いしますね。

重森誠仁重森誠仁 2004/08/10 22:23  Genさんの目標と、私のかつての目標は、同じものかもしれませんね。ただ私の方は、「なんらかの物語に自分は縛られている」と意識しすぎる点で、Genさんとは微妙に異なっているかもしれません。
 人類学は救いをもたらしたのか。うーん。分かりません。「救い」という言葉を、「楽になる」という意味をもつ言葉として、暫定的に定義するならば、私は人類学に救われたといえると思います。
 面白い人や面白い話にいっぱい出会えたし、人類学はとても楽しかったですよ。
 いつか会ったらいろいろ話しましょう☆

2004-07-08 他者の頭を活かす=異化す

[][] とある教育者のぼやき

 思想的な関心が強いと同時に、「底辺校」から進学校まで教師として歩きわたっているあるお方のミニレクチャー。そのメモ。


 彼はとにかく、現在の教育が

 対象世界

 ↑

 自己

モデルに基づいて成り立っていることを嘆いた。これはどういうことか。それは、「私たちは自分一人で興味を持ちひとりで何かを学ぶ」と見なすモデルのことである。「勉強はおまえのためにやるものだろ」「一人でもけじめをつけて勉強しなさい」「自分で関心持って大学受験勉強をしろよ」というような言説に象徴されるような、(学ぶべき)対象世界に対して、個人で「主体的に」取り組ませるようなモデル。これを彼は完全否定する。非難する。


 彼が主張するのは協働モデルだ。彼は

   対象世界

     ↑

自己→他者

モデル、すなわち他者を介した学びの重要性を叫ぶ。現在の教育システムでは自己→他者ラインが切断されている。私語をしゃべるな。自分で勉強をやれ。しかし、学びは本当に「自己→対象世界」で生じてくるのか?と彼はいう。彼は、「あるヤツに触発されながら語り(学びへの興味)が生成されてくる」という。なるほど、たしかに。彼は三角形の関係、とりあえず「主体性」を求めないモデル、協働モデル、共同主観的なモデルの必要性を訴える。


 それは「連歌」の世界に近いという。

「他者の頭を活かす/異化す」「自分の発想を異化する」「異なり=事成り」

である。一人で対象世界に向かうと、とにかく駆動力がない。これは心的外傷(PTSD)からの回復の際のグループワークの重要性を指摘したジュディス・ハーマン『心的外傷と回復』の主張にも通ずるものがあるだろう。「内発的動機←→外発的動機」の二分法は見直されるべき時である。


 まず共同主観性があり、「主体性」はあとづけとしてあらわれてくるものである。彼はこう述べる。「主体性」「個性」「自律」を求める教育風潮が個人を追いつめているという指摘、これはたしかに傾聴に値すると思った。ただし、それは暴力的に共同性を強要するものであってはならないだろう。あくまで「聴く」関係をさりげなくコーディネートする、ひきこもりを無理矢理「共同主観性」へ導き入れない、そんなモデルであるべきだ。現場を経験していない自分としては、これ以上、今現在では、述べることはできないけれども‥

2004-07-01 相対的、だからこそ普遍性を問う

[][][] M.ウェーバー「社会科学的および社会政策的認識の「客観性」」より。

 ウェーバーの言う「理念型」。彼はある理論が個別的にしか成り立ち得ない(普遍としては存在し得ない)ことを指摘する。だが同時に彼は、個別性の認識は普遍性を追求しなければ立ち現れてこないこと、個別的(相対的)、だからこそ普遍を問う必要があることをも示唆していたのではないか*1

 多様性と可変性を制限する為のきわめて有効な道具としての相対主義という逆説。

というhttp://d.hatena.ne.jp/jouno/20040629#1088509123での指摘につなげて考えてしまった。


 我々の科学の領域においては、むしろ、偉大な概念的な構成のいくつかの試みがそれぞれ価値を持ったということは、その試みの基礎にあったところの観点の意義の限界を、それ自らがはっきり明るみに出したという点に、通常まさに存したのである。(pp.145-146)

 とことんまで考え抜いた人にとっては、鋭い発生的な概念は必然的に[主観的/相対的な*2]理念型になるという事実があっても、そのことでかかる概念の構成を否定はしないであろう。(中略)...概念の内容が、必然的に変遷しうるものであればこそ、かかる概念は必然的にそのつど鋭く定式化されなければならない。(p.148)

 個々の、そのつど指導的な観点から見て鋭くかつ一義的な概念が構成されることによってこそ、まさに、かかる概念の妥当する限界が、そのつど明確に意識に留め置かれる可能性が与えられる(pp.148-149)

 相対性に安住することは、すなわち相対性を重みを持って抱えていない、己の傷のように抱えていないということなのだろう。相対性の内部で鋭く「一義的な概念を構成する」、すなわち普遍へと開いていく試みこそが、己自身の個別性を明らかにし、そうすることによってしか<知>の深化はありえないだろう。

 なにも<知>の話に限らない。ここでサミュエル・ベケットを想起する。彼を見ていて思うのは、人は普遍を希求する、だが最終的には「私は」の語りに回帰してくるということ。その際の「私」は開かれている、だがよりいっそう閉じこめられている性質の「私」だろう。もっとも、なんといっても彼の顔の皺に打たれてしまうのだが。どれほど刻まれているのだろう。



[][] M.ウェーバー「社会科学的および社会政策的認識の「客観性」」より、自分のための写筆メモ。

 史的研究上の概念とは、「本来何なのか」「真実とは何なのか」と、その意味を突き止めようとする試みは、絶えず繰り返されるが、しかしその試みには、これで良しという終わりは決してない。したがって、全く正常なことなのだが、それらを使って歴史学が絶えず研究するところの総合は、単に相対的にのみ規定された概念に止まるか、それとも、概念内容を一義的にすることが、どうしてもなされなければならなくなると、その概念は、抽象的な理念型となり、こうして概念は、理論的な、したがって「一面的な」ある観点からのものという意味で、姿を現すことになる。その際現実は、この観点から照らし出され、また、現実はこの観点に係わらしめられ得るのである。

 しかしながら、かかる概念は、現実がくまなくその中に組み入れられようと思えばできるような図式としては、当然のことながら役立たないことは明らかである。というのは、現実のそのときどきに意義ある構成部分を把握するために、なしに済まし得ない、あの思惟体系は、どれを取っても間違いなく現実の汲めども尽きぬ豊かさを汲み取ることはできないからである。

 また、あの思惟体系はどれも、そのときどきに我々が関心をもつ範囲内に、我々が引き入れたいくつかの事実の示す混沌に、そのときどきの我々の[因果などについての]知識の現状と、我々がそのときどきに自由に使いうる概念的な構成体とに拠って、秩序をもたらそうとする試み以外の何物でもないのである。

 また、過去の人びとは、直接に与えられている現実を思惟によって加工することを通して、しかしこれを別にいえば実は、あの現実を[何らかの一面的な観点に基づいて]思惟的に整理し直すことを通して、さらに彼らのそのときの認識の状態と彼らのそのときの関心の方向とに照応したいくつかの概念の中に、整理し直された現実を、組み入れ、秩序づけ、統合することを通して、彼らは、彼らのもつ思惟装置を展開したのであるが、この思惟装置から生じたものは、我々が、[新たな思惟装置を展開しながら]新たな認識に基づいて現実から獲得することができ、また、獲得したいと思うことと、絶えず対決することになるのである。かかる戦いのうちに、文化科学的な研究の進歩は遂げられていく。したがって、かかる科学研究成果というのは、我々がそれらを駆使して現実を把握しようと企てるところのあの諸概念の絶えざる変形過程なのである。

 かくて社会生活に関する科学のとる史的展開は、事実を概念構成によって思惟的に整序しようとする試み――かくて獲得された思惟像の、科学的な視野の拡大と、[それの他の新たなものへの]推移による解体――次いでかく変化した基礎に基づく諸概念の新たな構成――以上三者の間の絶えざる交替であり、これからもそうあり続けるのである。

*1:これは自分なりの解釈だが。

*2:引用者が解釈して勝手に補いました。

yamamotoyamamoto 2004/07/01 23:43 初めまして、てかすんません!大先生のことでそんなつもりで言ったんじゃないんですよ。ただ大先生はうちの学科でも時々話題に上るので、たまたまGEN君が触れていたものでつい。。俺も全然分かりませんので気にしないでください。てかほんと失礼しましたm(__)m

GenGen 2004/07/01 23:49 yamamotoさん、はじめまして。いや、謝らないでください!ただ相関の掲示板には焦りました。笑 相関の方々は大先生をどのように考えてらっしゃるかも興味あるところですが、また何かあれば宜しくお願いしますm(__)m

yamamotoyamamoto 2004/07/02 09:19 大先生をどのように考えているかは議論の分かれる所でありまして(笑 まあ知識がとても豊富なのはすごいと思うんですがね。このページちょくちょく見させてもらっているので、こちらこそよろしくお願いします。

2004-06-29 釣られたのか?w

[][] 馬場ルーマンノート

 山脇論文の批判的検討&「どうせ翻訳されてないですけど」的発言にワロタ。やはり届いてますか。いくら「理想主義的現実的」な公共性を叫んだところで、あくまでそれもあるシステムが現実を見るときの一つの視角にすぎない→社会変革はムリ。的な論調だった記憶が。あとは、ルーマンの「制御(差異を最小化するために差異を設ける:目標値と現実を近づける)」を持ち出しつつ。

 授業的には

フロイトの「真剣/戯れ/現実」の図式の援用

  • 真剣→ある区別を前提として(盲点として)採用している。世界は今見ているとおりでしかあり得ない。すなわちファーストオーダーの観察。
  • 戯れ→区別にはその本質からして不定性・矛盾・空白が孕まれている。区別を区別に適用することによってそれを明らかにしうる。(ex.<合法/不法>の区別は合法か不法か)
  • 現実→ある区別を、別の区別によって(「無」や「矛盾」によってではなく)記述し、全体社会の中に位置づける、相対化する(棄却する)

ふむふむ。わかりやすい。「戯れ」は矛盾というものの本質化、「現実」はシステム外からの相対化といったとこかな?人は「真剣」と「戯れ」の間を揺れ動き、それから出るためには「現実」しかない?アイロニカルな態度とは何か?

脱構築=セカンドオーダーの観察

  • システムが自身を観察する(「戯れ」的脱構築?)→ゲーテル的脱構築
  • 或るシステムが、別のシステムを観察し、棄却する→デリダ的・郵便的脱構築

あくまで(例えばサイードのように)世俗的なものを地道にぶつけてゆくしかないという科白、とりあえずは頷いてしまいました。

ルーマンの出発点→それぞれ普遍的であるが故に調停不可能な複数の世界

これは本当にそうだよな。それぞれ普遍的、だからこそ唯一ではなく複数ありうるんだよな。ルーマン抜きでも納得。

2004-05-18 泣いた

Gen2004-05-18

[][]脳内ルーマン・ノート




  • ルーマンのギデンズ批判
    • 社会的でない要因(技術)によって社会的現象(近代化)を説明しようとしている
    • ルーマンが目指すのは「社会」の普遍的理論(社会的なもののみによって社会的なものを説明する、あるいは、社会についての言明を当の社会の産出物として説明する)
    • 突き詰めて最終的にコンセンサスに至ることはあり得ない(議論終結の条件はもっと事実的なものであるex.時間etc...)→「構造的に決定されたシステム」「重層的決定」
  • 重層的決定(overdetermination、過剰決定)
    • 答えはわかっているけど、その答えがどの条件によって導かれたかがわからない状態
    • 一つの答えにあまりにも多数の要因が関与しているがゆえに、どの要因が力を発揮するかは偶発的(contingent)なものとなる
    • 「偶発的」=必然的でも不可能でもない=選択として生じてくる
    • だが「その選択はいかにして可能になるか」と問うてはならない。そうすれば常に「外」にあるなにものかを想定せねばならなくなってしまう
    • しかし一方、「偶発的である」で話を止めれば、「偶発性」自体を他ではあり得ない、必然的な様相と見なすことになってしまう
    • これは「複雑である」「多様である」についても同様。それらは単一の状態として名指しされてしまっている。「理解できない」も立派な一つの理解である。
  • →「超複雑性」へ
    • あくまで一面的である、と同時に社会の全体をカバーすることが必要=限定的であると同時に普遍的であることが必要→「機能分化」
    • 「ここでの『複雑性』は次のように理解されるべきである。すなわち、全体社会という複雑なシステムの内部において、複雑性に関する多数の競合する記述が存在するということとして、である」
    • これは≒リオタールのメタ物語の不可能性によって定義される「ポストモダン」?
    • 重層的決定された複数の記述を衝突させることが必要
    • 衝突の前提→複数の社会像が、既存の全体のゼロ・サム的な切り分けの形ではなく、それぞれが普遍的である社会の全域をカバーすること。
  • このようにコミュニケーションを、特殊的かつ普遍的な観点から組織することが、「機能分化」と呼ばれる事態。

マジおもしろい。いいヒントになるな。

tigermilktigermilk 2004/05/20 13:06 はじめまして、こんにちは。ヘドウィグ、わたしも感涙でした。ミュージカルするならヘドウィグってイエモンの吉井サンとか似合ってるかも、とか思いました。

GenGen 2004/05/22 02:32 遅れてしまいましたが、はじめまして。ヘドウィグって観終わったあと「してやられた感」で思わずにやついちゃいますよね。吉井さんいいですねー。でもちょっと美輪ver.かローリー寺西ver.も観てみたい気もします。

2004-05-12 独占欲のない<知>ってなーんだっ

Gen2004-05-12

[][]脳内ルーマンの授業@本郷

  • 構造に対して外部のダイナミズム(過程/発話/カオス/遂行性performativity)を対置するのは空しい
  • 結局「過程の構造」に行き着いてしまう
  • 太田竜 「資本家→労働者→ルンプロ→アジア→動物を解放せよ!」搾取をとことん考えていくとね
  • ルーマンのギデンズとハーバマスに対する批判、つまり結果を規定要因の方へ差し戻すのが機能分化論である
  • 上野千鶴子のデリダ言説分析に対する批判は哲学的に逆。デリダがサールを崩した?(馬場)

理論社会学‥

フィガロフィガロ 2004/05/12 22:38 自分は「恋愛の死の谷」に落ちてます。這い上がりたいんですがね〜・・・

GenGen 2004/05/13 05:04 よっぽどモテる人除いては意外と紙一重な気がするんですけどねぇ。