グノーシス主義

なんか興奮する単語で思い出したんだが、この間グノーシス主義の話をしただろ? グノーシス主義にも興奮するフレーズが頻出するよ(俺基準で)。
まずグノーシスからして興奮する。またグノーシス主義では造物主(デミウルゴス)の名は一般にヤルダバオート、あるいはサマエルと呼ばれるがこれもイイね。他にはアルコンとかオグドアス、アイオーン、「死のソフィア」、「王なき種族」(グノーシス主義者の自己呼称)とかも。またナグ・ハマディ文書にもそそるのがたくさんある。『闘技者トマスの書』、『全きヌース』、『メルキゼデク』、『ゾストゥリアノス』とか意味は全く分からないが楽しい。
多分アレだ、ユングとかも「グノーシスやっべ、かっこよくねえ?(単語が)」と考えていろいろ書いたね。間違いない。
そういえばこのあいだは適当な話しかしなかったが、グノーシス主義でもっとも面白いところは『聖書』の読み換えだろう。例えばグノーシス主義では世界創造者は悪であるため、「創世記」の完全な価値転倒が起こる。旧約の神こそが諸悪の根源、知恵の木の実は真の神からの贈り物、ある派(ナハシュ派)ではエデンの蛇こそが真の神の使いとなる。でもやっぱイエスは味方みたいな。そんな感じで次々とテキストをひっくり返していくわけだ。まあ最終的にはプラトン主義なんだけども、ニーチェの言うような「背後世界論」としてはキリスト教とかより純粋な形だろう。宗教というより知的な運動、あるいは思考形式の一つと考えたほうがハッキリする。

 "Random Acts of Senseless Violence"

遂に読んだ。
前に書いたとおり本作は、『アンネの日記』に目配せした(ヒロインは日記にAnneと名付け語りかける)12歳の少女ローラの日記という形式をとっている。ドライコシリーズの時系列ではもっとも初期に位置する作品であり、社会崩壊が臨界点に到達し、他作品の背景となるディストピアへの変貌が決定的となる「ゴブリンの年」から物語は始まる。世界を襲う激変の中、ローラの家族も困窮に見舞われ、ニューヨークに荒れ狂う暴力と混沌に直面することを余儀なくされていく・・・
やっぱりとんでもなく辛い話だった。今までのドライコシリーズの世界はディフォルメされ、大きく誇張されており、たとえ残酷なことが起こっても「ま、そういう世界だしな」とある意味で納得していた。ウォマック風にいえば、"AO it truthed I spec unmattering."のような感じか。いわばマジックリアリズム的というか、シュルレアルな雰囲気が充満し、暴力や悲惨の生々しさは強烈には感じられない。にもかかわらず登場人物が受ける苦しみと喪失には、激しく揺さぶられてしまう。
しかし本作はいうなれば「昨日の世界」(ツヴァイク)からディストピアへの移行期を舞台にしており、ヒロイン一家はこの現実世界にいてもおかしくないような普通の家族だ。その一家が社会の崩壊に翻弄され、為すすべもなく変わり果てていく様を12歳の少女の視点から見せられるわけだ。実際ときおり挿まれる街の情景やTVニュースなどを除いたら、最初の50ページぐらいは普通の日記が続く。妹と『ファンタジア』を観たとか、学校の宿題で『サイラス・マーナー』を読んだが、ホントつまらなかったとか。その普通の生活が次第に壊れていき、家族もヒロイン自身も辛い変化を経験することになる。
また内面と環境の変化につれての文体上の変化もめざましいものがある。はじめは12歳の少女らしい単純な言葉で綴られた日記、それがストリートで習いおぼえた表現をとりいれつつ、後の「ポスト文字」に近づいていく。特にラスト50ページは圧巻。ほとんど毎ページに奇妙な詩的美しさを湛えた文章が登場する。
世界・ヒロイン・文体の「トランスフォーメーション」ってことでちゃんと書いてみようと思ったが、書いてる内にいろいろ思い出して辛くて自分が「郵便局になって」(go post office)*1しまった。もう勘弁。
しかし作品はドライコシリーズの中でもっとも一般に訴える力があるし、単体でもすばらしく魅力的なので多くの人に読んでもらいたい。しかし後半とか翻訳不可能っぽいな。

*1:"Random acts..."で登場する表現。狂乱状態に陥ること。90年代以降散発した郵便局員が職場で同僚の(大量)殺戮を行った事件がアイデアか。"go postal"という表現、ゲーム"Postal"とは直接の関係はない。最上級は"go general post office"。舞台はマンハッタンだしここか? ここで暴れるのは相当レベルが高いな。