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2008年08月23日

コードギアスで生き残るべき人々

| 06:15 | コードギアスで生き残るべき人々を含むブックマーク コードギアスで生き残るべき人々のブックマークコメント

 いよいよ終盤戦に差しかかり重要人物が次々と退場し始めたコードギアスR2。次はいったい誰が…?と戦々恐々としてしまいますが、そんな中にあっても、こいつだけは絶対大丈夫だろうという不思議なオーラ、安心感を醸し出しているキャラがいます。誰あろう、玉城真一郎その人ですねw。

 いやいや、玉城だってどうなるかわからんよ、○○だって死んだんだし見たいに思う人もいるでしょうが、それでもやっぱり、実際はわからないにしても、玉城は死ななさそうだなーと思うんじゃないんですかね。この、玉城だけは絶対大丈夫だろうという共通認識というのは、考えてみると結構面白かったりします。

コメディリリーフとして

 玉城に与えられている最重要の役割のひとつに、コメディリリーフとして、このコードギアスという情報の洪水の中に視聴者を叩き込む作品を軽くする、深刻な問題を相対化して笑い飛ばしてしまう効果があるんですね。誰にでもわかるあからさまにズレた視点を提供することで、物語に没入しすぎて思い込み過ぎる事を軽減している。だからどんな超展開をしても、シャーリーが死んでも、ナナリーが消えても、みんな見続ける事が出来る。これって玉城の存在のおかげと言ってもいいと思うんですね。実際、Twitterなんかでリアルタイムでの視聴コメントを見ていると、みんなすごく腹を抱えて笑いながら見ているのがよくわかる。こんな、苛烈な物語なのに(笑)。もちろん玉城に限らずこの作品は随所に突飛なシーンを挟み込むことでその描いている事の重さをそのままに、印象を軽くしようという工夫が随所にあって。そのあたりがコードギアスはギャグアニメと言われたりする所以だったりするのですが。玉城は、そのコメディ的な側面を象徴するようなキャラで…だからコメディリリーフとしてギャグキャラとして、殺しても死なないよねえという印象を視聴者に与えているんですね。

語り部として

 玉城が物語の最後まで生き残るであろう理由をもう一つ。それは、乱世の英雄ゼロという存在を、後世に語り継ぐ“語り部”としての役割を背負っているんじゃないかと思うんですね。玉城は、自ら親友を名乗るほど間近でゼロに接しながら、その人間的側面、生身のルルーシュとしての側面をまるで斟酌しない。それどころか実態以上にゼロという英雄像を肥大化して、それを更に自らに投影までしてしまっている(笑)なんともふてぶてしいキャラクターなのですが、この物語がやがて終結しゼロが世界から姿を消した後、“そこにゼロという存在がいた”ことを語り継ぐにおいてこれほど相応しいキャラクターもいないと思うんですよね。そんなに遠くない未来、玉城が周りの人たちに、まるで我がことのようにゼロの活躍を語り聞かせる姿を想像すると、こんな愉快な光景もないんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。ここに当てはめるのが他の誰でも、ちょっと物足りないんですよねえ。やはり大法螺を吹くのは玉城でないと、そう刷り込まれちゃってますね。

千葉凪沙は生き残るべきか

 玉城以外でも、この人はきっと生き残るんじゃないかなあと思っている人が、何人かいます。その一人が、四聖剣紅一点にして最後の一人、千葉凪沙さんですね。この人はちょっと前の第二次東京決戦で死亡フラグが立ったんじゃないかと言われていたのですが。結果としてもう一人の四聖剣の生き残り朝比奈が身代わりになる形で生き残っています。彼女の役割もまた、語り継ぐことにあるのではないかなと。ゼロの力によってでなく日本を解放しようとした日本人たちの、物語を。藤堂鏡志朗と四聖剣は、ゼロが現れるずっと前から日本解放の闘いを続けていて、しかしその記憶はもう既に多くの人の中から失われているんですね。闘いの中で命を散らしていった多くの日本人がいた。そのことを語り継ぐことが出来るキャラクターが少なくとも一人は生き残るべきだと思うんですよね。でないと、この物語がルルーシュ皇帝の、壮大な親子喧嘩というミクロなフレームに収束してしまう。そうではなく、その外側に生きた人間が大勢存在したんだと言うことを象徴するキャラクターとして、もっとも相応しいのは千葉さんだと思うんですね。そうすると…藤堂はやはり討ち死にかな…とも思うのですが、そこはハッピーエンドでも、いいかもしれませんね?(笑)

死ぬことを願ったC.C.の運命

 もう一人、私が物語の終結後も生き残るべきだと思うキャラクターを挙げておきます。それは、C.C.なんですね。かつて、不老不死のコードを持っていたころのC.C.は、自らの命を捨てることをずっと願ってきた。そして今、その時の記憶をすっかりと失ったC.C.は、物語における使命も、目的もすっかり失って、ただの一人の人間として“生きている”んですね。永遠の生に飽き、死を望んだ彼女が、記憶を失って生きる意味をもたないまままた死んでしまったら、それはあまりにも空しすぎる。コードギアスという作品は、苛烈な、甘えを許さないない作品ではあるが、それはけして視聴者を絶望の海に突き落としたいがためではなく、それでも、その中から這い出してあがいて生きていく事を説いてくる作品だと信じています。であるならば、C.C.が記憶を取り戻すにせよ取り戻さないにせよ、もう一度この世界で生き続けようという決意をするのだろうと、信じています。

 もちろん、今挙げた3名以外のキャラクターは死んでしまうだとか死ぬべきだとか思っているわけではありません。ただ、もうここまで来たら全滅だ皆殺しだみたいなやけっぱちの展開は断じてないのではないかと言いたいんですね。物語が終わった後も、世界は続いていく。それは、コードギアスが現代の物語であるならば、必ず示さねばならない使命なんですね。

 そんなことを、日経ビジネスオンラインの谷口監督のインタビューを読みながら考えてみたりしました。

「やればできる俺」という欲望:日経ビジネスオンライン

荒ぶるにゃんこ荒ぶるにゃんこ 2008/08/24 08:04 コードギアス考察。大変興味深く読ませてもらいました。
はじめまして、荒ぶるにゃんこと申します。

突然ですが、GiGirさんは「オメガトライブ」という漫画を
ご存知でしょうか?
玉井雪雄著のスピリッツで連載していた漫画です。
なぜここでこの漫画の名前を出したかというと、この漫画がコード
ギアスと内容が似ていると前々から思っていたからです。

似ているな、と思う点は。
1.行動を起こすキッカケが父親にある。
2.特別な存在と契約。それによって人を操る能力を得る。
3.しかし能力は完全なものではなく、よって組織を作る必要がある。
4.日本を取る、ということが物語りの大きな山場。しかし作中ではそれはあくまで一歩でしかない。
5.ヒロインの悲劇的な死

またこれは最後に出てくる事なのですが、
6.不老不死の人間が世界を平定する。

ちょっと一般的な点もありますが、探せばもっと類似する所がある
かもしれません。

「谷口監督がパクッた」とは言いませんが、もしかしたら読んでいて
なんらかの影響を受けたかもしれません。

信者の妄想かとも思いますが、もし機会があってここで取り上げて
いただけたら幸いです。

GiGirGiGir 2008/08/24 13:44  んー。なるほど。オメガドライブは結構好きで読んでましたね。どちらも、現代で生きる事の難しさに向き合った作品で、そのあたりで似てくる部分もあるかなあとは思いますが、同時代の、同じ前提を元にした異母兄弟みたいなものかな、と思います。

 ひとつ大きな違いを挙げるとすると、オメガトライブは人類が革新して新しい種になれるかもしれないという想像力の元に試行錯誤を重ねていった話なんですが、コードギアスの谷口監督はもっとドライに、人間て何千何万年前から変わらないし、これからも変わらないよね、でもそれは受け入れて生きていくしかないよね。という諦観めいた感覚に基づいて作劇をしているかなと。

 このあたり系統だって解説出来たら良いなとも思うのですが、なかなかちょっと手が回らないところでもありますね。完結後にでも何か総括めいたことが出来ればよいのですが。