ガボの自伝発売されましたね

「その数日前、エスカローナはバスでビジャヌエバからバジェドゥパルまで旅をしたのだが、道すがら、次の日曜日に行われるカーニバルで披露するための新しい歌のメロディーと歌詞をけんめいに頭の中で作っていた。これが彼一流のやり方だった。というのも彼は楽譜も書けなければ楽器のひとつもできなかったのだ。旅の途中、ある村で、荷物の入った包みとアコーディオンを抱えた放浪の吟遊詩人がバスに乗ってきた。彼はフェリアからフェリアへとその地方を歌いながらめぐる無数の歌手のひとりだった。エスカローナは彼を自分のとなりにすわらせると、彼の耳元で、新しい曲を二番まで歌ってやった。
 吟遊詩人は上機嫌でビジャヌエバでバスを降りた。エスカローナはそのままバスでバジェドゥパルまで行ったのだが、バジェドゥパルについたところで流行のカゼにかかって、40度の熱を出して寝込んでしまった。3日後の日曜日、カーニバルが行われたのだが、エスカローナが、偶然知り合った友だちにだけこっそり歌っていた未完成の歌がバジェドゥパルからベラまですべての新旧の歌を打ち負かしてしまったのだ。彼だけが、カーニバルの最中に熱を出して寝込んでいる間に誰がその歌を広めて、誰がその歌に“La Vieja Sara”(サラおばさん)という題をつけたのか知っていた。」(“Vivir para contarla”Gabriel García Márquez

 ガルシア・マルケスの自伝「生きて、語り伝える」が発売されました。
 

生きて、語り伝える

生きて、語り伝える

 ガボの翻訳書は、訳者にコロンビアに関する知識がないので、固有名詞や地名はけっこうスゴイですけど、この本はこれまでに比べればいいかな。でも、やっぱり微妙ですよね。上は以前ネットで紹介したボクの翻訳です。そもそもタイトルからしてあんまりコスタっぽくないんだよな。ボクなら「おしゃべりするために生まれてきた」「おしゃべりなしでは生きていけない」「人生はおしゃべりですよ」とつける。
 ボクは文学の専門家じゃないけど、ガルシア・マルケスについては安易にマジックリアリズムとか納得する前に、翻訳チェックしたりコロンビアの歴史勉強したほうがいいかも。馴染みのない国のことゆえに「魔術的」とか片付けられている部分もあるんじゃないでしょうか。シエナガでユナイテッド・フルーツがバナナ労働者を大量に虐殺したのはれっきとした史実ですし、コロンビアの話ししてるのにいきなり「アルメニア(翻訳書の注では「古代小アジアの一都市」)生まれ」なんて人がでてきたら不思議すぎるでしょう(実際はキンディオ県の県庁所在地)。

Tengo que hacerle a la vieja Sara una visita que le ofrecí     サラおばさんを招待しなきゃ
pa' que no diga de mi que yo la tengo olvidada      オレが彼女のことを忘れているなんていわせないために
Aquí le llevo su regalito un corte blanco con su collar     彼女のために首飾りと白い布をもってきたよ
pa' que haga un traje bonito y flequetee por El Plan      彼女がきれいな服をつくってエル・プラン村で??(ここ意味がわからない。何をごまかすんだ?)するために
Para que sepa este regalo se lo hizo un compadre de su hijo Emiliano.      そのプレゼントは、彼女の息子、エミリアーノのコンパードレからだってわかってもらわなきゃ
Amigo de ella también que se llama Rafael    彼女の友だちのラファエルのプレゼントだって 

 ガボの自伝にも紹介されているこの歌の「サラ」はサラ・マリア・バケーロ。エスカローナの親友だったエミリアーノ・スレータの母で、エル・プラン村で助産婦をしていた*1。サンコーチョ(コロンビアの郷土料理)に招かれたのにすっぽかしたエスカローナは、サラおばさんの怒りを買い、おわびにプレゼントをもっていくはめになった。1947年の作品。ちなみに、ボクの書いた本の「夢と手錠」というエピソードの主人公名まえは、この曲から拝借した。
 なおサラの子ども、孫、ひ孫からは、エミリアーノ、ポンチョ、子どもエミリアーノ、マリオ、イバン、エクトル、ココと多くのバジェナートのミュージシャンがうまれ、一族は“Dinastía Zuleta”(スレータ王朝)と呼ばれるバジェナートの一大勢力になるが、音楽と文学という異なる分野で大物になっても、彼らとガボのつきあいはとだえることがなかった。ガボノーベル文学賞をとったとき、エスカローナとポンチョ&エミリアーノのスレータ兄弟はアコーディオンをかついでストックホルムまで出かけていって、ガボの受賞をお祝いしている。


 サラの息子・エミリアーノ・スレータの73歳のプレイ。

 今年はエスカローナとフリオ・ボベアがなくなった。ガボの親友だったエミリアーノは2005年に、ガボに「最高のエスカローナ演奏者」とたたえられたコラーチョ・メンドーサは2003年になくなった。アコーディオンをかついでフグラール*2生活をしていた世代は、ガボと同い年のレアンドロ・ディアス*3と、先日95歳の誕生日をむかえたロレンソ・モラレス*4ぐらいしか残っていない。

*1:だから「昔なじみのサーラ」じゃなくて「サラおばさん」と訳したほうがいいでしょう。

*2:放浪の吟遊詩人。「百年の孤独」に出てくる。

*3:コレラの時代の愛」の冒頭にある文章はこの人の代表作の一節。「生きて、語り伝える」にも登場する。

*4:エミリアーノからあの“La gota fría”で負け犬呼ばわりされたひと。