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2009年08月19日

サマーウォーズにみる、表層の豊かさと、深層の軽薄さ

| 17:28 | サマーウォーズにみる、表層の豊かさと、深層の軽薄さを含むブックマーク サマーウォーズにみる、表層の豊かさと、深層の軽薄さのブックマークコメント

 細田守監督の最新作「サマーウォーズ」を観てきました。結論から言うと、とても残念な内容でした。この感想も書こうかどうしようか迷ったのですが、同じような観点で書いてある評を見つけることが出来なかったのであえて書いてみようかと思います。

 まず誤解のないように言っておくと、この作品は娯楽作としての一定の水準は間違いなくクリアしているということです。映画を観て楽しく爽快な気分になったりしたい向きには十分満足のいく映画でしょう。しかしその爽快感は実のところ映画的な物語のうねりから生ずるものではなく、天才アニメーター細田守の精緻な絵コンテが観るものの情動を揺さぶっているだけに過ぎないのではないかと。確かにクライマックスのいくつかのポイントは感動的です。しかしその感動は実は映画の構造的な仕掛けによるものではなく、アニメーションの根源的な魅力のみによって引き起こされているだけだといったら言い過ぎですかね。

精緻に設計された29人の家族のアルゴリズム

 とにもかくにもこの映画の最大の見どころは、その大家族の描写の見事さだ。主婦連の過剰気味な仲の良さ、男共の身勝手さ、闖入者へと突撃をする子供たち、家族の輪から離れたがる思春期の少年。多少理想的に、コミカルには描かれているものの、ああいった大家族というものを身近で見知ったことのある人間ならばあの濃厚な人間関係がしっかりとした裏打ちの上にリアルに設計されていると感じるのではないか。おそらくはあの中の一員として問題を共有できる登場人物を見つけられれば、この映画の楽しみ方の8割を手に入れたと言ってもいいと思う。そして実際に多くの人に一定の満足を与えている点でこの映画は十分な成功を得ている。

 その一方でこの映画は、いわゆる非コミュ的問題を抱えた人や家族という形態に不信感を持つ人たちのアレルギー的な拒否反応を呼んでいる。そういった心象を持つ人たちが仮託すべきキャラクターがちゃんと用意されているにも関わらず。この映画の抱える欠陥の根はここに見ることが出来る。

家族の外の世界が見えない

 家族を疎みネットゲームの世界に没頭する思春期の少年カズマ、家族との関係性を結べずに財産を持ち逃げして出奔した侘助。この2人はおそらくは家族という共同体に馴染めない人のために用意されたキャラクターであることは想像に難くない。実際、家族の側の視点から見たこの2人の挙動は、一見理にかなっているようにも見える。しかし実際にこの2人に視点を合わせ世界を眺めた時に恐ろしい世界が現前する。彼らには縁を切った家族以外の世界がまるで存在しない…世界から孤立した存在としてそこに配置されているのだ。

 カズマはネット世界OZの格闘ゲームチャンピオンであり、本来であればその世界で一定の尊敬や信頼を勝ち取って、家族ではない別の共同体に属していて然るべき存在なのだが、OZ内でカズマがつるむのはほんの数日前に出会った健二と、健二の友人の佐久間くんだけで、カズマのネット内の友人というものは一切登場しない。

 天才エンジニアである侘助は、仕事の成功をひっさげRX-7で乗りつけるといった派手な行動から見ても、決して社交能力が低い人間には見えない。そもそも誰も知り合いのいない海外で、一定の成功を得ようと思えば自分の手と足で人脈を作って世界と関わっていくしかないはずだ。しかし侘助と問題を共有する外部の仲間というものも終ぞ描かれることはない。

 彼らに感情移入してしまった人は、まるでこの世界では家族から承認されなければ誰とも繋がりを持たない孤独の中で生きていかなければいけないかのような強迫観念に襲われるのではないだろうか。この世界から断絶された存在というのは他の部分にも見ることが出来る。例えば、ラブマシーンの暗号を解いた「健二以外の55人」の存在だ。

55人の孤独な天才

 物語の中盤で、OZの管理権限を奪う暗号メールを解読した人間は健二以外にも55人いることが語られる。彼らは健二同様にアカウントを乗っ取られてしまったわけだが、当然彼らにも本来であれば家族もいれば友達もいるわけで、この信州上田の陣内家のように世界の存亡を賭けた戦いが世界のどこか別の場所でも行われて然るべきなのだが、そういった描写も一切なされることはない。まるでこの55人は、カズマ侘助同様に世界から断絶して誰の助けも得られず誰も助けることの出来ない孤立した存在のようになってしまっている。物語のクライマックスで健二のアカウント以外の全てが解放されたあとにも、彼らは結局駆けつけることはなかった。健二と同等かそれ以上の能力で健二の―それはそのまま世界の―危機を救うことが出来るにも関わらず、である。

 何を野暮なツッコミを、と思われるかも知れない。実際、こんな設定は省いてしまえば良いはずなんだ。暗号を解読したのは世界で健二1人で、世界の運命は全て健二と陣内家の面々にかかっているんだとしたほうが、プロットとしてはずっとスッキリする。チープと言えばチープだが、これだけご都合主義な設定の多い本作で、もう一つくらい都合のいい設定があっても咎める人もいないでしょう。あえて穿った見方をすれば、この55人の存在は、健二の世界の危機に対する責任を希薄化させ、あるいはこの陣内家という特異点の設定をより嘘くさくするために仕掛けられた作り手の悪意のように思えてならなかったりします。

 こんな嘘くさい薄っぺらい世界でも、人はシチュエーションと、十分に情動を刺激する絵と台詞とがあれば、簡単に感動してしまえる。細田守という人の作品にはときどきそういった人の情動に対するシニカルさというものを感じたりする。それはある種の絶望なのかも知れないし、それこそが細田守の創作のモチベーションなのかも知れない。しかし、これほどの才能を持ったアニメーターがその豊穣な演出力に見合う豊かな物語を紡ぐことが出来たら、そう考えるとやはりサマーウォーズという作品には「残念な内容だった」という評価を下さざるを得ない。それが偽らざる感想です。

hatikadukihatikaduki 2009/08/19 23:34 押さえのきかない子みたいに要素をてんこ盛りにした挙句、薄皮一枚の完璧さを守るために個別の要素を皆殺しにする様には、作品はともかくこの監督は傑物かも知らんなあと思わされました。
完璧な夏映画に何が必要か、っていうチョイスはおそろしく趣味がいいんですよ。「わかってるじゃん」てかんじに共感もできる。でも明らかに盛りすぎ。せめてボーイミーツガールやめようよって思うんだけど、でもそれを描き落とせるわけも無く。しかもそれをウェルメイドっぽくまとめようとするんですよ。ラピュタだって盛りきれなくて途中から斜め方向に話が流れていくのに。でも自分に出来もしない事をやろうとするやつって自分は嫌いで無いです。
それと、シチュエーション優先でよく考えると矛盾が、なんてのはありがちかつ素人くさい失敗ですけど、それが全編にわたって徹底されてるのが凄い。わかって失敗してるのがえらいんじゃなくて、ここまで大規模に失敗してる奴なんて見たこと無いからえらい。鉄の意志力。
たぶんこのひとは要素から自生的に生まれていく物語が嫌いなんでしょうね。嫌いでなきゃあそこまでできない。というか嫌いでも普通できない。なんか凄いもん見た気がするっす。

sukezasukeza 2009/08/20 00:51 個人的にはすっごいつまらない映画でした。
既視感のあるシーンとプロットを切り貼りしてそれなりに見られる作品に仕上げる細田はやっぱり腕のいい演出なんだなと思うと同時に、次代を担うと言われる細田にしても「パロディのパロディ」世代であって原作がちゃんとしてないといい仕事が出来ないのかーと悲しくなったりしたことを思い出しました。

north2015north2015 2009/08/21 01:21 個人的にはすごく面白かった!ので、こちらの感想を補助線に、少し感想を書かせていただき、トラックバックいたしました。急ぎで書いたのでやや雑ですが、ご笑覧いただければと思います。わりと真逆の感想なので、こちらの記事も再読させていただきながら、もう少し考えてみたいな、と思います。

ちなみに、更新が日を跨いでしまったせいで、二回もトラックバックを打つという不細工なことになってしまいました。お手数ですが、8月20日分のトラックバック(N.S.S.BranchOffice - サマーウォーズにみる、世界のひろがり)については、削除いただければと思います。

たいへん申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

elemalelemal 2009/08/21 07:29 基本的に楽しめました。
が、要素を詰め込みすぎて、全部が説得力なく浅い展開だったというのが本音です。

「先輩とのラブコメ」の要素は、侘助気にして主人公を放置してたのに、
おばあちゃんが死んだとたんに主人公を頼り始める意味がわからないですし。
最後にくっつく理由もわからない。特に彼と二人で困難を乗り切ったわけでもないし。
「ネット世界」についても、全てのデジタルシステムがOZアカウントに依存している設定が無理ある上に、
別にネット世界での戦いを綿密に描けているわけでもない。
「家族の偉大さ」がわかるような映画かと思ってたけども、
家族の力が働いたのは、せいぜい叔父さん方の専門設備の山と、最後のアカウントの数だけ。
家族によって立ち直った主人公がいるとか、そういう展開があるでもなし、、、
「おばあちゃんの凄さ」にしても、各方面にコネがあるすごいおばあちゃんがいたんだよって設定があるだけで、
例えば彼女の今までの背景とか、主人公を理解していくとか、そういった凄さの裏づけとなるような場面もなし。
「バトルシーン」にしたって、絶望的な状況をどう数学の天才がクリアするのかと思ったら、花札で勝負挑めば乗ってくるだろうと提案するだけという、、、それは都合よすぎだろう。

どれか、一つ二つの要素に絞って、二時間かけて困難を乗り越えるとか展開させていけば、感情移入するし説得力あったと思うんですけどね。
最初に「格好よいシーン」を大量に用意して、それらが次々と展開していくよう、
都合よく話を持っていっているだけだと思いました。
結局、中身がないんですよね、、、
だから話の本筋がよくわからないし、何がテーマなのかもよくわからない。
何も考えずに見てれば表層の楽しい・気持ちいいシーンだけ展開していくから見てて面白いよ、って作品だと思いました。

何より、それをあそこまで持ち上げる周囲が残念で仕方がないです。
そうじゃなければ、むしろ良い面が目立つ作品だったかもしれないのに、、、

GiGirGiGir 2009/08/21 11:39  思った以上の反響になかなか驚いています。やっぱりみんななにがしかこの映画に違和感を感じていたんですかね。見た当日に熱いうちに打てとばかりに勢いで書いたので、落ち着いて考えると書き過ぎだったかなと思わないところもなく。とはいえやはり異様な映画ですね。

>north2015さん
 長文のトラバありがとうございます。反論は大歓迎です(笑)。健二くんが実は選ばれなかった存在として描かれているというのは割と重要なポイントだなあと思いますね。実はクライマックスに置いても健二くんのチャレンジは、カタルシスに昇華する直前でスカされて他の登場人物に美味しいところをさらわれるんですよね。どこまでも主役になれない男の子。なんだけれどもそれでも彼がそこにいる意味があったというのはまったきこの映画のテーマだと思われます。

 さて55人問題ですが。ここは本当に細田守という人の作風をどう捉えるかという重要なポイントなのだと思います。見た直後は正直腹が立って嫌みっぽい書き方になっていますが、これは恐らく作家細田守の特質なんだろうなと思い直しつつあります。この世界における外部の見えなさは、それは視点の絞り込みによる必然的な不可視化ではなく、本来であれば見えるはずの部分も含めて、外部に確かに他者がいると確信を持てるシーンを、注意深くかつ徹底的に取り除いているようにしか見えないんですよね。そう。確かに存在しなければおかしいんです。更に言えば55人の存在によって、ご丁寧にも「これは所詮フィクションなんだから細かいことは気にするなよ」という言い訳すら封じる形になってるんですよね。頭がくらくらします(笑)。手なりで作ったらこんな歪な映画にはなりません。それは「僕らのウォーゲーム」が今作よりはるかにベタに作ってあることからも分かる。明らかになんらかの作家的意図がある。この作家性が一体何を指向しているのかというのは、なかなか興味深くはありつつも、やはりこの人の作風はあまり肌には合わないかもしれなく、誰か代わりにやってくれる人がいないかなーなどと思っていたりもします。

 もう一つ、仮説というか思いつきなんですけれども、OZの世界の描写及びOZと社会インフラの関係というのは、ご都合主義的だと簡単に言われてしまいますが、これも実のところ一定の条件下でかなり合理的に設計図が引かれているのではないかという感触もあったりします。これも正直分析の為にもう一度チェックとかしたくないので、アイデアだけ丸投げして誰か拾ってくれないかなーなどなどと。

 まあ何にせよ細田守という作家には「何か」があるという手応えがつかめただけでも収穫でした。また何か面白い話がありましたらよろしくお願いします。

prisoner022prisoner022 2009/08/21 16:29 ここのコメント欄の対話はいい感じですねー。
「なにがしかの違和感」はアニメ通ではない世間の人たちも持つものなのかどうかが、私には気になるポイントです。

「表層の豊かさと深層の軽薄さ」と総括しておられるんですけど、私の感じ方は逆でありまして、表層こそ透けて見えそうなぐらいペラッペラの「薄皮一枚」で、深層は真っ黒い闇。だけど、ちょっと得体の知れないバケモノがその奥に潜んでそうな印象。

こういう「本当は怖い」系の作品というのは、ぜひ(それとは知らせずに)世の中の善男善女に見せてやるべきかと思ったりもしていたのですが、まあ、どうせ「問題だぁー」ということになってしまうのなら、いっそ『ポニョ』問題ぐらいまで話題が大きくなるといいなと。そんなふうに思っております。w

hatikadukihatikaduki 2009/08/22 00:09 サマーウォーズとポニョは、両監督が見た白昼夢は似たよなもんだと思うんですよね。
ただ、ポニョは作品の要素を各々の好きなように成長させた結果全体がメチャになってて、一方サマーウォーズは取り繕った表層の完成度と引き換えに要素の練りこみは甘くなってる。
両極端な方向に針を振り切った作品たちってかんじですね。

llllll 2009/08/22 10:21 まず、娯楽とはうそを描くものが前提として。
都合の合わない部分を、いい方向に脳内補完すれば問題なく、悪い方向に補完すれば批判的にもみえるんじゃないかな。
55人のくだりは、主人公は問題を解いていない。一文字間違っている。その部分にウイルスが安全性(逆ハックの危険性が少ない)を感じて自分から選んだ。っていう考え方がひとつ。もうひとつはあの時点では、どれかひとつのアカウントを奪うのが精一杯、結果として56分の1の健二のアカウントを選んだだけ、たまたまていうね。
最後の戦いに現れないのは、またアカウント奪われて敵が強化されるのを避けるため、陣内家にすべて任せることにした。彼らもまさか、ネットを救ってるのが一家族とは思ってないだろうしね。国家的なサイバー防衛集団だと思ってるだろうから。この考えは当然じゃないかな。
面白いアニメだとは思うけど、ほんとうに根本的なところで、セキュリティが甘すぎるだろwwwって突っ込みはしょうがないww。

gasogaso 2009/08/22 10:51 上田は上州じゃなくて信州だろ… と上州人として指摘

kk 2009/08/22 12:51 1.メールを返信した人のうち暗号を解けたのは55人。
  でも返信した人は暗号が解けてなくてもアカウントを盗まれた。

2.末端の末端の末端だが、ケンジは管理者権限を持っている。

ケンジが選ばれたのはこういうことかなー、と。

GiGirGiGir 2009/08/22 15:32 >gasoさん
 修正しましたー大変失礼しました(汗)。

 アカウントの件ですが、まっさらに考えて、メールを返した人間は正解者の数倍はいるでしょうね。その中から健二が選ばれたのは神の見えざる手(笑)でしょうけれども、ルート権限があったというのは確かにあり得る推理ですね。
 OZ内での陣内一家の行動が、他の人たちには実際にはどのように映っていたのか、ということと、何故健二以外のアカウントを奪われた人たちが行動を起こさなかった―少なくとも画面中に痕跡が残る形では―かというのは、この映画の深淵なのではないかと個人的には思っておりますので、いろいろと皆さん考えてみると面白いのではないでしょうか。

geakgeak 2009/08/22 22:13 私もelemalさんと同じ感想です。
子供連れの家族で見るには楽しめる内容だと思いますが
作品としては特に伝わってくるものはありませんでした。

にもかかわらず周囲の細田守監督への過大評価が気になります。
皆さん、色メガネで見すぎじゃないですか?

north2015north2015 2009/08/23 02:33 トラックバック対応、ありがとうございます。

そうだなあ、何か腹に一物ある感というか、そういうものがあるんかなと。単に薄いとか、そういうことであれば逆にスルーできちゃうものなんじゃないかなと思います。

あと、五十五人問題については、north2015自身もちゃんとできてないとこがあるような気がするので、やや再検討かな、という感じです(クライマックスシーンのところは単に事実誤認していましたし)。基本的な感覚というのは訂正しようがないので、あとはそれが何を原因に生じたのか、というところの検討になるのでは、と。ただ、

>この世界における外部の見えなさは、それは視点の絞り込みによる必然的な不可視化ではなく、本来であれば見えるはずの部分も含めて、外部に確かに他者がいると確信を持てるシーンを、注意深くかつ徹底的に取り除いているようにしか見えないんですよね。

という部分は、何がしか感じ方に共通している部分があったのかな、と思っていて、そこを考えると答えが出てくるかな?という気はしています。

とはいえ、膚に合わない作品を検討のためだけに見ると言うのも何かアレな行為ですから、アイデアだけ丸投げして誰か拾ってくれないかなーでいいんじゃないでしょうか(笑)

ともあれ、面白い記事をありがとうございました。またよろしくお願いします。

tyorotyoro 2009/08/23 21:36 初めまして、お邪魔します。
大変面白く読ませていただきました。

ケンジ以外の55人という設定についてですが、「無いほうがプロットがすっきりする」とは、思わないんです。
あの設定は、「ケンジよりワビスケに夢中で、自分勝手なナツキに対する失望」と併せて、ケンジが事件を解決しようとする動機を、一旦無くすために必要だったのだと思っています。

その上で、おばあさんとの会話が動機になって、もう一度事件に関わる過程で、ナツキへの想いを新たにする、という構成だと思うのです。
個人的にはここが、わかるんだけど、ちょっと弱いかなと思ったところでした。
はっきり言って、ナツキよりもカズマ君のほうがよっぽど好ましく思えたし、花札対決の代表がナツキである必然性も、物語の都合でしかないように感じたんですよね。


「家族の外の世界が見えない」という指摘は、まったく同感です。
ケンジ側の家族についての描写も気になりました。両親が忙しいとしても、親戚の集まりにも出たことが無いなんてありえるのかなと。事件が起こってるのに心配して連絡も取ってきませんしね。携帯が使えないからということかもしれませんが、描写は欲しかったかなと。

コメント欄で語られているように、こうした一見ご都合でスポイルされているかのような部分に作家性、批評性を見出すというのは面白いですね。
まあ、ご都合でスポイルされているのだとしても、十分に面白い映画であって、間違った選択だとは思いませんが。

あと、関係ないですが、年寄り連中に戦争の影を感じられないのが、だから悪いってことは無いですが、気にはなりました。

乱文失礼しました。

tyorotyoro 2009/08/23 22:07 すみません。「スポイル」という言葉の意味を誤解して使用していたかもしれません。
正しくは、「ご都合で描かれていない、切り捨てられている。」という意味のことが言いたかったのです。
失礼しました。

えんどうえんどう 2009/08/25 16:53 www.tbsradio.jp/utamaru/2009/07/post_493.html
www.tbsradio.jp/utamaru/2009/07/post_494.html
細田守監督が上記ラジオ番組で、家族の外に敵を作りたくなかったと発言しているので家族の外を描かないのは意図的なんでしょう。その理由も語っています。

KOSKOS 2009/09/06 23:55 初めまして。
以前「ダークナイト」の記事を読んで以来、愛読させて頂いております。
今回、自分のサイトで本エントリに関して言及させて頂きました。
トラックバックが送れないので、失礼ながらコメントで代えさせて頂きます。

http://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/diary/diary.html

hideblohideblo 2009/09/16 13:47 一部を除いて、楽しめました。結構好きな映画でした。SFが好きというのを差し引いても。

大家族を出すために、ただでさえ登場人物が多いのに、さらに55人出したら、希薄な描写か、映画の時間におさまらないと思います。
「そこは技術力でカバー」という手段でも無理な人数だと思います。そんなことするなら、指摘の通り、家族の描写を増やしたほうがいいと思います。

それに、ケンジは暗号解読に失敗していて、そこでケンジはラブマシーン事件の関係者でなくなります。そこで・・・というのは、tyoroさんが書いてる通りだったので省略。
だから、GiGirが提案する「暗号を解読したのは世界で健二1人で・・・」というのは中核レベルのシナリオを変えてしまい、もう全部変えろよ」という意味だとしたら、おそらくそのシナリオは薄っぺらいものにしかならんように思います。

主人公が主人公してない、というのはとても同意です。
いつケンジが活躍するんだ、、、と思ったまま映画終わったので。
友達に薦めるときは、主人公は一人じゃない」とアドバイスしてますw